2016年1月21日木曜日

震災レポート33

(震災レポート33) 震災レポート・拡張編(13)―[経済各論 ②]


                                  

『円高・デフレが日本を救う』 小幡 績(ディスカヴァー携書)2015.1.30

――[後編]



【7章】アベノミクスの代案を提示しよう


・アベノミクスとは何か? それは、「超緩和的金融政策」である。結局これに尽きる。→ それによって、株高と円安が起き、国債市場の混乱が起きた(要は、日銀が国債市場に介入し、その結果、株が上がって円が下がったのだ)。⇒ そこからいかに少ないリスクとコストで、途中下車するか? この危機から脱出する方法はあるのか? …いわば薬物依存状態のこの危機的状況からの事後処理案を示そう。

○いかにして円安を止めるか?

・アベノミクスは、悲観論により極端に割安だった株価を、超金融緩和(※市中のおカネをジャブジャブにする)をきっかけに修正した。→ この修正は、2013年4月末までの半年でほぼ終了した。…これが、アベノミクスのメリットのすべてである。→ その後の株価上昇は、異次元金融緩和をきっかけにバブル的となり、市場の投資家が勝手に(アベノミクスと無関係に)株価を上下に動かしているだけだ。(※今は中国がひどいことになっているよう…)
・一方、円安は、(2章でも既述したように)日本経済全体にマイナスの影響をもたらした。→ 原油をはじめとする輸入品を高い価格で輸入せざるを得なくなり、交易条件が悪化したから。…大企業が輸出で儲け、富裕層が株で儲け、低所得者がガソリン、食料の必需品の値上がりで苦しみ、中小企業(大半が内需企業)は原材料費や光熱費などの輸入品のコスト上昇で苦しくなった。…しかし、この格差が問題なのではなく、経済全体トータルで損をしていることが問題なのだ。(※う~ん、格差も問題なのでは…?)
・自国の通貨が安くなると、その国の経済は損失を被ることになる。つまり、交易条件の悪化により所得が流出し、国全体の経済厚生は低下する。…これは、経済学では確立した理論。〔交易条件の悪化とは、同じ原油をより高い値段で買わされることで、貿易を物々交換と考えれば、同じ量の原油を買うために、これまでは車を1台外国に渡していたのを、今後は2台渡さないといけなくなる。→ 同量の原油は買わないといけないので、それ以外のモノへの支出を減らすことになり、実質的な可処分所得が減り、貧しくなる。〕
・しかし、円安による最大の悪影響は、国富が減少することだ。→ 円安誘導は、意図的に日本経済の世界に占める割合を低下させる。国民一人一人にも大きな影響がある。…2012年の一人当りGDPは、市場レートによるドル換算では、日本は世界第15位の高所得国だったが、1ドル80円から120円に変えて試算すると、28位に転落する(ほぼ韓国に追いつかれるような水準まで落ち込む)。…経済全体も同じ話で、1600兆円の個人金融資産は、20兆ドル → 13兆ドルに激減した。→ 日本経済の規模は、フローでもストックで見ても、4割減少した。つまり、(円安誘導によって)4割の国富が失われたに等しいのだ。
・これまで積み上げてきた資産の価値が、意図的に40%目減りさせられたのだ。国富(戦後70年の努力)が、意図的な経済政策によって吹き飛んでしまった。→ だから、我々はこれを修正しなければならない。
・円安を止める……これがアベノミクスの代案の最重要課題だ。⇒ やるべきことは、円安を止めること。この過程で、経済を大幅な不況に陥れないこと。金融政策の転換に圧力がかかり、途中で転換が中止されてしまうのを回避すること。
・量的緩和を止めることは、インパクトが大きすぎて、できない(※そうなのか…)。開始時点ならともかく、量的緩和が、異次元、超緩和状態になってしまってからでは、直ちに止めることは不可能で、もう遅い。→ 超金融緩和状態が進んでいる現在でのベストシナリオ(セカンドベストシナリオ)は、金融緩和を続け、ゼロ金利は維持するが、円安を志向しないことを示すことだ。→ そのために、まず、量的緩和の規模の拡大はこれ以上はしない。経済に変化があれば、あらゆる金融緩和は行うが、国債の買い入れ増額はしない。

○インフレターゲットは修整できる

・同時に、インフレターゲット2%をマイナーチェンジ(微修正)する。→ まず、原油を除いたベースで考える。次に、輸入品を除いたベースで考える。…経済政策の指標としてのインフレ率とは、国内の需給バランス、需要の強さを見るものだから、それ以外の要素によるインフレは、考慮しない。→ 次に、インフレターゲットの目標を2%から1%に下げる。(詳細はP152~153)

○アウェイの金融政策で引き分け脱出を目指す

・このような目標設定の下で、短期金利をゼロにし、長期にもそれが波及するようにする。しかし、長期国債を買い支えて直接長期金利を下げる操作は行わない。(投機的トレーダーの売り仕掛けで市場価格が乱高下するようなら、市場を正常化するために買い入れを行うが)、直接の金利引き下げは目指さない。…同時に、市中銀行の貸出し金利を引き下げるために、日銀当座預金への付利を止める。→ 形にこだわらず、市中金利の下落を目指す。(※う~ん、金融は難しい…詳細はP153~155)
・ここで提案している金融政策のエッセンス……もはや、異次元緩和を織り込んで、国債市場、株式市場、為替市場は動いている。バブル的な側面もある。←→ ここで、最終ゴールとして望ましいからといって、一気に異次元の超金融緩和を終了するのは望ましくない。これまでの異次元緩和を直接否定するのもよくない。→ 従って、これまで大盤振る舞いをしてしまったツケを払うことになるが、いわばサッカーでいうアウェイの戦いで、負けないように守りきる金融政策を行う。(※ソフト・ランディングか…)
・つまり実質的な緩和効果は維持しつつ、これまでの政策との整合性も図り、また、断絶のないように、政策変更によるショックのないように行う。…ただ、方向は異次元緩和の出口を見据えないといけない。異次元の緩和から → 普通の大幅な金融緩和にまず移行し → その後、大幅な金融緩和の幅の縮小を恐る恐る行うのだ。…山を下りるのは、登るよりもはるかに難しい。綱渡りで後ずさりするのは決死の覚悟だ。←→ しかし、それが難しいからといって、ここまで来たら突っ込むしかない、というのは最悪の選択だ。自爆、討死戦略になってしまう。(※う~ん、戦前の日本軍…? 今の安倍政権もまた…? 原発や新国立競技場も…?)
・市場はもちろん、これを見透かすだろう。→ このような金融政策へ移行すれば、当初は株式市場は暴落し、為替は円高に振れ、国債市場も暴落するだろう。…しかし、ここで守るべきは、国債市場だけだ。→ 株式市場は思惑の値付けが消失するだけだ。バブルだから仕方がない。バブルはいつか崩壊する。ただし、できるだけその悪影響が波及しないように全力を尽くす。…リーマンショックは、根本原因はバブルを膨らませ放置したことにあるが、バブル崩壊そのものにあるのではない(※必ず崩壊するからバブルと言う…)。
・為替は、円高になる分にはかまわない。…円が暴落するのは日本経済の死だが、投機家の思惑が外れて円安が修正されるのであれば、それはむしろ歓迎だ。円高、通貨高は国益、経済にとってプラスだから。…乱高下は本来避けたいが、これまで乱暴に急落してきたのだから、ある程度やむを得ない。→ 為替市場が短期的に乱高下しても、トレンドとして一定の方向性が見えれば、実体経済はそれなりに対応できる。

○国債暴落防止:二つの基本方針

・問題は国債市場だ。…日銀の買い支えを縮小する方向を見透かされるから、一気に暴落するだろう。これには二つの基本方針で臨まないといけない。
(1) 過度の下落には、買い入れで対応する。…今は、国債価格が急騰しているにもかかわらず、国債を買いまくっているからおかしいのであって、国債市場が混乱し暴落するときに、それを買い支えるのは、金融システムの維持という中央銀行の政策目的に合致する。(詳細はP158~160)
(2) 政府の財政の健全性を示すこと。…消費税引き上げの延期がきっかけで国債の暴落が始まる可能性があり、それが一番恐れるシナリオだ。財務リスクが意識されての暴落では手の打ちようがない。→ これを防止するためには、消費税率を引き上げたほうがいいが、いずれにせよ国債発行額をとにかく減らすことが重要だ。…増税延期でもかまわないが、その場合は、歳出を毎年5兆円カットする必要がある。→ 公共事業の一時停止(10年は補修に限るといった方針)や年金の実質カットの長期的なスキームの提示・実行が必要となる。(※う~ん、なかなか厳しい…。ギリシャ問題も他人事ではない…)
・具体的にはどのような手段をとってもかまわない。とにかく、政府の財政支出が減るということを、投資家たちに見せつけなければならない。…日本政府の財政再建は誰にも信じられていない。即刻実現したことがほとんどないからだ。→ だから、これは期待だけではだめで、実現する必要がある。(※待ったなし、ということか…?)

