2017年9月28日木曜日

(震災レポート42) 震災レポート・戦後日本編(2)―[対米従属論 ②]



(震災レポート42)  震災レポート・戦後日本編(2)―[対米従属論 ②]

中島暁夫





                                         


『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』 


矢部宏治 集英社インターナショナル 2014.10.29(2015.7.6 9刷!)――(2)



〔著者は1960年生まれ。慶応大学文学部卒。博報堂を経て、1987年より書籍情報社代表。...著書に『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること―沖縄・米軍基地観光ガイド』『日本はなぜ、「戦争ができる国」になったのか』、共著書に『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』など。〕




【2章】福島の謎―日本はなぜ、原発を止められないのか


・『沖縄・米軍基地観光ガイド』の原稿がだいたい完成した頃に、東日本大震災が起こり、続いて福島の原発事故...。→ 直前に沖縄を取材して、米軍基地をめぐる裁判について調べたばかりだったので、夏になる頃には「沖縄=福島」という構造が、はっきり見えていた。

・つまり、(米軍基地問題と同じように)原発についてもおそらく憲法は機能しない。→ これから沖縄国際大学・米軍ヘリ墜落事故を何万倍にも巨大にしたような出来事が、必ず起きる。

・沖縄の米軍ヘリ墜落事故では、加害者(米軍)が現場を封鎖して情報を隠蔽した。被害者(市民)が裁判をしても必ず負けた。そしてしばらくすると、加害者(米軍)が「安全性が確保された」と言って、平然と危険な訓練を再開した。→ 福島でもその後、実際にそうなりつつある...。

○福島で起きた「明らかにおかしなこと」

・原発事故が起きてから、私たち日本人はずっと大きな混乱の中にいる。...「すべてを捨てて安全な場所へ逃げた方がいいのか」「今の場所にとどまって、生活の再建を優先した方がいいのか」...そうした究極の選択を迫られることになった。...なかでも福島では、20万人もの人たちが家や田畑を失い、仮設住宅での日々を送ることになった。

・そんな中、少し事態が落ち着いてくると、被災者たちは信じられない出来事に次々と直面することになった。...中でも、もっともおかしかったのは、これほどの歴史的大事故を起こし、無数の人々の家や田畑を奪っておきながら、その責任を問われる人物が一人もいなかったということ。

・工場が爆発して被害が出たら、必ず警察が捜査に入り、現場を調べ、事情を聴取して安全対策の不備を洗い出し、責任者を逮捕するはず。←→ それなのになぜ、この大惨事の加害者は罰せられないのか。警察はなぜ、東京電力へ捜査に入らないのか。安全対策に不備があったかどうか、なぜ検証しないのか。家や田畑を失った被害者に、なぜ正当な補償が行われないのか。

○被害者は仮設住宅で年越し、加害者にはボーナス

・事故の起きた2011年の年末、多くの被災者たちが仮設住宅で「どうやって年を越せばいいのか」と頭を抱えているとき、東京電力の社員たちに、なんと年末のボーナスが支給された。

・(翌2012年1月8日、福島県双葉町・井戸川町長の、野田首相への言葉)...「われわれを国民と思っていますか、法の下の平等が保障されていますか、憲法で守られていますか」...まさに福島で原発災害にあった人たちの思いが、戦後70年にわたり沖縄で基地被害に苦しみ続けてきた人たちの思いと、ぴたりと重なり合った瞬間だった。

○なぜ、大訴訟団が結成されなかったのか

・おそらく普通の国なら半年も経たないうちに大訴訟団が結成され、空前の損害賠償請求が東京電力に対して行われていたはずだ。←→ しかし、日本ではそうならなかった。→ ほとんどの人が、国がつくった「原子力損害賠償紛争解決センター」という調停機関を通じて、事実上の和解をし、東京電力側の言い値で賠償を受けるという道を選択したのだ。...それは今の日本社会では、いくら訴訟をして「お上にたてついて」も、最高裁までいったら必ず負けるという現実を、みんなよく分かっているからだろう。

〔※最近の報道では...「トモダチ作戦」に参加した米空母乗組員ら約150人の米国居住者が、福島第一原発事故で被曝したとして、東電などに対して50億ドル(約5500億円)以上の基金創設(医療費などのため)を求めて、米カリフォルニア州の連邦裁判所に提訴した。また原告側は、事故は東電側の不適切な原発設計や管理により発生したと主張し、被曝による身体的、精神的損害を受けたとして、(基金創設のほかに)損害賠償も請求しているそう...。これがアメリカの常識か...〕

・事実、原発関連の裁判の行方は、沖縄の基地被害の裁判を見ると予測できるのだ。...(1章で見たように)住民の健康に明らかに被害を及ぼす米軍機の飛行について、最高裁は住民の健康被害を認定した上で、「飛行の差し止めを求めることはできない」という、とんでもない判決を書いている。→ 福島の裁判でも、それと同じような事態が起こることが予想された。

○福島集団疎開裁判

・そして残念ながら、その後、やはりそうなっている。...(放射能による健康被害を大人より受けやすい)子どもの被曝問題(詳細はP58)→ 仙台高等裁判所の集団疎開裁判の判決...「チェルノブイリ原発事故後に児童に発症したとされる被害状況に鑑みれば、付近で生活する人々、とりわけ児童の生命・身体・健康について、由々しい事態の進行が懸念されるところである」...つまり裁判所は、福島の子どもたちの健康被害の可能性を認めていながら、しかしそれでも、子どもを救うための行政措置をとる必要はない、という判決を出してしまった。→ 住民側の敗訴。

・その理由の一つが、多くの児童を含む市民の生命・身体・健康について、「中長期的には懸念が残るものの、現在ただちに不可逆的な悪影響を及ぼす恐れがあるとまでは証拠上認めがたい」からだという。...いったいこの「高等」裁判所は何を言っているのか? 同じ判決文の前段と後段に論理的な整合性がない〔※結論ありきの判決?〕→ これは先に触れた沖縄の米軍機・騒音訴訟とまったく同じ構造なのだ。

○原発関連の訴訟にも「統治行為論」が使われている

・沖縄で積み重ねられた米軍基地裁判の研究から類推して、こうしたおかしな判決(「しかし行政措置をとる必要はない」という非論理的な結論が接ぎ木されてしまった...)が出る原因は、やはり「統治行為論」しか考えられない。

・これまで原発に関する訴訟では、たった3件だけ住民側が勝訴している(詳細はP60)。...そのうち、大飯(おおい)原発3,4号機の再稼働を差し止める住民側勝訴の判決(福井地裁・樋口英明裁判長)は、人々に大きな勇気を与えるものだった。...それはこの判決が、安倍政権の進める圧倒的な原発再稼働への流れの中で、人々が口に出しにくくなっていた原発への不安や怒りを、チェルノブイリの事例をもとに、論理的に、また格調高い文章で表現してくれたからだった。
「地震大国日本において基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは、根拠のない楽観的見通しにしかすぎない」「当裁判所は〔関西電力側が展開したような〕きわめて多数の人の生存そのものに関わる権利と、電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的に許されないことであると考えている」
→ 日本の司法は、まだ死んではいなかった。そう思わせてくれるすばらしい判決内容だった。

・しかし残念ながら、現在の法的構造の中では、この判決が政府・与党はもちろん、関西電力の方針に影響を与える可能性も、ほとんどない。→ 少なくとも最高裁まで行ったら、それが必ず覆されることを、みんなよく分かっているからだ。

