2018年6月7日木曜日

震災レポート・戦後日本編(番外編 ⑤)―[ニッポン革命論 ③]


  震災レポート・戦後日本編(番外編 ⑤)―[ニッポン革命論 ③]

                                         

『挑発的ニッポン革命論』―煽動の時代を生き抜け― モーリー・ロバートソン
                           集英社 2017.10.31 ――(3)


【3章】リアリズムなき日本――負け続けるリベラル

〔序〕

・日本はどう変わるべきか? →(著者の経験では)…問題点を指摘して「こう変わるべきだ」と話すと…右派からも左派からも、巧妙に形を整えた〝現状礼賛〟で切り返される。
…例えば、右派なら「移民なんて必要ない、このままでも日本はうまくいく」(※三橋貴明などか?)…左派なら「憲法改正も集団的自衛権も必要ない、これまでずっと日本は平和にやってきた」(※いわゆる〝護憲派〟か)。
→ 現実をフラットに見る(※リアリズム)ことなく、問題提起を根底から覆し、永遠に結論を出さない。…こんな詭弁で切り返えされてしまっては、もう議論は前に進まない。
 (※う~ん、初っぱなからかなり〝挑発的〟な出だし…)

・そんなとき、英語の「トーケン(token)」(形ばかりの)という言葉を思い出す。(※tokenism…表面的な建前主義)
…例えば、ある企業が「男女平等」をアピールするために、女性社員を部長に昇格させたとする(それ自体はいいことだが)。→ その女性部長が、会社の上層部に取り入りたいあまり(or 生き残りに必死になるあまり)…「私は厳しい時代に頑張った。あなたたちも自分の力で頑張れ」と…後輩の女性社員が〝あまり権利を主張しないよう〟働きかけていたとしたら? → こうなると、実態は…「現状を維持したい体制側と、そこに既得権を見いだしたマイノリティ」による共同統治…であり、当初の「男女平等」という目的はどこかへ消えてしまう(※表面的な建前になってしまう)…これが一種のトーケン。

・実は、これは大英帝国の植民地統治モデルと同じ構造。…例えばインドでは、大英帝国はマイノリティのシーク教徒を重用したが…これは(「マイノリティを心から応援したい」わけではなく)、マイノリティに追い抜かされたマジョリティのヒンズー教徒たちの怒りを、(本当の支配者である大英帝国ではなく)シーク教徒へと向かわせる効果を狙ったもの。→ 一方、シーク教徒の方にしてみれば…大英帝国がいなければ、自分たちは〝ただのマイノリティ〟に戻ってしまうわけだから、憎まれ役になることもいとわず協力するわけだ。
 〔※確か佐藤優(?)だったか…(インドに限らず)植民地支配の常道は、(その地域の〝多数派〟に権力を与えると、反乱を起こされる危険性があるから)〝少数派〟を権力者に据えること…という論をどこかで述べていた、と記憶するが…〕

・なぜこんな話をするかというと、日本の与党と野党の関係が、まるでトーケンのように見えるから。…皮肉なことに、両者は日本社会について「現状維持がいい」という本音の部分が共通している。(※これは、自民党と社会党による55年体制のことか?)
→ 共産党にしても…表向きは常に権力に反対し、キラキラした目で弱者を助けに行く(あるいはそのポーズを取る)ことで、票を集めているが…そこに一定の意味はあるにせよ、〝弱者が生まれる構造〟を本気で変えようとはしていない。(※共産党には辛口…)
→ むしろ、結果的に〝ガス抜き効果〟が生まれて、〝権力の安泰に寄与〟しているとさえ思える。
(※う~ん、かなりシビアで挑発的な見方…しかし〝リアル〟でもあるか…?)

・こういう話をしても、よく「海外よりマシだ」と現状を肯定する人がいる。…確かに〝一党独裁〟の中国や、〝愛国心〟という言葉に人々が思考停止しがちな韓国と比べれば、日本は健全な状況かもしれない。→ しかし、はっきり言ってしまえば、日本にはガチンコの政治議論がない。…なぜかというと、野党や左派メディアの多くが、本音では「現状維持でもいい」と思っていて、本気で論戦を仕掛けようとしないからだ。
 (※記者クラブ制度に守られた、高給の大手メディアの〝社員記者〟たちは、特にそうか…)
→ その構造がある限り、自民党に対抗し得るような進歩的なリベラル勢力は出てこない。

・戦後日本の論壇を長く主導してきたリベラル左翼の知識層たちの間には…アジア人なのに敗戦後はアメリカの軍門に下り(※対米従属)、その代償として自分たちだけが豊かになっていった(※〝朝鮮戦争特需〟などか?)日本という国のあり方への…後ろめたさ(つまり、「東洋人の魂を売った」という極めて自虐的なパラダイム)があった。
 〔※う~ん、この著者はサラッと断定的に書き流しているが…それこそ〝本1冊分〟の分析・検証を必要とするようなテーマなのではないか?…(〝対米従属〟はリベラル左翼だけの問題ではないだろうし、逆に、リアルな政治の裏舞台で屈辱的な「対米従属の密約」をしてきたのは保守派の政治家だったことが明らかになっている…参考:「戦後再発見」双書 創元社 など)…モーリー君はこうした荒っぽい論調を、本書の中でけっこうやっているよう…〕

→ そのため彼らの言論は、ひたすら亡国と懺悔の繰り返しで(※いわゆる〝自虐史観〟?)…そのループに安住するうちに、「戦前に立ち返るようなことがなければ、あとは深く考えなくてもいい」…という知的怠慢が生じた。
 〔※う~ん、論が荒っぽい分だけ説得力に欠けるから、議論のしようがない?……「議論が深まらない」というのは、モーリー君の方にもその責があるのでは…? 若き日のモーリー君がそうであったように…?〕

・こうした知的怠慢の〝もみ返し〟は、世紀をまたぐ2000年頃から起き始めたような気がする。…経済的にも人口構成的にも、日本の社会が大きく変容していく中で、→ 今度はとても無邪気な…「日本人が一番優れている」とか「日本を理解できない欧米人の言うことなど聞く必要はない」というような〝右寄りの孤立主義〟が勃興し始めた。

・また、左の論客からも「日本人は(欧米化する)明治以前から立派だった」「江戸時代に戻ろう」などといった、歴史修正的に〝過去を理想化〟する人も出てきた。
 〔※この「左の論客」が誰のことか分からないが…アナロジカルに言っているだけで、別に「歴史修正的に過去を理想化」しているわけではないのではないか…つまり〝挑発的〟に矮小化…?
…また、モーリー君はある意味、人間の進化を〝直線的〟に見るきらいがあるようだが、それを〝螺旋的〟に捉える(十牛図=無限の螺旋)という考え方もある。つまり、〝次元を上げる形〟(往相と還相?)で元に戻ってくる……参考:『「普通がいい」という病』泉谷閑示(講談社現代新書)より。〕

・しかし、これだけ世界が変わっていく中で、世界のあらゆる国・人・組織と相互依存しているはずの日本だけが「変わらなくていい」などという、都合のいい話はない。
→ 変化の必要性から目をそらし、〝ゆるい議論〟に終始してきたことで、日本はポピュリズムや突発的な危機に対して非常にもろい国になってしまった…(2011年の福島原発事故の〝言論界の大混乱〟はその典型だろう)。

・象徴的に言えば、これからはリベラル側こそが、ガチンコの議論を通じて、「9条の向こう側」を見に行かなくてはならない。…もちろんここで言う「9条」は、(憲法問題だけではなく)日本社会の至る所にある「触れてはいけないとされてきたもの(タブー)」のこと。
→「9条」に縛られるのではなく、その向こう側には何があるんだろうと考え…新しい、よりよいものを求めていく。それを率先してやることこそが、本来のリベラルの役割なのだから。
〔※う~ん、ここも荒っぽいが、一理はあるか。…ただ、「リベラル保守」とは違うようだが…〕

(1)日本型「戦後リベラル」の勘違い

○現代の軍は戦争を止めるためにある

 ・2015年9月、集団的自衛権の行使容認を柱とする「安全保障関連法案」が成立した。
→ これに反対する人々やメディアは、「軍靴の音が聞こえる!」「徴兵制がやって来る!」などと、冷静に見ればさじを投げたとしか思えないような主張を展開したが…論理の飛躍があまりにひどすぎて〔※リアルではない〝情緒的な反対論のレベル〟と言いたい?〕、反論する気も失せるほどだった。
〔※ここでも、かなり〝挑発的〟な表現…〕

・あえてこういう言い方をするが…「ここから戦争になるまでどれだけ大変か知っていますか?」…今の時代、国家同士の本格的な戦争が起きることを防ぐ国際的なメカニズムは相当に複雑かつ強固…〔※その具体的なメカニズムの記述はなし…〕。
→ その「遠近感」を無視して、第二次世界大戦型のフレームワークを持ち出すこと自体が、決定的に間違っているのだ。
 〔※う~ん…「気がついたら、もう戦争になっていた」…というような、戦争体験者の話もよく聞くと思うが…つまり、戦争というものは、(想定外に、いつの間にか)起きる時は起きてしまうのではないか…。→ 従って、(「国際的なメカニズム」とは別に)国民的なレベルでも、「なんとしても戦争だけは避ける」という意識づけは、常に必要なのではないか。…このことは、単に「第二次世界大戦型のフレームワーク」だけに留まらない、〝戦争の真実〟でもあるのではないか…(明治維新以降、やって良かった戦争など一つもなかった)。
→ それに、日本という国は…あれだけの未曽有の「国民的犠牲」…(戦没者数は、日本だけでも軍人・軍属が230万人、民間人が80万人、合計310万人…『日本軍兵士―アジア・太平洋戦争の現実』吉田裕(中公新書)2017.12.25 より)…を出した「アジア・太平洋戦争」について…まともな〝総括〟がほとんどなされていないのだから…。
→ そして、そのツケが…福島原発事故にも、また(現在進行中の)あまりに安直かつ姑息な「公文書改ざん」(〝不都合な真実〟の隠蔽)にも、現れている…〕

 「権力者は、国民の論理的思考能力を低下させ、国家への反対を抑えるために、『ニュースピーク』という言語体系を導入する。これは語彙を制限・消去し、単語の意味を書き換え、文法を極度にシンプルにした言語で、普及の暁には反体制的な思考そのものが不可能になるという。言葉をコントロールすることによって、政府にとって不都合な現実を、存在しないものにしてしまうのだ。(中略)
→ 私たちは言葉を奪われてはならない。この世界を『ニュースピーク』が支配するディストピアにしてはならない。公文書改ざん問題をめぐる論争は、言葉をめぐる為政者との闘いにほかならない。」
…(中島岳志「公文書改ざん問題」…東京新聞・論壇時評 2018.3.29(夕)より)

 〔テキストに戻る〕
・確かに東西冷戦時代は、(米軍の補給地点である)日本にとって、9条はいわば〝平和のブラフ(※はったり)〟として機能していた。〔※〝平和のブラフ〟ってどういう意味?〕
→ しかし、現在の不安定な東アジアでは、9条は大した抑止力にならない〔※この著者は、「沖縄の米軍基地」の方が抑止力になると言っているよう…(P113)〕。…中国は、(冷戦終結以降の状況変化に対応し)囲碁のように地政学を考え、合理的に勢力拡大を狙っている…(※ロシアもか?)。…日本に9条があろうがなかろうが、法改正しようがしまいが、右傾化しようがしまいが、そんな〝こっちの都合〟とは関係なく。
 〔※う~ん、これがこの著者の〝リアル・ポリティクス〟だろうが……日本が、「人類の未来的な理念・ヴィジョン」として、(先の世界大戦の痛切な反省・教訓を踏まえた)「人類の平和を希求する憲法」を前面に掲げていく――(その精神・理念を生かした「発展的改憲」なら是とするが…安倍政権下での「改憲」は、それと異なるから否…)――ということは、〝抑止力〟とは別次元の問題であり(この著者は、それをごっちゃにしている?)…それが「リアリズムなき日本」ということで、まさに〝リアリズム〟(クソリアリズム?)の名によって一蹴されるのは、とうてい納得できない…〕

・このように小規模ないざこざ(ex. 尖閣諸島など…詳細はP113)が起きたときに、事態を収拾するのが、21世紀型の軍。
→ いろいろなケースを想定し、きちんとしたルールに縛られた軍は、カオスを抑える役割を担う。…平和憲法の下で今までやってきたのに、なぜ戦前に戻るんだ――本気でそう思っている人たちは、そこが見えていないのだと思う。
 〔※う~ん、これだけの説明では、「21世紀型の軍」のイメージはつかめないし…従って、あまり説得力なし……それこそ、〝軍隊のリアル〟を無視した〝軍事的理想論〟なのではないか…?〕

・ただし、この無理解の原因は日本政府にもある。→ 安保法制を成立させた安倍首相は、当初から現在進行形で起きている「中国の脅威」をはっきりと国民に説明すべきだった。…「平和のための安保法制」だと言うからには、そこから逃げるべきではなかった。不都合な真実にフタをした状態では、まともな議論は生まれようがない。
 〔※これこそないものねだりで…姑息な(隠蔽・すり替えが得意技の)安倍晋三に、そんな器量も真摯さも、あるとは思えないが…〕

○SEALDsの失敗

・長年、平穏に暮らしてきた日本人の〝政治スイッチ〟がオンになったのは、2011年の福島原発事故だったと見ているが…現在では、その勢いはすっかりしぼんでいる。

・反原発と反安保法制という二つの運動には、致命的な欠陥があった。…それは、「自分たちは善、権力は悪」という短絡したフレームにはまっていること。
 〔※う~ん、モーリー君、それこそ短絡した、レベルの低い批判なのでは…。→ そんなステレオタイプの言説を弄していたのでは、モーリー君が望むところの〝建設的な議論〟にならないのでは…?〕

→ 例えば、反安保法制運動では、学生たちが中心となって立ち上げた「SEALDs」という政治アクションがあったが、(かなり多くのメディアが好意的に取り上げたが)彼らの運動には決定的に知性が欠けていた。…反原発運動が「原発の上に成り立ってきた日本の繁栄」という苦々しい現実から目を背けたのと同じように、彼らは目の前にある「軍事リスク」に言及しなかった。
 〔※う~ん、これは、ほとんど詭弁と言っていい言説ではないか?…「日本の繁栄」は、別に原発だけに依ったものではないだろうし…それに、日本の「脱原発論」のレベルは、この著者が(意図的に?)見積もっているほど低いものではないだろう……参照:『日本の大転換』中沢新一(集英社新書)2011.8.22 →「震災レポート」⑨⑩。
また、SEALDsについて…ちょっと厳し過ぎるのではないか。(モーリー君の自叙伝『ハーバードマン』を読む限り)…学生時代のモーリー君に、それほど「知性」があったとも思えないのだが…。
→ これから各々「知性」を身に付けていくであろうSEALDsの若者たちを、もう少し暖かく見守ってやってもいいのでは…(ex. 高橋源一郎のように)。〕

・安保法制に関する議論の最も重要なポイントは、(これまで日米同盟の下で見て見ぬふりをしてきた)東アジア周辺の軍事リスクを直視した上で、どんなオプションを選択するのか、という点。(※まあ、これが〝リアル・ポリティクス〟の観点だろう…)
→ SEALDsに限らず、多くの運動がそれを無視して、理想主義を叫ぶことに終始していたが、(あれでは同志たちの結束を高めることにはなっても)それを超えた大きな広がりにはならない。
 〔※ここも、〝理想主義〟叩きの紋切り型の批判か。…ただ、リベラル派側も、〝硬直した理想主義〟に陥ってしまうと、「それを超えた大きな広がり」にはならない…という指摘は、受け止めておいていいのかもしれない…〕

・今、多くの日本人が漠然とした不安を抱えているとすれば、(おそらく「原発」や「安保法制」が理由ではなく)…発展途上国やアメリカの格差社会に比べると、何から何まで至れり尽くせりだった日本社会が(※〝一億総中流社会〟とか?)、いよいよ行き詰まってきた(※〝新自由主義〟のグローバリズムによる〝格差拡大〟の浸透とか?)…そのえも言われぬ不安感を、「反原発」や「戦争反対」に転嫁させた人が多かったのではないか。
 〔※う~ん、それこそ問題のすり替え? →「格差」も「原発」も「戦争」も…そして「政治・官僚・財界・学界・メディアなどの〝劣化〟」に対しても…それらすべてに異を唱え始めているのでは…〕

・アメリカのリベラルは、どうしようもない過去の失敗を学んで大きく飛躍し、初の黒人大統領を誕生させた。〔※モーリー君は、オバマはけっこう評価しているよう…〕
→ 一方、日本の左翼運動は、今も連戦連敗。…過去に学ぶことなく、多様な意見を受け入れることもせず、いたずらに群集を煽るような運動に未来はない。
 〔※これって、安倍政権のことなのでは…? → また、言いっぱなしにせず、「アメリカのリベラル」の活動の成功例についても、具体的にご教示いただきたいが…〕

○深刻なリーダーアレルギー

 ・反安保法制運動の際にもう一つ気になったのは、安倍政権を批判していた人たちの〝リーダーアレルギー〟。…やれ極右だ、独裁者だと叩かれた安倍首相は、(強力な権限を持つアメリカの大統領と比べれば)周りの顔色をうかがいながら事を進める日本的なリーダーにすぎない。
 〔※その程度の人物が、姑息な形で「安保法制」(実質的な解釈改憲)などを成立させたり、また「改憲」などという、身の丈に合わない事柄に手を付けようとしていることに、あきれたり怒ったりしているわけで…別に〝リーダーアレルギー〟とかいう問題ではないのでは?〕

・そもそもアメリカの知識人の間には、選挙戦を勝ち抜いた大統領に対する畏敬の念がある。…「史上最もバカな大統領」とメディアに評されていたブッシュ・ジュニアに対してさえ、最低限の敬意は共有されていた(あのトランプに対してもそうだ)。
 〔※う~ん、さすがにトランプに対しては、もはやアメリカでも「最低限の敬意」も怪しくなっているのでは? …それに、(長期間の大統領選挙によって選ばれる米大統領と違って)、直接選挙のない議院内閣制の日本の首相は、やはり「選挙で選ばれたリーダー」という意識は希薄なのではないか…〕

・一方、日本ではなぜか、リーダーや有能な専門家より「一般人」が強い。確かに市民の視点も時には大事だが、いくらなんでも比重がおかしい。
 〔※それは福島原発事故に際して…あまりに政治・行政・財界のリーダーたちや(有能だと思っていた)専門家たちの〝劣化〟が、見事に明るみに出されしまった…ということが大きいのではないか…〕

 〔※この項…ちょっとピントのずれた記述が多いので、以下省略するが(P118~119)…例えば、最後は次のような言葉で結ばれている…
 「もちろん建設的な批判はあってしかるべきですが、選挙で選ばれたリーダーを無責任に潰す社会であってはいけません。」
→ う~ん…戦後最悪・最低と思われるリーダーを〝潰したい〟と思うのに、何のためらいがあろうか…〕

(2)カルチャーと政治

○豊かな社会のシャンパン・ソーシャリスト

 ・1960年代のチェコスロバキア…共産体制からの解放運動「プラハの春」が盛り上がりを見せたものの → 旧ソ連の軍事介入によって鎮圧され、言論は統制……以前にも増して自由を奪われることになった。→ そんな折、30代前半の劇作家だったハヴェル(後の大統領)は、自身の戯曲がニューヨークで上演されることになり渡米。…母国で禁止されていたロックのレコードを買い漁り、帰国。→ こうして〝密輸〟されたレコードがコピーされ、首都プラハのミュージシャンたちに浸透していき…多くのアーティストが逮捕されても、(自由を希求する人々のパワーによって)演奏活動は地下で繰り広げられたという。

・そして1977年、同国で人権擁護を掲げる反体制派運動「憲章77」が誕生…そのリーダーを務めたのがハヴェルだった。→ 彼が持ち込んだ自由を希求するロックが、若者の行動を促し、12年後に民主化を実現したのだ(1989年の「ビロード革命」)。→ こういうものと比較すると、現代日本のアーティストや文学者の「反体制発言」に軽さを感じてしまう。

・欧米には、自由で豊かな社会で好き勝手に暮らしながら、その社会の権力者や体制側をくさすセレブリティ(シャンパン・ソーシャリスト)がたくさんいるが…日本にもそういう著名人は少なくない(※誰のこと?)。…本当に人々の自由が侵害されている海外の国々に目を向けることもなく(※一方的に決めつけている?)…「体制を叩く」ことだけが目的化した人たち。…「社会的弱者を救済しよう」と口では言いつつ、自らの行動や存在そのものが弱者を押さえ込んでいることには無頓着な人たち。…また著名人に限らず、ソーシャルメディアには好き勝手な正義を振りかざす〝ファッション反体制〟があふれている…(以下略、P121)。
 〔※う~ん、かなり〝挑発的〟に言い放っているが…これもちょっと一方的で、(ファクト不足、論証なしの)アンフェアな印象が否めない。ほとんど〝詭弁〟の領域…? → そして、「体制を叩く」者たちを叩き、その結果として安倍政権を擁護してしまっている…?〕

○宮崎駿を問い詰める覚悟はあるか

 ・2015年5月、映画監督の宮崎駿氏が、沖縄の米軍辺野古新基地建設に反対する「辺野古基金」の共同代表に就任した。…彼はかつて、オスプレイ配備や新基地への反対運動に、こんなメッセージを寄せている…「沖縄の非武装地域化こそ、東アジアの平和のために必要です」…素晴らしい、理想的だ…。→ しかし、沖縄が銃を捨てれば、(中国が)「我々も銃を捨てよう」と言ってくれるのか?…(詳細はP122)
 〔※う~ん、ここも(〝売り言葉に買い言葉〟的な)表層的な〝リアリズム〟…? → ここは、専門家の(沖縄の血を引く)佐藤優氏あたりに、ズバッと批判してもらいたいものだが…(すでに発言している可能性大だが、著作が多すぎて今は検証する余裕がない)…〕

・米軍基地問題のみならず、原発でも、安保法制でも、多くの文化人や著名人がリベラルな主張を声高に叫んだが、問題はそのスタンス……本当に決着をつける気があるのか。単なるポエムではなく、〝厳しい議論に耐え得るだけの材料〟を持っているのか。
〔※リベラル派だけに厳しい印象…〕

・なぜか日本では、大手メディアが彼らの主張の整合性について検証しようとしない。→ あの宮崎が、世界の坂本龍一が、ノーベル文学賞の大江健三郎がこう言っている。…発言者の知名度と、発言内容の実行可能性が反比例しているのだ。
 〔※ようやく具体的な名前が出てきた。…この著者が言う「日本のリベラルな文化人」とは、この辺りを指すわけか…〕

・欧米でも著名人が政治的な発言をすることは多々あるが、それが本気であるなら言いっ放しは決して許されない。→ ハリウッド俳優でも、ミュージシャンでも、大手メディアや専門家からすぐに容赦ないツッコミが入る。→ それに対して、本人がすぐに反論し、周辺を巻き込んで論戦に持ち込めなければ、もうまともには取り合ってもらえない。…それくらいの覚悟と理論武装が必要なのだ…(P123に、ボブ・ゲルドフというミュージシャンの事例あり)。
 〔※う~ん、確かに、そうしたシビアな「議論」の文化・伝統が、日本にはまだ根付いていないだろう。→ だが、それが根付くためには、もう日本の学校教育の段階から、根本的に見直さなければいけないのではないか…(ex. 暗記ものではなく、「考える力」を身に付ける教育…)。→(日米の「学校教育」を体験した)モーリー君の、貴重な経験を是非生かして、「日本の教育」について〝挑発的〟な提言をして、実行可能な議論を巻き起こしてもらいたい…〕

・しかし日本の場合、〝世界の宮崎〟というブランドが、自身の夢をふんわりと語り、そこに大々的なツッコミが入ることもなく、もともとそういう思想を持つ人々だけが、ただただ感動し続ける…そんな構図がある。→ これでは大きな議論は巻き起こらず、現実を動かすことなどできない。
 〔※ここも、やや紋切型ではあるが、問題提起にはなっている?…また、今ちょうど「ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書」という米映画が公開中だが(ラジオでも、フリージャーナリストの青木理氏らが熱く推奨していた)…こうした(ファクトに基づく)権力を告発するような映画も、日本ではなかなか作られないが(アメリカのエンタメ業界の底力?)…これも、「議論」の伝統・文化の有無の違いか。→ ちなみに前述のラジオで……アメリカは、こうした政権にとって〝不都合な公文書〟も、「後世の歴史的評価」のためにきちんと保存してあるが……これが日本であったら、廃棄あるいは改ざんされていただろう…というコメントがあった。→ つまり、今の日本の場合、もともと政府・権力側に「まともな議論」をする気がない(〝不都合な真実〟は隠ぺい)、ということが根本的な問題なのではないか…そして、モーリー君は、なぜかそのことには言及せず、〝リベラル派批判〟に精を出している…〕

・(厳しい言い方になるが)本当の問題は、(夢を語る人々自身よりも)彼らをガチンコで問い詰められない〝リベラル陣営の若い世代〟にあるとも言える。
 〔※う~ん、こうした文脈から、先の「SEALDsの運動には決定的に知性が欠けていた」という発言が出てきたのか…?〕

→ もし、〝現実路線のリベラル〟が、上の世代の〝ドリーマー〟たちをリタイアさせられれば、〝保守派との議論〟はもっと活発化されていくはず。……ポエムに酔いたいのか、それとも本当に現実を変えたいのか…この問いに、どう答えますか?
 〔※う~ん、この著者は、「リベラル=夢を語る人々、ポエムに酔う人たち」という図式がお好きのよう…〕

○今さらロックで反体制?

