2017年9月28日木曜日

(震災レポート42) 震災レポート・戦後日本編(2)―[対米従属論 ②]



(震災レポート42)  震災レポート・戦後日本編(2)―[対米従属論 ②]

中島暁夫





                                         


『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 


矢部宏治 集英社インターナショナル 2014.10.29(2015.7.6 9刷!)――(2)



〔著者は1960年生まれ。慶応大学文学部卒。博報堂を経て、1987年より書籍情報社代表。...著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』、共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』など。〕




【2章】福島の謎―日本はなぜ、原発を止められないのか


・『沖縄・米軍基地観光ガイド』の原稿がだいたい完成した頃に、東日本大震災が起こり、続いて福島の原発事故...。→ 直前に沖縄を取材して、米軍基地をめぐる裁判について調べたばかりだったので、夏になる頃には「沖縄=福島」という構造が、はっきり見えていた。

・つまり、(米軍基地問題と同じように)原発についてもおそらく憲法は機能しない。→ これから沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故を何万倍にも巨大にしたような出来事が、必ず起きる。

・沖縄の米軍ヘリ墜落事故では、加害者(米軍)が現場を封鎖して情報を隠蔽した。被害者(市民)が裁判をしても必ず負けた。そしてしばらくすると、加害者(米軍)が「安全性が確保された」と言って、平然と危険な訓練を再開した。→ 福島でもその後、実際にそうなりつつある...。

○福島で起きた「明らかにおかしなこと」

・原発事故が起きてから、私たち日本人はずっと大きな混乱の中にいる。...「すべてを捨てて安全な場所へ逃げた方がいいのか」「今の場所にとどまって、生活の再建を優先した方がいいのか」...そうした究極の選択を迫られることになった。...なかでも福島では、20万人もの人たちが家や田畑を失い、仮設住宅での日々を送ることになった。

・そんな中、少し事態が落ち着いてくると、被災者たちは信じられない出来事に次々と直面することになった。...中でも、もっともおかしかったのは、これほどの歴史的大事故を起こし、無数の人々の家や田畑を奪っておきながら、その責任を問われる人物が一人もいなかったということ。

・工場が爆発して被害が出たら、必ず警察が捜査に入り、現場を調べ、事情を聴取して安全対策の不備を洗い出し、責任者を逮捕するはず。←→ それなのになぜ、この大惨事の加害者は罰せられないのか。警察はなぜ、東京電力へ捜査に入らないのか。安全対策に不備があったかどうか、なぜ検証しないのか。家や田畑を失った被害者に、なぜ正当な補償が行われないのか。

○被害者は仮設住宅で年越し、加害者にはボーナス

・事故の起きた2011年の年末、多くの被災者たちが仮設住宅で「どうやって年を越せばいいのか」と頭を抱えているとき、東京電力の社員たちに、なんと年末のボーナスが支給された。

・(翌2012年1月8日、福島県双葉町・井戸川町長の、野田首相への言葉)...「われわれを国民と思っていますか、法の下の平等が保障されていますか、憲法で守られていますか」...まさに福島で原発災害にあった人たちの思いが、戦後70年にわたり沖縄で基地被害に苦しみ続けてきた人たちの思いと、ぴたりと重なり合った瞬間だった。

○なぜ、大訴訟団が結成されなかったのか

・おそらく普通の国なら半年も経たないうちに大訴訟団が結成され、空前の損害賠償請求が東京電力に対して行われていたはずだ。←→ しかし、日本ではそうならなかった。→ ほとんどの人が、国がつくった「原子力損害賠償紛争解決センター」という調停機関を通じて、事実上の和解をし、東京電力側の言い値で賠償を受けるという道を選択したのだ。...それは今の日本社会では、いくら訴訟をして「お上にたてついて」も、最高裁までいったら必ず負けるという現実を、みんなよく分かっているからだろう。

〔※最近の報道では...「トモダチ作戦」に参加した米空母乗組員ら約150人の米国居住者が、福島第一原発事故で被曝したとして、東電などに対して50億ドル(約5500億円)以上の基金創設(医療費などのため)を求めて、米カリフォルニア州の連邦裁判所に提訴した。また原告側は、事故は東電側の不適切な原発設計や管理により発生したと主張し、被曝による身体的、精神的損害を受けたとして、(基金創設のほかに)損害賠償も請求しているそう...。これがアメリカの常識か...〕

・事実、原発関連の裁判の行方は、沖縄の基地被害の裁判を見ると予測できるのだ。...(1章で見たように)住民の健康に明らかに被害を及ぼす米軍機の飛行について、最高裁は住民の健康被害を認定した上で、「飛行の差し止めを求めることはできない」という、とんでもない判決を書いている。→ 福島の裁判でも、それと同じような事態が起こることが予想された。

○福島集団疎開裁判

・そして残念ながら、その後、やはりそうなっている。...(放射能による健康被害を大人より受けやすい)子どもの被曝問題(詳細はP58)→ 仙台高等裁判所の集団疎開裁判の判決...「チェルノブイリ原発事故後に児童に発症したとされる被害状況に鑑みれば、付近で生活する人々、とりわけ児童の生命・身体・健康について、由々しい事態の進行が懸念されるところである」...つまり裁判所は、福島の子どもたちの健康被害の可能性を認めていながら、しかしそれでも、子どもを救うための行政措置をとる必要はない、という判決を出してしまった。→ 住民側の敗訴。

・その理由の一つが、多くの児童を含む市民の生命・身体・健康について、「中長期的には懸念が残るものの、現在ただちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認めがたい」からだという。...いったいこの「高等」裁判所は何を言っているのか? 同じ判決文の前段と後段に論理的な整合性がない〔※結論ありきの判決?〕→ これは先に触れた沖縄の米軍機・騒音訴訟とまったく同じ構造なのだ。

○原発関連の訴訟にも「統治行為論」が使われている

・沖縄で積み重ねられた米軍基地裁判の研究から類推して、こうしたおかしな判決(「しかし行政措置をとる必要はない」という非論理的な結論が接ぎ木されてしまった...)が出る原因は、やはり「統治行為論」しか考えられない。

・これまで原発に関する訴訟では、たった3件だけ住民側が勝訴している(詳細はP60)。...そのうち、大飯(おおい)原発3,4号機の再稼働を差し止める住民側勝訴の判決(福井地裁・樋口英明裁判長)は、人々に大きな勇気を与えるものだった。...それはこの判決が、安倍政権の進める圧倒的な原発再稼働への流れの中で、人々が口に出しにくくなっていた原発への不安や怒りを、チェルノブイリの事例をもとに、論理的に、また格調高い文章で表現してくれたからだった。
「地震大国日本において基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにしかすぎない」「当裁判所は〔関西電力側が展開したような〕きわめて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないことであると考えている」
→ 日本の司法は、まだ死んではいなかった。そう思わせてくれるすばらしい判決内容だった。

・しかし残念ながら、現在の法的構造の中では、この判決が政府・与党はもちろん、関西電力の方針に影響を与える可能性も、ほとんどない。→ 少なくとも最高裁まで行ったら、それが必ず覆されることを、みんなよく分かっているからだ。

〔※う~ん、「原発維持」派の論拠の中で、この「電気代の高い低いの問題」というのは、どうやらだいぶ疑わしくなってきたようだが、まだ手強い...と感じる論拠は、「強くて安定したエネルギーの供給が、強くて安定した国力には必要だ」というもの。→ この「レポート」でも取り上げたことのある中野剛志氏や佐藤優氏などは、確かこの論拠を主張していたと記憶するが...〕

○沖縄から見た福島

・福島の状況が過酷なのは、これまで述べたようなウラ側の事情についての知識が、県内でほとんど共有されていないというところ。...話し合う人がいない。当然だ。今までなにも問題なく暮していたところに、突然、原発が爆発したわけだから。

・その点、沖縄には長い闘いの歴史があって、米軍基地問題について様々な研究の蓄積があり、住民の人たちがウラ側の事情をよく分かっている。また、そうした闘いを支える社会勢力も存在する。...まず「琉球新報」と「沖縄タイムス」という新聞社二社がきちんとした報道をし、正しい情報を提供している。...政治家や大学教授、弁護士、新聞記者の中にも、きちんと不条理と闘う人たちが何人もいる。

〔※以前、自民党本部の研修会かなにかで、著名な右派系作家が、この沖縄の新聞社を(議論・反論するのでなく)、ツブセ! とか発言していたようだが...それは、これらの新聞社が、自民党政権にとって〝不都合な真実〟をきちんと報道してきた、ということの証左だろう...〕

・しかし福島県には、そうしたまとまった社会勢力は存在しない。もちろん、地元メディアや市民団体の人たちは頑張っているが、それを支える社会勢力がない。←→ そんな中、原発推進派の政治家たちが、被害者である県民たちを、放射能で汚染された土地に帰還させようとしている。

〔※昨日の「住民帰還の今」という新聞報道では、避難指示が解除された9市町村では、政府の思惑通りには避難住民の帰還は進まず、特に若い世代ほど戻らない傾向が強い、とのこと...東京新聞2017.8.30〕

・だから福島で被災している人たちに、そうした沖縄の知恵をなんとか伝えたい。...戦後70年近く積み重ねられてきた沖縄の米軍基地問題についての研究と、そこで明らかになった人権侵害を生む法的構造を、福島のみなさんに知ってもらいたいと思って、いまこの本を書いている。

〔※この問題は、沖縄や福島だけのものではなく、今は潜在的であっても、いつ、どこで顕在化するかもしれない、この戦後日本社会全体の問題だろう...〕

○日本はなぜ、原発を止められないのか

・福島原発事故という巨大な出来事の全貌が明らかになるには、まだまだ長い時間が必要だ。...政府はもちろん情報を隠蔽し続けるはずだし、米軍基地問題のように、関連するアメリカの機密文書が公開されるまでには、30年近くかかる。

〔※う~ん、ここでもアメリカの機密文書の公開待ちか...。この日本という国の〝隠蔽体質〟、もうそろそろ何とかならないのか...!〕

・原発を動かそうとしている「主犯はだれか、その動機はなにか」...自らの間違いを認め、政策転換をする勇気のない日本の官僚組織なのか。...原発利権を諦めきれない自民党の政治家なのか。...同じ自民党の中でも、核武装の夢を見続けている右派のグループなのか。...それとも電力会社に巨額の融資をしてしまっている銀行なのか。...国際原子力村と呼ばれるエネルギー産業やその背後にいる国際資本なのか。...その意向を受けたアメリカ政府なのか。...いろんな説があるが、実態はよく分からない。→ とりあえず本書では、犯人は「原発の再稼働によって利益を得る勢力全員」と定義しておきたい。

〔※その勢力の中に、先ほど触れた、「強くて安定した国力のためには、強くて安定したエネルギーが必要」と考える勢力(ナショナリスト系)も入れておきたい...〕

・より重要な問題は、「動かそうとする勢力」ではなく、「止めるためのシステム」の方にある。→ 福島の事故を見て、ドイツやイタリアは脱原発を決めた。台湾でも市民のデモによって、新規の原発が建設中止に追い込まれた。→ 事故の当事国である日本でも、圧倒的多数の国民が原発廃止を望んでいる(脱原発「賛成」77%、原発再稼働「反対」59%...「朝日新聞」世論調査2014.3.15~16)。→ すべての原発が停止した2014年夏、電力需要のピーク時に電力は十分な余裕があり、原発を全廃しても日本経済に影響がないことはすでに証明されている。...それなのに、日本はなぜ原発を止められないのか。

〔※先ほど触れた「強い国力のためには、強い安定したエネルギーが必要」という立場に対しては、「(原発がなくても)ひと夏の電力需要のピーク時に、電力に余裕があった...」という論拠だけでは、ちょっと説得力が弱い気がするが...〕

○オモテの社会とウラの社会

・この問題を考えるとき、もっとも重要なポイントは、いま私たちが普通の市民として見ているオモテの社会と、その背後に存在するウラの社会とが、かなり異なった世界だということ。→ そしてやっかいなのは、私たちの眼には見えにくいそのウラの社会こそが、法的な権利に基づく「リアルな社会」だということなのだ。

・(1章の最後で述べたように)オモテの最高法規である日本国憲法の上に、安保法体系が存在する、というのがその代表的な例の一つ。→ 現実の社会は、そのめちゃくちゃな法体系の下で判決が出され、権力が行使され〔※つまり沖縄の辺野古基地の建設工事は着々と進められ〕、日々経済活動が行われている。←→ その構造を解明し、正しく変える方向に進むことができなければ、オモテの社会についていくら論じたり、文句を言ったりしても、まったく意味がないということになってしまう。

〔※(ウラの社会ですでに決まっているのだから)オモテの社会の象徴である国会で、いくら論じたり文句を言っても、なにも意味がないように見えるのは、そういう訳か...〕

・さらに複雑な問題がある。1章で既述した、
「日米安保・法体系(上位)」>「日本国憲法・法体系(下位)」
という関係は、(一般の人には見えにくいものの)きちんと明文化されている問題。だから順を追って見ていけば、だれの眼にも明らかになる。→ しかし複雑なのは、さらにその上に、安保法体系にも明記されていない隠された法体系がある。...それが「密約法体系」。

・つまりアメリカ政府との交渉の中で、どうしても向こうの言うことを聞かなければならない ←→ しかしとても日本国民の眼には触れさせられない...そうした最高度に重要な合意事項を、交渉担当者間の秘密了解事項として、これまでずっとサインしてきたわけだ。

・そうした密約の数々は、国際法上は条約と同じ効力を持っている。→ だから、もともと日本の法律よりも上位にあり、さらに砂川裁判最高裁判決によって、日本の憲法よりも上位にあることが確定している。...約60年にわたって、そうしたウラ側の「最高法規」が積み重なっているのだ。
〔※う~ん、戦後日本の政治とは、〝密約の政治〟か...!〕

・この「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと......「なぜ沖縄や福島で起きている明らかな人権侵害がストップできないのか」「なぜ裁判所は、誰が考えても不可解な判決を出すのか」「なぜ日本の政治家は、選挙に通ったあと、公約と正反対のことばかりやるのか」......ということが、まったく分からなくなってしまう。

○アメリカで機密解除された二つの公文書

・この密約法体系は、まさに戦後日本の闇そのものと言えるような問題。...だから本来非常に複雑なのだが、それを極限まで簡単に説明するために、アメリカで機密解除された次の二つの公文書を見てもらう。→ 戦後70年経ってもなお、日本がまともな主権を持つ独立国でないことが、はっきり理解されると思う。

・日本は第二次大戦で無残に敗北し、米軍によって6年半、占領された。...その間、1952年に日本が独立を回復するまで、米軍は日本国内で自由に行動することができた。もちろん日本の法律などなにも関係なく、まさに米軍はオールマイティの存在だった。...占領とは元々そういうものだから、それ自体は仕方なかったのかもしれない。

・しかし問題は占領の終結後、それがどう変わったかだ。...サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を同時に結び、1952年に独立を回復したはずの日本の実態はどうだったのか。
→ 答えは「依然として、軍事占領状態が継続した」...沖縄だけの話ではなく、日本全体の話だ。→ その証拠となる二つの文書が、アメリカで機密解除された公文書の中から見つかっている。

(1)1957年2月14日、日本のアメリカ大使館から本国の国務省に送られた秘密報告書(当時のアメリカは、世界中の米軍基地の最新状況を把握するため、極秘報告書(ナッシュ・レポート)をつくっていたが、そのための基礎資料として本国へ送られたもの)。→ これは私たち日本人が現在直面する数々の問題を解決するために、どうしても知っておかなければならない最重要文書の一つ。...ちなみに、文中に出てくる「行政協定」というのは、旧安保条約のもとで日本に駐留する米軍が持っている法的特権について定めた日米間の取り決め。→ 旧安保条約(1952年発効)に対応する取り決めが日米行政協定、現在の安保条約(1960年発効)に対応する取り決めが日米地位協定という関係になる。

「在日米軍基地に関する秘密報告書」......

 「日本国内におけるアメリカの軍事行動のきわだった特徴は、その規模の大きさと、アメリカに与えられた基地に関する権利の大きさにある。〔安保条約に基づく〕行政協定は、アメリカが占領中に保持していた軍事活動のための権限と権利を、アメリカのために保護している①。
 安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに米軍を使うことができる②。
 ...行政協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている③。
 それぞれの米軍施設についての基本合意に加え、地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的な取り決めが存在する④。
 数多くのアメリカの諜報活動機関の要員(CIA!)が、なんの妨げも受けず日本中で活動している⑤。
 ...米軍の部隊や装備なども、地元とのいかなる取り決めもなしに、日本への出入りを自由に行う権限が与えられている⑥...〔※核の持ち込みも?〕。
 すべてが米軍の決定によって、日本国内で演習が行われ、射撃訓練が実施され、軍用機が飛び、その他の非常に重要な軍事活動が日常的に行われている⑦」

...〔※まさに〝属国日本〟...!〕

・米軍の特権を定めた日米行政協定について、この秘密報告書は...「行政協定は、アメリカが占領中に持っていた軍事活動のための権限と権利を、アメリカのために保護している①」「〔行政協定には〕地域の主権と利益を侵害する(※沖縄!)数多くの補足的な取り決め(※密約!)が存在する④」...とはっきり書いている。→ アメリカ大使館自身が、大統領への調査資料の中でその事実を認めているのだから、いくら日本の外務省や御用学者たちがその内容を否定しても、なんの意味もない。...彼らは、この事実が明らかになると世論からバッシングを受ける側、つまり事実を隠蔽する動機を持つ立場にいるから。

〔※先日も、テレビのゲストコメンテーターに元外務省北米局長という人物が出演していたが(意外にも日米地位協定や日米合同委員会がテーマだった)、そんな人物のコメントには何の意味もない、ということか...。う~ん、分かりやすい...〕

・この秘密報告書が明らかにしているのは、日本に駐留する米軍の権利については、占領期から独立(1952年)以降にかけて、ほとんど変わることなく維持されたということ。...この文書が書かれた1957年といえば、独立からすでに5年が過ぎ、3年後には安保条約が改定される、そんな時期。←→ しかし依然として軍事占領状態が継続していた。→ そのことが、アメリカ大統領(アイゼンハワー)の要請に基づいて行われた特別補佐官(フランク・ナッシュ)の極秘調査資料によって証明されているのだ。

○米軍の権利は、旧安保条約と新安保条約で、ほとんど変わっていない

・日米の密約が公表されると、自民党の政治家は必ずこう言う.........昔はそういう占領の名残りのようなものが残っていたが、岸信介首相(※安倍のオジイチャン!)が、1960年に政治生命をかけて安保条約を改定し、そうした不平等状態に終止符を打ったのだと。

・しかし、次の文書を見てほしい。...その1960年の新安保条約を調印する直前に、岸政権の藤山外務大臣とマッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)がサインした「基地の権利に関する密約(基地権密約)」だ。

(2)「日本における合衆国軍隊の使用のための日本国政府によって許与された施設および区域内(「米軍基地」のこと)での合衆国の権利は、1960年1月19日にワシントンで調印された協定(「日米地位協定」のこと)第3条1項の改定された文言のもとで、1952年2月28日に東京で調印された協定(「日米行政協定」のこと)のもとでと変わることなく続く」(1960年1月6日)

...〔※う~ん、「密約」だから、わざと分かりにくい表現にしている...?〕

→ つまり、米軍基地を使用する上での米軍の権利については、「これまでの取り決め(日米行政協定)と、これからの取り決め(日米地位協定)には、まったく変わりがありません」...ということを、日本政府が約束しているのだ。

・そしてこの1960年以降、日米地位協定はひと文字も改定されていないから、先の(1)秘密報告書(1957年)とこの(2)密約文書(1960年)を二つ並べただけで、現在の日本において、米軍が基地の使用について占領期とほぼ同じ法的権利を持っていることが、論理的に証明されるのだ。

○オスプレイの謎

・既述した二つの文書を読んだだけで、現在の日本に起きている、いくつかの不思議な出来事の謎が解ける。...まず、オスプレイ(米軍が開発した、非常に事故の多い特殊軍用機)。

・2012年9月、このオスプレイの沖縄への配備に対して、沖縄県のすべての市町村(全41)の議会が「受け入れ反対」を表明し、10万人の反対集会を開いた。さらに翌2013年1月には、沖縄のすべての市町村長と議長が上京し、「オスプレイの配備撤回」や「辺野古への基地移設の断念」を求める「建白書」を安倍首相に手渡した。

・しかしそれでもオスプレイは、反対運動などなかったかのように沖縄に配備され、訓練が行われるようになった。←→ アメリカ本国では「遺跡に与える影響」や「コウモリの生態系に与える影響」を考慮して、訓練が中止になっているにもかかわらず。

〔※アメリカ本国では訓練が思うようにできないから、「属国日本」でやっている...?〕

・配備直前の2012年7月、野田首相は民放テレビに出演して...「(オスプレイの)配備自体はアメリカ政府の基本方針で、同盟関係にあるとはいえ、(日本側から)どうしろ、こうしろという話ではない」...と述べた。→ 日本国民の安全や生命が脅かされているのに「どうしろ、こうしろという話ではない」とはどういう言い草かと、日本人はみなその無責任さに驚いたわけだが ←→ 既述の(1)秘密報告書(P67~68)を読めば、彼がなぜそう言ったかが分かる。
「安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに米軍を使うことができる②」「米軍の部隊や装備なども、地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由に行う権限が与えられている⑥」...と、はっきり書いてある。→ 1952年に結ばれた日米行政協定の第3条と第26条が、こうした権利の根拠となっている。

・そして(既述のような)数々の密約によって、そうした米軍の権利は現在まで基本的に変わらず受け継がれていることが分かっている。...密約といっても、外務大臣と大使が正式にサインしたものだから、これは条約とまったく同じ法的効力を持つのだ。→ さらに(1章で既述したように)米軍が密約に基づいてこれらの権限を行使したとき、日本国民の側に立って人権侵害にストップをかけるべき憲法は、1959年の砂川裁判最高裁判決によって機能停止状態に陥っている。

〔※う~ん、「砂川裁判」とは、日本の戦後史にとってそんなに重要な事件だったのか...〕

・つまり日本国首相に、この密約に抵抗する手立ては何もないわけだ。→ だから野田首相は、外務省からレクチャーされた通りに「この国の真実」を語るしかなかったのだろう。...もちろんそこに心の痛みや知的な疑問がカケラも感じられなかったことは、厳しく指摘しておく必要があるが。

○辺野古の謎

・もう一つ、辺野古の新基地建設をめぐる謎がある。...1995年(※阪神淡路大震災やオウム地下鉄サリン事件があった年か)、沖縄の中部で3人の米兵が、商店街にノートを買いに来た12歳の女子小学生を車で連れ去り、近くの海岸で3人でレイプした。

〔※う~ん、占領期とか植民地のような所業...〕。

・この事件をきっかけに、沖縄では米軍の駐留に対する大規模な反対運動が沸き起こり、翌1996年には「世界一危険な飛行場」と言われた普天間基地の返還が合意された。←→ ところがいつの間にか、普天間返還の条件として、沖縄本島北部の美しい辺野古の岬に、大規模な米軍基地を新たに建設するという日米政府の合意がなされていたのだ。

・そもそも現在沖縄にある基地は、すべて米軍によって強制的に奪われた土地につくられたもの...戦争中はもちろん、戦後になってからも、銃を突きつけ、家をブルドーザーで引き倒し、住民から無理やり土地を奪って建設したものだ。←→ しかし、もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、それは沖縄の歴史上初めて県民が、米軍基地の存在を自ら容認するということになってしまう。←→ それだけは絶対にできないということで、粘り強い抵抗運動が起きているのだ。

・もしも日本政府が建設を強行しようとしたら、流血は必至だ。日本中から反対運動に参加する人たちが押し寄せるだろう。それなのに、なぜ計画を中止することができないのか。

〔※う~ん、戦後も70年を経て、沖縄でも本土でも否応なく〝世代交代〟が進行していると思われるが、この歴史的なリアルをどう捉えていくのか...? 「かつて日本がアメリカと戦争をした」ということも、知らない若者がいるらしいから...〕

・先述の1957年の秘密文書...「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている③」...こうした内容の取り決めに日本政府は合意してしまっているのだ。→ だからいくら住民に危険が及ぼうと、貴重な自然が破壊されようと、市民が選挙でNOという民意を示そうと、日本政府から「どうしろ、こうしろと言うことはできない」。...オスプレイとまったく同じ構造だ。→ だから日本政府にはなにも期待できない。自分たちで体を張って巨大基地の建設を阻止するしかない。...沖縄の人たちは、そのことをよく分かっているのだ。

...〔※確かに「そのことをよく分かっている」人たちは一定数はいるのだろうけれど、(しつこいようだけど)〝世代交代〟の進行が...〕

○日本には国境がない

・これまで述べてきたことは、基地とか軍事関係の問題だけではない。→ 太平洋上空から首都圏全体をおおう巨大な空域(横田空域)が米軍によって支配されている(P35の図)。...日本の飛行機はそこを飛べないし、米軍から情報をもらわなければ、どんな飛行機が飛んでいるかも分からない。→ そしてその管理空域の下には、横田や厚木、座間、横須賀などといった、沖縄並みの巨大な米軍基地が首都東京を取り囲むように存在しており、それらの基地の内側は日米地位協定によって治外法権状態であることが確定している。
⇒ この二つの確定した事実から導かれる論理的結論は...「日本には国境がない」という事実だ。

・2013年に、アメリカ政府による違法な情報収集活動が発覚したとき(「スノーデン事件」)、「バックドア」という言葉がよく報道されていた。...つまり世界中にある様々なデータベースが、表面上は厳重に保護されているように見えても、後ろ側に秘密のドアがあって、アメリカ政府はそこから自由に出入りして情報を入手していた、というのだ。

(※参考:『スノーデン 日本への警告』集英社新書2017.4.19)

・日本という国には、まさに在日米軍基地というバックドアが各地にあって、米軍関係者はそこからノーチェックで自由に日本に出入りしている。→ 自分たちの支配する空域を通って基地に着陸し、そのまま基地のフェンスの外に出たり入ったりしているのだ。...だからそもそも日本政府は、現在、日本国内にどういうアメリカ人が何人いるのか、まったく把握できていないのだ。

〔※う~ん、当方のウサギ小屋の斜め上空を、毎日でっかい米軍機が、横田基地に向かって降下していく...。元実家には厚木基地があり、高校には横須賀基地があった...〕

・国家の三要素とは、国民・領土(領域)・主権だと言われる。→ 国境がないということは、つまり領域がないということだ。...首都圏の上空全域が他国に支配されているのだから、もちろん主権もない。⇒ 日本は独立国家ではないということになる。

〔※う~ん、当方、「将来的には、国境などというものは無くなった方がいい...」などと呑気に考えていたが、歴史的現実というものは、そう単純ではない...?〕

○「バックドア」から出入りするCIAの工作員

・この問題に関連してもう一つ、非常に重要な事実がある。...それは米軍基地を通って日本に自由に出入りするアメリカ人の中に、数多くのCIAの工作員が含まれているということ。
「数多くのアメリカの諜報活動機関の要員が、なんの妨げも受けず日本中で活動している」(既述の大統領特別補佐官への秘密報告書の⑤)...これは驚くべきことではないのか。→ こうした権利も、1960年の密約によって、現在までなにも変わらず受け継がれている。

・現在でも米軍やCIAの関係者は直接、横田基地や横須賀基地にやってきて、そこから都心(青山公園内の「六本木ヘリポート」)にヘリで向かう。さらに六本木ヘリポートから、日米合同委員会の開かれる「ニューサンノー米軍センター」(米軍専用のホテル兼会議場)やアメリカ大使館までは、車で5分程度で移動することができる。←→ それでも日本政府はなんの抗議もしないわけだ(P77に地図や写真あり)。

〔※このことはうかつにも、この本を読むまでまったく知らなかった...。米軍関係者やCIA要員は、なんのチェックも受けずに(バックドア)日本国内に自由に出入りしている...!〕

・先にふれたスノーデン事件のとき、電話を盗聴された各国(ドイツやフランス、ブラジルなど)の首脳たちが、アメリカ政府に激しく抗議する中、日本の小野寺防衛大臣だけは、「そのような報道は信じたくない」...と、ただ述べるだけだった(※この小野寺氏が最近また防衛大臣に復帰した...)。...日本の「バックドア」は情報空間だけでなく、首都圏上空や米軍基地という物理空間にも設けられている。→ そのことを考えると、いまさらそんな盗聴レベルの問題について抗議しても、確かに意味はない。そう答えるしかなかったのだろう。

〔※う~ん、まさに〝属国日本〟...!〕

○外国軍が駐留している国は独立国ではない

・六本木というのは東京の都心中の都心だ。そこに「六本木ヘリポート」というバックドアがあり、CIAの工作員が何人でも自由に入国し、活動することができる。→ そしてそれらの米軍施設はすべて治外法権になっており、沖縄や横須賀や岩国と同じく、米軍関係者が施設外で女性をレイプしても、施設内に逃げ込めば基本的に逮捕できない。...これは間違いなく、占領状態の延長だ。

・「外国軍が駐留している国は独立国ではない」という事実......これは「本土の日本人以外、世界中の人が知っていること」だ。→ だからみんな必死になって外国軍を追い出そうとする。...フィリピン(後述)やイラクがそう。...フィリピンは憲法改正によって1992年に米軍を完全撤退させた。...イラクも、あれほどボロ負けしたイラク戦争からわずか8年で、米軍を完全撤退させた(詳細はP79)。...(元外交官の孫崎享によれば)実はベトナムもそう...ベトナム戦争というのは視点を変えて見ると、ベトナム国内から米軍を追い出すための壮大な戦いだった。→ つまり、占領軍がそのまま居すわったら、独立国ではなくなる...これが国際標準の常識なのだと思う。

〔※昨日ラジオで、右派系の経済評論家が...フィリピンは米軍基地をなくしたから、南沙諸島で中国から侵略されつつある...という意味の発言をしていた...〕

○三つの裏マニュアル

・このように「戦後日本」という国は、占領終結後も国内に無制限で外国軍(米軍)の駐留を認め、軍事・外交面での主権をほぼ放棄することになった。...もちろんそのようにアメリカに従うことで、大きな経済的利益を手にしたことも事実だ〔※やはり「対米従属」の容認は、この「大きな経済的利益」が、国民レベルでもいちばん大きいのか...〕。...また、東西冷戦構造が存在した時代は、その矛盾も今ほど目立つことはなかった。

・しかし冷戦が終わった今、国内(決して沖縄だけではない)に巨大な外国軍の駐留を認め、その軍隊に無制限に近い行動の自由を許可するなどということは、どう考えても不可能になっている。→ 辺野古の新基地建設やオスプレイの問題によく表れているように、どうやっても解決不能な問題が生まれてしまう。...なぜなら、「自国内の外国軍に、ほとんど無制限に近い行動の自由を許可すること」と、「民主的な法治国家であること」は、絶対に両立しないからだ。

〔※う~ん、だから「日米安保法体系」を守りたい勢力は、「北朝鮮危機」を煽って(利用して)、再び〝東西冷戦状態〟に引き戻そう、としているのか...?〕

・その大きな矛盾を隠すために、「戦後日本」という国は、国家のもっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とするようになった。...できた順番で紹介すると、

①最高裁の「部外秘資料」(1952年9月:正式名称は「日米行政協定に伴う民事及び刑事特別法関係資料」最高裁判所事務総局 編集・発行)
②検察の「実務資料」(正式名称は「外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資料」1954年10月 →「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権実務資料」1972年3月 法務省刑事局 作成・発行)
③外務省の「日米地位協定の考え方」(1973年4月 正式名称同じ。外務省条約局 作成)

