2015年7月9日木曜日

(震災レポート32) 震災レポート・拡張編(12)―[経済各論 ①]


(震災レポート32)


震災レポート・拡張編(12)―[経済各論 ①]

                                                                                        中島暁夫




 諸々の事情で先延ばしにしてきた手術を、この度やっと済ませたということもあって、だいぶ間が空いてしまった。…「脱成長論」の一応の締めくくりとして、当初は、いま話題になっているトマ・ピケティの『21世紀の資本』について触れておこうかと思っていたのだが、なにやら(様々な立場からの)入門書の類がたくさん出てきているようなので(それぞれに勉強になったが)、とりあえずピケティさんはそちらの方におまかせすることにして、〔というのも、ここにきて日本の戦後社会が大きく動きそうな気配がしてきているので…70年というのは、時代の(忘却による)世代交代の時期という説あり〕…そうした局面に、この経済論も対応させる意味で、今回から若手の二人の論客(小幡績と中野剛志)を取り上げてみることにした。まずは一人目から始めてみる。



                  

『円高・デフレが日本を救う』小幡 績
      (ディスカヴァー携書) 2015.1.30

――[前編]




〔著者(おばた・せき)は1967年生まれ。1992年東大経済学部卒、大蔵省入省、1999年退職。2001年ハーバード大経済学博士。一橋大講師を経て、2003年より慶応大ビジネススクール准教授。…著書に『リフレはヤバい』『成長戦略のまやかし』『やわらかな雇用成長戦略』など。〕




【はじめに】


○成功したアベノミクス

・アベノミクスは間違っている。経済政策としてあり得ない。…円安とインフレを起こしたい。その目的を達成し、消費者の生活を苦しくした。…異常な金融緩和は、ショック療法で株価をどん底から引き上げたが、金融市場はバブルとなった。それが目的だから成功だ。
・痛みを伴わない政策で短期にバブルを起こし、コストとリスクは先送りする(※短期の人気取り政策…)。これがアベノミクスの本質だ。…この本質を100%実現したから、アベノミクスは成功したのだ。→ そして日本経済は、そのすべてのコストをこれから払うことになった。
・従って、アベノミクスの効果が、今後、地方や中小企業など、これまで恩恵を受けていないところに回るということはあり得ない。→ これからは、政策の影響は(先送りされたコストとリスクで)悪いものだけが増えていく。今、アベノミクスで良くなっていないところは、一生良くならない。そして、今後、さらに悪くなっていく(※ツケが回っていく)。
・しかし、日本経済は絶望的ではない。…政策は悪いが、日本経済は悪くない。→ 従って、日本経済自体は悲観する必要はない。間違った政策を取り除けば、日本経済は自ずと力強さを少しずつ回復していくのだ。…本書では、アベノミクスという政策の誤り(※前編)と、アベノミクスに代わる「他の選択肢」(※後編)を明示したい。


【1章】経済政策と政策論争の危機


○日本経済はヤバくない。だが、経済政策がヤバい。政策論争はもっとヤバい

・2014年10月31日、日本銀行は量的・質的緩和の拡大(追加緩和)を行った。つまりリフレ政策(意図的にインフレを起こす政策)のダメ押しを行なった。…経済政策によってインフレを起こすことは百害あって一利なしということが、政策担当者市場においては浸透していないようだ。
・しかし、人々や企業はそれに気づいてきた。…メディアは、円安でコストが上がって困る、物価が上がって節約しないといけない、と企業や消費者多数派は悲鳴を上げている、と伝え始めた。…エコノミストなどの有識者は、株高、円安の下での日本経済の好景気(※ミニバブル)を歓迎しながらも、大幅円安でも輸出数量が伸びないことに首をかしげる。
・日本経済の構造は変化しており、1980年代とは違う。→ 工場の多くは海外に移転してしまったので、円安になっても輸出数量は伸びないのは明らかだった。←→ 一方、輸入面では円安のデメリットは大きい。…日本企業が日本市場で売る製品も海外生産だから、円安により原価が上がっている。→ 利益は減少あるいは赤字転落となった。…輸出企業のイメージがある家電産業も、国内部門は苦しくなっている。
・輸出サイドでさえ、(為替差益による)利益は増えても、輸出も生産も雇用も(量は)増えていないから、(輸出産業を念頭に置く)多くの円安礼賛論者も、限定的な円安賛成に論調を変えてきた。→ 結局、トータルでは円安はプラスなのかどうか、という議論になってきた。


○円安:メリットVSデメリット


・円安のメリットを受けるのは、輸出や海外子会社で利益を得ている企業。…(ドル建ての輸出価格を変えていない企業がほとんどなので)輸出数量を増やさず、従って雇用も設備投資も増やさないが、企業収益は(為替差益により)増加する。
・一方、輸入業者はもちろん、国内販売が中心の製造業やサービス業にも、円安による輸入の原材料費やエネルギー費の高騰で、デメリットが生じる。
・さらに、このコスト髙はすべての消費者に及ぶ。…輸入品の価格上昇(とりわけガソリンや食料などの必需品の価格上昇)による生活コスト上昇は消費者を直撃する(詳細はP19~20)。
・日本は今や、輸出よりも輸入が多い経済だから、(円安がデメリットとなる輸入のほうが多い以上)トータルでは円安は日本経済にとってマイナス、というのが中立的な事実認識だ。


○すべては消費税増税のせいなのか


・(インフレを起こせば、日本経済の問題はすべて解決する、という立場の)リフレ派の人々は、アベノミクスの金融緩和は素晴らしいが、消費税増税は最悪だった、それですべてが台無しになった(マイナス成長もそのせいだ)、と主張する。…すべてを消費税率引き上げのせいにするアベノミクス支持者も、目先の数字でアベノミクス失敗を叫ぶ批判者も、自己主張の正当化のために、無理矢理な議論をしている。(詳細はP20~23)
・これらの議論は、日本経済の真の現状を冷静に分析せずに、ただ経済政策に関するこれまでの主張のポジションを守ろうとする議論にすぎない。…ポジショントークは、プロレスのようなテレビの討論番組と同じで、議論を不毛にするだけだ。
・一般国民は、アベノミクスが無意味で有害であることに気づいている。…多くの国民が、政策の欠陥を理解しており(※う~ん、この認識はちょっと楽観的…?)、他方、権力者とそのアドバイザーたちがその誤りに気づかず、誤った政策に固執している。…こんな悲劇的な国はめったにない。我々はなんと哀れな国の哀れな時代に生きていることか。(※そして今、時代はいよいよ、明るいバラエティ番組の氾濫とともに、危険水域に入ってきた…?)
・日本経済は危機ではないが、現在の経済政策は危機をもたらす可能性がある。そして、その危機を止められないどころか、それに気づかないほど、ブレーンをはじめ現在の政策を支持している論者のレベルは、危機的に低下している。…日本経済の危機ではなく、経済政策と政策論議の危機なのだ。(※そして「一般国民」の危機でもある…?)


