(震災レポート40) 震災レポート・5年後編(6)―[福島原発論 ③]
『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』
烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11
―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題― ――[後編]
【5章】原発事故進展は予測できなかったのか
○「誰も経験したことがないから失敗した」は失当である
・「放射性物質が敷地外に漏れ出す原発事故など、日本では誰も経験したことがなかったから」…福島第一原発事故に遭遇した政治家や官僚、学者に取材すると、このセリフが異口同音に出た。→ しかし、この「誰も経験したことがなかったから」という弁明は、本当に正当なのだろうか。
・そもそも、原発事故のような巨大事故がそう何度も起きてもらっては困る。人類史上でも3回しか起きていない。「前にも経験したことがある」など、許されない事態だろう。→ 滅多に起きては困る事態だからこそ、万一起きた時に備えて日ごろ万端に準備しておくべきではないのか。
・腐敗防止(※権力は腐敗する)を考えるなら、政治家職は同じポジションにあまり長くいないほうがいい。従って、原発事故について専門家と同じ知識がなくても構わない。→ むしろ、それを補う補佐役として、担当官庁の官僚や行政・専門委員会の学者といった「専門家」がいたはずだ。また、そうした「原発防災」の専門家がリストアップされ、緊急時に呼び出せるように準備されていなければならなかった。(そうした備えがなかったことをこの章で述べる。)
・もう一度問われなくてはならない。この「原発事故など、誰も経験したことがなかったから(対応が失敗した)」という弁明は正当なのか。…私の取材の結果から言えば、この弁明は失当である。→ 「原発事故が起きると、どう事態が進行するのか」「何をするべきなのか・してはならないのか」は研究され尽くされていた。…1990年代中頃から約10年間、政府・電力会社・原発メーカーの「原子力産業界」では、予算と人材を出し合って原発事故が起きた場合のシミュレーション研究を進めていた。→ その研究成果を事故が起きた時に活用するソフトウェアやシステムも完備していた。
・その成果はシミュレーションソフト「PBS」(Plant Behavior System プラント挙動解析システム)として電力会社(※「東電はPBSを持ってなかった」と後述?…P284)やオフサイトセンターに常備されていた。…日本にある原子炉それぞれについて、事故予測ができるようになっていた。→ 事故が起きた場合の放射性物質の動き方や避難の方法は、書籍にまとめられ、一般書として市販されていた。…経産省は「原子力防災専門官」という役職を設置し、研修もしていた。そこには、福島第一原発事故で実際に起きた現実を正確に予測した内容が含まれていた。(※そんなすぐれものが事前に準備されていたのか…。しかも一般書として市販されていた!)
・ところが、福島第一原発事故が起きた実際の過程では、こうした事前の準備はまったくと言っていいほど役に立たなかった。…「PBS」のシミュレーションデータは首相官邸に届けられたのに、その重要性を政治家は理解できず、官僚は説明しなかった。誰も理解しなかった。→ 事前の準備のほとんどが死蔵されてしまった。(1章で既述)
・多大な予算と人的資源と時間を投じて準備された知見とシステムが、なぜ福島第一原発事故の「本番」でまったく活用されずに終わったのか。→ 政治家・官僚・産業界・学界の「原子力コミュニティ」の中で、蓄積してあった知見を本番につなげることができない「ミス」があったのだ。
・しかし、それが意図的なのか事故なのかは、私の取材の範囲では、まだ分からない。組織の欠陥なのか、制度上の欠陥なのか、ヒューマンエラーなのかは、まだ分からない。…その全貌はまだ謎に包まれている。責任当事者の多くが取材を拒否したまま、沈黙しているからだ。…政府・国会など事故調査委員会も、そうした経緯にまで踏み込んだものはゼロである。
○事故と被曝の過程は正確に予測されていた
・原発で事故が起きた場合、放射性物質漏れはどうした規模で発生し、どういう挙動、方向、スピードで進むのか。住民はどうやって避難させるべきなのか。…この章で紹介する松野元、永嶋國雄、森本宏の三人は、今回の事故が起きる前に、それを的確に指摘していた。そしてそれを書籍として刊行していた。
・松野、永嶋は、政府や電力業界、原発メーカーが設立した外郭団体で事故シミュレーションを作った当事者である。森本は、元消防署長で「原発防災」の専門家。→ しかし、三人のうち誰も、福島第一原発事故が進行していた当時に、政府や東電から協力を要請されたことがない。政府や電力会社の「緊急時のための原発防災専門家リスト」には、まったく入っていなかったようだ。…こうした貴重な知見や人的資源が埋没し、死蔵されてしまったことも、日本の原発事故対策の欠陥として記録され、教訓にされなければならない。←→ しかし、松野さんら三人は、今も「知られざる存在」のままなのだ。(※彼らが外された経緯は後述…)
・著者が松野さんらの存在を知ったのは、事故後、原発事故の取材資料をネットで検索していて、松野の『原子力防災―原子力リスクすべてと正しく向き合うために』という本を見つけたにすぎない(一般書店で売られている本で、アマゾンで入手)。→ そして松野さんが永嶋さんを紹介してくれた。(※社員記者たちは横並び取材だけで、こういうことは誰もやっていない…?)
・しかし、読み進めるうちに驚愕した。福島第一原発事故で現実になる甚大事故と住民被曝の過程が、すべて正確に予言され、政策や制度の不備が指摘されていたから。→ そして住民を被曝させないためにはどんな避難対策を講じるべきなのかが、具体的に記されていた。
・「原子力施設から放射性物質が放出されると、それが雲状に広がり、『放射性プルーム』ができる。放射性プルームは、大気中を広がりながら移動し、その方向や速さは、風向き、風速等の気象条件によって変わる」…これは福島第一原発事故で起きた現実そのものだ。→ 驚いて本の刊行時期を確認すると2007年…事故の4年前である。
・筆者の松野元さん(1945年生まれ)は、東大工学部卒業後、四国電力に入り、伊方原発にも勤務していた「原子力ムラ」の真ん中を歩んできた人。しかも、経産省の関連団体「原子力発電技術機構」(NUPEC)に出向。→ このNUPECは、3年後に「原子力安全基盤機構」(JNES)に発展…その仕事は「原子力災害対策」の立案を担当する実務センター。
・引退して愛媛県松山市に住む松野さんを訪ねた。…そこで、松野さんが現役当時、全国の原発事故の対策システムを設計・運用する責任者だったことを聞いて、言葉を失った。→ 当然のことながら、「ERSS」(緊急時対策支援システム)と「SPEEDI」の両方に精通していた。
・話題になった「SPEEDI」が放射性雲の流れを警告する「口」なら、「ERSS」はそれと対になる原子炉の情報収集(圧力や温度、放射性物質放出量の予測など)をする「目と耳」だ。
・松野さんは、専門担当者向けの「原子力防災研修」の講師もしていたという。→ つまり松野さんが書き残した知見は、経産省や、その下にある原子力安全・保安院に受け継がれていなくてはならないはずだった。←→ だが、松野さんが書いた本は原発災害対策の「教科書」であったのに、3・11で国はその「教科書レベル」の対策ができなかった…ということになる。
○15条通報=住民避難スタートのはずだった
〔著者注:以下のインタビューは2012年2月に行われ、『原発難民』(※→「震災レポート⑳」)にも収録してあるが、日本の原発防災政策の不備を検討するという文脈から再び引用する。〕
(質問)…国は「SPEEDIのデータは不正確だから公表しなかった」と説明していたが。
(松野)…例えSPEEDIが作動していなくても、私なら事故の規模を5秒で予測して、避難の警告を出せると思う。「過酷事故」の定義には「全電源喪失事故」があるのだから、プラントが停電になって情報が途絶する事態は当然想定されている。
(質問)…「原発事故の展開を予測することはできなかった」と政府当局者は口をそろえていたが…。
(松野)…そんなことはない。台風や雪崩と違って、原子力災害は100倍くらい正確に予測通りに動くんです。
(質問)…当初は福島第一原発から放出された放射性物質の量がよく分からなかったのではないか。どれくらい遠くまで逃げてよいのか分からないのではないか。
(松野)…総量など、正確に分からなくても、だいたいでいいんです…(そう言って、松野さんは自著のページを繰り、「スリーマイル島事故」と「チェルノブイリ事故」の記述を示した)…スリーマイル島事故では避難は10キロの範囲内…チェルノブイリでは30キロだった。ということは、福島第一原発事故ではその中間、22キロとか25キロ程度でしょう。とにかく逃がせばいい…私なら5秒で考えます。全交流電源を喪失したのだから、格納容器が壊れることを考えて、25時間以内に30キロの範囲の住民を逃がす。
〔避難のタイムリミット「25時間以内」の計算…「メルトダウンに数時間」+「格納容器破損に約20時間弱」+「放射性物質が住民に到達するまでに1~2時間程度」=25時間以内……P249〕
(質問)…「全交流電源喪失」はどの時点で分かるのか。
(松野)…簡単です。「原子力災害対策特別措置法」第15条に定められたとおり、福島第一発電所が政府に「緊急事態の通報」をしている。3月11日の午後4時45分です。このときに格納容器が壊れることを想定しなくてはいけない。つまり放射性物質が外に漏れ出すことを考えなくてはいけない。ここからが「よーいスタート」なのです。
・私はあっけにとられた。法律はちゃんと「こうなったら周辺住民が逃げなくてはいけないような大事故ですよ」という基準を設けていて、「そうなったら政府に知らせるのだよ」という電力会社への通報義務までつくっているのだ。…「全交流電源喪失・冷却機能喪失で15条通報」=「格納容器の破損の恐れ」=「放射性物質の放出」=住民避難スタート」…なのだ。
・東日本大震災発生(午後2時46分)から、わずか1時間59分で、政府にその15条通報が来ていた。…すると、後に「全交流電源喪失~放射性物質の放出」の間にある「メルトダウンはあったのか・なかったのか」という論争は、住民避難の観点からは、何の意味もない枝葉末節であることがわかる。→ 「15条通報」があった時点で、「住民を被曝から守る」=「原子力防災」は始まっていなくてはならなかったのだ。
(松野)…甲状腺がんを防止するために子どもに安定ヨウ素剤を飲ませるのは、被曝から24時間以内でないと効果が急激に減ります。放射性物質は、風速10mと仮定して、1、2時間で30キロ到達します。…格納容器が壊れてから飲むのでは、意味がない。→ 「壊れそうだ」の時点で飲まないといけない。
○すべてが後手に回ったのは廃炉を避けたかったから
・ところが、政府が原子力緊急事態宣言を出すのは午後7時3分(なぜこれほど遅れたかは1章で既述)。…このインタビュー時に、松野さんはすでに「一刻を争うという時間感覚が官邸にはなかったのではないか」と指摘した。
(質問)…首相官邸にいた班目(原子力安全委員会)委員長は「情報が入ってこなかったので、総理に助言できなかった」と言っていますが…。
(松野)…いや、それは内科の医師が「内臓を見ていないから病気が診断できない」というようなものだ。中が分からなくても、原発災害は地震や台風より被害が予測できるものです。…「全交流電源喪失」という情報しかないからこそ、その意味するところを説明できる専門家が必要だった。→ 専門家なら、分からないなりに25時間を割り振って、SPEEDIの予測、避難や、安定ヨウ素剤の配布服用などの指示を出すべきだったのです。→ ERSS(原子炉の情報収集)の結果が出てくるまでの間は、SPEEDIに1ベクレルを代入して計算することになっている。その上で風向きを見れば、避難すべき方向だけでもわかる。私なら10の17乗ベクレル(スリーマイル島とチェルノブイリの中間値)を入れます。それで住民を逃がすべき範囲もわかる。…私がいた時は、このような先をよんだ予測計算も訓練でやっていた。…この最初の津波が来るまでの1時間弱のロスが重大だったと思う。(※班目委員長は専門家失格か…)
(質問)…すべてが後手に回っているように思えるが、なぜでしょう。
(松野)…何とか廃炉を避けたいと思ったのだろう。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。…太平洋戦争末期に軍部が「戦果を挙げてから降伏しよう」とずるずる戦争を長引かせて国民を犠牲にしたのと似ている。(※これも「戦争期の失敗」の繰り返しか…)
(質問)…廃炉にすると、1炉あたり数兆円の損害が出ると聞く。それでためらったのではないか。
(松野)…1号機を廃炉にする決心を早くすれば、まだコストは安かった。2、3号機は助かったかもしれない。→ 1号機の水素爆発(12日)でがれきが飛び散り、放射能レベルも高かったため2、3号機に近づけなくなって、15日(2号機)と14日(3号機)にそれぞれメルトダウンを起こした。→ 1号機に見切りをさっさとつけるべきだった。…1号機は40年経った原子炉なのだから、そろそろ廃炉だと分かっていたはず。→ 私が所長なら、「どうせ廃炉にする予定だったんだから、住民に被曝させるくらいなら、廃炉にしても構わない」と思うだろう。←→ 逆に、被害が拡大して3機すべてが廃炉になり、数千人が被曝する賠償コストを考えると、どうか? 私は10秒で計算する。→ 普段から「老朽化した原子炉で、かつシビア・アクシデント対策が十分でない原子炉に何かあったら、廃炉にしよう」と考えておかなければならない。
○格納容器の破損を考慮しなかった立地検査
・松野さんは、さらに驚くような話を続けた。…そもそも、日本の原発周辺の避難計画は飾りにすぎない。→ 国は原子炉設置許可の安全評価にあたって、格納容器が破損して放射性物質が漏れ出すような事故を想定していない。←→ もしそれを想定したら、日本では原発の立地が不可能になってしまうからだ。そんな逆立ちした論理が政府や電力業界を支配している…というのだ。
(松野)…政府は、原子力発電所の「立地審査指針」で、「非居住地域」「低人口地帯」を考慮して立地するように、としている。←→ しかし格納容器が壊れないことを前提とすれば、重大事故や仮想事故を仮定しても、放射能影響は「1キロ以内=原発の敷地内」に収まることができるので、「非居住地域」と「低人口地帯」を具体的に考えなくて済む。(※科学的根拠のない「都合のいい結論」を「前提」にする、という逆立ちした論理…)
(質問)…1979年のスリーマイル島事故のときの避難範囲は5マイル=8キロ程度だった。→ つまり、もし格納容器が破損し放射性物質が漏れ出したとき、住民への被害を避けるなら、「非居住地域」「低人口地帯」は半径8-10キロでなければならないことが分かった。…そのときに日本でも半径10キロに基準を変更すればよかったのでは?
(松野)…10キロに広げると、日本では原発そのものの立地がほとんど不可能になるだろう。アメリカやソ連と違って、この狭い国土に、半径10キロが非居住地域なんて、そんな場所はほとんどない。あったとしても用地買収が大変だ。→ しかし半径1キロなら、原発の敷地内だけで済んでしまう。…半径10キロは砂漠や荒野を持つ国の基準です。
(質問)…それは「日本に原発を造るために、格納容器の破損はないことにしよう」という逆立ちしたロジックではないか。
(松野)…そうです。「立地基準を満たすために、格納容器は壊れないことにする」という前提です。…この前提は、福島第一原発事故で完全に崩れしまった。→ それを無視したままで何も対策を取らないでいるのだから、今のままでは、日本政府には原発を運転する資格がないとさえ言える。(※う~ん、原発再稼働の許可が次々と出始めている…)
・この話を聞いたとき、私は耳を疑った。…しかし、私が2011年春に福島第一原発事故の現場で見て以来、悩み続けた数々の謎は、これを前提とするならば、すべて説明がついた。そして、その後の取材とも合致した。(2、3章参照)
(1)原子力防災の司令室になるはずだった「オフサイトセンター」が原発から5キロという至近距離にあったために、交通や通信の途絶、空中線量の上昇で放棄せざるを得なくなった。→ なぜそんな至近距離に司令本部を作ったのか。
(2)原発周辺の住民が脱出するための避難道路が整備されていない。…そのため車が渋滞し、麻痺した。→ なぜ脱出道路が整備されなかったのか。
(3)なぜ原発周辺から脱出するためのバスなど移動手段の用意がなかったのか。
(4)3・11前、原子力防災訓練は、原発から3キロの範囲の住民を対象に行われ、3キロ以内の施設に避難していた。→ なぜ原発周辺から外へ脱出する訓練が行われなかったのか。
・しかし松野さんが言うように…「格納容器が壊れることはない=放射性物質が外に漏れ出すことはない」という前提で立地審査が行われ、かつ「立地審査が通れば、事故も起きない」という誤謬(※「安全神話」)がまかり通った…と考えれば、すべて説明がつく。→ こうした「誤謬の上に誤謬を重ねた前提」で決められた安全対策の構造が、全国の原発でそのまま残されていることは、4章で検討した通りだ。
(質問)…では「地震や津波さえなければシビア・アクシデントは起きない、だから再稼働は許される」という論法は間違いだ、ということになりますか?
(松野)…確かに、津波が来なければ、3・11のような事故は起きなかっただろう。しかし、再稼働した原発は、今なおその弱点を抱えたまま運転を継続している、ということを想像してみてください。…「テロ」「ミサイル攻撃」「航空機墜落」「勘違い誤操作」などに対して、依然弱点をさらしたままだ。→ そもそも原子力防災の精神は「事故がすぐに起きるとは思っていないが、事故対策は必要」です。←→ 「事故は必ず起きるから対策を取れ」ではありません。…それは占い師や反対派の言うセリフだと思う。→ 健全な原子力の推進には適切な保険が必要なのです。適切な保険とは「世界水準の保険」にほかならない。
(※う~ん、「健全な原子力の推進」派であろう松野氏から見ても、日本の原発政策は、誤謬に誤謬を重ねた前提の上に成り立っており、それは「世界水準の保険」もなかった。そしてそれは、福島原発事故の後も、そのままになっていて、依然弱点をさらしたままだ、ということか…)
○「格納容器が壊れない」説が跋扈した理由
(質問)…いつ、どうした経緯でこんなグロテスクなことになったのか。
(松野)…立地指針は1964年の策定だが、その後、四国電力の伊方原発の設置許可をめぐって、裁判が争われた。→ 原発推進派と懐疑派との原発の安全性をめぐる総力論戦になったが、ここで原子力安全委員会の内田秀雄委員長(東大教授)が、「格納容器は壊れない」説を強弁した。それがずっと生きている。…そこで内田教授は「ディーゼル発電機その他のバックアップ電源がある。100万年に1回の確率だ」と主張した。→ 裁判官も原子力発電所の安全基準なんて門外漢だから分からない。そこでこの「設置許可基準を満たせば安全」というロジックに乗ってしまった。そのロジックをそのまま使った判決内容だった。
(※100万年どころか、その判決確定(住民側敗訴)から20年も経たないうちに、福島原発事故で格納容器は壊れた…)
・私は暗い気持ちになった。…「原発反対派」でも何でもない、四国電力の技術者で原発事故防災の専門家だった松野さんが、国が勝訴して四国電力の原発設置を裁判所が認めた判決を、批判しているのだ。
(質問)…伊方訴訟の判決が、その後の全国の原発行政にずっと影響を与えているのか。
(松野)…「設置基準を満たしさえすれば、その原発は安全だ」という誤解が広まってしまった。…これは本来まったくおかしい。設置基準と、実際に事故が起きるかどうかはまったく別の話だ。まして事故が起きたらどう避難するかは別次元の話です。…ビルを建てるときは防火基準を満たさなければならない(耐火建材を使うとか、非常口を設けるとか)。←→ でも、安全基準を満たしたからといって、火事が絶対に起きないとは言えない。→ だからこそ避難経路は決めておく。避難訓練をする。…つまり許可基準と事故の可能性とはまったく別の話だ。
・これは重要な指摘だ。…非常用の避難路を用意し、防火扉を設置し、難燃材料を使い、消火器を置いて消防署の検査に合格したビルでも、「火事が起きない」と保証していることにはならない。←→ つまり、「設置基準をクリアしているから、原発事故は起きない。防災対策は不要」というロジックは破綻している。…そんな破綻が国の政策として長年まかり通っていたわけだ。→ つまり、2011年3月11日よりずっと前に、すでに日本の原発の安全対策(住民を被曝から救う対策も含む)は、論理的に破綻していた、ということだ。…それを政府は見て見ぬふりをした。政治家や報道、裁判所は無視するか、見過ごした。
(※最近の再稼働容認の判決も、この誤解・破綻のロジックによってなされている…)
(質問)…シビア・アクシデントを想定していなかったことが、福島第一原発事故ではどのような形で具体的に現れているか。
(松野)…電源を喪失してから電源車を必死で探したり、注水のためのポンプ車を探したりしていたのは、おかしいと思わなかったか。「どうしてそういう訓練がなかったのだろう」と思わなかったか。→ シビア・アクシデントを想定できていれば、そしてそれへの対策不足を認識していれば、すぐに海水注入してベントもして、と手順はすぐに決まっていたはずだ。
(質問)…どうしてシビア・アクシデントへの対策がこれほどお粗末なのか。こんな状態なのは日本だけなのか。
(松野)…チェルノブイリ事故のあと、世界はシビア・アクシデントに備えた対策を取るようになった。←→ 日本だけが30年遅れている。(※30年も遅れている…!)
(質問)…日本の原発の安全設計は、国際水準から見るとどれほど遅れているのか。
(松野)…IAEA(国際原子力機関)は「5層の深層防護」を主張しているが、日本のそれは3層しかない(※原発事故は敷地内で収束するという前提での事故対策)。それが日本の原子力発電所の致命的な弱点だ。…足りない2層は「シビア・アクシデント対策(鎮静化)」と「原子力防災(避難)」。→ 原子力防災(避難)がなかったために、住民を逃がすことが忘れられてしまったのだ。…ほぼ30年前のチェルノブイリ発電所事故の後に世界で行われたシビア・アクシデント対策がしっかりしていれば、(放射性物質を除去する)フィルター付きベントがほぼ機械的に行われて、住民避難が容易になっただろうし、最後の最後には原子炉を廃炉にする余裕もあったと思う。
(※IAEAの「5層の防護基準」についての詳細は…『原発難民』→「震災レポート⑳」参照…アメリカは第6層(立地)の防護基準まで定めているという…)
(質問)…(日本は)なぜそんなお粗末な状態になったのか。
(松野)…ちょうどその頃から、日本の原子力エネルギー政策はプルサーマルに傾斜していくのです。核燃料サイクルがうまくいかなくなっていた頃だった。→ 各地でMOX燃料を使う計画が持ち上がり、その地元説明会やその論理構築といった対策に一生懸命になった。→ 真剣な原子力推進から空虚な原子力推進へと人事がシフトした(※その頃、松野さんたちも外された…?)。→ それでシビア・アクシデント対策が無防備なままになった。
(※う~む、「核燃料サイクル」への異常な執着も福島原発事故の要因の一つになっている…?)