......これらはいずれも、独立した法治国家であるはずの日本国内で、米軍及び米兵に事実上の「治外法権」を与えるためにつくられた裏マニュアル...(三つとも、日米合同委員会における非公開の「合意議事録」の事例をマニュアル化する形でまとめられたもの)。
(参考資料:『密約―日米地位協定と米兵犯罪』吉田敏浩 毎日新聞社、『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛 編著 創元社)

〔※う~ん、これらの事実は、日本の司法・行政府のあまりに非民主的な〝隠蔽体質〟の根っこにあるもの...と考えると、「様々な謎」が解けるような気がする...〕

○殺人者を無罪にする役所間の連係プレー

・例えば在日米軍の兵士が重大な犯罪を犯すとする。→ すると、その扱いをめぐって、日本のエリート官僚と在日米軍高官(※アメリカ側は軍人か...)をメンバーとする日米合同委員会で非公開の協議が行われる。

・実際に21歳の米兵が、46歳の日本人主婦を遊び半分に射殺した「ジラード事件」(1957年 群馬県)では、その日米合同委員会での秘密合意事項として、「(日本の検察が)ジラードを殺人罪ではなく、傷害致死罪で起訴すること」「日本側が、日本の訴訟代理人(検察庁)を通じて、日本の裁判所に対し判決を可能な限り軽くするように勧告すること」...が合意されたことが分かっている。(『秘密のファイル』春名幹男 共同通信社)

・つまり、米軍と日本の官僚の代表が非公開で協議し、そこで決定された方針が法務省経由で検察庁に伝えられる。→ 報告を受けた検察庁は、自らが軽めの求刑をすると同時に、裁判所に対しても軽めの判決をするように働きかける。→ 裁判所はその働きかけ通りに、あり得ないほど軽い判決を出すという流れ...。

〔※う~ん、民主主義の「三権分立」はどこへ行った...?〕

・ジラード事件のケースでいうと、遊び半分で日本人女性を射殺したにもかかわらず、検察は秘密合意に従い、ジラードを殺人罪ではなく傷害致死罪で起訴し、「懲役5年」という異常に軽い求刑をした。→ それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役3年、執行猶予4年」という、さらに異常なほど軽い判決を出す。→ そして検察が控訴せず、そのまま「執行猶予」が確定。→ 判決の2週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められた。...「アメリカとの協議(外務省)→ 異常に軽い求刑(法務省→検察庁)→ 異常に軽い判決(地方裁判所)→ アメリカへの帰国」...という役所間の連係プレーによって、明らかな殺人犯に対し事実上の無罪判決が実現した。

〔※う~ん、まさに〝属国日本〟...というより〝植民地・日本〟...!〕

○日本のエリート官僚が、ウラ側の法体系と一体化してしまった

・(1章で触れた)砂川裁判でも、米軍基地の違憲判決(東京地裁・伊達判決)を受け、それを早急に覆そうと考えた駐日アメリカ大使が日本に対して、東京高裁を飛び越して最高裁に上告せよ、そしてなるべく早く逆転判決を出せ、と求めている。

〔※う~ん、アメリカの圧力による、結果ありきの裁判か...〕

・「駐日アメリカ大使」(D・マッカーサー2世)→「外務省」(藤山愛一郎)→「日本政府」(岸信介)→「法務省」(愛知揆一)→「最高裁」(田中耕太郎)...という裏側の権力チャンネルで、アメリカ側の「要望」が最高裁に伝えられた。
→ 先に触れた三つの裏マニュアルは、こうしたウラ側での権力行使(方針決定)を、オモテ側の日本国憲法・法体系の中にどうやって位置づけるか、また位置づけたふりをするかという目的のためにつくられたものなのだ。

〔※う~ん、尊敬するオジイチャンも関わってきた、こうした戦後日本の「ウラ側の構造」を、孫のアベちゃんが批判できるわけないか...〕

・この米軍基地問題に関して繰り返されるようになった「ウラ側での権力行使」には、さらに大きな副作用があった。→ つまり、こうした形で司法への違法な介入が繰り返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまったのだ。...それはある意味当然で、(一般の人たちがオモテ側の法体系に基づいていくら議論したり、その結果、ある方向に物事が動いているように見えたとしても)最後にはそれがひっくり返ることを、彼らエリート官僚たちはよく知っている。

〔※う~ん、それがあの「いかにも国会を軽視したような」官僚たちの答弁態度にも表れているのか...〕

・ウラ側の法体系を無視した鳩山政権(当時は国民から圧倒的な支持があった)が9ヵ月で崩壊し、官僚の言いなりに振る舞った野田政権(野田が首相になるなどと誰も思わなかった)が1年4ヵ月続いたことがその良い例。...それは、米軍関係者からの評価が非常に高かったから。

〔※う~ん、説得力あり...〕

・(1章の最後で)日米合同委員会のメンバーとなったエリート官僚の出世について触れたが、そのように歴代の検事総長を含む、日本のキャリア官僚の中でも正真正銘のトップクラスの人たちが、この日米合同委員会という「米軍・官僚共同体」のメンバーとなることで、ウラ側の法体系と一体化してしまった。そして、すでに60年が経ってしまった。→ その結果、日本の高級官僚たちの国内法の軽視は、ついに行き着くところまで行き着いてしまったのだ。

〔※う~ん、このことが昨今の官僚や政治家たちのテイタラクの原因か...。→ まさに〝戦後史の正体〟...〕

○「統治行為論」と「裁量行為論」と「第三者行為論」

・ここで福島の問題に戻ってくる。...原発の問題を考える場合も、このウラ側の法体系を常に考慮しておく必要があるから。→ 注意すべきは、砂川裁判で最高裁が「憲法判断をしない」としたのが、(「安保条約」そのものではなく)「安保条約のようなわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度な政治性を有する問題」という曖昧な定義になっているところだ。

・だから少なくとも「国家レベルの安全保障」については、最高裁が絶対に憲法判断をせず、その分野(※米軍基地とか原発とか)に法的コントロールが及ばないことは確定している。→ おそらく2012年6月27日に改正された「原子力基本法」に...「前項〔=原子力利用〕の安全の確保については、わが国の安全保障に資する〔=役立つ〕ことを目的として、行なうものとする」(第2条2項)...という条文がこっそり入った(※官僚の得意技?)のもそのせいだろう。→ この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は(※「国家レベルの安全保障」の問題として)、すべて法的コントロールの枠外へ移行することになる。...どんなにめちゃくちゃなことをやっても憲法判断ができず、実行者を罰することができないから。

・36年前の1978年、愛媛県の伊方原発訴訟(建設予定の原発の安全性が争点)の一審判決で、柏木賢吉裁判長はすでに...「原子炉の設置は国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は周辺の住民との関係でも国の裁量行為に属する」...と述べていた。→ さらに同裁判の1992年の最高裁判決では...「〔原発の安全性の審査は〕原子力工学はもとより、多方面にわたるきわめて高度な最新の科学的、専門技術的知見にもとづく意見を尊重しておこなう内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる」のが相当であると述べていた。

・(1章の)田中耕太郎長官による最高裁判決とまったく同じであることが分かる。...三権分立の立場からアメリカや行政の間違いに歯止めをかけようという姿勢はどこにもなく、アメリカや行政の判断に対し、ただ無条件で従っているだけだ。

〔※要するに司法の行政府(アメリカ)への丸投げ...「三権分立」の放棄...〕

・田中耕太郎判決は「統治行為論」、柏木賢吉判決は「裁量行為論」、米軍機の騒音訴訟は「第三者行為論」...と呼ばれるが、すべて内容は同じ。→ こうした「法理論」の行き着く先は、
「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかねず」「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」(小林節『政治問題の法理』日本評論社より)。
...まったくその通りのことを、過去半世紀にわたって日本の裁判所はやり続けているのだ。

・また、そうした判決に向けて圧力をかけているのが、おそらく既述の「裏マニュアル①」をつくった最高裁事務総局であることは、すでに複数の識者から指摘されている。...裁判所の人事や予算を一手に握るこの組織が、「裁判官会同」や「裁判官協議会」という名目のもとに会議を開いて裁判官を集め、事実上、自分たちが出したい判決の方向へ裁判官たちを誘導している事実が報告されているから。

・こうして駐日アメリカ大使と日本の最高裁が米軍基地問題に関して編み出した、「統治行為論」という「日本の憲法を機能停止に追い込むための法的トリック」を、日本の行政官僚や司法官僚たちが基地以外の問題にも使い始めるようになってしまった。→ 官僚たちが「わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ」と考える問題については、自由に治外法権状態を設定できるような法的構造が生まれてしまった。→ その行き着いた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被曝し続ける中での原発再稼働という、狂気の政策なのだ。

〔※そう言えば「安保法制」のときも、「わが国の存立の基礎にきわめて重大な...」という文言が飛び交っていたが、今の「北朝鮮危機」にも同様に、この常套句が盛んに飛び交っているようだが...〕

○「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」

・次の条文は、悪名高きナチスの全権委任法の第2条...「ドイツ政府によって制定された法律は、国会及び第二院の制度そのものに関わるものでない限り、憲法に違反することができる」〔※すごい法律だ!〕...この法律の制定によって、当時、世界でもっとも民主的な憲法だったワイマール憲法はその機能を停止し、ドイツの議会制民主主義と立憲主義も消滅したとされる。→ その後のドイツは民主主義国家でも、法治国家でもなくなってしまった。

・「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」...これをやったら、どんな国でも滅ぶに決まっている。←→ しかし日本の場合はすでに見たように、米軍基地問題をきっかけに、憲法が機能停止状態に追い込まれ、「アメリカの意向」をバックにした官僚たちが平然と憲法違反を繰り返すようになった。...言うまでもなく憲法とは、主権者である国民から政府への命令、官僚をしばる鎖。←→ それがまったく機能しなくなってしまったのだ。

・「『法律が憲法に違反できる』というような法律は、今はどんな独裁国家にも存在しない」というのが、世界の法学における定説だろう。←→ しかし、現在の日本における現実は、ナチスよりひどい。→ 法律どころか、「官僚が自分たちでつくった政令や省令」でさえ、憲法に違反できる状況になっているのだ。

〔※う~ん、ナチスよりひどいのか...麻生さんもびっくり...?〕

○放射性物質は汚染防止法の適用除外! 

・そうした驚くべき現実を、明確な形で思い知らされることになったのが、福島原発事故に関して損害賠償請求の裁判を行った被災者たちだった。

・(ひとつの例)...2011年8月、福島第一原発から45キロ離れた名門ゴルフ場が、コース内の放射能汚染がひどく営業停止に追い込まれたため、放射能の除染を求めて東京電力を訴えた。→ この裁判で東京電力側の弁護士は驚愕の主張をした。...「福島原発の敷地から外に出た放射性物質は、すでに東京電力の所有物ではない『無主物』である。従って東京電力にゴルフ場の除染の義務はない」...。→ 東京地裁は、(さすがに東京電力側の主張は採用しなかったものの)「除染方法や廃棄物処理のあり方が確立していない」という、わけのわからない理由をあげ、東電に放射性物質の除去を命じることはできない、としたのだ。

・この判決を報じた本土のメディアは、東電側の弁護士が目くらましで使った「無主物(誰のものでもないもの)」という法律用語に幻惑され、ただ戸惑うだけだった。←→ しかし沖縄の基地問題を知っている人なら、すぐにピンとくるはずだ。→ こうしたおかしな判決が出るときは、その裏に必ずなにか別のロジックが隠されているのだ。...(既述したとおり)砂川裁判における「統治行為論」、伊方原発訴訟における「裁量行為論」、米軍機騒音訴訟における「第三者行為論」など、後になってわかったのは、それらはすべて素人の目をごまかすための無意味なブラックボックスでしかなかったということだ。

〔※う~ん、確かに沖縄と福島とはつながっている...〕

・原発災害についても、調べてみてわかったことは...(1章で既述したように)米軍機が航空法の適用除外になっているため、どんな「違法な」飛行をしても罰せられない仕組みになっているが〔※特別法の罠!〕、まったく同じだったのだ。→ 日本には、汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのだ!

「大気汚染防止法(27条1項)...この法律の規定は、放射性物質による大気汚染およびその防止については適用しない」
「土壌汚染対策法(2条1項)...この法律において『特定有害物質』とは、鉛、ヒ素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)であって(略)」
「水質汚濁防止法(23条1項)...この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁およびその防止については適用しない」

・そしてここが一番のトリックなのだが...環境基本法(13条)の中で、そうした放射性物質による各種汚染の防止については「原子力基本法その他の関係法律で定める」としておきながら、実はなにも定めていないのだ。

(ひとつの例)...福島の農民Aさんが汚染の被害を訴えに行ったとき、環境省の担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠にして...「当省としては、このたびの放射性物質の放出に違法性はないと認識している」と言われた...。

・これでゴルフ場汚染裁判における弁護士の不可解な主張の意味がわかる。→ いくらゴルフ場を汚しても、法的には汚染じゃないから(※法律で放射性物質は適用除外されているから)、除染も賠償もする義務がないのだ。...家や畑や海や大気も同じだ。→ (ただそれを正直に言うと暴動が起きるので)いまは「原子力損害賠償紛争解決センター」という目くらましの機関をつくって、加害者側のふところが痛まない程度のお金を、勝手に金額を決めて支払い、賠償する振りをしているだけなのだ。

〔※まさに「日本死ね!」と言いたいところか...〕

○法律が改正されても続く「放射性物質の適用除外」

・その後、福島原発事故から1年3ヵ月経って、さすがに放射能汚染の適用除外については、法律の改正が行われた。→ しかし結果としては何も変わっていない(変えたように見せかけて、実態は変えない、官僚のテクニック)...(詳細はP92~93)。

・だからこうした問題について、いくら市民や弁護士が訴訟をしても、現在の法的構造の中では絶対に勝てない。→ ここまで何度も述べたように、砂川裁判最高裁判決(※その実態はアメリカの意向!)によって、安全保障に関する問題には法的なコントロールが及ばないことが確定している。...簡単に言うと、大気や水の放射能汚染の問題は、震災前は「汚染防止法の適用除外」によって免罪され、震災後は「統治行為論」によって免罪されることになったわけだ。→ このように現在の日本では、官僚たちが自らのサジ加減ひとつで、国民への人権侵害を自由に合法化できる法的構造が存在しているのだ。

○「なにが必要かは政府が決める。そう法律に書いてあるでしょう!」

・「神は細部に宿る」と言うが、物事の本質は、それほど大きくない出来事の中に象徴的にあらわれることがある。→ 今回、福島での人権侵害に関して象徴的だと思ったのは、「原発事故 子ども・被災者支援法」をめぐる官僚の発言。

・この法律は、2012年6月に超党派の議員立法によって全会一致で可決されたが、子どもを被曝から守るために自主的に避難した福島県の住民や、(それまで国による支援がほとんどなかった)福島県外の汚染地域の住民なども対象とする支援法だったため、成立当初は大きな期待を集めていた。←→ ところが日本政府は、それから1年以上この法律を「店ざらし」にし、なに一つ具体的な行動をとらなかった。

・そうした中、この法案を支援する国会議員たちの会合の席上で、立法の趣旨に基づき、基本方針案を作成する前に被災者に対する意見聴取会を開催すべきだという議員の主張に対して、復興庁の水野靖久参事官が...「そもそも法律をちゃんと読んでください。政府は必要な措置を講じる。何が必要かは政府が決める。そう法律に書いてあるでしょう!」...と強い口調で言い放った。

・これほど今の日本の官僚や政府の実態をあらわした言葉はない。近代社会の基本的仕組みをまったく理解していない。...国民はもちろん、その代表として法案を作成した国会議員さえ、すべて自分たちの判断に従うべきだと考えているのだ。...これこそ「統治行為論」の本質だ。→ これでは国民の人権など、守られるはずもない。

○日米原子力協定の「仕組み」

・その後調べると、日米原子力協定という日米間の協定があって、これが日米地位協定とそっくりな法的構造をもっていることが分かった。→ つまり「廃炉」とか「脱原発」とか「卒原発」とか、日本の政治家がいくら言ったって、米軍基地の問題と同じで、日本側だけでは何も決められないようになっているのだ。...(条文を詳しく分析した専門家に言わせると)アメリカ側の了承なしに日本側だけで決めていいのは電気料金だけだそう...。

・そっくりな法的構造というのは、例えば......日米地位協定には、日本政府が要請すれば、日米両政府は米軍の基地の使用について再検討し、その上で基地の返還に「合意することができる(may agree)」と書いてある。...一見よさそうな内容に見えるが、法律用語で「できる(may)というのは、やらなくてもいいという意味。→ だからこの条文の意味は、「どれだけ重大な問題があっても、アメリカ政府の許可なしには、基地は絶対に日本に返還されない」ということなのだ。

・一方、日米原子力協定では、多くの条文に関し、「日米両政府は○○しなければならない(the parties shall...)」と書かれている。...「しなければならない(shall)」はもちろん法律用語で義務を意味する。

「(第12条4項)...どちらか一方の国がこの協定のもとでの協力を停止したり、協定を終了させたり、〔核物質などの〕返還を要求するための行動をとる前に、日米両政府は、是正措置をとるために協議しなければならない(shall consult)。そして要請された場合には他の適当な取り決めを結ぶことの必要性を考慮しつつ、その行動の経済的影響を慎重に検討しなければならない(shall carefully consider)」

→ つまり「アメリカの了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない」ような取り決めになっているのだ。

・さらに日米原子力協定には、日米地位協定にもない、次のようなとんでもない条文がある。
「(第16条3項)...いかなる理由によるこの協定またはそのもとでの協力の停止または終了の後においても、1条、2条4項、3条~9条、11条、12条および14条の規定は、適用可能なかぎり引き続き効力を有する」

→ もう笑うしかない。...それら重要な取り決めのほぼすべてが、協定の終了後も「引き続き効力を有する」ことになっている。...こんな国家間の協定が、地球上でほかに存在するだろうか。→ もちろんこうした正規の条文以外にも、(日米地位協定についての長年の研究で分かっているような)密約も数多く結ばれているはずだ。

・問題は、こうした協定上の力関係を、日本側からひっくり返す武器が何もない、ということなのだ。(これまで説明してきたような)法的構造の中で、憲法の機能が停止している状態では...。→ だから日本の政治家が「廃炉」とか「脱原発」とかの公約を掲げて、もし万一、選挙に勝って首相になったとしても、彼には何も決められない。→ 無理に変えようとすると鳩山元首相と同じ、必ず失脚する。...法的構造がそうなっているのだ。

〔※多くの官僚たちは、国民の方ではなく、この法的構造の方を向いて仕事をし、そして出世していく...〕

○なぜ「原発稼働ゼロ政策」はつぶされたのか

・事実、野田首相は2012年9月、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指すエネルギー戦略をまとめ、閣議決定しようとした。→ 外務省の藤崎一郎駐米大使が、アメリカのエネルギー省のポネマン副長官と9月5日に、国家安全保障会議のフロマン補佐官と翌6日に面会し、政府の方針を説明したところ、「強い懸念」を表明され、→ その結果、閣議決定を見送らざるを得なくなってしまった(同月19日)。

・これは鳩山内閣における辺野古への米軍基地「移設」問題とまったく同じ構造。→ このとき、もし野田首相が、(鳩山首相が辺野古問題で頑張ったように)「いや、政治生命をかけて2030年代の稼働ゼロを閣議決定します」と主張したら、すぐに「アメリカの意向をバックにした日本の官僚たち」によって、政権の座から引きずり降ろされたことだろう。

・いくら日本の国民や、国民が選んだ首相が「原発を止める」という決断をしても、外務官僚とアメリカ政府高官が話をして、「無理です」という結論が出れば撤回せざるを得ない。→ たった2日間(2012年9月5、6日)の「儀式」によって、アッという間に首相の決断が覆されてしまう。......日米原子力協定という「日本国憲法の上位法」にもとづき、日本政府の行動を許可する権限を持っているのは、アメリカ政府と外務省だから...。

・(本章の冒頭で、原発を「動かそうとする」主犯探しはしないと書いたが)「止められない」ほうの主犯は、明らかにこの法的構造にある。

〔*著者註...これが儀式だったという理由は、もともとアメリカのエネルギー省というのは、前身である原子力委員会から原子力規制委員会を切り離して生まれた、核兵器および原発の推進派の牙城だから。→ こんなところに「原発ゼロ政策」を持っていくのは(アメリカの軍部に「米軍基地ゼロ政策」を持っていくのと同じで)、「強い懸念」を表明されるに決まっている。...最初から拒否される筋書きができていたと考えるほうが自然だ。→ 事実、一週間後に今度は大串博志(内閣府大臣政務官)たちが訪米したが、脱原発政策への理解はやはりまったく得られず、逆に、非常に危険な「プルサーマル発電の再開」を国民の知らない密約として結ばされる結果となった。→ 今後、この「対米密約」に従って、泊(北海道電力)、川内、玄海(九州電力)、伊方(四国電力)、高浜(関西電力)などで、危険なプルサーマル型の原発が次々に再稼働されていく恐れが高まっている。〕

(※う~ん、この予想通りに事は進んでいるように見える...詳細はP97~99)

○「原発がどんなものか知ってほしい」

・日本の原子力政策が非常に危険な体質をもっていることは、なにも福島の事故で初めて分かったわけではない。→ 早くからその危険性を内部告発していた一つの手記を紹介しておきたい。

・それは平井憲夫さんという、約20年にわたって福島、浜岡、東海などで14基の原発建設を手がけた現場監督で、「原発がどんなものか知ってほしい」という手記。

「電力会社は、原発で働く作業員に対し、『原発は絶対に安全だ』という洗脳教育を行っている。私もそれを20年間やってきた。...(作業員に放射能の危険について教えず)何人殺したか分からないと思っている」「現実に原発の事故は日本全国で毎日のように起こっている。ただ政府や電力会社がそれを『事故(アクシデント)』とは呼ばずに、『事象(インシデント)』と呼んでごまかしているだけだ」「中でも1989年に福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった事故と、1991年2月に美浜原発で細管が破断した事故は、世界的な大事故だった」「美浜の事故は、多重防護の安全システムが次々と効かなくなり...チェルノブイリ級の大事故になるところだった。だが土曜日だったのに、たまたまベテランの職員が出社していて、とっさの判断でECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして止めた」「すでに熟練の職員は原発の建設現場からいなくなっており、作業員の98%は経験のない素人だ。だから老朽化原発も危ないが、新しい原発も同じくらい危ない」

・このきわめて貴重な現場からの証言を残した後、平井さんは長年の被曝によるガンのため、1997年に死去された。まだ58歳という若さだった。ネット上にその手記の全文が公開されている。(http://www.jam-t.jp/HIRAI/)

○悪の凡庸さについて

・2014年の東京では、『ハンナ・アーレント』というドイツ映画が予想外のヒットを続けている。...この映画の主人公は、エルサレムで1961年に始まったナチスの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、問題作『エルサレムのアイヒマン―悪の凡庸さについての報告』にまとめた有名な女性哲学者。

・大きな議論を呼んだそのレポートの結論......ナチスによるユダヤ人大量虐殺を指揮したアイヒマンとは、「平凡で小心な、ごく普通の小役人」にすぎなかった、しかしそのアイヒマンの「完全な無思想性」と、ナチスに存在した「民衆を屈服させるメカニズム」が、この空前の犯罪を生んでしまったのだ...という告発に、多くの日本人は、現在の自分たちの状況に通じる気味の悪さを感じているのだと思う。

・アーレントが問いかけたきわめて素朴で本質的な疑問、つまり大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人たちは...
「なぜ時間どおりに指示された場所に集まり、おとなしく収容所へ向かう汽車に乗ったのか」「なぜ抗議の声をあげず、処刑の場所へ行って自分の墓穴を掘り、裸になって服をきれいにたたんで積み上げ、射殺されるために整然と並んで横たわったのか」「なぜ自分たちが1万5000人いて、監視兵が数百人しかいなかったとき、死にものぐるいで彼らに襲いかからなかったのか」...。

・それらはいずれも、まさに現在の日本人自身が問われている問題だと言える...
「なぜ自分たちは、人類史上最悪の原発事故を起こした政党(自民党)の責任を問わず、翌年(2012年)の選挙で大勝させてしまったのか」「なぜ自分たちは、子どもたちの健康被害に眼をつぶり、被曝した土地に被害者を帰還させ、いままた原発の再稼働を容認しようとしているのか」「なぜ自分たちは、そのような『民衆を屈服させるメカニズム』について真正面から議論せず、韓国や中国といった近隣諸国ばかりをヒステリックに攻撃しているのか(※今はそこに「北朝鮮」も加わった...)」......そのことについて、歴史をさかのぼり本質的な議論をしなければならない時期にきているのだ。

〔※ここまで、「沖縄の謎」と「福島の謎」をたどってきたが、戦後史の背後にひそむ「大きな謎」=「戦後日本の正体」が、かなりの部分、見えてきたように感じている。...だが、予想外の速さで、こちらの遅々とした牛歩の歩みなど吹き飛ばしてしまうような、世界の政治状況の激動が迫りつつあるようにも見える...〕
                               (9/15...2章 了)

〔次回の(3)は......【3章】安保村の謎①―昭和天皇と日本国憲法......の予定です。
 → 10月中の完成を目指します。〕
                                   (2017.9.15)




2017年8月25日金曜日

(震災レポート41) 震災レポート・戦後日本編(1)―[対米従属論 ①]


(震災レポート41)  震災レポート・戦後日本編(1)―[対米従属論 ①]
               
中島暁夫


 歯の具合が悪くなったこと(老化現象?)をきっかけにして、歯の治療と、意外に奥が深い「歯の世界」…〔日本の戦後社会に、「原発の安全神話」だけでなく、「歯みがき神話」もあった!…『歯はみがいてはいけない』森昭(講談社+α新書)等より〕…にはまり込んでしまって、まただいぶ間が空いてしまった。
 今回からは(前回の予告どおり)「原発問題」から敷衍して、〝戦後日本の真実〟に少しでも迫っていきたい。
                                         


『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 

矢部宏治 集英社インターナショナル 2014.10.29(2015.7.6 9刷!)――(1)


〔著者は1960年生まれ。慶応大学文学部卒。博報堂を経て、1987年より書籍情報社代表。…著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』、共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』など。〕



【はじめに】


・3・11以降、日本人は「大きな謎」を解くための旅をしている。……なぜ、これほど巨大な事故が日本で起こってしまったのか。…なぜ、事故の責任者はだれも罪に問われず、被害者は正当な補償を受けられないのか。…なぜ、東大教授や大手マスコミは、これまで「原発は絶対安全だ」と言い続けてきたのか。…なぜ、事故の結果、ドイツやイタリアでは(※最近では台湾や韓国も)原発廃止が決まったのに、当事国である日本では再稼働が始まろうとしているのか。…そしてなぜ、福島の子どもたちを中心にあきらかな健康被害が起きているのに、政府や医療関係者たちはそれを無視し続けているのか。……本書はそうした様々な謎を解くカギを、敗戦直後まで遡る日本の戦後史の中に求めようとする試みだ。

・私は2010年から沖縄の米軍基地問題を調べ始め、その後、東京で東日本大震災に遭遇し、福島の原発災害問題にも直面することになった。→ 沖縄の米軍基地問題の取材は、まさに驚きの連続…つい最近まで誇りに思っていた日本という国の根幹が、すっかりおかしくなっていることを痛感させられる結果となった。

・その一方で、うれしい発見もあった。この数年の間に、数多くの尊敬すべき人たちと出会うことができたから。…立場は様々だが、皆それぞれのやり方で、この「大きな謎」を解くための旅を続けている人たちだ。そういう人たちは、日本全国に、いろいろな分野にいる。

・いま、私たち日本人が直面している問題は、あまりにも巨大で、その背後にひそむ闇も限りなく深い。うまく目的地にたどり着けるか、正直わからない。…ただ自分たちには、崩壊し始めた「戦後日本」という巨大な社会を少しでも争いや流血なく(※ソフト・ランディング)次の時代に移行させていく義務がある。…おそらくそれが、「大きな謎」を解くための旅をしている人たちの、共通した認識だと思う。私もまた、そういう思いでこの本を書いた。本書がみなさんにとって、そうした旅に出るきっかけとなってくれることを、心から願っている。


【1章】沖縄の謎―基地と憲法


○沖縄で見た、日本という国の現実


・(1945年4月に米軍が上陸した海岸のすぐ近くに)有名な普天間基地があるが、その周辺の美しい景色の中を、もう陸上・海上関係なく、米軍機がブンブン飛び回っているのが見える(P7,8に写真あり)。→ 米軍の飛行機は(沖縄だけでなく)日本の上空をどんな高さで飛んでもいいことになっている。(沖縄以外の土地ではそれほどあからさまに住宅地を低空飛行したりしないが)やろうと思えばどんな飛び方もできる。そういう法的権利を持っているからだ。

・でもそんな米軍機が、そこだけは絶対に飛ばない場所がある。米軍関係者の住宅エリアだ(P8に写真あり)。…こうしたアメリカ人が住んでいる住宅の上では絶対に低空飛行訓練をしない。…なぜか? もちろん、墜落したときに危ないからだ。→ この事実を知ったとき、私は自分が生まれ育った日本という国について、これまで何も知らなかったのだということが分かった。今からわずか4年前の話だ。


○米軍機はどこを飛んでいるのか


・米軍機は、沖縄という同じ島の中で、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれども、日本人の家の上は平気で低空飛行する(P10に米軍機の訓練ルートの図あり)。→ つまり彼らは、アメリカ人の生命や安全についてはちゃんと考えているが、日本人の生命や安全についてはいっさい気にかけていないということだ。…こいつらは日本人を人間扱いしていないんじゃないか…。→ しかし少し事情が分かってくると、それほど単純な話ではない。むしろ日本側に大きな問題があることが分かってくる。

・アメリカでは法律によって、米軍機がアメリカ人の住む家の上を低空飛行することは厳重に規制されている(詳細はP11~12)。→ それを海外においても自国民には同じ基準で適用しているだけだから、アメリカ側から見れば、沖縄で米軍住宅の上空を避けて飛ぶことはきわめて当然の話…。→ だから問題は、その「アメリカ人並みの基準」を日本国民に適用することを求めず、自国民への人権侵害をそのまま放置している日本政府にある、ということになる。…いったいなぜ、このような信じられない飛行訓練が放置されているのか。


○「日本の政治家や官僚には、インテグリティがない」


・強い国の言うことはなんでも聞く。相手が自国では絶対にできないようなことでも、原理原則なく受け入れる。←→ その一方、自分たちが本来保護すべき国民の人権は守らない。…そういう人間の態度を一番嫌うのが、実はアメリカ人という人たち。→ だから心の中ではそうした日本側の態度を非常に軽蔑している。…(著者の友人で、新聞社に勤めるアメリカ人は)こうした日本の政治家や官僚の態度について、「インテグリティ(integrity)がない」(「人格上の統合性、首尾一貫性」がない)と表現している。

・倫理的な原理原則がしっかりしていて、強いものから言われたからといって自分の立場を変えない。また自分の利益になるからといって、いい加減なウソをつかない。ポジショントークをしない。…そうした人間のことを「インテグリティがある人」と言って、人格的に最高の評価を与える(「高潔で清廉な人」といったイメージ)。←→ 一方、「インテグリティがない人」と言われると、それは人格の完全否定になるそう。→ だから、こうした状態をただ放置している日本の政治家や官僚たちは、実はアメリカ人の交渉担当者たちから、心の底から軽蔑されている…そういった証言がいくつもある。…

(※う~ん、こういう「インテグリティのなさ」というのは、なにも「対米問題」だけの事柄ではなく、昨今の様々な国内政治の在り様を見ていても、かなり根の深いものがある…ex. 直近では、「森・加計」問題における政府側の対応と、それに加担する一部マスコミの在り様…)


○2010年6月、鳩山・民主党政権の崩壊


・政治は結果責任だという考え方からすれば、鳩山民主党政権は、非常に低い評価しか与えられないだろう。…しかし2009年の8月、多くの日本人が、さすがに自分たちはもう変わらなければいけないと思った。

・戦後ずっと、日本はかなりうまくやってきた。アメリカの弟分としてふるまうことで、敗戦国から世界第二位の経済大国にまで上りつめた。→ しかしそのやり方が、さすがに限界にきてしまった。…多くの人がそう思ったのではないか。だから戦後初の本格的な政権交代が起こった。→ 日本が変わるべきときに、変わるべき方向を示してくれるんじゃないか。…当時はそういう大きな期待を集めた政権だった。


○本当の権力の所在はどこなのか


・民主党は、2009年9月に政権交代する前も後も、国策捜査によって検察から攻撃を受けていた(いわゆる「小沢事件」…詳細はP17)。→ 検察からリークを受けた大手メディアも、それに足並みをそろえた。…この時点で、日本の本当の権力の所在が、(オモテの政権とはまったく関係のない)「どこか別の場所」にあることが、かなり露骨な形で明らかになった。


○官僚たちが忠誠を誓っていた「首相以外のなにか」とは?


