2014年12月5日金曜日

『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫

(震災レポート29) 震災レポート・拡張編(9)
 ―[脱成長論 ①]


                                  中島暁夫



 これも今回の大震災(原発事故)をきっかけに書かれた論考ではないか…少なくとも当方はそのように読んだ。現在、世界に吹き荒れているグローバル資本主義の嵐…。その象徴としての、9・11同時多発テロ、9・15のリーマン・ショック、そして3・11の福島原発事故…。それらにこの著者は、資本主義というシステムの終末の姿を見ようとしている。…このシステムは、もう終わらせないといけない…そのような著者の、怒りとも、祈りともいえるような思いが、静かに熱く伝わってきた。



                                         
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
 
                    (集英社新書)2014.3.19――[前編]
                                        (2014.4.16 3刷)



〔1953年生まれ、日大教授。早大大学院経済学研究科修士課程修了、証券会社系シンクタンクでエコノミスト(30年)を経て、内閣府官房審議官などを歴任。著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』『世界経済の大潮流』など。〕


【はじめに】資本主義が死ぬとき

・資本主義の死期が近づいているのではないか。その理由は、もはや地球上のどこにもフロンティアが残されていないから。
・資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまりフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム。
・「アフリカのグローバリゼーション」が叫ばれる現在、地理的な市場拡大は最終局面に入っていると言っていい。もう地理的なフロンティアは残っていない。(※人類誕生の地・アフリカが、最後のフロンティア…。そして今、そこからのエボラ出血熱に人類は脅かされている…)
・また金融・資本市場を見ても、各国の証券取引所は株式の高速取引化を進め、一億分の一秒で取引ができるようなシステム投資をして競争している。→ このことは、「電子・金融空間」の中でも、時間を切り刻み、一億分の一秒単位で投資しなければ利潤をあげることができないことを示している。→ 日本を筆頭にアメリカやユーロ圏でも政策金利はおおむねゼロ、10年国債利回りも超低金利となり、いよいよその資本の自己増殖が不可能になってきている。
・つまり、「地理的・物的空間」(実物投資空間)からも「電子・金融空間」からも、利潤をあげることができなくなってきている。→ 資本主義を資本が自己増殖するプロセスと捉えれば、資本主義が終わりに近づきつつあることがわかる。
・さらにもっと重要な点は、中間層が資本主義を支持する理由がなくなってきていること。…自分を貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を維持しようというインセンティブ(経済的誘引)がもはや生じない。→ こうした現実を直視するなら、資本主義が遠くない将来に終わりを迎えることは、必然的な出来事だとさえ言えるはず。
・資本主義の終わりの始まり……この「歴史の危機」から目をそらし、対症療法にすぎない政策(※アベノミクスも?)を打ち続ける国は、この先、大きな痛手を負うはずだ。

【1章】資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ

○経済成長という信仰

・(政界でもビジネス界でも)ほとんどの人々は、「資本主義が終わる」あるいは「近代が終わる」などとは夢にも思っていないよう。→ アメリカをはじめどの先進国も経済成長をいまだに追い求め、企業は利潤を追求し続けている。(※従って、著者は〝異端〟のエコノミスト…)
・私が資本主義の終焉を指摘することで警鐘を鳴らしたいのは、こうした「成長教」にしがみつき続けることが、かえって大勢の人々を不幸にしてしまい、その結果、近代国家の基盤を危うくさせてしまうから。→ もはや利潤をあげる空間がないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中する。→ そして現代の弱者は、圧倒的多数の中間層が没落する形となって現れる。(※これは堤未果の著作とも通底…)
・確かに新興国と呼ばれる国々は、このあと20年や30年は成長を続ける可能性がある。労働力を安く買い叩くことで利益をあげ続けるグローバルなブラック企業(※ユニクロも?)もあるだろう。…けれども、それは局所的な現象にすぎない。→ 資本主義が経てきた歴史的なプロセスを検証すれば、成長が止まる時期が近くまで迫っていることが明白にわかる。
・中世封建システムから近代資本主義システムへの転換期(1450~1640年)を、歴史家ブローデルは「長い16世紀」と呼んだが、私たちは今、同じような歴史の峠に立っている。…現在が、(中世から近代への転換点に匹敵する)500年に一度の大転換の時期であること。→ それを端的に教えてくれるものが、利子率の異様な動き。

○利子率の低下は資本主義の死の兆候

・昨今の先進各国の国債利回り…際立った利子率の低下が目立つ。→ 先鞭をつけたのは日本…10年国債の利回りが、1997年2.0% → 2014年0.62% → さらに米英独の10年国債も、金融危機後に2%を下回り、その後、短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現(P14に図)。
・1997年までの歴史の中で最も国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリア・ジェノヴァ。金利2%を下回る時代が11年間続いた(P15に図)。→ 日本の10年国債利回りは、400年ぶりにそのジェノヴァの記録を更新し、2.0%以下という超低金利が20年近く続いている。→ 経済史上、極めて異常な状態に突入している。
・利子率低下の重大さ……金利は、資本利潤率とほぼ同じと言えるから。→ 資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させること(※G-W-G´)が資本主義の基本的な性質なのだから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候。
・ジェノヴァをはじめとする16世紀末~17世紀初頭のイタリアでもそうだった。…「銀と金は投資の手段を見出すのが困難である。『資本がこれほど安く提供されたのは、ローマ帝国の衰退以来ヨーロッパの歴史において初めてであるが、これは実は並々ならぬ革命である』」(ブローデル著『地中海』より)。…つまり、投資がすでに隅々まで行き渡ってしまい、「革命」と言えるほどに利子率が低下した(詳細はP15~17)。→ これが「利子率革命」。(※本書ではこの利子率が、資本主義の行く末を示す重要なキーワード)

○繰り返される「利子率革命」

・利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロ。そうした超低金利が10年を超えて続くと、既存の経済・社会システムはもはや維持できない。…これこそが「利子率革命」が「革命」たるゆえん。→ そして、16世紀末~17世紀初頭(「長い16世紀」後半)のジェノヴァが、まさにそうした「利子率革命」によって社会の大変動の洗礼を浴びた。
・そして現在、先進各国で超低金利の状態が続いていることを、私は「21世紀の利子率革命」と呼んでいる。…繰り返すが、この「利子率革命」は、利潤を得られる投資機会がもはやなくなったことを意味。なぜなら利子率とは、長期的に見れば実物投資の利潤率を表わすから。
・このような資本利潤率の著しく低い状態の長期化は、企業が経済活動をしていく上で設備資産を拡大していくことができなくなったということ。→ 利潤率の低下は、裏を返せば、設備投資をしても、十分な利潤を生み出さない設備、つまり「過剰」な設備になってしまうことを意味。…この点について、「長い16世紀」におけるジェノヴァの「山のてっぺんまでブドウ畑」(当時の最先端産業はワイン製造業)に、21世紀の日本で匹敵するのが「山のてっぺんから地の果てまで行き渡ったウォシュレット」(日経新聞2013.2.24)。→ 日本では世界がうらやむような投資が隅々まで行き渡ったと言える。(※う~ん、基本的にはもう新規に欲しい物はない、ということか…。〝断捨離〟の流行も…)

○1970年代前半に大転換が始まった――資本主義の終わりの始まり

・この異常なまでの利潤率の低下が始まったのは、1974年。…この年、イギリスと日本の10年国債利回りがピークとなり、1981年にはアメリカ10年国債利回りがピークをつけた。→ それ以降、先進国の利子率は趨勢的に下落していく(P20に図)。
・1970年代には、オイル・ショック(1973年、79年)、そしてベトナム戦争終結(75年)があった。→ これらの出来事は、「もっと先へ」と「エネルギーコストの不変性」という近代資本主義の大前提の二つが成立しなくなったことを意味。←→ 「もっと先へ」を目指すのは空間を拡大するため。空間を拡大し続けることが、近代資本主義には必須の条件。…アメリカがベトナム戦争に勝てなかったことは、「地理的・物的空間」を拡大することが不可能になったことを象徴的に表している(※その後のアメリカの、中東での悪戦苦闘…)。…そして(イランのホメイニ革命などの)資源ナショナリズムの勃興とオイル・ショックによって、「エネルギーコストの不変性」も崩れていった。→ つまり、先進国がエネルギーや食糧などの資源を安く買い叩くことが、70年代からは不可能になった。
・「地理的・物的空間」の拡大もできず、資源も高騰していくのだから、1970年代半ば以降の資本利潤率の低下は、当然の結果。…そして、この時期からの利潤率の低下を表現したものが「利子率革命」にほかならない。→ ブローデルの「長い16世紀」にならって、現代の大転換期を私は「長い21世紀」(1970年~)と呼んでいる。…「長い21世紀」の始点を1970年代に置くのは、この利潤率の低下が、これまで世界を規定してきた資本主義というシステムの死につながるものだから。

