2015年4月14日火曜日

震災レポート31「脱成長論③」

(震災レポート31) 

震災レポート・拡張編(11)―[脱成長論 ③]


                                    中島暁夫



 前回の『資本主義の終焉と歴史の危機』では、…「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」という定常状態は、(資本の自己増殖システムである)資本主義の終焉の兆候であると同時に、新しい時代・新しいシステムのための予兆なのではないか…経済危機のみならず、国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機という形で、「歴史の危機」が顕在化してくる前に、日本は、新しいシステム、定常化社会への準備を始めなければならない…ということが論じられてきた。
 ただ、この「定常化社会」の具体的なイメージについては、(著者の水野氏も認めているように)まだ明確な形が描かれてはいなかった。そこで今回は、別の視点(環境経済学)からこの「定常状態」(定常経済)について、補足的な資料を見ていきたい。



                                         
『「定常経済」は可能だ!』 ハーマン・デイリー
                 〔聞き手〕枝廣淳子
                                   (岩波ブックレット)2014.11.5


〔著者は1938年テキサス生まれ。大学教授、世界銀行上級エコノミストなどを歴任。経済学に環境、地域社会、生活の質、倫理性といった要素を組み込んで〝定常状態の経済学〟を再定義し、環境経済学の礎を築いた。もう一つのノーベル賞といわれる「ライト・ライブリフッド賞」、地球環境問題の「ブルー・プラネット賞」を受賞。邦訳書に『持続可能な発展の経済学』など。〕
(インタヴューは、2014年4月12日)



【はじめに】



〔聞き手〕

・温暖化の進行や生物多様性の危機、世界に広がる水や食料の不足、繰り返し起こる経済のバブル(次のリーマン・ショックがいつ起きてもおかしくない状況)、貧困や格差の拡大、モノは余っていても心は満たされない人が増えているなどの状況に加えて、世界に先駆けて人口減少・超高齢社会に突入した日本は、本当にみんなを幸せにしてくれる持続可能な「経済のあるべき姿」に向けて再考を迫られています。

・あちこちでいろいろな分野の人が考え直しをしようとしている今、デイリーさんが40年以上前から提唱されてきた「定常経済」という考え方は、大きなヒントときっかけを与えてくれます。…なぜ現在の成長経済ではダメなのか、「定常経済」とは何か、どのように移行していけばよいのかなど、いろいろ教えて下さい。

〔デイリー〕

・日本の「失われた20年」という言葉を聞くたびに、「成長志向型の経済がうまくいかなかったというその経験を活かしてもらえればよいなあ」と思う。→「どうやって成長の限界に適応したらよいか」を考える、つまり「限界を破れないこと」は(「成長経済の失敗」ではなく)「定常経済の成功」なのだと考えられないか、と思う。

・日本は島国だから、「限界」はよりわかりやすいだろう。…人口増加は世界的な問題だが、日本はすでに人口増加の制限に成功している 〔※というより、「このままでは896の市町村が消滅してしまう!」という騒動になっている…『地方消滅』中公新書〕。…日本人は伝統的に、(「もっと、もっと」と量的に拡大をするよりも)良い製品を開発すること、つまり質的な発展を大事にする人々。そして、他の西洋諸国の多くに比べて、所得の平等な分配を大事にしようと社会全体が考えている国だ(※最近は、欧米諸国と同様に、格差拡大が進行中…)。

・あらゆる国が、限界に直面しており、こういった方向に向かっていかなくてはならないが、「成長の限界にうまく適応する」ことについて、日本は、世界の先頭に立っているように思える(※前回の水野氏の論とも通底しているようだが、外交辞令も入っている…?)。
・限界に直面したときの痛みの多くは、「成長しかない」と努力し、限界と闘うことから生じるのではないかと思っている(※誤った治療の副作用…?)。→「上手に調整して限界に合わせよう」「経済成長のデメリットがメリットより大きくなってしまうタイミングを知ろう」とすれば、痛みは少なくて済むだろう。(※ソフト・ランディング…)

〔聞き手〕

・次の10年が、「失われた30年」ではなく、「持続可能な経済にシフトする10年」になるように、そのための大きなヒントと枠組みを提供してくれる「定常経済」について、お話をうかがえることを心から楽しみにしています。



【1章】 なぜ「定常経済」が必要なのか



1.「経済成長」に頼って問題解決ができない時代


〔聞き手〕

・世の中では、貧困や失業、環境問題などを解決するには経済成長するしかない、という考え方が一般的ですが、デイリーさんは、本当に問題解決しようとするなら、経済の規模が一定の「定常経済」しかない、という考えですね?

〔デイリー〕

・確かに「経済成長」は、現在のありとあらゆる問題に対する万能薬のように考えられている。…「貧困が問題なら、経済成長させ、モノやサービスの生産を増やし、消費を増やせばよい。→ 富める人が富めば、それがしたたり落ちるように(トリクルダウン)、貧しい人にも自然に富が浸透するはずだ(※要するに〝おこぼれ〟?)。…(金持ちから貧しい人への)富の再分配はしないほうがいい。そんなことをしたら、経済成長が鈍化してしまうから。…失業が問題なら、金利を下げて投資を刺激し、モノやサービスへの需要を増やせばよい。→ 経済が成長し、雇用も増えるはず。…人口過剰が問題なら、経済を成長させればよい。20世紀の先進国がそうだったように、経済が成長して豊かになれば、出生率は低下するはずだから。…環境問題? クズネッツ曲線(経済発展の初期段階で所得格差は拡大し、その後、縮小に転じる)になぞらえて、経済発展の初期段階で公害などの汚染は増えるが、その後、減少に転じるという環境クズネッツ曲線を信じればよい」という具合に…。〔※実際には、資本主義では(格差の縮小は例外的で)格差は拡大し続ける……トマ・ピケティ『21世紀の資本』〕

〔聞き手〕

・でも、先進国では、経済成長で豊かになったからこそ、産む子どもの数は減って人口の激増は止まったし、伝染病も大きく減り、栄養不足で亡くなったりする子も減りました。

〔デイリー〕

・そういう点では、発展途上国などでは、今でも経済成長が必要なことは明らか。…私は「定常経済」を主唱しているが、途上国も現在のまま、定常経済に移行すべきだと考えているわけではない。→ しかし、地球全体、世界全体で見たとき、「経済成長がすべての問題を解決する」のではない時代に入っていることは、理解しなくてはならない。

〔聞き手〕

・かつては、経済成長に頼った問題解決が可能だったかもしれないけれど、今はそうではない時代だというのは、何が変わったのか?

〔デイリー〕

・私たちの世界が、「空(す)いている世界」から「いっぱいの世界」にシフトした、ということ。…かつては、人間の数も、人工物も、地球の大きさに比べると、相対的には小さいものだった。言ってみれば「空いている世界」だった。←→ しかし、私が生まれた1938年から今までの間に、世界の人口は3倍になっている。人工物の増え方は3倍どころではない。…「空いている世界」では経済成長に頼ることは可能だったかもしれないが、「いっぱいの世界」では無理なのだ」。(※前回の水野氏の論では、「フロンティア(周辺)の消滅」…)


2.本当に温暖化問題を解決するには


・温暖化の問題も、その議論の大半は、温暖化と「経済成長」とのつながりを考えていない。…CO2だけではなく、私たちが生物圏に排出しているあらゆる廃棄物を増やし続けている原因は何か? → 私はそれを、「熱力学の法則に従っている有限の地球の上で、無限の幾何級数的成長(線形ではなく加速度的な成長)を追求しようと、我々が全力で合理的ではない努力をしていること」だと考えている。

・成長への狂信的な崇拝を脇に置くことができれば、「これまで通りのGDP(国内総生産)成長率を維持するためには、エネルギー効率や炭素効率をどのくらい引き上げなくてはならないか?」という、成長に縛られた間違った問いではなく、「どうしたら、生物圏の限界を順守する定常経済を設計し、回していくことができるか?」という、理にかなった問いを発することができるだろう。(詳細はP6~8)


