2014年12月13日土曜日

『地震と原発 今からの危機』神保哲生 宮台真司ほか

震災レポート ②
                           中島暁夫




『地震と原発 今からの危機』
   神保哲生 宮台真司ほか 扶桑社 2011.6.20

                                      
[宮台教授は紹介を省きますが、神保哲生はビデオジャーナリストで、ビデオニュース・ドットコムを設立。これはニュース専門のインターネット放送局で、月525円の視聴料で広告収入に依存せずに運営。本書は、その放送された番組から抜粋し、加筆・修正したもの。]


【プロローグ 神保哲生】

○原発について合理的な議論ができない不毛

・推進する政府や企業側……PRのプロを使って原発の安全性をアピールし、同時に、反対する人にイデオロギー的に偏っているとの〝レッテル貼り〟を行なってきた。…原発に反対する人の中には、いわゆる〝左翼的イデオロギー〟で反対している人も、放射能・被曝が怖いとやや情緒的に反対している人もいるだろう。また、技術的なことも含めてメリット・デメリット、リスク、コスト面などを合理的に判断して反対している人も少なからずいる。しかし、そういう人たちまでが、何でもかんでも反対する人たちと一緒くたに敬遠される構造がつくられてきた。合理性に判断している人であっても、イデオロギー的に偏っているようなレッテル貼りが行なわれてきた。→ 原発に賛成か反対かが、単なる〝陣営争い〟になってしまい、ほとんど合理的な議論が成り立たない、そんな不毛な状態が長く続いてしまった。
・マスメディア……スポンサーを批判できず、記者クラブ体制のもとで政府を批判できないマスメディアは、今回の震災で、その機能不全ぶりをさらけだした。メディアが本来の役割を果たしていなかった。…マスメディアに登場する原子力の専門家は、ほとんどが原子力を推進してきた人たち。その研究に必要な大がかりな施設や資金は、国や電力会社が提供してきた。→ そういう専門家の説明に、〝安全バイアス〟がかかるのは当然のこと。…そういう状況に対して、メディア側があまりにも無策で無抵抗だった。…ある政策を「市民が支持した」と言うなら、その大前提として「メディアがきちんと情報を伝えていた」ということが必要。しかし今回は、一般の人は事実を知らされていなかった。→ メディアは、一番反省しなければいけない当事者のひとつとして、この震災を機にきちんとした自己検証をしなければならない。
(※今のところ、かつての敗戦の時と同じように、日本のマスメディアは、自らの責任は頬かむりして済まそうとしているように見える。今回、マスメディアがきちんと自らの責任を自己検証できたかどうかのポイントの一つは、上杉隆が言うように、閉鎖的な「報道ムラ社会」である「記者クラブ制度」を自ら解体できるかどうか、ではないか)

○行政やメディアに任せすぎていた

・われわれ日本人は、これまであまりにも行政やメディアに、重要な決定を任せすぎていた。
・行政は公平でないといけないから、統一基準をつくる。…一番弱い自治体の基準に合わせたら膨大なコストがかかる。だから最大公約数的な統一基準になる(※行政の宿命か)。→ 地域ごとの違いがこぼれ落ちてしまい、災害時に被害を大きくしている。
⇒ 統一基準からこぼれてしまう地域ごとの差や、行政が想定していない事態を、埋めるために、自主的な取り組みを、地域や家庭でする必要がある。それをするのが「引き受ける社会」。

○答えは誰も与えてくれない

・われわれはエネルギー政策も政府にお任せだった。教育も学校や塾に任せてきた。情報源もマスメディアばかりに依存してきた。→ 今回の大震災を奇貨として、「任せる社会」から「引き受ける社会」に転換するべき。…答えは誰かが与えてくれるものではなく、自分で探すものになる。答えは一人ひとり、あるいは地域ごとで違ってくるだろう。もう政治家が唱えたワンフレーズに従っていく時代ではないし、メディアの情報を鵜呑みにする時代でもない。

【1章】子どもたちの自主判断が津波から人々を救った(4/2放送分より)
〔片田敏孝 群馬大教授/釜石市防災・危機管理アドバイザー〕

・想定外というのは嘘。相手は自然。隕石でも巨大な津波でも(自然現象としては)あり得るし、想定できる。…しかし、正直、ここまでのものが本当に来るとは思っていなかった。でも、やっぱり来た。(※ほとんどの人の思いだろう…)
・ところが、津波防災というかたちで政策展開する場合、(コストが膨大になるから)無尽蔵にデカいものなんか想定できない。→「一定の想定」というものが生まれる。…三陸沿岸で想定していたのは、明治三陸大津波(1896年、2万2000人死亡…歴史に残っている確かなデータで過去最大のもの)。今回はその想定さえ越えてしまった。
・ハード面での想定の見直しには反対。…日本の海岸を、全部巨大なコンクリートで固めることになる。財政的にも不可能。
・今回の非常に大きな問題は、想定に縛られたこと。…ギネス級の防波堤、ハザードマップ → もともと想定というのは暫定的なものなのに、それに安心して「暫定」ではなくなってしまう。ヒューマンファクターの脆弱性を高めてしまう。 →「津波が来ても、ウチは大丈夫」…ハードに力を入れすぎると、逆にソフトが疎かになる。

○釜石市の事例

・8年前から小中学生の防災教育に取り組んでいた。→ 中学生が自主的判断で、「先生、ここじゃダメだ」と言って、指定されていた避難場所よりさらに上に、小学生を引き連れ、さらに近所の保育園の子どもまで連れて逃げた。そして子どもたちが大挙して逃げる姿を見て、近所のお年寄りたちが引きずられるように逃げていく。
・その防災教育の三つのポイント

①「想定にとらわれるな」
・相手は自然なんだから、どんなものが来るかわからない。→ ハザードマップ(ひとつの状況想定にすぎない)など信用するな。(※すごいことを教える!)