○「交易条件」の悪化がもたらした利潤率の低下

・次は、先進国における利潤率の低下を「交易条件」という概念によって分析してみる。
〔交易条件とは、輸出物価指数を輸入物価指数で割った比率で、輸出品一単位で何単位の輸入品が買えるかを表わす指数(※ざっくり言えば、交易の利益度か)。…詳細はP22~23〕
・〔P23に「交易条件の推移」の図〕…1973年の第一次オイル・ショックまでは交易条件は改善傾向にあったが、①二度のオイル・ショックで交易条件は大幅に悪化。→ その後(1980~90年代)、日本は省エネ技術と合理化で再び交易条件を改善したが、1999年以降、②資源価格が高騰したことで再度、悪化に転じてしまった。…前回①の悪化は、供給サイドの問題(産油国が原油の供給をストップ)だったので、長期化は避けられたが(それでも悪化は10年強続いた)、今回②は、数十億人の新興国の近代化が資源価格高騰の背景にあるので、それだけ交易条件の悪化が長期化することになる(詳細はP24~25)。→ こうした原油価格の高騰により、1970年代半ば以降、先進国では投入コストが上昇し、粗利益が圧迫された。つまり、先進国の「利潤率=利子率」の趨勢的な下落が始まった。

〔資本主義の延命策〕

○アメリカの資本主義延命策――「電子・金融空間」の創造

・交易条件が悪化するということは、モノづくり(※輸出産業?)が割に合わなくなったことを意味。…(それでも「地理的・物的空間」が拡大してさえいれば、製品1個あたりの粗利益が減少しても販売個数を増やすことで、利益の総額を増やすことができるのだが)…ベトナム戦争終結によって、アメリカが軍事力を背景として市場を拡大させることは難しくなった。→ 既存の「地理的・物的空間」(=実物経済)で先進国は高い利潤を得ることができなくなった。…まさに中世のイタリアの領主や貴族と同じ事態に直面した。
・本来ならば、「地理的・物的空間」での利潤低下に直面した1970年代半ばの段階で、先進各国は資本主義に代わる新たなシステムを模索すべきだった(※「長い16世紀」にヨーロッパの中世社会が、近代社会システムに移行していったように)。←→ しかしアメリカは、別の「空間」を生み出すことで資本主義の延命を図った。すなわち「電子・金融空間」に利潤のチャンスを見つけ、「金融帝国」化していくという道だった。(※資本主義の延命策としての「マネー資本主義」…)
・「電子・金融空間」とは、IT(情報技術)と金融自由化が結合してつくられる空間のこと。→ ITと金融業が結びつくことで、資本は瞬時にして国境を越え、キャピタル・ゲイン(資本利得)を稼ぎ出すことができるようになった。→ その結果、1980年代半ばから金融業への利益集中が進み、アメリカの利潤と所得を生み出す中心的な場となっていった。
・アメリカの「電子・金融空間」の元年は1971年…この年、ニクソン・ショックでドルは金と切り離され、ペーパー・マネーになった(※まだ学生だった。もう43年前の話か…)。→ いかりを外されたドルは自由に目盛りが伸び縮みし、バブルが起きやすくなった。…また、同じ年にインテルが(今のPCやスマートフォンに不可欠な)CPUを開発した。→ 極端に言えば、地球上の人がすべて「電子・金融空間」に参加することが可能となった。
・そして1985年以降、アメリカは金融帝国化……全産業利益中、金融業の占めるシェアは、1984年9.6% → 2002年30.9%…(P27に図あり)。…この金融業のシェア拡大は、金融のグローバリゼーションと軌を一にしている。→ 債権の証券化などの様々な金融手法を開発することで、世界の余剰マネーを「電子・金融空間」に呼び込み、その過程でITバブルや住宅バブルが起こった。…アメリカは世界中のマネーをウォール街に集中させることで、途方もない金融資産をつくり出した(※このことは「震災レポート22」の「里山資本主義」の中でも触れた)。→ こうして、原油価格高騰に合わせるように、アメリカ主導の金融自由化が推し進められていった。…高騰したエネルギーを必要としない「空間」をつくることが、利潤を極大化させる唯一の方法だったから。(※まさに〝資本主義の延命策〟…)

○新自由主義と金融帝国化との結合

・しかし、アメリカの金融帝国化は、決して中間層を豊かにすることはなく、むしろ格差拡大を推し進めてきた。この金融市場の拡大を後押ししたのが、新自由主義だったから。
・新自由主義とは、政府よりも市場の方が正しい資本配分ができる、という市場原理主義の考え方。…アメリカでは1980年代のレーガンの経済政策「レーガノミクス」に始まって、クリントン、ブッシュへと引き継がれてきた。→ 資本配分を市場に任せれば、労働分配率を下げ、資本側のリターンを増やすから、富む者がより富み、貧しい者がより貧しくなっていくのは当然。…これはつまり、中間層のための成長を放棄することにほかならない。
・1991年にソ連が崩壊し、東側の諸国が資本主義の世界市場に取り込まれ、新たなマーケットが一気に広がった。→ 1995年にはアメリカが「強いドル」に政策転換し、経常収支の赤字額を上回る資金を世界中から集めて、それを世界へと再配分していくようになった。…この「マネー集中一括管理システム」により、アメリカは「アメリカ投資銀行株式会社」となり、金融帝国となった。→ その後、1999年に金融サービス近代化法によって、(1933年の銀行法以来、原則禁止されていた)銀行業務と証券業務の兼業を認め、マネー創出のメカニズムを根本的に変えてしまった(金融帝国のシステムも完備された)。
・従来、マネーは銀行の信用創造によってつくられていた。それには家計の所得が増加してある程度貯蓄率が高くなければならない(※実体経済)。←→ しかし、1970年代半ば以降、利潤率は低下し、所得の増加率が鈍化(→貯蓄も鈍化)してしまったので、銀行を通じて創造されるマネーは従来のようには増えなくなった。→ そこでアメリカ政府は、商業銀行の投資銀行化を政策的に後押しした。…金融・資本市場を自由化し、資産価格(株や債券、不動産など)の値上がりによって利潤を極大化するほうが、資本家にとってみればはるかに効率的だから。(※かつてホリエモンが参入した世界…?)
・マネーが銀行の信用創造機能によってつくられるときの主役は労働者(※実体経済社会のいわば基本的存在)であり、商業銀行。…家計が消費を我慢して所得の中から貯金することによって、銀行による多くの貸し出しが可能になるから(※昭和のよき時代…?)。←→ ところが、金融・資本市場でマネーをつくろうとすれば、主役は商業銀行ではなく、レバレッジ(テコの作用)を大きくかけられる投資銀行となる。→ こうして、貯蓄行為をおこなう家計(※一般労働・生活者)は「地理的・物的空間」から主役の座を降り、その座を「電子・金融空間」において、巨額の資金をボタンひとつで、国境を自由に越えて動かすことができる資本家に譲り渡した(※「マネー資本主義」の誕生…)。→ 「電子・金融空間」で集めたマネーを運用して、アメリカ金融帝国はITバブル、住宅バブルを起こしていった。

○資本主義の構造変化

・〔P33に「資本主義の構造変化」の模式図〕…先進国は、安く買い叩ける地域、高く売れる地域を求めて、常に外側へ外側へと拡大する。…「長い16世紀」からオイル・ショックの前後までは、交易条件(粗利益)と市場規模を改善・拡大していけば、名目GDP(粗利益×市場規模)の増加が保証されていた。←→ ところが1970年代半ばに、交易条件、市場規模、両方とも外に拡大していくことが難しくなった。
・資源価格が高騰し、さらに先進国では少子化が進行して、販売数量の増加率が鈍化。…日本も含めてG7は、1970年代半ばに合計特殊出生率2.1を一斉に下回っていく。→ つまり、国内の市場も増えない上に、海外の市場もアメリカのベトナム戦争終結で拡張が止まった。
・このように、1974年以降、「地理的・物的空間」が広がらなくなり、モノづくりやサービスの実物経済で利潤を高めることができなくなってきた。→ そこで、二次元の平面空間ではなく、三次元に「電子・金融空間」をつくり、レバレッジを高めることで金融による利潤の極大化を目指していくことが起きた。
・金融はグローバリゼーションにも一番なじむ。→ 1995年以降、日本やアジアで余っているお金は、アメリカの「電子・金融空間」に簡単に投資できるようになっていった。…具体的には、インターネット・ブームがまず生じ、その崩壊の負の影響を打ち消すために欧米で住宅ブームが起きた。…そのときブームを巻き起こすのに証券化商品が大きな役割を果たした。
・その結果、1995年からリーマンショック前の2008年の13年間で、世界の「電子・金融空間」には100兆ドル(!)ものマネーが創出された。→ これに回転率を掛ければ、実物経済をはるかに凌駕する額のお金が地球上を所狭しと駆け巡った。…1999年までは商業銀行は自己資本の12倍までしか投資してはいけないという制約があったが、金融サービス近代化法が成立したことで、アメリカの商業銀行は子会社を通じて証券業務に参入できるようになり、事実上、無限大に投資できることになっていた。
・しかし、こうしてでき上がったアメリカ金融帝国も、2008年に起きたリーマンショックで崩壊した。…自己資本の40倍、60倍で投資をしていたら、金融機関がレバレッジの重さで自壊(欠陥金融商品による無理な膨張が破裂)してしまったというのがリーマンショックの顛末。→ そしてリーマンショックが誘引となって、EUの巨大金融機関はアメリカの大手投資銀行以上に大きな痛手を被り、全地球をカバーしていた「電子・金融空間」も縮小に転じた。