・安保法制の国会論議が続いていた2015年夏のフジロック・フェスは、思わぬことで話題となった。…SEALDsの中心メンバーだった奥田愛基らがステージでトークショーを行うことに対し、一部から「ロックに政治を持ち込むな」という批判が出たのだ。

・(著者は)若かりし頃、ウィリアム・バロウズ(小説家)に入れ上げていて、ハーバード大の卒業制作も、バロウズの手法を用いてつくった映像作品だった。…バロウズは生涯を通じて〝反体制〟であり続けた。…しかし、(今ならはっきりと分かるが)彼は体制や商業主義を真っ向から否定しながら、気づいたときには「反体制・反商業主義というビジネス」のど真ん中にいたのだ…(詳細はP125)。→ その構造が見えた瞬間、(著者の)バロウズ熱は急激に冷めて…「ロックで社会を変えていこう」というメッセージにも、まるでピンとこなくなってしまった。
 〔※著者の若き日の、ささやかな〝転向体験〟ということか。…ただ、この辺りに、この著者の〝思想の原型〟があるような気もするが…〕

・フジロックに話を戻せば、そもそも音楽フェスが政治性を帯びるのは珍しいことではない…(ex. 1969年のウッドストック・フェスでのベトナム戦争反対という政治的主張など)。
→ しかし、いまだかつて成熟した民主主義国家において、「音楽の力」が政治を動かしたことはない。…すさまじいエネルギーに満ち溢れていたウッドストックでさえ、現実の政治に対しては、ほとんどなんの影響も及ぼすことができなかった。→ 当時のニクソン政権が倒れた理由は、(音楽の力ではなく)ウォーターゲート事件で自爆しただけだ。
〔※う~ん、これも表層的な〝リアリズム〟の視点からの見解ではないのか。→ つまり、音楽などのカルチャーが、(政治変革の〝直接的〟な力ではなくとも)〝間接的〟な背景(下地)にはなっているのではないか …(著者自身が語っていた、チェコスロバキアの「ビロード革命」のときのように)。…そして、「成熟した民主主義国家」においても、カルチャーの力が(程度の違いはあっても)「政治の力」の背景(下地)になり得るのではないか…(どうもモーリー君、その熱すぎる性格ゆえか、オールorナッシングで考えすぎる?)…〕

・しかも過去20年間、ロックというジャンルは音楽面で革命を起こすことができず、もはや「古典」になりつつある。→(フェスで政治的な主張は、もちろんいくらでも自由にやればいいが)…この件に関する本質的な問いかけは、「今さらロックで反体制ってどうなの?」ということではないだろうか。
 〔※う~ん、「ロック」でなくとも、「他のカルチャー」がまた出てくる…というのが、この問題の本質的な構造なのではないか…〕

○ル・コルビュジエはファシストだった

 ・フランスの建築家ル・コルビュジエが手掛けた7ヶ国・17作品(東京・上野の国立西洋美術館を含む)が、2016年に世界文化遺産に登録された。→ 一方、それに際して欧米の一部メディアが注目したのは、「ル・コルビュジエはファシストだった」という〝不都合な真実〟。…そもそもコルビュジエの美しい世界観を実現するためには、個人の価値観などは、ジャマでしかなかった(詳細はP127~128)。→ 事実、彼は約20年間にわたってファシズムにどっぷり浸かり、権力者に住宅建設や都市開発の助言をするなどしながら活動していたという。

・偉大なアーティストや表現者、もっと言えば多くの〝感性の人〟というのは、元来そういうものなのではないか?…例えばオーストリアの指揮者カラヤン、ロシアの作曲家ストラビンスキーや画家カンディンスキーなど、その類の偉人が実はファシストだった、という話は枚挙にいとまがない。…(どこか危ういところがある)感性の人が…狂気、非日常を紡ぎ出す…ことにこそ、人は感動する。→ その狂気を、「常識」というフィルターを通して眺めても、あまり意味はない。

・問題は、そういう人の信者やキュレーターが、「偉大な芸術家は人間的にも思想的にも素晴らしいものだ」という錯覚にとらわれていることだろう。→ 作品は素晴らしい、でも彼はファシストだ……この〝カオスともいえる複雑さ〟を、そのまま受け入れればいいだけなのだが。
…日本にも「ミュージシャンや演劇人は当然、反体制であるべきだ」という感覚の人が少なくないようだが、〝感性の人〟にいったい何を期待しているんだろうか?
 〔※う~ん、これも〝リアリズム〟か…〝感性〟と〝倫理〟との分離? → そういえば佐藤優氏も、(財務次官のセクハラ事件に関して、自身の官僚時代の見聞から)〝官僚的能力〟と〝倫理観〟とはまったく別ものだ、という教訓を述べていた…東京新聞(2018.4.27)「本音のコラム」より〕

(3)東アジアの地政学

○最後のモンスター・中国とどう向き合うか

 ・2008年、四川大地震に関して、ハリウッド女優のシャロン・ストーンが「チベット弾圧に対するカルマだ」と発言したとして、大炎上(→ 中国国内の広告を外された)。…2016年、日本のある女優が「過去にSNS上で中国を侮辱していた」として、中国の動画サイト上で謝罪コメントをアップした。…台湾出身のアイドルが、韓国のテレビ番組で台湾国旗を振ったとして、謝罪動画を公開…(詳細はP129~130)。
…近年、こういった話は珍しくないが、(ネット上で)炎上に至る構造は同じで…ある言動が魔女狩りのように部分的に切り取られ、言いがかりのような怒りを浴びせられ、過剰な対応を余儀なくされる…。→ なぜ、こんなバカげた問題が続出するかといえば……中国という〝巨大市場〟を世界の誰もが無視できなくなったから。…(モンスター化した客に媚びてでも)市場を失いたくないからだ。

・ただ、これを「中国の民度が低いから」などと、上から目線で片づけるのも理屈に合わない。→ ここまで中国をモンスター化させたのは…何十年間も中国の〝安い労働力〟をコンビニエンスに利用してきた西側資本主義陣営…だからだ。

・戦後の資本主義陣営は…自国の経済や外交状況を前に進めるために、絶えず〝都合のいい独裁者〟を外縁に求め続けてきた。→ チリのピノチェト、インドネシアのスハルト、チュニジアのベン・アリ…彼らは皆、〝大国の下請け〟をすることで〝強固な権力〟を維持してきた。

・日本という国も、多くの独裁国の〝人権蹂躙〟を横目で見ながら、潤沢なODA(政府開発援助)を投下してきた歴史がある。→「内政干渉はしない」と言えば聞こえはいいが、要は〝見て見ぬふり〟で独裁政権側につき、経済活動をしてきた、ということ。…残念ながら、これが「憲法9条の国」のもう一つの顔だ。
 〔※う~ん、概ね説得力のある論述だと思われたが…ただ、最後の部分には違和感を感じた。……なぜ最後に、わざわざ「憲法9条の国」をもってくるのか? …〝経済優先主義〟はリアリズム優先で(〝自国だけが良ければいい〟というナショナリズムに結びつくことも多く)、どちらかと言えば今は〝改憲派〟が多い印象だが? …従って、それを「憲法9条」に結びつけて論じるのは、(この著者が多用する言葉をあえて使えば)詭弁なのではないか…?〕

→ そして、このように〝多くの不正義〟に目をつぶって、〝自国の繁栄〟を追い求め続けた資本主義陣営が生んだ、最大にして最後のモンスターが…「社会主義市場経済」という〝歪んだ制度〟を維持する今の中国…なのだ。(※「国家独占資本主義」と呼ぶべきだろう…)

・資本主義を全面的に批判するつもりはない。…ラディカルな方法で資本主義の歯車を止めても(※ハードランディング)、この世界は破滅を迎えるだけだ。→ 今後は、このモンスターとどう対峙していくか…どのように〝線引き〟をすれば破綻せずに、少しずつ改善を期待できるのか……〝ジリジリとした長い戦い〟を覚悟してやっていくしかない。…因果応報のカルマをただ嘆いても仕方ないのだから。
 〔※これが〝リアリズム派〟の現実路線というわけか……しかし、この著者の論からは「未来についてのヴィジョン」が見えてこないのが、最大の不満か…〕

○みんな北朝鮮を甘く見ていた

・物事には多くの側面があるが、人間はつい「見たいもの」だけを見て、「見たくないもの」からは目をそらしてしまう。…その典型が、国際社会の声を無視して、核・ミサイル開発を進める北朝鮮問題だろう。

・例えばアメリカは1994年、民主党ビル・クリントン政権が…北朝鮮の核開発を察知し、空爆による先制攻撃を計画したが…これを実行寸前で止めた、とされているのが、〝平和活動家〟のカーター元大統領。…カーターが自ら訪朝して、金日成と会談(取引)…核開発凍結の見返りとして原発(という名の軽水炉)の建設を援助。→ その結果、北朝鮮の軽水炉の技術が、今の核保有へと〝着地〟してしまったのだ。
 (※う~ん、リアリズム的には、あの時に〝核施設〟を空爆しておくべきだった、ということか…?)

・北朝鮮はもともと、第二次世界大戦後に旧ソ連が「衛星」としてつくった擬似国家で、まともな産業もなく、〝援助を前提〟として成り立つ存在だった。→ こうした「核さえなければ無視される」という国に対して、「対話を通じて普遍的な価値を共有できる」という理想(悪くいえば妄想)を抱いたことが、現在の悲劇と脅威を生んだ、といえる。
 (※う~ん、そうすると、「北朝鮮問題」の交渉相手とは、現在の実質的な〝援助国〟である、中国とロシア…ということか?)

・しかし、日本は今もなお、こうした反省を生かすことなく、リアリズムから逃げ続けている。→ 近い将来、3代目・金正恩政権が崩壊し、北朝鮮国民の多くが難民化する……これは十分にあり得る想定だが、それを真剣に考えることから逃避している…(P133に…数十万あるいは100万人の難民が、日本海沿岸から上陸してくる…という具体的なシミュレーション…)。

・もはや「見たいもの」だけを悠長に見ている暇はない。差し迫った危機に対し、今すぐにでも議論すべきことは山ほどあるのだ。
〔※う~ん、挑発されてしまう……先日、板門店での劇的な「南北首脳会談」が放映されていたが…(世界的には概ね好評価だったようだが)結局は、単なる〝空疎なセレモニー〟であり、本番は(米・中・露が絡む)これからか…?〕

○北朝鮮で危険な〝火遊び〟をする欧米ツアー

・北朝鮮で観光旅行中に逮捕・拘束されていた米国人大学生が…昏睡状態で解放され、帰国してすぐに死亡した事件(〝拷問死〟の可能性も考えられる)。…彼が参加した北朝鮮ツアーの主催者は、2008年にイギリス人が中国・西安で立ち上げた旅行社。→ 過去の北朝鮮ツアーでは、スタッフも参加者も現地で相当ハメを外しており…酒を飲みまくって乱痴気騒ぎをするのは当たり前だったよう…(詳細はP135)。

・このツアー主催者は、危険な〝火遊び〟を奨励するような形で客を集めていたようで…ちなみに、同社で北朝鮮ツアーを主に仕切っていた人物は、現在ではフィリピンに拠点を移し、東南アジア各地で〝買春ツアー〟を堂々と主催しているよう…。

・旅先の人や文化を見下し、好き放題に振る舞う……こうした傾向は、欧米の白人ツアー客にしばしば見られるものだ(今に限ったことではなく、昔から)。
 〔※う~ん、こうした「上から目線」の傾向は、「在日米軍」にも見られることなのではないか? …それに対しては、この著者はなぜかほとんど言及していない…〕

→ そうした横暴を、かつて多くの国の人々は、商売のために我慢してきたわけだが……それが今、各地で台頭する〝愛国ポピュリズム〟や〝外国人排斥〟という形で〝逆流〟してきているのかもしれない…(北朝鮮側の人権無視が許されるものではないことは、大前提だが…)。

○アメリカの最終手段は「日本の核武装」?

・トランプは当初、北朝鮮に対して「武力行使を含むあらゆる選択肢」の行使を示唆したものの、その強硬姿勢も気づけばトーンダウン。→ 現在の極東アジアの〝ゲーム〟は、北朝鮮主導で進んでおり、金正恩政権は完全なる核保有国となるべくラストスパートをかけている…(核武装さえできれば、アメリカだろうが中国だろうが、あらゆる圧力に屈する必要がなくなるから)。
 〔※う~ん、(〝援助が前提の疑似国家〟のはずが)「核の力」のリアルさ?…確かに、初めて訪中した金正恩に対する中国側の歓待(?)は、ちょっと異様だった…〕

・そんな中、アメリカの著名コラムニスト(チャールズ・クラウトハマー)が、ワシントン・ポスト紙(2017.7.6)に、「北朝鮮、ルビコン川を渡る」という題名のコラムを寄稿した。
 「もしここで戦略的なバランスを劇的に変更したければ、韓国から1991年に撤退した(米軍の)戦略核兵器を再び持ち込むこともできる。…また、もう一つのオプションとして、日本に独自の核抑止をつくらせることも可能だ」
…これを読んだら、おそらく多くの日本人は拒絶反応を起こすだろう。…しかも、ここで論じられているのはいわゆる「核保有」ではない。→ 日本の独力による核武装という〝禁断のシナリオ〟が、すでにアメリカでは、現実的なオプションの一つとして、論じられ始めているのだ。

・なぜ、こんな話題が俎上に載るようになったのかといえば…アメリカが北朝鮮に対して打てる手が、ほぼなくなってきたからだ。→ 北朝鮮に、(核弾頭の搭載能力、弾頭の大気圏再突入技術など)まだ残された技術的課題はあるにせよ…アメリカは早晩、自国民が北朝鮮の核ミサイルの〝人質〟となってしまう状況に追い込まれた、ということだ。

・これで、米軍を頂点にした日米韓の軍事同盟は、大きな岐路に立たされた。→ アメリカは当然、同盟国を守るよりも〝自国民の被害回避〟を最優先に考える方向へシフトするはず…(詳細はP138)。
→ こうなると、同盟国の間には〝疑心暗鬼〟が生まれる。…日本や韓国からすれば、〝本当にアメリカは守ってくれるのか?〟…逆にアメリカからすれば、〝日本や韓国を守ることで、自国が攻撃されるのではないか?〟…これが、軍事同盟に亀裂が生まれるデカップリング(Decoupling=離間)という概念。

・敵側の新たな核兵器の登場が、同盟のデカップリングを誘発し、各国が独自の核保有を模索する…という動きは、過去にも例がある。→ 1950年代から60年代にかけて、(アメリカの核の傘の下にいた)英仏が、ソ連への抑止力を高めようと、相次いで核保有国となった…(詳細はP138~139)。

・「集団的自衛権の行使は合憲か違憲か」といった内向きの議論ばかりの日本には、刺激的すぎる話かもしれないが……少なくとも外から見れば、今の日本は…当時の英仏と似たような状況に置かれている。→ だからこそ、このようなシナリオが、米メディアのど真ん中で提示されたわけだ。
 〔※う~ん、ちょっと強引すぎる論理展開?…50年以上前の英仏と、今の日本では、あまりにも(内在的にも外在的にも)状況が違いすぎるのでは…? → また、『人類の未来的な理念」という視点からも…さらなる〝核の拡散〟につながるようなシナリオは、最悪のオプションだろう…〕

・先ほど引用したコラムは、さらにこう続く。
 「日本の核武装(に関する議論や政治動向)こそ、何よりも中国政府の注意を引くだろう。中国はかつてないジレンマに直面することになる。中国にとって北朝鮮(の金政権)を存続させることは、核武装した日本(を誕生させてしまうこと)ほどに大事なのか、というジレンマに」
→ 北朝鮮・中国主導で進むゲームを一変させるためには…もう〝日本の核武装〟くらいしか手が残されていない…それが、このコラムの主張の本筋だ。

・北朝鮮や中国は…アメリカの動向に関してはあらゆるシナリオを想定し、対応計画を立てていると思われるが…おそらく、〝日本の核武装〟については「ありえない」という認識だろう(皮肉にもほとんどの日本国民と同じように)。→ それだけに、核武装に関する現実的な議論が日本国内で持ち上がれば、それだけで大きな脅威となり、戦略の再考を迫られるはずだ。
 〔※この著者の、国際政治を(あたかもポーカー・ゲームのような)〝ゲーム感覚〟で捉えようとする姿勢に、少なからぬ違和感を感じる。…だが、こうした混沌の時代に「未来論」を考えていこうとするなら、このような〝リアリズム〟も、(批判的にせよ)視野の中に入れておく必要があるのだろう…〕

・「日本は今すぐ核武装すべきだ」と言いたいわけではないが…しかし、アメリカでこんな議論が提起されている、というのに…当の日本では、相変わらず政治家も大手メディアも議論を避けるばかり…という現状は、さすがに奇妙だと感じる。
 〔※う~ん、近々、例によってこうした議論を〝アメリカから輸入〟して、拡散していく連中が出てくるのではないか…(これも〝ワシントン拡声器〟?)。〕

・もう一つ忘れてはならないのは、トランプ政権の極めて特徴的な外交姿勢。…これまでの米政権は、(少なくとも表向きは)自由や民主主義といった理念・大義を掲げてきた。→ ところがトランプ大統領にとっては、あらゆる外交交渉はまるでビジネスのような〝取引〟なのだ。…これはある意味、ロシアや中国の外交に通じる考え方だが…〔※もはや「社会主義」という大義を実質的には放棄したロシアや中国には、もうリアルな〝取引〟しかないのか…〕…アメリカまでもが露骨に自国の利害を優先する(※America First!)取引外交に突入し…〝多極化〟した現代の国際社会において、日本国憲法がうたう「恒久平和」は存在し得ない。→ 平和とは、その都度、取引や駆け引きの結果としてつかみ取るものになってしまったのだ。
 〔※う~ん、夢も希望もない〝リアル・ポリティクス〟の極みか…〕

・では、そんな状況下で、(直接的な防衛力の強化以外に)日本にできることは…積極的に北朝鮮や中国のレジーム・チェンジ、つまり民主化を促すことではないか…(北朝鮮と中国が現体制のままでいる限り、対話は本質的に意味を持たないから)。
→ 相手の内部崩壊につながるようなアクションをひたすら起こすのだ…(詳細はP141…まるでCIAがやるようなことがいくつか例示されている)。

・こういうとき、低レベルな反中や嫌韓、嫌北をうたう右派は、率直に言ってジャマでしかない(※確かに…)。…かといって、戦後左翼のように〝中国や北朝鮮の現状をただ追認する〟という姿勢も、明らかに的外れだ。
 〔※そんなオメデタイ左翼はもういないのでは?…モーリー君、議論のレベルが低くなるよ…〕

→ 本当のリベラリズムとは、(詭弁を重ねて憲法9条を死守することではなく)…あらゆる国の〝人権問題や民主化〟に積極的に関与していくことのはずだ。
〔※ここでも、唐突かつ無関係に「憲法9条」を持ち出している…〕

・戦争が起きないことを平和と呼ぶのは今も昔も同じだが…それを望むなら、アメリカの傘の下で折り鶴を折り、「憲法9条を守れ」と唱えていればいい時代ではない〔※またまた紋切り型の〝挑発的〟な決めゼリフ…〕。…リスクは向こうからやって来る。

→ だからこそ、その可能性を減らすことで〝平和を勝ち取る〟という思考回路が必要だ。……この現実を見据え、日本人が自国防衛に関するあらゆるシナリオをタブーなしで議論し始めたとき、膠着した極東アジアのゲームは初めて動き出すかもしれない。
 〔※う~ん、だが「核武装」などより「日本国憲法」の方が、あらゆる国の〝人権問題や民主化〟に積極的に関与していくに際して、有効・有力な〝日本国の利点〟として使えるのではないか、モーリー君…?〕

(4)戦争と国際社会のリアル

○テロは「絶対に起きる」

・2014年に、中東・シリアで起きた日本人の人質事件(翌年1月に二人とも殺害された)。…この事件に関して、日本社会全体が「あまりに騒ぎすぎ」と感じた。→ テロの目的は、敵と見なす人々に〝恐怖感を与え、混乱させる〟こと。…そして、そのことによって自分たちの存在を世界中に知らしめ、スポンサーにアピールしたり、新たな仲間をリクルートすること。→ つまり〝リアクション〟が大きいほど、テロリストの目的は高いレベルで達成されるわけだ。

・少なくとも対外的には、日本政府は比較的冷静に対処したよう(※何もしなかっただけなのでは?)……問題は、デリケートな時期に事件を政権叩きに利用した野党議員と、パニックのように騒ぎ続けたメディアにある。
 〔※野党議員やメディアを弁護するつもりはさらさらないが…どうもモーリー君、(日本のこととなると)政権側に甘くなる印象…(人質の二人が殺害されてしまったことの責任には全く触れていないし…〝自己責任〟派?)…仕事の基盤を日本に置いているようなので、政権にソンタク?…〕

・日本語なんて日本人にしかわからない、というのはあまりにも時代錯誤…あらゆる発信が翻訳され、海外で見られる可能性を考えなければいけない時代だ…ということを、どれだけの人が理解していただろうか(※確かに〝自動翻訳機〟などもかなり進化しているらしいが…)。
→ こんなに〝おいしい〟日本というターゲット…国際世論の注目を集めるための道具として、再び日本人が狙われるという可能性は、常に想定しておく必要がある。

・2001年の9・11同時多発テロの後、アメリカ社会が本当の意味で冷静さを取り戻すまでには、長い時間を要した。→「戦争や暴力はあってはならない」という〝美しい大原則〟にしがみつく日本で(※また嫌みな〝挑発的〟言辞…)、もし大規模なテロが起きたら……間違いなく社会は激しく動揺し、人々は一気に極端から極端へと振れ、その後遺症は何年も続くことになる…(詳細はP144)。

・では日本人は、どんな心構えを持っておくべきだろうか。…まずは、「世界の情勢上、一定の頻度でテロが起きてしまうのは仕方ない」という冷徹な現実を受け止めること。
…原発事故後の放射能パニックと同じで、「0ベクレル」を追い求めてもまったく意味がない。→ 治安対策も、外交政策も、現実の諸々の条件と折り合いをつけながら、いかにテロ発生の可能性をミニマムにしていくかを考えるしかないのだ。

〔※う~ん、ここでこの著者の〝リアリズム〟に対する〝違和感〟をいくつか挙げてみる。…この著者のこれまでの発言の中で、(先の世界大戦での日本の〝敗北〟も含めた)「日本の歴史や社会情勢」に対する洞察に、深みがあまりないこと。従って、批判的言辞がどうしても紋切型になってしまう…(モーリー君、日米の受験勉強はかなり一所懸命やったようだが…)。…それは、福島原発事故に関しても同様で、ここでも〝放射能パニック〟を、「0ベクレル」を求めても無意味…といった形(詭弁?)に矮小化してしまっている(自然界にも放射能はあるのに、誰も「0ベクレル」なんて求めてないだろう)。→ こうした批判的言辞の〝ステレオタイプ化〟が、この著者の〝リアリズム〟の質を、かなり損ねてしまっているのではないか。→ また、福島原発事故から7年が経過して、漸く次のような著作も出てきた…『広島の被爆と福島の被曝』―両者は本質的に同じものか似て非なるものか―齋藤紀 かもがわ出版2018.3.5(著者は、福島県立医大卒で、広島大学原爆放射能医学研究所などで広島で約30年間過ごした後、福島に戻ってすぐに東日本大震災・福島原発事故に遭遇…以後7年間、原発事故の対応に忙殺されてきた。)…モーリー君も父上の広島での仕事と関連することゆえ、紋切り型の問答に止まることなく、さらに勉強していただきたい…〕

○その見方は釣り合っているか?

・英語に“False Equivalence”という言い回しがあるが、「中立な両論併記」を装うような、一種の詭弁のこと。…日本では、特に安全保障や軍事の分野で、この〝詭弁〟を平気で口にするような政治家や専門家が少なくない(※誰のこと?)。
…例えば2017年4月、シリアのアサド政権が化学兵器を使用したという理由で、アメリカのトランプ政権がシリアの空軍基地をミサイル攻撃したケース。(※最近、2回目のミサイル攻撃があった…)

→ 欧米メディアでは…シリアやロシアの当局・政府系メディアの発表がいかに〝政治的〟か…という警告がなされているというのに…日本の著名な論客や一部の専門家は(※誰?)、アサドやロシアの言い分をほぼ丸ごとトレースしていた。…「アメリカにだってクラスター爆弾などの使用疑惑がある。アサド政権ばかりを一方的に攻めるのは欺瞞だ」「そもそも今日の中東の混乱は、欧米による植民地支配から始まったものだ」
…このような〝どっちもどっち論〟も散見されたが、これは一見フェアなようでいて、実際は最も悪辣な人間を擁護しているのと同じだ。(詳細はP145~146)
 〔※う~ん、当方もどちらかと言えば〝どっちもどっち論〟だが(もちろん「アサドやロシアの言い分を丸ごとトレース」などしないが)……ここでも違和感を感じるのは…〝悪いヤツをやっつける〟的な、アメリカ的〝勧善懲悪〟に与しているような嫌いが感じられることか。…この著者、別のところでは、客観的な歴史的経緯を冷静に語っていることもあるのに(1,2章など)…このように〝どっちの味方だ〟、といった短兵急に攻め立てる論調もまま見られる…これも、2冊の「自叙伝」にそのルーツのヒントがあるような気がしている…〕

・北朝鮮情勢に関しても、状況はあまり変わらない。…「北朝鮮もよくないが、戦争はやってはいけない」「外交努力で解決を模索すべきだ」…まさに、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがベッドで抱き合うラブ&ピースな世界観。美しい。(※う~ん、モーリー君は〝武闘派〟か…?)
 〔※このような言い方も、モーリー君の、〝理想主義〟批判の〝挑発的〟な常套句、紋切り型表現なわけだが…その気質のルーツは、やはり「自叙伝」に示されていると思う…〕

・耐え難い緊張とリアリズムに直面したとき、〝空想や理想に浸りたくなる〟という心理は誰にでもある。…この状況下でも、大手メディアの報道が〝有事モード〟に変換されず、シリアスな議論を深掘りできないのは嘆かわしいことだ。

・もしかすると、今後は北朝鮮情勢に関して…「日本がミサイルの標的になるのは米軍基地があるからだ」…などと言いだす人も出てくるかもしれない。
 〔※これもステレオタイプ的表現で…モーリー君の〝リアリズム論〟も、それほど「深掘り」できているとは思えないのだが…〕

○世界を知るには「戦場セルフィー」

・最近では紛争地からも多くのセルフィー(自撮り)動画がYouTubeなどの共有サイトにアップされている。(詳細はP147~149)
→ 特に〝垂れ流し系〟の動画は…1時間以上も田舎道を装甲車とともに歩くシーンが延々と続いたかと思えば、突然カメラを装着した本人が撃たれ、バタッと映像が横倒しになる…つまり、見ているこちらが思いがけず「死の瞬間」に立ち会ってしまうこともある。
…戦場セルフィーが映し出す、辻褄の合わないカオスを前に、僕は敬虔な気持ちになる。そして、遠く平和な国で「戦争はいけない」と正論を叫ぶだけの人の無責任さを実感する。…あってはならない、ではなく、実際にあるのだ。正論が言えるのは、たまたま平和な場所にいるからだ。…いつ終わるとも知れない戦いの真っ只中にいる人たちに、そんな言葉はなんの意味も持たない。
 〔※これらも、一見もっともそうに聞こえるが(問題のすり替え?)…硬直化した〝リアリズム〟(の過度な強調)は、場合によっては、「理想」を追究していくことに対して、ある種の〝抑圧〟になってしまうこともあり得る(ex.「理想主義」を小馬鹿にする「現実主義」)…この著者の〝挑発〟には、そんな印象も持ってしまう…〕

・自らの知性と精神の強靭さに自信があり、お仕着せの理想論や精神論ではなく、「今、世界で何が起きているのか」を本当に知りたいのなら、覚悟を決めて戦場セルフィーを延々と見続けてみてはどうだろうか。
 〔※〝クソリアリズム〟などという言葉もあったかと思うが、この著者は…そうした〝ナマ動画〟を延々と見続けることで、本当に「世界の真実」が分かると思っているのだろうか?…当方などはそこに、もはや人間の想像力や探究心に信を置けなくなった、この著者の〝ニヒリズム〟すら感じてしまうのだが…。→ 当方としては、「戦場セルフィー」よりも、スティーブン・スピルバーグの映画『ペンタゴン・ペーパーズ 最高機密文書』をお勧めしたい。…(冒頭は、ベトナム戦争の戦場シーンから始まる)…こちらの方が、「過去に、世界で何があったのか」→「今、同様のことが起こりつつあるのではないか」…ということを知ることができる、と思われた。〕

○社会主義国ベトナムの「親米化」

・〝ベトちゃんドクちゃん〟で知られるベトナム人のグエン・ドクさんが、2017年4月に広島国際大学の客員教授に就任した。…36歳になったドクさんが、なぜ広島で「平和や命の大切さなどを講義する」ことにしたのか…その本心は知る由もないが、彼の母国の国内事情、政治的背景は、ことのほか複雑だ。

・(米軍の枯れ葉剤の影響とされている)結合双生児として生まれたドクさんは…社会主義国ベトナムの〝反米プロパガンダの象徴的存在〟…という側面もあった(もっとも、ベトナム国内において反米機運が主流派を占めていた時代までだが…)。

・この20年で、ベトナム社会は大きく変容した。…そのきっかけは、1995年の米越国交正常化により、両国が急接近したこと。→ 出生率のすさまじい上昇で、〝戦後生まれ〟がすでに多数派となった現在のベトナムでは、若者は反米どころかアメリカへの憧れを隠そうともしない(※かつての日本を彷彿とさせる?)。…首都ホーチミンのマクドナルドやスターバックスには行列ができ、ベトナム戦争で使用された枯れ葉剤のメーカーである米モンサント社でさえ、ベトナムの農業ビジネスに深く食い込んでいる。(※あのモンサント社がベトナムにまで…!)