②「その場、その場の状況の中で、ベストを尽くせ」
・自然の猛威の前には死ぬことがある。人間にできることは、その場、その場の状況の中で最善を尽くすことだけだ。(※ここまでくると防災思想、防災哲学…)

③「津波てんでんこ」「命てんでんこ」…「率先避難者たれ」
・「人の命じゃない。自分の命をとにかく最優先に守れ。それがそのまま他の人を誘導することになるんだ」……過去の津波のときに、誰かがいるかもしれないと思って引き返したり、周辺を探しまわったりしているうちに津波に呑まれてしまった。家族の絆が仇となって一家が全滅してしまった。→ この過去の教訓があったから、津波のときは母も子も「てんでばらばらに逃げなさい」という先人の苦渋に満ちた言い伝えが「てんでんこ」。とにかく一人で逃げろと教えている。
・集団同調性バイアス……みんな逃げなきゃいけないという意識はあるのに、いまがそのときと思えない。→ そんな矢先、誰かが真っ先に逃げれば、それにみんなが付いてくる。… そこで子どもたちには、「君が自分の命を守ることは、みんなの命を守ることにつながるんだ。だから、率先避難者たれ」と教えた。
ex.釜石東中学校の子どもたちは、揺れてる最中から飛び出していった。日ごろ小学校と中学校は合同訓練をしているから、中学生が全速力で走っているのを見て、小学校の子どもたちも一度は学校の高いところに上がったが(その後小学校は水没)、みんな下りてきて、付いて走っていった。――子どもたちは見事に、この三つの条件をみんな満たしてくれた。

◎子どもたちにもう一つ言っていたこと

・この地区は非常に高齢化が進んでいる上に、漁村で昼間は父母はみんな仕事に出ている。→ 中学生には「もう君らは救われる立場じゃない。救う立場なんだ」と言っていた。――釜石全体で小学生約2000人、中学生1000人、他に保育園児。このほぼ全員が無事だった。
※日本の学校教育……子どもたちは教わる立場。先生の言うことは正しい。与えられる印刷物は全部正しい。教科書丸暗記。…こういう教育を受けてきているから子どもは、疑うとか、自分で考えるとかいう訓練をあまりされてない。→ だから私は、「ハザードマップなんか信じるな、自分で考えろ」と。…知識の防災教育はダメなんです。「姿勢」を与える防災教育をやらなきゃいけない。
・自分のことだけを最優先に考えるという行為を卑怯であるかのような捉え方をしてしまう倫理観は確かにある。ただそれは日常の生活、平時でのこと。しかし、防災という非常時においては、率先避難者たることが他の人のためになるんだと、教えなきゃいけない。
(※先日のJR北海道のトンネル内列車火災事故も、同様のケースだろう。もう少し(集団同調性バイアスのために)逃げるのが遅れたら、かなり危険な状況だった。)

○ハード面をしっかりとすることで、なぜ人間が脆弱になるか

・ex.治水の場合、一級河川は100年確率。つまり100年に一度の大雨を想定して堤防やダムをつくる。→ 100年確率以下の小さい水害は全部なくなるので、意識が完全無防備になり、そして襲いかかるのは大きい水害だけ(被害は大きくなる)…これが現状の状態。
(※ウチのすぐそばの浅川(一級河川)も、ちょうど100年ぐらい水害がない。毎年どこかで堤防の補強工事をやっているが、地域住民や市役所に水害に対する防災意識はほとんど感じられない…)
→ 一方で、100年確率をもっと下げて、小さな水害が繰り返し起こるようにする選択もある。そうしたら大災害はなく、災いをやりすごす知恵を維持していくこともできる(防災意識が高くなる → 減災)。…ハードの防御レベルをどう考えるかが非常に重要になってくる。
(※原発の場合は、これは適用できないだろう。今回のケースで明らかなように、いったん事故が起こると、今の人類の技術レベルでは、長期にわたって原子力や放射能をコントロールできなくなってしまう。もっとも、近所の川も、20~30年ごとにちいさな水害を起こす…というのも、ちょっと困るが。)
・今後の復興について……高所移転が抜本的な解決策であることは確かだが、高所移転する土地がない。だからリアス式海岸は、わずかな土地(低地)に街が展開するようになってしまう。→ 海溝型の津波はだいたい100年程度の間隔で来る。人間の忘却のメカニズムに見事にマッチしてしまう。→ やがて災害も風化し、元のような街ができあがった頃に、次の津波が襲ってくる。…これをずっと繰り返している。明治三陸津波。昭和三陸津波。それから今回…。

○津波の映像を、きちんと子どもに見せる

・釜石市の防災教育は「人間は忘却するものだ」という思いからスタートする。→ 津波防災文化を定着させること。…当初は大人対象にやっていたが、関心のある人しか参加しない。→「子どもの防災教育を10年」やることにした。…8年やったところで、今回の震災が起こった。
・今回の津波の生々しい映像…相手は自然だからそんなに甘くない。PTSDであろうが、何であろうが、いつか災害は必ず起こり、その土地の全員を襲う。それをPTSDになるからといって包み隠してしまうことは、自然に対峙して生きていく人間として、おかしいんじゃないか。
・「防災は行政の責任」ではいけない。「自分で自分の命を守る」問題。…自然災害だから、その地域の人を貴賎を問わず、男女を問わず襲ってくる。そしてそれに耐えられた人が生き延び、耐えられなかった人が死んでいくという、たったこれだけの問題。…ただ、公共財として彼らの防災力を高める共通土台を与えていくことは必要。それが公共事業。そこの部分においては、防災は行政が関わる理由がある。…でも基本は、個人が自分の命を守るために最大限の努力をすること。

○今後の復興についての難題

・東北のリアス式海岸では、限界集落というか、今回の震災がなくても消えていこうとしている集落がいっぱいある。…仮に公共事業としてやったはいいが、復興した頃には人はいなくなっていた…ということがあり得る。→ 「浦だたみ」(その湾をたたむ)することも場合によっては必要なんではないか。そして 復興すべきところを計画的に復興していく…そんな議論も必要なんじゃないか。厳しい話だけど、現実的な問題として。(※最近の報道で、漁港に対して同様の提案が出されて、地元から早速反対が噴き出していたよう…確かに現実的には厳しい課題だ。)

【2章】地震活動期に入った日本と「フクシマ再来」の危険性(4/9放送分より)
〔立石雅昭 元新潟大地質科学科教授〕

・以前から東日本を中心に地質学的な現地調査をしてきた。柏崎刈羽、女川、浜岡などは原発立地として適していない。福島の原発も、地質学的に見て、つくるべきでないところに建設している。…今回の震災で、これらの原発の建設を止められなかったことの、申し訳なさを強く感じている。
・日本列島は、「ユーラシアプレート」「フィリピン海プレート」「太平洋プレート」「北アメリカプレート」の四つのプレートが集まっていて、地震が避けられない地帯。
…静岡の浜岡原発は、そのうちの三つのプレートがちょうど重なるところ(地震の巣)にある、世界的にも珍しい場所。そこに原発をつくってしまった。