・そして最終的に鳩山政権を崩壊させたのは、米軍・普天間基地の、県外または国外への「移設」問題だった。…(外務省自身が「パンドラの箱」と呼ぶ)米軍基地の問題に手をつけ、あっけなく政権が崩壊してしまった。

・重要なのは、「戦後初めて本格的な政権交代を成し遂げた首相が、だれが見ても危険な外国軍基地をたった一つ、県外または国外へ動かそうとしたら、大騒ぎになって失脚してしまった」という事実。…そのとき外務官僚・防衛官僚たちが真正面から堂々と反旗をひるがえした。つまり官僚たちは、正当な選挙で選ばれた首相・鳩山ではない「別のなにか」に対して忠誠を誓っていた。〔鳩山の証言およびウィキリークス(機密情報の暴露サイト)のアメリカ政府の公文書より…詳細はP18~19〕…(※要するに、官僚たちの自発的「対米従属」)


○昔の自民党は「対米従属路線」以外は、かなりいいところがあった


・自民党は1955年の結党当初から、CIAによる巨額の資金援助を受けていた(2006年にアメリカ国務省も認めている)。…その一方で、CIAは、社会党内の右派に対しても資金を出して分裂させ、民社党を結成させて左派勢力の力を弱めるという工作もおこなっていた。

(※う~ん、こういう事実が明らかになっても、何らかの「説明責任」を果たしたということを聞いたことがないが…? → 結局これも、「戦争責任」をウヤムヤにしてしまったツケか…?)

・つまり「冷戦」と呼ばれる東西対立構造のなか、日本に巨大な米軍を配備しつづけ、「反共の防波堤」とする。←→ その代わりに様々な保護を与えて経済発展をさせ、「自由主義陣営のショーケース」とする。…そうしたアメリカの世界戦略のパートナーとして日本国内に誕生したのが自民党。→ だから米軍基地問題について「アメリカ政府と交渉して解決しろ」などと言っても、そもそも無理な話なのだ。

(※う~ん、説得力あり…)

・多くの日本人は、実はそうしたウラ側の事情にうすうす気づいていた。→ だから政権交代が起こったという側面もあった。…というのも、森・小泉政権以前の自民党には、かなりいいところがあった。→ 防衛・外交面では徹底した対米従属路線をとったものの、なにより経済的に非常に豊かで、しかも比較的平等な社会を実現した。その点は多くの日本人から評価されていたのだと思う。

〔※それが戦後日本で長期政権となった一番の理由か。→ だから安倍政権も、ピンチになると必ず(本能的に?)経済政策を持ち出す…〕

・しかし、その自民党路線がついに完全に行き詰ってしまった。→ それなら結党の経緯から言って、彼らには絶対にできない痛みの伴う改革、つまり極端な対米従属路線の修正だけは、他の党がやるしかないだろう。…さすがの保守的な日本人もそう考え、(最初はためらいながらも)戦後初の本格的な政権交代という大きな一歩を踏み出したのだと思う。

(※う~ん、戦後70年が経って〝世代交代〟がかなり進んでいるので、もはやそれほど多くの日本人が、自民党の結党当初の「ウラ側の事情」に「うすうす気づいていた」とは思えないが…。→ 従って、日本の今後の政局も、まだまだ紆余曲折が予想されるが…)


○日本国民に政策を決める権利はなかった


・ところが日本の権力構造というのは、(私たちが学校で習ったような)きれいな民主主義の形にはなっていなかった。…鳩山政権が崩壊するまで私たちは、日本人はあくまで民主主義の枠組みの中で、みずから自民党と自民党的な政策を選んできたのだと思っていた。←→ しかし、そうではなかった。そもそも最初から選ぶ権利などなかったのだ、ということが分かってしまった。
・日本の政治家がどんな公約をかかげ選挙に勝利しようと、「どこか別の場所」ですでに決まっている方針から外れるような政策は、いっさい行えない。→ 事実、その後成立した菅政権、野田政権、安倍政権を見てみると、選挙前の公約とは正反対の政策ばかり推し進めている。

・「ああ、やっぱりそうだったのか…」→ この事実を知ったとき、じんわりとした、しかし非常に強い怒りがわいてきた。…自分が今まで信じてきた社会のあり方と、現実の社会とが、まったく違ったものだったことが分かったからだ。

・その象徴が、米軍基地の問題。→ いくら日本人の人権が侵害されるような状況であっても、日本人自身は米軍基地の問題にいっさい関与できない。たとえ首相であっても、指一本触れることができない。…自民党時代には隠されていたその真実が、鳩山政権の誕生と崩壊によって初めて明らかになったわけだ。(※う~ん、鳩山政権の唯一の功績か…?)

・いったい沖縄の基地ってなんなんだ、辺野古ってなんなんだ、鳩山首相を失脚させたのは、本当は誰なんだ…。→ これは自分で見に行くしかない。写真をとって本にするしかないと思った。


○原動力は、「走れメロス的怒り」


・その本(『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』)を出したあと、読者から「走れメロス的怒り」と言われた。…太宰治の『走れメロス』は、政治を知らない羊飼いが、王様のおかしな政治に怒って抗議しに行く話。→ 私が沖縄に撮影旅行に行ったのは、まさにこうした感じだった。…政治を知らぬ、羊飼い的怒りからだった。「それまで笛を吹き、羊と遊んで暮してきた」ような、美術や歴史など自分の好きなジャンルの本ばかり作ってきた、きわめて個人主義的な人間(ほとんど選挙も行ったことがないような完全なノンポリ)が、子どものような正義感で写真家と二人、沖縄に出かけて行った…。

〔※う~ん、この矢部宏治という人、ちょっと近藤誠医師と似たようなところがある…参照:『なぜ、ぼくはがん治療医になったのか』(帯文…デモシカから始まった一人の医師は、こうして医学界の常識と闘ってきた…)〕


○沖縄じゅうにあった「絶好の撮影ポイント」


・われわれ日本人には、国内の米軍基地について、もちろん知る権利がある。…近隣の住民にとって非常に大きな危険があり、しかも首相を退陣に追い込むような重大問題について、米軍からの発表資料だけで済ませていいはずがない。→ どこにどういう基地がどれくらいあって、日々、どういう訓練をしているか、自分たちで調べる権利がある。

・しかし一方、米軍基地だから、刑事特別法(安倍政権が2013年に成立させた特定秘密保護法の原型ともいうべき法律)によって、撮影が軍事機密の漏洩と判断された場合、10年以下の懲役となる可能性がある。→ でも沖縄というのは面白いところで、いろいろな場所に「さあ、ここから基地を撮れ」というような建物がある(詳細はP25)。


○「左翼大物弁護士」との会話


・本に掲載する写真がほぼ決まったとき、こうした問題に詳しい弁護士に(法的にまずい写真があるか)原稿をチェックしてもらった。→(彼の長年の経験によれば)…こういう「公安関係の問題」は、基本的に「つかまる、つかまらない」は法律とは関係がない(!)。公安がつかまえる必要があると思ったら、つかまえる。…公安がよくやるのは、近づいていって、なにも接触してないのに自分で勝手に腹を押さえてしゃがみ込んで、「公務執行妨害! 逮捕!」とやる。これを「転び公妨(公務執行妨害)」といい、一種の伝統芸のようなものらしい。→(そしてその弁護士さんは最後に)「まあ、基本的には、本を書いた人間をつかまえると、逆に本が売れて困ったことになるから、あなたたちがつかまることはないと思いますよ」…と、少しつまらなそうな顔で言ってくれた。


○沖縄の地上は18%、上空は100%、米軍に支配されている


・普天間基地の近くにアパートを借りて、約半年かけてその本をつくった。4年前まで何も知らなかった、まったくの初心者の眼から見た米軍基地問題、日本のおかしな現状のレポート…。

・沖縄の米軍基地の全体像(P29に図)…沖縄本島の18%が米軍基地になっているが、上空は100%が米軍の管理空域(嘉手納空域)になっている。…つまり二次元では18%の支配に見えるけれど、三次元では100%支配されている。→ 米軍機は(アメリカ人の住宅上空以外)どこでも自由に飛べるし、どれだけ低空を飛んでもいい。何をしてもいいのだ。…日本の法律も、アメリカの法律も、まったく適用されない状況にある。


○日本じゅう、どこでも一瞬で治外法権エリアになる


・さらに言えば、(これはほとんどの人が知らないことだが)実は地上も潜在的には100%支配されているのだ。→ 例えば米軍機の墜落事故が起きたとき、米軍はその事故現場の周囲を封鎖し、日本の警察や関係者の立ち入りを拒否する法的権利を持っている。…その理由は、1953年に日米両政府が正式に合意した次の取り決めが、現在でも効力を持っているから。
「日本国の当局は…所在地のいかんを問わず米軍の財産について、捜索、差し押さえ、または検証を行なう権利を行使しない」(「日米行政協定第17条を改正する議定書に関する合意された公式議事録 1953年9月29日)

・(一見、たいした内容には見えないかもしれないが)しかし実は、これはとんでもない取り決め……文中の「所在地のいかんを問わず(=場所がどこでも)」という部分が、あり得ないほどおかしい。→ つまり、米軍基地の中だけではなく、「米軍の財産がある場所」は、どこでも一瞬にして治外法権エリアになる、ということを意味しているから。→ そのため、墜落した米軍機の機体や、飛び散った破片などまでが「米軍の財産」と考えられ、米軍はそれらを保全するためにあらゆる行動をとることができる。←→ 一方、日本の警察や消防は、何もできないという結果になっている。

(※沖縄で最近起きた「オスプレイの墜落事故」でもそうだった…)


○沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故


・その最も有名な例が、2004年に起きた沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故。…事故直後、隣接する普天間基地から数十人の米兵たちが基地のフェンスを乗り越え、沖縄国際大学になだれ込んで、事故現場を封鎖した。

・(琉球朝日放送の映像より)…自分たちが事故を起こしておきながら、「アウト! アウト!」と市民を怒鳴りつけて大学前の道路から排除し、取材中の記者からも力づくでビデオカメラを取り上げようとする米兵たち。←→ 一方、そのかたわらで、米兵の許可を得て大学構内に入っていく日本の警察。…まさに植民地そのものといった風景がそこに展開されている。

・つまり、米軍機が事故を起こしたら、どんな場所でもすぐに米軍が封鎖し、日本側の立ち入りを拒否できる。→ 警察も消防も知事も市長も国会議員も、米軍の許可がないと中に入れない。…いきなり治外法権エリアになってしまう。

・ひと言で言うと、憲法がまったく機能しない状態になる。…緊急時には、その現実が露呈する。→ 米軍は日本国憲法を超えた、それより上位の存在だということが、この事故の映像を見るとよくわかる。…そしてこれは、本土で暮らす自分自身の姿でもある。


○東京も沖縄と、まったく同じ


・東京を中心とする首都圏上空にも、嘉手納空域と同じ、横田空域という米軍の管理空域があって、日本の飛行機はそこを飛べないようになっている(P35に図)。→ 羽田空港から西へ向かう飛行機は、千葉側へ迂回を強いられ、(急上昇・急旋回など)非常に危険な飛行を強いられている(※燃料費も余分にかかるという報道も…)。

・まったく沖縄と同じなのだ。法律というのは日本全国同じだから、米軍が沖縄でできることは本土でもできる。ただ沖縄のように露骨にやっていないだけだ。…(前述の)1953年の合意内容(「どんな場所にあろうと、米軍の財産について日本政府は差し押さえたり調べたりすることはできない」)というのも、(アメリカと沖縄ではなく)アメリカと日本全体で結ばれた取り決め。→ 東京や神奈川でも、米軍機が同様の事故を起こしたら状況は基本的に同じ(日本側は、機体に指一本触れることはできないし、現場を検証して事故の原因を調べることもできない)。→ 米軍が日本国憲法を超えた存在であるというのも、日本全国同じことなのだ。

・占領が終わり、1952年に日本が独立を回復したとき、そして1960年に安保条約が改定されたとき、どちらも在日米軍の権利はほとんど変わらずに維持されたという事実が、アメリカの公文書で分かっている。

(※ここでも日本側の文書ではなく、「アメリカの公文書」か…〝都合の悪い文書は廃棄する〟という日本の体質…)。→ つまり米軍の権利については、占領期のまま現在に至っている、ということだ。(※〝戦後日本の正体〟…2章で詳述)


○「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけ


・(P8の写真とP29の地図より)…1945年に米軍は、現在の嘉手納基地の左手の海岸に上陸し、一帯を占領した。→ その海岸に近い、非常に平らで優良な土地を、それから70年間、米軍が占拠し続けている。…車で走っているとわからないが、少し高台に上ると、「ああ、米軍はあの海岸から1945年に上陸してきて、そのままそこに居すわったんだな」…ということが非常によくわかる。

・つまり「占領軍」が「在日米軍」と看板をかけかえただけで、1945年からずっと同じ形で同じ場所にいるわけだ。…本土は1952年の講和条約、沖縄は1972年の本土復帰によって主権回復したことになっているが、実際は軍事的な占領状態が継続したということだ。


○本土の米軍基地から、ソ連や中国を核攻撃できるようになっていた!


・米軍の嘉手納空軍基地の隣りには弾薬庫がある(P37に写真)。…こうした弾薬庫に、もっとも多い時期には沖縄全体で1300発の核兵器が貯蔵されていた(アメリカの公文書より)。→ 緊急時には、すぐにこうした弾薬庫から核爆弾が地下通路を通って飛行場に運ばれ、飛行機に積み込まれるようになっていた。→ そしてショックなのは、それが本土の米軍基地(三沢や横田、岩国など)に運ばれ、そこから新たに爆撃機が飛び立って、ソ連や中国を核攻撃できるようになっていた、ということだ。…三沢基地(青森県)などは、ソ連に近い場所にあるから、ほとんどその訓練しかやっていなかったという。

(※今は北朝鮮が目標か…?)

・中国やソ連の核がほとんどアメリカに届かない時代から、アメリカは中国やソ連のわき腹のような場所(つまり南北に長く延びる日本列島全体)から、1300発の核兵器をずっと突きつけていた。

・アメリカは1962年のキューバ危機で、ソ連が核ミサイルを数発キューバに配備したと言って大騒ぎした。→ あわや第三次世界大戦か、人類滅亡か、というところまで危機的状況が高まった。←→ しかしアメリカ自身は、その何百倍もひどいことをずっと日本でやっていたわけだ。

(※う~ん、右派系の論者は、これを〝核の抑止力〟と言うわけだが…)。

…こうした事実を知ると、いかに私たちがこれまで「アメリカ側に有利な歴史」しか教えられていなかったかが分かる。

(※ハリウッド映画も〝国策映画〟が多いらしい…)


○憲法九条二項と、沖縄の軍事基地化はセットだった


・(中国やソ連を核攻撃できるように)沖縄に1300発の核兵器があった? じゃあ、憲法九条ってなに? → そこで歴史を調べていくと、憲法九条二項の戦力放棄と、沖縄の軍事基地化は、最初から完全にセットとして生まれたものだ、ということが分かった。…つまり憲法九条を書いたマッカーサーは(※今でも「憲法九条は日本側が書いた」という論が新聞などにも載るが、本書の著者・矢部宏治はマッカーサー説をとる)、沖縄を軍事要塞化して、嘉手納基地に強力な空軍を置いて核兵器を配備しておけば、日本本土に軍事力はなくてもいい、と考えた(1948年3月3日、ジョージ・ケナン国務省政策企画室長との会談ほか)。
→ だから日本の平和憲法、とくに九条二項の「戦争放棄」は、世界中が軍備をやめて平和になりましょう…というような話ではまったくない。←→ 沖縄の軍事要塞化と完全にセット。…いわゆる護憲論者の言っている美しい話とは、かなり違ったものだということが分かった。

(※う~ん、史実に即したリアル・ポリティクス…かなり説得力ありか…?)

・戦後日本では、長らく「反戦・護憲平和主義者」というのが一番気持ちのいいポジションだった。私もずっとそうだった(※う~ん、当方はまだそうかも…)。…もちろんこの立場から誠実に活動し、日本の右傾化を食い止めてきた功績は忘れてはならない。←→(しかし深刻な反省とともによく考えてみると)自分も含め大多数の日本人にとって、この「反戦・護憲平和主義者」という立場は、基本的になんの義務も負わず、しかも心理的には他者より高みにいられる非常に都合のいいポジションなのだ。←→ しかし現実の歴史的事実に基づいていないから、やはり戦後の日本社会の中で、きちんとした政治勢力にはなり得なかった(※だから政権を担うことは一度もなかった…?)、ということになる。

〔※う~ん、なかなかシビアな見解だが、一定の説得力ありか…。→ 戦後も70年が過ぎて、ようやく改憲問題がクローズアップされてきた中で、この問題は大きな基礎的な論点の一つになるのではないか。…その場合には、単なるポジショントークではなく、(現時点での「現行憲法」維持の主体的な択び直しも含め)本質的で未来的な議論を期待したい。→ 憲法問題は今後も扱う予定…〕


○驚愕の「砂川裁判」最高裁判決


・沖縄の取材で、最後までわからなかった問題は……日本は法治国家のはずなのに、なぜ、国民の基本的人権をこれほど堂々と踏みにじることができるのか。なぜ、米兵が事故現場から日本の警察や市長を排除できるのか。なぜ同じ町の中で、アメリカ人の家の上は危ないから飛ばないけれど、日本人の家の上はどれだけ低空飛行してもいいなどという、めちゃくちゃなことが許されているのか。

(※う~ん、きわめて基本的な疑問だ…)

・調べていくと、米軍駐留に関する一つの最高裁判決(1959年)によって、在日米軍については日本の憲法が機能しない状態(治外法権状態)が「法的に認められている」ことが分かった。…これは本当にとんでもない話で、普通の国だったら、問題が解明されるまで内閣がいくつ潰れてもおかしくないような話だ。〔参考:『検証・法治国家崩壊―砂川裁判と日米密約交渉』(<戦後再発見>双書 第3巻) 創元社〕

・(占領中の1950年から第2代の最高裁長官をつとめた)田中耕太郎が、独立から7年後の1959年、駐日アメリカ大使から指示と誘導を受けながら、在日米軍の権利を全面的に肯定する判決を書いた。→ その判決の影響で、在日米軍の治外法権状態が確定してしまった。→ またそれだけでなく、われわれ日本人はその後、政府から重大な人権侵害を受けたときに、それに抵抗する手段がなくなってしまった(※「三権分立」の崩壊)。……1959年12月16日、そうした「戦後最大」と言っていいような大事件が、最高裁の法廷で起きたのだ。


○憲法と条約と法律の関係―低空飛行の正体は航空法の「適用除外」


・日本の法体系は、憲法 → 条約 → 一般の法律 となっている(P41に図)。…つまり日米安保条約などの条約は、日本の航空法などの一般の国内法よりも強い(上位にある)。…これは憲法98条2項に基づく解釈で、「日本国が締結した条約は、これを誠実に遵守する」ということが憲法で定められているから。→ その結果、条約が結ばれると、必要に応じて日本の法律を修正することになる(新しい上位の条約に合わせて、下位の国内法を変える)。

・米軍機がなぜ、日本の住宅地上空でめちゃくちゃな低空飛行ができるのか、という問題も、法的構造は同じで、「日米安全保障条約」と、それに基づく「日米地位協定」(在日米軍が持つ特権について定めた協定)を結んだ結果、日本の国内法として「航空特例法」がつくられているから。

(※いよいよ注目の「日米地位協定」が出てきた…)

・「前項の航空機〔米軍機と国連軍機〕およびその航空機に乗りくんでその運航に従事する者については、航空法第6章の規定は、政令で定めるものをのぞき、適用しない」(「日米地位協定と国連軍地位協定の実施にともなう航空法の特例に関する法律 第3項」1952年7月15日施行)……初めてこの条文の意味を知ったときは、本当に驚いた。→ この特例法によって「適用しない」とされた「航空法第6章」とは、「航空機の運航」に関する「最低高度」や「制限速度」「飛行禁止区域」などの43もの条文だが、まるまる全部「適用除外」となっている!……つまり、米軍機はもともと、高度も安全も、なにも守らずに日本全国の空を飛んでよいことが、法的に決まっているということなのだ。

(※う~ん、〝特例法の罠〟…!)


○アメリカ国務省のシナリオのもとに出された最高裁判決


・条約は一般の法律よりも強いが、憲法よりも弱い。つまり、いくら条約(日米安保条約や日米地位協定)は守らなければならないと言っても、国民の人権が侵害されていいはずはない。→ そうした場合は憲法(最上位の法律)が歯止めをかけることになっている。……近代憲法というのは基本的に、権力者の横暴から市民の人権を守るために生まれたもの。→ だから、日米安保条約が日本の航空法よりも強い(上位にある)といっても、もし住民の暮らしや健康に重大な障害があれば、きちんと憲法が機能して、そうした飛行をやめさせる。…それが本来の法治国家の姿だ。

・ところが1959年に在日米軍の存在が憲法違反かどうかをめぐって争われた砂川裁判で、田中耕太郎という最高裁長官が、とんでもない最高裁判決を出してしまった。…簡単に言うと、日米安保条約のような高度な政治的問題については、最高裁は憲法判断をしないでよい、という判決を出した。→ そうすると、安保に関する問題については、日本の法体系から最上位の憲法の部分が消えてしまう(P43に図)。…つまり、安保条約とそれに関する取り決め(日米地位協定など)が、憲法を含む日本の国内法全体に優越する構造が、このとき法的に確定してしまった。

(※確かに、とんでもない判決…)

・だから在日米軍というのは、日本国内で何をやってもいい(治外法権状態)。…住宅地での低空飛行や事故現場の一方的な封鎖など、様々な米軍の「違法行為」は、実はちっとも違法じゃなかった。日本の法体系のもとでは完全に合法だということが分かった。→ その後の米軍基地をめぐる騒音訴訟なども、すべてこの判決を応用する形で「米軍機の飛行差し止めはできない」という判決が出ている。

・そしてさらにひどい話があった。…それはこの砂川裁判の全プロセスが、検察や日本政府の方針、最高裁の判決まで含めて、最初から最後まで、基地をどうしても日本に置き続けたいアメリカ政府のシナリオのもとに、その指示と誘導によって進行したということだ。…この驚愕の事実は、いまから6年前(2008年)、アメリカの公文書によって初めて明らかになった。

(※う~ん、ホントにごく最近で、しかもまた「アメリカの公文書」によって…!)

・判決を出した日本の最高裁長官も、市民側とやりあった日本の最高検察庁も、アメリカ国務省からの指示および誘導を受けていたことが分かっている。…本当に驚愕の事実だ。(詳細は『検証・法治国家崩壊』)


○「統治行為論」という、まやかし


・この判決の根拠を、日本の保守派は「統治行為論」と呼んで、法学上の「公理」のように扱っている。…政治的にきわめて重要な、国家の統治に関わるような問題については、司法は判断を留保する(※要する三権分立における司法の責任放棄…)。それはアメリカやフランスなど、世界の先進国で認められている司法のあり方で、そうした重要な問題は、最終的には国民が選挙によって選択するしかないのだと…。…(一見、説得されてしまいそうになるが)しかし少しでも批判的な眼で見れば、この理論が明らかにおかしいことが分かる。

・例えば米軍機の騒音訴訟の場合…高性能の戦闘機というのは、もう信じられないような爆音(音というより振動)がするから、当然健康被害が出る。→ そこでたまりかねた基地周辺の住民たちが、基本的人権の侵害だとして、飛行の差し止めを求める訴訟を起こしている。←→ でも、止められない。…判決で最高裁は、住民側の被害については認定まではする。→ でもそこから先、飛行の差し止めはしない。…そういう不思議な判決を出す。

・最高裁はその理由を…「米軍は日本政府が直接指揮することのできない『第三者』だから、日本政府に対してその飛行の差し止めを求めることはできない」という、まったく理解不能なロジックによって説明している。…この判決のロジックは、一般に「第三者行為論」と呼ばれているが、その根拠となっているのが、日米安保条約のような高度な政治的問題については最高裁は憲法判断しなくてもよいという「統治行為論」であることは明らか。

・しかし、国民の健康被害という重大な人権侵害に対して、最高裁が「統治行為論」的立場から判断を回避したら、それは三権分立の否定になる。…それくらいは、中学生でもわかる話ではないのか。

・(元裁判官で明治大教授の瀬木比呂志の言)…「そもそも、アメリカと日米安保条約を締結したのは国である。つまり、国が米軍の飛行を許容したのである。…アメリカのやることだから国は一切あずかり知らないというのであれば、何のために憲法があるのか?」(『絶望の裁判所』講談社)


○アメリカやフランスでも、日本のような「統治行為論」は認められていない


・実はアメリカやフランスにも、日本で使われているような意味での「統治行為論」は存在しない。→ (フランスの例)…「〔フランスの学界では〕統治行為論は、その反法治主義的な性格のゆえに、むしろ多数の学説により支持されていない」「〔フランスの〕判例の中には統治行為の概念規定はおろか、その理論的根拠も示されていない上に、一般に統治行為の根拠条文とされているものが一度も引用されていない」…と、この問題の第一人者である慶応大名誉教授の小林節氏は書いている(『政治問題の法理』日本評論社)。
…そして統治行為論の安易な容認は、「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかね」ず、「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」と指摘している。←→ 逆に言えば、砂川裁判以降、約半世紀にわたって日本の最高裁は、小林節教授が懸念した通りのことをやり続けているのだ。

・(アメリカの例)…「統治行為論」という言葉は存在せず、「政治問題」という概念がある。→ フランスと違うのは、アメリカでは判例の中でこの「政治問題」という概念が、かなり幅広く認められているということ。…だがその内容は、外国軍についての条約や協定を恒常的に自国の憲法より上位に置くという日本の「統治行為論」とは、まったく違ったものだ(詳細はP48)。

・歴史が証明しているのは、日本の最高裁は政府の関与する人権侵害や国策上の問題に対し、絶対に違憲判決を出さないということ(※司法の行政府への従属)。…「統治行為論」は、そうした極端に政府に従属的な最高裁のあり方に、免罪符を与える役割を果たしている。

・日本の憲法学者はいろいろと詭弁を弄してそのことを擁護しようとしているが(※御用学者?)、日本国憲法第81条にはこう書かれている…「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である」…これ以上、明快な条文もないだろう。→ この条文を読めば、もっとも重要な問題について、絶対に憲法判断をしない現在の最高裁そのものが、日本国憲法に完全に違反した存在であることが、だれの眼にも明らかだと思う。


○アメリカとの条約が日本国憲法よりも上位に位置することが確定した


・深刻なのは、田中耕太郎が書いたこの最高裁判決の影響が及ぶのが、軍事の問題だけではないということ。→ 最大のポイントは、この判決によって、
 「アメリカ政府(上位)」 > 「日本政府(下位)」
という、占領期に生まれ、その後もおそらく違法な形で温存されていた権力構造が、
 「アメリカとの条約群(上位)」 > 「憲法を含む日本の国内法(下位)」
という形で法的に確定してしまったことにある。

(※う~ん、戦後レジーム=「属国民主主義」ということか…)

・安保条約の条文は全部で10ヵ条しかないが、その下に在日米軍の法的な特権について定めた日米地位協定がある。→ さらにその日米地位協定に基づき、在日米軍を具体的にどう運用するかをめぐって、日本の官僚と米軍は60年以上にわたって毎月、会議をしている。…それが「日米合同委員会」という名の組織。

(※これがクセモノなのだ…)

・(P51に日米合同委員会の組織図)…外務省北米局長を代表とする、日本の様々な省庁から選ばれたエリート官僚たちと、在日米軍のトップたちが毎月2回会議をして → そこでいろいろな合意が生まれ、議事録に書き込まれていく。…合意したが議事録には書かない、いわゆる「密約」もある。…全体でひとつの国の法体系のような膨大な取り決めがある。→ しかもそれらは、原則として公表されないことになっている。

〔※う~ん、これもまた戦後史の〝背後にひそむ闇〟の一つか。…そして、こうした「密約」の闇の構造が、日本の官僚たちの〝隠蔽体質〟の根源にあるものなのではないか…。→ かくして、その〝闇の中〟で、今月もまた「日本の行く末」が密かに決められていく…?〕


○官僚たちが忠誠を誓っていたのは、「安保法体系」だった


・そうした日米安保をめぐる膨大な取り決めの総体は、憲法学者の長谷川正安によって、「安保法体系」と名づけられている。→ その「安保法体系」が、砂川裁判の最高裁判決によって、日本の国内法よりも上位に位置することが確定してしまった。→ つまり裁判になったら、絶対にそちらが勝つ。→ すると官僚は当然、勝つほうにつく。

・官僚というのは法律が存在基盤だから、下位の法体系(日本の国内法)より、上位の法体系(安保法体系)を優先して動くのは当然だ。…裁判で負ける側には絶対に立たない、というのが官僚だから、それは責められない。

・しかもこの日米合同委員会のメンバーはその後どうなっているか。→ このインナー・サークルに所属した官僚は、みなその後、めざましく出世している(とくに顕著なのが法務省)…。

・このように過去60年以上にわたって、安保法体系を協議するインナー・サークルに属した人間が、必ず日本の権力機構のトップにすわるという構造ができあがっている。→ ひとりの超エリート官僚がいたとして、彼の上司も、そのまた上司も、さらにその上司も、すべてこのサークルのメンバー。…逆らうことなど、できるはずがない。→(だから鳩山元首相の証言にあるように)日本国憲法によって選ばれた首相に対し、エリート官僚たちが徒党を組んで、真正面から反旗をひるがえすというようなことが起こる。

・私が沖縄に行ったきっかけは、「鳩山首相を失脚させたのは、本当は誰なのか」「官僚たちが忠誠を誓っていた『首相以外のなにか』とは、いったい何だったのか」…という疑問だった。→ この構造を知って、その疑問に答えが出た。……彼らは日本国憲法よりも上位にある、この「安保法体系」に忠誠を誓っていた…ということだった。

〔※う~む、これが、戦後史の背後にひそむ「大きな謎」=「戦後日本の正体」の一つか…。→そして、この〝戦後日本の負の構造〟を、突き崩していくための第一歩は、本書が意図したように、その〝隠された構造〟を広く国民一般の前に、明らかにしてしまうことではないか…〕

                               (8/15…1章 了)            


