2017年2月16日木曜日

(震災レポート37)


(震災レポート37)  震災レポート・5年後編(3)―[世界状況論 ③]

・この章の目的は、宗教に関する世界史的知識を身につけて、現代の宗教対立を読み解くこと。…イスラム国やEUなど、国家や民族を超えたネットワークの動きが先鋭化している現状を、宗教の歴史をふまえて、しっかり押さえておきたい。…序章でも言ったが、資本主義、ナショナリズム、宗教という三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。→ 一章、二章の議論も重ね合わせながら、戦争を阻止するために、現在とどう向き合うかを考えてみたい。(佐藤優)
                                         

『世界史の極意』 佐藤優(NHK出版新書)                                 2015.1.10(2015.2.25 5刷)
                                           ――[後編]


【3章】宗教紛争を読み解く極意
――「イスラム国」「EU」を歴史的にとらえる



(1)イスラム国とバチカン市国――日本人に見えない世界戦略

○シリアから始まる「イスラム国」問題

・2014年6月以降、イスラム・スンニ派武装集団ISIS(「イラク・シリア・イスラム国」→ その後、「イスラム国(IS)」に改称)が、国際情勢を大きく揺るがした。…イスラム国の拡大は、シリア情勢と深く関係している。→ シリア情勢を読み解くキーワードは、「アラウィ派」が重要。
・シリアのアサド政権は、アラウィ派によって成り立っている(日本の新聞には、アラウィ派はシーア派の一派と書かれているが、両者はまったく違うことに注意)。→ アラウィ派は、キリスト教や土着の山岳宗教など、様々な要素が混じっている特殊な土着宗教。…ex. 一神教にはありえない輪廻転生を認めているし、クリスマスのお祝いもする(※う~ん、日本人みたい…?)(→ スンニ派、シーア派の違いは後述…)。
・シリアでも国民の7割はスンニ派で、アラウィ派は1割程度しかいない。→ なぜそのアラウィ派が、シリアを支配しているのか。これは、フランスの委任統治時代の影響(※またしても、欧米列強の干渉の結果か…)。
・第一次世界大戦後、フランスはシリアの支配にあたってアラウィ派を重用し、現地の行政・警察・秘密警察にアラウィ派を登用した。→ 植民地の支配では、少数派を優遇するのは常套手段(多数派の民族や宗教集団を優遇すれば、独立運動につながってしまうから)。→ だから、少数派を優遇することで、宗主国への依存を強化していくわけだ。…ジェノサイド(集団殺戮)が起きたルワンダでも、宗主国のベルギーは少数派のツチ族を(多数派のフツ族より)優遇した(※その結果のジェノサイド…フランスもベルギーも、このようなご都合主義の植民地経営によって、回りまわってテロという形で、今そのツケを払っている…?)。
・こうした特殊事情を抱えるシリアに「アラブの春」が押し寄せたとき、どうなったか。→ 「アラブの春」が起きたどの国でも、反体制勢力としてスンニ派の「ムスリム同胞団」が顔を出していた。…ところが、シリアにはムスリム同胞団がいなかった。現アサド大統領の父(前大統領)が皆殺しにしたから。→ そのため、反体制運動がまったくまとまらなかった。それでシリアは内戦状態になってしまった。
・さらに混乱を加速させたのが、レバノンからアサド支援で入ってきたシーア派の過激派組織ヒズボラ(神の党)。→ これでアサド側が盛り返す。←→ すると、今度はシーア派に対抗するために、アルカイダ系の人々が入って大混乱になった。→ そこにさらに便乗したのがイスラム国なのだ。(※う~ん、神学の学徒で、かつ元外務省主任分析官の面目躍如か…)

○イスラム国はなぜイラクを目指したのか

・イスラム国は、反体制派を装って資金や武器を獲得して、シリア北部を制圧し、勢力をイラクへと拡大していく。…なぜイラクなのか。
・シリアでは、(2014年6月の大統領選挙でアサドが勝ったため)アサド政権は簡単には潰れそうにないし、シリアで活動を続けるとアサド政権からの報復も怖い。…それにイラクには(シリアとは桁が違う)油田がある。…さらに重要なこととして、イラクではスンニ派のアイデンティティが変容したのだ。
・フセイン政権時代のイラクは、イランとの対立があったため、独裁下とはいえイラク人という国民意識が一応あった(スンニ派かシーア派かは、それほど大きな問題ではなかった)。→ ところが新生イラクでは、多数派のシーア派が権力を握り、スンニ派はないがしろにされた。…そこにつけこんだのがイスラム国だ。→ イスラム国に、イラクのスンニ派たちもなびいていった。…このようにして、イラクで急速に勢力を拡大していった(※油田と宗派か…)。
・このシリア問題とイラク問題で、中東情勢はどのように変わるのか。…そのポイントは、米国とイランの接近。…イスラム国の侵攻を受けた時点でイラクを統治していたマリキ政権は、イスラムの12イマーム(シーア派…後述)に属している。…マリキ政権はいわばアメリカの傀儡政権だが、宗教的に見ればイランの国教であるシーア派と同じなのだ。→ そのためイランから見れば、現在のイラクはサポートの対象。そしてアメリカもイスラム国を排除したい。→ そこで、イランのロウハニ大統領は「必要があれば米国と協力する」というコメントを発した。(※敵の敵は味方か…)
・イランはこれまで反米政権として知られてきたが、穏健派のロウハニ大統領が誕生してからは、アメリカに歩み寄る姿勢を見せてきた。→ 今回のイラク問題では、米国とイランの両方がイラクをサポートするという珍しい状態が起きている。
・イスラム国は、国家の支配を目標としていない。→ 世界イスラム革命を掲げ、世界をすべてイスラム化することを目標にしている。…(前章で述べたように)ウクライナ情勢をめぐって、それぞれの背後にいるロシアとアメリカの対立はますます深刻になっている。→ 両者の対立が深まれば深まるほど喜ぶのが、イスラム国なのだ。…だからこそ私たちは、「親ロシアか親米か」という二者択一からは距離を置いて、国際情勢を冷静に見なければならないのだ。

○イスラム原理主義の特徴

・イスラム国やアルカイダに代表されるイスラム原理主義の特徴は、単一のカリフ(皇帝)が支配する世界帝国の樹立をめざす点にある。…そして、そのための行動は必ず成功する。→ イスラム原理主義のために行動して、イスラム革命が成功すれば、これは当然成功。一方、戦死したとしても、アッラーのために戦って殉死したことになるから、殉教者はあの世で幸せになれる。…このように、イスラム原理主義のプログラムでは、革命に関与すれば必ず幸せが待っていることになる。→ だから、ドクトリン(教義,主義)さえ信じることができれば必勝だ。(※かくして自爆テロが、世界で絶えないことになる…)
・イスラム国は、インターネットを使ってこのことを広報し、民族や部族、国家を超えて、ネットワーク化しようとしている。(※イスラムは世界宗教…)
・このような体制では、イスラム主義に帰依した人々によって構成される権力の中心が、周縁を徹底的に収奪する帝国主義が出現する(※ex. 占領した異教徒を奴隷化…)。…おそらくその原イメージは、オスマントルコ帝国だろう。→ こうしたイスラム帝国主義が暴走すれば、ネットワークの利を生かして、欧米も日本も攻撃や収奪の対象になる可能性があるのだ。
(※先日ラジオ番組で宮台センセイが、サミットやオリンピックの会場は〝世界的な象徴〟となるから、テロの対象になる可能性は高まる、とコメントしていた…)

○ローマ教皇生前退位の背景

・この危機を深く認識しているのがバチカン(ローマ教皇庁)だ。…2013年2月、バチカンではローマ教皇の生前退位という異例の出来事があった。→(このことは日本では関心が薄く、マスメディアもあまり取り上げなかったが)この出来事には大きな意味がある。
・ローマ教皇の生前退位は、1415年以来の598年ぶりの出来事。…(前章でも記したとおり)このときは三人の教皇が鼎立していて、教会は腐敗していた。→ それを批判したヤン・フスを、教会が異端として火刑に処した。→ その後、フスの思想がルターに影響を与え、宗教改革が起きる(「宗教改革」はプロテスタントの用語で、カトリック側は「信仰分裂」と言う)。→ フスの火刑後、教会は鼎立する教皇をすべて退位させ、新しい教皇を選出して、教会統一を回復した。
・従って、2013年の教皇の生前退位は、当時と匹敵するような危機をカトリック教会が認識していることを示唆しているのだ。…カトリック教会内部にも、聖職者による教会運営のあり方や、避妊容認・同性愛容認を求める信者の声にどう対処するか、という問題もあるが、危機意識の根拠は別のところにある。…それがイスラム過激派への対応だ。