・極め付きは2016年5月、アメリカによる武器禁輸措置が全面解除されたこと。→ それまでロシア頼みだった軍事分野でも、ベトナムはアメリカと協力関係を築くことになったわけだ。

・その背景には、膨張を続ける中国の脅威がある。…1979年の中越戦争以降も、南シナ海の領有権をめぐる軍事衝突…近年は海底油田の開発問題などで、緊張は高まる一方。→ 国民の対中感情も相当悪化しており、若者を中心とした反中デモが頻繁に起きている。

・かつての敵国アメリカと組んででも、「今そこにある危機=中国」に対抗したい。…自国の地政学的立場を考えれば、超現実路線(米越連携による対中戦略)をとるしかない。
 〔※こうした〝地政学的立場〟も、日本と似ている、というわけか…〕

・反米から親米・反中へ……こうした母国の変化は、ドクさんの〝立ち位置〟にも少なからず影響を与えたはずだ。…(戦争の凄惨さを知らぬまま)急速な経済発展に沸く戦後世代は、すでに国民の過半数を占め、反米的な主張にはなじまない。…そして政府も、かつてのように反米プロパガンダを展開することはない…。

・2016年秋、広島を初訪問したドクさんは、こう発言している。
 「原爆と枯れ葉剤の被害はどちらも戦争によるもので、同じ痛みを共有しています。世界では今も戦争が繰り広げられていますが、争いをやめ、化学兵器や核兵器は廃絶しなければなりません」
…この言葉通り、彼は純粋に広島で戦争の悲惨さを語りたいのだと思う。→ ただ、こうした母国の〝変化〟も、彼の人生の選択に何かしらの影響を与えたのではないか…そう思えてならない。
 〔※最近、「来日ベトナム人の犯罪の急増(中国人を追い抜いた)」という報道が流れたが(〝技能実習生〟として入国したベトナム人の若者が、福島で〝除染作業〟をさせられていた、というニュースもあった)……今後、(親日国と言われている)ベトナム(の捻れ現象)は(インドも?)…アジアの中で(日本にとって)注視していくべき国の一つかもしれない…〕

○六本木の「現代のハプスブルグ家」

・先日、六本木の某有名外資系企業のオフィスで、「未来の日本の縮図」を見た思いがした……その企業の中心スタッフは、人種も国籍も多様で、ハーフやクオーターらしき人も少なくない。…バイリンガル、トライリンガルが当たり前で、全員が流暢な英語でディスカッションをしている。 (※う~ん、ハーフのこの著者の、理想の光景か…?)

・一方、まったく毛色の違うグループもいる。…受付で来客のセキュリティをハンドリングする超美人の女性チームや、技術室で複雑な器具を管理するスタッフ、そして黙々と動く出入り業者――そうした人々は若い日本人で、それぞれの現場を動かす実働部隊…。
→ 決定権を握るグローバルエリートと、その指令を受けて職人的に任務を遂行する日本語話者。…そこには明確なピラミッドが存在していた。
 (※う~ん、グローバル企業による日本の〝植民地化〟…?)

・イギリスの作家オルダス・ハクスリーの『すばらしい新世界(Brave New World)』(1932年) というSF小説がある。…人類は管理された工場で〝生産〟され、生まれつき階級に分けられ(※カースト制?)、役割が決まっている。→ 醜い姿の最下層は、上流階級のためにひたすら労働するが、知能が低めに設定されており、不満も持たずに単純な報酬で満足する――そんな近未来を描いたディストピア小説。

・六本木で見た…多国籍エリート層と、それを支える優秀な日本人労働者層…という構図。→ 日本でも本格的な「階層社会」の到来が近いことを予感させられた。

 〔※『新・日本の階級社会』講談社現代新書2018.1.20…(帯文…もはや「格差」ではなく「階級」…900万人を超える新しい下層階級が誕生。日本社会未曽有の危機。…豊かな人はより豊かに、貧しい人はより貧しく――「日本型階級社会」の実態!!!…▲ひとり親世帯の半数(50.8%)が貧困層の社会。▲男性の3割が経済的理由から結婚できない社会。▲中間層は「上昇」できず、子どもは下の階級に転落する社会。▲1980年前後から始まった「格差拡大」は40年近くも放置され、「一億総中流」はもはや遠い昔。)…(発売即5万部突破!)らしい…〕

・英語を学び、外資を呼び込むことでしか発展できなかったシンガポールのような国とは違い…日本には、1億人規模の国内市場がある。…(それはある意味で幸福かつ幸運なことだったのだろうが)この平穏な〝ガラパゴス社会〟は、〝グローバル化〟という世界的潮流と〝少子高齢化・人口減〟という国内事情により、そろそろ崩壊に向かい始める。
→ 今後は、〝グローバルエリート〟が社会のトップで活躍するのみならず、様々な職種の現場に、各国から労働者が流れ込んでくることだろう。

・日本人の多くは「変わらない」ことを望み、面倒には向き合わず、課題を先送りにしてきた(※まあ、確かに…)。…「狭い範囲の中でも幸せがある」と、自分たちを慰める人も少なくない(※う~ん、「里山資本主義」なども、ここに括られてしまう?)。…英語が必要な仕事なんてごくわずかだ――そう言って、努力のいらない世界に逃げ込もうとするのだ。
 (※う~ん、かなり〝挑発的〟…)

・数年前、ある著名な左派知識人(※誰?)の〝Back to Edo era !(江戸時代に戻ろう!)〟というツイートが話題になった。→ 心配しなくても、そう望む人は江戸時代の庶民生活に戻れる。…(徳川家ではなく)グローバルエリートという〝現代のハプスブルグ家〟が支配する階級社会の下層で生きることが前提になるが…。

・未来を悲観しろと言いたいわけではまったくなく、むしろ日本に生まれた時点で、途上国出身者よりもいろいろな面でアドバンテージを持っていることは間違いない。努力が実を結びやすい環境にある――それさえ理解できれば、やるべきことは自ずとはっきりするはずだ。
 (※う~ん、それほど簡単に〝やるべきこと〟がはっきりするとは思えないが…)

(3章…了 2018.4.30)                                 


〔追記……この3章までで、全体の6割ほど終えたことになりますが…(特にこの3章で)体力&知力(この程度です)を使い切った感があり…残り(4~6章)は、また別の機会にしたいと存じます。…(いちおう「中断」という扱いです)…〕
○ちなみに、残りの「4~6章」は……

(4章)日本人が知らない「日本の差別」――在日・移民・フェミニズム
…この章は、今ホットな話題になっている…「女性差別」や「移民」「在日ヘイト」などの問題について、〝国際標準〟と対比させながら、かなり説得力ある論を展開しており…この章まで頑張って(老身にムチ打って)レポートするか…と思いかけたのですが…。

 (5章)日本のメディアに明日はあるか――マスコミの罪とネットの罪
…この章は、(ツッコミどころ満載?で)読むだけでも疲れてしまう…
→ この時点で(これは3章以上にてこずりそうで)、〝レポート続行〟を(主に健康不安で)断念しました。

 (6章)タブーへの挑戦――パイオニアたちの闘い
…この章では、「大麻解禁」は世界的潮流だということ…(これは日本では、まだそれほど緊急性のない問題だろう、という印象を持ちましたが…モーリー君はかなり力を入れていた…)。
…あとは、ナオミ・クラインやムスリム・フェミニストの活躍やオバマについて…(モーリー君はオバマを高評価)。

→ つまり、「4~6章」は、(テーマが比較的はっきりしているので)…今後タイミングを考慮して、テーマ別に(番外編として)取り上げてもいいのではないか…と判断しました。
(主観的には…3章までで、モーリー君の挑発的な〝毒気〟を、ある程度は〝解毒〟できたかな…という印象を持ちました。)

→ 従って…今後2ヶ月(?)ほどは、本の整理(廃棄)などをやりながら(本棚があふれて本が置けない! 家庭の事情で本棚は増やせない!)、次回以降の「未来論」のネタ本に目を通していく予定です。



2018年4月6日金曜日

震災レポート・戦後日本編(番外編 ④)―[ニッポン革命論 ②]

『挑発的ニッポン革命論』
         ―煽動の時代を生き抜け
            ― モーリー・ロバートソン
             集英社 2017.10.31                       ――(2)



【2章】欧州とテロリズム――吹き荒れる移民排斥の嵐――

・2016年8月、米大統領選挙のトランプの支持者集会で…英独立党のナイジェル・ファラージ党首が応援演説を行なった。
 (当時はトランプ陣営の劣勢が伝えられていたため)…グローバリズムや移民、そしてエスタブリッシュメントを徹底批判するレトリックで、イギリスの(EU離脱を決める)国民投票に勝ったファラージを、呼ぶことにしたのだろう。
→ 気になるのは、このように欧米の〝右派ポピュリストたち〟が、連携するような動きを見せていること。

・昨今の欧州では…英独立党、フランス国民戦線、ドイツのための選択肢、オランダ自由党、オーストリア自由党…といった極右とも言える右派政党が勢力を拡大し、大衆を煽りに煽っている。…その主義・主張は、トランプと似た部分も多く、ファラージに加えてフランス国民戦線のマリーヌ・ルペン党首なども、米大統領選挙でははっきりとトランプ支持を表明していた。
→ 彼らは、国境を越えて「煽動」という共通目的のために連携し、〝極右枢軸〟をつくろうとしているのかもしれない。…(そして1章で述べたとおり、その蝶番のような役割を果たしているのが、ロシアのプーチンだ…)

・ポピュリストの詭弁には共通点がある。…それは、個々の小さな事例を過剰に一般化し、そして「巨悪化」すること。…(ex. 右派のポピュリストなら、「ムスリムの移民が増えた → ムスリムが国を乗っ取ろうとしている」とか、「うちの国はEUへの予算負担が大きい → EU官僚がわが国民の富を食い物にしている」といった具合…)
…場合によっては半分ほど真実が混じっていることもあれば、1を100にするような針小棒大なストーリーもあるが……いずれにしても、こうした「火に油を注ぐ」ようなやり方が、〝現状に不満を持つ人々〟にはよく響くのだ。

・こうした構造はアメリカも欧州も同じだが(※そして日本でも…?)、ただし、欧州には違った事情もある。…アメリカと比べ、イスラム過激派や、その思想に共鳴するローンウルフによるテロの脅威が、はるかに身近なところにある…という点。
→ この現実は、欧州社会にどう影響しているのだろうか。


 (1)テロに揺さぶられる国民


○シャルリー・エブド襲撃事件が変えたもの


 ・2015年1月、フランス・パリで起きたシャルリー・エブド襲撃事件(覆面姿の武装犯たちが風刺雑誌の出版社を襲撃し、12人を殺害)…このテロ事件の背景には、(「表現の自由」とか「他人の宗教の尊重」とかの原理原則論だけでは片づけられない)とても複雑なものがある。

・欧米の西側資本主義社会では、「多文化共生」が半世紀に及ぶ大テーマだった。
→ 移民も積極的に受け入れ、民族や肌の色や宗教が違っても〝同じ国の人間〟として共存しよう…という理想を追ったわけだ。
…フランスは、そうした試みの先駆者たる国の一つだった。

・実際のところ、移民であってもその国のルールを受け入れ、現地社会で大成功した人たちもいる。…今も昔も、才能があって美しい超エリートたちは、出自も何も関係なく競争に勝ち抜いて輝けたのだ。
→ 彼らのサクセスストーリーは多くの人を感動させ、社会の一体感を保ち、多様性という価値観を育て、「共存のために対話をしよう」という美徳を支えてきた…と言っていい。

・しかし、今になって思えば、その美徳は〝豊かさの幻想〟があってこそ成り立つものだった。(※う~ん、これも〝リアル・ポリティクス〟?)

→〝経済成長〟に裏打ちされた…「頑張って働けば、今よりいい暮らしができる」という共通の信頼感…が、〝平等な社会〟という理想を、裏から支えていたのだ。
 〔※このことは、(「移民問題」を抜きにすれば)戦後の日本社会の姿にも当てはまるか…〕

→ それが崩れ始めたのは、1980年代から90年代…米レーガン政権、英サッチャー政権が大規模な金融規制緩和など〝新自由主義〟と呼ばれる政策を進めた結果 → やがて富が一部に集中し、中産階級が地盤沈下して、経済格差が広がった。…移民コミュニティの中でも、富の恩恵にあずかれない人が増えた。
→ グローバル化の流れに乗って、フランスやドイツなどでもやや遅れて、同じ現象が進行…。
 (※日本でも、アジアからの〝出稼ぎ〟という形で、同様の現象が進行中のよう…)

・そして2010年頃には、こうした格差が固定的なものと認識されるようになった。…言い換えれば、これは「絶望の確定」。
→〝平等な社会〟と言うけれど…いざ経済が悪化して全員に分け前が渡らなくなると、やっぱり出自で雇用や出世が差別される。→ そこで〝絶望や憎悪〟が生まれる…。
 〔※一時期、「トリクルダウン(おこぼれ)」とかいう言葉が流行ったなあ……参考:『新・日本の階級社会』講談社現代新書 2018.1.20……帯文:「もはや『格差』ではなく『階級』…固定化し、次世代へ『継承』される負の連鎖…900万人を超える新しい下層階級が誕生。日本社会未曾有の危機…」〕

・先進国生まれのムスリムの若者が、アルカイダのような過激な思想に共鳴している…そんなニュースを聞くようになったのも、やはり2010年頃から。…今ではある意味、そうした流れが必然性を帯びてしまっている。

・忘れてはいけないのは…欧米社会では常に「対話」の努力がなされてきた…ということ。…複雑な状況の中で、何十年間も互いに共存しようと努力してきた。
 (※う~ん、ここが日本に欠けているところか…)
→ それでも残念ながら、このような事件が起きてしまうと、社会の雰囲気は大きく変わる。
…(9・11の後、アメリカがムスリム監視やイラク侵攻といった方向へ雪崩を打ったことに、かなり批判的だった)フランスですら…ひとたびテロの〝当事者〟になると、治安当局がムスリムコミュニティへの監視を一気に強め、「疑わしきは捕まえる」…という空気になってしまった。
→ こうして、〝テロの脅威〟に直前した欧州各国では…ムスリムの〝自国文化への同化〟の強要、あるいは〝ムスリム排斥〟を訴える極右政党が、支持を伸ばしていったのだ。


○ルペンを押し上げた〝愚連隊志向〟


・シャルリー・エブド襲撃事件に続いて、パリを大規模な同時多発テロが襲った…(隣国ベルギーを拠点とする欧州生まれのIS(イスラム国)戦闘員たちによる、死者130人、負傷者300人以上という凄惨な事件)。
→ この事件直後の、フランス地域圏議会選挙の第1回投票では、全13地域圏のうち6地域圏で、〝移民排斥〟を訴えるマリーヌ・ルペンの国民戦線(FN)がトップを獲得。
…さらに2017年5月のフランス大統領選で、ルペンは決戦投票にまで残り、(単なる極右政党トップから)確固たる支持基盤を築いた大物政治家へと、上り詰めたのだ。

・当初フランスのメディアや知識人は、この女性をかなり甘く見ていた。…多くの主流メディアは、「こんなファシストを擁護するのは頭の悪い少数派だけだ」と、歯牙にもかけなかった。 (※う~ん、トランプの場合と似ている…)
→ しかし、ルペンはひたすら〝庶民〟に語りかけた。…イデオロギーよりも〝リアル〟を押し出して。
…実際のところ、近年多くのフランスの庶民は、「多文化共生」を心から歓迎しているわけではなく…その理念の下で自国社会に移民や難民が増えていく〝違和感〟を、なんとか飲み込んでいるだけだったのだ。 (※〝庶民的リアリズム〟か…)
→ そのことがわかっていたルペンは、国民が抱えるこうした〝違和感〟に…〝人々の本音〟を代弁して、支持を拡大させていった…。 (※これもトランプと似ている…)

・アメリカのトランプの例を見ても、そうした構造はよくわかる。…大統領選挙では、トランプの「ムスリム入国禁止発言」が…メディアで大きく取り上げられ、猛烈な批判を浴びたが…その後の世論調査でも、彼の支持率は変わらなかった。
 〔※かなり〝品格のない(姑息な)言動〟を多発している安倍首相の、支持率がなかなか落ちないのと、似ている…?〕

・表立って本音を言えない人々の溜飲を下げることに長けたポピュリストは…たとえメディアや知識層に厳しく批判されても…一方で必ず、「よくぞ言ってくれた」「差別的だが、真理を突いている」…といった賛同や消極的支持を獲得する。
→ そしてその結果、「全ムスリムを監視するのは是か非か」といった非常に低次元な、しかし〝炎上商法〟としては非常に有効な議論(※本質的ではないが話題を集められる議論?)へと、話をすり替えていくのだ。
 (※安倍政権の得意技も〝話のすり替え〟…?)

・自国が大きな危機に見舞われたり、〝本音を言いづらい社会状況〟に陥ったりしたとき、一部の大衆の間には「思い切り差別したい、乱暴に振る舞いたい」…という〝愚連隊志向〟が芽生える。 (※関東大震災のときの「朝鮮人虐殺事件」などもか…)
→ フランスは、実際にテロに遭ったばかりだったし…アメリカも、9・11同時多発テロなどの記憶があり…こうした背景が、ルペンやトランプの躍進を大いに後押ししただろう。

・ほかにも、多くの難民受け入れで世論が割れているドイツでは、移民排斥論者たちが…「政治家と大手メディアが世界を支配し、真実を隠している」という〝陰謀論〟の流布にある程度成功し…これもまた、「大手メディアはウソばかり」というトランプの主張と、非常によく似ている。


○ISのリクルーターが「非ムスリム」を落とす手口


・欧米に住むムスリムの若者(主に移民2世や3世)だけではなく、実はムスリムではない人々にも、すでに過激思想への誘惑の手は及んでいる。
…ISは、インターネットを中心にリクルートや煽動を行ってきたが…彼らのプロパガンダは質的にはあまり高くなく、それなりにリテラシーがあれば、荒唐無稽なデタラメや使い古された陰謀論が多々交じっていることは、すぐわかるレベルだ。
→ しかし、それでもそのプロパガンダをなんら疑うことなく〝丸のみ〟し、〝何かに目覚めてしまう〟若者が、世界各地に一定数いるのだ。

・そもそもISのプロパガンダは、マジョリティの共感を獲得する必要はない。…「世界の中のマイノリティ、異端者こそ立ち上がれ」…と焚きつけている。
→ 99.99%の人が拒絶しても、わずか0.01%、1万人に一人でもグサッと突き刺さればいい。

・世論が「勧善懲悪」の方に振れれば振れるほど、それに違和感を感じ、少しだけ集団から飛び出してしまう人というのは、必ずいるものだが…そういう〝人材〟をISのリクルーターは探すのだ。…まるでサメが、血のにおいを嗅いで弱った獲物を探すように…。

・(未遂の具体例がP96~97)…このケースは、先進国に住む非ムスリム(アメリカの片田舎に住む20代前半の女性)でさえも、ISの呼びかけの対象となっていたことを示している。…みんなが嫌悪感を示すもの、反対しているものに対し…「そんなことはない」と主張したがる人はどこにでもいる。
→〝逆張りの自分〟に価値を見いだすタイプの若者は、テロリストによるリクルートの格好のターゲットなのだ。

・もちろん、これは日本にとってもまったく他人事ではない。
→ テロ組織のリクルーターが、日本語という〝ガラパゴス言語の壁〟を乗り越え、狙いを定めてくるなら、〝和製ホームグロウンテロリスト〟は、いつ誕生してもおかしくないのだ。
 (※実際〝シリア行き〟直前だった若者がいたらしい…?)


(2)中東から世界に散るテロ


○ISが目をつけた〝見棄てられた民〟の半島


・2014年6月に「建国宣言」をしたIS(イスラム国)は、2016年以降は支配地域を減らしている。→ ただ、(中心となるシリアやイラクから)他の中東地域やアフリカ、あるいはアジアへと分散するなどして…その活動は続いているし、この傾向は今後も続くだろう。

・そうした〝分地〟の一つが、エジプト東部のシナイ半島。…その東端はイスラエルやパレスチナ自治区ガザと接し、西端にはスエズ運河が流れる…という地政学上、非常に特殊かつ重要な場所にある。
…また古くからシナイ半島では、「ベドウィン」と呼ばれるアラブ遊牧民が部族単位で暮らし、彼らは(エジプトの市民法ではなく)、独自の慣習法「ウルフ」に従い生活するなど…一般のエジプト国民とはまったく異なる存在でもある。
…1979年にアメリカの仲介で、エジプトとイスラエルが平和条約を結び、シナイ半島がエジプトに返還されて以来…エジプト政府はベドウィンを抑圧し続けてきた。
→ 彼らの歴史、生活、尊厳を踏みにじって土地を強制的に収奪し、大規模な開発を行った結果…今やシナイ半島南部は、エジプト有数のリゾート地となったのだ。

・当然、多くのベドウィンは、エジプトという国に憎しみを抱いている。
→ 特に2011年の「アラブの春」以降…エジプト警察が、カイロなど都市部の治安維持に力を割かざるを得なくなり、シナイ半島の監視体制が弱体化すると…彼らの〝積年の恨み〟が、〝実行〟に移されるケースも増えてきた…(ex.パイプラインの爆破事件など)。

・こうした混乱に目をつけたのが、ISだった。…エジプト政府から、水道や電気といったインフラさえ満足に与えられないベドウィンは、非常に貧しい。
→ そんな状況下で、ISが…〝反エジプト感情〟を煽りつつ、金銭的なインセンティブをちらつかせれば…一部の血気盛んな若いベドウィンを仲間に取り込むことは、難しくない。
…これは国際社会が長年、エジプト政府によるベドウィン弾圧を、黙殺してきたことの結果でもある。

・世界にはたくさんの〝弱者集団〟が存在しているが…チベットのように世界中から注目され、欧米社会が莫大な支援を行うケースがある一方(※ダライ・ラマの功績…?)…シナイ半島のベドウィンのように、無視され続ける人々もいる。
→ こうした〝エアポケット〟が、ISのような組織にとっては、格好の〝居場所〟(勢力拡大拠点)になるのだ。


○欧州の新たな火薬庫・ボスニア


 ・パリの同時多発テロ事件では……犯人たちが拠点としていたベルギーのブリュッセルが、〝欧州産ジハーディスト〟を輩出した街として、世界から注目されたが…実は、多くの中東ウオッチャーがベルギー以上に警戒している国が、(西欧と中東地域の中間点に位置する)バルカン半島のボスニア・ヘルツェゴビナ。

・2015年に新たにISに加わったボスニア出身者は、(当局が把握しているだけで)92人に上り、この数字は(ISが本拠地としていたシリアやイラクを除けば)、ヨルダン、チュニジア、サウジアラビアに次ぐ4番目の多さで、欧州の国では最多…(ちなみに続く5位も、同じバルカン半島のコソボ)。

・なぜ、ボスニアからは多くのジハーディストが生まれるのか。
…国家や地域が、互いに対立する小さな国家・地域に分裂していくことを表す〝バルカナイズ〟という地政学用語があるが…バルカン半島の民族対立が、第一次世界大戦の引き金となり、〝欧州の火薬庫〟と呼ばれた頃に生まれた造語。
→ 現状を見るにつけ、この地域の問題は、あれから100年経っても何も解決できていないのだ、と言わざるを得ない…(※「人類の英知」の限界?…詳細はP101~102)。

・また、ボスニアの失業率は、50%近いとされ(パレスチナのガザ地区とほぼ同水準)、経済はどん底で教育水準も低い。治安維持能力も脆弱で、内戦の影響から武器の調達も容易……どこをどう見ても、原理主義的なアジテーション(煽動)やテロリズムが、浸透しやすい下地が整っている…。

・さらに、この地域のムスリム社会には…1990年代のボスニア紛争やコソボ紛争で起きたムスリム虐殺を、見棄てた国際社会に対する〝不信感〟…も根強く残っている。
→ あの頃…「なぜムスリムだけが無意味に殺されるのか」、という疑問を抱いた子供たちが…今や大人になって、ISのような過激思想に共鳴している…という側面も否定できない。


○ウイグルの怒りに共感できるか


 ・一連のテロは、「イスラムの教義を曲解した〝変なヤツら〟による犯罪」…という単純な問題ではない。
→ 欧米の先進国の多くは、豊かになっていく過程で…「移民の労働力」に依存しつつ…その一方で、〝彼らに対する偏見や格差〟…を社会に内包してきた。
 〔※最近の報道では…日本でも、コンビニ業界などは(農業も?)、「アジア系の労働力」に依存しなければ、立ち行かなくなっているらしい…〕

…また、パレスチナの悲劇的な状況や、中東諸国の独裁者による人権蹂躙に対しても…「見て見ぬふり」を続けながら…彼らの国にある「資源や安い労働力」を、〝成長の原資〟としてきた。
→ そうした構造に対する、不満を溜め込んできた人々のうちの一部が…過激で暴力的な思想に共鳴してしまっているのは、否定できない事実だ。
…見方によっては、欧州の先進国には…今まさにカルマ(業)のように、〝見棄ててきた不幸〟が逆流してきている…と言えるかもしれない。

・しかしこれは、日本人にも無関係なことではない。…現代社会においては、グローバリズムに加担している国は、すべて「結ばれている」から。
→ 日本という国も…〝様々な人々の不幸な境遇〟を利用することで、〝豊かさを享受〟している。
→フランスが当事者であるように…日本もまた、〝テロが生まれる構造〟の当事者なのだ。