○アベノミクスの代案とは異次元緩和からの慎重な途中下車

・以上が、危機対応のアウェイ対策。…実行は困難を極めるが、考え方はシンプルだ。アベノミクスの代案とは、異次元緩和からの慎重な途中下車なのだ。あるいは、ブレーキがきかなくなった自動車を、いろんな障害物に激突しないようにハンドル操作をしながら、自然に減速するようにナビゲイトする、という感じだ。
・まさに出口戦略だが、出口が見えないなかで、出口にたどり着くまでにクラッシュしないようにトンネルを抜けるようなプロセスであり、完全にアウェイの戦い…。薬物依存ならぬ、量的緩和依存からうまく抜け出すには、苦しみもリスクも伴うが、それを避けていては必ず破綻するので、敗戦処理は忍耐強くやるしかないのだ。←→ だからといって、ショック療法はできない。もう薬物依存になってしまったものを、突然何の準備もなしに薬物を抜いたら大変なことになる。
・薬物(超緩和的金融政策)を始める前なら、いろいろ手段はあったが、依存症になってしまった以上、その状況に応じた事後処理をしなくてはいけないのだ。…ここで提案したのも、もちろん痛みのある政策であり、国債市場の混乱を伴うだろう。でもそれは、薬物依存継続の道(アベノミクス)に対する代案であり、より望ましい道である。…すべての道には痛みがある。痛みのない道は破綻への道だ。


【8章】真の成長戦略


・退屈なアベノミクスの敗戦処理を離れ、少し自由に政策提言をしたい。…その前提として、これまでの章の議論をまとめてみる。
・(アベノミクスは取り違えているが)日本は需要不足ではない。だから景気対策は一切いらない。←→ (景気対策で)景気の波を均すことは、パイを拡大することにはならない。今日膨らんだ分のツケを、将来払うだけだ。財政出動した分(公共事業など)は増税になるのだから、何も増えない。…金融緩和と財政出動をセットで行えば、さらに問題は悪化し、財政ファイナンス(政府の赤字を中央銀行が引き受けること)と思われ、国債市場のリスクがさらに高まる。同時に、政治が中央銀行に国債の処理を短期的に依存し、易きに流れ、放漫財政が助長される。国債市場破綻リスクがさらに高まる。…他方、政策による経済成長力の低下も起きている。短期の景気刺激を行い、目先の需要と仕事を増やすと、長期的な活力と仕事が減少する。→ だから、景気対策、需要増加政策は、長期的な成長力を減退させるのだ。…失われた15年(デフレに苦しんだ15年)と言っていることの根本的な要因は、目先の景気刺激策をやりすぎたことである。景気対策依存症になってしまったことにある。
・量的緩和依存症も同様の現象だが、金融政策はよりスピード感があり、破壊力もあるため、リスクも極めて高い。変更もより困難が伴う。金融市場が相手だけに、コントロールが難しい。だから、金融緩和によるリフレ政策が最も危険な政策であり、脱出も最も難しい政策だ。

○景気対策を止めれば成長は始まる

・まず、景気対策を止める。公共事業はもちろん止める。歳出削減をさらに進める。社会保障も削減する。→ その代り、(現状の社会保障を維持するなら30%とも言われている)消費税率の引き上げを15%までに抑える(※水野和夫氏は、最終的には20%近い消費税を提示していた…「震災レポート30」)。…歳出を削減し、歳入もそれに見合ったものにする。→ 小さな政府というよりは、「効率的な政府」を目指す。…これが、最大の成長戦略であり、日本の成長力は上がる。(その理由は)国債市場を縮小することになるから。これが成長には重要だ。(※う~ん、公共事業も社会保障も、なにを削減するかは、相当もめる難題…)
・つまり、過去15年の政府債務の急増によって、民間にあふれる資金が政府部門という成長を生み出さないところに吸収されてしまい、いわばブラックホールに吸い込まれたように、資金が成長にまったく貢献しなくなっていたことが、成長率が低下していった根本原因だから。…政府は成長戦略ができない。これは現政権だけでなく、今まで誰もできなかった。政府にはできないのだ。⇒ だから、資金を民間セクターに取り戻す。…これが最大の成長戦略だ。(※う~ん、「官から民へ」か…このあたりが、「各論」の分岐点の一つか…)
・需要依存が染みついている人々は、「民間に需要がないから政府が」と言う。しかし、無駄使いは最悪だ。無駄に使うぐらいなら、使わずにとっておくほうがましなのだ。将来使えるから。…(5章で述べたように)今、この金融資産を無駄に消費してしまったら、将来、使うカネがなくなる。→ 今の経済よりもはるかに縮小した20年後の経済(※少子・高齢化)は、消費したくてもカネがなくなってしまっているはずだ。…そのときまでに消費の原資をつくっておく必要がある。→ そのために、(消費したくないものを無理に消費するのではなく)投資する。日本に投資先がなければ海外に投資すればいい。…きちんと投資すれば、所得になり、国民所得は増える。これが一番重要なのだ。
・もちろんこの場合、円高のほうがいい。いろんな投資が海外でできる。→ 収益で所得が余れば、その分、国内で別のものに使える金が増える。所得税収増加により、消費税の引き上げ幅が少なくてすむ。…また、銀行が国債を買わず、有効な資金運用をすれば、それは投資として生きてくる。→ だから成長戦略は、国債を減らし、資金を活かすことなのだ。これにより、成長が生まれ、将来の消費の資金が残る。…金融資産ではなく、良い経済を残すことのほうが重要だ。そのためには、今、消費してはいけない。
・日本に必要なのは、(貯蓄より投資ではなく)消費より投資だ。…(消費が足りないのではなく)投資戦略が足りないのだ。資金をうまく活用できていないのが問題なのだ。そして、資金の投資効率を最も落としているのが、国債(政府の借金)だ。…何も生まず、何も残さず、ただ消費して、資産を食いつぶしている。⇒ だから、政府支出を減らし、国債を減らし、増税を最小限に抑える(※それでも消費税は15%か…)のが、正しい戦略なのだ。…つまり、政府部門の効率化を行うためであり、資金を民間に回すためであり、だから成長戦略なのだ。(※う~ん、次回取り上げる予定の中野剛志の論と、ほとんど真逆…?)

○真の成長戦略の話をしよう。すなわち人を育てることだ

・ここまで、アベノミクスの対極としての二つの戦略を述べた。…前章では、①アベノミクスの金融政策の事後処理政策、そしてこの章では、②景気対策依存からの脱却すなわち政府の縮小(民間資金の政府部門からの解放)と投資による成長戦略。…これらは、国債市場、国債残高の縮小ということで共通する。
・では、さらに本質的な成長戦略とは何か? 最後に、日本経済の実力を本質的に上げる戦略、底力を上げる政策を示そう。⇒ それは人を育てることだ。…サッカーの日本代表と同じで、チームが強くなるためには、個が強くなくてはいけない。チームプレイも重要だが、個の力が低いままでは、チームとしても限界がある。だから、個を強くする必要がある。…経済における個とは人だ。人一人一人を強くする。それに尽きるのだ。人が成長する。その総体である経済も成長する。何の種も仕掛けもないが、これ以外に道はない。〔※う~ん、(最近見たTVでは)経済の強いドイツでは、効率化のプレッシャーで精神疾患も増えているようだが…〕
・もちろん時間はかかる。人間が成長するには、10年20年はかかるだろう。しかし、日本は素晴らしい社会だ(※?)。努力と工夫で、時間はかかるが、地道にやれば必ず達成できる。→ やることはシンプルだ。まず、基礎力を上げるために、教育を充実させる。家庭教育も学校教育もだ。→ 幼稚園から大学院まで、徹底的に人材を投入する。育てる側の人材も育てる。教師も、学校も育てないといけない。(※確かに、経験的にも日本はこの部分がまだ貧弱な感がある…ただ、難しいのは、やりようによっては逆効果になる恐れも……詳細はP175~176)

