2017年3月24日金曜日

(震災レポート38 )

(震災レポート38)  震災レポート・5年後編(4)―[福島原発論 ①]



・昨年の後半に高齢の親族の看取りということがあり、いろいろ忙殺されてだいぶ間が空いてしまった。昨年からサブタイトルを「5年後編」としたが、震災後もうすぐ6年になろうとしている。ここで遅まきながら、もう一度福島原発事故の原点に戻って、「なぜこの事故は起こったのか」そして「この事故は戦後の日本社会にとってどういう意味を持っているのか」ということについて、改めて検証してみたい。世界的な〝激動の年〟あるいは〝混迷の年〟になるだろうと予測されている2017年を、そこから始めてみたい。
                                         

『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』
 烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11
―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題  ―――[前編]


〔烏賀陽(うがや)弘道は(「震災レポート」⑤の『報道災害【原発編】』や⑳の『原発難民』でも取り上げたが)1963年京都市生まれ。フリージャーナリスト。86年京都大卒業後、朝日新聞入社。03年にフリーランスに。…著書に『原発難民』『ヒロシマからフクシマへ』など多数。〕


【まえがき】

〔この本の意図〕

・福島第一原発事故の発生直後から、もう50回前後はフクシマの現地に取材に足を運んだ。また避難民の話を聞くために、福島県外の避難先も訪ね歩いた。
・さらに「一体なぜ、政府や電力会社はこんな失敗をしたのか」という問いの答えを探して、政治家や官僚、学者たちの話を聞いて回り、また彼らの書いた著作を読み、会いに行った。原発関係者にもたくさん会った。事故調査委員会にも取材した。「原発の生まれ故郷」であるアメリカの核施設も取材して歩いた(『ヒロシマからフクシマへ』ビジネス社2013.7.1 参照)。
・そんな作業を5年続けてみると、おぼろげながら一つの像が見えてきた。…この本は、「ポスト・フクシマ」としか言いようのない、長くて暗い現在進行形の時代の、(5年間の取材の成果を一区切りとした)途中経過報告である。


〔取材テーマ〕

(1)フクシマの避難者や被災地はこれからどうなっていくのか。…その事実を後世の歴史のために記録していくこと。
(2)「一体なぜ福島第一原発事故は起きたのか」「なぜ住民避難に失敗したのか」という真相を詰めていくこと。
(3)「事故後、原発事故が起きたときの対策は、住民の安全を守るに足るよう改善されているのか」をウォッチしていくこと。
(※これらはまさにジャーナリストの本質的な役割…)

→ そうやって原発事故をさかのぼって取材していくうちに、福島第一原発事故の遠因は、日本の原発黎明期である1950年代からあったのではないか、という仮説が私の中で芽生えた。……政府が立地基準を定める前に、東電が勝手に自前の津波や地盤の基準で同原発の場所を決めてしまった話(3章)。その後、保険業界などが保険引き受けを拒否するほどの巨大事故を予想していたにもかかわらず、政府はそれをまったく無視、さらに情報を隠蔽してしまった話(同)…。
・こうした過去の事故原因が積み重なった醜悪な集積体が、福島第一原発事故なのではないか。…この本は、その仮説を述べ、根拠を示そうとしている。
・この「原子炉3基がメルトダウン」という世界で類例のない惨事に至った原因について、マスコミ報道や事故調査委員会は「事故後の政府や東電の対応がいかに失敗したか」を解明することに腐心しているが、私には「原因は50年以上さかのぼって存在した」という感触が強くなった。…「50年以上にわたって各人が各所でミスを積み重ねた結果」があの大惨事なのだ。
・しかし、こうした検証を積み重ねるうちに、「日本社会には、原発という巨大なエネルギー源を引き受け、運転していくに足る総合力があるのか」という疑問が膨らみ始めた。
・福島第一原発事故は、日本社会全体が持っている「総合力」or「国力」を計測する絶好のケーススタディだと思われる。…これは、第二次世界大戦(太平洋戦争)の悲惨な敗北が、当時の日本の組織文化や社会文化の欠陥をあぶり出す研究材料になった現象に似ている。(※太平洋戦争の敗北と原発事故とのアナロジー)
・「敗戦体験」では、軍事優先主義や帝国主義、民主主義の否定といった社会・経済・政治上の要因が国の破滅を招いた、という教訓を引き出した(※う~ん、戦後70年を経て、今その「教訓」が危うくなってきている…)。→ 福島第一原発事故という巨大な失敗も、そうやって未来への教訓として「何を改めるべきなのか」を学ぶ材料にしなくてはならない。(※う~ん、これも事故後早や5年にして、あやしくなってきた…)


〔現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥〕

・原発事故の取材を通して、あちこちで現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥が姿を現してきた。それらは大ざっぱに三つに分けられる。

(a)組織文化の欠陥
・例:国と都道府県がバラバラに動いていて、制度や法律の実効性を削いでいる。…国の中でも環境省、総務省、経産省などがコーディネートなしにバラバラに動いている。統合性に欠ける、いわゆる「タテ割り行政」(※各々の省益の確保や天下りの斡旋に精出している…)。…また電力会社や政府の情報を公開しない秘密主義もこれに該当する(→ 1,4章)。(※この「情報公開」に関する意識の低さは、日本社会のあらゆる分野に共通する課題だろう。…今のところ「小池都政」は、少なくともこの「情報公開」に関する姿勢については評価できるか…)

(b)法律・行政制度
・例:放射性物質は風に吹かれたチリのようにランダムに飛び散ることが分かっている現在でも、国の住民避難政策は「原発を中心にした真円」の「線」で区切る、という実効性の低い形をとっている。また原発から数キロの至近距離に住民がいても、県境をまたぐと「立地自治体ではない」として稼働の同意対象から外される。(→4章)

(c)ヒューマン・ファクター
・例:原発のメルトダウン動向をほぼ正確に予測していたシミュレーションが計算され、首相官邸にまで届いていたにもかかわらず、誰もその意味や価値を理解できなかった。…一刻を争う事態の中、テレビ放送用に無駄なやらせ閣議を開いた。…緊急事態宣言の決裁を先送りして無駄な会議に中座し時間を浪費した、などのヒューマン・エラー。(→1、4章)
……こうした「組織文化」「法律・行政制度」「ヒューマン・ファクター」の欠陥は、原発事故後5年を経ても、改善された形跡を見出せない。…例:福島第一原発から数キロの距離にあったために、機能不全に陥った司令センター「オフサイトセンター」が、やはり政府の避難指定区域である30キロ圏内に設置・移設されている例が、全国多数ある。→ 未来のいつか、3・11と同じ地震や津波が日本の原発を襲えば、また同じような規模の汚染や被曝が繰り返されるのではないか。
・また、この原発事故に対する「検証能力」にも大きく落胆した(詳細はP9)。そして、そうした事故調査委員会の報告を検証すべき立場にあった新聞やテレビなどの報道機関も、そうした事故調査委員会の欠陥を指摘した形跡がない。
・検証能力を欠いた社会とは、レフリーやジャッジがいないスポーツゲームと同じだ。→ そこには反則や違法がはびこる。…人間のやることから失敗を完全に排除することはできない。しかしいったん失敗が起きたら、徹底的に原因と責任を検証しなければならない。←→ そうしなければまた同じ失敗が繰り返される。→ そんな社会は疲弊し、劣化する。