○バチカンの世界戦略

・バチカンの世界戦略の第一段階(1978年~)は、ヨハネ・パウロ2世(ポーランド人…中東欧社会主義国からの初の教皇)のときで、共産主義を崩壊させることだった。→ この戦略は、1991年のソ連崩壊で実現する。…第二段階は、イスラムに対しての戦略。→ キリスト教が巻き返すには、若くて健康な教皇が必要と考え、異例の生前退位となったのだろう。
・では、どうやってバチカンはイスラム原理主義を封じ込めるのか。…その手段は「対話」だ。→ 異文化対話を通じてイスラム穏健派を味方につける。そして、そのイスラム教徒が「テロ行為をする過激派がいると、私たちのイスラム教徒が世界から敵視されてしまう。そうならないためにも、過激派には退場願おう」と考えるように誘導していく。…このようなシナリオを描いている。
・ちなみに、バチカンにとって、イスラム過激派に次いで厄介なのが中国だ。…中国政府は、国内カトリック教会の高位聖職者の人事権がバチカンにあることを認めていない。→ そのため、バチカンと中国の間では、いまだ外交関係が存在しないのだ。
・新教皇フランシスコ(アルゼンチン出身)も、この保守路線と世界戦略を継承するだろう。→ 新教皇の下で、バチカンは中国に対しても「対話」を通じたソフトな巻き返し戦略を図るはずだ。←→ 中国は、今後、バチカンが攻勢をかけてくることを懸念している。

○プレモダンの思考へ

・キリスト教とイスラムの現在を象徴する二つの事象を取り上げた。…両者に共通しているのは、プレモダン(前近代的)な思考だ。…イスラム原理主義は、プレモダンの理想(※世界イスラム革命)を追求することによって、近代がもたらした社会の問題を解決しようとした。それは、資本主義がもたらした帝国主義の問題と言ってもいい。→ ここで注意したいのは、プレモダンを崇めているとはいえ、イスラム原理主義がモダンの問題に対応するために生じた、きわめて近代的な現象であるという点だ。…一方、カトリック教会も、近現代的な思考の制約を超えて、人間と社会の危機を洞察しようとする。(※う~ん、当方、宗教的な素養がないせいか、キリスト教にもイスラムにも、ほとんど〝未来性〟を感じることができないが…)
・プレモダンの思考の特徴は、「見える世界」を通じて「見えない世界」を見ること。…(私たちも含めた)近代人が「見える世界」を重視するのは、この時代のあり方そのものが近代的な思考に制約されているから。→ その象徴が資本主義経済だ。
・人間の労働力も商品化され、人間と人間の関係性から生み出される商品も、すべてカネに換算され、そのカネを増殖することが自己目的化するのが資本主義経済(※利潤の追求による自己増殖)。→ そうした資本主義経済に浸りきってしまうと、「目に見えない世界」への想像力や思考力が枯渇してしまう。つまり、超越的なものを思考することができなくなるのだ。〔※「奇跡のリンゴ」の木村さんも、「目に見えない世界」の大切さを語っていた(「震災レポート28」)。…もっとも、木村さんが重視するのは、「超越的なもの」ではなく、「土の中の微生物の世界」だが…〕
・こうした超越性の欠落を埋めるものがナショナリズムであり、私たちと超越性を安直に結びつけるもの、すなわち超越性へのショートカットが宗教的原理主義なのだ。→ 安直な超越性は、容易に人を殺す。…その愚を避けるために、私たちは歴史をさかのぼり、プレモダンの思考ときちんと向き合う必要がある。(※現下の重要課題の一つだろう…)

(2)キリスト教史のポイント

○イエスの登場

・キリスト教の誕生は、世界史の中ではローマの歴史(おおよそ1000年間)と重なっている。…ローマ共和制が始まる紀元前509年頃から西ローマ帝国が滅亡する476年までが古代ローマ史。→ そこから中世に入る。…キリスト教が成立していくのは、ローマ史の折り返し地点であり、帝政の時代と軌を一にしている。
・(世界史の教科書の「イエスの登場」の説明)…まず、ヘブライ人は、唯一神ヤハウェへの信仰をかたく守り、その中から選民思想や救世主の出現を待望するユダヤ教が確立する。…具体的には、前1000年頃にヘブライ人の王国が建設される。→ ダヴィデ王、ソロモン王のもとで栄えた後に、イスラエル王国とユダ王国に分裂し、前者はアッシリアに滅ぼされ、後者も新バビロニアに征服されて、住民はバビロンに連れ去られる(「バビロン捕囚」…バビロンは現在のイラク中央部)。→ そのヘブライ人たちは、(西アジアを統一した)アケメネス朝ペルシアによって解放され、パレスチナへ戻ってくる。そして、ヤハウェの神殿を再建する。…これがだいたい、ローマの共和制が始まるのと同じ頃で、このころにユダヤ教が確立したとされている。
・しかし、やがてユダヤ教は厳格に律法を守る派(パリサイ派)が権力を握る。→ 彼らはローマの支配のもとで、重税を課してユダヤの民衆を苦しめた(※いつの世も権力は腐敗する…)。→ そのため、民衆の間に救世主待望の気運が高まり、そこに登場したのがイエス。
・「イエス・キリスト」というのは、名前・名字ではなく、イエスというのは、当時のパレスチナにいたごく普通の男の名前(ex. 太郎、一郎のような)。キリストは、「油を注がれた者」…ユダヤでは、王様が戴冠するときに油を注ぐ習慣がある。→ 王様=救世主というのがユダヤ教の伝説的な考え方。…つまり「イエス・キリスト」とは、「イエスという1世紀に存在した男が、キリストという救い主であると信じている」という信仰告白なのだ。

○キリスト教神学の特徴

・19世紀に、キリスト教の中で「史的イエスの研究」があった。…啓蒙主義の隆盛期で、徹底的な実証研究の結果、1世紀にイエスという男がいたことは証明できない、という結論になった。同様に、いなかったことのアリバイ証明もできない。→ 「史的イエスの研究」は袋小路に入り、そのあと二つの流れが生じる。

①イエスが存在しないことを前提に、人間がいかにして神という概念を創ってきたかを考える方向。→ このアプローチが宗教学であり、基本的に無神論の立場をとる。
②イエスがキリストであると信じていた人たちが存在したことまでは実証できると考え、救いの内容について研究する方向に向かう。→ これが近代プロテスタント神学の主流派。

・通常の学問では、論争があったときは論理的に強いほうが勝つ。←→ 対して神学では、論理的に弱く理屈が間違っているほうが、政治介入によって勝つことが多いのだ。→ 従って、論争がまったく違う方向に向かい、結論が出ないで終わり、100年、200年と経つと、また同じ議論が蒸し返される。…そうやって問題が解決しないまま、進歩のない特殊な様式の研究がなされるわけだ。(※まさに、不毛な神学論争…)
・ちなみに、ヨーロッパの大学では、神学部がないと総合大学(ユニバーシティ)を名乗ることはできない。…神学は虚の部分を扱う虚学だが、虚の部分すなわち「見えない世界」を扱わないと学問は成立しない。…このような知恵をヨーロッパ人は持っているのだ。(※う~ん、神学にまったくの門外漢としては、「このような知恵」がイマイチわからない…)