【2章】日本経済はヤバくない


○日本経済は成長しない経済になった


・経済の実力ともいえる潜在成長率(長期の供給力からみたGDPの増加率)は、1990年以降ずっと低下してきた(P33にグラフ)。…つまり、日本経済は「成長しない経済」(※定常経済?)になった、ということ。(※「潜在成長率」という言葉は初めて聞いた…)
・人口が減り、高齢化により、労働力(※生産年齢人口)はもっと減っている。…労働人口は今では全体の人口の半分に過ぎない。技術革新も1980年代までのようなスピードでは進んでいない。→ 日本社会と日本経済の成熟に伴い、日本のGDP拡大能力は低下してきた。→ 従って、経済成長率は高くなりようがないのだ(※この現状分析は、藻谷氏の『デフレの正体』に近い? …「震災レポート(21)」参照)
→ それにもかかわらず、経済成長率を無理やり高くしようとしたことが、かえって、日本経済の成長率をさらに低下させたのだ。…(安倍政権の言うような)好循環どころか、長期の悪循環がすでに始まっていたのだ。


○無理なGDP拡大政策の大きく深い逆効果


・第二次安倍政権成立から、経済政策は大規模拡張政策となった。→ 金融政策、財政政策を限界まで(限界以上に)動員して、とにかく短期的に景気を刺激した。
・財政政策の急拡大(第二の矢)を見ると…大幅な公共事業の計上 → 公共事業は需要そのものだから、すぐにGDP(国内総生産)は増加する。つまり、財政出動によって、GDP増加率がかさ上げされた。→ しかし、財源も足りないが、人手不足で、工事を受けてくれるゼネコンがいない。→ GDP増加率への寄与度は低下。
・それよりも本質的な問題は、この無理なかさ上げは、日本経済にダメージを与えていること。つまり、無理なGDP増大を図った結果、その副作用が大きく出てきている。→ 無理な拡張は効率性が悪く、トータルで大きなロスとなる…10引き上げるために20使うようなものであり、当初のプラス10のあと、長期にわたって20のマイナスが経済にもたらされる。…つまり短期的に景気は良くなるが、長期の成長力はかえって落ちてしまう。(後の章で議論)
・しかし、アベノミクスの金融政策(第一の矢)による経済に対する長期的な副作用は、さらに深刻で根深い。…黒田日銀総裁の「異次元の金融緩和」(金融市場に対する刺激策)→ 株価の急騰(ミニバブル)→ 短期には資産効果(株式売買の儲けや保有株の時価アップ)により、消費が刺激され、富裕層、資産保有層の高額消費が膨らんだ。←→ しかし、この短期的な棚ぼたの一方で、コストとリスクは先送りされ、金融市場および日本経済は、長期的には大きなリスクを抱えることになった。
・コストはすでに顕在化している。→ 円安による輸入コスト上昇により、「コストプッシュインフレ」と呼ばれる悪いインフレが起きている。…生活コストと製造原価の上昇により、消費者と中小製造業・サービス業は、生活費上昇および経費拡大で苦しんでいる。
・短期にも長期にも円安は、経済にマイナスだ。…円安は、自国通貨の値下がりだから、日本経済は円安により富を失う(我々の土地、株式、預金などすべての資産が、ドルベースで見れば価値が失われている)。→ 実際、限られた我々の資産と所得で、原油や天然ガスなどの資源や食料など、ドルで価格が決まっているものを必需品として買うのだから、日本にある資産、おカネがどんどん失われることになる。…経済学では、これを「交易条件の悪化による経済厚生の低下」と呼ぶ。…それがまさに今、実現しているのだ。
・リスクとして最も大きなものは、為替市場、国債市場の波乱の可能性が急激に高まったこと。→ つまり、異次元の金融緩和によって、為替や国債の価格変動が急激に高まり、将来これがどうなるか全く予測がつかなくなってしまった。…このこと自体が混乱をもたらす。
・サプライズを今起こす、ということは、将来もサプライズが起こり得るのであり、金融市場に振り回されることが予想される。…しかも、それは日本銀行があえて自ら行う金融政策によるものだ。→ 日本の金融機関、企業、個人は、今後とも金融政策に振り回され、突然の変化に怯えていかなければならないのだ。…この「変動が予測できない状態」こそが、大きな問題なのだ。(これも後ほど詳述)


○良い景気を悪いと叫べば、危機の神も訪れる


・これほどまでに大きな長期的コストとリスクを意図的に抱えてまで、短期的な景気刺激を行わなければならないほど、日本経済は非常に悪い状態なのか。←→ そうではない。日本経済は、まったく悲観することはなく、順調なのである。
・失業率は現在3.5%で、この水準は構造失業率(完全雇用が実現しても経済構造として残る失業率)と呼ばれる水準とほぼ一致。…つまり現在の日本経済は、ほぼ完全雇用を達成しており、短期的な失業対策は不必要な状態(P40に日米の比較グラフ)。…賃金が上がっていないとか、非正規雇用がまだ多いというのは別の問題であって、景気の問題ではない(個別企業の雇用戦略の問題)。→ 雇用について必要なことは、(景気対策としての雇用対策、その場しのぎの対策ではなく)経済構造の変化を踏まえた長期的な人的資本の蓄積であり(※この著者の経済論の肝か…)、そこにこそ政策の出番がある。(これも後の章で詳述)
・日銀などの推計では、日本経済の潜在成長率(経済の実力を表したもの)は、ゼロ%あるいはゼロ%台前半。…つまり、GDP増加率がゼロ付近(※定常状態)なのは普通の状態であり、日本経済の実力は、現時点で十分発揮されている。←→ むしろ、このところ、実力以上のGDP拡大を実現してしまったために、景気が過熱してしまい、その結果、経済に悪影響(副作用)が出てきているのだ。(※う~ん、マスメディアの報道内容とは、ほとんど真逆…)
・このような経済状況にもかかわらず、政府は、景気が一気に悪化したとして消費税率引き上げの延期をした(※過剰反応して消費税引き上げを延期する必要もなかった、というのがこの著者の見解…)。政府だけでなく日銀までもが、異次元の金融緩和ですでに限界を超えている金融政策を、追加緩和でさらに拡大させた。…異次元の異次元だから、これには、金融緩和賛成派のエコノミストたちですら、やり過ぎではないかという疑問を呈するようになった。→ 危機ではない日本経済に対し、危機であると勘違いして、危機的な対応をとったために、日本経済は危機に陥る危機となったのだ。


【3章】アベノミクスの成功という日本の失敗


・アベノミクスとは、痛みの伴わない短期の刺激策を集中して行い、コストとリスクは先送りする、という政策。→ 金融政策によりミニバブルが起こり、大幅な円安が進行している。…意図通りのことが起きた。だから、アベノミクスは成功したのだ。←→ 唯一の問題は、アベノミクスの成功により、日本経済が悪くなったことだ。


○日本経済は順調にゼロ成長


・〔日本の経済状況のまとめ〕…景気は良い。失業率は最低水準であり、日本経済の実力である潜在成長率を超えるGDP(国内総生産)増加率を実現している。…GDP増加率の絶対水準自体は低いが、それが実力だから景気が悪いのではない。(P45に実質GDPの変化のグラフ)
・一方、景気は良いといっても持続性はない。…なぜなら、潜在成長率以上のGDP拡大を目指し、大幅な金融政策(第一の矢)と財政政策(第二の矢)を行なった結果、GDP増加率が大幅にかさ上げされているから。→ 公共事業などの財政支出を除けば、GDP増加率は大幅に低下する。…過熱した経済が、そこから落ちてくるのは当然だ。(※アベノミクスの後遺症)
・同時にインフレが起こり始めている。…一部は、財政金融政策でつくり出したことによる、日本経済の実力以上の需要超過によるものだが、主因は大幅な円安である。→ 円安によるインフレは、経済のコスト増をもたらし、その結果、生活水準、所得水準は、実質ベースで見ると低下している。
・このような現状からいくと、今後の経済は、短期的にはGDP増加率はゼロ付近、あるいは緩やかなマイナス傾向となると見込まれる。…財政支出(公共事業)や消費税増税先送りにより、一時的にプラス幅が大きくなる可能性もあるが、その一時的な効果が消えれば、停滞傾向に戻ると見込まれる。→ 実力である潜在成長率が低いままだから、そこへ収束することになるだろう。
・しかし、これは定常状態だから、悪いことはなく、今後も失業率は低いままであろう。…景気が悪くなるのではないが、一方、現状よりも良くなることはない。→ 今後、徐々にGDP増加率は低下していくことになろう。(※成熟経済…)