〔「現在までに、何重のミスが重なっているのか」という層〕

(ア)2011年3月11日に至るまでに、事故の遠因をつくった東京電力や電力業界、規制官庁、政界、学界。
(イ)事故後、被害(主に被曝と汚染)をもっと軽く抑えることができたのに、その方策を取らなかった、あるいは拡大させた電力業界、規制官庁、政界、学界。
(ウ)そうした事故原因を調査・究明するはずの調査委員会。
(エ)同じ事故や被害が繰り返されることがないよう法律や制度を改善するはずの電力業界、規制官庁、政界、学界。
(オ)そうした改善や事故原因の究明がなされているのかを検証する報道。

―→「誰一人その責務を果たせていない」という「総崩れ状態」なのだ。

・原発事故で国土が放射能に汚染され、10万人もの住民が家や故郷を失うというのは、戦争に次ぐ「国難」級のクライシスである。…そこまで来てもなお、電力業界、規制官庁、政界、学界、報道という日本の「ベスト・アンド・ブライテスト」たちが全員エラーを犯し続けている。誰も完全に職責を果たせていない。→ この現実を、私たちは否認することなく、直視する必要がある。その意味をもっと真剣に考えなくてはならない。
・「原発という、事故を起こせば危険だが、得るところも大きい巨大エネルギー源を、どう社会が引き受けていくか」という「社会の総合力」において、事故調査委員会や報道なども立派な当事者なのだ。…「巨大なエネルギー源であるがゆえに、万が一にもミスがないようチェックし、監視し、検証する」社会が担う機能の当事者なのである。
・こうした電力業界、規制官庁、政界、学界から報道までを含めた「社会全体の総合力」が「原発を引き受けるレベルに達しているのか」というテストが、福島第一原発事故だった。→ 日本社会はそのテストに落第したのだ。そして事故後の行動においても、やはり及第点には達していない。→ そして実はこの「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」という現実こそ、日本人がもっとも目を背けたい、否認したい現実なのではないか。


〔福島第一原発事故は終わっていない〕

・2011年3月11日午後7時18分に政府が発した「原子力緊急事態宣言」は、現在も解除されていない。…福島第一原発は「収束」「鎮静化」どころか、火事でいえばまだ火が消えていない状態なのだ。それを政府も認めている。…私たちはまだ、あの「2011年3月11日の暗くて重い夜」の中にいる。
・その間に、被爆した人の数は約23万人、避難を続ける人の数はまだ10万人いる。…大都市近郊の中型都市が一つまるごと消えてしまった計算だ。…(2016年2月現在)税金から支払われる賠償金は5兆8000億円超、除染費用は約5兆円の見通し。(※最近の報道では賠償金はさらに増えて7.9兆円…)
・「福島第一原発事故は終わっていない」どころか、2011年3月11日からずっと続いているのだ。これほど長期間続く事故というものが、人々の理解を超えている、というだけである。
・そして福島第一原発事故には、5年経っても未解決・未解明のまま放置されている事案が多すぎる。…ex.「なぜ冷却装置が使われなかったのか」(→2章)「事故後も実効的な住民避難策の改善が見られない」(→4章)等々…。


〔そして誰もいなくなった〕

・ふと周りを見渡すと、発生直後から5年間、福島第一原発事故を取材し続けている同業者は、社員記者・フリー記者問わずほとんど誰もいなくなってしまった。新聞やテレビはもちろん、週刊誌や月刊誌を見ても、福島第一原発事故は「その他たくさんのニュースの一つ」として埋没している。…私自身「原発ものは広告や営業が嫌がる」と次々に連載を打ち切られ、読者の寄付と自腹を原資に取材に行くという苦境を強いられている。
・(マスコミだけではなく)人々の日常会話でも「原発事故」は「口にするのがためらわれる話題」に変貌しつつある。…日本社会は本格的な「忘却」あるいは「黙殺」の過程に入ったようだ。
・原発から流出した放射性物質が近隣住民を被曝させるという深刻な事態は、人類の歴史で3回しか起きていない(前の2件は米・スリーマイル島事故、旧ソ連・チェルノブイリ事故)。…この急速な国を挙げての忘却は、「驚いた」を通り越して不気味さすら感じる。


〔日本社会の総合力の欠如〕

・やはり「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」のではないか。→ 日本人はそれを認めたくない。かくも自分たちの社会が劣化してしまったことから、目を背け、否認したい。…そんな無意識が作動しているのではないか。
・しかし、私たちは心に刻まなければならない。日本の原発は、冷却水の取水を河川や湖水ではなく、海水に頼っているので、すべて海岸線上にある(→3章)。言うまでもなく日本列島は世界有数の地震多発地帯であり、しかも、震源地によっては海岸に津波が押し寄せることを避けられない。…我々が福島第一原発事故で目撃した通りである。
・私は原発否定論者ではない。莫大なエネルギーを生む原発は、安全に運転されている限りは有益なエネルギー源のはずである(※う~ん、核廃棄物の最終処分場は…?)。→ 取材で訪れたアメリカには「半径50キロは無人の砂漠」というような人口希薄地帯に原発が設置されていた。…そのくらいの広い国土があれば、日本ほど神経質になる必要がないというのが肌でわかった。(※そして最終処分場には無人の砂漠orアラスカがある…?)
・しかし、日本にはそんな人口希薄地帯はなく、海岸地帯はどこも世界有数の人口過密地である。そこに原子炉が並んでいる。→ 地政学的な判断だけでも、日本が原発を運転し続けるのはきわめてハイリスクと考えざるを得ない。→ そして既述のように、日本社会の総合力は、このリスクを乗り切るには落第点しか取れない。……原発否定論者ではない私が危惧するのは、そういったリスクである。
・この本の内容は(原発の専門家の査読を経ているが)あくまで私の仮説であり、至らない部分が多々あることは承知の上で、社会的議論と、集合知を呼ぶ意味であえて刊行する。→ そうして「2回目のフクシマ」を起こさないことが、私がこのささやかな本に込めた願いである。そして、それこそが、家や故郷を理不尽に奪われた被災者の無念を未来に活かす、唯一の道だと信じている。 

(2016年2月 烏賀陽弘道)

(注記:「福島」を「フクシマ」とカタカナ表記するのは一義的には「福島県」「福島市」の混同を避けるためだが、広義には原発事故や汚染が「福島県」という行政区分を超えて汚染が広がった事実を含めて「福島第一原発事故の被害や影響が及んだ空間」を示す概念として「フクシマ」という呼称を用いる。)