〔※う~ん、「原発維持」派の論拠の中で、この「電気代の高い低いの問題」というのは、どうやらだいぶ疑わしくなってきたようだが、まだ手強い...と感じる論拠は、「強くて安定したエネルギーの供給が、強くて安定した国力には必要だ」というもの。→ この「レポート」でも取り上げたことのある中野剛志氏や佐藤優氏などは、確かこの論拠を主張していたと記憶するが...〕

○沖縄から見た福島

・福島の状況が過酷なのは、これまで述べたようなウラ側の事情についての知識が、県内でほとんど共有されていないというところ。...話し合う人がいない。当然だ。今までなにも問題なく暮していたところに、突然、原発が爆発したわけだから。

・その点、沖縄には長い闘いの歴史があって、米軍基地問題について様々な研究の蓄積があり、住民の人たちがウラ側の事情をよく分かっている。また、そうした闘いを支える社会勢力も存在する。...まず「琉球新報」と「沖縄タイムス」という新聞社二社がきちんとした報道をし、正しい情報を提供している。...政治家や大学教授、弁護士、新聞記者の中にも、きちんと不条理と闘う人たちが何人もいる。

〔※以前、自民党本部の研修会かなにかで、著名な右派系作家が、この沖縄の新聞社を(議論・反論するのでなく)、ツブセ! とか発言していたようだが...それは、これらの新聞社が、自民党政権にとって〝不都合な真実〟をきちんと報道してきた、ということの証左だろう...〕

・しかし福島県には、そうしたまとまった社会勢力は存在しない。もちろん、地元メディアや市民団体の人たちは頑張っているが、それを支える社会勢力がない。←→ そんな中、原発推進派の政治家たちが、被害者である県民たちを、放射能で汚染された土地に帰還させようとしている。

〔※昨日の「住民帰還の今」という新聞報道では、避難指示が解除された9市町村では、政府の思惑通りには避難住民の帰還は進まず、特に若い世代ほど戻らない傾向が強い、とのこと...東京新聞2017.8.30〕

・だから福島で被災している人たちに、そうした沖縄の知恵をなんとか伝えたい。...戦後70年近く積み重ねられてきた沖縄の米軍基地問題についての研究と、そこで明らかになった人権侵害を生む法的構造を、福島のみなさんに知ってもらいたいと思って、いまこの本を書いている。

〔※この問題は、沖縄や福島だけのものではなく、今は潜在的であっても、いつ、どこで顕在化するかもしれない、この戦後日本社会全体の問題だろう...〕

○日本はなぜ、原発を止められないのか

・福島原発事故という巨大な出来事の全貌が明らかになるには、まだまだ長い時間が必要だ。...政府はもちろん情報を隠蔽し続けるはずだし、米軍基地問題のように、関連するアメリカの機密文書が公開されるまでには、30年近くかかる。

〔※う~ん、ここでもアメリカの機密文書の公開待ちか...。この日本という国の〝隠蔽体質〟、もうそろそろ何とかならないのか...!〕

・原発を動かそうとしている「主犯はだれか、その動機はなにか」...自らの間違いを認め、政策転換をする勇気のない日本の官僚組織なのか。...原発利権を諦めきれない自民党の政治家なのか。...同じ自民党の中でも、核武装の夢を見続けている右派のグループなのか。...それとも電力会社に巨額の融資をしてしまっている銀行なのか。...国際原子力村と呼ばれるエネルギー産業やその背後にいる国際資本なのか。...その意向を受けたアメリカ政府なのか。...いろんな説があるが、実態はよく分からない。→ とりあえず本書では、犯人は「原発の再稼働によって利益を得る勢力全員」と定義しておきたい。

〔※その勢力の中に、先ほど触れた、「強くて安定した国力のためには、強くて安定したエネルギーが必要」と考える勢力(ナショナリスト系)も入れておきたい...〕

・より重要な問題は、「動かそうとする勢力」ではなく、「止めるためのシステム」の方にある。→ 福島の事故を見て、ドイツやイタリアは脱原発を決めた。台湾でも市民のデモによって、新規の原発が建設中止に追い込まれた。→ 事故の当事国である日本でも、圧倒的多数の国民が原発廃止を望んでいる(脱原発「賛成」77%、原発再稼働「反対」59%...「朝日新聞」世論調査2014.3.15~16)。→ すべての原発が停止した2014年夏、電力需要のピーク時に電力は十分な余裕があり、原発を全廃しても日本経済に影響がないことはすでに証明されている。...それなのに、日本はなぜ原発を止められないのか。

〔※先ほど触れた「強い国力のためには、強い安定したエネルギーが必要」という立場に対しては、「(原発がなくても)ひと夏の電力需要のピーク時に、電力に余裕があった...」という論拠だけでは、ちょっと説得力が弱い気がするが...〕

○オモテの社会とウラの社会

・この問題を考えるとき、もっとも重要なポイントは、いま私たちが普通の市民として見ているオモテの社会と、その背後に存在するウラの社会とが、かなり異なった世界だということ。→ そしてやっかいなのは、私たちの眼には見えにくいそのウラの社会こそが、法的な権利に基づく「リアルな社会」だということなのだ。

・(1章の最後で述べたように)オモテの最高法規である日本国憲法の上に、安保法体系が存在する、というのがその代表的な例の一つ。→ 現実の社会は、そのめちゃくちゃな法体系の下で判決が出され、権力が行使され〔※つまり沖縄の辺野古基地の建設工事は着々と進められ〕、日々経済活動が行われている。←→ その構造を解明し、正しく変える方向に進むことができなければ、オモテの社会についていくら論じたり、文句を言ったりしても、まったく意味がないということになってしまう。

〔※(ウラの社会ですでに決まっているのだから)オモテの社会の象徴である国会で、いくら論じたり文句を言っても、なにも意味がないように見えるのは、そういう訳か...〕

・さらに複雑な問題がある。1章で既述した、
「日米安保・法体系(上位)」>「日本国憲法・法体系(下位)」
という関係は、(一般の人には見えにくいものの)きちんと明文化されている問題。だから順を追って見ていけば、だれの眼にも明らかになる。→ しかし複雑なのは、さらにその上に、安保法体系にも明記されていない隠された法体系がある。...それが「密約法体系」。

・つまりアメリカ政府との交渉の中で、どうしても向こうの言うことを聞かなければならない ←→ しかしとても日本国民の眼には触れさせられない...そうした最高度に重要な合意事項を、交渉担当者間の秘密了解事項として、これまでずっとサインしてきたわけだ。

・そうした密約の数々は、国際法上は条約と同じ効力を持っている。→ だから、もともと日本の法律よりも上位にあり、さらに砂川裁判最高裁判決によって、日本の憲法よりも上位にあることが確定している。...約60年にわたって、そうしたウラ側の「最高法規」が積み重なっているのだ。
〔※う~ん、戦後日本の政治とは、〝密約の政治〟か...!〕

・この「密約法体系」の存在を考えに入れて議論しないと......「なぜ沖縄や福島で起きている明らかな人権侵害がストップできないのか」「なぜ裁判所は、誰が考えても不可解な判決を出すのか」「なぜ日本の政治家は、選挙に通ったあと、公約と正反対のことばかりやるのか」......ということが、まったく分からなくなってしまう。

○アメリカで機密解除された二つの公文書

・この密約法体系は、まさに戦後日本の闇そのものと言えるような問題。...だから本来非常に複雑なのだが、それを極限まで簡単に説明するために、アメリカで機密解除された次の二つの公文書を見てもらう。→ 戦後70年経ってもなお、日本がまともな主権を持つ独立国でないことが、はっきり理解されると思う。