○成長戦略としての社会保障改革

・教育で基礎を充実させたあとは現場での修業だ。→ 職場で働くことにより、人的資本を蓄積できるような環境をつくる。…(正規雇用、非正規雇用という枠組みでなく)勉強になり、修業になり、次につながる、来年は今年よりもより高い価値のある働き手になっているような仕事となるようにする。→ そのためには、(正規雇用を増やすのではなく)逆に非正規、正規の枠組みをなくす。(※雇用の枠組みの次元を、一段階上げるということ…?)
・非正規と正規の問題は、社会保障を与える側(企業側)の都合で、枠組みをつくっていることにより生じたもの。→ (同一労働同一賃金として、正規と非正規の格差をなくすという考え方もあるが、それよりも)そもそも正規と非正規の区分をなくしてしまえばよい。その上で、当然の同一労働同一賃金の原則を適用することが必要だ。(※真のワークシェアリング…?)
・非正規が問題なのは、次につながらない仕事しか与えられないことだ。…個人が成長しない、働き手として価値が上がらない。そうなると、企業も継続して雇う意味がない。賃金を上げる気がしない。(※労働者の使い捨て…)
・非正規は、雇う側の理由としては、社会保障コストが高いから、正規雇用に二の足を踏んでいることと、正規にすると解雇が面倒であることの二つだ。→ この結果、非正規を多用している。…都合よく非正規を使っている企業もあるが、正規にしたいのに社会保障コストが高すぎてと思っている企業も多い。⇒ だから、年金、医療保険を雇用形態とは無関係な制度に変える。…雇用保険はともかく、年金、医療は(雇用形態に依存せず)、個人ですべて加入することにすればよい(詳細は後述)。→ 社会保障の企業負担、雇用主負担は、別の形に移行すればよい。…別の形とは法人税になるだろうが、企業側の社会保障負担が減れば、それよりも小さい法人税増税であれば、企業も負担できるはずだ。(※う~ん、この制度改革はかなり大ごとだ。…もっとも、〝憲法改正〟のためのエネルギーをこっちに注力すれば、可能性ありか…? まったく安倍政権は、資産の無駄遣いだけでなく、エネルギーの無駄遣いだ…!)

○会社ではなく個

・あとは、職場次第であり、政策にできることはそれほどない。学校を徹底的に強化することが政府の役割だ(※う~ん、以前「学校化社会」が問題になったが…今の文科省がやったら、ちょっと怖いことになる…?)。→ 学校の充実により、職場での実践力を高める手助けをするには、高等専門学校の強化が最も重要だ。(※詳細はP179~180…この高専の強化策は、この著者の持論のようで、他の著作の中でも触れられている…ex.『やわらかな雇用成長戦略』)。
・会社の中ではなく、自分の中に資本を蓄積する。…仕事の経験を人的資本として自分の中に蓄え、それを活かし、自分でキャリアを形成していく。個を強くしなくては始まらないのだ。←→ 企業という箱を強くしても、その箱にぶら下がる人々が増えるだけでは意味がない。⇒ 個を鍛えることが、すべての根本だ。(※この著者はまだ40代のせいか、なかなかシビア…)

○政府は補助のみ

・この素晴らしい個を日本全体というチームにするためには、(この章の前半で述べたように)金融資本の活用により、企業、産業の新陳代謝を進め、政府依存の経済を脱却する。…もともと日本は、国際的に見て、米国などに次いで、政府依存度が低い民間活力にあふれた国なのだ(※う~ん、そうなのか…?)。だから、今までの景気対策依存という誤謬、悪い癖、発想から脱却すれば、十分道は開ける。←→ 政府依存という道は、行き止まりの道だ。
・人口問題は、直接アプローチしない。…良い社会、自然な社会へと立て直していけば、人口は、結果として自然に増えていくだろう。→ 非正規と正規の区別がなくなり、実力主義で中途採用も幅広く行われるようになれば、仕事の都合で出産を遅らせるということも減っていくだろう。そのような生活でなければ持続可能でなくなっていくから、世代が変われば、一気に職場の習慣は変わっていくだろう。→ 同様に、東京などの大都市を離れ、地方、環境の良い街、地域を選んで住む人が増えていくだろう(すでに兆しはある)。地方出身者は、短期、東京を観察し、地元の良さを再認識し、地元に戻り、定着する人が増えていくだろう。…地方は、何より環境が良い。地域のつながりが良い、食の質が高い。住宅はもちろんレベルが違う。子育てには最高の環境だ。(※う~ん、ちょっと楽観的すぎる印象も…。人口問題については、別個に、『東京劣化』松谷明彦(PHP新書)2015.3.30 で取り上げる予定…)
・足りないものは、仕事と学校と病院だ。→ ここが政策で補助するべき領域である。…政府は補助に徹し、伸びてくるところを側面的に支えるのだ。←→ 小さい市町村、地方への経済政策というと、大企業製造業の輸出工場の誘致や観光、という短絡的な道が強調されてきた。また町興しと言えば、観光とB級グルメと、とにかく東京から人を呼び寄せることばかりに頭を使っていた(※北陸新幹線の開業時の印象も同様か…?)。そうではない。地方の力は地方にあるのだ。
・地元の経済力をうまく高めることで、さらに充実した社会となり、その結果、経済的にも持続可能性を取り戻す。…若者の流出、人口減少も、生活の場としての魅力をさらに高め、それが再認識されれば、流れは変わる。飛び道具的に東京や外国に頼ってもうまくいかない。…地元を愛し、定住する人を増やすことが最優先であり、それ以外にない。(詳細はP184…※う~ん、方向性はいいと思うが、具体策は…?)
・しかし、地方に住んでも東京と変わらないものはある。輸入品の価格だ。地方だから安くなることはない。→ だから、円高は必須条件である。…地方では車が重要で、ガソリン価格の上昇の生活への影響が大きい。ガソリンや電気代だけでなく、多くのものが今や輸入品であり、地方でもそれは変わらない。→ だから、生活コストの低い地方を活かすためには、円高は必要なのだ。

○年金:個人勘定積み立て方式への移行

・変わりにくい職場が変わることを支援する政策…それは何よりも、(前述のように)非正規と正規の区別を止め、社会保障を(企業に依存せず)個人ベースで行うことにする。…この基本的な枠組みの変更が最も重要で、これで多くの問題が解決する。→ 年金を個人積み立てにすれば、サラリーマンの配偶者の問題も必然的に解消される。…賦課方式から積み立て方式への移行のコストの問題は、特別の消費税をつくり、特別の国債を発行する(年金制度抜本改革移行費用に限定したものにする)。これなら、財政構造の改革のための支出だから、国債の発行も歯止めのきいたものとなる(※それでも、期間限定にせよ、増税&国債増額か…)。
・実は、この年金改革は景気にもプラスになる。→ この積み立て方式への移行によって、「自分で払った年金保険料は、自分の年金として返ってくる」ということが明確化されれば、若い世代の、現行の年金制度に対する不安や不満が、解消され、彼らの消費、投資行動にはプラスになるだろう。…一方、高齢者世代も、年金額が多少減らされることになっても、これまで年金財政の問題が持ち上がるたびに不安と不快感(世代間対立を煽られて)が生じていたが、これが解消すれば大きなプラスだ(不安による無理な貯蓄もしないですむ)。→ (現行の年金制度の)賦課方式という、世代間の助け合いなどというきれいごとの言葉から(※う~ん、なかなかシビア…)、積み立て方式(自分の年金を自分で積み立てる方式)に変えればよいのだ。…これは景気にもプラスであり、不安、不快、諦念がなくなり、自由が取り戻される。消費にも、将来への投資にもプラスだ。(※う~ん、一定の説得力あり…詳細はP185~189)

○政府にどいてもらうという成長戦略

・政府の国債依存を止め、経済や社会の景気対策依存を止め、社会保障の企業依存を止め、賦課方式の年金依存を止めれば、経済は活力を取り戻す。…政府が邪魔をしていた部分が取り払われるのだから、道が拓け、本来あった活力を取り戻すことになる(※民間セクターをもっと身軽にしろ、ということか…)。→ 政府の経済対策に依存する体質、意識を変えるのだ。政府のつくった道、短期の甘い痛み止め(※副作用のある対症療法)に依存することから脱却し、自分たちで道を切り拓くのだ。
・そのために、政府にはどいてもらう。→ 代わりに政府がやることはただ一つ、長期的な成長力の底上げに貢献する。…そのためには、人を育てるしかない。政府は、個を育てること、その補助に注力するのだ。…これまで設備投資減税などは、むしろ過大な補助が流れている。→ これからのチャンスは、より海外に増えていくので、無理に日本国内で投資させるインセンティヴをつけるのは、世界経済構造の変化に対応しにくくなる。従って、設備投資減税も長期成長を阻害する可能性がある。…企業は儲ける機会があれば投資するのだ。
・一方、人的投資の促進は、必ず日本のためになる。→ 日本の労働力の質を上げれば、日本企業も海外企業も日本を拠点にしたいと思う。日本人が海外に赴任した場合でも、日本へ彼らの所得の移転が行われることになる。また海外に移住しても、彼らは日本のやり方を何らかの形で海外に広めることになり、強いネットワークとなる。⇒ 個々の人の価値を高めれば、それは連鎖して、大きな相乗効果を持つ。…従って、人に価値を蓄積させるような政策に絞って、それを全力で行う。
・これは、賃金の上昇をもたらす。(単なる年功序列的なものではなく)働き手が労働力としての価値を高めれば、企業にとっても価値が高くなるから、高い賃金を払ってでも雇いたくなる。…これこそが、真の好循環であり、真の成長戦略であり、アベノミクスの代案だ。(※これは短期の〝成果主義〟とは、似て非なるものだろう…。ただ、年功序列的な賃金体系にも、生活設計的な安定性という、それなりの良さがあると思われるが…)