○日本の来た道を繰り返すアメリカ

・リーマンショックを経た現在のアメリカは、積極財政と超低金利政策で成長を取り戻そうとしたバブル崩壊後の日本と同じ経済構造に直面している。→ 実際に、2008年にFRBは事実上のゼロ金利政策に踏み切り、さらに長期国債買い入れの検討を表明して、非伝統的金融政策に舵を切った。
・こうしたアメリカの超低金利は、1997年の日本とよく似ている。→ アメリカの長期金利が2%を下回っていったプロセスも、1990年代の日本とほぼ同じだった。…過剰債務の返済に必要なキャッシュ・フロー(現金収支)を生み出すために、企業のリストラが加速し、賃金が下落する。→ それが経済のデフレ化をもたらしていった。
・アメリカが日本以上に深刻なのは、リーマンショック後、国際資本の移動が縮小し、他国の貯蓄をそれ以前ほどに自由に使えなくなっている点にある。
・実物経済の利潤低下がもたらす低成長の尻ぬぐいを、「電子・金融空間」の創出によって乗り越えようとしても、結局バブルの生成と崩壊を繰り返すだけ。…まさにクリントン政権時のサマーズ財務長官が指摘した「3年に1度バブルは生成し、崩壊する」ようになったのだ。→ バブルの生成過程で富が上位1%の人に集中し、バブル崩壊の過程で国家が公的資金を注入し、巨大金融機関が救済される一方で、負担はバブル崩壊でリストラなどの形で中間層に向けられ、彼らが貧困層に転落することになる。(※格差拡大 → 民主主義社会の不安定化…)

○「長い16世紀」の「空間革命」――「海」を通じた支配の始まり

・現代の経済覇権国であるアメリカによる資本主義の延命策…新しい空間(電子・金融空間)を創造して、高い投資機会を見出そうとするグローバリゼーションは、現代の「空間革命」と呼ぶべきもの。
・実は利潤率の低下した「長い16世紀」にも同じことが起きている。…「陸の国」スペインから「海の国」イギリスへと覇権が移ったことを「空間革命」と呼ぶ(カール・シュミット)。→ 海を制したイギリスは、海洋支配をもとに全世界を網にかけていく。…1600年に東インド会社を設立して、半ば略奪的な行為を重ねながら、資本を蓄積していった。→ いわばイギリスは海という「空間」を創造し、それまでの領土にもとづいた陸のシステムとはまったく異なる新しい貿易のルールを築いた。
・空間革命が起きた16~17世紀の資本家たちは、中世末期の中心地であるスペインやイタリアに投資しても、超低金利のために富を蓄積できない状況に陥ったため、投資先をオランダ、イギリスに変えて繁栄していった(ブローデルの言う「金融資本家の時代」)。…こうした変化は、現在の先進国の資本家たちが「地理的・物的空間」では利潤をあげられずに、「電子・金融空間」や新興国市場に投資先を求めるのと非常によく似ている。
・「長い16世紀」というのは、それだけではなく、中世のイデオロギーや価値観、システムが一新された時代でもあった。→ 神が主役の時代から人間が主役の時代になり、政治・経済システムも中世荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へと一変した。…つまり、新たな空間を創造すると同時に、そこでのルールや価値観もすべて変わった。…だからこそ「革命」と呼べるのだろう。

○「長い21世紀」の「空間革命」の罪

・ひるがえって「長い21世紀」の「空間革命」はどうか。…「地理的・物的空間(実物投資空間)」に見切りをつけた先進国の投資家たちは、「電子・金融空間」という新たな空間をつくり、利潤極大化という資本の自己増殖を継続している(※対症療法的な延命策)。…しかし、「電子・金融空間」で犠牲になっているのが雇用者(※対症療法の副作用)。
・振り返ってみれば、「地理的・物的空間」で利潤をあげることができた1974年までは、資本の自己増殖(利益成長)と雇用者報酬の成長とが軌を一にしていた。資本と雇用者は共存関係にあった(※労資協調…?)。←→ しかしグローバリゼーションが加速したことで、雇用者と資本家は切り離され、資本家だけに利益が集中していく。…21世紀の「空間革命」たるグローバリゼーションの帰結とは、中間層を没落させる成長にほかならない。(※労働組合の実質的崩壊と非正規社員の激増…)
・グローバリゼーションをヒト・モノ・カネの国境を自由に越えるプロセスであると捉えている限り、それはグローバリゼーション推進論者や礼賛論者の思うつぼだ。→ そう定義すれば、「周辺」に置かれている国や地域、あるいはその国の企業が、グローバリゼーションに乗り遅れてはいけない、乗り遅れることは死を意味するなどといった脅迫観念に駆られ、グローバリゼーション政策に邁進することになる。…〝金融ビッグバン〟しかり、〝労働の規制緩和〟しかり、最近では〝TPP〟しかり…。
・グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」からなる帝国システム(政治的側面)と資本主義システム(経済的側面)にあって、「中心」と「周辺」を結びつけるイデオロギーにほかならない。…もっと直截的に言えば、グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業だ。…BRICS(ブラジル,ロシア,インド,中国,南アフリカ)が台頭する以前の20世紀末までは、「中心」=北の先進国(さらにその中心がワシントンとウォール街)、「周辺」=南の途上国という位置づけだった。→ しかし、21世紀に入ると、北の先進国の「地理的・物的空間」では満足できる利潤が獲得できなくなって、実物投資先を南の途上国に変え、成長軌道に乗せた。
・資本主義は「周辺」の存在が不可欠だから、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな「周辺」をつくる必要がある。→ それが、アメリカでいえばサブプライム層であり(※刑務所の囚人も?)、日本でいえば非正規社員であり、EUでいえばギリシャやキプロス(※移民も?)。
……21世紀の新興国の台頭とアメリカのサブプライム・ローン問題、欧州のギリシャ危機、日本の非正規社員化問題は、コインの裏と表なのだ。(※う~ん、説得力あり…)

○「資本のための資本主義」が民主主義を破壊する

・こうした国境の内側で格差を広げることもいとわない「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになる。…民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないから。
・民主主義を機能させるには情報の公開性を原則としなければならない(※日本はこの「情報の公開性」がまだまだお粗末…)。→ (中世までは知は神が独占していたが)近代では個々人が主役となったことで、ある特定の人や国家も、情報を独占することは許されない。→ そういった意味でスノーデン事件は、おそらく21世紀の大問題に発展すると思う。
・情報は誰のものか、という議論は、中世から近代への移行期だった「長い16世紀」において、ラテン語を独占していたローマ・カトリックと、俗語(ドイツ語や英語)でしか情報を伝えられないプロテスタントとのたたかいだった。→ 結果はプロテスタントの勝利。…情報を独占する側が常に敗者となるのが歴史の教訓。…この観点からみても、スノーデン事件が問いかけているのは民主国家の危機なのだ。(※資本主義の終末期に入って、国家や資本の側による〝情報の独占〟への傾斜が露出してきている…ex. 特定秘密保護法、TPP交渉の秘密主義…)

○賞味期限切れになった量的緩和政策

・民主国家の危機という意味では、リーマンショック以降のアメリカの量的緩和政策も、その文脈で捉えることができる。…マネーの膨張は、中間層を置き去りにし、富裕層のみを豊かにするバブルを醸成するものだから。
・そもそもマネタリスト的な金融政策の有効性は、1995年で切れている。…金融緩和の有効性を主張する彼らの言い分は、貨幣数量説(貨幣の数量が物価水準を決定する)に基づくもの。→ しかし、低金利のもとでは、この説の前提が崩れており(詳細はP44)、さらに取引量の中には(実物経済での取引高だけではなく)金融市場での株や土地の売買取引が多く含まれている。→ 実際、実物経済の需要が縮小しているアメリカでは、株価の上昇があっただけ。(※日本も今、アメリカの後追いをしているが…)
・現在、金融経済の規模は実物経済よりもはるかに膨らんでいて、「電子・金融空間」には余剰マネーが140兆ドルあり、レバレッジを高めれば、この数倍、数十倍のマネーが「電子・金融空間」を徘徊する。←→ これに対して、実物経済の規模は74兆ドル(2013年)。……(例えば、金融技術でレバレッジをかければ瞬時にして実物投資10年間分の利益が得られる。)…そんな状況では、量的緩和政策によってベース・マネーを増やせば増やすほど、物価ではなく資産価格の上昇、すなわちバブルをもたらすだけ。(※バブルの創出と崩壊の繰り返し…)
・しかも、グローバリゼーションの時代では、このバブルが自国内に起きるかどうかさえ分からない。量的緩和をしたところで、ドルも円も国内には留まらないから。→ 現に新興国に流れ込んだマネーは、新興国の不安定性を高めることにつながり、量的緩和の規模の縮小だけでも(※新興国からのマネーの引き上げをもたらし)市場は大きく揺れている(※アルゼンチンやブラジルの経済危機…)。→ 量的緩和政策の景気浮揚効果は、グローバリゼーションが進む以前の閉鎖経済を前提とした国民国家経済圏の中でしか発揮されない。