・日本は第二次大戦で無残に敗北し、米軍によって6年半、占領された。...その間、1952年に日本が独立を回復するまで、米軍は日本国内で自由に行動することができた。もちろん日本の法律などなにも関係なく、まさに米軍はオールマイティの存在だった。...占領とは元々そういうものだから、それ自体は仕方なかったのかもしれない。

・しかし問題は占領の終結後、それがどう変わったかだ。...サンフランシスコ講和条約と日米安保条約を同時に結び、1952年に独立を回復したはずの日本の実態はどうだったのか。
→ 答えは「依然として、軍事占領状態が継続した」...沖縄だけの話ではなく、日本全体の話だ。→ その証拠となる二つの文書が、アメリカで機密解除された公文書の中から見つかっている。

(1)1957年2月14日、日本のアメリカ大使館から本国の国務省に送られた秘密報告書(当時のアメリカは、世界中の米軍基地の最新状況を把握するため、極秘報告書(ナッシュ・レポート)をつくっていたが、そのための基礎資料として本国へ送られたもの)。→ これは私たち日本人が現在直面する数々の問題を解決するために、どうしても知っておかなければならない最重要文書の一つ。...ちなみに、文中に出てくる「行政協定」というのは、旧安保条約のもとで日本に駐留する米軍が持っている法的特権について定めた日米間の取り決め。→ 旧安保条約(1952年発効)に対応する取り決めが日米行政協定、現在の安保条約(1960年発効)に対応する取り決めが日米地位協定という関係になる。

「在日米軍基地に関する秘密報告書」......

 「日本国内におけるアメリカの軍事行動のきわだった特徴は、その規模の大きさと、アメリカに与えられた基地に関する権利の大きさにある。〔安保条約に基づく〕行政協定は、アメリカが占領中に保持していた軍事活動のための権限と権利を、アメリカのために保護している①。
 安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに米軍を使うことができる②。
 ...行政協定のもとでは、新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている③。
 それぞれの米軍施設についての基本合意に加え、地域の主権と利益を侵害する数多くの補足的な取り決めが存在する④。
 数多くのアメリカの諜報活動機関の要員(CIA!)が、なんの妨げも受けず日本中で活動している⑤。
 ...米軍の部隊や装備なども、地元とのいかなる取り決めもなしに、日本への出入りを自由に行う権限が与えられている⑥...〔※核の持ち込みも?〕。
 すべてが米軍の決定によって、日本国内で演習が行われ、射撃訓練が実施され、軍用機が飛び、その他の非常に重要な軍事活動が日常的に行われている⑦」

...〔※まさに〝属国日本〟...!〕

・米軍の特権を定めた日米行政協定について、この秘密報告書は...「行政協定は、アメリカが占領中に持っていた軍事活動のための権限と権利を、アメリカのために保護している①」「〔行政協定には〕地域の主権と利益を侵害する(※沖縄!)数多くの補足的な取り決め(※密約!)が存在する④」...とはっきり書いている。→ アメリカ大使館自身が、大統領への調査資料の中でその事実を認めているのだから、いくら日本の外務省や御用学者たちがその内容を否定しても、なんの意味もない。...彼らは、この事実が明らかになると世論からバッシングを受ける側、つまり事実を隠蔽する動機を持つ立場にいるから。

〔※先日も、テレビのゲストコメンテーターに元外務省北米局長という人物が出演していたが(意外にも日米地位協定や日米合同委員会がテーマだった)、そんな人物のコメントには何の意味もない、ということか...。う~ん、分かりやすい...〕

・この秘密報告書が明らかにしているのは、日本に駐留する米軍の権利については、占領期から独立(1952年)以降にかけて、ほとんど変わることなく維持されたということ。...この文書が書かれた1957年といえば、独立からすでに5年が過ぎ、3年後には安保条約が改定される、そんな時期。←→ しかし依然として軍事占領状態が継続していた。→ そのことが、アメリカ大統領(アイゼンハワー)の要請に基づいて行われた特別補佐官(フランク・ナッシュ)の極秘調査資料によって証明されているのだ。

○米軍の権利は、旧安保条約と新安保条約で、ほとんど変わっていない

・日米の密約が公表されると、自民党の政治家は必ずこう言う.........昔はそういう占領の名残りのようなものが残っていたが、岸信介首相(※安倍のオジイチャン!)が、1960年に政治生命をかけて安保条約を改定し、そうした不平等状態に終止符を打ったのだと。

・しかし、次の文書を見てほしい。...その1960年の新安保条約を調印する直前に、岸政権の藤山外務大臣とマッカーサー駐日大使(マッカーサー元帥の甥)がサインした「基地の権利に関する密約(基地権密約)」だ。

(2)「日本における合衆国軍隊の使用のための日本国政府によって許与された施設および区域内(「米軍基地」のこと)での合衆国の権利は、1960年1月19日にワシントンで調印された協定(「日米地位協定」のこと)第3条1項の改定された文言のもとで、1952年2月28日に東京で調印された協定(「日米行政協定」のこと)のもとでと変わることなく続く」(1960年1月6日)

...〔※う~ん、「密約」だから、わざと分かりにくい表現にしている...?〕

→ つまり、米軍基地を使用する上での米軍の権利については、「これまでの取り決め(日米行政協定)と、これからの取り決め(日米地位協定)には、まったく変わりがありません」...ということを、日本政府が約束しているのだ。

・そしてこの1960年以降、日米地位協定はひと文字も改定されていないから、先の(1)秘密報告書(1957年)とこの(2)密約文書(1960年)を二つ並べただけで、現在の日本において、米軍が基地の使用について占領期とほぼ同じ法的権利を持っていることが、論理的に証明されるのだ。

○オスプレイの謎

・既述した二つの文書を読んだだけで、現在の日本に起きている、いくつかの不思議な出来事の謎が解ける。...まず、オスプレイ(米軍が開発した、非常に事故の多い特殊軍用機)。

・2012年9月、このオスプレイの沖縄への配備に対して、沖縄県のすべての市町村(全41)の議会が「受け入れ反対」を表明し、10万人の反対集会を開いた。さらに翌2013年1月には、沖縄のすべての市町村長と議長が上京し、「オスプレイの配備撤回」や「辺野古への基地移設の断念」を求める「建白書」を安倍首相に手渡した。

・しかしそれでもオスプレイは、反対運動などなかったかのように沖縄に配備され、訓練が行われるようになった。←→ アメリカ本国では「遺跡に与える影響」や「コウモリの生態系に与える影響」を考慮して、訓練が中止になっているにもかかわらず。

〔※アメリカ本国では訓練が思うようにできないから、「属国日本」でやっている...?〕

・配備直前の2012年7月、野田首相は民放テレビに出演して...「(オスプレイの)配備自体はアメリカ政府の基本方針で、同盟関係にあるとはいえ、(日本側から)どうしろ、こうしろという話ではない」...と述べた。→ 日本国民の安全や生命が脅かされているのに「どうしろ、こうしろという話ではない」とはどういう言い草かと、日本人はみなその無責任さに驚いたわけだが ←→ 既述の(1)秘密報告書(P67~68)を読めば、彼がなぜそう言ったかが分かる。
「安保条約のもとでは、日本政府とのいかなる相談もなしに米軍を使うことができる②」「米軍の部隊や装備なども、地元当局への事前連絡さえなしに、日本への出入りを自由に行う権限が与えられている⑥」...と、はっきり書いてある。→ 1952年に結ばれた日米行政協定の第3条と第26条が、こうした権利の根拠となっている。