【9章】円高・デフレが日本を救う


○通貨価値至上主義の時代

・今、日本に一番必要なのは、円高だ。→ 自国の通貨の価値を高める。これが、一国経済において最も重要なことだ。通貨価値とは交易条件の基礎であり、交易条件を改善することは、一国経済の厚生水準を高める。つまり、国が豊かになる。……かつて19世紀までは、これは常識であった。
・古代において、国家権力を握る目的は通貨発行権を得るためであり、通貨発行益(シニョレッジ)を獲得するためだった。→ その獲得が難しくなった近代では、通貨価値を高めることが重要となった。
・19世紀までは、経済は貴族経済だった。…国民の大多数は生存可能水準ぎりぎりであり、貯蓄もそれによる資産もほとんど存在しなかった。国民経済は存在しなかった。…それでも国家にとって国民が重要なのは、戦争の手段であり、安価に動員できる貴重な資源だったから。傭兵よりも安上がりだった〔※現在でもその側面は、「経済徴兵制」という形で残っている?…ex.『ルポ 貧困大国アメリカ』堤未果(岩波新書)2008年〕。…経済は貴族のものであり、貴族とは資産で暮らしている人々のことだった。勤労という概念はなく、資産価値の最大化を目指していた。従って、通貨価値(自分の資産の単価)を高めることをどの貴族も望んだ。
・さらに、経済圏が拡大し、経済の国際化が進展すると、通貨価値の(絶対的水準だけでなく)相対的価値も高める必要が生じた。…自国の通貨が(他国の通貨よりも)価値が高いと、他国の物産、傭兵、土地などを、すべて安く買える。→ 従って、第一次世界大戦後1920年代半ばまでは、通貨価値を維持することが国家経済の最優先課題だった。

○通貨安戦争は歴史上の例外

・それを一変させたのは、大恐慌だった。…1920年代末の株価大暴落からの金融危機で、各国は苦しみ続けた。→ フランスは、長期的にも世界経済における地位を回復できなくなった一因となった。…貴族的、資産家的発想で、植民地における資源の収奪を優先し、既存の資産、資源価値を最大化することを考え、経済を成長させる商業、工業を発展させることをおろそかにしたため、経済危機を拡大させた。→ イギリスは、商業、産業重視の多角的な植民地主義によって、(世界経済の中心が欧州大陸から米国大陸に移る中で)生き残りを図ってきた。
・19世紀末、米国消費大国の登場で、(資産価値よりも)毎年のフローとしてあがる所得、経済成長を取り込むことのほうが価値が大きくなった。→ 世界経済が急速に成長するようになり、日々の生産で稼ぐことが、資産価値の維持よりも大きい世界が登場した。…国民も(戦争への動員資源ではなく)、経済力という(軍事力に代わる)国力の担い手として捉えられるようになった。→ 国民の所得を拡大させることが、国富の観点からも最重要となった。…これは、ドイツや日本という資本主義後進国にとっては当然のことで、追いつくためには(少ない資産を守っていては話にならないので)、富国強兵で国の経済を成長させることが19世紀後半からずっと重要だった。その意味では、米国と同じだった。
・米国の時代の始まりとは、大衆消費社会の到来だった。消費市場が経済政策としても最重要課題となっていった。…(1929年の株価大暴落に始まった)世界恐慌において、初めて失業問題が(社会問題としてではなく)、国のマクロ経済の問題として重要となった。→ 国民とは、労働力という生産力であり、消費者という需要となった。一般大衆あるいは中間所得層が経済における最重要プレーヤーとして明示的に認識された。
・かくして、貴族支配経済における通貨価値の維持・上昇への傾倒は、大恐慌で一変し、各国は通貨価値引き下げを目指し始めた。…経済において最も重要な需要を獲得するために、大恐慌の中では、輸出促進のための通貨切下げ競争に走らざるを得なかったのだ。(資産価値重視から)毎年の国民所得という経済規模拡大(経済成長)を目指すようになった。→(資産というストックの重視から)国民所得、GDP(国内総生産)というフロー最優先にシフトしたのだ。
・通貨価値維持から一転、激しい切り下げ競争になり、逆方向の懸念が生じた。…大恐慌による深刻なデフレーションだから、通貨価値切り下げ自体は、財政出動と同様に、短期的な対応としては正しく、必要なことであった。←→ しかし、すべての国が切り下げ競争をすれば、それは単なる限られたパイの奪い合いをしているだけであり、世界全体で需要は増えない。→ 増えたものは、価値の下がった通貨(=インフレーション)だけだ。
・結局、需要は、軍需、戦争に頼ることになり(※う~ん、安倍政権も今、そんな雰囲気が出てきている…中国もか?)、各国政府は経済のためでなく、戦争のために財政出動を行い、結果として、深刻なデフレからは脱却したものの、残ったものは政府の借金だった。…軍需支出は、直接的には戦争後の平時の生産力とはならないから、戦後の不況へとつながるのだ。
・偉大な経済学者ケインズは、戦後のために、戦争中から切り下げ競争を回避し、通貨価値を安定させるために世界共通通貨を提案しようとした。←→ しかし、IMF・世銀体制はできあがるが、通貨体制は、ケインズ案ではなく、固定相場制となった。

○通貨価値維持とはインフレとの戦い

・第二次大戦後は、世界的な高成長時代を迎えた。…この時代の価値の目減りとはインフレであり、各国はインフレを退治し、同時にフローである成長を目指した。
・そしてオイルショックが起き、インフレとの戦いは最も厳しいものとなった。インフレにより、貨幣経済は崩壊するかと思われた。→ 通貨価値の維持が重要であり、金利を最大限に引き上げた。→ こうしてオイルショックとともに、金本位制と固定為替相場制が放棄された。…経済の現実の変化に対応して、システムの変更を迫られたのだ。

○円高不況の下で日本が世界を席巻した理由

・オイルショックを経て、1980年代、先進国は低成長時代に入っても、通貨安競争は限定的だった。米国(レーガンやクリントン)も強いドルを追求していた。←→ 通貨が安いことを何よりも国家として最優先に望んだのは、高所得となった成熟経済国の中では、1980年代後半以降の日本、及びその他ごくわずかな例にとどまる。
・しかし、1985年以降の円高不況と呼ばれた時期は、実際にはまったく不況ではなかった。…輸出産業は、構造改革、戦略、ビジネスモデル変更を迫られたが、経済全体では、バブル経済を謳歌した。そして、日本が世界を制覇すると恐れられたのも、この時期だけだった。
・この理由は、もちろんバブルはあったのだが、実体経済としても、日本の製造業の生産性上昇はめざましく、(欧米がオイルショックによるインフレ、スタグフレーションに悩まされている間に)研究開発、設備投資を重ね、世界一付加価値の高い製品を世界一生産効率の高い工場でつくるようになったからだ(※省エネ技術もか…)。
・このような製品群は、為替レートが円高に振れようとも、輸出を飛躍的に伸ばしていった。むしろ円高により、ドルベースでの収益は大幅増加した(ex. 自動車産業)。→ 株価はバブルでもあったが、円高により、ドルベースの時価総額では世界のトップランキングをほとんど日本企業が占めた。…これが世界を恐れさせたのだ。
・1990年代半ばには記録的な円高が進行したが(一時1ドル70円台)、このときは日本の介入と、米国の強いドル政策により、円高は終了した。…米国は、強いドルを明示的に切望したのだ。→ その後、日本は金融危機となり、日本売りという形で、(アジア金融危機でアジア諸国が感じたのと同じ恐怖感に)通貨の暴落によりさいなまれた。

○新興国の時代、通貨安戦争はなぜ起きないか?