・残念ながら、こうした〝怒り〟をもとにしたテロが、日本で起きる可能性をゼロにはできない。…より厳しく言えば、状況は“not if but when”(来るか来ないかではなく、いつ来るか)の問題…。

・ただし、その可能性を少なくできる方法はある。…その一つは、中国や北朝鮮など、近隣国の「人権問題、独裁、男尊女卑…といったあらゆる不公平、不正義」をしっかり見つめること。
〔※う~ん、このことは、(他国だけではなく)自国の「不公平、不正義」に対しても、しっかりチェックしていくことも欠かせないはずだが…(最近の報道によれば)国連機関の日本に対する「人権是正勧告」を、安倍政権は拒否したよう…〕

・特に、中国国内の新彊ウイグル自治区という〝火種〟から、目をそらすべきではない。
…中国の習近平政権は近年、「ウイグル族がISと繋がっている」という大義名分を掲げ、過酷な弾圧を加えてきた。→ 最近では同自治区を脱出し、トルコなどに亡命するウイグル族も増加中で…その一部はさらにシリアなどへ流れ、実際にISなどの戦闘員になっている、と言われている。…また、2015年8月のタイ・バンコクでの爆発テロ事件でも、ウイグル族の関与が疑われている。

・彼らの怒りの対象は、もちろん中国共産党だが…それに加えて、これまで中国の圧政を見過ごしてきた、〝国際社会への怒り〟もあるのだ。
→ タイで起きたようなテロが、日本では起きないと誰が言えるだろうか。
…「自分たちの幸福を支えている不幸が、いつどこかでねじれて逆流してくる。もしかしたら自分も加害者の一人かもしれない。→ まずはひとりひとりがその違和感をそっと口に含んで…ゆっくり咀嚼して味わってみる――そこからしか解決の道は開けないでしょう。」

 (2章…了 → 次章から、いよいよ「日本の問題」に入っていきます…)
                                         

〔追記……東日本大震災(原発過酷事故)から7年、そして敗戦から70余年……それらの「敗北」「失敗」から、この国は、何を、どこまで、学んできたのだろうか…(最強の行政官庁での、あまりに姑息な公文書の隠蔽・改竄が発覚…)…2018.3.11〕

〔追記2…参考資料〕
①『日本軍兵士』―アジア・太平洋戦争の現実―吉田裕(中公新書)2017.12.25
                              (2018.2.20 4刷)
②『失敗の本質』―日本軍の組織論的研究―中公文庫 1991.8.10(2017.2.10 64刷!)
 (表紙カバー文:「なぜ日本人は空気に左右されるのか?」
「破綻する組織の特徴……▲トップからの指示があいまい ▲大きな声は論理に勝る  ▲データの解析がおそろしくご都合主義 ▲「新しいか」よりも「前例があるか」が重要 ▲大きなプロジェクトほど責任者がいなくなる」)
〔※う~ん、旧日本軍の〝組織的失敗〟の特徴は、そのまま現代日本の〝官僚組織の失敗〟に繋がっている…?!〕


2018年3月24日土曜日

震災レポート・戦後日本編(番外編 ③)―[ニッポン革命論 ①]

 2018年の新年早々、〝挑発的〟な本に出逢ってしまい、(前回の『憂国論』に引き続き)根石さん宛に「携帯メール送信」を始めてしまった。→ また回り道になりますが…とりあえず、その携帯メール9回分を「番外編③」としてお届けします。(全3回ぐらいの予定…)
                                         


『挑発的ニッポン革命論』―煽動の時代を生き抜け― モーリー・ロバートソン                                                      ――(1)

                                                                     集英社2017.10.31


〔著者は…1963年生まれ、米ニューヨーク出身。国際ジャーナリスト。…父はスコットランド系アメリカ人の医師、母は日本人のジャーナリスト。…米国籍のいわゆる日米ハーフ。〕

→5歳のときに父親の転勤(※赴任先はなんとあのABCC=原爆傷害調査委員会の研究員…この件はまた後で触れることになると思う)で広島に移り住み、日本語(当時は完全に広島弁)をマスター。→ その後、再び父親の仕事の関係で13歳のときにアメリカに戻ってから、中高時代は日米を行ったり来たりの生活を送る。

「日米どちらの社会でも、僕は〝浮いた存在〟でした。アメリカでは人との距離感がちょっとおかしな、女にモテない日本育ちの変なヤツ。一方、日本では不良アメリカ人扱いされることがしばしば。ずっと違和感の中にいました。」(※『よくひとりぼっちだった』文藝春秋1984年 という自叙伝あり)

→ その後、東大に現役合格したが、入ってみると強烈な違和感を感じてすぐに辞め、同じ年の秋にはハーバード大学に入学(電子音楽を学ぶ)…浮き沈みの激しい10代だった。

(※「東大とハーバード大に現役合格」…ミーハー的に言えば、かっこ良すぎる…!)

(補足)…広島にやって来た当初、インターナショナルスクールに通い、日米ハーフの広島弁を話せる生徒も多く、また家に帰ると近所の日本人の友達ともよく遊んだ。自然と広島弁もマスターした。→ しかしあるとき、学校側は校内で日本語の使用を禁じ、日本語の授業も初級編を除いてほぼ廃止された(日米ハーフたちの悪ふざけへの対抗措置?…詳細はP247)。 日米ハーフが多かったスクールに、両親ともアメリカ人の生徒が増え始めたのもその頃。…彼らは日本にシンパシーがなく、広島弁を話さず、日本のテレビも一切見ない。日本人に対して人種差別的な発言をすることもあった。…「そういう〝白人優位ネタ〟に卑屈に同乗する裏切り者のハーフを、僕は心の中で殴りつけました」

(※著者はこの頃は、「日本」の方にシンパシーを感じていた、ということか…)

→ そんな中で、著者は自分の尊厳を守るために、日本の小学校に通うことにした(5年生の二学期に転入)。…ところが、自分の〝日本人性〟を守るために来た日本の小学校で、大勢の生徒から一斉に「帰れコール」を受けたこともあった。…それでも(校長先生の指導もあって)最終的には周りの推薦で生徒会長になった。

(※う~ん、タフというか、適応力がすごい…さすがニューヨーク生まれ…?)

→ 私立の男子中学校に進学した後は、被爆者の祖父を持つ同級生と取っ組み合いのケンカをしたことや、原爆の爆風で傷痕だらけになったという書道の先生との葛藤もあった(詳細はP248~249)。

→ 中2の夏、著者は一時、アメリカに戻ったが、そこで待っていたのは「真珠湾野郎!」という罵り…向こうでは著者は〝東洋人〟。

(※う~ん、コウモリ的というか、帰属先のない根無し草的存在…?)

…白人からは差別を受け、同じように白人から差別されている黒人も、よりマイノリティな著者を攻撃する…。

(※う~ん、リアルな厳しい現実…)

→ 差別が日常的に内包された社会では、弱い者が弱い者を叩き、被害者が加害者となって別の被害者を生む…そんな現実を知った。

(※これは、極めて今日的なアポリアでもある…)

…当時のアメリカ社会は、原爆の歴史にも、先住民虐殺の歴史にも、黒人奴隷の歴史にも、まったく向き合っていなかった。

(※現在では、どこまで向き合ってきているのか…?)

「僕の目標は、日本に『革命』を起こすことです。ひとりひとりが自分を解放し、世界をフラットに見る視点を持ち、自分の頭で考えるべきことを考え、タブーなきディベートができるようになる――そんな『革命』。…今、ネット上では思想的に右か左に大きく偏った人の声が目立ちます。けれど、現実の世界で一番多いのは、どちらにも賛成できない中間層です。彼らは、はみ出るのを恐れて何も言わない。…そんなサイレント・マジョリティを解放したいのです。

(※吉本さんの「大衆の原像」にも通じる?)

この本を読んだ人たちがその第一歩を踏み出してくれたなら、こんなうれしいことはありません。」

(※「著者の紹介」だけでかなりの分量になってしまったが、この著者の「立ち位置の複雑さ」
の一端は示せたと思う。)


【はじめに】


○新たなる情報戦争の幕開け


 ・今、「兵器化された情報」が世界中で市民社会を蝕んでいる。…客観的事実よりも、ある個人や特定の集団にとっての〝都合のいい正義〟ばかりが巧みに発信・拡散され、それが本来あるべき「検証プロセス」を経ることなく、広く支持されるに至ってしまう…そんな事例が多発している。

・その強力なエンジンとなっているのが…英語圏などで急速に一般化した政治的なインターネット・ミーム(写真やイラストなどの画像に、コメントなどの文字情報を加えたもの)。
…先の米大統領選挙では、トランプ陣営だけでなく、ヒラリー・クリントンやバーニー・サンダースの支持派も、このミームを活用していたそう。→ その結果、今やミームは…人々の価値観が二極化したアメリカ社会の、分断の象徴になってしまった…とさえ言える状況。
…実はペンタゴン(米国防総省)も、かなり以前からこのミームの軍事利用(情報戦争)を研究していたよう。→ そして、米軍より前に、兵器化されたミームを効果的に利用したのは、IS(イスラム国)のテロリストたち。

・近年、こうしたSNSやミームといった〝拡散ツール〟を、煽動者たちが大いに利用しているが、もちろんこれは日本にとっても他人事ではない。

 〔※その例に…福島原発事故直後の、「科学的な検証を無視して放射能の危機をむやみに煽るようなデマ情報」(※上杉隆も入るのか?)が大量に拡散されたことが挙げられているが…政・官・財・学&メディアが形成してきた〝安全神話〟によって、的確・迅速な避難指示が出されず、地域住民の避難が遅れてしまった…という事実についての言及がまったくないのは、いささか公平性に欠ける感がある…

…(参考:『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』烏賀陽弘道 →「震災レポート」38~40…『放射線ひばく CT検査でがんになる』近藤誠 →「震災レポート④」…これらは、「客観的事実による科学的検証の記録」)

…国際ジャーナリストのプロなんだから、福島原発事故に関するこれぐらいの資料は読んでから発言していただきたい。…せっかく「ガラパゴス言語の日本語」が読めるのだから…〕


○移民問題


・日本では「移民問題」の議論が遅々として進まないが、これだけ少子化が進み、その改善も見込めない状況では、将来的にはどう考えてもある程度は「移民」を受け入れざるを得ない。
…問題は「いつ」「どのような形で」受け入れるか、という点だけで、「やらない」という選択肢はない。
→ しかし、具体的な議論から人々が逃げ続けているうちに、デッドラインは刻一刻と迫っている。
…このままの状態で、あるときデッドラインが来てしまったら、間違いなく日本人はパニックになるだろう。

 (※最近では、北朝鮮問題の情勢次第では、日本列島に「難民」が押し寄せて来る…というシナ
リオが囁かれ始めているが…)

 ・「郷に入れば郷に従え」的にルールを強制し、それがいやなら追い出せばいい、という空気が醸成され始めたら、「拝外主義的なポピュリズム」の嵐が吹き荒れる条件が出揃ってしまう。
→ 欧米各国で猛威を振るう極右旋風は、いつ日本に上陸してもおかしくない、ということ。

・差別を糾弾したり、差別された人に同情したりするだけではなく、本当の意味での「共生」を模索しなければならない。
…それは〝とても面倒くさい作業〟になる。
→ 時代の針を戻すことができない以上、「議論する能力、物事を検証する能力」を上げていき、排他性よりも「多様性」を推し進めるしかないのだ。

(※この部分は説得力ありか…詳細はP12~13)


○「ガチンコの議論」に必要なもの


・日本の大衆には…重要なチョイスの責任を引き受けなくていい、最後はどうせお上(日本政府やアメリカ)が決めるんだ…という潜在意識や諦め(※お任せ民主主義)が、骨の髄まで染み付いてしまった世代が2,3世代いる。
→ いわゆる戦後レジーム(※対米従属?)の影響なのか、みんなが「自分にとって気持ちのいい殻の中に閉じこもるばかり」で、不都合なことは見て見ぬふり。ガチンコのディベートが起きない。

(※著者の〝日本体験〟からか…)

・日本の左派野党が、一向に存在感を示せない理由の一つはここにある。…ハードなディベートがない社会では、反体制側の主張が弱々しい。もともと思想を共有している仲間だけでいくら盛り上がっても、批判に耐え得る主張は生まれない。→ 現実味のない〝美しい物語〟(※理想論?)を、(無意識の部分では「まあ実現しないだろうな」と思いながら)言い続けるだけ。
→ その結果、体制との対話からますます遠ざかってしまう。

 〔※左派野党だけではなく、日本の場合は、政府与党も(メディアも?)「ハードなディベート」から逃げまくっているようだが…。また、中長期的には「理想論=あるべき未来の形」を言い続けることは大切だと思うのだが。…でないと、短期的な「リアリズム」ばかりで、息苦しいだけになってしまい、目指すべき方向性もわからなくなってしまう…〕

・(アメリカの例)…著者がハーバード大に在学していた1980年代のアメリカは…1960年代末からベトナム反戦運動、公民権運動、ゲイライツ運動などが盛り上がったことの反動もあり、保守派が盛り返して、共和党のレーガン大統領が強固な政権基盤を築いていた。

(※この流れは、日本でも同じではないか…)

・大学界隈にはリベラルな思想信条を持つ〝進歩派〟が多かったが、彼らは「このままでは民主主義が終わる、アメリカが終わる」と言いながら、現実を直視せず、戦略も対案もなく、ただ綺麗ごとを並べてレーガン政権を批判するばかりだった。
→ そんな体たらくでは、狡猾な共和党にダメージを与えることはできず、むしろ保守派の結束を強めるばかりだった。…「この状況、どこか最近の日本とダブって見えませんか?」…

(※確かに、「狡猾な共和党」を「狡猾な自民党」に置き換えれば、そのまま日本のことになるか…)

・ただしその後、次第にアメリカのリベラルは過去の失敗に学び、ハードなディベートを日常化させていった。

(※ここが日本のリベラルにはないところ…?)

→ その結果、もともと反体制側だった人が体制の内側に入り込み、仕組みそのものを変えるような「革命」があちこちで起こる(ex.ビジネスで大成功し、ルール自体を変えてしまったアップルのスティーブ・ジョブズ)。…ただのアンチ・エスタブリッシュメントではなく、中に入り込んで対流を生み出す…それが本当のカウンターカルチャー。…アメリカ初の黒人大統領のオバマも、広い意味で言えば出発点はカウンター。

(※う~ん、この著者の言う「革命」のイメージが少しわかってきた…)

・このようなハードなディベートを成立させるためには、その参加者たちが徹底的に「世界」を知っている必要がある。…終わりの見えない中東地域での紛争。…いつ着火するかわからない爆弾を抱えつつ巨大化する中国。…行き過ぎた資本主義の被害者たちが不満を爆発させ、社会や政治を不安定化させている欧米諸国。…こうした混乱に乗じて存在感を増すロシア…。

〔※こうした知っておくべき「世界」について、今の日本では、廉価な新書版に要領よく知識・情報がパッケージされて出揃っている…という利点があるように思うが…まあ、それも読まれなければ意味がないが…今日も、酒井啓子(中東の専門家)『9・11後の現代史』講談社現代新書 を買ってしまった…〕

・こうしたあらゆる要素が複雑に絡み合う世界の現状を無視して、「日本人や日本文化は特別に素晴らしい」とか、「改憲論者は戦争を起こす気だ」などと無邪気に主張する人のなんと多いことか。→ それでは世の中は何ひとつ変わらない。それどころか、そんなもろい人々は、一歩間違えば「兵器化された情報」の餌食となり、「煽動の波」にあっという間に飲み込まれてしまうだろう。

(※右派も左派もステレオタイプ化している、ということか…。また、「兵器化された情報」の餌食…「煽動の波」に飲み込まれてしまう…という点では、日本の国民は、戦前・戦中の歴史の中で、すでに〝前科一犯〟……そして、その〝失敗〟からどこまで学んできたのか…?)

…権力者も、排外主義者も、差別された人々も、そしてテロリストも、世界のあちこちでズル賢く社会を変えたり、自分たちの利益を実現したりしているのだから。

(※う~ん、〝現実主義〟の極致か…)

・ガラパゴスな日本では、今はまだ狭くて細かい〝棲み分け〟があるが、→ 今後グローバル化が進めば、〝あらゆるものが衝突しつつ存在するカオスな社会〟になる。
…そんな未来への漠然とした不安を持つのは無理からぬことだが、だからといって若い人たちが変化を恐れ(※最近、日本の若者たちの〝内向き志向〟や〝保守化〟が指摘されている…)、小さなノイズに反応して他者を叩いたり、〝決まり〟を守らない人を糾弾したり…と潔癖症になってしまうのはもったいないし、危険なことでもある。

→ 保守的・排他的になるのではなく、数パーセントの不利益やカオスを「多様性」として受け止めて許容し、それ以上の利益を生み出す社会にしていきたい。
…本書では、そのために知っておくべき世界の事象や、そこに至る歴史の流れをできる限り
紹介していきたい。


【1章】トランプ旋風と煽動政治(ポピュリズム)


・2016年、イギリスが国民投票でEU離脱を可決、アメリカでトランプが大統領選挙に勝利。
…2017年には、フランス大統領選で、極右政党の国民戦線党首マリーヌ・ルペンが決選投票にまで進出し、ドイツ連邦議会選挙では、反イスラム政党「ドイツのための選択肢」が第3党に躍進…。→ このように欧米では昨今、「多様性の時代」に逆行するような排外主義的な右派ポピュリズムが猛威を振るっている。
…自由な言論空間が保障された民主主義国家、しかも「リベラルな社会の融和」を徐々に進めていたように見える先進諸国で、こうした現象がなぜ起きているのか?…本章ではアメリカを例にとり、その構造と歴史的背景を見ていく。
・現在の煽動政治ブームのきっかけは、2001年の「9・11アメリカ同時多発テロ」にあったのではないか。
…アメリカでは9・11の直後から、しばらく〝愛国心一色〟となった。

→ その〝社会の揺らぎ〟に、ネオコン(軍産複合体絡みのタカ派政治勢力)が便乗し…メディアでは、右派系の大手放送局「FOXニュース」がブッシュ政権のお抱えメディアとして、イラク戦争の必要性を煽っていった。

(※政権の「お抱えメディア」というのは、どこの国にもあるのか…それにしては、この著者の、読売やフジ産経に対する言及はほとんどないが…?)

・また、当時はネットユーザーが日々増えていった時代であり、保守系ニュースサイト「ドラッジ・レポート」なども、そのムーブメントを下支えして、多くのアメリカ国民を〝右旋回〟させたのだ。

(※う~ん、これらの構図は、現在の日本の姿にも重なる…?)

→ その後、イラク政府の「大量破壊兵器保有」という開戦理由がガセネタだったとの観測が広まり、リベラル勢が巻き返して、アメリカ初の黒人大統領の誕生に至ったわけだが。

(※日本での「リベラル勢の巻き返し」は、あの「民主党政権の誕生」…?)

…今にして思えば、やはり9・11という事件によって排外的な意識(特にイスラム教への嫌悪意識)に「目覚めた」人が思いのほか多かった、ということだろう。
→ そして9・11以降、ガチンコのストリートファイトのごとき〝煽ったもの勝ち〟の時代へ突入していった…。

・その一つの象徴が、既存のルール自体を真っ向から否定するような言説の広がり(ex.選挙に負けたら、それを受け入れるのではなく、「陰謀だ」「不正があったからだ」と逆ギレ…)。
→ こうした論理展開は、その後ネットで(特にソーシャルメディア上で無名の市井の人々が声を上げられるようになったことで)、一気に拡散していった。…しかも、その広がりは一国内にとどまらず、欧州など世界中へ浸透していったのだ。

・煽動とは…予期せぬことが起き、社会が不安に苛まれたとき(そしてその対処について世論が二分されるような事態のとき)、ここぞとばかりに敵方勢力を攻撃する目的で行うもの。
→ テロや天災、あるいは原発事故といった突発的な危機に対し、国民が冷静な判断力を欠い
たときこそ、「今まで皆さんは騙されてきたんです!」「目を覚ましてください!」という言葉が驚くほどよく染み渡る。…そういうスキだらけの状態に乗じて、不安心理を極限まで高め、どんどん影響力を拡大していくのだ。

 〔※う~ん、この論調では…例えば、原発事故直後、いち早く(情報源を明示し、専門家にも確認して)「メルトダウンの可能性」を発信した上杉隆なども、「煽動」になってしまうのか…?
逆に上杉隆などに言わせれば、この著者の論調の方が「安全デマ」に加担したことになるが…

…参考:『地震と原発 今からの危機』神保哲生、宮台真司ほか →「震災レポート②」…雑誌「SIGHT」Vol.48 →「震災レポート③」…『報道災害【原発編】』上杉隆、烏賀陽弘道 →「震災レポート⑤」など〕

・こうした文脈で、アメリカにおけるトランプ旋風をひも解いてみる。
…当初は泡沫候補の一人と見られた、汚い暴言を吐きまくる老人が、なぜ大統領になったのか。…一つのポイントは、トランプが多くのメディア(特にリベラル系メディア)を散々罵倒し、挑発し続けたこと。→ そして、その戦略に、ニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストといった超一流メディアがまんまと乗ってしまった。

・当初、彼らはひたすらトランプの失言を引用し、「バカ」と言わんばかりにこき下ろすだけで、言葉狩りのような低レベルな批判に終始。→ あれでは、トランプお得意の「既存メディアはバカでウソばかり」という陰謀論交じりの主張が、さらに支持されるだけ。

(※う~ん、リベラル派は、相手を見くびった揚げ足取り的な低レベルの批判だけでは、それこそ足元をすくわれる、ということか…)

・それにトランプは、ただ好き勝手に暴言を吐いているのではなく、「聴衆の本音を揺さぶる言葉」を選んだ上での〝煽り〟だった。…そして、(日本人がなかなか理解しづらいところなのだが)アメリカの庶民はスーパーリッチが大好きで、マフィア的なものへの憧れもある。
…その意味では、トランプという人物は〝ど真ん中〟なのだ。

(※確かに理解しづらい…)


 (1)トランプの「ネタ元」は誰なのか?


 〔※トランプの〝煽動スタイル〟の「ネタ元」として、何人かの人物や組織が挙げられているが…(P22~39…トランプという「モンスター・ポピュリスト」を生み出した、〝きれいごと抜き〟のアメリカ政治の実態を垣間見た思いで、大変勉強になった)…長くなりすぎるので、特に印象に残った箇所をいくつか挙げてみる。〕

①マッカーシズム(反共産主義運動)の時代から連綿と続く「白人右派」の本流…
…白人が汗を流して働いた金が、税金として吸い上げられ、怠け者の非白人にバラまかれる。…白人が長年築いてきた雇用が、アメリカの外に流れていく…。
→ このようなディストピア的な強迫観念は、トランプの演説に乗って白人有権者に広がっていった。…グローバリズムによって白人たちの〝特権〟が次々と取り上げられていく恐怖、絶望、怒り…。→トランプは、(適度な陰謀論をスパイスとしてまぶしながら)それを刺激して、キリスト教右派の人々を惹きつけた。

・トランプの演説は同じことの繰り返しで、中身もない…それはある面では事実だが、かといってそういう批判だけでは、彼の〝マジック〟の正体は見えてこない。
…深刻なのは、トランプが大統領に就任したからといって、彼を支持する人々が満足する世の中にはならない…ということ。
→ グローバリズムが止まらない以上、中産階級以下の白人層の没落も止まることはない。
…言い換えれば、またいずれ「第二、第三のトランプ」が出現する下地は引き続き残っている。
→ 白人たちに〝煽動に乗ることの快感〟を刷り込んだトランプは、アメリカ社会のパンドラの箱を開けてしまったのかもしれない。(P26~27)

②ジョージ・ウォレス(人種隔離を訴えた南部戦略の父)…1958年の南部アラバマ州知事選初出馬の際に、全米黒人地位向上協会の支持を受け、リベラルな主張で選挙を戦ったが、人種差別を是とする候補に完敗。→「南部で勝つには差別心を煽るしかない」と悟り、黒人差別派に転向し、1962年に知事に就任。→ 公民権政策に舵を切る連邦政府を強く糾弾し続け、「公民権運動と戦う勇敢な男」として全米的な人気を得た。

(※ただ勝ちゃいいのか…)

→ 2016年の大統領選挙候補争いでは、最も巧みに過激発言を操り、南部白人層を熱狂させたトランプは、まるでこのウォレスの時代にタイムスリップしたかのようだった。

 (※う~ん、アメリカ政治のディープな現実…詳細はP27~32)

③「このままでは、イスラム教が欧米のキリスト教世界を侵食する」…恐怖を煽って支持を得たい「ネオコン」…自分たちだけが正しいと思い込む「キリスト教右派」…中東利権を確保したい「石油業界」…戦争が利益に直結する「軍需産業」…それぞれの思惑が絡まり〝反イスラム〟というパラノイアな世界観は巨大化。
→ そして2001年にあの9・11が起きると、ジョージ・ブッシュ政権は…「みんなで危機をでっち上げる」という方向に舵を切り、泥沼のイラク戦争へ突入していったのだ。

 (※う~ん、トランプがこの〝二の舞〟を演じてしまう…という恐れはないのか…?)

