2015年4月14日火曜日

震災レポート31「脱成長論③」

(震災レポート31) 

震災レポート・拡張編(11)―[脱成長論 ③]


                                    中島暁夫



 前回の『資本主義の終焉と歴史の危機』では、…「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」という定常状態は、(資本の自己増殖システムである)資本主義の終焉の兆候であると同時に、新しい時代・新しいシステムのための予兆なのではないか…経済危機のみならず、国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機という形で、「歴史の危機」が顕在化してくる前に、日本は、新しいシステム、定常化社会への準備を始めなければならない…ということが論じられてきた。
 ただ、この「定常化社会」の具体的なイメージについては、(著者の水野氏も認めているように)まだ明確な形が描かれてはいなかった。そこで今回は、別の視点(環境経済学)からこの「定常状態」(定常経済)について、補足的な資料を見ていきたい。



                                         
『「定常経済」は可能だ!』 ハーマン・デイリー
                 〔聞き手〕枝廣淳子
                                   (岩波ブックレット)2014.11.5


〔著者は1938年テキサス生まれ。大学教授、世界銀行上級エコノミストなどを歴任。経済学に環境、地域社会、生活の質、倫理性といった要素を組み込んで〝定常状態の経済学〟を再定義し、環境経済学の礎を築いた。もう一つのノーベル賞といわれる「ライト・ライブリフッド賞」、地球環境問題の「ブルー・プラネット賞」を受賞。邦訳書に『持続可能な発展の経済学』など。〕
(インタヴューは、2014年4月12日)



【はじめに】



〔聞き手〕

・温暖化の進行や生物多様性の危機、世界に広がる水や食料の不足、繰り返し起こる経済のバブル(次のリーマン・ショックがいつ起きてもおかしくない状況)、貧困や格差の拡大、モノは余っていても心は満たされない人が増えているなどの状況に加えて、世界に先駆けて人口減少・超高齢社会に突入した日本は、本当にみんなを幸せにしてくれる持続可能な「経済のあるべき姿」に向けて再考を迫られています。

・あちこちでいろいろな分野の人が考え直しをしようとしている今、デイリーさんが40年以上前から提唱されてきた「定常経済」という考え方は、大きなヒントときっかけを与えてくれます。…なぜ現在の成長経済ではダメなのか、「定常経済」とは何か、どのように移行していけばよいのかなど、いろいろ教えて下さい。

〔デイリー〕

・日本の「失われた20年」という言葉を聞くたびに、「成長志向型の経済がうまくいかなかったというその経験を活かしてもらえればよいなあ」と思う。→「どうやって成長の限界に適応したらよいか」を考える、つまり「限界を破れないこと」は(「成長経済の失敗」ではなく)「定常経済の成功」なのだと考えられないか、と思う。

・日本は島国だから、「限界」はよりわかりやすいだろう。…人口増加は世界的な問題だが、日本はすでに人口増加の制限に成功している 〔※というより、「このままでは896の市町村が消滅してしまう!」という騒動になっている…『地方消滅』中公新書〕。…日本人は伝統的に、(「もっと、もっと」と量的に拡大をするよりも)良い製品を開発すること、つまり質的な発展を大事にする人々。そして、他の西洋諸国の多くに比べて、所得の平等な分配を大事にしようと社会全体が考えている国だ(※最近は、欧米諸国と同様に、格差拡大が進行中…)。

・あらゆる国が、限界に直面しており、こういった方向に向かっていかなくてはならないが、「成長の限界にうまく適応する」ことについて、日本は、世界の先頭に立っているように思える(※前回の水野氏の論とも通底しているようだが、外交辞令も入っている…?)。
・限界に直面したときの痛みの多くは、「成長しかない」と努力し、限界と闘うことから生じるのではないかと思っている(※誤った治療の副作用…?)。→「上手に調整して限界に合わせよう」「経済成長のデメリットがメリットより大きくなってしまうタイミングを知ろう」とすれば、痛みは少なくて済むだろう。(※ソフト・ランディング…)

〔聞き手〕

・次の10年が、「失われた30年」ではなく、「持続可能な経済にシフトする10年」になるように、そのための大きなヒントと枠組みを提供してくれる「定常経済」について、お話をうかがえることを心から楽しみにしています。



【1章】 なぜ「定常経済」が必要なのか



1.「経済成長」に頼って問題解決ができない時代


〔聞き手〕

・世の中では、貧困や失業、環境問題などを解決するには経済成長するしかない、という考え方が一般的ですが、デイリーさんは、本当に問題解決しようとするなら、経済の規模が一定の「定常経済」しかない、という考えですね?

〔デイリー〕

・確かに「経済成長」は、現在のありとあらゆる問題に対する万能薬のように考えられている。…「貧困が問題なら、経済成長させ、モノやサービスの生産を増やし、消費を増やせばよい。→ 富める人が富めば、それがしたたり落ちるように(トリクルダウン)、貧しい人にも自然に富が浸透するはずだ(※要するに〝おこぼれ〟?)。…(金持ちから貧しい人への)富の再分配はしないほうがいい。そんなことをしたら、経済成長が鈍化してしまうから。…失業が問題なら、金利を下げて投資を刺激し、モノやサービスへの需要を増やせばよい。→ 経済が成長し、雇用も増えるはず。…人口過剰が問題なら、経済を成長させればよい。20世紀の先進国がそうだったように、経済が成長して豊かになれば、出生率は低下するはずだから。…環境問題? クズネッツ曲線(経済発展の初期段階で所得格差は拡大し、その後、縮小に転じる)になぞらえて、経済発展の初期段階で公害などの汚染は増えるが、その後、減少に転じるという環境クズネッツ曲線を信じればよい」という具合に…。〔※実際には、資本主義では(格差の縮小は例外的で)格差は拡大し続ける……トマ・ピケティ『21世紀の資本』〕

〔聞き手〕

・でも、先進国では、経済成長で豊かになったからこそ、産む子どもの数は減って人口の激増は止まったし、伝染病も大きく減り、栄養不足で亡くなったりする子も減りました。

〔デイリー〕

・そういう点では、発展途上国などでは、今でも経済成長が必要なことは明らか。…私は「定常経済」を主唱しているが、途上国も現在のまま、定常経済に移行すべきだと考えているわけではない。→ しかし、地球全体、世界全体で見たとき、「経済成長がすべての問題を解決する」のではない時代に入っていることは、理解しなくてはならない。

〔聞き手〕

・かつては、経済成長に頼った問題解決が可能だったかもしれないけれど、今はそうではない時代だというのは、何が変わったのか?

〔デイリー〕

・私たちの世界が、「空(す)いている世界」から「いっぱいの世界」にシフトした、ということ。…かつては、人間の数も、人工物も、地球の大きさに比べると、相対的には小さいものだった。言ってみれば「空いている世界」だった。←→ しかし、私が生まれた1938年から今までの間に、世界の人口は3倍になっている。人工物の増え方は3倍どころではない。…「空いている世界」では経済成長に頼ることは可能だったかもしれないが、「いっぱいの世界」では無理なのだ」。(※前回の水野氏の論では、「フロンティア(周辺)の消滅」…)


2.本当に温暖化問題を解決するには


・温暖化の問題も、その議論の大半は、温暖化と「経済成長」とのつながりを考えていない。…CO2だけではなく、私たちが生物圏に排出しているあらゆる廃棄物を増やし続けている原因は何か? → 私はそれを、「熱力学の法則に従っている有限の地球の上で、無限の幾何級数的成長(線形ではなく加速度的な成長)を追求しようと、我々が全力で合理的ではない努力をしていること」だと考えている。

・成長への狂信的な崇拝を脇に置くことができれば、「これまで通りのGDP(国内総生産)成長率を維持するためには、エネルギー効率や炭素効率をどのくらい引き上げなくてはならないか?」という、成長に縛られた間違った問いではなく、「どうしたら、生物圏の限界を順守する定常経済を設計し、回していくことができるか?」という、理にかなった問いを発することができるだろう。(詳細はP6~8)


3.「空いている世界」から「いっぱいの世界」へ


・地球は太陽系に属しており、太陽からのエネルギーを受け取っている(そのエネルギーの量を人間はコントロールできない)。そして、地球は熱を宇宙に放出している。…つまり、地球は宇宙の中にあるが、宇宙と物質などのやりとりはしていない。⇒ そういう意味で、地球は基本的にそれ自体で完結している「閉じたシステム」(第1のポイント)。

・では、この地球という基本的に閉じたシステムの中で、どのようにモノは生み出されるのか?…無からモノを生み出すことはできない(これは物理の法則)。→ 私たちが必要とするものをつくり出すためには、エントロピー(乱雑さの尺度)の低い物質・エネルギーが必要(→その結果、高エントロピーを排出)。→ しかし、自分たちで低エントロピーの物質やエネルギーをつくり出すことはできないから、「あるものを使う」しかない。〔※ここでいきなり「熱力学の法則」とか「エントロピー」という言葉が出てきたが、より詳しく知りたい方は『エントロピーをめぐる冒険』講談社ブルーバックス2014.12.20 などを参照されたい。〕

・私たちが使うことのできる低エントロピーの源は二つある。

①太陽からのインフロー(一定期間に流れる量)。

→ 植物は、太陽からのエネルギーを光合成によって栄養に換えて取り込み、動物は植物を食べることでそのエネルギーを取り込む。

②地球にあるストック(貯蔵されているもの…地下資源など)

 両方とも無限にあるわけではないが、希少性のパターンが違う。…①の太陽エネルギーは(一日の日射量を考えればわかるように)フローには限界がある。しかし、(太陽という星が燃え尽きるまでの)ストックは膨大。…他方、②の地球の地下資源は、ストックには限界があるが、一時的にはフローは豊富(明日のための化石燃料を今日使ってしまうこともできる)。…いずれにせよ、入口で低エントロピーのものを取り出し、最後には、出口で高エントロピーの廃棄物を出すことになる。…この入口から出口までのフロー(物質やエネルギーなどの流れ)を「スループット」と呼ぶ。

・人間も人工物も、常に環境から低エントロピーの物質・エネルギーを取り入れ、高エントロピーの物質・エネルギーを環境へ戻す(排出)ことによって、ある種の定常状態を保っている。…つまり、人間も人工物も、短期的な維持(メンテナンス)のためにも、長期的には(死んだり摩耗したりして使えなくなる分を)出生や新しい製品に置き換えるためにも、物質的なスループットが必要だということ。→ そして、そのスループットの入口でも出口でも、地球(自然、生態系、環境)に依存している。

・(先ほども言ったように)私が生まれてこの方、地球の人口は3倍になり、人工物の増加もそれをはるかに上回っている。→ それらをつくり出し、維持し、置き換えていくために地球の生態系から取り出す物質やエネルギーも増えているということ。

〔聞き手〕

・エントロピーというのは難しい概念でとっつきにくいと思っていましたが、私たちが生きていることも、入口の低エントロピーのものから出口の高エントロピーのものまでのスループットに支えられており、そのための物質やエネルギーは、太陽エネルギー以外は地球の生態系から取り出すことになるということですね。(※う~ん、それでも「エントロピー」というのは難しい…)

〔デイリー〕

…次に押さえておくべきことは、「地球は成長しない」(物理的な次元では成長していない)ということ。…もちろん質的には変化しているし、地球上の物質全体は循環している。…でも、量が増えているわけではない。→ 生まれるものがあり、死にゆくものがある。生産が行われ、摩耗していく。新しいものが進化し、古いものは絶滅していく。絶えず、変化している。…しかし、地球は成長していない。(※第2のポイント)

〔聞き手〕

・基本的に閉じたシステムである地球は成長しない(有限である)ということですね。そして、私たちの暮らしも経済も、その有限の地球に支えられるしかない、ということですね。

〔デイリー〕

・経済は地球の範囲内で営むしかないから、地球のサブシステムなのだ。→ 経済がどんどん成長して、地球全体を覆うほどになったら、経済はそれ以上は成長できない。→ 太陽からの一定のフローに頼って、ほぼ定常状態で存続することになるだろう。…「空いている世界」では経済成長を続けることが可能だったが、現在のような「いっぱいの世界」では無理だということ。→ 制約要因も変わってくる。…「空いている世界」での制約要因は人工資本だが、「いっぱいの世界」での制約要因は、残っている自然資本となる(ex. 漁業では、漁獲量を制約する要因は、かつては漁船という人工資本だったが、今では、海の中の魚の数とその再生能力)。

・このように「空いている世界」から「いっぱいの世界」にシフトすると、制約要因も変わってくるのだが、経済の考え方は変わっていない。…かつてと同じく「制約があるなら、人工資本に投資して、その制約を外せばよい」と考える。


4.「不経済成長」から「定常経済」へ


・(「いっぱいの世界」にシフトしているのに、経済の考え方が変わらないので)「不経済成長」になってきてしまった。…「経済的な成長」とは、そのために必要な費用よりも、得られる便益のほうが大きい(実質的にプラスになる成長)という意味。←→ しかし実際には、「経済」の成長と「経済的な」成長はイコールではないのに、この二つをごっちゃにして、「経済成長は良いものだ」と考えている人が多い(※経済成長至上主義…)。

・かつてと違って、今では(環境問題を含む)経済の成長のための費用のほうが、生み出される便益よりも大きくなっており、「不経済な成長」になっている(P13にグラフと説明)。→ GDPが一単位成長するごとに、財やサービスを新たに一単位生産するのに必要な費用(限界費用)は増加し、逆に得られる便益(限界便益)は減少していく傾向がある。…費用が増加するのは、最も利用しやすい(コストが最も安い)資源から用いるため(→ 次に用いる資源はコストがより高くなる)。…逆に便益が減少していくのは、最も切迫した(便益が最も大きい)ニーズから満たしていくから(→ 次に満たすニーズは便益がより減少していく)。〔※確かに昨今の商品の中には、「こんなもの必要なのか?」と思われるようなものも見受けられる…〕

・費用が便益を上回るのを避けるためには、限界費用と限界便益が等しくなる時点(P13にグラフ)で、GDPの成長を止めるべき。…「豊かな方が貧しいより良い」というのは自明の理だが、「経済成長すれば常に私たちは豊かになる」と思い込むのは、初歩的な間違い。

〔聞き手〕

・でも、なぜ多くの一般の人や、経済学者ですら「ここを超えたら経済成長は不経済成長になる」ということがわからないのでしょう?

〔デイリー〕

・生産の便益だけを測って、環境的・社会的なコスト(犠牲や代償、費用など)を測っていないから。→ 経済成長が生み出す〝富の副産物〟の問題に、知らん顔をしている。…ex. 先ほどの温暖化の問題、核廃棄物や原子力発電のリスク、生物多様性の危機、鉱山や油田などの枯渇、森林消失、表土の浸食、干上がる井戸や帯水層、海面の上昇、メキシコ湾のデッド・ゾーン(酸欠で生物のいない海域)、海に渦巻くプラスチックゴミ、オゾン・ホール、危険できつい労働、(実際には不可能な領域まで象徴的な金融セクターの成長を押し上げようとすることがもたらす)返済不可能な負債(※サブプライムローン?)など…、経済成長の環境的なコストや社会的なコストはいくらでも挙げることができる。

〔聞き手〕

・でも、全体として経済成長の便益と比べたときに、現在すでに「不経済成長」の領域に入っているということは、どうやってわかるのですか?

〔デイリー〕

・先進国はすでに「不経済成長」の領域に入っているという証拠はたくさんある。統計的な実証的証拠として、二つ挙げる。

(1) GDPの中身を「費用」と「便益」に分けて、GDPから「費用」の部分を差し引いて、経済成長の実質的な「便益」を概算するやり方。

→ この考え方に基づき、「環境汚染の経済的な損失」を考慮に入れた持続可能経済福祉指標(ISEW)や「人の幸福に影響を与える項目」を加えた真の進歩指標(GPI)が開発された。→ どちらの計算結果を見ても、「ある時点から、GDPが増えても、ISEWやGPIは増えなくなる」ことがわかる。米国や他の先進国では、1980年ぐらいまではGDPとGPIが正の相関を持っていたが、その後は、GDPは上昇を続けているのにGPIは横ばいとなっている。→ 環境破壊などの費用が増しても、福利や幸福といった便益は増していない、ということ。

(2) もう一つの証拠は、自己評価による幸福度の測定。

…様々な幸福度の研究によると、幸福度の自己評価は、1人当たりのGDPが年2万ドルぐらいになるまでは、1人当たりGDPとともに上昇し、そこで上昇が止まる。→ この結果の解釈として、幸福度にとって、実質所得の絶対額は充足ラインまでは重要だが、それを超えると、自分自身のアイデンティティを構成する人間関係の質の影響が大きくなる、と言われている。…特に、所得が高い国々では、幸福の圧倒的な決定要因となるのは、友人関係、結婚、家族、社会的な安定性、信頼、公正さなどであって、1人当たりのGDPではない。→ もし私たちが、労働の移動性や副業、四半期ごとの財務リターンなどのために、友人関係や家族との時間、信頼などを犠牲にするとしたら、GDPは増やしながらも幸せは減らすことになってしまうだろう。(※う~ん、1人当たりのGDPが年2万ドルぐらいで、経済成長は止めるべき、ということか…?)

・これらの二つの証拠からわかるのは、充足レベルを超えたあとは、GDPの成長は、自己評価による幸福度も、経済的に試算された福祉・幸福も増やさない、ということ。←→ しかし、枯渇、汚染、渋滞、ストレスなどのコスト(費用)は増大し続けている。

・(先ほど話したように)貧困の中にある途上国にはまだ経済成長が必要だろう。そういう国では、経済成長の限界便益は、その限界費用よりもまだ大きい。←→ しかし先進国は、経済成長が生み出すプラスよりもマイナスが多くなっているわけだから、その時点で経済成長はやめて、別のやり方で様々な問題に対応していく必要がある。

・そして、私たちは「いっぱいの世界」を共有しているわけだから、経済成長の必要な途上国が適正なレベルまで経済成長できるよう、先進国は定常経済へと移行して、資源やエネルギーを途上国に回すべきだろう。…豊かな国は、貧しい国が成長できるよう、自然資本を開放しなくてはならない。→ それによって、資源使用量は万国共通の水準へと収斂していくことになる。…そのときの資源使用量のレベルとは、良い暮らし(贅沢な暮らしではない)にとって十分であり、長期的な未来にわたって持続可能なレベルとなる。(※う~ん、これが実現できていれば、〝テロ〟などはほとんど起きないのではないか…? つまり、本当のテロ対策…)

・「豊かな国の経済成長が鈍化すれば、貧しい国の輸出市場が縮むため、貧しい国にダメージを与えてしまう」と心配する人もいる。→ しかし途上国は、自国内の市場を開発し、輸出主導型モデルから内需主導型モデルへとシフトすればよい。先進国も、高い失業率を前に、いつまでも生産と雇用の海外移転を続けることはできない。(※振り返って〝現実の世界〟を見るに、〝人類の英知〟はまだまだこの程度、ということか…)



【2章】「定常経済」とは何か

〔※この章は、枚数の関係でなるべく要点だけにとどめる。詳細は本書を参照ください。〕



1.「定常経済」の着想と戦い


〔聞き手〕

・そもそも「定常経済」という考え方はどこから出てきたのですか? デイリーさんは最初から「定常経済」を考えていたのですか?

〔デイリー〕

・私も最初は、成長経済を信奉する経済学者の一人だった。今も多くの人がそうであるように、「経済成長こそが、様々な問題に対する主な解決策だ」と信じていた。→ その私の考えを変えた要因はいくつかある。

①古典派経済学を勉強したこと。

…ジョン・スチュアート・ミルをはじめ古典派経済学者たちは「将来は定常経済に向かっていくし、それが望ましい」と考えていた。←→ 今のアメリカでは、経済学を学んでも、こういった古典派経済学はカリキュラムに入っていない。だから「定常経済」という考え方に出会わない(※〝マネー資本主義〟の経済工学しかやらない…?)。そういった教育があったから、定常経済という考え方があることを知ることができた。

②様々な環境面での代償について知ったこと。

…1960年代、レイチェル・カーソンの『沈黙の春』などを読み、大きな影響を受けた。(※『沈黙の春』新潮文庫2014.6.5 76刷)

③「熱力学の第二法則(エントロピーの法則)が、経済の中で何が可能かを決定する。経済の中で増加するエントロピーは、経済が達成・維持できる規模を制約することになる」という考え方に出会い、大きな影響を受けたこと。

④1967年からの2年間、ブラジルで経済学を教えたこと。

…そこで、干ばつや水不足、すさまじい人口爆発を目の当たりにしたことも、私に大きな影響を与えた。

・こういった様々なことから、私は定常経済に関心を持つようになった。…地球は有限であり、われわれ人間はそのサブシステムなのだから、いつかは成長をやめるべきだと考えるようになった。→ 進歩とは、量的な増加ではなく、質的な向上である、つまり成長(growth)から発展(development)へと、考えが変わっていった。1965年から67年頃のことだった。

〔聞き手〕

・「定常経済」という考え方への反応はどうでしたか?

〔デイリー〕

・当時、私はルイジアナ州立大学で経済学を教えていたが、同僚たちは「変なことを言い出した」と思ったよう。…「世界のあらゆる問題に対する解決策は経済成長だ」とみんなが信じていたから。→ この大学には21年間勤めたが、最後の方には、学部の方向性が新古典派経済学へと向かっていったから、私にとってはとてもやりにくい状況になった。

・その後、たまたま縁があって世界銀行に採用され、6年間(1988~94)世銀で働き、主に持続可能な開発の政策づくりに関わった。(経済成長こそが解決策だと考える世銀の中で、定常経済を主張するというのは)戦いだった。…しかし、助力もあった。定常経済に対して世銀の中にも共感してくれる人たち(これまでの考え方に疑問を持つようになっていた人たち)がいたから。→(学問の世界の経済学者に比べて)世銀に勤めている経済学者の方が、実際の世界に出て行って何かをやろうとし失敗する、という経験をしているから、それだけ謙虚なのだ。

・その後、メリーランド大学で15年間、教鞭を執ったが、経済学部ではなく、公共政策学部だった。経済学者たちは、私と関わりを持とうとはしなかった。…今でも私は経済学の主流からは外れたところにいる。「成長が大事だ」と考えている人たちが主流だから。


2.「定常経済」とは何か


・定常経済とは、基本的に「一定の人口と一定の人工物のストックを持つ」経済。…これが定義の前半。…人間も人工物も、エントロピーの法則に従っている。→ 人間は年老いて死んでいくし、机や椅子も壊れて取り換えなくてはならなくなる。→ エントロピーの法則に従う人口や人工物を一定に保つためには、メンテナンスをしたり、最終的には置き換えたりするための資源が必要になる。→ この資源を地球から取り出し、汚染物として地球に排出するところまでのスループット(※入口から出口までの物質やエネルギーの流れ)が必要になる。

・スループットは、人口と人工物を維持するための不可避的なコストだから、それぞれのストックの水準を維持できる範囲で、最小化すべきもの。⇒ そこで、定常経済の定義は、「一定の人口と一定の人工物のストックを、可能な限り低いレベルでのスループットで維持するもの」となる。

・「可能な限り低いレベル」とは…

①地球が支えられる扶養力の範囲内である、ということ。

…地球の生態系は、人間の経済にとって、入口での低エントロピーの物質・エネルギー(資源)の供給源であり、出口での高エントロピーの物質・エネルギー(排出物)の吸収源。→ この供給源および吸収源にかかる圧力が、地球の支えられる範囲を超えていては、いくらそれ以上は成長しないといっても、持続可能ではない。

②人口と人工物を維持するスループットの水準は、「長期間にわたって人々が良い暮らしを送るのに十分である」必要がある。→ そうしたとき、進歩とは(物理的な量的拡大ではなく)質の向上を通して得られることになる。…デザインや技術、倫理的な優先順位の向上などが発展の要素となってくる。

〔聞き手〕

・「現在の人間活動を支えるのに地球はいくつ必要か」を計算するエコロジカル・フットプリントの最新の値は、1.5です。つまり今の私たちの活動を支えるのに、地球は1.5個必要なのです。→ 地球は1個ですから、1以下に下げなくてはならないのですよね?(※この1.5という数値の根拠は、本書では語られていない…)

〔デイリー〕

・ええ、今のまま定常状態にシフトしても、持続可能ではない。→ 特に先進国は、まずは脱成長して規模を縮小し、持続可能な水準になってから、定常化を図る必要がある。(※う~ん、1.5 → 1 に下げるというと、現在の2/3に規模を縮小…これは相当厳しい条件…)

・また、「地球の扶養力」といったときに、二つの種類の資源を区別する必要がある。…「再生可能な資源」と、人間の時間軸では再生できない「再生不可能な資源」。→ 再生不可能な資源については、今すべて使ってしまうのか、それとも未来世代と分かち合いながら使っていくのか、という倫理的な問いに直面することになる。

・「持続可能性」については、次の三つの条件がある。

(1)「再生可能な資源」の持続可能な利用速度は、その資源の再生速度を超えてはならない。…ex. 魚を獲る速度は、残りの魚が繁殖して数が増える速度を超えてはならない。

(2)「再生不可能な資源」の持続可能な利用速度は、再生可能な資源を持続可能なペースで利用することで代用できる速度を超えてはならない。…ex. 石油を持続可能なペースで利用するためには、石油使用による利益の一部を風力発電、太陽光発電などに投資し続け、埋蔵量を使い果たした後も同等量の再生可能エネルギーを利用できるようにすることが必要。(※う~ん、これは〝資本の論理〟では無理で、なんらかの法的な規制・枠組みが必要になるだろう…)

(3)「汚染物質」の持続可能な排出速度は、環境がそうした汚染物質を循環・吸収・無害化できる速度を上回ってはならない。…ex. 持続可能な形で下水を、川や湖、地下の帯水層に流すには、バクテリアなどの有機物が、水生生態系に過大な負荷をかけたり、不安定にしたりすることなく、下水の栄養分を吸収できる速度を超えてはいけない。(※う~ん、この条件では、放射性廃棄物の処理方法はまだ確立されていないから、現時点では原発はアウト…)

〔聞き手〕

・この三条件を見ると、基本的に閉じたシステムであり、成長しない有限な地球の上で、経済を営むとはどういうことなのかがわかってきますね。

〔デイリー〕

・(先ほど述べたように)物理的な富が増えていくとき、あるところからは、富が増えても幸せはそれ以上増えなくなる。→ より幸せにならないとしたら、何のための成長なのか? …再生不可能な資源を未来世代と共有するとき、そのバランスも考えなくてはならない。→ (今があってこその未来だから、まず今必要なものを考えるべきだとは思うが)未来世代にとっての「必要なもの」は、現世代の「ぜいたくなもの」よりも上位に来るべき。(※年金問題も…?)