〔関連資料の紹介〕



  『自発的対米従属』―知られざる「ワシントン拡声器」
  ― 猿田佐世〕(角川新書)2017.3.10


【はじめに】より


○世論を反映しない既存の日米外交


・これまで「アメリカの声」として日本に届いてきた典型的な声は、極めてシンプルである。…周知のとおり、沖縄の辺野古への基地建設の問題であれば「早く基地建設を」、安保法制であれば「早く制定を」「早く派兵を」、憲法九条であれば「早く改正を」、原発であれば「原発ゼロ反対」「早く再稼働を」…というものであった。←→ しかし、日本の世論調査は、この「アメリカの声」と異なる結果を出してきた(普天間基地の辺野古移設…「計画通り移設すべき」36%、「計画を見直すべき」47% 安保法制…「評価する」31%、「評価しない」54% 原発の再稼働…「進めるべき」30%、「進めるべきでない」58%…(以上、日経新聞) 憲法九条の改正…「解釈や運用で対応するのは限界なので、第九条を改正する」35%、「これまで通り、解釈や運用で対応する」38%、「第九条を厳密に守り、解釈や運用では対応しない」23%…(読売新聞)。

・典型的な「アメリカの声」の発信源となってきたアメリカの知日派は、アメリカの中の少人数の集まりにすぎない。しかも、その限られた人たちに情報と資金、そして発言の機会を広く与え、その声を日本で拡散しているのは日本政府であり日本のメディアである。…日本の既得権益層が、いわば一面「日本製の〝アメリカの外圧〟」ともいえるものを使って、日本国内で進めたい政策を日本で進める――。これが長年続いた手法となっているのである。
→ このように、日本も関与したアメリカからの外圧作りを私は「ワシントン拡声器効果」を利用するものと表現してきた。(※つまり「自発的対米従属」…)

・もちろん、日米外交を持ち出すまでもなく、右に挙げたような世論調査とは逆の方向を推し進める国会議員を当選させ、彼らが国会の中で多数派を占めていることが、これらの世論と政治の乖離の直接の原因ではあるが、我々が気がつかぬまま、日本の既得権益層は、日米外交をその一つの手段として、自らの成し遂げたい政策を実現するために用いてきた。←→ 日米外交における東京のカウンターパートであるワシントンには、極めて一面的な情報しか日本から伝えられてこなかったのである。〔※日米間の情報流通は、極めて変則的な、ほとんど一方通行だった(しかも〝自作自演〟の?)、ということか…〕


○日米外交の課題と、どう向き合うか


・本書では、私がワシントンでのロビイングを通じて見聞した経験を織り交ぜつつ、まずは、従来の日米外交の問題点を提示したい。これまで日本の政治に大きな影響を及ぼしてきた少人数の知日派と、日本の政治家やマスコミなどが、互いに利用し合い政策を日本において実現していくという、ある種の共犯関係に基づいた「自発的対米従属」とも「みせかけの対米従属」とも言える状態が、戦後70年間続いてきた。その仕組みをご紹介する。…続けて、トランプ大統領の下で日米外交がどうなるか、これまでの外交に既得権益を有していた人たちがどのように既存の日米外交を維持しようとしているかなど、日米外交をめぐって現在進んでいる事象について説明し、分析を行う。→ そして、戦後初めて、日本が「対米従属」を唯一の判断基準とすることができなくなっている現在、この状況に日本がどのように立ち向かい取り組むべきなのかについて述べる。

…(※以上は忘れないための予告編で、このテキストについては、今後改めてレポートしていく予定です…)
                                         

〔次回の(2)は…【2章】福島の謎―日本はなぜ、原発を止められないのか…の予定です。→ 9月中の完成を目指します。〕

                                   (2017.8.15)          






2017年5月9日火曜日

(震災レポート40) 震災レポート・5年後編(6)―[福島原発論 ③]

(震災レポート40)  震災レポート・5年後編(6)―[福島原発論 ③]




                                         

『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』 


烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11


  ―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題―            ――[後編]






【5章】原発事故進展は予測できなかったのか



○「誰も経験したことがないから失敗した」は失当である


・「放射性物質が敷地外に漏れ出す原発事故など、日本では誰も経験したことがなかったから」…福島第一原発事故に遭遇した政治家や官僚、学者に取材すると、このセリフが異口同音に出た。→ しかし、この「誰も経験したことがなかったから」という弁明は、本当に正当なのだろうか。

・そもそも、原発事故のような巨大事故がそう何度も起きてもらっては困る。人類史上でも3回しか起きていない。「前にも経験したことがある」など、許されない事態だろう。→ 滅多に起きては困る事態だからこそ、万一起きた時に備えて日ごろ万端に準備しておくべきではないのか。

・腐敗防止(※権力は腐敗する)を考えるなら、政治家職は同じポジションにあまり長くいないほうがいい。従って、原発事故について専門家と同じ知識がなくても構わない。→ むしろ、それを補う補佐役として、担当官庁の官僚や行政・専門委員会の学者といった「専門家」がいたはずだ。また、そうした「原発防災」の専門家がリストアップされ、緊急時に呼び出せるように準備されていなければならなかった。(そうした備えがなかったことをこの章で述べる。)

・もう一度問われなくてはならない。この「原発事故など、誰も経験したことがなかったから(対応が失敗した)」という弁明は正当なのか。…私の取材の結果から言えば、この弁明は失当である。→ 「原発事故が起きると、どう事態が進行するのか」「何をするべきなのか・してはならないのか」は研究され尽くされていた。…1990年代中頃から約10年間、政府・電力会社・原発メーカーの「原子力産業界」では、予算と人材を出し合って原発事故が起きた場合のシミュレーション研究を進めていた。→ その研究成果を事故が起きた時に活用するソフトウェアやシステムも完備していた。

・その成果はシミュレーションソフト「PBS」(Plant Behavior System プラント挙動解析システム)として電力会社(※「東電はPBSを持ってなかった」と後述?…P284)やオフサイトセンターに常備されていた。…日本にある原子炉それぞれについて、事故予測ができるようになっていた。→ 事故が起きた場合の放射性物質の動き方や避難の方法は、書籍にまとめられ、一般書として市販されていた。…経産省は「原子力防災専門官」という役職を設置し、研修もしていた。そこには、福島第一原発事故で実際に起きた現実を正確に予測した内容が含まれていた。(※そんなすぐれものが事前に準備されていたのか…。しかも一般書として市販されていた!)

・ところが、福島第一原発事故が起きた実際の過程では、こうした事前の準備はまったくと言っていいほど役に立たなかった。…「PBS」のシミュレーションデータは首相官邸に届けられたのに、その重要性を政治家は理解できず、官僚は説明しなかった。誰も理解しなかった。→ 事前の準備のほとんどが死蔵されてしまった。(1章で既述)

・多大な予算と人的資源と時間を投じて準備された知見とシステムが、なぜ福島第一原発事故の「本番」でまったく活用されずに終わったのか。→ 政治家・官僚・産業界・学界の「原子力コミュニティ」の中で、蓄積してあった知見を本番につなげることができない「ミス」があったのだ。
・しかし、それが意図的なのか事故なのかは、私の取材の範囲では、まだ分からない。組織の欠陥なのか、制度上の欠陥なのか、ヒューマンエラーなのかは、まだ分からない。…その全貌はまだ謎に包まれている。責任当事者の多くが取材を拒否したまま、沈黙しているからだ。…政府・国会など事故調査委員会も、そうした経緯にまで踏み込んだものはゼロである。



○事故と被曝の過程は正確に予測されていた


・原発で事故が起きた場合、放射性物質漏れはどうした規模で発生し、どういう挙動、方向、スピードで進むのか。住民はどうやって避難させるべきなのか。…この章で紹介する松野元、永嶋國雄、森本宏の三人は、今回の事故が起きる前に、それを的確に指摘していた。そしてそれを書籍として刊行していた。

・松野、永嶋は、政府や電力業界、原発メーカーが設立した外郭団体で事故シミュレーションを作った当事者である。森本は、元消防署長で「原発防災」の専門家。→ しかし、三人のうち誰も、福島第一原発事故が進行していた当時に、政府や東電から協力を要請されたことがない。政府や電力会社の「緊急時のための原発防災専門家リスト」には、まったく入っていなかったようだ。…こうした貴重な知見や人的資源が埋没し、死蔵されてしまったことも、日本の原発事故対策の欠陥として記録され、教訓にされなければならない。←→ しかし、松野さんら三人は、今も「知られざる存在」のままなのだ。(※彼らが外された経緯は後述…)

・著者が松野さんらの存在を知ったのは、事故後、原発事故の取材資料をネットで検索していて、松野の『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』という本を見つけたにすぎない(一般書店で売られている本で、アマゾンで入手)。→ そして松野さんが永嶋さんを紹介してくれた。(※社員記者たちは横並び取材だけで、こういうことは誰もやっていない…?)

・しかし、読み進めるうちに驚愕した。福島第一原発事故で現実になる甚大事故と住民被曝の過程が、すべて正確に予言され、政策や制度の不備が指摘されていたから。→ そして住民を被曝させないためにはどんな避難対策を講じるべきなのかが、具体的に記されていた。

・「原子力施設から放射性物質が放出されると、それが雲状に広がり、『放射性プルーム』ができる。放射性プルームは、大気中を広がりながら移動し、その方向や速さは、風向き、風速等の気象条件によって変わる」…これは福島第一原発事故で起きた現実そのものだ。→ 驚いて本の刊行時期を確認すると2007年…事故の4年前である。

・筆者の松野元さん(1945年生まれ)は、東大工学部卒業後、四国電力に入り、伊方原発にも勤務していた「原子力ムラ」の真ん中を歩んできた人。しかも、経産省の関連団体「原子力発電技術機構」(NUPEC)に出向。→ このNUPECは、3年後に「原子力安全基盤機構」(JNES)に発展…その仕事は「原子力災害対策」の立案を担当する実務センター。

・引退して愛媛県松山市に住む松野さんを訪ねた。…そこで、松野さんが現役当時、全国の原発事故の対策システムを設計・運用する責任者だったことを聞いて、言葉を失った。→ 当然のことながら、「ERSS」(緊急時対策支援システム)と「SPEEDI」の両方に精通していた。

・話題になった「SPEEDI」が放射性雲の流れを警告する「口」なら、「ERSS」はそれと対になる原子炉の情報収集(圧力や温度、放射性物質放出量の予測など)をする「目と耳」だ。

・松野さんは、専門担当者向けの「原子力防災研修」の講師もしていたという。→ つまり松野さんが書き残した知見は、経産省や、その下にある原子力安全・保安院に受け継がれていなくてはならないはずだった。←→ だが、松野さんが書いた本は原発災害対策の「教科書」であったのに、3・11で国はその「教科書レベル」の対策ができなかった…ということになる。



○15条通報=住民避難スタートのはずだった


〔著者注:以下のインタビューは2012年2月に行われ、『原発難民』(※→「震災レポート⑳」)にも収録してあるが、日本の原発防災政策の不備を検討するという文脈から再び引用する。〕

(質問)…国は「SPEEDIのデータは不正確だから公表しなかった」と説明していたが。
(松野)…例えSPEEDIが作動していなくても、私なら事故の規模を5秒で予測して、避難の警告を出せると思う。「過酷事故」の定義には「全電源喪失事故」があるのだから、プラントが停電になって情報が途絶する事態は当然想定されている。
(質問)…「原発事故の展開を予測することはできなかった」と政府当局者は口をそろえていたが…。
(松野)…そんなことはない。台風や雪崩と違って、原子力災害は100倍くらい正確に予測通りに動くんです。
(質問)…当初は福島第一原発から放出された放射性物質の量がよく分からなかったのではないか。どれくらい遠くまで逃げてよいのか分からないのではないか。
(松野)…総量など、正確に分からなくても、だいたいでいいんです…(そう言って、松野さんは自著のページを繰り、「スリーマイル島事故」と「チェルノブイリ事故」の記述を示した)…スリーマイル島事故では避難は10キロの範囲内…チェルノブイリでは30キロだった。ということは、福島第一原発事故ではその中間、22キロとか25キロ程度でしょう。とにかく逃がせばいい…私なら5秒で考えます。全交流電源を喪失したのだから、格納容器が壊れることを考えて、25時間以内に30キロの範囲の住民を逃がす。

〔避難のタイムリミット「25時間以内」の計算…「メルトダウンに数時間」+「格納容器破損に約20時間弱」+「放射性物質が住民に到達するまでに1~2時間程度」=25時間以内……P249〕

(質問)…「全交流電源喪失」はどの時点で分かるのか。
(松野)…簡単です。「原子力災害対策特別措置法」第15条に定められたとおり、福島第一発電所が政府に「緊急事態の通報」をしている。3月11日の午後4時45分です。このときに格納容器が壊れることを想定しなくてはいけない。つまり放射性物質が外に漏れ出すことを考えなくてはいけない。ここからが「よーいスタート」なのです。

・私はあっけにとられた。法律はちゃんと「こうなったら周辺住民が逃げなくてはいけないような大事故ですよ」という基準を設けていて、「そうなったら政府に知らせるのだよ」という電力会社への通報義務までつくっているのだ。…「全交流電源喪失・冷却機能喪失で15条通報」=「格納容器の破損の恐れ」=「放射性物質の放出」=住民避難スタート」…なのだ。

・東日本大震災発生(午後2時46分)から、わずか1時間59分で、政府にその15条通報が来ていた。…すると、後に「全交流電源喪失~放射性物質の放出」の間にある「メルトダウンはあったのか・なかったのか」という論争は、住民避難の観点からは、何の意味もない枝葉末節であることがわかる。→ 「15条通報」があった時点で、「住民を被曝から守る」=「原子力防災」は始まっていなくてはならなかったのだ。

(松野)…甲状腺がんを防止するために子どもに安定ヨウ素剤を飲ませるのは、被曝から24時間以内でないと効果が急激に減ります。放射性物質は、風速10mと仮定して、1、2時間で30キロ到達します。…格納容器が壊れてから飲むのでは、意味がない。→ 「壊れそうだ」の時点で飲まないといけない。



○すべてが後手に回ったのは廃炉を避けたかったから


・ところが、政府が原子力緊急事態宣言を出すのは午後7時3分(なぜこれほど遅れたかは1章で既述)。…このインタビュー時に、松野さんはすでに「一刻を争うという時間感覚が官邸にはなかったのではないか」と指摘した。

(質問)…首相官邸にいた班目(原子力安全委員会)委員長は「情報が入ってこなかったので、総理に助言できなかった」と言っていますが…。
(松野)…いや、それは内科の医師が「内臓を見ていないから病気が診断できない」というようなものだ。中が分からなくても、原発災害は地震や台風より被害が予測できるものです。…「全交流電源喪失」という情報しかないからこそ、その意味するところを説明できる専門家が必要だった。→ 専門家なら、分からないなりに25時間を割り振って、SPEEDIの予測、避難や、安定ヨウ素剤の配布服用などの指示を出すべきだったのです。→ ERSS(原子炉の情報収集)の結果が出てくるまでの間は、SPEEDIに1ベクレルを代入して計算することになっている。その上で風向きを見れば、避難すべき方向だけでもわかる。私なら10の17乗ベクレル(スリーマイル島とチェルノブイリの中間値)を入れます。それで住民を逃がすべき範囲もわかる。…私がいた時は、このような先をよんだ予測計算も訓練でやっていた。…この最初の津波が来るまでの1時間弱のロスが重大だったと思う。(※班目委員長は専門家失格か…)
(質問)…すべてが後手に回っているように思えるが、なぜでしょう。
(松野)…何とか廃炉を避けたいと思ったのだろう。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。…太平洋戦争末期に軍部が「戦果を挙げてから降伏しよう」とずるずる戦争を長引かせて国民を犠牲にしたのと似ている。(※これも「戦争期の失敗」の繰り返しか…)
(質問)…廃炉にすると、1炉あたり数兆円の損害が出ると聞く。それでためらったのではないか。
(松野)…1号機を廃炉にする決心を早くすれば、まだコストは安かった。2、3号機は助かったかもしれない。→ 1号機の水素爆発(12日)でがれきが飛び散り、放射能レベルも高かったため2、3号機に近づけなくなって、15日(2号機)と14日(3号機)にそれぞれメルトダウンを起こした。→ 1号機に見切りをさっさとつけるべきだった。…1号機は40年経った原子炉なのだから、そろそろ廃炉だと分かっていたはず。→ 私が所長なら、「どうせ廃炉にする予定だったんだから、住民に被曝させるくらいなら、廃炉にしても構わない」と思うだろう。←→ 逆に、被害が拡大して3機すべてが廃炉になり、数千人が被曝する賠償コストを考えると、どうか? 私は10秒で計算する。→ 普段から「老朽化した原子炉で、かつシビア・アクシデント対策が十分でない原子炉に何かあったら、廃炉にしよう」と考えておかなければならない。



○格納容器の破損を考慮しなかった立地検査


・松野さんは、さらに驚くような話を続けた。…そもそも、日本の原発周辺の避難計画は飾りにすぎない。→ 国は原子炉設置許可の安全評価にあたって、格納容器が破損して放射性物質が漏れ出すような事故を想定していない。←→ もしそれを想定したら、日本では原発の立地が不可能になってしまうからだ。そんな逆立ちした論理が政府や電力業界を支配している…というのだ。

(松野)…政府は、原子力発電所の「立地審査指針」で、「非居住地域」「低人口地帯」を考慮して立地するように、としている。←→ しかし格納容器が壊れないことを前提とすれば、重大事故や仮想事故を仮定しても、放射能影響は「1キロ以内=原発の敷地内」に収まることができるので、「非居住地域」と「低人口地帯」を具体的に考えなくて済む。(※科学的根拠のない「都合のいい結論」を「前提」にする、という逆立ちした論理…)
(質問)…1979年のスリーマイル島事故のときの避難範囲は5マイル=8キロ程度だった。→ つまり、もし格納容器が破損し放射性物質が漏れ出したとき、住民への被害を避けるなら、「非居住地域」「低人口地帯」は半径8-10キロでなければならないことが分かった。…そのときに日本でも半径10キロに基準を変更すればよかったのでは?
(松野)…10キロに広げると、日本では原発そのものの立地がほとんど不可能になるだろう。アメリカやソ連と違って、この狭い国土に、半径10キロが非居住地域なんて、そんな場所はほとんどない。あったとしても用地買収が大変だ。→ しかし半径1キロなら、原発の敷地内だけで済んでしまう。…半径10キロは砂漠や荒野を持つ国の基準です。
(質問)…それは「日本に原発を造るために、格納容器の破損はないことにしよう」という逆立ちしたロジックではないか。
(松野)…そうです。「立地基準を満たすために、格納容器は壊れないことにする」という前提です。…この前提は、福島第一原発事故で完全に崩れしまった。→ それを無視したままで何も対策を取らないでいるのだから、今のままでは、日本政府には原発を運転する資格がないとさえ言える。(※う~ん、原発再稼働の許可が次々と出始めている…)

・この話を聞いたとき、私は耳を疑った。…しかし、私が2011年春に福島第一原発事故の現場で見て以来、悩み続けた数々の謎は、これを前提とするならば、すべて説明がついた。そして、その後の取材とも合致した。(2、3章参照)

(1)原子力防災の司令室になるはずだった「オフサイトセンター」が原発から5キロという至近距離にあったために、交通や通信の途絶、空中線量の上昇で放棄せざるを得なくなった。→ なぜそんな至近距離に司令本部を作ったのか。
(2)原発周辺の住民が脱出するための避難道路が整備されていない。…そのため車が渋滞し、麻痺した。→ なぜ脱出道路が整備されなかったのか。
(3)なぜ原発周辺から脱出するためのバスなど移動手段の用意がなかったのか。
(4)3・11前、原子力防災訓練は、原発から3キロの範囲の住民を対象に行われ、3キロ以内の施設に避難していた。→ なぜ原発周辺から外へ脱出する訓練が行われなかったのか。

・しかし松野さんが言うように…「格納容器が壊れることはない=放射性物質が外に漏れ出すことはない」という前提で立地審査が行われ、かつ「立地審査が通れば、事故も起きない」という誤謬(※「安全神話」)がまかり通った…と考えれば、すべて説明がつく。→ こうした「誤謬の上に誤謬を重ねた前提」で決められた安全対策の構造が、全国の原発でそのまま残されていることは、4章で検討した通りだ。

(質問)…では「地震や津波さえなければシビア・アクシデントは起きない、だから再稼働は許される」という論法は間違いだ、ということになりますか?
(松野)…確かに、津波が来なければ、3・11のような事故は起きなかっただろう。しかし、再稼働した原発は、今なおその弱点を抱えたまま運転を継続している、ということを想像してみてください。…「テロ」「ミサイル攻撃」「航空機墜落」「勘違い誤操作」などに対して、依然弱点をさらしたままだ。→ そもそも原子力防災の精神は「事故がすぐに起きるとは思っていないが、事故対策は必要」です。←→ 「事故は必ず起きるから対策を取れ」ではありません。…それは占い師や反対派の言うセリフだと思う。→ 健全な原子力の推進には適切な保険が必要なのです。適切な保険とは「世界水準の保険」にほかならない。
(※う~ん、「健全な原子力の推進」派であろう松野氏から見ても、日本の原発政策は、誤謬に誤謬を重ねた前提の上に成り立っており、それは「世界水準の保険」もなかった。そしてそれは、福島原発事故の後も、そのままになっていて、依然弱点をさらしたままだ、ということか…)



○「格納容器が壊れない」説が跋扈した理由


(質問)…いつ、どうした経緯でこんなグロテスクなことになったのか。
(松野)…立地指針は1964年の策定だが、その後、四国電力の伊方原発の設置許可をめぐって、裁判が争われた。→ 原発推進派と懐疑派との原発の安全性をめぐる総力論戦になったが、ここで原子力安全委員会の内田秀雄委員長(東大教授)が、「格納容器は壊れない」説を強弁した。それがずっと生きている。…そこで内田教授は「ディーゼル発電機その他のバックアップ電源がある。100万年に1回の確率だ」と主張した。→ 裁判官も原子力発電所の安全基準なんて門外漢だから分からない。そこでこの「設置許可基準を満たせば安全」というロジックに乗ってしまった。そのロジックをそのまま使った判決内容だった。
(※100万年どころか、その判決確定(住民側敗訴)から20年も経たないうちに、福島原発事故で格納容器は壊れた…)

・私は暗い気持ちになった。…「原発反対派」でも何でもない、四国電力の技術者で原発事故防災の専門家だった松野さんが、国が勝訴して四国電力の原発設置を裁判所が認めた判決を、批判しているのだ。

(質問)…伊方訴訟の判決が、その後の全国の原発行政にずっと影響を与えているのか。
(松野)…「設置基準を満たしさえすれば、その原発は安全だ」という誤解が広まってしまった。…これは本来まったくおかしい。設置基準と、実際に事故が起きるかどうかはまったく別の話だ。まして事故が起きたらどう避難するかは別次元の話です。…ビルを建てるときは防火基準を満たさなければならない(耐火建材を使うとか、非常口を設けるとか)。←→ でも、安全基準を満たしたからといって、火事が絶対に起きないとは言えない。→ だからこそ避難経路は決めておく。避難訓練をする。…つまり許可基準と事故の可能性とはまったく別の話だ。

・これは重要な指摘だ。…非常用の避難路を用意し、防火扉を設置し、難燃材料を使い、消火器を置いて消防署の検査に合格したビルでも、「火事が起きない」と保証していることにはならない。←→ つまり、「設置基準をクリアしているから、原発事故は起きない。防災対策は不要」というロジックは破綻している。…そんな破綻が国の政策として長年まかり通っていたわけだ。→ つまり、2011年3月11日よりずっと前に、すでに日本の原発の安全対策(住民を被曝から救う対策も含む)は、論理的に破綻していた、ということだ。…それを政府は見て見ぬふりをした。政治家や報道、裁判所は無視するか、見過ごした。
(※最近の再稼働容認の判決も、この誤解・破綻のロジックによってなされている…)

(質問)…シビア・アクシデントを想定していなかったことが、福島第一原発事故ではどのような形で具体的に現れているか。
(松野)…電源を喪失してから電源車を必死で探したり、注水のためのポンプ車を探したりしていたのは、おかしいと思わなかったか。「どうしてそういう訓練がなかったのだろう」と思わなかったか。→ シビア・アクシデントを想定できていれば、そしてそれへの対策不足を認識していれば、すぐに海水注入してベントもして、と手順はすぐに決まっていたはずだ。
(質問)…どうしてシビア・アクシデントへの対策がこれほどお粗末なのか。こんな状態なのは日本だけなのか。
(松野)…チェルノブイリ事故のあと、世界はシビア・アクシデントに備えた対策を取るようになった。←→ 日本だけが30年遅れている。(※30年も遅れている…!)
(質問)…日本の原発の安全設計は、国際水準から見るとどれほど遅れているのか。
(松野)…IAEA(国際原子力機関)は「5層の深層防護」を主張しているが、日本のそれは3層しかない(※原発事故は敷地内で収束するという前提での事故対策)。それが日本の原子力発電所の致命的な弱点だ。…足りない2層は「シビア・アクシデント対策(鎮静化)」と「原子力防災(避難)」。→ 原子力防災(避難)がなかったために、住民を逃がすことが忘れられてしまったのだ。…ほぼ30年前のチェルノブイリ発電所事故の後に世界で行われたシビア・アクシデント対策がしっかりしていれば、(放射性物質を除去する)フィルター付きベントがほぼ機械的に行われて、住民避難が容易になっただろうし、最後の最後には原子炉を廃炉にする余裕もあったと思う。
(※IAEAの「5層の防護基準」についての詳細は…『原発難民』→「震災レポート⑳」参照…アメリカは第6層(立地)の防護基準まで定めているという…)
(質問)…(日本は)なぜそんなお粗末な状態になったのか。
(松野)…ちょうどその頃から、日本の原子力エネルギー政策はプルサーマルに傾斜していくのです。核燃料サイクルがうまくいかなくなっていた頃だった。→ 各地でMOX燃料を使う計画が持ち上がり、その地元説明会やその論理構築といった対策に一生懸命になった。→ 真剣な原子力推進から空虚な原子力推進へと人事がシフトした(※その頃、松野さんたちも外された…?)。→ それでシビア・アクシデント対策が無防備なままになった。
(※う~む、「核燃料サイクル」への異常な執着も福島原発事故の要因の一つになっている…?)

・「プルサーマル発電」とは、通常のウラン燃料にプルトニウムを添加して燃料(MOX燃料)とする発電。…プルトニウムは、原発で燃やしたウランの燃えかすとして出てくる。猛毒であるほか、核爆弾の原料になりうるため、貯蔵量をIAEAに報告し、査察を受けなくてはならない。…日本は、このプルトニウムを青森県六ヶ所村で再処理してプルトニウム燃料に変え、福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の燃料にする「核燃料サイクル」を計画したが、もんじゅは度重なるトラブルで1994年以来休止したままだ(※最近の報道では、ようやく廃炉が決まったよう…)。原発が稼働して溜まる一方のプルトニウムを再利用する策として打ち出されたのが「プルサーマル発電」だった。…福島第一原発では、3号機がMOX燃料を使っている。(※う~む、くすぶり続ける、「原発への執着」=「核武装への執着」という疑念…「核燃料サイクル」や「プルサーマル発電」はそのカモフラージュ…?)



○このままではまた同じことが起こる


(松野)…端的に言えば、日本の原発の「設置許可」と「防災対策」はリンクしていないのです。「防災対策」は「設置許可」の条件になっていない。

・これも重要な指摘である。→ 現在も「事故が起きたときの住民避難対策が不備だから、原発の建設を許可しない」というロジックを国は採用していない、ということだ。…そもそも、原子力災害対策特別措置法では、原発事故の際の住民避難の責任主体は国であって、電力会社ではない。→ 原発を作るのは電力会社だが、彼らにすれば「住民避難は自分たちの責任ではない」という認識になる。
〔※う~ん、今もまさしく、「住民避難対策が不備のまま」、その責任主体が国(原子力規制委員会)なのか、自治体(県、市町村)なのか、電力会社なのか…曖昧なまま、原発再稼働が進行しつつある…という、あまりに〝日本的な風景〟…〕

(質問)…もし3・11のときに、松野さんが防災の責任者だったら、避難範囲を半径何キロが適当だったと思うか。
(松野)…私が2000年代に原子力発電技術機構に出向していたとき、ERSS(原子炉の情報収集システム)を改良・運用する責任者になった。…そのときに、EPZ(避難範囲)がそれまでの10キロ圏では大幅に不足すると考え、チェルノブイリ級の事故を想定してERSSで「100キロ圏に影響が及ぶ過酷事故の予測訓練内の避難訓練」を実際に実施していた(※日本の現場には、このような人もいたのか…)。→ しかし「100キロの想定」は拒絶されました。…防災指針で避難範囲(EPZ)を「8-10キロ」と決めたのは私だという学者が「私の顔をつぶす気か」と立腹されたから。(※これも、あまりに〝日本的な光景〟か…)
(質問)…それは誰ですか。
(松野)…具体的には言えません。(烏賀陽注:後述する永嶋國雄氏が具体名を証言…)
(質問)…住民被曝は誰の責任が重いと思うか。
(松野)…政治家、官僚、学者、報道、関係者みんなが何らかの形で罪を犯している。家に火がついているのに、全員が見て見ぬふりをしたようなものだ。あるいは「自分が無能なことを知っていながら該当ポストに就いて給料を受け取っていた」と言うべきか。→ この責任を報告書にまとめるのは並大抵ではないだろう。部内者ではだめです。真面目な専門家を入れた第三者でないとできない。→ このままうやむやにすると、また同じことが起きるだろう。「負けるかもしれない」「負けたときにはどうするのか」を誰も考えないのなら、(電力会社も)戦争中(の軍部)と同じです。…負けたとき(最悪の原発事故が起きたとき)の選択肢を用意しておくのが、私たち学者や技術者の仕事ではないですか。



○事故調査委員会の追及は真剣さが足りない


(質問)…事故調査委員会の調査をどう見ているか。
(松野)…事故調査委員会は原子力防災の専門家なしで調査を進めている。…本来は「全交流電源喪失事故とは何なのか」「15条通報が原発からあったとき、何をすればよかったのか」を助言する立場の原子力安全委員会(学者)は、自分が被告席にいるので、聞かれたことしか答えない。…「ERSS/SPEEDIを使った初動とはどういうものか」を説明するはずだった原子力安全・保安院(官僚)も同じ被告の立場だ。聞かれたことしか答えない。→ こんな調子で、調査委員会には「深掘り」の力がない。…「(首相官邸の)過剰介入」とか「(東電社員の原発事故現場からの)撤退」などは本質的な問題ではないのだ。…「事故原因は津波だ」と言い、一方では「システムの欠陥(ERSS/SPEEDI)だ」と言う。あたかも、この二つに責任があるかのように言っている。→ 技術的な要因について真剣な追及がない。…「あのときそれぞれの関係者がどうすれば住民の避難を最も素早く容易にすることができたのか」とか「発電所側は住民に被曝させないために何をしなければならなかったのか」とか、核心に迫った内容になっていない。…スリーマイル島事故の後に出された米国の「ケメニー報告」などと比べても見劣りする。
(※「失敗」から学べない、日本の負の風土…?)