○オバマの輸出倍増計画は挫折する

・超低金利の時代に入ったアメリカは、世界の「成長教」の教祖でいる限り、もはやバブルを繰り返す金融帝国としてしか生き残ることはできない。(※う~ん、大胆な予測…)
・すでに20世紀前半に、かのシュミットが20世紀を「技術の時代」と特徴づけ、その技術進歩教は魔術と同じだと指摘している。…確かに20世紀に先進国は技術革新によって成長を遂げ、豊かになったのだが、2008年の9・15(リーマンショック)や2011年の3・11(福島原発事故)で、金融工学や原子力工学も結局は人間にとって制御できない技術だったことがわかった。→ 技術革新で成長するというのは、21世紀の時代では幻想にすぎない。〔※う~ん、技術は進歩を続けるが、それが必ずしも成長とか豊かさ・幸福度に結びつくとは限らない。→ これからは、科学者(技術者)や経済学者(エコノミスト)、政治家・官僚・財界だけに任せるのではなく、(宗教も含めた)人文的な叡智なども結集していく必要がある、ということか…〕
・アメリカの黒字を支えているのは金融収支やライセンス料。→ 強いドル政策のもとで、世界中から資本を集めて新興国に投資をしてリターンを得るしかない。…アメリカが製造業で復活するのは、どだい無理。→ グローバリゼーションによって新興国が台頭してきている以上、新興国で消費されるものは新興国で生産せざるを得ない。…そうでないと新興国の雇用が増えず、経済のパイも拡大しないとなれば、新興国の政治体制が危うくなるから。
・従って、先進国が輸出主導で成長するという状況は、現代では考えられない。自国通貨安政策(※アベノミクスも?)によって輸出を増加できるのは、先進国のパワーで途上国をある程度押さえつけるような仕組み、つまり資源を安く買い叩くことができる交易条件があった1970年代までの話。→ その意味ではオバマの輸出倍増計画も旧システムの強化策にすぎない。…没落していく中間層に対して配慮している点には共感するが、先進国が直面している構造デフレの根本的な解決にはなり得ない。(※アベノミクスも同様…?)

○近代の延命策としてのシェール革命

〔枚数の関係で要点だけ記すと〕…シェール革命も成長イデオロギーのもとであれば、いずれ限界を迎える。→ 金融帝国化したアメリカは、シェール革命すらも金融商品化していくから、「電子・金融空間」の中に組み込まれていき → その結果は、バブルの生成と崩壊 → 過剰債務と賃金低下。…中東を代表とする現在の石油産油国の中で、民主主義的な社会を運営している国は皆無。→ 多額のマネーが流れているはずなのに、その恩恵を受けているのは王侯貴族などごく一部の人間だけ。…それを考えれば、シェール革命が(市場原理主義を金科玉条とする)新自由主義と結びつくのであれば、今より過酷な格差社会をアメリカにもたらす可能性すらある。(詳細はP48~50)

○バブル多発と「反近代」の21世紀

・これまでバブルが崩壊するたびに、世界経済は大混乱に陥ってきた。しかし、バブルが崩壊して起こることは、皮肉なことに、さらなる「成長信仰」の強化。
・巨大バブルの後始末は、金融システム危機を伴うので、公的資金が投入され、そのツケは広く一般国民に及ぶ。→ つまり、バブルの崩壊は需要を急激に収縮させ、その結果、企業は解雇や賃下げなど大リストラを断行せざるを得ない。…まさに、「富者と銀行には国家社会主義で臨むが、中間層と貧者には新自由主義で臨む」(ウルリッヒ・ベック『ユーロ消滅?』)ことになっていて、ダブル・スタンダードがまかり通っている。
・バブル崩壊は結局、バブル期に伸びた成長分を打ち消す信用収縮をもたらす。→ その信用収縮を回復させるために、再び「成長」を目指して金融緩和や財政出動といった政策を総動員する(※これもアベノミクス…)。→ そのマネーがまた投機マネーとなってバブルを引き起こす。…つまり、先進国の国内市場や海外市場はもはや飽和状態に達しているため、資産や金融でバブルを起こすことでしか成長できなくなったということ。→ こうして、バブルの生成と崩壊が繰り返されていく。
・「犬の尻尾(金融経済)が頭(実物経済)を振り回す」時代(バーナンキ)、「バブルは3年に1度生成し、弾ける」(サマーズ)→ そして今また、欧米でも日本でも同じようなバブルの生成と破裂が繰り返されようとしている。
・私にはこうした動向は、脱成長の時代に逆行する悪あがきのようにしか思えない。…「近代自らが反近代をつくる」といったことが今、目の前で起き始めている(※まさに近代の末期症状か…)。→ 2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)、2008年の9・15(リーマンショック)そして2011年の3・11(福島原発事故)は、まさに近代を強化しようとして、反近代(デフレ、経済の収縮)を引き起こした象徴だと言える。

【2章】新興国の近代化がもたらすパラドックス

〔※この章は、枚数の関係でなるべく要点だけにとどめる。詳細は本書を参照ください。〕

○先進国の利潤率低下が新興国に何をもたらしたのか

・〔1章でみてきたように〕1974年以降、実物経済において先進国が高い利潤を得ることができるフロンティアはほとんど消滅してしまった。→ 「地理的・物的空間」の拡大は困難になり、(資源を輸入して工業製品を輸出する)先進国の交易条件が悪化し、「地理的・物的空間」(実物経済)に投資してもそれに見合うだけのリターンを得ることができなくなった。…つまり、ある一定期間(ex. 工場なら10年、店舗なら30年)資本を投下し、利潤を得ていくという資本主義のシステム自体が限界に突き当たった。
・そのことを端的に示すのが、資本の利潤率とほぼ一致する長期利子率(10年ものなどの長期国債の利回り)の低下。→ そして現在、日本とドイツは、16世紀初頭のイタリア・ジェノヴァ以来の超低金利時代、すなわち21世紀の「利子率革命」を経験している。
・利潤率の低下に耐えきれなくなった先進国、とくにアメリカが目論んだのが、新たな利益を得られる「空間」を創造することだった。→ (本来は1970年代に「終焉の始まり」を迎えたはずの資本主義を)アメリカは「電子・金融空間」を創設することによって、その後、30数年にわたって「延命」させてきた。
・同時に、先進国の資本主義が創出した「電子・金融空間」は、もう一つの市場を生み出すことになる。…それがBRICSに代表される「新興国市場」。→ つまり、「電子・金融空間」を無限に拡張することで新しいマネーを創出し、その上で新興国の近代化を促すことによって、新たな投資機会を生み出そうと目論んだ。

○先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備

・新たな投資機会をねらうアメリカの思惑通り、BRICS諸国は2000年代に入って急成長を遂げたが、しかし現在、その経済成長率に陰りが見えてきている。…中国、ブラジル、インドなどの経済成長率の鈍化と、成長率を超えるインフレ率の進行…。
・新興国の成長の足踏みの原因は、新興国の成長モデルが輸出主導だから。…先進国の株式市場は回復したかのように見えても、実物経済はリーマンショック後の後遺症からいまだ立ち直っておらず、消費は冷え込んだまま(正確に言えば、先進国の消費ブームは二度と戻ってこない)。→ 新興国の輸出も増えない。(詳細はP58~59)
・そもそもグローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業であって、〝ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導く〟などといった表層的な言説に惑わされてはいけない。20世紀までの「中心」は「北」(先進国)であり、「周辺」は「南」(途上国)だったが → 21世紀に入って、「中心」はウォール街となり、「周辺」は自国民(具体的にはサブプライム層)になる組み替えがおこなわれた。→ 中間層が没落した先進国で、消費ブームが戻ってくるはずがない。
・経済危機(リーマンショック、欧州危機)の後も、先進国の過剰マネーは新興国の過剰設備を積み上げてきたが、新興国の過剰設備には、過剰な購買力を有した先進国の消費者の存在が不可欠。←→ しかし、先進国の国民が「周辺」となり、消費ブームが二度と起こらない以上、新興国の輸出主導モデルに持続性はない。(※新興国に明日はない…?)
・現在の課題は、先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備をどう解消するか、なのだ。…この問題の困難さは、この二つの過剰の是正が信用収縮と失業を生み出すことにある。⇒ 時間をかけるしかないのだ(※ソフト・ランディングのために…)。…そしてこの間、先進国ではゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが続くことになる。(※う~ん、このことを正しく認識できないと、さらに〝悪あがき〟の泥沼にはまっていく…?  → この問題は後の章でも扱う。)

○新興国の成長が招く資本主義の臨界点

・新興国の成長は、地球全体を見たときに、そう単純に喜ぶことはできない。むしろ、危惧すべきこと。→ 新興国の成長が続くということは、無限の膨張を「善」としてきた資本主義システムが、「限界」に向かってさらにスピードをあげていくことだから。
・2008年以降、アメリカ、EU、そして日本が行なった金融緩和の影響もあり、行き場を失った余剰マネーが莫大に存在する。→ その余剰マネーが、今まで以上に大量に新興国に流れ込むようになった。(※ハード・ランディングの危険性…)
・先進国の量的緩和は、「電子・金融空間」を無限に拡張するための手段。→ その量的緩和をいつ止めるのかが議論され、緩和の「縮小」だけでも市場が大きく揺れているが(※今まさにその渦中…)、本当は量的緩和に「完全な出口」はない。…なぜなら、量的緩和は「電子・金融空間」を自壊寸前まで膨張させるものであり、緩和を縮小すればバブルが崩壊する。→ そうすれば、量的緩和を以前にもまして強化せざるを得ないから。〔※まさに「犬の尻尾(金融経済)が頭(実物経済)を振り回す」、そして「バブルは三年に一度生成し、弾ける」…P52〕
・では、膨大な資金が流れ込んだ新興国の成長は、いつか止まるのか(これは資本主義の最終地点を見極めることでもある)。→ そのことを考える上で参照すべきなのが、ブローデルの言う、「長い16世紀」(1450~1640年)に起きた「価格革命」。…これとほぼ同じ現象が、同じメカニズムで、この「長い21世紀」(1970年~)にも起きているから。…私たちは21世紀の「価格革命」の最中にいるのだ。