・そして(既述のような)数々の密約によって、そうした米軍の権利は現在まで基本的に変わらず受け継がれていることが分かっている。...密約といっても、外務大臣と大使が正式にサインしたものだから、これは条約とまったく同じ法的効力を持つのだ。→ さらに(1章で既述したように)米軍が密約に基づいてこれらの権限を行使したとき、日本国民の側に立って人権侵害にストップをかけるべき憲法は、1959年の砂川裁判最高裁判決によって機能停止状態に陥っている。

〔※う~ん、「砂川裁判」とは、日本の戦後史にとってそんなに重要な事件だったのか...〕

・つまり日本国首相に、この密約に抵抗する手立ては何もないわけだ。→ だから野田首相は、外務省からレクチャーされた通りに「この国の真実」を語るしかなかったのだろう。...もちろんそこに心の痛みや知的な疑問がカケラも感じられなかったことは、厳しく指摘しておく必要があるが。

○辺野古の謎

・もう一つ、辺野古の新基地建設をめぐる謎がある。...1995年(※阪神淡路大震災やオウム地下鉄サリン事件があった年か)、沖縄の中部で3人の米兵が、商店街にノートを買いに来た12歳の女子小学生を車で連れ去り、近くの海岸で3人でレイプした。

〔※う~ん、占領期とか植民地のような所業...〕。

・この事件をきっかけに、沖縄では米軍の駐留に対する大規模な反対運動が沸き起こり、翌1996年には「世界一危険な飛行場」と言われた普天間基地の返還が合意された。←→ ところがいつの間にか、普天間返還の条件として、沖縄本島北部の美しい辺野古の岬に、大規模な米軍基地を新たに建設するという日米政府の合意がなされていたのだ。

・そもそも現在沖縄にある基地は、すべて米軍によって強制的に奪われた土地につくられたもの...戦争中はもちろん、戦後になってからも、銃を突きつけ、家をブルドーザーで引き倒し、住民から無理やり土地を奪って建設したものだ。←→ しかし、もし今回、辺野古での基地建設を認めてしまったら、それは沖縄の歴史上初めて県民が、米軍基地の存在を自ら容認するということになってしまう。←→ それだけは絶対にできないということで、粘り強い抵抗運動が起きているのだ。

・もしも日本政府が建設を強行しようとしたら、流血は必至だ。日本中から反対運動に参加する人たちが押し寄せるだろう。それなのに、なぜ計画を中止することができないのか。

〔※う~ん、戦後も70年を経て、沖縄でも本土でも否応なく〝世代交代〟が進行していると思われるが、この歴史的なリアルをどう捉えていくのか...? 「かつて日本がアメリカと戦争をした」ということも、知らない若者がいるらしいから...〕

・先述の1957年の秘密文書...「新しい基地についての条件を決める権利も、現存する基地を保持し続ける権利も、米軍の判断にゆだねられている③」...こうした内容の取り決めに日本政府は合意してしまっているのだ。→ だからいくら住民に危険が及ぼうと、貴重な自然が破壊されようと、市民が選挙でNOという民意を示そうと、日本政府から「どうしろ、こうしろと言うことはできない」。...オスプレイとまったく同じ構造だ。→ だから日本政府にはなにも期待できない。自分たちで体を張って巨大基地の建設を阻止するしかない。...沖縄の人たちは、そのことをよく分かっているのだ。

...〔※確かに「そのことをよく分かっている」人たちは一定数はいるのだろうけれど、(しつこいようだけど)〝世代交代〟の進行が...〕

○日本には国境がない

・これまで述べてきたことは、基地とか軍事関係の問題だけではない。→ 太平洋上空から首都圏全体をおおう巨大な空域(横田空域)が米軍によって支配されている(P35の図)。...日本の飛行機はそこを飛べないし、米軍から情報をもらわなければ、どんな飛行機が飛んでいるかも分からない。→ そしてその管理空域の下には、横田や厚木、座間、横須賀などといった、沖縄並みの巨大な米軍基地が首都東京を取り囲むように存在しており、それらの基地の内側は日米地位協定によって治外法権状態であることが確定している。
⇒ この二つの確定した事実から導かれる論理的結論は...「日本には国境がない」という事実だ。

・2013年に、アメリカ政府による違法な情報収集活動が発覚したとき(「スノーデン事件」)、「バックドア」という言葉がよく報道されていた。...つまり世界中にある様々なデータベースが、表面上は厳重に保護されているように見えても、後ろ側に秘密のドアがあって、アメリカ政府はそこから自由に出入りして情報を入手していた、というのだ。

(※参考:『スノーデン 日本への警告』集英社新書2017.4.19)

・日本という国には、まさに在日米軍基地というバックドアが各地にあって、米軍関係者はそこからノーチェックで自由に日本に出入りしている。→ 自分たちの支配する空域を通って基地に着陸し、そのまま基地のフェンスの外に出たり入ったりしているのだ。...だからそもそも日本政府は、現在、日本国内にどういうアメリカ人が何人いるのか、まったく把握できていないのだ。

〔※う~ん、当方のウサギ小屋の斜め上空を、毎日でっかい米軍機が、横田基地に向かって降下していく...。元実家には厚木基地があり、高校には横須賀基地があった...〕

・国家の三要素とは、国民・領土(領域)・主権だと言われる。→ 国境がないということは、つまり領域がないということだ。...首都圏の上空全域が他国に支配されているのだから、もちろん主権もない。⇒ 日本は独立国家ではないということになる。

〔※う~ん、当方、「将来的には、国境などというものは無くなった方がいい...」などと呑気に考えていたが、歴史的現実というものは、そう単純ではない...?〕

○「バックドア」から出入りするCIAの工作員

・この問題に関連してもう一つ、非常に重要な事実がある。...それは米軍基地を通って日本に自由に出入りするアメリカ人の中に、数多くのCIAの工作員が含まれているということ。
「数多くのアメリカの諜報活動機関の要員が、なんの妨げも受けず日本中で活動している」(既述の大統領特別補佐官への秘密報告書の⑤)...これは驚くべきことではないのか。→ こうした権利も、1960年の密約によって、現在までなにも変わらず受け継がれている。

・現在でも米軍やCIAの関係者は直接、横田基地や横須賀基地にやってきて、そこから都心(青山公園内の「六本木ヘリポート」)にヘリで向かう。さらに六本木ヘリポートから、日米合同委員会の開かれる「ニューサンノー米軍センター」(米軍専用のホテル兼会議場)やアメリカ大使館までは、車で5分程度で移動することができる。←→ それでも日本政府はなんの抗議もしないわけだ(P77に地図や写真あり)。

〔※このことはうかつにも、この本を読むまでまったく知らなかった...。米軍関係者やCIA要員は、なんのチェックも受けずに(バックドア)日本国内に自由に出入りしている...!〕

・先にふれたスノーデン事件のとき、電話を盗聴された各国(ドイツやフランス、ブラジルなど)の首脳たちが、アメリカ政府に激しく抗議する中、日本の小野寺防衛大臣だけは、「そのような報道は信じたくない」...と、ただ述べるだけだった(※この小野寺氏が最近また防衛大臣に復帰した...)。...日本の「バックドア」は情報空間だけでなく、首都圏上空や米軍基地という物理空間にも設けられている。→ そのことを考えると、いまさらそんな盗聴レベルの問題について抗議しても、確かに意味はない。そう答えるしかなかったのだろう。