3.「空いている世界」から「いっぱいの世界」へ


・地球は太陽系に属しており、太陽からのエネルギーを受け取っている(そのエネルギーの量を人間はコントロールできない)。そして、地球は熱を宇宙に放出している。…つまり、地球は宇宙の中にあるが、宇宙と物質などのやりとりはしていない。⇒ そういう意味で、地球は基本的にそれ自体で完結している「閉じたシステム」(第1のポイント)。

・では、この地球という基本的に閉じたシステムの中で、どのようにモノは生み出されるのか?…無からモノを生み出すことはできない(これは物理の法則)。→ 私たちが必要とするものをつくり出すためには、エントロピー(乱雑さの尺度)の低い物質・エネルギーが必要(→その結果、高エントロピーを排出)。→ しかし、自分たちで低エントロピーの物質やエネルギーをつくり出すことはできないから、「あるものを使う」しかない。〔※ここでいきなり「熱力学の法則」とか「エントロピー」という言葉が出てきたが、より詳しく知りたい方は『エントロピーをめぐる冒険』講談社ブルーバックス2014.12.20 などを参照されたい。〕

・私たちが使うことのできる低エントロピーの源は二つある。

①太陽からのインフロー(一定期間に流れる量)。

→ 植物は、太陽からのエネルギーを光合成によって栄養に換えて取り込み、動物は植物を食べることでそのエネルギーを取り込む。

②地球にあるストック(貯蔵されているもの…地下資源など)

 両方とも無限にあるわけではないが、希少性のパターンが違う。…①の太陽エネルギーは(一日の日射量を考えればわかるように)フローには限界がある。しかし、(太陽という星が燃え尽きるまでの)ストックは膨大。…他方、②の地球の地下資源は、ストックには限界があるが、一時的にはフローは豊富(明日のための化石燃料を今日使ってしまうこともできる)。…いずれにせよ、入口で低エントロピーのものを取り出し、最後には、出口で高エントロピーの廃棄物を出すことになる。…この入口から出口までのフロー(物質やエネルギーなどの流れ)を「スループット」と呼ぶ。

・人間も人工物も、常に環境から低エントロピーの物質・エネルギーを取り入れ、高エントロピーの物質・エネルギーを環境へ戻す(排出)ことによって、ある種の定常状態を保っている。…つまり、人間も人工物も、短期的な維持(メンテナンス)のためにも、長期的には(死んだり摩耗したりして使えなくなる分を)出生や新しい製品に置き換えるためにも、物質的なスループットが必要だということ。→ そして、そのスループットの入口でも出口でも、地球(自然、生態系、環境)に依存している。

・(先ほども言ったように)私が生まれてこの方、地球の人口は3倍になり、人工物の増加もそれをはるかに上回っている。→ それらをつくり出し、維持し、置き換えていくために地球の生態系から取り出す物質やエネルギーも増えているということ。

〔聞き手〕

・エントロピーというのは難しい概念でとっつきにくいと思っていましたが、私たちが生きていることも、入口の低エントロピーのものから出口の高エントロピーのものまでのスループットに支えられており、そのための物質やエネルギーは、太陽エネルギー以外は地球の生態系から取り出すことになるということですね。(※う~ん、それでも「エントロピー」というのは難しい…)

〔デイリー〕

…次に押さえておくべきことは、「地球は成長しない」(物理的な次元では成長していない)ということ。…もちろん質的には変化しているし、地球上の物質全体は循環している。…でも、量が増えているわけではない。→ 生まれるものがあり、死にゆくものがある。生産が行われ、摩耗していく。新しいものが進化し、古いものは絶滅していく。絶えず、変化している。…しかし、地球は成長していない。(※第2のポイント)

〔聞き手〕

・基本的に閉じたシステムである地球は成長しない(有限である)ということですね。そして、私たちの暮らしも経済も、その有限の地球に支えられるしかない、ということですね。

〔デイリー〕

・経済は地球の範囲内で営むしかないから、地球のサブシステムなのだ。→ 経済がどんどん成長して、地球全体を覆うほどになったら、経済はそれ以上は成長できない。→ 太陽からの一定のフローに頼って、ほぼ定常状態で存続することになるだろう。…「空いている世界」では経済成長を続けることが可能だったが、現在のような「いっぱいの世界」では無理だということ。→ 制約要因も変わってくる。…「空いている世界」での制約要因は人工資本だが、「いっぱいの世界」での制約要因は、残っている自然資本となる(ex. 漁業では、漁獲量を制約する要因は、かつては漁船という人工資本だったが、今では、海の中の魚の数とその再生能力)。

・このように「空いている世界」から「いっぱいの世界」にシフトすると、制約要因も変わってくるのだが、経済の考え方は変わっていない。…かつてと同じく「制約があるなら、人工資本に投資して、その制約を外せばよい」と考える。


4.「不経済成長」から「定常経済」へ


・(「いっぱいの世界」にシフトしているのに、経済の考え方が変わらないので)「不経済成長」になってきてしまった。…「経済的な成長」とは、そのために必要な費用よりも、得られる便益のほうが大きい(実質的にプラスになる成長)という意味。←→ しかし実際には、「経済」の成長と「経済的な」成長はイコールではないのに、この二つをごっちゃにして、「経済成長は良いものだ」と考えている人が多い(※経済成長至上主義…)。

・かつてと違って、今では(環境問題を含む)経済の成長のための費用のほうが、生み出される便益よりも大きくなっており、「不経済な成長」になっている(P13にグラフと説明)。→ GDPが一単位成長するごとに、財やサービスを新たに一単位生産するのに必要な費用(限界費用)は増加し、逆に得られる便益(限界便益)は減少していく傾向がある。…費用が増加するのは、最も利用しやすい(コストが最も安い)資源から用いるため(→ 次に用いる資源はコストがより高くなる)。…逆に便益が減少していくのは、最も切迫した(便益が最も大きい)ニーズから満たしていくから(→ 次に満たすニーズは便益がより減少していく)。〔※確かに昨今の商品の中には、「こんなもの必要なのか?」と思われるようなものも見受けられる…〕

・費用が便益を上回るのを避けるためには、限界費用と限界便益が等しくなる時点(P13にグラフ)で、GDPの成長を止めるべき。…「豊かな方が貧しいより良い」というのは自明の理だが、「経済成長すれば常に私たちは豊かになる」と思い込むのは、初歩的な間違い。

〔聞き手〕

・でも、なぜ多くの一般の人や、経済学者ですら「ここを超えたら経済成長は不経済成長になる」ということがわからないのでしょう?

〔デイリー〕

・生産の便益だけを測って、環境的・社会的なコスト(犠牲や代償、費用など)を測っていないから。→ 経済成長が生み出す〝富の副産物〟の問題に、知らん顔をしている。…ex. 先ほどの温暖化の問題、核廃棄物や原子力発電のリスク、生物多様性の危機、鉱山や油田などの枯渇、森林消失、表土の浸食、干上がる井戸や帯水層、海面の上昇、メキシコ湾のデッド・ゾーン(酸欠で生物のいない海域)、海に渦巻くプラスチックゴミ、オゾン・ホール、危険できつい労働、(実際には不可能な領域まで象徴的な金融セクターの成長を押し上げようとすることがもたらす)返済不可能な負債(※サブプライムローン?)など…、経済成長の環境的なコストや社会的なコストはいくらでも挙げることができる。

〔聞き手〕

・でも、全体として経済成長の便益と比べたときに、現在すでに「不経済成長」の領域に入っているということは、どうやってわかるのですか?