〔聞き手〕

・定常経済とGDPの関係について…定常経済とは、GDPが成長しない経済と理解すればよいのでしょうか?

〔デイリー〕

・定常経済の観点からすると、GDPの多寡や成長は関係ない。…GDPは、人々の幸せを測るためのものとしてはお粗末な尺度。→(私は政策として「GDPを一定にすべき、ゼロ成長にすべき」と言っているわけではなく)一定にすべきは、物質とエネルギーのスループット(※これが環境経済学の立場か)。…GDPの中には、ストックを保つためのものもあるから、「GDP自体を一定に保つべき」という言い方ではないほうがいいだろう。

・また、量的な拡大ではなく、質的な発展の可能性はある(ex. あなたが持っているiPadだって、ニーズを満たしたり、幸せをつくり出したりする)。→ それがスループットの増大を伴っていない(これほど良くない他のものから資源を再配分することでつくり出される)としたら、これは質的な向上となる。…そのときに、より高い価値を生み出したためにGDPが増えることもあるだろう(※同量以下の資源で、より高い付加価値を生み出した)。⇒ GDPに関しては、プラス面とコスト面に分けて計算すべき。…現状では効用もコストもすべて足し合わせているが、分けて計上し、限界費用と限界効用を比べるべき。(※う~ん、現状ではGDPの計算方法は大雑把すぎるし、お粗末な尺度…)


3.なぜ経済学は「成長」にしがみつくのか


・世間の多くも経済学者も、大事な区別(「相対的希少性」と「絶対的希少性」との区別)ができていない。…「相対的希少性」とは、「ある資源」が、「他の資源」と比較したとき(または同じ資源の低品質なものと比べたとき)、希少である、ということ。…「絶対的希少性」は、「人口と人口一人当りの消費水準」に比べて、すべての資源が「全般的に」希少である、ということ。(※「相対的」とは、代わりになるものがある、ということ…?)

・まず、相対的希少性に対する解決策は「代替」(ex. 石油が希少になれば、天然ガスで代替すればよい)。…この「代替」というのは常に、ある形態の低エントロピーの物質・エネルギーを別のものに替えるということ。→ 形態を替えることはできるが、もともとの低エントロピーのもの自体(※資源全般?)の代替はない、ということが大事なこと。…そして、低エントロピーのものは、地球の資源(ストック)にしても太陽エネルギー(フロー)にしても、希少だ。

・人間の経済も、生物圏の人間以外の部分も、同じ低エントロピーの限られた量に頼っている。…人間界のエントロピーは、人間以外の世界から低エントロピーのものを持ち込み(採取)、高エントロピーのものを戻す(排出)ことを絶えず行うことで、低く保たれている。→ もし、あまりにも多くの低エントロピーのものが人間界の経済成長に持っていかれてしまうと、生物圏の生命を支えている複雑なシステムは崩壊し始めてしまう。

・人口と一人当りの消費の成長は、(相対的希少性ではなく)絶対的希少性を増大させることになり、(代替の効かない)低エントロピーのものへの圧力を増すことになる。←→ ところが、伝統的な経済理論では、あらゆる希少性は相対的なものだと考えられてきた。「自然には、特定の希少性はあるが、避けようのない全体的な希少性はない」というのだ。→ 従って、その考え方では、希少性への答えは、常に「代替」。…相対的な価格が変われば、代替が誘発されるから、望ましい政策は、汚染税などによる「外部性の内部化」だということになる。…「環境汚染の問題は、資源の配分がちょっと間違っているのを、汚染税によって正せばよいだけだ」と言っている経済学者もいるほど。

・しかし、絶対的希少性の増大に対してはどうか? → 価格を操作しても、代替を誘発するだけだから、絶対的希少性の増大には効果的に対処できない。…資源全般に対する代替があるのか? すべての資源の相対的な価格を上げることは可能なのか? → そんなことをしたら、代替ではなく、インフレが起きるだけだ。

・「あらゆる希少性は相対的なものだから、代替によって解決できる」と考えるのが〝成長狂〟で、逆に「希少性には絶対的なものがあって、代替によっても解決できない限界がある」と考えるのが〝定常状態〟。→ 〝成長狂〟からは、「技術はこれまでのように〝幾何級数的に成長〟し続けるだろうから、経済成長も無限に続けられる」という主張がなされるだろう。

・一つ確かなことは、「どのような技術だとしても、熱力学の法則が当てはまる。従って、いくら優れた新技術でも、絶対的希少性をなくすことはできない」ということ。←→ しかし、経済成長というイデオロギーは、入門レベルの経済学の常識的な論理を超越している。…そのイデオロギーにおいては、経済成長は国家の力と栄誉の基盤なのだ(※「ニッポンを取り戻す!」…)。→ 経済成長が続けば、誰も犠牲にすることなく、すべての人が繁栄できるかもしれない。経済成長があれば、再分配をしなくてもすむ、と考える。…ややこしい問題に立ち向かうよりも、経済成長が続くと信じる方がラクなのだろう。


4.経済学における「定常経済」の系譜


・古典派経済学者たち(アダム・スミス、ジョン・スチュアート・ミル、ケインズなど)は、成長経済から安定した経済への移行を考えていた。…アダム・スミスは、経済成長の限界を認識し、「成長が最大続いたとして200年、その後は人口は安定する」とまで予測していた。…ミルは、19世紀半ばに定常経済の考え方を展開し、「成長期の後、経済は、人口や資本ストックが一定であることを特徴とする〝定常的な状態〟に達するだろう」と考えた。

・米国では1946年に完全雇用法…当時は、完全雇用こそ米国の大きな目標であり、その手段として成長が必要と考えられていた。←→ ところが、今ではこれが逆転してしまい、成長が自己目的化している。…(なぜ、そうなってしまったのか)経済成長は、それを先導している人たちにプラスをもたらすから(大企業などは、経済成長やグローバル化などからメリットを得ている)。豊かな人がさらに豊かになっている。〔※資本主義の本質は、資本の自己増殖…〕

・米国の政治を見れば、すべてが経済成長…今なお、経済成長こそがあらゆる問題の解決策。←→ 他方、「経済成長には代償が伴う」という認識は広がってきている。→ 枯渇、汚染、社会的なストレスといった代償に目を向けよう、そういった代償を測定しようという動きもある。…しかしまだ、そういったコストや代償を、経済成長がもたらすプラス面と分けて比べることはしていない。→ それができれば、「経済成長のコストのほうが、そのプラスよりも大きくなっている」ということが言えるのだが。


5.技術だけでは解決できない


・「技術」は、経済成長至上主義者たちのお城の礎になっている。…「技術が進歩し続ける限り、経済成長は続けられる」と考える人はたくさんいる。←→ しかし(先ほども言ったように)どんな技術をもってしても、絶対的な希少性はなくせない(熱力学の法則からは逃れられないのだから)。→ 技術にかかわらず、あらゆる生産には、エントロピーの低い(質の高い)物質やエネルギーが必要で、結果として、エントロピーの高い(質の低い)ものが排出される。

・持続可能な経済を実現しようとするなら、相対的な改善では不十分。…なぜなら、経済が成長する限り、資源消費や廃棄物の排出の絶対量は増えてしまうから(燃費が改善しても、走行距離が増え続ければ、必要なガソリン(※絶対量)は減らないどころか増えてしまうのと同じ)。⇒ そうではなく、絶対量が減ることが必要なのだ。(※地球は一個しかない…)

・この数十年間、相対的な改善については大きな進歩があったが、経済成長がその効果を帳消しにしてしまっている(ex. 効率改善によって、GDP当たりのCO2排出量は確かに減っているものの、経済成長によって、実際のCO2排出量(絶対量)は増えてしまっている)。→(エントロピーの法則から、「生産プロセスにおいて100%の効率を達成することはできない」ことがわかっている)…つまり、効率改善の限界に達した後も経済を成長させようとするならば、エネルギーを含む自然資本の使用量を増やすしかない、ということ。…そして、自然資本の量には限りがあるのだ。

・また、経済成長のシステムに「技術の活用」が織り込まれていると、危険なサイクルが生まれることになる。…このサイクルの最初の段階は「経済成長」で、人口と消費が増える。→ この増加によって、次の段階に達する。…成長の限界にぶつかって、資源の供給が減り始める(※オイルショック)。→ 第三の段階は、その限界を何とかするために技術的な方法を発展させる(※省エネ技術など)。→ この技術的な方法によって、社会は第四の段階に到達する。…限界を押し戻して、一息つく状態。→ ここで、この猶予をさらなる経済成長のために用いようとすると、サイクルは最初の段階につながることになる。(※まさに、日本の戦後のサイクルか? → 今また、「さらなる経済成長で消費を増やせ!」…)

・このサイクルが危険なのは、時間の経過とともに、限界がどんどん深刻になっていくこと。…最初は局所的な公害といった小さな問題だったのが、気候変動や広範な生態系サービスの喪失といった大問題になっていく。…技術の力で経済成長がもたらす問題の一部を軽減することはできる。しかしそれは、技術によって得られた猶予を「永遠の経済成長」という不可能な目標のために浪費してしまわなければ、ということ。

・(定常経済での技術や進歩の位置づけ)…定常経済では、技術の進歩に対するインセンティブ(経済的誘因)は極めて大きなものになる。なぜなら、よりよいモノやサービスを求めることには変わりないし、物質やエネルギーの投入量が一定になるわけだから、技術の進歩こそが質の向上を生み出す重要な源泉になるから。

・現在の社会のように、経済成長にとりつかれている社会では、技術はつねに経済の規模を大きくするために使われ、その結果、地球から取り出して加工する資源はどんどん増えていく。…その技術の妥当性は問われない。経済を成長させ続けるために必要なのだから。

・定常経済では、(ベンチャー企業や新しい事業が生まれ、他方、廃れていく産業や企業もあるのは変わらないだろうが)そこでの競争力の源泉は、「より少ない自然資本で質の高いモノやサービスを生み出す能力」になる。…そこでこそ、技術力が大きな鍵を握ることになる。


6.「定常経済」と雇用


〔聞き手〕

・定常経済になると、雇用が失われ、失業が増える、と心配する人もいます。

〔デイリー〕

 ・(先ほど述べたように)かつては「完全雇用こそ国の大きな目標であり、その手段として成長が必要だ」と考えられていたのに、今では逆転してしまっている。→ 自由貿易や海外生産、(安価な労働力としての)大量の移民、省人化技術の採用を推し進める成長経済で、完全雇用は実現可能なのか? …成長経済では、成長が自己目的化しており、「経済成長のために雇用を損なうことがあっても、仕方がない」と考える。

〔聞き手〕

・「不完全雇用にしておいたほうが、人々は競争するから、経済成長に役立つ」と言う人もいますね。

〔デイリー〕

・定常経済では、雇用はより安定し、地元企業は地域社会の活性化に大きく貢献することになる。…定常経済の特徴の一つは、人口が安定していること。→ 人口が安定していれば、生産年齢層の人口が増え続け「絶えず雇用を創出し続けなくては」という圧力がかかるということもない。(※日本は逆に、これから生産年齢人口が減り続ける…『デフレの正体』)

・現在の経済のように、オートメーション化が進められ、生産やサービス提供も人件費の安い海外でとなると、総生産のうち資本へ渡る分(企業や企業オーナー、株主が得る利益)が増え、結果として、労働者に回る分が減ってしまう。→ とすると、「雇用を通じて所得を分配する」という原則が維持しにくくなってくる。

・定常経済のもう一つの大きな特徴は、物質やエネルギーが効率的かつ持続可能に利用されること。→ これからは「人手をかけても、資源の消費量を減らすこと」、つまり(労働生産性よりも)資源生産性を重視する時代となる。…また定常経済ではメンテナンスや修理がより重要になるだろう。そういったサービス業は、(新規生産に比べて)労働力への依存度が高い労働集約的な産業であり、海外移転もしづらいから、より多くの雇用を提供できるだろう。


7.「経済成長」と「定常経済」に関する誤解・反論・心配への回答


・「定常経済」と「うまくいっていない成長経済」との混同……成長を前提とした経済が成長できなければ、確かに悲惨だろう(※アベノミクスも…?)。←→ しかし私が言っているのは、成長ではなく、定常を前提とした経済に設計し直すということ。→ 定常を前提として設計された経済なら、成長しなくても悲惨なものにはならない。…定常経済における安定は健全な状況。→ そのおかげで、人々は地球の生命を支えているシステムを損なうことなく、自分たちのニーズを満たすことができる。

・自然の経済と同じく、人間の経済も、栄養理論から考えることが役に立つだろう。…自然界では、「生産者」は植物。→ 植物は、光合成をすることで、自分の食べ物を文字通り〝生産〟する。→ 草食動物が植物を食べ、肉食動物が草食動物を食べる(植物も動物も食べる雑食動物もいる)。→ そして、死体やゴミを食べたり分解したりする「サービス提供者」の役割を果たす生物種(※バクテリアなど)もある。

・人間の経済も、同じ自然の法則に従っている。…「生産者」は、農業と、木材伐採・採掘・漁業などの〝取り出す〟業界(※第一次産業)。…(アダム・スミスが『国富論』に書いたように)農業の余剰のおかげで、分業と経済成長が可能になる。→ 私たちの経済で〝草食動物〟にあたるのは、〝生産者〟の原材料を消費する製造業(※第二次産業)。…〝肉食動物〟は高次の製造業。→ また、シェフや用務員、銀行家、情報産業などの〝サービス提供者〟もいる(※第三次産業)。

・大事な点は、「経済は統合された全体として成長する」ということ。→ 製造やサービスが増えれば、それだけ農業や〝取り出す〟業界の余剰が必要になる。…(先ほど説明したように)効率には限界があるから、経済成長のためには、より多くの自然資本が必要になり、より多くの廃棄物や汚染を生み出すことになる。

・経済成長(正しく測れば〝不経済成長〟)がなければ、真の進歩がようやく可能になる。…もしすでに不経済成長の時代に入っているのだとしたら、貧困への解決策は、将来の成長という空約束(※アベノミクス…?)ではなく、再分配に見出すべきではないか?

・〔「定常経済」は平和にもつながる〕…成長している経済は、他国の生態系や、残っている地球全体のコモンズ(共有財産)にまで、侵出して行かざるを得ないだろう。それこそが「グローバリゼーション」なのだ。…「グローバル化は平和で協力的なプロセスだ」というイメージが描かれるが(※TPPも…?)、経済成長が支配する世界では、今後もずっと平和で協力的であり続けることはないだろう。(※ここも前回の水野氏と近い見解…)

・有限の世界で、どの国も経済成長を最大化しようとしている…その中で、どうやって平和にやっていけるというのだろうか? → 戦争への誘因となることは、計上されていない経済成長の大きなコストの一つ(※ex. 海底資源をめぐる争い…?)。⇒ それを減らそうというのは、「定常経済」を支持する重要な論拠となる。…戦争への誘因は、40年前に比べて大きくなっている。もしかしたら、「定常経済」が平和運動の一環として見られるようになる日が来るかもしれない。



【3章】どうやって「定常経済」へシフトするのか



1.「うまくいかない経済成長」から「定常経済」へ


・ここで考えるべきは、「経済成長とは、定常状態になる前の、ある十分なレベルに達するまでに必要な一時的なプロセスだと考えているのか?」、それとも「成長を続けること自体が望ましいと考えているのか?」ということ。→ 現代の新古典派経済学者の99%は、「永久に成長を」…その理由は、経済成長がなければ、貧困問題の解決策は再分配しかないが、それは忌み嫌われる考え方(※資本側の取り分が減ってしまうから…?)。また、経済成長がなければ、環境の修復への投資を増やすには現在の消費を減らすしかない。これも忌み嫌われる考え方(※消費大国のアメリカはとくにそうか…この項、詳細はP46~48)


2.持続可能な経済への移行には、考え方の移行が必要


〔聞き手〕

・経済は私たちの暮らしの土台であり、その経済は地球の生態系に支えられているわけですから、経済も地球も持続可能でなくてはならない。そのためには、どのように考えていけばよいのでしょうか?

〔デイリー〕

・GDPという概念は、質的な向上(発展)と量的な増大(成長)をごっちゃにしている。→ 経済が持続可能であるためには、どこかの地点で、量的な増大(成長)は止めなくてはならない。しかし、質的な向上(発展)は止める必要はない。…ex. 製品のデザインの質的な改善を制約する理由はない。→ 製品デザインが良くなった結果、使用される原材料の量は増やさずに、GDPを増やす(※付加価値が増える)ことだって可能。⇒ つまり、「持続可能性」という考え方を基盤として、進歩の道筋を(持続可能ではない「量的な成長」から)持続可能であろう「質的な発展」へとシフトしていくことが必要。

・「スループット」(「物質エネルギー・フロー」と呼ぶこともある)…地球の(どのくらいの原材料を供給できるかという)供給力と、(最終的な廃棄物をどのくらい吸収できるかという)吸収力に照らし合わせることで、この「スループット」で持続可能性を定義することができる。

・多くの新古典派経済学者は「人工資本は、自然資本のよい代替物となる」から、自然資本と人工資本の合計を維持すればよい、と主張する。←→ それに対して、(私も含めて)多くの生態経済学者は、「自然資本と人工資本は、代替するというより、補完し合うものであることが多い」と考え、「自然資本はそれ自体として維持すべきだ」と主張する。なぜなら、自然資本こそが(※有限だから)生産や経済の制約要因になるから。

・自然資本の維持につながる最もよいやり方は、「キャップ・アンド・トレード」というシステム…「上限(キャップ)を設けて、上限までの量を何らかのやり方で分けて、あとは個々に売買(トレード)することで、個々のニーズを満たす融通性を持たせつつ、全体としては上限の範囲内に抑える」仕組み(詳細は後述)。→ こういった仕組みは、すでにあちこちで導入され、成果を上げている。…ex. 米国での、環境庁が酸性雨を抑制するために、二酸化硫黄(SO2)の排出権を売買する仕組み。ニュージーランドの、個々人が漁獲割当量を売買することで乱獲を抑える仕組み。また、CO2排出量に対する仕組みは、「排出量取引制度」と呼ばれ、環境を守るために、市場の機能を活用。

・キャップ・アンド・トレードの仕組みは、自由市場と政府の政策が果たす明確な役割の好例といえる。←→ 経済理論は従来、希少な資源を競合する使途に割り当てるという「配分」の問題を扱ってきたが、生態系に比較しての経済の物理的な大きさという「規模」の問題は扱ってこなかった。…適切に機能している市場は「資源の効率的な配分」はできるが、「持続可能な規模を決める」ことはできない。⇒ それができるのは、政府の政策だけ。(※もはや「いっぱいの世界」では、政府の長期的な政策が重要になってくる、ということか…詳細はP48~52)


3.「定常経済」へシフトするために必要な「10の政策」

〔※この最後の項は、具体的な政策提言なので、少していねいに見ていく〕


・現在の持続不可能な成長経済から、定常経済へと移行するための具体的な政策提言を10項目説明する(現在の基準から見ると、少し急進的に見えるかもしれないが、「経済成長を続けることが正当である」という主張に比べれば、非常識でも非現実的なものでもないだろう)。

①基本的な資源に対して、「キャップ・アンド・トレード」の仕組みを設ける

・まず「キャップ(上限)」を決める。…具体的には、資源を地球から取り出すところか、廃棄物を地球に戻すところか、どちらかより制約のあるところで「割当量」を決め、生物物理的な規模を限定する。→ 次に、その割当量を「オークション」によって公正に再配分する。→ 再配分後の割当量を売買取引することで、最も高い料金を払う使途に効率的に割り当てることができる(「キャップ・オークション・トレード」とも呼ばれる)。

・つまり、キャップ(上限)は「持続可能な規模」という目標を、オークションは「公正な配分」を、トレード(売買取引)は「効率的な割り当て」をと、三つの目標を三つの政策手段で満たすというわけ。→ 同じやり方を、漁業や森林といった再生可能な資源からの採取を制限するためにも使うことができる。(詳細はP52~53)

②環境税を改革する

・地球の供給源から何かを取り出したときに、その量に応じて課税する、または、地球の吸収源に何かを吸収してもらうときに、その量に応じて課税するというように、課税の基盤を、(現在の「労働」と「資本」から)自然から取り出す「資源」と自然に戻す「廃棄物」へとシフトする。→(希少だがこれまでは価格のついていなかった)自然の貢献に価格をつけることで、外部コストを内部化するとともに、より公正なやり方で税収を得ることができる。

・生産過程で生み出される付加価値(総生産額-原材料費で計算可能)は奨励したいものだから、それに課税するのはやめる。←→ 自然の枯渇や廃棄物の排出は減らしたいものだから、課税する。…自然の枯渇や汚染など「ほしくないもの」に税金を課して、所得など「ほしいもの」への課税を減らすというのは、合理的。人は、自分自身の努力でつくり出した付加価値に課税されてもっていかれるのは好まないが、希少な資源を使うことへの課税には抵抗はない(誰も価値を付加していないから)。〔※う~ん、初めて聞く考え方…〕

・この環境税の改革は、キャップ・アンド・トレードの仕組みの代わりに用いることもできるし、補完的なものとして両方を用いることもできる。…ex. 米国では多くの州に「セバランス税」があって、地表から石油やガス、鉱物を分離・生産する事業に対して、その量に応じて税金を徴収している。→ こういうことを広げていけば、生産と消費における資源の利用の効率が高まるし、こういった課税なら、モニタリングや徴収も比較的簡単。

・このような形式にすると、「貧しい人たちは(豊かな人たちよりも)所得のうち税として払う割合が高くなるから、消費税のような逆累進課税になってしまう」と心配する人もいるが、それに対しては、税収の累進的支出 …貧しい人たちの支援に厚く支出したり、贅沢品への贅沢税を課したり、高額所得への所得税は残しておく等…様々な方法で手を打つことができる。

③「最低所得」と「最高所得」の間の所得格差の幅を制限する

・成長が〝不経済〟(我々を豊かではなく貧しくする状況)では、成長によって貧困を解決することはできない。→ 経済が総量として成長しない中での解決策は再分配。…(完全な平等は公平ではないだろうが)無制限な不平等も不公平。→ どこまでの不平等が許されるか、公平な範囲を探すことになる。

・米国では、行政や軍、大学での所得格差は15対1~20対1の範囲でおさまっているが、企業では500対1以上の格差(※ex. 年収で200万円←→10億円以上!)がある。多くの先進国の企業では、格差は25対1以下。日本企業は10~15対1ぐらい(※年収200万円←→2000~3000万円ぐらい…う~ん、もっと格差は大きくなっているのでは…)

・米国でもこの差を、100対1に制限してみたらどうかと思っている。…例えば最低の年収が2万ドル、最高が200万ドル(※1ドル=100円とすると200万円←→2億円…これでも格差あり過ぎ?)…これだけの差があれば、仕事のインセンティブ(経済的誘因)には十分ではないか。→ 年収の上限に達したら、仕事が楽しいならそれ以上は無償で働いてもよいし、余った時間を趣味やボランティアに充ててもよいだろう。

・上位の人たちの所得制限によって需要が減る分は、それより下の人たちが満たすことになるだろう。…所得格差が大き過ぎると、民主主義に必須の〝共同体意識〟が維持しづらくなる。→ 大きな所得格差で隔てられた「豊かな人々」と「貧しい人々」は、ほとんど別の生物種であるかのように、共通の経験や関心がなくなってしまう(※ex. 塀に防護された町…)

・こうした格差はこれまで、「格差があることで経済成長を促すことができる。経済成長すれば、いつの日か、全員が豊かになる」と正当化されてきた。…この論拠は、「空いている世界」では表面的にはもっともらしく聞こえたかもしれないが、現在の「いっぱいの世界」ではおとぎ話だ。→ そして、「稼いでいない富」が世代を超えて蓄積されるのを抑えるために、かなりの相続税も必要。(※ピケティも富裕層への「資産課税」を提言…)

④就業日・週・年の長さを縛らずに、パートタイムや個人の仕事の選択肢を増やす

・経済が成長しない場合、全員をフルタイム雇用することは難しくなる。→ 労働日の長さを、働く人が選択できる変数にしていく必要がある。(※いま問題になっている〝資本側の都合や利益のためのまやかし〟ではなく、「合理的なワークシェアリング」は実現すべき…詳細はP56)

・また、「もっと消費しよう。その支払いのためにもっと働こう」とあおる広告で、労働と余暇の選択にバイアスをかけるのを止めなくてはならない。→ 少なくとも広告を「所得控除可能な生産費」として扱うのはもうやめるべき。…(「必要もないものを、持ってもいないお金で、知りもしない人に対する見栄のために買う」のがよいと人々を説得するための)数十億ドルの支出を、控除という税制で補助するのは本当によいことなのか?〔※確かに最近の企業広告は、ただ消費を煽るようなものが多すぎる? → 昨今の(広告主の)企業の劣化と、(広告収入で生き長らえている)民放TV局や新聞・雑誌などの劣化とは、つながっている …?〕

⑤国際貿易を規制し、自由貿易、自由な資本の移動性、グローバル化を制限する

・これまで挙げたキャップ・アンド・トレードや環境税の改革など、環境コストを内部化するための国内施策をとると、製品の価格が上がる。→ すると、そういったコストを内部化していない国との国際貿易では、競争上不利な立場に置かれる。→ そのときすべきことは、(効率の悪い企業を守ることではなく)相殺関税をかけること。…そうして、環境コストを内部化していない(つまり、実際には生じさせている社会的・環境的コストを払わずにすんでいる)海外企業に負けないようにする。

・この「新しい保護主義」は、(より効率の高い海外企業から効率の悪い国内企業を守るために行なわれていた)「古い保護主義」とはまったく異なるもの。……「グローバル経済との統合」と「世界の他の国々よりも、より高い賃金、環境基準、社会のセーフティ・ネットを持つこと」は、両立不可能。→ 貿易と資本の移動性は、 (無規制や〝自由〟なものではなく)バランスのとれた公正なものであるべき。〔※う~ん、きわめて大胆な(そしてまっとうな?)政策提言…TPPなんか、ぶっ飛んでしまう。…だが、国際的な〝孤立化〟の恐れも…?)