【1章】政府内部3・11のロスタイム


○「国は私たちを国民だと思っているんだろうか」

・この章では、東日本大震災当日に政府内部で起きた時間の浪費(ロスタイム)を検証する。…それは、そのロスタイムが、住民避難を遅らせ、被曝を招いたから。→ 福島第一原発事故から学ばなければならない最大の教訓は、この「東京での政府の分単位の遅れが、原発周辺の住民にとっては致命的になる」ことである。→ それらを分析し記録に残すことで、同じ悲劇を繰り返さないための教訓にできる。
・福島第一原発が立地する大熊町(人口約1万1500人)と双葉町(6900人)。…大熊町は、1号機の水素爆発より36分早くすべての町民が脱出できた。一方の双葉町は、脱出が完了したのは爆発から約30分後だった。→ このため、まだ残っていた町民が降ってきた放射性下降物を浴びた。…つまり、約1時間の差が明暗を分けた。…「あと30分避難完了が早ければ、住民の被曝は少なくて済んだ」と考えざるを得ない(詳細はP21)。→ 原発災害では、30分のロスタイムも許されない。私が「地震発生から1号機爆発までの25時間の間の政府のロスタイム」にこだわる理由はここにある。
・(脱出した最後のグループにいた双葉町・井戸川町長の話)…「『ドン』と低い音がしたんです。…その瞬間、何が起きたかわかりました」「もう終わりだ、と思いました」「死を覚悟したんです。今でもそうです。…あそこには若い病院の職員もいた。看護師さんもドクターもいた。まだ300人くらいがいたんです」「国は、私たちを国民だと思っているんだろうか。…まるで明治維新の未完成の部分が今日まだ残っている、みたいな話じゃないですか」(詳細はP21~24)。…双葉町民があと30分早く脱出できていたなら、双葉厚生病院の悲劇は起きなかったことを、もう一度記しておく。


○テレビ用やらせ閣議で30分のロス

・(海江田経産大臣の回顧録&インタビューより)…福島第一原発事故の当日、一度済ませた閣僚の「緊急災害対策本部会議」を、「閣僚の一人」の提案により、テレビカメラ向けにやり直し、「移動も含めて約30分の時間」を無駄にした。…つまり、テレビ報道のカメラに収録されるために、メモという台本を読み上げ、すでに終わった会議をフリだけやって見せた。
・どの「閣僚」がやらせ会議を提案したのか、という著者の質問に対して、海江田氏は「言えない」として言明を避けたが、著者はその「閣僚」を菅直人総理と推論している。→ 菅元総理にも取材を申し込んだが、応答はなかった、という。(詳細はP24~30)


○保安院内で海江田氏に「15条通報」が伝わるまで50分

・原発事故の情報伝達にまつわる行政と法律の仕組み。…甚大な原発事故の発災 → 「原子力災害対策特別措置法」が作動 → この時点から、周辺の住民の避難は東京の「国」政府の責任になる。…住民の強制避難やある区域の封鎖、移動の制限など居住や移動の自由、私有財産の部分的な制限が必要になる。また地方自治の原則を一部停止して、都道府県に指示を出すこともある。→ そうした権限=権力の行使のために、総理大臣を長にして、政府組織を臨時に改編する。この司令部を「原子力災害特別対策本部」という。…こうした国権の発動のための根拠法が「原子力災害対策特別措置法」。(詳細はP30~31)
・原発がすべての冷却用電源を失ったとき(全電源喪失)、電気事業者は政府に通報しなければならない、という法的義務がある…「15条通報」。→ 逆に言うと、15条通報が政府に届き「原子力災害特別対策本部」が結成されないと、避難を命じる法律的な主体が出現しないので、住民の避難は始められない。
・ところが、福島第一原発から原子力安全・保安院に15条通報が届いてから、海江田経産大臣に(経産省の中を)連絡が届くまで、50分もかかっている。(詳細はP31~40)
〔※遅れた要因は、各担当部署の〝未経験・未想定〟の事態によるミスやロスと、一刻を争う緊急事態のさ中に「起草・校正・校閲」という生真面目な文書主義によるものとされ、やはりここにも、日本の原発の「安全神話」による、「過酷事故」に対する備えの甘さが見てとれる…〕


○菅総理、非常事態宣言を了承しないまま党首会談へ

・(「海江田ノート」によれば)…海江田通産大臣が、菅総理に非常事態宣言発令を上申すると、菅総理は「チェルノブイリ級の原発事故」と認めることに躊躇し、また寺坂保安院長が事務官僚(経済学部出身)で技術的な質問に答えられないのに怒り、さらに法的な根拠を尋ねて、その場にいた政府スタッフたちが『緊急事態関係法令集』を調べ出し…そうこうするうちに、菅総理は、(原子力緊急事態宣言の発令を了承しないまま)予定されていた与野党の党首会談に行ってしまった。(※う~ん、これがこの国の「危機管理の総合力」か…)
・繰り返すが、総理が了承しないと、原子力緊急事態宣言は発令されない。原子力災害特別対策本部も発足しない。つまり住民避難を始めることができない。→ 結局、福島第一原発から原子力安全・保安院に15条通報のファックスが到着してから原子力緊急事態宣言が発令されるまでに2時間18分。→ 翌12日、双葉厚生病院に取り残されていた井戸川町長はじめ、約300人の患者や職員がわずか30分差で脱出が間に合わず、放射性降下物を浴びてしまったことを思い出してほしい。…この「政府内」の2時間18分のロスは痛恨である。(詳細はP41~43)


○事故に生かされなかった訓練の教訓

・菅総理による1時間21分のロスは、非常に不思議に見えた。というのは、菅総理は2010年10月に今回の福島第一原発事故と同様の想定をした「原子力防災総合訓練」に参加し、「15条通報 → 原子力緊急事態宣言発令」の手順を一度練習し、その時は経産大臣の上申書を受けてから緊急事態宣言まで、わずか57秒しかかかっていない。…つまり、この訓練の教訓はまったく本番で生かされていない。
・このことについて、菅元総理の著書『東電福島原発事故』(「震災レポート⑳」参照)を検証してみると、その記述には「住民避難」の観点が抜けている。……地震が発生した後の政府当局者の小さなロスタイムの積み重ねが、最後は雪だるま式に膨れ上がって住民避難の遅れになった。←→ しかし、こうしたロスタイムについて、当事者たちの責任感は薄い。そして、彼らの証言を取材していく中で気づいたのは、その多くが「3月12日の水素爆発の時点で、30分差で逃げ遅れた人たちが双葉町に約300人いた」という事実を、彼らは知らなかったことだ。
・福島第一原発事故は巨大な事故である。当事者たちも、それぞれの担当や持ち場、その周辺での事実を知っているにすぎない。…事故の全体像を把握している人がほとんどいないのだ。→ よって「自分の持ち場で起きた何分かのロスタイムが積もり積もって、住民が逃げ遅れた」という全体像に気づくこともほとんどない。…政府・国会・民間など各事故調をはじめ、報道にもそうした原発周辺にいた住民の観点からの分析や追及は見つからない。