○「長い16世紀」のグローバリゼーションと「価格革命」

・「価格革命」とは、供給に制約のある資源や食糧の価格が、従来の枠組みでは説明できないような非連続的な高騰をすることで、通常のインフレとは異質なもの。…通常のインフレは、ある一定の空間内で需給逼迫によって引き起こされる現象。←→ 一方「価格革命」は、異なる価値体系をもっていた空間と空間が統合・均質化(グローバル化)する過程で起きる現象。
・そして「革命」的な価格水準の変化が起きる商品とは、空間が統合される前に「周辺」だった地域が供給していたモノ。…「長い16世紀」の「価格革命」では、「周辺」の東欧諸国が、「中心」のローマに供給する穀物の価格が急騰した。←→ 後述する「長い21世紀」の「価格革命」では、原油などの資源価格が高騰。
〔16世紀のヨーロッパにおいて、中世の封建システムが近代の資本主義システムへと変化していくメカニズムは、枚数の関係で省略。→ 詳細は、P63~71〕
・(「価格革命」に着目する意味)…この価格の大変動は単なるインフレではなく、政治・経済システムを根底から揺さぶるものだから。→ そして、「価格革命」の収束は、新たなシステムが誕生するときにしか起きない。…「価格革命」は、すなわち「歴史の危機」を意味している。⇒ 「長い16世紀」の「価格革命」は、それまでの時代のシステムであった荘園制・封建制から資本主義・主権国家システムへの移行が起こるという、非常に大きな「歴史の危機」を引き起こした。

○「長い21世紀」の「価格革命」とBRICSの統合

・「長い16世紀」がそうであったように、「長い21世紀」でもグローバリゼーションが進行しているが、その規模でいえば、BRICSの約30億人を世界市場に統合するという、はるかに大きな規模で進行している。→ その大規模なグローバリゼーションの影響で、非連続的な資源価格の高騰が起きている。
・1995年の国際資本の完全自由化 → 世界中のマネーがアメリカ・ウォール街のコントロール下に入ったことで、「電子・金融空間」が国境を越えて世界で一つに統合された。
・この1995年から2008年(リーマンショック)までの13年の間に、債権の証券化などレバレッジの高い商品が開発され、世界の金融空間で新興国の近代化に必要な量をはるかに超えるマネーが創り出された。→ 加えてリーマンショック後の先進各国による量的緩和が投機マネーの量をさらに増加させた。
・その結果、資源価格、とりわけ原油価格が高騰するようになった。→ 21世紀に入ると、供給ショックが起きたわけではないのに、20世紀の価格変動とまったく違う姿を示していて、2002年までのレンジに戻る気配はない。(P73に「原油価格高騰の推移」の図)
・つまり、今回の「価格革命」も、新興国の人々にとって耐えがたい物価上昇をもたらしている。…「価格革命」が起きるのは、異なる経済圏が統合されるとき、「周辺」の経済圏が「中心」を飲み込んでしまうとき(新たに統合される新興国の人口のほうが先進国よりも多い)。→ 中国、インド、ブラジルといった人口の多い国で、先進国に近い生活水準を欲して、それに近づけようとすれば(※これは当然の欲求…)、食糧価格や資源価格の高騰が起き、1960~70年代半ばの日本が一億総中流に向かったのと違って、高度成長する新興国と停滞する先進国の両方の国内で、人々の階層の二極化(※自国民の「周辺」化 → 格差社会)を引き起こすことになる。(※今まさに、世界で進行している危機…)

○現代の「価格革命」が引き起こした実質賃金の低下

・さらに、「長い16世紀」に起きた労働者の実質賃金の低下(詳細はP63~64)と同じ現象も、現在の先進国で起きている。…20世紀で最も実質賃金が低かったのは1918年(第一次世界大戦が終了)であり、ここから20世紀の「労働者の黄金時代」がスタートした(1918~1991年、イギリスの実質賃金は4.9倍に上昇…年率2.2%の上昇)。とくに第二次大戦の終結した1945~1973年は、世界的な経済成長のもとで福祉国家が実現した「黄金の時代」だった。…中世の「労働者の黄金時代」(詳細はP67~69)は、500年後の20世紀に再現された。(※う~ん、あの「昭和のよき時代」は、世界史的にも裏づけられるのか…)
・しかし、1970年代半ばに現代の「価格革命」が始まった。→ 資源価格が高騰したせいで、企業はそれまでのように利潤をあげることができなくなり、その利潤の減少分を賃金カットで補おうとした。→ 1999年以降、名目GDPと雇用者報酬の関係に「革命」的な変化。
・1865年~1998年の130年間、イギリスでは名目GDPの増加率と同じだけ雇用者報酬も増えていた(1960年代以降の日本も同様)。→ ところが、1999年以降、この関係は崩壊。…つまり、企業の利益と雇用者報酬とが分離し、2006年に至っては企業の利益は上がっているのに、雇用者報酬が減少。→ 日本の実質賃金の推移を見ても、1997年をピークに、好不況にかかわらず実質賃金は激しく低下している。(詳細は、図も含めてP75~77)
・こうした傾向は、データが存在する130年間の歴史において初めてのこと。…つまり1990年以前には、労働と資本の分配比率について初期に決めた割合(ex.7対3)を、一世紀以上にわたってその比率を変えなかった。→ ところが、20世紀末にグローバリゼーションの時代になって、資本側がこの比率を変えようとした。
・つまり、資本側はグローバリゼーションを推進することによって、国境に捉われることなく生産拠点を選ぶことができるようになり→ 資本と労働の分配構造を破壊。…資本側の完勝といっていい。→ 景気回復も資本家のためのものとなり、民主主義であったはずの各国の政治も資本家のために法人税を下げたり、雇用の流動化といって解雇しやすい環境を整えたりしている。(※アベノミクスもまた…)

○「長い21世紀」の「価格革命」はいつ終わるのか?

・「長い16世紀」でも「長い21世紀」でも、資源価格の急騰と実質賃金の減少が並行して起きている。→ では、「長い16世紀」において「価格革命」はいつ収束したのか(このことは、21世紀の「価格革命」の終わりを考えることでもある)。
・21世紀の中国が恒常的なインフレ状態にあるように、「長い16世紀」の新興国であったイギリスでも消費者物価が1477年から上昇し続けた。→ そしてイギリスの一人当りGDPが、当時の先進国イタリアに追いついた時点で、「価格革命」は収束した。…17世紀半ばのこと。
・それになぞらえて考えるならば、中国の一人当りGDPが日米に追いついた時点で、21世紀の「価格革命」も収束するだろうと予測できる。→ 日中の関係で試算すると、およそ20年後になる(詳細はP79)。…つまり、2030年代前半に中国の一人当り実質GDPが日米に追いつくまで、資源価格の上昇と新興国のインフレ、つまり「価格革命」は収束しない。→ 今から20年後、あるいはもう少し先に、新しい政治・経済システムが立ち上がってくるかもしれない、というおおよその予測は成り立つ。(※う~ん、当方も、この予測を見届けてみたいものだが、時間的にとても無理か…)

○資本に国家が従属する資本主義

・21世紀の「価格革命」とは、それまでの国家と資本の利害が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義へと変貌していることを示すもの(※TPPも…?)。…つまり「価格革命」とは、「電子・金融空間」創出の必然的帰結の出来事として捉えるべきこと。「電子・金融空間」でつくられた「過剰」なマネーが、新興国の「地理的・物的空間」で過剰設備を生み出し、モノに対してデフレ圧力をかける一方で、供給力に限りがある資源価格を将来の需給逼迫を織り込んで先物市場で押し上げる。
・16世紀以来、500年かけて、人類は国家・国民と資本の利害が一致するように資本主義を進化させてきたが、21世紀のグローバリゼーションはその進化を逆転させようとしている。…資本主義の発展によって多くの国民が中産階級化(※一億総中流化)するという点で、資本主義と民主主義はセカンドベストと言われながらも支持されてきた(※戦後民主主義への支持…)。…資本が国境を越えられなかった1995年までは、国境の中に住む国民と資本の利害は一致していたから、資本主義と民主主義は衝突することがなかった。
・近代主権国家とは,資本と国民の利害が一致して中間層を生み出すシステムなのだが、一億総中流が実現したとたんに、資本はそれを破壊しようとする。これは反近代的行為にほかならない。まさに「近代が反近代をつくる」(アドルノ)→ 資本主義は、中産階級を没落させ、粗暴な「資本主義のための資本主義」に変質していった。……これは見方によっては、資本主義の「退化」。近代は自らのピークにおいて、資本という「超国家」的存在の絶対君主(※グローバル資本主義)を登場させてしまったから。