〔※う~ん、まさに〝属国日本〟...!〕

○外国軍が駐留している国は独立国ではない

・六本木というのは東京の都心中の都心だ。そこに「六本木ヘリポート」というバックドアがあり、CIAの工作員が何人でも自由に入国し、活動することができる。→ そしてそれらの米軍施設はすべて治外法権になっており、沖縄や横須賀や岩国と同じく、米軍関係者が施設外で女性をレイプしても、施設内に逃げ込めば基本的に逮捕できない。...これは間違いなく、占領状態の延長だ。

・「外国軍が駐留している国は独立国ではない」という事実......これは「本土の日本人以外、世界中の人が知っていること」だ。→ だからみんな必死になって外国軍を追い出そうとする。...フィリピン(後述)やイラクがそう。...フィリピンは憲法改正によって1992年に米軍を完全撤退させた。...イラクも、あれほどボロ負けしたイラク戦争からわずか8年で、米軍を完全撤退させた(詳細はP79)。...(元外交官の孫崎享によれば)実はベトナムもそう...ベトナム戦争というのは視点を変えて見ると、ベトナム国内から米軍を追い出すための壮大な戦いだった。→ つまり、占領軍がそのまま居すわったら、独立国ではなくなる...これが国際標準の常識なのだと思う。

〔※昨日ラジオで、右派系の経済評論家が...フィリピンは米軍基地をなくしたから、南沙諸島で中国から侵略されつつある...という意味の発言をしていた...〕

○三つの裏マニュアル

・このように「戦後日本」という国は、占領終結後も国内に無制限で外国軍(米軍)の駐留を認め、軍事・外交面での主権をほぼ放棄することになった。...もちろんそのようにアメリカに従うことで、大きな経済的利益を手にしたことも事実だ〔※やはり「対米従属」の容認は、この「大きな経済的利益」が、国民レベルでもいちばん大きいのか...〕。...また、東西冷戦構造が存在した時代は、その矛盾も今ほど目立つことはなかった。

・しかし冷戦が終わった今、国内(決して沖縄だけではない)に巨大な外国軍の駐留を認め、その軍隊に無制限に近い行動の自由を許可するなどということは、どう考えても不可能になっている。→ 辺野古の新基地建設やオスプレイの問題によく表れているように、どうやっても解決不能な問題が生まれてしまう。...なぜなら、「自国内の外国軍に、ほとんど無制限に近い行動の自由を許可すること」と、「民主的な法治国家であること」は、絶対に両立しないからだ。

〔※う~ん、だから「日米安保法体系」を守りたい勢力は、「北朝鮮危機」を煽って(利用して)、再び〝東西冷戦状態〟に引き戻そう、としているのか...?〕

・その大きな矛盾を隠すために、「戦後日本」という国は、国家のもっとも重要なセクションに分厚い裏マニュアルを必要とするようになった。...できた順番で紹介すると、

①最高裁の「部外秘資料」(1952年9月:正式名称は「日米行政協定に伴う民事及び刑事特別法関係資料」最高裁判所事務総局 編集・発行)
②検察の「実務資料」(正式名称は「外国軍隊に対する刑事裁判権の解説及び資料」1954年10月 →「合衆国軍隊構成員等に対する刑事裁判権実務資料」1972年3月 法務省刑事局 作成・発行)
③外務省の「日米地位協定の考え方」(1973年4月 正式名称同じ。外務省条約局 作成)

......これらはいずれも、独立した法治国家であるはずの日本国内で、米軍及び米兵に事実上の「治外法権」を与えるためにつくられた裏マニュアル...(三つとも、日米合同委員会における非公開の「合意議事録」の事例をマニュアル化する形でまとめられたもの)。
(参考資料:『密約―日米地位協定と米兵犯罪』吉田敏浩 毎日新聞社、『本当は憲法より大切な「日米地位協定入門」』前泊博盛 編著 創元社)

〔※う~ん、これらの事実は、日本の司法・行政府のあまりに非民主的な〝隠蔽体質〟の根っこにあるもの...と考えると、「様々な謎」が解けるような気がする...〕

○殺人者を無罪にする役所間の連係プレー

・例えば在日米軍の兵士が重大な犯罪を犯すとする。→ すると、その扱いをめぐって、日本のエリート官僚と在日米軍高官(※アメリカ側は軍人か...)をメンバーとする日米合同委員会で非公開の協議が行われる。

・実際に21歳の米兵が、46歳の日本人主婦を遊び半分に射殺した「ジラード事件」(1957年 群馬県)では、その日米合同委員会での秘密合意事項として、「(日本の検察が)ジラードを殺人罪ではなく、傷害致死罪で起訴すること」「日本側が、日本の訴訟代理人(検察庁)を通じて、日本の裁判所に対し判決を可能な限り軽くするように勧告すること」...が合意されたことが分かっている。(『秘密のファイル』春名幹男 共同通信社)

・つまり、米軍と日本の官僚の代表が非公開で協議し、そこで決定された方針が法務省経由で検察庁に伝えられる。→ 報告を受けた検察庁は、自らが軽めの求刑をすると同時に、裁判所に対しても軽めの判決をするように働きかける。→ 裁判所はその働きかけ通りに、あり得ないほど軽い判決を出すという流れ...。

〔※う~ん、民主主義の「三権分立」はどこへ行った...?〕

・ジラード事件のケースでいうと、遊び半分で日本人女性を射殺したにもかかわらず、検察は秘密合意に従い、ジラードを殺人罪ではなく傷害致死罪で起訴し、「懲役5年」という異常に軽い求刑をした。→ それを受けて前橋地方裁判所は、「懲役3年、執行猶予4年」という、さらに異常なほど軽い判決を出す。→ そして検察が控訴せず、そのまま「執行猶予」が確定。→ 判決の2週間後には、ジラードはアメリカへの帰国が認められた。...「アメリカとの協議(外務省)→ 異常に軽い求刑(法務省→検察庁)→ 異常に軽い判決(地方裁判所)→ アメリカへの帰国」...という役所間の連係プレーによって、明らかな殺人犯に対し事実上の無罪判決が実現した。

〔※う~ん、まさに〝属国日本〟...というより〝植民地・日本〟...!〕

○日本のエリート官僚が、ウラ側の法体系と一体化してしまった

・(1章で触れた)砂川裁判でも、米軍基地の違憲判決(東京地裁・伊達判決)を受け、それを早急に覆そうと考えた駐日アメリカ大使が日本に対して、東京高裁を飛び越して最高裁に上告せよ、そしてなるべく早く逆転判決を出せ、と求めている。

〔※う~ん、アメリカの圧力による、結果ありきの裁判か...〕

・「駐日アメリカ大使」(D・マッカーサー2世)→「外務省」(藤山愛一郎)→「日本政府」(岸信介)→「法務省」(愛知揆一)→「最高裁」(田中耕太郎)...という裏側の権力チャンネルで、アメリカ側の「要望」が最高裁に伝えられた。
→ 先に触れた三つの裏マニュアルは、こうしたウラ側での権力行使(方針決定)を、オモテ側の日本国憲法・法体系の中にどうやって位置づけるか、また位置づけたふりをするかという目的のためにつくられたものなのだ。

〔※う~ん、尊敬するオジイチャンも関わってきた、こうした戦後日本の「ウラ側の構造」を、孫のアベちゃんが批判できるわけないか...〕

・この米軍基地問題に関して繰り返されるようになった「ウラ側での権力行使」には、さらに大きな副作用があった。→ つまり、こうした形で司法への違法な介入が繰り返された結果、国家の中枢にいる外務官僚や法務官僚たちが、オモテ側の法体系を尊重しなくなってしまったのだ。...それはある意味当然で、(一般の人たちがオモテ側の法体系に基づいていくら議論したり、その結果、ある方向に物事が動いているように見えたとしても)最後にはそれがひっくり返ることを、彼らエリート官僚たちはよく知っている。