・それぞれ独立した国家経済の相互依存は認めるべきだが、ひとつのグローバル経済への統合は拒否すべき。…関税は国家歳入のよい源泉でもある。→ こういった考え方は、WTO(世界貿易機関)、世界銀行、IMF(国際通貨基金)とぶつかるだろうから、次のことが必要になる。

⑥WTO・世銀・IMFを〝降格〟させ、ケインズの当初の計画のような組織にする

・ケインズが考えていたのは、多国間の支払いを決済するための「国際清算同盟」だった。…(赤字だけでなく、黒字にも罰則的な金利を課す。…ex. 米国は世界に対する多額の赤字のために罰金を支払い、中国も黒字に対して罰金を支払うことになる)→ こうすることで、経常収支のバランスをとることができ、多額の対外債務や資本の移動を避けることができる。

・このように赤字にせよ黒字にせよ、その不均衡には、金銭的なペナルティによって調整圧力がかかる。→ そして、必要であれば(ケインズが「バンコール」と呼んだ)決済通貨に対する為替調整によって、経常収支のバランスを取る方向へ圧力がかかる。…バンコールは、世界の準備通貨としての機能を持つことができる。←→ 現在は、米ドルが世界の準備通貨としての特権的な地位にある(それは米国にとってのメリットで、言ってみれば、トラックに積まれた無料のヘロインが、ヘロイン中毒者のメリットになるようなもの)→ 米ドルを含め、どの国の通貨も特権的な立場を享受すべきではない〔※英語が〝世界の共通語〟のごとく特権的な立場にあるのは、そのサブシステムのようなものか…?〕。→ その役割を果たすバンコールは、金本位制における金のようなものだが、地中から掘り出す必要はない。〔※う~ん、経済問題は難しいが、〝未来性〟へ向けてまだまだ工夫の余地はたくさんある、ということか…〕

・IMFは長らく、「比較優位」(※他に比べてまし?)を論拠に、「自由貿易」を説き勧めてきた。→ 近年になって、WTO―世銀―IMF陣は、「グローバリゼーション」の福音を説き始めている。…これは、貿易の自由に加えて、資本が自由に国境を越えて移動するということ。←→ しかし、もともとの比較優位の議論は、「資本は国境を越えては移動しない」ことを前提としている。…この矛盾を突きつけられると、IMFは手を振って、話題を変えてしまう。

・WTO―世銀―IMFは、多国籍企業(※これが現代のボスか…)の利害に奉仕し、海外生産を進める政策を採り、それを「自由貿易」という間違った呼び方で呼ぶなど、自己矛盾している。→ 国際的な資本の移動と自由貿易が合わさることで、企業は、公共の利益のために設けられている国の規制を逃れ、国同士を争わせるように仕向けている(※ex. 法人税の減税競争など…?)。←→ グローバル政府は存在していないため、そういった企業のコントロールは事実上、できていない(※資本側の完勝…)。…実際に存在している中でグローバル政府に最も近いのがWTO―世銀―IMF体制だが、彼らは公共の利益のために多国籍企業を規制することにはまったく関心がない。(※ここも前回の水野氏の論と通底している…)

⑦民間銀行が中央銀行に預け入れる準備預金の準備率を100%に引き上げる

・現在の制度では、民間銀行は、預かったお金のほんの一部だけを、引き出されるお金の準備金として置いておくか、中央銀行に預け入れればよく、残りは貸し出すことができる。…ゼロからお金をつくり出し、それを金利付きで貸し出す権利を民間銀行に与えているとも言える(お金の偽造のようなもの。普通ならお金を偽造すれば刑務所に入れられる)。〔※う~ん、過激な論…。金融の世界も難しい…詳細はP59~60〕

・だから、「民間銀行は預かったお金を全額中央銀行に預け入れるべし」、つまり準備率を100%へ引き上げるべき。→ 準備率が100%になれば、借り手に貸し出されるお金と預金者が預け入れるお金はぴったり合うから、節制と投資のバランスを取り戻すことができる。→ 貸付限度額がその前に行われる貯蓄(消費からの節制)に制限されることになるため、貸付・借入は減少し、より慎重に行われることになるだろう。…怪しげな負債(※サブプライムローンなど?)を投機対象にするような〝資産〟(※金融商品?)を大量に購入する資金を、簡単に融資することもなくなる。⇒ 銀行は、預金者のお金を預金利息よりも高い利率で貸出すことや、当座口座の手数料、金庫手数料などのサービスといった金融の仲介からの利益だけを得ることになる(※〝マネー資本主義〟以前の本来の業務か…)。

⑧希少なモノを希少でないかのように、希少ではないものを希少であるかのように扱うのをやめる

・大気などの自然資本は、誰でもアクセスできるコモンズ(共有物)なので、誰でも無料でいくらでも使えるもののように扱われているが、キャップ・アンド・トレードの仕組みや課税によって、価格をつけるべき。←→ 他方、知識や情報といったものは、誰かが囲い込んだり価格をつけたりすべきではない(※著作権はなし…?)。…資源であれば、共有しようと思えば分割する必要があるが、知識は、共有すれば(分割ではなく)増幅する。→ いったん知識が生まれれば、それを共有する機会コストはゼロだから、配分価格もゼロであるべきだろう。(※う~ん、あるべき理念としては分かるが…現行のシステムを根本から変える考え方…?)

・国際的な開発支援は、(大規模な利子付き融資の形態は減らして)自由に積極的に知識を共有し、それに小規模の補助金をつける形態を増やすべき。→ 知識の共有は、コストがほとんどかからず、返済不可能な負債をつくり出すこともなく、本当に大事で希少な生産要素の生産性を引き上げることができる。(※知識・情報の公開・オープン化…確かに〝未来性〟あり…)

・新しい知識をつくり出すための最も重要な投入物は、現在ある実際の知識だから、それを人工的に希少にし、高価なものにしておくのは道理に反している。⇒ 特許(知的財産権)の独占は、数少ない〝発明〟を対象にし、期間も短めに付与すべき。(※アメリカが猛反発…?)

・新しい知識をつくり出すコストは、公的な資金で行い(※現状では逆の〝民営化〟の流れ…)、知識は自由に共有できるようにしていかなくてはならない。→ 知識とは累積していく社会的な産物であり、私たちは、特許の独占や使用料なしに、熱力学の法則やDNA二重らせん、ポリオ・ワクチンなどの発明を手にしているのだ。〔※これとは逆に、TPPの本当の狙いは、(先進国に有利な)知的財産権(特許や著作権)の保護・強化にある、という話も…〕

⑨人口を安定させ、「出生数+移入者数」=「死亡者数+移出者数」となるようにする

・人口が減少しつつある日本では、別の議論が行なわれていると思うが(※まだ議論は低調…)、世界的には、人口を安定化することが必要(※日本も、どこかで人口減少を止めた後に「安定化」という課題は同じ…)。…環境運動のスタートは、人口問題だった。しかし、このところずっと、この問題を取り上げることが「政治的に正当ではない」という風潮があるため、人口に関する議論や取り組みがしづらくなっている。(※確かに、途上国の出生数を減らすとか、移民の問題とか…政治的に微妙な問題を含む…)

・定常経済のためには、人工物のストックと同様に、人口も一定である必要がある。→ そのためには、自立的な家族計画と、民主的に制定された合理的な移民法の施行を支援すべき。(※う~ん、慎重な物言い…。日本でもこの人口問題に関しては、『デフレの正体』や最近では『地方消滅』などの、衝撃的な問題提起によって、ようやく議論や取り組みの機運が出てきたよう…)

⑩国民勘定を改革して、GDPを「費用勘定」と「便益勘定」に分ける

・(前にも説明したが)現在のGDPは、便益もそのための費用もいっしょくたに合計してしまっている。→ これを分けて計算すべき。…ex. 自然資本の消費や、「遺憾だが必要な」防衛支出は、費用勘定に入る。

・こうして分けておいて、GDPが成長(スループットが拡大)することの「限界費用」と「限界便益」を比較する。→ 両者が等しくなったところで、GDPの成長(スループットの拡大)は止めることになる。…こうして計算すれば、多くの国で、GDPの成長はもはや(便益よりも)費用のほうが大きくなっていることがわかるだろう。

・成長経済の規範から定常経済の規範へと、ビジョンの考え方を抜本的に変えることになるが、ここで提案した政策自体は徐々に適用していくことができる。…準備率を100%に引き上げることも、少しずつ進めることができるし、所得分配の格差の幅も少しずつ制限していけばよいだろう。キャップ・アンド・トレードのキャップ(上限)も、少しずつ調整していくことができる(※ソフト・ランディング)。…これらの政策は、互いに補完したりバランスをとるという意味で、よい組み合わせになっているが、そのほとんどはそれだけでも適用できる。

・ここに挙げた施策の土台にある基本的な認識は、次の三点。

(1) 私有財産は、あまりにも不平等に分配されている場合は、その正当性を失う。
(2) 市場は、価格が機会コストについての真実を伝えない場合、その正当性を失う。
(3) マクロ経済は、地球の生物物理的な限界を超えて規模の成長を求められる場合、不合理なものになる。

・日本は、世界に先駆けて人口減少社会に突入した。→ 人口が減っていけば、その人口が必要とする人工物も減っていくだろう。→ 人口と人工物のストックを維持するためのスループットも減っていくはず。⇒ 日本は「定常経済」にシフトしていける好位置にあるとも言えるだろう。(※これも、前回の水野氏の論と通底する見解…)

・富の再分配によって貧困などの問題に対処していくためには、これまで「全体のパイが大きくなれば、全員の取り分が大きくなるはずだから」と、再分配の課題に取り組まず、経済成長だけを追求しようとしてきた政治のあり方を変える必要がある。…また、私たち一人ひとりも「成長しない地球の上に暮らしていること」を再認識し、未来世代も含めて、持続可能で本当に幸せな暮らしとは? 経済とは? 社会とは? ともう一度じっくり考えることも大事なことだと思う。(※原発も含めた「震災復興」の諸問題も、当然この中に含まれる…)

(2/4 了) 


〔今回はアメリカの環境経済学者による「定常経済」という考え方について、ざっと駆け足で見てきましたが、「経済」という限定された枠組みの中でも、「人類の英知」という視点からも、まだまだ工夫の余地はたくさんあるし、またそれらが、他の領域とも複雑に絡み合っている(地球環境とか、人口問題とか、熱力学の法則とか、〝テロ〟の問題とも…)、というようなことに思いを及ぼしながら、作業を進めていました。そして今、「長い21世紀」の試練はまだまだ長く続きそうだなあ…という感慨を覚えています。〕 
                                                                                                  (2015年2月4日) 
                                                      



(2015年4月14日 Blogger に掲載。根石)


2014年12月13日土曜日

『地震と原発 今からの危機』神保哲生 宮台真司ほか

震災レポート ②
                           中島暁夫




『地震と原発 今からの危機』
   神保哲生 宮台真司ほか 扶桑社 2011.6.20

                                      
[宮台教授は紹介を省きますが、神保哲生はビデオジャーナリストで、ビデオニュース・ドットコムを設立。これはニュース専門のインターネット放送局で、月525円の視聴料で広告収入に依存せずに運営。本書は、その放送された番組から抜粋し、加筆・修正したもの。]


【プロローグ 神保哲生】

○原発について合理的な議論ができない不毛

・推進する政府や企業側……PRのプロを使って原発の安全性をアピールし、同時に、反対する人にイデオロギー的に偏っているとの〝レッテル貼り〟を行なってきた。…原発に反対する人の中には、いわゆる〝左翼的イデオロギー〟で反対している人も、放射能・被曝が怖いとやや情緒的に反対している人もいるだろう。また、技術的なことも含めてメリット・デメリット、リスク、コスト面などを合理的に判断して反対している人も少なからずいる。しかし、そういう人たちまでが、何でもかんでも反対する人たちと一緒くたに敬遠される構造がつくられてきた。合理性に判断している人であっても、イデオロギー的に偏っているようなレッテル貼りが行なわれてきた。→ 原発に賛成か反対かが、単なる〝陣営争い〟になってしまい、ほとんど合理的な議論が成り立たない、そんな不毛な状態が長く続いてしまった。
・マスメディア……スポンサーを批判できず、記者クラブ体制のもとで政府を批判できないマスメディアは、今回の震災で、その機能不全ぶりをさらけだした。メディアが本来の役割を果たしていなかった。…マスメディアに登場する原子力の専門家は、ほとんどが原子力を推進してきた人たち。その研究に必要な大がかりな施設や資金は、国や電力会社が提供してきた。→ そういう専門家の説明に、〝安全バイアス〟がかかるのは当然のこと。…そういう状況に対して、メディア側があまりにも無策で無抵抗だった。…ある政策を「市民が支持した」と言うなら、その大前提として「メディアがきちんと情報を伝えていた」ということが必要。しかし今回は、一般の人は事実を知らされていなかった。→ メディアは、一番反省しなければいけない当事者のひとつとして、この震災を機にきちんとした自己検証をしなければならない。
(※今のところ、かつての敗戦の時と同じように、日本のマスメディアは、自らの責任は頬かむりして済まそうとしているように見える。今回、マスメディアがきちんと自らの責任を自己検証できたかどうかのポイントの一つは、上杉隆が言うように、閉鎖的な「報道ムラ社会」である「記者クラブ制度」を自ら解体できるかどうか、ではないか)

○行政やメディアに任せすぎていた

・われわれ日本人は、これまであまりにも行政やメディアに、重要な決定を任せすぎていた。
・行政は公平でないといけないから、統一基準をつくる。…一番弱い自治体の基準に合わせたら膨大なコストがかかる。だから最大公約数的な統一基準になる(※行政の宿命か)。→ 地域ごとの違いがこぼれ落ちてしまい、災害時に被害を大きくしている。
⇒ 統一基準からこぼれてしまう地域ごとの差や、行政が想定していない事態を、埋めるために、自主的な取り組みを、地域や家庭でする必要がある。それをするのが「引き受ける社会」。

○答えは誰も与えてくれない

・われわれはエネルギー政策も政府にお任せだった。教育も学校や塾に任せてきた。情報源もマスメディアばかりに依存してきた。→ 今回の大震災を奇貨として、「任せる社会」から「引き受ける社会」に転換するべき。…答えは誰かが与えてくれるものではなく、自分で探すものになる。答えは一人ひとり、あるいは地域ごとで違ってくるだろう。もう政治家が唱えたワンフレーズに従っていく時代ではないし、メディアの情報を鵜呑みにする時代でもない。

【1章】子どもたちの自主判断が津波から人々を救った(4/2放送分より)
〔片田敏孝 群馬大教授/釜石市防災・危機管理アドバイザー〕

・想定外というのは嘘。相手は自然。隕石でも巨大な津波でも(自然現象としては)あり得るし、想定できる。…しかし、正直、ここまでのものが本当に来るとは思っていなかった。でも、やっぱり来た。(※ほとんどの人の思いだろう…)
・ところが、津波防災というかたちで政策展開する場合、(コストが膨大になるから)無尽蔵にデカいものなんか想定できない。→「一定の想定」というものが生まれる。…三陸沿岸で想定していたのは、明治三陸大津波(1896年、2万2000人死亡…歴史に残っている確かなデータで過去最大のもの)。今回はその想定さえ越えてしまった。
・ハード面での想定の見直しには反対。…日本の海岸を、全部巨大なコンクリートで固めることになる。財政的にも不可能。
・今回の非常に大きな問題は、想定に縛られたこと。…ギネス級の防波堤、ハザードマップ → もともと想定というのは暫定的なものなのに、それに安心して「暫定」ではなくなってしまう。ヒューマンファクターの脆弱性を高めてしまう。 →「津波が来ても、ウチは大丈夫」…ハードに力を入れすぎると、逆にソフトが疎かになる。

○釜石市の事例

・8年前から小中学生の防災教育に取り組んでいた。→ 中学生が自主的判断で、「先生、ここじゃダメだ」と言って、指定されていた避難場所よりさらに上に、小学生を引き連れ、さらに近所の保育園の子どもまで連れて逃げた。そして子どもたちが大挙して逃げる姿を見て、近所のお年寄りたちが引きずられるように逃げていく。
・その防災教育の三つのポイント

①「想定にとらわれるな」
・相手は自然なんだから、どんなものが来るかわからない。→ ハザードマップ(ひとつの状況想定にすぎない)など信用するな。(※すごいことを教える!)

②「その場、その場の状況の中で、ベストを尽くせ」
・自然の猛威の前には死ぬことがある。人間にできることは、その場、その場の状況の中で最善を尽くすことだけだ。(※ここまでくると防災思想、防災哲学…)

③「津波てんでんこ」「命てんでんこ」…「率先避難者たれ」
・「人の命じゃない。自分の命をとにかく最優先に守れ。それがそのまま他の人を誘導することになるんだ」……過去の津波のときに、誰かがいるかもしれないと思って引き返したり、周辺を探しまわったりしているうちに津波に呑まれてしまった。家族の絆が仇となって一家が全滅してしまった。→ この過去の教訓があったから、津波のときは母も子も「てんでばらばらに逃げなさい」という先人の苦渋に満ちた言い伝えが「てんでんこ」。とにかく一人で逃げろと教えている。
・集団同調性バイアス……みんな逃げなきゃいけないという意識はあるのに、いまがそのときと思えない。→ そんな矢先、誰かが真っ先に逃げれば、それにみんなが付いてくる。… そこで子どもたちには、「君が自分の命を守ることは、みんなの命を守ることにつながるんだ。だから、率先避難者たれ」と教えた。
ex.釜石東中学校の子どもたちは、揺れてる最中から飛び出していった。日ごろ小学校と中学校は合同訓練をしているから、中学生が全速力で走っているのを見て、小学校の子どもたちも一度は学校の高いところに上がったが(その後小学校は水没)、みんな下りてきて、付いて走っていった。――子どもたちは見事に、この三つの条件をみんな満たしてくれた。

◎子どもたちにもう一つ言っていたこと

・この地区は非常に高齢化が進んでいる上に、漁村で昼間は父母はみんな仕事に出ている。→ 中学生には「もう君らは救われる立場じゃない。救う立場なんだ」と言っていた。――釜石全体で小学生約2000人、中学生1000人、他に保育園児。このほぼ全員が無事だった。
※日本の学校教育……子どもたちは教わる立場。先生の言うことは正しい。与えられる印刷物は全部正しい。教科書丸暗記。…こういう教育を受けてきているから子どもは、疑うとか、自分で考えるとかいう訓練をあまりされてない。→ だから私は、「ハザードマップなんか信じるな、自分で考えろ」と。…知識の防災教育はダメなんです。「姿勢」を与える防災教育をやらなきゃいけない。
・自分のことだけを最優先に考えるという行為を卑怯であるかのような捉え方をしてしまう倫理観は確かにある。ただそれは日常の生活、平時でのこと。しかし、防災という非常時においては、率先避難者たることが他の人のためになるんだと、教えなきゃいけない。
(※先日のJR北海道のトンネル内列車火災事故も、同様のケースだろう。もう少し(集団同調性バイアスのために)逃げるのが遅れたら、かなり危険な状況だった。)

○ハード面をしっかりとすることで、なぜ人間が脆弱になるか

・ex.治水の場合、一級河川は100年確率。つまり100年に一度の大雨を想定して堤防やダムをつくる。→ 100年確率以下の小さい水害は全部なくなるので、意識が完全無防備になり、そして襲いかかるのは大きい水害だけ(被害は大きくなる)…これが現状の状態。
(※ウチのすぐそばの浅川(一級河川)も、ちょうど100年ぐらい水害がない。毎年どこかで堤防の補強工事をやっているが、地域住民や市役所に水害に対する防災意識はほとんど感じられない…)
→ 一方で、100年確率をもっと下げて、小さな水害が繰り返し起こるようにする選択もある。そうしたら大災害はなく、災いをやりすごす知恵を維持していくこともできる(防災意識が高くなる → 減災)。…ハードの防御レベルをどう考えるかが非常に重要になってくる。
(※原発の場合は、これは適用できないだろう。今回のケースで明らかなように、いったん事故が起こると、今の人類の技術レベルでは、長期にわたって原子力や放射能をコントロールできなくなってしまう。もっとも、近所の川も、20~30年ごとにちいさな水害を起こす…というのも、ちょっと困るが。)
・今後の復興について……高所移転が抜本的な解決策であることは確かだが、高所移転する土地がない。だからリアス式海岸は、わずかな土地(低地)に街が展開するようになってしまう。→ 海溝型の津波はだいたい100年程度の間隔で来る。人間の忘却のメカニズムに見事にマッチしてしまう。→ やがて災害も風化し、元のような街ができあがった頃に、次の津波が襲ってくる。…これをずっと繰り返している。明治三陸津波。昭和三陸津波。それから今回…。

○津波の映像を、きちんと子どもに見せる

・釜石市の防災教育は「人間は忘却するものだ」という思いからスタートする。→ 津波防災文化を定着させること。…当初は大人対象にやっていたが、関心のある人しか参加しない。→「子どもの防災教育を10年」やることにした。…8年やったところで、今回の震災が起こった。
・今回の津波の生々しい映像…相手は自然だからそんなに甘くない。PTSDであろうが、何であろうが、いつか災害は必ず起こり、その土地の全員を襲う。それをPTSDになるからといって包み隠してしまうことは、自然に対峙して生きていく人間として、おかしいんじゃないか。
・「防災は行政の責任」ではいけない。「自分で自分の命を守る」問題。…自然災害だから、その地域の人を貴賎を問わず、男女を問わず襲ってくる。そしてそれに耐えられた人が生き延び、耐えられなかった人が死んでいくという、たったこれだけの問題。…ただ、公共財として彼らの防災力を高める共通土台を与えていくことは必要。それが公共事業。そこの部分においては、防災は行政が関わる理由がある。…でも基本は、個人が自分の命を守るために最大限の努力をすること。

○今後の復興についての難題

・東北のリアス式海岸では、限界集落というか、今回の震災がなくても消えていこうとしている集落がいっぱいある。…仮に公共事業としてやったはいいが、復興した頃には人はいなくなっていた…ということがあり得る。→ 「浦だたみ」(その湾をたたむ)することも場合によっては必要なんではないか。そして 復興すべきところを計画的に復興していく…そんな議論も必要なんじゃないか。厳しい話だけど、現実的な問題として。(※最近の報道で、漁港に対して同様の提案が出されて、地元から早速反対が噴き出していたよう…確かに現実的には厳しい課題だ。)

【2章】地震活動期に入った日本と「フクシマ再来」の危険性(4/9放送分より)
〔立石雅昭 元新潟大地質科学科教授〕

・以前から東日本を中心に地質学的な現地調査をしてきた。柏崎刈羽、女川、浜岡などは原発立地として適していない。福島の原発も、地質学的に見て、つくるべきでないところに建設している。…今回の震災で、これらの原発の建設を止められなかったことの、申し訳なさを強く感じている。
・日本列島は、「ユーラシアプレート」「フィリピン海プレート」「太平洋プレート」「北アメリカプレート」の四つのプレートが集まっていて、地震が避けられない地帯。
…静岡の浜岡原発は、そのうちの三つのプレートがちょうど重なるところ(地震の巣)にある、世界的にも珍しい場所。そこに原発をつくってしまった。

◎「地震の活動期、静穏期」…阪神・淡路大震災の後、はっきり見えてきた

・日本列島の場合、25年(25~30年)ぐらいの周期で、活発に地震が起こる時期とそうでない時期がある。ex.関東大震災(1923年)~1948年までの25年間、M7~8クラスの地震が続いた…昭和三陸地震(1933)、昭和東南海地震(1944)、昭和南海地震(1946)、福井地震(1948)――ひとつの地震活動期。
→ 1948年から静穏期に入り、1995年の阪神・淡路大震災まで大きな地震は起こっていない。…また、関東大震災以前の大きな地震は、陸羽地震(1896)までさかのぼる。
――1948~1995年は静穏な時期。
⇒ 2000年以降、かなり大きなものが、1~2年ごとに起こっている。…この地震活動期は、あと十数年、場合によっては20年近く続く可能性がある。
・太平洋プレートは、日本列島の下にズルズルッと沈み込んでいく。沈み込みつつ、他のプレートも引き込んでいるが、ある一定期間は引き込まれないように岩盤が頑張って耐えている。それが静穏期。→ 耐えていた岩盤がいつかは破壊される。それが活発に活動する前兆となる。一度動き出すと、プレート間の歪みが広がり、ズタズタズタッと割れていく。
・実は専門家の中で最初に大きな地震が起こるだろうと予測されたのは、北海道の十勝沖。…海のプレートと陸のプレートの境界で、続々と地震が起こっていた。東北地方も、確率的には低くなかった。→ 今回はまずそこで起こった。つづいて、南海の方も、余震ではなく本格的なものが起こる可能性があると考えるべき。すごい津波が起こると思う。
(宮台)
・戦後は静穏期だったから高度経済成長もできたし、原発もこれだけできたんでしょうね。
(立石)
・土木学界の「原子力土木委員会 津波評価部会」で、2002年につくった「原子力発電所の津波評価技術」という文書…日本の津波対策のバイブル。…ただし、津波の波の高いところで、計算上と実際の波との誤差が大きくなっている。…2004年のスマトラ沖地震(M9.1)の津波の最大波高さえも、現在の研究機関では説明できていないというのが実情。…人間は、問題は少なく見積もりたいから、津波がこれほど大きくなるという想定はしたくなかったのではないか。……もう一つの問題は、この「津波評価部会」の中には、各電力事業者から委員が入っていること。そこに大学研究者も入っていて、産学協同の生産物…。
(神保)
・要するに御用学者が多いということですね。(※日本はどこも御用学者ばかり?)
(立石)
・津波対策の一番の基本は、原発施設内の複雑な装置が海水で浸水されないように、津波が来ない高さにつくること。つまり最大波高をどれくらいに見積もるかが一番の問題になる。→ 福島原発の場合は、標高10メートルのところを平地化して、そこに建造。つまり、せいぜい5~6メートルぐらいの津波しかこないだろうという想定。これでは津波対策をまったくしていなかったと同じ。他の原発もまったく同じ。(※これでは100%人災か!)
・今回の事故は津波以上に、「外部電源を含めて、電源確保をどうするか」という仕組みそのものができていなかった。それが最大の問題だった。……このことについては、原子力安全委員会が1990年に定めた「安全設計審査指針」も、「長期間にわたる全交流動力電源喪失は…考慮する必要はない」として、事故発生に加担してしまった。
・想定されている東海地震の動く断層面の、ちょうど上にあるのが浜岡原発。…過去(安政東海地震、1854年。昭和東南海地震、1944年)と同様の揺れでも耐えられないだろう。何よりも、どういう津波が起こるかという想定はほとんどできていないのが実態。
・原発の耐震性……今回の地震は、福島で東電が算定していた基準地振動を超えてしまった、東北電力の女川原発でも超えてしまった。→ 2006年の耐震設計審査指針を見直さなきゃいけない。…現行の基準で運営される原発は、安全だという根拠はない。いまはコストがかかるということで、地震動を小さく見積もって設計をしているところに、大きな問題がある。…津波に対する防護壁についても、基礎になる津波の大きさが想定できないんだから、計算しようがない。⇒ エネルギーとして原子力をどう考えるかという議論を、もっと真剣にすべき。われわれの科学や技術がいまどういうレベルにあるのか、コストはどのくらいかかっているのか。そして事故のリスクを含めた上で国民的な議論をして、それでも必要なら、地盤が安定し、安全だと思われる何ヵ所かだけで稼働させるというのが基本方針だと思う。もちろん、静岡県の浜岡原発、新潟県の柏崎刈羽原発、宮城県の女川、青森県の東通原発といった非常に危険であると専門家が何人も警鐘を鳴らしている原発は止めるべき。
(宮台)
・いまがチャンス。チェルノブイリ原発事故を、日本は自分たちの問題として受け止めなかったが、ヨーロッパは受け止めた。→ 90年以降、すごい勢いでドイツやイギリスなどが再生可能エネルギー推進政策に舵を切った。…僕らにとってチェルノブイリ原発事故が他人事だったというラッキーが、非常にアンラッキーだったと言える。
(立石)
今回の東北地方の地震と同じように、東海、東南海、南海が連動すれば、M8.6に、さらに沖縄沖まで連動する可能性もあり、そうするとトータルとしてはM9を超えると思う。そういう規模のものが(ここ数年~2030年~2040年)80%超の確率で起こることは、日本のさまざまな地震関係機関で公認されている。…今回の活動期の間(あと15年ぐらいの間)に必ず起こると言えるんじゃないか。
・いま、われわれがすべきこと……産官学の連携構造というか病巣をなくさないといけない。…学者というものはもっと倫理観を持ってやるべき。自分のやっている研究が国民の生活にどう関わっているのかを真摯に考えるべき。
(宮台)
・電力会社に天下りの座席を持っている経産省…研究費をいくら取れるかが研究者にとっては死活問題だから御用学者が生まれてしまう。もちろん電事連や電力総連を集票装置とする御用政治家もいる。…この権益構造、社会的仕組みを何とかしなければならない。原子力安全・保安院と原子力安全委員会をくっつけるような切り貼りじゃあ、話にならない。
(神保)
・メディアも根こそぎ機能してこなかった。スポンサーの問題もあるし、原発推進が国策だからかもしれない。…原発のリスクについて誇張する必要はないけれど、公平な立場からきちんと世の中に知らせていれば、いまとはかなり違った結果になっていたように思う。いまからでもわれわれは、それを始めなければならない。