・超大国アメリカで〝ムスリムへの憎悪〟が拡大し、軍事行動に至る。→ その反動として、〝反米テロ〟が起こり、アメリカでさらに〝ムスリムへの憎悪〟が加速する…。
…そんな最悪の連鎖の中心にいる専門家・ウォーリッド・ファレス(反イスラムのイデオローグ)が、トランプの「外交政策アドバイザー」の一人。
…そんな人物が〝ネタ元〟だったのだとすれば、トランプの反ムスリム発言があれほど過激
化したのも納得できる。(P32~34)

④ロジャー・ストーン(選挙を〝茶番化〟する男)…若い頃にウォーターゲート事件にも関わったことのあるこのストーンの特徴は、「どれだけ汚いことをしても、選挙は当選した側の勝ち」という徹底した(というより度を越した)リアリズム。
…現在の米政界ではもはや当たり前になっている、テレビCMなどで対立候補に対する(虚実ない交ぜの)ネガティブキャンペーンを展開する方法も、彼が最初に編み出した、と言われている。その意味では、ストーンは、昨今の「フェイクニュース」の生みの親とも言える。
→ このストーンも、ロシアとの関係も含めて、トランプの政治活動をバックアップしていると見られている。

 〔※う~ん、「どれだけ汚いことをしても、選挙は当選した側の勝ち」という(度を越した)リアリズムは…昨今の安倍政権をホウフツとさせる…?〕

⑤WWE(超人気プロレス団体)…トランプは過去、WWEのイベントにたびたび登場し、多くのファンを熱狂させてきた。…2013年にはその人気ぶりが評価され、WWEの殿堂入りを果たしている。
→ そして、トランプのプロレス的なパフォーマンス術は、米大統領選挙にも大いにフィードバックされた。
…トランプに言わせれば、オバマ前大統領も、メディアも、さらには共和党主流派でさえも、すべてが〝強いアメリカ〟の敵。→ 自分だけが、そんな全方位の敵と戦い続ける〝勇気あるならず者〟…。

・トランプが大統領候補として提示し続けたパラノイア的な世界観に引き込まれる支持層は…実のところ、WWEの大味かつ劇的な世界観を好む層と、かなりの部分で一致している。
…言い換えれば、トランプはこの層に訴えかけるのが実にうまいのだ。

〔※う~ん、〝実にプロレス的〟な手法で、保守層の支持を掘り起こすことに成功したトランプ…。そして、そのトランプと〝大のお友だち(というよりポチ?)〟の安倍晋三…。
→今後アメリカと、それに〝従属〟している日本とは、どこに向かって漂流していくのか…?〕

(2)現代アメリカの怒れる白人たち


○アメリカ政治はパラノイアの歴史


・アメリカ政治史には、ずっと「外敵に侵略される」というパラノイア(偏執病、妄想症)が息づいている。
…政治がまだ未熟で不安定だった建国直後のアメリカでは、そんな陰謀論めいた話(詳細はP40)が、政争の具として使われてしまったが…こうしたパラノイアは、その後も同じようなパターンで、中身の〝ネタ〟だけを変えて繰り返し流行した(ex.〝フリーメーソン〟〝ユダヤ金融資本〟など)。
→ また、パラノイアは大衆のみならずエリート層にもしばしば浸透していく(ex. 1950年代のエリート層による「赤狩り」の暴走…)。…これを逆から見れば、時の権力者や有力者たちは、国民の恐怖心、勘ぐり、憎しみを巧みに煽り、特定の投票行動を促してきた、ともいえる。

(※このことは、今の日本も他人事ではない…)

→ とりわけ共和党は、「敵か味方か」の二元論的な世界観を持つキリスト教右派、白人優位主義の極右派を取り込んでいる。
…彼らにとっては、黒人もムスリムもユダヤも(※アジア系も?)、すべてが潜在的な「外敵」であり → だから〝我々のアメリカ〟を守るために、市民の武装権=銃保有の自由、が重要なのだ。

・トランプの極端な排外的発言や差別的発言が、それなりに支持を得ていることが、アメリカ社会に今も連綿とパラノイアが巣食っていることの、何よりの証だろう。


○連邦政府を敵視する民兵


・「合衆国憲法修正第2条」…「規律ある民兵(ミリシア)は自由な国家の安全保障にとって必要であるから、国民が武器を保持する権利は侵してはならない」…この条項は、18世紀にイギリス帝国の植民地政策に反発したアメリカ国民が、武装蜂起して独立を宣言したこと…に端を発している。

・つまりアメリカでは、「圧政を敷く国家権力」に対して、国民ひとりひとりが武力を持つ権利と、民兵組織をつくる権利が、憲法ではっきりと認められているのだ。→ どんな凄惨な銃乱射事件が起きようとも、全米ライフル協会(NRA)などが強気の主張を崩さず、銃規制が実現しないことの背景には、この「修正第2条」の存在がある。

・2016年1月にオバマ大統領が、大統領令による銃購入の規制強化を発表したが → これに対して銃規制反対派は、「黒人大統領が、この国をつくった白人のかけがえのない権利を剥奪しようとしている。これは非白人による〝乗っ取り〟だ」…と、お決まりのパラノイアが肥大化し、反政府派ミリシア(民兵集団)の活動が活発化していったのだ。


○第二の独立戦争に備える米軍兵


・「国民が銃を持って自分たちのために戦うことは、建国以来の伝統だ。本当のアメリカを取り戻さなければならない」…こういった思想は長年にわたり、白人至上主義を標榜する極右派や、様々な陰謀論を信じる人々の間で伝承されてきた。

(※中にはオウム真理教のような新興宗教団体による立てこもり事件もあったよう…具体例P45~47)

・近年、アメリカではミリシアがますます存在感を増している。…その背景にあるのは、白人の人口比率の低下や、グローバリズムによる格差拡大といった〝白人の受難〟。
…しかも、そんなときに史上初の〝黒い肌の大統領〟が誕生し、銃規制を進めようとした…。
→ 彼らの結束力は高まる一方で、退役軍人やイラク、アフガニスタンからの帰還兵たちがミリシアに参加するケースも増えている、と言われている。

・ベトナム戦争以来、軍人には〝汚れ仕事〟という認識も強くなっており、軍人になるのは貧しい白人か(※経済的徴兵制)、永住権の欲しい有色人種の移民。…しかも、退役後はなかなかまともな仕事にありつくこともできない…。
→ そんな中、何かに目覚めたかのように突然〝歪んだ正義〟を語り出すようになる軍人・元軍人が増えているよう…。

・陰謀論を煽りまくる極右メディアがいて、それを信じる、あるいは信じたい人がいる。
…まさに“I WANT TO BELIEVE”の世界。→ アメリカの最大の敵は、イスラムでも移民でもなく、〝内に潜んだ建国以来の狂気〟…なのかもしれない。


○ポリティカル・コレクトネスの暴走


・ミリシアのような過激さはなくとも、最近はアメリカ社会におけるある種の〝息苦しさ〟にうんざりしている人(特に白人)が少なくない。…その原因は、ポリティカル・コレクトネス(PC)のあまりに〝過剰な推進〟という社会的圧力。

・PCはもともと1980年代に始まった、「差別・偏見を取り除くために〝政治的に正しい用語〟を使おう」というムーブメント。
…性別、人種、民族、宗教、職業…といった分野において、〝明らかな悪意のある言葉や表現〟を是正する必要性については、多くの人が賛同するだろう。
→ しかし、最近では社会の現実を無視し、原理原則だけでPCを過剰に推し進めた結果、かえって世の中が混乱してしまっているケースが多々見られる(特にアメリカの大学のキャンパスは、今や〝ウルトラPC状態〟)。

・アメリカでは昨今、公の場で「言ってはいけないこと」や「反論してはいけないこと」が多くなりすぎた。→ 悪意の感じられないものまで一緒くたに〝言葉狩り〟されている…という印象。

(※う~ん、この問題は、アメリカほど進んだ形ではないかもしれないが、日本でも表面化しつつある課題か…。ただ、逆ブレが過ぎると、また〝反動〟に陥る恐れも…)

・〝政治的な正しさ〟を、誰が判断し、どこに線を引くのか…これは非常に難しい問題。
→(アパルトヘイトを終わらせたネルソン・マンデラ元南アフリカ大統領の言葉を借りれば)…重要なことは「いかにして真実と和解するか」…歴史的事実を咀嚼しつつ、今の時代に合った現実的な落としどころを見つけるしかない。

 (※これは「慰安婦問題」などにも言えることか…)

・大統領選挙におけるトランプ旋風も、こうした〝PCの暴走〟に対する〝白人層の反発〟が、一つの原動力になっていたように思う。
→ 多様化が進んだ近年のアメリカでは、人種差別的な言動は明らかに「PC的にアウト」。
…しかし、それでも黒人やほかの有色人種に対して〝ある種の優越感〟を内心抱いている白人は決して少なくない。

(※このことは、ヨーロッパでも同様か…?)

→ グローバリズムの影響で、豊かさから見放された一部の白人層が、その〝根拠のないプライド〟の行き場として、トランプを支持した…という構図。
…PCが広まれば広まるほど、逆説的にトランプの差別的発言は、「本当のことを言ってくれるのは彼だけだ」と、一部の(しかし決して少なくない)人々に支持され、際立っていったのだ。

(※これは、〝日米ハーフ〟の著者自身も、アメリカなどで体験してきた差別の〝リアルな現実〟に裏打ちされた認識か…)


○白人至上主義の「入信者」と「脱会者」


・元KKKの両親を持つ青年(デレク・ブラック)は、周囲から徹底的に〝思想教育〟を施されて育ったが…リベラル系の大学で学んだことをきっかけに、白人至上主義の〝欺瞞〟に気づき始める。
→〝白人の優位〟を証明する事実などどこにもないどころか、歴史上、白人たちは宗教に縛られて殺し合うばかりで(中世欧州の歴史など)、数学や天文学などもアラブ世界で発明された学問の〝借り物〟にすぎない…。
→ ずっと信じてきたものが、粉々に崩れていくことを感じたデレクは、トランプ旋風真っ只中の2016年9月、白人至上主義からの離脱を正式に表明したのだ。

 (※これは希望の持てるエピソードか…)

・そして、デレクがかつて携わっていた白人至上主義系掲示板サイトのメンバー条件…「100%欧州系の白人(ユダヤ人を除く)」…に関して、遺伝子検査の結果、本当に(彼らのいう)「純粋白人」だったユーザーは、わずか3割程度にすぎなかった…。

・考えてみれば当然のことだが、遺伝子検査レベルで「人種が混ざっていない人」など、多民族国家アメリカでは、もはや少数派。…現代ではそもそも「純血」なるものに根差した議論自体が、厳密に調べれば破綻してしまう性質のもの。
→ それでも彼らが〝白人優位の人種序列〟という〝物語〟にしがみつくのは、それによって〝自尊心〟が満たされるから、にほかならない。

・こうした差別的かつ非科学的な詭弁を、アメリカ社会は長年かけて駆逐してきたのだが…
そこにトランプという大統領が自らお墨付きを与えたおかげで、再びパンドラの箱が開いてしまったのだろう。ただ、こうして外から冷静に見れば、白人至上主義の〝イタさ〟は明白だが…これが国内問題になったらどうだろうか。
→ 日本でも、すでに経済的・社会的な拠り所を失いつつある人々が、〝根拠なき日本礼賛物語〟や〝日本人優位論〟にしがみつく傾向が見える(昨今の中国や朝鮮半島に関するニュースへの反応など)。

・崩壊寸前で踏みとどまろうとする自尊心の…裏にある「差別の萌芽」。→ それが何かの拍子に拡大したとき、人間社会はそう簡単に止める術を持たない。…「転げ落ちるアメリカを見ると、日本のそんな未来を想像せずにいられないのです」。

 (※う~ん、〝日米ハーフ〟の面目躍如! といったところか…)


(3)Alt-Right とフェイクニュース


○スティーブ・バノン――ホワイトハウスに入り込んだ〝鬼の子〟


・Alt-Right(オルトライト)は、インターネットを主戦場とするアメリカの極右政治ムーブメント。…白人至上主義の色が濃く、〝多様性への嫌悪感〟を隠そうともしない攻撃性がその特徴。

・従来の保守(共和党主流派)に取って代わり、「強いアメリカ」を復活させる。

(※「日本会議」に似てる…?)

→ そんな大義名分を掲げるこのムーブメントのコアにいるのは、公務員や有名企業勤務を含む30代から40代の高学歴白人男性と言われている。…彼らは、現在のアメリカが「多様性を重んじるあまり弱体化した」と主張し…人種差別、反フェミニズム、反PC…などの過激な言説を匿名でネットにバラまき、人々を煽動している。
→ さらに、その下には10代、20代の白人大学生の〝突撃部隊〟がいて…ネット掲示板を中心に、ヘイトや陰謀論を日々拡散。→ ひとたび攻撃対象を見つければ、SNSなどで集中砲火を浴びせる。

(※日本も似たような状況…?)

・こう聞くと、まるで日本のネトウヨ(ネット右翼)のようだ、と思う人もいるかもしれないが、Alt-Rightの影響力はそんなレベルではない。→ ジャーナリズム的な手法とミームなどのビジュアルを併用して、多くの若者を取り込むなど、相当に組織的かつ戦略的に動いている。

・そのプラットフォーム(意見表明の場)になっているのが、攻撃的な極右ウェブメディア「ブライトバート・ニュース」。…FOXニュースなどの保守系メディアよりもはるかに過激で、虚実ない交ぜの飛ばし記事や極端に偏った主張のコラムも多いのだが、それでいてかなりの集客力があり(※う~ん、アメリカは大丈夫なのか…?)、大統領選挙当初からずっとトランプを支持してきた。
→ そのかいあって、スティーブ・バノン会長(当時)は、その後ホワイトハウスの中枢まで上り詰めた。
…デマをもいとわぬ極右ニュースサイトが、大統領選挙勝利の原動力となり、かつその元代表者がアメリカ政治の中心に座る…。ひと昔どころか、2,3年前でもとうてい考えられなかったような話が現実となったのだ。

(※さすがにその後、解任されてしまったが…)

・Alt-Rightの過激思想は、KKKなどの〝ガチ差別団体〟にも支持されており、リベラル系メディアもその点を批判している。→ しかし、Alt-Rightの主力層は、逆にそれを「過剰反応するバカ」とネタにして冷笑…。

・この非常に狡猾な二重構造……陰謀論やガセ交じりの記事を真っ正面から信じる〝情弱〟を釣り上げつつ、もう少し知的な人々も同時に満足させる…という構造も、Alt-Rightの大きな特徴として知っておく必要がある。…彼らは、単なる極右軍団ではなく…アメリカ社会のリベラル化、多様化、そして急速に進むグローバル化…に対する反動から生まれた〝鬼の子〟…といっていいだろう。

(※う~ん、「日本会議」にも通底する…?)


○マイロ・ヤノプルス――アイドルは〝オカマ野郎


・マイロ・ヤノプルス(「ブライトバート・ニュース」の編集者兼コラムニスト)は、Alt-Rightを支持する若者たちのアイドル的存在だが、彼の名が知られ始めたのは、「ゲーマーゲート事件」。
…ゲーム内における女性差別の風潮を批判した女性ゲーム開発者や女性批評家が、ネットに巣食う多くの男性ゲーマーから徹底的に糾弾され、個人情報をさらされる事態となった騒動。
→ このとき、多くのネットユーザーを煽り立て、炎上劇を拡大させたのがマイロだった。

・このように、マイロは集団行動に快楽原則を与え、炎上案件に油を注ぐことで知名度を上げていった。→ ゲイ、ユダヤ系という自らの〝被差別属性〟をチラつかせ、弱みをさらけ出しながら(※これがミソか?)、別の差別を焚きつけるマイロは、言うなればマジョリティの〝表では言えない本音〟を代弁する〝模範的マイノリティ〟として、人々の差別意識にある種の正当性を与えたのだ。

(※う~ん、末期的なメンドクサイ世の中になってきた…という印象だが、だからこそ、こうした現象をきちんと分析・検証していく必要があるのだろう。)

・マイロを熱狂的に支持する層は、白人の大学生だと言われている。
→(マイロの言い分)…「私は憲法で認められている表現の自由を守っているだけだ。なぜ、フェミニズムや有色人種というテーマに関してだけ、憲法の適用範囲が違うのか?」
…詭弁とはいえ、その言葉には一定の真理も含まれている。→ 行き過ぎたPC(ポリティカル・コレクトネス)にうんざりする多感な若者たちは、そこに揺さぶられるのだろう。
…地頭はいいけれども、社会経験の少ない若者が、コロッとカルトに入信してしまうようなものだ。

・公民権運動やフェミニズム運動などを通じ、苦しみながらも多様な社会を実現してきたアメリカで、反動的に生まれた稀代の〝煽り屋〟マイロ。
→「ありのままで」ヘイトを口にするマイロの開放感に熱狂した若者たちは…その先には〝多様性の否定〟という「民主主義の終わり」しかない…ということをいつか理解するのだろうか。


○フェイクニュースはフェイスブックで広がった


 ・ひと昔前の時代は、良くも悪くもマスメディアが言論を支配していた。…過激で偏った言説は、大新聞のデスクやテレビ局のディレクターの倫理感やバランス感覚によって検閲されていた。

・ところが、インターネットが普及し、有象無象のネットメディアやSNS上の「ネット世論」が力を持つにつれ、状況は一変…。
→ 相対的に力の落ちたマスメディアは、本来の責任を放棄し、ネット世論に引きずられるように「客が喜ぶ派手なネタ」をなりふり構わず提供するようになった。
→ その結果、2016年の米大統領選挙では、あらゆるプレイヤーが〝情報戦〟に参加。…果ては、まったく関係のない欧州の小国マケドニアに住む青年たちまでが、小遣い稼ぎのためにネットユーザーにウケそうなデマニュースをせっせと作成し、配信していたのだ。
→ こうして「兵器化」されたニセ情報=フェイクニュースは、アメリカをあっという間に飲み込んでいった。

・その主な拡散ツールとなったのは、フェイスブック。
…最近では、相当数のアメリカ人が(紙の新聞や特定のニュースサイトではなく)、フェイスブックの「トレンディング」(話題になっているニュースのリスト)からニュースを読む生活習慣へとシフトしている。

→ それに従って、フェイスブック内でのアクセス数拡大を意識したページづくりをするニュースメディアも増え、センセーショナルな見出しの記事が量産される傾向にある。
…大統領選挙で言えば、(中道のヒラリーを冷静に評価する記事は盛り上がらず)、広く拡散されるのは急進的左派のバーニー・サンダースを支持する記事、そしてトランプを支持する記事がほとんど。…もちろん、その中にはAlt-Rightが関与したものも少なからずあったはず。

・こうした極端な記事を好む人々の中に、情報の真偽や一次ソースを自ら確かめようとする〝検証型読者〟は、ほとんどいない。→ 自分の価値観を補完してくれる気持ちのいい記事やミームを見つけると、ひたすら拡散する。→ それがさらにシェアされ、フェイクニュースが際限なく広がっていく…。

・こうした行動パターンを持つフェイスブックユーザーが億単位にまで膨れ上がると、そこにいくつかの「世論」が生まれる。…Alt-Rightにしても、そういう状況下で右寄りの思想を持つ人々が、雪崩を打って現実の世論に影響を及ぼすほど肥大化したのではないか…。

・ちなみに、フェイスブックのトレンディングで取り上げられるトピックスのラインアップは、かつては外注のキュレーターチームが調節していたが…2016年5月、匿名の内部告発によって、「左派寄りの記事を意図的に取り上げている」との疑惑が浮上すると…フェイスブック側は火消しのため、人間のキュレーター(情報管理者)を排除。→ 無人のアルゴリズム(コンピュータの問題解法手順)方式へ移行した、という経緯がある。
…ただ、このアルゴリズムは、導入直後にいきなり〝ガセ記事〟を拾ってトレンディングに表示してしまう事件を起こすなど、その精度には大いに疑問が残る(改善は図られているだろうが)。

・いずれにしても、「ユーザーを左右両極に振り分ける」という、フェイスブックをはじめとするソーシャルメディアの基本設計が変わらない以上、極端な主張をする勢力は、それを最大限に利用して支持拡大を図る。
…その象徴ともいえるのがAlt-Rightであり、彼らの後押しによってトランプ政権入りを果たしたバノンなのだ。

→ ひと昔前ならマスメディアに黙殺されていたような人間が、ホワイトハウスの住人になる…
…そんなアメリカでは今後、ネオナチまがいの言説がノーマライズ(常態化)され、従来は極右と呼ばれていたような言説も、「普通の右派」くらいの位置づけになっていくのかもしれない。

・残念ながら同じことは近い将来、日本でも十分に起こり得る。→ なぜなら、日本社会のベースには、一歩間違えれば排外主義の種になりかねない「潔癖」という体質が潜んでいるから…。

 〔※ここで、その「潔癖」という体質の具体例として…「放射能、TPP、子宮頸がんワクチン、大麻など」に対する〝過剰反応〟(恐怖、穢れの意識)が挙げられているのだが…いきなり相互に全く関係のない事柄を十把一絡げにして論じているが、当然のことながら説得力はあまりなし。…思うにこの著者には、たまにこうした雑で荒っぽい論調が見られるのだが(特にリベラル批判のとき?)…「自叙伝」から推察すると、ちょっとヤンチャな生来の性格からくるのかもしれない…詳細はP64~65〕

・日本では、多くの人々が目の前にある重い課題をゼロベースで考え抜くことを放棄し、「信じたいことを信じる」傾向が強くなる。…大きな同調圧力も生まれる。

→ この〝脆弱な言論空間〟に、スマートな情報操作を行う集団が現れたらどうなるか?…たとえ「極右政権誕生」という形をとらなくとも、様々な形で排外的な空気が社会全体に染み渡っていく可能性は極めて高いだろう。

(※すでにそうなりつつある…?)

・マスメディアが没落して、あらゆる情報が水平化した現代社会では、情報の信頼性や真贋、そして〝奥行き〟を、受け手側が判断しなければいけなくなったのだ。

 〔※この著者にも、先ほどの唐突に例示された事柄に関して、〝奥行き〟のある分析・検証
をお願いしておきたい…〕


○欧米を覆うアンチ・エスタブリッシュメント


 ・政治家としての経験も実力も、トランプとは比べ物にならないヒラリーが、まさかの敗戦を喫するに至った理由……その最も大きかったもの(そして、日本をベースに生活している著者が感じることのできなかったもの)は、おそらく「アンチ・エスタブリッシュメント」なのだと思う。

・(1970年代前後に全米を席巻したベトナム反戦運動のような先進的な〝反体制〟ではなく)…とにかく〝既存の秩序の側にいる人間や組織〟を敵対視する…というのが、現代におけるアンチ・エスタブリッシュメント。

(※論理的というより、極めて〝情動的〟ということか…?)

→ 政治のプロであればあるほど、何を言っても忌み嫌われてしまう。…ヒラリーは、初の女性大統領候補であっても、「エスタブリッシュメントのど真ん中」…と見られてしまったのだ。

・(日本にいるとあまり実感できないが)アメリカ社会の〝格差問題〟は深刻だ。→ 多くの人が未来への希望を持てずに取り残され…(「もう少し再配分をきちんとしてくれ」という建設的な議論を飛び越えて)…「自分は今の社会構造から排除されていて、その分を一部の人間(=エスタブリッシュメント)が不当に横取りしている」というような〝強烈な被害者意識〟を持っている。
→ もはや失うものがない(と感じている)人々が、〝破壊的な変化〟を求めて、アンチ・エスタブリッシュメント化している…という構図。

〔※う~ん、この構図は、近未来(早ければ東京五輪後?)の日本の姿…? それとも、それはすでに密かに始まっている…?〕

・ドラスティックな変化を求める人たちは、右側でトランプを、左側ではサンダースを強く支持した。…トランプは、とにかく既存の秩序を壊すことを約束し続けた。
…サンダースも、敗色濃厚になった予備選の後半、「国際金融」や「ウォールストリート」を批判するあまり、陰謀論めいた主張をブチかました。→ たとえ確たる事実に基づかない話であっても、多くの人々はそこに望みを託したのだ。

・こうしたムーブメントがここまで拡大したのも、一般市民がソーシャルメディアというツールを得て、デマや偏りすぎた主張を検証もなしに拡散できるようになったからだろう。
…キャッチコピーや見出しの強烈さとは裏腹に、その多くはよく読めば論理破綻しているのだが、個人個人の中で事実よりも「気持ちよさ」が勝ってしまうと、その「事実ではないもの」がいつの間にか既成事実化していく。

・こうした潮流は〝ポスト・トゥルースの時代〟といわれ、アメリカのみならず欧州各国でも極右政党が躍進するためのエンジンとなっている。 (※そして日本でも…?)
→ ただし、こうした人々の怒りを利用する政治家は、大きなリスクを背負っている。それは、いつその怒りが自分に向かってくるかわからない、ということ。…トランプの政権運営は、自らに一票を投じた人々による有形無形のプレッシャーと隣り合わせなのだ。


○リベラル・フェイクニュース


 ・米大統領選挙では主に右寄りのフェイクニュースが問題視されたが…トランプ大統領の就任後は、それと逆の「リベラル・フェイクニュース」も目立ってきている(P68~69に具体例)。
→ 大統領選挙では右派系フェイクニュースを厳しく批判したリベラル陣営の人々が、なぜこんなデマに騙されてしまうのか。…彼らは常に、自分が正しい側にいると信じている。それゆえに「思ったとおりのニュース」を目にしたとき、とりわけそれが信頼する知人や言論人がシェアしたものなら、その真偽を確かめないで拡散に参加してしまう。

→ ところが、フェイクニュースの発信元のほとんどは、報道機関と呼べるようなものではなく、単純な利益目的の業者。…政治的な信念など持たず、〝右仕様〟と〝左仕様〟のフェイクニュースを次々と粗製乱造し、両陣営の客からページビューを稼ぐ…実においしいビジネス。

・ちなみに、ある調査によれば、右にしろ左にしろ、フェイクニュースを信じやすい人ほど選挙での投票率が高い、とのこと。→ つまり、業者が金儲けのために流したウソが、やはり選挙結果に直結している、ということ。
…フェイクニュースを信じる人を嘲笑するのは簡単だが、→ そのツケは結局、騙された人もそうでない人も、選挙結果という形で平等に支払うことになる。

 〔注記……日米の高校・物理の教科書比較…日本の教科書(授業も)は、薄っぺらで暗記・詰め込み式で、つまらなくてやる気を失ったが…(後で知った)アメリカの高校の物理教科書は、百科辞典みたいに厚くて(ハーバード大学の学者たち百人余が四年がかりで作り上げた)、生徒の知的好奇心を喚起するために、様々な工夫を凝らしたものだった。
…(後年、日本びいきの著者の両親でさえ、「二つの教科書の違いを、あのとき知っていたら、日本留学を考え直していたかもしれない」と言っていたそう…)また、高校のカリキュラムも…日本(広島の私立高校と富山県の県立高校を体験)は、受験用の暗記・詰め込み式で、無意味で息苦しく…アメリカのように大学との連携も考慮された合理的なものではなかった、とのこと…
…一事が万事で、学問におけるアメリカの底力か。→著者が、違和感を感じて東大をすぐ辞めてハーバード大へ行ったのは正解だった、ということか…『よくひとりぼっちだった』P184~196より〕


(4)ポピュリスト大統領の今後


○危険すぎる反ユダヤ主義勢力


・2017年の国際ホロコースト記念日…
…就任したばかりのトランプ大統領の、その記念日に際しての声明に、「ユダヤ人」あるいは「反ユダヤ主義」という言葉が一つも見当たらなかった。…これは、「事件」と言ってもいい極めて異例のこと。

・これに対して…トランプ政権はホロコースト(ナチスによるユダヤ人の大量虐殺)という歴史的事実に、〝歴史修正〟を試みているのではないか…という疑念が囁かれた。

・では、この声明の裏に潜む〝黒幕〟は誰だったのか。→ おそらく、あのバノン主席戦略官(当時)だろう。
…過去の言動を見ても、白人至上主義、反ユダヤ主義、反LGBT…あらゆる差別のオンパレード。
→ ホワイトハウスの中枢にまで入り込んだ彼は、その極右思想を政策の端々に紛れ込ませ、徐々にノーマライズ(常態化)させていこうとした。

・トランプを支持したアメリカの〝不寛容な白人層〟に、反ユダヤ主義的な思想が浸透しており…そこに訴えかけるポピュリズムの道具として、バノンが選挙期間中からこうした〝スパイス〟を随所に加えてきたことが、極めて危険なのだ。

(※でも最近は、トランプはイスラエルの方に肩入れしているようだが…? 「ユダヤ人問題」は難しい…)

・「ユダヤ人だけが特別視されるのはおかしい」(反ユダヤ主義者の常套句)
…この「ユダヤ人」を、例えば「黒人」や「女性」や「LGBT」といった言葉に置き換えてみれば、その危険さがわかるだろう。

(※「反ユダヤ」をきっかけに、さらに差別が広がる、ということか…)


○周辺にちらついたロシアの影


・「アメリカは白人のものだ!」「ヘイル・トランプ(トランプ万歳)!!」…トランプの勝利を祝う会合で、こんな演説をした人物=リチャード・スペンサー…Alt-Rightムーブメントの中心人物の一人で、白人優位主義や反ユダヤ主義を標榜する「国家政策研究所」代表。
→ 大統領選挙では、彼の言動が若い白人たちの投票行動に相当な影響を与えた、とみられている。

・トランプが覚醒させつつある21世紀の「アメリカン・ファシズム」
……実はそこには、かつてアメリカと激しく対立していたロシアの思想的影響が、色濃く表れている。
→ そのカギを握るのが、アレクサンドル・ドゥーギンというロシア人。…モスクワ大学教授で、ロシアがユーラシア大陸に君臨するという「ネオ・ユーラシア主義」を提唱。→ プーチン大統領の最側近と言われている。

・このドゥーギンは、その白人優位主義的主張を拡大すべく、世界各地の排外主義者たちを啓発する、ロシア的思想の拡散役でもある(※詳細はP75~77)。

→ 実は前述のスペンサーも、以前からプーチン大統領を称賛するなど〝親露派〟の姿勢が目立っていたが…このドゥーギンとも接触があった(P76)。

・英独立党、フランス国民戦線、オランダ自由党など…欧州で猛威を振るう極右政党は、ほぼ一様に親露派。→ それも単純に思想的な理由だけでなく、どうもロシアから資金提供を受けて活動しているよう。

 〔※日本でも1955年に、日本民主党と自由党が保守合同するとき、アメリカのCIAから資金提供(反共工作)を受けていたらしい…これが世界のリアル・ポリティクス?〕

・そしてアメリカのトランプも、どうやらロシアから様々な形で「選挙協力」を得ていた、という説が濃厚。

(※今、いよいよそれらが明るみに出されつつある? → そして、これがアメリカ政治の混乱・弱体化を狙ったものだとしたら、まんまと成功している?…詳細はP77)

・ロシアにしてみれば、排外的な思想と潤沢な工作資金を戦略的にエクスポート(輸出)し、欧米にまたがる〝枢軸〟をつくることで、自らの権益圏・影響圏を広げられる。

→ 各国にくすぶる〝白人の不満〟にレバレッジ(テコの原理)を利かせることで、かつてソ連を封じ込めた西側の先進国を乗っ取ろうとしている…。しかも、言論や選挙活動によって人々のマインドをハッキングするという「民主的な方法」で…。

 (※まさに〝情報の武器化〟…)

→ リベラルで多様な社会を目指した西側先進国の危機に乗じ、ロシアがかなり強気になっているのは間違いない(P78)。

(※日本に対しても同様か…プーチンにかかったら、安倍晋三なぞチョロいものか…?)