〔※う~ん、それがあの「いかにも国会を軽視したような」官僚たちの答弁態度にも表れているのか...〕

・ウラ側の法体系を無視した鳩山政権(当時は国民から圧倒的な支持があった)が9ヵ月で崩壊し、官僚の言いなりに振る舞った野田政権(野田が首相になるなどと誰も思わなかった)が1年4ヵ月続いたことがその良い例。...それは、米軍関係者からの評価が非常に高かったから。

〔※う~ん、説得力あり...〕

・(1章の最後で)日米合同委員会のメンバーとなったエリート官僚の出世について触れたが、そのように歴代の検事総長を含む、日本のキャリア官僚の中でも正真正銘のトップクラスの人たちが、この日米合同委員会という「米軍・官僚共同体」のメンバーとなることで、ウラ側の法体系と一体化してしまった。そして、すでに60年が経ってしまった。→ その結果、日本の高級官僚たちの国内法の軽視は、ついに行き着くところまで行き着いてしまったのだ。

〔※う~ん、このことが昨今の官僚や政治家たちのテイタラクの原因か...。→ まさに〝戦後史の正体〟...〕

○「統治行為論」と「裁量行為論」と「第三者行為論」

・ここで福島の問題に戻ってくる。...原発の問題を考える場合も、このウラ側の法体系を常に考慮しておく必要があるから。→ 注意すべきは、砂川裁判で最高裁が「憲法判断をしない」としたのが、(「安保条約」そのものではなく)「安保条約のようなわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度な政治性を有する問題」という曖昧な定義になっているところだ。

・だから少なくとも「国家レベルの安全保障」については、最高裁が絶対に憲法判断をせず、その分野(※米軍基地とか原発とか)に法的コントロールが及ばないことは確定している。→ おそらく2012年6月27日に改正された「原子力基本法」に...「前項〔=原子力利用〕の安全の確保については、わが国の安全保障に資する〔=役立つ〕ことを目的として、行なうものとする」(第2条2項)...という条文がこっそり入った(※官僚の得意技?)のもそのせいだろう。→ この条文によって今後、原発に関する安全性の問題は(※「国家レベルの安全保障」の問題として)、すべて法的コントロールの枠外へ移行することになる。...どんなにめちゃくちゃなことをやっても憲法判断ができず、実行者を罰することができないから。

・36年前の1978年、愛媛県の伊方原発訴訟(建設予定の原発の安全性が争点)の一審判決で、柏木賢吉裁判長はすでに...「原子炉の設置は国の高度の政策的判断と密接に関連することから、原子炉の設置許可は周辺の住民との関係でも国の裁量行為に属する」...と述べていた。→ さらに同裁判の1992年の最高裁判決では...「〔原発の安全性の審査は〕原子力工学はもとより、多方面にわたるきわめて高度な最新の科学的、専門技術的知見にもとづく意見を尊重しておこなう内閣総理大臣の合理的判断にゆだねる」のが相当であると述べていた。

・(1章の)田中耕太郎長官による最高裁判決とまったく同じであることが分かる。...三権分立の立場からアメリカや行政の間違いに歯止めをかけようという姿勢はどこにもなく、アメリカや行政の判断に対し、ただ無条件で従っているだけだ。

〔※要するに司法の行政府(アメリカ)への丸投げ...「三権分立」の放棄...〕

・田中耕太郎判決は「統治行為論」、柏木賢吉判決は「裁量行為論」、米軍機の騒音訴訟は「第三者行為論」...と呼ばれるが、すべて内容は同じ。→ こうした「法理論」の行き着く先は、
「司法による人権保障の可能性を閉ざす障害とも、また行政権力の絶対化をまねく要因ともなりかねず」「司法審査権の全面否定にもつながりかねない」(小林節『政治問題の法理』日本評論社より)。
...まったくその通りのことを、過去半世紀にわたって日本の裁判所はやり続けているのだ。

・また、そうした判決に向けて圧力をかけているのが、おそらく既述の「裏マニュアル①」をつくった最高裁事務総局であることは、すでに複数の識者から指摘されている。...裁判所の人事や予算を一手に握るこの組織が、「裁判官会同」や「裁判官協議会」という名目のもとに会議を開いて裁判官を集め、事実上、自分たちが出したい判決の方向へ裁判官たちを誘導している事実が報告されているから。

・こうして駐日アメリカ大使と日本の最高裁が米軍基地問題に関して編み出した、「統治行為論」という「日本の憲法を機能停止に追い込むための法的トリック」を、日本の行政官僚や司法官僚たちが基地以外の問題にも使い始めるようになってしまった。→ 官僚たちが「わが国の存立の基礎にきわめて重大な関係をもつ」と考える問題については、自由に治外法権状態を設定できるような法的構造が生まれてしまった。→ その行き着いた先が、現実に放射能汚染が進行し、多くの国民が被曝し続ける中での原発再稼働という、狂気の政策なのだ。

〔※そう言えば「安保法制」のときも、「わが国の存立の基礎にきわめて重大な...」という文言が飛び交っていたが、今の「北朝鮮危機」にも同様に、この常套句が盛んに飛び交っているようだが...〕

○「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」

・次の条文は、悪名高きナチスの全権委任法の第2条...「ドイツ政府によって制定された法律は、国会及び第二院の制度そのものに関わるものでない限り、憲法に違反することができる」〔※すごい法律だ!〕...この法律の制定によって、当時、世界でもっとも民主的な憲法だったワイマール憲法はその機能を停止し、ドイツの議会制民主主義と立憲主義も消滅したとされる。→ その後のドイツは民主主義国家でも、法治国家でもなくなってしまった。

・「政府は憲法に違反する法律を制定することができる」...これをやったら、どんな国でも滅ぶに決まっている。←→ しかし日本の場合はすでに見たように、米軍基地問題をきっかけに、憲法が機能停止状態に追い込まれ、「アメリカの意向」をバックにした官僚たちが平然と憲法違反を繰り返すようになった。...言うまでもなく憲法とは、主権者である国民から政府への命令、官僚をしばる鎖。←→ それがまったく機能しなくなってしまったのだ。

・「『法律が憲法に違反できる』というような法律は、今はどんな独裁国家にも存在しない」というのが、世界の法学における定説だろう。←→ しかし、現在の日本における現実は、ナチスよりひどい。→ 法律どころか、「官僚が自分たちでつくった政令や省令」でさえ、憲法に違反できる状況になっているのだ。

〔※う~ん、ナチスよりひどいのか...麻生さんもびっくり...?〕

○放射性物質は汚染防止法の適用除外! 