【3章】あえて原発事故の「最悪シナリオ」と「冷静な対処法」を考える(3/25放送分より)

(宮台)
・枝野官房長官が三週間ほど言い続けてきたこと…「確定的なことは申し上げられないが大丈夫だと思われる」だけ。「大丈夫」なはずなのに、避難する範囲がだんだん広がり、事態はどんどん悪化する。当然人々は不安になるわけ。
→ 先進国標準的に複数のシナリオを言ってほしい。楽観的なシナリオ、中くらいのシナリオ、最悪のシナリオを、できれば発生確率も含めて。そうすれば僕たちも自分の行動計画とか立てられる。合理的な行動計画はマクシミン戦略(最悪事態の最小化)。少なくとも最悪のシナリオを言うことが公共的。…政権はエリート・パニック(エリートが人々のパニックを恐れてパニックになり、社会をめちゃくちゃにすること)に陥っている。ex.政府が緊急時迅速放射能影響予測(SPEEDI)のデータを隠蔽したこと。
・原発はたかが人間がつくったマシン…「そこそこ安全で、そこそこ危険」なのが当たり前。「原発は安全か、危険か」という議論は、日本では「宗教に基づく陣営帰属」と「敵陣営への誹謗中傷」(※イデオロギー的言説)を引き起こし、そこそことはどの程度で、それが何を意味するのかといった合理性や妥当性をめぐる実のある議論を台無しにしてしまう。

【小出裕章 京都大原子炉実験所助教……電話出演】

(※この助教という肩書きは、反原発を唱えたために原子力ムラの中では出世できなくなってしまったという、象徴的なものになってしまったが…)

・福島原発はまだ「レベル5」となっているが(3/25時点)、それは絶対あり得ない。「レベル7」と言わなければいけない状態。
・放射性物質がある場所は、原子炉の本体と、使用済みの燃料プールの二つ。…問題は原子炉本体をこれからずっと冷やしていけるか、ということ。
・私が恐れているのは、炉心がメルトダウンを起こしたときに、水蒸気爆発(燃料が溶けて下に落ち、圧力容器や格納容器に溜まった水に触れて大量の水蒸気が発生、爆発する)が起きて、圧力容器が破損して、大量の放射性物質が外界に出てしまうこと。
・(問い…3号機はウランにプルトニウムを混ぜたMOX燃料を使っているが、毒性は非常に強いのか?)プルトニウムという元素は、人類が遭遇した物質の中で最悪の毒性(ウランの20万倍)を持っている。でも、MOXだからといって危険性が格別に上がるとは思っていない。そもそも原子炉でウランを核分裂させて核分裂生成物をつくること自体が、とてつもなく危険なこと。その上にプルトニウムの危険性が上積みされる程度のこと。
・現段階での最悪のシナリオ……燃料棒が完全にメルトダウンして、水蒸気爆発を起こしてしまうこと。それで最後の砦である格納容器が破壊されてしまったら、放射性物質が爆発的に外部に放出されてしまう。→ どれか一つでも水蒸気爆発が起こった場合、作業員は発電所の中にとどまることができなくなり、冷却作業ができなくなるので、ほかの原子炉もすべて爆発に至るだろう。(※チェルノブイリ以上の大惨事……実際、かなり早い時点ですでにメルトダウンが起こっていたらしいので、この最悪のシナリオになっていた可能性はあった…?!) 
・ミドルシナリオは「何か月もの放射能のダダ漏れ」……炉心の「崩壊熱」は物理的に計算できる。崩壊熱は時間とともに減っていくが、冷やすためには、水を入れて水の蒸発熱で吸収するしかない。しかし大量に水を入れると、今度は大量の水蒸気で容器内の圧力が上がってしまう(→ 格納容器が壊れる危険)。…データを見ながら慎重に判断しなければいけない。〔註:崩壊熱と冷温停止…核分裂が止まった燃料も使用済み燃料も、「崩壊熱」を発し続ける。崩壊熱は初め急激に減るが、そのあとダラダラと1~2年かけて少しずつ減っていく。…だが冷却機能が壊れた福島原発は、何らかの方法で水を入れ、原子炉が安定する100度未満の「冷温停止」状態になるまで冷やし続けなければならない。…5月下旬時点で、「放射能ダダ漏れ」状態は止まる見通しがまったくない。〕(※6月下旬時点でも、「冷却水循環装置」の運転がまだうまく作動しない…)
・すでに原子炉の中に海水を大量に投入してしまったので、その塩分が障害になって、まだずいぶん長い時間がかかるのではないか。…被曝環境で作業しなければいけないということが最大のネック。
・水蒸気爆発が起こるのが最悪なので、爆発が起こらないで、放射能が漏れ続けながらも収めることができれば、まだマシだと思う。しかしそのためには、本当に長い間放射能と格闘しなければいけないし、たくさんの人たちが被曝せざるを得ない状態で働くことになる。とても、言葉でなんとも言えないような仕事を、これからも長い間やらざるを得ない。ロボットなんかはまったく役に立たない。(※まさに、三ヵ月をとうに過ぎた今も、この状態が続いていることを、日々の報道が伝えている…)
・もし福島がチェルノブイリのような事態になった場合、日本の法律に従えば、原発から700キロ離れた土地まで、放射能管理区域にしなければいけない地域がでてくる。
大阪、北海道、本州の大半が入る。…今回も40キロ離れた地域でも、ものすごい汚染地域が生じていることがすでに分かっている。これからその地域は無人にしなければいけないと想像している。
・チェルノブイリの場合は黒鉛の火災が伴ったので、放射能が上空高く噴き上げられ、風に乗って汚染が広がったが、福島の場合は黒鉛火災はないので、チェルノブイリほど遠くまで汚染されないかわりに、原発の近傍の風下は猛烈な汚染を受けるだろう。
・こういう事故が起きた時に、どういう放射性物質がどっちの方向に流れていって、どれだけの被曝を与えるのかを知ることが大変重要。……住民の被曝量を少しでも軽減するために、20年にわたって多額の予算をかけて開発された「SPEEDI」というシミュレーションシステムが10日以上も公表されなかった……これではまったく意味がない。政府はパニックを恐れて抑えたんだと思うが、そのようなやり方は、科学に携わる人間から見ると著しく不誠実だ。
・防災という観点からは、悲観的な予測をしたほうがいい。あとで「これは考えすぎだったな」と思ったほうがいい。考えないまま、被害を受けるよりはいいと思う。情報がない中で「安全だ」「安心だ」「大丈夫だ」というのは正しい態度とは思えない(※枝野官房長官!)。
(※当初、この小出助教に対して、いたずらに不安を煽っている…というような批判もあったようだが、三ヵ月を経たいまの時点では、今回の原発事故に対して、きわめて妥当で的確な評価・分析を行なっていた…という印象を強くした。)

【飯田哲也 京都大原子核工学科卒 NPO環境エネルギー政策研究所長】
・東大原子力工学出身者を中心とする原子力学会の世界は、ほぼ全員が推進の立場。いわゆる「原子力ムラ」の住人。

(宮台)
・産学政官マスコミの「鉄の五角形」……東電が東大大学院工学系研究科に約5億円の寄附講座を提供。…御用学者も問題だが、それを使うマスコミも問題。利害当事者を番組解説者として呼ぶNHKや民放の不見識に驚愕する。マスメディアも同じ。新聞社もテレビ局も雑誌出版社も、営業は電力会社の接待漬け。…こうして自主規制状況がつくり出される。これが、原発事故を準備した、日本的な社会システムの病弊。
・マックス・ウェーバーによれば、行政官僚は既存プラットフォームの中で最適化を目指す存在。政治家はいざという非常時にプラットフォームを改変する責務を負う存在。…でも行政官僚はプラットフォームが改変されれば立つ瀬がなくなる。だから政治家に抵抗して疑獄事件をつくり出す。国民がそれを真に受ければ行政官僚が勝利する。そういう民度の低い社会で、政治家が果敢な振る舞いをすれば、そもそも行政官僚が勝利する社会システムだから、果敢な政治家が放逐される。これを回避するには、民度の低い社会自体を何とかしなければならない。(※ちょっと「上から目線」が気になるが…)
(飯田)
・海産物などへの汚染もどんどん広がっていくだろう。一点補足しておくと、水蒸気爆発の可能性はいまでも十分ある。…チェルノブイリのように剥き出しで放射能がダーッと出るよりは、激しいガス噴出のような感じになる可能性が高い。一つでもそんなことが起きたら、そこで作業することは不可能になり、他の原子炉でもメルトダウンが進み、手がつけられなくなってしまう。
(宮台)
・この間の政府の発表(枝野)は、「確定的なことは言えないが、大丈夫だと思われる」「一生懸命頑張っている」と言うだけ。まったく答えになっていない。…国外から見れば恥さらし。…官邸側から「最悪のシナリオについてはしゃべるな」と縛りがかかっているから。「国民のパニックが心配だ」という、エリート・パニック。「愚民政策が国民を危機に陥れている」わけ。
・経済への影響という点では、ダダ漏れ状態も恐ろしい。だらだら放射能を漏らしながら冷却をし続ける状態が一年以上も続くことになったら、経済活動のダメージが大きく、税収も下がる。共同体が市場と国家に過剰依存する日本では、自殺や孤独死が増えるし、外国人投資家の日本売りのきっかけにもなりかねない。→ なので官邸は、想定はしているけれども、恐ろしくてしゃべれない、というところかもしれない。
(飯田)
・当面は、被曝管理と、放射能漏洩量のチェックと、広範囲の貯水プールをつくるのと、その三つの方程式の中でやっていくしかない。
・いま必要なのは、シミュレーションと現実のデータ。その両方を突き合わせながら、気象庁、国立環境研究所、いま遊んでいる旧動燃の日本原子力研究開発機構も含めて、しっかりと手を打っていくべきなのに、司令塔が動かないから混乱して何もできていない。
(※日本は、いろいろ組織だけはたくさんあるが(天下り組織)、誰も責任をとらない、ということか…)
…ホットスポットの話にしても自治体任せ、既存のモニタリングポスト頼みで、方針もバラバラ。もうここまで来たら、福島を中心に相当広範囲なリアルタイムモニタリングポストをつけて、出荷物を含めてリアルタイムでデータを集めて、予測と現実を常に突き合わせることをやらなきゃいけないのに、手を打ってるフシもまったくない。二週間も経っているのに。
(※三ヵ月が過ぎても、状況はそれほど変わっていないように見える…)
・日本は、非常に高性能なスーパーコンピュータをいくらでも持ってるんだから、キチンと運用できれば相当精密な放射性物質の拡散シミュレーションができるのに、まったくそんな努力がなされていない。
・外部被曝は主にガンマ線なので、エネルギーの大半は透過する。しかし内部被曝は放射性物質が体内にとどまってベータ線、ガンマ線などの全エネルギーを放射し続けるので、外部被曝よりかなりタチが悪い。

【矢ケ崎克馬 琉球大名誉教授……電話出演】

・内部被曝は完璧に進んでいる。…曖昧な言い方をするのではなく、きちっと伝えて最大限の防御をするという考え方をしないといけない。…開き直って、被曝を覚悟して、やるべきことをやる。この事態を将来禍根を残さないように、一生懸命力を合わせるというのが、いま、国民に直接訴えるべき一番大事なことじゃないか。
・マスクは絶対すべき。放射性物質はスギ花粉の1/10以下で、普通のマスクでは完全防御はできないが、しないよりもしたほうがいい。
・制限値以下ならば大丈夫という考え方は、しないほうがいい。人間の身体を防御するという基本的な考え方からすると、ゼロのほうがいい。ex.(3/21時点)茨城県ひたちなか市の一連の数値は、ものすごい汚染度。(※この先生は、これまでで一番厳しい見解?)
・特に雨は危ない。放射線は水分子を凝集させていく効果がある。…土地を汚染するという段階になると、作物が中に取り込んで根から放射性物質を出すようになる。そうしたら表面をきれいにしても落ちない。

【松井英介 岐阜環境医学研究所長……電話出演】

・ICRP(国際放射線防護委員会)の放射線防護の基準は、広島・長崎の外部被曝のデータを元につくられてきたもので、内部被曝はあまり重視していない。…内部被曝の理解は、特に日本では非常に乏しい。一番よくわかっているのはヨーロッパ。チェルノブイリの経験やイラク戦争などで使われた「劣化」ウラン弾の影響があるから。
・細胞が放射線を受けると遺伝子に傷がつく。その傷を治す力(免疫力)をわれわれの身体は持っているが、修復されてもまた放射線に傷つけられる。→ それが繰り返されると遺伝子異常を起こし、白血病を含むガンや、胎児の場合はいろんな形態異常(先天障害)になる。
・内部被曝で一番重要なのは、何年もたってから症状があらわれる「晩発障害」。特にヨウ素の場合は甲状腺に蓄積する。特に小さいほど影響を受けやすいので、14歳以下の子どもが問題。→ 広範囲の予防措置も考える必要があるし、疫学調査もやらないといけない。…汚染のモニタリングや検診も含めて、そういった長期計画を日本政府は早く出すべき。
(※こういった情報が徐々に、主に民間サイドから広がって、地元の自治体を動かし、ようやく国もその重い腰を上げ始めた…)
・発症までの期間…白血病で10年とか、肺がんなどの固形がんの場合は30年とかいうタイムスパンで出てくる。…疫学的にきちっと調査しないといけないこと。日本が先陣を切って調査するのが大事。(※依然国の動きは鈍い…)当面は、ちいさい子どもと妊婦は、できるだけ汚染の少ないところに避難してもらうという手立てが必要。

(神保)
・(山下俊一・長崎大教授の講演会での資料より紹介)広島・長崎での原爆被爆者の追跡調査…がんの発症がピークを迎えたのは2005年あたり。つまり、当時ゼロ歳だった人が、いま65歳とかになって、次々とがんになっているというデータ。…ただ、被曝とがんとの因果関係を証明するのは難しいだろうが。
・実は60~70年代は、米ソ中国フランスなどの核実験のせいで、いまよりずっと大気中の放射線量が多かった。
(飯田)
・計画停電しなくても電力は足りる…「計画停電」は無計画停電。ライフラインまで一律に止めるというデタラメをやっている。電車とか信号、病院まで消した。企業も家庭も非常に困った。→ 需給調整契約で十分対応できる。日本人には凄まじい節電力もある。

○今後の原発は

・普通に考えて、今回の事故で新増設はできなくなる。→ 炉の寿命は40年だから、放っておけばこれから急激に減る。
・2020年に向けて、省エネ・節電で20%は楽に節約できる。自然エネルギーも10%→30%に増やせる。そうすると自然エネルギーと省エネで50%を稼げる。→ 残り50%のうち、もし原子力が生き延びたら10%、残り40%は石炭と天然ガスを使っていく。→ 原子力は自然消滅していくというペースで、上手に電力供給ができる。

○三つの壁

①電力会社の独占…とりわけ送電線の独占。

②経済産業省が中心となったエネルギー政策…原子力中心

③再生可能エネルギーを広げていったときに、社会の中でそれを受け入れる基盤がまだ十分にないこと。…社会的な新しいルールをきちんと整えていけば、おカネとか技術面ではまったく問題ない。

・自然エネルギーは計画してから完成までのスピードが速い。復興経済を考えたときに、足の速い投資回収策としても風力や太陽光発電は有効。発電コストでも、アメリカでは風力発電は圧倒的に原子力より安いというのが常識。太陽光も同様。(※アメリカとは自然条件がかなり異なると思うが…)
・自然エネルギーはどんどん性能が上がっているので、より狭い土地でより多くの電力が発電できる。それに日本の国土は、海上を含めると小さいようで大きい。
・もともと太陽エネルギーだけでいま文明社会で使っているエネルギーの1万倍は降り注いでいるので、ほんのちょっとおすそ分けしてもらえれば、文明のエネルギーは賄える。実際には風力も地熱も水力もある。蓄電池も増えていくから、自然エネルギーは不安定だという問題もどんどんクリアされていく。→ 全力で再生可能エネルギーへの変換をはかれば、2050年には100%達成できるだろう。(※かなり楽観的…)
・改革が進まない理由(強固な抵抗)……電事連も経団連も鉄鋼とか電力が中心で仕切っている。そして自民党の政治家に政治献金がいく。民主党には電力総連と電気総連がついている。いまのマスメディアの経済力が落ちているので、相対的に安定企業の広告力、スポンサー力は非常に強くなる。
(神保)
・メディアの独占的な構造……クロスオーナーシップを組んでいる朝日新聞とテレビ朝日、産経新聞とフジテレビ、読売新聞と日本テレビ、毎日新聞とTBS、日本経済新聞とテレビ東京の五社が中央にあって、記者クラブ制度などを通じてほぼすべての情報を独占している。(※これは欧米では禁止されていると聞いたが…)
⇒ 今回の原発事故は、どうやっても変えられなかった大きな壁を突き破るために、ある意味で天から降ってきたような好機。…これは日本の未来にとっても、非常に大きな意味を持つかもしれない。

【ニュースコメンタリー 4/2放送より】

(小出)
・今もとても難しい状況にある。水蒸気爆発という破局に至ることはなんとか防げているが、押し返すことができたわけでもない。…作業員の方がとにかく水をかけ続けて、破局を防いでくれている。ただし、今後も本当に防げるかどうかは、確信を持って答えられない。→ 今後は、何ヶ月も水をかけ続けなければいけない。炉心を冷やし続けることができているか、大事なのはこの一点だけ。
・気体になりにくいプルトニウムが外に出ているということは、圧力容器も格納容器も確実に穴があいている。→ 破局回避のシナリオは、外から原子炉に水を入れるという、その作業だけ。…入れただけの水は出てくるので、汚染水が海水や地下水に出てくる。それでも、水蒸気爆発するよりはいい。…水を入れ続け、出てきた水がなるべく海とかに出ないよう、どこかに閉じ込める作業をしなければいけない。原子炉温度は時間とともに下がっていくが、安定するまで、何ヶ月ものあいだ、長く長く闘いが続く。
・「最悪シナリオ」の水蒸気爆発の場合は、建屋もろとも吹っ飛ぶから、必ずニュース映像を見てわかる。そうなったら、本当に覚悟を決めて逃げてほしい。チェルノブイリの教訓で言うなら、風下で200~300キロまで――東京は福島から200キロしか離れていないので、風下なら東京を放棄するしかない。
(※今までこんな情報は政府当局からいっさいなかった……小出助教の言からは確かにこの可能性はあったように思う……だが、どこに逃げたらいいのか…?!)
・再臨界の可能性…日本が使っている軽水炉では再臨界の可能性はまずない、と思う。
・外に出た放射能量は、まだチェルノブイリほどは出ていないと思うが、止まる見通しが立ってないのだから、最終的には分からない。…核燃料の量で見ると、使用済み燃料も含めれば、全部でチェルノブイリの10倍ぐらいある。

〔5/12放送分より〕

・(事故から2ヶ月のいまになって、東電から燃料が完全に露出していたと発表あり)
結果的に言えば、一番恐れていた「最悪のシナリオ」は、なくなったと言っていい。…いままでの公表データから、残っている燃料がいっぺんに溶けて、下に溜まった水に落ちて水蒸気爆発を起こすことを恐れていた。…ところが、そんな状況はもうとっくに過ぎていて、燃料はすべて溶け落ちていた。そして、下に水がなければ、水蒸気爆発は起こらない。(※たんに結果オーライだった!ということ?…知らない間に「最悪シナリオ」をすり抜けていた…?)…ただ、放射能を閉じ込める格納容器が壊れた以上、外に出る放射能の量が増えるのは確実…。
(※6/23の東京新聞では、小出助教は、さらにメルトスルー(核燃料が格納容器の底も破って地中に沈み込んでしまう溶融貫通――チャイナシンドローム)までいってしまっている可能性がある、と述べている!→ いま最も危惧するシナリオで、汚染された地下水の海洋流失を防ぐためには、地下に遮蔽壁を造ることが急務だ、と訴えている。)
〔※その後小出助教は、3.11事故後、初の書下ろしとして、『原発のウソ』(扶桑社新書)2011.6.1(2011.6.30 5刷!)を発刊した。詳細はそちらに譲りたいと思う〕

【4章】数十兆円の税金をドブに捨てる与野党〝原子力利権〟の鉄壁……4/30放送分より
     
〔河野太郎 衆議院議員〕

・以前、日本の原子力戦略には問題がある、という話が出て、いろいろ勉強した。
・自民党の原子力関係の会合は、利権の分捕り合戦の場。…当時、その会合を仕切っていた事務局は、東電の副社長から自民党の参院議員になった加納時男。…当時の科学技術担当大臣なんかも、核燃料サイクルが何なのか、分かっていなかった。
→「河野太郎は共産党だ」と、東電とか原発推進派が言って歩くというありさま…。

○核燃料サイクルの問題点

①高速増殖炉が、まったく見通しが立たないこと。…「もんじゅ」は止まったまま。

②プルトニウムを再処理しても、燃やす増殖炉がない。→ プルトニウムの使い場所がない。

③推進派は切羽詰って、「プルサーマルでいきましょう」と言い出した。…でもプルサーマルは「ウラン9割プルトニウム1割」のMOX燃料をつくって発電するから、ウランが1割節約できるだけ。…それだけのために何兆円もかけるんだったら、オーストラリアのウラン鉱山を買っちゃう方が安い。――すべて辻褄があってない。つまり日本は、核のゴミをどこでどう処分するか決まってない。→ でも、こういう話をすると、「いやいや、河野太郎は共産党だから」といって耳をふさいじゃう…。

○工場建設費2兆円、操業で19兆円のムダ

・青森県六ヶ所村の再処理工場…計画当初7000億円だった建設費が、2兆円を超えた。しかも稼働すると操業費が今後40年で19兆円かかる。…2005年に経済産業省内部で反対派が、この工場の試運転を止めようとしたが、全員パージされてしまった。
→ 結局、再処理工場は意味なく試運転され、工場はもうプルトニウムに汚染されたから、いまや解体するにも2兆円ぐらいかかる。
・最終処理問題……いまは候補地を公募してる状態。(地層処分)たて穴を掘って、下にゴミ捨て場をつくって、100~300年のあいだ管理して、300年後ぐらいに穴を埋めて人間社会から隔絶させる、というもの。地震があっても、火山や地下水があってもダメ…。これだけ地震が多い日本で、どこの地層に「核のゴミ」なんか埋められるのか?…(担当課長は)30年後から地層処分をやるというが、誰も責任を持っていない…デタラメすぎる。
・結局、原子力を中立的に監視する機関がない。どこの国だって、行政と監視機関は分離している。アメリカのNRC(原子力規制委員会)なんか完全に独立しているから、大統領でもNRCに指示は出せない。
・日本の電力料金は「総括原価方式」…電力を生み出すための原価の3%を、利潤として上乗せしてOK。→ 電力会社は、投資をすればするほど(原価を高くするほど)儲かる。それを消費者に(電気料金として)押し付けられるから(リスクなしの投資!)。
…この「総括原価」の中には、電力会社の社員の給料も、マスコミを黙らせるための広告宣伝費も入っている。それを電力料金として払わされている。
・日本は石油をほぼ100%輸入し、また70年代にはオイルショックもあり、原子力発電も最初はまじめに国のためにという使命感を持って原発推進をやっていたと思う。
→ ところがそれが、だんだん利権化していってしまった。また、産官学マスコミのもたれあいの構造ができていった(80年代)。合理性に最後のとどめを刺したのが、東電の副社長を経団連が推薦して、自民党から参院議員にしたこと。→ その人間が「自然エネルギーなんか殺しちまえ」という勢いで、太陽光発電を阻止するためにドイツ式の全量買取案を殺し、新規参入するIPP(独立系発電業者)のハードルをものすごく高くし…ってことを12年間やってきた。
・原発はCO2は出さないかわりに、核のゴミが出る。CO2で人はすぐ死なないが、使用済みの核燃料は人間がそばに行けないぐらい放射能を持っている。
・民主党も、労組票とか原発立地利権とかで、やはりいろいろなところからズブズブの関係になっちゃっている。