○サウロの回心

・キリスト教の教祖・イエスは、自身をユダヤ教徒だと認識していた。→ しかし、(厳格な律法主義を掲げ、律法を守る人間だけが神に救済されるという)ユダヤ教の教えに異を唱える。…イエスは、罪人も神に救済されると言った(※う~ん、イエスは、悪人正機説の親鸞思想とも通底する…?)。←→ ユダヤ教からすれば、イエスは明らかに異端。→ そのため、彼は謀反の罪でユダヤ教の幹部たちに捕えられ、ローマの総督によって十字架刑に処される。→ 処刑後、イエスが復活したという信仰が広がり、キリスト教が成立していくことになる。
・初期キリスト教の伝播にあたって、決定的な役割を果たしたのがパウロ(改名する前はサウロと名乗っていた)。サウロはローマの市民権を持ち、宗教的にはユダヤ教のパリサイ派に属し、もともとはキリスト教徒を迫害する立場にいた。そのため、イエスの教えも神への冒涜だと感じていた。
・ところが、このサウロに回心が起きた。…キリスト教徒を捕縛し、エルサレムへ連行するためにダマスコ(現在のシリア・ダマスカス)へ向かう途中のことだ(詳細はP186)。…このように、サウロは光の中で〝復活のイエス〟に出会った(しかし、イエスの直弟子とは言えない。生きているイエスには会ったことがないから)。→ そんなサイロが、イエスの教えのあり方を根本的に変えたのだ。
・サウロは、(ユダヤ人共同体内部でイエスの教えを広めることに限界を感じ)共同体の外部にキリスト教を広めることを決心する。→ パウロと名を改め、小アジア(現在のトルコ・アナトリア一帯)、ギリシャ、ローマへと伝道の旅を続け、各地に教会を設けた。
・キリスト教を信じる人々を迫害していたパウロが、キリスト教徒に転向し、伝道者となった意義は、キリスト教を世界宗教へと変貌させた点にある。…パウロが伝道旅行を行った地域こそ、当時「世界」と認識されていたからだ。(※う~ん、イラク、パレスチナ、シリア、トルコ…現在の〝ホットスポット〟になっている地方ばかり出てくる…P187に「パウロ伝道の旅」の地図)
・イエスの死後2,3ヵ月では、信者数は多く見積もっても数百人程度だった。→『使徒言行録』には、その後、パウロの説教で3000人が洗礼を受けたと書かれている。→ ローマ帝政下、キリスト教は拡大を続け、313年に公認(ミラノ勅令)された頃には、信者は300万人前後まで増えた。
・このような爆発的な教勢の拡大は、パウロがキリスト教を世界宗教へと転換させたことが契機となったのだ。→ 現在、キリスト教の信者は、全世界で約20億人いると推定されている。…キリスト教という宗教をつくったのはパウロなのだ。…イエスはキリスト教の教祖で、開祖はパウロということになる。

○実念論という考え方

・392年、キリスト教はローマ帝国の国教となった。→ 中世に入ると、ヨーロッパ社会の支配的な価値観となっていく。
・中世初期のキリスト教に特徴的な思考法に「実念論」がある。…ex. 現実には様々な三角形があるが、すべてを含む一般的な三角形は実在するか? → 実在すると考える。つまり、目には見えないけれど、確実に存在するものがある、と考えるのが実念論。←→ それに対して、存在するのは個々の具体的な事実だけであり、三角形とか果物といった一般名詞は単なる名前にすぎない、と考える思想を「唯名論」という。→ 近代的な科学は、経験を重視するから、基本的には唯名論の延長にある。…実念論は神学の考え方に親和的。(詳細はP189)
・現在でも実念論の影響は残っている。…とりわけイギリスは、実念論が主流で、成文法という発想が出てこない(ex. 成文憲法がない)。…文字としての憲法はないが、確実に憲法は「存在する」という感覚をイギリス人は持っている。→ その感覚がそれぞれの時代状況に応じて、具体的な文書の形をとって表現される。…それが1215年のマグナカルタ(王権の制限や貴族の特権を確実にした文書)であり、1689年の権利章典(国会と議会の権利を明確にした文書)だと解釈できる。…あるいは、大きな問題が生じるごとに、判例として表現されるわけだ。→ イギリス人にとっての憲法は(国家の暴走に縛りをかけるといった約束事ではなく)理念として備わったもの、生得的な感覚に近いものだ。〔※この憲法観は、近代的な憲法理念(立憲主義)とは異なる、プレモダン(前近代的)なもの…?〕
・前章では、イギリスの特徴として、近代的な民族を超える原理で人々が統合されてきたことを挙げたが、もう一つ、実念論が国家の中核にあることも特徴となる。…イギリスは、国家も社会もプレモダンなのだ。(※イギリスの特徴は、意外にも国家も社会も前近代的なこと…?)

○宗教改革の本質は復古維新運動

・近世になると宗教改革が起こる。…宗教改革によって生まれたプロテスタンティズムというと、近代的な宗派だという勘違いがよくある(カトリックが「旧教」、プロテスタントが「新教」と日本語で書かれることも、誤解を拡大している)。
・宗教改革はルネサンスのあとに起きた。…ルネサンスはギリシャ・ローマの古典に還れという運動で、これを通じてはじめて中世という考え方が生まれた(※古典に対して中世)。…還るべき古典の時代と現在の間にはさまれているのは、ろくな時代ではない。…それを中世と言ったわけだ(だから中世という言葉には、最初からろくでもない時代というニュアンスがある…)。
・ルネサンスは復古運動だが、その中心には理性の信奉があり、その意味においてルネサンスには啓蒙主義につながる側面がある。→ そして、ルネサンスによって合理主義的要素がカトリックに入ってきたわけだ。←→ ところが、16世紀の宗教改革には、啓蒙主義とつながる要素はない。→ むしろ反知性主義的な運動と考えたほうがいい。(※これは意外な指摘…)
・スコラ哲学と呼ばれる中世の神学は、非常に緻密な体系から成り立っている(しかし、緻密すぎて、救われる感じがしない)。教会も腐敗してしまっている(世俗の権力と癒着して、暴力装置になって金儲けをしている)。→ 宗教改革をして、イエスが唱えた素朴な原始教会に戻ろう、というのが16世紀の宗教運動。…その意味で、宗教改革は復古維新運動なのだ。
〔※う~ん、16世紀の宗教改革は、反知性主義的な(素朴な原始教会に戻ろうという)復古維新運動か…〕

○宗教改革とウクライナ危機はつながっている

・この復古主義的なプロテスタント運動は、ドイツからオランダ、そしてさらに東へと広がっていく。→ ポーランドやチェコスロヴァキアにも波及するが、とくにチェコ地域はカルヴァン派の影響が強くなる。
・この流れに危機感を強めたカトリック側(ローマ教皇庁)は、立て直しをはかる。…中心的な役割を果たしたのが、イグナチウス・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエル。→ 彼らは1534年にイエズス会という教派をつくっている。…ロヨラは軍人だから、軍隊に準じた手法で訓練をするようになり、実質的には軍隊。
・イエズス会は、この軍人力を背景に、プロテスタントの打倒を目指して「プロテスタント征伐十字軍」を仕掛けた。→ 彼らの軍はあまりに強力なので、ボヘミア、スロヴァキアを席巻し、プロテスタントをすべて駆逐した後に、ロシア正教のウクライナまで入ってしまった。→ あわや正教対カトリックの大戦争が起こるか、という危機的状況になった(正教とカトリックは1054年に相互破門しており、お互いに悪魔の手先だと罵り合っていたから)。
・イエズス会もある程度の圧力をかけたが、ロシア正教側は、自らの伝統や儀式を改めようとはしない(ex. イコン(聖画像)を掲げて拝む、お香を焚きながら儀式を行う。「ノンキャリア組」の僧侶は結婚可など)。→ ローマ教皇庁は妥協案として特別の宗派を創設する(見た目は正教だが、魂はカトリックという教会…詳細はP194~195)。→ こうして誕生したのが「東方典礼カトリック教会」「東方帰一教会」あるいは「ユニエイト教会」。
・このユニエイト教会は、西ウクライナのガリツィア地方では現在も主流。←→ 一方、ウクライナ東部は、ロシア正教。…ウクライナ危機の対立の背景には、こうした宗教の違いもある。…つまり、フスの宗教改革、ルターの宗教改革は、遠く現代のウクライナ危機にまでつながっているのだ。
・現在、ユニエイト教会にロシアは強く反発している。→ いまだロシアとバチカンの関係が緊張しているのは、このユニエイト教会によって、カトリックがロシアの内部に浸食してくる可能性を、ロシア正教会が強く警戒しているから。(※この点では、中国と似ている…?)