〔デイリー〕

・先進国はすでに「不経済成長」の領域に入っているという証拠はたくさんある。統計的な実証的証拠として、二つ挙げる。

(1) GDPの中身を「費用」と「便益」に分けて、GDPから「費用」の部分を差し引いて、経済成長の実質的な「便益」を概算するやり方。

→ この考え方に基づき、「環境汚染の経済的な損失」を考慮に入れた持続可能経済福祉指標(ISEW)や「人の幸福に影響を与える項目」を加えた真の進歩指標(GPI)が開発された。→ どちらの計算結果を見ても、「ある時点から、GDPが増えても、ISEWやGPIは増えなくなる」ことがわかる。米国や他の先進国では、1980年ぐらいまではGDPとGPIが正の相関を持っていたが、その後は、GDPは上昇を続けているのにGPIは横ばいとなっている。→ 環境破壊などの費用が増しても、福利や幸福といった便益は増していない、ということ。

(2) もう一つの証拠は、自己評価による幸福度の測定。

…様々な幸福度の研究によると、幸福度の自己評価は、1人当たりのGDPが年2万ドルぐらいになるまでは、1人当たりGDPとともに上昇し、そこで上昇が止まる。→ この結果の解釈として、幸福度にとって、実質所得の絶対額は充足ラインまでは重要だが、それを超えると、自分自身のアイデンティティを構成する人間関係の質の影響が大きくなる、と言われている。…特に、所得が高い国々では、幸福の圧倒的な決定要因となるのは、友人関係、結婚、家族、社会的な安定性、信頼、公正さなどであって、1人当たりのGDPではない。→ もし私たちが、労働の移動性や副業、四半期ごとの財務リターンなどのために、友人関係や家族との時間、信頼などを犠牲にするとしたら、GDPは増やしながらも幸せは減らすことになってしまうだろう。(※う~ん、1人当たりのGDPが年2万ドルぐらいで、経済成長は止めるべき、ということか…?)

・これらの二つの証拠からわかるのは、充足レベルを超えたあとは、GDPの成長は、自己評価による幸福度も、経済的に試算された福祉・幸福も増やさない、ということ。←→ しかし、枯渇、汚染、渋滞、ストレスなどのコスト(費用)は増大し続けている。

・(先ほど話したように)貧困の中にある途上国にはまだ経済成長が必要だろう。そういう国では、経済成長の限界便益は、その限界費用よりもまだ大きい。←→ しかし先進国は、経済成長が生み出すプラスよりもマイナスが多くなっているわけだから、その時点で経済成長はやめて、別のやり方で様々な問題に対応していく必要がある。

・そして、私たちは「いっぱいの世界」を共有しているわけだから、経済成長の必要な途上国が適正なレベルまで経済成長できるよう、先進国は定常経済へと移行して、資源やエネルギーを途上国に回すべきだろう。…豊かな国は、貧しい国が成長できるよう、自然資本を開放しなくてはならない。→ それによって、資源使用量は万国共通の水準へと収斂していくことになる。…そのときの資源使用量のレベルとは、良い暮らし(贅沢な暮らしではない)にとって十分であり、長期的な未来にわたって持続可能なレベルとなる。(※う~ん、これが実現できていれば、〝テロ〟などはほとんど起きないのではないか…? つまり、本当のテロ対策…)

・「豊かな国の経済成長が鈍化すれば、貧しい国の輸出市場が縮むため、貧しい国にダメージを与えてしまう」と心配する人もいる。→ しかし途上国は、自国内の市場を開発し、輸出主導型モデルから内需主導型モデルへとシフトすればよい。先進国も、高い失業率を前に、いつまでも生産と雇用の海外移転を続けることはできない。(※振り返って〝現実の世界〟を見るに、〝人類の英知〟はまだまだこの程度、ということか…)



【2章】「定常経済」とは何か

〔※この章は、枚数の関係でなるべく要点だけにとどめる。詳細は本書を参照ください。〕



1.「定常経済」の着想と戦い


〔聞き手〕

・そもそも「定常経済」という考え方はどこから出てきたのですか? デイリーさんは最初から「定常経済」を考えていたのですか?

〔デイリー〕

・私も最初は、成長経済を信奉する経済学者の一人だった。今も多くの人がそうであるように、「経済成長こそが、様々な問題に対する主な解決策だ」と信じていた。→ その私の考えを変えた要因はいくつかある。

①古典派経済学を勉強したこと。

…ジョン・スチュアート・ミルをはじめ古典派経済学者たちは「将来は定常経済に向かっていくし、それが望ましい」と考えていた。←→ 今のアメリカでは、経済学を学んでも、こういった古典派経済学はカリキュラムに入っていない。だから「定常経済」という考え方に出会わない(※〝マネー資本主義〟の経済工学しかやらない…?)。そういった教育があったから、定常経済という考え方があることを知ることができた。

②様々な環境面での代償について知ったこと。

…1960年代、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』などを読み、大きな影響を受けた。(※『沈黙の春』新潮文庫2014.6.5 76刷)

③「熱力学の第二法則(エントロピーの法則)が、経済の中で何が可能かを決定する。経済の中で増加するエントロピーは、経済が達成・維持できる規模を制約することになる」という考え方に出会い、大きな影響を受けたこと。

④1967年からの2年間、ブラジルで経済学を教えたこと。

…そこで、干ばつや水不足、すさまじい人口爆発を目の当たりにしたことも、私に大きな影響を与えた。

・こういった様々なことから、私は定常経済に関心を持つようになった。…地球は有限であり、われわれ人間はそのサブシステムなのだから、いつかは成長をやめるべきだと考えるようになった。→ 進歩とは、量的な増加ではなく、質的な向上である、つまり成長(growth)から発展(development)へと、考えが変わっていった。1965年から67年頃のことだった。

〔聞き手〕

・「定常経済」という考え方への反応はどうでしたか?

〔デイリー〕

・当時、私はルイジアナ州立大学で経済学を教えていたが、同僚たちは「変なことを言い出した」と思ったよう。…「世界のあらゆる問題に対する解決策は経済成長だ」とみんなが信じていたから。→ この大学には21年間勤めたが、最後の方には、学部の方向性が新古典派経済学へと向かっていったから、私にとってはとてもやりにくい状況になった。

・その後、たまたま縁があって世界銀行に採用され、6年間(1988~94)世銀で働き、主に持続可能な開発の政策づくりに関わった。(経済成長こそが解決策だと考える世銀の中で、定常経済を主張するというのは)戦いだった。…しかし、助力もあった。定常経済に対して世銀の中にも共感してくれる人たち(これまでの考え方に疑問を持つようになっていた人たち)がいたから。→(学問の世界の経済学者に比べて)世銀に勤めている経済学者の方が、実際の世界に出て行って何かをやろうとし失敗する、という経験をしているから、それだけ謙虚なのだ。

・その後、メリーランド大学で15年間、教鞭を執ったが、経済学部ではなく、公共政策学部だった。経済学者たちは、私と関わりを持とうとはしなかった。…今でも私は経済学の主流からは外れたところにいる。「成長が大事だ」と考えている人たちが主流だから。


2.「定常経済」とは何か


・定常経済とは、基本的に「一定の人口と一定の人工物のストックを持つ」経済。…これが定義の前半。…人間も人工物も、エントロピーの法則に従っている。→ 人間は年老いて死んでいくし、机や椅子も壊れて取り換えなくてはならなくなる。→ エントロピーの法則に従う人口や人工物を一定に保つためには、メンテナンスをしたり、最終的には置き換えたりするための資源が必要になる。→ この資源を地球から取り出し、汚染物として地球に排出するところまでのスループット(※入口から出口までの物質やエネルギーの流れ)が必要になる。

・スループットは、人口と人工物を維持するための不可避的なコストだから、それぞれのストックの水準を維持できる範囲で、最小化すべきもの。⇒ そこで、定常経済の定義は、「一定の人口と一定の人工物のストックを、可能な限り低いレベルでのスループットで維持するもの」となる。

・「可能な限り低いレベル」とは…

①地球が支えられる扶養力の範囲内である、ということ。

…地球の生態系は、人間の経済にとって、入口での低エントロピーの物質・エネルギー(資源)の供給源であり、出口での高エントロピーの物質・エネルギー(排出物)の吸収源。→ この供給源および吸収源にかかる圧力が、地球の支えられる範囲を超えていては、いくらそれ以上は成長しないといっても、持続可能ではない。

②人口と人工物を維持するスループットの水準は、「長期間にわたって人々が良い暮らしを送るのに十分である」必要がある。→ そうしたとき、進歩とは(物理的な量的拡大ではなく)質の向上を通して得られることになる。…デザインや技術、倫理的な優先順位の向上などが発展の要素となってくる。