○今後のエネルギー政策

・まず「原発の新規立地も増炉もやめる」、それから「危ない原発…古かったり活断層の上だったりする原発を止める」。それ以外の原発は、安全確認を行なった上で稼働する。原子炉の耐用年数が40年とすると、どんどん廃炉になって、2050年までには原発はなくなる。その間、再生可能エネルギーの普及を猛スピードで進め、中継ぎ的に天然ガスを使う。
・核燃料サイクルが回らない以上、こういうふうにするしかない。最後に出る「核のゴミ」の処分方法が決まらない以上、ゴミを増やすような政策をとるべきではない。さらに今回の福島の事故を見て、新たな原発をつくらないことを、もう政治の意思で決めるべき。
・人口が減っているから電力需要も減っていく。それから、合理的な省エネ・節電、太陽光・風力・地熱・バイオマスといった再生可能エネルギーの開発 → 「2050年までに電力の100%を再生可能エネルギーでやるぞ」と、政治的な意図をまず表明する。そこへ向かって進むぞ、と政治が号令をかけて、みんなでワッとやれば、できちゃうんですよ。(※政治家は少しぐらい楽観的でもいいか…)
・これをやるためには、やはり電力料金の体系を変えないとダメ。それから、発電事業者の新規参入を認めるために、発電と送電を分けて、太陽光でも風力でもどんどん送電線を使えるように、法改正しないといけない。
・以前にも、ドイツにならって日本でも電力買取制度をやろうとしたら、潰されてしまった。→ これによって、当時世界一だった日本の太陽光発電技術が凋落してしまった。経産省がひとつの産業を殺しちゃったわけ。
(※菅はこのあたりを、延命のためにパクッた…?)
・「原発は危ない」という論点には、意図的に与してこなかった。「原発危なーい!止めろー!」みたいな運動……逆にあれも感情的だったり、あまり論理的でないと思うんで。「明日止めろ!」「じゃあ電気はどうすんの?」ということになっちゃう。→ 合理性で議論できる核燃料サイクルについては、出ていってケンカを買う。
・(メディアがスポンサーを批判できないことについて)いま東電の記者会見で、「最初に社名を名乗ってください」というのも、実は相当プレッシャーになってるわけ…。
・(なぜ政治家は東電が怖いのか)たとえば経団連や関経連、あるいは地域の経済団体に行くと、床の間の前でデカい顔して座ってるのは電力会社。地域の産業界とうまくやるためには電力会社を蹴飛ばすわけにいかない…ってのは与野党ともあるんだと思う。
(※河野太郎は、最初に選挙に出たとき、東電に行って「いまの原子力政策はおかしい、合理的に説明できない」と言ったらしい。最初にそこまで言えるのは、やはり有力な二世議員だから…?)
・(賠償スキーム)もう東電という会社は立ちゆかなくなるだろう。まず東電は、すべての資産を売却して賠償に充てなければいけない。送電網や火力発電所など発電設備は、国が買い取って賠償に充てる。原子力発電所は、国ではリスク管理できないから、他の電力会社や新規参入したい企業に売却する(※大前研一によれば、これは無理とのことだが…)。とにかく、まずは東電を全部解体するぐらいのことをやる。…いまの政府案は、東電という組織が残る前提(東電温存スキーム)でやってるのがダメだと思う(経産省が絵を書いたんだろう)。もうひとつは、東電が被害者に直接賠償をするのは、相当スピードが遅くなる。直接やると必ず係争になる。→ 東電にカネを出させて、被害者に配るのは政府がやるほうが早い。――東電を解体して資産を売らせて、そのお金を政府が配る。再処理用の積立金2兆4000億円を使う。最後は政府が面倒を見る。これが早いと思う。…いまの案だと、東電が背負うものはあまりなくて、みんなで分担して賠償してくださいね、という話だから、あり得ないと思う。
・やっぱり、自民党がちゃんと過去の失敗を認めて、「間違っていた。これから変わろう」と言わなきゃダメ。それがなきゃ、もう自民党の未来はない。結局最後は、国民がどう選ぶか、どう行動するか――政治家は、「東電や経産省は毎日やってくるけど、国民は毎日来るわけじゃない」とタカをくくってるから。「いまのエネルギー政策は腐ってるから変えろ」と、国民に言っていただきたい。

【エピローグ① 神保哲生】

○世界の予防原則

・環境や人命への被害が現段階ではグレーで法律的にはシロであっても、万が一それがクロだったときに取り返しがつかないインパクトを人命や生態系に与える可能性のあるものについては、「最悪の場合を想定した対応をとる」というもの。…この世界の予防原則は、水俣病を参考にしてできた。
・日本は予防原則を政策に適用しなかったことで、歴史的に何度も痛い目に遭っている。(ex.水俣病、アスベストなど)それなのに、今回の原発事故に対しても、この「予防原則」がまったくと言っていいほど取り入れられていなかった。その不作為によって広がった被害については、明らかに「人災」と言わねばならない。……これは政治の責任でもあるし、メディアにも責任があるが、われわれ市民にも責任がある。
(※この言い方には違和感を感じる。これでは、かつての第二次世界大戦の敗戦に際しての「一億総ザンゲ」と同じようになってしまわないか…。そして誰も責任をとらないで、原因もうやむやになってしまう…いつもの日本的風景。少なくとも、政治やメディアと、一般大衆とを同列に並べて論じるような形は取るべきではないと思う。それではクソもミソもいっしょになってしまう。次元の位相差をわきまえて論じるべき。)
・マスメディアの利害関係も、すっかり視聴者・読者に見透かされてしまった。つまり政・官・財の鉄のトライアングルの中で、メディア自体が「利害当事者」になっている。考えてみれば当たり前だ。デカい自社ビルが都心の一等地に建ち、社員が30歳で1000万円なんて給料をもらっているのは、権力の側に既得権を持たなければあり得ない。
(※う~ん、この言い方も、ちょっとヤッカミが混じっているようで、俗論に流れてしまう…。本質論的にはマイナスか。…だが、今回の原発事故に関しては、メディアの在り方に対する批判が、かつてないほど噴出したというのは、大きな特徴とは言える。)
・原発の根本的なリスクは、核物質の反応を人間の力では止められないということ。仮に地震や津波に原子炉が耐えて、プログラムどおり核分裂が止まっても、原子核崩壊が続いて何年ものあいだ熱を発し続ける。熱が下がって物質が安定した状態になるまで、何があってもひたすら冷やし続けなければならない。この「冷やす」という作業が思いのほか大変で、電源が落ちてもダメ、配管がひとつ外れてもダメ。周辺の設備が壊れただけで、原子炉は今回の福島のように「いってしまう」のだ。そして、何らかの理由で、放射性物質がいったん空中や海に出てしまったら、もはや回収はできない。ここに、原子力の根本的な問題がある。地震・津波だけでなく、人為的な事故や故障でも同じこと。問題がクリアされない以上、どこに建設されようが、リスクの根っこは一緒なのだ。(※これは本質論に入っていく問題…)
・日本にとって原発ほど条件の悪い発電方法はない。日本にウラン鉱石はなく、その代わり地震もあれば津波もある。国土は狭く、万が一のときに逃げ場がない。至るところに活断層があるから、ガラス固体化して埋めなければならない使用済み核燃料の最終処分場も、立地のめどが立たない。
                             (6/30 了)


 実は、この後まだ、【エピローグ② 宮台真司】、が残っているのですが、今回分が長くなり過ぎたこともあり、またこの「エピローグ②」の内容が、宮台教授の社会学講義とでもいうべきものなので、別枠で次回に回すことにしました。まだ未読の、『原発社会からの離脱』-自然エネルギーと共同体自治に向けて- 宮台真司+飯田哲也(講談社現代新書)2011.6.20 と併せて、レポートしたいと思います。
 今後の予定としては、宮台真司(社会学)→ 中沢新一(宗教・人類学)という順序で本質論を試みる、という行程を予定しています。




2014年12月11日木曜日

『日本復興計画』大前研一 文藝春秋 2011.4.30

震災レポート ①

                                     中島暁夫




 さて、あの大震災から(速いのか遅いのか)三ヶ月が経ちましたが、この間、震災関連(とくに原発)の新聞記事を切り抜き、また週刊誌などもある程度チェックしてきましたが、ようやく震災関連の書籍も出始めてきました。そこで今回は、いちばん時事的(状況論的)な内容を含んだ、大前研一の『日本復興計画』を取り上げることにしました。


                                      
『日本復興計画』大前研一 文藝春秋 2011.4.30



[大前研一は、東工大大学院原子核工学科で修士号、名門マサチューセッツ工科大学で原子力工学の博士号を取得。帰国後、日立製作所で原子炉の設計に携わった。その経歴から、今回の原発事故についてその発言が最も注目される評論家の1人といえる。]


・大前は地震直後から、福島第一原発が、これまでの設計思想を超えた未知の段階に突入したと、すぐに分かったらしい。しかし、12日の午後に最初の爆発があってから、ネット上やチェーンメールで様々な憶測・流言蜚語が流れ始めた。そこで、今回の原発事故などをどのように評価したらよいかを、広く自分の経験と知識から知ってもらう必要があると感じ、衛星放送の自分の番組でこの問題を取り上げた。本書の1,2章はその放送をもとにしてその時点での現状分析を振り返り、3章ではその上で今後の短期・長期の日本の将来について考えている。

(1章)3月13日(震災2日後)放送分より

・大前は地震当日の金曜に、友人の原子炉専門家などと連絡を取り合い、「これからは原子炉の問題が大変になる」との認識から、すぐさま民主党にも電話をして、制御不能の状態になる危険性を指摘したが、反応は鈍く、まだ彼らの認識は甘すぎたと言わざるを得ない、と断じている。
・すべての電源が切れて、計器が読めなくなると、マニュアルで育った最近のオペレーターはもうお手上げである。要するに原子炉というものは、非常用のバックアップも含めて、電気を前提にしている。つまり、すべての電源が切れるという事態は想定していない。→ 現時点での反省事項……非常用の電源は何が起きても動くようにすること。ex.ディーゼルだけでなく、太陽電池、風力など系統の異なる電源でバックアップを図る。
・現時点では、まだ予断は許さないが、海水の注入に成功してホウ素が十分入っていれば、核暴走する可能性は非常に少ない。もっとも、崩壊熱がずっと出続けているので、熱がどんどん上がっていずれ炉心が溶けてしまう可能性はある(※実際はこの時点で溶けてしまったらしい!)。暴走すると核分裂が急加速して体膨張が起こり、圧力容器を破って放射線が飛び散る。ジ・エンドである(※これはかろうじて防げた)。
・大前はこの時点で、今回の福島をレベル6相当とし、「このあと炉心が溶融して、表に核分裂生成物が飛び出すことになれば「7」になる」と述べているが、実に的確に評価していたことになる。
・放射線の被曝について……大前はMIT時代、実験中に放射性物質を飲み込んでしまった(内部被爆!)ことがあるという。大学の定期検査のときに発覚したらしい。この時の放射性物質の半減期は50年とのこと。線量が具体的に示されていないが、「現在も私は健康。だから、微量の放射能にそれほど神経質にならずともよい」と述べている。 
→(※ストレスが発ガンの一番の原因という医師もいる(ex.安保教授など)ので、これはとても微妙なところ…。例えばウチの母は甲状腺ガンで亡くなったが、生前は放射線との接点はなかった。…結局発ガンの問題は、今の医学水準では確かなことは言えないようです。ちなみに「文藝春秋」六月号の近藤誠論文では、近藤医師の調べた被爆によるガン死亡率の増加は、日本人の現在のガン死亡率を30%とすると、年間1000msv被爆の場合29%増え、合計59%(30%+29%)。100msvでは2.9%増で合計32.9%。10msvでは0.3%増で合計30.3%(15ヶ国原発作業従事者の調査より)。そこで、一ミリシーベルト以下では発ガンを怖がるのはさすがに行き過ぎ。CT等の医学検査(その8~9割は不要なもの)による被爆やタバコなどの日常的な発がんリスクも多々あり、それらも考慮すれば、現状の原発事故後の国民にみられる被曝への不安やパニックは、バランスが悪すぎると指摘し、結論としては、低線量被爆でも発がんのリスクはある。けれども、それでガン死亡率が増加する割合をどう考えるか(危険と捉えるか、思ったより安全と捉えるか)は、個人によって異なるだろう。政府が頼りにならない以上、正確な情報を得ることに努め、それぞれ自分で対処方針を考えていくしかない…と述べています。「発がんリスクに対する(各個人の)判断が自由であることから、政府が一律に年間20msvで線引きするのは、個人の自由を認めない点で行き過ぎのように思われます」とさえ述べている。誠に近藤先生らしい見解。)
・原子炉を6基も同じ敷地に並べて置くというのはリスクが高すぎる。それは中越沖大震災で柏崎刈羽原発(7基)の事故のときに、すでに分かっていたこと。住民対策がやりやすいから、地元住民の諒解さえ得られれば何基もの炉を同じ場所に設置するのは東電の得意技。→ 同時に幾つもの炉がクラッシュすれば、復旧作業にあたるメンバーが足りなくなるのは目に見えている。これは大いなる反省材料にすべき
(※これは現在、深刻な問題になりつつある)。
・今回はっきりしているのは、これで日本の原子力輸出政策は終わり、日立・東芝などの原子炉メーカーとしての未来もこの段階で終わったということ。また、国内に新たに原子炉を建設することは、もう不可能。今回の事故を見て、東電のお粗末なバックアップ態勢を見てしまったあとでは、引き受けてくれる自治体があるはずがない。諸外国では脱原発の動きが加速しそう。それよりも何よりも、東電がこの先も原子炉を抱えていられるかという問題が出てくるだろう。アメリカではすでに、民間企業が原子炉を持つことは出来ないとの試算が明らかになっている。→ もし原発事業を続けるのであれば、国が公営会社のようなものを作ってやるしかない。そして電力会社に売電する。プルサーマル(再処理された燃料を使う)も出来なくなるだろう。
・日本中で35%の電力節約を。――幸いなことに、日本経済は成長を止めているから、エネルギー需要がいま以上に高まることはない。
・今回の震災は、やはり阪神・淡路の比ではない。→ 本当に日本人が試されるのは、これからだと思う。

(2章)3月19日(震災一週間後)放送分より

・前回、日本の原子力産業は終わった、と言ったが、東芝、日立、三菱重工などは深刻な影響を受けるだろう。日本の産業界には、まさに大激震となる。
・昨日、原子力安全・保安院は、福島原発の事故を「レベル5」とのたまった。それまでは「4」と言っていた。これはもう世界の恥である。真実を国民に伝えていないのと同時に、世界中から日本政府は信用できないと猛烈なリアクションを呼ぶことになろう(4/12にレベル7に引き上げた)。
(※この時点で、ここまではっきりと政府発表に対して批判しているのは、小生の知る限り他には上杉隆ぐらいだと思われる。)
・大前は四年前、中越沖地震で停止した柏崎刈羽原発について、プラントとしての反省点をいくつか指摘したが――複数の原子炉を同一敷地内に置かないこと。非常用電源を確保すること。応急措置として(原理の異なる)小型の火力発電所をつくれ――しかし東電はまったく検討した形跡すらないという。
・隠蔽体質の東電……これまでも事故が起こるたびに嘘をつき、真実を隠してきた。今回、事故で右往左往するさまを見ていると、隠蔽体質というよりも、単なる能力不足という気もしてくる。…原子力安全・保安院も、東電にすべて押しつけて何もしない。その東電本社の中に司令塔を作った政府も ? である。
・アメリカの見方・態度……首相官邸は東電の意見を嘘も含めて鵜呑みにしており、日本政府は、たかが一企業に振り回されて、国民を守ることさえやっていない。だから在日米国人については自分たちが持っているデータに基づき、われわれのルールでやらせてもらう。→ 福島原発80㌔圏外への避難勧告。…アメリカのガイドライン(チェルノブイリ事故のケーススタディによるもの)――30ミリシーベルトが予想されるときは50マイル(80㌔)以遠に避難させねばならない。…日本にはまだ明確なルールもないし、ポリシーもない。だから疑心暗鬼になる人が出てくる。(※大前の夫人は米国人だが、米国大使館からヨウ素剤が送られてきたという。そこまでやっている!)
・今回の災害で日本に誇れるものがあるとすれば、津波というもののリアルな姿をカメラが鮮明にとらえたことだろう。…インド洋スマトラ島沖大津波(2004年)では、素人の観光客が撮ったようなものでしかなかった。…今回は初めてビデオで、空からも陸からも津波の実態が映し出された。ああいう映像を人類は見たことがなかった。
この凄い貴重な記録を将来生かさなくてはいけない。
(※いま読んでいる本『地震と原発 今からの危機』扶桑社 の中で、片田群馬大教授は、子どもが怖がりPTSDになるからと、津波の映像を子どもに見せるな、という意見もあるが、今回の震災を風化させないためには、つまり災害に対処できる知恵をその地に根づかせるためにも(災害は忘れた頃にやってくる。忘却が災害を大きくする)、各地域でこれを子どもたちに見せ続けることが重要だ…と述べている。「相手は自然ですからそんなに甘くないですよ。PTSDであろうが、何であろうが、いつか災害は必ず起こり、その土地の全員を襲うんです。それをPTSDになるからといって包み隠してしまうことは、自然に対峙して生きていく人間として、おかしいんじゃないでしょうか。」ちなみに、この片田敏孝先生は、防災学の専門家として釜石市防災・危機管理アドバイザーとして、釜石市の子どもたちの防災教育に8年前から取り組んできた。その結果、釜石全体の小学生約2000人、中学生1000人、その他保育園児、このほぼ全員が無事だった。この様子はテレビでも紹介されていた。今回の災害で他の自治体の小学生が大多数、先生の引率のもとで犠牲になってしまった事例があったが、このケースに片田先生の指導内容をシミュレーションしてみると、ほとんど助かったことになる。)
・事故の原因が少しずつ明らかになってきた。原子炉そのもののトラブルの前に、まず地震で外部電源施設が大きなダメージを受けている。ex.高圧線についている絶縁器具(碍子)は地震にあまり強くない。建屋内部のモーター、ポンプや配管の一部が壊れている。
(※ということは、東電は、事故原因を「想定外の大きな津波」と強調しているが、津波だけでなくその前の地震ですでにかなりダメージを受けていた…ということか?)
・原発を複数、同じ場所に設置するのは、ひとえに住民対策、それに効率もいい。ex.制御室一個で複数の原子炉の面倒をみられる。住民には、もう一基いかがですか、何でもつくりますよ、と持ちかける。…東電も国も、複数の原子炉を同一敷地内に置くことの危うさをどこまで認識していたのだろうか。
・住民対策といえば、中間貯蔵施設の問題もある。建屋の中に使用済み核燃料のための巨大な冷却プールがあるのは日本独特の光景。…じつはほかに使用済み燃料の置き場がないから。むつ小川原(青森県)の施設の建設が大幅に遅れていて、これができるまでは発電所施設の中に仮置きするしかない。…これは仮設のものだから、ほんの簡易な作りで、停止中の4号機で水素爆発が起きたのもそのせいかもしれない。…日本が本当にポリシーを持った国であれば、中間貯蔵施設ができるまでは原子炉を止めていたことだろうが。
・複数炉の同時進行事故であったことも災いした。これは人手も機器も到底足りっこない。被爆を避けるためには極めて短時間しか作業できないし、スペース不足も問題。
(※いま三ヶ月が経過して、いよいよこの問題が白日の下に晒されている…)
・東電の機能不全……現場を熟知した原子炉の専門家がトップにいない。炉で何が起きているのか、などの詳細な説明ができない。人材がいないための機能不全、司令塔不在。(※専門家といえる最高位の人間は、あの福島第一原発の吉田所長らしい。保安院も同様で、いつもテレビで説明しているあの担当官は文科系の事務官らしい!)
・原子力安全委員会も、独立機関であるはずなのに、今回、保安院の陰に隠れて存在感なし。
・真打が保安院。たらい回しの天下り組織、お飾り組織。昨日の段階になってもレベル5と言っている素人さ。これが日本の原子力行政のお目付け役だから、背筋が寒くなってくる。
・テレビに登場するエキスパートとやら……原子炉の理論は教えていても、プラントを設計したこともないだろう。しかもその多くは東電や関電がスポンサーで研究開発費をもらっていたりするので、東電と政府が発表する以上のことは言えない。専門家としての意見よりも、解説に回る方が無難、と心得ている御仁ばかり(※NHKによく出ていた東大大学院の教授もまさにそんな感じだった…)。NHKなどの解説委員も、ネットで調べてきたような説明を繰り返している…。

◎今後のステップ

①非常手段で注水・冷却……数日間
②安定した手段で注水・冷却……3~5年間
③建屋全体をテントのようなもので覆う……3ヵ月後
④クレーンなどの修復/設置……5年後までに
⑤格納容器・カバー・圧力容器を外し炉心から燃料搬出(※すでに燃料はメルトダウン?)  
…燃料搬出が困難な場合、燃料を中に残したまま、格納容器ごとコンクリートで半永久的に固めるしかない。もちろん周辺の建屋や配管の開口部、トレンチなども密閉する。
⑥冷却プールから燃料の搬出・海路むつ小川原へ(数千本)…第一期工事では容量が足りない?
⑦核分裂物質の除去(できるだけ)
⑧コンクリートで永久封印……6年後?(放射能と崩壊熱のレベルによっては数年早まる)
⑨汚染地域の縮小後、半永久的に立入禁止区域とする(どのくらいの範囲になるかは今のところ不明)。

※破損した燃料棒やら、使用済み核燃料やら、水素爆発等で飛び散った放射性物質…コンクリでチェルノブイリのように封じ込めても、染み出してきて、周囲の環境を汚染する(チェルノブイリの石棺とよばれるコンクリート封鎖でも、もう一度やり直しという局面を迎えている)。要するにこれらの「高濃度放射性廃棄物」と呼ばれる物質は、運び出して、核燃料処理サイクルの中に入れなくてはならない。
・じつはフクシマ原発の問題は、すべての国にとって内政問題。…いまいちばん頭にきているのはオバマ大統領。彼の中心的なポリシーはクリーンエネルギー。そのためには原子炉建設を再開すると宣言していた矢先に、今回の事故が起きてしまった。

○計画停電の愚

・東電(政府も)はコンピュータで動く現代社会をまったく理解していない。(※これはまったく同感。図書館でいえば、毎日日替わりで3時間停電させられたら業務は大混乱する。病院はもちろん、他の事業所や会社、お店も同様だろう…)
・重要なのは節電よりも電力使用の集中を排除すること。→ ピーク時の電力量をカットできる三つの案

①サマータイムの導入。それが嫌ならフレックスタイムを採用。
②週五日間を選択制で操業(休業を平日にずらす)。
③夏の甲子園の中止。(その時期が一年で最も電力消費量が多いらしい)

・大口消費の工場なども含めて、節電に導くような電気料金の見直し。
・東西グリッドの完全接続
・電力警報システム……電力の余裕が10%を切った時に、テレビや携帯電話で一斉に警報を出して、不要な電力を一斉にカットするようにお願いする。そして5%を切ったときには、テレビの放送を中止する。(※これは無理?)…いま日本は経済成長をしていないから、原子炉を新たに作っていく必要はない。今あるものを大切にして、個人個人が5%、10%と削っていけば問題は解決する。

○新しい東北のビジョン

①「復旧」(単に元に戻す)をしてはいけない。→ 21世紀らしい、日本らしい安全、安心のコミュニティをつくる。誰もが誇れる「新しい東北」を建設するのがもっとも望ましい選択肢。
(※言うは易く行うは難し。総論賛成各論反対が噴出?)
→ 津波が襲った低地は緑地と公共の建物だけにして、高台に新しい住宅コミュニティをつくる(※菅は復興ビジョンをここから借用?)。一定の地域ごとに統合された漁港にし、オランダのような水門付き大防波堤を建設する。
・収入の裏打ちのない巨額の赤字国債を発行してはいけない。借金漬けの日本は今でもぎりぎりの状態。→ 国債の格付けが下がり、一気に国債の暴落が起こる危険性。→ ハイパーインフレ、預金封鎖といった事態が続くことが予想される。
……国債を発行するにしても、復興の財源に初速をつけるスターターとして、消費税上げを提案。

○消費税上げで日本は元気になる

・期間限定・目的限定の被災地救済消費税……産業インフラの構築も含めて最大2%(1年4兆円)→ 半分の2兆円を東北地方の住民に、残る半分を公共産業インフラの復興に。もし足りなければ2%を2年(8兆円)にしてもいい。ただし、日本を復興するためという目的は、絶対にはずしてはならない。…「飲んで食べて大いに使って7%、そうして東北地方を復興しましょう」…それで東北地方が復興するのであれば、国民に連帯感も生まれ、元気も出る、景気もよくなる。そういうムードを作ることこそ、リーダーの役割ではないか。
(※そんなに簡単にはいかない…そういうリーダーも見当たらないし…。でも、それでは何も始まらないし…)

(3章)日本復興計画

○今回は千年に一度の大地震、かつて文明国を襲ったことのないような津波…まったくデータがない世界が現出してしまった。

・津波と地震と原子炉という三つの組み合わせの存在し得る場所…世界中で日本とカリフォルニアしかない。…ドイツやフランスには地震がないし、アメリカの東海岸も同様。→ 日本政府は世界に向かって、「今回の問題は日本独自の事情で起きたことであって、あなたの国では従来どおりの原発政策を推進して大丈夫ですよ」と発信すべき。
(※今日の報道では、原発の賛否を問うイタリアの国民投票で、9割が反対…。)

○今(3/27時点)わかっている重要なこと

①これまで原子炉の安全の基本であった確率論が通用しなかったこと。
(※現に事故が起きてしまったという絶対的事実。まだまだ人智の及ばない自然…)
②原子炉の関係者が住民を説得する際に使ってきた、絶対的安全性を担保する論理(ex.格納容器神話)に飛躍があると気づいたこと。
→ 原子炉関係者が反省しなくてはいけないのは、その論拠としていたものが実は間違っていたのだ、という点。(ex.電源がなくなると何もできないシステムだった…)
・ウラン酸化物(燃料)が圧力容器の底に溜まると、再臨界(核暴走)となる惧れが出てくる。燃料は丸い形に集まると臨界形状となりやすく、暴走しやすい性質を持っているから。中性子のふるまいは、球状の場合が最も効率よく、活発になる。そうなると、これは誰も想定しない悪夢の世界に突入してしまう。
(※確か今の状況も、燃料がメルトダウンして、圧力容器の底に溜まっているのではなかったか…そして、かろうじて水がかかって冷却を維持している……つまり、まだ再臨界(核暴走)の危険性あり?!)
・今回の福島第一に欠けていたのは「現場の知恵」…みんな知的怠慢だったというしかない。
(※人災だったということか)