○プロテスタント神学の変容

・宗教改革が引き起こしたカトリックとプロテスタントの抗争は、(前章で見たように)三十年戦争を経て、1648年のウェストファリア条約で一応の決着をみた。
・その17世紀は、「科学革命」の時代(天動説から地動説への転換、ガリレイやニュートンらによる力学の基礎の確立など)→ 科学革命を通じて、中世の教会的世界観は破壊されることになった。→ さらに、この合理主義の精神は、やがて18世紀に啓蒙思想となって、教会や絶対主義国家を支える権威や思想・制度・習慣に対する強烈な批判を展開していく。
・この啓蒙思想が席巻した18世紀以前と以後では、プロテスタント神学も大きな変容を遂げることになる。…18世紀以前のプロテスタンティズムでは、神は天上にいると信じられてきた。←→ しかしそれでは、ケプラー以降の天体観や宇宙観と矛盾してしまう。→ だから、矛盾しないところに神の場所を置かなければならなくなる。
・シュライエルマッハー(近代プロテスタント神学の父)は、宗教の本質は直観と感情だと言った。つまり、神様は心の中にいると考えた。→ しかし、それは危ういものを含んでいる。神が心の中にいるとなると、自分の主観的な心理作用と神を区別できなくなってしまうから。…神は絶対的存在だ。自らの心の中に絶対的存在を認めることで、人間の自己絶対化の危険性が生じたわけだ。→ この延長上に、神なんて自分の心の作用にすぎない、という無神論も出てきてしまう。

〔※う~ん、当方、生まれつきの無神論(?)のため、このへんが、この著者といちばん距離を感じてしまうところだが…。→ 当方なら、「人間の自己絶対化の危険性」を相対化するものは、「神」ではなく、「自然」ということになる。…例えば、木村さんの「奇跡のリンゴ」の世界とか、福岡伸一さんの「動的平衡」などの生物学の世界とか…。〕

→〔(佐藤優氏の関連著作)…『同志社大学神学部』光文社2012年、『サバイバル宗教論』文春新書2014年、『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?―宗教と科学のガチンコ対談―』文芸春秋2016年(動物行動学の竹内久美子との対談本)…いずれも余裕なく未読。〕

○「不可能の可能性」としての神学

・神の場所を心の中にあると考えると、行き詰ってしまう。→ もう一度上を見なければならなくなる。
・カール・バルト(現代神学の父)は、神が物理的な意味での天上にはいない、ということを理解しながら、「上にいる神」と言った。→ 人間は神ではないから、神について知ることは一切できない。語ることもできない(※不可知論?)。←→ しかし説教をする牧師は、神について語らなくてはならない。…だから、神学というのは「不可能の可能性」に挑むことだと主張した。(※う~ん、神学の門外漢にはあまり説得力なし…?)
・カール・バルトは、第一次世界大戦に衝撃を受け、1919年に『ローマ書講解』を上梓した。→ この本から神の場所が再転回したと言ってもいい。なぜか…1914年に、神なしに人間社会を解釈する啓蒙主義が崩壊したから。(※う~ん、「崩壊」はちょっと言い過ぎでは…?)
・(序章で述べたように)イギリスの歴史家ホブズボームは、フランス革命が始まる1789年から第一次世界大戦が勃発する1914年までの時代を、「長い19世紀」と呼んでいる。…それは、要するに啓蒙の時代。→ (ロマン主義的な反動がヨーロッパの一部にあったとしても)基本的には科学技術と人間の理性に頼ることによって、理想的な社会をつくることができる、と考えられていた。…つまり、神がいなくても、理性を正しく使って合理的に考えれば、世界は進歩すると考えたわけだ。
・さらにまた、長い19世紀はナショナリズムの時代でもある。…ナショナリズムの台頭を背景に、心の中の絶対者の位置にはネイション(民族)が忍び込んでくる。→ ここに、国家や民族という大義の前に、人が身を投げ出す構えが出来上がってしまった。…言うまでもなく、その延長上に第一次世界大戦がある。(※う~ん、世界大戦は〝神の不在〟のせい…?)
・二つの世界大戦による大量殺人と大量破壊は、理性と無神論からなる啓蒙の時代を木っ端みじんに吹き飛ばした。→ 無神論の時代、すなわち啓蒙の時代は、1914年で終わり、それと同時に「不可能の可能性としての神」について語られるようになったのが、第一次世界大戦が終わった1918年からなのだ。(※これも、理性と無神論を「木っ端みじんに吹き飛ばした」というのは、言い過ぎではないか。…キリスト教者のバイアスがかかっている?)

○啓蒙から目をそらしたアメリカ

・近代人は、二つの世界大戦を反省し、バルトのように啓蒙の闇と向き合わなければいけなかったはずだ(※この程度の言い方なら、異論なし…)。←→ ところが第二次世界大戦で、アメリカが巨大な物量によって勝利を収めてしまった。
・アメリカはヨーロッパと違って、第二次世界大戦を経てもまだ啓蒙の精神が盛んで、非合理な情念(プレモダン的な「見えない世界」)が人間を動かすという感覚を、よく理解していない。→ そのため、啓蒙思想や合理的思考がもたらす負の帰結に対する洞察が働かず、問題は先送りされたままとなってしまった。→ その影響は、21世紀の現在にまで続いている。
〔※その一方で、アメリカには、進化論も信じないような〝草の根のキリスト教〟(※原始キリスト教?)がいまだに残っている、というような側面も、漏れ聞こえてくるが…〕
・アメリカ型の啓蒙精神によって、第一次世界大戦後のヨーロッパ知識人が格闘した啓蒙思想の闇の問題から目をそらされてしまったわけだ。→ そのツケが現在、格差問題や貧困、領土問題、民族紛争などの形で浮上してきている。
・前章で、ナショナリズムは近代人の宗教であると言った。…そこでは「不可能の可能性としての神」を直視することなく、目に見えない超越的なもの(※神?)の欠落を短絡的に埋める代償物としてナショナリズムが要請されてしまっているのだ。
〔※当方、アメリカについてもほとんど門外漢だが、現在進行中の米大統領選挙でも、大方の専門家の予想をくつがえす形(共和党・トランプの意外な健闘)で、(アメリカ型の?)ナショナリズムという近代人の宗教が急浮上してきているかに見える。…そして、日本でも同様に、そのアメリカのミニチュア版(?)が、不気味に浮上してきている…? ←→ その一方で、民主党・サンダースの意外な健闘(ある意味当然?)に見られるような、「格差問題や貧困」に対する批判的な勢力も台頭してきている。…そして、このような「長い21世紀」前半の動きは、ますます混沌とした形で、全世界に広がっているように見える…〕

(3)イスラム史から読み解く中東情勢

○イスラムの誕生

・次に、世界史の中のイスラムについて見ていく。…イスラムの開祖・ムハンマドは、570年頃アラビア半島西部のメッカで生まれた、とされている。
・当時、東ローマのビザンツ帝国とササン朝ペルシアが戦争を繰り返していたため、メソポタミア付近の東西交通路は往来が困難だった。→ その影響で紅海に近いメッカは、商品経由地として繁栄する(P202に、6世紀のアラビア半島の地図)。
・ムハンマドも、この地の商人の一族。…40歳のころ、神アッラーから最初の啓示を受け、イスラムの布教を始める(詳細はP202)。→ 唯一神アッラーへの信仰、偶像崇拝の禁止、神の前の万人の平等を唱え、大商人による富の独占を批判する。…当時のメッカは格差社会だった。(※イスラム教が、今も格差社会の貧困層に強い理由…?)
・メッカの支配層である大商人たちは、商売の邪魔になるムハンマドたちを迫害し、ムハンマドと信徒たちは北のメディナへと移住する。…これを「ヒジュラ(聖遷)」といい、移住した622年がイスラム歴元年とされた。
・ムハンマドたちはメッカと衝突を繰り返した末、630年にメッカを無血で占領し、多神教の神殿をイスラムの聖殿に改めた。→ それ以降、ムハンマドは周囲のアラブ諸民族も次々と支配下に治めていき、632年にはアラビア半島をほぼ制圧する。→ こうしてイスラム世界が世界史の中に展開していくことになる。(※「イスラム国」は、これを再現しようとしている…?)