○フリンの辞任劇は「クレムリン・ゲート」?


・政権発足から1ヶ月も経たないうちに、トランプの〝側近中の側近〟の一人、マイケル・フリン大統領補佐官が辞任した。
…2016年12月末、ロシア政府が米大統領選挙にサイバー攻撃で介入していたとして、当時のオバマ政権が報復制裁措置を発動したのだが…なんとその同じ日に、フリンは駐米ロシア大使と接触し、「トランプ政権発足後の制裁解除」に関する交渉をしていた。…これは明らかに連邦法違反(P79)。

・そもそもフリンは、(ロシア政府に接近もしていた)いわくつきの人物(P79)。
→ そんな人物が、どういうわけか大統領選挙でトランプ陣営に潜り込み、同陣営の対ロシア政策に影響力を及ぼしていた。…つまり、彼の背後にはずっとクレムリンの影がちらついているのだ。

 (※う~ん、トランプの周囲にいるのは、〝いわくつきの人物〟ばかり?…詳細はP79)

・イラン・コントラ事件(P80)と「クレムリン・ゲート」とも揶揄されるフリンの辞任劇に共通するのは…汚れ仕事を実行する人間と大統領の間に〝バッファ(緩衝地帯)〟があること。…つまり、後になって事件が発覚しても、大統領本人は「知らぬ存ぜぬ」を貫き通せるだけの絶妙な距離があるのだ。
→ このままフリンがフォール・ガイ(生け贄)となって終わるのか、それともいつか本丸まで追及が及ぶのか…真相は永遠に闇の中、かもしれない。

 〔※う~ん、昨今の安倍政権と(スケールは小さいが)酷似した構造…? →〝お友だち〟にな
るわけか…〕


○カオスが支配する「トランプ後の世界」


・アメリカが、東西冷戦時代から長年かけてつくり上げてきた、自国を軸とするデリケートな世界秩序を…突然放り投げ、一斉に手を引いてしまったらどうなるのか…。
…就任以来、トランプ大統領は、そんな危ない〝実験〟を続けているが、どうやらその結論は…「一度壊れた世界は、もう元には戻らない」…ということになりそう…。
 (ex. 国際的な地球温暖化対策の枠組みである「パリ協定」からの離脱や…微妙な中東情勢に対する、アメリカ政府内での不一致・混乱など…詳細はP81~82。)
→ つまり、ひとりの大統領によって、アメリカの外交が〝シロウト化〟してしまったのだ。

・アメリカという国が、世界各地で莫大な政治的・経済的・人的投資を行い、時に汚い工作(※日本でもあったよう)や残虐行為に手を染めつつも、ある種の安定に寄与してきたのは紛れもない事実だ(※リアル・ポリティクスか…)。
…その歴史的経緯を踏まえると、トランプのあまりに粗暴なやり方は…世界各国のアメリカに対する信頼を、間違いなく破壊していく。

→ 今後アメリカは、「世界の基軸」「世界の警察」の地位からは滑り落ち、その権益や影響力は極めて限定的になっていくだろう。
→ そして中東地域などでは、ロシアや中国が入り込んでくるはず(※もう始まっている?)。
…カタール問題(P81~82)は、〝トランプ後の世界〟のカオスぶりを示唆しているよう…。

・こうした傾向は、北朝鮮問題でも同様…
…トランプ政権は当初、(核ミサイル開発を進める)北朝鮮に相当な迫力で脅しをかけたものの、その先の具体的なプランはなく、結局は何もできず…その後、中国になんとか責任をなすりつけようとしているが、一向に効果を上げる気配はない。

(※平昌五輪を機に、急転直下で米朝トップ会談が実現しそうな雲行きだが、〝具体的なプランがない〟なら、どうなることやら…)

・この問題を少し視点を変えて見ると、平和主義の日本人には信じたくない現実が明らかになってくる。
…それは、ロシアや中国はある意味で…「北朝鮮が核保有してもかまわない」…と考えていること。

→ むしろ北朝鮮問題は…「アメリカの影響力減退=世界の多極化」…を望むロシアや中国の戦略のために利用されている、と言ってもいい…。なぜなら、北朝鮮の核保有が現実となれば、もうアメリカはおいそれと東アジアの問題に手出しできなくなるから。

…中国は、常にのらりくらりと対北朝鮮制裁を骨抜きにし…ロシアも、貿易や軍事技術の供与を通じて、北朝鮮を裏側から〝下支え〟してきたが……その背景には、「アメリカ排除」という共通の利害があるわけ。

・こうしていずれアジアを捨て、自国の殻に閉じこもり始めたアメリカは…大西洋側だけを向いてイギリスとの同盟をとにかく堅持する一方…フランスやドイツとは一定の距離を保ち…NATO(北大西洋条約機構)はますます弱体化する。

→ そして気づいた頃には…ヨーロッパにロシアの軍事力が迫り…アジアからアフリカには「一帯一路」を掲げる中国マネーの権益が延びている――。
…このあたりが、ロシアや中国の描く〝理想のユーラシア大陸〟のエンドゲーム(着地点)だろう。

・こうなると、世界のモラルも大きく変わる。…〝中華帝国圏〟では、中国共産党の意向が規範となり…〝ロシア圏〟では、多様性を許さない反リベラリズムが規範となる。
→ 世界の各地域を「大きなローカルルール」が支配し…アメリカが第二次大戦後に啓蒙してきた自由や平等の精神は、隅に追いやられてしまうことになる。

・そんな状況下でも、なぜか日本の左派層は(※どの〝左派層〟?)いまだにアメリカの力を信じているよう。
→ しかし、「憲法9条を守れ」という平和主義は…アメリカの核戦力を含む圧倒的な軍事力を背景にした〝旧世界秩序〟の中でしか成立しない、サブカルだ(※今や実効性のない空疎な少数派…ということ?)。
→ 中国が日本の改憲を警戒するのは、(「平和のため」ではなく)そのままでいてくれたほうが都合がいいから…。

・ただし、〝ゲームのルールが変わりつつあること〟を理解できていないのは、多くの右派層も同じだ。→ 改憲に関する議論は、(「日本の誇り」や「尊厳」を取り戻すためではなく)あくまでもこうした現状に対応するためにやるべきかどうか…という点が本筋のはず。

 (※う~ん、〝リアル・ポリティクス〟の観点からの改憲論か…)

・〝アメリカの弱体化〟に備えて、自ら最終防衛線を引くために改憲するのが本当にベターかどうか――そういう軸となる議論が、日本にはまったくない。
→ 本来であれば、北朝鮮の核開発が表面化した1990年代に、憲法改正や日本の核保有(アメリカとの共同保有を含む)をタブーなしに議論すべきだったのだが…。

 〔※う~ん、これらの論は、(体調不良で中断してしまった)「震災レポート34」の中野剛志の論…(『世界を戦争に導くグローバリズム』集英社新書2014年)…に近い感じがするが…。
→ 今回「レポート34」を読み返してみたが、改めて参考になることが多かった。…特に「追記」で取り上げた、〝リベラル保守〟の中島岳志(著書に『「リベラル保守」宣言』新潮文庫、『親鸞と日本主義』新潮選書など)の可能性についても、翼を広げて注視していきたい…(「リベラル保守」…〝成熟社会〟と〝ソフト・ランディング〟がキーワードか)…〕

・いったんアメリカの退潮が始まってしまえば、トランプの次の大統領がどんなにまともであろうと、その流れを止めることはできない。
→ そしてアメリカが退いたアジアには、巨大な中国とならず者の核保有国家・北朝鮮が残る。

……政治も大手メディアも核心を突いた議論を避け続ける日本に(※国会や地方議会、そして大手マスコミの惨状…)、その現実を受け入れる準備はあるのだろうか…?

 〔※こうした〝リアル・ポリティクス〟に対して、「未来についての、広々とした、向日的
なヴィジョン」(内田樹)を対置・提示していくこと……それを当面目指していきたいのだ
が、難しく厳しい道のりになるだろう…〕

(1章…了 → 次章は「欧州とテロリズム」です…)         (2018.3.11)




2018年3月22日木曜日

震災レポート・戦後日本編(番外編 ②)―[憂国論 ②]


『憂国論』―戦後日本の欺瞞を撃つ― 鈴木邦男×白井聡〔対談集〕――(2)
                                                     
                                                                (祥伝社新書)2017.7.10





(3章)天皇の生前退位と憲法改正(続き)


○天皇の抱く危機感とは何か


(白井)…退位の決断に至った「天皇の抱く危機感」とは、おそらく「国民の統合が深刻な危機に陥っている」…という認識だろう。

→ 一つは「沖縄の問題」であり、もう一つはそれと大いに関係する「対米従属の問題」。

…今の権力層は、「どうやって対米従属を続けるか」に躍起になっている。
…要は、「貢ぎ物を献上し続けることによって、権力を維持しようとしている」わけだが…国民の利害が眼中にないわけだから、当然ながら「国民の統合」も風前の灯となっている。

→ そして、「国民の統合の危機が最も鮮明に現れている沖縄の問題」が、天皇の念頭にあるのだろうと思う。
(ある人から内緒で聞いた話だが)…天皇陛下が毎朝、最初に読む新聞は、琉球新報だという。

(鈴木)…そうなの。ウワ~、すごいよ、それ。

(白井)…この一事だけでも、天皇御夫妻と現政権の対立が相当、深刻であることの一つの証拠になると思います。

(鈴木)…保守派の論客たちの主張でおかしいと思うのは、生前退位を認めたら、いつでも勝手に辞めることになる、と言っていること。…そんなことはないでしょう。

…それから、政治批判はダメだと言うけれども、批判されるような政治をしているわけだから、それも仕方がないことですよ。

…保守派の論客たちには、自分たちが監視しなかったらイギリス王室のようになりかねない、という傲慢な考えを持っている輩がいる。

(白井)…日本会議系というか、自称保守派の人たちの言説を聞いていると、彼らの天皇観ってどうなっているのだろう、と思うことがある。

…安倍さんに限って言えば、「ああ、この人は長州の人だな」という感じがする。

→ 明治維新で長州の人たちがやったことは、まさに「天皇の政治利用」の最たるもの。…早い話が、彼らがなぜ近代天皇制を立ち上げる必要があったかというと、それは「田舎侍が権威を獲得する、箔を付けるために宮廷を利用した」…という以外の何物でもない。
(孝明天皇が殺害されたのではないかという疑惑も含めて)それは、彼らが幕末にどんな発言をしていたかを見れば分かる。はっきり証拠として残っている話ですよ。

→ 明治になってから…自分たちこそ率先して天皇や皇室を敬っている…という体裁を作り上げていったわけだが、言ってみれば、長州の連中ほど天皇をドライに見ている者はいない。

…そう考えると、安倍さんが、あれだけ天皇陛下から暗に「おまえはダメだ、おまえのような政治家は最悪だ」というメッセージを突き付けられても、びくともしないところに、長州人のDNAを感じますね。

(鈴木)…ザイン(実在)としての天皇ではなくて、ゾルレン(当為)としての天皇を守る…と言っている人もいた。

(白井)…その場合、あるべき天皇というのは、どういう天皇ということになるのか。

(鈴木)…自分の意のままになる天皇ですよ。ぼくは許せないけれども。


○憲法論争への違和感の正体


(白井)…憲法論争…右派からすれば「押し付け憲法こそが諸悪の根源だ」ということになるし…左派からすれば「戦後憲法こそが絶対に守らなければならない砦だ」…という形で、両者が対立して来た。
…でもぼく自身は長いこと、その対立の構図そのものに、漠然たる違和感があった。

その辺の違和感が何なのか、はっきりしてきたのが、『永続敗戦論』を書いた後のことです。
→ その裏付けになったのが…矢部宏治の『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』…というオレンジ色の本。

…この本で、矢部さんはいわゆる「二重の法体系」ということを論じています。
→「日本国憲法」の上位に「日米安保体制」があり、本当の最高法規はそっちなんだと。

(鈴木)…なるほど。

(白井)…「日米安保条約並びにそれに付随する日米地位協定の規定」と、「日本国憲法で謳われている基本的人権の尊重や国民主権、平和主義の理念」が衝突・矛盾したときに…前者の「日米安保体制」が優越することが、あらかじめ決まっている。
(※日米間の様々な「密約」や、それに基づく日本の司法・行政機関の「裏マニュアル」によって…)。

→ だから、「日米安保体制」は、実質的に「憲法のような役割」を果たしている…というのが矢部さんの主張。
…この見解が事実なら、護憲も改憲も空しい…ということになる。

(鈴木)…あ、そうか。

(白井)…「憲法」が所詮、「その程度の劣位に置かれた法体系」でしかないのなら、それを守ろうが変えようが大したことじゃない。

→ 憲法にどんな立派なことが書いてあっても、その影響力は限定的にならざるを得ない。決定的な場面で空文にならざるを得ない、ということです。
…この本を読んで、ぼくは納得しました。

→ 結局、この「二重の法体系」という構造こそが、問題の本丸であって、「護憲か改憲か」というのは、やはり疑似問題だったのだ…という意を深くしたのです。


○白井聡の改憲論


(白井)…(改憲議論の)大きな問題の一つは、やはり「自衛隊の規定」。
→「事実上の軍隊」だけれども、「相当にトリッキーな解釈をして軍事力ではないと規定している」わけ。…これは、非常にわかりにくい話。

それから、ぼくがすごく嫌だなと思うのは…「明らかに憲法で軍事力を否定」しているのに、「軍事力を事実上持っている」…というような「憲法違反状態」を長年続けて、それが当たり前になってしまっていることで…
→ 国民の憲法に対する感覚がおかしくなっている…という問題。

…それは「法秩序全体の腐食であり、危機」であるし、「社会の歪み」にもつながっていく。

(※確かにこの問題は、「戦後日本」が陥ってしまった、大きなアポリア(難問)の一つか…)

→ 実際、ここ数年特に、「違憲」という言葉がものすごく軽くなったような気がする。

…当然のことだが、違憲は重大なことであり、違憲立法は許されないことです。
あるいは、行政も違憲であるようなことをしてはいけないわけだが…

「憲法9条」をめぐって「巨大な違憲状態」が長年続いてきて…「今さら小さな違憲を一つ二つ付け加えたところで、どうということはないじゃないか」…という感覚になっている。

(※唐突に出てきた安倍の「加憲案」もこの類か…?)

(鈴木)…なるほど。

(白井)…あるいは、「集団的自衛権の行使」について違憲かどうかという問題でも…行使容認派が持ち出してきた論拠で、一番強烈なものは…「解釈改憲がダメだと言うが、すでに十分、解釈改憲をやって来て、自衛隊も認めているではないか。今さら何を言っているんだ」…という理屈。
→「これをけしからんと言うのであれば、それこそ9条原理主義で自衛隊を全否定しないと筋が通らない」…と言っているわけ。
…理屈だけで見た場合には、乱暴ではあるけれども相手の痛いところを突いているロジックではある。

安倍さんの企てている改憲(日本会議的な改憲)というのは、おそらく現実的には無理だと思う(改憲に対する国民の反対や抵抗、嫌悪感が強くて、改憲を実現するにしても、彼らにとって極めて不本意な形での改憲しか、どうやらできそうにない…)。
→ むしろ、「最初のお試し改憲」の後が問題だろう…と思っている。


○新9条のロジック


(白井)…最近、「新9条派」という人たちが出て来ている。
…「憲法9条の理念は大事だし、これまで守って来たことは基本的に素晴らしいことだが…自衛隊が違憲状態にあることが、憲法秩序自体に大きな傷を負わせている。→これでは、まともな法治国家とは言えない」…と主張している。
→ だから、「現状を追認するような形で、憲法9条を変えざるを得ない」…という結論になる。

(※それなりに説得力ありか…)

…9条には1項と2項があって、1項は大して意味がない。…「国際問題の解決手段として武力行使をしない」という規定は、ある意味で世界の常識だから…(つまり、基本的に戦争は不道徳な行為であり、禁止されている)。
…ただし、相手が攻撃してくる場合にやむを得ず、「自衛手段」として武力行使をすること(※自衛権)は認められている…というロジック。

→ もちろん、このロジックを「拡大解釈」することが、現実には行われるのだが…。
…ともあれ、このロジックを述べている1項は整合的だから、そのままにしておけばいい。

問題は2項…「交戦権を否定」しているわけだが…この規定がある以上、日本はそもそも戦争ができない。
→ 従って、「交戦権を前提とする法律が、日本の法体系の中には一切ない」ということ。

→ にもかかわらず、PKO(国連平和維持活動)をどんどん拡大している…(現に南スーダンでは、派遣した自衛隊が実際に武力行使するかもしれない想定がされていた)。
…ところが、(戦闘に関わる法律が欠如しているわけだから)→ 武力行使をするときのルールが、まったくない状況に追い込まれてしまったわけ。

…例えば、戦闘で人を殺傷したときに、武力行使に正当性があったのか(武力の濫用だったのか)…を判断する基準がないことになる。
→ だから、仕方なく国内法を適用して判定せざるを得ない…というムチャクチャなことが今言われているわけ。

(※同様のことを、宮台真司もラジオなどで指摘していた…)

これは要するに、法体系が欠如しているにもかかわらず、事実上の軍事活動を強いている…ということであり、その矛盾を全部、現場の自衛隊員たちに負わせている…ということ。

→ だから今後、今のようなPKO活動を継続していくならば、新9条派の人たちが言うように、9条の問題を何とかしなければいけない…というのは、確かに正論だろうと思う。
…そこをどう考えるのか。

→ ただし、ぼく自身は、新9条派の人たちと歩調を合わせる、ということはしたくない。…「安倍政権が現実的な改憲勢力である、という状況下では、改憲を主張すべきではない」…と判断しているから。

(鈴木)…その新9条派というのはどういう人たちですか。

(白井)…学者で言うと、東京外大教授の伊勢崎賢治が代表的な人物。…政治家で言えば、そういった形での改憲が現実的だと考え、主張してきた政治家は、自民党にも野党にもたくさんいます。


○ポスト改憲のゆくえ


(鈴木)…ただ、憲法9条2項の改憲を許したら、それ以外の家族制度などもいじられるのではないか…という恐怖がある。

(白井)…そうなのです。日本会議の主張などを見ていると、9条の撤廃はもちろんのこと、彼らが本当にやりたいのは「家制度の復活」ではないかと思う。
→ とんでもないことなので、今の局面では葬るしかないと思う。
…しかも、一歩先の局面になったときの準備をしておかないといけない…とも思っています。

(鈴木)…発議されたら、やっぱり国民投票で改憲が通るだろうと思う。

(白井)…通る見込みが立たなければ、そこまで踏み切らないでしょうから。

→ ただ、とんでもない内容だとして批判が集中した「自民党の改憲草案」は、もう風前の灯で、その大部分を引っ込めざるを得ない状況になっていくと思います。

(もちろん油断はできませんが)…安倍さんとしては「二枚腰」で考えてくるだろうと思う。
→ つまり、とにかく一度、「穏健な形での改憲」をやって、その後に「本格的な改憲」をする…(もちろん、勢いに乗じて一気に全面改憲に持ち込む、という戦術もあり得るが)…ぼくが安倍さんだったら、「二枚腰の戦術」でいきますね。

(鈴木)…どんな小さなところでも改憲を実現すれば、歴史に名が残るものねえ。

(※まさにそれが安倍晋三の悲願であり野望…?)

(白井)…ぼくは、「本当の意味での憲法問題」は、おそらく「ポスト安倍の時代」に本格化するのではないか…という気がしています。


(4章)日本の行く先


○『戦争論』が右翼青年を生んだ


(鈴木)…マンガはその時々の世相を映すが、小林よしのりの『戦争論』はすごい影響力があった。→あの作品を読んで右翼になったり、ネトウヨになったりした人はいっぱいいるだろう。

(白井)…(高校生の頃)同級生でも、真面目な子が熱心に読んでいた。それはある種、必然性があったからだと思う。

…バブル経済を経て高度消費社会の時代 → 個人がいかに社会の中で生きていくべきか、公共性とは…などという「真面目な問い」が、廃れた世の中になった。
…そんなことを考えているヤツはダサい、という風潮が、80~90年代にかけて蔓延するわけです。

(鈴木)…そうですね。真面目に考え、話をしようとする学生を、「ネクラ」と言って毛嫌いした時代もあった。

(白井)…そういう中で、真面目な子ほど、「やっぱり、それはおかしい。変だ」と感じたときに、→ 国家や社会、公…といった「大文字の問題」を考える取っ掛かりを、独占的に提供したのが、小林氏のマンガだった。

(※60~70年代が「左翼」の時代だったとすれば、その反動・揺り戻しか…)


○過激なネトウヨたち


(白井)…小林よしのりがブームを巻き起こしたとき、鈴木さんは、強力な同盟者を得た…という感じでしたか。

(鈴木)…いや、「完全に先を越された」と思った。…ぼくが付き合った人たちは、みんなそう。→ 元テレビキャスターの櫻井よしこもそうだし、前田日明や佐山聡もそう…どんどん先に行ってしまった(笑)。

…昔ぼくが右翼青年だったとき、(米国系新聞の記者だった)櫻井さんに取材されたことがある。…そのときは、「右翼青年? オオ、テリブル(恐ろしい)」なんて言っていたのにねえ。→ 今はあなたのほうがテリブルだよ(爆笑)。ねえ。
…あの当時、「あたし、月給が1万円だったのよ」なんて言っていたけど、今や時給がウン万円でしょう。

(白井)…都内の神社の敷地に豪邸を建てて住んでいるらしいですね。商売人としては大したもんだ。

(鈴木)…また、そういう人たちは特定の団体に属しているわけでも、思想や宗教があるわけでもないから、却って進みやすかった、ということもあると思う。

→ 例えば、産経新聞や月刊誌の「正論」にしても…いくら過激な主張をしても右翼団体じゃないから、「保守の立場」とか言って思い切り言いたいことを言える…。

(※ポジショントークを言いっぱなしで、何の責任もとらない…)

右翼の街宣車で「核武装しろ」とか「○○を殺せ」とか、そんなひどいことを言っている者はいないでしょう。むしろ、ネトウヨですよ。

(白井)…なるほど。ネトウヨのほうが過激であると。

(鈴木)…(右翼イコール署名やお金を求める輩…というイメージがあるので、最高顧問をしていた一水会でも)…金銭面には神経を使っていた。ちょっとでも変なことをやったら、「やっぱり右翼だ」と思われてしまうから。

右翼の中には勘違いして、「自分たちは天から任じられた国士だ」と思っている人がいる。
→「国のため」ということでやっていると、人間が傲慢になるのです(金銭的にもルーズになる)。

(※旧日本軍部も同様か…)

(白井)…それこそ、小林氏が言う「国を持ち出すことで、脆弱な自己を嵩上げしてしまう」ということですねえ。

(鈴木)…左翼や市民運動の人たちもそうですよ。みんな威張っている。

(※右翼も左翼も運動している人たちは、「国や公」を持ち出すと勘違いして、傲慢になってしまう。→ このことは、思想的にも、あるいは人間心理の力学としても、意外と根の深い問題か…)


○公と国家


(白井)…それにしても、小林よしのりブームのとき、最初に反応したのが「真面目な人たち」だったことは象徴的。
→ ずっと続くと思われていた経済成長が幕を閉じ、「社会の在り方が変わる時代」の中で、「正気に戻らなければならない」と考えたのは、まことに的を射たことだったと思う。

→ 彼らが「公のことを考えよう」としたときに、生じた重要な問題は…「国家というのは、実は公の一部に過ぎない」にもかかわらず、「公=国家」であると単純化してしまったこと。

(※「社会」というのは、「国家」よりもはるかに大きな概念…という考え方も、日本ではまだまだ定着していないだろう…)

→ ある意味で、そうやって単純化したからこそ、『ゴーマニズム宣言』があれだけ爆発的に売れた…と言えるかもしれない。

(※小生も確か、1~5巻ぐらいまで買ったような記憶が…。途中で「あれ、ちょっとおかしくなってきたぞ」と感じて、買うのを止めてしまった…)

(鈴木)…イギリスに留学した人に、「イギリスでは子どもの頃から愛国心を教え込んでいるのか」と聞いたら、「まったくない」と言う。

→ イギリスの学校はむしろ、シビリアン(市民)としてどう生きるかを教え込んでいる(ex.「満員電車では体の弱い人に席を譲りましょう」といった、市民としての心得を子どもたちに教えている)という。…それを聞いて、なるほどなあと思って。

→ 愛国心なんかを子どもに教えたら、却って危ないのではないか。

(白井)…でも、政府は今まさに、そういう教育システムを作ろうとしているわけですよ。…最悪ですよ、愚劣の極みです。

→ 要するに、明治維新で骨格ができた国家システムが、そこまでして生き延びようとしているのだと思うが(※「明治の亡霊」か)…もう無理でしょう。

→ このまま行けば、自爆・自壊して、そこからやり直すしかないだろう。

(※「自爆」などのハード・ランディングは避けたいが…「昭和の敗戦」のようなものは一度だけにしてもらいたい…)

(鈴木)…江戸時代から今に至る歴史を振り返ってみると、日本は謙虚のときのほうが良かったのではないか。

→「思い上がり」が露骨になったのは、日露戦争に勝ったあたりから。…「我々は一等国だ」と威張り、侵略戦争をやったり捕虜を虐待したりとメチャクチャをするようになった。
…それくらいだったら、まだ「我々は遅れた国だ」と認識して、努力していた頃のほうがよっぽど良かったのではないか。

→ 今では、「日本軍には従軍慰安婦はいなかった」「日本軍は虐殺をしなかった」「日本の歴史で恥ずかしいことは何もない」…などと臆面もなく言い放つ輩がたくさんいます。

→ それで、批判されると、「おまえは日本の先人たちを貶めるのか」と逆ギレする。
…それでは、批判もできないじゃないか。物事を客観的に見る目もなくなってしまいますよ。


○幼児的な日本人


(白井)…いわゆる右傾化をする日本人は、ものすごく幼児的だと思う。

…日本の今のナショナリズムが子どもっぽいのは、戦後の日本が「幼いこと」を全面的に肯定してきたことに起因しており、それは「対米従属」の問題に関係していると思う。

→「無条件の対米従属」が前提とされている限り…「国際社会でどういう立ち位置を占めるのか」「どういう国でありたいのか」…考える必要がないし、自分たちの在り方について責任を持つこともない。

(※「日米は100%一致している!」と、総理大臣が世界に発信してしまった…)

→「責任の主体たりえない」ということで…「子どもでいいんだ」という風潮が、ある種の政治文化になり、「消費資本主義」とも結びついて蔓延して来た。
…資本の戦略として、「消費者にどんどん消費させる」ためには、大人になってもらっては困るわけですから。

(※政治の「幼児性」と高度消費社会の「幼児性」とのシンクロ…。→ 最近のテレビなどのいっそうの白痴化…?)