○新興国の近代化がもたらす近代の限界

・新興国の近代化は、これまでの先進国の近代化とは大きく異なる点がある。…それは、13.6億人の中国人全員、12.1億人のインド人全員が、豊かになるわけではない、ということ。
・16世紀に近代が幕を開けて以来、約500年をかけて、先進国12.4億人(全人口の18%)は豊かになった。…この近代資本主義の特徴は、およそ全人口の2割弱にあたる先進国が、独占的に地球上の資源を安く手に入れられることを前提としている(ex. 欧米の石油メジャーが原油価格を支配することで、石油を1バレル3ドル以内で好きな量だけ購入できるという仕組みが1970年代半ばまで続いていた)。←→ 従って、その仕組みに参加できなかった現在の新興国は、ほとんど成長率が横ばいのままだった。
・ところが、今起きている21世紀のグローバリゼーションは、BRICSの29.6億人、さらに残る27.2億人に対して、かつての先進国と同様に豊かになれるだろうとの期待をもたらしている。…しかも、先進国12.4億人が500年かけて達成した生活水準を、56.8億人がわずか20~30年で達成して豊かな生活を手に入れようとする。→ 先進国並に自動車や電化製品を所有すれば、それだけガソリンや電力や鉄の消費量も増加する。…世界の電力消費量は現在の2倍、粗鋼の消費量は約3倍強、エネルギー消費量も約3倍になると推計される(詳細は、図も含めてP84~88)。
・これから数十年かけて、原油の消費が3倍に増えれば、それを織り込んで今以上に原油価格が高騰するだろう(実際に1990年代~現在、原油価格は約5倍になっている)。…さらに言えば、ここには資源の有限性という観点は織り込まれていない。→ 70億人のエネルギー消費をまかなえるだけの化石燃料は地球上にはないのだから、全世界の近代化というのは不可能なシナリオ。(※核燃料のウランも、石油よりかなり前に枯渇してしまう、と言われている…)

○グローバル化と格差の拡大

・今までは、2割の先進国が(8割の途上国を貧しくさせたままで)発展してきたために、先進国に属する国では、国民全員が一定の豊かさを享受することができた。→ しかし、グローバリゼーションの進んだ現代では、資本はやすやすと国境を越えていき、豊かな国と貧しい国(※「中心」と「周辺」)という貧富の二極化が、国家の中に現れることになる。
・つまり、近代において南=貧困、北=富裕というように(※いわゆる「南北問題」)、西側先進国は格差を自国内には進入させないようにしていたのだが、グローバリゼーションの時代になると、北側にも格差が入り込むようになった。…いわばグローバリゼーションとは、南北で仕切られていた格差を、北側と南側の各々に再配置するプロセスといえる。
・すでに先進国では1970年代半ばを境として、中間層の没落が始まっている。…ex. アメリカでは、所得上位1%の富裕層が全所得に占める割合が、1976年の8.9% → 2007年の23.5% にまで高まった(P91に図あり)。…実に1928年以来の高い水準(この1928年の翌年にウォール街で株価大暴落があり、世界大恐慌を引き起こしたことは実に象徴的)。…同じように2007年の翌年には「100年に一度」と言われるリーマンショックが起きた。→ バブル崩壊のたびに企業がリストラを進めるため、先進国では中間層が最大の被害者となる。
・そして、これから近代化を推し進めていく新興国の場合、経済成長と国内での二極化(格差拡大)が同時に進行していくことになるだろう。…そこが、これまでの先進国の近代化とは大きく異なる点(先進国は、曲がりなりにも成長がピークを迎えるまでは所得格差は縮小していった)。→ これからの新興国は、格差拡大を伴いながら、近代化が進んでいくことになる。(※これが昨今の中国やブラジルでの「反政府騒動」の背景か…)
・近代システムは、(先進国に限られた話とはいえ)中間層をつくり上げる仕組みとしては最適なものだった。…中間層が、民主主義と資本主義を支持することで近代システムは成り立っていた。←→ ところが、現代のグローバル資本主義では、必然的に格差が国境を越えてしまう(格差を国内に持ち込んでしまう)ので、民主主義とは齟齬をきたす。→ 従って、日本で1970年代に「一億総中流」が実現したようには中国で13億総中流が実現しないとなれば、中国に民主主義が成立しないことになり、中国内で階級闘争が激化することになるだろう(※自称「社会主義国」で階級闘争が激化するというパラドックス…)。→ このことは、中国共産党一党独裁体制を大きく揺さぶることになると予想される。(※香港での反政府デモなどはその前兆…?)

○中国バブルは必ず崩壊する

・1995年以降、アメリカは「電子・金融空間」を築き上げ、わずか十数年で140兆ドルを超えるマネーを創出したが、リーマンショックと欧州危機によって、そうした余剰マネーの行き場を新興国に集中。→ しかし、これを新興国で吸収できるはずがない。(詳細はP92~93)
・それでも余剰マネーは、少しでも利潤の多く得られるところを目指して世界中を駆け巡るから、どうしても新興国に過剰な投資が集まる。→ 景気の減速によって過剰設備が危険視されている。→ そこで起きるのがバブルとその崩壊。…このことはすでに先進国、ことに日本とドイツが実証している。
・日本とドイツの抱える過剰な生産設備は、アメリカの過剰な消費によってかろうじて持ちこたえたが、リーマンショックによってその構図も崩壊した。→ それと同じことがBRICSでも起きる。…中国に国内外の余剰マネーが一斉に集まってくる。→ そこで過剰生産となれば、中国の外側に中国の過剰設備を受け入れることのできる国はないので、日本以上のバブル崩壊が起きるのは必然と思われる。(※恐ろしい予測…)
・ただ、日本でのバブル崩壊は、中成長の段階で起きた(オイル・ショックによって、10%成長 → 4%成長 になり、そこでバブル崩壊が起きてゼロ成長になった)。…しかも、国際資本の移動性が完全になる1995年より前の出来事。←→ 一方、中国では、まだ高い成長率の段階で、もうすでにバブルが起きている(これは短期的な不動産バブルの問題だけではない)。
・中国が世界の工場と呼ばれた時代なら、固定資本投入が過剰でも、世界市場が受け皿になってくれたから、まだ余裕があった。→ しかし、輸出主導の経済が終わり(世界的な消費の縮小)、中国が内需主導の経済に転換できないのなら、過剰設備の使い道はなくなる。→ 投資に見合う市場が見つからない「生産能力過剰時代」を迎えることになる。…つまりマネーのグローバリゼーションを背景に、世界中から投資が集まったそのバブルが、まさに弾けようとしている。→ そのとき、中国もデフレに陥り、ゼロ金利、ゼロ成長になっているだろう。
・資本主義とは、内在的に「過剰・飽満・過多」を有するシステムなのだ。…日本はバブル崩壊後、いわゆる「失われた20年」に突入したが、成長率が高い中国のバブル崩壊が、世界経済に与える影響は日本の比ではないだろう。…しかし、リーマンショックや欧州危機にも有効な対処ができていないことを踏まえると、もはやグローバル資本主義に対して、国民国家は対応不全に陥っている状況…。 →(以下、この章は枚数の関係で省略)
・〔この章の結び〕…結局、近代を延命させようとする21世紀のグローバリゼーションは、エネルギーが無限に消費できることを前提としているから、16世紀以来の近代の理念となんら変わりがない。→ 従って、近代の延長上で成長を続けている限りは、新興国もいずれ現在の先進国と同じ課題に直面していく。…すでに現在、少子化やバブル危機、国内格差、環境問題などが新興国で危ぶまれていることからもそれは明らか。
・だとすれば、もはや近代資本主義の土俵の上で、覇権交替があるとは考えられない。⇒ 次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握ることになる(「長い16世紀」にオランダやイギリスが中世封建システムに替る近代システムを打ち出したように)。…そして、その可能性を最も秘めている国が、近代のピークを極めて最先端を走る日本なのだ。←→ しかし、日本は第三の矢である「成長戦略」を最も重視するアベノミクスに固執している限り、残念ながらそのチャンスを逃すことになりかねない。(※う~ん、今のテイタラクでは…)

【3章】日本の未来をつくる脱成長モデル

○先の見えない転換期

・資本主義を延命させる「空間」は、もうほとんど残されていない。…中国が一時的に経済成長のトップに躍り出ても、そう遠くない将来、現在の先進国と同じように「利潤率の低下」という課題に直面することになる。→ その時点で、21世紀の「空間革命」は終焉を迎え、近代資本主義は臨界点に達するだろう。(※20年後、あるいはもう少し先…?)
・資本主義の後に、どのような社会・経済システムが生まれるかはまだ分からない。…中世から近代への移行期が「長い16世紀」(1450~1640年)であったように、それまで数世紀にわたって続いたシステムが、一夜にして変わることなどできない。…「新しい時代が始まり、生への不安は、勇気と希望に席をゆずる。この意識がもたらされるのは、やっと18世紀に入ってのことである」(ヨハン・ホイジンガ『中世の秋』)…我々の生きる「長い21世紀」(1970年~)も、「長い16世紀」と同じ状況(※近代から○○への移行期…)にあると考えられる。……しかし、こうした難しい転換期において、日本は、新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界の中で最も優位な立場にあると私は考えている。(※この「新しいシステムを生み出すポテンシャル」を探求していくことが、この「震災レポート」の今後の課題…?)