○健全性を悪化させるアベノミクス


・このような経済状況においては、アベノミクスで日本経済が良くなることはない。→ 今後、大都市部の好景気が、地方や中小企業に回るということはあり得ない。…今、アベノミクスの恩恵(株高と円安)を直接受けているところ以外は、マイナスの影響が徐々に大きくなるだけだ。
・前述したように、アベノミクスは金融政策による株高、円安と、財政政策による短期的なGDP増加率のかさ上げだから、それが経済の長期的発展に資することはない。←→ 政策により、実体経済は何も変化していないし、これからもしない。…何もしていないのだから、何も起こらないのは当たり前で、そして確実に悪くなっている。
・地方が悪くなっている理由は、直接的には円安によるコスト高だ。→ 輸入原材料や電気・燃料費などの高騰により、中小企業は苦しんでいる。…消費者も同様で、所得環境は全く変わらないから、コスト増加の分だけ貧しくなる。円安、インフレにより苦しんでいる。…短期的にも、すでに直接の悪影響が広がっている。


○成長機会を奪うアベノミクス


・アベノミクスの長期的な悪影響はもっと深刻。…ex. 公共事業を地方にばらまくことによって雇用を生み出しても、それは一度限りのもの(施設などのハコモノは、維持費もかかるのでマイナス効果も…)。(※このことは、原発立地自治体も同様の構造か…)
・さらに重要なのは、公共事業による一時的な雇用は、無駄である以上に大きなダメージを地方経済に負わせることだ。…公共事業関連の業界は、この仕事を覚えても、長期的に役に立つ(これで一生食べていける)とは思えないので、若者や中高年でもこの業界に行くのを躊躇する。→ 人手不足から無理やり賃金を高くして、他の仕事をしている人をはがして集めてくることになる。→ 数年後、仕事がなくなれば(この間、働き手としての成長機会が失われていたので)次の仕事につながらなくなってしまう。(詳細はP50~52)
・多少賃金は低くても、勉強になる仕事に就いていれば、次につながるし、より良い働き手に成長するだろう。→ それは、彼の将来の給料を上げることにもなるし、雇う側にとっても、より付加価値の高い働き手を手に入れられることになる。…これが本当の労使の好循環だが、この機会を、政策により奪うことになる。(※長期的に見て、人が育たない、ということか…)
・さらに、貴重な働き手を、未来のない、付加価値を生み出さない、景気対策だけの、最も無駄なセクターで吸収してしまい、他のセクターを労働力不足にし、付加価値を生むセクターの規模縮小をもたらす。→ この結果、経済全体の付加価値創造力、経済成長率は低下する。(※う~ん、かなり強烈な〝公共事業批判論〟だが、これは「真の成長戦略は人を育てること」という、この著者の経済論からきているよう…)
・このように、公共事業に限らず、〝一時しのぎの景気対策の仕事〟をつくることは、長期の成長機会を失わせることになる。…個人の働き手としての成長機会を奪い、労使の好循環の成長機会を奪い、経済全体の成長力も失わせる。→ 三重の成長機会の喪失により、日本経済全体の長期成長力を低下させてきた。…これが、失われた15年を生み出したのだ。「あの苦しかったデフレの時代」とやらをつくり出したのである。
・アベノミクスの「日本を取り戻す」という政策は、まさにこれだ。1960年代の日本経済(高度経済成長)に戻ることを望むような政策は、日本経済の成長機会を喪失させる。…円安で工場を日本に回帰させるのは、世界的な潮流から日本企業を逸脱させる政策だ。←→ 開発から生産まで市場に近いところで行い、現地の生のニーズを素早く取り込み、現地の人材と共にアイデアから出し合って、開発から販売まで一体化するというグローバル戦力が主流な現在、日本企業だけが1960年代に戻ってしまっては、政策に惑わされた企業は、混迷する可能性がある。…日本経済は政策によって、「新・失われた10年」を迎えるリスクを抱えてしまったのだ。
・アベノミクスは、金融政策で一時的な株高をもたらしたが、一方で、実体経済に対しては何ももたらさなかったのみならず、円安によりコスト高を招き、交易条件を大幅に悪化させ、日本経済全体を窮乏化させている。→ 将来の経済に対しても、短期の景気刺激を優先することにより、長期の成長機会を奪い、ただでさえ低い日本の長期成長力の将来性を低下させている。→ さらに、これらの問題を上回るリスク、危機が現在生じている。…それが、アベノミクス最大のリスク、異次元の金融緩和による金融市場のリスクである。


【4章】黒田バズーカの破壊的誤り

      〔この章は、枚数の関係で要点のみとする。〕


・大規模な超金融緩和は必要ない。なぜなら、失業率は3% 台半ばで完全雇用に近い水準であり、景気は良く、また銀行危機や金融市場の危機も起きていないから。…極端な金融緩和は、コストとリスクを伴う。だから、必要がないのにやるのであれば、それは害である。


○黒田総裁の5つの誤り


(1) 円安が日本経済にとって望ましいと考えていること

・円安はプラスと考えているから、通貨価値をわざわざ下落させるような極端な金融緩和を意図的に行っているが、(前にも触れたように)その時代は1980年代前半で終わった。

(2) インフレ率を上げて実質金利を下げようという考え方

・金融政策における景気刺激策とは、金利を引き下げて投資や消費を促すことだが、日本では、企業や個人への貸出金利は十分低く、また企業は税制優遇もあって、設備投資をすでに十分行っており、個人の住宅も持ち家率が高く、収入が十分ある家計ではすでに住宅を購入していた。…つまり実体経済側の金利低下による投資余地は小さかった。(詳細はP57~61)

(3) デフレスパイラルが存在すると信じていること

・デフレスパイラル論……(デフレで)物価が下がることが予想される → 消費者は値下がりを期待して、今は買い控える → 企業は売れなくて困り、値下げする → 消費者はさらなる値下げを期待して、さらに待つ → デフレスパイラルに陥る。……現実的に考えればすぐに分かるが、こんなことは実際にはない。消費者は必要なもの、欲しい物が値下がりするからといってそんなに待ち続けることはない。
・先進国で恐怖のスパイラルが起きたのは、大恐慌とリーマンショックだったが、マイルドデフレスパイラルというものは存在しない。…毎年0.5%程度物価が下落を続けるような静かなデフレでは、それはスパイラルではない。…継続的な経済停滞(※定常経済?)が物価上昇を抑えたのであり、マイルドデフレによりスパイラル的に消費が減少していったわけではない。
・(将来の物価の下落(予想)が現在の消費を手控えさせたのではなく)将来の所得不安、年金制度不安、日本の政治への不安、高齢化社会、人口減少…というような悲観論の蔓延が、消費を委縮させ、投資を手控えさせたのだ。(※確かにこちらの方が、実感に合っている印象…)
・デフレスパイラルが起こるのは金融市場だ。…そこでは、価格が買い手の行動だけで決まる。皆が買うかどうか、それだけで決まる。だから、人々の期待は実現する。←→ 下がると思えば誰も買わないから、実際に下がる。さらに下落期待が強まる。ますます誰も買わない。さらに下がる。さらに待つ。…まさにデフレスパイラル、いや暴落スパイラルだ。
・今回、株式市場は悲観論脱却により急騰した。…消費者物価とは無関係に、株式市場、金融市場が盛り上がったのであり、他の投資家が買うだろうという予想が広まったことによるものだった。金融市場の論理で盛り上がったのだ。…円安が急激に進行したのも同様だった。→ 大規模金融緩和で動かしたものは、(デフレマインドではなく)金融市場における投資家行動だけだったのだ。
・物価の0.5%の下落を、2%のプラスにしたところで、消費が増えるはずはない。←→ むしろ、物価上昇により買えるものが減るから節約に走り、消費は減ることになる。…将来の所得上昇が期待できなくては、消費は増えない。→ インフレが所得上昇につながるとは誰も思わない。……デフレスパイラルも存在しないし、インフレ加速による消費増加も存在しないので、インフレをあえて起こそうという考えは、完全に誤りなのだ。(詳細はP61~68)