○崩壊熱の危険を伝えなかった保安院次長

・2ヵ月前に経産大臣に就任したばかりだった海江田氏は、原発事故に関する「予備知識」がなかったと考えるのが自然だろう。→ 事実、海江田大臣は、平岡原子力安全・保安院次長が原子力緊急事態宣言の上申書を持って来るまでは、「原発が深刻な事態になっている」と認識していなかったという。→ 従って、経産省の対策会議では、むしろ原発のことよりも、これから起こる大規模停電と、コンビナートの火災をどうするかという話が、主に優先的な課題だった、と著者のインタビューに答えている。
・平岡次長はなぜ、原発が最悪の事態になる前に、もっと早く原発の危険な状態について海江田大臣に知らせなかったのだろうか。…その後異動を繰り返して環境省審議官になっていた平岡氏に取材を申し込んだが、「もう原子力安全・保安院次長ではないので」という理由で断られた(詳細はP47~49)。〔※う~ん、日本の官僚組織の「たらい回し人事」の無責任さか…最近話題の都庁も、そのミニチュア版…?〕


○ベント決定から実施まで5時間もかかった理由

・その後、翌日12日午後3時36分に1号機が水素爆発するまでには、まだ様々なロスタイムが発生している。…その一つが、3月12日午前6時半、海江田経産大臣が東電に1,2号機のベントの措置命令を出すまでの過程。(「ベント」…原子炉や格納容器の破裂を防ぐために、圧力が高まった格納容器内部の空気を大気に放出して圧力を下げる作業)
・ベントをすれば、放射能を帯びた気体が大気に放たれる。→ 前もって周辺の住民を避難させなければ被曝してしまう。…日本の原発でベントが行われるのは初めてだった。
・しかし、ここでも官邸側と東電(連絡役として武黒一郎フェロー)との間で、ミスコミュニケーションが何度も繰り返されている。
(福山官房副長官の回顧録『原発危機 官邸からの証言』より)…官邸にいる武黒フェローは、福島第一原発現地と直接連絡を取っていたのではなく、東電本店(東京・日比谷)に問い合わせていただけだった。…原発 → 本店 → 武黒フェロー と伝言ゲームの介在者が増えていた。→ 情報源不明=信憑性不明の情報がそのまま流通、その結果ミスコミュニケーションが多発して、時間が空転した。(詳細はP50~52)


○SPEEDI以外のシステムが事故の進展を予測していた

・こうした時間の空転について取材を進めて気づいた。…政府内の関係者は一様に「そのとき原子炉の中がどうなっていたのかは分からなかった」「メルトダウンが進行しているとは分からなかった」「分かったのは、ずっと後だった」(だから仕方なかった)という弁明を話したり書いたりしている。←→ しかしこれは事実ではない。福島第一原発の推移について、かなり正確に予測したデータが計算され、ちゃんと首相官邸に届いていたからだ。
・(福山官房副長官の回顧録より)…(2011年3月)11日午後10時44分、保安院が「福島第一2号機の今後の進展について」と題するペーパーを官邸の危機管理センターに報告した。それはプラント解析システムによって今後、2号機がどうなっていくのかを予測していた。…22:50 炉心露出 23:50 燃料被覆管破損 24:50 燃料溶融(※メルトダウン!) 27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達…
・現場に近づけないような原発の過酷事故に備えて、ERSSという原子炉のモニタリングシステムがあり、それをSPEEDIという事故シミュレーションのシステムに出力して、避難を決めることになっていた。…「それがうまく作動しなかった」(班目原子力安全委員長の国会事故調での証言)。→ これを受けて、事故後発足した原子力規制委員会も「避難の指針にSPEEDIを使わない」と表明している。
・しかし「事故に備えたシステムが事故でダウンする」という話は、よく考えればおかしい。何かフェイルセーフ(安全装置)があるはずではないのか。→ 取材してみると、ちゃんとあった。…こうした原子炉から直接データを取るシステムがダウンした場合に備えて、「プラント挙動解析システム」(PBS)という原発事故のシミュレーションソフトが用意されていた。…これはほとんど報道されていない。(PBS=Plant Behavior System)
・アメリカで1960~70年代に行われた原子炉の破壊実験のデータからプログラムを組んだアルゴリズムに、日本の全原発・全原子炉ごとの固有データを組み合わせてある。→ DVD-ROMに収められ、通常のノートパソコンがあれば計算できる。(→詳細は5章で)
・福島第一原発事故でもPBSは正常に作動し、前述のような事故予測を官邸に届けていた。…つまり、報告が届いて6分後には炉心の水が蒸発して燃料棒が露出 → 空焚きが始まり、1時間後にはジルコニウム被膜が溶ける → 水素が発生する → 爆発の可能性が生じる。2時間後にはメルトダウンが始まる。…はっきりそう書かれている。つまり「今から約2時間後に炉心はメルトダウンする」と告げているのだ。
・しかし、海江田大臣も福山官房副長官も、PBS予測の重要性を理解していた形跡がなく、聞き流してしまう。首相官邸の政治家も原子力安全・保安院の官僚、東電幹部も、このシミュレーションの重要性を誰も理解していなかった可能性が高い。少なくとも「これは大変なことじゃないのか」と注意を喚起した形跡がない。→ このPBSシミュレーションは首相官邸から報道発表され、当時の新聞にも数行だけ記事が出ている。しかしその真の意味を見抜いた報道記事も見当たらない。(※う~ん、日本社会のほとんどが、原発事故に対して認識不足、準備不足であり、総合力がない…)
・(政府内部にいた人々を複数取材する過程で気づいたこと)…当時の彼らにはまだ「原発事故はどれくらいのスピードで進行するのか」という「時間感覚」がない。…「原発事故など初めての経験だからやむを得ない」という弁明を何度も聞いた。←→ しかし、だからこそ、そうした「原発事故の時間感覚」を知るためにPBSが開発され、備えてあったのだ(→ 5章で詳述)。…その意味を理解し、対策に反映させた形跡がまったくない。→ 結局、2号機は4日後の3月15日早朝、大きな音と振動がして圧力容器の圧力がゼロになった(つまり穴やクラックが生じた可能性が高い)。→ 高濃度の放射性物質が漏れ出し、北西に流れて飯舘村や南相馬市を汚染した放射性雲はこの時に流れ出た。


○保安院の平岡次長は重要な情報を伝えなかった

・これらの原発事故の対応について、(総理や官房長官、経産大臣など政治家職が気がつかなくても)平岡次長や班目委員長らにとってはまさにこの分野が、長年取り組んでいる「専門」のはずである。←→ だが、適切な助言をせず、逆に前述のとおり原発事故の進行を楽観的、過少に評価したり、本当の危機的な部分の情報を省いた情報を政治家職に知らせている。(詳細はP55~57)
・とくに平岡次長は原発の安全や防災を担当する官庁のナンバー2でありながら、自分が属する組織の長への情報伝達にも、首相官邸への情報伝達にも失敗している。なぜこれほどの失態が重なったのか……平岡次長が取材を拒否しているので、真相は分からないままである。(※平岡氏は、今は環境省からまた経産省に戻っているそう…)