○資本主義の矛盾をもっとも体現する日本

・その理由は、先進国の中で最も早く資本主義の限界に突き当たっているのが日本だから。→ それは1997年から現在に至るまで、超低金利時代がこの国で続いていることが立証している。
・資本主義は、1970年代半ばを境に「実物投資空間」の中で利潤をあげることができなくなったのだが、そのことを裏付けるデータは、近代の先頭を走る日本において最も見つけることができる。…ex. 日本の交易条件が大きく改善したのは、1955年~72年まで。…ex. 日本の一人当り粗鋼消費量がピークをつけたのは1973年度〔鉄の消費量は近代化のバロメータ → それが(バブル期も含めて)横ばいで推移しているのは、この40年にわたって、日本の内なる空間で需要が飽和点に達している証拠。→ いわば近代社会を特徴づけていた大量生産・大量消費社会が、1970年代半ばにピークを迎えたことになる。〕…ex. 1973年度に、日本の中小企業・非製造業(国内に営業基盤)の資本利潤率が9.3%でピークを付けたのも同じことを示している。…ex. さらに1974年は、日本の合計特殊出生率が(総人口を維持できる限界値である)2.1を下回った年でもある(これ以後、出生率は低下を続けている)。⇒ このようにあらゆる指標が「地理的・物的空間」の膨張が止まったことを示唆している。

○バブルは資本主義の限界を覆い隠すためのもの

・なぜ先進国の中で日本がいち早くバブルを経験したのか(日本の先行性を読み解く鍵)

〔80年代の日米の経済の違い〕

(1章でみたように)「地理的・物的空間」の限界に突き当たったアメリカは、金融帝国化に舵を切っていくわけだが、当初は国際資本の自由な移動が不完全であり、また交易条件悪化の負荷を最も強く受けていたため、1970年代~80年代は停滞を余儀なくされた(詳細はP108)←→ 一方、日本は、省エネ技術によって二度のオイル・ショックを乗りきり、1980年代に入ると、自動車と半導体の生産によって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇るようになる。→ いわば、日本はわずかに残された「実物投資空間」を制して、世界一の経済大国にのし上がった。…しかし、近代延命レースのトップを走ったがゆえに、資本主義の臨界点に達するのも早かった。その証が1980年代のバブル。
・金融バブルの発生には、次の二つの条件を満たすことが必要。
①貯蓄が豊かであることに加えて、時代が大きく変わるようなユーフォリア(陶酔)があること。
②「地理的・物的空間」拡大が限界を迎えてしまうこと。
……①については、1980年代の日本の貯蓄率は年平均で約13%と高く、また「首都改造計画」やリゾート開発ブームで、「土地は値上がり続ける」というユーフォリアも醸成されていた。②の条件の「地理的・物的空間」の膨張が止まったのも、日本が最初だった。→ 日本は中間層が7割を占める社会(一億総中流)をつくることに成功し、消費行動が似ていたため、乗用車やテレビなど財の普及率が速いスピードでおおむね100%に近づき、飽和点に達した。…また、少子化が先進国の中で最も早く進行したことで、成長が問題解決の決め手にならない領域に真っ先に突入した。
・こうして金融バブル生成の二つの条件を満たした結果、実物経済とはかけ離れた資産価格の高騰、すなわち土地バブルが日本で起きた。←→ 欧米でも長期金利が1980年代初頭にピークに達して、近代資本主義経済における「地理的・物的空間」の拡大による利潤増大はできなくなっていたが、金融バブルを引き起こす条件はまだ整っていなかった。(ex. アメリカは個人貯蓄率が低く、財政や経常収支の赤字に悩まされていた)。
・1990年代後半、国際資本の完全自由化を実現させて、ようやく過少貯蓄の国・アメリカは、(過剰貯蓄の国・日本をはじめとして)世界の貯蓄を利用できるようになった。→ こうしてバブルの条件が整うと、ITバブル、住宅バブルと、アメリカ金融帝国でも立て続けにバブルが引き起こされていくようになった。

○「自由化」の正体

・金融の自由化や貿易の自由化は、グローバリゼーション礼賛者がよく言う「ウィン・ウィン」の関係にあるわけではない。元来、自由貿易からして貿易がお互いに利益をもたらすというのは、ごく限られた条件でしか成立しない(ex. イギリスとインドとの綿花貿易…詳細はP111)
・(ウォーラーステイン『近代世界システムⅣ』より)…「自由貿易は、実際、もう一つの保護主義でしかなかった。つまり、それは、その時点で経済効率に勝っていた国のための保護主義だった」「自由主義は、最弱者と自由に競争でき、抗争の主役ではなく犠牲者であるにすぎないか弱い大衆を搾取できる完璧な力を、最強の者に与えたかったのである」…(※TPPも結局これか…?)→ 金融自由化も、同じ考え方で実施された。…現代の「新自由主義者」たちは、19世紀の自由主義者の後継者なのだから、最弱の貧者は自己責任で住宅を奪われ(ex. サブプライムローン)、最強の富者は公的資金で財産は保護された。
・このように歴史の危機において繰り返し起きる金融バブルを、景気循環の中での一過性のものだと捉えている限り、資本主義の本質を見抜くことはできない。…なぜならバブルとは、資本主義の限界と矛盾とを覆い隠すために、引き起こされるものだから。(※う~ん、この説は初耳で驚きなのだが、経済学界の中ではどうゆう議論になっているのか…?)
・資本主義の限界とは、資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなってしまうこと(もはや実物経済では稼げない)。→ そのため、土地や証券といった「電子・金融空間」にマネーを注ぎ込み、バブルを引き起こすことで、資本主義が正常運転しているかのような偽装を図る。(※今のアメリカの株高も…?)
・しかしこの偽装は、すぐにバブル崩壊という形で露呈する。→ そして、バブル崩壊の後に待っているのが、賃金の減少や失業。→ それに対処するという名目で国債の増発とゼロ金利政策が行われ、超低金利時代と国家債務膨張の時代へと突入していく。……利潤極大化を最終のゴールとする資本主義は、自らがよって立つ原理(資本の自己増殖)のために、バブル経済化もいとわないことによって、超低金利というさらなる利潤率の低下を招いてしまう。(※う~ん、これが「バブルの正体」か…)

○資本の絶対的優位を目指すグローバリズム

・1991年のバブル崩壊後の日本は、長期停滞と同時にグローバリゼーションの波にも巻き込まれていく。→ 1995年に国際資本の完全移動性が実現すると、資本は国境を越えて、利潤率の極大化を目指すようになった。→ ただでさえバブル崩壊不況に陥っていた日本は、この金融グローバリゼーションに巻き込まれることで、より一層、資本主義の矛盾を露呈させていく。
・つまり、バブル生成とその崩壊も、グローバリゼーションも、もとをただせば1970年代半ば以降のフロンティアの消滅に起因していることだから、日本は先進国グループに先立って、資本主義の最終局面を迎えることになった。→ その顕著な現象は、「利子率革命」によって引き起こされる「景気と所得の分離」。…〔日本では1990年代後半から実質賃金の低下が始まるが、それがバブル崩壊だけによるものならば、景気回復とともに賃金水準も回復していくはず(※今、アベノミクス論者はそう主張…)〕。←→ しかし、現実には2002年~2008年、戦後最長の景気回復があったにもかかわらず、賃金は減少(P77に図)。…そして日本だけでなく、英米でも同様に、景気と所得との分離が確認されている。
・つまり、資本主義の最終局面では、経済成長と賃金との分離は必然的な現象。換言すれば、このままグローバル資本主義を維持しようとすれば、「雇用なき経済成長」(※雇用されても〝非正規〟の低賃金…)という悪夢を見続けなければならない。→ そのことを雄弁に物語るのが、1990年代以降の日本の労働政策…1999年には労働者派遣法が改正され、製造業などを除き派遣対象業務の制限を撤廃(2004年に製造業への派遣も自由化)。
・資本の絶対的優位を目指すグローバリズムにとっては、人件費の変動費化(※〝雇い止め〟の自由)を実現するには、労働市場の規制緩和は不可欠だった。→ (グローバリゼーションに対応して生産拠点を海外に容易に移せるようになった大企業と、企業のようには容易に働く場所を変えられない雇用者の力関係を考えるとわかるように)労働市場の規制緩和は、総人件費抑制の有力な手段として独り歩きするようになった。(※う~ん、「規制緩和」の正体…)
・〔労働市場の規制緩和は本来、労働の多様化の要請に応えて導入されたもの。つまり、柔軟な労働機会を提供する、労働者に便宜をはかるものだったはず〕←→ しかし企業は…利潤低下 →  バブル経済に依存 → そのバブルが崩壊 → 企業リストラのために、派遣社員の大量の雇い止めを実施。…どんな立派な法律も、為政者が時代認識をしっかりと持っていないと、その立法趣旨とかけ離れて利用されてしまう。(※昨今の政治家や企業人の、末期的な劣化現象…)