・「プルサーマル発電」とは、通常のウラン燃料にプルトニウムを添加して燃料(MOX燃料)とする発電。…プルトニウムは、原発で燃やしたウランの燃えかすとして出てくる。猛毒であるほか、核爆弾の原料になりうるため、貯蔵量をIAEAに報告し、査察を受けなくてはならない。…日本は、このプルトニウムを青森県六ヶ所村で再処理してプルトニウム燃料に変え、福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の燃料にする「核燃料サイクル」を計画したが、もんじゅは度重なるトラブルで1994年以来休止したままだ(※最近の報道では、ようやく廃炉が決まったよう…)。原発が稼働して溜まる一方のプルトニウムを再利用する策として打ち出されたのが「プルサーマル発電」だった。…福島第一原発では、3号機がMOX燃料を使っている。(※う~む、くすぶり続ける、「原発への執着」=「核武装への執着」という疑念…「核燃料サイクル」や「プルサーマル発電」はそのカモフラージュ…?)
○このままではまた同じことが起こる
(松野)…端的に言えば、日本の原発の「設置許可」と「防災対策」はリンクしていないのです。「防災対策」は「設置許可」の条件になっていない。
・これも重要な指摘である。→ 現在も「事故が起きたときの住民避難対策が不備だから、原発の建設を許可しない」というロジックを国は採用していない、ということだ。…そもそも、原子力災害対策特別措置法では、原発事故の際の住民避難の責任主体は国であって、電力会社ではない。→ 原発を作るのは電力会社だが、彼らにすれば「住民避難は自分たちの責任ではない」という認識になる。
〔※う~ん、今もまさしく、「住民避難対策が不備のまま」、その責任主体が国(原子力規制委員会)なのか、自治体(県、市町村)なのか、電力会社なのか…曖昧なまま、原発再稼働が進行しつつある…という、あまりに〝日本的な風景〟…〕
(質問)…もし3・11のときに、松野さんが防災の責任者だったら、避難範囲を半径何キロが適当だったと思うか。
(松野)…私が2000年代に原子力発電技術機構に出向していたとき、ERSS(原子炉の情報収集システム)を改良・運用する責任者になった。…そのときに、EPZ(避難範囲)がそれまでの10キロ圏では大幅に不足すると考え、チェルノブイリ級の事故を想定してERSSで「100キロ圏に影響が及ぶ過酷事故の予測訓練内の避難訓練」を実際に実施していた(※日本の現場には、このような人もいたのか…)。→ しかし「100キロの想定」は拒絶されました。…防災指針で避難範囲(EPZ)を「8-10キロ」と決めたのは私だという学者が「私の顔をつぶす気か」と立腹されたから。(※これも、あまりに〝日本的な光景〟か…)
(質問)…それは誰ですか。
(松野)…具体的には言えません。(烏賀陽注:後述する永嶋國雄氏が具体名を証言…)
(質問)…住民被曝は誰の責任が重いと思うか。
(松野)…政治家、官僚、学者、報道、関係者みんなが何らかの形で罪を犯している。家に火がついているのに、全員が見て見ぬふりをしたようなものだ。あるいは「自分が無能なことを知っていながら該当ポストに就いて給料を受け取っていた」と言うべきか。→ この責任を報告書にまとめるのは並大抵ではないだろう。部内者ではだめです。真面目な専門家を入れた第三者でないとできない。→ このままうやむやにすると、また同じことが起きるだろう。「負けるかもしれない」「負けたときにはどうするのか」を誰も考えないのなら、(電力会社も)戦争中(の軍部)と同じです。…負けたとき(最悪の原発事故が起きたとき)の選択肢を用意しておくのが、私たち学者や技術者の仕事ではないですか。
○事故調査委員会の追及は真剣さが足りない
(質問)…事故調査委員会の調査をどう見ているか。
(松野)…事故調査委員会は原子力防災の専門家なしで調査を進めている。…本来は「全交流電源喪失事故とは何なのか」「15条通報が原発からあったとき、何をすればよかったのか」を助言する立場の原子力安全委員会(学者)は、自分が被告席にいるので、聞かれたことしか答えない。…「ERSS/SPEEDIを使った初動とはどういうものか」を説明するはずだった原子力安全・保安院(官僚)も同じ被告の立場だ。聞かれたことしか答えない。→ こんな調子で、調査委員会には「深掘り」の力がない。…「(首相官邸の)過剰介入」とか「(東電社員の原発事故現場からの)撤退」などは本質的な問題ではないのだ。…「事故原因は津波だ」と言い、一方では「システムの欠陥(ERSS/SPEEDI)だ」と言う。あたかも、この二つに責任があるかのように言っている。→ 技術的な要因について真剣な追及がない。…「あのときそれぞれの関係者がどうすれば住民の避難を最も素早く容易にすることができたのか」とか「発電所側は住民に被曝させないために何をしなければならなかったのか」とか、核心に迫った内容になっていない。…スリーマイル島事故の後に出された米国の「ケメニー報告」などと比べても見劣りする。
(※「失敗」から学べない、日本の負の風土…?)
○バックアップシステム「PBS」が存在した
・「ERSS/SPEEDIが作動しなかったから住民避難に失敗した」という弁明は、もう一つの事実によって否定される。→「地震・津波のような複合災害で発電所からの現地情報が途絶した場合でも、その機能をバックアップする『PBS』という予備システムがちゃんとあった」という事実である。…〔PBS(プラント事故挙動データシステム)…原子炉に過酷事故が起きたとき、どれくらいの時間で燃料が溶けて格納容器が壊れるか、その結果、放射性物質がどれくらいの量放出されるかを、日本全国の原子炉ごとにあらかじめシミュレーションして蓄積したデータベース〕
・万一の事態として、ERSS(原子炉の情報収集システム)が作動しても、原子力発電所からのデータそのものを送れないという事態がありうる。→ するとSPEEDIは作動しない。…またERSSは作動しても、演算には30分ほどかかる。→ 避難開始に間に合わないかもしれない。
・PBSは、そうした「最悪の事態」になった場合でも、どの原発、どの原子炉で事故が起きても対応できるように、何種類もの過酷事故をあらかじめシミュレーションしてデータベースとして用意してある。…PBSの内容はDVD-ROMに保存され、各原発のオフサイトセンターに常備されている。→ 典型的な過酷事故の様子は、オフサイトセンターで必要に応じていつでも見たり研究することもできる。…つまり、3・11のように電気や電話網が広域でダウンしてしまうような大災害が起きたとしても、住民が被曝しないよう避難できるようなバックアップのシステムはちゃんと用意してあった。←→ 政策当局者はそれを使えなかった。…この事実を知ると、福島第一原発事故は、「あらかじめマニュアルに決めてあったことすら守れなかった」あるいは「マニュアルがあったことすら忘れていた」に近いことがわかる。(※う~ん、このことは、烏賀陽氏以外に誰も公表していないのか…?)
・(1章で述べたように)PBSのデータは3月11日夜には首相官邸に届いている。←→ しかし、住民避難にPBSのデータが生かされた形跡がない。…原子力安全・保安院(PBSの所管官庁であり、原子力災害対策本部の事務局)の平岡次長は、PBSの重要性を首相や経産大臣周辺に助言していない。→ そのため、誰もその重要性に気づかず、せっかくのPBSの情報は「素通り」されてしまった。→ さらに、国会・政府など事故調査委員会の報告書では、PBSの存在すら指摘されていない。…これも深刻な検証能力の欠如として記録しておくべきだろう。
○日本のメーカーはPBSの開発を拒否していた
・このPBSを作った責任者の永嶋國雄さん(71)を、(松野さんの勧めで)2012年9月に横浜市郊外の自宅に訪ねた(その後も何度か取材を重ねた)。…その話の内容も、松野さんに劣らず衝撃的だった。
・(前述のとおり)ERSSがダウンして原子炉のリアルタイムのデータが取れなくても、そういう場合のバックアップシミュレーションとして「PBS」(プラント予測システム)が用意されていた。→ PBSを起動して計算したデータを使えば、SPEEDIを動かすことができ、放射性雲が流れる方向を予測できた。…永嶋さんはそう指摘する。
(質問)…原発事故時の予測システムPBSの開発にかかわられた経緯を教えてください。
(永嶋)…私は東芝の出身で、そこからNUPEC(通産省の外郭団体)に出向していた。1995年頃からPBS開発の話が始まった。←→ けれど、電力会社は「後ろ向きな対応」というか、むしろやらせたがらない。…そういうプレッシャーも実際に開発にはかかってきた。
(質問)…PBSは日本生まれですか。
(永嶋)…予測システムの概念は日本独自のものです。→ 予測システムに使用するシミュレーションコードは、アメリカのコードを採用した。←→ 日本でそれを開発しようとすると、技術力があるのは東芝、日立、三菱(※いわゆる原発メーカー)だが、仕事を受けようとしない。要するに電力会社の圧力がある。→ 開発予算が十分あったので、アメリカの民間会社と国立研究所に発注した(詳細はP253)。…アメリカはいろんなシビア・アクシデントの実験(原子炉破壊実験や格納容器破壊実験など)を実際にやっている(※これも日米の違いの一つか…)。…日本の電力会社は、こっちが外国に発注することに対しては何も言えなかった。
(質問)…国内でやろうとすると邪魔をするのですね。
(永嶋)…先ほどのメーカー3社は、技術力はあるのにやろうとしなかった。常に電力会社から圧力があるから。→ 東芝出身の私にも、東芝の営業から2回連絡があった。営業担当と酒を飲んだら、「東電の言うことを聞け」と言う。(※う~ん、これも極めて〝日本的な光景〟か…詳細はP254~255)
・これは重要な証言である。→ 原発事故についてシミュレーションをしておくことすら、電力会社は妨害しようとした、ということだ。しかも表のルートではなく、永嶋さんの出身企業である東芝の営業担当を通じて水面下で圧力をかけた(※日本の支配者層の常套手段…?)…東芝は原発の主要メーカーの一つであり、電力会社は同社に仕事を発注する「発注主」という強い立場にある。→ そうした電力会社の意向を汲んで(※忖度!)、「東芝、日立、三菱」などの国内メーカーは、技術力はあるのに事故シミュレーション作成に参加しようとしなかった。…後述するように、永嶋さんのPBSの開発プロジェクトは、れっきとした政府予算を受けた事業である。電力業界の隠れた意思と手法がわかるエピソードだ。
〔※う~ん、日本という国で物事が決まっていく典型的なパターンか…。そして大手報道機関は、「広告主」の意向を汲んで(忖度)、こうした事実を記事にしない・できない、という構造…〕
○福島原発事故に活用できなかったPBSの威力
(質問)…何がシビア・アクシデント対策のきっかけだったのか。
(永嶋)…(1986年の)チェルノブイリ事故です。世界各国が事故対策を検討し始めた。→ 緊急時対策の研究をやるのは良いことだと、大蔵省もかなりの予算をつけてくれた(ERSSシステムの開発だけで100億円ぐらい…詳細はP256)
(質問)…「政府担当者が分かってない」というのは?
(永嶋)…私が付き合った担当者は、地方局から出向してる人…だいたい異動で3~4年で変わる。だからあんまり勉強しようとしない。…だけど通産省と大蔵省は方向として非常によいことをやった。→ その後(99年に東海村で臨界事故が起きて)、今度は「オフサイトセンター」を作った。それを含めて総額1000億円くらいの金が付いた。(詳細はP257)
・これも重要な証言である。…PBSの開発にも100億円の税金が投入されたと永嶋さんは証言している。→ それが福島第一原発事故の本番ではまったく無駄になった。…そして事故調査委員会は、その税金の浪費を指摘するどころか、存在にすら言及していないのだ。
(質問)…それほど金と時間をかけたシステムが、なぜ3・11で機能しなかったのか。
(永嶋)…ERSSの中でPBS以外は津波で全部動かなくなってしまった。でも、PBSだけは独自に動かすことができる。非常に簡単に動かせる構造になっている(オフライン型で、停電や通信回線途絶でも、普通のパソコンでDVD-ROMが起動すれば使える)。
(質問)…確認ですが、日本国内54基の原子炉すべてについて予測シミュレーションが出せる、つまり福島第一原発のそれぞれの原子炉について、固有の特性(事故診断)が出せるのですね?
(永嶋)…そうです。一つずつについていろんな事故診断をやってきました(最悪の状態も全部想定してシミュレーションしてある)。→ 何も復旧操作もないという条件で計算すると、何時間後に原子炉圧力容器が破損して、格納容器の破損が何時間後って、そういう計算をする。→ 状況が変われば、その時点でその条件を入力すれば、計算し直し、1時間で計算結果を出せる。そういうシステムを作った。(※そんなすごいシステムがあったのか…詳細はP258~260)
○放射能の放出量は事前にわかっていた
(質問)…そうすると、3・11で現実に起きたことのように、地震で通信が途絶して原発のリアルタイムのデータがSPEEDIに入力されなくても、PBSがあれば「福島第一の1号機」「2号機」「3号機」というふうに呼び出して、シナリオが演算できた、ということですね?
(永嶋)…そうです。そのとき同時にPBSは放射能放出量も出します。→ PBSが出した放射能放出量をSPEEDIに入れる。→ SPEEDIは、住民がどのくらいの被曝をするかも計算できる。簡単にできちゃう。
・福島第一原発事故が進行していた当時、政府は、どのくらいの放射能が放出されるのかは「わからない」と発表し続けた。→ SPEEDIの存在が明らかになった後も、「原子炉のデータが取れなかったので、SPEEDIは役に立たなかった」と、班目春樹はじめ学者や官僚は弁明を続けている。→ 事故調査委員会や政治家も、その弁明を受け入れている。→ 報道もそこを追及していない。←→ 永嶋氏の証言は、これを否定する内容である。
・ここまでの事実が明らかになると、報道や事故調査委員会が力点を置いている「ERSS/SPEEDIがうまく作動しなかったこと」は、さほど重要ではないことがわかる。→ 永嶋さんの証言で「ERSS/SPEEDIが作動しなくても、PBSという予測システムがあった」からだ。→ さらに松野さんは「PBSがなくても、避難すべき方向(避難すべきでない方向)や範囲、時間は予測できた」と証言している。
⇒ 同原発2号原子炉から大量の放射性物質が漏れ出し、北西に流れて福島県南相馬市や飯舘村の住民・避難者が無警告のまま被曝したのは、事故発生後4日も経った同年3月15日である。…つまり、3・11当時の政府当局者は4日間、三重のミスを重ね続け、住民を被曝させたことがわかる。…「惨憺たる有様」としか言いようがない。→ こうした事実も、政府・国会事故調査委員会はまったく指摘していない。
(質問)…放出量は「出てみないとわからないもの」だとばかり思っていた。そうじゃなく、事前にわかるんですね。
(永嶋)…格納容器からベントする場合とか、最終的に格納容器が破壊される場合とかの放射能放出量も、出すことができます。→ 壊れると同時に、中の放射能がどれぐらい出るか計算してある。…希ガスとか、ヨウ素、ストロンチウム、プルトニウム、ほとんどすべての種別について全部計算できる。→ シナリオとしては、だいたいが注水が止まっちゃうわけです。→ 全電源喪失になって水位が下がって炉心が露出する。溶融するわけです。→ 溶融した燃料も圧力容器の下に溜まる(※メルトダウン?)。下に溜まって底をえぐる。→ 圧力容器をえぐったらその下はコンクリートで、それもえぐっていく(※メルトスルー?)
(質問)…溶けた燃料がコンクリートさえ突き破って潜り込むと、地下水と反応して水蒸気爆発するんじゃないか、という指摘もあるが。
(永嶋)…放置したらそうなる。…だけど、いろんな条件で計算したが、最終的には何でもいいから格納容器に水を放り込む。→ そうすると反応を止められる。すると格納容器が破損する前に止められる。…格納容器の外には地下水があるが、そこまで行くことはまずない。
〔※う~ん、福島第一原発事故の場合、4号機の使用済み核燃料プールが壊れて、最悪の状況になった場合、〝全員退避〟というケースもあり得た、という…(アメリカなどはそれを一番恐れて、いち早く在日米人に「80キロ退避」を指示したらしい)。→ その場合は、1~3号機の原子炉も〝放棄〟せざるを得なくなったのではないか…?〕
○1時間に100トン注水できれば原子炉は冷やすことができる
(質問)…「水なら何でもいい」というのは、海水でもよいということか。
(永嶋)…そうです。今回の福島で大変だったのは、原子炉(圧力容器)に水を入れようとした。あれはやり方をわかってない人がやると、ちょっと難しかった。だからうまくできなかった(中の圧力が高すぎて水を押し戻してしまう)。→ 全電源喪失であれば、プラントにあるポンプは全部動かない。そうすると消防ポンプしかない。電気がなくてもエンジンでポンプを動かして放水できる。
(質問)…原発の中に消防ポンプは常時用意してあるのか。
(永嶋)…中越沖地震(2007年)以後、すべての原発で消防ポンプを設置した。消防署が持っている大型ポンプ。←→ それ以前は、半分ぐらいの電力会社は用意してなかった。東電は一切なかった。(※う~ん、東電の体質か…? 技術力も弱いようだし…)
(質問)…すると、福島第一原発も3・11当時、ポンプ車はあったということか。
(永嶋)…あったのだが、1号炉で早めに水素爆発しちゃったので、現場への接近がかなり大変になってしまった。それに(恥かしい話なんだが)原発の自衛消防隊(東電職員)に大型消防車を運転できる者がいなかった。→ だから、運転を下請け企業に頼んだ(だが、下請けが動いてくれなくて、説得するのに時間がかかった)。←→ しかし、普通免許で動かせるライトバン程度のポンプ車で充分注水できる。大型消防車は5000万円くらいするが、小型車なら500万円くらいで買える。(※確かに、恥かしい・ちぐはぐな話…詳細はP263~267)
○格納容器が破裂すると、避難範囲が100キロを超える
(質問)…ほかにも、電源車を苦労して運んだのに、コードが繋がらなかったという逸話がある。何のために「原子力総合防災訓練」を定期的にやっているのか。…訓練をしたのに、本番ではまったくできなかった。非常に不思議だが…。
(永嶋)…原発災害訓練は、放射能が出る量を勝手に決めてしまえる。要するに「放射能の出る量はこの程度にしておこう」と勝手に想定できる。…それが政府の決めた「防災指針」の「避難範囲10キロ」というやつです。「10キロに影響する量でやりましょう」と勝手に決める。←→ ところが、今回は現実が30キロになったから、もう何もできなかった。
(質問)…なるほど、逆立ちしたロジックですね。
(永嶋)…どこに責任があるか。→ 電力会社の役割としては「事故が起きても避難は10キロ以下にする」という責任でずっと今までやってきている。これは、世界どこでもそう。電力会社が絶対に10キロ以下に抑える。→ だから国とか県とかすべてが、10キロに相当するシナリオで防災体制を組んでいる。←→ それを(福島第一原発事故では)東電が守れなかった。
・永嶋さんの指摘はこういう意味だ。…原発の原子炉は電力会社の私有地にある私有財産。→ だから原発事故の対応には「原発敷地内部の事故コントロールは電力会社がやる」が前提としてある。…つまり、事故を10キロ圏内に抑えられなかったことの責任の主体は、一義的には国ではなく電力会社ということ。→ 永嶋さんのさらに驚くような話……PBSは「さらに事故が悪化した場合のシナリオ」も用意していたというのだ。
(永嶋)…ベントもできなかったら、どれぐらいヒートするか? → PBSの予測演算では、避難範囲が100キロを超えてた。…ベントできたなら、30キロぐらいに抑えられた。→ いろんなシナリオがあるが、170キロというのもある。原子力委員長・近藤駿介が出したもの。
(質問)…それは、1~3号機全部が、格納容器が破れてしまった場合のことか?
(永嶋)…原子炉一つでも格納容器が破裂すると、避難範囲が1000キロを超えてしまう。…原子炉にある放射能が全部出る、という仮定で計算すると、1000キロ超えてしまう(関西より西まで入ってしまう)。←→ でも、実際に格納容器が破裂しても、放射性物質の大部分はそこに留まっている。→ そういうシミュレーションをして計算していくと、100キロ超えるくらいに収まる(東京から福島第一原発までの距離の約半分)。それでさらに運転方法でそれを押さえ込めば、小さくできる。(詳細はP268~269)
(質問)…つまり、最悪の演算をすれば避難範囲は1000キロを超える。が、現実にはそれはほとんどあり得なくて、運転や何らかの予防措置によってそれが小さくなっていく、ということか。
(永嶋)…そう。「絶対に10キロ以上には広げない」というのが電力会社の役割だった。これはずっと昔から、その前提でやってきた。→ だから官邸のところに、なぜ10キロを越えたのかと批判が集まった。←→ それで菅総理も頭にきたんじゃないか? 東電は役割を何もやってないじゃないかと。…最終責任は総理大臣にある。戦争と同じです。最高責任者は総理大臣ですよ。しかし、総理大臣が保安院や東電に「どうやって抑えるんだ」と聞いても、一向に答えられない。→ だから「こんなアホなやつらではどうしようもない」と菅総理は「俺が行かなきゃ」と勘違いした。
(質問)…10キロ内に抑える責任が東電にあったとしても、原子力安全・保安院もすべきことがあったと思うが?