・中国にとって重要だったことは、通貨(元)が今後強くなっていくということがコンセンサスであったこと。つまり、中国に投資すれば、通貨が強くなるから必ず儲かると世界中の投資家に思わせたことだ。→ 中国は、生産基地としても、13億人の消費者の市場としても、そして投資先としても、最も魅力的な地域となった。…これを背景に、中国は世界を支配し始めたのだ。(※いよいよ中国経済のバブルがはじけ始めた、という説もあるが…?)
・中国に限らず、どの新興国にとっても(通貨は世界規模で輸出先を獲得するための手段であるから、安いほうが望ましい、と思うのは一部の輸出業者だけであり)、国力の増大にとっては、通貨を弱くすることは考えられなかった。→ 通貨が弱くなるということは、世界の投資家が資金を引き揚げるということを意味した。…グローバル資本主義により、どの新興国でも、世界からの投資に依存していたから、長期的に資本を引きつけることは最優先だった。→ だから、通貨は強くなる必要があり、そのためにはインフレは敵だった。…また、通貨が弱いままでは、国内の人材、企業、土地などを買い漁られてしまうので(※最近の円安で、日本でもこの傾向が出てきている…?)、投資を引きつけつつ、高く売ることが必要で、そのためにも通貨は強いほうが当然望ましい(※今、日本株を買っているのは、海外の短期的な投機筋…?)。
・さらにリーマンショックは、これを新興国に再認識させた。→ 弱い通貨の国は、株式市場、不動産市場、国債市場が崩壊してしまった。→ ユーロに入っていなかったEU加盟国は、最も激しい危機に陥った。…ハンガリーが代表だ。→ ギリシャがユーロから離脱していれば、一瞬で吹き飛んでしまっていただろう(※う~ん、マネー資本主義の怖さ…?)。従って、バルト三国は、悲願のユーロ加盟を達成し、歓喜に沸いたのだ。

○通貨価値維持という王道

・一方、先進国(成熟国)の21世紀の新しい戦略は、世界規模に広がった高成長の果実をどれだけ享受できるか、という競争になった。→ それには、通貨価値が高いほうがいい。…この新興国を中心とする世界経済の拡大の果実を効率よく刈り取ることが望ましい。→ そのためには、投資を拡大しないといけない。果実のなる樹木に、土壌に投資しないといけない。…グローバル資本主義の世界とは、資本を世界に効率的に投資して、その収益を最大化する競争だから、通貨は力であり、強くなければ世界に投資できない。通貨価値が倍になれば、倍額の投資ができるのだ。(※これは新興国からの搾取、という側面はないのか…?)
・実は、輸出の面から言っても、通貨は強いほうが、成熟国には望ましい。→ 自国のモノや知的財産を、新興国に売る場合には、付加価値を高くして、できるだけ高く売るのが最適な戦略だ(※アメリカのTPPの狙いもこれ…?)。量を追うことはあり得ない。コスト競争なら、新興国や途上国の中の最も効率が良く質の高い生産力を持つ国に、必ず負けるから。→ それらの国は、中国、ベトナム、カンボジア、ラオスと推移してきた。…中国はもはや価格競争は卒業し、付加価値競争に入ってきた。←→ 通貨を弱くすることにより、あえて自国の価値を低めて貧しくなってまで、この価格競争に参戦する国は普通はいない。(※日本ぐらい…?)

○通貨価値、資産価値、成熟経済

・このように見てくると、通貨を安くすることが自国の利益になったことは、(例外的な場合を除いては)歴史上なかったと言える。…大恐慌時や一時的な大不況に陥ったときの緊急脱出策として選択肢になる場合があるだけであり、しかも、それは一時的で、長続きはしない。→ ましてや、21世紀の現在の成熟国において、ストックである資産価値についても、将来に向けての投資についても、そしてフローの輸出に関しても、すべての軸において、通貨は強いほうが望ましい。
・過度の通貨高は、均衡を離れているということで歪みが出るから、長続きはしないが、それは過度の通貨安についても同じことだ。→ 通貨は強いことが望ましいことを考えると、過度の通貨安を望む、ということは経済的にあり得ない。←→ それをあえて政策的に追求するということは、長期的な経済の持続性を捨てて、今の一時的な需要をつかむこと以外にメリットはない。〔※一時的に経済で人気取りをして、そのスキに〝憲法改正〟をやってしまおう?〕
・通貨の安売り戦略は、理論的にもあり得ないし、現在の日本以外に、それを望む成熟国はない(どうしても輸出における価格競争をしたいのなら、その企業だけ、賃金を引き下げて競争すればよい)。⇒ 現代における経済成熟国の最適戦略は、通貨高による資産価値増大およびそれを背景とする新興国など世界への投資だ。→ それにより、さらに自国の資産を増大させ、さらなるシナジー(相乗効果)などを加え、資産価値を通貨価値の上昇以上に増大させることを目指す。(※う~ん、ハゲタカファンドにならないか…?)

○国富の三分の一を吹き飛ばした異次元緩和

・日本の国富(負債を除いた正味資産)は、2012年度末で3000兆円ある。…これを1ドル80円で換算すると37.5兆ドルだ。→ 1ドル120円なら、25兆ドル。…33%の減少(1/3が失われた)。…そんな経済的損失は、これまでに経験したことがない。12.5兆ドルの損失とは、数百年分の損失である(計算の詳細はP210~211)。さらに機会損失もある。→ この2年で、これまで積み上げてきた日本の国富の1/3を吹き飛ばし、永遠に取り戻せない損失が生じたのだ。(※円はさらに下がり続けているよう…)

○円安で輸出が増えない理由

・円安に戻して輸出で世界の市場を制覇するというのは、1960年代あるいは1980年代前半の日本経済の勝ちパターンに戻りたいということ。…それは不可能というより、圧倒的に不利な戦略。あえて円安にするわけだから、輸入に極めて不利になるから。→ その分を上回る輸出量だけでなく、利益を稼がないといけない。←→ しかし、円安が進むことによって、貿易赤字は増えている。…これは、円安が日本経済にとって、所得の流出であり、日本経済が貧しくなっていることを示している。
・空洞化(工場の海外移転)は、輸出が増えない主要因ではない。→ 従って、円安を契機に企業が工場を国内に戻すようになり、もう一度輸出が増えるというのは幻想であり、最悪のシナリオだ。…人件費は製品価格の1割程度であり、3割程度の為替変動(製品コストの3%程度)によって、工場立地を変えるのは、この3%のコストのためだけに右往左往するということ。…その程度で工場を国内に戻したところで、売上が倍増するわけではない。さらに、もう一度円高になれば、また海外のコストの安い立地を血眼で探すことになる。
・かつて、日本の地方では、雇用を地元に生み出そうと、大企業製造業の工場を誘致することが流行った。しかし、多くの工場は、設立して5年もすれば、世界経済の構造変化、技術進歩、ニーズの変化などにより、経済的に陳腐化し、企業はほどなく撤退を決意することになった。…為替レートの変動で工場を変えるということを想定しているような企業や産業は危ないのだ。→ 多くの企業は、生産拠点を世界に複数持ち、複数の選択肢の中から、為替変動に対しては、生産量の比率や部品の調達比率を微調整している…生産ポートフォリオ(分散投資)戦略をしっかり確立しているのだ。
・今の金融政策は、明らかに異常で、日銀自身が異次元と呼んでいるのだから、必ず正常化が起こる。…実際、米国でも正常化(出口戦略)が進んでいるのであり、日本でもいつか必ず起こる。(詳細はP216~218)