◎「地震の活動期、静穏期」…阪神・淡路大震災の後、はっきり見えてきた

・日本列島の場合、25年(25~30年)ぐらいの周期で、活発に地震が起こる時期とそうでない時期がある。ex.関東大震災(1923年)~1948年までの25年間、M7~8クラスの地震が続いた…昭和三陸地震(1933)、昭和東南海地震(1944)、昭和南海地震(1946)、福井地震(1948)――ひとつの地震活動期。
→ 1948年から静穏期に入り、1995年の阪神・淡路大震災まで大きな地震は起こっていない。…また、関東大震災以前の大きな地震は、陸羽地震(1896)までさかのぼる。
――1948~1995年は静穏な時期。
⇒ 2000年以降、かなり大きなものが、1~2年ごとに起こっている。…この地震活動期は、あと十数年、場合によっては20年近く続く可能性がある。
・太平洋プレートは、日本列島の下にズルズルッと沈み込んでいく。沈み込みつつ、他のプレートも引き込んでいるが、ある一定期間は引き込まれないように岩盤が頑張って耐えている。それが静穏期。→ 耐えていた岩盤がいつかは破壊される。それが活発に活動する前兆となる。一度動き出すと、プレート間の歪みが広がり、ズタズタズタッと割れていく。
・実は専門家の中で最初に大きな地震が起こるだろうと予測されたのは、北海道の十勝沖。…海のプレートと陸のプレートの境界で、続々と地震が起こっていた。東北地方も、確率的には低くなかった。→ 今回はまずそこで起こった。つづいて、南海の方も、余震ではなく本格的なものが起こる可能性があると考えるべき。すごい津波が起こると思う。
(宮台)
・戦後は静穏期だったから高度経済成長もできたし、原発もこれだけできたんでしょうね。
(立石)
・土木学界の「原子力土木委員会 津波評価部会」で、2002年につくった「原子力発電所の津波評価技術」という文書…日本の津波対策のバイブル。…ただし、津波の波の高いところで、計算上と実際の波との誤差が大きくなっている。…2004年のスマトラ沖地震(M9.1)の津波の最大波高さえも、現在の研究機関では説明できていないというのが実情。…人間は、問題は少なく見積もりたいから、津波がこれほど大きくなるという想定はしたくなかったのではないか。……もう一つの問題は、この「津波評価部会」の中には、各電力事業者から委員が入っていること。そこに大学研究者も入っていて、産学協同の生産物…。
(神保)
・要するに御用学者が多いということですね。(※日本はどこも御用学者ばかり?)
(立石)
・津波対策の一番の基本は、原発施設内の複雑な装置が海水で浸水されないように、津波が来ない高さにつくること。つまり最大波高をどれくらいに見積もるかが一番の問題になる。→ 福島原発の場合は、標高10メートルのところを平地化して、そこに建造。つまり、せいぜい5~6メートルぐらいの津波しかこないだろうという想定。これでは津波対策をまったくしていなかったと同じ。他の原発もまったく同じ。(※これでは100%人災か!)
・今回の事故は津波以上に、「外部電源を含めて、電源確保をどうするか」という仕組みそのものができていなかった。それが最大の問題だった。……このことについては、原子力安全委員会が1990年に定めた「安全設計審査指針」も、「長期間にわたる全交流動力電源喪失は…考慮する必要はない」として、事故発生に加担してしまった。
・想定されている東海地震の動く断層面の、ちょうど上にあるのが浜岡原発。…過去(安政東海地震、1854年。昭和東南海地震、1944年)と同様の揺れでも耐えられないだろう。何よりも、どういう津波が起こるかという想定はほとんどできていないのが実態。
・原発の耐震性……今回の地震は、福島で東電が算定していた基準地振動を超えてしまった、東北電力の女川原発でも超えてしまった。→ 2006年の耐震設計審査指針を見直さなきゃいけない。…現行の基準で運営される原発は、安全だという根拠はない。いまはコストがかかるということで、地震動を小さく見積もって設計をしているところに、大きな問題がある。…津波に対する防護壁についても、基礎になる津波の大きさが想定できないんだから、計算しようがない。⇒ エネルギーとして原子力をどう考えるかという議論を、もっと真剣にすべき。われわれの科学や技術がいまどういうレベルにあるのか、コストはどのくらいかかっているのか。そして事故のリスクを含めた上で国民的な議論をして、それでも必要なら、地盤が安定し、安全だと思われる何ヵ所かだけで稼働させるというのが基本方針だと思う。もちろん、静岡県の浜岡原発、新潟県の柏崎刈羽原発、宮城県の女川、青森県の東通原発といった非常に危険であると専門家が何人も警鐘を鳴らしている原発は止めるべき。
(宮台)
・いまがチャンス。チェルノブイリ原発事故を、日本は自分たちの問題として受け止めなかったが、ヨーロッパは受け止めた。→ 90年以降、すごい勢いでドイツやイギリスなどが再生可能エネルギー推進政策に舵を切った。…僕らにとってチェルノブイリ原発事故が他人事だったというラッキーが、非常にアンラッキーだったと言える。
(立石)
今回の東北地方の地震と同じように、東海、東南海、南海が連動すれば、M8.6に、さらに沖縄沖まで連動する可能性もあり、そうするとトータルとしてはM9を超えると思う。そういう規模のものが(ここ数年~2030年~2040年)80%超の確率で起こることは、日本のさまざまな地震関係機関で公認されている。…今回の活動期の間(あと15年ぐらいの間)に必ず起こると言えるんじゃないか。
・いま、われわれがすべきこと……産官学の連携構造というか病巣をなくさないといけない。…学者というものはもっと倫理観を持ってやるべき。自分のやっている研究が国民の生活にどう関わっているのかを真摯に考えるべき。
(宮台)
・電力会社に天下りの座席を持っている経産省…研究費をいくら取れるかが研究者にとっては死活問題だから御用学者が生まれてしまう。もちろん電事連や電力総連を集票装置とする御用政治家もいる。…この権益構造、社会的仕組みを何とかしなければならない。原子力安全・保安院と原子力安全委員会をくっつけるような切り貼りじゃあ、話にならない。
(神保)
・メディアも根こそぎ機能してこなかった。スポンサーの問題もあるし、原発推進が国策だからかもしれない。…原発のリスクについて誇張する必要はないけれど、公平な立場からきちんと世の中に知らせていれば、いまとはかなり違った結果になっていたように思う。いまからでもわれわれは、それを始めなければならない。