(永嶋)…保安院は東電より技術がない。だからどうしていいか分からない。それが実態なんです。
(質問)…電力会社は永嶋さんの研究や警告を知らなかったのか。
(永嶋)…読んでいる。でも、それを抑え込もうと思ったのだろう(※〝不都合な真実〟だったから?)。東電は何も言ってこない。電事連(日本電気事業者連合)からは呼びかけがありましたよ。「永嶋さんの言うことを参考にさせてもらえませんか」って。
(質問)…東電ではなく、電事連が反応したんですか。
(永嶋)…電事連は明らかに東電が悪いとわかってたから。専門家はわかってるんです、東電が何をしたか。…例えば、関電は運転再開(大飯原発の再稼働)に自信がある。…「普通の技術者だったらああいうことはしなかった」って思っている。
(質問)…福島第一原発事故を研究して「あんなことはしない」と言っているのですね。
(永嶋)…それともう一つ、プラントの大きな特徴の違いがある。…福島第一原発の「沸騰水型」BWRは、緊急時に原子炉を冷やすときに、原子炉に直接海水を入れる構造。→ 海水で原子炉系全部やられて廃炉になってしまう可能性が高い。←→(関電・大飯原発の)加圧水型PWRは、蒸気発生器の2次側に海水を入れる構造。→ 原子炉には海水を入れなくてよいから、安心して海水を使える。→ だからもし事故が起きたら、ただちに海水を注入する。そういう練習もしている。
○東電の運転員は勉強不足
(質問)…永嶋さんから見て、福島第一原発事故の対応でおかしいのは何でしょう。
(永嶋)…原子炉を壊さない運転操作を充分できるのに、明らかに運転操作がおかしい。…ex. 1号機のIC(電源がなくても炉内の圧力で動く冷却装置)の運転ミス…「ICが作動してると勘違いしていた」あるいは、誰かが勘違いしてマニュアルで止めてしまった。→ 津波が来てから(燃料棒が破損するまでに)あと2時間くらい余裕があるので、その間にICを再起動すれば冷却できた(問題なく抑えられた)のに、その運転操作をした形跡がない。…ICを止めておいても大丈夫だと、運転員が思っていたよう…。(詳細はP271~273)
・これも重要な指摘だ。…ICを止めてしまうと、崩壊熱を冷却してメルトダウンを防止する装置は、何も使われていないことになる。→ つまり崩壊熱で冷却水が蒸発し、燃料棒が露出して、空焚きになって溶解(メルトダウン)するまで、ノーガードで一直線ということだ。→ 実際にその通りになり、1号機は翌12日に最初の水素爆発を起こした(水素が発生したのは、燃料棒を覆っているジルコニウム被膜が熱で溶けたため)。…一体どうしてこんな無防備なことをしたのだろう。
(永嶋)…事故が進行していた当時、原子炉設計のベテランから私にメールが来た。「崩壊熱だったらそんなに燃料が溶けることはないんじゃないか。マスコミが騒いでいるのはおかしい」と。…原子炉を設計しているベテランでさえそう思っている。→ 東電の運転員はあまり勉強していないのか、そういうことがわからない。
(※日本の原発関係者の現状は、その程度の「総合力」ということか…?)
○週に2,3回はPBSのシミュレーションをやっていた
(質問)…永嶋さんは著書や講演で「崩壊熱こそ怖い」と言っています。
(永嶋)…原子炉を止めた後でも、注水がないと、3時間後には燃料が露出して、さらにあと1時間で燃料が溶け出す。崩壊熱のせいです。→ そういうことはPBSに全部入っている。
(質問)…なるほど。PBSを見れば「これからどうなるか」が時系列でわかっていたはずだ。「2時間もICが止まっているのは危ないんじゃないか」とわかる。…つまり、PBSは「進行予定表」みたいなもので、それぞれの炉についていろいろな条件のもとで、スケジュール表を見せてくれるわけですね。
(永嶋)…JNES(原子力安全基盤機構)は、そのPBSの計算をして、原子力安全・保安院に持っていった。…しかし、保安院はそのデータの意味がわからず、無視した(そのデータは避難に生かされなかった)。→ 全部東電の情報に頼ることにした。←→ だが実は、一番最初の政府発表での炉心溶融のデータは、PBSのデータ(3月11日の夜の時点)…あれはPBSで演算している。
(質問)…なぜわかるんですか?
(永嶋)…それしか方法がないから。PBS以外に短時間で計算を出せるものがない。→ 東電がメルトダウンを発表したのは5月半ば頃だったが、あれほど遅れたのは、東電が自ら計算したので(膨大なデータが必要で)時間がかかったから。→ そのくらい時間を食うので、だからPBSはそういうことを事前にやってある。…一番重要なことだが、2000年ぐらいの時点で、松野さんや私たちNUPECの職員は、そういうシミュレーションをしょっちゅうやっていた。→ だから松野さんや私なら、「こういうときに、どういう操作をしたらよいか」というのが(全国の54機の原子炉に関して)すぐにわかる。→ だから、事故調査委員会報告を読むと、何がおかしいかすぐわかる。これは嘘をついているな、これは隠してるなって。
(質問)…だから松野さんも永嶋さんも、話が自信に満ちているのですね。
(永嶋)…そういう緊急事態になったときに、本来は我々が国をちゃんとサポートして、それをちゃんとやらなきゃいけない。それがJNESの役目なんです。訓練をやってなかったら、できない。1,2時間の間に結果を出していかないと、うまい操作ができない。
(質問)…どこで何が起きても、「ああ、あれならやったことがある」でなきゃダメってことですね。
(永嶋)…まあ、54機すべてやるってのは大変だから、あとは類型化する。代表するとなると20機以下ぐらい。→ 例えば福島第一発電所だったら、2,3,4号機は全く同じです。1号機は出力が小さい。違ったものだけについて全部やった。(詳細はP274~276)
○シビア・アクシデントの訓練は歓迎されなかった
(永嶋)…ああいう外郭団体(NUPEC)では、上のほうは通産省のポスト。中間的なのは電力会社で、実働として働くのはメーカー出身者(※日本の社会組織の力関係・権力構造がわかる?)。…松野さんのポジション(室長)は、普通4年という任期があるが、4年より早く帰らされた。これもプレッシャーなんですよ。→ 出身の四国電力に戻ったら、主要ポストじゃなかった。…そのときにやってた仕事が、電力会社にとってあまり好ましくない仕事だったから。
(質問)…それは「シビア・アクシデントが起きる想定をしているのはけしからん」ということですか?
(永嶋)…電力会社としては「そういう事故は起こらない」と言う。←→「そういうこと(シビア・アクシデントのシミュレーション)をやっている」と公開したら、「そういうことが起こると考えている、ということになる」と言うんです。→ そうすると「今まで電力会社が言ってたことはおかしいじゃないか」と住民は思う。それを恐れたんですよ。(※これも「安全神話」が捏造される要因の一つか…)
(質問)…それは完全に逆立ちした論理ですね。…「火事があったら困るから避難路は決めておきましょう」とか「どれぐらいで燃え落ちるかシミュレーションしておきましょう」とか、そういう備えなのに、「火事になるとは何事か」と怒る…ということですから。
(永嶋)…そこが原子力特有の物の考え方で、特にマスコミがかなり騒ぎ立て、変なふうに歪曲したんです。→ それで住民が心配しないよう、電力会社とか国が情報を出さなくなった。
〔※う~ん、この問題の難しさは、原子力の過酷事故と火事とは、単純な類比はできない…ということなのではないか。→ いったん起きてしまったら、火事とは例えようもない、甚大な事故の規模と被害の大きさ…。また、放射能被害という、目に見えない・長期にわたる・まだ様々な未解明の部分・要素が多く残る、原子力災害…。→ しかし、もめることを恐れて〝隠蔽〟に走る、というのは最低・最悪の対応ではないのか…〕
(質問)…マスコミの歪曲とは、例えば何でしょう?
(永嶋)…反対派は、「チェルノブイリみたいな事故が起こるから、日本の原発はやめろ」と言ってるわけです。→「レベル7の事故が起きうると予測していた」とマスコミが書いたら、住民の反対運動も強まっちゃう。←→ そういうのを恐れるがゆえに、そういう情報は出さない。それが、東電や国の上層部の考え方。→ 事故があっても、最大限10キロまで。…防災訓練の10キロというのは、3キロまで避難して、あとの10キロまでは屋内退避。…要するに家に居ればいい、となっていた。→ それなら簡単な話で、その程度で収まると。それでやっていた。←→ ところが、我々がシミュレーションやってみたら、うまく行かない場合は10キロを超えることがある。100キロ超えることもある。そういうのが出ちゃうんです。
(質問)…先ほど言っていたシミュレーションですね。
(永嶋)…復旧させるのが難しかったら、という仮定です。→ 津波とかを考えれば、もう電源が復旧しないのは分かり切ったことです。(※こうした理性的な「事故対策」のシミュレーションや議論が封じらる、日本的体質の〝後進性〟…)
○「俺の顔をつぶす気か」と怒った元・原子力委員長
(質問)…では政府や東電は「電源喪失はものすごい想定外の大事件」と大騒ぎしているが、実はとっくの昔に「当たり前のこと」として予想していた、ということですね?
(永嶋)…安全設計の考え方として「設計基準のシナリオ」と「設計基準を超えるシナリオ」があります。…設計基準というのは「電源喪失しても30分以内で回復する」とか、そういう話。→ それは「設計基準」としてなら、よい。工学的に考えると、作るときに設計基準内に収めるのは当たり前です。→ しかし「防災」は設計基準よりもっと大きい、厳しいシナリオも考えなくてはいけない。「電源が永久に途絶える」ってことも考える。
(質問)…住宅やビルでいえば「建築基準」と「防火基準」は違う、という話ですね。松野さんも同じことを言ってました。
(永嶋)…(設計基準で)20mの防波堤を作ったとしても、それを超えることを必ず考えなければいけない。それが「防災で想定する津波」です。…設計基準内ですべて安全が確保できるのか。安全性に問題はないのか。→ そうではないということで、設計基準を超えるようなシナリオを考えた。これが防災の発想です。
〔※この考え方は、『人が死なない防災』集英社新書(帯文:釜石の小中学生…生存率99.8%)の片田敏孝先生の避難の三原則その1…「想定にとらわれるな」という教えに通じる…。→「震災レポート②」参照……ちなみに、その2「最善を尽くせ」、その3「率先避難者たれ」〕
(質問)…避難が100キロを超えるようなシミュレーションをしていたら、10キロという設定をした学者の先生に怒られたと松野さんから聞きました。「おれの顔をつぶすのか」と。
(永嶋)…近藤駿介っていう原子力委員会の委員長(当時)です。…その評価委員会に、我々がやっていた緊急対策のPBSのシミュレーションを提出したら、「こんなことを世の中に出したら怒られる」と言い出した。→ それで、(100キロ避難のシナリオというのは)考えないことになってしまった。2002年前後の話…。
(質問)…それが「私の顔をつぶす気か」とつぶされるのは、それはもう、サイエンスの議論じゃないですね。
(永嶋)…原子力安全委員会に防災部会があるが、その部会長も怒った。「原子力安全委員会の顔をつぶす気か」って。その防災部会の中に近藤駿介も入っていた。→ だから原子力安全委員会は避難範囲を10キロで収めることにした。
・これも重要な証言である。…福島第一原発事故では、30-50キロにも汚染や被曝が及んだ。→ そうした「10キロを超えるシナリオ」をつぶしたのは、電力会社ではなく、政府委員会の学者たちだったというのだ。そして、その根拠も科学的な議論ではなく「メンツがつぶれる」という感情的な理由だった。(※う~ん、これも情けない〝日本的な光景〟か…)
(質問)…つまり、何かサイエンスに基づいて10キロという線引きが決められてるわけではないのですね。
(永嶋)…(10キロ以内というのは)技術的にはできないことはないんです。…フランスでは過酷事故が起こったときに、それを抑えるのは非常に難しいということで、フィルター付き格納容器ベントシステムを設置した。→ それで放射能の出る量を1/100以下にした。そうなれば、30キロ避難の事故でも(放射能が減るので)2-3キロで済んじゃう(10キロ以内の避難に縮小できる)。…フランスはそういう設計の元で、フィルターベントシステムを付けた(原子炉の中が高温高圧になったら、破裂防止でガス抜きをする。その際、外に放射性物質が出ないようにフィルターでろ過する仕組み)。
(質問)…その場合、メルトダウンは避けられないのか?
(永嶋)…格納容器が破裂したらどうしようもなくなる。しかし、格納容器が守られても、燃料棒がメルトダウンするシナリオは無視できない。→ 逆に言うと、メルトダウンしても、格納容器は壊れない程度に水を入れて冷やすことは、簡単にできる。
(質問)…container(封じ込め容器)という元の意味どおり、格納容器で封じ込めてしまう。
(永嶋)…炉心が溶融して原子炉圧力容器も壊れたときの条件までは考えてある。→ その上で、外側の格納容器が壊れるまではいかないように、圧力を逃がす(ベント)。
(質問)…「格納容器が破裂しないように、ベントでガスを抜く。そのガスに(フィルターで)危険がないようにすれば問題ない」という発想ですね。
(永嶋)…フランスはその方式を採用している。←→ アメリカはフィルターを付けていない。「運転操作で抑え込む方式」にした。→ その操作は、日本よりもっといろんな事態を考えて、運転操作のマニュアルを作って訓練している。…で、日本はアメリカのやり方を取った。←→ ところが、やる範囲を限定してしか訓練しなかった。…ex. アメリカでは炉心が溶融したとき、運転をどうするかっていう訓練までやっている。←→ 日本はそこまでやらずに、まあ楽な、あまり厳しくならない段階の訓練で終わらせている。
(質問)…なるほど、わかってきました。日本が一番危ない。運転技術訓練は高度じゃない。しかしフィルター付きベントもない。
(永嶋)…日本は、アメリカの「運転操作で抑え込む方式」をただそのまま真似て(※また真似か…)、フィルター付きベント装置は付けなかった。操作も簡単にしてしまった。…もう一つ大事な点は、そういう事故が起こることが、アメリカではまずない。…理由は地震、津波がないから。確かに、地震、津波を除くときわめて起こる確率が少ない。
(質問)…アメリカが想定しているのは、原発へのテロ攻撃とか飛行機の墜落、竜巻とか…。
(永嶋)…テロの訓練はアメリカではすごいですからね。守衛はすごい武器を持っているんです。
(※う~ん、どこが「日本の原発の安全基準は世界最高水準」なのか…?)
○情報を見極める力がなかった保安院
(質問)…PBSのデータを保安院が持っていた、首相官邸まで届けたのに無視された、という事実はどう考えればいいのか。
(永嶋)…それをどういう時に使うか、保安院が理解してなかったんじゃないか。またJNESは「こういうことができますよ」と保安院に理解させていなかったんじゃないか。…それと、JNESもあんまり難しいことは考えなくなった。全体として、30キロ避難になるような事故とか、そんな難しいことは考えない。→ だからJNESも保安院に対して、ちゃんとデータの意味を理解できるようにして出さなかったんじゃないか。→ それで、保安院はそのデータの意味が分からず、東電の情報にだけ頼ったんじゃないか。→ 東電はそういう道具(PBSデータ)を持っていないから、何もできなくて総理に説明できなかった。だから空転した。……松野さんや私がいれば、保安院を充分説得できた。保安院も多分(PBSを)採用したと思う。
〔※う~ん、〝安全神話〟の下で、各組織が劣化して、その職責を果たさず、大事故を起こした、ということか…。→ 戦後70余年を経て、日本の様々な場所で、同様の劣化が進んでいる…?〕
(質問)…保安院はジャッジする能力すらないのですね。
(永嶋)…7年前に現役を辞めたとき、私は「PBSを電力会社に持たせろ」と提案しました。…東電は現場の情報を持っている。だから「事故の場合は同時に2ヵ所で計算して、その結果を突き合わせて判断する方式にしろ」と提案した。…これはフランスが採用している方式(国営電力会社と国が持っているシステムが同じで、お互いに計算して、次の判断を下す)。
(質問)…(PBSは)なぜ事故本番で生かされなかったのか。
(永嶋)…まず、保安院はPBSの意味や重要性をあまり理解していなかった。そして、東電は数年前から「100キロ避難の事故」とか厳しいことを言う人を排除していった。(詳細はP284~285。…※ このような〝モノ言う人の排除〟は、経産省の中でもあったらしい…)
(質問)…事故調査委員会は、なぜPBSに言及しないのでしょう。
(永嶋)…事故調査委員会の報告には、私のように緊急時対策を20年もやってた人がデータや評価を検証してる部分が一切ない。大きな欠陥です。…調査委員は、要するに専門外の人だから、わからない。→ だから、東電や保安院の人の言い分を聞いて、「いや、PBSがあるはずでしょう」とは言えない。…だから、今までのすべての事故調が不十分です。
(質問)…国会や政府事故調が最終報告書を出して、事故の検証は終わりみたいな雰囲気に世論はなっているが、お話しを聞くと、真相に全然到達してない。相手のウソや隠していることを見破れない。…松野さんも「事故調査委員会はどこも深掘りができない」と言われました。
(永嶋)…私も、事故調の報告書を見て「おかしい」といろいろ腹が立ってくる。
○汚染の問題は何十年も続く
(質問)…大飯原発の再稼働の後、福井県の現地に取材に行ったら、オフサイトセンターが原発から4-5キロのところにあった(4章参照)。→ もしフクシマと同規模の事故が起きたら、やはりこのオフサイトセンターは機能しない。…なぜそれで再稼働できるのか、非常に不安を感じます。
(永嶋)…オフサイトセンターを移設するには、多分最短でも1年半かかる。→ そんなもん待ってたら、まったく運転できないでしょう?(笑) …国は避難範囲を30キロに拡大する政策変更をやっているが、本当はもっと大事なのは、放射能汚染。→ 30キロ避難規模の事故なら、その5倍の距離(150キロの範囲)が汚染します。それほど大きく汚染する。…その範囲内で、農産物の出荷が制限されるでしょう。→ 150キロ内汚染というフクシマと同じ規模の汚染が、もし大飯原発で起きるとしたら、誰も再稼働には賛成しない。地元県でさえ反対するでしょう。何が事故のとき大事かが、原子力安全委員会(現在は原子力規制委員会)がわかっていない。…福島県の人たちが避難する間に浴びた量が、最大で30ミリシーベルトという推定が計算で出ています。…これは短時間だから許される。→ しかし、汚染問題は永久に続きます。だから年間1ミリシーベルトを基準にするのです。そうでないと(長期間の延被曝量が)大変なことになる。←→ だが、そうした汚染の問題について、住民に説明したり確認を取る話をしていない。→ 改善するのであれば、汚染の対策をまず取って、避難30キロをその後考えるべきでしょう。…汚染の問題は何十年も続くのです。
(質問)…半減期を過ぎると汚染が低減すると勘違いしている人が多いが…。
(永嶋)…セシウムの半減期は30年、だから少なくとも30年の間では半分にしかならない。…今福島でやっている除染にしろ農産物の被害にしろ、あれだけの大きな経済的被害を突きつけられている。→ こうした汚染を、大飯原発付近の京都府や滋賀県の人に「ああいうのを覚悟しますか」って言えるでしょうか。
(質問)…福井県の原発から30キロでラインを引くと琵琶湖が入る。琵琶湖は関西の人間にとっては上水道源なので、飲み水が汚染される危険がある。
(永嶋)…30キロは避難の範囲で、汚染の範囲は150キロになる。だから絶対に、汚染の拡散を大丈夫な範囲に抑えていかなければならない。…原子力防災の目的は住民の生命と財産を守ることです。→ 現在の状況では、放射線被曝で生命を失う人は出なかったけれど、財産の損害は範囲も金額も大きい。…かつてPBSに「EGS」(避難ガイドシステム)を連動させて、いろいろなシナリオについてシミュレーションした結果、福島原発事故前の「EPZ(避難範囲)=10キロ」を前提にすると、重度汚染範囲は50キロ(避難範囲の5倍)になる。→ 重度汚染範囲で考えられる被害は、実害で1200億円、さらに風評被害はその何倍かになる、ということがわかっていた。
〔※う~ん、こんなことまでシミュレーションしていた、ということか。→ つまり、原子力災害の場合は、〝風評被害〟も避けられないものとして、織り込んでおかなくてはならない。それが原子力災害の怖さだ、ということか…〕
…アメリカでは、10マイル(16キロ)の避難訓練に加えて50マイル(80キロ)の範囲の「放射能汚染対応訓練」をしていた。←→ なのに、日本では「EPZ(避難範囲)=10キロ」を大きく超えて賠償額が巨大になると、賠償ができなくて事業者が破産して責任が取れなくなる。→ だから、事故前の原災法ではEPZ=10キロになっていた(※う~ん、日本では、住民の生命・財産あるいは科学的な根拠ではなく、〝事業者の賠償額〟の都合で、「避難範囲」が想定されていた…!)。
…原子力災害の実態は、福島原発事故で実証された。→ ヨウ素、セシウム等の固体放射能が重要です。…今の段階では被曝による健康被害は発生していません。放射能汚染による居住制限や除染等のほうが、現在は深刻です。が、将来障害が出る可能性の懸念はあります。
○事故は起こらない、放射能は拡散しないという前提
・松野さんと永嶋さんの証言をここまで読めば、不思議に思えるに違いない。…二人は政府の原発の安全対策を担う機関(NUPEC・JNES)で、事故対策を研究し、膨大なノウハウを政府内に蓄積した。また巨額の税金を使ってERSS・SPEEDIとPBSという「装備」「設備」を作った。→ それが死蔵されてしまったのはなぜだろう。…もう一度、松野さんに意見を聞いた。
(松野)…永嶋さんと二人で、様々なシミュレーションを試していくと、避難範囲が10キロを超える状況がまざまざと見えたのです。…私は四国電力では(原発の)安全審査を受ける側にいたが、その経験から見ると、安全審査は「原発事故が起きても、放射性物質の拡散は敷地外には出ない(原子炉から1キロを超えない)」ことになっていた。つまり、それは格納容器は壊れないことが前提になっていた。←→ しかし現実にはそれが起きうることをシミュレーションが示していた。→ 私は、この結果を出したERSSをどう活用していこうか、と考えたが、その活用法が確立しないうちに、(慣例では出向は4年なのに3年で)私のJNESへの出向は解除になった。あと1年あれば避難計画に織り込めたかもしれません。→(四国電力に戻ったら)部下のいない形だけの管理職でした(笑)。
(質問)…『原子力防災』を出版されたのが2007年ですが、在職中に論文や原発事故対策マニュアルなどの文書の形では残さなかったのか。
(松野)…福島原発事故が起きた後の今だからこそ、その質問が出るのだと思う。←→ あの頃は、日本中の関係者が「日本では原子力発電所で重大事故は起きないことにする」という前提で動いていたのです。
○原子力防災専門官の役割とは
(質問)…(現役のとき松野さんが指導したという)経産省原子力防災専門官の役割はこの通りでよいか。(P292に原子力災害対策特別措置法の引用あり)
(松野)…そうです。その原災法の定めに従って、SPEEDIの予測が出てきたら、それに従って避難を指示せよ…それが役人の仕事です。→ ところが、私が研修した職員は中堅になっているはずだが、不思議なことに、福島原発事故ではそうした人たちが出てきていない。…原子力安全・保安院の寺坂院長、平岡次長、原子力安全委員会の班目委員長は、ERSS研修を受けていない人たちなのです。
(質問)…なぜ松野さんや永嶋さんの知見が死蔵されたとお考えですか。
(松野)…当時はプルサーマル(プルトニウムを混合したMOX燃料で既成の原発を動かす)の推進時代だった。…プルサーマル推進の論理は「事故を起こさなければウラン燃料とプルトニウム燃料のリスクは変わらない」だった。→ 逆にいうと、プルサーマルを推進するためには、事故は起きてはならなかったのです(※だから、事故は起きないことにする)。…私のように、原発事故の進展に合わせて避難計画を作ろうとまで言う者は、邪魔だったのかもしれません。
(質問)…腹立たしい話です。
(松野)…私の悔しさや腹立ちも、とても語り尽くせません。
(※確か元経産官僚の古賀茂明氏も、そのころ経産省内部で、原発推進に批判的な者たちが排除されていった、という意味のことを、どこかで語っていたように記憶するが…)
○消防の立場から考える原発事故と防災
・一方、私が福島原発事故の現場取材からずっと気になっていたのは、警察・消防や自衛隊といったふだん災害現場で活動する機関の人たちが、原発災害に対してどういった備えをしていたのか、という問題。→ 取材を続ける中、原発事故と住民避難の危険を警告していた神戸市の元消防署長・森本宏さん(84)を見つけ出した。
・森本さんは、2007年に『チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだか』(近代消防社)を出版したが、福島原発事故以前に書かれたとは思えないほど、原発事故の現実と住民避難の問題点を的確に予言している。…チェルノブイリ、スリーマイル島の原発事故や「もんじゅ」ナトリウム冷却材漏れ事故、東海村臨界事故などの事例を分析して、日本の原発防災体制、特に住民避難体制が甘すぎることを警告している。…以下はその一例。
*日本政府は「(原発事故の)防災対策を重点的に充実すべき地域の範囲」(EPZ=Emergency Planning Zone)の目安として、半径8-10キロを設定している。人体や環境に重大な影響の及ぶ可能性のある範囲は8-10キロ以遠には及ばないという想定だが、これは余りに楽観的な想定である。
*チェルノブイリ原発事故のような炉心溶融などによる爆発事故は、日本の原子炉にはあり得ないという前提に立っている。
*EPZ 8-10キロは、アメリカの避難区域10マイル(16キロ)の模倣である。
*もともとアメリカの半径10マイルは厳密に計算されてできたものではなく、スリーマイル島原発事故の5マイル刻みの避難指示が、そのまま残っただけ。数字そのものにたいした意味はない。
*これが日本に入ると、これ以外には原発被害は広がらないかのような話になった。
*米国と同じ軽水炉を使う日本でも、スリーマイル島原発事故と同じ炉心溶融事故が起きない保障はまったくない。
・森本さんの指摘は、福島第一原発事故で起きた現実と矛盾なく合致した。→ 2014年9月17日、神戸市内の森本さんの自宅を訪ねた。(※消防関係にこんな人もいたのか…)
○人間は驚天動地の事態に必ずパニックを起こす
(質問)…ご本の中で「避難8-10キロ圏は余りにも楽観的な想定」とはっきり書かれていたので驚きました。福島第一原発事故では30-50キロ以遠にある飯舘村が全村民避難を強いられるほどの汚染に見舞われ、放射能雲(プルーム)はさらに遠くまで飛んだ。…つまり森本さんが指摘された避難態勢の不備が、そのまま現実になってしまった。
(森本)…だいたい、チェルノブイリ原発事故でそれははっきりしていたのではないか。
(質問)…どんなきっかけでこの本を書かれたのか。…消防に勤めていた頃から、原子力防災が専門だったのですか。
(森本)…いえ、まったく違います。消防での専門は「防火管理」だった。…この本は退職(1990年)してから独学で研究を始めたんです。→(原発事故が起きたら)実際問題として、消防は一番先に出動せんといかんだろう。そのときにどう動くのか、消防は考えとるのか…それがこの本の出発点だった。→ それで「もんじゅ」(ナトリウム冷却材漏れ事故)や「東海村」(臨界事故)の例を出して「何をしていたのか」を検証してみた。→ 実にスカタン(失敗)ばかりしていた(笑)。
そもそも原発に興味を持つきっかけになったのは、柳田邦男さんの『恐怖の2時間18分』(米国スリーマイル島原発事故の分析)です。あれは人間のパニックについての本だと思う。…人間がパニックに陥ったとき、どんな動きをするのか。火災のときの人間の心理とまったく似ているのです。火災では人間はパニックに陥りがちです。→ 防火管理の仕事は、人間のパニックをどう抑えるかを教えるのが要諦なのです。…柳田さんの本を読むと、あのときスリーマイル島の運転員の動きは、パニックの連続で最後まで行ってしまって、事故の真相がつかめなかった。そんなことが底にあると思う。…この原子力事故と防火管理は似たところがあるなと思い、非常に強い興味を持ったのです。→ 吉田調書がいろいろ問題になっているが、あれもパニックの面から解析しないといけない。…本当は全員がパニック状態でものを言うておったから、それぞれなかなか正解は出てこなかったのではないか。…そういう面から見るのも事故調査委員会の見方だと思うが、そういうのはなかったんじゃないか?