(4) 物価を目標とし、インフレ率を上げようとしていること

・輸入品をより高く買わされることになる円安が、経済にマイナスであるのと同じように、物価が高くなれば、消費者が同じ所得で手に入れられるものは減るから、必ず生活水準は低下する。…インフレは、経済には明らかにマイナスだ。←→ それならば、なぜ物価を必死になって上げようとしているのか。それも、2%というターゲットに固執して…。
・先進国では、1970年代のオイルショックがあったが、新興国では、かつても今もインフレが経済成長を阻害するから、インフレを抑えることが最優先の経済政策。…なぜ、インフレが問題なのか? それは、インフレの下では将来への投資が起きないから。
・インフレになると、将来の価格がどのくらいになるか、わからない。予測が立てにくい。→ 将来の変動の不安により阻害されるのは、設備投資だけではない。将来が不安であれば、人々は消費も控えるし、いろんな契約、人生の決断も差し控えるだろう。…つまり、投資とは将来へのコミットメント、約束である。→ 将来の物価水準や売上収入が不透明なら、現在支出して将来の収入を期待する投資はできないということ。
・ここ15年の日本は、インフレ率のコンセンサスの水準がほぼ1%で確立していた。…日本のインフレ率は、人々の意思決定に影響を与えないという意味で、最も理想的な物価水準だったのだ。←→ それを黒田総裁は、政策によってあえて壊そうとしている。これ以上、誤った政策はない。
・物価における最大の問題点である将来の不確実性が、非常に小さく、最も望ましい状態なのに、それをあえてぶち壊そうとしている。…ところが、現在の安定性は強固だから、壊すのは容易ではない。→ そこで、人々をあっと言わせるような異常な金融緩和をサプライズで打ち出すという奇策で、人々の予想も市場も動かそうとしているのだ。
・安定しているものを動かすのだから、極めて不安定な状態に陥る。→ 市場は混乱し、人々の期待、投資家の思惑は錯綜する。→ 混乱した金融市場は、投機家にとっては絶好の稼ぎ場、長期投資家にとっては最悪の状況となる。…これは一番避けなければならないことだ。それをあえて行っているのだ。→ 実際、2013年4月の異次元緩和で市場は大混乱し、国債価格(つまり長期金利)は乱高下した。…国債を保有している銀行などの金融機関は右往左往した。最悪だ。→ 人々の予想は揺らぎ、この先どうなるのか、予想は大混乱、コンセンサスははるか彼方となった。最悪の事態をあえて起こしたのである。これは明らかに間違いだ。
・おそらく黒田総裁は、日本も欧米と同じようにインフレ率が2%で安定することが必要だと考えているのだ。…継続的な1%のインフレ率の差は、円高傾向を生み出す(詳細はP77)。この円高トレンドができるのが、日本経済にとって最も害悪なことだと、黒田氏は信じている可能性がある。しかし、そうだろうか?
・インフレ率の差を調整するためのものが為替レートであり、だからこそ、変動相場制をとっているのではないか。しかも、年率1%程度の差であれば、問題はそれほど大きくないのではないか。…物価水準は経済の構造を反映しているのだから、それが安定しているのは理想的だ。←→ これをあえて壊してまで、為替を固定(※操作?)しようとする意味はどこにあるのか。…手段にこだわり、実質を見失っている誤りである。(この項の詳細はP68~78)

(5) インフレ率の予想値である「期待インフレ率」をコントロールできると誤解していること

・期待インフレ率はコントロールできない。世界の中央銀行で、期待インフレ率を上げようとしている中央銀行はない。不可能であり、無駄であり、メリットがなく、一方、多大なデメリットとリスクがあるから、そんなバカげたことは誰もしようとしないのだ。…この異次元の金融緩和は、中央銀行としては21世紀最大の失策の一つとも言える。
・世界のすべての中央銀行は、金利による金融政策を行っている。量的緩和となっても、結局は長期金利を下げることによって、住宅投資あるいは資産効果によって消費を刺激している。誰も、インフレ率を直接コントロールしようとはしていない。…インフレターゲットを行なっているアメリカでも、インフレ率はガイダンスに過ぎず、2%を超えると危険水域で、警告を発するだけだ。
・期待インフレ率という目標を達成する手段を、中央銀行は持っていない。手段のない目標は達成できるはずがない。→ だから、たまたま運よく期待インフレ率が2%に来て、そこにたまたま留まってくれることを祈るしかない。…これは祈祷である。祈祷だから、異次元であることは間違いない。(※黒田日銀の金融政策は祈祷レベル? 江戸時代か…?)
・インフレ率は経済全体で広く形成されるものだ。…金利や量的緩和という間接的な手段しかない。だから、インフレターゲットはそもそも(目標ではなく)手段なのだ(米国中央銀行はこのことを分かっており、量的緩和の出口に向かい始めた)。→ ましてや、その予想値である「期待」インフレ率など誰もコントロールしようとしない。…もちろん参考にはする。しかし、あくまで観察対象であり、コントロール対象ではない。
・「期待」は危うい。何によって決まるか、わからない。雰囲気もあるし、今回のように原油もあり得る。そんなものをターゲットにするのはおかしい。これが白川前総裁の考え方だ。ターゲットとしたとしても、観察対象であり、目標でも、コントロール対象でもないのだ。←→ このように誤った目標を掲げ、達成できない目標に手段なしで向かっている現在の日銀の金融政策は、必ず破綻するのである。(※う~ん、言い切っている…この項の詳細はP79~98)


【5章】アベノミクスの根本思想の誤り


○最悪の四段重ねの景気対策


・例えば公共事業などは、不必要どころか害悪である。
①負債が残る。借金を返さなければならない。→ 不必要なモノが残り、借金が残る。
②無駄なだけでなく維持管理費がかかるので、無駄以上にロスが発生する。明らかにマイナスのモノが借金とともに残される。(※新国立競技場もか…)
③公共事業という仕事が今年限りの単発の仕事で、持続性のある、未来のある仕事ではないこと。…雇用としては最悪の仕事だ。→ 若年層はこの仕事に就こうとしない。この仕事をしても、未来が見えないどころか、将来の失業が確実であれば、誰も寄りつかないのは当然だ。
④万が一、仕事に就いてしまったら、最も悪い結末となる。ほかの仕事をする機会を失う。
・これは公共事業に限らない。政府の補正予算などによる景気対策により、一時的な仕事を地方に配るのは、最悪で、地方経済を殺すことになる。…つまり、短期的な仕事を生み出す景気刺激策は最悪なのだ。