○円安の企業利益 ≦ 他部門の損失

・現在、円安に沸いているのは、生産量も増やさず、生産拠点も変えず、最終製品の価格をドルベースで変化させないでいる企業。…もう一つの円安による利益増大のパターンは、海外子会社の利益が円換算で(1ドル80円 → 120円なら)1.5倍になったことによるもの。→ ここで注目すべきは、(株価が上がることは悪いとは言わないが)実体は何も変わっていないことだ。…生産は何も変わっていないが、ただ、利益の測り方が変わっただけなのだ。…ここで重要なのは、実体が変わらず測り方で儲けているということは、その分、どこかで損が出ているはずだということ。…それは、二つの軸に分かれて出ている。
(1) 円安、インフレによる生活コストの上昇、生産コストの上昇 → これらは日本経済を滅ぼす。…毎年、日本は貧しくなっていく。…フローの衰退である。
(2) 円安による日本の資産価値のドルベースでの下落は、日本経済の世界におけるウェイトを半減させ、経済的存在感を喪失させる。…ストックの消滅である。
・欧米から見れば、中国に比べて日本はますますちっぽけな市場となり、世界で軽視されるようになる。→ そして、日本の企業も不動産も人材も、円安の分だけ割安になり、アジアの投資家に最も価値の高い、最もいいものが買い漁られる。…我々は、国富(国の宝)を失っていく。(※う~ん…アジアの辺境で、褒められもせず苦にもされず、慎ましく生きていく…という選択肢はなしか…?)
・最も貴重な宝は、人材だ。…野球、サッカー、ゴルフ、すべてのスポーツにおいて、一流の選手は全員日本を離れる。プロ野球は、大リーグにスカウトされるのを待つ二軍リーグになる。→ これが、スポーツ以外の領域、普通の企業にも大学にも、すべての分野に及ぶ。
・こうして、世界でのウェイトがほぼ半分と小さくなった日本経済は、規模の縮小をきっかけに、人材が流出し、活力を失っていく(※リストラでも企業が希望退職を募ると、優秀な社員から出ていってしまうらしい…)。…重要なのは、規模そのものではない。規模の縮小により、不動産と同じように、最も優れた企業、最も優れた人材が、日本経済から出て行く。これこそ、日本の終わりだ。…米国で研究する日本人からノーベル賞学者は出るが、日本の研究機関を拠点にする研究者からは、もはや出なくなっていく。→ 人口減少で日本経済が衰退する前に、金融政策により日本経済は小さくさせられてしまったのだ。…どうしたらいいのか? ⇒「円高・デフレで日本を救う」のである。

○円高は日本を救う

・円高、物価安定によりコストを低くし、世界で最も生活しやすい国とする。…円高により、海外の資源を安く買い、物価の安定により、生活コストを抑え、生産コスト、生活コストの低い日本にする。(※「世界で最も…」でなくとも、そこそこ生活しやすい国でいい…?)
・(手段としては)まず、円安を止める。→ 日本国内の資産価値が高まり、海外の投資家や企業に、不動産や知的所有権、企業、ノウハウ、人材を買収されるのを防ぐ。…ストック、資産、知的財産、の国外流出をまず抑える。→ 次に、通貨価値を少しずつ回復していく。…この過程で、海外の低コスト労働の生産地と価格競争だけで生き残ろうとする企業、工場、ビジネスモデルは、現在の世界経済構造に適した企業、ビジネスモデルへの移行を迫られる。→(高い価値を持ったノウハウ、労働力、知的財産を安売りするのを止め)高い付加価値をもたらすものに生産を特化していく。(自国生産にこだわらず)日本でも海外でも生産する。…海外労働力・工場をうまく使い、その生産から得られる利益の大半を知的財産による所得、あるいは投資所得、本社としての利益として獲得し、国内へ所得として還流させる。
・ これは実際に、日本企業が現在行っていること。…リーマンショック以降、この流れは加速しており、実現しつつある。←→ 実は、現在の円安誘導政策で、この流れを政策によって止め、過去のモデルに企業を引きずり戻そうとしているのだ。→ これを直ちに止める(円安を修正する)。
・この方向が進むと、国内生産量、工場労働者数は減る。→ しかし生産量や国内工場雇用者数をとにかく増やそうとすることは、世界最低コストの労働力と永遠に競うことを意味する。…それは、世界最低水準の賃金に自ら好んで合わせていくということだ。←→ そうではなく、価格の安い海外の労働力の協力を得て(※搾取にならないか…?)、日本企業のアイデアの詰まった製品(※機能を詰め込み過ぎ?)を、世界最低コストでつくり、世界中に高い価格で売るモデルにシフトする。(※う~ん、ここの部分は、ちょっと違和感が…詳細はP222~228)
・(こうした日本人および日本企業の海外展開が増えていけば)日本国内の勤労所得は減少するが、海外企業への投資収益、知的財産への支払い(コンサルティング料、特許料、ロイヤリティ等)などは大幅に増える。海外で働く人材の所得も大幅に増える。→ これらを合わせれば、国内で減った所得を大幅に上回る所得が得られる。…マクロで言えば、経常収支の所得収益がこれからも大きく伸び続けることになる。(国内所得であるGDPではなく)この所得の合計所得を増やすことが政策目標になる。
・このためには、何よりも円高が必要だ。海外の企業を買収し、人材を買収し、雇い入れるには、通貨の力が必要である。…1980年代末のバブル期、急速な円高にもかかわらず、円高不況という言葉も乗り越えて、日本経済は世界を席巻した。通貨の強さとは国力なのであり、米国はこれを恐れたのだ。←→ 現在は、日本の相対的存在感は圧倒的に低下している。日が沈む国とたとえられている。→ だから、今は円安を円高に戻しても、国際的にはまったく問題にならない。(欧米の投機家、トレーダーは、日本の金融政策の混乱を利用して、日本の投資家や個人投資家を振り回して、大きく儲けているから、為替の大きな変動も大歓迎で、日本の乱高下は最高のボーナスなのだ。)
・しかし、円安を非難しない最大の理由は、欧米はもはや通貨安競争の枠組みにはない、ということ。→ 欧米は強い通貨を欲している。自国経済を強くするためには、通貨が強いほうが圧倒的に望ましい。もはや資産のほうが重要であり、日本が勝手に通貨を弱くしてくれるのは大歓迎なのだ。→ 通貨を強くし、世界の魅力ある有形、無形の資産を手に入れ、国力を強くしていく。…他国の通貨が安くなるのは、投資しやすくなるので、絶好のチャンスなのだ。
・日本ももう一度、遅まきながら、この流れに加わる必要がある。円の価値を維持し、高める。→ 円高を背景に、世界中の企業を賢く買収し、世界に生産拠点、開発拠点、研究拠点、のポートフォリオ(分散投資)を確立し、それを有機的に統合する。…ネットワークというより、もっと強い有機的なつながりだ。つまり、お互いが発展することがさらなる発展につながる。そして、(短期的な利益にこだわらず)中長期的に持続可能で、全体が発展するような戦略で臨む。(※う~ん、自国の企業は買収されないようにし、他国の企業は賢く買収する、というのは、ちょっと一方的で身勝手という気もするが…? それでは〝嫌われる国〟になる…)
・もちろん、これは国家的な戦略として行うのではない。国家という枠組みを超え、企業や個人が自由に自発的に行動した結果、この有機的なシステムができ上がるのだ。→ 産業の有機的な発展は、国家主導ではできないし、それは健全な発展を阻害する。…国家は、補助的な役割(円高により、日本という地域の経済力を強めること)に自己限定し、それを徹底的に果たす。→ 日本地域の経済力が高まれば、そこを拠点とする企業と個人の経済力も立場も強まる。(※う~ん、次回取り上げる予定の中野剛志氏は、「民間に任せていたのではうまくいかない。やはり国の主導でやるべき」という論のようだが…?)
・企業と個人がすべての基本である。…企業は人なり、国家も人なり、地域も人なりだ。→ だから、人を、個人を徹底的に育てる。政府がそれを支える。…マクロ経済全体では、円高で経済の価値を高め、強くする。ミクロでは、プレーヤーである人を育てる。→ 人が育ち、成長する結果、経済全体も成長する。…これが日本という地域の「場」としての力を強める唯一の道である。(※これが、この著者の経済論の肝であり、そして一定の説得力ありか…。というのも、当方の経験的な感触でも、昨今の日本社会は、この人を育てるということに関しては、はなはだ心もとない社会だから…)