(質問)…なるほど、パニックの心理という側面から検証した事故調査委員会報告は見たことがありません。
(森本)…広島市の地すべり災害でもそうだが、災害のときの人間の究極の心理で人間がどう動くのかを見ておかないといけない。…官邸や東電がどう動いたという話は具象面です。→ その根底にある人間の深層心理を理解しないとだめだと思う。←→ なのに事故調に、災害時の人間心理の専門家が入っていないじゃないですか。
(質問)…具体的に原発事故のどういった面が火災のときのパニックに似ていると思ったか。
(森本)…極端な災害にあったときに人間がまずどう動くか、というと「フリーズ」(固まったまま動かなくなる)してしまう。→ スリーマイル島原発の運転員も、フリーズしてしまって、弁の状態がわからなくなったり、(事実と逆に)思い込んだり、信じ込んでしまう。…つまり思考が固まってしまう、フリーズする。→ 思考が固まると、落ち着いていたら気づくことにも、気づかなくなる。…そういう人間心理の根底からやっていかないと、避難とか災害対策はあり得ないと思う。
(質問)…森本さん自身の消防の経験でもそういうことがあったのか。
(森本)…人間はそういう驚天動地の状況に遭うと、みんな同じです。(詳細はP299)
(質問)…福島原発事故が進行していたころ、首相官邸で寺坂保安院院長や班目委員長、武黒東電フェローが「地蔵のように固まったまま黙りこくっていた」という証言が複数ある。また、班目委員長は「思考が一つのパターンにはまって抜け出せなくなった」と私のインタビューに語っています。それもフリーズなのですね。
(森本)…まさにそれがフリーズです。何時間かはパニックが続いたんじゃないか。→ もうちょっと心理面から突っ込んだ分析がほしい。それを何とか除去しない限りはアカンのじゃないですか。
(質問)…原発がメルトダウンしかない、という場面でパニックを防ぐのは難しいのではないか。どうすればいいのでしょう。
(森本)…それを克服するには知識と経験じゃないですか。今回そういう備えがなかったからこそ、そういう状況になったんじゃないですか。
(質問)…どんな知識ですか。
(森本)…原発なら原発の、徹底した現場知識です。今回それがあったのは、吉田所長でしょう。それがあったから、パニックにならずに落ち着いていたんだと思う。…私は原発は素人ですが、今の原発災害対策を横で見ていると、その備えがないと、(原発だけじゃなく)何回同じことが起きても結果は同じなんじゃないかと思います。
〔※う~ん、〝安全神話〟を前提にしてしまったために、(心理面も含めた)過酷事故への備えがなく、フリーズしてしまった…。→ そして今のままでは、何回でも結果は同じになる…〕
○なぜチェルノブイリに学ばないのか
(質問)…福島原発事故前に「8-10キロの避難区域の設定はあまりに楽観的」と的確に予言をされたのは、スリーマイル島やチェルノブイリの原発事故の研究をしてそう考えたのか。
(森本)…チェルノブイリ事故ですね。ウクライナの隣のベラルーシにまで放射能雲(プルーム)が飛んでいる。今でもベラルーシの汚染はひどい。→ 福島でも北西に放射能が飛んでいますね。チェルノブイリとまったく同じではありませんか。←→ 5キロとか10キロとかの避難範囲は、スリーマイル島原発事故のときの避難範囲を形だけなぞっただけにすぎない。…そのスリーマイル島原発事故だって、何か確信があってその範囲を決めたのではなく「とりあえずそうしておこう」という程度でしかなかった。あるいは「これ以上の避難は手に負えない」とかそんな論理で決まっていった。…文献で読んだ限りだが、スリーマイル島原発事故の避難責任者は、5マイル、10マイルと切りのいい数字で決めていったにすぎないのです。
(質問)…政府内部にいた政治家に聞くと、当時は放射能がどんな動き方をするのかもわからなかったようです。…煙のように動くのではなく、光線のように点線源だと思った人もいます。
(森本)…なぜチェルノブイリをもっと勉強しないのでしょうか。
(質問)…SPEEDI/ERSSにせよPBSにせよ、原発事故避難に備えたシステムがあるのに、官僚が使い方がわからない、データの意味がわからない、という事態が起きました。
(森本)…行政の中にどこか欠陥があるのでしょう。→ 気象情報は気象庁が担当と決まっているように、誰の責任かはっきり決めておけばよいのです。
(質問)…円形で区切って避難するのがそもそもおかしいように思えます。
(森本)…意味のない避難をしても仕方がない。例えば、原発から風下に逃げても意味がない。放射能雲が来ない方向へ逃げるしかありません。
(質問)…国は原子力防災訓練を3・11の半年前にやっています。菅直人総理も参加していた。が、本番にはあまり役に立った様子がない。なぜなのでしょう。
(森本)…訓練には緊迫感がないから、パニックという心理は経験できない。→ 災害の本番に近い模擬訓練を繰り返しやるしかないのです。(※フランスでは、事前にシナリオを教えない「緊迫感のある訓練」を日常的に実施しているらしい…)
(質問)…火事の現場ではパニックが起きるとどんな事があるのですか。
(森本)…逆の方向に逃げるとか、煙の方向に逃げるとか、あるいは止まってしまって何もしない(※フリーズ)。正常な思考が働かないのです。→ それを排除するには場慣れするしかないのです。数多くの訓練を経験しないといけない。…天幕を張って煙を流すとか、消防では本番に近い緊迫感を経験させています。そういうテクニックが必要です。
(質問)…(原発地元の双葉町での訓練では)原発から3キロの範囲の住民が、やはり3キロ内にある公民館などの施設に避難する。→ そこで待っていると「非常用電源が作動して事なきを得ました」と連絡が入って終わる。だいたい半日で終わる。…それが毎回続いて、住民はすっかり慣れてしまった。
(森本)…それは「形式化」ですね。形式的にやっているだけ。…だいたい原発事故の避難のあり方はおかしい。→ とりあえず屋内退避せよ、と大真面目に言う。しかしあんなことあり得るわけがない。屋内にいるうちに放射能雲が来たら被曝してしまう。…本当に避難を真剣に考えているのか。←→ そもそも、事故は起きない、起きても小規模だ、という前提があるのでしょう。→(屋内退避では)一般の住宅は気密ではないから、放射能雲が来たら、ただちに被曝する。通り過ぎたら、周囲はみんな汚染されている。…放射能雲は一過性ではない。台風とは違うのです。←→ それなのに、屋内退避とは、実に妙な話です。
(例えば豪雨のときに)「全市X万人に避難を勧告した」とかニュースで言っていたが、そんな数万人の人間が避難してどこに行くのか? どこが受け入れるのか? 学校だけでそんな
大人数を収容できるのか?
(質問)…それは福島原発事故で現実になったことです。→ 避難場所の指定もないまま、大量の人たちが一斉に避難したので、学校や公民館などが次々に満員になって、後から到着した避難者が入れなくなった。あちこちさまよった。
(森本)…「災害国ニッポン」と口では言うのに、何か根底が抜けているような気がします。
(質問)…消防署に放射性物質のモニタリングネットワークを構築すべしと提言されています。
(森本)…夢物語かもしれませんが、これができたら、日本全国どこであっても、異常があればただちに分かる。→ 原発事故が起きたとき、線量について嘘をついたり事故を隠したりはできない。現場の数値がただちに分かるから、避難の方針もすぐ分かる。
(質問)…警察より消防の方が適任ですか?
(森本)…出先機関の数によると思う。機動力もある。→(事故時だけでなく)平素の値を測定していれば、異常があれば数値がぐんと上がってすぐに分かる。異常事態を検出しやすいと思う。…消防は、異常が起きたときに発見して誘導するのはシステムとして慣れている。戦力はあるし、火事がなければ余力がある。(※確かに…)
(質問)…消防が線量のモニタリングネットワークを担当すべしと現役時代には提言したのか。
(森本)…いや、消防は体育会系というか、そういうことを声に出す、聞く耳を持つ文化じゃないんです。「現場救助に力を注ぐ」というと、ロープで上がったり下がったり、ヘリで釣ったり降ろしたり、見てくれのいいことになる(笑)。線量計を消防署に配備しよう、とか地味でしょう。→ 見栄えのしない訓練はやろうとしません。このままじゃ芝居と同じやぞ、とよく言ったのですが。
(質問)…国や県・市町村の原発災害訓練も形式化している、という話だったが、消防もそうなのですね。
(森本)…今でもホースから水を出して火を消すのが消防の訓練だという固定観念がある。もちろんそれも大事だが、いつまでもそれでいい時代ではないと思う。
(質問)…消防の側にも原発災害を引き受けようという発想はないのですか。
(森本)…全然ないです。不思議な話です。
【あとがき】
・どうしてこんな重大な内容を政府や電力会社は公表せず、隠蔽したのか。なぜこんな重大な事案の意味を、専門家や報道記者は社会に警告しなかったのか。なぜ事故調査委員会は気づかないのか。なぜ裁判所は論争や判断から逃げたのか。…そうやって「福島第一原発事故につながる当事者の系譜」を洗い出してみると、政府(主に政治家職と官僚)と電力会社・原発メーカーといった産業界だけではなく、原子力を専門とする学者や新聞テレビといったマスコミ、裁判所といった、この国の「統治機構」すべてに劣化と機能不全が広がっていることがわかる。
〔※最近の新聞記事に…使命感を持って航空自衛隊に入ったが、実に幼稚な世界で、国防意識が低く → 幻滅して転職した静岡県警は、上司のパワハラや裏金づくりなど警察の体質と闇に怒り、退職。→ その後、ネットで警察の体質を告発し、執筆活動もしている「元公安刑事・幹部自衛官の作家(真田左近)が紹介されていた。…これも劣化と機能不全の事例か……東京新聞2017.4.22〕
・もし民主主義が欧米なみに機能していたなら「どうしてもセキュリティ上秘密にしなければならない例外を除いて、情報は原則公開」「官僚や政治家、学者以外の国民でも政策立案に参加できる」という「オープン型」の原発政策が行われていたはずだ。
・アメリカ全土の核施設を取材して回ったとき、事前に申請すれば、軍事施設・政府研究施設・発電施設問わず、ほぼ希望どおり自由に取材できた。…核施設専属のヒストリアンが取材に1日同行して、丁寧に解説してくれた。…私のような外国人記者でも、連邦・州政府の文書にネットや図書館からアクセスできた。…市民や原子力エンジニアが無数の環境・原子力NPOを組織していて、議会公聴会で証言したり、レポートやニュースレターを官庁や議員に届けていた。その中には「国策」に真っ向から対立する内容も多々含まれる。→ 結果はともあれ、少なくともそうした異論や対論を取り込む「参加型」の政策プロセスが保証されていた。(※う~ん、こういういいところはアメリカから学ばない…)
・日本は正反対である。→ できるだけ情報は公開しない。「パニックになるから」「反対運動が強まるから」と、国民の判断力や思考力を信用しない。異論との対話を避ける。報道記者の取材を嫌がる(この本の取材でも、事故を直接知る官僚や政治家が何人か取材を拒否した)。反対者の意見を政策に反映するなど、とんでもない話だ。
・そうした閉鎖的で排他的な日本の「原子力ムラ」をうんざりするほど体験してきた私は、彼我の違いに愕然とせざるを得なかった。…悔しいが、少なくとも原子力政策に関しては、アメリカのほうがオープン型の民主主義プロセスが整っている。…もちろん、日本も原発導入初期、1950年代はそれを実践しようと理想を抱いていた。1955年にできた「原子力基本法」は「公開・民主・自主」という「原子力三原則」をうたった。←→ しかし、福島第一原発事故は、その後の60年でこの民主主義のプロセスが無残なまでに無力化されていたことを、天下に知らしめてしまった。
・こうして、福島第一原発事故は、深刻な疑念を国民の胸に残した。→ それは「この国の政府は民主主義と呼ぶに値しないのではないか」「この国の民主主義は機能していないのではないか」という、民主主義そのものへの疑念である。…無理もない。国民が「政府(官僚・学者など)に任せておけば大丈夫」(※「お任せ民主主義」)と60年間白紙委任してきた結果が福島第一原発事故なのである。→ 2011年3月11日以後、それまで60年間安泰だった「権威」に大きなヒビが入ったのだ。
・1986年のチェルノブイリ原発事故のあと、10年経たないうちに東欧が自由化して、ソ連そのものの崩壊へとつながったのは、ソ連という国家が統治の根拠にしてきた「権威」が崩壊したからである。…「権威を信じるかどうか」は人々の心の中にある判断である。→ 「お前の言うことなど、もう二度と信用しない」…心の中にあるものは、一夜にして変わってしまう。…(その程度は別にして)日本人の心の中にも、よく似た変化が起きている。なにしろ、民主主義の機能不全の最大の被害者は国民である。…23万人が被曝し、10万人が家や故郷を失った。除染費用・賠償金は10兆円を超えた(※2016年1月現在)。→「一体なぜ、ここまでひどい状態にまで堕落したのか」…心ある人なら問わずにはいられないだろう。
・福島第一原発事故後、それに並ぶ大きな社会的議論になったのは、2015年夏の「安保法案」である。…「軍事力」と「原子力」は国が発動しうる、もっとも大きな「力」である。→ いかに強大な力であっても、民主主義によるコントロールが完全なら、暴走を心配する必要はない。←→ しかし、その制御が機能不全に陥っている事実を、日本人は福島第一原発事故で目撃してしまった。→ 穏当に言えば、自分たちの民主主義のありように危機感を持った。もっと踏み込んで言えば、民主主義によるコントロールに自信を失ったのである。
・2011年3月11日、こうした「権威崩壊」と「民主主義への自信喪失」を基調低音とする新しい時代が幕を開けたのだ、と私は考えている。…それは「フクシマ後」としか呼びようのない、重くて暗い時代の始まりである。
・この国の民主主義は、いつ、どこで、何を間違えたのだろう。…この「重くて暗い時代」に、この本が役立つよう私が望むのは、この「負の歴史の記録」が多くの人々の目に触れること。より多くの集合知を呼ぶこと。未来への教訓となること。それに尽きる。
・5年という時間の経過は、被災者の上に日々重みを増してのしかかっている。…(だがその一方で)「気にしていたらきりがない」「線量計のスイッチを入れなくなった」という人もたくさんいる。→ 除染や自然減のおかげで、線量計を出して計測すれば、事故直後よりは確実に下がっている。→(事故前から比べればまだ高いのだが)人々は「下がってよかった」と胸をなでおろして安堵する。故郷に戻りたい気持ちからすれば、それは自然な感情だ。…しかし、ずっと経過を見ている私は心配で胸がざわつく。 (烏賀陽弘道)
【追記】
・大手マスメディアはフクシマの続報を報道しようとしません。旅費など経費も出しません。筆者のフクシマ取材は読者からの善意の「投げ銭」に支えられています。
*銀行口座:SMBC信託銀行 銀座支店 普通 5294975 ウガヤヒロミチ
*筆者のフクシマからの現地レポート「フクシマからの報告」は有料プラットフォーム「note.mu」で毎回一部300円で配信されています。
https://note.mu/ugaya
(4/26… 了)
〔次回以降の予定は…とりあえず、『日本はなぜ、「基地」と「原発」を止められないのか』矢部宏冶 集英社インターナショナル 2014.10.29 → 『自発的対米従属論』―知られざる「ワシントン拡声器」― 猿田佐世(角川新書)2017.3.10… この二冊をとおして、私たちが生まれ、その中で生き死にしてきた〝戦後日本の真実〟に迫ります。…(準備に少し時間がかかりそうですが)それではまた…。〕
(2017.4.26)
【「震災レポート」(31)~(40) のラインナップ】
→〔「震災レポート」1~20 のラインナップは(20)の巻末に、21~30は(30)の巻末にあります。〕
(「震災レポート・拡張編」)
(31) [脱成長論③]…『「定常経済」は可能だ!』ハーマン・デイリー(岩波ブックレット)2014.11.5
(32) [経済各論①]…『円高・デフレが日本を救う』小幡績(ディスカヴァー携書)2015.1.30―前編
(33) [経済各論②]…『円高・デフレが日本を救う』―後篇
(34) [政治状況論①]…『世界を戦争に導くグローバリズム』中野剛志(集英社新書)→(中断)
(「震災レポート・5年後編」)
(35) [世界状況論①]…『世界史の極意』佐藤優(NHK出版新書)2015.1.10―前編
(36) [世界状況論②]…『世界史の極意』―中編
(37) [世界状況論③]…『世界史の極意』―後篇
(38) [福島原発論①]…『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11―前編
(39) [福島原発論②]…『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』―中編
(40) [福島原発論③]…『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』―後篇
2017年5月9日火曜日
2017年4月6日木曜日
(震災レポート39) 震災レポート・5年後編(5)―[福島原発論 ②]
(震災レポート39) 震災レポート・5年後編(5)―[福島原発論 ②]
『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』
烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11
―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題― ――[中編]
【3章】原発黎明期の秘密と無法
○事故の危険性を深刻に受け止めた損害保険会社
・福島第一原発事故のあと、日本政府や電力業界は「格納容器が破壊されて放射性物質が周辺を汚染するような事故は起きないと考えていた」という弁明を繰り返した。←→ しかし、1960年頃までに、日米両国で甚大事故が起きた場合の損害についてのシミュレーションを政府機関が試算していた。…しかし日本では、その内容のあまりの深刻さに公表を見送られてしまった(※ここでも都合の悪いことは隠蔽…)。←→ アメリカの試算は英語の論文として公表されている。(※う~ん、彼我のこの姿勢の差…。→ 「対米従属」がお得意といっても、こういう良いことは真似しないのか…?)