〔聞き手〕

・「現在の人間活動を支えるのに地球はいくつ必要か」を計算するエコロジカル・フットプリントの最新の値は、1.5です。つまり今の私たちの活動を支えるのに、地球は1.5個必要なのです。→ 地球は1個ですから、1以下に下げなくてはならないのですよね?(※この1.5という数値の根拠は、本書では語られていない…)

〔デイリー〕

・ええ、今のまま定常状態にシフトしても、持続可能ではない。→ 特に先進国は、まずは脱成長して規模を縮小し、持続可能な水準になってから、定常化を図る必要がある。(※う~ん、1.5 → 1 に下げるというと、現在の2/3に規模を縮小…これは相当厳しい条件…)

・また、「地球の扶養力」といったときに、二つの種類の資源を区別する必要がある。…「再生可能な資源」と、人間の時間軸では再生できない「再生不可能な資源」。→ 再生不可能な資源については、今すべて使ってしまうのか、それとも未来世代と分かち合いながら使っていくのか、という倫理的な問いに直面することになる。

・「持続可能性」については、次の三つの条件がある。

(1)「再生可能な資源」の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。…ex. 魚を獲る速度は、残りの魚が繁殖して数が増える速度を超えてはならない。

(2)「再生不可能な資源」の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用することで代用できる速度を超えてはならない。…ex. 石油を持続可能なペースで利用するためには、石油使用による利益の一部を風力発電、太陽光発電などに投資し続け、埋蔵量を使い果たした後も同等量の再生可能エネルギーを利用できるようにすることが必要。(※う~ん、これは〝資本の論理〟では無理で、なんらかの法的な規制・枠組みが必要になるだろう…)

(3)「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環・吸収・無害化できる速度を上回ってはならない。…ex. 持続可能な形で下水を、川や湖、地下の帯水層に流すには、バクテリアなどの有機物が、水生生態系に過大な負荷をかけたり、不安定にしたりすることなく、下水の栄養分を吸収できる速度を超えてはいけない。(※う~ん、この条件では、放射性廃棄物の処理方法はまだ確立されていないから、現時点では原発はアウト…)

〔聞き手〕

・この三条件を見ると、基本的に閉じたシステムであり、成長しない有限な地球の上で、経済を営むとはどういうことなのかがわかってきますね。

〔デイリー〕

・(先ほど述べたように)物理的な富が増えていくとき、あるところからは、富が増えても幸せはそれ以上増えなくなる。→ より幸せにならないとしたら、何のための成長なのか? …再生不可能な資源を未来世代と共有するとき、そのバランスも考えなくてはならない。→ (今があってこその未来だから、まず今必要なものを考えるべきだとは思うが)未来世代にとっての「必要なもの」は、現世代の「ぜいたくなもの」よりも上位に来るべき。(※年金問題も…?)

〔聞き手〕

・定常経済とGDPの関係について…定常経済とは、GDPが成長しない経済と理解すればよいのでしょうか?

〔デイリー〕

・定常経済の観点からすると、GDPの多寡や成長は関係ない。…GDPは、人々の幸せを測るためのものとしてはお粗末な尺度。→(私は政策として「GDPを一定にすべき、ゼロ成長にすべき」と言っているわけではなく)一定にすべきは、物質とエネルギーのスループット(※これが環境経済学の立場か)。…GDPの中には、ストックを保つためのものもあるから、「GDP自体を一定に保つべき」という言い方ではないほうがいいだろう。

・また、量的な拡大ではなく、質的な発展の可能性はある(ex. あなたが持っているiPadだって、ニーズを満たしたり、幸せをつくり出したりする)。→ それがスループットの増大を伴っていない(これほど良くない他のものから資源を再配分することでつくり出される)としたら、これは質的な向上となる。…そのときに、より高い価値を生み出したためにGDPが増えることもあるだろう(※同量以下の資源で、より高い付加価値を生み出した)。⇒ GDPに関しては、プラス面とコスト面に分けて計算すべき。…現状では効用もコストもすべて足し合わせているが、分けて計上し、限界費用と限界効用を比べるべき。(※う~ん、現状ではGDPの計算方法は大雑把すぎるし、お粗末な尺度…)


3.なぜ経済学は「成長」にしがみつくのか


・世間の多くも経済学者も、大事な区別(「相対的希少性」と「絶対的希少性」との区別)ができていない。…「相対的希少性」とは、「ある資源」が、「他の資源」と比較したとき(または同じ資源の低品質なものと比べたとき)、希少である、ということ。…「絶対的希少性」は、「人口と人口一人当りの消費水準」に比べて、すべての資源が「全般的に」希少である、ということ。(※「相対的」とは、代わりになるものがある、ということ…?)

・まず、相対的希少性に対する解決策は「代替」(ex. 石油が希少になれば、天然ガスで代替すればよい)。…この「代替」というのは常に、ある形態の低エントロピーの物質・エネルギーを別のものに替えるということ。→ 形態を替えることはできるが、もともとの低エントロピーのもの自体(※資源全般?)の代替はない、ということが大事なこと。…そして、低エントロピーのものは、地球の資源(ストック)にしても太陽エネルギー(フロー)にしても、希少だ。

・人間の経済も、生物圏の人間以外の部分も、同じ低エントロピーの限られた量に頼っている。…人間界のエントロピーは、人間以外の世界から低エントロピーのものを持ち込み(採取)、高エントロピーのものを戻す(排出)ことを絶えず行うことで、低く保たれている。→ もし、あまりにも多くの低エントロピーのものが人間界の経済成長に持っていかれてしまうと、生物圏の生命を支えている複雑なシステムは崩壊し始めてしまう。

・人口と一人当りの消費の成長は、(相対的希少性ではなく)絶対的希少性を増大させることになり、(代替の効かない)低エントロピーのものへの圧力を増すことになる。←→ ところが、伝統的な経済理論では、あらゆる希少性は相対的なものだと考えられてきた。「自然には、特定の希少性はあるが、避けようのない全体的な希少性はない」というのだ。→ 従って、その考え方では、希少性への答えは、常に「代替」。…相対的な価格が変われば、代替が誘発されるから、望ましい政策は、汚染税などによる「外部性の内部化」だということになる。…「環境汚染の問題は、資源の配分がちょっと間違っているのを、汚染税によって正せばよいだけだ」と言っている経済学者もいるほど。

・しかし、絶対的希少性の増大に対してはどうか? → 価格を操作しても、代替を誘発するだけだから、絶対的希少性の増大には効果的に対処できない。…資源全般に対する代替があるのか? すべての資源の相対的な価格を上げることは可能なのか? → そんなことをしたら、代替ではなく、インフレが起きるだけだ。

・「あらゆる希少性は相対的なものだから、代替によって解決できる」と考えるのが〝成長狂〟で、逆に「希少性には絶対的なものがあって、代替によっても解決できない限界がある」と考えるのが〝定常状態〟。→ 〝成長狂〟からは、「技術はこれまでのように〝幾何級数的に成長〟し続けるだろうから、経済成長も無限に続けられる」という主張がなされるだろう。

・一つ確かなことは、「どのような技術だとしても、熱力学の法則が当てはまる。従って、いくら優れた新技術でも、絶対的希少性をなくすことはできない」ということ。←→ しかし、経済成長というイデオロギーは、入門レベルの経済学の常識的な論理を超越している。…そのイデオロギーにおいては、経済成長は国家の力と栄誉の基盤なのだ(※「ニッポンを取り戻す!」…)。→ 経済成長が続けば、誰も犠牲にすることなく、すべての人が繁栄できるかもしれない。経済成長があれば、再分配をしなくてもすむ、と考える。…ややこしい問題に立ち向かうよりも、経済成長が続くと信じる方がラクなのだろう。