【3章】あえて原発事故の「最悪シナリオ」と「冷静な対処法」を考える(3/25放送分より)

(宮台)
・枝野官房長官が三週間ほど言い続けてきたこと…「確定的なことは申し上げられないが大丈夫だと思われる」だけ。「大丈夫」なはずなのに、避難する範囲がだんだん広がり、事態はどんどん悪化する。当然人々は不安になるわけ。
→ 先進国標準的に複数のシナリオを言ってほしい。楽観的なシナリオ、中くらいのシナリオ、最悪のシナリオを、できれば発生確率も含めて。そうすれば僕たちも自分の行動計画とか立てられる。合理的な行動計画はマクシミン戦略(最悪事態の最小化)。少なくとも最悪のシナリオを言うことが公共的。…政権はエリート・パニック(エリートが人々のパニックを恐れてパニックになり、社会をめちゃくちゃにすること)に陥っている。ex.政府が緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)のデータを隠蔽したこと。
・原発はたかが人間がつくったマシン…「そこそこ安全で、そこそこ危険」なのが当たり前。「原発は安全か、危険か」という議論は、日本では「宗教に基づく陣営帰属」と「敵陣営への誹謗中傷」(※イデオロギー的言説)を引き起こし、そこそことはどの程度で、それが何を意味するのかといった合理性や妥当性をめぐる実のある議論を台無しにしてしまう。

【小出裕章 京都大原子炉実験所助教……電話出演】

(※この助教という肩書きは、反原発を唱えたために原子力ムラの中では出世できなくなってしまったという、象徴的なものになってしまったが…)

・福島原発はまだ「レベル5」となっているが(3/25時点)、それは絶対あり得ない。「レベル7」と言わなければいけない状態。
・放射性物質がある場所は、原子炉の本体と、使用済みの燃料プールの二つ。…問題は原子炉本体をこれからずっと冷やしていけるか、ということ。
・私が恐れているのは、炉心がメルトダウンを起こしたときに、水蒸気爆発(燃料が溶けて下に落ち、圧力容器や格納容器に溜まった水に触れて大量の水蒸気が発生、爆発する)が起きて、圧力容器が破損して、大量の放射性物質が外界に出てしまうこと。
・(問い…3号機はウランにプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使っているが、毒性は非常に強いのか?)プルトニウムという元素は、人類が遭遇した物質の中で最悪の毒性(ウランの20万倍)を持っている。でも、MOXだからといって危険性が格別に上がるとは思っていない。そもそも原子炉でウランを核分裂させて核分裂生成物をつくること自体が、とてつもなく危険なこと。その上にプルトニウムの危険性が上積みされる程度のこと。
・現段階での最悪のシナリオ……燃料棒が完全にメルトダウンして、水蒸気爆発を起こしてしまうこと。それで最後の砦である格納容器が破壊されてしまったら、放射性物質が爆発的に外部に放出されてしまう。→ どれか一つでも水蒸気爆発が起こった場合、作業員は発電所の中にとどまることができなくなり、冷却作業ができなくなるので、ほかの原子炉もすべて爆発に至るだろう。(※チェルノブイリ以上の大惨事……実際、かなり早い時点ですでにメルトダウンが起こっていたらしいので、この最悪のシナリオになっていた可能性はあった…?!) 
・ミドルシナリオは「何か月もの放射能のダダ漏れ」……炉心の「崩壊熱」は物理的に計算できる。崩壊熱は時間とともに減っていくが、冷やすためには、水を入れて水の蒸発熱で吸収するしかない。しかし大量に水を入れると、今度は大量の水蒸気で容器内の圧力が上がってしまう(→ 格納容器が壊れる危険)。…データを見ながら慎重に判断しなければいけない。〔註:崩壊熱と冷温停止…核分裂が止まった燃料も使用済み燃料も、「崩壊熱」を発し続ける。崩壊熱は初め急激に減るが、そのあとダラダラと1~2年かけて少しずつ減っていく。…だが冷却機能が壊れた福島原発は、何らかの方法で水を入れ、原子炉が安定する100度未満の「冷温停止」状態になるまで冷やし続けなければならない。…5月下旬時点で、「放射能ダダ漏れ」状態は止まる見通しがまったくない。〕(※6月下旬時点でも、「冷却水循環装置」の運転がまだうまく作動しない…)
・すでに原子炉の中に海水を大量に投入してしまったので、その塩分が障害になって、まだずいぶん長い時間がかかるのではないか。…被曝環境で作業しなければいけないということが最大のネック。
・水蒸気爆発が起こるのが最悪なので、爆発が起こらないで、放射能が漏れ続けながらも収めることができれば、まだマシだと思う。しかしそのためには、本当に長い間放射能と格闘しなければいけないし、たくさんの人たちが被曝せざるを得ない状態で働くことになる。とても、言葉でなんとも言えないような仕事を、これからも長い間やらざるを得ない。ロボットなんかはまったく役に立たない。(※まさに、三ヵ月をとうに過ぎた今も、この状態が続いていることを、日々の報道が伝えている…)
・もし福島がチェルノブイリのような事態になった場合、日本の法律に従えば、原発から700キロ離れた土地まで、放射能管理区域にしなければいけない地域がでてくる。
大阪、北海道、本州の大半が入る。…今回も40キロ離れた地域でも、ものすごい汚染地域が生じていることがすでに分かっている。これからその地域は無人にしなければいけないと想像している。
・チェルノブイリの場合は黒鉛の火災が伴ったので、放射能が上空高く噴き上げられ、風に乗って汚染が広がったが、福島の場合は黒鉛火災はないので、チェルノブイリほど遠くまで汚染されないかわりに、原発の近傍の風下は猛烈な汚染を受けるだろう。
・こういう事故が起きた時に、どういう放射性物質がどっちの方向に流れていって、どれだけの被曝を与えるのかを知ることが大変重要。……住民の被曝量を少しでも軽減するために、20年にわたって多額の予算をかけて開発された「SPEEDI」というシミュレーションシステムが10日以上も公表されなかった……これではまったく意味がない。政府はパニックを恐れて抑えたんだと思うが、そのようなやり方は、科学に携わる人間から見ると著しく不誠実だ。
・防災という観点からは、悲観的な予測をしたほうがいい。あとで「これは考えすぎだったな」と思ったほうがいい。考えないまま、被害を受けるよりはいいと思う。情報がない中で「安全だ」「安心だ」「大丈夫だ」というのは正しい態度とは思えない(※枝野官房長官!)。
(※当初、この小出助教に対して、いたずらに不安を煽っている…というような批判もあったようだが、三ヵ月を経たいまの時点では、今回の原発事故に対して、きわめて妥当で的確な評価・分析を行なっていた…という印象を強くした。)