【2章】使われなかった緊急冷却装置

〔※この章は、技術的に複雑で専門的なことまでよく取材されて書かれているが、枚数の関係で簡略にまとめざるを得ない。→ 詳細は原本を参照されたい。〕

○主力の緊急炉心冷却装置ECCS(Emergency Core Cooling System)

・原子炉3基がメルトダウンする深刻な事態になった福島第一原発事故の原因について、四つの事故調査委員会(政府、国会、東電、民間)が素通りしたままの大きな盲点が残っている。しかもそれは、原発関係者の間では「もっとも致命的な人為的ミスなのではないか」と指摘されている問題。→ それは「地震が発生してから津波が到達するまでの約50分間起動しておくべきだった原子炉の冷却装置を起動しなかった」という可能性である。
・福島第一原発は地震の揺れを検知して自動停止した。→ しかし、フル出力で運転していたので、余熱が大きい。それに加えて、核分裂が止まった後も燃料棒の生成物は高熱の「崩壊熱」を出し続ける。→ 水を入れて冷却を続けないと、(原子炉の運転は止まっていても)崩壊熱で燃料棒が溶け落ちて「メルトダウン」に至る。…電源が途絶えると、冷却装置が働かず、燃料棒が加熱して溶ける。…現実はその通りになった。
・こうした崩壊熱を冷やし、高温の原子炉を冷ます主力装置として「緊急炉心冷却装置」(ECCS)がある。…直流電源で起動し、(あとは電源がなくても)原子炉の蒸気で動き続ける。→ しかし、この緊急炉心冷却装置(ECCS)は、福島第一原発事故では使われないまま終わった。(詳細はP61~62)


○福島事故の9ヵ月前に起きていた深刻な事故

・メルトダウンに至るような「最悪の事故」が進行しているのに、なぜ津波が来る前に、せっかくの主力の冷却装置・ECCSを起動しておかなかったのか。…ここが説明されなければ、本当の事故原因の解明にはならないのに、今も素通りになっている。
・「なぜ主役の冷却装置は使われなかったのか」という疑問の手がかりを探していて、3・11福島事故のわずか9ヵ月前に、同じ福島第一原発2号機が深刻な事故(一時的に全電源を喪失)を起こしていたことを見つけた。…この2号機は、2011年3月15日に高濃度の放射性物質漏れを起こし、全村避難になった飯舘村をはじめ、広範囲の汚染を引き起こした「主犯」である。←→ だが重大な事故にもかかわらず、当時はこの事故そのものが、ほんの短い記事でしか報道されなかった。(詳細はP64~70)
・アメリカの原発では、ハリケーンが頭上を通過する際には、あらかじめ非常用ディーゼル発電機を起動して、非常用電源に電力を供給しておく。常用電源は送電線につないでおく。…外部電源が途絶えた時も、非常用電源への電源供給をあらかじめ確保しておくためだ。(※う~ん、アメリカの原発では非常時への備えは、日本の原発より周到ということか…)
・しかし福島第一原発2号機での「前年事故」では、この非常用ディーゼル発電機へのつなぎ替えに失敗し、全電源喪失状態になった。→ そして、冷却水が蒸発して水位が低下するという非常事態になっても、「主戦力」であるECCSは使わず、性能が劣る補助用の冷却装置(RCIC 原子炉隔離時冷却系)しか使っていない。…3・11ではこれと同じ手順が踏まれている。


○津波が来る前からECCSを起動できたはず

・3・11事故の場合…地震で送電線が倒れ、外部電源は途絶えたが、まだ津波の襲来は受けず、非常用ディーゼル発電機は生きていた。→ しかし、なぜか運転員は(主戦力の緊急炉心冷却装置・ECCSを起動せず)、補助的な冷却装置だけ起動している。(詳細はP72~73)
・なぜ「主戦力の冷却装置ではなく、補助の冷却装置から使い始める」という手順が、前年事故でも3・11事故でも、全く同じなのか。→ いろいろ調べてみると、この手順が(運転員が間違えたのではなく)「あらかじめ定められた手続き」だった、という記述が出てきた…(3・11事故について政府事故調の「中間報告書」P80)…(詳細はP73~74)
・つまり、震度6の東日本大震災の揺れが襲来するという「非常事態」においてなお、福島第一原発の運転員は、地震も何もなかった「平時」の前年事故とまったく同じ原子炉冷却の手順を踏んだ。…これがミスの始まりだったのではないか。


○専門家も首をかしげる手順のおかしさ

・「なぜ最初から、より冷却性能の高いECCSを使わなかったのか」…これに対し東電は、「地震から50分後には津波が来てすべての電源を破壊してしまったので、どのみちECCSも使えなかった」という説明をし、3事故調の報告もそれをそのまま繰り返している。←→ しかし、これはおかしい。…ECCSは、起動こそ電源が必要だが、いったん動くと、原子炉の圧力を使って動き続けるからだ。→ 津波で電源を失う前に起動しておけば、その後も原子炉の蒸気で動いたはずだ。(※つまり非常時のバックアップとして、そのように備えてあった…)
・このことは、アメリカの原子力監督庁であるNRC(原子力規制委員会)の定義にも、はっきりと書かれている(P76に烏賀陽の訳文あり)。…また、いったん起動すれば、ECCSが原子炉の蒸気で動くことは、3・11事故で3号機が証明している。…3号機の直流電源盤は浸水を免れたので、津波後もECCSが直流電源で起動できる状態にあった。→ そのECCSが幸運にも偶然自動起動し、約14時間動き続けた。→ しかし、この幸運に恵まれた3号機も、13日午前2時42分、ECCSの破損を恐れた運転員が手動で停止してしまった。→ 結局、冷却装置が何もない状態になり、13日午前11時1分に3号機は水素爆発に至る。
・「もし主戦力であるECCSを津波が来る前に起動していたら、その後の展開はどうなっていたのか」…元四国電力社員の松野元さん(原発事故の防災専門家で伊方原発の勤務経験もあり。…5章にも登場)に意見を聞いた。
(松野)…「もし津波が来る前にECCSを起動しておいて、能力の高いECCSから使っていたら、メルトダウンにまでは至っていなかったと思う。ただの外部電源喪失事故で終わっていた可能性が高い」「ECCSは起動には直流電源が必要だが、いったん起動したら原子炉の蒸気で動く」「(もし福島第一原発事故の現場にいたら)ECCSを使って圧力が下がったら、(補助的で低圧でも動く)RCICに引き継ぐ。最後はディーゼル駆動ポンプの消火ポンプで注水していく。将棋でいえば能力の高い順に飛車、角、金銀、桂馬と使っていくのが鉄則だと思う。」(詳細はP75~78)