○イスラムの特徴

・イスラムは一神教であるユダヤ教、キリスト教の影響を強く受けている。…アッラーとは、唯一神そのものを指す言葉であり、英語で言えば「ゴッド」と同じ。…偶像崇拝を禁じ(※遺跡も破壊…)、神の前の平等を説く点は、キリスト教と共通しているが、イスラムではさらに主張を徹底させていて、教徒内部の身分、階級、民族の差を認めない。→ だから、専門の神官階級は存在しない。(※う~ん、庶民層、貧困層に支持され、拡大しやすい宗教か…)
・イスラムの中で、ムハンマドは最初で最後の預言者であり、他に預言者はいない。…ムハンマドが神の啓示を受け、アラビア語で信者に語った言葉を集めたものが聖典コーラン。…原名の「クルアーン」は「読誦(どくじゅ)すべきもの」という意味だから、イスラムの信者はみんなコーランを声に出して読む。→ コーランを唱えることによって、神と直に接することができると考えられている。
・聖書と異なる点として、コーランは教義のほかに、日常生活のすべてを規定する法典としての性格を持っている。…ex. イスラムの「五行」といわれる規範…①信仰告白(アッラーのほかに神はいないと唱える)、②礼拝(1日5回メッカに向かって祈る)、③喜捨(収入の一部を困窮者に施す)、④断食(ラマダーン月の日の出から日没までは、飲食を禁じる)、⑤巡礼(一生に一度、メッカに巡礼する)。…ほかにも、お酒を飲まない、豚肉を食べない、利子を取らないなど、コーランには、日常生活の約束事が細かく規定されている。
・これらのいずれにも通底しているのは、アッラーへの絶対的服従。…「イスラム」とは「絶対帰依」という意味。→ イスラムではあらゆる行為が、アッラーへの絶対的服従として決められている。
(※う~ん、正直なところ門外漢には、非常に不自由で面倒くさそうな宗教…という印象。…知識人層には、あまり支持されない宗教か…?)

○スンニ派とシーア派はどこが違うのか

・イスラムを理解する上で、どうしても知っておかなければならないのが、スンニ派とシーア派の違い。…二つの宗派は、イスラム世界が拡大する中で生まれていった。
・ムハンマドの没後、イスラム教は最高指導者として「カリフ」を選挙で選出する。…「カリフ」とは「神の使徒の代理人」という意味。→ その四代目のカリフとなったアリーは、ムハンマドの従弟で、しかもムハンマドの娘の夫になった人物。→ その血統的に最も近いことを根拠に、アリーとその子孫が真の後継者だと主張する党派が現れる。…これがシーア派。「シーア」とは、「分派」「党派」という意味。
・このシーア派に対して、スンニ派は、代々のカリフを正統と認めるイスラム教の多数派。…ムハンマドの伝えた慣行「スンナ」に従う者を意味。(詳細はP206)
・シーア派では、最高指導者を「イマーム」と言い、アリーの子孫が二代目、三代目のイマームとなる。…このシーア派内部もいくつかの党派があるが、主流派がイランで権力を握っている12イマーム派と呼ばれる派。…この派は、11人目のイマームが9世紀末に亡くなったとき、12人目のイマームが登場したが、すぐにお隠れになってしまった。→ この隠れイマームが救世主として現れて、この世を救うという教義を持っている。
・この12イマーム派の教義は、現在の国際情勢とも密接な関係がある。それはイランの核兵器問題。…イランが核兵器を持ったとしても、イスラエルはそれを上回る圧倒的に多くの核兵器を所持している。→ 合理的に考えれば、イランは核を使わないと考えたくなる。←→ ところが、イスラエルが核で攻撃しても、お隠れになったイマームが現れて、イランを守ってくれるに違いない。…イランの支配者層がそう信じているとすると、イランが暴走する可能性もあるわけだ。
〔※う~ん、かつて〝神風特攻隊〟という非合理で理不尽な作戦(生き残った元隊員の証言…東京新聞より)を実行してしまった(そして今もそれを総括できていない?)日本は、このアナロジーをどう考えるべきか…? 人間にとって〝救世主〟という考え方の根強さ…?〕

○ワッハーブ派とカルヴァン派

・一方、イスラム過激派は、ほとんどスンニ派のハンバリー学派に属している。…スンニ派は主に四つの法学派に分かれているが、ハンバリー学派以外は政治的には大きな問題はない。→ イスラム原理主義やテロ運動のほとんどはハンバリー学派から出ているものだ。
・このハンバリー学派の一つに、18世紀中頃に宗教改革者ワッハーブによって創始されたワッハーブ派がある。…ワッハーブはサウジの王様と協力してワッハーブ王国をつくり、これが後のサウジアラビア王国の素地となった。→ そのため、現在でも、サウジアラビアの国教はワッハーブ派だ。…中東情勢、イスラム過激派の動きを見る場合、ワッハーブ派とサウジアラビアの結びつきについて理解しておくことが重要だ。
・ワッハーブ派は、コーランとハディース(ムハンマド伝承集)しか認めない(聖人崇拝も墓参りもしない)。→ ムハンマド時代の原始イスラム教への回帰を唱え、極端な禁欲主義を掲げる。…アルカイダというのは、このワッハーブ派の武装グループで、イスラム国もまた同様。…その他、北アフリカのイスラム・マグレブ諸国のアルカイダ、チェチェンのテログループ、アフガニスタンのタリバンなど、イスラムの過激派はすべてワッハーブ派の系統だ。
・キリスト教とのアナロジーで考えると、このワッハーブ派に近いのはプロテスタントのカルヴァン派(※確か佐藤優氏の宗派もこのカルヴァン派…?)。…ワッハーブ派とプロテスタンティズムは、復古維新運動である点で共通している。さらに、カルヴァンとは形が違うが、ワッハーブ派も世俗世界では禁欲的態度をとる。
・ただし、両者には決定的な違いがある。…キリスト教には、イエス・キリストという媒介項があること。→ キリスト教において、イエス・キリストという媒介項を必要とする理由は、人間には原罪があるから。←→ それに対して、イスラムには原罪という観念はない。…この楽観的人間論が最大の問題。→ だから神が命じれば、聖戦の名のもとにあらゆるものを破壊しても構わない、と考える。(※イスラム過激派の過激たる所以…?)
・キリスト教の場合、人間には原罪があるから、地上は悪の世界。つまり、天上界の自然状態と地上界の自然状態は、逆になっている。…キリスト教の世界観では、地上は罪のある者で占められているから、人間の世界で差別や抑圧、病気、苦しみ、貧困があることは自然な状態ということになる(※曽野綾子などの発言の根拠…?)。←→ それに対してイスラムの場合、ジンという妖怪が悪さをしている、ということになる。…自身の内なる悪についての反省がないので、一度信じることができれば、どんな暴力でも肯定されてしまうのだ。
(※う~ん、簡潔にまとめられているが、キリスト教側のバイアスはかかってないのか…?)