【飯田哲也 京都大原子核工学科卒 NPO環境エネルギー政策研究所長】
・東大原子力工学出身者を中心とする原子力学会の世界は、ほぼ全員が推進の立場。いわゆる「原子力ムラ」の住人。

(宮台)
・産学政官マスコミの「鉄の五角形」……東電が東大大学院工学系研究科に約5億円の寄附講座を提供。…御用学者も問題だが、それを使うマスコミも問題。利害当事者を番組解説者として呼ぶNHKや民放の不見識に驚愕する。マスメディアも同じ。新聞社もテレビ局も雑誌出版社も、営業は電力会社の接待漬け。…こうして自主規制状況がつくり出される。これが、原発事故を準備した、日本的な社会システムの病弊。
・マックス・ウェーバーによれば、行政官僚は既存プラットフォームの中で最適化を目指す存在。政治家はいざという非常時にプラットフォームを改変する責務を負う存在。…でも行政官僚はプラットフォームが改変されれば立つ瀬がなくなる。だから政治家に抵抗して疑獄事件をつくり出す。国民がそれを真に受ければ行政官僚が勝利する。そういう民度の低い社会で、政治家が果敢な振る舞いをすれば、そもそも行政官僚が勝利する社会システムだから、果敢な政治家が放逐される。これを回避するには、民度の低い社会自体を何とかしなければならない。(※ちょっと「上から目線」が気になるが…)
(飯田)
・海産物などへの汚染もどんどん広がっていくだろう。一点補足しておくと、水蒸気爆発の可能性はいまでも十分ある。…チェルノブイリのように剥き出しで放射能がダーッと出るよりは、激しいガス噴出のような感じになる可能性が高い。一つでもそんなことが起きたら、そこで作業することは不可能になり、他の原子炉でもメルトダウンが進み、手がつけられなくなってしまう。
(宮台)
・この間の政府の発表(枝野)は、「確定的なことは言えないが、大丈夫だと思われる」「一生懸命頑張っている」と言うだけ。まったく答えになっていない。…国外から見れば恥さらし。…官邸側から「最悪のシナリオについてはしゃべるな」と縛りがかかっているから。「国民のパニックが心配だ」という、エリート・パニック。「愚民政策が国民を危機に陥れている」わけ。
・経済への影響という点では、ダダ漏れ状態も恐ろしい。だらだら放射能を漏らしながら冷却をし続ける状態が一年以上も続くことになったら、経済活動のダメージが大きく、税収も下がる。共同体が市場と国家に過剰依存する日本では、自殺や孤独死が増えるし、外国人投資家の日本売りのきっかけにもなりかねない。→ なので官邸は、想定はしているけれども、恐ろしくてしゃべれない、というところかもしれない。
(飯田)
・当面は、被曝管理と、放射能漏洩量のチェックと、広範囲の貯水プールをつくるのと、その三つの方程式の中でやっていくしかない。
・いま必要なのは、シミュレーションと現実のデータ。その両方を突き合わせながら、気象庁、国立環境研究所、いま遊んでいる旧動燃の日本原子力研究開発機構も含めて、しっかりと手を打っていくべきなのに、司令塔が動かないから混乱して何もできていない。
(※日本は、いろいろ組織だけはたくさんあるが(天下り組織)、誰も責任をとらない、ということか…)
…ホットスポットの話にしても自治体任せ、既存のモニタリングポスト頼みで、方針もバラバラ。もうここまで来たら、福島を中心に相当広範囲なリアルタイムモニタリングポストをつけて、出荷物を含めてリアルタイムでデータを集めて、予測と現実を常に突き合わせることをやらなきゃいけないのに、手を打ってるフシもまったくない。二週間も経っているのに。
(※三ヵ月が過ぎても、状況はそれほど変わっていないように見える…)
・日本は、非常に高性能なスーパーコンピュータをいくらでも持ってるんだから、キチンと運用できれば相当精密な放射性物質の拡散シミュレーションができるのに、まったくそんな努力がなされていない。
・外部被曝は主にガンマ線なので、エネルギーの大半は透過する。しかし内部被曝は放射性物質が体内にとどまってベータ線、ガンマ線などの全エネルギーを放射し続けるので、外部被曝よりかなりタチが悪い。

【矢ケ崎克馬 琉球大名誉教授……電話出演】

・内部被曝は完璧に進んでいる。…曖昧な言い方をするのではなく、きちっと伝えて最大限の防御をするという考え方をしないといけない。…開き直って、被曝を覚悟して、やるべきことをやる。この事態を将来禍根を残さないように、一生懸命力を合わせるというのが、いま、国民に直接訴えるべき一番大事なことじゃないか。
・マスクは絶対すべき。放射性物質はスギ花粉の1/10以下で、普通のマスクでは完全防御はできないが、しないよりもしたほうがいい。
・制限値以下ならば大丈夫という考え方は、しないほうがいい。人間の身体を防御するという基本的な考え方からすると、ゼロのほうがいい。ex.(3/21時点)茨城県ひたちなか市の一連の数値は、ものすごい汚染度。(※この先生は、これまでで一番厳しい見解?)
・特に雨は危ない。放射線は水分子を凝集させていく効果がある。…土地を汚染するという段階になると、作物が中に取り込んで根から放射性物質を出すようになる。そうしたら表面をきれいにしても落ちない。

【松井英介 岐阜環境医学研究所長……電話出演】

・ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線防護の基準は、広島・長崎の外部被曝のデータを元につくられてきたもので、内部被曝はあまり重視していない。…内部被曝の理解は、特に日本では非常に乏しい。一番よくわかっているのはヨーロッパ。チェルノブイリの経験やイラク戦争などで使われた「劣化」ウラン弾の影響があるから。
・細胞が放射線を受けると遺伝子に傷がつく。その傷を治す力(免疫力)をわれわれの身体は持っているが、修復されてもまた放射線に傷つけられる。→ それが繰り返されると遺伝子異常を起こし、白血病を含むガンや、胎児の場合はいろんな形態異常(先天障害)になる。
・内部被曝で一番重要なのは、何年もたってから症状があらわれる「晩発障害」。特にヨウ素の場合は甲状腺に蓄積する。特に小さいほど影響を受けやすいので、14歳以下の子どもが問題。→ 広範囲の予防措置も考える必要があるし、疫学調査もやらないといけない。…汚染のモニタリングや検診も含めて、そういった長期計画を日本政府は早く出すべき。
(※こういった情報が徐々に、主に民間サイドから広がって、地元の自治体を動かし、ようやく国もその重い腰を上げ始めた…)
・発症までの期間…白血病で10年とか、肺がんなどの固形がんの場合は30年とかいうタイムスパンで出てくる。…疫学的にきちっと調査しないといけないこと。日本が先陣を切って調査するのが大事。(※依然国の動きは鈍い…)当面は、ちいさい子どもと妊婦は、できるだけ汚染の少ないところに避難してもらうという手立てが必要。