○あまりに危険な「石棺」計画

・チェルノブイリの場合は、炉心そのものが破裂して核廃棄物を世界中に撒き散らしたので、コンクリートで覆ってしまう(石棺)しかなかった。→ あれから25年、コンクリートは熱に弱いので、ボロボロになり、いま一度封印のやり直しが必要になっている。
※日米欧の原子炉の場合、高濃度放射性廃棄物を永久処理する場合、地下800~1000メートルの深さに埋めるというのがコンセンサスになっているが、日本の場合、かつてコンクリ詰めにして日本海溝(一万m)に沈める案は、環境論者や原子炉反対運動家に拒否され、地下800メートルも不十分とされた。…これでは10メートル程度の石棺が受け入れられるわけがないし、私だって断固反対する。
・日本は原子炉を作り、燃やすことはやってきたが、使用済み燃料の処理はともかく、保管する場所さえないことが今回露呈した。→ 日ロ平和条約を結び、シベリアのツンドラ地帯に核廃棄物を埋設させてもらうことを、政府に提案している。
(※これまた難題が増えた!)
・福島原発の処理……半径5キロは、チェルノブイリと同じく、われわれが生きている限りは(何年?)、完全な立入禁止区域(緑地)になるだろう。ロシアが受け入れてくれない場合は、そこに深い穴を掘り、核廃棄物を埋めることも視野に入れておく必要。
(※結局これがいちばん現実的か…もちろん反対も噴出するだろうが…)

○東北復興

・実は今の東北は、日本の「最後の工業地帯」。東京、大阪、名古屋の工業地帯が衰微して、郊外から東北へと工業の拠点が移って行った。特に自動車、電気関係の基幹部品。東北で競争力を失うと、今度は東南アジア、中国に行く。→ 漁港の復興とともに、東北地域の工業力の再生を念頭におくことが重要であり、住居の再生だけでは食べていけなくなると知っておいたほうがいい。
(※最近この要旨とほとんど同じねらいの特番をNHKでやっていた。この論の影響かもしれない。)
・農業の今後……はっきりいって日本の農業は復興しない。
「第三次農地解放のすすめ」…人間の食べ物を維持していくためには、世界の農業最適地で農場経営をする、日本人が出かけていって現地の農民と一緒にやる、こういうやり方で最適地からの輸入にすべき。
(※これも最近テレビで、東北出身の人が単身アフリカに行って、現地の人と一緒にカカオ(?)を栽培して成功していた。これもこの論の影響?)
…日本の農業は、すでに農民の平均年齢が65.8歳にもなっていて、その8割以上が兼業(利権)農家。…若い人や株式会社の参入をはかっても、その程度では農業の再生は無理。だから、食糧安保論者の食糧自給は成り立たない。→ 自給率を上げたいなら、世界の最適地に出かけて行って資本を投下し、現地と長期契約を結んで日本に逆輸入する。その場合にその半分の数値を自給率として算入すればいい。…世界の農業最適地というのは5,6ヵ所ある。そこに分散して投資すれば、リスクが分散され、真の食糧安保となる。…工業国家日本にとっては油も鉄鉱石も石炭も、それらが入ってこなくなるリスクと同じ。農業だけ自給率の殻に閉じ籠っていなければならない理由はどこにもない。
(※以前吉本さんも、「国家を開く」という観点からだったと思うが、農業の自由化には基本的に賛成していた。ただ、あえて言えば、食の問題は生命としての人間という基本・根幹に関わるものだから、という側面もあるので、他の問題とベタには同列にできないのではないか…)

○計画停電の愚・その2

・いかに東電が顧客の気持ちを理解していないかの表われであり、菅総理は最後まで拒否すべきだった。→ 経済への悪影響が大きすぎる。
・一日に2,3時間、順番で電気を停める…その目的がはっきりしない。停電の目的はピークの需要を下げることであって、電気量全体を節約させることではない。ex.夜はピークを下回っているのに(夜のコンサートをやめる等)節電しても何の意味もない。…日本のコンピュータや半導体関係、精密機械工業などは破壊される。
・飲食産業も直撃…日本中が自粛ムード。これではいかに消費税をアップしても効果は半減する。

○東電は配電会社に

・おそらく東電は一度は潰れるだろう。民間企業としての電力会社はもはや成り立たない。原子力発電のリスクは民間企業では負えない。もし原発を続けるのであれば、国そのものが原子力行政の一環としてやるしかない。そして今ある電力会社は公営原子力公社から買電する。民間や外資の発電事業への参入は自由化すべき。高圧の送電は別の国策会社(公社)が一括して引き受け、東西グリッドの接続も行う。
・原子力安全委員会と保安院を統合し、アメリカのように原子力推進機関からは独立する形にして、安全に対するチェック機能を強化する。
・原子力に代わるシステム……日本の原子力産業は終わった。しかし、自然循環型エネルギーも省エネ型の工業団地でも、スマートグリッド(次世代送電網)でも、日本は世界に比べて出遅れている。

○日本はなぜ、これほど熱心に原子力発電を国策として推進してきたのか

①石油依存、OPEC依存から脱却したい……国の原発推進政策を後押ししているのは、原子炉メーカーなどの業界と経産省。
(※産官学の複合体…医療と一緒の構図…これにメディアも加えて、産官学報の複合体と言う人もある。)
…東電にも3分の理はある。行政や住民への接待漬け(※メディアにも?)を伴なう説得の仕事はすべて押し付けられてきた。
②ウラの国策……プルトニウムを抱えていれば、90日で原爆は作れる。だから、国内に使用済みのプルトニウムを貯蔵して持っておくこと自体が日本の抑止力になり、安全保障になるという理屈。日本は唯一の被爆国として非核三原則を掲げているが、それに抵触しないで核武装の能力だけは備えておく。
(※特に国家主義的な政治家などには、このウラの国策は大きな動機づけになっているのだろう)

○所得が減ったのは日本だけ!

・この20年間の国民全体の家計所得が正味で減った(12%減)のは、先進国では日本だけ。…貯蓄率でもアメリカに抜かれている。→ 「一億総中流」が「一億総下流」に → 消費の落ち込み

○日本復興計画の二本の柱

①地域の繁栄をもたらすための道州制(道州連邦国家)
・まずは変人の首長を押し立てて、日本に五つか六つの「都」を作る。大阪都、中京都、新潟都、福岡都、神奈川都…。→ 道州制のそれぞれの地域ブロックに舵を切ってもらい、その連合体で日本を導いて行くしかない。
(※それを大阪の橋下や名古屋の河村たちの「変人首長」に託したい、というのだが…内田樹や高橋源一郎などは、彼らの「変人振り」にはかなり批判的だが…)
(具体的な方策については省略)
②日本人のメンタリティの変革
・日本人は20年間もの間、下降曲線をまっしぐら、という自覚がない。成長神話の頃のパラダイムを今日まで引きずっている。…いまだに持ち家熱、クルマ熱、教育熱という三大熱病。
(※あまり深くない内容なので、以下略)
(大前的楽観論?)

・原発に関しては、「現場の知恵」を盛り込んだ改善策の策定はそれほど難しいことではない。
・日本の復興についても、変人首長に託しながらも、結局は個々人が自立する、という意識改革があれば可能だ。
・(日本の政府は完全にメルトダウンしたかのようだが)政府のやることは、細かいことではない。東北地方の将来に関して大きなビジョンを示すことだ。また、自ら変革したいと望む首長や個人の邪魔になっている税制や業界の悪しき伝統を思い切って断ち切ること、これに尽きるのではないか。
(※最後の方はやや腰砕け…の感があるが、それでも特に原発問題を中心にして、現時点の状況として押さえておきたい事柄は、おおよそのところでは得られたのではないか。その意味では、大前が本書の目的としたことはおおむね達成されていることになる。ちなみに、本書の印税は全額放棄し、売り上げの12%(137円/冊)が震災復興に使われるとのこと。)

                             (6/14 了)
                                      

 今回はまず、震災後三ヵ月の時点での状況論(前半戦)ということで、取り急ぎまとめてみました。次回は、中沢新一などを素材にして本質論(哲学、思想論)を考えています。
 
 

2014年12月10日水曜日

『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫②

(震災レポート30) 震災レポート・拡張編(10)

 ―[脱成長論 ②]

                           中島暁夫




『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
 
                             (集英社新書)2014.3.19――[後編]
                                                 (2014.4.16 3刷)


【3章】日本の未来をつくる脱成長モデル(続き)

○ゼロ金利は資本主義卒業の証

・(この章の冒頭で)「日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界の中で最も優位な立場にある」と言ったが、その理由は、長らくゼロ金利が続いている日本は、おそらく最も早く資本主義の卒業資格を手にしている、と考えるから。→ 私は、デフレも超低金利も経済低迷の元凶だと考えていない。…両者のどちらも資本主義が成熟を迎えた証拠だから、「退治」すべきものではなく、新たな経済システムを構築するための与件として考えなければならないもの。〔※う~ん、これも逆転の発想(未来性からの視点)…〕
・私から見れば、デフレよりも雇用改善のない景気回復のほうが大問題。→ 雇用の荒廃は、民主的な資本の分配ができなくなったことを意味するから、民主主義の崩壊を加速させる(そうなれば、新しいシステムの構築どころの話ではない)。→ 雇用なき経済成長は、結果として日本そのものの地盤沈下を引き起こし、日本を政治的・経済的な焦土と化してしまう危険性すらある。(※昨今の〝人間性の崩壊〟を感じさせるような様々な事件の発症などは、その予兆なのではないか…。「シリアで戦争をしたい」という若者たちまで現れている…)
・もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期限が切れかかっている。…しかも、21世紀のグローバリゼーションによって、これまで先進国が享受してきた豊かさを、新興国も追い求めるようになった。→ そうなれば、地球上の資本が国家を見捨て、高い利潤を求めて新興国と「電子・金融空間」を駆け巡る。→ その結果、国民経済は崩壊して、先進国のみならず新興国においてもグローバル・エリートと称される一部の特権階級だけが富を独占することになる。……非正規雇用者が雇用者全体の3割を超え、年収200万円未満で働く人が給与所得者の23.9%(1090万人)を占め(2012年)、2人以上世帯で金融資産非保有が31.0%(2013年)に達している日本の二極化も、今後グローバルな規模で進行していくのだ。
・このような危機を免れるためには、日米独仏英をはじめとした先進国は、「より速く、より遠くへ、より合理的に」を行動原理とした近代資本主義とは異なるシステムを構築しなければならない。(※ここで言う「合理的」とは、〝資本にとっての合理性〟ということだろう…)

○前進するための「脱成長」

・成長を求めない脱近代システム……(そのための明確な解答を私は持ち合わせないが)それは一人でできるものではなく、中世から近代への転換時に、ホッブズ、デカルト、ニュートンらがいたように、現代の知性を総動員する必要がある。…ただ、少なくとも新しい制度設計ができ上がるまで、私たちは「破滅」を回避しなければならない。→ そのためには当面、資本主義の「強欲」と「過剰」にブレーキをかけることに専念する必要がある。
・(これは一見、現状維持のようだが)現在の先進国の状況を考えると、現状維持ですら至難の業なのだ。→ なぜなら、成長を求めてもバブルが崩壊すれば、莫大な債務を抱え込み、経済はバブル以前に比べて後退してしまう。…日本もアメリカも膨大な国家債務を抱えているが、それは成長を過剰に追い求めた結果なのだ。…一国の財政状況には、そのときどきの経済・社会構造が既存のシステムに適合しているかどうかが集約的に表れている。→ 巨額の債務を恒常的に抱え込んでいる(※1000兆円!)ということは、すでに日本の経済・社会構造が資本主義システムには不適合であることの証…。
・確かに日本は、1000兆円の国家債務に対して、民間にはそれに匹敵する個人資産がある。…その意味では、借金の担保はあるが(※このことを「日本は大丈夫」という根拠にする経済専門家はけっこういる…)、国家の債務を民間資産で相殺するようなことになれば、国家に対する信用は崩壊してしまう。(※確かに…)
・資本主義を乗り越えるために日本がすべきことは、景気優先の成長主義(※世の論調はほとんどこれ…)から脱して、新しいシステムを構築すること。…新しいシステムの具体像が見えないとき、財政でなすべきことは、均衡させておくこと。→ 実際に新しいシステムの方向性が見えてきたときに、巨額の赤字を抱えていたのでは、次の一歩が踏み出せないから。…それは単に増税・歳出カットで財政均衡を図ればいいということではなく、社会補償も含めてゼロ成長でも維持可能な財政制度を設計しなければいけない、ということ。
・そしてもう一つは、エネルギー問題の解消。→ 新興国の成長によって、世界的にはエネルギー多消費型の経済になり、資源価格が企業の収益をこれまで以上に圧迫するようになる。(前回で触れたように)現在のデフレは交易条件の悪化によってもたらされているものであり、これを放置したままではゼロ成長どころか、極端なマイナス成長にもなりかねない。→ 従って、名目GDPを定常状態で維持するためには、国内で安いエネルギーを自給することが必要。
・「脱成長」や「ゼロ成長」というと、多くの人は後ろ向きの姿勢と捉えてしまうが、そうではない。→ いまや成長主義こそが「倒錯」しているのであって、それを食い止める前向きな指針が「脱成長」なのだ。

【4章】西欧の終焉

○欧州危機が告げる本当の危機とは?

・ギリシャの財政崩壊に端を発する欧州危機は、他の国にも波及して、なかなか解決の糸口が見えない(国債金利の高騰、金融機関の破綻、高い若年失業率など)。→ ユーロ加盟国(とくにその中核であるドイツ)が、ギリシャを見捨てなかった理由は、ユーロは経済同盟というよりも政治同盟であり、最終的にはドイツ第四帝国の性格を強めていくから。→ このことを見逃しては、欧州危機の本質は理解できない。
・重要なのは、この欧州危機が単なる経済危機ではなく、西洋文明の根幹に関わる問題である、と認識すること。→ 今、欧州を襲っている危機は、リーマンショックをはるかに超える「歴史の危機」であり、近代資本主義の危機がますます深化していることを告げているだけでなく、西欧文明そのものの「終焉の始まり」である可能性すらある。

○英米「資本」帝国と独仏「領土」帝国

・そもそもEU(欧州連合)とは何か。…このことは、「海の国」である米英と対比すると明確になる。→ (前回述べたように)1974年から始まる利子率・利潤率の低下に対して、アメリカは、ITと結びついた「電子・金融空間」を創出することによって、新たな利潤の獲得を図った。…すなわち、金融のグローバリゼーションを通じて、各国に金融の自由化を求め、世界の金融資本市場で創出されたマネーを吸い上げ、金融帝国=「資本」として君臨しようとした。
・この段階に突入してからは、資本と国家の関係が非常に大きな変化を遂げた。→ IT技術の進化によって、資本は国境を自由に移動できるようになったから、資本としては国家の制約から極力自由になりたい。→ アメリカは、国民国家から「資本」が主役となった帝国システムへと変貌していった(※資本と国民との分離・乖離…)。
・「海の国」である英米が覇権を握った海の時代の特徴は、(政治的に領土を直接支配することなく)資本を「蒐集(コレクション)」していった点。←→ 一方、「陸の国」である独仏は、(英米のような「資本」帝国への道は選ばず)ヨーロッパ統合という理念にもとづいた「領土」の帝国化へと向かう(もちろん独仏も銀行は金融空間のプレイヤーになるが、アメリカのようには政治と経済は一体化していない)。←→ 英米の場合、市場を支配することが政治そのものと言える。→ だからウォール街とホワイトハウスは表裏一体の関係にある。
・この海と陸の概念を使って、EUの基本的性格を説明すれば、「陸の国」である独仏の「領土」帝国ということ。→ 独仏が手を携えて、単一ユーロを導入し、共同市場を拡大させていく。→ そのプロセスの中で(国民国家は徐々に鳴りを潜め)、ヨーロッパはユーロ帝国という性格が色濃くなっていく。…従って、(ドイツ銀行がいくら「電子・金融空間」で稼いでも)ベルリン政府の最大の関心事はヨーロッパの「領土」帝国化にある。(※う~ん、これが誇り高きイギリスがユーロを使用しない理由なのか…?)

○新中世主義の躓き

・こうした独仏の「領土」帝国という観点から見たとき、欧州危機はどのように読み解けるか……シュミットは『陸と海と』の中で、世界史とは「陸と海のたたかい」である、と述べている。→ 近代ヨーロッパの歴史の最も重要なターニング・ポイントは、16世紀~17世紀の「海の国」イギリス(英国教会)と「陸の国」スペイン(ローマ・カトリック)との戦争だった。…当時のスペインは、陸地の領土にもとづいた帝国で、ローマ・カトリックの権威と帝国の軍事力(権力)によって中世の社会秩序の中心にあった。←→ スペインに対抗した新興国のイギリスは、海洋貿易(市場)を通じて(領土から自由な)海の空間を制覇することで、新たな覇権国家になった。…つまり近代とは、「海の国」が「陸の国」に勝利することで幕が開いた時代。
・しかし現在の状況は、「海の国」であるアメリカの覇権体制が崩壊し、EU、中国、ロシアといった「陸の国」が台頭しつつある(中国、ロシアは、まだ国内の近代化や経済発展の余地が残されている新興国)。→ しかし問題なのは、世界経済の主軸のEU、その中心である独仏。…ドイツもフランスも、すでに近代化のピークを越え、脱近代に足を一歩踏み入れている先進国。→ このような国が、再び「海の国」に抗って台頭していこうとしたときに、取りうる選択肢が「ユーロ帝国」だった。…そして、この帝国構築への道のりは、近代の主権国家システムを超えていく方向性を持っていたかのように見えた。(※国家を開く=国家を超えたインターナショナリズム…?)
・その方向性とは、ヘドリー・ブル(国際政治学者)が主権国家システムを超える形態の一つとして指摘した「新中世主義」というもの。…ブルは『国際社会論』の中で、主権国家システムを超える形態として、次の五つを挙げている。

①システムであるが社会ではない。…〔複数の主権国家は存在するが、国際社会が構成されていないような状態。つまり、主権国家間がホッブズの言う自然状態、闘争状態の関係になっている。〕(※戦国時代のような状態の国際版…?)

②国家の集合であるがシステムではない。…〔主権国家が相互に関係をもたない状態。保護主義に近い。〕(※アメリカのモンロー主義のようなもの?)

③世界政府……〔世界が単一の独裁政府となること。〕(※中国のような国家が世界を支配するようなイメージ…?)

④新中世主義……〔キリスト教的価値観に支配された中世の神聖ローマ帝国のように、共通の価値観にもとづいて成立する普遍的な政治組織のもとで、複数の国家や地域の権威が重層的に折り重なっているような秩序のこと。(現在のEUに近い)〕→ ユーロ帝国というのは、「新中世主義」という主権国家システムを超える萌芽を宿している。

⑤非歴史的選択肢……〔これまでの過去からは全く考えられないような形態のこと。〕

・これらの形態のうち、①と③には、現実性はない。…②は、国によっては実現可能性はある。ex. EUは域内でエネルギーと食糧を互いに融通することができ、保護主義でもやっていける。←→ しかし、小国や日本のような国の場合は、没交渉の世界を生き抜くことはできない(※江戸時代なら成り立っていたが、現在では不可能ということ?)。
・だからこそ、④の「新中世主義」の可能性が、世界に先駆けてユーロ帝国で試されてきた。→ しかし、それが今、独仏が「蒐集」したはずのギリシャなど南欧諸国の思わぬ反乱にあっている。…それが今回の欧州危機の深刻さの表れなのだ。
(※う~ん、この項は、テーマが大き過ぎて分かりづらいのだが、これからの〝未来〟を考える上では、非常に興味深いものがあると思われる…詳細はP141~145)

○欧州危機がリーマン・ショックよりも深刻である理由

・主権国家システムが支持されるのは、それが国民にも富を分配する機能をもつからだった。…近代初期の絶対王政では資本と国家は一体化しているものの、まだ国民は登場していなかった。→ その後、市民革命を経て、資本主義と民主主義が一体化する。…主権在民の時代となり、国民が中産階級化していく。…このように資本主義と民主主義が一体化したからこそ、主権国家システムは維持されてきた。
・しかし、グローバル化した世界経済では、国民国家は資本に振り回され、国民が資本の使用人のような役割をさせられることになってしまっている。…巨大な資本の動きに対して、国民国家ではもはや対応できない。→ そこで、「国民」という枠組みを取り払って国家を大きくすることによってグローバリゼーションに対応しようとしたのがEU方式だと言うことができる。(※なるほど、この項は分かりやすい…)
・ブルの新中世主義を経済的な側面から見るなら、成果を総取りするグローバル資本主義に対する対抗策として考えることができる。…しかしながら、EUでさえ結局は資本の論理に巻き込まれてしまう。→ (社会学者ベックの鋭い指摘)…「富者と銀行には国家社会主義(※保護主義)で臨むが、中間層と貧者には新自由主義(※自己責任)で臨む」「25歳以下のヨーロッパ人のほぼ4人に1人に職がない。また多くの人々が期間の限定された低賃金労働契約に基づいて働いている。アイルランドやイタリアでは25歳以下の約3分の1が失業していると公表され、ギリシャやスペインでは若年の失業率は、2012年6月には53%に達している」→ つまり、近代資本主義の限界を乗り越える試みであったEUでさえ、資本の論理を乗り越えることはできていないのだ。
・このように、ユーロが舵を切ったかに思われた「新中世主義」が行き詰っているという事態は、文明史的にリーマンショックよりもはるかに深刻な意味を帯びている。…リーマンショックだけなら、近代の限界(つまり16世紀のイギリスから始まった「海の時代」が、アメリカへと引き継がれ、それが崩壊の兆しを見せている)ということ。→ しかし、EUの新中世主義が行き詰っているということは、海の国の衰退(近代の限界)に加えて、古代ローマ帝国から連綿と続いてきた「蒐集」が止まることを意味。…それはヨーロッパの死を意味することにほかならない(詳細はP148)。(※この「蒐集」という概念も分かりにくい。典拠は『蒐集』ジョン・エルスナー 研究社1998 らしいが、5千円もする大著で未読…)
・海の時代とともに始まった近代資本主義は、マネーを「蒐集」するためのもっとも効率のいい仕組みだった。…英米が覇権を握った海の時代の特徴は、(領土を直接支配することなく)資本を「蒐集」していった点。←→ 資本主義が成立する以前の古代、中世の時代では、利益を「蒐集」するためには、領土を拡大しないといけなかった。…しかし、それにはコストがかかる。→ そこで英米は、海洋空間を支配し、そしてその空間がベトナム戦争で広がらなくなると、「電子・金融空間」を支配することでマネーを「蒐集」することに向かったのだが、リーマンショックは、そうした「近代の帝国」の没落を示唆する出来事だった。←→ 一方、EUが向かっている帝国とは、「近代の帝国」という範疇では理解できない。…なぜなら、ユーロ帝国は、資本にも軍事にも依存せず、「理念」によって領土を「蒐集」する帝国だから。(※う~ん、その「理念」とは…?)

○それでもドイツは「蒐集」をやめない

・ドイツは、そう簡単にギリシャを見捨てることはしないだろう。なぜなら、ギリシャがユーロ帝国から離脱すれば、独仏帝国の理念とも言える領土の「蒐集」という運動が停止してしまうから。→ それはEUの自己否定になるから、「西洋の没落」から「西洋の終焉」へと向かうことになる。
・政治的な駆け引きはあるにせよ、危機に陥ったユーロ圏の国々は救済されている。…結局、ドイツがそれらの諸国を救済せざるを得ないのは、ヨーロッパの理念である「蒐集」をやめることができないから。…従って、「ユーロは財政的に統一ができていないから、破綻するのは当然だ」という批判は、表層的なように思える。
・独仏が目指す領土空間の「蒐集」とは、ヨーロッパの政治統合。…マーストリヒト条約(後述)の果たした役割は、「経済連合」の性格が強かったECを、政治統合であるEUへと変えたこと。…1990年に東西ドイツが統合したとき、東独マルクと西独マルクは(実質レートでは10倍くらい違っていたが)一対一のレートで通貨統合した(西ドイツは大損)。…これも(経済的な損得勘定よりも)政治的な理念を優先させたことの証左。

○古代から続く「欧州統一」というイデオロギー

・ユーロ共同債で一本化するという財政統合を実現するためには、ギリシャ、スペイン、イタリアに緊縮経済を迫って、金利を安定させる必要がある。→ 結局、領土の「蒐集」を目指すドイツは、ある程度経済的なリスクを負っても、財政統合に向かうはず。…その段階で、近代的な主権国家の影はますます薄くなり、カール大帝以来のヨーロッパの政治的統一が現実味を帯びてくる。
・「ヨーロッパ」はいつ誕生したか…(歴史家たちの説)「ローマ帝国が崩壊したときヨーロッパが出現した」、「ローマ帝国に異民族が侵入してきたときからヨーロッパが歴史的存在となった」→「異民族がローマ風の贅沢で身を包むには、代償としてローマ人に奴隷を供給しなくてはならなかった」→ そのためには、「内部の不平等を増大させるか(※格差社会?)、異邦人(※移民?)を隷属させること」しかなかった(現代とも似ている…?)。……つまり、ヨーロッパの誕生それ自体が、奴隷を「蒐集」しなければ成立しえなかった。しかも、より贅沢な生活をするには、常に「異邦人」をたくさん「蒐集」しなければいけなかった。(※う~ん、日本の〝外国人技能実習制度〟も同じようなもの…?)
・スペイン国王で神聖ローマ皇帝でもあったハプスブルク家のカール五世は、オスマン帝国に対抗すべく、ヨーロッパの統一を図ろうとした。→ 近代のヨーロッパを振り返ってみても、ナポレオンの第一帝政、ナチス・ドイツもまたヨーロッパの統一を目指すものだった。
・ヴィクトル・ユゴーのヨーロッパ合衆国構想(1849年)…「(ヨーロッパ)大陸のすべての国がそれぞれの特質と栄光ある個性とを失うことなしにより次元の高い一体性を確立し、ヨーロッパが兄弟愛の絆で結ばれる日が必ず到来します」(※文学者らしい文章か…)→ ユゴーの合衆国構想は、100年を経たのち、少しずつ現実化していく。…第二次世界大戦後の1952年に、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)→ 1967年には(EUの前身である)ヨーロッパ共同体(EC)が発足。→ 1992年、マーストリヒト条約が調印され、統一通貨導入を決め、欧州連合(EU)を創設。→ 2002年、念願の単一通貨「ユーロ」誕生 → 21世紀に入ってから、東欧や旧ソ連領などの国がEUに加わり、(当初6ヵ国だった)加盟国は現在28ヵ国にまで拡大。…こうして、独仏政治同盟は着々と「領土」の「蒐集」を続けてきた。(※う~ん、今の「ウクライナ紛争」も、この流れか…? 「ヨーロッパの拡大」に対するロシアの抵抗…)