4.経済学における「定常経済」の系譜


・古典派経済学者たち(アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、ケインズなど)は、成長経済から安定した経済への移行を考えていた。…アダム・スミスは、経済成長の限界を認識し、「成長が最大続いたとして200年、その後は人口は安定する」とまで予測していた。…ミルは、19世紀半ばに定常経済の考え方を展開し、「成長期の後、経済は、人口や資本ストックが一定であることを特徴とする〝定常的な状態〟に達するだろう」と考えた。

・米国では1946年に完全雇用法…当時は、完全雇用こそ米国の大きな目標であり、その手段として成長が必要と考えられていた。←→ ところが、今ではこれが逆転してしまい、成長が自己目的化している。…(なぜ、そうなってしまったのか)経済成長は、それを先導している人たちにプラスをもたらすから(大企業などは、経済成長やグローバル化などからメリットを得ている)。豊かな人がさらに豊かになっている。〔※資本主義の本質は、資本の自己増殖…〕

・米国の政治を見れば、すべてが経済成長…今なお、経済成長こそがあらゆる問題の解決策。←→ 他方、「経済成長には代償が伴う」という認識は広がってきている。→ 枯渇、汚染、社会的なストレスといった代償に目を向けよう、そういった代償を測定しようという動きもある。…しかしまだ、そういったコストや代償を、経済成長がもたらすプラス面と分けて比べることはしていない。→ それができれば、「経済成長のコストのほうが、そのプラスよりも大きくなっている」ということが言えるのだが。


5.技術だけでは解決できない


・「技術」は、経済成長至上主義者たちのお城の礎になっている。…「技術が進歩し続ける限り、経済成長は続けられる」と考える人はたくさんいる。←→ しかし(先ほども言ったように)どんな技術をもってしても、絶対的な希少性はなくせない(熱力学の法則からは逃れられないのだから)。→ 技術にかかわらず、あらゆる生産には、エントロピーの低い(質の高い)物質やエネルギーが必要で、結果として、エントロピーの高い(質の低い)ものが排出される。

・持続可能な経済を実現しようとするなら、相対的な改善では不十分。…なぜなら、経済が成長する限り、資源消費や廃棄物の排出の絶対量は増えてしまうから(燃費が改善しても、走行距離が増え続ければ、必要なガソリン(※絶対量)は減らないどころか増えてしまうのと同じ)。⇒ そうではなく、絶対量が減ることが必要なのだ。(※地球は一個しかない…)

・この数十年間、相対的な改善については大きな進歩があったが、経済成長がその効果を帳消しにしてしまっている(ex. 効率改善によって、GDP当たりのCO2排出量は確かに減っているものの、経済成長によって、実際のCO2排出量(絶対量)は増えてしまっている)。→(エントロピーの法則から、「生産プロセスにおいて100%の効率を達成することはできない」ことがわかっている)…つまり、効率改善の限界に達した後も経済を成長させようとするならば、エネルギーを含む自然資本の使用量を増やすしかない、ということ。…そして、自然資本の量には限りがあるのだ。

・また、経済成長のシステムに「技術の活用」が織り込まれていると、危険なサイクルが生まれることになる。…このサイクルの最初の段階は「経済成長」で、人口と消費が増える。→ この増加によって、次の段階に達する。…成長の限界にぶつかって、資源の供給が減り始める(※オイルショック)。→ 第三の段階は、その限界を何とかするために技術的な方法を発展させる(※省エネ技術など)。→ この技術的な方法によって、社会は第四の段階に到達する。…限界を押し戻して、一息つく状態。→ ここで、この猶予をさらなる経済成長のために用いようとすると、サイクルは最初の段階につながることになる。(※まさに、日本の戦後のサイクルか? → 今また、「さらなる経済成長で消費を増やせ!」…)

・このサイクルが危険なのは、時間の経過とともに、限界がどんどん深刻になっていくこと。…最初は局所的な公害といった小さな問題だったのが、気候変動や広範な生態系サービスの喪失といった大問題になっていく。…技術の力で経済成長がもたらす問題の一部を軽減することはできる。しかしそれは、技術によって得られた猶予を「永遠の経済成長」という不可能な目標のために浪費してしまわなければ、ということ。

・(定常経済での技術や進歩の位置づけ)…定常経済では、技術の進歩に対するインセンティブ(経済的誘因)は極めて大きなものになる。なぜなら、よりよいモノやサービスを求めることには変わりないし、物質やエネルギーの投入量が一定になるわけだから、技術の進歩こそが質の向上を生み出す重要な源泉になるから。

・現在の社会のように、経済成長にとりつかれている社会では、技術はつねに経済の規模を大きくするために使われ、その結果、地球から取り出して加工する資源はどんどん増えていく。…その技術の妥当性は問われない。経済を成長させ続けるために必要なのだから。

・定常経済では、(ベンチャー企業や新しい事業が生まれ、他方、廃れていく産業や企業もあるのは変わらないだろうが)そこでの競争力の源泉は、「より少ない自然資本で質の高いモノやサービスを生み出す能力」になる。…そこでこそ、技術力が大きな鍵を握ることになる。


6.「定常経済」と雇用


〔聞き手〕

・定常経済になると、雇用が失われ、失業が増える、と心配する人もいます。

〔デイリー〕

 ・(先ほど述べたように)かつては「完全雇用こそ国の大きな目標であり、その手段として成長が必要だ」と考えられていたのに、今では逆転してしまっている。→ 自由貿易や海外生産、(安価な労働力としての)大量の移民、省人化技術の採用を推し進める成長経済で、完全雇用は実現可能なのか? …成長経済では、成長が自己目的化しており、「経済成長のために雇用を損なうことがあっても、仕方がない」と考える。

〔聞き手〕

・「不完全雇用にしておいたほうが、人々は競争するから、経済成長に役立つ」と言う人もいますね。

〔デイリー〕

・定常経済では、雇用はより安定し、地元企業は地域社会の活性化に大きく貢献することになる。…定常経済の特徴の一つは、人口が安定していること。→ 人口が安定していれば、生産年齢層の人口が増え続け「絶えず雇用を創出し続けなくては」という圧力がかかるということもない。(※日本は逆に、これから生産年齢人口が減り続ける…『デフレの正体』)

・現在の経済のように、オートメーション化が進められ、生産やサービス提供も人件費の安い海外でとなると、総生産のうち資本へ渡る分(企業や企業オーナー、株主が得る利益)が増え、結果として、労働者に回る分が減ってしまう。→ とすると、「雇用を通じて所得を分配する」という原則が維持しにくくなってくる。

・定常経済のもう一つの大きな特徴は、物質やエネルギーが効率的かつ持続可能に利用されること。→ これからは「人手をかけても、資源の消費量を減らすこと」、つまり(労働生産性よりも)資源生産性を重視する時代となる。…また定常経済ではメンテナンスや修理がより重要になるだろう。そういったサービス業は、(新規生産に比べて)労働力への依存度が高い労働集約的な産業であり、海外移転もしづらいから、より多くの雇用を提供できるだろう。


7.「経済成長」と「定常経済」に関する誤解・反論・心配への回答


・「定常経済」と「うまくいっていない成長経済」との混同……成長を前提とした経済が成長できなければ、確かに悲惨だろう(※アベノミクスも…?)。←→ しかし私が言っているのは、成長ではなく、定常を前提とした経済に設計し直すということ。→ 定常を前提として設計された経済なら、成長しなくても悲惨なものにはならない。…定常経済における安定は健全な状況。→ そのおかげで、人々は地球の生命を支えているシステムを損なうことなく、自分たちのニーズを満たすことができる。

・自然の経済と同じく、人間の経済も、栄養理論から考えることが役に立つだろう。…自然界では、「生産者」は植物。→ 植物は、光合成をすることで、自分の食べ物を文字通り〝生産〟する。→ 草食動物が植物を食べ、肉食動物が草食動物を食べる(植物も動物も食べる雑食動物もいる)。→ そして、死体やゴミを食べたり分解したりする「サービス提供者」の役割を果たす生物種(※バクテリアなど)もある。

・人間の経済も、同じ自然の法則に従っている。…「生産者」は、農業と、木材伐採・採掘・漁業などの〝取り出す〟業界(※第一次産業)。…(アダム・スミスが『国富論』に書いたように)農業の余剰のおかげで、分業と経済成長が可能になる。→ 私たちの経済で〝草食動物〟にあたるのは、〝生産者〟の原材料を消費する製造業(※第二次産業)。…〝肉食動物〟は高次の製造業。→ また、シェフや用務員、銀行家、情報産業などの〝サービス提供者〟もいる(※第三次産業)。

・大事な点は、「経済は統合された全体として成長する」ということ。→ 製造やサービスが増えれば、それだけ農業や〝取り出す〟業界の余剰が必要になる。…(先ほど説明したように)効率には限界があるから、経済成長のためには、より多くの自然資本が必要になり、より多くの廃棄物や汚染を生み出すことになる。

・経済成長(正しく測れば〝不経済成長〟)がなければ、真の進歩がようやく可能になる。…もしすでに不経済成長の時代に入っているのだとしたら、貧困への解決策は、将来の成長という空約束(※アベノミクス…?)ではなく、再分配に見出すべきではないか?