(神保)
・(山下俊一・長崎大教授の講演会での資料より紹介)広島・長崎での原爆被爆者の追跡調査…がんの発症がピークを迎えたのは2005年あたり。つまり、当時ゼロ歳だった人が、いま65歳とかになって、次々とがんになっているというデータ。…ただ、被曝とがんとの因果関係を証明するのは難しいだろうが。
・実は60~70年代は、米ソ中国フランスなどの核実験のせいで、いまよりずっと大気中の放射線量が多かった。
(飯田)
・計画停電しなくても電力は足りる…「計画停電」は無計画停電。ライフラインまで一律に止めるというデタラメをやっている。電車とか信号、病院まで消した。企業も家庭も非常に困った。→ 需給調整契約で十分対応できる。日本人には凄まじい節電力もある。

○今後の原発は

・普通に考えて、今回の事故で新増設はできなくなる。→ 炉の寿命は40年だから、放っておけばこれから急激に減る。
・2020年に向けて、省エネ・節電で20%は楽に節約できる。自然エネルギーも10%→30%に増やせる。そうすると自然エネルギーと省エネで50%を稼げる。→ 残り50%のうち、もし原子力が生き延びたら10%、残り40%は石炭と天然ガスを使っていく。→ 原子力は自然消滅していくというペースで、上手に電力供給ができる。

○三つの壁

①電力会社の独占…とりわけ送電線の独占。

②経済産業省が中心となったエネルギー政策…原子力中心

③再生可能エネルギーを広げていったときに、社会の中でそれを受け入れる基盤がまだ十分にないこと。…社会的な新しいルールをきちんと整えていけば、おカネとか技術面ではまったく問題ない。

・自然エネルギーは計画してから完成までのスピードが速い。復興経済を考えたときに、足の速い投資回収策としても風力や太陽光発電は有効。発電コストでも、アメリカでは風力発電は圧倒的に原子力より安いというのが常識。太陽光も同様。(※アメリカとは自然条件がかなり異なると思うが…)
・自然エネルギーはどんどん性能が上がっているので、より狭い土地でより多くの電力が発電できる。それに日本の国土は、海上を含めると小さいようで大きい。
・もともと太陽エネルギーだけでいま文明社会で使っているエネルギーの1万倍は降り注いでいるので、ほんのちょっとおすそ分けしてもらえれば、文明のエネルギーは賄える。実際には風力も地熱も水力もある。蓄電池も増えていくから、自然エネルギーは不安定だという問題もどんどんクリアされていく。→ 全力で再生可能エネルギーへの変換をはかれば、2050年には100%達成できるだろう。(※かなり楽観的…)
・改革が進まない理由(強固な抵抗)……電事連も経団連も鉄鋼とか電力が中心で仕切っている。そして自民党の政治家に政治献金がいく。民主党には電力総連と電気総連がついている。いまのマスメディアの経済力が落ちているので、相対的に安定企業の広告力、スポンサー力は非常に強くなる。
(神保)
・メディアの独占的な構造……クロスオーナーシップを組んでいる朝日新聞とテレビ朝日、産経新聞とフジテレビ、読売新聞と日本テレビ、毎日新聞とTBS、日本経済新聞とテレビ東京の五社が中央にあって、記者クラブ制度などを通じてほぼすべての情報を独占している。(※これは欧米では禁止されていると聞いたが…)
⇒ 今回の原発事故は、どうやっても変えられなかった大きな壁を突き破るために、ある意味で天から降ってきたような好機。…これは日本の未来にとっても、非常に大きな意味を持つかもしれない。

【ニュースコメンタリー 4/2放送より】

(小出)
・今もとても難しい状況にある。水蒸気爆発という破局に至ることはなんとか防げているが、押し返すことができたわけでもない。…作業員の方がとにかく水をかけ続けて、破局を防いでくれている。ただし、今後も本当に防げるかどうかは、確信を持って答えられない。→ 今後は、何ヶ月も水をかけ続けなければいけない。炉心を冷やし続けることができているか、大事なのはこの一点だけ。
・気体になりにくいプルトニウムが外に出ているということは、圧力容器も格納容器も確実に穴があいている。→ 破局回避のシナリオは、外から原子炉に水を入れるという、その作業だけ。…入れただけの水は出てくるので、汚染水が海水や地下水に出てくる。それでも、水蒸気爆発するよりはいい。…水を入れ続け、出てきた水がなるべく海とかに出ないよう、どこかに閉じ込める作業をしなければいけない。原子炉温度は時間とともに下がっていくが、安定するまで、何ヶ月ものあいだ、長く長く闘いが続く。
・「最悪シナリオ」の水蒸気爆発の場合は、建屋もろとも吹っ飛ぶから、必ずニュース映像を見てわかる。そうなったら、本当に覚悟を決めて逃げてほしい。チェルノブイリの教訓で言うなら、風下で200~300キロまで――東京は福島から200キロしか離れていないので、風下なら東京を放棄するしかない。
(※今までこんな情報は政府当局からいっさいなかった……小出助教の言からは確かにこの可能性はあったように思う……だが、どこに逃げたらいいのか…?!)
・再臨界の可能性…日本が使っている軽水炉では再臨界の可能性はまずない、と思う。
・外に出た放射能量は、まだチェルノブイリほどは出ていないと思うが、止まる見通しが立ってないのだから、最終的には分からない。…核燃料の量で見ると、使用済み燃料も含めれば、全部でチェルノブイリの10倍ぐらいある。