○イランが持つ二つの顔

・16世紀、イスラムの歴史に重大な転機が訪れる。…1501年、イランにサファヴィー朝が成立し、シーア派12イマーム派を国教に定める。
・それ以前は、モロッコから新疆(しんきょう)までがイスラムベルトとしてひとつながりになっていた。→ ところが、イランがシーア派になることによって、このベルトが切れてしまった。…サファヴィー朝の西はオスマン帝国、東はムガル帝国だが、どちらもスンニ派。…つまり、サファヴィー朝はスンニ派の大国にサンドイッチで挟まれてしまった。→ こうして、16世紀にイスラム世界は大きく二分されることになった。(P211に、16世紀のイスラム世界の地図)
・サファヴィー朝がシーア派を国教にしたのは、ペルシャ・アイデンティティ確立のため。…イラン人には、はるか昔のペルシャ帝国の輝かしい記憶が刷り込まれていた。→ サファヴィー朝において、民族主義的なアイデンティティとシーア派が結びついた格好になる。
・戦後のイランでは、親米のパーレビ―国王が強権的に近代化政策をとって世俗化を進めた(「白色革命」)。→ これによって経済は成長したが、格差拡大や支配層の腐敗など、国民の不満も高まる(※人間社会は、今も同じことを繰り返している…)。→ そこで起きたのが、シーア派指導者ホメイニによるイラン革命。…全国的な反体制運動が拡大し、国王は亡命。→ 1979年に、イスラム教を国家原理とするイラン・イスラム共和国が成立。
・なぜイラン革命は成功したのか。これはアメリカやイスラエルの完全な油断だ。…一度世俗化して、高度の消費文明を享受している国が原理主義化することはあり得ない、と高を括っていたわけだ。(※人はパンのみにて生くるにあらず? それとも、格差拡大や支配層の腐敗が原因…?)
・1979年のイラン革命のときも、サファヴィー朝成立時と同様に、12イマーム派の教義が現代用に組み立て直され、さらにペルシャ帝国主義が加味された。…現代のイランという国を見るときは、12イマーム派のイスラム原理主義と、ペルシャ帝国主義という二側面から見ないといけない。
・とくに日本では、二重にバイアスのかかったイラン情報が蔓延している。…①(ペルシャではなく)アラブ専門家の見たイラン情勢、②親PLO・反イスラエル的な偏見。…例えば日本の政治家の圧倒的多数は、イランはペルシャ人の国ということさえ知らない。アラブ諸国の一つだと思っている。(※マスメディアの社員記者も同様…?)
・イランが近年、ホルムズ海峡の封鎖をほのめかしたり、バーレーンにイラン革命を輸出しようとするのは、ペルシャ帝国主義の文脈で読み解くほうが正確だ。…あるいは、イランが、スンニ派原理主義であるパレスチナのハマスと良好な関係なのは、(宗教が動機ではなく)ペルシャ帝国主義的な発想にもとづいている。
・シーア派とスンニ派が対立するのは、イスラム教の中で分節化が行われる場合。←→ 対イスラエル、対キリスト教ということになると、シーア派とスンニ派は団結するのだ。→ だからイランは、同じ12イマーム派であるレバノンのテロ組織ヒズボラを支援すると同時に、ハマス(スンニ派)も全面支援する。…反イスラエルという戦略の上では、シーアとスンニの差異は些細な違いでしかないのだ。(※なるほど…)

○パレスチナが平和だった時代

・パレスチナは、ユダヤ教、キリスト教、イスラムすべてにとっての聖地。…(先述したように)地中海東岸のパレスチナは、紀元前1000年頃にヘブライ人が王国を建設した地域の名称(昔はカナーンとも呼ばれていた)。→ バビロン捕囚から解放された後に、彼らはパレスチナの中の都市エルサレムに神殿を再建する。→ その後、ローマの支配下に置かれたユダヤ人は、独立運動を起こすが、逆に徹底的に弾圧・迫害され、ユダヤ人はパレスチナの地から離散する。
・キリスト教では、イエスが十字架にかけられたゴルゴタの丘が、エルサレムにあった(現在のエルサレムにある聖墳墓教会は、ゴルゴタの丘があったとされる場所)。
・では、イスラムにとって、なぜエルサレムが聖地なのか…イスラムの伝承では、ムハンマドがある夜、天使ガブリエルに導かれて、エルサレムにある巨岩から天馬にまたがって昇天し、アッラーに謁見したと言われている。…つまり「ムハンマドの昇天」と言われる伝承に由来する。(詳細はP214~215)
・三つの聖地が併存するエルサレムは、ほとんどの時期は、三つの宗教は平和的に併存していた。→ ここで宗教的な紛争が起きるのは、1948年のイスラエル建国以降のことだった。

○パレスチナ問題の発端

・パレスチナは第一次世界大戦時、オスマントルコの領土だった。→ オスマントルコは、ドイツ、オーストリアの陣営に入って、バルカン戦争で奪われた領土奪回を目指した。
・イギリスは、中東でトルコと戦うが、このとき、戦争を有利に進めるために、三枚舌外交を展開する。

① 戦後のアラブ人の独立と引き換えに、アラブ人にオスマントルコに対して反乱を起こさせる。つまり、トルコの支配に憤るアラブ人のナショナリズムを利用した。
② フランス、ロシアとの間で、トルコ領を分割する秘密協定を結ぶ。
③ パレスチナへの帰還を切望するユダヤ人に、「民族的郷土(ナショナル・ホーム)」の建設を約束する(バルフォア宣言)。
…(※この三枚舌外交は、先日Nスペの特集でも取り上げていたが、ひどいもんだねぇ…)

・相互に矛盾している。→ ではオスマントルコが戦争に負けた結果、どうなったか。…パレスチナは、③のバルフォア宣言にもとづきながら、イギリスの委任統治領になり、ユダヤ人の入植を認めるということになった。→ パレスチナの地にユダヤ人がどんどん押し寄せ、とくに1930年代にヒットラーのユダヤ人撲滅運動が起こると、難を逃れるためにユダヤ人がパレスチナに次々と入ってきた。(※今の難民の流れと逆方向か…)
・これをアラブ人が黙認するわけがない。→ ユダヤ人の入植に反対するアラブ人は、イギリスの委任統治に対して、激しい抵抗運動を展開するようになる。
・第二次世界大戦が終わると、戦争で疲弊したイギリスに、パレスチナを統治する力は残っていない。→ 1947年に国連でパレスチナ分割案が決議される。…それは、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家の二つに分け、エルサレムは国際管理地区にするというもの。→ しかし、若干、ユダヤ人に有利な内容だったため、アラブ人は拒否するが、ユダヤ人は受け入れる。…こうして1948年、イスラエルが建国された。

○ハマスの目的

・建国と同時に、イスラエルとアラブ諸国の間で第一次中東戦争が始まり、イスラエルが勝利。→ そこでさらに領土を拡大し、国家はイスラエルだけとなった。→ 四回におよぶ戦争や様々な交渉を経て、地中海に面したガザ地区と内陸部のヨルダン川西岸地区に、パレスチナ自治区ができた。(P218に地図)
・現下の問題は、ガザ地区を実効支配しているスンニ派原理主義過激派のハマス。…ハマスの思想も、(イスラム国やタリバンと同様 )世界はアッラーの神によって支配されるただ一つの帝国でなければいけない。そのためにはイスラム革命が必要であり、まず最初に、イスラエルをパレスチナから抹消しなければならない、と考える。→ そうなると、イスラエル政府とハマスの間に、交渉の可能性は開かれない。…ハマスにとって、パレスチナ民族の自立は目標ではなく、革命のための単なる道具にすぎない。
・なぜ、ガザ地区に住むパレスチナの人々は、ハマスに惹きつけられるのか。…(住民の大多数は、必ずしもハマスを支持しているわけではないが)ハマスのようなイスラム原理主義の中には、福祉を重視する人たちがたくさんいる。彼らは、アッラーの前で人は平等だと考えるため、生活はものすごく質素で、持っているものは同胞に分け与える。→ だから、一定の人々の心をつかむことができるのだ。
(※う~ん、このあたりが、イスラム問題の肝の一つか…)
・目下のハマスの戦略は、ヨルダン国王を打倒することに向けられている。→ ヨルダンにはパレスチナ難民が大勢いるので、彼らを動員して、ヨルダンで紛争を起こそうとしている。…現在のヨルダン王室はイスラエルと良好な関係を維持している。→ もしもヨルダンの王制が転覆すれば、サウジアラビア、アラブ首長国連邦など湾岸の王制も動揺する。→ その機会に乗じて、ハマスはイスラム国と提携して、中東に世界イスラム革命を輸出する拠点国家を建設しようとするわけだ。
(※う~ん、この状態では、当面は中東情勢の見通しは暗い…?)