○スクラムには「通常停止」と「緊急停止」の2種類ある

・〔なぜ前年事故でも3・11事故でも、東電や福島第一原発の現場が、ECCSを後回しにして、性能が劣るRCICなどの補助的な冷却装置から使っているのか…その理由や背景についての松野氏の見解〕……日本の原発では、通常運転のフル出力のまま「スクラム」(制御棒を原子炉に入れて停止させること)させることは滅多にない。ほとんどの原子力研究者が知っている「スクラム」は、毎年の定期点検の前に原子炉を停止するための通常のスクラム。→ 段階的に出力を下げ(通常運転の出力の15%程度まで)、崩壊熱を低下させながらゆっくりかけるスクラム(自動車のブレーキに例えると、時速100キロの高速運転からいきなり急ブレーキを踏むのではなく、15キロまで速度を徐々に落としてから最後のブレーキを踏んで止める)。…この定期点検のときの「ゆっくり停止型のスクラム」が「通常停止」。←→ 反対に、時速100キロでいきなり踏む「急ブレーキ型のスクラム」が「緊急停止」…つまり、「スクラム」には2種類ある。
・定期点検のときの「ゆっくり停止型」なら、RCICなどのような(補助的な)冷却能力が低い装置でも崩壊熱に対応できる(冷却水の水位もほとんど変動しないから、ECCSは動かす必要がない)。
・3・11では、突然地震が来て、原子炉は「急ブレーキ型スクラム」(緊急停止)をかけた。←→ ところが、その後の冷却装置の使い方は(運転員は)「ゆっくり停止型」をやっている。…これがそもそも間違いなのではないか。→ 急ブレーキをかけたのだから、「ゆっくり停止型」の時より停止直後の崩壊熱は数倍あったはずだ。…それではRCICなどの(補助的な)冷却装置では崩壊熱の冷却が追いつかない。→ 10倍の冷却能力を持つECCSを、その時点で投入すればよかった。…だが、その前に津波が来てしまった。
・2010年6月17日の2号機の「前年事故」では、約30分で2mも冷却水が失われた。ものすごいスピードだ。→ 急ブレーキ型で原子炉が停止したときは、原子炉の熱量が大きいのだから、ゆっくり停止型よりはるかに速いスピードで冷却水が失われる。停止後すぐに水位が下がり始める。…そういうスピード感という教訓を前年事故から学ばなかったのではないだろうか。(※う~ん、「失敗・教訓」から学ぼうとしない組織文化…。東芝もコケタし…)
・(事故調査委員会の検証の甘さ)…事故調はどこも「スクラム」に種類があることを分かっていないのではないかと思える。…東電や政府関係者も「通常停止」と「緊急停止」の違いを曖昧にしたままにしている。そこを見破れないように見える。(※う~ん、これが日本社会の「総合力」の実力か…)


○かつては行われていたECCSの操作訓練

・昔からずっとこうだったわけではない。福島第一原発でも、過去にはECCSがメルトダウン事故を防ぐ炉心冷却の「要」だった。
・(朝日新聞いわき支局編『原発の現場』1980年より)…1979年3月、アメリカのスリーマイル島原発でメルトダウン事故が起きた後、日本政府は原発の「特別保安監査」を実施した。…当時、スリーマイル島原発事故の原因は「人為ミス」と報道されていた。その一つが、作動していたECCSを運転員が間違ってオフにしてしまったことだ。←→ それについて、福島第一原発の運転員たちは、取材にこう反応している…「同じ運転仲間なんだが、原子炉を知らない人が操作したんじゃないか」…あらゆる事故を想定し、訓練、点検を続けている当直員たちにとって、それは「決してあり得ない」事故なのだった。
・この本には、運転員の研修施設で、事故を想定したシミュレーションでECCS操作の訓練が入念に行われることが詳しく書かれている。…あくまでECCS系を主力に冷却の手順が決められ、訓練も繰り返されている。…つまり、1979年の時点では、同じ福島第一原発でECCSを使いながら、訓練を繰り返していた。←→ なぜ、2010年までのいつの時点で、それが変更されたのか。(※この約30年の間に何があったのか…)


○吉田所長の言葉に反応しなかった事故調

・(政府事故調の中間報告での福島第一原発・吉田所長の発言より)
①吉田所長も主戦力ECCSではなく、補助的な冷却装置で原子炉を冷却することを考えていた。…つまりECCSを使わないことは運転員の判断やミスではなく、原発所長が承認し、共有する「組織全体の意思」だった。
②「長時間全交流電源を喪失する事態はない」という前提があった。(※「安全神話」…?)

・政府事故調の基本的な間違い…(「吉田調書」より)
①「なぜECCSを最初から投入せず、補助的な冷却装置から使ったのか」という疑問を投げかけない。
②2ヵ所だけ、吉田所長が「ECCS」「非常用炉心冷却系」という言葉を口にする場面があるが、ここでも政府事故調はまったくその言葉を素通りする。…冷却装置の知識で、明らかに質問者は吉田所長に負けている。(詳細はP85~87)

・東電が原子炉の冷却にECCSを後回しにする手順を決めていたにしても、どうしてそれが国の検査で咎められなかったのだろうか。→ (原発の運転員として勤務経験のある人の話)…「実際に原子炉の水位が下がったときに、ECCSが起動するかどうか」までは、国は検査で確認しない。…性善説が前提であれば、これで官庁検査は成立する(笑い)。しかし世の中には、フォルクスワーゲンの排気ガス検査のように、企業ぐるみで、検査をごまかすことがあるということも事実だ」。(※日本の官庁検査は「性善説」が前提? 要するに甘い…)


○虚構のシナリオで立てられた対策

・(こうした手順の背景を歴史的にたどると)…日本の原発の「安全設計指針」は、スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)の教訓から学ぶことなく、1990年の全面改訂でも「長時間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」などとした。(詳細はP91~93)
・つまり、原発が電源と冷却装置を失っても、短時間(30分以下)で復旧すると考えればよく、その範囲で対策をとればよろしい…と、国がそんな「虚構」にお墨付きを与えている。→ この「30分」という想定には、現実や理論に基づいた根拠がなかった。「とりあえず、そうしておく」という、ただの「慣行」だった。(※う~ん、こうした根拠のない「慣行」は、日本の制度・組織文化の得意ワザ…? そして、一度始めたら止められない…)
・こうした「外部電源喪失は最長30分を想定すればよい」という「30分ルール」が、「原子力ムラの明文化されていない慣習」から、規制当局のお墨付きとして明文化されたのは1993年である。
・(政府事故調の最終報告書によると)…規制当局である原子力安全委員会が、規制対象である電力会社に「電源喪失は30分でいいということにするから、その理由を考えて」と丸投げした。…これは規制当局が電力会社の「虜」つまり「言いなり」になっていたエピソードとして、その後あちこちで引用されている。(※う~ん、この〝丸投げ〟パターンも、日本社会の他の分野にもよくある〝負の文化・体質〟であり、社会の「総合力」を弱めている元凶か…)
・だが、ここには極めて深刻な問題がもう一つ隠されている。…1993年の原子力安全委員会の「30分ルール明文化」は、電力会社にすれば「規制当局が30分で電源が回復するという想定でいいというのだから、その範囲で事故対策を考えればいいのだ」と考える。…(後述するように)電力会社には原子炉の寿命を延ばすために、ECCSのような強力な冷却装置をできるだけ使いたくないという事情がある(※原子炉の稼働期間を延ばすほど、それだけ利益が上がる)。→ ならば、30分で電源が回復するシナリオの中で、ECCSを使わず、原子炉を傷めない冷却をすればよいことになる。→ その結果「ECCSは起動せず、まず能力の低い補助的な冷却装置から使う」という事故対応になった。……そう推論すると、すべてが自然かつ合理的に説明できる。…〔※う~む、原子炉の寿命を延ばそう(経営的動機)として、逆にメルトダウンという世界史的な過酷原発事故を起こしてしまった…?! → 詳細は5章でも〕
・しかしこの視点からも、事故調査委員会や報道はまったく検証を加えない。…政府事故調が打ち出した「規制当局が規制対象の企業に規制内容を作文させるとは何事か」という方向に引きずられ、「30分ルールが事故対策にどんな影響を与えたのか」「それは福島第一原発事故にどうつながったのか」という視点からの検証を欠いている。