○消費刺激は日本経済にマイナス


・地方に配る地域振興券・商品券(要するに個人への現金バラマキ)…これも100%間違っている。(公共施設などと違って、維持管理費はかからないが)メリットはまったくない。政府の借金あるいは将来の増税を財源に現金をばらまいているだけだから、せいぜいプラマイゼロ(低所得者に現金を渡すなら、分配政策・社会政策としては意味があるが、景気に対する効果はなく、経済にはまったくプラス面がない)。
・景気刺激策と言えば消費喚起…「貯蓄は罪、とにかく(無駄遣いしても)消費こそが経済のすべて」というような風潮があるが、それは誤りだ。→ なぜなら、消費を刺激することは、現在の日本経済にはマイナスだから(これはどんな経済学の教科書にも書いてあること)。…すなわち、貯蓄のしすぎは過剰貯蓄であり、長期の安定的な消費水準は下がる。←→ 一方、過剰に消費してしまうと、貯蓄不足が投資不足をもたらし、資本蓄積が不十分で、長期の経済成長率が低下し、縮小均衡に陥ることになる(これはマクロ経済における最適成長の経路として、必ず出てくる話。…アジアの高成長は高い貯蓄率によるものだというのが定説で、1960年代までは日本がその代表、1990年代以降は、他の東アジアの国々がそのお手本とされてきた)。
・つまり、物事には妥当な水準があるということで、消費も最適な水準にあることがベストであり、消費しすぎも、貯蓄しすぎも、どちらも良くない。それだけのことだが…肝心なのは、今の日本は消費不足ではなく、貯蓄不足だ、ということ。→ 2013年度の家計の貯蓄率は、1955年以降、初めてマイナスに。…つまり日本経済は、全体で貯蓄を取り崩す経済になった。(※う~ん、これは実感的に納得…)
・日本は(消費不足ではなく)貯蓄不足なのだから、さらに消費を増やせば、貯蓄不足はますます深刻になり、投資不足、資本蓄積不足となり、経済成長率はさらに低下することになる。⇒ 実は、近年の成長率の低下の一因は、消費のしすぎにあるのだ。
・消費は今期の需要になるが、それで終わりであって、次につながらない。将来の経済成長につながらない。→ 将来の経済成長は、投資による資本蓄積によるのだ。…投資とは、経済学的には貯蓄の裏返しであり、貯蓄とは、所得のうち消費されなかった分だ。だから、貯蓄を増やし、投資を増やし、資本蓄積を進めるためには、消費は減らさなければならない。←→ 消費を増やすことは、経済成長率を低下させるのだ。(※う~ん、そうだったのか…?)


○真の問題は投資・供給力不足


・消費至上主義という誤りに関連した、もう一つの根本的な誤りが好循環至上主義だ。――経済は循環だから、無駄遣いでもいいから消費をして、おカネが経済に流れれば、それが誰かの所得になり、その人がまた消費をすれば、また誰かの所得になり…と循環していく。 → この好循環を生み出すことが、経済にとって最も重要であり、経済政策の肝だ。→ いったん経済がうまく循環し始めれば、永遠に拡大する。これが持続的な経済成長だ――そう思っている人々がいる(※というより、世の常識?)。…これも、根本的な誤謬だ。
・彼らは、消費せずに貯蓄してしまうと、そこで流れが止まって、経済が止まってしまう、拡大を止めてしまう、不況になってしまう、と思っている。…それは違う。経済はそんな自転車操業のようなものではない。←→ 貯蓄されたおカネは眠りはしない。→ 消費が誰かの所得になるように、貯蓄は誰かの投資になるのだ。
・日本経済は完全雇用をほぼ達成し、需要不足ではない(※つまり定常経済?)。それでも成長率がゼロであるのは、潜在成長率がゼロ程度だから。…潜在成長率とは、供給力の増加率。→ すなわち、供給力不足が、日本経済の真の問題なのだ。
・では、この供給力不足はどこから来たのか? それは投資を怠ったことによる。…かつて、バブル期に過剰投資をしてしまったため ←→ 1990年代以降、人も設備もひたすらリストラを進めてきた。→ この結果、現在の日本経済は、人的資本も実物資本も、どちらも不足してしまっている(※量的というより質的な問題…?)。…これが日本経済の真の問題だ。→ 従って、消費を政策で刺激することは、意味がないどころか、成長を阻害するのだ。
・前述の消費の循環のようなことは、絶対的に需要の総量が不足しているとき(ex. 大恐慌やリーマンショックのような、失業率25%、需要が経済全体で半分に減るような状況)の場合には必要だ。→ 需要を増やして、凍りついた経済を循環させることを政策で行うことに意味はある。←→ しかし、平時、普通の景気循環の中での景気悪化に対しては、危機における財政出動と同じようなイメージで政策を大盤振る舞い(※アベノミクス)すれば、経済には大きなマイナスとなる。
・とにかく消費をさせて、カネをぐるぐる回して景気づける、というのが景気対策、経済対策であり、政策として常に必要だ…と思い込んでいる人々が多いが、これは、まさに100年に一度の危機的な需要不足のときだけの問題であり、しかも、経済が凍りついているような場合に限られる。←→ 単に景気循環で好況から不況期に落ち込んだ時期には、少し需要を均すために、金融緩和を少しするのが通常であり、妥当だ。
・しかし、今の日本経済はどちらでもない。危機でもなく、不況でもない。…現在は平常時であり、また普通の景気循環としても、ほぼ完全雇用であり、景気は良い状態。…現状で、需要が足りない、景気が悪いと感じるようであれば、(それは景気循環ではなく)経済そのものの力が落ちていることから来ている。⇒ 供給力不足が原因であり、柔軟で、現在に適した人的資本や設備が足りず、世の中のニーズに合ったモノやサービスが生み出せなくなっていること(※商品はあふれているのに、欲しいものがない…)が、成長の低下の原因だ。←→ このとき、消費を刺激すれば、貯蓄が減り、投資が減り、成長力はますます低下する。→ 成長率低下スパイラルに陥ってしまう。
・供給力不足とは、牛丼チェーンのバイトが足りない、というような量的な問題だけではない。むしろ、量より質が重要。きちんと店を回せる店長が不足しているのだ。…誰でも良ければ、カネを払えば人は雇える。同じ業態であれば同じように人手不足になっているわけではない。→ 働き手に評判の悪い企業は、金を払っても人が集まらず、きちんとしている企業は、業態が同じでも、人手不足で店を閉めることはない。それは、店を回せる人材をきちんと手間暇(と愛情も)かけて育てているからだ。…人が定着するかどうかが問題なのであり、これも量よりも質が重要であることの一例だ。(※う~ん、原則的には異論なし…)
⇒ このように、日本経済に必要なのは、(需要でもなく、単なる物量の供給力でもなく)供給の質、すなわち人的投資と実物投資だ。…丁寧に人を育て、質の高い設備投資をすることが必要なのだ。(あとの章で詳述)