○デフレは不況でも不況の原因でもない

・現在、巷で使われているデフレという言葉は、間違って使われている。…デフレとは不況ではない。デフレとはインフレの逆であり、物価が上がらないということであり、それ以上でも以下でもない。…景気が良く物価が上がらなければ、それは最高だ。あえて無理にインフレにする必要はまったくない。→ 社会は、第一には生活者の集まりである。消費者としての個人を支えるためのヴィジョンがデフレ社会だ。我々は、「デフレ社会」を目指す。
・所得が下がったのはデフレが原因ではない。デフレは結果だ。…所得が下がり、需要が出ない(モノが売れない)ので、企業は価格を下げた。→ 効率性を上げて、価格を低下させても利益の出た企業が生き残った。←→ バブルにまみれて、高いコスト構造を変革できなかった企業は衰退した。……そもそも日本の物価は高すぎた。東京が世界一物価の高い街として悪名の高かった1990年代前半。→ そのバブルは崩壊し、フレンチディナーの価格も居酒屋の価格も適正になったのだ。
・デフレ社会が望ましいのは、同じコストでより豊かな暮らしができるということに尽きる。→ 所得が多少減っても、住宅コストが低ければ、経済的にもより豊かな生活が送れることになる。…広い意味で生活コストを下げる。これが生活者重視の政策であり、円高・デフレ政策の第二の柱だ。
・円高は、エネルギーコスト、必需品コスト、さらに広げて衣料品やパソコンのコストを下げることになる。まさに交易条件の改善による所得効果だ。→ さらに、社会と経済の効率性を高め、無駄な支出を抑え、不必要な経済支出を減らすこと。…これはデフレ社会(※成熟社会?)と呼ばれるだろうが、それは望ましいことだ。→ 所得は一定なのだから、無駄な支出が抑えられれば、本質的な部分に支出を回すことができる。
・「最近の若者は、職場の同僚や上司と飲みに行かない…団体行動ができない」などと中高年サラリーマンが愚痴ったり、批判したりするが、給料の一部を無駄遣いして、時間を浪費し、家族との時間を減らすことは究極の無駄で、その無駄がなくなることは、日本社会が効率化していることの現れで、極めて望ましい。草食は生態系でも効率的だ。これこそ効率的な社会である。(※う~ん、思い起こせばその昔、ずいぶんと無駄な酒を飲み、時間とカネを浪費したものだ…。まあ、生身の人間、効率性だけではやっていけないのだが…詳細はP235)

○円高・デフレ戦略という王道

〔この章のまとめ〕

・マクロ経済としては、円高を追求し、世界における研究・開発・生産ポートフォリオ(分散投資)を効率よく確立する。…場としての日本の価値を守り、発展させるために、日本の資産価値を上げる円高を進める。
・その中で、生産工場は日本にこだわらず、質とコストバランスから世界で最も効率的な場所を選ぶ。…開発は、消費者ニーズを汲み取り、需要と開発の有機的な好循環のためにも、消費立地を中心に世界に展開する。…研究は、開発と一体的に行うものと、基礎研究と製品開発を連携させるような研究開発を、日本でも海外でも行う。→ 国内での勤労所得、企業利益が一つの柱で、海外投資収益がもう一つの所得の柱になる(※日本国内と海外と両方で稼ぐ)。
・このとき、日本という場が、研究開発、生産のヘッドクォーターとして魅力ある地域であるためには、豊かで多様な社会でなければならない。→ そのためには、教育に力を入れ、人を育てる。…研究機関としての大学院だけでなく、幼児教育から含めて、トータルで社会として人材を育てる。…職場においても、人的資本を高め、賃金も利益も増える好循環を実現させる。
・この生活基盤を支えるために、効率の良い社会を目指す。→ 生活コストが低く、かつ環境の良い暮らしやすい社会が実現する。…価格水準からいけばデフレ社会(物価が上がらない社会)だが、それはむしろ望ましい。→ 東京の一極集中は効率が悪いので、地域ごとの自然な発展を促す。→ それによって、これまでの日本がつくり上げてきた各地域の豊かな社会資本、環境、地域社会を有効活用し、社会の蓄積、ストックを経済的にも活用し、社会として豊かさを享受する。(※う~ん、ここの部分は、一般論的な表現にとどまる…)
・政府財政は、(年金など、社会保障をカネだけですませようとするのではなく)社会で社会保障を行い、実質的に高齢者を含めた人々の生活を支える。→ そのためには、地元の行政が住民と一体となって地域社会をつくっていく形を目指す。中央政府はそれを効率よく支える。⇒ これが、円高デフレ戦略だ。日本社会と経済を持続的に発展させるには、この道しかない。(※う~ん、この章の結語の部分も、ちょっと具体的なイメージがイマイチ希薄…)