○バックアップシステム「PBS」が存在した


・「ERSS/SPEEDIが作動しなかったから住民避難に失敗した」という弁明は、もう一つの事実によって否定される。→「地震・津波のような複合災害で発電所からの現地情報が途絶した場合でも、その機能をバックアップする『PBS』という予備システムがちゃんとあった」という事実である。…〔PBS(プラント事故挙動データシステム)…原子炉に過酷事故が起きたとき、どれくらいの時間で燃料が溶けて格納容器が壊れるか、その結果、放射性物質がどれくらいの量放出されるかを、日本全国の原子炉ごとにあらかじめシミュレーションして蓄積したデータベース〕

・万一の事態として、ERSS(原子炉の情報収集システム)が作動しても、原子力発電所からのデータそのものを送れないという事態がありうる。→ するとSPEEDIは作動しない。…またERSSは作動しても、演算には30分ほどかかる。→ 避難開始に間に合わないかもしれない。

・PBSは、そうした「最悪の事態」になった場合でも、どの原発、どの原子炉で事故が起きても対応できるように、何種類もの過酷事故をあらかじめシミュレーションしてデータベースとして用意してある。…PBSの内容はDVD-ROMに保存され、各原発のオフサイトセンターに常備されている。→ 典型的な過酷事故の様子は、オフサイトセンターで必要に応じていつでも見たり研究することもできる。…つまり、3・11のように電気や電話網が広域でダウンしてしまうような大災害が起きたとしても、住民が被曝しないよう避難できるようなバックアップのシステムはちゃんと用意してあった。←→ 政策当局者はそれを使えなかった。…この事実を知ると、福島第一原発事故は、「あらかじめマニュアルに決めてあったことすら守れなかった」あるいは「マニュアルがあったことすら忘れていた」に近いことがわかる。(※う~ん、このことは、烏賀陽氏以外に誰も公表していないのか…?)

・(1章で述べたように)PBSのデータは3月11日夜には首相官邸に届いている。←→ しかし、住民避難にPBSのデータが生かされた形跡がない。…原子力安全・保安院(PBSの所管官庁であり、原子力災害対策本部の事務局)の平岡次長は、PBSの重要性を首相や経産大臣周辺に助言していない。→ そのため、誰もその重要性に気づかず、せっかくのPBSの情報は「素通り」されてしまった。→ さらに、国会・政府など事故調査委員会の報告書では、PBSの存在すら指摘されていない。…これも深刻な検証能力の欠如として記録しておくべきだろう。



○日本のメーカーはPBSの開発を拒否していた


・このPBSを作った責任者の永嶋國雄さん(71)を、(松野さんの勧めで)2012年9月に横浜市郊外の自宅に訪ねた(その後も何度か取材を重ねた)。…その話の内容も、松野さんに劣らず衝撃的だった。

・(前述のとおり)ERSSがダウンして原子炉のリアルタイムのデータが取れなくても、そういう場合のバックアップシミュレーションとして「PBS」(プラント予測システム)が用意されていた。→ PBSを起動して計算したデータを使えば、SPEEDIを動かすことができ、放射性雲が流れる方向を予測できた。…永嶋さんはそう指摘する。

(質問)…原発事故時の予測システムPBSの開発にかかわられた経緯を教えてください。
(永嶋)…私は東芝の出身で、そこからNUPEC(通産省の外郭団体)に出向していた。1995年頃からPBS開発の話が始まった。←→ けれど、電力会社は「後ろ向きな対応」というか、むしろやらせたがらない。…そういうプレッシャーも実際に開発にはかかってきた。
(質問)…PBSは日本生まれですか。
(永嶋)…予測システムの概念は日本独自のものです。→ 予測システムに使用するシミュレーションコードは、アメリカのコードを採用した。←→ 日本でそれを開発しようとすると、技術力があるのは東芝、日立、三菱(※いわゆる原発メーカー)だが、仕事を受けようとしない。要するに電力会社の圧力がある。→ 開発予算が十分あったので、アメリカの民間会社と国立研究所に発注した(詳細はP253)。…アメリカはいろんなシビア・アクシデントの実験(原子炉破壊実験や格納容器破壊実験など)を実際にやっている(※これも日米の違いの一つか…)。…日本の電力会社は、こっちが外国に発注することに対しては何も言えなかった。
(質問)…国内でやろうとすると邪魔をするのですね。
(永嶋)…先ほどのメーカー3社は、技術力はあるのにやろうとしなかった。常に電力会社から圧力があるから。→ 東芝出身の私にも、東芝の営業から2回連絡があった。営業担当と酒を飲んだら、「東電の言うことを聞け」と言う。(※う~ん、これも極めて〝日本的な光景〟か…詳細はP254~255)

・これは重要な証言である。→ 原発事故についてシミュレーションをしておくことすら、電力会社は妨害しようとした、ということだ。しかも表のルートではなく、永嶋さんの出身企業である東芝の営業担当を通じて水面下で圧力をかけた(※日本の支配者層の常套手段…?)…東芝は原発の主要メーカーの一つであり、電力会社は同社に仕事を発注する「発注主」という強い立場にある。→ そうした電力会社の意向を汲んで(※忖度!)、「東芝、日立、三菱」などの国内メーカーは、技術力はあるのに事故シミュレーション作成に参加しようとしなかった。…後述するように、永嶋さんのPBSの開発プロジェクトは、れっきとした政府予算を受けた事業である。電力業界の隠れた意思と手法がわかるエピソードだ。
〔※う~ん、日本という国で物事が決まっていく典型的なパターンか…。そして大手報道機関は、「広告主」の意向を汲んで(忖度)、こうした事実を記事にしない・できない、という構造…〕



○福島原発事故に活用できなかったPBSの威力


(質問)…何がシビア・アクシデント対策のきっかけだったのか。
(永嶋)…(1986年の)チェルノブイリ事故です。世界各国が事故対策を検討し始めた。→ 緊急時対策の研究をやるのは良いことだと、大蔵省もかなりの予算をつけてくれた(ERSSシステムの開発だけで100億円ぐらい…詳細はP256)
(質問)…「政府担当者が分かってない」というのは?
(永嶋)…私が付き合った担当者は、地方局から出向してる人…だいたい異動で3~4年で変わる。だからあんまり勉強しようとしない。…だけど通産省と大蔵省は方向として非常によいことをやった。→ その後(99年に東海村で臨界事故が起きて)、今度は「オフサイトセンター」を作った。それを含めて総額1000億円くらいの金が付いた。(詳細はP257)

・これも重要な証言である。…PBSの開発にも100億円の税金が投入されたと永嶋さんは証言している。→ それが福島第一原発事故の本番ではまったく無駄になった。…そして事故調査委員会は、その税金の浪費を指摘するどころか、存在にすら言及していないのだ。

(質問)…それほど金と時間をかけたシステムが、なぜ3・11で機能しなかったのか。
(永嶋)…ERSSの中でPBS以外は津波で全部動かなくなってしまった。でも、PBSだけは独自に動かすことができる。非常に簡単に動かせる構造になっている(オフライン型で、停電や通信回線途絶でも、普通のパソコンでDVD-ROMが起動すれば使える)。
(質問)…確認ですが、日本国内54基の原子炉すべてについて予測シミュレーションが出せる、つまり福島第一原発のそれぞれの原子炉について、固有の特性(事故診断)が出せるのですね?
(永嶋)…そうです。一つずつについていろんな事故診断をやってきました(最悪の状態も全部想定してシミュレーションしてある)。→ 何も復旧操作もないという条件で計算すると、何時間後に原子炉圧力容器が破損して、格納容器の破損が何時間後って、そういう計算をする。→ 状況が変われば、その時点でその条件を入力すれば、計算し直し、1時間で計算結果を出せる。そういうシステムを作った。(※そんなすごいシステムがあったのか…詳細はP258~260)



○放射能の放出量は事前にわかっていた


(質問)…そうすると、3・11で現実に起きたことのように、地震で通信が途絶して原発のリアルタイムのデータがSPEEDIに入力されなくても、PBSがあれば「福島第一の1号機」「2号機」「3号機」というふうに呼び出して、シナリオが演算できた、ということですね?
(永嶋)…そうです。そのとき同時にPBSは放射能放出量も出します。→ PBSが出した放射能放出量をSPEEDIに入れる。→ SPEEDIは、住民がどのくらいの被曝をするかも計算できる。簡単にできちゃう。

・福島第一原発事故が進行していた当時、政府は、どのくらいの放射能が放出されるのかは「わからない」と発表し続けた。→ SPEEDIの存在が明らかになった後も、「原子炉のデータが取れなかったので、SPEEDIは役に立たなかった」と、班目春樹はじめ学者や官僚は弁明を続けている。→ 事故調査委員会や政治家も、その弁明を受け入れている。→ 報道もそこを追及していない。←→ 永嶋氏の証言は、これを否定する内容である。

・ここまでの事実が明らかになると、報道や事故調査委員会が力点を置いている「ERSS/SPEEDIがうまく作動しなかったこと」は、さほど重要ではないことがわかる。→ 永嶋さんの証言で「ERSS/SPEEDIが作動しなくても、PBSという予測システムがあった」からだ。→ さらに松野さんは「PBSがなくても、避難すべき方向(避難すべきでない方向)や範囲、時間は予測できた」と証言している。
⇒ 同原発2号原子炉から大量の放射性物質が漏れ出し、北西に流れて福島県南相馬市や飯舘村の住民・避難者が無警告のまま被曝したのは、事故発生後4日も経った同年3月15日である。…つまり、3・11当時の政府当局者は4日間、三重のミスを重ね続け、住民を被曝させたことがわかる。…「惨憺たる有様」としか言いようがない。→ こうした事実も、政府・国会事故調査委員会はまったく指摘していない。

(質問)…放出量は「出てみないとわからないもの」だとばかり思っていた。そうじゃなく、事前にわかるんですね。
(永嶋)…格納容器からベントする場合とか、最終的に格納容器が破壊される場合とかの放射能放出量も、出すことができます。→ 壊れると同時に、中の放射能がどれぐらい出るか計算してある。…希ガスとか、ヨウ素、ストロンチウム、プルトニウム、ほとんどすべての種別について全部計算できる。→ シナリオとしては、だいたいが注水が止まっちゃうわけです。→ 全電源喪失になって水位が下がって炉心が露出する。溶融するわけです。→ 溶融した燃料も圧力容器の下に溜まる(※メルトダウン?)。下に溜まって底をえぐる。→ 圧力容器をえぐったらその下はコンクリートで、それもえぐっていく(※メルトスルー?)
(質問)…溶けた燃料がコンクリートさえ突き破って潜り込むと、地下水と反応して水蒸気爆発するんじゃないか、という指摘もあるが。
(永嶋)…放置したらそうなる。…だけど、いろんな条件で計算したが、最終的には何でもいいから格納容器に水を放り込む。→ そうすると反応を止められる。すると格納容器が破損する前に止められる。…格納容器の外には地下水があるが、そこまで行くことはまずない。
〔※う~ん、福島第一原発事故の場合、4号機の使用済み核燃料プールが壊れて、最悪の状況になった場合、〝全員退避〟というケースもあり得た、という…(アメリカなどはそれを一番恐れて、いち早く在日米人に「80キロ退避」を指示したらしい)。→ その場合は、1~3号機の原子炉も〝放棄〟せざるを得なくなったのではないか…?〕



○1時間に100トン注水できれば原子炉は冷やすことができる


(質問)…「水なら何でもいい」というのは、海水でもよいということか。
(永嶋)…そうです。今回の福島で大変だったのは、原子炉(圧力容器)に水を入れようとした。あれはやり方をわかってない人がやると、ちょっと難しかった。だからうまくできなかった(中の圧力が高すぎて水を押し戻してしまう)。→ 全電源喪失であれば、プラントにあるポンプは全部動かない。そうすると消防ポンプしかない。電気がなくてもエンジンでポンプを動かして放水できる。
(質問)…原発の中に消防ポンプは常時用意してあるのか。
(永嶋)…中越沖地震(2007年)以後、すべての原発で消防ポンプを設置した。消防署が持っている大型ポンプ。←→ それ以前は、半分ぐらいの電力会社は用意してなかった。東電は一切なかった。(※う~ん、東電の体質か…? 技術力も弱いようだし…)
(質問)…すると、福島第一原発も3・11当時、ポンプ車はあったということか。
(永嶋)…あったのだが、1号炉で早めに水素爆発しちゃったので、現場への接近がかなり大変になってしまった。それに(恥かしい話なんだが)原発の自衛消防隊(東電職員)に大型消防車を運転できる者がいなかった。→ だから、運転を下請け企業に頼んだ(だが、下請けが動いてくれなくて、説得するのに時間がかかった)。←→ しかし、普通免許で動かせるライトバン程度のポンプ車で充分注水できる。大型消防車は5000万円くらいするが、小型車なら500万円くらいで買える。(※確かに、恥かしい・ちぐはぐな話…詳細はP263~267)



○格納容器が破裂すると、避難範囲が100キロを超える


(質問)…ほかにも、電源車を苦労して運んだのに、コードが繋がらなかったという逸話がある。何のために「原子力総合防災訓練」を定期的にやっているのか。…訓練をしたのに、本番ではまったくできなかった。非常に不思議だが…。
(永嶋)…原発災害訓練は、放射能が出る量を勝手に決めてしまえる。要するに「放射能の出る量はこの程度にしておこう」と勝手に想定できる。…それが政府の決めた「防災指針」の「避難範囲10キロ」というやつです。「10キロに影響する量でやりましょう」と勝手に決める。←→ ところが、今回は現実が30キロになったから、もう何もできなかった。
(質問)…なるほど、逆立ちしたロジックですね。
(永嶋)…どこに責任があるか。→ 電力会社の役割としては「事故が起きても避難は10キロ以下にする」という責任でずっと今までやってきている。これは、世界どこでもそう。電力会社が絶対に10キロ以下に抑える。→ だから国とか県とかすべてが、10キロに相当するシナリオで防災体制を組んでいる。←→ それを(福島第一原発事故では)東電が守れなかった。

・永嶋さんの指摘はこういう意味だ。…原発の原子炉は電力会社の私有地にある私有財産。→ だから原発事故の対応には「原発敷地内部の事故コントロールは電力会社がやる」が前提としてある。…つまり、事故を10キロ圏内に抑えられなかったことの責任の主体は、一義的には国ではなく電力会社ということ。→ 永嶋さんのさらに驚くような話……PBSは「さらに事故が悪化した場合のシナリオ」も用意していたというのだ。
(永嶋)…ベントもできなかったら、どれぐらいヒートするか? → PBSの予測演算では、避難範囲が100キロを超えてた。…ベントできたなら、30キロぐらいに抑えられた。→ いろんなシナリオがあるが、170キロというのもある。原子力委員長・近藤駿介が出したもの。
(質問)…それは、1~3号機全部が、格納容器が破れてしまった場合のことか?
(永嶋)…原子炉一つでも格納容器が破裂すると、避難範囲が1000キロを超えてしまう。…原子炉にある放射能が全部出る、という仮定で計算すると、1000キロ超えてしまう(関西より西まで入ってしまう)。←→ でも、実際に格納容器が破裂しても、放射性物質の大部分はそこに留まっている。→ そういうシミュレーションをして計算していくと、100キロ超えるくらいに収まる(東京から福島第一原発までの距離の約半分)。それでさらに運転方法でそれを押さえ込めば、小さくできる。(詳細はP268~269)
(質問)…つまり、最悪の演算をすれば避難範囲は1000キロを超える。が、現実にはそれはほとんどあり得なくて、運転や何らかの予防措置によってそれが小さくなっていく、ということか。
(永嶋)…そう。「絶対に10キロ以上には広げない」というのが電力会社の役割だった。これはずっと昔から、その前提でやってきた。→ だから官邸のところに、なぜ10キロを越えたのかと批判が集まった。←→ それで菅総理も頭にきたんじゃないか? 東電は役割を何もやってないじゃないかと。…最終責任は総理大臣にある。戦争と同じです。最高責任者は総理大臣ですよ。しかし、総理大臣が保安院や東電に「どうやって抑えるんだ」と聞いても、一向に答えられない。→ だから「こんなアホなやつらではどうしようもない」と菅総理は「俺が行かなきゃ」と勘違いした。
(質問)…10キロ内に抑える責任が東電にあったとしても、原子力安全・保安院もすべきことがあったと思うが?
(永嶋)…保安院は東電より技術がない。だからどうしていいか分からない。それが実態なんです。
(質問)…電力会社は永嶋さんの研究や警告を知らなかったのか。
(永嶋)…読んでいる。でも、それを抑え込もうと思ったのだろう(※〝不都合な真実〟だったから?)。東電は何も言ってこない。電事連(日本電気事業者連合)からは呼びかけがありましたよ。「永嶋さんの言うことを参考にさせてもらえませんか」って。
(質問)…東電ではなく、電事連が反応したんですか。
(永嶋)…電事連は明らかに東電が悪いとわかってたから。専門家はわかってるんです、東電が何をしたか。…例えば、関電は運転再開(大飯原発の再稼働)に自信がある。…「普通の技術者だったらああいうことはしなかった」って思っている。
(質問)…福島第一原発事故を研究して「あんなことはしない」と言っているのですね。
(永嶋)…それともう一つ、プラントの大きな特徴の違いがある。…福島第一原発の「沸騰水型」BWRは、緊急時に原子炉を冷やすときに、原子炉に直接海水を入れる構造。→ 海水で原子炉系全部やられて廃炉になってしまう可能性が高い。←→(関電・大飯原発の)加圧水型PWRは、蒸気発生器の2次側に海水を入れる構造。→ 原子炉には海水を入れなくてよいから、安心して海水を使える。→ だからもし事故が起きたら、ただちに海水を注入する。そういう練習もしている。



○東電の運転員は勉強不足


(質問)…永嶋さんから見て、福島第一原発事故の対応でおかしいのは何でしょう。
(永嶋)…原子炉を壊さない運転操作を充分できるのに、明らかに運転操作がおかしい。…ex. 1号機のIC(電源がなくても炉内の圧力で動く冷却装置)の運転ミス…「ICが作動してると勘違いしていた」あるいは、誰かが勘違いしてマニュアルで止めてしまった。→ 津波が来てから(燃料棒が破損するまでに)あと2時間くらい余裕があるので、その間にICを再起動すれば冷却できた(問題なく抑えられた)のに、その運転操作をした形跡がない。…ICを止めておいても大丈夫だと、運転員が思っていたよう…。(詳細はP271~273)

・これも重要な指摘だ。…ICを止めてしまうと、崩壊熱を冷却してメルトダウンを防止する装置は、何も使われていないことになる。→ つまり崩壊熱で冷却水が蒸発し、燃料棒が露出して、空焚きになって溶解(メルトダウン)するまで、ノーガードで一直線ということだ。→ 実際にその通りになり、1号機は翌12日に最初の水素爆発を起こした(水素が発生したのは、燃料棒を覆っているジルコニウム被膜が熱で溶けたため)。…一体どうしてこんな無防備なことをしたのだろう。

(永嶋)…事故が進行していた当時、原子炉設計のベテランから私にメールが来た。「崩壊熱だったらそんなに燃料が溶けることはないんじゃないか。マスコミが騒いでいるのはおかしい」と。…原子炉を設計しているベテランでさえそう思っている。→ 東電の運転員はあまり勉強していないのか、そういうことがわからない。
(※日本の原発関係者の現状は、その程度の「総合力」ということか…?)



○週に2,3回はPBSのシミュレーションをやっていた


(質問)…永嶋さんは著書や講演で「崩壊熱こそ怖い」と言っています。
(永嶋)…原子炉を止めた後でも、注水がないと、3時間後には燃料が露出して、さらにあと1時間で燃料が溶け出す。崩壊熱のせいです。→ そういうことはPBSに全部入っている。
(質問)…なるほど。PBSを見れば「これからどうなるか」が時系列でわかっていたはずだ。「2時間もICが止まっているのは危ないんじゃないか」とわかる。…つまり、PBSは「進行予定表」みたいなもので、それぞれの炉についていろいろな条件のもとで、スケジュール表を見せてくれるわけですね。
(永嶋)…JNES(原子力安全基盤機構)は、そのPBSの計算をして、原子力安全・保安院に持っていった。…しかし、保安院はそのデータの意味がわからず、無視した(そのデータは避難に生かされなかった)。→ 全部東電の情報に頼ることにした。←→ だが実は、一番最初の政府発表での炉心溶融のデータは、PBSのデータ(3月11日の夜の時点)…あれはPBSで演算している。
(質問)…なぜわかるんですか?
(永嶋)…それしか方法がないから。PBS以外に短時間で計算を出せるものがない。→ 東電がメルトダウンを発表したのは5月半ば頃だったが、あれほど遅れたのは、東電が自ら計算したので(膨大なデータが必要で)時間がかかったから。→ そのくらい時間を食うので、だからPBSはそういうことを事前にやってある。…一番重要なことだが、2000年ぐらいの時点で、松野さんや私たちNUPECの職員は、そういうシミュレーションをしょっちゅうやっていた。→ だから松野さんや私なら、「こういうときに、どういう操作をしたらよいか」というのが(全国の54機の原子炉に関して)すぐにわかる。→ だから、事故調査委員会報告を読むと、何がおかしいかすぐわかる。これは嘘をついているな、これは隠してるなって。
(質問)…だから松野さんも永嶋さんも、話が自信に満ちているのですね。
(永嶋)…そういう緊急事態になったときに、本来は我々が国をちゃんとサポートして、それをちゃんとやらなきゃいけない。それがJNESの役目なんです。訓練をやってなかったら、できない。1,2時間の間に結果を出していかないと、うまい操作ができない。
(質問)…どこで何が起きても、「ああ、あれならやったことがある」でなきゃダメってことですね。
(永嶋)…まあ、54機すべてやるってのは大変だから、あとは類型化する。代表するとなると20機以下ぐらい。→ 例えば福島第一発電所だったら、2,3,4号機は全く同じです。1号機は出力が小さい。違ったものだけについて全部やった。(詳細はP274~276)



○シビア・アクシデントの訓練は歓迎されなかった


(永嶋)…ああいう外郭団体(NUPEC)では、上のほうは通産省のポスト。中間的なのは電力会社で、実働として働くのはメーカー出身者(※日本の社会組織の力関係・権力構造がわかる?)。…松野さんのポジション(室長)は、普通4年という任期があるが、4年より早く帰らされた。これもプレッシャーなんですよ。→ 出身の四国電力に戻ったら、主要ポストじゃなかった。…そのときにやってた仕事が、電力会社にとってあまり好ましくない仕事だったから。
(質問)…それは「シビア・アクシデントが起きる想定をしているのはけしからん」ということですか?
(永嶋)…電力会社としては「そういう事故は起こらない」と言う。←→「そういうこと(シビア・アクシデントのシミュレーション)をやっている」と公開したら、「そういうことが起こると考えている、ということになる」と言うんです。→ そうすると「今まで電力会社が言ってたことはおかしいじゃないか」と住民は思う。それを恐れたんですよ。(※これも「安全神話」が捏造される要因の一つか…)
(質問)…それは完全に逆立ちした論理ですね。…「火事があったら困るから避難路は決めておきましょう」とか「どれぐらいで燃え落ちるかシミュレーションしておきましょう」とか、そういう備えなのに、「火事になるとは何事か」と怒る…ということですから。
(永嶋)…そこが原子力特有の物の考え方で、特にマスコミがかなり騒ぎ立て、変なふうに歪曲したんです。→ それで住民が心配しないよう、電力会社とか国が情報を出さなくなった。
〔※う~ん、この問題の難しさは、原子力の過酷事故と火事とは、単純な類比はできない…ということなのではないか。→ いったん起きてしまったら、火事とは例えようもない、甚大な事故の規模と被害の大きさ…。また、放射能被害という、目に見えない・長期にわたる・まだ様々な未解明の部分・要素が多く残る、原子力災害…。→ しかし、もめることを恐れて〝隠蔽〟に走る、というのは最低・最悪の対応ではないのか…〕
(質問)…マスコミの歪曲とは、例えば何でしょう?
(永嶋)…反対派は、「チェルノブイリみたいな事故が起こるから、日本の原発はやめろ」と言ってるわけです。→「レベル7の事故が起きうると予測していた」とマスコミが書いたら、住民の反対運動も強まっちゃう。←→ そういうのを恐れるがゆえに、そういう情報は出さない。それが、東電や国の上層部の考え方。→ 事故があっても、最大限10キロまで。…防災訓練の10キロというのは、3キロまで避難して、あとの10キロまでは屋内退避。…要するに家に居ればいい、となっていた。→ それなら簡単な話で、その程度で収まると。それでやっていた。←→ ところが、我々がシミュレーションやってみたら、うまく行かない場合は10キロを超えることがある。100キロ超えることもある。そういうのが出ちゃうんです。
(質問)…先ほど言っていたシミュレーションですね。
(永嶋)…復旧させるのが難しかったら、という仮定です。→ 津波とかを考えれば、もう電源が復旧しないのは分かり切ったことです。(※こうした理性的な「事故対策」のシミュレーションや議論が封じらる、日本的体質の〝後進性〟…)



○「俺の顔をつぶす気か」と怒った元・原子力委員長


(質問)…では政府や東電は「電源喪失はものすごい想定外の大事件」と大騒ぎしているが、実はとっくの昔に「当たり前のこと」として予想していた、ということですね?
(永嶋)…安全設計の考え方として「設計基準のシナリオ」と「設計基準を超えるシナリオ」があります。…設計基準というのは「電源喪失しても30分以内で回復する」とか、そういう話。→ それは「設計基準」としてなら、よい。工学的に考えると、作るときに設計基準内に収めるのは当たり前です。→ しかし「防災」は設計基準よりもっと大きい、厳しいシナリオも考えなくてはいけない。「電源が永久に途絶える」ってことも考える。
(質問)…住宅やビルでいえば「建築基準」と「防火基準」は違う、という話ですね。松野さんも同じことを言ってました。
(永嶋)…(設計基準で)20mの防波堤を作ったとしても、それを超えることを必ず考えなければいけない。それが「防災で想定する津波」です。…設計基準内ですべて安全が確保できるのか。安全性に問題はないのか。→ そうではないということで、設計基準を超えるようなシナリオを考えた。これが防災の発想です。
〔※この考え方は、『人が死なない防災』集英社新書(帯文:釜石の小中学生…生存率99.8%)の片田敏孝先生の避難の三原則その1…「想定にとらわれるな」という教えに通じる…。→「震災レポート②」参照……ちなみに、その2「最善を尽くせ」、その3「率先避難者たれ」〕
(質問)…避難が100キロを超えるようなシミュレーションをしていたら、10キロという設定をした学者の先生に怒られたと松野さんから聞きました。「おれの顔をつぶすのか」と。
(永嶋)…近藤駿介っていう原子力委員会の委員長(当時)です。…その評価委員会に、我々がやっていた緊急対策のPBSのシミュレーションを提出したら、「こんなことを世の中に出したら怒られる」と言い出した。→ それで、(100キロ避難のシナリオというのは)考えないことになってしまった。2002年前後の話…。
(質問)…それが「私の顔をつぶす気か」とつぶされるのは、それはもう、サイエンスの議論じゃないですね。
(永嶋)…原子力安全委員会に防災部会があるが、その部会長も怒った。「原子力安全委員会の顔をつぶす気か」って。その防災部会の中に近藤駿介も入っていた。→ だから原子力安全委員会は避難範囲を10キロで収めることにした。

・これも重要な証言である。…福島第一原発事故では、30-50キロにも汚染や被曝が及んだ。→ そうした「10キロを超えるシナリオ」をつぶしたのは、電力会社ではなく、政府委員会の学者たちだったというのだ。そして、その根拠も科学的な議論ではなく「メンツがつぶれる」という感情的な理由だった。(※う~ん、これも情けない〝日本的な光景〟か…)

(質問)…つまり、何かサイエンスに基づいて10キロという線引きが決められてるわけではないのですね。
(永嶋)…(10キロ以内というのは)技術的にはできないことはないんです。…フランスでは過酷事故が起こったときに、それを抑えるのは非常に難しいということで、フィルター付き格納容器ベントシステムを設置した。→ それで放射能の出る量を1/100以下にした。そうなれば、30キロ避難の事故でも(放射能が減るので)2-3キロで済んじゃう(10キロ以内の避難に縮小できる)。…フランスはそういう設計の元で、フィルターベントシステムを付けた(原子炉の中が高温高圧になったら、破裂防止でガス抜きをする。その際、外に放射性物質が出ないようにフィルターでろ過する仕組み)。
(質問)…その場合、メルトダウンは避けられないのか?
(永嶋)…格納容器が破裂したらどうしようもなくなる。しかし、格納容器が守られても、燃料棒がメルトダウンするシナリオは無視できない。→ 逆に言うと、メルトダウンしても、格納容器は壊れない程度に水を入れて冷やすことは、簡単にできる。
(質問)…container(封じ込め容器)という元の意味どおり、格納容器で封じ込めてしまう。
(永嶋)…炉心が溶融して原子炉圧力容器も壊れたときの条件までは考えてある。→ その上で、外側の格納容器が壊れるまではいかないように、圧力を逃がす(ベント)。
(質問)…「格納容器が破裂しないように、ベントでガスを抜く。そのガスに(フィルターで)危険がないようにすれば問題ない」という発想ですね。
(永嶋)…フランスはその方式を採用している。←→ アメリカはフィルターを付けていない。「運転操作で抑え込む方式」にした。→ その操作は、日本よりもっといろんな事態を考えて、運転操作のマニュアルを作って訓練している。…で、日本はアメリカのやり方を取った。←→ ところが、やる範囲を限定してしか訓練しなかった。…ex. アメリカでは炉心が溶融したとき、運転をどうするかっていう訓練までやっている。←→ 日本はそこまでやらずに、まあ楽な、あまり厳しくならない段階の訓練で終わらせている。
(質問)…なるほど、わかってきました。日本が一番危ない。運転技術訓練は高度じゃない。しかしフィルター付きベントもない。
(永嶋)…日本は、アメリカの「運転操作で抑え込む方式」をただそのまま真似て(※また真似か…)、フィルター付きベント装置は付けなかった。操作も簡単にしてしまった。…もう一つ大事な点は、そういう事故が起こることが、アメリカではまずない。…理由は地震、津波がないから。確かに、地震、津波を除くときわめて起こる確率が少ない。
(質問)…アメリカが想定しているのは、原発へのテロ攻撃とか飛行機の墜落、竜巻とか…。
(永嶋)…テロの訓練はアメリカではすごいですからね。守衛はすごい武器を持っているんです。
(※う~ん、どこが「日本の原発の安全基準は世界最高水準」なのか…?)