○高度成長回帰という時代錯誤


・とにかく設備投資を刺激して(ex. 設備投資減税)、投資させればいい、というのは高度成長期の景気対策だ。…それは本質的には需要の量を増やす対策なので、質の高い供給力が何よりも必要な日本経済の現状(※成熟社会)には合わない。→ 経済構造も1960年代とは大きく異なっているから効果がなく、むしろ害悪となる可能性がある。
・まだ高度成長期の幻影があるのか、「成長軌道に戻す」という言葉をアベノミクス推進者は使うが、そもそも21世紀の日本経済においては、もはや成長軌道は存在しない。→ 1960年代の日本や2003年までの中国などにしか存在しない高度成長期のメカニズムを、現在の日本で目指しているところが、根本的に間違っているのだ。
・1960年代と違うのは、確実に需要が量的に拡大しないことと、21世紀の世界は変化が激しく、今年売れるものが来年売れるとは限らず、同時に、今期は有用な設備が来期も有用で効率的とは限らないこと。→ 従って、1960年代に比べて、今日の設備投資が明日の経済に適合的でない可能性が高い。…量的な不確実性も質的な不確実性も高く、二重の意味で無駄な設備(過剰設備)になってしまう可能性が高い。…現在の経済は複雑で多様性に富み、変化も激しい。市場も世界に広がり、それは世界の各地域のローカル特性を持った市場だ。←→ 力任せに効率よく安いモノを作れば売れるわけではない。
・このような時に、今日の需要のために(短期の景気対策)、何でもいいからとにかく設備投資をしておけ、という考え方で設備を増やすと、明日以降の過剰設備、不況の原因となるのだ(※もはや中国も過剰設備と言われている…)。→ その設備にこだわる企業は、売れないものをつくり続けて赤字を拡大するし、その設備に習熟した労働者は使えない労働者になってしまう。(※ex. シャープ…?)
・右上がりの単純に規模が拡大する経済において成立した設備投資モデルは、現在の経済(※成熟経済)には合わない。→ これゆえ、設備投資信奉者、そして成長軌道回帰願望者は、いまだに1960年代の世界を夢見て、誤った景気刺激政策を行い、日本経済の成長を阻害することになってしまうのだ。


○「貯蓄から投資へ」キャンペーンのインチキ


・「貯蓄が投資に回らないのが問題だ、貯蓄から投資へ」というかけ声、あるいは呪文もよく聞くが、これも経済学の教科書を読めばわかる誤りだ。…所得のうち消費しない分が貯蓄であり、その貯蓄は、経済全体では必ず投資として使われる。貯蓄=投資なのだ。←→ 貯蓄から投資へ、というかけ声は、銀行預金から株式投資へ、ということにすぎず、株価つり上げキャンペーンにすぎない。…証券会社が確信犯的に、このかけ声を信奉するのはわかるが、日本人は貯蓄ばかりで投資しないから経済が成長しない、という発言をするエコノミストがいれば、経済がわかっていないか、インチキかのどちらかだ。⇒ 本当の問題は、貯蓄としての銀行預金が有効に活用されているかどうかだ。(※う~ん、納得感あり…詳細はP116~117)
・銀行はリスクをとらず、国債ばかり買って無駄に使っている。だから銀行預金よりも株式投資を個人がして、資金を有効活用せよ、という議論もあるが、これも適切ではない。…政府が国債などを大量発行して借金を1000兆円もしているから、銀行預金が国債に回らざるを得ないのだ。←→ 銀行や生命保険会社が国債投資を止めたら、それこそ日本の金融市場は崩壊し、経済は危機に陥る(※いわゆるデフォルト…?)
・政府が借り入れた1000兆円を、意味のある将来への投資に回し、経済の供給力としてくれれば、経済も成長したはずなのだ。←→ だが、この1000兆円を、政府は、将来へ向けての供給力となる投資に使わず、ほとんどが無駄な政府支出として浪費(※公共事業や補助金?)してしまったり、あるいは年金支出など意味あるものだったとしても、要は、消費してしまっているのだ。→ この結果、資本が日本経済に残っていないので、成長できないのだ。←→ この1000兆円が国内の有効な実物投資となっていれば、あるいは人への投資として人的資本が蓄積されていれば、日本経済の成長力は驚くほど高かっただろう。
・国債については、銀行が国債を買うのは国内に投資需要がないからだ、という議論もあるが、そうだとしても、日本国債のように将来の供給力を生まない投資をするよりは、収益の上がる海外に投資した方がましだった。…海外投資では国内雇用に結びつかないと言うが(海外赴任や国内の本社の雇用が増えるという場合もあるが)、それでも、投資がうまくいけば、将来の所得になるのであり、元本とリターンが返ってくるから、本当に将来、需要不足になったときの消費の源泉となる所得となる。→ リターンが得られる限り、それは金融投資であっても価値があり、将来の経済を支える意味のある投資だ。
・この観点から言うと、1000兆円は国民の借金ではなく資産であり、日本国内での借金だから、政府負債1000兆円は何の問題もない、という議論(※これを言うエコノミストや識者はけっこういる…)は、明らかに誤りである。→ 問題は、貸したカネが意味のある投資となり、その収益によって貸したカネが返ってくるかどうかだ。
・おカネを借りて、それをまともな資産として蓄積せず、また収益を生む投資もしない。→ 何も生み出さず、ただ使ってしまったとすれば、借り手には借金しか残らない。返そうと思っても返すモノがない。…政府の場合も、いざ1000兆円返せ、と我々が言ってみても、政府は税金で新たに国民から奪わないことには払えない。(※結局、借金のツケは未来世代に…?)
・1000兆円を何らかの資産として残していないのであれば、1000兆円は資産の裏付けのない借金でしかなく、国民にとっては不良資産であり、現時点ですでに政府は債務超過、実質破綻しているのだ。…これは大きな問題である。→ 本来であれば、1000兆円を増税なしに返せなくてはいけないはずだ。あるいは、1000兆円分の有効な実物資産が残っており、それが経済成長を生み出していなくてはいけないはずだ。(※う~ん、原則論としては納得…)
・1000兆円を返す必要がない、という議論もあるが、返す返さないの問題ではない。…その1000兆円を有効に使ったか、経済にプラスをもたらす投資を行なったか、ということが重要なのだ。…政府の消費、投資、カネの使い方の非効率性は誰もが認めるところだから、政府に1000兆円貸すよりは、付加価値を生み出し、元本を利子とともに返してくれる民間経済主体が有効活用するべきだった。→ 1000兆円の消費により、日本の経済成長は失われたのである。(※日本国の〝1000兆円の借金〟の問題は、今後とも避けて通れない重要な難題と思われるので、少し丁寧に見てみた。…詳細はP116~121)


○経済の本質を誤解しているアベノミクス

〔本章のまとめ〕


(1) 日本経済は需要不足ではなく、供給力不足である。

(2) 供給力不足といっても、単純に移民や女性投入(〝輝ける女性〟と言ったところで、彼らの狙いは労働力の頭数を増やすことに変わりはない)などで労働力を増やすことや単に設備投資をすることによっては解決できず、質の高い労働力とニーズに合った実物資本、そして将来にわたってニーズをつかみ続けるような柔軟な研究開発能力が必要だ。

(3) 消費を無理に増やすことは、百害あって一利なし…需要が足りているなかでは、単なる無駄なインフレが起きるだけであり、景気の過熱はロスとなる。→ さらに、消費を増やすということは貯蓄を減らすことであり、貯蓄が元になる投資が減ること、つまり日本経済の将来への生産力、供給力が落ちることである。そして、これこそ、日本経済が陥っている成長力不足(※量的ではなく質的な…)をさらに深刻化させた原因である。

・従って、とにかく消費を刺激して、カネをぐるぐる回し、カネ回りを良くして経済を活気づける、という考え方は間違っている。…トリクルダウン(お金持ちが無駄にカネを使えば、庶民も潤う)という議論も誤りである。→ それは、投資の機会がなくなり、供給力と成長力が失われることである。←→ 国内で投資ができないとしても、海外に投資するなどして、現在よりも経済全体の消費が減り(※高齢化と人口減…)需要不足になると思われる将来に、必要な資産、食い潰すだけの資産をとっておいたほうが、日本経済には有益なこととなる。
・このように、アベノミクスは、根本的な経済の捉え方、経済政策についての考え方が、誤っているので、今年の景気を刺激することはできても、持続的な成長をもたらすことは決してできない。→ それどころか、成長機会を殺しているのであり、中長期的には経済の活力が失われていくことになる。⇒ 供給力の質を高める人的資本、実物資本への丁寧な投資こそが、日本経済には必要なのだ。