・こうしたシミュレーションの結果を真剣にとらえたのは、原発の事故損害保険を引き受けるかどうかを検討していた保険業界である。…保険会社は、原発事故が起きる確率や被害金額を計算した。→ 保険業界の結論は「事故の際の損害が大きすぎて採算が取れない」だった。…損害保険は「原発に賛成・反対」という立場からは無縁で、冷徹に経済的な観点から原発を査定するので、注目に値する貴重な歴史的証拠である。
・(「日本火災海上保険」の社長・会長だった品川正治の証言…斉藤貴男との対談本『遺言―財界の良心から反骨のジャーナリストへ』より)……当時、茨城県東海村で日本最初の商用原子炉(東海発電所)が稼働を始めた。日本原電(電力会社9社などが出資して設立)が保険契約者で、その保険を引き受けたのが「日本火災」だった。→ 賠償保険の算定は、あまりにも巨大なリスクになりそうなので、品川氏のいた企画部に担当が回ってきた。
・1953年、東西陣営の代理戦争だった朝鮮戦争が終わった直後、アメリカのアイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)という外交政策を打ち出し、それまで軍事機密だった原子力発電政策を180度転換し、同盟国に積極的に技術移転する方針を宣言した。→ 留学生を無償で受け入れ原発技術を教育、燃料の濃縮ウランを貸与、実験炉を提供…「おんぶに抱っこ」方式だった。…つまり、アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)は、最新のエネルギー技術と引き換えに、世界の国々を西側陣営に引き入れようとする「技術輸出外交」だった。→ それに積極的に応じた国の一つが日本だった。
・日本では「原子力の平和利用」の宣伝が大々的に展開された。…1954年、読売新聞は「ついに太陽をとらえた」というキャンペーン記事を連載…同社が主催する「原子力平和利用博覧会」が全国10ヵ所で巡回開催された(※新聞の政治利用?)。…読売新聞の社長だった正力松太郎は、1956年に初代の原子力委員長と科学技術庁長官に続けて就任。政界・官界、マスコミ界を横断して原発の運転開始を推進していた。(※う~ん、アメリカ由来の原発推進の国策に、読売新聞社が当初から積極的にコミットしていった、という構図か…)
・品川氏は、推進派の「絶対安全」という触れ込みに疑問を持った。…「『原子力の平和利用』という言葉に私は惑わされなかった。原子爆弾と原子力発電は紙一重に思われた…『核』の問題として一括りにできるのではないか、放射能の人畜に与える影響は一緒ではないか。ウラン、プルトニウム、セシウムなど、調べれば調べるほど人類の敵に思えた。…絶対に事故は起こらない、絶対安全という言葉を、中曽根康弘担当大臣の主宰する会合でも、正力松太郎読売新聞社主の主催する会合でも聞かされた。日本火災の人たちでさえ、それに共鳴する人が多かった。…にもかかわらず保険を付けるとすれば、それは世間の人を欺くためとしか考えられない」「これは民間の損保会社が引き受けることができないほどの巨大リスクだ。国家が国策としてあくまで実行するというなら、それは国家が責任を持つべきだ。しかし無限大のリスクを果たして国家が担えるのか…」→(※この品川氏の疑問・懸念が、それから約半世紀後に現実のものとなってしまった…)
・品川氏は、原子力を専攻している学者、官僚の知人に話を聞いて回ったが、「細心の注意を払った設計をしており、地震や風水害、あるいはテロや従業員の自殺行為についても万全の防御をしている」という説明ばかりだった(※う~ん、学者も官僚も「立場」でものを言い…)。→ 偶然、知人の中に三高時代の同級生で、通産省で原子力を担当していた伊原義徳氏がいた。…1954年にアメリカに留学して原子力発電の技術を日本に持ち帰り、その後科学技術庁事務次官になった「日本の原発の父」ともいえる人物。
・偶然、著者は『ヒロシマからフクシマへ』を書くにあたって、この伊原氏を何度も取材し、日本の原発黎明期を知る貴重な証言を聴かせてもらっていた。→ そこで今回改めて、日本の原発黎明期に、保険業界と原子力行政それぞれの中枢にいた二人が、友人同士として、原発のリスクについてどんな話をしたのかを知りたいと思い、伊原氏の自宅を訪ねた。
・「何でも腹蔵なく話し合える仲だったので『絶対安全なんてものは世の中にはない』そんなことを話したと思う。あらゆる技術は危険が伴う…その危険を顕在化させないことが、それに伴う技術者の責務だ。それが技術者の共通の認識だと思う」「彼(品川氏)は保険業界で活躍する優秀な人間だった。その損害保険というのは、事故が起きるというのが前提の制度だ」
……原発事故のリスクをできるだけ隠蔽しようとしてきた近年の電力業界の態度や言動に慣れていると、「事故は必ず起きる」という(伊原氏の)発言は鮮烈である。…日本に原発を導入した当事者である伊原氏は、実はこうした現実的な感覚の持ち主である。それを品川氏に伝えたという。(※日本の原発黎明期には、通産省にもまだこういう人物がいた…)
○実際の賠償金は保険金支払い上限の48倍に
・原発事故の損害賠償に関する保険・契約には、民間保険会社と電力会社が結ぶ「原子力責任保険」と、電力会社が国と契約する「原子力補償契約」があり、どちらも強制加入。…なぜ民間と国と二重になっているかというと、「地震・噴火・津波」などの天災で発生した原発事故の損害は、民間保険会社は支払いを免責されているから(「戦争・社会的動乱・異常に巨大な天災地変」の場合は、電力会社も免責される)。
・2011年の東日本大震災の場合…福島第一原発事故は、「天災」によるものとして、民間保険会社は「免責」→ 政府との補償契約が作動した。…実は民間保険も政府保険も「支払い上限金額」が決められていた。…1961年の契約当初は上限金額はたったの50億円。71年に60億円、79年に100億円、そして3・11当時は1200億円に引き上げられていた。→ では、福島第一原発事故で実際に東京電力が支払った賠償金は、2016年1月15日現在、総額5兆8243億円…「上限」として想定された1200億円の50倍で、そして今なお増え続けている。
・差し引き5兆7043億円は、国が払った。上限を超える損害が生じたときには、その電力事業者に対して国が「援助」することになっているから…つまり財源は国民が収めた税金なのだ(根拠法はP142)。…民間保険にしろ政府保険にしろ、実際の事故の損害に比べて、その想定がいかに少額だったかがわかる。
〔伊原氏への質問に戻る〕
・(政府保険と民間保険が二重にあるのは?)…「それは国際的な制度として、原子力発電は保険制度を確立するのが当然だという国際的な動きがあったからだろう」「(原発事故)保険制度は、(リスクが非常に大きいので)国際的に何重にも担保する(世界の金融市場で何重にも分散させる)ということで成り立つ制度だ」…つまり、原発が導入されると同時に、日本は国際金融の枠組みに入っていく、そんな過程だった。
・(先ほど「危険を顕在化させないために努力する」と言われたが、それは「事故を起こさない」ということか?)…「いや、事故が起きたときに、周囲に住んでおられる方に大きな影響を及ぼさない、ということだ。事故というのは必ず起きるものなのだ。起きても、それが敷地の外に大きく影響しないというのが技術者の責務なのだ。」…(※3・11事故では、この「技術者の責務」が果たされることはなかった…)
・(保険はその構図にどう組み入れられたのか?)…「事故は必ず起きる。起きれば経済的な損害が発生する。だからそれを賠償する。その制度を確立して初めて、危険な技術というのは実施できる。(原発は)『危険であるけど役に立つ技術』なのだから、それを世の中に役立てるために損害保険制度が確立している。そういう考え方だ。」…(※だが3・11事故では、その保険制度の想定をはるかに超える〝巨大事故〟を起こしてしまった…)
○「事故が起これば国家財政が破綻」大蔵省の懸念
・民間保険の上限額である50億円(当初)という金額は、同時期のアメリカの原子力保険制度が上限216億円(6000万ドル)だったのに比較してもはるかに小さい。これはなぜか。→ 原発事故が起きたときの損害は巨大なので、保険会社の資本金の5%を限度にしておかないと、保険会社まで倒産してしまう、ということだ。(※保険会社の都合か…詳細はP144~145)
・さらに「上限額を超える損害は政府が援助する」という仕組みにも、これには大蔵省が抵抗した。…50億円までを企業が責任保険で払うのはいいが、それ以上の災害が出たとき、国家が補償する場合、その上限を決めておかないと、財政が破綻してしまうという懸念があったからだ。→ つまり、原発が事故を起こすと、保険会社どころか国家が破綻するくらいの巨額の損害が出る…と当時からわかっていたのだ。(※そして5年後の今、国はそのツケを「税金」や「電気料金」という形で国民につけ回ししようとしている…)
・実は、日本での原発事故保険の整備は、原発導入を先行して決めた後にドタバタと後付けで決まった(詳細はP145~147)。…ここでわかるのは、日本では「原子力発電を導入する」という決定が前のめりで先行し、「では、事故が起きたときの補償はどうするのか」という法律や保険制度の整備が後回しになっていた、ということだ。(※なぜそんなに「原発の導入」を急いだのか…?)
・そして1957年は、アメリカ・イギリスという当時の原子力発電の「先進国」が、「原発は絶対安全」から(イギリスのウィンズケール原子炉で、火災事故からレベル5の放射性ヨウ素の放出事故が起きたりして)「事故は起こりうる。起きれば被害は莫大」という方向に認識を転換した年だった。→ 莫大な損害をどうやって補償するのか、という法律や契約を変更し始めた。←→ だが、原発を導入する緒に着いたばかりの日本は、まだ「絶対安全」という単純素朴な幻想に酔っていた。(※これも日本社会のよくあるパターンか…。〝日本語の壁〟…?)
○あまりに巨大な原発事故の被害予測
・ウィンズケール原子炉事故と並んで英米の「安全神話」に冷や水を浴びせたのは、アメリカの原子力エネルギー委員会(AEC)が1957年に公表した原発の事故シミュレーション(WASH-740)。…「もっとも過酷な原発事故」を前提に、その被害を予測(詳細はP148~149)。→ その被害予測は巨大だった。…死亡:3400人、けが:4万3000人、物的損害70億ドル(2012年にインフレ換算すると570億ドル)→ 1964-65年の改訂版では…死亡:4万5000人、けが:10万人、物的損害:170億ドル(2012年のインフレ換算では1250億ドル)。→ こうした数字(※ホントに巨大な被害予測!)は、日本政府にも届いていた。
〔伊原氏への質疑応答〕
・(WASH-740という文書をご存知ですか?)…「名前は記憶しています。…そういう損害は発生しうると思っていた。だからこそ、国際的な保険の枠組みを確立しなくては、原子力発電は実施できないと思っていた」「当時はロンドンが損害保険の世界の中心地だった。…アメリカ市場とロンドン市場がうまくすり合わせて制度をつくっていた。」
・(原発事故の巨大な規模からしても、「これはやめておいたほうがいいのではないか」という結論にはならなかったのか?)…「日本政府としても世界の大勢に遅れをとってはいけない、という発想だったと思う。」
・(それは「経済面」か、それともアメリカを中心にする自由主義陣営に仲間入りするという「政治面」か?)…「政治的な背景のほうが大きかったかもしれない。戦争に負けてアメリカの占領下にあって、アメリカ文化を取り入れることで戦後復興を果たすわけだから、アメリカの考えを受け入れるということが根っこにあったと思う。」(※う~ん、原発も「対米従属」か、しかも前のめりに急いで…そして冷戦終結後も「対米従属」は変わらない…)
○天文学的な被害額を民間保険ではカバーできない
・(実はWASH-740が作成された背景にも、原発損害保険がある)…原子爆弾の開発では先陣を切ったアメリカだったが、第二次世界大戦後、原子力発電では劣勢にあった。…アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」を1953年に打ち出したのも、こうした劣勢を挽回するためだった。→ 原発の技術を無償で外国に移転し、アメリカ主導の国際原子力発電市場をつくる。一方、それらの国が核燃料を悪用して核兵器を開発しないよう、国際的な管理下に置く(そのために作られた監視機関が国際原子力機関<IAEA>)。→ それらの国をアメリカ主導の資本主義陣営「西側」に引き入れて、ソ連主導の「東側」に対抗する。
・それと同時にアメリカ政府は、国内の電力産業に原子力発電に参入するよう促した。←→ だが、彼らは消極的だった。原発事故が起こりうることは徐々に知られていた。その損害はまったく予想できないほど巨大になる可能性があることもわかっていた。→ 電力産業は、損害保険なしではとても手が出せない。保険業界も消極的だった。
・米連邦議会の合同原子力委員会が、その障害を取り除こうと動き始めた。…問題は、原発の危険性を十分つぐなえる保険を見つけ出すことで、その第一歩が、どういう性質の危険が予測されるかを、突き止めることだった。→ そして、それに対するAEC(原子力エネルギー委員会)の回答が、先述のWASH-740だった。→ だが、この結果を見た保険業界は、合同委員会の公聴会で、原発事故損害保険を拒否した。
・(公聴会での保険会社のある幹部役員の証言)…「現実にこんな大きな額にのぼる危険が存在するとすれば、そのような危険のあるものを認めるかどうかは、当然、公共政策の問題だ。…こんな天文学的な数値にあてはまるような保険の原則は存在していない。たとえ保険があったとしても、人や物に与える損害の量が、原子力の開発によって得られる利益に匹敵するのだろうか、という重大な疑問が残る」…(詳細はP153)
・保険がかけられないのなら、原子炉はまだ商業用には適さない、というのが妥当な判断である。←→ ところが、合同原子力委員会は変わった判断を下した。→ 原子力発電を「民間」に開くため、民間保険会社が保険を用意できないなら、政府が保険金を出そうという制度を作ったのだ。つまり、損害が出たら納税者がお金を払い、利益は民間企業が受け取るという制度である。…これは、電力会社という民間企業に、政府が巨額の補助金を出すのに等しい。(※う~ん、これが今、日本で現実化している…!)
・こうして1957年に可決された「プライス・アンダーソン法」が、こうした損害保険の法的根拠をつくった。→ 日本の「原子力損害賠償法」(1961年)は、この法律を下敷きにしている、というよりそっくりそのままコピーしたような法律である。(※ここでも「対米従属」…)
○日本でも40年前に行われていた事故の被害試算
・日本でもWASH-740に相当する原発の事故シミュレーションは行われていた。「原子力損害賠償法」の制定にあたって、原発事故が起きた場合にどれくらいの被害が起きうるのか、試算する必要が出てきたからだ。
・科学技術庁の委託を受けて、日本原子力産業会議がWASH-740を手本にして1960年に報告書をまとめた(詳細はP155~158)。…だが、全文は公表されずマル秘扱いになった。→ 1961年、科学技術庁は衆議院の特別委員会に冒頭18頁の要約のみを提出し、全文が公開されたのは、なんと39年後の1999年である。(※ここでも日本の官庁の隠蔽体質…)
・(この被害試算によると)…損害額が最も大きい場合は3兆7300億円(当時の国家予算の2倍以上で、2011年でインフレ換算すると19兆7780億円)…ちなみに2016年1月までに東電が支払った賠償金は、総額約5兆8243億円、原発敷地外の除染に使われる国家予算は5兆円(見通し)。→ 東電が払う賠償金は時間と共に増え続ける。…1960年に予想された最悪のシナリオである約20兆円に達する日はそう遠くない。(※最近の報道では21.5兆円…民間シンクタンクでは損害総額50~70兆円という試算もあるらしい…)
○チェルノブイリ原発事故後もシビア・アクシデントを想定せず
・ここまでの検証から、保険業界だけでなく、日本の政府当局者は、遅くとも1960年には、原子力発電所の「事故は起こりうる」「起きた場合は国家予算の2倍以上の莫大な損害が出る」ということを知っていたことになる。←→ しかし、そのシミュレーション「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」の大半は公表されないまま、ひろく専門家の精査を受けることもなく、封印されてしまった。(※この秘密主義、どうにかならないのか?)
・内容を暴露したのは1979年4月9日付の共産党機関紙「赤旗」である。→ ところが、このシミュレーションの存在が暴露されたあとでも、1989年3月の参議院科学特別委員会では、政府(科学技術庁原子力局長)がシミュレーションの存在そのものを否定。→ そして1992年、原子力安全委員会は、チェルノブイリ原発事故後の世論の沸騰を受けて、のちに福島第一原発事故の原因につながる、以下の「決定」を下す。
・「我が国の原子炉施設の安全性は、設計、建設、運転の各段階において…多重防護の思想に基づき厳格な安全確保対策を行うことによって十分確保され…シビア・アクシデントは工学的には現実に起こるとは考えられない…」…(※う~ん、「隠蔽」をさらに「ウソ」で塗り固め、根拠のない「安全神話」を蔓延させた、原子力安全委員会の決定的な過失…!)