○情報を見極める力がなかった保安院


(質問)…PBSのデータを保安院が持っていた、首相官邸まで届けたのに無視された、という事実はどう考えればいいのか。
(永嶋)…それをどういう時に使うか、保安院が理解してなかったんじゃないか。またJNESは「こういうことができますよ」と保安院に理解させていなかったんじゃないか。…それと、JNESもあんまり難しいことは考えなくなった。全体として、30キロ避難になるような事故とか、そんな難しいことは考えない。→ だからJNESも保安院に対して、ちゃんとデータの意味を理解できるようにして出さなかったんじゃないか。→ それで、保安院はそのデータの意味が分からず、東電の情報にだけ頼ったんじゃないか。→ 東電はそういう道具(PBSデータ)を持っていないから、何もできなくて総理に説明できなかった。だから空転した。……松野さんや私がいれば、保安院を充分説得できた。保安院も多分(PBSを)採用したと思う。
〔※う~ん、〝安全神話〟の下で、各組織が劣化して、その職責を果たさず、大事故を起こした、ということか…。→ 戦後70余年を経て、日本の様々な場所で、同様の劣化が進んでいる…?〕
(質問)…保安院はジャッジする能力すらないのですね。
(永嶋)…7年前に現役を辞めたとき、私は「PBSを電力会社に持たせろ」と提案しました。…東電は現場の情報を持っている。だから「事故の場合は同時に2ヵ所で計算して、その結果を突き合わせて判断する方式にしろ」と提案した。…これはフランスが採用している方式(国営電力会社と国が持っているシステムが同じで、お互いに計算して、次の判断を下す)。
(質問)…(PBSは)なぜ事故本番で生かされなかったのか。
(永嶋)…まず、保安院はPBSの意味や重要性をあまり理解していなかった。そして、東電は数年前から「100キロ避難の事故」とか厳しいことを言う人を排除していった。(詳細はP284~285。…※ このような〝モノ言う人の排除〟は、経産省の中でもあったらしい…)
(質問)…事故調査委員会は、なぜPBSに言及しないのでしょう。
(永嶋)…事故調査委員会の報告には、私のように緊急時対策を20年もやってた人がデータや評価を検証してる部分が一切ない。大きな欠陥です。…調査委員は、要するに専門外の人だから、わからない。→ だから、東電や保安院の人の言い分を聞いて、「いや、PBSがあるはずでしょう」とは言えない。…だから、今までのすべての事故調が不十分です。
(質問)…国会や政府事故調が最終報告書を出して、事故の検証は終わりみたいな雰囲気に世論はなっているが、お話しを聞くと、真相に全然到達してない。相手のウソや隠していることを見破れない。…松野さんも「事故調査委員会はどこも深掘りができない」と言われました。
(永嶋)…私も、事故調の報告書を見て「おかしい」といろいろ腹が立ってくる。



○汚染の問題は何十年も続く


(質問)…大飯原発の再稼働の後、福井県の現地に取材に行ったら、オフサイトセンターが原発から4-5キロのところにあった(4章参照)。→ もしフクシマと同規模の事故が起きたら、やはりこのオフサイトセンターは機能しない。…なぜそれで再稼働できるのか、非常に不安を感じます。
(永嶋)…オフサイトセンターを移設するには、多分最短でも1年半かかる。→ そんなもん待ってたら、まったく運転できないでしょう?(笑) …国は避難範囲を30キロに拡大する政策変更をやっているが、本当はもっと大事なのは、放射能汚染。→ 30キロ避難規模の事故なら、その5倍の距離(150キロの範囲)が汚染します。それほど大きく汚染する。…その範囲内で、農産物の出荷が制限されるでしょう。→ 150キロ内汚染というフクシマと同じ規模の汚染が、もし大飯原発で起きるとしたら、誰も再稼働には賛成しない。地元県でさえ反対するでしょう。何が事故のとき大事かが、原子力安全委員会(現在は原子力規制委員会)がわかっていない。…福島県の人たちが避難する間に浴びた量が、最大で30ミリシーベルトという推定が計算で出ています。…これは短時間だから許される。→ しかし、汚染問題は永久に続きます。だから年間1ミリシーベルトを基準にするのです。そうでないと(長期間の延被曝量が)大変なことになる。←→ だが、そうした汚染の問題について、住民に説明したり確認を取る話をしていない。→ 改善するのであれば、汚染の対策をまず取って、避難30キロをその後考えるべきでしょう。…汚染の問題は何十年も続くのです。
(質問)…半減期を過ぎると汚染が低減すると勘違いしている人が多いが…。
(永嶋)…セシウムの半減期は30年、だから少なくとも30年の間では半分にしかならない。…今福島でやっている除染にしろ農産物の被害にしろ、あれだけの大きな経済的被害を突きつけられている。→ こうした汚染を、大飯原発付近の京都府や滋賀県の人に「ああいうのを覚悟しますか」って言えるでしょうか。
(質問)…福井県の原発から30キロでラインを引くと琵琶湖が入る。琵琶湖は関西の人間にとっては上水道源なので、飲み水が汚染される危険がある。
(永嶋)…30キロは避難の範囲で、汚染の範囲は150キロになる。だから絶対に、汚染の拡散を大丈夫な範囲に抑えていかなければならない。…原子力防災の目的は住民の生命と財産を守ることです。→ 現在の状況では、放射線被曝で生命を失う人は出なかったけれど、財産の損害は範囲も金額も大きい。…かつてPBSに「EGS」(避難ガイドシステム)を連動させて、いろいろなシナリオについてシミュレーションした結果、福島原発事故前の「EPZ(避難範囲)=10キロ」を前提にすると、重度汚染範囲は50キロ(避難範囲の5倍)になる。→ 重度汚染範囲で考えられる被害は、実害で1200億円、さらに風評被害はその何倍かになる、ということがわかっていた。
〔※う~ん、こんなことまでシミュレーションしていた、ということか。→ つまり、原子力災害の場合は、〝風評被害〟も避けられないものとして、織り込んでおかなくてはならない。それが原子力災害の怖さだ、ということか…〕
…アメリカでは、10マイル(16キロ)の避難訓練に加えて50マイル(80キロ)の範囲の「放射能汚染対応訓練」をしていた。←→ なのに、日本では「EPZ(避難範囲)=10キロ」を大きく超えて賠償額が巨大になると、賠償ができなくて事業者が破産して責任が取れなくなる。→ だから、事故前の原災法ではEPZ=10キロになっていた(※う~ん、日本では、住民の生命・財産あるいは科学的な根拠ではなく、〝事業者の賠償額〟の都合で、「避難範囲」が想定されていた…!)。
…原子力災害の実態は、福島原発事故で実証された。→ ヨウ素、セシウム等の固体放射能が重要です。…今の段階では被曝による健康被害は発生していません。放射能汚染による居住制限や除染等のほうが、現在は深刻です。が、将来障害が出る可能性の懸念はあります。



○事故は起こらない、放射能は拡散しないという前提


・松野さんと永嶋さんの証言をここまで読めば、不思議に思えるに違いない。…二人は政府の原発の安全対策を担う機関(NUPEC・JNES)で、事故対策を研究し、膨大なノウハウを政府内に蓄積した。また巨額の税金を使ってERSS・SPEEDIとPBSという「装備」「設備」を作った。→ それが死蔵されてしまったのはなぜだろう。…もう一度、松野さんに意見を聞いた。

(松野)…永嶋さんと二人で、様々なシミュレーションを試していくと、避難範囲が10キロを超える状況がまざまざと見えたのです。…私は四国電力では(原発の)安全審査を受ける側にいたが、その経験から見ると、安全審査は「原発事故が起きても、放射性物質の拡散は敷地外には出ない(原子炉から1キロを超えない)」ことになっていた。つまり、それは格納容器は壊れないことが前提になっていた。←→ しかし現実にはそれが起きうることをシミュレーションが示していた。→ 私は、この結果を出したERSSをどう活用していこうか、と考えたが、その活用法が確立しないうちに、(慣例では出向は4年なのに3年で)私のJNESへの出向は解除になった。あと1年あれば避難計画に織り込めたかもしれません。→(四国電力に戻ったら)部下のいない形だけの管理職でした(笑)。
(質問)…『原子力防災』を出版されたのが2007年ですが、在職中に論文や原発事故対策マニュアルなどの文書の形では残さなかったのか。
(松野)…福島原発事故が起きた後の今だからこそ、その質問が出るのだと思う。←→ あの頃は、日本中の関係者が「日本では原子力発電所で重大事故は起きないことにする」という前提で動いていたのです。



○原子力防災専門官の役割とは


(質問)…(現役のとき松野さんが指導したという)経産省原子力防災専門官の役割はこの通りでよいか。(P292に原子力災害対策特別措置法の引用あり)
(松野)…そうです。その原災法の定めに従って、SPEEDIの予測が出てきたら、それに従って避難を指示せよ…それが役人の仕事です。→ ところが、私が研修した職員は中堅になっているはずだが、不思議なことに、福島原発事故ではそうした人たちが出てきていない。…原子力安全・保安院の寺坂院長、平岡次長、原子力安全委員会の班目委員長は、ERSS研修を受けていない人たちなのです。
(質問)…なぜ松野さんや永嶋さんの知見が死蔵されたとお考えですか。
(松野)…当時はプルサーマル(プルトニウムを混合したMOX燃料で既成の原発を動かす)の推進時代だった。…プルサーマル推進の論理は「事故を起こさなければウラン燃料とプルトニウム燃料のリスクは変わらない」だった。→ 逆にいうと、プルサーマルを推進するためには、事故は起きてはならなかったのです(※だから、事故は起きないことにする)。…私のように、原発事故の進展に合わせて避難計画を作ろうとまで言う者は、邪魔だったのかもしれません。
(質問)…腹立たしい話です。
(松野)…私の悔しさや腹立ちも、とても語り尽くせません。
(※確か元経産官僚の古賀茂明氏も、そのころ経産省内部で、原発推進に批判的な者たちが排除されていった、という意味のことを、どこかで語っていたように記憶するが…)



○消防の立場から考える原発事故と防災


・一方、私が福島原発事故の現場取材からずっと気になっていたのは、警察・消防や自衛隊といったふだん災害現場で活動する機関の人たちが、原発災害に対してどういった備えをしていたのか、という問題。→ 取材を続ける中、原発事故と住民避難の危険を警告していた神戸市の元消防署長・森本宏さん(84)を見つけ出した。

・森本さんは、2007年に『チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだか』(近代消防社)を出版したが、福島原発事故以前に書かれたとは思えないほど、原発事故の現実と住民避難の問題点を的確に予言している。…チェルノブイリ、スリーマイル島の原発事故や「もんじゅ」ナトリウム冷却材漏れ事故、東海村臨界事故などの事例を分析して、日本の原発防災体制、特に住民避難体制が甘すぎることを警告している。…以下はその一例。
*日本政府は「(原発事故の)防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲」(EPZ=Emergency Planning Zone)の目安として、半径8-10キロを設定している。人体や環境に重大な影響の及ぶ可能性のある範囲は8-10キロ以遠には及ばないという想定だが、これは余りに楽観的な想定である。
*チェルノブイリ原発事故のような炉心溶融などによる爆発事故は、日本の原子炉にはあり得ないという前提に立っている。
*EPZ 8-10キロは、アメリカの避難区域10マイル(16キロ)の模倣である。
*もともとアメリカの半径10マイルは厳密に計算されてできたものではなく、スリーマイル島原発事故の5マイル刻みの避難指示が、そのまま残っただけ。数字そのものにたいした意味はない。
*これが日本に入ると、これ以外には原発被害は広がらないかのような話になった。
*米国と同じ軽水炉を使う日本でも、スリーマイル島原発事故と同じ炉心溶融事故が起きない保障はまったくない。
・森本さんの指摘は、福島第一原発事故で起きた現実と矛盾なく合致した。→ 2014年9月17日、神戸市内の森本さんの自宅を訪ねた。(※消防関係にこんな人もいたのか…)



○人間は驚天動地の事態に必ずパニックを起こす


(質問)…ご本の中で「避難8-10キロ圏は余りにも楽観的な想定」とはっきり書かれていたので驚きました。福島第一原発事故では30-50キロ以遠にある飯舘村が全村民避難を強いられるほどの汚染に見舞われ、放射能雲(プルーム)はさらに遠くまで飛んだ。…つまり森本さんが指摘された避難態勢の不備が、そのまま現実になってしまった。
(森本)…だいたい、チェルノブイリ原発事故でそれははっきりしていたのではないか。
(質問)…どんなきっかけでこの本を書かれたのか。…消防に勤めていた頃から、原子力防災が専門だったのですか。
(森本)…いえ、まったく違います。消防での専門は「防火管理」だった。…この本は退職(1990年)してから独学で研究を始めたんです。→(原発事故が起きたら)実際問題として、消防は一番先に出動せんといかんだろう。そのときにどう動くのか、消防は考えとるのか…それがこの本の出発点だった。→ それで「もんじゅ」(ナトリウム冷却材漏れ事故)や「東海村」(臨界事故)の例を出して「何をしていたのか」を検証してみた。→ 実にスカタン(失敗)ばかりしていた(笑)。
そもそも原発に興味を持つきっかけになったのは、柳田邦男さんの『恐怖の2時間18分』(米国スリーマイル島原発事故の分析)です。あれは人間のパニックについての本だと思う。…人間がパニックに陥ったとき、どんな動きをするのか。火災のときの人間の心理とまったく似ているのです。火災では人間はパニックに陥りがちです。→ 防火管理の仕事は、人間のパニックをどう抑えるかを教えるのが要諦なのです。…柳田さんの本を読むと、あのときスリーマイル島の運転員の動きは、パニックの連続で最後まで行ってしまって、事故の真相がつかめなかった。そんなことが底にあると思う。…この原子力事故と防火管理は似たところがあるなと思い、非常に強い興味を持ったのです。→ 吉田調書がいろいろ問題になっているが、あれもパニックの面から解析しないといけない。…本当は全員がパニック状態でものを言うておったから、それぞれなかなか正解は出てこなかったのではないか。…そういう面から見るのも事故調査委員会の見方だと思うが、そういうのはなかったんじゃないか?
(質問)…なるほど、パニックの心理という側面から検証した事故調査委員会報告は見たことがありません。
(森本)…広島市の地すべり災害でもそうだが、災害のときの人間の究極の心理で人間がどう動くのかを見ておかないといけない。…官邸や東電がどう動いたという話は具象面です。→ その根底にある人間の深層心理を理解しないとだめだと思う。←→ なのに事故調に、災害時の人間心理の専門家が入っていないじゃないですか。
(質問)…具体的に原発事故のどういった面が火災のときのパニックに似ていると思ったか。
(森本)…極端な災害にあったときに人間がまずどう動くか、というと「フリーズ」(固まったまま動かなくなる)してしまう。→ スリーマイル島原発の運転員も、フリーズしてしまって、弁の状態がわからなくなったり、(事実と逆に)思い込んだり、信じ込んでしまう。…つまり思考が固まってしまう、フリーズする。→ 思考が固まると、落ち着いていたら気づくことにも、気づかなくなる。…そういう人間心理の根底からやっていかないと、避難とか災害対策はあり得ないと思う。
(質問)…森本さん自身の消防の経験でもそういうことがあったのか。
(森本)…人間はそういう驚天動地の状況に遭うと、みんな同じです。(詳細はP299)
(質問)…福島原発事故が進行していたころ、首相官邸で寺坂保安院院長や班目委員長、武黒東電フェローが「地蔵のように固まったまま黙りこくっていた」という証言が複数ある。また、班目委員長は「思考が一つのパターンにはまって抜け出せなくなった」と私のインタビューに語っています。それもフリーズなのですね。
(森本)…まさにそれがフリーズです。何時間かはパニックが続いたんじゃないか。→ もうちょっと心理面から突っ込んだ分析がほしい。それを何とか除去しない限りはアカンのじゃないですか。
(質問)…原発がメルトダウンしかない、という場面でパニックを防ぐのは難しいのではないか。どうすればいいのでしょう。
(森本)…それを克服するには知識と経験じゃないですか。今回そういう備えがなかったからこそ、そういう状況になったんじゃないですか。
(質問)…どんな知識ですか。
(森本)…原発なら原発の、徹底した現場知識です。今回それがあったのは、吉田所長でしょう。それがあったから、パニックにならずに落ち着いていたんだと思う。…私は原発は素人ですが、今の原発災害対策を横で見ていると、その備えがないと、(原発だけじゃなく)何回同じことが起きても結果は同じなんじゃないかと思います。
〔※う~ん、〝安全神話〟を前提にしてしまったために、(心理面も含めた)過酷事故への備えがなく、フリーズしてしまった…。→ そして今のままでは、何回でも結果は同じになる…〕



○なぜチェルノブイリに学ばないのか


(質問)…福島原発事故前に「8-10キロの避難区域の設定はあまりに楽観的」と的確に予言をされたのは、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故の研究をしてそう考えたのか。
(森本)…チェルノブイリ事故ですね。ウクライナの隣のベラルーシにまで放射能雲(プルーム)が飛んでいる。今でもベラルーシの汚染はひどい。→ 福島でも北西に放射能が飛んでいますね。チェルノブイリとまったく同じではありませんか。←→ 5キロとか10キロとかの避難範囲は、スリーマイル島原発事故のときの避難範囲を形だけなぞっただけにすぎない。…そのスリーマイル島原発事故だって、何か確信があってその範囲を決めたのではなく「とりあえずそうしておこう」という程度でしかなかった。あるいは「これ以上の避難は手に負えない」とかそんな論理で決まっていった。…文献で読んだ限りだが、スリーマイル島原発事故の避難責任者は、5マイル、10マイルと切りのいい数字で決めていったにすぎないのです。
(質問)…政府内部にいた政治家に聞くと、当時は放射能がどんな動き方をするのかもわからなかったようです。…煙のように動くのではなく、光線のように点線源だと思った人もいます。
(森本)…なぜチェルノブイリをもっと勉強しないのでしょうか。
(質問)…SPEEDI/ERSSにせよPBSにせよ、原発事故避難に備えたシステムがあるのに、官僚が使い方がわからない、データの意味がわからない、という事態が起きました。
(森本)…行政の中にどこか欠陥があるのでしょう。→ 気象情報は気象庁が担当と決まっているように、誰の責任かはっきり決めておけばよいのです。
(質問)…円形で区切って避難するのがそもそもおかしいように思えます。
(森本)…意味のない避難をしても仕方がない。例えば、原発から風下に逃げても意味がない。放射能雲が来ない方向へ逃げるしかありません。
(質問)…国は原子力防災訓練を3・11の半年前にやっています。菅直人総理も参加していた。が、本番にはあまり役に立った様子がない。なぜなのでしょう。
(森本)…訓練には緊迫感がないから、パニックという心理は経験できない。→ 災害の本番に近い模擬訓練を繰り返しやるしかないのです。(※フランスでは、事前にシナリオを教えない「緊迫感のある訓練」を日常的に実施しているらしい…)
(質問)…火事の現場ではパニックが起きるとどんな事があるのですか。
(森本)…逆の方向に逃げるとか、煙の方向に逃げるとか、あるいは止まってしまって何もしない(※フリーズ)。正常な思考が働かないのです。→ それを排除するには場慣れするしかないのです。数多くの訓練を経験しないといけない。…天幕を張って煙を流すとか、消防では本番に近い緊迫感を経験させています。そういうテクニックが必要です。
(質問)…(原発地元の双葉町での訓練では)原発から3キロの範囲の住民が、やはり3キロ内にある公民館などの施設に避難する。→ そこで待っていると「非常用電源が作動して事なきを得ました」と連絡が入って終わる。だいたい半日で終わる。…それが毎回続いて、住民はすっかり慣れてしまった。
(森本)…それは「形式化」ですね。形式的にやっているだけ。…だいたい原発事故の避難のあり方はおかしい。→ とりあえず屋内退避せよ、と大真面目に言う。しかしあんなことあり得るわけがない。屋内にいるうちに放射能雲が来たら被曝してしまう。…本当に避難を真剣に考えているのか。←→ そもそも、事故は起きない、起きても小規模だ、という前提があるのでしょう。→(屋内退避では)一般の住宅は気密ではないから、放射能雲が来たら、ただちに被曝する。通り過ぎたら、周囲はみんな汚染されている。…放射能雲は一過性ではない。台風とは違うのです。←→ それなのに、屋内退避とは、実に妙な話です。
(例えば豪雨のときに)「全市X万人に避難を勧告した」とかニュースで言っていたが、そんな数万人の人間が避難してどこに行くのか? どこが受け入れるのか? 学校だけでそんな
大人数を収容できるのか?
(質問)…それは福島原発事故で現実になったことです。→ 避難場所の指定もないまま、大量の人たちが一斉に避難したので、学校や公民館などが次々に満員になって、後から到着した避難者が入れなくなった。あちこちさまよった。
(森本)…「災害国ニッポン」と口では言うのに、何か根底が抜けているような気がします。
(質問)…消防署に放射性物質のモニタリングネットワークを構築すべしと提言されています。
(森本)…夢物語かもしれませんが、これができたら、日本全国どこであっても、異常があればただちに分かる。→ 原発事故が起きたとき、線量について嘘をついたり事故を隠したりはできない。現場の数値がただちに分かるから、避難の方針もすぐ分かる。
(質問)…警察より消防の方が適任ですか?
(森本)…出先機関の数によると思う。機動力もある。→(事故時だけでなく)平素の値を測定していれば、異常があれば数値がぐんと上がってすぐに分かる。異常事態を検出しやすいと思う。…消防は、異常が起きたときに発見して誘導するのはシステムとして慣れている。戦力はあるし、火事がなければ余力がある。(※確かに…)
(質問)…消防が線量のモニタリングネットワークを担当すべしと現役時代には提言したのか。
(森本)…いや、消防は体育会系というか、そういうことを声に出す、聞く耳を持つ文化じゃないんです。「現場救助に力を注ぐ」というと、ロープで上がったり下がったり、ヘリで釣ったり降ろしたり、見てくれのいいことになる(笑)。線量計を消防署に配備しよう、とか地味でしょう。→ 見栄えのしない訓練はやろうとしません。このままじゃ芝居と同じやぞ、とよく言ったのですが。
(質問)…国や県・市町村の原発災害訓練も形式化している、という話だったが、消防もそうなのですね。
(森本)…今でもホースから水を出して火を消すのが消防の訓練だという固定観念がある。もちろんそれも大事だが、いつまでもそれでいい時代ではないと思う。
(質問)…消防の側にも原発災害を引き受けようという発想はないのですか。
(森本)…全然ないです。不思議な話です。

【あとがき】

・どうしてこんな重大な内容を政府や電力会社は公表せず、隠蔽したのか。なぜこんな重大な事案の意味を、専門家や報道記者は社会に警告しなかったのか。なぜ事故調査委員会は気づかないのか。なぜ裁判所は論争や判断から逃げたのか。…そうやって「福島第一原発事故につながる当事者の系譜」を洗い出してみると、政府(主に政治家職と官僚)と電力会社・原発メーカーといった産業界だけではなく、原子力を専門とする学者や新聞テレビといったマスコミ、裁判所といった、この国の「統治機構」すべてに劣化と機能不全が広がっていることがわかる。
〔※最近の新聞記事に…使命感を持って航空自衛隊に入ったが、実に幼稚な世界で、国防意識が低く → 幻滅して転職した静岡県警は、上司のパワハラや裏金づくりなど警察の体質と闇に怒り、退職。→ その後、ネットで警察の体質を告発し、執筆活動もしている「元公安刑事・幹部自衛官の作家(真田左近)が紹介されていた。…これも劣化と機能不全の事例か……東京新聞2017.4.22〕

・もし民主主義が欧米なみに機能していたなら「どうしてもセキュリティ上秘密にしなければならない例外を除いて、情報は原則公開」「官僚や政治家、学者以外の国民でも政策立案に参加できる」という「オープン型」の原発政策が行われていたはずだ。

・アメリカ全土の核施設を取材して回ったとき、事前に申請すれば、軍事施設・政府研究施設・発電施設問わず、ほぼ希望どおり自由に取材できた。…核施設専属のヒストリアンが取材に1日同行して、丁寧に解説してくれた。…私のような外国人記者でも、連邦・州政府の文書にネットや図書館からアクセスできた。…市民や原子力エンジニアが無数の環境・原子力NPOを組織していて、議会公聴会で証言したり、レポートやニュースレターを官庁や議員に届けていた。その中には「国策」に真っ向から対立する内容も多々含まれる。→ 結果はともあれ、少なくともそうした異論や対論を取り込む「参加型」の政策プロセスが保証されていた。(※う~ん、こういういいところはアメリカから学ばない…)

・日本は正反対である。→ できるだけ情報は公開しない。「パニックになるから」「反対運動が強まるから」と、国民の判断力や思考力を信用しない。異論との対話を避ける。報道記者の取材を嫌がる(この本の取材でも、事故を直接知る官僚や政治家が何人か取材を拒否した)。反対者の意見を政策に反映するなど、とんでもない話だ。

・そうした閉鎖的で排他的な日本の「原子力ムラ」をうんざりするほど体験してきた私は、彼我の違いに愕然とせざるを得なかった。…悔しいが、少なくとも原子力政策に関しては、アメリカのほうがオープン型の民主主義プロセスが整っている。…もちろん、日本も原発導入初期、1950年代はそれを実践しようと理想を抱いていた。1955年にできた「原子力基本法」は「公開・民主・自主」という「原子力三原則」をうたった。←→ しかし、福島第一原発事故は、その後の60年でこの民主主義のプロセスが無残なまでに無力化されていたことを、天下に知らしめてしまった。

・こうして、福島第一原発事故は、深刻な疑念を国民の胸に残した。→ それは「この国の政府は民主主義と呼ぶに値しないのではないか」「この国の民主主義は機能していないのではないか」という、民主主義そのものへの疑念である。…無理もない。国民が「政府(官僚・学者など)に任せておけば大丈夫」(※「お任せ民主主義」)と60年間白紙委任してきた結果が福島第一原発事故なのである。→ 2011年3月11日以後、それまで60年間安泰だった「権威」に大きなヒビが入ったのだ。

・1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、10年経たないうちに東欧が自由化して、ソ連そのものの崩壊へとつながったのは、ソ連という国家が統治の根拠にしてきた「権威」が崩壊したからである。…「権威を信じるかどうか」は人々の心の中にある判断である。→ 「お前の言うことなど、もう二度と信用しない」…心の中にあるものは、一夜にして変わってしまう。…(その程度は別にして)日本人の心の中にも、よく似た変化が起きている。なにしろ、民主主義の機能不全の最大の被害者は国民である。…23万人が被曝し、10万人が家や故郷を失った。除染費用・賠償金は10兆円を超えた(※2016年1月現在)。→「一体なぜ、ここまでひどい状態にまで堕落したのか」…心ある人なら問わずにはいられないだろう。

・福島第一原発事故後、それに並ぶ大きな社会的議論になったのは、2015年夏の「安保法案」である。…「軍事力」と「原子力」は国が発動しうる、もっとも大きな「力」である。→ いかに強大な力であっても、民主主義によるコントロールが完全なら、暴走を心配する必要はない。←→ しかし、その制御が機能不全に陥っている事実を、日本人は福島第一原発事故で目撃してしまった。→ 穏当に言えば、自分たちの民主主義のありように危機感を持った。もっと踏み込んで言えば、民主主義によるコントロールに自信を失ったのである。

・2011年3月11日、こうした「権威崩壊」と「民主主義への自信喪失」を基調低音とする新しい時代が幕を開けたのだ、と私は考えている。…それは「フクシマ後」としか呼びようのない、重くて暗い時代の始まりである。

・この国の民主主義は、いつ、どこで、何を間違えたのだろう。…この「重くて暗い時代」に、この本が役立つよう私が望むのは、この「負の歴史の記録」が多くの人々の目に触れること。より多くの集合知を呼ぶこと。未来への教訓となること。それに尽きる。

・5年という時間の経過は、被災者の上に日々重みを増してのしかかっている。…(だがその一方で)「気にしていたらきりがない」「線量計のスイッチを入れなくなった」という人もたくさんいる。→ 除染や自然減のおかげで、線量計を出して計測すれば、事故直後よりは確実に下がっている。→(事故前から比べればまだ高いのだが)人々は「下がってよかった」と胸をなでおろして安堵する。故郷に戻りたい気持ちからすれば、それは自然な感情だ。…しかし、ずっと経過を見ている私は心配で胸がざわつく。        (烏賀陽弘道)


【追記】

・大手マスメディアはフクシマの続報を報道しようとしません。旅費など経費も出しません。筆者のフクシマ取材は読者からの善意の「投げ銭」に支えられています。

*銀行口座:SMBC信託銀行 銀座支店 普通 5294975 ウガヤヒロミチ

*筆者のフクシマからの現地レポート「フクシマからの報告」は有料プラットフォーム「note.mu」で毎回一部300円で配信されています。
https://note.mu/ugaya
                               (4/26… 了)            


 〔次回以降の予定は…とりあえず、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏冶 集英社インターナショナル 2014.10.29 → 『自発的対米従属論』―知られざる「ワシントン拡声器」― 猿田佐世(角川新書)2017.3.10… この二冊をとおして、私たちが生まれ、その中で生き死にしてきた〝戦後日本の真実〟に迫ります。…(準備に少し時間がかかりそうですが)それではまた…。〕
                                   (2017.4.26)


【「震災レポート」(31)~(40) のラインナップ】

 →〔「震災レポート」1~20 のラインナップは(20)の巻末に、21~30は(30)の巻末にあります。〕

(「震災レポート・拡張編」)
(31) [脱成長論③]…『「定常経済」は可能だ!』ハーマン・デイリー(岩波ブックレット)2014.11.5
(32) [経済各論①]…『円高・デフレが日本を救う』小幡績(ディスカヴァー携書)2015.1.30―前編
(33) [経済各論②]…『円高・デフレが日本を救う』―後篇
(34) [政治状況論①]…『世界を戦争に導くグローバリズム』中野剛志(集英社新書)→(中断)

(「震災レポート・5年後編」)
(35) [世界状況論①]…『世界史の極意』佐藤優(NHK出版新書)2015.1.10―前編
(36) [世界状況論②]…『世界史の極意』―中編
(37) [世界状況論③]…『世界史の極意』―後篇
(38) [福島原発論①]…『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11―前編
(39) [福島原発論②]…『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』―中編
(40) [福島原発論③]…『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』―後篇


2017年4月6日木曜日

(震災レポート39) 震災レポート・5年後編(5)―[福島原発論 ②]

 (震災レポート39)  震災レポート・5年後編(5)―[福島原発論 ②]

 
                                        

『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』

烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11

  ―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題―            ――[中編]





【3章】原発黎明期の秘密と無法


○事故の危険性を深刻に受け止めた損害保険会社

・福島第一原発事故のあと、日本政府や電力業界は「格納容器が破壊されて放射性物質が周辺を汚染するような事故は起きないと考えていた」という弁明を繰り返した。←→ しかし、1960年頃までに、日米両国で甚大事故が起きた場合の損害についてのシミュレーションを政府機関が試算していた。…しかし日本では、その内容のあまりの深刻さに公表を見送られてしまった(※ここでも都合の悪いことは隠蔽…)。←→ アメリカの試算は英語の論文として公表されている。(※う~ん、彼我のこの姿勢の差…。→ 「対米従属」がお得意といっても、こういう良いことは真似しないのか…?)