・〔「定常経済」は平和にもつながる〕…成長している経済は、他国の生態系や、残っている地球全体のコモンズ(共有財産)にまで、侵出して行かざるを得ないだろう。それこそが「グローバリゼーション」なのだ。…「グローバル化は平和で協力的なプロセスだ」というイメージが描かれるが(※TPPも…?)、経済成長が支配する世界では、今後もずっと平和で協力的であり続けることはないだろう。(※ここも前回の水野氏と近い見解…)

・有限の世界で、どの国も経済成長を最大化しようとしている…その中で、どうやって平和にやっていけるというのだろうか? → 戦争への誘因となることは、計上されていない経済成長の大きなコストの一つ(※ex. 海底資源をめぐる争い…?)。⇒ それを減らそうというのは、「定常経済」を支持する重要な論拠となる。…戦争への誘因は、40年前に比べて大きくなっている。もしかしたら、「定常経済」が平和運動の一環として見られるようになる日が来るかもしれない。



【3章】どうやって「定常経済」へシフトするのか



1.「うまくいかない経済成長」から「定常経済」へ


・ここで考えるべきは、「経済成長とは、定常状態になる前の、ある十分なレベルに達するまでに必要な一時的なプロセスだと考えているのか?」、それとも「成長を続けること自体が望ましいと考えているのか?」ということ。→ 現代の新古典派経済学者の99%は、「永久に成長を」…その理由は、経済成長がなければ、貧困問題の解決策は再分配しかないが、それは忌み嫌われる考え方(※資本側の取り分が減ってしまうから…?)。また、経済成長がなければ、環境の修復への投資を増やすには現在の消費を減らすしかない。これも忌み嫌われる考え方(※消費大国のアメリカはとくにそうか…この項、詳細はP46~48)


2.持続可能な経済への移行には、考え方の移行が必要


〔聞き手〕

・経済は私たちの暮らしの土台であり、その経済は地球の生態系に支えられているわけですから、経済も地球も持続可能でなくてはならない。そのためには、どのように考えていけばよいのでしょうか?

〔デイリー〕

・GDPという概念は、質的な向上(発展)と量的な増大(成長)をごっちゃにしている。→ 経済が持続可能であるためには、どこかの地点で、量的な増大(成長)は止めなくてはならない。しかし、質的な向上(発展)は止める必要はない。…ex. 製品のデザインの質的な改善を制約する理由はない。→ 製品デザインが良くなった結果、使用される原材料の量は増やさずに、GDPを増やす(※付加価値が増える)ことだって可能。⇒ つまり、「持続可能性」という考え方を基盤として、進歩の道筋を(持続可能ではない「量的な成長」から)持続可能であろう「質的な発展」へとシフトしていくことが必要。

・「スループット」(「物質エネルギー・フロー」と呼ぶこともある)…地球の(どのくらいの原材料を供給できるかという)供給力と、(最終的な廃棄物をどのくらい吸収できるかという)吸収力に照らし合わせることで、この「スループット」で持続可能性を定義することができる。

・多くの新古典派経済学者は「人工資本は、自然資本のよい代替物となる」から、自然資本と人工資本の合計を維持すればよい、と主張する。←→ それに対して、(私も含めて)多くの生態経済学者は、「自然資本と人工資本は、代替するというより、補完し合うものであることが多い」と考え、「自然資本はそれ自体として維持すべきだ」と主張する。なぜなら、自然資本こそが(※有限だから)生産や経済の制約要因になるから。

・自然資本の維持につながる最もよいやり方は、「キャップ・アンド・トレード」というシステム…「上限(キャップ)を設けて、上限までの量を何らかのやり方で分けて、あとは個々に売買(トレード)することで、個々のニーズを満たす融通性を持たせつつ、全体としては上限の範囲内に抑える」仕組み(詳細は後述)。→ こういった仕組みは、すでにあちこちで導入され、成果を上げている。…ex. 米国での、環境庁が酸性雨を抑制するために、二酸化硫黄(SO2)の排出権を売買する仕組み。ニュージーランドの、個々人が漁獲割当量を売買することで乱獲を抑える仕組み。また、CO2排出量に対する仕組みは、「排出量取引制度」と呼ばれ、環境を守るために、市場の機能を活用。

・キャップ・アンド・トレードの仕組みは、自由市場と政府の政策が果たす明確な役割の好例といえる。←→ 経済理論は従来、希少な資源を競合する使途に割り当てるという「配分」の問題を扱ってきたが、生態系に比較しての経済の物理的な大きさという「規模」の問題は扱ってこなかった。…適切に機能している市場は「資源の効率的な配分」はできるが、「持続可能な規模を決める」ことはできない。⇒ それができるのは、政府の政策だけ。(※もはや「いっぱいの世界」では、政府の長期的な政策が重要になってくる、ということか…詳細はP48~52)


3.「定常経済」へシフトするために必要な「10の政策」

〔※この最後の項は、具体的な政策提言なので、少していねいに見ていく〕


・現在の持続不可能な成長経済から、定常経済へと移行するための具体的な政策提言を10項目説明する(現在の基準から見ると、少し急進的に見えるかもしれないが、「経済成長を続けることが正当である」という主張に比べれば、非常識でも非現実的なものでもないだろう)。

①基本的な資源に対して、「キャップ・アンド・トレード」の仕組みを設ける

・まず「キャップ(上限)」を決める。…具体的には、資源を地球から取り出すところか、廃棄物を地球に戻すところか、どちらかより制約のあるところで「割当量」を決め、生物物理的な規模を限定する。→ 次に、その割当量を「オークション」によって公正に再配分する。→ 再配分後の割当量を売買取引することで、最も高い料金を払う使途に効率的に割り当てることができる(「キャップ・オークション・トレード」とも呼ばれる)。

・つまり、キャップ(上限)は「持続可能な規模」という目標を、オークションは「公正な配分」を、トレード(売買取引)は「効率的な割り当て」をと、三つの目標を三つの政策手段で満たすというわけ。→ 同じやり方を、漁業や森林といった再生可能な資源からの採取を制限するためにも使うことができる。(詳細はP52~53)

②環境税を改革する

・地球の供給源から何かを取り出したときに、その量に応じて課税する、または、地球の吸収源に何かを吸収してもらうときに、その量に応じて課税するというように、課税の基盤を、(現在の「労働」と「資本」から)自然から取り出す「資源」と自然に戻す「廃棄物」へとシフトする。→(希少だがこれまでは価格のついていなかった)自然の貢献に価格をつけることで、外部コストを内部化するとともに、より公正なやり方で税収を得ることができる。

・生産過程で生み出される付加価値(総生産額-原材料費で計算可能)は奨励したいものだから、それに課税するのはやめる。←→ 自然の枯渇や廃棄物の排出は減らしたいものだから、課税する。…自然の枯渇や汚染など「ほしくないもの」に税金を課して、所得など「ほしいもの」への課税を減らすというのは、合理的。人は、自分自身の努力でつくり出した付加価値に課税されてもっていかれるのは好まないが、希少な資源を使うことへの課税には抵抗はない(誰も価値を付加していないから)。〔※う~ん、初めて聞く考え方…〕