(4)戦争を阻止できるか

○EUとイスラム国を比較する

・EUとイスラム国…この両者は、近代の基本的枠組みである国家や民族の枠を越えようとしている点では共通している。
・EUの本質をなすものとして、ラテン語の「コルプス・クリスティアヌム」という概念がある。…ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統と、ギリシャ古典哲学、ローマ法という三つの要素から構成された文化総合体のこと(日本語に訳せば「キリスト教共同体」)。…これは、神学者エルンスト・トレルチ(1865~1923)の考え方。
・この体系は、中世に確立し、近代になって世俗化しているが、いまなおヨーロッパ的な価値観の根底をなしている。…EUもまた、この三つの価値観によって結びつけられている有機体だ。→ このことは、EUの広がりを見るとよくわかる。…EUがロシアやウクライナに延びないのは、コルプス・クリスティアヌム(キリスト教共同体)がカトリック・プロテスタント文化圏のものであり、正教文化圏を含みにくいから。→ 同様に、トルコがEU入りを希望しても、入れないのは、コルプス・クリスティアヌムの価値観を共有していないからだろう。
(※わが日本も、このEU的な価値観を共有していない…)
・では、EUはなぜ生まれたのか。…その最大の目的は、ナショナリズムの抑制…二度の世界大戦を経て、あまりにも大きすぎる犠牲者を出してしまった。→ ドイツ人もフランス人も戦争だけはしたくないと強く思って、それがEUという形に結晶しているわけだ。…従って、宗教的な価値観を中心とした結びつきには、民族やナショナリズムを越えていくベクトルがあることが確認できる。
(※う~ん、民族やナショナリズムを越えていくベクトルとなると、ヨーロッパではキリスト教的な価値観しかないのか…?)
・一方、イスラム国もまた、国家や民族の枠をグローバルなイスラム主義によって克服しようという運動。…イスラム国の組織形態は、ネットワーク型という特徴を持っている。(アルカイダのように、ウサマ・ビンラディンの命令で下部が動くという組織形態ではなく)小さなテロのユニットが無数にあり、それぞれに必ずメンター(宗教指導者)がつく。→ そのユニットがインターネットでつながって、世界中で結びついている。…しかし、EUと決定的に違うのは、イスラム国が国家と民族の枠を越えて、人を殺す思想になってしまっていることだ。
・イスラムには、ムスリムが支配する「イスラムの館」と、異教徒が支配している「戦争の館」という概念がある。→ イスラム原理主義の最終目標は、世界中の「戦争の館」を、ジハード(聖戦)によって「イスラムの館」に転換していくことなのだ。…この場合、国家や民族は越えたとしても、ナショナリズムと同じように、人を殺す思想になってしまう。
・では、こうしたグローバルに拡大する宗教原理主義の暴走にストップをかけることはできるのか。…そのヒントは、ネイションにある。

○イスラム原理主義の暴走を食い止める方策

・(2章でエトニ論を紹介したように)ネイションの基にはエトニがある。…つまり、ネイションが生まれるときには、共通の価値、記憶、言語、血統、領域といった事柄がエトニとして事後的に発見される。→ このエトニの議論に、イスラム原理主義を無力化する鍵がある。
・イスラム原理主義の特徴として次の5点がある(ゲルナーの『民族とナショナリズム』より)。

①イスラム原理主義は(儒教のように哲学的思弁を駆使せず)簡単で、宗教と道徳が一致しているため、近代化の嵐の中でも生き残ることができた。
②イスラム原理主義が、儒教より強いのは、強力な超越的観念を持つから。
③イスラム原理主義においては、超越的な神とこの世の人間が直結する。…信仰の仲介者がいないので、政治的、道徳的言説の内容が曖昧で、幅が広くなる。→ それゆえにイスラム原理主義は広域で影響を発揮することができる。
④超越的な唯一神を極端に強調すれば、知的整合性を無視することができる。
⑤近代的な学問手続きや論理整合性を無視して、「大きな物語」をつくることができる。
(※う~ん、これらの特徴を一言でいえば、反知性主義的ということではないか…)

・こうしたイスラム原理主義の特徴を熟知して、その暴走を事前に食い止めようとしたのが、(前章で紹介した)レーニンとスターリン。→ ムスリム・コミュニストの力が強まり、イスラム原理主義がソ連を席巻する可能性が生まれたとき、スターリンは脅威を除去するために、次のような方策をとった。

①イスラム原理主義が尊重する信仰対象、習慣などを尊重し、摩擦を起こさないようにする。→ スターリンは、イスラム法を尊重せよと訴えた。
②イスラム系諸民族の中にあるエトニを刺激して、(イスラムへの帰属意識よりも)民族意識を強化する。→ その結果、イスラム原理主義が浸透する土壌がなくなる。

・(前章で解説したように)現実には上からの強制的な民族アイデンティティを付与したため、ソ連崩壊後には、ナショナリズムの暴走が始まった。→ しかし、スターリンの戦略から学べることもある。…それは、エトニを刺激し、ネイションを対置することで、イスラム原理主義の浸透を防ぐということ。
(※民族・ナショナリズムによって、宗教原理主義を制する…?)

○第一次世界大戦時と現在とのアナロジー

・ここまで、歴史をアナロジカルに捉えることを強調してきた。…そこで本書の仕上げとして、第一次世界大戦との類比で現在を捉えてみよう。
・2014年は、第一次世界大戦勃発から100年目にあたる。…その大戦では、新しい兵器(毒ガス、戦車、機関銃、潜水艦など)が次々と開発され、実戦に投入された。→ 戦場と銃後の区別がなくなり、非戦闘員までが動員される総力戦になったのも、この戦争が初めてだった。…犠牲者数も(諸説あるが)900万人から1500万人と推定され、それ以前の戦争の犠牲者数とは桁違いだった。→ その結果、戦勝国であるイギリスでさえ疲弊し、旧・帝国主義政策、つまり植民地支配による富の収奪システムが揺らぎ始めたのだ。
・第一次世界大戦の特徴として、さらに指摘しておきたいのは、戦争観の変化。…ヨーロッパでは中世から近代にかけて、戦争をするには正しい理由が必要とされていた(正戦論)。←→ しかし、帝国主義的な戦争である世界大戦には、どの国も納得するような正しい理由などあり得ない。→ そこで、平等(無差別)的な戦争観が持ち込まれた。…(正義・悪という二元論を超えて)宣戦布告や交戦規則、捕虜の取り扱いなどの規則遵守を重視する戦争観だ。
・しかし、この戦争観も後の第二次世界大戦で変化していった。…(日本が宣戦布告の前に真珠湾を攻撃したように)戦争によって得られる利益のほうが大きければ、国際ルールなど反古にしてもよい、そんな発想だ。→ それと同じ発想で行動しているのが、現在のロシア。…クリミアをロシアに編入することは、国際社会からの非難や制裁を補って余りあるほどの多大な利益をもたらす、と考えている。
・もう二つほど、補助線を引いておく。

①(先にも述べたが)アメリカは、第二次世界大戦を経てもまだ啓蒙の精神が盛んで、合理主義を信奉している。→ これは第一次世界大戦前の、科学技術と合理主義を絶対視する思想にまでさかのぼることができるだろう。…アメリカのこのスタンスは、基本的に現在も変わらない。(※現下のアメリカの「トランプ現象」は、どう考えたらいいのだろう…?)
②ソ連型社会主義の崩壊後(冷戦の終結後)、資本主義国がカネに対する統制を失いつつある(※マネー資本主義の跋扈…)。…社会主義という目に見える脅威が存在したときは、資本主義国は自国での革命を阻止するため、富裕層に集中する富を累進課税や法人税で吸い上げ、中下層に再分配していた。←→ しかし、共産主義国が崩壊し、再分配の必要がなくなった。→ その結果、富が上位の何パーセントかに集中する著しい格差が資本主義国を覆っている。
(※敵なしの資本側がやりたい放題…。→ ピケティは、富の再配分を提言…)

・以上の情報を総合してみる。…まず、第一次世界大戦によって、帝国主義国が握っていた植民地と富が揺らいだ。→ そして、社会主義国の崩壊によって、資本主義国のマネーへのコントロールが揺らいでいる。…どちらも、権力基盤が不安定になっていることを物語っている。→ そして、ロシアのクリミア編入や、いまだ続くアメリカの合理主義信奉(※?)を見ると、冷戦時代の二大大国が現在、第一次世界大戦前後の状況と酷似する場にいる、ということが理解できる。(※中国は、どういう位置づけになるのか…?)
・まとめると、現下の情勢と第一次世界大戦前後の状況をアナロジカルに捉えることができるのだ。…(当時の世相について書かれた文献によると)第一次世界大戦の前夜、これから何かが起こる、しかし何が起きるかは分からない、という不安の空気が蔓延していたようだ。→ 現在も、まさにそうではないだろうか。先行き不透明で複雑な状況に時代は陥っている。(※確かに…)