【6章】日本経済の真の問題


・〔この章のポイント〕…この20年間の低迷は、日本経済の低迷ではなく、経済政策の低迷だった。→ 失われていた「政策ヴィジョンの構造改革」、これが今、必要なこと。…すなわち、マクロ経済政策偏重からの脱却、景気対策からの脱却、国全体での成長戦略からの脱却である。←→ デフレ脱却は重要ではない。
・今の日本経済の問題…景気が悪いのではない。景気循環は順調で、過熱しているくらいだ。→ だから景気刺激策はまったく必要ない。それどころか、マイナスの影響がある。日本経済に必要な(※質的な)成長力を奪うから。…景気が悪いのではなく、潜在成長力という日本経済の実力が落ちているのだ。→ これを回復するためには、短期的な景気刺激策(※アベノミクス)をとることは無駄であるだけでなく、害なのだ。


○短期的景気刺激策の三つの罪


(1) 必要な財源を無駄なものに使い、成長力を上げるための財源がなくなる。

(2) 景気刺激策をとること自体が成長を阻害することになる。…景気対策は、(既存の企業の)ある種の既得権を守ること。→ 既存の経済構造を固定することになり、新しい企業の誕生を妨げ、若い労働力が将来への成長機会となる、先のある仕事(※未来性)に就けなくなる。…つまり、新しい経済構造の誕生、経済自体が持つ柔軟な環境変化対応能力を阻害することになる。

(3) 本質的な問題から人々の目をそらせることになる。…(短期的に)景気が少し良くなり、見せかけの安息を得て、そこで経済の変化への対応を止めてしまう。→ 環境変化への対応を止め、同じやり方にとどまり安心し、思考停止になる(※まさに日本の今の状況…?)。→ 即効力のある麻薬を求め、政策サイドもこれに応えようとし、ひたすら(短期の)景気対策が繰り返される(※間違った対症療法)。→ そして、効率の悪い場所にとどまったまま、全力で努力しながら、過労死を迎えることになる。…それではだめなのだ。←→ 頑張るなら、未来のある努力のほうが誰にとっても望ましい。(※確かに…)


○GDP増加は成長ではない


・では、何をするか? → 成長力を上げること、長期的な日本経済の実力をつけることだ。…しかし、それは量的な拡大ではない。→ まず、GDP増加率を成長の指標として使うことを止めることが必要だ。
・GDP(国内総生産)の増大は成長ではなく、単なる膨張だ。人口が増えれば自然に増える。…だから、成長戦略に人口政策が入っているが、それは誤り。→ 人口増加は、(経済のためではなく)社会としての必要性の有無で考えるべき。…ex. 低賃金労働力の不足による経済規模の縮小を防止するために、移民を促進するというのは、経済規模だけを考える誤った政策だ。⇒ 社会として、移民に関する望ましい形を先に考えるべき。→ 多様な国籍の人々が集まることが良い社会であることと、経済規模を維持するために、低賃金労働力のプールとして移民を促すこととは、まったく別の問題だ。(※これは深く納得…)
・このような混乱した議論を避けるためにも、少なくとも経済成長は、(経済全体のGDP規模で考えるのではなく)1人当たり国民所得で考えるべき(※GDPで中国に抜かれた、というようなことは、人口規模の違いから言っても、あまり意味はない、ということか…)。→ そうすれば、経済の効率性・高度化を図ること(量よりも質)が必要となり、真の意味で経済の成長を目指すことになる。→ しかし本当は、これも依然として国民所得という「量」で考えていて、質を考えていない。つまり、本当の意味での経済の成熟度を測っているわけではない。真の豊かな生活を表しているわけではない。
・1人当たりの県民所得は、東京がダントツに高い。→ その東京を全国で見習えば、日本の国民所得は上がる。しかし、それは国民を幸福にはしない。…生活コストや社会コストが東京並に上がれば、とんでもなく住みにくい国になってしまう。←→ あらゆる活動が、金銭的尺度・価値で測られる大都市に比べ、普通の街、市町村では、金銭に表れない豊かさがある。…東京などの大都市での生活は、この豊かさを犠牲にして、その分しかたなく、高い給与を得てごまかしているのだ。〔※う~ん、「里山資本主義」(「レポート」22,23)とも通底するようだが、ちょっと都市と地方の対比を、単純化している嫌いもありか…?〕


○米国ビジネススクールのランキングが示すもの


・前項のようなことを言うと資本主義否定論者かと言われそうだが、そんな批判を受けるのは日本だけだ。…米国では就職のとき、カネをとるか、パートナーと一緒に暮らせる街を選ぶか、これがキーになる。採用側も、二人でのセット採用に対する交渉を当然のように行う。
・米国のビジネススクールのランキングには、年収とともに生活費調整があって、ニューヨークの学校は卒業後の年収も断然高いのだが、生活コストも断然高く、実質で見るとあまりランキングは高くならない。…これらは、最も所得が高い人、仕事に恵まれた人の話であるが、最も仕事に恵まれた人こそがニューヨークを選ばない、というところがポイントなのだ。
・東京で働くことも、ニューヨークと同じであり、つまり東京で働くのは、遅れていてダサいのであり、東京以外で働けないから仕方なく働くのだ。→ 実は日本でも、米国と同じ状況にすでになっている。20代の子供のいる夫婦で、東京を避けて、環境の豊かな地方に移住することを望む人が増えている。…これは、住環境、子育て、教育環境を考えれば、当然の結果とも言える。生活環境の豊かさは計り知れない。コンビニがなくて困る、のではなく、コンビニで食事をすまさずにすむ、のである。食生活は質的に次元が違う。コストも圧倒的に低い。住環境も、違い過ぎて比べようがないが、東京で木を見つけて喜ぶのとは異次元である。自然を探すのではなく、自然の中に住んでいるのだから、公園も庭もいらない。自然がすべてを提供してくれる。〔※う~ん、地方で暮らしたことがないので何とも言えないが、そして地方の実態がこのようであれば、それは本当に望ましいことだと思うが、実際はもっと複雑な話ではないのか…? ちなみに当方のツレアイは、田舎が嫌だから東京に出てきた、と言っているが(ウン十年前の話だけれど)…現在は、地方の環境が格段に良くなっているのか…? それとも、東京の劣化が、地方以上に劇的に進行しているのか? …『東京劣化』(PHP新書)2015.3.30〕