○金融緩和をしてもデフレは脱却できない

・(日本は近代の延命レースでトップを走ったがゆえに、その矛盾を体現)→ 「雇用なき経済成長」でしか資本主義を維持できなくなった現在、経済成長を目的とする経済政策は、危機の濃度をさらに高めることにしか寄与しないだろう。…その格好の事例が今まさに現在進行形で展開しているアベノミクス…。→ 円安(による資源髙)によって物価は確かにプラスに転じたが、肝心の賃金はそれに見合って上昇していない。そして、金融緩和(第一の矢)によるデフレ脱却はできない(詳細はP117~118)。
・貨幣が増加しても、それは金融・資本市場で吸収され、資産バブルの生成を加速させるだけ。→ そしてバブルが崩壊すれば、巨大な信用収縮が起こり、そのしわ寄せが雇用に集中する(賃下げ、リストラ…)のはすでに見た通り。(※アベノミクスの不吉な結末…)

○積極財政政策が賃金を削る理由

・アベノミクスの積極的な財政出動(第二の矢)も無意味であることは、90年代以降の日本が実証している。…1992年以来、歴代政権が切れ目のない総需要対策で200兆円以上もの外生需要(公共投資?)を追加しても、日本経済を内需中心の持続的成長軌道に乗せることはできなかった。…理由は明らかで、すでに経済が需要の飽和点に達していたから。
・2002年~08年の戦後最長の景気拡大期において、実質GDPが年平均2.1%と成長できたのは、アメリカのバブルや新興国の近代化に牽引された外需主導の拡大にすぎない。…当時は一見、日本の「失われた10年」が終わったかのように思われたが、実際には景気は輸出主導で回復しただけで、個人部門(個人消費支出+民間住宅投資)は年率0.6%しか伸びず、戦後の景気回復の中で最も増加率が低かった。
・その後、リーマンショック(2008年)で外需がしぼむと、日本は深刻な不況に陥った。…〔それまでは、米国「世界の〝投資〟銀行」がつくった幻の購買力(※返済不能のローン等)に、日本の大企業・製造業が自動車など高級品を中心に輸出を大幅に増やしたのだ。〕
・さらに、財政出動は「雇用なき経済成長」の元凶にもなってしまう。→ 公共投資を増やす積極財政政策は、過剰設備を維持するために固定資本減耗(設備の維持・補修費)を一層膨らまし → 賃金を圧迫することになるから。…〔2002年~2008年の景気回復期に、製造業の名目GDPは2.7兆円増加…このプラス成長の中身は、①固定資本減耗(設備の維持・補修費)が1.5兆円増(増加の原因は「過剰設備」…かつての過剰な設備投資のせいで、その維持コストが高くついている)。②雇用者報酬は1.5兆円減(!)。③企業利益は2.7兆円増。〕→ つまり、企業利益を2.7兆円増加させた一方で、雇用者報酬(賃金)は1.5兆円も減少したのだ。(詳細は、図も含めてP120~121)…(※こういう報道を日本のマスメディアはしているのか…?)
・なぜこのような分配が行なわれたのか。…その理由は、「戦後最長の景気回復期」に、企業利益を確保し配当を増やさないでいれば、企業経営者は翌年の株主総会でクビになってしまうから。つまり、企業経営者は配当を増やすために雇用者報酬を削減したのだ。→ かつての日本経済の姿と異なり、21世紀の日本では、景気回復は株主のためのものとなり、雇用者のためのものではなくなったのだ。(※昨今の安倍政権と財界との蜜月ぶり…!)
・そして、雇用者報酬の減少のそもそもの原因は、過剰設備の維持のためだったということになる(詳細はP122~123)。→ 現在の日本では、財政出動によって設備投資を拡大させると、その撤退に大きな代償(除去損が発生)を払わざるを得ない。(※震災対策のためという「国土強靭化計画」など、まともなチェックはされているのか…? リニア新幹線はどうなのか…?)

○構造改革や積極財政では近代の危機は乗り越えられない

・以上見たように、量的緩和政策(第1の矢)は実物経済に反映されず、資産価格を上昇させてバブルをもたらすだけ。…一方、公共投資を増やす積極財政政策(第2の矢)は、過剰設備を維持するために固定資本減耗を一層膨らます。→ そしてこの二つの経済政策は、どちらとも雇用の賃金を犠牲にすることになる。…量的緩和のあとバブルが崩壊すれば、企業リストラと称して急激な賃金引き下げや大量失業を招くし、積極財政のあと景気回復すると、(既述のように)固定資本減耗と企業利益を合わせた増加額が、付加価値の増加を上回ってしまい、賃金が抑制されることになるから。
・日本の得意分野である「モノづくり」で実物経済をもう一度立て直せば、という反論 ←→ しかし、それも時代の逆行にすぎない。…グローバリゼーションによって、新興国が成長を追い求めている現在の状況では、先進国が製造業を復活させることはほとんど不可能(※高級ブランド品とかだけ?)→ それを無理やりにでも改革しようとするのが構造改革(第3の矢)と呼ばれるもの。…既存のシステムがうまく機能しなくなると、時の為政者が構造改革を断行したがるのは、いつの時代にも見られること。→ しかし、大構造改革もまた失敗するのが歴史の常…。(※「観光立国」とか言って、苦しまぎれに〝カジノ〟とか言い出している…)
・既存のシステムは、これ以上「膨張」できないために機能不全に陥っている。←→ それにもかかわらず、既存のシステムを強化したところで、新しい「空間」は見つからない。→ 改革者の意に反して、既存のシステムの寿命を縮め、時代の歯車をいっそう早回しすることになる。…我々はもう少し歴史から学ぶべき。→(16世紀のスペイン帝国の事例…P125~126)
・スペインは中世の領土拡大モデルをそのまま強化したあげく、財政破綻に陥った。→ 同様に、現在の先進国は、成長信仰をそのまま強化したあげく、財政危機に陥っている。…成長を信奉する限り、それは近代システムの枠内にとどまっており、近代システムが機能不全に陥っているときに(※資本主義の終焉)、それを強化する成長戦略はどのような構造改革であっても、近代の危機(※歴史の危機)を乗り越えることはできない。
・このような袋小路に陥ってしまうのは、いまだに「成長がすべての怪我を癒す」という近代資本主義の価値観に引きずられているから。→ しかし、成長に期待をかければかけるほど(資本が前進しようとすればするほど)、雇用を犠牲にする(※本末転倒の末期症状…)。

○ケインズの警鐘

・成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう現在、私たちは、近代そのものを見直して、脱成長システム、ポスト近代システムを見据えなければいけない。(高橋伸彰『ケインズはこう言った』)…「金利を下げられない国も、金利が下がっても不平・不満がなくならない国も、どちらも文明が破綻する」…欧州危機以来、ギリシャなどの南欧諸国は、国債金利を下げられない。…国の信用が失われ、大幅に上乗せ(リスク・プレミアム)した金利でないと資金調達ができずに苦しんでいる。←→ 一方で、日米英独仏ら経済大国の国債金利は低下しているが、国内の不平・不満がなくなるどころか、ますます高まっている。
・利子率の低下とは、資本主義の卒業証書のようなもの。→ 従って、金利を下げられない国は、まだ資本主義を卒業できていない状態にあり、金利が下がっても不平・不満がなくならない国は、卒業すべきなのに「卒業したくない」と駄々をこねている状態(※う~ん、ユニークな解釈…)。…近代引きこもり症候群の人たちが、政界や実業界で実権を握って、近代システムの弊害が見えるがゆえに実際に引きこもっている若い人に、なにを内向きな考え方をしているのだと、非難しているのが今の日本。…まさに「倒錯日本」なのだ。(※う~ん、まさに〝逆転の視点〟…)
・低金利(ゼロ金利に近づく)ということは、次のように解釈できるはず。…もともと利子は、神に帰属していた「時間」を人間(※資本家?)が所有することを意味していた。→ その結果、たどり着くゼロ金利というのは、先進国12億人が神になることを意味。…これは、時間に縛られる必要から解放されたということ、「タイム・イズ・マネー」の時代が終焉を迎えるということ。(※雇用者から見れば、強いられた賃労働=時間労働からの解放…? 生命体としては、自然の生態系に見合った時間の回復…? …う~ん、難しすぎる問題なので、今は保留…)
・同様に「知」についても、中世までは神の独占物 → 近代になって、国家と大手マスメディアが「知」(情報)を独占していたが、インターネットやスマートフォンの普及により、先進国の人間は、世界中で何が起きているのかを瞬時に知ることができるようになった。…これもまた、12億人が神になったということ。→ そういう意味では、資本主義とは、神の所有物を人間のものにしていくプロセスであり、それが今、ようやく完成しつつある、というふうに解釈できる。…〔3章、次回に続く〕 
                           (10/22 つづく)
     

〔まだ3章の途中ですが、枚数が多くなりすぎたので、[前編]はここまでとします。…ここまででも、現在、世界で日々進行している様々な(バラバラな)事象が、一つの視点によって見事に関連づけられ、解き明かされていくという、とてもスリリングな知的興奮を感じさせられました。…次回の『資本主義の終焉と歴史の危機』―[後編]では、私たちがこれから進むべき道(方向性)を探っていく予定です。〕
                           (2014年10月22日)
                             

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