○新・帝国主義は何を反復しているのか

・時代はどこへ向かっていくのか…そのことを考察する前に、本書のまとめをしておく。

〔1章〕
・資本主義は必然的にグローバル化を伴って、帝国主義に発展する。…第一次世界大戦後の共産主義の出現は、資本主義のブレーキ役となったが、1991年のソ連崩壊(冷戦の終結)によって再び資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れている。→ 19世紀後半からの帝国主義と現代の新・帝国主義を、アナロジカルに捉えることが、第1章の大きなポイントだった。
〔2章〕
・帝国主義の時代には、資本主義がグローバル化していくため、国内では貧困や格差拡大という現象が現れる。→ 富や権力の偏在がもたらす社会不安や精神の空洞化は、社会的な紐帯を解体し、砂粒のような個人の孤立化をもたらす。→ そこで国家は、(上からの)ナショナリズムによって人々の統合を図ることになる。(※まさに現在、日本で起きつつある現象か…)
・それと同時に、帝国内の少数民族は、程度の差こそあれ民族自立へと動き出す。…こうした動向でも、旧・帝国主義と新・帝国主義はよく似ている。→ 上からの公定ナショナリズムや排外主義的なナショナリズムで人々が動員される一方、ハプスブルク帝国の中でチェコ民族が覚醒したように、現代ではスコットランドや沖縄がエトニの発見にもとづいて、自身の民族性を認識するようになってきた。(※中国でも、少数民族や台湾が同様の動き…?)
・帝国主義の時代には、現在の国民よりもっと下位のネイション、つまりもっと小さい民族に主権を持たせることで危機を乗り越えようという動きが出てくる。…以上が第2章の核となるアナロジーだった。
〔3章〕
・沖縄やスコットランドとは対照的に、国民国家の危機をグローバルな理念で乗り越えようとする動きも出てくる。それが宗教的な理念。…時代こそ違うが、キリスト教でもイスラムでも、社会の危機に対して、復古主義・原理主義的な運動が起こり、地域や領土を越えて拡散していく点では共通している。…現代のEUも見方によっては、西ローマ帝国さらにはローマ帝国への回帰と言うこともできるだろう。(※EUは〝未来性〟ではなく〝復古〟か…?)

○プレモダンの精神をもって、モダンをリサイクルする

・このように、巨視的に歴史を見る力やアナロジカルな見方によって、現代がどのような時代なのかを把握することが可能になる。→ しかし、本当に難しい問題はその先にある。…はたして、時代はどこに向かっていくのかという問題だ。(※確かに、そこが知りたい…)
・19世紀末に生まれた帝国主義は、二つの世界大戦による大量殺人と大量破壊にまで行き着いてしまった。→ ヨーロッパが殺し合いをしなくなったのは、あまりにも大きすぎる犠牲をこのとき払ったからだ。…いわば、帝国主義は臨界点を迎えてしまったわけだ。
・一方、現代の新・帝国主義は、第三次世界大戦には至っていない。しかし、ウクライナ、パレスチナ、イラク、シリアなどでは、核を使わない戦争が続いている。→ こうした戦争や紛争を解決するには、たった一つしかない。…それは(ヨーロッパがそうであったように)もうこれ以上殺し合いをしたくないと双方が思うことだ。(※う~ん、極めて簡潔な提言だが…)
・その境界線を定量化することはできない。…数百万人かもしれないし、数千人かもしれない。しかし、その一線は必ず存在する。→ だとすれば、その一線をできるだけ下げるようにするのが、戦争を阻止するという本書の目的にかなうことになる。…そのためには、どうすればいいのか。→ 二つの可能性があると考える。

①もう一度、啓蒙に回帰すること。…人権、生命の尊厳、愛、信頼、といった手垢のついた概念に対して、不可能だと知りながらも、語っていく。…それは、バルトの言う「不可能の可能性」を求めていくことだ。(※なるほど、そうきたか…ここで神学とのアナロジーが完成するわけか…。そして、一定の説得力はある…)
・近代が限界に近いことは確かだ。その兆候はいたるところに現れている(※「資本主義の終焉」という水野和夫氏とも通底…)。…しかし、近代を超える思想として提出されたものが、ことごとく失敗しているのも事実だ。→ 啓蒙主義の帰結を反省して、あらゆる理念や概念を相対化した結果、人々は何も信じることができなくなって、動物的に行動するだけになってしまう。…いまや政治も経済も、動物行動学者の想定するような世界になっている。
(※確かに、マネー資本主義なども、ある意味で反倫理的で動物的だし、政治も動物レベル…?)
・だが、近代は限界に近づいているものの、国民国家や資本主義のシステムは、そう簡単には崩れない。…国民国家の成立が均質の労働力を生み、資本主義を育ててきた。→ その綻びが見え始めたとはいえ、いま世界で起きていることは、しょせんコップの中の嵐であり、現行システムの調整だと思う。(※う~ん、「長い21世紀」の、先はまだ長い…?)
・だとすれば、近代の枠組みの中で戦争を止めるには、近代の力を使うしかない。→ それが啓蒙主義。…モダンのリサイクルと言ってもいいかもしれない。(※当面の弥縫策…?)

② もう一つは、プレモダンの精神、言い換えれば「見えない世界」へのセンスを磨くこと。…(本章で何度も述べたように)「見える世界」の重視という近代の精神は、旧・帝国主義の時代に戦争という破局をもたらした。→ 新・帝国主義の時代には、目に見えなくとも確実に存在するものが再浮上してくると思う。
・イギリスは、実念論が国家の中核にある。…「目には見えなくとも存在するもの」が、この国では近代的な民族を超える原理となって人々を統合してきた。→ (イギリスのみならず)現下の情勢を見ても、もはや合理的なこと(※目に見える数値・実証主義?)だけでは、国家や社会の動きは説明できないだろう。…実念論の時代の再来だ。→ だからこそ私たちは、「見えない世界」へのセンスを磨き、国際社会の水面下で起こっていることを見極めなければならないのだ。……以上をまとめると、プレモダンの精神をもって、モダンをリサイクルする、ということになる。

〔※この著者は、「見えない世界」を、神学的な「超越的なもの」とのアナロジーで考えようとしていると思われるが、当方としては、(先述したように)「見えない世界」を、「神」ではなく「自然」に、例えば、「自然農法」の木村秋則さん(「震災レポート28」参照)や、生物学者・福岡伸一さんの「センス・オブ・ワンダーの世界」、さらには「縄文の世界」(「アフリカ的世界」?)などにも通底していくような方向で展開できたら、と思っている…〕

・歴史への向き合い方も、私たちはイギリスに学ばなければいけない。…イギリスの歴史教科書は、過去の過ちをふまえて、歴史には国家や民族によって複数の見方があることを、徹底的に教え込もうとしていた。
・私たちもまた、歴史は物語であるという原点に立ち返る必要がある。→ そのことを自覚した上で、よき物語を紡いで、伝えること。…そして、歴史が複数あることを知るために、そして「見えない世界」へのセンスを磨くために、アナロジカルに考えないといけない。
⇒ 近代の宗教である資本主義やナショナリズムに殺されないために、私たちはアナロジーを熟知して、歴史を物語る理性を鍛え上げていかなければならないのだ。

〔※宗教の門外漢が、世界史の中の宗教について、よき専門家の案内で学ばせてもらったが、最後に勝手な感想を述べさせてもらうと……いま、世界中を席巻しているかに見える一神教の世界(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)を、(否定するのではなく)相対化していく、という視点・方向性が、(一神教が根付きにくいと言われる?)この日本という国の、世界史的・地政学的(?)な役割の一つなのではないか、などと妄想してしまうのだが…〕
                               (5/30…3章 了)            


 今回までで、資本主義、民族問題(ナショナリズム)、宗教という三つの要素によって、現下の「世界状況」を読み解くための、当面の最低限の知識を少しは学べたかな、という感触は得られたようです。→ 当初は、引き続いて「日本状況論」へ向かう予定だったのですが、この間たまってしまった未読本に目を通すため、次回は少し遅れそうです。…それではまた…(今夏の暑さがもう始まるなか、オバマ米大統領の「広島スピーチ」を読みながら…)。
                                   (2016.5.30)