(鈴木)…なるほど、消費という側面が大きいかもしれないねえ。

(白井)…「消費者に成熟してもらっては困る」という傾向は、世界資本主義の趨勢と非常に親和的。
→ その世界的な傾向の、ある意味で日本はその最先端を走っている。…だって、こんなにロリコン趣味が大っぴらに肯定される文化は他にないですから。

…外国ではごく一部の人たちが(恥ずかしいことなので)こっそり楽しむものだったのに…日本ではロリコン趣味が堂々と商売になって、これを輸出商品にしようというのが「クール・ジャパン」ってやつですが(※「かわいい」文化)…大人としての成熟が求められる社会では、ここまでロリコンが広がることはないでしよう。

(鈴木)…幼児的と言えば、ヘイトスピーチはひどいねえ。

(白井)…ヘイトデモの現場で強く感じたのは、あれだけヘイトスピーチを撒き散らしておきながら、警察に拘束・逮捕されるのは、ヘイトの連中ではなく、カウンター側に目立ちます。→ 警察がどちら側に肩入れしているのかは、非常に明白です。

(鈴木)…「オレたちは国のためにやっている」ということで、彼らは優越感を持っている。
→ 公安警察は、誰を逮捕するか、誰を排除するか、見極めてやっている。…法律とか治安とか、そんな理由ではないです。

安倍首相は、ヘイトスピーチについて「あれは許せない。あんな下品なことをやってはいけない」と答弁しているが…厳しく取り締まることはしない。
→ なぜかと言うと、ヘイトデモは中国や韓国に対する反発であり、その反発を際立たせるためにやっているから。

(白井)…トランプが大統領になって、白人による人種差別団体であるKKKがすごく元気になっている、という嫌な話があるが…それは、彼らが(トランプから)「暗黙のお墨付き」をもらったことがわかるから。

→ 安倍さんも同じです。…口先では「ヘイトスピーチはいけない」と言うけれども、本音がどこにあるか分かるから、ヘイトの連中もやはり、オレたちは「お墨付きをもらっている」と思っているでしょう。


○自由より強い国家


(鈴木)…今は「自由など大したことじゃない」と考える若者が多くなっているんじゃないか。…不自由であっても日本が強いほうがいい。日本が強くなったら、オレたちも強くなれるんだ…そういうふうに思っている。

あるいは、韓国も中国も(※直近では北朝鮮も)許せないから、日本は軍備を増強して核武装しろと主張する。…ある種の幻想の世界なのに、軍事力や核兵器があれば自分たちも強くなれると思ってしまう。

→ でも、国家が強大になったら、言論や表現の自由、集会や結社の自由が潰されるのは目に見えている。

(※「昭和」の最大の教訓のはずなのだが…)

…自主憲法を作ろうと言っているが、自主憲法を作って自由を失うぐらいなら、アメリカに押し付けられた憲法でも、自由があるほうがいいだろう…とぼくは思っているのです。

(※旧日本軍のような支配より、米軍の占領のほうがまだいい…というような、笑えない話か…。この国は、どこまで退行してしまうのか…?)

(白井)…小林氏も、「ナショナリズムの心情が今おかしなことになっている」と言っていました。…先ほど言った、「国を持ち出すことで、脆弱な自己を嵩上げしてもらう」というやつです。


○堂々たる売国


(白井)…トランプ政権になって来るべきものが来た、と思うのは、FTA(二国間の自由貿易交渉)。
→ 自民党政権は、アメリカに対して「全部イエス」のイエスマン政権だから、「日本の国富の切り売りをして、自己保身を図る」という姿勢がますます露骨になって来た…というのが、この間の流れでしょう。

(鈴木)…「対米従属」がさらに強まると。

(白井)…そうですね。さらに露骨になる。…言ってみれば、「堂々たる売国」という感じですよ。

(鈴木)…ウムム。

(白井)…(レーガン政権時代のマネー敗戦)…当時、アメリカは財政赤字と貿易赤字の「双子の赤字」に苦しんでいたが、にもかかわらず、レーガン大統領は「減税」を断行し、その上、ソ連を「赤の帝国」と敵視して、軍事力も強化した(※トランプも今、似たようなことをしている…?)。
…いったいどこにそんな金があったのかというと、「日本からの借金」。

→「日本が所有する米国債」がどんどん膨れ上がったが、(米国債はドル建てだったから)ドルの価値が下落(※円高誘導?)したことによって、「アメリカの借金を棒引き」するという結果になった

(※まんまと謀られた?)。

→ 今の政権も、「マネー敗戦」のときと同じか、もっとひどいことをやる、というのが既定路線でしょう。…自公政権が打倒されない限り、そうなる。


○安倍政権は保守か


(白井)…安倍首相は、自分のことを保守だと言っているが、実際のところ、あんなものは保守でも何でもないでしょう。
…例えば、原発問題への対処といったとき、郷土を愛すること、つまり原発廃止というのが保守の基本ではないのか。

(鈴木)…そうですね。

(白井)…福島原発事故は、あれだけ国土を傷つけ、汚染を撒き散らした。
→ 取り返しのつかない形で国土を汚してしまったことに対し、ぼくはある種の痛みのような感覚を持ちました。

…ところが、びっくりしたのは、安倍さんを支持する自称保守の人たちは、どうやらそういう痛みを全然感じていないらしい。…そうだとすると、この人たちはいったい何なのだろうか…。(※似非保守か…)

いま話題をさらっている日本会議にしても、自分たちは保守であり、保守革命をすると自称しています。
…『日本会議の研究』の著者の菅野完に、「日本会議の人たちは、対米従属の問題をどう考えているのか。まともに考えているようには見えないけれども」と聞いたところ…「まさしく何も考えていないと思う」という答えが返ってきた。

(鈴木)…ぼくは日本会議の人たちと一緒に学生運動をやっていた。…アメリカに占領されたことが大きいと思う。アメリカは天皇制を温存したから。
→ もしソ連や中国に占領されていたら、(天皇制は)なくなっていたかもしれない。

(意図的に「共産革命の脅威」が振りまかれたせいもあって)→ それに対して、我々愛国者は戦わなくてはいけない…というのが一番大きかったと思う。

(※「反共愛国」=「親米愛国」という動機付けか…)

極端に言ったら、アメリカだけでなく、韓国も台湾も、日本の自衛隊も警察も仲間だ…という、非常にざっくりとした括りがあった。(※敵の敵は味方…)
→「右翼の人たちは警察と馴れ合っている」と言われるのも、そういうことです。

…体制側が巧かったということもあるが、「共産主義の脅威」が過大に喧伝されたこともあるでしょう。
…産経新聞などは、毎日々々「中国や北朝鮮の脅威」についての記事ばかり…。
→ だからこそ、不満があってもアメリカとは一緒にやらなくてはいけない…という結論に持っていってる。

(白井)…そうですね。「対中脅威論」は、本当に危険極まりないものだと思っています。
→(『戦後政治を終わらせる』にも書いたが)…今のレジームは、「対中脅威論」(※今は「北朝鮮の脅威」も)に頼るしかなくなっている。

新安保法制についても、「自衛隊を米軍の二軍にすることではないか」という批判を受けても、仕方がないのだと開き直っているのが現実。
…「敵がすぐ戸口まで来ているのに、違憲だ合憲だとか言っている場合じゃない。アメリカの力を借りなければ、侵略者である中国を撃退することができないのだから…(そのためには、中東に自衛隊を送って犠牲者が出るのもやむを得ない)」…これが、安倍政権が依拠した、最終的な切り札の理屈ですよ。

…TPPの問題もそうです。それこそ売国奴的なものではないのか。

(※「貿易」による米国への貢ぎ物?)

→ だから、正当化するためには、結局「対中脅威論」でやるしかない。…「中国の政治・経済・軍事の全面にわたる巨大化を防ぐためには、日本が防波堤となる形で、アメリカを中心とするブロックを作るしかない」…という理屈。

…あらゆる政策を正当化する理屈として、「対中脅威論」を持ち出してくる。
→ そんなことを続けていたら、いずれ引くに引けない事態に陥るだろう。…本当に爆弾を弄んでいる、という気がする。

(※日本も北朝鮮も、三代目が国を潰す…?)


○強まる官僚支配


(白井)…結局は官僚が問題だと思う。とくに第二次安倍政権では、外務省の影響力が肥大化・極大化したと思う。
…たぶん、官僚たちから見て、安倍さんはとても扱いやすい政治家じゃないか。何せ漢字の読み方から指南する必要があるのだから…ハナからバカにしていると思います。

→ そういう形で、一部の官僚(※外務省?)による官僚支配がものすごく強まっているのではないか。
…政治家に見識があったり哲学があったりしたら、面倒くさくて仕方がない。
→ むしろ見識も哲学もない政治家のほうが御しやすい…ということで、安倍政権は安定している気がします。

(※安倍政権の「品格のなさ」の所以か…)

一方、トランプ政権のアメリカは…日本について長期的には、誰も何も考えていないのではないか…。たまにちょっとどやし付けておけばいい、という程度の考えではないか。

→ とにかく「対日貿易赤字を何とかしろ」というのが、アメリカの要求だろうが…何とかしろと言われても、日本がアメリカから買うものがない。…農産物の徹底的な自由化をやったところで、大した改善は見込めない。

(※結局、またさらに超高額な武器・兵器を買わされることになる…)

(鈴木)…東京都知事の小池百合子はどうだろう。

(白井)…小池都政もよくわからない。政治姿勢というか、物の考え方の基本がどこにあるのかがわからないのです。…ただ、喧嘩がものすごく強いことだけはよくわかりました(笑)。

(※この対談は、都議選の前に行われたよう…)


○政治に未来はあるか


(白井)…日本の政治に未来はあるだろうか…鈴木さんはどう思われますか。

(鈴木)…ないでしょう(爆笑)。
昔の政治家には、自分の幸せよりも他人の幸せを願う純真な人がいたが……今は違って、自分のエゴイズムだとか、人より目立ちたいとかいう、個人的な理由が大きいと思う。

一方、右翼や左翼、市民運動家、宗教家といった人たちは…それぞれ思想信条は違っても、「正義感や人類への愛」といったことを打ち出して来るでしょう。…でも、今はそういうのが一番恐いと思う。→ なぜなら、何らかの大義の下に、(暴力や殺人であろうと)どんなことでも正当化するから。

それと、憎しみや怒りといった「手っ取り早い感情」を使うのも危ない。…そのほうが運動をまとめやすい。「あいつらは敵だ。あいつらを倒せ」みたいな…。
→ でも同じ意見の人ばかり集まると、より声が大きい人の主張、より過激な方向に引っ張られると思う。…そういう問題点を是正するのはなかなか難しい。

(白井)…政治変革の一つの手法として、「住民投票」が注目されているが、これはなかなか両義的です。
…イギリスは、「EU離脱」について国民投票で決めたが、「新自由主義への反発」の要素がある反面、「排外主義とつながった扇動」もあった。

(鈴木)…政治のことを考えていないけれども選挙には行く、という有権者は、ワンフレーズでわかりやすいことを言っている政治家に投票する。…それでは、政治の死ですよ。

(白井)…昨年の参院選のときに、改憲勢力が2/3の議席を取れるかどうかが焦点となっていたわけだが…その「2/3」の意味を理解していた有権者は2割に満たなかった…とか、7割近くが理解していなかった…という衝撃的な調査結果が出た。
→ ここまで来ると、なぜ普通選挙をやっているのか、理由が見当たりません。

(※現実の「国民」が、あるべき「普通選挙」のレベルに達していない…?)

…そういう意味でも、住民投票がまともに機能するには、いくつものハードルを越えなければならない。

(鈴木)…諸外国の例を見ても、そうでしょう。

(白井)…でも、日本は相当、レベルの低い部類だと思いますけど。

→ ぼく自身の経験で言うと…ドイツでは、そのへんのオジさんと政治の話ができる。彼らは情報収集をしていて、よく考えて自分の意見を理性的に述べていました。…やっぱり平均的なレベルが高いと思いましたねえ。
…他方、日本では、飲み屋で政治の話をしているオジさんの9割は、きわめて凡庸な右翼的怪気炎をあげている。バカバカしくて相手にしようがない。
…諸外国を過度に理想化することはできませんが、日本は相当レベルが低いのではないかと思います。


○人類史の到達点


(白井)…良くも悪くも、19世紀から20世紀にかけては「ナショナリズムの時代」だったわけだが、→ それを超えていくものとして1990年代以後、「グローバル化」が世界を席巻しました。

…当初は、「ナショナリズムはどんどん相対化されるべき」、という雰囲気だったが…「いや、国民国家の相対化はいいことばかりではない」…という現実がはっきり現れたのが、この数年間の動きでした。

(※ヨーロッパにおけるEU(欧州連合)をめぐる動きが、その典型か…)

つまり、現在の情勢は「ナショナリズムへの回帰」という流れになっているわけだが…「人類史という視点」に立ってみると、やっぱりそれは「人類史の最高の到達段階」であるはずがない(※一時的な退行?)…と思うのです。

→ そうだとすると、「どうやってナショナリズムを使いながら、ナショナリズムを超克していくのか」というのが、現時点で考えられる「もっともありうべき政治的立場」なのかなと。

(鈴木)…国家がなくても、もっと小さなところでまとまっていた時代もあったわけでしょう。…日本だって、江戸時代には国家なんてなかったじゃないですか(藩のレベルで動いていた)。

(※「道州制」ではなく、江戸時代の「藩制」ぐらいが(文化発生的にも?)ちょうどいい規模ではないか、とか言う人もいたな…)

→ ところが、世界中が「近代国家」として、地球を舞台に経済活動や軍事活動を始めたため、日本も巻き込まれていった。…かなり無理をして「近代国家」を立ち上げ、国民に教育をして、愛国心を植え付けたわけですよ。

(※その「無理」のツケが、未だに解消されていない…?)

ぼくが注目するのは、そのときに日本の国家が謙虚だったことです。…日露戦争のときも、捕虜となったロシア兵を大事にした。囚われの身となった以上、武士道に則って手厚く扱ったわけです。
…それは、日本が列強に比べて遅れているから、世界から野蛮な国と思われないように国際的な決まりを守ったわけですよ。
…丁髷や切腹なども止め、文化習慣の西欧化を進めた。…そういう時代のほうが、日本は精神的にも豊かだったと思う。

→ だから、「これからの方向性」というならば、「日本はある意味のコンプレックスを自覚して生きる」…ということじゃないかな。

…日本人は、個人としては今も謙虚だと思う。でも、集団になると偉ぶったり、ときには暴走したりする。
憲法を改正して「軍事大国になれば強くなる」…と錯覚するのはダメですよ。

(※確か佐藤優は、「経済が強くない国は舐められる」とどこかで言っていたが、外交官としての経験からか…)

→ もっと「自分自身が努力して強くなること」を考えたほうがいい。
福沢諭吉は「一身独立して一国独立す」と言ったけれども、「個人が自立して国家が独立する」わけで、逆じゃないと思うのです。

(白井)…今の「国家主義的な傾向」というのは、完全に「福沢イズムが逆立ちしたもの」ですね。


○ナショナリズムを超えていけ


(白井)…日本だけでなく、アメリカもEUからブレグジット(離脱)したイギリスも、それからフランスもそうだが…「グローバル化による歪み」に対する不満が爆発しつつあり、それはそれで「当然の反動」なのだが…「自国中心主義」が露骨になる恐れもある。
→ そこで、各国の間で妥協点とか調整点を見出せるのか…という問題になって来るでしょう。

(鈴木)…以前、東京で世界の右翼政党やナショナリストの団結を強める集会をやったことがある。→ そのときのことを言えば、ヨーロッパの人たちとは理解し合えるのだが、ダメなのはアジアです。
…イギリスやフランスの民族主義の思想や活動は参考になるが…中国や韓国、北朝鮮の人たちとは、そもそも話し合えないんだ。

(※アジアの「後進性」…?)

→ 鳩山由紀夫元総理は、「東アジア共同体」と言っていたが…それよりも日本はEUに入るほうが楽なのではないか。EUに加盟すれば、自動的に死刑も廃止になるし。…地理的に遠いから現実には無理なんだろうけれど。

(白井)…ある意味で、そこに根本問題が現れていると思うのです。
…両国の間に「歴史上の深刻な対立」があると、「お互いに頑張りましょう」とはなかなかならない。→ だから、どうすれば「通じる言葉」が作っていけるのか…ということが課題だと思うのです。

(鈴木)…自民党の派閥の領袖たちはかつて、日本と中国の間、日本と韓国の間に危機が生じると、パッと飛んで行って自らのパイプを通して、「戦争だけは避けよう」というメッセージを送りました。…ぼくは、そういうチャンネルが必要だと思います。

(白井)…そういうチャンネルがないと、ほんとに危ないですよ。

(鈴木)…相手国を絶対に許さない、自国の正義を守る…となったら、それは戦争しかないでしょう。

→ 国家で一番大事なことは、「戦争をしないこと」であり、それは同時に国民を幸せにすることである。
…それを見失い、国民の不安を払拭しようと国外に目を向けさせ、自国の領土を一センチ、一ミリたりとも譲れない、戦争する覚悟を持って戦うんだ…という方向に流れているのは、やっぱり危ないと思いますよ。
とくに「戦争を知らない世代」が大半を占めているので、「戦争をしてでも」…と簡単に覚悟したり決意表明をしたりするのは問題がある。

→ そう考えると、戦争勃発寸前の危機になったら…ナショナリズムを戦いながら、「ナショナリズムを超えていく」のが、日本の右翼の本懐でしょう。

(白井)…21世紀の愛国者の使命は、「ナショナリズムを解毒すること」であると。
→ 鈴木さんはそういう境地に達したのかな…という気がします。
                                                                    (4章…了)


〔※本書によれば、政治も憲法問題も、一応の方向性としては…(小手先のあるいは退行的な〝現実主義〟ではなく)…「人類史の到達点」という視点、あるいは「人類の最高の到達段階とは何か」という問題意識を視野に入れて…(日本の場合は、様々な領域における自らの「後進性」を謙虚に自覚しながら)…偏狭なナショナリズムを超えて(解毒して)いく、ということか…〕

(鈴木邦男…「元右翼青年」、今年74歳。 白井聡…気鋭の若手政治学者、40歳。)

                                                                           (『憂国論』…了)
                                          (2017.11.24)          






震災レポート・戦後日本編(番外編 ①)―[憂国論 ①]

 鈴木邦男×白井聡の対談本、『憂国論』の感想を根石さんに携帯メールで送ったのが縁で、内容的に「震災レポート・戦後日本編」の番外編とでもいったものが出来上がった。
→ そこで(その間にまた間が空いてしまったつなぎとして)、13回にわたった携帯メールを2回分に編集し直して、「震災レポート」の番外編としてお届けします。
                                         

『憂国論』―戦後日本の欺瞞を撃つ― 鈴木邦男×白井聡〔対談集〕――(1)
                                                         (祥伝社新書)2017.7.10


〔鈴木邦男…1943年、福島県生まれ。政治活動家。早稲田大政経学部卒。…学生時代は「生長の家」学生会全国総連合の書記長として活躍、その後、全国学生自治体連絡協議会委員長を務めた。「一水会」を創設し、新右翼の理論家として名を馳せる(現在は政治団体から身を退いている)。…著書に『<愛国心>に気をつけろ』(岩波書店)、『憲法が危ない!』(祥伝社新書)など多数。

白井聡…1977年、東京都生まれ。政治学者、思想家、京都精華大学専任講師。早稲田大政経学部卒、一橋大大学院博士課程(博士)。…著書に『未完のレーニン』『永続敗戦論』(石橋湛山賞、角川財団学芸賞)、『戦後政治を終わらせる』など多数。〕



【はじめに】

(白井聡)……今日最も有力と見られている右翼集団・日本会議は、菅野完氏の『日本会議の研究』によれば、ある意味で、鈴木邦男に対するルサンチマンから始まっている。
「なんで日本会議の人々はあんなに暗いんだろう」という私の素朴な疑問は、菅野氏の著作を読んだとき、氷解した。→ それは、鈴木さんの朗らかさの陰画なのであり、彼らの運動目標の根本的な矮小性もそこから発していると思う。

(※この「運動目標の根本的な矮小性」という点で、そしてその「陰画=陰湿さ」という体質で、日本会議と安倍政権は繋がっているのではないか…)


【1章】三島由紀夫と野村秋介


(※この章で改めて認識させられるのは、戦後日本の右翼運動における、三島由紀夫の影響力の大きさだろう。…いくつかのさわりを挙げてみると…)

(白井)…かつて三島由紀夫が「憲法改正だ」と言っても、誰も動かなかったが、今は状況が変わった。もっともそれは、三島が望んだものとはまったく異なる形においてだろうが。

(鈴木)…首相が先頭に立ってやろうとしているのだから、まったく違う。やっと三島の叫びが届くようになったという感じ…。
→ 日本会議の人たちも、必ずしも目的が一致してなくとも、安倍さんしかいないと思っているのだろう。

(新旧の「人質事件」について…)
(鈴木)…ぼくらもそうだが、安倍さんも福田首相の「いのちは地球より重い」という言葉に呪縛されながら、「オレは違う。国家の意思を通すのだ」と突っ張ったわけだが、実際にはアメリカに忠誠を尽くすことになってしまっている(※対米従属)。
→ 国家の一番大きな仕事は、やはり国民の生命を守ることですよ。…「たとえどんな形でも国民を守る」「身代金を払って、とにかく解放してもらう」…という判断は正しかったと思う。国家の筋を通しても国民を見殺しにしてしまったら、何にもならないじゃないか。
…安倍さんは国家の意思を通したけれども、そのために人質になった日本人は殺されてしまった。これでは、国民を守ることになっていないじゃないか。

ひどいなあと思ったのは、国民の間でも…「人質になって殺されたのは自己責任だ」「安倍首相よくやった」…と絶賛する人がいたこと。→ そういう冷淡な人たちを生んで来た日本、アメリカナイズされた日本に対しては疑問を持たざるを得ない。

保守派の人たちは口を開けば「日本を守る」というけれども、いったい日本の何を守ろうというのか。日本は数多くの外国からいろいろな文化を取り入れて来たわけだが、それにもかかわらず、「外国人は出ていけ」と言っている。そういう排外主義は、ちっとも日本らしさじゃない…。
排外主義的な集会やデモでは日の丸の旗が立てられているが、日の丸というのは大和、つまりみんなが仲良くするという意味じゃないか。それなのに、外国人を排除しようとしていることにものすごく違和感を持ちますね。

(※ここらあたりは、鈴木邦男の「陽=朗らかさ」の部分がよく表れているところか…)

(鈴木)…三島由紀夫は谷口雅春先生(「生長の家」創始者)のことを尊敬していたし、今の国会議員にも谷口先生を尊敬している人はたくさんいます。…生長の家は献身的にサポートし、見返りに金を要求したりしないので、政治家たちもいい印象を持っていたのではないか。

(白井)…三島の檄文、「このままでは自衛隊というのは結局、米軍の二軍になるんだぞ」という趣旨のことを言っている。
→ まさに、そのことが新安保法制以後、はっきりしてきた。…自衛隊員が入隊したときの誓約・条件に違反するようなことを、国家の側が一方的にやっている…。
→ だから、自衛隊に入る若者がいなくなる、という問題が深刻になってきている。…第二次安倍内閣以降、応募者が減り続けている。→ 日本もアメリカのように「経済的徴兵制」を本格化させるかもしれない。


【2章】戦後の「新右翼」とは何だったのか


(鈴木)…そもそも「右翼」は最初、警察の分類用語だった。
…日本では1960年(60年安保)頃から、左翼とくに共産主義が恐いというので、自民党や警察が、ヤクザや総会屋まで取り込んで反対勢力を作ろうとした。
とくに、アメリカのアイゼンハワー大統領が来日するとき、左翼に対抗するだけの人数を集めようとした。

(白井)…右翼の黒幕と言われた児玉誉士夫が、岸信介(※安倍のオジイちゃん!)の命令を受けて、やったのですね(※陰湿! → オジイちゃんの気質を受け継いだ…?)。

(鈴木)…それまで警察に弾圧されていたヤクザやテキヤが、どんどん政治結社を作った。
そうすると、「先生」とか言われて、警察からも優遇されるわけ。
→ それで、「オレたちは右翼だ」と、誇りを持って右翼を名乗る人たちが出てきた。…右翼という言葉が使われるようになったのは、それから。