・福島第一原発事故後、この記述への評価はどうなったのか。
(原子力安全委員会・班目春樹委員長の証言)…「原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵があった…津波に対して十分な記載がなく、全電源喪失については、解説で『長時間そういうものは考えなくてもよい』とまで書いている。原子力安全委員会を代表しておわびする」「国際的に安全基準を高める動きがある中、日本では、『なぜそれをしなくていいか』という言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかった…安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている。そもそもシビア・アクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった。」(※う~ん、あまりにお粗末すぎる…)
○立地基準を定める前に建設地を決めた福島原発
・こうした1950~60年代の原発黎明期の政策史を洗い出していくと、驚くような事実がいくつも掘り起こされてくる。…原発事故が起きた場合のシミュレーションを秘密裏に葬ってしまった政府の秘密主義。…あまりに「大雑把」としか言いようのない「無法」もある。→ 私が「福島第一原発事故の原因は、50年以上前にすでに始まっていた」と考えるのはこういう点を指す。…例えば、福島第一原発は、国が立地基準を定める前に、東京電力が場所を決めてしまった原発の一つだ。
・スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)など海外で原発の深刻な事故が起きても、「日本の原発の安全基準は世界でもっとも厳しい」「日本の基準ではあり得ない・考えられない」といった文言で政府は宣伝し、世論の動揺を抑えてきた。
・そうした「国が原発の安全を国民に保障する」ことを明文化し、義務づけた法律が「原子力基本法」(1955年)であり「原子炉等規制法」(1957年)だった。…これは政府と国民の「契約書」「約束」のようなものだ。→ その一つとして「どんな場所なら原発を作ってよいか」を定めた規則がある。原子力委員会が策定した、原発立地の「憲法」のようなものだ。…効力を持ったのは1964年5月。(詳細はP164~166)
・重要なことは、「原発が事故を起こしても、周辺に住んでいる住民に放射線障害を与えないように、離れた場所に原発を作りなさい」と決められていることだ。誠にもっともな決まりである。…この「原子炉立地審査指針」を原子力委員会が定めたのが、1964年5月。 ←→ ところが、(『東京電力30年史』によれば)福島第一原発の候補地として、現在地が選ばれたのは1960年なのだ。(詳細はP167~169)
・つまり、国が立地のルールを決める4年も前に、東電は福島第一原発の建設地を決め、福島県知事もそれを受け入れた、という話である。…東京電力は、国の規制ができる前に、単独で原発の場所を決めたということになる。つまり立地に何の規制も指導もなかった、ということだ。→ そこでもう一度、改めて前出の伊原さんに聞くことにした。
○「当時はそんなものだった」
・(当時「原子炉立地審査指針」を策定した目的は何だったのか?)…「事故が起きたら(原発の)敷地を超えないように、どういう危ないことが起きるか一生懸命考えた。マスコミがいう安全神話などというのはうそですから(笑)。当時の原子力関係者は『原発は危ないものだ、いつ暴走するかわからん』『そうなったらどうするか』という思いで一生懸命考えたのです」…(※なにしろ読売新聞のトップが「原発推進」の旗振り役だったのだから…)
・(「原子炉立地審査指針」の策定より福島第一原発の立地決定のほうが先だった、と知って驚いたのだが)…「まあ、当時はそんなものでしたからねえ」→ それ以上の事情を尋ねたが、「よく覚えていない」との返答だった。(※良心的とはいっても、ここらが元官僚の限界か…)
→ そこでもう一人、福島第一原発の立地を担当した元東京電力副社長の豊田正俊氏(90)を訪ねた。
・(福島第一原発の立地が始まるのは、まだ「立地指針」ができていない頃だが)…「だけど『重大事故』というのは、前から我々(東電)としてはちゃんと採用していた。…その当時はもう、原子炉が三基ぐらいすでにあった。…(原子力)安全委員会なんか当時はないから…イギリスとかアメリカから(東電が)仕込んできたことを、原子力委員に『向こうではこうだよ』と教えてやってる感じだった。…当時はしょうがないよ、技術レベルが違うんだから。…だけど、最近は原子力安全・保安院なんかが、そういう電力会社の言うことを信用して、とりこになってたというところが問題なんだ…」
・(つまり原子力委員会や国よりも電力会社のほうが、技術や知識で上回っていた、ということか)…「電力(会社)のほうが勉強しているよ。ともかく、官僚は何年かいたら(異動で)替わっちゃう。電力会社は、原子力は一生なんだから。…私なんか40年やってきたんだから…」(※ここでも役所の「たらい回し人事」が問題…詳細はP170~171)
・伊原、豊田両氏の証言をまとめると、「当時は原発に関する知識や技術は、政府や原子力委員会の学者より電力会社のほうが先に行っていた」ので、福島第一原発の立地が政府のルールより先でも「当時はそんなものだった」ということだ。(※学者もレベルが低かった…)
・立地のルールを国が決めるより先に、電力事業者が先に立地を決めてしまった原子力発電所が、日本にはいくつかある。…東海発電所(茨城県)日本初の商業用原発。1966年運転開始。…敦賀発電所(福井県)70年運転開始。…美浜原発(福井県)70年運転開始。…そして福島第一原発。71年運転開始。
・「立地指針」の文面について…原子炉や原発と居住地区との距離については具体的な数字があるわけではなく、「ある程度の距離」としか述べていない。→ その代わりに「全身線量の積算値」が示されている。(詳細はP172~173)
○班目委員長も認めた仮想事故想定のでたらめ
・(事故当時、原子力安全委員会委員長だった班目東大教授の、国会事故調査委員会での証言より)…「立地指針に書いてあること…仮想事故だとか言いながらも、実は非常に甘々の評価をして、余り出ないような強引な計算をやっている…」→ (実際には「仮想事故」の1万倍もの放射線量が放出されてしまったという事実に対する、責任を問われて)…「とんでもない計算違いというか、むしろ逆に、敷地周辺には被害を及ぼさないという結果になるように考えられたのが仮想事故だった…」(※う~ん、東大教授の驚くべき証言…詳細はP173~176)
・つまり「立地指針」の数値基準は、「周辺住民への被害にならない軽い数字を先に決めて、そういう事故までしか想定しなくてよいことにした」というのが、(その立地指針の監督役である原子力安全委員会の長の)班目氏の証言なのだ。逆立ちした話である。
・要は、福島第一原発事故で、実際に放出されたような放射線量を前提に、住民にとって安全なくらい居住地区を原発から離そうとすると、日本には「住むところがなくなってしまう」というのだ。逆に言えば、現実に放出された放射性物質の量から住民が安全なくらい原発を離すと、日本は狭すぎて、原発を作る場所はない、ということだ。→ もっと身も蓋もなく言ってしまえば、この立地基準に沿って作られた日本の原発はすべて、福島第一原発と同じ規模の事故を起こせば、周辺住民の被曝は免れない、ということになる。→ そしてそんな場所に福島第一原発を作ることを、国は規制しなかった。東電が自由に決めてしまった。
○海抜35mの丘陵地をなぜわざわざ低くしたのか
・福島第一原発を作った頃の津波対策について、まず単純な事実から……福島第一原発の立地場所は、建設以前は海抜35mの切り立った崖だった。→ それをわざわざ切り崩して、海抜10mにまで低くして原発を作った。一番低い場所は海抜4mだった。
・3・11のときに襲った津波の高さは15.4mだった。…元どおり、高さ35mのままなら、非常用ディーゼル発電機や配電盤が水没することもなかった。福島第一原発事故は起きなかったことになる。→ なぜそんなことをしたのか、調べてみた。…こんな単純な話を、事故調査委員会も報道も、誰も取り上げないからだ。
・(『東京電力30年史』より)…35mの崖を掘り下げて、建設用地にした。…目的① 船で運んできた重量物の荷揚げができる港湾を作る。…目的② 冷却水を海から吸い上げる。
・港湾を作って荷揚げする必要があった「重量物」とは圧力容器(440トン)である。…福島第一原発のようなBWR軽水炉では、原子炉で熱された水蒸気をタービンに送り込んで発電機を回す。→ 「復水器」で蒸気を冷却してまた水に戻し、原子炉の冷却材に送り込む。…そうやって水がぐるぐるループを回っている。
・この蒸気を冷却する方式には「水冷式」と「空冷式」の2種類あり、海水を使う福島第一原発は水冷式(「空冷式」は、水蒸気を「冷却塔」に循環させて空気に触れさせ、冷却する)。…湿度の高い日本では、空冷式は効率が悪く、巨大な冷却塔が必要になり採算が悪い。→「水冷式」を採用。
・水冷式の原発でも、欧米では河川から冷却水を吸い上げている例が多い(チェルノブイリ原発やスリーマイル島原発も)。→ 流量の大きい河川を持つ国は、内陸部にも原発を作ることができるが、日本の河川には原発が必要とする冷却水を取水できるほどの流量がない。海に頼るしかない。→ 日本の原発がすべて、(「空冷式」や「河川型」でなく)津波の恐れのある海岸にばかり原発が作られた理由である。
・海水の取水には「海底トンネル」と「港湾」の二つの選択肢があったが、巨大な鉄の原子炉(圧力容器)を横浜の工場から運搬するのに、当時の道路事情では無理だった。海上から船で運ぶしかない。また、それぞれ試算したところ「港湾方式」が一番安上がりだった。
・豊田・元東電副社長にも直接尋ねてみた。
(どうして35mの土地をわざわざ掘り下げる必要があったのか?)…「当時は、圧力容器を35m引き上げることのできるようなクレーンがなかった」「当時は(津波対策として)あれで大丈夫だと土木屋さんが言ったんだ。それを信用したんだ」(※責任転嫁?)……公平を期するために付け加えれば、海抜35mの地盤を10mまで掘り下げた理由は他にもある。地震対策だ。…柔らかい地層を10mにまで掘り下げたところに、硬い岩盤があった。
・通常の高層ビルやマンションなら、軟らかい地盤でも、コンクリートの杭を地下の硬い地層まで打ち込んで支える。←→ だが、福島第一原発では地震対策として、原子炉やタービンは、岩盤が露出するレベルまで土地を掘り下げ、建屋の底部と岩盤を一体化させる工法が採用された。…このほうが、地震が来ても原子炉やタービンを襲う揺れが少なく、かつ地盤沈下が防げると考えられた。(※要するに原発立地には不適な土地…詳細はP181~182)
○津波の予測はわずか3mだった
・福島第一原発の建設当時の津波予測…(東電の元原子力開発本部副本部長の小林健三郎氏の論文によると)…「津波の高さは3mちょっとを想定しておけばいい」と言っている(詳細はP183~184)。…あまりに粗雑な想定だった。→ 国が何ら基準を決めないうちに、東電が「独自の基準」で決めてしまったのが、福島第一原発の場所と高さだ。…その結果は、ご覧のとおりの「大甘」である。(※これも重大な〝過失〟の一つ…)
・以後、東電や福島第一原発がいかに地震による津波を軽視してきたかは、多数の論文や報道記事、書籍で指摘されている。
(一例として、フリーの科学記者・添田孝史の『原発と大津波 警告を葬った人々』岩波新書より)…1986年、仙台市内で津波が運んだ堆積層の地層が発見され、宮城県以南でも津波地震が過去にあったことがわかってきた。…(1993年の北海道南西沖地震、1995年の阪神淡路大震災などの経験を踏まえて)1997年に旧建設省など7省庁が津波の想定方法を180度転換。→ 以後は、「起きた証拠ははっきり残っていないが、科学的に発生してもおかしくない最大規模の地震津波」を想定しなくてはならなくなった。原発の安全審査にも応用された。…2000年、電事連の報告書で、福島第一原発が国内の原発でもっとも津波に対する安全余裕がないことが判明(※電事連という身内からこんな報告書が出ていたのか…)。→ 東電は津波想定を約5mに引き上げた(※それでもまだたったの5m!)。…2002年、内閣府の中央防災会議の地震本部が、宮城、福島、茨城沖での日本海溝沿いを震源とする津波地震を予測(「長期評価」)。→ 東電は津波想定を5.7mに引き上げた(※たったの0.7mアップ!)。…2004年、中央防災会議事務局(国土庁)が、「長期評価」の予測した「日本海溝沿いの津波地震」を防災の検討対象にしないと決める(「過去に起きた記録がない、あるいは記録が不十分な地震は、正確な被害想定を作ることが難しい」という理由)。→ 委員の学者の猛反対を押し切り、「宮城から茨城沖まで津波地震が起きることを想定しない」ことに決定。…原発の津波地震対策にとっては大幅な後退(※う~ん、責任者や経緯の解明は?…状況的には政治家・官僚・業界主導か…?)。…2006年、原子力安全・保安院が、原発の耐震指針を28年ぶりに改定。→ 過去にさかのぼって原発の耐振性をチェックする「安全性再検討」(バックチェック)を電力会社に指示。→ 福島第一原発も、設置許可以来40年で初めて津波への安全性が公開の場で検討されるはずだった。←→ しかし電力業界は抵抗。→ 3・11の時点まで5年間、保安院はバックチェックの最終報告書が提出されていないのに、それを放置した(※もし、このバックチェックが震災前にしっかりと実施されていたなら…? これも重大な過失の一つだろう…)。…2008年、地震本部の「長期評価」を元に、東電が福島第一原発に最大15.7mの津波が来ることをシミュレーション(※う~ん、3年前に予測している! これは東電内の良心的な部分か…?)。
→ 後に3・11時に同原発所長になる吉田昌郎氏は原子力設備管理部長、首相官邸に詰めた武黒一郎フェローは原子力・立地本部長、武藤栄副社長は同本部副本部長として報告を受けたが、とり入れないことを決定。(※う~ん、この人たちは、3年後に、身をもってそのツケを払うことになるわけだが、その責任はまだ取っていない…。吉田氏は、事故処理の心労のせいか亡くなってしまったが…)
【4章】住民軽視はそのまま変わらない
○虚構に依拠した防災対策の最大の被害者は地元住民
・福島第一原発事故を経験したこの国では、「事故を契機に住民の避難対策は改められたのか」…また再び同規模の原発事故が起きたとき、今度は、住民は被曝することなく避難できるのか。…地震の巣のような日本なのに、巨大地震が来れば津波の襲来が避けられない海岸線に、54もの原子炉が並ぶ。
・同事故発生直後の住民避難は、壊滅的な失敗だった。…避難のための集合や輸送手段はおろか、法律上、避難指示の責任者である国は、避難先の準備や周知すらできなかった。…「原発はどの程度危険な状態なのか」という情報が、東電や国から知らされることはなかった(東電がメルトダウンを認めたのは事故から2ヵ月後だった)。→ 徐々に広がった避難区域の外側では、住民は水素爆発する原発の映像をテレビで見て危機感や恐怖を覚え、ばらばらに自家用に乗り、行き先も決められないまま故郷を脱出せざるを得なかった。→ 約23万人(環境省調べ)が被曝し、2015年11月現在でも約10万1500人(福島県調べ)が県内・外へ避難して家に戻れないままである。
・こうした惨状はすべて、国・電力会社の原発の安全基準や防災が、虚構の上に組み立てられていたからである。…「格納容器が突破され、外に放射性物質が漏れるような事故は起きない」「原発の敷地外に放射性物質が漏れ出すような事故は起きない」「よって住民の原発防災は基本的に必要ない」→ こうした虚構に依拠した防災政策の最大の被害者は、原発周辺に住む地元住民だ。…実例を挙げるとそれだけで紙数が尽きてしまうので、「あまりにひどい例」に絞らざるを得ない。
・一つは、5000人の村人と避難者1000人あまりが、何の警告もないまま3月15日の放射性プルーム(放射能雲)の渦中に放置された飯舘村をはじめ、北西方向に流れたプルームの真下にいた人々である。…そしてもう一つが、福島第一原発の南にある富岡町だ(全町が半径20キロ内)。→ 発生翌日の3月12日に全町避難を強いられ、「数時間で戻れる」と信じて財布と携帯電話だけ持って車に乗り、そのまま5年間家に帰れなくなった人も多い。
・忘れてはならないのは、同町沿岸部は3月11日に高さ21.1mの津波に襲われ、壊滅状態になったことだ。→ JR富岡駅の駅舎は流され、駅前商店街も破壊された。そのまま後片付けもできないまま、町民は翌日に避難を強いられた。→ だから、同駅周辺は2015年初頭でも、津波が破壊したままの風景がそのままになっていた。…2012年1月11日、郡山市に移転していた富岡町役場に、遠藤勝也町長を訪ね、話を聞いた(遠藤町長は、2014年7月20日、74歳で上顎歯肉がんで亡くなった)。…〔※吉田所長と同様、震災死だろう…〕
○国を信じて遅れた富岡町民の避難
・3月12日の午後、遠藤町長が最後に役場を脱出したとき、1回目の水素爆発の直前、間一髪だった。→ パトカーに先導され、午後4時半、川内村役場(原発から南西22キロ、県の指示した避難先)に到着した。…人口3000人弱の村に、富岡町はじめ外からの避難者6000人が着の身着のままで殺到した。
・この日の午後6時25分、避難する区域は半径10キロから20キロに拡大された。…川内村はギリギリ外である。ほっとした。→ しかし、14日午前11時、2回目の水素爆発が起きた。テレビ映像が流れると、村にいた町民の半分が逃げ出した。町長も焦った。ここも危ないんじゃないか。どうすればいいんだ…。
・携帯電話は通じない。国や県からはまったく連絡がない。周囲の状況がまったくわからない。→ ただ1台だけ生きていた衛星電話で、東京の原子力安全・保安院に電話をした。→ 日付が変わった15日未明の午前2時に、平岡英治・同次長から電話がかかってきた。…その言葉を、遠藤町長ははっきり覚えている。
・「国の想定では、原発事故は(半径)20キロを超えることはないんです。どうぞ国を信じて下さい」…「本当にそれでいいんですね」と遠藤町長は何度も念を押した。電話の相手は「20キロ圏内の屋内退避が最大ですから」と繰り返した。→ 町長はいったん「再避難せず」を決めた。
・15日の夜が明けると、一緒に川内村役場にいた福島県警の警察官40人に県警本部から撤収命令が出た。→ 町長は動揺した。…国の言ったことは何だったのか。一体どうすればいいのか。警察が撤収したと聞けば町民はパニックを起こす。→ 立ち去ろうとする署長に懇願して、12人が残ることになった。(※う~ん、この逸話は、かつての戦時中の満洲で、関東軍が日本人開拓民たちを置き去りにして撤収してしまった…という話を彷彿させる…!)
・遠藤町長は決心した。…もう、国も県もあてにならない。避難先を自分で探すしかない。→ 姉妹都市提携している埼玉県杉戸町は快諾してくれたが、行こうという町民がいない。→ 結局、個人的なツテで、展示場「ビッグパレットふくしま」(郡山市)に決まった。…この15日とは、前述の原発北西方向、南相馬市から飯舘村、さらに福島市から千葉県北部まで流れる高濃度の放射性プルームの放出が起きた日である。
・「線量が急上昇しているらしい」「また放出があったようだ」…そんな話が住民の間を駆け巡っていた。→ 15日夜、真っ暗になってから、パトカーの先導で川内村を脱出した。ビッグパレットに到着したのは午前0時近かった。
○今でも悪夢にしか思えない
・結局、国からは誰も来なかった。県や東電から線量の高さや方向についての情報もなかった。避難の方向を決める「SPEEDI」のデータなど見たこともないという。…富岡町と東京電力を直につなぐような窓口が、そもそもない。連絡役がいない。…町は10キロ圏内でEPZ(後述)の範囲内なのだが、直接原発が建っている「立地自治体」(大熊町と双葉町)ではないからだ。(※う~ん、日本の「原子力防災」は、今回の事故対応の結果を見ると、「立地自治体」以外はなきに等しかった…?)