〔5/12放送分より〕

・(事故から2ヶ月のいまになって、東電から燃料が完全に露出していたと発表あり)
結果的に言えば、一番恐れていた「最悪のシナリオ」は、なくなったと言っていい。…いままでの公表データから、残っている燃料がいっぺんに溶けて、下に溜まった水に落ちて水蒸気爆発を起こすことを恐れていた。…ところが、そんな状況はもうとっくに過ぎていて、燃料はすべて溶け落ちていた。そして、下に水がなければ、水蒸気爆発は起こらない。(※たんに結果オーライだった!ということ?…知らない間に「最悪シナリオ」をすり抜けていた…?)…ただ、放射能を閉じ込める格納容器が壊れた以上、外に出る放射能の量が増えるのは確実…。
(※6/23の東京新聞では、小出助教は、さらにメルトスルー(核燃料が格納容器の底も破って地中に沈み込んでしまう溶融貫通――チャイナシンドローム)までいってしまっている可能性がある、と述べている!→ いま最も危惧するシナリオで、汚染された地下水の海洋流失を防ぐためには、地下に遮蔽壁を造ることが急務だ、と訴えている。)
〔※その後小出助教は、3.11事故後、初の書下ろしとして、『原発のウソ』(扶桑社新書)2011.6.1(2011.6.30 5刷!)を発刊した。詳細はそちらに譲りたいと思う〕

【4章】数十兆円の税金をドブに捨てる与野党〝原子力利権〟の鉄壁……4/30放送分より
     
〔河野太郎 衆議院議員〕

・以前、日本の原子力戦略には問題がある、という話が出て、いろいろ勉強した。
・自民党の原子力関係の会合は、利権の分捕り合戦の場。…当時、その会合を仕切っていた事務局は、東電の副社長から自民党の参院議員になった加納時男。…当時の科学技術担当大臣なんかも、核燃料サイクルが何なのか、分かっていなかった。
→「河野太郎は共産党だ」と、東電とか原発推進派が言って歩くというありさま…。

○核燃料サイクルの問題点

①高速増殖炉が、まったく見通しが立たないこと。…「もんじゅ」は止まったまま。

②プルトニウムを再処理しても、燃やす増殖炉がない。→ プルトニウムの使い場所がない。

③推進派は切羽詰って、「プルサーマルでいきましょう」と言い出した。…でもプルサーマルは「ウラン9割プルトニウム1割」のMOX燃料をつくって発電するから、ウランが1割節約できるだけ。…それだけのために何兆円もかけるんだったら、オーストラリアのウラン鉱山を買っちゃう方が安い。――すべて辻褄があってない。つまり日本は、核のゴミをどこでどう処分するか決まってない。→ でも、こういう話をすると、「いやいや、河野太郎は共産党だから」といって耳をふさいじゃう…。

○工場建設費2兆円、操業で19兆円のムダ

・青森県六ヶ所村の再処理工場…計画当初7000億円だった建設費が、2兆円を超えた。しかも稼働すると操業費が今後40年で19兆円かかる。…2005年に経済産業省内部で反対派が、この工場の試運転を止めようとしたが、全員パージされてしまった。
→ 結局、再処理工場は意味なく試運転され、工場はもうプルトニウムに汚染されたから、いまや解体するにも2兆円ぐらいかかる。
・最終処理問題……いまは候補地を公募してる状態。(地層処分)たて穴を掘って、下にゴミ捨て場をつくって、100~300年のあいだ管理して、300年後ぐらいに穴を埋めて人間社会から隔絶させる、というもの。地震があっても、火山や地下水があってもダメ…。これだけ地震が多い日本で、どこの地層に「核のゴミ」なんか埋められるのか?…(担当課長は)30年後から地層処分をやるというが、誰も責任を持っていない…デタラメすぎる。
・結局、原子力を中立的に監視する機関がない。どこの国だって、行政と監視機関は分離している。アメリカのNRC(原子力規制委員会)なんか完全に独立しているから、大統領でもNRCに指示は出せない。
・日本の電力料金は「総括原価方式」…電力を生み出すための原価の3%を、利潤として上乗せしてOK。→ 電力会社は、投資をすればするほど(原価を高くするほど)儲かる。それを消費者に(電気料金として)押し付けられるから(リスクなしの投資!)。
…この「総括原価」の中には、電力会社の社員の給料も、マスコミを黙らせるための広告宣伝費も入っている。それを電力料金として払わされている。
・日本は石油をほぼ100%輸入し、また70年代にはオイルショックもあり、原子力発電も最初はまじめに国のためにという使命感を持って原発推進をやっていたと思う。
→ ところがそれが、だんだん利権化していってしまった。また、産官学マスコミのもたれあいの構造ができていった(80年代)。合理性に最後のとどめを刺したのが、東電の副社長を経団連が推薦して、自民党から参院議員にしたこと。→ その人間が「自然エネルギーなんか殺しちまえ」という勢いで、太陽光発電を阻止するためにドイツ式の全量買取案を殺し、新規参入するIPP(独立系発電業者)のハードルをものすごく高くし…ってことを12年間やってきた。
・原発はCO2は出さないかわりに、核のゴミが出る。CO2で人はすぐ死なないが、使用済みの核燃料は人間がそばに行けないぐらい放射能を持っている。
・民主党も、労組票とか原発立地利権とかで、やはりいろいろなところからズブズブの関係になっちゃっている。