○指標を目標とする本末転倒


・東京と地方の比較で浮かび上がってきたのは、豊かな経済・社会生活の度合いを測るためには、1人当たりGDPや国民所得では足りない、という事実。→ GDP依存症から脱却する必要がある。(※これは納得…)
・成長ではなく成熟を目指すとすると、(成長の代わりに)経済と社会の成熟度を表す指標は何になるのか? …その指標がないのが最大の問題であり、そのためにGDP膨張派に「だから国家の目標、政策目標はGDPしかない」と、単なる指標を目標とする議論に負けてきた。…ex. 米国マクドナルドのボーナスの設計の事例…売上げや利益に連動したボーナスを与えると、店長は後輩の指導や店の清掃やブランドイメージの管理を怠り、数値目標の達成だけに邁進し、短期的には売上利益が伸びるが、長期的にはマクドナルドのブランド価値などが落ちて、会社全体にとってマイナスとなる。(※いまマクドナルドはピンチのよう…)
…ex. 教育でも、点数至上主義、大学進学至上主義が存在すると、それ以外の質的に重要な教育が疎かになってしまう、学校が塾と同じになってしまう。…このような例は無数にある。(※う~ん、どこかの地方の高校が、有名大学に合格した生徒に報奨金のようなものを出した、というニュースがあったな…)
・GDP成長率の問題も同じことだ。…GDP至上主義で、経済が長期的に悪い構造にはまっても(ex. 財政が悪化しても金融リスクが高まっても)、目に見える短期の明確な指標であるGDP増加率を引き上げるために、財政出動、減税、金融緩和が優先され、目に見えないリスクは先送りされる。…これもまったく同じだ。(※その場しのぎと先送り…日本社会の悪弊か…)
⇒ 指標が手に入るGDPを、手頃な目標として設定してはいけない。→ 成熟経済の場合には、質の豊かさ、成熟した豊かさは主観であり、個々の価値観によるもの。…そもそも客観的な指標をつくることはそぐわない。さらに言えば、客観的指標を設定し、それを国家的な目標とするという発想自体が、成熟経済にはふさわしくない。(※今の世の中〝数値目標〟の氾濫…社会の意識が、まだまだ「成熟」の域に達していないということ…?)
・一方、マクロ経済政策は、(GDP成長率という数値目標ではなく)何を指針にすればよいか? → 社会としては、まず失業率の低下への対策が最優先されるだろう。…仕事がある。これが何よりも重要である。失業はなんとしても避けるべきものだ。…もちろん、見かけの失業率は低いが、多くの人に労働条件や賃金水準についての不満が広がっているなら、実質的な雇用問題は、見かけの失業率を超えて、根深く大きな問題となっている、と捉える。潜在的な失業とも考えられる。→ だから、失業の減少、幅広く捉えれば、雇用が最大の目標となる。…ただ、現実的には、(GDPの数値が指標として存在する以上)成熟経済社会においても、GDPの数値も参考にしながら、経済の規模とその他の成熟的な豊かさ(質的な豊かさ)のバランスを計っていくことになろう。


○結論:政策ヴィジョンの構造改革


・では、「質的な豊かさ」「成熟社会」はどのように追求するのか。→ すべては各個人と各地域である。…個人の成熟と地域社会の成熟が基盤となって、日本経済全体の健全な成熟が実現するのだ。…経済は、個人の総和であり、日本は、各地域の総和である(※う~ん、ほんの70年前には、この個人と国家が逆立していた…個人や地域は、国家の犠牲となった…)。→ 従って、これらの個々の力を高めることを支える役割を政府は果たすことに集中する。⇒ これが、唯一の長期的経済成長戦略であり、我々の言葉で言えば、成熟経済のヴィジョンである。(※いま、現政権は、また逆のことをしようとしている…?)
・成熟社会においては、個人の価値観、各地域のあり方は、多様になる。…だから、マクロ経済政策を日本全体に押し付けることは意味がない。→ マクロ経済政策は環境整備(安定した経済環境を維持すること)に尽きる。…安定した物価、為替、金利…それで十分だ。
・成熟経済においては、トップダウンの手法も通用しなくなる(国レベルでヴィジョンを決め、日本全体がそれに向かって突き進む、というスタイルは高度成長期までだ)。→ それぞれの地域は、それぞれの道を歩むから、国全体での方針、計画はいらない。邪魔である。(※う~ん、日本社会は、まだこのレベルには達していないのでは…? 地方も、ゆるキャラやB級グルメなど、まだまだ〝横並び〟が多いよう…。→ それでも、何か兆しは、見えてきているか…)
・このことは、高度成長が終わり、二度のオイルショックを乗り切った1980年代前半には、すでに明らかになっていた。→ その後、バブルとなり、問題は見えなくなり(※人間、踊り出すと、見えなくなる…)、また、1985年以降は円高対応だけに関心が集中し、→ この結果、日本の社会経済構造の変化、およびそれに対応した経済政策の考え方への移行が忘れられてきたのだ。……1992年以降の経済の低迷、失われた20年と言われる日本経済において、最も致命的に失われていたものは政策ヴィジョンの構造改革だったのだ。
・1997年以降の金融危機対応、2001年以降の日銀の金融政策においては、まさに危機対応であり、政策は大きな意味を持った。←→ しかし、それ以外については、経済政策は死んでいた。→ 何のヴィジョンも思想もないまま、焼け石に水のような景気対策だけを繰り返し、借金を急増させていった。…日本の資産である貴重な金融資産は、成長を生み出さない政府の財政支出に注ぎ込まれた。→ これが、新しい経済構造への革新を阻害した。…その中でデフレマインドと呼ばれるものが生まれた。(※日本病…?)
・デフレマインドとは、(将来の物価下落に対する不安ではなく)将来の所得、雇用環境への不安であった。→ この結果、消費は抑制され、将来の社会保障への不安から、高齢者は必要以上の貯蓄に走った。…将来所得、将来雇用の不安は、政府や政策への不安、不信により、増殖していった。←→ 一方、政策サイドは、この不安から生じる経済の停滞に対し、景気対策という、一見その場しのぎ、実はその場しのぎにもなっていない、無関係なもので応じた。→ これが、ますます政府不信、経済政策不信を増長させた。将来への悲観マインドは高まった。……これが失われた20年の構造である。(※う~ん、なんか実感に近いか…)
・日本経済は、バブル崩壊による金融危機というどん底からの回復プロセスにあり、同時に、高度成長期の経済モデルからの脱却を模索するプロセスにあった。→ これが結果として、20年間の経済の停滞の主な要因となった。…しかし、この回復のプロセスに20年もかかったのは、経済政策の構造変化が行われなかったから。→ 金融危機からの回復には成功したが、副作用として、金融危機脱却後、円安、株高が何よりも必要であると信じ、その実現を政府の政策に依存するという、堕落した体質となってしまった。(※う~ん、説得力あり…)
・経済政策の思想としても、「日本経済は需要不足であり、景気を刺激し、消費を促すことが何よりも必要である」という1960年代の思想から一歩も変化できなかった。→ 古い景気対策を継承し、さらに拡大して、繰り返し行うこととなった。…堕落しただけでなく、堕落する方向も180度誤っていたのだ。
・この結果、日本経済の潜在成長力は大幅に低下した。そして、実際のGDP成長率も低下した。←→ 政府はこれに対し、経済政策の思想も構造も変えずに、さらなる景気対策で応じた。→ 結果的に、景気対策の規模は大きくなり、借金の額の増加速度は加速し(※もはや1000兆円超…!)、金融政策に至っては、極めてリスクが高く、根本的に誤った考え方の異次元緩和が行われることになってしまった。→ さらに、これが継続的に行われたため、副作用ばかりが大きくなり、景気刺激策を打っても効果がなくなってきた。→ だから、さらに大規模の景気対策を行うようになって、さらに歪みは拡大した。…まさに経済政策と成長率の悪循環、成長率低下スパイラルに陥ってきたのだ。(※う~ん、日本は大丈夫なのか…?)
                                 (6/18 つづく)        

〔今回の[前編]では、アベノミクスという政策(円安・株高とインフレ誘導)の誤りについて見てきました。→ 次回の[後編]では、アベノミクスに代わる「他の選択肢」について探っていく予定です。…続きものなので、あまり間が空かないよう努力します。〕
                                       (2015年6月18日)