・「うんと、今でも怒っています」…遠藤町長は言った。→ その怒りの矛先は、「8-10キロ」というEPZ(Emergency Planning Zone)を決めた原子力安全委員会に向けられる。…「今だって、原子力安全委員会のメンバーがまったく変わっていない。班目委員長なんて、会ったこともない。お詫びも聞こえない。まったく罪悪感も責任感もない。これだけの事故を起こした最高責任者じゃないのか。安全をチェックして安全を高めるのが仕事じゃないのか」「原発の安全は国が担保していた。それを信じる以外の選択肢は我々にはなかった。その意味では私たちも『安全神話』を信じていたのかもしれない。それは完全に裏切られてしまった」「私たちの体験を、日本全体の原子力防災の共通認識にしてほしい。巨大地震はいつどこで起きるかわからない。『福島は対岸の火事じゃない。運転再開は安易にしちゃだめだ』…全国市町村長会でもそう話している」
・1時間ほど堰を切ったように話し続けた遠藤町長は、最後にふと言葉を切ると、こう言った。「本当に、今でも、悪夢のようだとしか思えないのです」
○避難範囲が拡大されても、被曝は防げず
・こうした避難の失敗を教訓に、2012年10月、国は「原子力災害対策指針」(住民を避難させるマニュアル)の内容を変更した。…原発事故の時、周辺住民に避難命令を出す権限は「国」にある。…原発事故はその被害範囲が自治体の境界を超えるほど広いことを想定して「国」に決定権が委ねられている。その根拠になっている法律が「原子力災害対策特別措置法」(原災法)だ。→ この法律に基づくさらに細かい指示書が「原子力災害対策指針」。
・周辺住民にとって一番影響の大きい事故後の修正は、「事故のときに屋内退避や避難の備えをする範囲」が拡大されたことだ。…事故前のその範囲は半径「8-10キロ」(EPZ)で、福島第一原発の周辺では実際に避難訓練が行われていたのは、半径3キロ以内。それも3キロ以内にある最寄りの公的施設に自宅から行くだけで、3キロ圏の外に避難するのではなかった。(※う~ん、これでは本番でまともな避難ができるわけがない…)
・事故後は、それを「30キロ」に拡大して「UPZ」(Urgent Protective Planning Zone)という名前に変えた。…この「30キロ」という数字は、国際原子力機関(IAEA)の基準に合わせたもの。屋内退避の後、実測値に基づいて避難することになっている(1週間の積算被曝量100ミリシーベルト)。→ 対象となる自治体数は、旧指針の15道府県45市町村から21道府県135市町村に増えた。(※福島原発事故の前は、避難指針が国際標準ではなかった、ということか…)
→ さらに、半径5キロ以内は「原発で異常が起きたら、放射性物質が出ていなくても即退避」ということになった。
・福島第一原発事故が起きてみると、旧「8-10キロ」という避難範囲は小さすぎてまったく役に立たなかった。→ 事故後約1ヵ月で「警戒区域=立ち入り禁止」の範囲は半径20キロにまで拡大された。…今もこの「半径20キロの円」は基本的に「立入禁止ゾーン」の骨格を作っている。
・より正確に言えば、この「半径20キロ」という規制区域も、現実にはまったく対応できなかった。→ 南東からの風に吹かれた放射性物質の雲(プルーム)は、原発から北西約30-50キロの飯舘村を全村避難が必要なほど汚染したからである。←→ ところが、プルームが同村に流れた2011年3月15日の時点では、政府は20キロ以遠にある同村に放射能汚染が及ぶことを警告しなかった。→ そのために村にいた住民約5000人と、避難してきた人たち1200~1300人は何の警告も与えられず、そのまま被曝した。(※詳細は「震災レポート⑮」…『原発に「ふるさと」を奪われて』―福島県飯舘村・酪農家の叫び― 長谷川健一 宝島社2012)
・ここでもうすでに新しい「指針」の欠陥が見えてくる。
(1)原発から半径30キロという区切りは小さすぎる。…もし仮に福島第一原発事故がもう一度起きたとすると、「新指針」の下でも、飯舘村は大半が避難対象に入らない。
(2)避難範囲を円で区切るのは無意味。…放射性物質は風に吹かれて雲のように方向を持って流れる。→ 「どの方向に逃げるのか」を、その日の風向きによって決めないと意味がない。
○非現実的すぎる放射能拡散予測
・こうした「新しい指針」とともに、国(原子力規制委員会)は2012年に、全国16原発で「福島第一原発事故級の事故が起き、放射性物質が原発外に流れ出た」という前提に基づいた放射能拡散予測シミュレーションを公表した。…それまで50年以上、国は「原発事故で敷地外に放射性物質が流れ出ることはない」という前提に固執していたので、それを思えば一大方向転換である。(※あれだけの大事故を起こしたのだから、当然のことだが…)
・しかし、その政府のシミュレーションで「新避難対象区域=30キロ圏」が小さすぎることが、すでに露見している。…ex. 福井県の大飯原発など4原発で、30キロを超える地点が、積算被曝線量が避難基準値の1週間100ミリSvに達する試算が出ている(京都府南丹市、新潟県魚沼市など)。…また、隣接する高浜原発が事故を起こした場合の拡散予測では、大飯原発が避難基準値に達する地域に入る。→ つまり、大飯原発にいる要員も避難の必要が出てくる(→高浜原発と大飯原発が共倒れ…)。→〔※〝原発銀座〟の危険性…今回の事故でも、福島第二原発も(女川原発も?)この危険性をギリギリで免れた…〕
・さらに、国のこのシミュレーションは「非現実的すぎる」と批判を受けた。…①地形をまったく考慮していないこと。②「放射能放出から一週間、風向きが同じ」…という現実にはあり得ない仮定で作られたこと。(詳細はP197~198)
○新指針でも機能不全を起こしかねないオフサイトセンター
・この「新指針」には大きな欠陥がまだ残っている。→ 「オフサイトセンター」(緊急事態応急対策拠点施設)の移設が進んでいないのだ。
・オフサイトセンターとは、原子力施設において、事故が発生した敷地(オンサイト)から離れた外部(オフサイト)で現地の応急対策をとるための拠点施設。→ 国・都道府県・市町村や、事業者(電力会社など)の防災対策関係者が1ヵ所に集合して、連絡を密にしながら対策をとることになっていた。
・ところが、福島第一原発事故では、まったく機能しなかった。…福島県大熊町の「福島県オフサイトセンター」は原発からわずか5キロの位置にあった。→ オフサイトセンターの場所そのものが、放射線量が上がって避難対象区域になってしまった。…換気施設に放射性物質を取り除くフィルターもなかった。…さらに、周辺の市町村は住民避難に手一杯なうえ、地震や津波で道路網は寸断され、渋滞やガソリン供給が不安定になるなどで、関係者が集まることはできなかった。また電源も、電話などの通信手段も途絶してしまった。(※ここでも、〝安全神話〟による油断、準備不足、認識不足、というしかない…)
・オフサイトセンターは「原子力災害対策特別措置法」が定めている原子力災害のときの司令センターだ。→ オフサイトセンターが機能しないということは、住民避難の「司令部」が失われたことを意味する。→ この失われた「司令部」の機能を引き受けて、東京の首相官邸や原子力安全委員会は大混乱に陥った。→ 結局、福島市にある福島県庁に撤退したが、この「司令部の機能不全」のせいで、すべての住民避難計画が狂った。(※オフサイトセンターの重要性…そして、この国の「総合力」の脆弱性…)
・オフサイトセンターが原発から5キロという至近に設けられていたことは、はっきりとした国のミスだ(詳細はP199)。→ 事故後、国は原災法の施行規則をこう書き換えた(2012年7月)。…「立地地点を(20キロ未満から)5-30キロに変更」「空気浄化フィルター等の放射能遮断機能の確保」「30キロ圏外であり別方向に位置する複数の代替オフサイトセンターを確保」…(※いつも後手後手の〝泥縄〟か…)
・3・11後、オフサイトセンターはどうなったか(P201に一覧表)。→ 12の代替オフサイトセンターが、まだ国が決めた「新指針」の30キロの内側にある。…今回の事故で、50キロ離れた飯舘村までが汚染で避難を余儀なくされたことを考えると、14の代替オフサイトセンターが50キロ圏内に入ってしまう。→ 「第二の福島第一原発事故」が起きたときには、これらのオフサイトセンターは機能しなくなる可能性が高い、極めて脆弱な構造だと言える。
○「被害地元」嘉田前滋賀県知事の危機感
・もう一つ大きな問題がある。…国の新しい指針に従って「5キロと30キロ圏内」を想定した避難訓練について、多くの自治体で行われているのは「半径5(30)キロの円をコンパスで書いて、その内部の住民を動かす」訓練にすぎない。…依然「被害は30キロ内で完結する」という「都合のいいシナリオ」が前提になっている。
・こうした国の3・11後の住民避難政策に疑問を抱いた数少ない自治体首長の一人が、滋賀県知事だった嘉田由紀子氏。…滋賀県には原発がないが、隣の福井県の敦賀湾沿いには、15基の原子炉が集中していて「原発銀座」と呼ばれている。→ 敦賀原発は滋賀県側から13キロしか離れていない。
・福島第一級の原発事故が福井県で起きた、と想定して当てはめると、琵琶湖北部に放射性物質が降り注ぐことになる。…嘉田前知事は「福井県で原発事故があれば、京都・大阪という関西の主要都市の水道が汚染される」という危機感を持った。→ 滋賀県は国を待たずに、独自の原発シミュレーションを実施し、独自の防災計画を作るに至った(2011年秋…詳細はP202~203)。
・滋賀県が独自に放射性物質拡散シミュレーションを作るきっかけになったのは、文科省が同県の求めにもかかわらず「SPEEDIによるシミュレーション結果を渡さない」と表明したこと(※なぜ?…縄張り意識? 隠蔽体質?)。…県の計算式の原型になっているのは「琵琶湖環境科学研究センター」が持っていた光化学スモッグの大気汚染モデル。→ どうしてこの調査をすることを決心したのか、嘉田前知事に直接取材した。
○避難そのものがあまりにも非現実的
・「私は知事として『被害地元』という概念を作り、一生懸命『命と暮らし』を守ろうとしてきたが、『実効性のある避難計画は今のままでは無理だ』という結論に…その一つが交通問題。自動車では20~30時間のすごい渋滞になる。…(琵琶湖ルートの)船の逃げ道も、最大1000人乗れる船が二つしかない。それが一往復するのに2時間かかるのに、高浜原発から30キロ圏内には6万人いる…」「滋賀県は、(単なるコンパスで円を描いての30キロというのはおかしいだろうという判断で)風と地形とを併せた形での『43キロ圏内』という県独自の避難計画を作った。…データに基づいてUPZを作ったのは全国でも滋賀県だけ」「私は科学者なので、単なるコンパスで引いた円では納得できなかった。…リスク管理というのは最悪の事態を想定することです」…(※う~ん、日本にもこんな県があったのか…詳細はP204~205)
・「もう本当に非現実的…(あらゆる条件の市民を)『20時間以内に移動することは不可能』と言わざるを得ない。…他にも、ヨウ素剤の配布は国の新指針では『5キロ圏内では日常的に配布』『30キロ圏内では汚染した直後に配布』となっているが、そんなことは無理(烏賀陽注:ヨウ素剤は被曝後24時間以内に服用しないと効果が薄い)。…とにかくあまりにも非現実的だ(詳細はP206)」「何より、根本的な法律の矛盾として、水害などの『地域防災計画』では避難指示を出すのは市町村長なのに、『原子力災害対策法』では総理大臣。…全国知事会はそれを調整してくれるように原子力規制委員会にずっと言っているのだが、縦割りのために動かない(田中俊一委員長は全然やる気なし)。…「災害対策基本法」は総務省の管轄で、原子力災害は(かつては経産省下の原子力安全・保安院の担当だったが)今は原子力規制委員会だから、所管は環境省。→ 総務省と環境省が横の調整をしていない。現場はどうしてよいのか分からないんです。」…(※ここでも「縦割り行政」の弊害…詳細はP207~208)
○都道府県庁には放射性物質を扱う部署がない
・「3・11の前は、『絶対に原発事故は起きない。施設外に放射性物質は拡散しない』という前提だった。だから放射性物質を扱う部局は県自治体にはないのだ。都道府県庁で環境政策をする人たちは、『私たちには関係ない』と思っていた。…地域防災計画の原子力災害対策編というものを県は作ってはいたが、形式的なものです。」
・「国でも同じで、環境省の仕事ではなかった。それを事故が起きてから環境省が押し付けられた。…環境省が発足した1972年当時、例えばアメリカやドイツ等の諸外国では、原子力災害対策は環境政策の一貫ということになっていた。『原発事故が起きれば放射性物質で環境が破壊される』から。…だが日本ではSPEEDIのデータを原子力ムラ(経産省と当時の原子力安全・保安院)が抱え込み、放射能は『絶対に施設外には出ない』という大前提にしてしまった。だから環境省が公共用の安全水域や、放射性物質が大気中に漏れた場合の基準を作りようがない。『あり得ないこと』になっていたから。」
・(烏賀陽)…「つまり『放射性物質が放出されるような原発事故はあり得ない』というフィクションの上に行政が成り立っているので、環境省もそれはやらなくてよいことにされてしまった。」
(嘉田)…「だから、国の環境基準には放射性物質の項目がない。当然、自治体にもない。→ 『滋賀県独自で放射性物質の拡散シミュレーションをやろう』と私が言ったとき、滋賀県の環境政策の担当者は『僕らには放射性物質は扱えません、無理です』と言った。…防災対策の担当者も『原発事故のシミュレーションに関する科学的知識がありません』と言う。」…(※う~ん、日本はこの程度の「総合力」で、原発を50何基も稼働させていたのか…)→ 「私が元いた琵琶湖研究所の所長と相談・説得して、自治体として全国で初めてこの原発事故を想定した放射性物質の拡散シミュレーションをやったのです。というのは、文科省はSPEEDIのデータを、立地地元にしか渡さないから。」
○「汚染されないと避難させられない」住民見殺しの論理
・「『立地地元』には、安全協定で原発稼働の同意権がある。しかもいろいろな経済的なベネフィット、原発の交付金がくる。←→ ところが福井県・高浜原発から13キロしか離れていない滋賀県には同意権もなければ、交付金もこない。」
・「(国は)今の時点でも『避難計画にSPEEDIのデータを使わない』というのが指針。→ 『モニタリングデータだけで避難計画を作る』というので、これも私たちはおかしいと言っている。…というのは、モニタリングデータなら、すでに放射性物質が舞い落ちて、汚染されたことが分かってからしか避難できない。これでは県民が被曝するままに見捨てることになる」…(「汚染・被曝してから逃げよう」という逆立ちした理屈…)
・「SPEEDIの場合には、ある程度シミュレーションで予測できるが、『それでは避難させられない。実態として汚染されないとダメだ』と国は言う」→ 「結局国は、滋賀県に対してSPEEDIのデータを出すまでに2年くらいかかった。…県のシミュレーションは、2011年の3~4月にすぐに準備して8~9月にはほぼ出ていた。国がSPEEDIのデータを渡したのはそのずっとあとです」…(※福島原発事故が起こった後でも、この国の〝意固地さ〟はなぜ…?)
○「リスクは知らせない」の根本にある父権主義
・「シミュレーションができたあと、今度はその公表に県内の市町村が抵抗した。『人心を混乱に落とし入れるな』という首長が多い。『リスクを知ったうえで備える』ことに、彦根と近江八幡の市長は最後まで納得しなかった。…『リスクは知らせるな、知らせる以上は避難も含めてすべての対策を取れ』と言う…『人々には知らしむべからず、寄らしむべし』です。…この発想は地方へ行
けば行くほど強い。」
・(烏賀陽)…「『避難計画すべてが完璧に整わないと、リスクを知らせるべきではない』というなら、いつまでたっても避難計画はできませんよね。」
(嘉田)…「だから作らないんです。こういう発想はもう、政治家の中にものすごく根深い。『住民を守ってあげる』と言うとよいことのように聞こえるが、結局見殺しにするということです。行政が全部守ってあげる。…これまで自民党がやって来た『パターナリズム』(父権主義)です。特に地方の政治家には多いですね」…「だから(川内原発を再稼働させた)鹿児島では避難計画を作らない…知事が非現実的な避難計画は作らないと言う。特に要援護者の避難計画は現実的ではない。だから避難計画は作らない。これでは、県民を見殺しにすることになる」…「行政が全部抱えてあげる。お前らの命はわしが預かった、とでも言わんばかりです。『知らしむべからず、寄らしむべし』という政治信条…もう日本中それが強い。自民党がそもそもそういう発想ですから。リスク開示をしない…」(詳細はP211~213)
〔※この「父権主義」の項、思わず長く引用してしまったが、これも「大衆は所詮愚かだ」という上から目線の大衆蔑視の一形態か…そして〝秘密主義〟〝隠蔽体質〟の根っこにあるもの…〕
○琵琶湖が汚染されれば被害は近畿全体に拡がる
・(烏賀陽)…「滋賀県の原発事故シミュレーションを見てびっくりしたのは、琵琶湖が汚染されてしまうと淀川水系が汚染されてしまい、それを上水道の水源にしている京都府、大阪府にも汚染被害が広がる、ということだった。」
(嘉田)…「そうです。1450万人、近畿全体に汚染地元が広がる」「大気汚染の後は水質汚染もやりました。そして放射性ヨウ素の拡散状態を見て、その後は生態系の影響です。生物濃縮とか…福島でもそうだったが、放射性物質は底に沈む。ナマズとか水底にいる生物から影響を受ける。」
(烏賀陽)…「大阪府民の飲み水も汚染されると聞いて、大阪府民の態度は変わったか?」
(嘉田)…「当時は橋下徹・大阪府知事も『そのデータをくれ』と言ってきたので、ちゃんと出した。だけど橋下さんは、2012年に石原・東京都知事と組んで維新の党を結成してからはガラッと変わった。もう原発のことは言わなくなった。…もう忘れている、彼は(笑)。…橋下さんが大阪府知事時代に(ある会合で)『テレビ取材が入らないなら僕は帰る』と言って帰り始めた。テレビがないところではご自分は発言しない。」
・「私は四つの提言をしている…
①『立地地元』『被害地元』『消費地元』の三つの地元があること。『消費地元』というのは、電力を消費する関西。…関西は被害地元とほぼ同じ。
②関西のみなさん自身が水で影響を受ける当事者なのだから、『琵琶湖を介して、自分たちの水が汚染される』ことに対して関心を持ってほしい。
③再稼働の必要がない。…2012年の大飯原発の3、4号機の時にずいぶん脅かされた…ブラックアウトしたら病院で命が危なくなるとか、経済が成り立たないとか、真夏のピーク時の話。→ 私は(関西広域連合のエネルギー対策・節電対策の責任者で)、ともかく真夏のピークをカットしましょうと、2000万人に呼びかけた(詳細はP215)。…『クールシェア』や太陽光発電などで、関西全域で約500万キロワットもカットした。もう、ブラックアウトなんて誰も言わないでしょう?…(※あの東京圏での「計画停電」も脅しだった…?)
④琵琶湖には足がない、避難できません。琵琶湖に放射性物質が降ったら、もう打つ手がありません。」(※う~ん、打つ手がないのか…)
・(烏賀陽)…「国はまだ『立地自治体しか再稼働に同意の必要はない』と言っているのか?」
(嘉田)…「同じです。(大飯原発の再稼働の時に)『安全協定で滋賀県の同意を得る義務はない』と言っている。」
(烏賀陽)…「『被害自治体』という概念を国は採用するでしょうか」
(嘉田)…「多分しません。彼らはともかく裏で意思決定したい。福井県知事だけの了解で進めたいと思っている。それこそ、何兆円という利害が絡んでいる。…経済利害と政治パワーの強さだと思う。」…(※う~ん、「父権主義」と「経済利害」が絡んで、「ともかく裏で意思決定したい」…これが〝日本政治の真実〟か…?)
○原子力防災体制の欠陥
・嘉田前知事の話から、福島第一原発事故後なお残る国の原子力防災体制の欠陥を抽出してみる。(12項目)
〔事故後も変わらない円形の避難地域設定の問題点〕
(1)原発を中心にコンパスで5キロあるいは30キロの円を描いて避難区域を決めるやり方は、実効性のある避難には役立たない。
(2)風向き、降水(雨、雪)など気象条件と地形を勘案して汚染を予測し、避難が必要な方向と範囲を決めなくてはならない。
・住民避難の観点からいうと、福島第一原発事故での最大の教訓は「放射能を帯びたチリの塊が雲状(プルーム)になり、風に吹かれてランダムに飛んでいく」ということだ。…政府が決めた「直径Xキロの円」などとまったく無関係に飛び広がった。そして地上に落ちたところが放射能汚染地帯になった。
・風に乗ったチリの拡散は一種の「自然現象」なのだから、人間が決めた人為的なラインなどお構いなしで動く。←→ ところが政府はそのことに気づかず、あるいは気づいても改めず、避難範囲を半径「3キロ→5キロ→10キロ→20キロ」と数値を増やしただけだった。
・そもそも「円形の避難範囲設定」が間違っていたのだ。→ その結果、避難すべき人が避難できず、避難しなくてもいい人まで避難するという無駄と混乱を生んだ。→ そして、原発事故後の「新指針」でも、政府の基本は「円形の避難地域を設定する」で、同じ過ちをそのまま繰り返している。
・もともと「住民避難範囲を円で設定する」という発想は、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故で始まった。…当時はメルトダウンと放射性物質拡散のような大きな原発事故そのものが想定されておらず、メルトダウンが進行していた非常に緊張度の高い中、約300キロ離れたワシントンのNRC(原子力規制委員会)の担当者が、「とりあえずの対策」として提案したのが「原発から半径5キロの線を引いて、内部の妊婦や未就学児童を避難させる」という案だった。→ それがそのまま事故後も政策として定着し「前例」として各国にも広がった、というにすぎない。…つまり何らかの実効性を確認した上で「円」で限定するという政策が生まれたわけではない。
・原発事故前も後も、日本政府の発想は、それをそのまま形だけコピーしているにすぎない。…福島第一原発事故で円形が無意味だと分かっているのに、事故後も「なぜ円形なのか」「意味がないのではないか」という疑問を誰も問わないのである。(※う~ん、ここでもアメリカのコピー、「対米従属」か…。しかも、世界史的な「原発過酷事故」を起こしてしまった後でも、改められない、教訓を生かせない、失敗に学べない…。→ このことは、70余年前に国民が「甚大な犠牲」を強いられた、あの「戦争の失敗・教訓」を生かせてないことの、繰り返しか…?)
〔SPEEDIを避難に生かせなかったのは人為的ミス〕
(3)そうした気象条件や地形を合算して避難の必要な地区を予測するシステムとして、原発事故前に「SPEEDI」があった。←→ しかし原子力規制委員会は、「福島第一原発事故ではSPEEDIは役に立たなかった」と結論づけて、避難計画の策定から排除してしまった。(実際には、SPEEDIがシステムとして機能しなかったというよりは、政府内部や東京電力内部でSPEEDIの存在が忘れられていた、避難計画にどう生かすかを理解できる人がいなかった、という側面が強い…)
(4)従って、新指針の避難方針は「モニタリング」で汚染を計測して範囲を決め、避難を開始することになっている。→ これは「放射性物質が飛散し、降下した量」を測定してから避難を決める、という手順である。…つまり「その地域が汚染してから避難のやり方を決める」という倒錯した手順であり、そこにいる住民は避難前に被曝する可能性が高い。
・SPEEDIは、こうした「円形避難」の欠点を補うシステムとして存在した。「放射性物質の雲(プルーム)がどちらの方向に、どれくらいの距離まで流れるのか」を刻々シミュレーションしていくシステムだった。→ 「放射性雲の流れる方向に行ってはいけない」「その方向に住んでいる人を避難させよ」を警告するためにあった。
・しかし、福島第一原発事故のときに「役に立たなかった」という俗説が一人歩きして、事故後、原子力規制委員会は避難計画への運用をやめてしまった。←→ しかし、これはSPEEDIがシステムとして機能しなかったというよりは(PBSというバックアップのシステムが存在した事実は、5章で後述)、その存在を知り、避難計画にどう使うのかを知る人が、政府(首相官邸、経産省、原子力安全・保安院、原子力安全委員会など)や東京電力内部にいなかった、存在を知っていても現実への応用を思いつかなかったという「ヒューマンエラー」である色彩が強い。→ そしてそうした人々は、処罰されたり責任を問われたりしていない。(※つまりここでも、「失敗」を検証・反省し、未来に生かす、ということがなされていない…)
〔避難そのものがあまりにも非現実的〕
(5)避難区域にいる6万人の地域に、脱出路が国道一本しかない。脱出にはバス500台が必要。→ 20~30時間の渋滞が発生する。…「20時間以内」の実効性のある避難は物理的に不可能。
(6)同じ6万人の地域に医師は15人しかいない。薬剤師も同様。→ ヨウ素剤の実効性のある配布は不可能。
〔あくまで当事者は立地地元だけ〕
(7)原発からの距離が十数キロであっても、原発がない都道府県を、国は「地元」とは認めない。
(8)よって、国主催の原発事故の避難訓練に、国は「立地地元ではない隣の都道府県」を含めない。
(9)よって、再稼働の合意を必要とする安全協定の対象に「立地地元ではない隣の都道府県」は含まなくてよい。隣県が反対しても再稼働してよい(福井県の大飯原発再稼働ではそのとおりになった)。
(10)放射性物質の拡散を予測したSPEEDIなどのデータを、国は「立地地元ではない隣の都道府県」に渡さない。→ 隣県は、自分でシミュレーションをして避難計画を決める必要がある。
・政府の事故対策には、「人工的な境界線に固執して、自然現象を無理やり当てはめようとする発想」が頻出する。…(7)~(10)は「都道府県境」という人工的な境界線で当事者の自治体(都道府県)を決める無意味な発想である。
・滋賀県の事故シミュレーションが明らかにしたのは、琵琶湖の北部に放射性物質が降り注ぎ、琵琶湖水系を水源とする京都府、大阪府の上水道も汚染されるということ。→ つまり被害を受ける都道府県は、滋賀県、京都府、大阪府と「県境」に関係なく広がるということだ。
・ところが、国は福島第一原発事故後も「原発が建っている都道府県だけが当事者」という姿勢を崩していない。…これが「立地地元」「立地自治体」の発想である。だから、国主催の防災・避難訓練に隣県を含めない。←→ 事故が起きれば自分たちの県にも放射性物質が来ると分かっている隣接する都道府県は、自分たちで独自の訓練をするほかない。
〔中央官庁の縦割りの弊害が生む避難指示問題〕
・これは次の(11)と合わせて考えると、極めて危険な状態だということが分かる。
(11)水害、土砂崩れ、噴火といった「一般災害」では「災害対策基本法」で自治体が避難指示を出せる。←→ ところが原子力災害だけは「原子力災害対策特別措置法」に基づいて総理大臣が避難指示を出す。…「災害対策基本法」は総務省が管轄し、「原子力災害対策特別措置法」は環境省が所管する(福島第一原発事故前は経産省下の原子力安全・保安院が所管)。→ 二つの官庁が縦割りのまま横の調整をしない。…「誰が避難指示を出すのか」「誰の避難指示に従うのか」という最も基本的な法律が、「股裂き状態」のまま放置されている。→ いざ事故の場合、地元自治体が判断に迷う。
・福井県の原発で事故が起きた場合、13キロしか離れていない滋賀県の住民はどうすればよいのか? 知事や市長は避難指示を出すのか?…嘉田前知事の問いかけは、こういう切実な問題を含んでいる。→ (1章で検証したように)福島第一原発事故では、政府内部で貴重な時間が浪費され、国の避難指示までに時間が空転したことが明らかになっている。…隣県としては死活的な問題だろう。
・無論、国の避難指示を待たずに自治体が避難を命じることも可能である(福島第一原発事故では、数分の差で国より先に福島県が避難指示を出している)。←→ しかしその場合、中央官庁(医師の派遣には厚労省が、バスの手配には国交省がからむ)や国の機関(自衛隊など)は避難に協力してくれるのか? 警察は? …こうした問題はまったく解決されないままになっている。しかもその原因は、総務省と環境省がすり合わせをしない、という旧態依然とした「中央官庁の縦割り行政」なのだ。(※う~ん、結局、この問題に戻ってしまう…)
(12)福井県の原発で福島第一原発事故級の大事故があった場合、隣県・滋賀県の琵琶湖に放射性下降物が降る。→ 琵琶湖は下流の京都府、大阪府の上水道の水源であり、放射能汚染被害が都市部に拡大し、被害規模が増える。
(3/25…4章 了)
次回の〔後編〕は…最終の【5章】原発事故の進展は予測できなかったのか…の予定です。→ 4月中の完成を目指します。
(2017.3.25)
『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』
烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11
―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題― ――[中編]
【3章】原発黎明期の秘密と無法
○事故の危険性を深刻に受け止めた損害保険会社
・福島第一原発事故のあと、日本政府や電力業界は「格納容器が破壊されて放射性物質が周辺を汚染するような事故は起きないと考えていた」という弁明を繰り返した。←→ しかし、1960年頃までに、日米両国で甚大事故が起きた場合の損害についてのシミュレーションを政府機関が試算していた。…しかし日本では、その内容のあまりの深刻さに公表を見送られてしまった(※ここでも都合の悪いことは隠蔽…)。←→ アメリカの試算は英語の論文として公表されている。(※う~ん、彼我のこの姿勢の差…。→ 「対米従属」がお得意といっても、こういう良いことは真似しないのか…?)