・こうしたシミュレーションの結果を真剣にとらえたのは、原発の事故損害保険を引き受けるかどうかを検討していた保険業界である。…保険会社は、原発事故が起きる確率や被害金額を計算した。→ 保険業界の結論は「事故の際の損害が大きすぎて採算が取れない」だった。…損害保険は「原発に賛成・反対」という立場からは無縁で、冷徹に経済的な観点から原発を査定するので、注目に値する貴重な歴史的証拠である。

・(「日本火災海上保険」の社長・会長だった品川正治の証言…斉藤貴男との対談本『遺言―財界の良心から反骨のジャーナリストへ』より)……当時、茨城県東海村で日本最初の商用原子炉(東海発電所)が稼働を始めた。日本原電(電力会社9社などが出資して設立)が保険契約者で、その保険を引き受けたのが「日本火災」だった。→ 賠償保険の算定は、あまりにも巨大なリスクになりそうなので、品川氏のいた企画部に担当が回ってきた。

・1953年、東西陣営の代理戦争だった朝鮮戦争が終わった直後、アメリカのアイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)という外交政策を打ち出し、それまで軍事機密だった原子力発電政策を180度転換し、同盟国に積極的に技術移転する方針を宣言した。→ 留学生を無償で受け入れ原発技術を教育、燃料の濃縮ウランを貸与、実験炉を提供…「おんぶに抱っこ」方式だった。…つまり、アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)は、最新のエネルギー技術と引き換えに、世界の国々を西側陣営に引き入れようとする「技術輸出外交」だった。→ それに積極的に応じた国の一つが日本だった。

・日本では「原子力の平和利用」の宣伝が大々的に展開された。…1954年、読売新聞は「ついに太陽をとらえた」というキャンペーン記事を連載…同社が主催する「原子力平和利用博覧会」が全国10ヵ所で巡回開催された(※新聞の政治利用?)。…読売新聞の社長だった正力松太郎は、1956年に初代の原子力委員長と科学技術庁長官に続けて就任。政界・官界、マスコミ界を横断して原発の運転開始を推進していた。(※う~ん、アメリカ由来の原発推進の国策に、読売新聞社が当初から積極的にコミットしていった、という構図か…)

・品川氏は、推進派の「絶対安全」という触れ込みに疑問を持った。…「『原子力の平和利用』という言葉に私は惑わされなかった。原子爆弾と原子力発電は紙一重に思われた…『核』の問題として一括りにできるのではないか、放射能の人畜に与える影響は一緒ではないか。ウラン、プルトニウム、セシウムなど、調べれば調べるほど人類の敵に思えた。…絶対に事故は起こらない、絶対安全という言葉を、中曽根康弘担当大臣の主宰する会合でも、正力松太郎読売新聞社主の主催する会合でも聞かされた。日本火災の人たちでさえ、それに共鳴する人が多かった。…にもかかわらず保険を付けるとすれば、それは世間の人を欺くためとしか考えられない」「これは民間の損保会社が引き受けることができないほどの巨大リスクだ。国家が国策としてあくまで実行するというなら、それは国家が責任を持つべきだ。しかし無限大のリスクを果たして国家が担えるのか…」→(※この品川氏の疑問・懸念が、それから約半世紀後に現実のものとなってしまった…)

・品川氏は、原子力を専攻している学者、官僚の知人に話を聞いて回ったが、「細心の注意を払った設計をしており、地震や風水害、あるいはテロや従業員の自殺行為についても万全の防御をしている」という説明ばかりだった(※う~ん、学者も官僚も「立場」でものを言い…)。→ 偶然、知人の中に三高時代の同級生で、通産省で原子力を担当していた伊原義徳氏がいた。…1954年にアメリカに留学して原子力発電の技術を日本に持ち帰り、その後科学技術庁事務次官になった「日本の原発の父」ともいえる人物。

・偶然、著者は『ヒロシマからフクシマへ』を書くにあたって、この伊原氏を何度も取材し、日本の原発黎明期を知る貴重な証言を聴かせてもらっていた。→ そこで今回改めて、日本の原発黎明期に、保険業界と原子力行政それぞれの中枢にいた二人が、友人同士として、原発のリスクについてどんな話をしたのかを知りたいと思い、伊原氏の自宅を訪ねた。

・「何でも腹蔵なく話し合える仲だったので『絶対安全なんてものは世の中にはない』そんなことを話したと思う。あらゆる技術は危険が伴う…その危険を顕在化させないことが、それに伴う技術者の責務だ。それが技術者の共通の認識だと思う」「彼(品川氏)は保険業界で活躍する優秀な人間だった。その損害保険というのは、事故が起きるというのが前提の制度だ」
……原発事故のリスクをできるだけ隠蔽しようとしてきた近年の電力業界の態度や言動に慣れていると、「事故は必ず起きる」という(伊原氏の)発言は鮮烈である。…日本に原発を導入した当事者である伊原氏は、実はこうした現実的な感覚の持ち主である。それを品川氏に伝えたという。(※日本の原発黎明期には、通産省にもまだこういう人物がいた…)


○実際の賠償金は保険金支払い上限の48倍に

・原発事故の損害賠償に関する保険・契約には、民間保険会社と電力会社が結ぶ「原子力責任保険」と、電力会社が国と契約する「原子力補償契約」があり、どちらも強制加入。…なぜ民間と国と二重になっているかというと、「地震・噴火・津波」などの天災で発生した原発事故の損害は、民間保険会社は支払いを免責されているから(「戦争・社会的動乱・異常に巨大な天災地変」の場合は、電力会社も免責される)。

・2011年の東日本大震災の場合…福島第一原発事故は、「天災」によるものとして、民間保険会社は「免責」→ 政府との補償契約が作動した。…実は民間保険も政府保険も「支払い上限金額」が決められていた。…1961年の契約当初は上限金額はたったの50億円。71年に60億円、79年に100億円、そして3・11当時は1200億円に引き上げられていた。→ では、福島第一原発事故で実際に東京電力が支払った賠償金は、2016年1月15日現在、総額5兆8243億円…「上限」として想定された1200億円の50倍で、そして今なお増え続けている。

・差し引き5兆7043億円は、国が払った。上限を超える損害が生じたときには、その電力事業者に対して国が「援助」することになっているから…つまり財源は国民が収めた税金なのだ(根拠法はP142)。…民間保険にしろ政府保険にしろ、実際の事故の損害に比べて、その想定がいかに少額だったかがわかる。

〔伊原氏への質問に戻る〕

・(政府保険と民間保険が二重にあるのは?)…「それは国際的な制度として、原子力発電は保険制度を確立するのが当然だという国際的な動きがあったからだろう」「(原発事故)保険制度は、(リスクが非常に大きいので)国際的に何重にも担保する(世界の金融市場で何重にも分散させる)ということで成り立つ制度だ」…つまり、原発が導入されると同時に、日本は国際金融の枠組みに入っていく、そんな過程だった。

・(先ほど「危険を顕在化させないために努力する」と言われたが、それは「事故を起こさない」ということか?)…「いや、事故が起きたときに、周囲に住んでおられる方に大きな影響を及ぼさない、ということだ。事故というのは必ず起きるものなのだ。起きても、それが敷地の外に大きく影響しないというのが技術者の責務なのだ。」…(※3・11事故では、この「技術者の責務」が果たされることはなかった…)

・(保険はその構図にどう組み入れられたのか?)…「事故は必ず起きる。起きれば経済的な損害が発生する。だからそれを賠償する。その制度を確立して初めて、危険な技術というのは実施できる。(原発は)『危険であるけど役に立つ技術』なのだから、それを世の中に役立てるために損害保険制度が確立している。そういう考え方だ。」…(※だが3・11事故では、その保険制度の想定をはるかに超える〝巨大事故〟を起こしてしまった…)


○「事故が起これば国家財政が破綻」大蔵省の懸念

・民間保険の上限額である50億円(当初)という金額は、同時期のアメリカの原子力保険制度が上限216億円(6000万ドル)だったのに比較してもはるかに小さい。これはなぜか。→ 原発事故が起きたときの損害は巨大なので、保険会社の資本金の5%を限度にしておかないと、保険会社まで倒産してしまう、ということだ。(※保険会社の都合か…詳細はP144~145)

・さらに「上限額を超える損害は政府が援助する」という仕組みにも、これには大蔵省が抵抗した。…50億円までを企業が責任保険で払うのはいいが、それ以上の災害が出たとき、国家が補償する場合、その上限を決めておかないと、財政が破綻してしまうという懸念があったからだ。→ つまり、原発が事故を起こすと、保険会社どころか国家が破綻するくらいの巨額の損害が出る…と当時からわかっていたのだ。(※そして5年後の今、国はそのツケを「税金」や「電気料金」という形で国民につけ回ししようとしている…)

・実は、日本での原発事故保険の整備は、原発導入を先行して決めた後にドタバタと後付けで決まった(詳細はP145~147)。…ここでわかるのは、日本では「原子力発電を導入する」という決定が前のめりで先行し、「では、事故が起きたときの補償はどうするのか」という法律や保険制度の整備が後回しになっていた、ということだ。(※なぜそんなに「原発の導入」を急いだのか…?)

・そして1957年は、アメリカ・イギリスという当時の原子力発電の「先進国」が、「原発は絶対安全」から(イギリスのウィンズケール原子炉で、火災事故からレベル5の放射性ヨウ素の放出事故が起きたりして)「事故は起こりうる。起きれば被害は莫大」という方向に認識を転換した年だった。→ 莫大な損害をどうやって補償するのか、という法律や契約を変更し始めた。←→ だが、原発を導入する緒に着いたばかりの日本は、まだ「絶対安全」という単純素朴な幻想に酔っていた。(※これも日本社会のよくあるパターンか…。〝日本語の壁〟…?)


○あまりに巨大な原発事故の被害予測

・ウィンズケール原子炉事故と並んで英米の「安全神話」に冷や水を浴びせたのは、アメリカの原子力エネルギー委員会(AEC)が1957年に公表した原発の事故シミュレーション(WASH-740)。…「もっとも過酷な原発事故」を前提に、その被害を予測(詳細はP148~149)。→ その被害予測は巨大だった。…死亡:3400人、けが:4万3000人、物的損害70億ドル(2012年にインフレ換算すると570億ドル)→ 1964-65年の改訂版では…死亡:4万5000人、けが:10万人、物的損害:170億ドル(2012年のインフレ換算では1250億ドル)。→ こうした数字(※ホントに巨大な被害予測!)は、日本政府にも届いていた。

〔伊原氏への質疑応答〕

・(WASH-740という文書をご存知ですか?)…「名前は記憶しています。…そういう損害は発生しうると思っていた。だからこそ、国際的な保険の枠組みを確立しなくては、原子力発電は実施できないと思っていた」「当時はロンドンが損害保険の世界の中心地だった。…アメリカ市場とロンドン市場がうまくすり合わせて制度をつくっていた。」

・(原発事故の巨大な規模からしても、「これはやめておいたほうがいいのではないか」という結論にはならなかったのか?)…「日本政府としても世界の大勢に遅れをとってはいけない、という発想だったと思う。」

・(それは「経済面」か、それともアメリカを中心にする自由主義陣営に仲間入りするという「政治面」か?)…「政治的な背景のほうが大きかったかもしれない。戦争に負けてアメリカの占領下にあって、アメリカ文化を取り入れることで戦後復興を果たすわけだから、アメリカの考えを受け入れるということが根っこにあったと思う。」(※う~ん、原発も「対米従属」か、しかも前のめりに急いで…そして冷戦終結後も「対米従属」は変わらない…)


○天文学的な被害額を民間保険ではカバーできない

・(実はWASH-740が作成された背景にも、原発損害保険がある)…原子爆弾の開発では先陣を切ったアメリカだったが、第二次世界大戦後、原子力発電では劣勢にあった。…アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」を1953年に打ち出したのも、こうした劣勢を挽回するためだった。→ 原発の技術を無償で外国に移転し、アメリカ主導の国際原子力発電市場をつくる。一方、それらの国が核燃料を悪用して核兵器を開発しないよう、国際的な管理下に置く(そのために作られた監視機関が国際原子力機関<IAEA>)。→ それらの国をアメリカ主導の資本主義陣営「西側」に引き入れて、ソ連主導の「東側」に対抗する。

・それと同時にアメリカ政府は、国内の電力産業に原子力発電に参入するよう促した。←→ だが、彼らは消極的だった。原発事故が起こりうることは徐々に知られていた。その損害はまったく予想できないほど巨大になる可能性があることもわかっていた。→ 電力産業は、損害保険なしではとても手が出せない。保険業界も消極的だった。

・米連邦議会の合同原子力委員会が、その障害を取り除こうと動き始めた。…問題は、原発の危険性を十分つぐなえる保険を見つけ出すことで、その第一歩が、どういう性質の危険が予測されるかを、突き止めることだった。→ そして、それに対するAEC(原子力エネルギー委員会)の回答が、先述のWASH-740だった。→ だが、この結果を見た保険業界は、合同委員会の公聴会で、原発事故損害保険を拒否した。

・(公聴会での保険会社のある幹部役員の証言)…「現実にこんな大きな額にのぼる危険が存在するとすれば、そのような危険のあるものを認めるかどうかは、当然、公共政策の問題だ。…こんな天文学的な数値にあてはまるような保険の原則は存在していない。たとえ保険があったとしても、人や物に与える損害の量が、原子力の開発によって得られる利益に匹敵するのだろうか、という重大な疑問が残る」…(詳細はP153)

・保険がかけられないのなら、原子炉はまだ商業用には適さない、というのが妥当な判断である。←→ ところが、合同原子力委員会は変わった判断を下した。→ 原子力発電を「民間」に開くため、民間保険会社が保険を用意できないなら、政府が保険金を出そうという制度を作ったのだ。つまり、損害が出たら納税者がお金を払い、利益は民間企業が受け取るという制度である。…これは、電力会社という民間企業に、政府が巨額の補助金を出すのに等しい。(※う~ん、これが今、日本で現実化している…!)

・こうして1957年に可決された「プライス・アンダーソン法」が、こうした損害保険の法的根拠をつくった。→ 日本の「原子力損害賠償法」(1961年)は、この法律を下敷きにしている、というよりそっくりそのままコピーしたような法律である。(※ここでも「対米従属」…)


○日本でも40年前に行われていた事故の被害試算

・日本でもWASH-740に相当する原発の事故シミュレーションは行われていた。「原子力損害賠償法」の制定にあたって、原発事故が起きた場合にどれくらいの被害が起きうるのか、試算する必要が出てきたからだ。

・科学技術庁の委託を受けて、日本原子力産業会議がWASH-740を手本にして1960年に報告書をまとめた(詳細はP155~158)。…だが、全文は公表されずマル秘扱いになった。→ 1961年、科学技術庁は衆議院の特別委員会に冒頭18頁の要約のみを提出し、全文が公開されたのは、なんと39年後の1999年である。(※ここでも日本の官庁の隠蔽体質…)

・(この被害試算によると)…損害額が最も大きい場合は3兆7300億円(当時の国家予算の2倍以上で、2011年でインフレ換算すると19兆7780億円)…ちなみに2016年1月までに東電が支払った賠償金は、総額約5兆8243億円、原発敷地外の除染に使われる国家予算は5兆円(見通し)。→ 東電が払う賠償金は時間と共に増え続ける。…1960年に予想された最悪のシナリオである約20兆円に達する日はそう遠くない。(※最近の報道では21.5兆円…民間シンクタンクでは損害総額50~70兆円という試算もあるらしい…)


○チェルノブイリ原発事故後もシビア・アクシデントを想定せ

・ここまでの検証から、保険業界だけでなく、日本の政府当局者は、遅くとも1960年には、原子力発電所の「事故は起こりうる」「起きた場合は国家予算の2倍以上の莫大な損害が出る」ということを知っていたことになる。←→ しかし、そのシミュレーション「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」の大半は公表されないまま、ひろく専門家の精査を受けることもなく、封印されてしまった。(※この秘密主義、どうにかならないのか?)

・内容を暴露したのは1979年4月9日付の共産党機関紙「赤旗」である。→ ところが、このシミュレーションの存在が暴露されたあとでも、1989年3月の参議院科学特別委員会では、政府(科学技術庁原子力局長)がシミュレーションの存在そのものを否定。→ そして1992年、原子力安全委員会は、チェルノブイリ原発事故後の世論の沸騰を受けて、のちに福島第一原発事故の原因につながる、以下の「決定」を下す。

・「我が国の原子炉施設の安全性は、設計、建設、運転の各段階において…多重防護の思想に基づき厳格な安全確保対策を行うことによって十分確保され…シビア・アクシデントは工学的には現実に起こるとは考えられない…」…(※う~ん、「隠蔽」をさらに「ウソ」で塗り固め、根拠のない「安全神話」を蔓延させた、原子力安全委員会の決定的な過失…!)

・福島第一原発事故後、この記述への評価はどうなったのか。
(原子力安全委員会・班目春樹委員長の証言)…「原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵があった…津波に対して十分な記載がなく、全電源喪失については、解説で『長時間そういうものは考えなくてもよい』とまで書いている。原子力安全委員会を代表しておわびする」「国際的に安全基準を高める動きがある中、日本では、『なぜそれをしなくていいか』という言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかった…安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている。そもそもシビア・アクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった。」(※う~ん、あまりにお粗末すぎる…)


○立地基準を定める前に建設地を決めた福島原発

・こうした1950~60年代の原発黎明期の政策史を洗い出していくと、驚くような事実がいくつも掘り起こされてくる。…原発事故が起きた場合のシミュレーションを秘密裏に葬ってしまった政府の秘密主義。…あまりに「大雑把」としか言いようのない「無法」もある。→ 私が「福島第一原発事故の原因は、50年以上前にすでに始まっていた」と考えるのはこういう点を指す。…例えば、福島第一原発は、国が立地基準を定める前に、東京電力が場所を決めてしまった原発の一つだ。

・スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)など海外で原発の深刻な事故が起きても、「日本の原発の安全基準は世界でもっとも厳しい」「日本の基準ではあり得ない・考えられない」といった文言で政府は宣伝し、世論の動揺を抑えてきた。

・そうした「国が原発の安全を国民に保障する」ことを明文化し、義務づけた法律が「原子力基本法」(1955年)であり「原子炉等規制法」(1957年)だった。…これは政府と国民の「契約書」「約束」のようなものだ。→ その一つとして「どんな場所なら原発を作ってよいか」を定めた規則がある。原子力委員会が策定した、原発立地の「憲法」のようなものだ。…効力を持ったのは1964年5月。(詳細はP164~166)

・重要なことは、「原発が事故を起こしても、周辺に住んでいる住民に放射線障害を与えないように、離れた場所に原発を作りなさい」と決められていることだ。誠にもっともな決まりである。…この「原子炉立地審査指針」を原子力委員会が定めたのが、1964年5月。 ←→ ところが、(『東京電力30年史』によれば)福島第一原発の候補地として、現在地が選ばれたのは1960年なのだ。(詳細はP167~169)

・つまり、国が立地のルールを決める4年も前に、東電は福島第一原発の建設地を決め、福島県知事もそれを受け入れた、という話である。…東京電力は、国の規制ができる前に、単独で原発の場所を決めたということになる。つまり立地に何の規制も指導もなかった、ということだ。→ そこでもう一度、改めて前出の伊原さんに聞くことにした。


○「当時はそんなものだった」

・(当時「原子炉立地審査指針」を策定した目的は何だったのか?)…「事故が起きたら(原発の)敷地を超えないように、どういう危ないことが起きるか一生懸命考えた。マスコミがいう安全神話などというのはうそですから(笑)。当時の原子力関係者は『原発は危ないものだ、いつ暴走するかわからん』『そうなったらどうするか』という思いで一生懸命考えたのです」…(※なにしろ読売新聞のトップが「原発推進」の旗振り役だったのだから…)

・(「原子炉立地審査指針」の策定より福島第一原発の立地決定のほうが先だった、と知って驚いたのだが)…「まあ、当時はそんなものでしたからねえ」→ それ以上の事情を尋ねたが、「よく覚えていない」との返答だった。(※良心的とはいっても、ここらが元官僚の限界か…)
→ そこでもう一人、福島第一原発の立地を担当した元東京電力副社長の豊田正俊氏(90)を訪ねた。

・(福島第一原発の立地が始まるのは、まだ「立地指針」ができていない頃だが)…「だけど『重大事故』というのは、前から我々(東電)としてはちゃんと採用していた。…その当時はもう、原子炉が三基ぐらいすでにあった。…(原子力)安全委員会なんか当時はないから…イギリスとかアメリカから(東電が)仕込んできたことを、原子力委員に『向こうではこうだよ』と教えてやってる感じだった。…当時はしょうがないよ、技術レベルが違うんだから。…だけど、最近は原子力安全・保安院なんかが、そういう電力会社の言うことを信用して、とりこになってたというところが問題なんだ…」

・(つまり原子力委員会や国よりも電力会社のほうが、技術や知識で上回っていた、ということか)…「電力(会社)のほうが勉強しているよ。ともかく、官僚は何年かいたら(異動で)替わっちゃう。電力会社は、原子力は一生なんだから。…私なんか40年やってきたんだから…」(※ここでも役所の「たらい回し人事」が問題…詳細はP170~171)

・伊原、豊田両氏の証言をまとめると、「当時は原発に関する知識や技術は、政府や原子力委員会の学者より電力会社のほうが先に行っていた」ので、福島第一原発の立地が政府のルールより先でも「当時はそんなものだった」ということだ。(※学者もレベルが低かった…)

・立地のルールを国が決めるより先に、電力事業者が先に立地を決めてしまった原子力発電所が、日本にはいくつかある。…東海発電所(茨城県)日本初の商業用原発。1966年運転開始。…敦賀発電所(福井県)70年運転開始。…美浜原発(福井県)70年運転開始。…そして福島第一原発。71年運転開始。

・「立地指針」の文面について…原子炉や原発と居住地区との距離については具体的な数字があるわけではなく、「ある程度の距離」としか述べていない。→ その代わりに「全身線量の積算値」が示されている。(詳細はP172~173)


○班目委員長も認めた仮想事故想定のでたらめ

・(事故当時、原子力安全委員会委員長だった班目東大教授の、国会事故調査委員会での証言より)…「立地指針に書いてあること…仮想事故だとか言いながらも、実は非常に甘々の評価をして、余り出ないような強引な計算をやっている…」→ (実際には「仮想事故」の1万倍もの放射線量が放出されてしまったという事実に対する、責任を問われて)…「とんでもない計算違いというか、むしろ逆に、敷地周辺には被害を及ぼさないという結果になるように考えられたのが仮想事故だった…」(※う~ん、東大教授の驚くべき証言…詳細はP173~176)

・つまり「立地指針」の数値基準は、「周辺住民への被害にならない軽い数字を先に決めて、そういう事故までしか想定しなくてよいことにした」というのが、(その立地指針の監督役である原子力安全委員会の長の)班目氏の証言なのだ。逆立ちした話である。

・要は、福島第一原発事故で、実際に放出されたような放射線量を前提に、住民にとって安全なくらい居住地区を原発から離そうとすると、日本には「住むところがなくなってしまう」というのだ。逆に言えば、現実に放出された放射性物質の量から住民が安全なくらい原発を離すと、日本は狭すぎて、原発を作る場所はない、ということだ。→ もっと身も蓋もなく言ってしまえば、この立地基準に沿って作られた日本の原発はすべて、福島第一原発と同じ規模の事故を起こせば、周辺住民の被曝は免れない、ということになる。→ そしてそんな場所に福島第一原発を作ることを、国は規制しなかった。東電が自由に決めてしまった。


○海抜35mの丘陵地をなぜわざわざ低くしたのか

・福島第一原発を作った頃の津波対策について、まず単純な事実から……福島第一原発の立地場所は、建設以前は海抜35mの切り立った崖だった。→ それをわざわざ切り崩して、海抜10mにまで低くして原発を作った。一番低い場所は海抜4mだった。

・3・11のときに襲った津波の高さは15.4mだった。…元どおり、高さ35mのままなら、非常用ディーゼル発電機や配電盤が水没することもなかった。福島第一原発事故は起きなかったことになる。→ なぜそんなことをしたのか、調べてみた。…こんな単純な話を、事故調査委員会も報道も、誰も取り上げないからだ。

・(『東京電力30年史』より)…35mの崖を掘り下げて、建設用地にした。…目的① 船で運んできた重量物の荷揚げができる港湾を作る。…目的② 冷却水を海から吸い上げる。

・港湾を作って荷揚げする必要があった「重量物」とは圧力容器(440トン)である。…福島第一原発のようなBWR軽水炉では、原子炉で熱された水蒸気をタービンに送り込んで発電機を回す。→ 「復水器」で蒸気を冷却してまた水に戻し、原子炉の冷却材に送り込む。…そうやって水がぐるぐるループを回っている。

・この蒸気を冷却する方式には「水冷式」と「空冷式」の2種類あり、海水を使う福島第一原発は水冷式(「空冷式」は、水蒸気を「冷却塔」に循環させて空気に触れさせ、冷却する)。…湿度の高い日本では、空冷式は効率が悪く、巨大な冷却塔が必要になり採算が悪い。→「水冷式」を採用。

・水冷式の原発でも、欧米では河川から冷却水を吸い上げている例が多い(チェルノブイリ原発やスリーマイル島原発も)。→ 流量の大きい河川を持つ国は、内陸部にも原発を作ることができるが、日本の河川には原発が必要とする冷却水を取水できるほどの流量がない。海に頼るしかない。→ 日本の原発がすべて、(「空冷式」や「河川型」でなく)津波の恐れのある海岸にばかり原発が作られた理由である。

・海水の取水には「海底トンネル」と「港湾」の二つの選択肢があったが、巨大な鉄の原子炉(圧力容器)を横浜の工場から運搬するのに、当時の道路事情では無理だった。海上から船で運ぶしかない。また、それぞれ試算したところ「港湾方式」が一番安上がりだった。

・豊田・元東電副社長にも直接尋ねてみた。
(どうして35mの土地をわざわざ掘り下げる必要があったのか?)…「当時は、圧力容器を35m引き上げることのできるようなクレーンがなかった」「当時は(津波対策として)あれで大丈夫だと土木屋さんが言ったんだ。それを信用したんだ」(※責任転嫁?)……公平を期するために付け加えれば、海抜35mの地盤を10mまで掘り下げた理由は他にもある。地震対策だ。…柔らかい地層を10mにまで掘り下げたところに、硬い岩盤があった。

・通常の高層ビルやマンションなら、軟らかい地盤でも、コンクリートの杭を地下の硬い地層まで打ち込んで支える。←→ だが、福島第一原発では地震対策として、原子炉やタービンは、岩盤が露出するレベルまで土地を掘り下げ、建屋の底部と岩盤を一体化させる工法が採用された。…このほうが、地震が来ても原子炉やタービンを襲う揺れが少なく、かつ地盤沈下が防げると考えられた。(※要するに原発立地には不適な土地…詳細はP181~182)


○津波の予測はわずか3mだった

・福島第一原発の建設当時の津波予測…(東電の元原子力開発本部副本部長の小林健三郎氏の論文によると)…「津波の高さは3mちょっとを想定しておけばいい」と言っている(詳細はP183~184)。…あまりに粗雑な想定だった。→ 国が何ら基準を決めないうちに、東電が「独自の基準」で決めてしまったのが、福島第一原発の場所と高さだ。…その結果は、ご覧のとおりの「大甘」である。(※これも重大な〝過失〟の一つ…)

・以後、東電や福島第一原発がいかに地震による津波を軽視してきたかは、多数の論文や報道記事、書籍で指摘されている。
(一例として、フリーの科学記者・添田孝史の『原発と大津波 警告を葬った人々』岩波新書より)…1986年、仙台市内で津波が運んだ堆積層の地層が発見され、宮城県以南でも津波地震が過去にあったことがわかってきた。…(1993年の北海道南西沖地震、1995年の阪神淡路大震災などの経験を踏まえて)1997年に旧建設省など7省庁が津波の想定方法を180度転換。→ 以後は、「起きた証拠ははっきり残っていないが、科学的に発生してもおかしくない最大規模の地震津波」を想定しなくてはならなくなった。原発の安全審査にも応用された。…2000年、電事連の報告書で、福島第一原発が国内の原発でもっとも津波に対する安全余裕がないことが判明(※電事連という身内からこんな報告書が出ていたのか…)。→ 東電は津波想定を約5mに引き上げた(※それでもまだたったの5m!)。…2002年、内閣府の中央防災会議の地震本部が、宮城、福島、茨城沖での日本海溝沿いを震源とする津波地震を予測(「長期評価」)。→ 東電は津波想定を5.7mに引き上げた(※たったの0.7mアップ!)。…2004年、中央防災会議事務局(国土庁)が、「長期評価」の予測した「日本海溝沿いの津波地震」を防災の検討対象にしないと決める(「過去に起きた記録がない、あるいは記録が不十分な地震は、正確な被害想定を作ることが難しい」という理由)。→ 委員の学者の猛反対を押し切り、「宮城から茨城沖まで津波地震が起きることを想定しない」ことに決定。…原発の津波地震対策にとっては大幅な後退(※う~ん、責任者や経緯の解明は?…状況的には政治家・官僚・業界主導か…?)。…2006年、原子力安全・保安院が、原発の耐震指針を28年ぶりに改定。→ 過去にさかのぼって原発の耐振性をチェックする「安全性再検討」(バックチェック)を電力会社に指示。→ 福島第一原発も、設置許可以来40年で初めて津波への安全性が公開の場で検討されるはずだった。←→ しかし電力業界は抵抗。→ 3・11の時点まで5年間、保安院はバックチェックの最終報告書が提出されていないのに、それを放置した(※もし、このバックチェックが震災前にしっかりと実施されていたなら…? これも重大な過失の一つだろう…)。…2008年、地震本部の「長期評価」を元に、東電が福島第一原発に最大15.7mの津波が来ることをシミュレーション(※う~ん、3年前に予測している! これは東電内の良心的な部分か…?)。
→ 後に3・11時に同原発所長になる吉田昌郎氏は原子力設備管理部長、首相官邸に詰めた武黒一郎フェローは原子力・立地本部長、武藤栄副社長は同本部副本部長として報告を受けたが、とり入れないことを決定。(※う~ん、この人たちは、3年後に、身をもってそのツケを払うことになるわけだが、その責任はまだ取っていない…。吉田氏は、事故処理の心労のせいか亡くなってしまったが…)


【4章】住民軽視はそのまま変わらない


○虚構に依拠した防災対策の最大の被害者は地元住民

・福島第一原発事故を経験したこの国では、「事故を契機に住民の避難対策は改められたのか」…また再び同規模の原発事故が起きたとき、今度は、住民は被曝することなく避難できるのか。…地震の巣のような日本なのに、巨大地震が来れば津波の襲来が避けられない海岸線に、54もの原子炉が並ぶ。

・同事故発生直後の住民避難は、壊滅的な失敗だった。…避難のための集合や輸送手段はおろか、法律上、避難指示の責任者である国は、避難先の準備や周知すらできなかった。…「原発はどの程度危険な状態なのか」という情報が、東電や国から知らされることはなかった(東電がメルトダウンを認めたのは事故から2ヵ月後だった)。→ 徐々に広がった避難区域の外側では、住民は水素爆発する原発の映像をテレビで見て危機感や恐怖を覚え、ばらばらに自家用に乗り、行き先も決められないまま故郷を脱出せざるを得なかった。→ 約23万人(環境省調べ)が被曝し、2015年11月現在でも約10万1500人(福島県調べ)が県内・外へ避難して家に戻れないままである。

・こうした惨状はすべて、国・電力会社の原発の安全基準や防災が、虚構の上に組み立てられていたからである。…「格納容器が突破され、外に放射性物質が漏れるような事故は起きない」「原発の敷地外に放射性物質が漏れ出すような事故は起きない」「よって住民の原発防災は基本的に必要ない」→ こうした虚構に依拠した防災政策の最大の被害者は、原発周辺に住む地元住民だ。…実例を挙げるとそれだけで紙数が尽きてしまうので、「あまりにひどい例」に絞らざるを得ない。

・一つは、5000人の村人と避難者1000人あまりが、何の警告もないまま3月15日の放射性プルーム(放射能雲)の渦中に放置された飯舘村をはじめ、北西方向に流れたプルームの真下にいた人々である。…そしてもう一つが、福島第一原発の南にある富岡町だ(全町が半径20キロ内)。→ 発生翌日の3月12日に全町避難を強いられ、「数時間で戻れる」と信じて財布と携帯電話だけ持って車に乗り、そのまま5年間家に帰れなくなった人も多い。

・忘れてはならないのは、同町沿岸部は3月11日に高さ21.1mの津波に襲われ、壊滅状態になったことだ。→ JR富岡駅の駅舎は流され、駅前商店街も破壊された。そのまま後片付けもできないまま、町民は翌日に避難を強いられた。→ だから、同駅周辺は2015年初頭でも、津波が破壊したままの風景がそのままになっていた。…2012年1月11日、郡山市に移転していた富岡町役場に、遠藤勝也町長を訪ね、話を聞いた(遠藤町長は、2014年7月20日、74歳で上顎歯肉がんで亡くなった)。…〔※吉田所長と同様、震災死だろう…〕


○国を信じて遅れた富岡町民の避難

・3月12日の午後、遠藤町長が最後に役場を脱出したとき、1回目の水素爆発の直前、間一髪だった。→ パトカーに先導され、午後4時半、川内村役場(原発から南西22キロ、県の指示した避難先)に到着した。…人口3000人弱の村に、富岡町はじめ外からの避難者6000人が着の身着のままで殺到した。

・この日の午後6時25分、避難する区域は半径10キロから20キロに拡大された。…川内村はギリギリ外である。ほっとした。→ しかし、14日午前11時、2回目の水素爆発が起きた。テレビ映像が流れると、村にいた町民の半分が逃げ出した。町長も焦った。ここも危ないんじゃないか。どうすればいいんだ…。

・携帯電話は通じない。国や県からはまったく連絡がない。周囲の状況がまったくわからない。→ ただ1台だけ生きていた衛星電話で、東京の原子力安全・保安院に電話をした。→ 日付が変わった15日未明の午前2時に、平岡英治・同次長から電話がかかってきた。…その言葉を、遠藤町長ははっきり覚えている。

・「国の想定では、原発事故は(半径)20キロを超えることはないんです。どうぞ国を信じて下さい」…「本当にそれでいいんですね」と遠藤町長は何度も念を押した。電話の相手は「20キロ圏内の屋内退避が最大ですから」と繰り返した。→ 町長はいったん「再避難せず」を決めた。

・15日の夜が明けると、一緒に川内村役場にいた福島県警の警察官40人に県警本部から撤収命令が出た。→ 町長は動揺した。…国の言ったことは何だったのか。一体どうすればいいのか。警察が撤収したと聞けば町民はパニックを起こす。→ 立ち去ろうとする署長に懇願して、12人が残ることになった。(※う~ん、この逸話は、かつての戦時中の満洲で、関東軍が日本人開拓民たちを置き去りにして撤収してしまった…という話を彷彿させる…!)