○今後のエネルギー政策

・まず「原発の新規立地も増炉もやめる」、それから「危ない原発…古かったり活断層の上だったりする原発を止める」。それ以外の原発は、安全確認を行なった上で稼働する。原子炉の耐用年数が40年とすると、どんどん廃炉になって、2050年までには原発はなくなる。その間、再生可能エネルギーの普及を猛スピードで進め、中継ぎ的に天然ガスを使う。
・核燃料サイクルが回らない以上、こういうふうにするしかない。最後に出る「核のゴミ」の処分方法が決まらない以上、ゴミを増やすような政策をとるべきではない。さらに今回の福島の事故を見て、新たな原発をつくらないことを、もう政治の意思で決めるべき。
・人口が減っているから電力需要も減っていく。それから、合理的な省エネ・節電、太陽光・風力・地熱・バイオマスといった再生可能エネルギーの開発 → 「2050年までに電力の100%を再生可能エネルギーでやるぞ」と、政治的な意図をまず表明する。そこへ向かって進むぞ、と政治が号令をかけて、みんなでワッとやれば、できちゃうんですよ。(※政治家は少しぐらい楽観的でもいいか…)
・これをやるためには、やはり電力料金の体系を変えないとダメ。それから、発電事業者の新規参入を認めるために、発電と送電を分けて、太陽光でも風力でもどんどん送電線を使えるように、法改正しないといけない。
・以前にも、ドイツにならって日本でも電力買取制度をやろうとしたら、潰されてしまった。→ これによって、当時世界一だった日本の太陽光発電技術が凋落してしまった。経産省がひとつの産業を殺しちゃったわけ。
(※菅はこのあたりを、延命のためにパクッた…?)
・「原発は危ない」という論点には、意図的に与してこなかった。「原発危なーい!止めろー!」みたいな運動……逆にあれも感情的だったり、あまり論理的でないと思うんで。「明日止めろ!」「じゃあ電気はどうすんの?」ということになっちゃう。→ 合理性で議論できる核燃料サイクルについては、出ていってケンカを買う。
・(メディアがスポンサーを批判できないことについて)いま東電の記者会見で、「最初に社名を名乗ってください」というのも、実は相当プレッシャーになってるわけ…。
・(なぜ政治家は東電が怖いのか)たとえば経団連や関経連、あるいは地域の経済団体に行くと、床の間の前でデカい顔して座ってるのは電力会社。地域の産業界とうまくやるためには電力会社を蹴飛ばすわけにいかない…ってのは与野党ともあるんだと思う。
(※河野太郎は、最初に選挙に出たとき、東電に行って「いまの原子力政策はおかしい、合理的に説明できない」と言ったらしい。最初にそこまで言えるのは、やはり有力な二世議員だから…?)
・(賠償スキーム)もう東電という会社は立ちゆかなくなるだろう。まず東電は、すべての資産を売却して賠償に充てなければいけない。送電網や火力発電所など発電設備は、国が買い取って賠償に充てる。原子力発電所は、国ではリスク管理できないから、他の電力会社や新規参入したい企業に売却する(※大前研一によれば、これは無理とのことだが…)。とにかく、まずは東電を全部解体するぐらいのことをやる。…いまの政府案は、東電という組織が残る前提(東電温存スキーム)でやってるのがダメだと思う(経産省が絵を書いたんだろう)。もうひとつは、東電が被害者に直接賠償をするのは、相当スピードが遅くなる。直接やると必ず係争になる。→ 東電にカネを出させて、被害者に配るのは政府がやるほうが早い。――東電を解体して資産を売らせて、そのお金を政府が配る。再処理用の積立金2兆4000億円を使う。最後は政府が面倒を見る。これが早いと思う。…いまの案だと、東電が背負うものはあまりなくて、みんなで分担して賠償してくださいね、という話だから、あり得ないと思う。
・やっぱり、自民党がちゃんと過去の失敗を認めて、「間違っていた。これから変わろう」と言わなきゃダメ。それがなきゃ、もう自民党の未来はない。結局最後は、国民がどう選ぶか、どう行動するか――政治家は、「東電や経産省は毎日やってくるけど、国民は毎日来るわけじゃない」とタカをくくってるから。「いまのエネルギー政策は腐ってるから変えろ」と、国民に言っていただきたい。

【エピローグ① 神保哲生】

○世界の予防原則

・環境や人命への被害が現段階ではグレーで法律的にはシロであっても、万が一それがクロだったときに取り返しがつかないインパクトを人命や生態系に与える可能性のあるものについては、「最悪の場合を想定した対応をとる」というもの。…この世界の予防原則は、水俣病を参考にしてできた。
・日本は予防原則を政策に適用しなかったことで、歴史的に何度も痛い目に遭っている。(ex.水俣病、アスベストなど)それなのに、今回の原発事故に対しても、この「予防原則」がまったくと言っていいほど取り入れられていなかった。その不作為によって広がった被害については、明らかに「人災」と言わねばならない。……これは政治の責任でもあるし、メディアにも責任があるが、われわれ市民にも責任がある。
(※この言い方には違和感を感じる。これでは、かつての第二次世界大戦の敗戦に際しての「一億総ザンゲ」と同じようになってしまわないか…。そして誰も責任をとらないで、原因もうやむやになってしまう…いつもの日本的風景。少なくとも、政治やメディアと、一般大衆とを同列に並べて論じるような形は取るべきではないと思う。それではクソもミソもいっしょになってしまう。次元の位相差をわきまえて論じるべき。)
・マスメディアの利害関係も、すっかり視聴者・読者に見透かされてしまった。つまり政・官・財の鉄のトライアングルの中で、メディア自体が「利害当事者」になっている。考えてみれば当たり前だ。デカい自社ビルが都心の一等地に建ち、社員が30歳で1000万円なんて給料をもらっているのは、権力の側に既得権を持たなければあり得ない。
(※う~ん、この言い方も、ちょっとヤッカミが混じっているようで、俗論に流れてしまう…。本質論的にはマイナスか。…だが、今回の原発事故に関しては、メディアの在り方に対する批判が、かつてないほど噴出したというのは、大きな特徴とは言える。)
・原発の根本的なリスクは、核物質の反応を人間の力では止められないということ。仮に地震や津波に原子炉が耐えて、プログラムどおり核分裂が止まっても、原子核崩壊が続いて何年ものあいだ熱を発し続ける。熱が下がって物質が安定した状態になるまで、何があってもひたすら冷やし続けなければならない。この「冷やす」という作業が思いのほか大変で、電源が落ちてもダメ、配管がひとつ外れてもダメ。周辺の設備が壊れただけで、原子炉は今回の福島のように「いってしまう」のだ。そして、何らかの理由で、放射性物質がいったん空中や海に出てしまったら、もはや回収はできない。ここに、原子力の根本的な問題がある。地震・津波だけでなく、人為的な事故や故障でも同じこと。問題がクリアされない以上、どこに建設されようが、リスクの根っこは一緒なのだ。(※これは本質論に入っていく問題…)
・日本にとって原発ほど条件の悪い発電方法はない。日本にウラン鉱石はなく、その代わり地震もあれば津波もある。国土は狭く、万が一のときに逃げ場がない。至るところに活断層があるから、ガラス固体化して埋めなければならない使用済み核燃料の最終処分場も、立地のめどが立たない。
                             (6/30 了)


 実は、この後まだ、【エピローグ② 宮台真司】、が残っているのですが、今回分が長くなり過ぎたこともあり、またこの「エピローグ②」の内容が、宮台教授の社会学講義とでもいうべきものなので、別枠で次回に回すことにしました。まだ未読の、『原発社会からの離脱』-自然エネルギーと共同体自治に向けて- 宮台真司+飯田哲也(講談社現代新書)2011.6.20 と併せて、レポートしたいと思います。
 今後の予定としては、宮台真司(社会学)→ 中沢新一(宗教・人類学)という順序で本質論を試みる、という行程を予定しています。




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