・そうした驚くべき現実を、明確な形で思い知らされることになったのが、福島原発事故に関して損害賠償請求の裁判を行った被災者たちだった。

・(ひとつの例)...2011年8月、福島第一原発から45キロ離れた名門ゴルフ場が、コース内の放射能汚染がひどく営業停止に追い込まれたため、放射能の除染を求めて東京電力を訴えた。→ この裁判で東京電力側の弁護士は驚愕の主張をした。...「福島原発の敷地から外に出た放射性物質は、すでに東京電力の所有物ではない『無主物』である。従って東京電力にゴルフ場の除染の義務はない」...。→ 東京地裁は、(さすがに東京電力側の主張は採用しなかったものの)「除染方法や廃棄物処理のあり方が確立していない」という、わけのわからない理由をあげ、東電に放射性物質の除去を命じることはできない、としたのだ。

・この判決を報じた本土のメディアは、東電側の弁護士が目くらましで使った「無主物(誰のものでもないもの)」という法律用語に幻惑され、ただ戸惑うだけだった。←→ しかし沖縄の基地問題を知っている人なら、すぐにピンとくるはずだ。→ こうしたおかしな判決が出るときは、その裏に必ずなにか別のロジックが隠されているのだ。...(既述したとおり)砂川裁判における「統治行為論」、伊方原発訴訟における「裁量行為論」、米軍機騒音訴訟における「第三者行為論」など、後になってわかったのは、それらはすべて素人の目をごまかすための無意味なブラックボックスでしかなかったということだ。

〔※う~ん、確かに沖縄と福島とはつながっている...〕

・原発災害についても、調べてみてわかったことは...(1章で既述したように)米軍機が航空法の適用除外になっているため、どんな「違法な」飛行をしても罰せられない仕組みになっているが〔※特別法の罠!〕、まったく同じだったのだ。→ 日本には、汚染を防止するための立派な法律があるのに、なんと放射性物質はその適用除外となっていたのだ!

「大気汚染防止法(27条1項)...この法律の規定は、放射性物質による大気汚染およびその防止については適用しない」
「土壌汚染対策法(2条1項)...この法律において『特定有害物質』とは、鉛、ヒ素、トリクロロエチレンその他の物質(放射性物質を除く)であって(略)」
「水質汚濁防止法(23条1項)...この法律の規定は、放射性物質による水質の汚濁およびその防止については適用しない」

・そしてここが一番のトリックなのだが...環境基本法(13条)の中で、そうした放射性物質による各種汚染の防止については「原子力基本法その他の関係法律で定める」としておきながら、実はなにも定めていないのだ。

(ひとつの例)...福島の農民Aさんが汚染の被害を訴えに行ったとき、環境省の担当者からこの土壌汚染対策法の条文を根拠にして...「当省としては、このたびの放射性物質の放出に違法性はないと認識している」と言われた...。

・これでゴルフ場汚染裁判における弁護士の不可解な主張の意味がわかる。→ いくらゴルフ場を汚しても、法的には汚染じゃないから(※法律で放射性物質は適用除外されているから)、除染も賠償もする義務がないのだ。...家や畑や海や大気も同じだ。→ (ただそれを正直に言うと暴動が起きるので)いまは「原子力損害賠償紛争解決センター」という目くらましの機関をつくって、加害者側のふところが痛まない程度のお金を、勝手に金額を決めて支払い、賠償する振りをしているだけなのだ。

〔※まさに「日本死ね!」と言いたいところか...〕

○法律が改正されても続く「放射性物質の適用除外」

・その後、福島原発事故から1年3ヵ月経って、さすがに放射能汚染の適用除外については、法律の改正が行われた。→ しかし結果としては何も変わっていない(変えたように見せかけて、実態は変えない、官僚のテクニック)...(詳細はP92~93)。

・だからこうした問題について、いくら市民や弁護士が訴訟をしても、現在の法的構造の中では絶対に勝てない。→ ここまで何度も述べたように、砂川裁判最高裁判決(※その実態はアメリカの意向!)によって、安全保障に関する問題には法的なコントロールが及ばないことが確定している。...簡単に言うと、大気や水の放射能汚染の問題は、震災前は「汚染防止法の適用除外」によって免罪され、震災後は「統治行為論」によって免罪されることになったわけだ。→ このように現在の日本では、官僚たちが自らのサジ加減ひとつで、国民への人権侵害を自由に合法化できる法的構造が存在しているのだ。

○「なにが必要かは政府が決める。そう法律に書いてあるでしょう!」

・「神は細部に宿る」と言うが、物事の本質は、それほど大きくない出来事の中に象徴的にあらわれることがある。→ 今回、福島での人権侵害に関して象徴的だと思ったのは、「原発事故 子ども・被災者支援法」をめぐる官僚の発言。

・この法律は、2012年6月に超党派の議員立法によって全会一致で可決されたが、子どもを被曝から守るために自主的に避難した福島県の住民や、(それまで国による支援がほとんどなかった)福島県外の汚染地域の住民なども対象とする支援法だったため、成立当初は大きな期待を集めていた。←→ ところが日本政府は、それから1年以上この法律を「店ざらし」にし、なに一つ具体的な行動をとらなかった。

・そうした中、この法案を支援する国会議員たちの会合の席上で、立法の趣旨に基づき、基本方針案を作成する前に被災者に対する意見聴取会を開催すべきだという議員の主張に対して、復興庁の水野靖久参事官が...「そもそも法律をちゃんと読んでください。政府は必要な措置を講じる。何が必要かは政府が決める。そう法律に書いてあるでしょう!」...と強い口調で言い放った。

・これほど今の日本の官僚や政府の実態をあらわした言葉はない。近代社会の基本的仕組みをまったく理解していない。...国民はもちろん、その代表として法案を作成した国会議員さえ、すべて自分たちの判断に従うべきだと考えているのだ。...これこそ「統治行為論」の本質だ。→ これでは国民の人権など、守られるはずもない。

○日米原子力協定の「仕組み」

・その後調べると、日米原子力協定という日米間の協定があって、これが日米地位協定とそっくりな法的構造をもっていることが分かった。→ つまり「廃炉」とか「脱原発」とか「卒原発」とか、日本の政治家がいくら言ったって、米軍基地の問題と同じで、日本側だけでは何も決められないようになっているのだ。...(条文を詳しく分析した専門家に言わせると)アメリカ側の了承なしに日本側だけで決めていいのは電気料金だけだそう...。

・そっくりな法的構造というのは、例えば......日米地位協定には、日本政府が要請すれば、日米両政府は米軍の基地の使用について再検討し、その上で基地の返還に「合意することができる(may agree)」と書いてある。...一見よさそうな内容に見えるが、法律用語で「できる(may)というのは、やらなくてもいいという意味。→ だからこの条文の意味は、「どれだけ重大な問題があっても、アメリカ政府の許可なしには、基地は絶対に日本に返還されない」ということなのだ。

・一方、日米原子力協定では、多くの条文に関し、「日米両政府は○○しなければならない(the parties shall...)」と書かれている。...「しなければならない(shall)」はもちろん法律用語で義務を意味する。

「(第12条4項)...どちらか一方の国がこの協定のもとでの協力を停止したり、協定を終了させたり、〔核物質などの〕返還を要求するための行動をとる前に、日米両政府は、是正措置をとるために協議しなければならない(shall consult)。そして要請された場合には他の適当な取り決めを結ぶことの必要性を考慮しつつ、その行動の経済的影響を慎重に検討しなければならない(shall carefully consider)」

→ つまり「アメリカの了承がないと、日本の意向だけでは絶対にやめられない」ような取り決めになっているのだ。

・さらに日米原子力協定には、日米地位協定にもない、次のようなとんでもない条文がある。
「(第16条3項)...いかなる理由によるこの協定またはそのもとでの協力の停止または終了の後においても、1条、2条4項、3条~9条、11条、12条および14条の規定は、適用可能なかぎり引き続き効力を有する」

→ もう笑うしかない。...それら重要な取り決めのほぼすべてが、協定の終了後も「引き続き効力を有する」ことになっている。...こんな国家間の協定が、地球上でほかに存在するだろうか。→ もちろんこうした正規の条文以外にも、(日米地位協定についての長年の研究で分かっているような)密約も数多く結ばれているはずだ。