○資本主義の起源から「過剰」は内蔵されていた

・しかし、(先述したように)独仏の「領土帝国」も、英米の「資本帝国」同様、限界に近づいている(※ウクライナ紛争の〝泥沼化〟は、その象徴…?)。→ 現代の世界で起きている「帝国」化とは、「蒐集」の終着地点。…2001年の9・11同時多発テロ、2008年の9・15のリーマン・ショック、2011年の3・11の大震災がもたらした原発事故、さらに現在の欧州危機は、いずれも過剰な「蒐集」がもたらした問題群。
・9・11…アメリカ金融帝国が第三世界から富を「蒐集」することに対する反抗(※今の「イスラム国」の反乱もこの流れか…)。9・15…過剰にマネーを「蒐集」しようとした「電子・金融空間」が、自らのレバレッジの重みに耐え切れず自滅した結果、起きたこと。3・11…資源の高騰に対して、安価なエネルギーを「蒐集」しようとして起きた出来事(※原発は安価ではなかった…)。そして、欧州危機…独仏同盟による領土の「蒐集」が招き寄せた危機…。
・古代から続く「蒐集」の歴史の中で、最も効率的にそれをおこなってきた資本主義が、今や機能不全を起こしており、これ以上の過剰な「蒐集」をおこなおうとすれば、それは再び深い傷跡を地球上に残すことになるだろう。…資本主義がこのような「過剰」に行き着くのは、その起源に原因があると考える。
・資本主義の始まりには、次の三つの説がある。

①12~13世紀説…利子の成立を資本主義が始まる根拠とする。

②15~16世紀説…(シュミットが言う)「海賊資本主義」を国家がおこなったこと。

③18世紀説…産業革命が資本主義を始動させるメルクマール。

→ この中で、①の12~13世紀のイタリア・フィレンツェに資本主義の萌芽を認めることに説得力を感じている。この時期に、資本主義の勃興期を象徴する二つの出来事があったから。

(1)「利子」が事実上、容認されるようになったこと。…本来キリスト教では金利を受け取ることは禁止されていた(中世後期から「高利貸し」が禁止されていた)。→ しかし、12世紀を通じて貨幣経済が社会生活全般に浸透するようになると、イタリア・フィレンツェに資本家が登場し、金融が発達し始める(メディチ家のような銀行は為替レートを利用してこっそりと利子を取っていた)。…利子とは時間に値段をつけること。→ 従って、利子を取るという行為は、神の所有物である「時間」を、人間が奪い取ることに他ならない。→ そして1215年に、おかしな理屈で利子が事実上、容認された。(詳細はP157~158)

(2) 12世紀にイタリアのボローニャ大学が、神聖ローマ帝国から大学として認められたこと。…中世では「知」も神の所有物だったが、ボローニャ大学の公認は、広く知識を普及することを意味。→ いわば「知」を神から人間に移転させる端緒が、ボローニャ大学
の公認だった。(※今は逆に、大学は資本の下僕に成り下がろうとしている…? ex.〝就活〟のための大学…)

○人類史上「蒐集」にもっとも適したシステム

・このように見るならば、12~13世紀から(「長い16世紀」の起点である)15世紀までが資本主義の懐妊期間と位置づけられるのではないか。→ そして「時間」と「知」の所有の交代劇は、「長い16世紀」に「海賊資本主義」と「出版資本主義」という形で結実する。
・「時間」の所有すなわち利潤の追求については、16~17世紀に、海賊国家ともいえるイギリスが「海」という新しい空間を独占することによって、途上国の資源をタダ同然で手に入れることのできる「実物投資空間」を拡大させていった。…一方、「知」の所有については、宗教改革でラテン語から俗語への交代劇を実現(ラテン語は聖職者と一部の特権階級が独占していた)。→ 俗語が主役になることで、「出版資本主義」が成立していった(後述)。
・この「時間」と「知」に対する飽くなき所有欲は、ヨーロッパの本質的な理念である「蒐集」によって駆動されている。→「蒐集」は西欧の歴史において最も重要な概念。…「社会秩序それ自体が本質的に蒐集的」であり、支配層にとって社会秩序維持(※支配構造の安定化)に勝るものはないから、最優先されるべきは「蒐集」ということになる。(※う~ん、やはりこの「蒐集」という概念が難しい…。アジアには希薄ということか…?)
・「ノアの方舟のノアがコレクター第1号」…キリスト教誕生以来、キリスト教は霊魂を → 資本主義以前の帝国システムにおいては、軍事力を通じて領土(すなわち農産物)を → そして資本主義は市場を通じて物質的なもの(最終的には利潤)を「蒐集」する。…ノアから歴史が始まったキリスト教社会にとって、資本主義は必然的にたどり着く先だった。→ そして、資本主義とは人類史上「蒐集」に最も適したシステムだったからこそ、中世半ばになってローマ教会は「利子」や「知識の開放」など、(本来禁じていたことを)認めるようになった。(※う~ん、当方、キリスト教の素養がないので理解が難しい…。『蒐集』も未読だし…)

○「中心/周辺」構造の末路

・こうした「蒐集」の概念は、「中心/周辺」という枠組みとも関わっている。この枠組みは、中世の帝国システムでも近代の国民国家システムでも基本的に変わらない。その時々で「蒐集」に最も適したシステムを選択してきたのが西欧。→ とりわけ「蒐集」に抜群の効力を発揮する資本主義を西欧は発見し、さらに効率よく「蒐集」をおこなう「海の国」が覇権国家であり続けた。
・また資本主義といっても、その時代に応じて、中身は異なる。…(資本主義が勃興する時代には)重商主義 →(自国の工業力が他国を圧倒するようになると)自由貿易を主張 →(他国が経済的に追随して自国を脅かすようになると)植民地主義に代わり →(IT技術と金融自由化が行き渡ると)グローバリゼーションを推進した。
・しかし、国民国家システムでは権力の源泉が民主主義にあり、帝国システムでは軍事力を独占する皇帝にあるという違いはあるが、「中心/周辺」もしくは「中心/地方」という分割のもとで、富を中央に集中させる「蒐集」のシステムであるという点では共通している。⇒ そして、この「蒐集」のシステムから卒業しない限り、金融危機や原発事故のような形で、巨大な危機が再び訪れることになるだろう。
〔※事故の原因や責任などの真の検証や、万一の過酷事故に対する(納得できる)対応策、また本当に原発は必要なのかなどの、本質論を置き去りにしたまま、原発再稼働が強行されようとしている事態……結局、「資本の論理」を優先する限り、何も変わらない、ということか…〕
・「蒐集」をやめるということは、そう簡単ではない。→ しかしながら、先進国がこぞってこれから長い超低金利時代を迎えることが予想されるのだから、これまで以上に「蒐集」が困難になることも真実。……そのとき、先進国はどちらの方向に舵を切るのか。
・ブルが掲げた五つの選択肢の中で、5番目の「非歴史的選択肢」(ブル自身もその内容を説明していない)…それが何であるかに強く心を惹かれている。→ EUが向かってきた新中世主義も足を引っ張られている今、この5番目の選択肢にしか、近代を超える可能性はないのかもしれない。

【5章】資本主義はいかにして終わるのか

○資本主義の終焉

・資本主義は実際にいかにして「終焉」に向かっていくのか。「終焉」の後にはどのようなシステムが待ち受けているのか(本章のテーマ)。
・資本主義の性格は、時代によって、重商主義 → 自由貿易主義 → 帝国主義 → 植民地主義…と変化してきた。→ IT技術が飛躍的に進歩し、金融の自由化が行き渡った21世紀には、グローバリゼーションこそが資本主義の動脈といえる。⇒ しかし、どの時代にあっても、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることには変わりない。
・21世紀のグローバリゼーションによって、経済的な意味での国境の壁は限りなく低くなり、今まで先進国が独占してきた富が、途上国にも分配され、(一見すると)格差は縮小してきたようにも見える(実際、先進国と新興国の平均所得の格差は縮小している)。
・けれども、グローバリゼーションをそのように捉えている限り、現在起きている現象の本質に迫ることはできない。→ 資本主義と結びついたグローバリゼーションは、必ずや別の「周辺」を生み出すから。…つまり、グローバル資本主義とは、国家の内側にある社会の均質性(※ex.1億総中流)を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出していくシステムといえる。(※参考…堤未果の著作群…)

○近代の定員15%ルール

・そもそも資本主義自体、その誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステムだった。…(P167に高所得国の人口シェアのグラフ)→ ヨーロッパのためのグローバリゼーションの時代である1870年~2001年は、地球の全人口のうちの約15%が豊かな生活を享受することができた(この15%は、ヨーロッパ的資本主義を採用した国々で、当然アメリカや日本も含まれている)。…日本が「一億総中流」を実現できたのもこの時代。
・しかし逆に言うと、このグラフは、世界総人口のうち豊かになれる上限定員は15%前後であることを物語っている(※ここ130年の統計的事実…)。→ つまり20世紀までの130年間は、先進国の15%の人々が、残りの85%(※後進国)から資源を安く輸入して、その利益を享受してきた。…このように歴史を振り返れば、資本主義は決して世界のすべての人を豊かにできる仕組みではないことは明らか。
・現在進行中の21世紀のグローバリゼーションに、この15%という定員の上限説を適用するとどうなるか。…20世紀までの資本主義は、資源がタダ同然で手に入るという前提のもとで、先進国が富を総取りしていた。←→ 一方、全地球が均質化(※グローバリゼーション)する現代では、新興国や途上国の57億人全員が資本主義の恩恵を受けるチャンスがあるという「建前」(※実際は自己努力/自己責任)で進んでいるが、それでは「安く仕入れて高く売る」という近代資本主義の成立条件は崩壊する。→ 全員がグローバリゼーションで豊かになる、というのは「建前」で、実際には安く仕入れる先(※フロンティア)はほとんど残されていない。
・それでも資本主義は資本が自己増殖するプロセスだから、利潤を求めて新たな「周辺」を生み出そうとする。しかし、現代の先進国にはもう海外に「周辺」はない。→ そこで資本は、国内に無理やり「周辺」をつくり出し、利潤を確保しようとしている。…その象徴的な例が、アメリカのサブプライム・ローンであり、日本の労働規制の緩和。→ サブプライム・ローンでは「国内の低所得者」(周辺)を無理やり創出して、彼らに住宅ローンを貸しつけ、それを証券化することでウォール街(中心)が利益を独占していた(※自動車ローンでも同様のことが行なわれていた…詳細は「震災レポート22」)。→ 日本では、労働規制を緩和して非正規雇用者を増やし、浮いた(社会保険や福利厚生の)コストを利益にする。……アメリカや日本に限らず、今や世界のあらゆる国で格差が拡大しているのは、グローバル資本主義が必然的にもたらす状況だといえる。〔※こうした事実を隠蔽するために、資本側は(政治家・官僚・専門家・マスメディアも取り込み)様々なイデオロギー(プロパガンダ)を総動員する…〕

○ブレーキ役が資本主義を延命させた

・むき出しの資本主義のもとでは、少数の者が利益を独占してしまう。…現在の新自由主義者が唱えている規制緩和とは、要するに一部の強者が利潤を独占することが目的だからそのような政策(※TPPも?)を推進していけば、国境を越える巨額の資本や超グローバル企業だけが勝者(※15%)となり、ドメスティックな企業(※円安の被害…)や中流階級(※リストラ・賃金減…)はこぞって敗者に転落していくに違いない。(※日本の近未来…?)
・あらかじめ富める人の定員は15%しかないのが資本主義だが、曲がりなりにも今日まで存続してきたのは、その過程で資本主義の暴走にブレーキをかけた経済学者・思想家がいたから。…アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズらが近代の偉大なブレーキ役だった(詳細はP169)。→ そういう意味では、資本主義というものは、誰かブレーキ役がいないとうまく機能せず、その強欲さゆえに資本主義は自己破壊を起こしてしまうものなのだ。
・マルクスのブレーキは、19世紀半ばからソビエト連邦解体までは効き目があった。…その上、1929年に世界が大恐慌に直面すると、ケインズ主義が暴走する資本主義のブレーキとなり、1972年ぐらいまではもちこたえることができた。→ しかし、オイル・ショックが起き、スタグフレーション(※不況下のインフレ)になって、ケインズ政策の有効性が疑われるようになると、一転してブレーキ役たるケインズが停滞の犯人のようにされてしまった。→ 代わって、あらゆるブレーキを外そうと主張したのが、ミルトン・フリードマンやハイエクが旗振り役となった新自由主義。…21世紀のグローバル資本主義は、その延長上にあるから、いわばブレーキなき資本主義と化している。

○「長期停滞論」では見えない資本主義の危機

・そして、リーマンショックを経て、ようやく新自由主義が唱導するようなブレーキなき資本主義に警鐘を鳴らす声が聞こえるようになってきた。←→ しかし、(リーマンショックというこれほどまでに大きな資本主義の危機を経ても)「金融緩和をおこない、インフレに向かう期待をもたせれば、経済は好転する」というリフレ理論が、経済政策の主導者たちの間では優勢だった。…「株価が上がった」という事実だけを取り上げて、アメリカの量的緩和、日本の異次元緩和は成功していると唱える人々だ。(※黒田・日銀〝異次元緩和〟の第二弾…!)
・(新自由主義も金融緩和も危機脱出の突破口を見出せなくなった現在)→ 需要不足が「長期停滞」の原因との診断で、「ケインズに帰れ」というもう一つの処方箋が提出される。…つまり、積極財政によって国内で需要を創出すれば、経済はもち直すという処方箋。…しかし、ケインズ的な「大きな政府」が成立するのは、資本が国境を越えず、一国の中でマネーの動きを制御できる時代のこと。←→ 国境を越えて資本が自己増殖していくグローバル資本主義のもとでは、ある国家の内側での需要創出を狙うケインズ政策も、焼け石に水程度の効果しかないだろう。(※アベノミクスの第2の矢が、この公共投資を増やす積極財政 → 債務の増大…)
・そして、最も重大なケインズ政策の欠陥は、「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」という21世紀のこの時代に、経済成長を目的としている点。→ 成長を目的とする時点で、ケインズ流の「大きな政府」は、あらかじめ失敗を運命づけられている。
・私たちはそろそろ、資本主義が生き延びるという前提で説かれる「長期停滞論」にも決別しなければならない時期に差し掛かっている。…資本の自己増殖と利潤の極大化を求めるために「周辺」を必要とする資本主義は、(暴走するか否か、停滞が長期か短期かにかかわらず)いずれ終焉を迎える。…(すでに説明したように)現代はもう「周辺」が残されていないから。
・おそらく「アフリカのグローバリゼーション」という言葉が囁かれるようになった時点で、資本主義が地球上を覆い尽くす日が遠くないことが明らかになってきた(※中国が、今さかんにアフリカに進出…。そして日本もそれに追随…?)。→ 資本主義が地球上を覆い尽くすということは、地球上のどの場所においても、もはや投資に対してリターンが見込めなくなることを意味。…すなわち地球上が現在の日本のように、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレになる、ということ。→ このような状態では、そもそも資本の自己増殖や利潤の極大化といった概念が無効になるから、近代資本主義が成立する余地はない。…そして、成長を求めれば求めるほど、資本主義の本来もつ矛盾が露呈し、システム転換に伴うダメージや犠牲も大きくなる。(※ハード・ランディングの危険性…)

○「無限」を前提に成り立つ近代

・資本主義のもつ固有の矛盾とは、資本主義の定義自体にある。…資本主義は、資本の自己増殖のプロセスであると定義するのだから、「目標地点」(ゴール)を決めていないということ。→ 16世紀のヨーロッパ人は、(それまでの中世の人とは世界観がまったく異なっていて)眼の前に突如「無限の空間」が現れた(ex. コペルニクスやブルーノなど…詳細はP174~175)。…「無限」だからこそ「過剰」を「過剰」だとは思わないのが、近代の特徴。
・近代社会を経済的側面からみれば資本主義社会であり、政治的側面からみれば民主主義社会。…実は、民主主義も「過剰」をつくり出すシステム。(佐藤文隆『科学と人間』によれば)…民主主義は「大量」の物質を必要とする。…現在の「一部」を将来は「万人」に拡大するという夢の上に科学技術と民主主義は共存している(※世界中のすべての人々が、豊かで健康で文化的な生活を…)。←→ こうした希望が幻想だと分からせたのが、20世紀末から世界を席巻するグローバル資本主義。→ 先進国で貧困問題が深刻化し、また、9・15(リーマンショック)や3・11(福島原発事故)で金融工学や原子力工学が、果たして人々を豊かにするかどうか、疑念が生じた。

○未来からの収奪

・「地理的・物的空間」が消滅してもなお「過剰」を追い求めれば、新しい「空間」をつくることが必要になる。→ それが「電子・金融空間」だった。…前者の空間は、北(先進国)と南(後進国)の間に見えない壁があった。→ グローバル資本主義は、いったんその壁を取り払って、新たに壁を作り直すためのイデオロギーなのだ。
・新しい空間が「電子・金融空間」となれば、この空間に参入できる人はある程度の所得を持っていなければならない。→「努力をした者が報われる」と宣言して、報われなかった者は努力が足りなかったのだ(※自己責任)と納得させることで、先進国内に見えない壁をつくり、下層の人たちから上層部の人たちへ富の移転を図った。→ 収奪の対象は、アメリカであればサブプライム層と呼ばれた人たちだし、EUであれば、ギリシャなどの南欧諸国の人たち、日本の場合は非正規社員…。(※昨今マスメディアでは、「自助努力」とか「自己責任」とかいう言葉が過剰に使われているが、こうした構造の隠蔽のためか…)
・さらにいえば、「電子・金融空間」で収奪するというこの状況下で、我々が成長を追い求めるために行っている経済政策・経済活動は、「未来からの収奪」となっている可能性が大きい。…ケインズ主義者が唱える財政出動も、公共事業にかつてのような乗数効果が見込めない現在にあっては、財政赤字を増加させると同時に、将来の需要を過剰に先取りしている点で、未来からの収奪に他ならない。(※最近よく聞く〝前倒し〟という言葉…)
・金融の世界でも同じ。…1990年代末に世界的な流れとなった時価会計とは、時価の数字がそのまま決算に反映されるシステムなので、「将来、これぐらいの利益を稼ぎ出すだろう」という投資家の期待を織り込んで資産価格が形成されていく。→ そのとき、マーケットというのは、その将来価値を過大に織り込むことで、利益を極大化しようとするから、結果的には、将来の人々が享受すべき利益を先取りしていることになる。(※う~ん、金融は難しい…)
・しかも「電子・金融空間」で時価に対してマーケットが過剰に反応すればするほど、バブルのリスクは高まる。→ 時価会計は、将来の人々の利益を先取りするのみならず、バブルが起きれば、弾けた時に巨額の債務が残る。→ 巨額の税負担という損失も先送りする結果になってしまう(※すでに1000兆円の債務!…詳細はP177~178)。
・経済成長が依存している地球環境でも同じことが言える。…人類は数億年前に堆積した化石燃料を18世紀後半の産業革命以降、わずか2世紀で消費し尽くそうとしている。…「もし我々が、これまでと同様の発想で右肩上がりの豊かさを求めて人間圏を営むとすれば、人間圏の存続時間は100年ほどだろうと考えられる」(松井孝典『地球システムの崩壊』より)→「蒐集」に駆動されて、拡大・成長を追い求めれば、同時代のみならず未来世代からも収奪せざるを得ない。…もはや拡大・成長の余地はないのに、無理やり拡大(※バブル)させれば、風船が弾けるように、収縮が起きる(※バブル崩壊)のは当然。
・ 9・15のリーマンショックは、金融工学によってまやかしの「周辺」をつくり出し、信用力の低い人々の未来を奪った(※自己破産…)。…リスクの高い新技術によって低価格の資源を生み出そうとした原子力発電も(※〝安全神話〟とは経費節約のため?)、3・11で、福島の人々の未来を奪っただけでなく、数万年後の未来にまで放射能という災厄を残してしまった。→ 資本主義は、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食い潰し、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしている。

○バブル多発時代と資本主義の退化

・このように、地球上から「周辺」が消失し、未来からも収奪しているという事態の意味を、我々はもっと深く受け止めるべき。→(経済の「長期停滞」といった次元ではなく)ヨーロッパの理念、近代の理念であった「蒐集」の終焉が近づいている。…従って、資本主義の終焉とは、近代の終わりであると同時に、西欧史の終わりと言っても過言ではない。→ 英米の資本帝国であれ、独仏の領土帝国であれ、全世界の70億人が資本主義のプレーヤーになった時点が、帝国の死を意味するのだ。
・そうすると、私たちが取り組むべき最大の問題は、資本主義をどのように終わらせるかということになる。→ すなわち、現状のごとくむき出しの資本主義を放置した末のハード・ランディングに身を委ねるのか、あるいはそこに一定のブレーキをかけてソフト・ランディングを目指すのか。(※取るべき選択肢としては、後者しかないだろう…)
・むき出しの資本主義の先に待ち受けているもの…おそらくそれは、リーマンショックを凌駕する巨大なバブルの生成と崩壊。→ すでに資本主義は、(永続型資本主義から)バブル清算型資本主義へと変質している。
・本来、資本主義が効率よく実行されているかどうかは資本の利潤率(国債利回り+リスク・プレミアム)で測るものだが、ゼロ金利となった現在、どの実物資産も、リターンは見込めない。→ 代わって株価が資本主義の効率性を測る尺度として登場し、その主戦場は「電子・金融空間」となった。→ その結果、サマーズ(元財務長官)の指摘の通り「3年に1度バブルが起きる」ようになった。→ しかし、バブルは必ず弾けるので、その時点で投資はいったん清算される。…17世紀初頭に誕生した永続資本(株式会社)を原則とする資本主義は、20世紀末に終焉を迎え、一度限りのバブル清算型の資本主義へと大きく退化した。
・永続型資本主義の始まりはオランダ東インド会社であり、それ以前の地中海世界における資本主義は一事業ごとに利益を清算する合資会社による資本主義だった。…当時、資本主義経済はまだ萌芽の段階で、社会全般に浸透していなかったので、一度限りの事業清算型の資本主義で十分こと足りていた。
・13~15世紀の地中海世界の事業清算型資本主義は、失敗すればその責任は資本家のものだった。←→ ところが、21世紀のバブル清算型資本主義になると、利益は少数の資本家に還元される一方で、公的資金の注入などの救済による費用は、税負担という形で広く国民に及ぶ。→ 資本家のモラルという点では、21世紀のバブル清算型資本主義は、事業清算型資本主義と比べて明らかに後退している(※政治家とともに資本家も劣化…)。…人類は「進歩する」という近代の理念も疑ってみる必要がある。

○ハード・ランディング・シナリオ――中国バブル崩壊が世界を揺るがす

・日本の土地バブル、アジア危機、アメリカのネット・バブル、住宅バブル、そしてユーロのバブル…。→ それに続く巨大なバブルは、おそらく中国の過剰バブルになるだろう。…リーマンショック後、政府の主導で大型景気対策として4兆元もの設備投資をおこなったことによって、中国の生産過剰が明らかになりつつある。
・その代表例が粗鋼生産能力(22%ほど生産能力が過剰)→「世界の工場」と言われる中国だが、輸出先の欧米の消費は縮小している(この先、以前のような消費を見込むことは不可能)。(またアジアの中でも中国は、領土問題などを抱え)対アジアの輸出も今後は翳りを見せるだろう。…かといって、中間層による消費がか細い中国では、内需主導に転換することもできない。→ いずれこの過剰な設備投資は回収不能となり、やがてバブルが崩壊する。(※う~ん、かなりはっきりと言い切っている…)
・中国でバブルが崩壊した場合、海外資本・国内資本いずれも海外に逃避していく(※すでに富裕層の海外逃避は始まっている…?)。→ そこで中国は(外貨準備として保有している)アメリカ国債を売る。→ 中国の外貨準備高は世界一だから、その中国がアメリカ国債を手放すならば、ドルの終焉をも招く可能性すらある(※オバマが中国に気をつかうわけ…?)。

○デフレ化する世界

・この中国バブルの崩壊後、新興国も現在の先進国同様、低成長、低金利の経済に変化していく。→ つまり、世界全体のデフレが深刻化、永続化していくということ。(詳細はP183)
・新興国で起きるバブルは、(欧米で起きた資産バブルでなく)日本型の過剰設備バブル。…日本のバブルは国内の過剰貯蓄で生じたのだが、国際資本の完全移動性が実現した21世紀においては、先進国が量的緩和で生み出す過剰マネーが、新興国に(日米欧がなし得なかった)スピードでの近代化を可能にさせている。
・過剰設備バブルは、(資本市場で決まる株価がその崩壊時において急落するのと異なり)崩壊には時間がかかる。→ この崩壊の段階に至って、資本主義はいよいよ歴史の舞台から姿を消していくことになるだろう。…全世界規模で、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが実現して、いやがおうにも定常状態に入らざるを得なくなる。
・もちろん中国バブル崩壊が人々の生活に与える影響は甚大だ。→ その規模はリーマンショックを超えるだろうから、日本においても相当な数の企業が倒産し、賃金も劇的に下がるだろう。→ バブルが弾け、経済が冷え込めば、国家債務は膨れ上がるから、財政破綻に追い込まれる国も出てくる。→ 日本はその筆頭候補だ。(※う~ん、日本は財政破綻の筆頭候補か…)
・これまでの歴史では、国家債務が危機に瀕すると、国家は戦争とインフレで帳消しにしようとした。つまり力づくで「周辺」をつくろうとした(※まさか、アベちゃん、これを狙っているのか…?)。←→ しかし現代の戦争は、(核兵器の使用まで想定されるから)国家間の大規模戦争というカードを切ることはおそらくない。→ けれども、国内では、行き場を失った労働者の抵抗が高まり、内乱の様相を呈するかもしれない。…資本家対労働者の暴力的な闘争、そして資本主義の終焉というマルクスの予言にも似た状況が生まれるのではないか。
・資本主義の暴走に歯止めをかけなければ、このような長期の世界恐慌の状態を経て、世界経済は定常状態(ゼロ成長)へと推移していくことになる。…悲観的な予測になってしまうかもしれないが、いまだに各国が成長教にとらわれている様子を見ると、この最悪のシナリオを選択してしまう可能性を否定しきれない。(※確かに、あの複数の原発が〝暴走〟してしまうのを体験してしまった今、この〝最悪のシナリオ〟が起こらないとは、とても断言できない…)

○ソフト・ランディングへの道を求めて

・このような資本主義のハード・ランディングではなく、資本主義の暴走にブレーキをかけながらソフト・ランディングをする道はあるのだろうか。…現在の国家と資本の関係を考えると、資本主義にとって(資本が国境を容易に越えるときに)国家は足手まといのような存在になっている。→ 今や資本が主人で、国家が使用人のような関係。
・グローバル資本主義の暴走にブレーキをかけるとしたら、それは世界国家のようなものを想定せざるを得ない。…金融機関をはじめとした企業があまりにも巨大であるのに対して、現在の国民国家はあまりにも無力。→ EUは、国家の規模を大きくしてグローバル資本主義に対抗しようとしたが、欧州危機で振り回されているということは、まだサイズが小さいのかもしれない。
・世界国家、世界政府というものが想定しにくい以上、少なくともG20が連帯して、巨大企業に対抗する必要がある。…具体的には法人税の引き下げ競争に歯止めをかけたり(※安倍政権は逆に〝法人税の引き下げ競争〟に加担…)、国際的な金融取引に課税するトービン税のような仕組みを導入したりする。→ そこで徴収した税金は、食糧危機や環境危機が起きている地域に還元することで、国境を越えた分配機能をもたせるようにする。
・G20で世界GDPの86.8%を占めるから、G20で合意できれば、巨大企業に対抗することも可能。…マルクスの『共産党宣言』とは真逆に、現在は万国の資本家だけが団結して、国家も労働者も団結できずにいる状態(※確かに…)。→ 労働者が連帯するのは現実的に難しい以上、国家が団結しなければ、資本主義にブレーキをかけることはできない。(※ここではまったく国連には言及されていないが、今の国連はそれほど機能不全に陥っているのか…?)