○公安警察と右翼の癒着


(白井)…優遇とはどういうことか。

(鈴木)…ヤクザや総会屋はそれまで、警察から徹底的に弾圧されていた。
→ ところが、右翼団体に衣替えすると、警察の管轄が防犯担当から「公安担当」に替わる。…公安は偉いのです。警察内で地位が高い。

例えば、右翼の街宣車は、「われわれは愛国団体である。一般車両は止まりなさい」などと言って、赤信号でも止まらずに走っている。
→ 交番のお巡りさんが出てきて制止しようとすると、後ろから公安担当の刑事が来て、「なぜ止めるんだ、オレたちが守っているんだ」と、お巡りさんを叱りつける。
→ そうすると、右翼の人たちは…「オレたちは国のためにやっているのだから、その辺の木っ端役人にとやかく言われる筋合いはない」と優越感を持つ。…そういうトラブルはずいぶん起きていた。
…右翼がスピード違反で捕まっても、罰金なしにしてもらえる。駐車違反をしても、警察は捕まえない。→ 右翼は公安に借りがあるから、内部の情報を提供する。
…右翼の集会や会合には、公安がいる。わざわざスパイを入れる必要もない。公安と右翼は一体だから、情報は筒抜け。
あるいは、右翼団体が日教組の大会に押しかけて行く。…計画が分かった段階で止めればいいのだが、止めない。→ 日教組の代表を前に右翼が抗議文を読むセレモニーをさせるのだ(日教組の元委員長の体験談もあり)。…そういう敵対関係を公安がわざと作っている。

(※そうしてニュースになれば、ビビって抜けていく組合員も出てくる。若い教員は組合に入らなくなる…という狙いか。)


○公安警察はいらない


(鈴木)…赤報隊事件では、ぼくはずっと容疑者だと思われていて、ぼくの住んでいるアパートを公安の刑事が見張っていた。
→ 事件の時効直前のある日、赤報隊を名乗る人から脅しの手紙が来て、同じ日にそのアパートが焼き討ちされた。もう終わりかと思った。チャーシューになるところだった(笑)。…(※朗らかな人だ…)
公安の刑事が外で見張っていたのだから、誰かが来て火を付けて逃げたのを見ていたと思うが、見逃して、捕まえない。(詳細はP93)

公安が関与している事件は、新左翼ではもっと多いのではないか。公安は、新左翼が襲われているのを見て見ぬ振りをするどころか、襲う側に隠れ家を教えてやったりしているだろう。

右翼とヤクザが一体となっている部分があり、覚醒剤や麻薬で逮捕状が出ているような者を誘うのが手口。…「愛国者が覚醒剤で捕まったら格好が悪いだろう。それより、共産党にちょっと突っ込まないか。そうしたら、覚醒剤はチャラにする」…などと言って、やらせる。→ ぼくも誘われたことがある。…共産党や日教組に突入した事件には、そういう形で誘われてやったケースがかなり含まれている。
⇒ だから、刑事警察や交通警察は必要だが、「公安警察」は要りませんよ。

公安に唆されて起きている事件はかなりある。…背景には、共産革命への恐怖や、警察も右翼もヤクザも仲間だという意識があると思う。

(白井)…公安警察は、悪名高い戦前の特高警察の後身ですから。(※そうだったのか…)

(鈴木)…そうです。ぼくは新右翼の運動をほとんど止めているが、それでも公安が定期的にやって来る。皇室のカレンダーを持って…。「皇室を利用するな」と言いたい。

(白井)…やることが細かいですね。日本の公安は優秀なのですか。

(鈴木)…トップのほうは優秀だろう。警察というよりも、自民党あるいは体制側に頭のいい人がいるのです。広告代理店(※電通?)もずいぶん協力している。


○沖縄での土人発言


(白井)…警察と右翼の一体性…最近の話題で言えば、沖縄に派遣された機動隊による土人発言。…警察官という集団の主要な価値観から考えると、沖縄の人たちに対する差別感情、あるいは沖縄の反基地運動に肩入れする本土の左派に対する感情は、ああいったものだろう。

→「お上に楯突くことをやっている連中は頭がおかしいんだ」という彼らの標準的な物の見方からすると、「やつらは人間ではなくて土人だ」という価値観は、言ってみれば当然だろう。
教え子の大学生が「兄貴がネトウヨになっちゃった」と嘆いていたが、実はその兄貴は警察官。…困ったことだが、警察官であることとネトウヨであることは、きわめて親和性が高いと思う。
⇒ 要するに、警察は全然、民主化されていない。日本の警察は民主主義社会の警察ではない。

(鈴木)…警察官たちは「土人」という言葉を知らないと思う。そういう言葉を使っているのは、おそらく警察の上のほうの人たち。→ 彼らは、沖縄に出した部下たちが現状を見て、住民たちや支援者の左翼にシンパシーを持つのが恐いのです。だから、部下たちに徹底した思想教育をしている。

…「あいつらは中国から金をもらっている。日当をもらって働いているだけだ」「沖縄の利益しか考えていない。日本国がどうなってもいいと思っているんだ」「そういう輩は土人と同じだ」…ということだろう。→ だから、つい口から出てしまう。

そういう実態は1960年代からずっと変わらない。…映画監督の高橋伴明は、「(学生時代に)学生運動に興味をもってデモに行ったら、先頭に出され、いきなり機動隊から殴られた。それで、カッとなって権力は許せないと思い、セクトに入った」と話してくれた。

…警察官も同じだ。自分たちがいいことをやっているとはあまり思っていない。→ しかし、警備の先頭に出ると、学生たちから「権力の犬」「税金泥棒」と罵声を浴びせられる。それで、カッとなって「あいつらは許せない」とむきになるということ。

→ 警察側と左翼側のトップ同士が、お互いに新入りを先頭に出して、相手に対する憎悪を掻き立て、戦う信念を固めさせる。

(白井)…イヤな構造ですね。

(鈴木)…土人発言のニュースを聞いて、今でも同じことをやっていると感じた。


○特高警察から公安警察へ


(白井)…戦後処理の問題に関わることだが、戦中の日本で一番ヤバい部分は公安警察に引き継がれて来た。

→ GHQが占領を始めても、特高警察は当初変わらずに機能していた。…(当時の内務省は、自己反省などゼロで)、GHQによる粛清が特高警察にも及ぼうとしたとき、彼らは、公職追放を受ける前に大規模な人事異動をして、特高の警官たちを守り、 → その人たちが、戦後の公安警察の礎になっていった。

(この後、似たような構造として、元法務大臣・奥野誠亮の例が挙げられている)
…奥野は終戦時に、日本軍の様々な犯罪に関わる書類を焼き払い、証拠隠滅した当事者。
→ 戦後は、内務省の解体に伴い、自治省の官僚になって事務次官にまで上り詰め、その後衆議院議員に転身し、大臣を三回歴任。
→ 亡くなる前年に、日本記者クラブでの発言では…「満州国は五族協和の国だった」とか…要するに「オレたちは悪くない」「どんな証拠を突き付けられようが、悪くないのだ」…と、きわめて幼稚なことを言っている。
…学歴もキャリアもトップエリートで、いろいろな経験を重ねて来たにもかかわらず、こんな幼稚なことしか言えないことに、驚きを禁じ得ない。

→ この奥野元大臣の息子が、地元・奈良県の地盤を引き継いで政治家をやっている。
(※一事が万事か…)

…そういう形で「内務省的なるもの」が、形を変えて「戦後レジーム」に引き継がれている。

地方政治も同じで、日本の地方自治は三割自治だと言われるが、それは財源が三割しかない、ということだけではなく、いまだに日本全国の都道府県知事の大半が官僚上がり…(実質的には戦前の「官選知事」と大差ない)。

(鈴木)…公安警察でもそうだが、外から入って来た人でも組織にすぐ馴染む。…それはエリート意識だけでなく、自分たちこそが愛国者だという意識が強いからだろう。
…殺人犯や交通違反は捕まらなくても、日本が滅びるわけでもない。しかし、過激派を野放しにしたら国が滅びるかもしれない。左翼から国を守っているのは我々だというプライドがある(※特高警察のマインドか…)。

また、上から「日本を守っているのは君たちなんだ」などとおだてられ、より一層いい気になる。だから、何でもやれるのだろう。一種のサイコパスだよ。

…そのことによって不幸になっている国民がいても全然気にしない。日本を守るのだから仕方がないだろうと。
(※確か維新の党代表の大阪府知事も、「土人発言の機動隊員」を労い、励ましていた…)


○新左翼はナショナリストだった


(白井)…60年安保のとき…「戦後日本はアメリカの従属国家で、米帝による占領が続いており、安保改定はその占領を永久化しようという企みだ」…というのが共産党の捉え方だった。
→ これに対して、新左翼は(対抗上)違う理論をということで、「日帝自立論」が出てきた。
→ 今、振り返ってみると、圧倒的に共産党の方が正しかった…というふうに見える。

(※『永続敗戦論』の著者だから、当然そういう見解になるか…)

…この理論的対立の問題を捉え返すことが、非常に重要になって来ているのではないか。

→ 今にして思えば…当時の日本はそれほど自立していなかったのに、日本は自立していると自分たちの力を買い被っていた…。
日帝自立論は、戦後日本の自立性に対する過大評価であると同時に、きわめてナショナリスティックな主張でもある。
→ そういう意味で、新左翼は、ナショナリストだったということではないか。
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○新左翼と新右翼の並行性


(白井)…新左翼の日帝自立論と、新右翼のYP(ヤルタ・ポツダム)体制打破は、パラレルだったのではないか。

…それまでの右翼は、トップにCIAがいて、その子分に岸信介、そのまた子分に児玉誉士夫がいて、→ 児玉がヤクザ者を含む自称国士たちを取りまとめ、反体制派に圧力をかける…という構図だった。…言ってみれば、「アメリカの下請け」をやっていた、ということ。

→ 新右翼のYP体制打破は…そんなことではダメだ…という主張だった。

(鈴木)…それまでの右翼は、デモや集会、オルグなどをやったりしなかったが…新右翼は、左翼から学んでやったのです。

→ 日本会議の人たちは、完全に左翼の運動を参考にしている。…地方から攻め上がるとか、徹底的にオルグするといったことは、これまで保守派の人は誰もできなかった。

(※今回の選挙で安倍自民党は、この「地方から攻め上がる」という手法を取っていたよう…)

→ このやり方で日本会議は、「元号の法制化」などいろいろな運動で常に勝利して来た。
…この前、左翼の集会に行ったら、発言者が「日本会議の人たちは、かつては左翼から学んだ。今は、我々が日本会議から学ばなければいけない」と言っていた。

(白井)…鈴木さんは(民族派系の全国学協の委員長のときに)、今は日本会議を仕切っている人たちに、様々な陰湿な権謀術数によって追い出されてしまった。…「あいつはとんでもない奴だ」という印象操作をされて、失墜させられてしまった。

→ そこで彼らは味をしめて、カリスマ性を持った目立ったやつをどうやって引きずり下ろすかという技術を、そこで学びつつ実践した。(詳細はP108~111)

(※こうした印象操作や陰湿な権謀術数は、何らかの形で今の安倍政権にも引き継がれているのではないか…)

(鈴木)…でも、いま日本会議にいたら、つまらなかったと思います。あの時に追い出してもらってありがたかった(笑)。そうでなかったら、こんなにいろいろな人たちに会えなかったから。

(※ここまで言えたら大したもんだ…)


○ねじれたナショナリズム


(白井)…日米安保の闇だとか、密約の問題だとかが、いま改めてクローズアップされているが(※矢部本など?)、非常に皮肉なことに、そういう問題にずっとコツコツと取り組んで来た人たちは、だいたい代々木系。

代々木系の人たちは…戦後日本は従属的な半植民地的国家である…という共産党の基本認識に忠実だったから、日米安保体制の本質が何かということにも、認識がずっとブレなかった。

→ そう考えると、やっぱり新左翼的なものというのは、戦後日本の非常にねじれた形でのナショナリズムの表出だった、ということになる。…やっぱり日本人としては、できるならば「日本は自立している」と言いたいから。

(※この白井氏の見解には、異論も多いかもしれない…)


○民族派は原発にどう向き合っているか


(白井)…民族派にとっては、ソ連の崩壊が一つのターニングポイントだったが、最近になってもう一つの大きなターニングポイントは、やっぱり3・11の福島原発事故ではないか。

→ 反原発のデモで、民族派的な立場から「原発はダメだ」という意思表示をする個人やグループがかなり出てきている、という新鮮な驚きがあるのだが…。

(鈴木)…(でも全体的には)「反原発をやっているのは左翼だ。奴らに利用されるな」というほうが多いと思う。

(白井)…原発がコスト的にも経済合理性から見ても見合うものではないことは、明らかになっている。

…国家の意思として、これほど頑張って原発を推進して来たのは何のためだったかというと…プルトニウムの確保。→ プルトニウムを自前で確保することが、本音だったのではないか…という見方が真実味を帯びて来ている。

→ やはり核武装しなければダメだ…という立場から、開き直ってそれを肯定している人たちもいる。

(※確かに最近ラジオの論調を聴いていても、そういう印象を受けている…)

(鈴木)…確かに極端な論者はいるが、右翼ではどうかな。→ そこまで居直れる人たちはむしろ保守派や文化人に多いのではないか。
…文化人であるという防波堤があるから、核武装についてまで言える、ということがある。


○71年間続いている閉店セール


(白井聡『戦後政治を終わらせる』NHK出版新書 を取り上げて)
(白井)…自民党にはいろんな派閥があったが、「歪んだ対米従属」という点では50歩百歩。→ 自民党内でこの構造に気づいた人たちは、党をやめるか、やめさせられた(鳩山由紀夫、小沢一郎、亀井静香など)。

(鈴木)…結局、「戦後政治を終わらせる」と訴えることが、逆に権力を維持することに繋がっている…というのが白井さんの見立て。
→ だから、「戦後政治を終わらせる」と言い続けて、終わらせないのがポイント…ということですね。

(※安倍の決まり文句「戦後レジームからの脱却!」も、同じことか…)

(白井)…そうです。決して終わらない。→ 権力を維持するための「オワラセルオワラセル詐欺」です。
…そう考えると、YP(ヤルタ・ポツダム)体制打破という新右翼のテーゼは、論理的に言って正しかったと思う。→ 本気で「戦後政治を終わらせる」のであれば、そういうことでしょう。

(※宮台真司ふうに言えば…「いつまでもアメリカのケツナメ外交をやってんじゃねえ!」…ということか…)

(鈴木)…よく閉店セールと銘打って何年も店を開けている洋品屋とかあるが…戦後日本は71年も(「戦後政治を終わらせる」という)閉店セールをやっている。
…賢い消費者だったら気づくけれども、日本国民はいまだに騙されている。


○60年代の危機とは何だったのか


(60年代に宗教団体だった生長の家が、政治運動を活発化させたきっかけ)…
(鈴木)…それは共産主義革命への危機感。…それともう一つは、公明党・創価学会の躍進。

→(それに対抗するために)仏教や神道を含めた宗教人たちは、自民党を応援したり、自分たちで政治連盟を作ったりしていた。

(※そうすると、左翼と公明党・創価学会と日本会議系は、三つ巴の関係? → そして左翼が強くなれば、敵の敵は味方…ということで、日本会議系と公明党・創価学会はくっつく…?)

(白井)…しかし、60年代が進むにつれて、革命幻想はどんどん土台を失っていった。
…あの当時、革命の危機(左から見れば好機)という言葉によって、実は何か違う問題に向き合っていたのではないか。

…三島由紀夫の場合、明らかに高度成長によって変化していく社会に対するある種、民族的不安とでも言うべきものが前面に出ている。

(※確かに現在は…高度成長のなれの果ての…弛緩・拡散した、核心なき社会…という見方もできる…)

→ そうして70年代、80年代を通じて、(青年たちの「戦う場」という)回路が失われ、その結果、発生したのがオウム真理教事件(1995年)だった、という気がする。

(鈴木)…60年代にはまだ、批判的な思考や異端の思想があり、「ちょっと待てよ」と言う人がいたと思う。…それは今でも言えることで、三島や高橋和巳が生きていたら、こんなひどい安倍政権の暴走はなかったと思う。

→(右翼だけでなく)国民全体がレベルダウンしているのではないか。…右翼も左翼も含めて、みんなが同じレベルに落ちているのですよ。

(※日本社会全体の劣化、レベルダウン…ということか…)

「日本国民として愛国心を持ち、一生を大切に生きるのは当たり前のことだ。そういう考えにケチを付けるのは過激派であり、テロリストだから日本から出て行け」…というふうに、情緒的な方向に流れているのではないか。政治的な意見以前の問題ですよ。

少しでも考えの違う人は許せない、一緒にいられない…という風潮が強まっている。
→ だから、60年代や70年代よりも今のほうが、ずっと時代の空気が悪くなっていると思う。


○鈴木邦男の根幹は何か


(白井)…鈴木さんが活動や言論の根幹に置いているものは、やっぱり自由ではないか。…多様な考え方があるのが自由な社会であって、社会はそうでなければならない、という強い確信が鈴木さんにはあると思います。…それはどこで形成されたのか。

(鈴木)…高校時代の不自由な生活が一番大きな体験だったと思う。…それから、生長の家の活動や三島由紀夫の影響など、いろいろなものがミックスされていると思う。

普通は国家や宗教、政治党派などに頼ってしまい、家庭なり個なりが強い思想を持ったケースというのは、なかなかないのじゃないか。
→ そう考えると、自由や自我はやっぱり戦って勝ち取るものだと。

…ルポライターの竹中労が…「弱いから群れるのではない。群れるから弱いのだ」…と言っていたが、確かにそうだと思う。…弱い一人ひとりが強くなるために団結すると言うが、その時点で個の意見がなくなってしまう。

→ ぼくらは右翼運動を何十年とやってきたが、その中で感じたことです。…やっぱり自由が必要ですよ。

(白井)…60年代に運動を担っていた人たちはやはり、敗戦を契機とした社会の価値観の大転換から大きな影響を受けていた。
→ だから、自由の有り難さ(その絶対的な価値)が身体化されていたのでしょう。
…自由を擁護するためには、相当に極端な立場や自分にとって気にくわない立場も排除せずに許容しなければならないから。

…ところが、その身体化された価値が、(※戦後70年余が経過して)だんだん弛緩して、現在に至っているということでしょう。

(※鈴木邦男氏は…生長の家や新右翼の活動から出発して、今は「リベラル保守」(?)とでも言うべき領域に達したのではないか。
→ 今後は、『「リベラル保守」宣言』(新潮文庫)の著者の中島岳志などにも触手を広げて…「成熟社会」における「リベラル」とは何か、という視点も考慮していきたい…)


(3章)天皇の生前退位と憲法改正


○山本太郎直訴事件の顛末


(白井)…3・11以後で、ぼくが特に注目しているのが、参議院議員・山本太郎の直訴事件(赤坂御苑での園遊会で、天皇陛下に直接、「子どもと労働者を被曝から救ってほしい」と訴える手紙を渡した、というもの)。

一番興味深かったのは、政府側の反応…当時の文科大臣・下村博文が、山本の直訴について…「田中正造に匹敵する不敬事件だ」…と批判した。

→(ところが、足尾鉱毒事件のために尽力した政治家・田中正造は、3・11以後、すごい人だと改めて評価が上がっていたので)…下村大臣は、山本太郎を批判するつもりだったのに…逆に、「田中正造のような偉い人物だ」と評価してしまったことに気づき…翌日になってしどろもどろの釈明をすることになってしまった。

→(下村大臣が周章狼狽したのは)…日本の歴史上、何度かあったパターンが反復されるのではないか…という状況が見えるから。

既存の秩序が崩壊するとき、その秩序をマネージしていた権力が無能を曝すわけだが…
→ その権力に代わって、ほとんど忘れられていた天皇の権威がにわかにクローズアップされ、体制の転覆に至る。
…鎌倉末期とか江戸時代末期がその典型だが…今のレジームも、原発事故で完全に無能をさらけ出している。

この直訴に対して、天皇陛下の対応が抜群に面白い。
→ 直訴事件から数ヶ月後に、天皇御夫妻が栃木県に「私的な旅行」に出かけ、佐野市の郷土博物館を訪問して「田中正造の手紙」を見たという。

「田中正造の直訴事件」と言われるが…正確には直訴未遂(明治天皇に、足尾鉱毒の被害を訴える手紙を手渡そうと試みたが、警護に制止されてしまった)。

→ つまり、天皇・皇后御夫妻は、百十余年の時を超えて、田中正造の手紙をわざわざ現地に受け取りに行った、ということ。
…これははっきり言って、原発問題へのメッセージです。

(鈴木)…それはスゴイねえ、ホオ~。

(白井)…山本氏の直訴に対する、天皇御夫妻のリプライ(返事)が、足利へのお忍び旅行だったわけだが…この行動の意味が、どれだけの人に理解されたかは疑問…。

(鈴木)…よく保守派の論客たちから批判がなかったねえ。

(白井)…保守派は当然のように無視しました。都合が悪いですからね。

→ こういう具合で、安倍政権との対立が表面に出てきた中で、天皇陛下が「生前退位の意向」を表明した。…タイミング的には、衆参両院で改憲勢力が2/3を占めて、いよいよ改憲へと現実に踏み出せる状況が出来上がったとき…。

(※今もまさに、その状況が再構築された…)

(鈴木)…(田原総一朗も言っていたが)…その天皇の意向表明は、憲法改正を阻止するためだと…。


○天皇・皇后と安倍政権の深刻な対立


(鈴木)…(今生天皇は)政治的な発言はできなくても、折りに触れて太平洋戦争の激戦地に慰霊に行っている。…その行為自体が安倍政権に対する批判でしょう。

→ 天皇陛下は、太平洋戦争については自分で体験され、あの戦争がどのように始まって、どう逆らえずに敗戦に至ったかを知っておられる。…その経緯については是非話してもらいたいと思います。

(白井)…天皇の御言葉が出てきた背景に、天皇・皇后御夫妻と安倍政権との考え方の違いがあった。…それはもう、対立と言っていいほど深刻なレベルだろうと思う。

→ その証拠として(山本太郎直訴事件の他に)…棋士の米長邦雄の日の丸・君が代発言(米長が「日本中の学校で国旗を揚げ、国歌を斉唱させる」と言ったのに対し、天皇は「やはり、強制ではないことが望ましい」と答えられた)。
…これは、国家主義的なものの復権に対する明白な警告だったろう。

→ 激戦地で戦死者を慰霊する行脚、「憲法を守ることが大事だ」という発言(戦後の憲法に対するある種の忠誠)…そうした姿勢が近年、とくに3・11以後、急速に強まっているという感じがします。
美智子皇后の五日市憲法発言(新憲法ができるはるか前に、民主的な憲法を作ろうという草の根的な動きが日本にあった)…ということもあった。
→ これは、「押し付け憲法論」に対する明白な批判であると思う。


○天皇の生前退位問題


(鈴木)…(天皇の生前退位について)…保守派の人たち、とくに自民党が、「辞めさせるな」と言っている。
→ もし天皇に自由を認めて、(天皇になるかならないかも含めて)決められたら堪らない、というわけだが…「政府が監視するんだ」みたいな言動は、ちょっと思い上がっていますよ。

(白井)…日本会議などは、これでまた女系天皇の可能性が取り沙汰されることに警戒している…と言われている。→ なぜ、彼らはそんなに女系天皇を嫌がるのでしょうか。

(鈴木)…「日本は強くて雄々しい国だ」というイメージを守りたいのじゃないか。

(※それだけの理由で…?!)

(白井)…今回、一番唖然としたのは、日本会議系の平川祐弘東大名誉教授の発言…「公務負担が重くて体力の限界だと言うが、公務を自分で増やしておいて、きついから辞めるというのはナンセンスだ」…という意味のことを言っていた。
→これはちょっと、人として最低だなと思いました。

(※東大にはまだこういう老教授が巣くっているのか…!?)

(鈴木)…女系天皇の問題でも、「女性になったら、もう天皇ではない」と露骨に言う…「男子を産めなかったら離婚して別の妃を」と言う人もいる。
→ もし、そんなことを普通の家庭でやったら大変です。…普通の家庭でできないことが、なぜ皇室だったら言えるのか。
漫画家の小林よしのりに言わせると、天皇は人権がないし、まるで奴隷状態に置かれているという…。

(白井)…(田原総一朗が言うように)天皇陛下の「生前退位の意向」には、憲法改正を止めることを狙う意図があると思う。

(鈴木)…政府や自民党にも教えず、宮内庁とNHKで秘密裏に進めた…ある意味で、宮内庁とNHKを巻き込んだクーデターかもしれない。

(白井)…いや、そう思います。→ 政権側がその後、露骨な報復人事をやったわけだから。…具体的には、意向表明の実現に加担した宮内庁トップらの首を切って、警察上がりの腹心を宮中に送り込みましたから。

(※こうした陰湿な報復人事は、安倍政権の得意技…?)


○象徴天皇制とは何か


(白井)…(「生前退位」ということで、改めて思ったのは)…象徴天皇制とは何なのか…そのことについて、戦後日本人はあまりにもちゃんと考えて来なかったのではないか…。

(鈴木)…「国民統合の象徴」…統合するというのは、かなり動的なもの。→ ぼくは、「どんなことがあっても戦争に持っていかない」ということじゃないか、と思う。
…だから今回のお言葉でも、「国家が一番陥りがちな犯罪は戦争だから、それだけは避ける。そのために象徴はあるんだ」という考えではないか。

(白井)…(日本会議系の人が盛んに言うことだが)…素直に憲法と皇室典範を読んだら、「公務が体力的に無理な場合は、摂政を置く」という決まりになっている。

→ ところが、天皇は「摂政ではダメだ」とはっきり言っている。…そして「象徴としての役割を果たす」という表現が何度も出てきているが…その思想の核心は、一言でいえば、やっぱり「祈り」なんだろうと思う。
…国民の平安を祈る。それから、不幸にあった人のところに行って励ます。…これが動的な統合の象徴としての役割を果たすための中核的な仕事であると。

→ では、なぜそれが摂政ではダメなのか(代えがきかないのか)というところに、ものすごくアルカイック(古風で素朴)な天皇観があると思った。

…要は、「祈りが弱まると国がダメになる」ということ。→ 祈りが衰弱すると、象徴する作用も弱まるから、国民の統合が弱まって国がバラバラになっていく。それでは、国民は不幸になってしまう。
…言ってみれば、この国で起こる国民の幸不幸に対して無限責任を負っている…という意識。不幸が起こるのは自分の祈りが弱いからだと。

→ だから、加齢や病気で体が弱ることは、祈りが弱まることだから、自分は引退するべきだ。…若い世代に引き継いで、もっと強い祈りによってこの国を支えなければダメだと。

…これは近代的な思想や思考では理解できない、アルカイック(古風で素朴)な世界観であり、それがあの御言葉の一つの核心だったろうと思う。

(※白井さん、まだ40歳ぐらいなのに、ずいぶん古風で素朴な領域にも、よく理解を届かせている…)
                                           

(3章続く…次回は、3章の核心部分に迫っていきます……2017.11.21)