・問題は、こうした協定上の力関係を、日本側からひっくり返す武器が何もない、ということなのだ。(これまで説明してきたような)法的構造の中で、憲法の機能が停止している状態では...。→ だから日本の政治家が「廃炉」とか「脱原発」とかの公約を掲げて、もし万一、選挙に勝って首相になったとしても、彼には何も決められない。→ 無理に変えようとすると鳩山元首相と同じ、必ず失脚する。...法的構造がそうなっているのだ。

〔※多くの官僚たちは、国民の方ではなく、この法的構造の方を向いて仕事をし、そして出世していく...〕

○なぜ「原発稼働ゼロ政策」はつぶされたのか

・事実、野田首相は2012年9月、「2030年代に原発稼働ゼロ」を目指すエネルギー戦略をまとめ、閣議決定しようとした。→ 外務省の藤崎一郎駐米大使が、アメリカのエネルギー省のポネマン副長官と9月5日に、国家安全保障会議のフロマン補佐官と翌6日に面会し、政府の方針を説明したところ、「強い懸念」を表明され、→ その結果、閣議決定を見送らざるを得なくなってしまった(同月19日)。

・これは鳩山内閣における辺野古への米軍基地「移設」問題とまったく同じ構造。→ このとき、もし野田首相が、(鳩山首相が辺野古問題で頑張ったように)「いや、政治生命をかけて2030年代の稼働ゼロを閣議決定します」と主張したら、すぐに「アメリカの意向をバックにした日本の官僚たち」によって、政権の座から引きずり降ろされたことだろう。

・いくら日本の国民や、国民が選んだ首相が「原発を止める」という決断をしても、外務官僚とアメリカ政府高官が話をして、「無理です」という結論が出れば撤回せざるを得ない。→ たった2日間(2012年9月5、6日)の「儀式」によって、アッという間に首相の決断が覆されてしまう。......日米原子力協定という「日本国憲法の上位法」にもとづき、日本政府の行動を許可する権限を持っているのは、アメリカ政府と外務省だから...。

・(本章の冒頭で、原発を「動かそうとする」主犯探しはしないと書いたが)「止められない」ほうの主犯は、明らかにこの法的構造にある。

〔*著者註...これが儀式だったという理由は、もともとアメリカのエネルギー省というのは、前身である原子力委員会から原子力規制委員会を切り離して生まれた、核兵器および原発の推進派の牙城だから。→ こんなところに「原発ゼロ政策」を持っていくのは(アメリカの軍部に「米軍基地ゼロ政策」を持っていくのと同じで)、「強い懸念」を表明されるに決まっている。...最初から拒否される筋書きができていたと考えるほうが自然だ。→ 事実、一週間後に今度は大串博志(内閣府大臣政務官)たちが訪米したが、脱原発政策への理解はやはりまったく得られず、逆に、非常に危険な「プルサーマル発電の再開」を国民の知らない密約として結ばされる結果となった。→ 今後、この「対米密約」に従って、泊(北海道電力)、川内、玄海(九州電力)、伊方(四国電力)、高浜(関西電力)などで、危険なプルサーマル型の原発が次々に再稼働されていく恐れが高まっている。〕

(※う~ん、この予想通りに事は進んでいるように見える...詳細はP97~99)

○「原発がどんなものか知ってほしい」

・日本の原子力政策が非常に危険な体質をもっていることは、なにも福島の事故で初めて分かったわけではない。→ 早くからその危険性を内部告発していた一つの手記を紹介しておきたい。

・それは平井憲夫さんという、約20年にわたって福島、浜岡、東海などで14基の原発建設を手がけた現場監督で、「原発がどんなものか知ってほしい」という手記。

「電力会社は、原発で働く作業員に対し、『原発は絶対に安全だ』という洗脳教育を行っている。私もそれを20年間やってきた。...(作業員に放射能の危険について教えず)何人殺したか分からないと思っている」「現実に原発の事故は日本全国で毎日のように起こっている。ただ政府や電力会社がそれを『事故(アクシデント)』とは呼ばずに、『事象(インシデント)』と呼んでごまかしているだけだ」「中でも1989年に福島第二原発で再循環ポンプがバラバラになった事故と、1991年2月に美浜原発で細管が破断した事故は、世界的な大事故だった」「美浜の事故は、多重防護の安全システムが次々と効かなくなり...チェルノブイリ級の大事故になるところだった。だが土曜日だったのに、たまたまベテランの職員が出社していて、とっさの判断でECCS(緊急炉心冷却装置)を手動で動かして止めた」「すでに熟練の職員は原発の建設現場からいなくなっており、作業員の98%は経験のない素人だ。だから老朽化原発も危ないが、新しい原発も同じくらい危ない」

・このきわめて貴重な現場からの証言を残した後、平井さんは長年の被曝によるガンのため、1997年に死去された。まだ58歳という若さだった。ネット上にその手記の全文が公開されている。(http://www.jam-t.jp/HIRAI/)

○悪の凡庸さについて

・2014年の東京では、『ハンナ・アーレント』というドイツ映画が予想外のヒットを続けている。...この映画の主人公は、エルサレムで1961年に始まったナチスの戦争犯罪者アドルフ・アイヒマンの裁判を傍聴し、問題作『エルサレムのアイヒマン―悪の凡庸さについての報告』にまとめた有名な女性哲学者。

・大きな議論を呼んだそのレポートの結論......ナチスによるユダヤ人大量虐殺を指揮したアイヒマンとは、「平凡で小心な、ごく普通の小役人」にすぎなかった、しかしそのアイヒマンの「完全な無思想性」と、ナチスに存在した「民衆を屈服させるメカニズム」が、この空前の犯罪を生んでしまったのだ...という告発に、多くの日本人は、現在の自分たちの状況に通じる気味の悪さを感じているのだと思う。

・アーレントが問いかけたきわめて素朴で本質的な疑問、つまり大量虐殺の犠牲者となったユダヤ人たちは...
「なぜ時間どおりに指示された場所に集まり、おとなしく収容所へ向かう汽車に乗ったのか」「なぜ抗議の声をあげず、処刑の場所へ行って自分の墓穴を掘り、裸になって服をきれいにたたんで積み上げ、射殺されるために整然と並んで横たわったのか」「なぜ自分たちが1万5000人いて、監視兵が数百人しかいなかったとき、死にものぐるいで彼らに襲いかからなかったのか」...。

・それらはいずれも、まさに現在の日本人自身が問われている問題だと言える...
「なぜ自分たちは、人類史上最悪の原発事故を起こした政党(自民党)の責任を問わず、翌年(2012年)の選挙で大勝させてしまったのか」「なぜ自分たちは、子どもたちの健康被害に眼をつぶり、被曝した土地に被害者を帰還させ、いままた原発の再稼働を容認しようとしているのか」「なぜ自分たちは、そのような『民衆を屈服させるメカニズム』について真正面から議論せず、韓国や中国といった近隣諸国ばかりをヒステリックに攻撃しているのか(※今はそこに「北朝鮮」も加わった...)」......そのことについて、歴史をさかのぼり本質的な議論をしなければならない時期にきているのだ。

〔※ここまで、「沖縄の謎」と「福島の謎」をたどってきたが、戦後史の背後にひそむ「大きな謎」=「戦後日本の正体」が、かなりの部分、見えてきたように感じている。...だが、予想外の速さで、こちらの遅々とした牛歩の歩みなど吹き飛ばしてしまうような、世界の政治状況の激動が迫りつつあるようにも見える...〕
                               (9/15...2章 了)

〔次回の(3)は......【3章】安保村の謎①―昭和天皇と日本国憲法......の予定です。
 → 10月中の完成を目指します。〕
                                   (2017.9.15)