○「定常状態」とはどのような社会か

・未だ資本主義の次なるシステムが見えていない以上、このように資本の暴走を食い止めながら、資本主義のソフト・ランディングを模索することが、現状では最優先されなければならない。→ いわば、資本主義にできる限りブレーキをかけて延命させることで、ポスト近代に備える準備を整える時間を確保することができる。
・(資本主義の先にあるシステムを明確に描くことは、今はできないが)その大きな手がかりとして、現代の我々が直面している「定常状態」についてここで考えていく。…「定常状態」とはゼロ成長社会と同義であり、それは人類の歴史の上では珍しい状態ではない。〔P189の図より〕…1人当たりのGDPがゼロ成長を脱したのは16世紀以降(中世→近代)のことで、この後の人類史(21世紀以降~)でゼロ成長が永続化する可能性もある。
・経済的には、ゼロ成長というのは純投資がないということ。つまり、減価償却の範囲内だけの投資しか起きない。…家計でいうなら、自動車を(増やさずに)乗り潰した時点で買い替えるということ。→ 従って、買い替えだけが基本的には経済の循環をつくっていくことになる(少子高齢化で人口減少していけば、車の台数も減っていく)。→ そこで人口が9000万人程度で横ばいになれば、定常状態になる。…つまり、買い替えサイクルだけで生産と消費が循環していき、多少の増減はあってもおおむね一定の台数で推移していくということ。
・ただ15世紀までの中世は、10年、20年単位でみれば定常であっても、短期間では非常にアップダウンの激しい経済だった。←→ 21世紀の「定常」は中世とは異なって、毎年の変動率が小さいという点でずっと望ましい。(ただし、金融政策や財政政策で余計なことをしないという前提の上でのことだが…詳細はP188~190)

○日本が定常状態を維持するための条件

・この定常状態の維持を実現できるアドバンテージ(有利な立場)を持っているのが、世界で最も早くゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレに突入した日本。…現在の日本は、定常状態の必要条件を満たしている状態として考えることができるが、ゼロ金利だけでは十分ではない。→ 国が巨額の債務を抱えていては、ゼロ成長下では税負担だけが高まる(債務の返済)ことになるから、基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を均衡させておく必要がある。
・日本は現在、ストックとして1000兆円の借金があり、フローでは毎年40兆円の財政赤字をつくっている。…GDPに対する債務残高が2倍を超えるほどの赤字国家なのに、なぜ破綻しないのか…。→ そのカラクリは、〔フローの資金繰り〕…現在の金融機関は、マネー・ストックとしてある800兆円の預金が年3%、約24兆円ずつ増えている。さらに企業が1999年以降、恒常的に資金余剰の状態が定着しており、1年間の資金余剰は23.3兆円(2013年)にも達している。…つまり、家計部門と企業部門を合わせた資金余剰は約48兆円(対GDPで10.1%)と高水準を維持している。→ これで、銀行や生保などの金融機関を通して、毎年40兆円発行される国債(※国の借金)が消化できているというわけ。…一方、ストックの1000兆円の借金については、民間の実物資産や個人の金融資産がそれを大きく上回っているため、市場からの信頼を失わずに済んでいる。(※なるほど…)
・しかし、こうした辻褄合わせがいつまでも続くわけがない。→ 現在同様に毎年40兆~50兆円の財政赤字を重ねていれば、(銀行のマネー・ストックが純減したときなど)いずれ国内の資金だけでは、国債の消化ができなくなる。→ 日銀の試算では、2017年には預金の増加が終わると予測されていて、そうなると外国人に国債の購入を頼らざるを得なくなる。→ しかし、外国人は他国の国債金利と比較するから、金利の動きも不安定化する。…現実的には金利は上昇するだろう。→ 金利が上昇すれば利払いが膨らむから、日本の財政はあっという間にクラッシュしてしまう。…それでは、資本主義からのソフト・ランディングも道半ばで挫折してしまう。⇒ そうならないために、財政を均衡させなければならない。(※説得力あり…)

○国債=「日本株式会社」会員権

・すると、現在の1000兆円の借金はどうすればいいか。→ 借金1000兆円は債券ではなく、「日本株式会社」の会員権への出資だと考えたほうがいい。…国民は銀行や生命保険会社にお金を預け、そのお金が結局、国債購入に使われる。→ だから国民の預金は、間接的に国債を購入していることと同じ意味を持っている。…その国債がゼロ金利ということは、配当がないということ。それでも、日本の中で豊かな生活サービスを享受できる。→ その出資金が1000兆円なんだと発想転換したほうがいい。(※う~ん、この考え方だと日本で生活していくなら〝外貨預金〟などするべきではないということか? 富裕層はしっかりやってるらしいが…)
・そう考えた上で、借り換えを続けて1000兆円で固定したままにしておくことが重要。→ 現在は、歳出90兆円に対して、40~50兆円の税収しかないから、放っておけば、借金は1100兆円、1200兆円とどんどん膨らんでいく。→ そうなったら、日本だけでは国債を消化できず、外国人に買ってもらわなければならない。…でも外国人には日本国債は(会員権ではなく)金融商品にすぎないから、ゼロ金利では承知してもらえず(※そりゃそうだ…)、金利は上がることになる。→ それでは財政破綻は免れることはできない。
・今は増え続けている預金も、2017年あたりを境に減少に転じると予想されている。→ おそらく今後は、団塊世代が貯蓄を取り崩したり(※すでに取り崩している…)、相続世代が貯蓄にお金を回さない(※確かに余裕なさそう…)ことで、減少圧力は少しずつ強まっていく。→ そう考えると、残された時間はあと3,4年しかない。…その間に、基礎的財政収支を均衡させることが日本の喫緊の課題なのだ。(※う~ん、あと3,4年というのは、相当厳しい…)
・財政均衡を実現する上で、増税はやむを得ない。→ 消費税も最終的には20%近くの税率にせざるを得ないだろう(※う~ん、やはり他の先進国並の税率が必要なのか…)。→ しかし、問題は法人税や金融資産課税を増税して、持てる者により負担をしてもらうべきなのに、逆累進性の強い消費税ばかり議論されているところ。←→ 法人税に至っては、財界は下げろの一点張り。→ 法人税を下げたところで、利益は資本家が独占してしまい、賃金には反映されないのだから、国家の財政を健全にして、分配の機能を強めていくことのほうが、多くの人々に益をもたらすはず。〔※消費税については、やはり最終的には他の先進国並の税率が必要になるが、その前に資本側や富裕層を優遇している税制を見直すべき…ということか。…法人税についても、日本の場合は、免税特例が多数あり(政治家や官僚の利権の温床?)、実際の税率は公式の数字(現在は約35%)よりかなり低くなっているらしい…東京新聞2014.11.11より〕

○エネルギー問題という難問

・定常状態を実現するためのもう一つの難問は、エネルギー問題。…新興国が成長するほど、世界はエネルギー多消費型の経済に傾いていくから、資源価格はつり上がっていく。→ 名目GDPは定常にならず、減っていってしまう。
・定常状態を実現するためには、①人口減少を9000万人あたりで横ばいにすること、②安いエネルギーを国内でつくって、原油価格の影響を受けないこと…が重要になる(太陽光だと1kwhあたり20円以下でつくることができれば、名目GDPの減少は止まるはず…詳細P195)。
・「財政の健全化は景気の足を引っ張る」などというような、この1年、2年の次元の問題ではなく(※日本はこの次元の話ばかり…)次の新しいシステムに移行するときに、財政の健全化はまずクリアーしておくべき条件であり、それができなければ新しい時代を迎える資格はない。

○ゼロ成長維持すら困難な時代

・多くの人は、ゼロ成長というと非常に後ろ向きで、何もしないことのように考えがちだが、それは大きな誤解。…1000兆円の借金も高騰する資源価格も、それを放置したままではマイナス成長になってしまう。→ マイナス成長社会は、最終的には貧困社会にしかならない。←→ ゼロ成長の維持には、成長の誘惑を断って借金を均衡させ、さらに人口問題、エネルギー問題、格差問題など、様々な問題に対処していくには、(旧態依然の金融緩和や積極財政に比べて)高度な構想力が必要とされる。
・新自由主義者やリフレ論者たちは、せっかくゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレという定常状態を迎える資格が整っているというのに、今なお近代資本主義にしがみついており、それが結果として多大な犠牲とともに資本主義の死亡を早めてしまう(※ハード・ランディング)ことに気づかない。→ 何度も繰り返すように、成長主義から脱却しない限り、日本の沈没は避けることができない。

○アドバンテージを無効にする日本の現状

・定常状態への大きなアドバンテージ(有利な立場)があるにもかかわらず、成長主義にとらわれた政策を続けてしまったために、日本国内もグローバル資本主義の猛威にさらされ続けている。〔P197の図より〕…金融資産ゼロ(2人以上の世帯)…1987年3.3% → 2013年31.0%(1963年の調査以来の最高値)。…つまり、バブルが崩壊し、新自由主義的な政策が取られていく過程で、無産階級が3.3% → 31% へと跳ね上がったわけ。
・日本の利子率は世界で最も低く、史上に例を見ないほど長期にわたって超低金利の時代が続いている。…利子率が最も低いということは、資本が最も過剰にあることと同義。→ もはや投資をしても、それに見合うだけのリターンを得ることができないという意味では、資本主義の成熟した姿が現在の日本だと考えることもできる。←→ しかし、その日本で、およそ3割強の世帯が金融資産をまったく持たずにいるという状況が現出している。
・(アベノミクスの浮かれ声とは裏腹に)今なお生活保護世帯や低所得者層も増加傾向のまま。…非正規雇用者数は1906万人(2013年)、年収200万円以下の給与所得者数は1090万人(2012年)、生活保護受給者数も200万人を超えている。⇒ こうした格差拡大の処方箋としては、まず生活保護受給者は働く場所がないわけだから、労働時間の規制を(緩和ではなく)強化して、ワークシェアリングの方向に舵を切らなければならない。
〔※この「ワークシェアリング」については、以前からオランダ方式などのモデルケースも紹介されており、非常に関心を持っていたのだが、なぜか日本ではまともに検討されたことがないよう。やはりこの国は〝資本の論理〟が強すぎるのか…?〕
・日本の年間総実労働時間は、一般(フルタイム)労働者で2030時間(2012年)…これはOECD加盟国の中でも上位に入る長時間労働(サービス残業を含めれば実際はもっと働いている)。⇒ ここにメスを入れて、過剰労働、超過勤務をなくすように規制を強化すれば、単純にその減少分だけでも相当数の雇用が確保されるはず。(※アベノミクスでは真逆に,〝資本の論理〟からの「規制緩和」ばかり。→ この〝長時間労働〟が、日本の〝諸悪の根源〟ではないのか…)
・年収200万円世帯の多くは非正規労働者だろう。彼らは正社員と違って、ボーナスも福利厚生も社会保険もない場合がほとんど。正社員と比較して、二重にも三重にも不安定な境遇に置かれている。→ 非正規という雇用形態には否定的にならざるを得ない。なぜなら、21世紀の資本と労働の力関係は、圧倒的に前者が優位にあって、こうした状況をそのままにして働く人の多様なニーズに応えるというのは幻想と言わざるを得ないから。…結局、労働規制の緩和は資本家の利益のための規制緩和にすぎない。→ 従って、労働規制を強化して、原則的に正社員としての雇用を義務づけるべきだと考える(※そして、その中での多様なワークシェアリングの仕組みの導入を…)。…〔※う~ん、この項は、深く納得…〕

○「長い21世紀」の次に来るシステム

・こうしたグローバル資本主義の負の影響は、先進国のみならず、新興国においては先進国以上のスピードで格差が拡大していくはず。→ そこで危機に瀕するのは、単に経済的な生活水準だけではなく、グローバル資本主義は、社会の基盤である民主主義をも破壊しようとしている。…グローバル資本主義を、単なる経済的事象と捉えていては、事の本質を見誤ることになる。
・市民革命以後、資本主義と民主主義が両輪となって、主権国家システムを発展させてきた。…民主主義の経済的な意味とは、適切な労働分配率を維持するということ。→ しかし、(2章でも触れたように)1999年以降、企業の利益と所得とは分離していく(※資本側の完勝)。←→ 政府はそれを食い止めるどころか、新自由主義的な政策を推し進めることで、中産階級の没落を加速させていった。→ その結果、超資本主義の勝利は(間接的、そして無意識のうちに)民主主義の衰退を招くことになってしまった…(ライシュ『暴走する資本主義』より)。
・同様に、国家が資本の使用人になってしまっている状況は(※TPP交渉の秘密主義もその現れ…?)、国民国家の存在意義にも疑問符を突きつけている。→ 詰まるところ、18世紀から築き上げてきた市民社会、民主主義、国民主権という理念までもが、グローバル資本主義に蹂躙されているのだ。…そして当の資本主義そのものも、無理な延命策によってむしろ崩壊スピードを速めてしまっているありさまだ。
・かつて政治・経済・社会体制がこぞって危機に瀕したのが「長い16世紀」だった。→ ジェノヴァの「利子率革命」は、中世の荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へとシステムを一変させた。そして、「長い16世紀」の資本主義勃興の過程は、中世の「帝国」システム解体と近代国民国家の創設のプロセスでもあった。→ このプロセスを通じて、中世社会の飽和状態を打ち破る新たなシステムとして、近代の資本主義と国民国家が登場した。
・この「長い16世紀」と、1970年代から今に続く「長い21世紀」…どちらの時代も、超低金利のもとで投資機会が失われていく時代だが…「長い16世紀」はそれを契機として政治・経済・社会体制が大転換を遂げた。→ だとするなら、「長い21世紀」においても、近代資本主義・主権国家システムはいずれ別のシステムへと転換せざるを得ない。
・しかし、それがどのようなものかを人類はいまだ見出せていない。→ そうである以上、資本主義とも主権国家ともしばらくの間はつきあっていかなければならない。…資本主義の凶暴性に比べれば、市民社会や国民主権、民主主義といった理念は、軽々と手放すにはもったいないものだ(実際、今すぐに革命や戦争を起こして市民社会を倒すべきだと主張する人はほとんどいないはず)。…もちろん民主主義の空洞化は進んでいる(※安倍政権もそれに加担…)。しかし、その機能不全を引き起こしているものが資本主義だとすれば、現在取りうる選択肢は、グローバル資本主義にブレーキをかけることしかない。
・ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ…この三点が定常状態への必要条件と言ったが、しかし、成長教信者はこの三点を一刻も早く脱却すべきものと捉える。→ そこで金融緩和や積極財政が実施されるが、日本の過去が実証しているように、お金をジャブジャブと流し込んでも、三点の趨勢は変わらない。…ゼロ金利は、財政を均衡させ、資本主義を飼い慣らすサインであるのに、それと逆行してインフレ目標や成長戦略に猛進するのは(※アベノミクス)、薬物中毒のごとく自らの体を蝕んでいくだけ。

○情報の独占への異議申し立て

・「長い16世紀」と「長い21世紀」にはもう一つのおおきな類似点がある。…政治や経済、社会システムが不調なときには、誰が情報を握るのかという争いが起きる〔※安倍政権は今のところこの情報戦に成功しているように見える(→ 不可解な高い支持率)…読売・産経や電通の功績?〕。…(4章で少し触れたが)中世の地中海世界における特権階級はラテン語を読み書きできる人々であり、主に教会に従事する人たちだった。←→ それに対して,(ローマから見て)「周辺」の地であるドイツ,オランダ,フランスの人々は、財産権も行政権も司法権もない状況だった。→ そこでプロテスタント側が、俺たちに財産権や司法権、裁判権をよこせと、いわば独立運動を起こした。
・「長い16世紀」の資本主義最大の産業は出版業界…それは当初、ラテン語陣営に属していたが、ラテン語の聖書はすでに飽和状態だった(特権階級はみんなラテン語の聖書は持っていた)。→ そこで出版業界がプロテスタント陣営について、ルターの教えを大量に印刷してヨーロッパ中に売ったために、ドイツ語や英語はラテン語に勝ったわけ(※出版業界というのはどの時代でも日和見か…?)。…従って、「長い16世紀」の宗教改革は、ドイツ語,フランス語,英語で話す人たちが、ラテン語を使う特権階級の人たちから情報を奪い取る情報戦争として位置づけることができる。→ その結果、情報は中世社会に比べてはるかに広範囲に、早く伝わって、市場を通じた支配の礎となった。(※「長い21世紀」の情報戦争も、すでに始まっている…)
・ここで重要なのは、「情報革命」と「利子率革命」が同時進行するのは必然であるということ。…つまり、ある空間の政治・経済・社会体制が安定しているときは、情報を独占している人間に対して反旗を翻すことはないのだが → それが不安定化して、富の偏在があらわになると、同時に情報は誰のものかが問い直される(※確かに、日本でも今、マスメディアに対する批判など、「情報は誰のものか」が問い直され始めている気配…)。→ 「長い16世紀」では地中海の中心に富が集中していたので、「周辺」であるドイツから反抗の狼煙が上がった。
・一方現代でも、歴史の危機を告げ知らせるかのように、情報の主導権をめぐる争いが起きている。(1章でも触れたが)それを象徴するのがスノーデン事件。…英米の資本帝国で、1%対99%という富の偏在が明らかになった今、政治・経済・社会体制に対して人々の大きな不安が渦巻いている。…アメリカなどの情報収集活動について内部告発したスノーデンはいわば、その不安の象徴的人物といえる。(※日本の大手メディアがスノーデン氏には批判的だったという印象があるが、それはメディアの多数がいまだ権力側に属している、ということか…?)
・ルターは、「周辺」からローマ・カトリック教会の情報操作を批判した(詳細はP205)。同様に、スノーデンも国家の情報管理の秘密を暴いた。…このスノーデン事件は、特権者のカラクリの存在を明らかにした点で、まさにルターに通じている。
・しかしルターが、聖書をドイツ語に翻訳し、1%の特権階級が独占していた情報を、99%の一般の人々に開放することで、国民国家という次なるシステムへの端緒を切り開いたのに対し、スノーデンひとりによる内部告発からはまだ新たなシステムの誕生の予兆は感じられない。…それはおそらく、「長い21世紀」がまだ混迷が続き、新たなシステムの萌芽が見えるまでに時間がかかることを意味している。

○脱成長という成長

・(4章で述べたように)12~13世紀に、過剰な金利(リスク性資本)が誕生したところに資本主義の原型があった。資本の自己増殖ということを考えると、利子率こそが資本主義の中核にあるものだから。…当の合資会社は、一つの事業が終了すると、そこで利益を出資者に配分して、会社は解散する。いわば一回限りの資本主義といえる。→ それが「長い16世紀」になると、「空間革命」が起きて、利潤を得る場が一気に世界へと広がっていった。…そこで資本家も事業を広範囲かつ持続的に行なって利潤を増やしていくようになり(ex.東インド会社)、永続型の資本主義へと転換していった。←→ そしてまた、再び資本主義が「バブル清算型」という永続性なき資本主義へ先祖返りしている(※退化…)。…これは偶然ではなく、すでに「周辺」が存在しない世界では、永続的な資本主義は不可能なのだ。
・誕生時から過剰利潤を求めた資本主義は、欠陥のある仕組みだったとそろそろ認めるほうがいいのではないか。…これまでダンテやシェイクスピア、あるいはアダム・スミス、マルクス、ケインズといった偉大な思想家たちがその欠陥を是正しようと命がけでたたかってきたから、資本主義は8世紀にわたって支持され、先進国に限れば豊かな社会を築いてきた。←→ しかし、もはや地球上に「周辺」はなく、無理やり「周辺」を求めれば、中産階級を没落させ、民主主義の土壌を腐敗させることにしかならない資本主義は、静かに終末期に入ってもらう(※ソフト・ランディング)べきだろう。
・ゼロインフレとは、今必要でないものは、値上がりがないのだから購入する必要がないということ。つまり、消費するかどうかの決定は消費者にある。…豊かさを「必要な物が必要なときに、必要な場所で手に入る」(ミヒャエル・エンデ)と定義すれば、ゼロ金利・ゼロインフレの社会である日本は、いち早く定常状態を実現することで、この豊かさを手に入れることができる。
・そのためには、「より速く、より遠くへ、より合理的に」(※オリンピックの標語みたいだ…)という近代資本主義を駆動させてきた理念もまた逆回転させ、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」(※「里山資本主義」に通じる…)と転じなければならない。
・その先にどのようなシステムをつくるべきかは、私自身にもわからない。…定常状態のイメージを語ったものの、それを支える政治体制や思想、文化の明確な姿は、21世紀のホッブズやデカルトを待たなければならないだろう。⇒ しかし、「歴史の危機」である現在を、どのように生きるかによって、危機がもたらす犠牲は大きく異なってくる。…私たちは今まさに「脱成長という成長」を本気で考えなければならない時期を迎えているのだ。

【おわりに】豊かさを取り戻すために

・日本の10年国債利回りが2%を下回った1997年(北海道拓殖銀行や山一證券が破綻し、日本の金融システムが大きく揺らぎ始めた年)…ちょうどその頃、私は証券会社のエコノミストとしてマクロ経済の調査に明け暮れていた。…当初は、景気の低迷によって一時的に利回りが落ち込んだのではないかと考えていたが、その後も一向に2%を超えない。→ 景気が回復しても、国債の利回りだけは2%を超えない。
・一体なぜ、超低金利がこれほど長く続くのか。→ その謎を考え続けていた時、歴史の中に日本と同じように超低金利の時代があることに気づいた。それが「長い16世紀」のイタリア・ジェノヴァで起きた「利子率革命」。…それは、中世封建制の終焉と近代の幕開けを告げる兆候だった。→ だとすれば、日本で続く超低金利は、近代資本主義の終焉のサインなのではないか。…そんな仮説を携えて、「長い16世紀」と現代とを比較してみると、単なる偶然では片付けられない相似性が次々と見つかった。
・以来、利子率の推移に着目して、世界経済史を見つめ続けてきたが、その結果、資本主義の起源もまた、ローマ教会が上限33%の利子率を容認した1215年あたりに求められることに思い至った。…ここで重要なのは、不確実なものに貸付をするときも利息をつけてよい、と認められたこと。つまり、リスク性資本の誕生。…これが資本主義誕生の大きな契機となった。→ そして資本は自己増殖を続け、「長い16世紀」を経て、資本主義は発展してきた。
・マックス・ウェーバーは、資本主義の倫理をプロテスタントの「禁欲」主義に求めたが、「禁欲」した結果として蓄積された資本を、再投資によって新たな資本を生み出すために使うのが資本主義(※資本の自己増殖)。…つまり、「禁欲」と「強欲」はコインの裏表なのだ。
・しかし、(本編で既述したように)こうした資本の自己増殖が臨界点に達し(利潤率ゼロがそのサイン)、資本主義は終焉期に入っている。→ この「歴史の危機」を直視して、資本主義からのソフト・ランディングを求めるのか、それとも「強欲」資本主義をさらに純化させて成長にしがみつくのか。
・後者の先にあるのは、破局的なバブル崩壊というハード・ランディングであるにもかかわらず、先進諸国は今なお成長の病に取り憑かれてしまっている。→ その代償は、遠くない将来、経済危機のみならず、国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機という形で顕在化してくるだろう(※その兆しはすでに現れている…)。…それまでに日本は、新しいシステム、定常化社会への準備を始めなければならない。
・私がイメージする定常化社会、ゼロ成長社会は、貧困化社会とは異なる。→ 拡大再生産のために「禁欲」し、余剰をストックし続けることに固執しない社会。…資本の蓄積と増殖のための「強欲」な資本主義を手放すことによって、人々の豊かさを取り戻すプロセスでもある。……日本がどのような資本主義の終焉を迎え、「歴史の危機」を乗り越えるのかは、私たちの選択にかかっている。

                                    (11/20 了)        



〔「震災レポート・拡張編」もちょうど10回目で(「震災レポート」は通算で30回)、内容的にも、一区切りがついた気がしている。…そんな時に、藪から棒に「解散・総選挙」というニュースが飛び込んできた。…この国の政治・経済・社会状況は、一区切りつくどころか、ますます混迷の度を深めているように見える。…そんな「長い21世紀」という試練の時を、この水野氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」という羅針盤を参考にして、今後も(ちょっと一休みしてから)この「震災レポート」を続けていきたいと思います。〕
                                         

◎ 参考に、「震災レポート・拡張編」(1)~(10)(「震災レポート」21~30)のラインアップを挙げておきます。  ⇒ (「震災レポート」①~⑳ のラインアップは、⑳の巻末にあります。)

【 「震災レポート・拡張編」 (1)~(10)(「震災レポート」21~30) ラインアップ 】

(1)[経済論①]…『デフレの正体』藻谷浩介(角川oneテーマ21)2010.6.10

(2)[経済論②]…『里山資本主義』藻谷浩介+NHK広島取材班――[前編]
                     (角川oneテーマ21)2013.7.10

(3)[経済論③]…『里山資本主義』――[後編]

(4)[農業論①]…『キレイゴトぬきの農業論』久松達央(新潮新書)2013.9.20

(5)[農業論②]…『日本農業への正しい絶望法』神門善久――[前編]
                          (新潮新書)2012.9.20

(6)[農業論③]…『日本農業への正しい絶望法』――[後編]

(7)[農業論④]…『野菜が壊れる』新留勝行(集英社新書)2008.11.19

(8)[農業論⑤]…『土の学校』木村秋則 石川拓治 幻冬舎2013.5.30

(9)[脱成長論①]…『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫――[前編]
                          (集英社新書)2014.3.19

(10)[脱成長論②]…『資本主義の終焉と歴史の危機』――[後編]
                             (2014年11月20日)