【終章】異次元の長さの「おわりに」


○本当の日本経済の将来ヴィジョン

・成長の時代は終わった。もはや経済成長を求める時代ではない。⇒ それは成熟経済だ。成熟とは何か。経済を最優先としない経済社会である。(※脱成長の定常経済…)
・経済は所詮、手段でしかない。所得も、何かを手に入れるだけの手段に過ぎない。→ だから、手段は手段として割り切り、状況、環境に合わせたものを選択するのが当然だ。…その当然のことを自然にできる社会。それが成熟社会であり、成熟社会経済だ。
・「経済成長のためには需要が必要だ。輸出を増やさないといけない。輸出を回復するには円安が必要だ。GDPを上げるためには、景気刺激策をとらなければいけない。景気刺激をするためには、金利を下げないといけない。日銀はすでにゼロ金利政策をとっているから、実質金利を下げるためには、インフレを起こさないといけない。インフレを起こすためには、度肝を抜く、異常な金融緩和政策をとらないといけない。それにより、円安が進んでも、インフレのためにはしかたがない。輸入品を高く買い、輸出品を安く叩き売ることにより国が貧しくなっても、インフレにより生活が厳しくなってもしかたがない。輸出のためには、国が貧しくなることぐらいやむを得ない…」…何かがおかしい。過去にとらわれているのだ。…日本経済の昔の構造・ビジネスモデルに固執し、円安は日本にプラスという昔のイメージに支配され、日本経済が置かれている現実を直視しない。
・日本経済は、世界経済とともに動いている。→ 生きて変化する経済は、政策ではコントロールできない。←→ にもかかわらず政策で経済をなんとでもできると思っているエコノミスト。政策にすべての経済問題を解決することを迫る有識者、メディア、世論、雰囲気…。それに応えようとする政治。それで選挙に勝とうとする政党。……コントロールの誤謬。政策依存症候群。…この二つが解消されなければ、日本経済の未来はないし、成熟できない。…日本社会は未熟なまま、衰退していく。これが日本の終わりだ。
・人口が減少する。じゃあ、移民を増やそう、子供を産ませよう…これは問題を裏返しているだけで、解決にならない。年金問題が立ちいかないから、若い世代を増やす…それも間違いだ。問題は、人口ではなく、年金制度にある。→ 人口の変化は起こり得ることで、しかも誰もが予想できた(※人口問題は、今後別個に取り上げる予定)。ましてや、GDPが予想以上に増えなかったこと、賃金が伸びなかったこと、これを言い訳にしてはいけない。…経済の変化で制度が破綻するような制度を、つくってはいけないのだ。⇒ 将来の経済状況の予想により左右されるような制度は、根本的に誤りだ。
・「若者が減ると活力が失われる」…しかし、活力を失った若者が大勢いる。都会は若者不足ではなく、むしろ多すぎる。いろんな傷を負った若者が多すぎる。→ 若者を増やす前に、ブラック企業によって壊される若者を守らないといけない。システムエンジニアをプレッシャーで病気にするのを防止する制度が必要だ。「若者が結婚するように金銭的インセンティブを与える。子供を持つように金を配る」…そんな対症療法は意味がない。→ 前提条件を整えることが政府の役割であり、政策だ。
・人間的な生活が送れる環境をつくり、労働環境を整え、(ワークライフバランスなどとあえて言わなくてもいい)雇用となるようにする。→ そうすれば、若者は人間的な生活を取り戻す可能性がある。…それでも結婚も出産も増えなければ、それが今の社会だということだ。→ (子供を産ませるのではなく)託児所が機能するようにすればよい。そうなれば、子どもを持つかどうかは、各人の選択だ。…高齢出産も自然の摂理からいけば、非常に不自然で危険だ。→(高齢出産をサポートするのではなく)高齢まで出産を延ばさざるを得ない状況を変えることが重要だ。…問題の根源を取り違えている。現象対応では意味がない。(※確かに今の世、現象対応が多すぎる…)
・成熟社会とは、社会の変化、世界の変化を受け入れ、柔軟に対応する社会だ。…しかし、本質的な問題の存在を発見すれば、それは全力で解決する。→(現象に対応するのではなく)根源にアプローチするのだ。←→ そうでなければ、現象が収まっても、また別の問題が起きる。より大きな問題となってひずみとなり、システム破綻の危機となる。…まさに、今の金融緩和と同じだ。
・「GDPの増加率が、人口が減ると低下し、マイナスとなる。労働力が減ると生産力が落ち、GDPが減少する。だから人口を増やさないといけない」…これは最悪の間違いだ。→ 経済は手段だ。目的はいい社会をつくること、維持すること。←→ 経済規模は手段に過ぎない。…社会が荒んでいれば、所得が2%ぐらい増えたって、まったくいい社会ではない。豊かな社会ではない。当たり前だ。⇒(子供を増やすという問題は)政策で無理に増やすのではない。(国のために増やすのではなく)子供を育てたい両親が、それを実現できない障害があれば取り除く。…政策にできることは、それだけであり、それで十分だ。
・アベノミクスとは、問題の裏返しそのものだ。…異次元の金融緩和とは、現象への対症療法に過ぎない。一時しのぎに過ぎず、より大きなシステムリスクを呼び込む政策だ。←→ 昔の日本経済に戻ることはできない。円安で輸出して不景気をしのぐ時代は終わった。価格競争で通貨を安くして輸出を増やす時代は終わったのだ。→(フローで稼ぐ時代は終わり)これまで蓄積したストックの有効活用により健全な発展を図る。成熟する。それがヴィジョンだ。(※しかし、そのストックを無駄に消費し、1000兆円超の国家債務を抱えている…)
・蓄積したストックとは金融資産だけではない。これまでのノウハウやブランドを含む、日本社会に存在する知的財産だ。…それが社会の力だ。そしてその力は、個々の人間の中にある人的資本であり、それを社会で有機的に活かす仕組みだ。→ それが社会であり、有機的な社会をうまく育てるために、部分的に埋め込むのが社会システムだ(年金制度、医療制度、教育制度は、その一例)。→ そして経済政策は、この社会を活かすように、個々の力が自由に発揮できるように、場を整え、その手助けをする…そういう形だ
・具体的に言えば、金融政策はあくまで補助だ。→ 実体経済(企業や個人)が、投資、生産、消費へと動くのを、じっくり待つ(必要に応じて場を整備し、金利を低く抑えておく)。→ 一方、金融引締めのときには、中央銀行の側から動き、能動的にブレーキをかける。…しかし、バブルに対して急激に引き締めるのではなく、バブルを膨らませないのが中央銀行の仕事だ。←→ 膨らみ(バブル)、つぶれる(その崩壊)のは最悪だ。
・金融政策がまったく意識されない状態、それが理想だ。影武者だ。←→ 現在のように、中央銀行の動き、一挙手一投足が注目されるというのは最悪の状況なのだ。…すべての投資家が中央銀行依存症に陥っているということだ。→ 金融市場と実体経済の分離が起きている(※マネー資本主義…)。中央銀行の堕落がそれを促進している。
・(財政政策による景気対策はしない。)金融政策による微調整にとどめる。(金融政策でGDP増加率の底上げはしない。)ショックは和らげる。変動は少し緩和する。(しかし、それ以上はやらない。)すべては、長期的な健全性にささげる。金融市場の安定性を守る。→ だから現状で言えば、ゼロ金利は継続する。しかし、量的緩和は縮小する(市場をびっくりさせることはしない)。国債の買い入れはできる限り少なくする。しかし、スムーズに少しずつ減らす。ゆっくりと慎重に出口に向かう。…財政も金融も影武者でなくてはならない。
・政府の政策は、社会政策に絞る。(経済成長ではなく)人を育てる。→(経済成長の歯車としての労働力を育てるのではなく)健全な人間が育つようにする。…生きる意欲、生きる活力を持った人間は、自然と意欲を持って働く。→ 政府は、その環境を整備するだけだ。⇒ これこそが、長期的に持続可能な社会を生み出す唯一の道であり、その結果として、経済は自然と健全な発展を遂げ、成熟するだろう。
・環境変化に対する対応力…これが成熟社会経済の基本だ(これは、政策依存体質により損なわれる。依存という堕落により喪失する)。→ 個々が自分の運命を自分で切り拓く。…それがすべての基本だ。→ 政府、政策は、自ら切り拓くことを妨害する力から国民を守るためにある(切り拓いてやるのが仕事ではない)。←→ リフレ政策に見られるような一挙解決願望。願望を持つ側も悪い。それに応えられるようなふりをする有識者、エコノミスト、政治家も悪い。両側で、日本経済の成熟を妨げている。(※う~ん、個々の〝自助努力〟を強調しすぎると、本質的な問題を放置する、無責任な〝自己責任論〟に流れる危惧はないか…?)
・成熟社会では、トップダウンアプローチは通用しない。政府が有望な産業を指定し、資源を投入する方法はうまくいかない。…なぜなら、個は多様であり、トップダウンで一つの方向に結集することはできないし、するべきではない。⇒ 個が多様な力を発揮できるような場の整備、場のデザインが政府の役割だ。←→ しかし、つくり込みすぎはいけない。…街も家も職場も、そこで生きる人間がつくるものだ。→ そのための場を整え、フレームはつくるが、それは、個々の生きる人間が、柔軟に調整し修正できる仕組みだ。(※う~ん、ここもイマイチ、具体的なイメージが浮かばないが…モデル的な実践例を積み上げるしかないか…?)
・無理矢理つくった街、計画都市は、ほとんど成功しない。…よく練られた柔軟な計画だけが成功する。←→ 政治家も評論家も、安易にすべてを投げ捨て、ゼロクリア、ゼロスタートを叫ぶが、好き勝手に新しく自由に制度をつくれると思っているなら、彼らをデザイナーにしてはいけない。(※これは、敷衍すれば、「人工都市」という興味深いテーマともつながるか…?)
・明治維新や大化の改新のような、抜本的な変革期というのは、1000年に一度しか来ない。…ex. 徳川幕府のシステム設計は素晴らしいが、社会としては従来の延長線上であり、修正に過ぎない。偉大な修正ではあったが、むしろゼロクリアにしなかったからうまくいったのだ。…中世と近代の間の近世という用語が当初、日本に特有だったのは象徴的だ。(詳細はP252~253…※「長い21世紀」は、システムの修正なのか、それとも抜本的な変革期なのか…?)
・現代において、すぐに制度をゼロクリアするような提言をする人間は信用できない。…間違っているし、社会を破壊するだけだ。→ 岩盤規制、既得権益をぶっ壊して競争させても、競争自体は何も生み出さない。…既得権者と新規参入者とが利権を争うだけのゼロサムゲームだ。→ 自由に行動できるようにすることが重要なのであって、そこからしかイノベーションは生まれない。(※自由と競争は違う、競争自体は何も生み出さない、というのは重要な指摘ではないか…)
・今必要なのは、革命でなく、ヴィジョンの修正に過ぎない。それで十分だ。…しかし、それは十分に行われていない。→ 世界が、世の中が動き、変化しているのに、それにヴィジョンの側(政治主体や有識者)がついて行っていない。→ それを修正するだけだ。
・人々も企業も、ちゃんと地に足をつけて生きている主体は、すでにわかっている。…日本は成熟社会になったのだと。→ だから、円安になったからと言って、むやみに安売りをして輸出を増やそうとしない。製品の価値を維持し、ブランドを維持し、次の製品に備え、次の市場に備えているのだ。(※東芝の首脳陣は、わかっていなかった…?)
・所得水準は、これから平均ではそれほど伸びない。世界の競争は激しく、日本だけが勝ち残ることを無邪気に期待するわけにはいかない。→ 生産の多くは、途上国・新興国にゆだねることになる。国内の働き手は、国内サービス産業を中心に雇用を得ることになる。…同時に、ストックの有効活用が進む。政府は、それを助けるのが仕事だ。
・景気対策もしない。所得分配も大がかりにはやらない(※貧困対策だけとか…?)。だから、現在、政治的に議論されている経済政策はほとんど関係なくなる。⇒ 新しい成熟社会というヴィジョンを持ち、(全員が大都市のサラリーマンを目指す社会から脱却し)地方重視の人々の嗜好を汲み上げ、地方経済の崩壊を防ぐ。…そのために、なんとか頑張っている現存の企業の側面支援をする。→ 人材が回るようにすることで、あとは自力で健全に発展、持続してもらう。…地方など創生できない。→ これまでうまくいっていたものが、衰退するのを防ぎ、少しサポートするだけだ。
・すべての個人、すべての企業が、自分で責任を持って、自分の選んだ道を行く。…コストの低い、しかし環境の充実した、ストックの豊かな社会であることが、それを支える。→ 政府は、その補助をし、制度を、社会システムを、修正して、社会の持続を支える。デザイナーとして日々修正をしていく。←→ もちろん、経済成長という名のGDPの拡大は目指さない。この社会の結果として、そうなればそれでいい。……これが21世紀から22世紀のヴィジョンだ。                   (2015年1月 小幡 績)

(※う~ん、これは「長い21世紀」の、「新しい資本主義」への提言の一つになり得るか…?)
                        (7/23 了)        

〔いきなりの酷暑と、当方の体力&能力不足で、(後半部分の)まとめがやや冗長になってしまいました。…次回は、一回分できっちりとコンパクトにまとめられるように努力します。…それにして、今年の夏は暑い…〕
                        (2015年7月23日)