○外部電源回復までの30分を超えていた前年事故

・(著者の質問メールに対する東電の回答より)…福島第一原発2号機の「前年事故」での外部電源喪失の時間は33分…30分を超えていた。→ つまり「日本は外部電源の供給が安定しているから、外部電源は30分で必ず回復する」というシナリオ(※安全神話)の前提条件の一角が崩れていた。→ 本来は、電力会社や規制当局はこの時点で「30分で電源が回復するというシナリオは見直したほうがいい」という対策を打つべきだった。
・3・11では、① 地震で送電線が倒壊し、外部電源が(30分どころか)何日も途絶えた。
② その間に津波が来て非常用ディーゼル発電機も水没して「全交流電源喪失事故」となり、
③ さらに直流を失って「全電源喪失」にまで至ってしまった。
……つまり福島第一原発事故は、①「外部電源喪失事故」 → ②「全交流電源喪失事故」 → ③「全電源喪失事故」と、最初は軽かった事故が、連続的に成長していった姿をしている。
・①の時点では、まだ「外部電源喪失事故」が起きたに過ぎなかった。…これは同原発の運転員にとっては「前年事故」で経験したばかりの「経験済み」の事故だったはずである。→ その事実に照らしてみると、「30分で電源回復シナリオ」は「事故が成長する可能性を考えなくていい」と、事故対策に盲点を残した可能性が大きい。…すなわち「ECCSを動かさないで、ひたすら外部電源の回復を待てばよい」という「お墨付き」を与えてしまったのではないか。


〔要点の箇条書き〕
(1)事故時、崩壊熱冷却用の電源が止まっても、30分後には外部電源が回復する。それ以上長時間の電源喪失を想定しなくていい。…そんな虚構の想定を国が1993年に認めていた。
(2)30分間はRCICなどの補助的な冷却装置で冷却しておけばよい。主戦力のECCSを登場させる必要はない。…そんな認識が電力会社に広まった。
(3)「強力なECCSがあっても、どうせ短時間で外部電源が回復するのだから、使わなくてもいい」「冷却にはまず補助用のRCICなどから使う」という事故対応手順を電力会社は定めた。
(4)2010年6月17日の福島第一原発2号機の電源喪失事故(前年事故)は、そのとおりの対応になった。
(5)3・11で地震が発生し津波が到達する間も、その手順書のとおりに福島第一原発の現場は対応した。
(6)ECCSは起動されないまま津波が来た。
……(2)~(5)は著者の推論にすぎないが、こう考えると、起点(1)と終点(6)が自然につながる。


○電力会社がECCSを使いたくないわけ

・電力会社がECCSの使用を避けたいのは、原子炉の寿命を延ばすためだと先に述べた。ECCSを使うと、原子炉の寿命が縮まるのだ(詳細はP98)。…もとより、圧力容器は放射線に長年さらされ続けている。強度がどうなっているのかは未知数である。
・電力会社側には「原子炉の寿命を延ばしたい」という経営上の要請がある。…2000年過ぎから、原発の「運転期間」を延長しようという動きが世界の潮流になっていた。→ 日本でも、40年だった運転期間を60年に延ばそうという「運転期間延長」の申請を原子力規制委員会は受け付けている。
・なぜ延長したがるか…原発の新規の建設が難しくなってきたからだ(※東芝の経営危機の原因の一つと言われている…)。…耐用年数が過ぎた原子炉を廃炉しなくてはならない(※廃炉は費用も手間ひまもかかる厄介なもの…)。→ 原発を減らさず、新規の建設もせずに済ませるには、今ある原発の使用を延長するほかない。
・ECCSを使って熱い炉心に冷水を浴びせる行為は、明らかに原子炉の寿命の延長とは逆行する(詳細はP98)。→ 電力会社には「できるだけECCSは使いたくない」という経営面からの動機がある。←→ しかし、これは安全面からの要請には逆行している。(※う~ん、このジレンマは、原発の隘路であり、根本的な矛盾か…)
・もう一つ、ECCSを使いたくない背景がある。…日本で唯一ECCSが作動した「本物の破断事故」である、1991年2月9日の「美浜原発2号機破断事故」(詳細はP101)のトラウマ。→ 微量ながら大気中に放射性物質が放出された。→ 新聞は一面トップで大騒ぎになり、新聞やテレビには「ECCSが作動するのは大事故」という認識が定着した。→ 電力会社には「ECCSを作動させて大騒ぎになるのはできるだけ避けたい」という動機が生まれた。(※う~ん、事故をなるべく「過小評価」(小さく見せよう)とする動機づけの背景の一つか…)


○「前科」のある2号機の原子炉

・日本でECCSが作動した事故は、過去に5件ある(詳細はP100~101)。…注目すべきは、そのうちの2件(1981年と1992年)が福島第一原発2号機だ、ということ。→ そして2010年の「前年事故」でも、あと45㎝水位が下がっていたら、ECCSが作動して6番目(福島第一原発2号機としては3回目)のECCS事故になっていたはずだ。…これほどECCS事故を繰り返している原子炉は、日本には他に例がない。
・2回もECCSによる「急激な冷却」を経験している2号機は、東京電力にとっては「運転期間の40年から60年への延長」には最も障害になる「前科のある原子炉」だったはずだ。少なくとも2号機では「ECCSを動かすのをためらう」理由は十分にある。
・なお、これらの事故は「5例のうち4例は誤信号、誤作動だった」と記述されている。つまり、自然災害がない、誤信号や誤作動でも、水位低下=「原子炉の空焚きへのよーいドン」は起こりうることが分かる。→ 本来は「なぜ福島第一原発2号機で、かくも頻繁に、原子炉の水位低下を招くような重大な電源の異常が起きるのか」という原因を、遅くとも2010年に起きた事故までに探るべきだった。←→ それはなされないまま、3・11を迎えてしまった。