・この環境税の改革は、キャップ・アンド・トレードの仕組みの代わりに用いることもできるし、補完的なものとして両方を用いることもできる。…ex. 米国では多くの州に「セバランス税」があって、地表から石油やガス、鉱物を分離・生産する事業に対して、その量に応じて税金を徴収している。→ こういうことを広げていけば、生産と消費における資源の利用の効率が高まるし、こういった課税なら、モニタリングや徴収も比較的簡単。

・このような形式にすると、「貧しい人たちは(豊かな人たちよりも)所得のうち税として払う割合が高くなるから、消費税のような逆累進課税になってしまう」と心配する人もいるが、それに対しては、税収の累進的支出 …貧しい人たちの支援に厚く支出したり、贅沢品への贅沢税を課したり、高額所得への所得税は残しておく等…様々な方法で手を打つことができる。

③「最低所得」と「最高所得」の間の所得格差の幅を制限する

・成長が〝不経済〟(我々を豊かではなく貧しくする状況)では、成長によって貧困を解決することはできない。→ 経済が総量として成長しない中での解決策は再分配。…(完全な平等は公平ではないだろうが)無制限な不平等も不公平。→ どこまでの不平等が許されるか、公平な範囲を探すことになる。

・米国では、行政や軍、大学での所得格差は15対1~20対1の範囲でおさまっているが、企業では500対1以上の格差(※ex. 年収で200万円←→10億円以上!)がある。多くの先進国の企業では、格差は25対1以下。日本企業は10~15対1ぐらい(※年収200万円←→2000~3000万円ぐらい…う~ん、もっと格差は大きくなっているのでは…)

・米国でもこの差を、100対1に制限してみたらどうかと思っている。…例えば最低の年収が2万ドル、最高が200万ドル(※1ドル=100円とすると200万円←→2億円…これでも格差あり過ぎ?)…これだけの差があれば、仕事のインセンティブ(経済的誘因)には十分ではないか。→ 年収の上限に達したら、仕事が楽しいならそれ以上は無償で働いてもよいし、余った時間を趣味やボランティアに充ててもよいだろう。

・上位の人たちの所得制限によって需要が減る分は、それより下の人たちが満たすことになるだろう。…所得格差が大き過ぎると、民主主義に必須の〝共同体意識〟が維持しづらくなる。→ 大きな所得格差で隔てられた「豊かな人々」と「貧しい人々」は、ほとんど別の生物種であるかのように、共通の経験や関心がなくなってしまう(※ex. 塀に防護された町…)

・こうした格差はこれまで、「格差があることで経済成長を促すことができる。経済成長すれば、いつの日か、全員が豊かになる」と正当化されてきた。…この論拠は、「空いている世界」では表面的にはもっともらしく聞こえたかもしれないが、現在の「いっぱいの世界」ではおとぎ話だ。→ そして、「稼いでいない富」が世代を超えて蓄積されるのを抑えるために、かなりの相続税も必要。(※ピケティも富裕層への「資産課税」を提言…)

④就業日・週・年の長さを縛らずに、パートタイムや個人の仕事の選択肢を増やす

・経済が成長しない場合、全員をフルタイム雇用することは難しくなる。→ 労働日の長さを、働く人が選択できる変数にしていく必要がある。(※いま問題になっている〝資本側の都合や利益のためのまやかし〟ではなく、「合理的なワークシェアリング」は実現すべき…詳細はP56)

・また、「もっと消費しよう。その支払いのためにもっと働こう」とあおる広告で、労働と余暇の選択にバイアスをかけるのを止めなくてはならない。→ 少なくとも広告を「所得控除可能な生産費」として扱うのはもうやめるべき。…(「必要もないものを、持ってもいないお金で、知りもしない人に対する見栄のために買う」のがよいと人々を説得するための)数十億ドルの支出を、控除という税制で補助するのは本当によいことなのか?〔※確かに最近の企業広告は、ただ消費を煽るようなものが多すぎる? → 昨今の(広告主の)企業の劣化と、(広告収入で生き長らえている)民放TV局や新聞・雑誌などの劣化とは、つながっている …?〕

⑤国際貿易を規制し、自由貿易、自由な資本の移動性、グローバル化を制限する

・これまで挙げたキャップ・アンド・トレードや環境税の改革など、環境コストを内部化するための国内施策をとると、製品の価格が上がる。→ すると、そういったコストを内部化していない国との国際貿易では、競争上不利な立場に置かれる。→ そのときすべきことは、(効率の悪い企業を守ることではなく)相殺関税をかけること。…そうして、環境コストを内部化していない(つまり、実際には生じさせている社会的・環境的コストを払わずにすんでいる)海外企業に負けないようにする。

・この「新しい保護主義」は、(より効率の高い海外企業から効率の悪い国内企業を守るために行なわれていた)「古い保護主義」とはまったく異なるもの。……「グローバル経済との統合」と「世界の他の国々よりも、より高い賃金、環境基準、社会のセーフティ・ネットを持つこと」は、両立不可能。→ 貿易と資本の移動性は、 (無規制や〝自由〟なものではなく)バランスのとれた公正なものであるべき。〔※う~ん、きわめて大胆な(そしてまっとうな?)政策提言…TPPなんか、ぶっ飛んでしまう。…だが、国際的な〝孤立化〟の恐れも…?)

・それぞれ独立した国家経済の相互依存は認めるべきだが、ひとつのグローバル経済への統合は拒否すべき。…関税は国家歳入のよい源泉でもある。→ こういった考え方は、WTO(世界貿易機関)、世界銀行、IMF(国際通貨基金)とぶつかるだろうから、次のことが必要になる。

⑥WTO・世銀・IMFを〝降格〟させ、ケインズの当初の計画のような組織にする

・ケインズが考えていたのは、多国間の支払いを決済するための「国際清算同盟」だった。…(赤字だけでなく、黒字にも罰則的な金利を課す。…ex. 米国は世界に対する多額の赤字のために罰金を支払い、中国も黒字に対して罰金を支払うことになる)→ こうすることで、経常収支のバランスをとることができ、多額の対外債務や資本の移動を避けることができる。

・このように赤字にせよ黒字にせよ、その不均衡には、金銭的なペナルティによって調整圧力がかかる。→ そして、必要であれば(ケインズが「バンコール」と呼んだ)決済通貨に対する為替調整によって、経常収支のバランスを取る方向へ圧力がかかる。…バンコールは、世界の準備通貨としての機能を持つことができる。←→ 現在は、米ドルが世界の準備通貨としての特権的な地位にある(それは米国にとってのメリットで、言ってみれば、トラックに積まれた無料のヘロインが、ヘロイン中毒者のメリットになるようなもの)→ 米ドルを含め、どの国の通貨も特権的な立場を享受すべきではない〔※英語が〝世界の共通語〟のごとく特権的な立場にあるのは、そのサブシステムのようなものか…?〕。→ その役割を果たすバンコールは、金本位制における金のようなものだが、地中から掘り出す必要はない。〔※う~ん、経済問題は難しいが、〝未来性〟へ向けてまだまだ工夫の余地はたくさんある、ということか…〕

・IMFは長らく、「比較優位」(※他に比べてまし?)を論拠に、「自由貿易」を説き勧めてきた。→ 近年になって、WTO―世銀―IMF陣は、「グローバリゼーション」の福音を説き始めている。…これは、貿易の自由に加えて、資本が自由に国境を越えて移動するということ。←→ しかし、もともとの比較優位の議論は、「資本は国境を越えては移動しない」ことを前提としている。…この矛盾を突きつけられると、IMFは手を振って、話題を変えてしまう。

・WTO―世銀―IMFは、多国籍企業(※これが現代のボスか…)の利害に奉仕し、海外生産を進める政策を採り、それを「自由貿易」という間違った呼び方で呼ぶなど、自己矛盾している。→ 国際的な資本の移動と自由貿易が合わさることで、企業は、公共の利益のために設けられている国の規制を逃れ、国同士を争わせるように仕向けている(※ex. 法人税の減税競争など…?)。←→ グローバル政府は存在していないため、そういった企業のコントロールは事実上、できていない(※資本側の完勝…)。…実際に存在している中でグローバル政府に最も近いのがWTO―世銀―IMF体制だが、彼らは公共の利益のために多国籍企業を規制することにはまったく関心がない。(※ここも前回の水野氏の論と通底している…)