・遠藤町長は決心した。…もう、国も県もあてにならない。避難先を自分で探すしかない。→ 姉妹都市提携している埼玉県杉戸町は快諾してくれたが、行こうという町民がいない。→  結局、個人的なツテで、展示場「ビッグパレットふくしま」(郡山市)に決まった。…この15日とは、前述の原発北西方向、南相馬市から飯舘村、さらに福島市から千葉県北部まで流れる高濃度の放射性プルームの放出が起きた日である。

・「線量が急上昇しているらしい」「また放出があったようだ」…そんな話が住民の間を駆け巡っていた。→ 15日夜、真っ暗になってから、パトカーの先導で川内村を脱出した。ビッグパレットに到着したのは午前0時近かった。


○今でも悪夢にしか思えない

・結局、国からは誰も来なかった。県や東電から線量の高さや方向についての情報もなかった。避難の方向を決める「SPEEDI」のデータなど見たこともないという。…富岡町と東京電力を直につなぐような窓口が、そもそもない。連絡役がいない。…町は10キロ圏内でEPZ(後述)の範囲内なのだが、直接原発が建っている「立地自治体」(大熊町と双葉町)ではないからだ。(※う~ん、日本の「原子力防災」は、今回の事故対応の結果を見ると、「立地自治体」以外はなきに等しかった…?)

・「うんと、今でも怒っています」…遠藤町長は言った。→ その怒りの矛先は、「8-10キロ」というEPZ(Emergency Planning Zone)を決めた原子力安全委員会に向けられる。…「今だって、原子力安全委員会のメンバーがまったく変わっていない。班目委員長なんて、会ったこともない。お詫びも聞こえない。まったく罪悪感も責任感もない。これだけの事故を起こした最高責任者じゃないのか。安全をチェックして安全を高めるのが仕事じゃないのか」「原発の安全は国が担保していた。それを信じる以外の選択肢は我々にはなかった。その意味では私たちも『安全神話』を信じていたのかもしれない。それは完全に裏切られてしまった」「私たちの体験を、日本全体の原子力防災の共通認識にしてほしい。巨大地震はいつどこで起きるかわからない。『福島は対岸の火事じゃない。運転再開は安易にしちゃだめだ』…全国市町村長会でもそう話している」

・1時間ほど堰を切ったように話し続けた遠藤町長は、最後にふと言葉を切ると、こう言った。「本当に、今でも、悪夢のようだとしか思えないのです」


○避難範囲が拡大されても、被曝は防げず

・こうした避難の失敗を教訓に、2012年10月、国は「原子力災害対策指針」(住民を避難させるマニュアル)の内容を変更した。…原発事故の時、周辺住民に避難命令を出す権限は「国」にある。…原発事故はその被害範囲が自治体の境界を超えるほど広いことを想定して「国」に決定権が委ねられている。その根拠になっている法律が「原子力災害対策特別措置法」(原災法)だ。→ この法律に基づくさらに細かい指示書が「原子力災害対策指針」。

・周辺住民にとって一番影響の大きい事故後の修正は、「事故のときに屋内退避や避難の備えをする範囲」が拡大されたことだ。…事故前のその範囲は半径「8-10キロ」(EPZ)で、福島第一原発の周辺では実際に避難訓練が行われていたのは、半径3キロ以内。それも3キロ以内にある最寄りの公的施設に自宅から行くだけで、3キロ圏の外に避難するのではなかった。(※う~ん、これでは本番でまともな避難ができるわけがない…)

・事故後は、それを「30キロ」に拡大して「UPZ」(Urgent Protective Planning Zone)という名前に変えた。…この「30キロ」という数字は、国際原子力機関(IAEA)の基準に合わせたもの。屋内退避の後、実測値に基づいて避難することになっている(1週間の積算被曝量100ミリシーベルト)。→ 対象となる自治体数は、旧指針の15道府県45市町村から21道府県135市町村に増えた。(※福島原発事故の前は、避難指針が国際標準ではなかった、ということか…)
→ さらに、半径5キロ以内は「原発で異常が起きたら、放射性物質が出ていなくても即退避」ということになった。

・福島第一原発事故が起きてみると、旧「8-10キロ」という避難範囲は小さすぎてまったく役に立たなかった。→ 事故後約1ヵ月で「警戒区域=立ち入り禁止」の範囲は半径20キロにまで拡大された。…今もこの「半径20キロの円」は基本的に「立入禁止ゾーン」の骨格を作っている。

・より正確に言えば、この「半径20キロ」という規制区域も、現実にはまったく対応できなかった。→ 南東からの風に吹かれた放射性物質の雲(プルーム)は、原発から北西約30-50キロの飯舘村を全村避難が必要なほど汚染したからである。←→ ところが、プルームが同村に流れた2011年3月15日の時点では、政府は20キロ以遠にある同村に放射能汚染が及ぶことを警告しなかった。→ そのために村にいた住民約5000人と、避難してきた人たち1200~1300人は何の警告も与えられず、そのまま被曝した。(※詳細は「震災レポート⑮」…『原発に「ふるさと」を奪われて』―福島県飯舘村・酪農家の叫び― 長谷川健一 宝島社2012)

・ここでもうすでに新しい「指針」の欠陥が見えてくる。
(1)原発から半径30キロという区切りは小さすぎる。…もし仮に福島第一原発事故がもう一度起きたとすると、「新指針」の下でも、飯舘村は大半が避難対象に入らない。
(2)避難範囲を円で区切るのは無意味。…放射性物質は風に吹かれて雲のように方向を持って流れる。→ 「どの方向に逃げるのか」を、その日の風向きによって決めないと意味がない。


○非現実的すぎる放射能拡散予測

・こうした「新しい指針」とともに、国(原子力規制委員会)は2012年に、全国16原発で「福島第一原発事故級の事故が起き、放射性物質が原発外に流れ出た」という前提に基づいた放射能拡散予測シミュレーションを公表した。…それまで50年以上、国は「原発事故で敷地外に放射性物質が流れ出ることはない」という前提に固執していたので、それを思えば一大方向転換である。(※あれだけの大事故を起こしたのだから、当然のことだが…)

・しかし、その政府のシミュレーションで「新避難対象区域=30キロ圏」が小さすぎることが、すでに露見している。…ex. 福井県の大飯原発など4原発で、30キロを超える地点が、積算被曝線量が避難基準値の1週間100ミリSvに達する試算が出ている(京都府南丹市、新潟県魚沼市など)。…また、隣接する高浜原発が事故を起こした場合の拡散予測では、大飯原発が避難基準値に達する地域に入る。→ つまり、大飯原発にいる要員も避難の必要が出てくる(→高浜原発と大飯原発が共倒れ…)。→〔※〝原発銀座〟の危険性…今回の事故でも、福島第二原発も(女川原発も?)この危険性をギリギリで免れた…〕

・さらに、国のこのシミュレーションは「非現実的すぎる」と批判を受けた。…①地形をまったく考慮していないこと。②「放射能放出から一週間、風向きが同じ」…という現実にはあり得ない仮定で作られたこと。(詳細はP197~198)


○新指針でも機能不全を起こしかねないオフサイトセンター

・この「新指針」には大きな欠陥がまだ残っている。→ 「オフサイトセンター」(緊急事態応急対策拠点施設)の移設が進んでいないのだ。

・オフサイトセンターとは、原子力施設において、事故が発生した敷地(オンサイト)から離れた外部(オフサイト)で現地の応急対策をとるための拠点施設。→ 国・都道府県・市町村や、事業者(電力会社など)の防災対策関係者が1ヵ所に集合して、連絡を密にしながら対策をとることになっていた。

・ところが、福島第一原発事故では、まったく機能しなかった。…福島県大熊町の「福島県オフサイトセンター」は原発からわずか5キロの位置にあった。→ オフサイトセンターの場所そのものが、放射線量が上がって避難対象区域になってしまった。…換気施設に放射性物質を取り除くフィルターもなかった。…さらに、周辺の市町村は住民避難に手一杯なうえ、地震や津波で道路網は寸断され、渋滞やガソリン供給が不安定になるなどで、関係者が集まることはできなかった。また電源も、電話などの通信手段も途絶してしまった。(※ここでも、〝安全神話〟による油断、準備不足、認識不足、というしかない…)

・オフサイトセンターは「原子力災害対策特別措置法」が定めている原子力災害のときの司令センターだ。→ オフサイトセンターが機能しないということは、住民避難の「司令部」が失われたことを意味する。→ この失われた「司令部」の機能を引き受けて、東京の首相官邸や原子力安全委員会は大混乱に陥った。→ 結局、福島市にある福島県庁に撤退したが、この「司令部の機能不全」のせいで、すべての住民避難計画が狂った。(※オフサイトセンターの重要性…そして、この国の「総合力」の脆弱性…)

・オフサイトセンターが原発から5キロという至近に設けられていたことは、はっきりとした国のミスだ(詳細はP199)。→ 事故後、国は原災法の施行規則をこう書き換えた(2012年7月)。…「立地地点を(20キロ未満から)5-30キロに変更」「空気浄化フィルター等の放射能遮断機能の確保」「30キロ圏外であり別方向に位置する複数の代替オフサイトセンターを確保」…(※いつも後手後手の〝泥縄〟か…)

・3・11後、オフサイトセンターはどうなったか(P201に一覧表)。→ 12の代替オフサイトセンターが、まだ国が決めた「新指針」の30キロの内側にある。…今回の事故で、50キロ離れた飯舘村までが汚染で避難を余儀なくされたことを考えると、14の代替オフサイトセンターが50キロ圏内に入ってしまう。→ 「第二の福島第一原発事故」が起きたときには、これらのオフサイトセンターは機能しなくなる可能性が高い、極めて脆弱な構造だと言える。


○「被害地元」嘉田前滋賀県知事の危機感

・もう一つ大きな問題がある。…国の新しい指針に従って「5キロと30キロ圏内」を想定した避難訓練について、多くの自治体で行われているのは「半径5(30)キロの円をコンパスで書いて、その内部の住民を動かす」訓練にすぎない。…依然「被害は30キロ内で完結する」という「都合のいいシナリオ」が前提になっている。

・こうした国の3・11後の住民避難政策に疑問を抱いた数少ない自治体首長の一人が、滋賀県知事だった嘉田由紀子氏。…滋賀県には原発がないが、隣の福井県の敦賀湾沿いには、15基の原子炉が集中していて「原発銀座」と呼ばれている。→ 敦賀原発は滋賀県側から13キロしか離れていない。

・福島第一級の原発事故が福井県で起きた、と想定して当てはめると、琵琶湖北部に放射性物質が降り注ぐことになる。…嘉田前知事は「福井県で原発事故があれば、京都・大阪という関西の主要都市の水道が汚染される」という危機感を持った。→ 滋賀県は国を待たずに、独自の原発シミュレーションを実施し、独自の防災計画を作るに至った(2011年秋…詳細はP202~203)。

・滋賀県が独自に放射性物質拡散シミュレーションを作るきっかけになったのは、文科省が同県の求めにもかかわらず「SPEEDIによるシミュレーション結果を渡さない」と表明したこと(※なぜ?…縄張り意識? 隠蔽体質?)。…県の計算式の原型になっているのは「琵琶湖環境科学研究センター」が持っていた光化学スモッグの大気汚染モデル。→ どうしてこの調査をすることを決心したのか、嘉田前知事に直接取材した。


○避難そのものがあまりにも非現実的

・「私は知事として『被害地元』という概念を作り、一生懸命『命と暮らし』を守ろうとしてきたが、『実効性のある避難計画は今のままでは無理だ』という結論に…その一つが交通問題。自動車では20~30時間のすごい渋滞になる。…(琵琶湖ルートの)船の逃げ道も、最大1000人乗れる船が二つしかない。それが一往復するのに2時間かかるのに、高浜原発から30キロ圏内には6万人いる…」「滋賀県は、(単なるコンパスで円を描いての30キロというのはおかしいだろうという判断で)風と地形とを併せた形での『43キロ圏内』という県独自の避難計画を作った。…データに基づいてUPZを作ったのは全国でも滋賀県だけ」「私は科学者なので、単なるコンパスで引いた円では納得できなかった。…リスク管理というのは最悪の事態を想定することです」…(※う~ん、日本にもこんな県があったのか…詳細はP204~205)

・「もう本当に非現実的…(あらゆる条件の市民を)『20時間以内に移動することは不可能』と言わざるを得ない。…他にも、ヨウ素剤の配布は国の新指針では『5キロ圏内では日常的に配布』『30キロ圏内では汚染した直後に配布』となっているが、そんなことは無理(烏賀陽注:ヨウ素剤は被曝後24時間以内に服用しないと効果が薄い)。…とにかくあまりにも非現実的だ(詳細はP206)」「何より、根本的な法律の矛盾として、水害などの『地域防災計画』では避難指示を出すのは市町村長なのに、『原子力災害対策法』では総理大臣。…全国知事会はそれを調整してくれるように原子力規制委員会にずっと言っているのだが、縦割りのために動かない(田中俊一委員長は全然やる気なし)。…「災害対策基本法」は総務省の管轄で、原子力災害は(かつては経産省下の原子力安全・保安院の担当だったが)今は原子力規制委員会だから、所管は環境省。→ 総務省と環境省が横の調整をしていない。現場はどうしてよいのか分からないんです。」…(※ここでも「縦割り行政」の弊害…詳細はP207~208)


○都道府県庁には放射性物質を扱う部署がない

・「3・11の前は、『絶対に原発事故は起きない。施設外に放射性物質は拡散しない』という前提だった。だから放射性物質を扱う部局は県自治体にはないのだ。都道府県庁で環境政策をする人たちは、『私たちには関係ない』と思っていた。…地域防災計画の原子力災害対策編というものを県は作ってはいたが、形式的なものです。」

・「国でも同じで、環境省の仕事ではなかった。それを事故が起きてから環境省が押し付けられた。…環境省が発足した1972年当時、例えばアメリカやドイツ等の諸外国では、原子力災害対策は環境政策の一貫ということになっていた。『原発事故が起きれば放射性物質で環境が破壊される』から。…だが日本ではSPEEDIのデータを原子力ムラ(経産省と当時の原子力安全・保安院)が抱え込み、放射能は『絶対に施設外には出ない』という大前提にしてしまった。だから環境省が公共用の安全水域や、放射性物質が大気中に漏れた場合の基準を作りようがない。『あり得ないこと』になっていたから。」

・(烏賀陽)…「つまり『放射性物質が放出されるような原発事故はあり得ない』というフィクションの上に行政が成り立っているので、環境省もそれはやらなくてよいことにされてしまった。」
(嘉田)…「だから、国の環境基準には放射性物質の項目がない。当然、自治体にもない。→ 『滋賀県独自で放射性物質の拡散シミュレーションをやろう』と私が言ったとき、滋賀県の環境政策の担当者は『僕らには放射性物質は扱えません、無理です』と言った。…防災対策の担当者も『原発事故のシミュレーションに関する科学的知識がありません』と言う。」…(※う~ん、日本はこの程度の「総合力」で、原発を50何基も稼働させていたのか…)→ 「私が元いた琵琶湖研究所の所長と相談・説得して、自治体として全国で初めてこの原発事故を想定した放射性物質の拡散シミュレーションをやったのです。というのは、文科省はSPEEDIのデータを、立地地元にしか渡さないから。」


○「汚染されないと避難させられない」住民見殺しの論理

・「『立地地元』には、安全協定で原発稼働の同意権がある。しかもいろいろな経済的なベネフィット、原発の交付金がくる。←→ ところが福井県・高浜原発から13キロしか離れていない滋賀県には同意権もなければ、交付金もこない。」

・「(国は)今の時点でも『避難計画にSPEEDIのデータを使わない』というのが指針。→ 『モニタリングデータだけで避難計画を作る』というので、これも私たちはおかしいと言っている。…というのは、モニタリングデータなら、すでに放射性物質が舞い落ちて、汚染されたことが分かってからしか避難できない。これでは県民が被曝するままに見捨てることになる」…(「汚染・被曝してから逃げよう」という逆立ちした理屈…)

・「SPEEDIの場合には、ある程度シミュレーションで予測できるが、『それでは避難させられない。実態として汚染されないとダメだ』と国は言う」→ 「結局国は、滋賀県に対してSPEEDIのデータを出すまでに2年くらいかかった。…県のシミュレーションは、2011年の3~4月にすぐに準備して8~9月にはほぼ出ていた。国がSPEEDIのデータを渡したのはそのずっとあとです」…(※福島原発事故が起こった後でも、この国の〝意固地さ〟はなぜ…?)


○「リスクは知らせない」の根本にある父権主義

・「シミュレーションができたあと、今度はその公表に県内の市町村が抵抗した。『人心を混乱に落とし入れるな』という首長が多い。『リスクを知ったうえで備える』ことに、彦根と近江八幡の市長は最後まで納得しなかった。…『リスクは知らせるな、知らせる以上は避難も含めてすべての対策を取れ』と言う…『人々には知らしむべからず、寄らしむべし』です。…この発想は地方へ行

けば行くほど強い。」
・(烏賀陽)…「『避難計画すべてが完璧に整わないと、リスクを知らせるべきではない』というなら、いつまでたっても避難計画はできませんよね。」
(嘉田)…「だから作らないんです。こういう発想はもう、政治家の中にものすごく根深い。『住民を守ってあげる』と言うとよいことのように聞こえるが、結局見殺しにするということです。行政が全部守ってあげる。…これまで自民党がやって来た『パターナリズム』(父権主義)です。特に地方の政治家には多いですね」…「だから(川内原発を再稼働させた)鹿児島では避難計画を作らない…知事が非現実的な避難計画は作らないと言う。特に要援護者の避難計画は現実的ではない。だから避難計画は作らない。これでは、県民を見殺しにすることになる」…「行政が全部抱えてあげる。お前らの命はわしが預かった、とでも言わんばかりです。『知らしむべからず、寄らしむべし』という政治信条…もう日本中それが強い。自民党がそもそもそういう発想ですから。リスク開示をしない…」(詳細はP211~213)
〔※この「父権主義」の項、思わず長く引用してしまったが、これも「大衆は所詮愚かだ」という上から目線の大衆蔑視の一形態か…そして〝秘密主義〟〝隠蔽体質〟の根っこにあるもの…〕


○琵琶湖が汚染されれば被害は近畿全体に拡がる

・(烏賀陽)…「滋賀県の原発事故シミュレーションを見てびっくりしたのは、琵琶湖が汚染されてしまうと淀川水系が汚染されてしまい、それを上水道の水源にしている京都府、大阪府にも汚染被害が広がる、ということだった。」
(嘉田)…「そうです。1450万人、近畿全体に汚染地元が広がる」「大気汚染の後は水質汚染もやりました。そして放射性ヨウ素の拡散状態を見て、その後は生態系の影響です。生物濃縮とか…福島でもそうだったが、放射性物質は底に沈む。ナマズとか水底にいる生物から影響を受ける。」
(烏賀陽)…「大阪府民の飲み水も汚染されると聞いて、大阪府民の態度は変わったか?」
(嘉田)…「当時は橋下徹・大阪府知事も『そのデータをくれ』と言ってきたので、ちゃんと出した。だけど橋下さんは、2012年に石原・東京都知事と組んで維新の党を結成してからはガラッと変わった。もう原発のことは言わなくなった。…もう忘れている、彼は(笑)。…橋下さんが大阪府知事時代に(ある会合で)『テレビ取材が入らないなら僕は帰る』と言って帰り始めた。テレビがないところではご自分は発言しない。」

・「私は四つの提言をしている…
①『立地地元』『被害地元』『消費地元』の三つの地元があること。『消費地元』というのは、電力を消費する関西。…関西は被害地元とほぼ同じ。
②関西のみなさん自身が水で影響を受ける当事者なのだから、『琵琶湖を介して、自分たちの水が汚染される』ことに対して関心を持ってほしい。
③再稼働の必要がない。…2012年の大飯原発の3、4号機の時にずいぶん脅かされた…ブラックアウトしたら病院で命が危なくなるとか、経済が成り立たないとか、真夏のピーク時の話。→ 私は(関西広域連合のエネルギー対策・節電対策の責任者で)、ともかく真夏のピークをカットしましょうと、2000万人に呼びかけた(詳細はP215)。…『クールシェア』や太陽光発電などで、関西全域で約500万キロワットもカットした。もう、ブラックアウトなんて誰も言わないでしょう?…(※あの東京圏での「計画停電」も脅しだった…?)
④琵琶湖には足がない、避難できません。琵琶湖に放射性物質が降ったら、もう打つ手がありません。」(※う~ん、打つ手がないのか…)

・(烏賀陽)…「国はまだ『立地自治体しか再稼働に同意の必要はない』と言っているのか?」
(嘉田)…「同じです。(大飯原発の再稼働の時に)『安全協定で滋賀県の同意を得る義務はない』と言っている。」
(烏賀陽)…「『被害自治体』という概念を国は採用するでしょうか」
(嘉田)…「多分しません。彼らはともかく裏で意思決定したい。福井県知事だけの了解で進めたいと思っている。それこそ、何兆円という利害が絡んでいる。…経済利害と政治パワーの強さだと思う。」…(※う~ん、「父権主義」と「経済利害」が絡んで、「ともかく裏で意思決定したい」…これが〝日本政治の真実〟か…?)


○原子力防災体制の欠陥

・嘉田前知事の話から、福島第一原発事故後なお残る国の原子力防災体制の欠陥を抽出してみる。(12項目)
〔事故後も変わらない円形の避難地域設定の問題点〕
(1)原発を中心にコンパスで5キロあるいは30キロの円を描いて避難区域を決めるやり方は、実効性のある避難には役立たない。
(2)風向き、降水(雨、雪)など気象条件と地形を勘案して汚染を予測し、避難が必要な方向と範囲を決めなくてはならない。

・住民避難の観点からいうと、福島第一原発事故での最大の教訓は「放射能を帯びたチリの塊が雲状(プルーム)になり、風に吹かれてランダムに飛んでいく」ということだ。…政府が決めた「直径Xキロの円」などとまったく無関係に飛び広がった。そして地上に落ちたところが放射能汚染地帯になった。

・風に乗ったチリの拡散は一種の「自然現象」なのだから、人間が決めた人為的なラインなどお構いなしで動く。←→ ところが政府はそのことに気づかず、あるいは気づいても改めず、避難範囲を半径「3キロ→5キロ→10キロ→20キロ」と数値を増やしただけだった。

・そもそも「円形の避難範囲設定」が間違っていたのだ。→ その結果、避難すべき人が避難できず、避難しなくてもいい人まで避難するという無駄と混乱を生んだ。→ そして、原発事故後の「新指針」でも、政府の基本は「円形の避難地域を設定する」で、同じ過ちをそのまま繰り返している。

・もともと「住民避難範囲を円で設定する」という発想は、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故で始まった。…当時はメルトダウンと放射性物質拡散のような大きな原発事故そのものが想定されておらず、メルトダウンが進行していた非常に緊張度の高い中、約300キロ離れたワシントンのNRC(原子力規制委員会)の担当者が、「とりあえずの対策」として提案したのが「原発から半径5キロの線を引いて、内部の妊婦や未就学児童を避難させる」という案だった。→ それがそのまま事故後も政策として定着し「前例」として各国にも広がった、というにすぎない。…つまり何らかの実効性を確認した上で「円」で限定するという政策が生まれたわけではない。

・原発事故前も後も、日本政府の発想は、それをそのまま形だけコピーしているにすぎない。…福島第一原発事故で円形が無意味だと分かっているのに、事故後も「なぜ円形なのか」「意味がないのではないか」という疑問を誰も問わないのである。(※う~ん、ここでもアメリカのコピー、「対米従属」か…。しかも、世界史的な「原発過酷事故」を起こしてしまった後でも、改められない、教訓を生かせない、失敗に学べない…。→ このことは、70余年前に国民が「甚大な犠牲」を強いられた、あの「戦争の失敗・教訓」を生かせてないことの、繰り返しか…?)
〔SPEEDIを避難に生かせなかったのは人為的ミス〕
(3)そうした気象条件や地形を合算して避難の必要な地区を予測するシステムとして、原発事故前に「SPEEDI」があった。←→ しかし原子力規制委員会は、「福島第一原発事故ではSPEEDIは役に立たなかった」と結論づけて、避難計画の策定から排除してしまった。(実際には、SPEEDIがシステムとして機能しなかったというよりは、政府内部や東京電力内部でSPEEDIの存在が忘れられていた、避難計画にどう生かすかを理解できる人がいなかった、という側面が強い…)
(4)従って、新指針の避難方針は「モニタリング」で汚染を計測して範囲を決め、避難を開始することになっている。→ これは「放射性物質が飛散し、降下した量」を測定してから避難を決める、という手順である。…つまり「その地域が汚染してから避難のやり方を決める」という倒錯した手順であり、そこにいる住民は避難前に被曝する可能性が高い。
・SPEEDIは、こうした「円形避難」の欠点を補うシステムとして存在した。「放射性物質の雲(プルーム)がどちらの方向に、どれくらいの距離まで流れるのか」を刻々シミュレーションしていくシステムだった。→ 「放射性雲の流れる方向に行ってはいけない」「その方向に住んでいる人を避難させよ」を警告するためにあった。

・しかし、福島第一原発事故のときに「役に立たなかった」という俗説が一人歩きして、事故後、原子力規制委員会は避難計画への運用をやめてしまった。←→ しかし、これはSPEEDIがシステムとして機能しなかったというよりは(PBSというバックアップのシステムが存在した事実は、5章で後述)、その存在を知り、避難計画にどう使うのかを知る人が、政府(首相官邸、経産省、原子力安全・保安院、原子力安全委員会など)や東京電力内部にいなかった、存在を知っていても現実への応用を思いつかなかったという「ヒューマンエラー」である色彩が強い。→ そしてそうした人々は、処罰されたり責任を問われたりしていない。(※つまりここでも、「失敗」を検証・反省し、未来に生かす、ということがなされていない…)
〔避難そのものがあまりにも非現実的〕
(5)避難区域にいる6万人の地域に、脱出路が国道一本しかない。脱出にはバス500台が必要。→ 20~30時間の渋滞が発生する。…「20時間以内」の実効性のある避難は物理的に不可能。
(6)同じ6万人の地域に医師は15人しかいない。薬剤師も同様。→ ヨウ素剤の実効性のある配布は不可能。
〔あくまで当事者は立地地元だけ〕
(7)原発からの距離が十数キロであっても、原発がない都道府県を、国は「地元」とは認めない。
(8)よって、国主催の原発事故の避難訓練に、国は「立地地元ではない隣の都道府県」を含めない。
(9)よって、再稼働の合意を必要とする安全協定の対象に「立地地元ではない隣の都道府県」は含まなくてよい。隣県が反対しても再稼働してよい(福井県の大飯原発再稼働ではそのとおりになった)。
(10)放射性物質の拡散を予測したSPEEDIなどのデータを、国は「立地地元ではない隣の都道府県」に渡さない。→ 隣県は、自分でシミュレーションをして避難計画を決める必要がある。

・政府の事故対策には、「人工的な境界線に固執して、自然現象を無理やり当てはめようとする発想」が頻出する。…(7)~(10)は「都道府県境」という人工的な境界線で当事者の自治体(都道府県)を決める無意味な発想である。

・滋賀県の事故シミュレーションが明らかにしたのは、琵琶湖の北部に放射性物質が降り注ぎ、琵琶湖水系を水源とする京都府、大阪府の上水道も汚染されるということ。→ つまり被害を受ける都道府県は、滋賀県、京都府、大阪府と「県境」に関係なく広がるということだ。

・ところが、国は福島第一原発事故後も「原発が建っている都道府県だけが当事者」という姿勢を崩していない。…これが「立地地元」「立地自治体」の発想である。だから、国主催の防災・避難訓練に隣県を含めない。←→ 事故が起きれば自分たちの県にも放射性物質が来ると分かっている隣接する都道府県は、自分たちで独自の訓練をするほかない。
〔中央官庁の縦割りの弊害が生む避難指示問題〕

・これは次の(11)と合わせて考えると、極めて危険な状態だということが分かる。
(11)水害、土砂崩れ、噴火といった「一般災害」では「災害対策基本法」で自治体が避難指示を出せる。←→ ところが原子力災害だけは「原子力災害対策特別措置法」に基づいて総理大臣が避難指示を出す。…「災害対策基本法」は総務省が管轄し、「原子力災害対策特別措置法」は環境省が所管する(福島第一原発事故前は経産省下の原子力安全・保安院が所管)。→ 二つの官庁が縦割りのまま横の調整をしない。…「誰が避難指示を出すのか」「誰の避難指示に従うのか」という最も基本的な法律が、「股裂き状態」のまま放置されている。→ いざ事故の場合、地元自治体が判断に迷う。

・福井県の原発で事故が起きた場合、13キロしか離れていない滋賀県の住民はどうすればよいのか? 知事や市長は避難指示を出すのか?…嘉田前知事の問いかけは、こういう切実な問題を含んでいる。→ (1章で検証したように)福島第一原発事故では、政府内部で貴重な時間が浪費され、国の避難指示までに時間が空転したことが明らかになっている。…隣県としては死活的な問題だろう。

・無論、国の避難指示を待たずに自治体が避難を命じることも可能である(福島第一原発事故では、数分の差で国より先に福島県が避難指示を出している)。←→ しかしその場合、中央官庁(医師の派遣には厚労省が、バスの手配には国交省がからむ)や国の機関(自衛隊など)は避難に協力してくれるのか? 警察は? …こうした問題はまったく解決されないままになっている。しかもその原因は、総務省と環境省がすり合わせをしない、という旧態依然とした「中央官庁の縦割り行政」なのだ。(※う~ん、結局、この問題に戻ってしまう…)
(12)福井県の原発で福島第一原発事故級の大事故があった場合、隣県・滋賀県の琵琶湖に放射性下降物が降る。→ 琵琶湖は下流の京都府、大阪府の上水道の水源であり、放射能汚染被害が都市部に拡大し、被害規模が増える。
                               (3/25…4章 了)            


 次回の〔後編〕は…最終の【5章】原発事故の進展は予測できなかったのか…の予定です。→ 4月中の完成を目指します。
                                   (2017.3.25)