○なぜ事故対応は変わったのか

・ここまでの検証で、少なくとも1979年から1992年までの間は、「ECCSを起動する」と「事故時運転操作対応手順書」(マニュアル)に決められていたことが分かる。東電も92年の事故対応が手順書に沿っていることを認めている。←→ それが、2010年の前年事故では、ECCSを使わず、補助的なRCICを起動してしのごうとしている。…3・11でも「社内の規定通り」の同じ手順が繰り返された(ECCSを使わなかった)。
・つまり1992年から2010年の18年の間に、事故対応が公式に変わったことが分かる。…それは既述のとおり、「外部電源喪失は最長30分を想定すればよい」という「30分ルール」が、「原子力ムラの明文化されていない慣習」から、1993年に規制当局のお墨付きとして明文化されたために、電力会社は当然、そのシナリオの範囲内で事故対応マニュアルを変更した、と考えるのが自然だろう。
・著者の取材に対して、東電は「これは規定の事故対応手順書のとおりである」と繰り返し強調する。「規制当局が『それでいい』と言ったことに従った」「ゆえに違法性はなく、わが社の責任ではない」と暗に言っている。…それを真に受けたのか、見て見ぬ振りをしたのか、政府事故調の報告はその詳細を不問に付し、「あらかじめ決められた手順に従って、RCICなどを起動した」としつこく記述している。
・しかし、ここで事故調査委員会が問うべきだったのは、「そもそも東電が決めていた事故対応手順は正しかったのか」「間違っていたのなら、その原因、背景は何か」だった。→ しかしこの角度を見落とし、一番肝心の「事故原因の究明」が不発のまま終わっている。
・3・11では、地震から約50分後に津波が来襲し、ディーゼル発電機と配電盤を破壊してしまったため、「30分で電源回復」シナリオは崩壊した。→ 電源を失ってしまうと、もうECCSは起動できない。1時間に1000トンの水を注水できる本来は主役のはずの冷却装置はもう使えない。すべては手遅れになった。→ こうしてせっかくのECCSは使われないまま、原子炉は最悪のコースをたどった。…こう考えていくと、すべてに自然な説明がつく。
・(東電との5回にわたる質疑より)…東電は「なぜECCSを津波が来るまでに起動しなかったのか」「いつ、事故対応マニュアルを変更したのか」の2点に、正面から答えることを避けている。…つまり、情報は出さないが、否定もしない。善意に解釈すれば「本当のことは言わない。が、ウソも言わないようにしている」とも言える。…また「地震後、津波が来る前にECCSを起動しておけば、どうなっていたでしょうか」という核心の質問には「仮定の話には答えない」と回答を拒否している。(※う~む、あれだけの事故を起こしておきながら、この不誠実…! → 詳細はP115~134)
・津波が来る前、まだ直流電源が生きている間にECCSを起動しておけば、その後は原子炉の蒸気で動き続ける。→ 津波が来て電源を全部なくしても、原子炉への注水を続けられた可能性が高い。←→ しかし東電の立場にすれば、政府・国会事故調にも隠した「津波前にECCSを起動しておかなかったことはミス」とは、今になって認めるわけにはいかないだろう。(※一度隠蔽をすると、ウソを重ねざるを得なくなる…)
・(もし著者のこれまでの推論が正しいと仮定するなら)…本来なら、事故調査委員会は、「全電源喪失は30分で回復する」というシナリオの明文化を許した原子力安全委員会のメンバーに、「なぜ全電源喪失が30分で終わるなどという空論を許したのか」と問わなくてはならない。→ またそれを容認した、あるいは見逃した監督官庁(原子力安全・保安院や経産省など)の官僚や政治家職にも同じ質問をしなければならない。…しかし、そうした動きは調査委員会にはない。これは責任者を明確化するという点で、極めて不十分なのではないか。(※「責任者が不明確」というのは、いま都庁でもそのミニチュア版が進行中…)


○ECCSとRCICを両方起動するのが海外のスタンダード

・ここで視点を変えて、全電源喪失事故のときの対応について、海外ではどういう基準を定めているのかを見てみる。
〔米国NRC(原子力規制委員会)の1981年の報告書より〕…アラバマ州ブラウンズ・フェリー原発で1975年に起きた事故(ケーブル火災により炉心冷却が不安定化)を教訓にして作られた安全基準。

① 全電源喪失は4-6時間を想定する。
② 原子炉が緊急停止したら、ECCSとRCICは同時に起動する。
③ 水位が平常に戻ったらECCSを止めてよい。

・要するに「緊急時にはECCSとRCICを両方起動せよ」と言っている。…「火事になったら消防車を呼べ。そして消火器も使え。両方使え」である。ごく常識的な話である。…つまりアメリカでは「原子炉が停止したら、ECCSとRCICは同時に起動しておけ」だが、日本はそうした国際標準の安全対策をしていなかった、ということになる。〔※う~ん、(現政権がよく言うように)どこが「日本の原発の安全基準は世界最高水準」なのか…?〕
・蛇足だが、ほかにも、アメリカの安全基準では備えられていたが、日本では行われていなかった「これさえあれば」という設備はたくさんある。…ex. 全電源喪失時にも、計器を読み取れるよう、8時間持続する移動式の直流バッテリーの設置。あるいは非常用ディーゼル発電機は厳重な水密扉の部屋に設置することなど…。(※う~ん、ほとんど津波の心配がないアメリカの原発に、こうした安全基準があるのに…しかも1981年の時点で…!)


○唯一の冷却装置を誰も使ったことがなかった。

・もう一つ重要な事実を指摘しておく。…福島第一原発の1号機は最も古い型だったため、ECCS以外の冷却装置がIC(非常用復水器)しかなかった。そしてそのICは作動していなかった。→ ところが、誰もそのことに気づかなかった。なぜなら「誰もICを実際に運転した経験がなかった」から。…つまり「誰も使ったことのない道具で、原子炉の冷却という『大火事の消火』をしなくてはならない」という実態だったことが分かる。
・こんな危険な状態が放置されていた。3・11前でも1号機の脆弱性は専門家には明らかだったはずだが、「30分で電源回復」の虚構を誰もが真実であるかのように錯覚してしまった。
・こうした事実を踏まえると、1号機は三つの原子炉の中で最も早く事態が悪化し、メルトダウンと水素爆発に至ったことは不思議でも何でもなく、むしろ当たり前のように思える。→ 1号機は何ら原子炉の冷却ができないまま、メルトダウンまで一直線だった。野球でいえば「ノーヒットノーランの完封負け」だったのである。(※こうした失敗の検証と教訓化もなく、日本の原発は再稼働されつつある…)
・原子力発電所内部の電源(ディーゼル発電機や蓄電池など)と外部からの電源(送電線)が同時に失われるという、3・11で現実に起きた事態はまったく想定されていなかった。→ かくして、1977年から2011年に至るまで、34年間の長きにわたって「長時間の全電源喪失は考慮しなくてよい」「考慮したとしても30分間対応できればよい」という、まったく何の根拠もない「安全基準の穴」が放置され続けていた。→ そして3・11という最悪の結果を迎えた。
                         (2/24…2章 了)            

〔次回の〔中編〕は…【3章】原発黎明期の秘密と無法、【4章】住民軽視はそのまま変わらない…の予定です。→ 3月中の完成を目指します。〕
                         (2017.2.24)