⑦民間銀行が中央銀行に預け入れる準備預金の準備率を100%に引き上げる

・現在の制度では、民間銀行は、預かったお金のほんの一部だけを、引き出されるお金の準備金として置いておくか、中央銀行に預け入れればよく、残りは貸し出すことができる。…ゼロからお金をつくり出し、それを金利付きで貸し出す権利を民間銀行に与えているとも言える(お金の偽造のようなもの。普通ならお金を偽造すれば刑務所に入れられる)。〔※う~ん、過激な論…。金融の世界も難しい…詳細はP59~60〕

・だから、「民間銀行は預かったお金を全額中央銀行に預け入れるべし」、つまり準備率を100%へ引き上げるべき。→ 準備率が100%になれば、借り手に貸し出されるお金と預金者が預け入れるお金はぴったり合うから、節制と投資のバランスを取り戻すことができる。→ 貸付限度額がその前に行われる貯蓄(消費からの節制)に制限されることになるため、貸付・借入は減少し、より慎重に行われることになるだろう。…怪しげな負債(※サブプライムローンなど?)を投機対象にするような〝資産〟(※金融商品?)を大量に購入する資金を、簡単に融資することもなくなる。⇒ 銀行は、預金者のお金を預金利息よりも高い利率で貸出すことや、当座口座の手数料、金庫手数料などのサービスといった金融の仲介からの利益だけを得ることになる(※〝マネー資本主義〟以前の本来の業務か…)。

⑧希少なモノを希少でないかのように、希少ではないものを希少であるかのように扱うのをやめる

・大気などの自然資本は、誰でもアクセスできるコモンズ(共有物)なので、誰でも無料でいくらでも使えるもののように扱われているが、キャップ・アンド・トレードの仕組みや課税によって、価格をつけるべき。←→ 他方、知識や情報といったものは、誰かが囲い込んだり価格をつけたりすべきではない(※著作権はなし…?)。…資源であれば、共有しようと思えば分割する必要があるが、知識は、共有すれば(分割ではなく)増幅する。→ いったん知識が生まれれば、それを共有する機会コストはゼロだから、配分価格もゼロであるべきだろう。(※う~ん、あるべき理念としては分かるが…現行のシステムを根本から変える考え方…?)

・国際的な開発支援は、(大規模な利子付き融資の形態は減らして)自由に積極的に知識を共有し、それに小規模の補助金をつける形態を増やすべき。→ 知識の共有は、コストがほとんどかからず、返済不可能な負債をつくり出すこともなく、本当に大事で希少な生産要素の生産性を引き上げることができる。(※知識・情報の公開・オープン化…確かに〝未来性〟あり…)

・新しい知識をつくり出すための最も重要な投入物は、現在ある実際の知識だから、それを人工的に希少にし、高価なものにしておくのは道理に反している。⇒ 特許(知的財産権)の独占は、数少ない〝発明〟を対象にし、期間も短めに付与すべき。(※アメリカが猛反発…?)

・新しい知識をつくり出すコストは、公的な資金で行い(※現状では逆の〝民営化〟の流れ…)、知識は自由に共有できるようにしていかなくてはならない。→ 知識とは累積していく社会的な産物であり、私たちは、特許の独占や使用料なしに、熱力学の法則やDNA二重らせん、ポリオ・ワクチンなどの発明を手にしているのだ。〔※これとは逆に、TPPの本当の狙いは、(先進国に有利な)知的財産権(特許や著作権)の保護・強化にある、という話も…〕

⑨人口を安定させ、「出生数+移入者数」=「死亡者数+移出者数」となるようにする

・人口が減少しつつある日本では、別の議論が行なわれていると思うが(※まだ議論は低調…)、世界的には、人口を安定化することが必要(※日本も、どこかで人口減少を止めた後に「安定化」という課題は同じ…)。…環境運動のスタートは、人口問題だった。しかし、このところずっと、この問題を取り上げることが「政治的に正当ではない」という風潮があるため、人口に関する議論や取り組みがしづらくなっている。(※確かに、途上国の出生数を減らすとか、移民の問題とか…政治的に微妙な問題を含む…)

・定常経済のためには、人工物のストックと同様に、人口も一定である必要がある。→ そのためには、自立的な家族計画と、民主的に制定された合理的な移民法の施行を支援すべき。(※う~ん、慎重な物言い…。日本でもこの人口問題に関しては、『デフレの正体』や最近では『地方消滅』などの、衝撃的な問題提起によって、ようやく議論や取り組みの機運が出てきたよう…)

⑩国民勘定を改革して、GDPを「費用勘定」と「便益勘定」に分ける

・(前にも説明したが)現在のGDPは、便益もそのための費用もいっしょくたに合計してしまっている。→ これを分けて計算すべき。…ex. 自然資本の消費や、「遺憾だが必要な」防衛支出は、費用勘定に入る。

・こうして分けておいて、GDPが成長(スループットが拡大)することの「限界費用」と「限界便益」を比較する。→ 両者が等しくなったところで、GDPの成長(スループットの拡大)は止めることになる。…こうして計算すれば、多くの国で、GDPの成長はもはや(便益よりも)費用のほうが大きくなっていることがわかるだろう。

・成長経済の規範から定常経済の規範へと、ビジョンの考え方を抜本的に変えることになるが、ここで提案した政策自体は徐々に適用していくことができる。…準備率を100%に引き上げることも、少しずつ進めることができるし、所得分配の格差の幅も少しずつ制限していけばよいだろう。キャップ・アンド・トレードのキャップ(上限)も、少しずつ調整していくことができる(※ソフト・ランディング)。…これらの政策は、互いに補完したりバランスをとるという意味で、よい組み合わせになっているが、そのほとんどはそれだけでも適用できる。

・ここに挙げた施策の土台にある基本的な認識は、次の三点。

(1) 私有財産は、あまりにも不平等に分配されている場合は、その正当性を失う。
(2) 市場は、価格が機会コストについての真実を伝えない場合、その正当性を失う。
(3) マクロ経済は、地球の生物物理的な限界を超えて規模の成長を求められる場合、不合理なものになる。

・日本は、世界に先駆けて人口減少社会に突入した。→ 人口が減っていけば、その人口が必要とする人工物も減っていくだろう。→ 人口と人工物のストックを維持するためのスループットも減っていくはず。⇒ 日本は「定常経済」にシフトしていける好位置にあるとも言えるだろう。(※これも、前回の水野氏の論と通底する見解…)

・富の再分配によって貧困などの問題に対処していくためには、これまで「全体のパイが大きくなれば、全員の取り分が大きくなるはずだから」と、再分配の課題に取り組まず、経済成長だけを追求しようとしてきた政治のあり方を変える必要がある。…また、私たち一人ひとりも「成長しない地球の上に暮らしていること」を再認識し、未来世代も含めて、持続可能で本当に幸せな暮らしとは? 経済とは? 社会とは? ともう一度じっくり考えることも大事なことだと思う。(※原発も含めた「震災復興」の諸問題も、当然この中に含まれる…)

(2/4 了) 


〔今回はアメリカの環境経済学者による「定常経済」という考え方について、ざっと駆け足で見てきましたが、「経済」という限定された枠組みの中でも、「人類の英知」という視点からも、まだまだ工夫の余地はたくさんあるし、またそれらが、他の領域とも複雑に絡み合っている(地球環境とか、人口問題とか、熱力学の法則とか、〝テロ〟の問題とも…)、というようなことに思いを及ぼしながら、作業を進めていました。そして今、「長い21世紀」の試練はまだまだ長く続きそうだなあ…という感慨を覚えています。〕 
                                                                                                  (2015年2月4日) 
                                                      



(2015年4月14日 Blogger に掲載。根石)