・こうしたシミュレーションの結果を真剣にとらえたのは、原発の事故損害保険を引き受けるかどうかを検討していた保険業界である。…保険会社は、原発事故が起きる確率や被害金額を計算した。→ 保険業界の結論は「事故の際の損害が大きすぎて採算が取れない」だった。…損害保険は「原発に賛成・反対」という立場からは無縁で、冷徹に経済的な観点から原発を査定するので、注目に値する貴重な歴史的証拠である。
・(「日本火災海上保険」の社長・会長だった品川正治の証言…斉藤貴男との対談本『遺言―財界の良心から反骨のジャーナリストへ』より)……当時、茨城県東海村で日本最初の商用原子炉(東海発電所)が稼働を始めた。日本原電(電力会社9社などが出資して設立)が保険契約者で、その保険を引き受けたのが「日本火災」だった。→ 賠償保険の算定は、あまりにも巨大なリスクになりそうなので、品川氏のいた企画部に担当が回ってきた。
・1953年、東西陣営の代理戦争だった朝鮮戦争が終わった直後、アメリカのアイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」(原子力の平和利用)という外交政策を打ち出し、それまで軍事機密だった原子力発電政策を180度転換し、同盟国に積極的に技術移転する方針を宣言した。→ 留学生を無償で受け入れ原発技術を教育、燃料の濃縮ウランを貸与、実験炉を提供…「おんぶに抱っこ」方式だった。…つまり、アトムズ・フォー・ピース(原子力の平和利用)は、最新のエネルギー技術と引き換えに、世界の国々を西側陣営に引き入れようとする「技術輸出外交」だった。→ それに積極的に応じた国の一つが日本だった。
・日本では「原子力の平和利用」の宣伝が大々的に展開された。…1954年、読売新聞は「ついに太陽をとらえた」というキャンペーン記事を連載…同社が主催する「原子力平和利用博覧会」が全国10ヵ所で巡回開催された(※新聞の政治利用?)。…読売新聞の社長だった正力松太郎は、1956年に初代の原子力委員長と科学技術庁長官に続けて就任。政界・官界、マスコミ界を横断して原発の運転開始を推進していた。(※う~ん、アメリカ由来の原発推進の国策に、読売新聞社が当初から積極的にコミットしていった、という構図か…)
・品川氏は、推進派の「絶対安全」という触れ込みに疑問を持った。…「『原子力の平和利用』という言葉に私は惑わされなかった。原子爆弾と原子力発電は紙一重に思われた…『核』の問題として一括りにできるのではないか、放射能の人畜に与える影響は一緒ではないか。ウラン、プルトニウム、セシウムなど、調べれば調べるほど人類の敵に思えた。…絶対に事故は起こらない、絶対安全という言葉を、中曽根康弘担当大臣の主宰する会合でも、正力松太郎読売新聞社主の主催する会合でも聞かされた。日本火災の人たちでさえ、それに共鳴する人が多かった。…にもかかわらず保険を付けるとすれば、それは世間の人を欺くためとしか考えられない」「これは民間の損保会社が引き受けることができないほどの巨大リスクだ。国家が国策としてあくまで実行するというなら、それは国家が責任を持つべきだ。しかし無限大のリスクを果たして国家が担えるのか…」→(※この品川氏の疑問・懸念が、それから約半世紀後に現実のものとなってしまった…)
・品川氏は、原子力を専攻している学者、官僚の知人に話を聞いて回ったが、「細心の注意を払った設計をしており、地震や風水害、あるいはテロや従業員の自殺行為についても万全の防御をしている」という説明ばかりだった(※う~ん、学者も官僚も「立場」でものを言い…)。→ 偶然、知人の中に三高時代の同級生で、通産省で原子力を担当していた伊原義徳氏がいた。…1954年にアメリカに留学して原子力発電の技術を日本に持ち帰り、その後科学技術庁事務次官になった「日本の原発の父」ともいえる人物。
・偶然、著者は『ヒロシマからフクシマへ』を書くにあたって、この伊原氏を何度も取材し、日本の原発黎明期を知る貴重な証言を聴かせてもらっていた。→ そこで今回改めて、日本の原発黎明期に、保険業界と原子力行政それぞれの中枢にいた二人が、友人同士として、原発のリスクについてどんな話をしたのかを知りたいと思い、伊原氏の自宅を訪ねた。
・「何でも腹蔵なく話し合える仲だったので『絶対安全なんてものは世の中にはない』そんなことを話したと思う。あらゆる技術は危険が伴う…その危険を顕在化させないことが、それに伴う技術者の責務だ。それが技術者の共通の認識だと思う」「彼(品川氏)は保険業界で活躍する優秀な人間だった。その損害保険というのは、事故が起きるというのが前提の制度だ」
……原発事故のリスクをできるだけ隠蔽しようとしてきた近年の電力業界の態度や言動に慣れていると、「事故は必ず起きる」という(伊原氏の)発言は鮮烈である。…日本に原発を導入した当事者である伊原氏は、実はこうした現実的な感覚の持ち主である。それを品川氏に伝えたという。(※日本の原発黎明期には、通産省にもまだこういう人物がいた…)
○実際の賠償金は保険金支払い上限の48倍に
・原発事故の損害賠償に関する保険・契約には、民間保険会社と電力会社が結ぶ「原子力責任保険」と、電力会社が国と契約する「原子力補償契約」があり、どちらも強制加入。…なぜ民間と国と二重になっているかというと、「地震・噴火・津波」などの天災で発生した原発事故の損害は、民間保険会社は支払いを免責されているから(「戦争・社会的動乱・異常に巨大な天災地変」の場合は、電力会社も免責される)。
・2011年の東日本大震災の場合…福島第一原発事故は、「天災」によるものとして、民間保険会社は「免責」→ 政府との補償契約が作動した。…実は民間保険も政府保険も「支払い上限金額」が決められていた。…1961年の契約当初は上限金額はたったの50億円。71年に60億円、79年に100億円、そして3・11当時は1200億円に引き上げられていた。→ では、福島第一原発事故で実際に東京電力が支払った賠償金は、2016年1月15日現在、総額5兆8243億円…「上限」として想定された1200億円の50倍で、そして今なお増え続けている。
・差し引き5兆7043億円は、国が払った。上限を超える損害が生じたときには、その電力事業者に対して国が「援助」することになっているから…つまり財源は国民が収めた税金なのだ(根拠法はP142)。…民間保険にしろ政府保険にしろ、実際の事故の損害に比べて、その想定がいかに少額だったかがわかる。
〔伊原氏への質問に戻る〕
・(政府保険と民間保険が二重にあるのは?)…「それは国際的な制度として、原子力発電は保険制度を確立するのが当然だという国際的な動きがあったからだろう」「(原発事故)保険制度は、(リスクが非常に大きいので)国際的に何重にも担保する(世界の金融市場で何重にも分散させる)ということで成り立つ制度だ」…つまり、原発が導入されると同時に、日本は国際金融の枠組みに入っていく、そんな過程だった。
・(先ほど「危険を顕在化させないために努力する」と言われたが、それは「事故を起こさない」ということか?)…「いや、事故が起きたときに、周囲に住んでおられる方に大きな影響を及ぼさない、ということだ。事故というのは必ず起きるものなのだ。起きても、それが敷地の外に大きく影響しないというのが技術者の責務なのだ。」…(※3・11事故では、この「技術者の責務」が果たされることはなかった…)
・(保険はその構図にどう組み入れられたのか?)…「事故は必ず起きる。起きれば経済的な損害が発生する。だからそれを賠償する。その制度を確立して初めて、危険な技術というのは実施できる。(原発は)『危険であるけど役に立つ技術』なのだから、それを世の中に役立てるために損害保険制度が確立している。そういう考え方だ。」…(※だが3・11事故では、その保険制度の想定をはるかに超える〝巨大事故〟を起こしてしまった…)
○「事故が起これば国家財政が破綻」大蔵省の懸念
・民間保険の上限額である50億円(当初)という金額は、同時期のアメリカの原子力保険制度が上限216億円(6000万ドル)だったのに比較してもはるかに小さい。これはなぜか。→ 原発事故が起きたときの損害は巨大なので、保険会社の資本金の5%を限度にしておかないと、保険会社まで倒産してしまう、ということだ。(※保険会社の都合か…詳細はP144~145)
・さらに「上限額を超える損害は政府が援助する」という仕組みにも、これには大蔵省が抵抗した。…50億円までを企業が責任保険で払うのはいいが、それ以上の災害が出たとき、国家が補償する場合、その上限を決めておかないと、財政が破綻してしまうという懸念があったからだ。→ つまり、原発が事故を起こすと、保険会社どころか国家が破綻するくらいの巨額の損害が出る…と当時からわかっていたのだ。(※そして5年後の今、国はそのツケを「税金」や「電気料金」という形で国民につけ回ししようとしている…)
・実は、日本での原発事故保険の整備は、原発導入を先行して決めた後にドタバタと後付けで決まった(詳細はP145~147)。…ここでわかるのは、日本では「原子力発電を導入する」という決定が前のめりで先行し、「では、事故が起きたときの補償はどうするのか」という法律や保険制度の整備が後回しになっていた、ということだ。(※なぜそんなに「原発の導入」を急いだのか…?)
・そして1957年は、アメリカ・イギリスという当時の原子力発電の「先進国」が、「原発は絶対安全」から(イギリスのウィンズケール原子炉で、火災事故からレベル5の放射性ヨウ素の放出事故が起きたりして)「事故は起こりうる。起きれば被害は莫大」という方向に認識を転換した年だった。→ 莫大な損害をどうやって補償するのか、という法律や契約を変更し始めた。←→ だが、原発を導入する緒に着いたばかりの日本は、まだ「絶対安全」という単純素朴な幻想に酔っていた。(※これも日本社会のよくあるパターンか…。〝日本語の壁〟…?)
○あまりに巨大な原発事故の被害予測
・ウィンズケール原子炉事故と並んで英米の「安全神話」に冷や水を浴びせたのは、アメリカの原子力エネルギー委員会(AEC)が1957年に公表した原発の事故シミュレーション(WASH-740)。…「もっとも過酷な原発事故」を前提に、その被害を予測(詳細はP148~149)。→ その被害予測は巨大だった。…死亡:3400人、けが:4万3000人、物的損害70億ドル(2012年にインフレ換算すると570億ドル)→ 1964-65年の改訂版では…死亡:4万5000人、けが:10万人、物的損害:170億ドル(2012年のインフレ換算では1250億ドル)。→ こうした数字(※ホントに巨大な被害予測!)は、日本政府にも届いていた。
〔伊原氏への質疑応答〕
・(WASH-740という文書をご存知ですか?)…「名前は記憶しています。…そういう損害は発生しうると思っていた。だからこそ、国際的な保険の枠組みを確立しなくては、原子力発電は実施できないと思っていた」「当時はロンドンが損害保険の世界の中心地だった。…アメリカ市場とロンドン市場がうまくすり合わせて制度をつくっていた。」
・(原発事故の巨大な規模からしても、「これはやめておいたほうがいいのではないか」という結論にはならなかったのか?)…「日本政府としても世界の大勢に遅れをとってはいけない、という発想だったと思う。」
・(それは「経済面」か、それともアメリカを中心にする自由主義陣営に仲間入りするという「政治面」か?)…「政治的な背景のほうが大きかったかもしれない。戦争に負けてアメリカの占領下にあって、アメリカ文化を取り入れることで戦後復興を果たすわけだから、アメリカの考えを受け入れるということが根っこにあったと思う。」(※う~ん、原発も「対米従属」か、しかも前のめりに急いで…そして冷戦終結後も「対米従属」は変わらない…)
○天文学的な被害額を民間保険ではカバーできない
・(実はWASH-740が作成された背景にも、原発損害保険がある)…原子爆弾の開発では先陣を切ったアメリカだったが、第二次世界大戦後、原子力発電では劣勢にあった。…アイゼンハワー大統領が「アトムズ・フォー・ピース」を1953年に打ち出したのも、こうした劣勢を挽回するためだった。→ 原発の技術を無償で外国に移転し、アメリカ主導の国際原子力発電市場をつくる。一方、それらの国が核燃料を悪用して核兵器を開発しないよう、国際的な管理下に置く(そのために作られた監視機関が国際原子力機関<IAEA>)。→ それらの国をアメリカ主導の資本主義陣営「西側」に引き入れて、ソ連主導の「東側」に対抗する。
・それと同時にアメリカ政府は、国内の電力産業に原子力発電に参入するよう促した。←→ だが、彼らは消極的だった。原発事故が起こりうることは徐々に知られていた。その損害はまったく予想できないほど巨大になる可能性があることもわかっていた。→ 電力産業は、損害保険なしではとても手が出せない。保険業界も消極的だった。
・米連邦議会の合同原子力委員会が、その障害を取り除こうと動き始めた。…問題は、原発の危険性を十分つぐなえる保険を見つけ出すことで、その第一歩が、どういう性質の危険が予測されるかを、突き止めることだった。→ そして、それに対するAEC(原子力エネルギー委員会)の回答が、先述のWASH-740だった。→ だが、この結果を見た保険業界は、合同委員会の公聴会で、原発事故損害保険を拒否した。
・(公聴会での保険会社のある幹部役員の証言)…「現実にこんな大きな額にのぼる危険が存在するとすれば、そのような危険のあるものを認めるかどうかは、当然、公共政策の問題だ。…こんな天文学的な数値にあてはまるような保険の原則は存在していない。たとえ保険があったとしても、人や物に与える損害の量が、原子力の開発によって得られる利益に匹敵するのだろうか、という重大な疑問が残る」…(詳細はP153)
・保険がかけられないのなら、原子炉はまだ商業用には適さない、というのが妥当な判断である。←→ ところが、合同原子力委員会は変わった判断を下した。→ 原子力発電を「民間」に開くため、民間保険会社が保険を用意できないなら、政府が保険金を出そうという制度を作ったのだ。つまり、損害が出たら納税者がお金を払い、利益は民間企業が受け取るという制度である。…これは、電力会社という民間企業に、政府が巨額の補助金を出すのに等しい。(※う~ん、これが今、日本で現実化している…!)
・こうして1957年に可決された「プライス・アンダーソン法」が、こうした損害保険の法的根拠をつくった。→ 日本の「原子力損害賠償法」(1961年)は、この法律を下敷きにしている、というよりそっくりそのままコピーしたような法律である。(※ここでも「対米従属」…)
○日本でも40年前に行われていた事故の被害試算
・日本でもWASH-740に相当する原発の事故シミュレーションは行われていた。「原子力損害賠償法」の制定にあたって、原発事故が起きた場合にどれくらいの被害が起きうるのか、試算する必要が出てきたからだ。
・科学技術庁の委託を受けて、日本原子力産業会議がWASH-740を手本にして1960年に報告書をまとめた(詳細はP155~158)。…だが、全文は公表されずマル秘扱いになった。→ 1961年、科学技術庁は衆議院の特別委員会に冒頭18頁の要約のみを提出し、全文が公開されたのは、なんと39年後の1999年である。(※ここでも日本の官庁の隠蔽体質…)
・(この被害試算によると)…損害額が最も大きい場合は3兆7300億円(当時の国家予算の2倍以上で、2011年でインフレ換算すると19兆7780億円)…ちなみに2016年1月までに東電が支払った賠償金は、総額約5兆8243億円、原発敷地外の除染に使われる国家予算は5兆円(見通し)。→ 東電が払う賠償金は時間と共に増え続ける。…1960年に予想された最悪のシナリオである約20兆円に達する日はそう遠くない。(※最近の報道では21.5兆円…民間シンクタンクでは損害総額50~70兆円という試算もあるらしい…)
○チェルノブイリ原発事故後もシビア・アクシデントを想定せず
・ここまでの検証から、保険業界だけでなく、日本の政府当局者は、遅くとも1960年には、原子力発電所の「事故は起こりうる」「起きた場合は国家予算の2倍以上の莫大な損害が出る」ということを知っていたことになる。←→ しかし、そのシミュレーション「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害額に関する試算」の大半は公表されないまま、ひろく専門家の精査を受けることもなく、封印されてしまった。(※この秘密主義、どうにかならないのか?)
・内容を暴露したのは1979年4月9日付の共産党機関紙「赤旗」である。→ ところが、このシミュレーションの存在が暴露されたあとでも、1989年3月の参議院科学特別委員会では、政府(科学技術庁原子力局長)がシミュレーションの存在そのものを否定。→ そして1992年、原子力安全委員会は、チェルノブイリ原発事故後の世論の沸騰を受けて、のちに福島第一原発事故の原因につながる、以下の「決定」を下す。
・「我が国の原子炉施設の安全性は、設計、建設、運転の各段階において…多重防護の思想に基づき厳格な安全確保対策を行うことによって十分確保され…シビア・アクシデントは工学的には現実に起こるとは考えられない…」…(※う~ん、「隠蔽」をさらに「ウソ」で塗り固め、根拠のない「安全神話」を蔓延させた、原子力安全委員会の決定的な過失…!)
・福島第一原発事故後、この記述への評価はどうなったのか。
(原子力安全委員会・班目春樹委員長の証言)…「原子力安全委員会の安全審査指針に瑕疵があった…津波に対して十分な記載がなく、全電源喪失については、解説で『長時間そういうものは考えなくてもよい』とまで書いている。原子力安全委員会を代表しておわびする」「国際的に安全基準を高める動きがある中、日本では、『なぜそれをしなくていいか』という言い訳づくりばかりしていて、まじめに対応していなかった…安全指針一つ取っても、変えるのにあまりに時間がかかり過ぎている。そもそもシビア・アクシデント(過酷事故)を(前提に)考えていなかったのは大変な間違いだった。」(※う~ん、あまりにお粗末すぎる…)
○立地基準を定める前に建設地を決めた福島原発
・こうした1950~60年代の原発黎明期の政策史を洗い出していくと、驚くような事実がいくつも掘り起こされてくる。…原発事故が起きた場合のシミュレーションを秘密裏に葬ってしまった政府の秘密主義。…あまりに「大雑把」としか言いようのない「無法」もある。→ 私が「福島第一原発事故の原因は、50年以上前にすでに始まっていた」と考えるのはこういう点を指す。…例えば、福島第一原発は、国が立地基準を定める前に、東京電力が場所を決めてしまった原発の一つだ。
・スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)など海外で原発の深刻な事故が起きても、「日本の原発の安全基準は世界でもっとも厳しい」「日本の基準ではあり得ない・考えられない」といった文言で政府は宣伝し、世論の動揺を抑えてきた。
・そうした「国が原発の安全を国民に保障する」ことを明文化し、義務づけた法律が「原子力基本法」(1955年)であり「原子炉等規制法」(1957年)だった。…これは政府と国民の「契約書」「約束」のようなものだ。→ その一つとして「どんな場所なら原発を作ってよいか」を定めた規則がある。原子力委員会が策定した、原発立地の「憲法」のようなものだ。…効力を持ったのは1964年5月。(詳細はP164~166)
・重要なことは、「原発が事故を起こしても、周辺に住んでいる住民に放射線障害を与えないように、離れた場所に原発を作りなさい」と決められていることだ。誠にもっともな決まりである。…この「原子炉立地審査指針」を原子力委員会が定めたのが、1964年5月。 ←→ ところが、(『東京電力30年史』によれば)福島第一原発の候補地として、現在地が選ばれたのは1960年なのだ。(詳細はP167~169)
・つまり、国が立地のルールを決める4年も前に、東電は福島第一原発の建設地を決め、福島県知事もそれを受け入れた、という話である。…東京電力は、国の規制ができる前に、単独で原発の場所を決めたということになる。つまり立地に何の規制も指導もなかった、ということだ。→ そこでもう一度、改めて前出の伊原さんに聞くことにした。
○「当時はそんなものだった」
・(当時「原子炉立地審査指針」を策定した目的は何だったのか?)…「事故が起きたら(原発の)敷地を超えないように、どういう危ないことが起きるか一生懸命考えた。マスコミがいう安全神話などというのはうそですから(笑)。当時の原子力関係者は『原発は危ないものだ、いつ暴走するかわからん』『そうなったらどうするか』という思いで一生懸命考えたのです」…(※なにしろ読売新聞のトップが「原発推進」の旗振り役だったのだから…)
・(「原子炉立地審査指針」の策定より福島第一原発の立地決定のほうが先だった、と知って驚いたのだが)…「まあ、当時はそんなものでしたからねえ」→ それ以上の事情を尋ねたが、「よく覚えていない」との返答だった。(※良心的とはいっても、ここらが元官僚の限界か…)
→ そこでもう一人、福島第一原発の立地を担当した元東京電力副社長の豊田正俊氏(90)を訪ねた。
・(福島第一原発の立地が始まるのは、まだ「立地指針」ができていない頃だが)…「だけど『重大事故』というのは、前から我々(東電)としてはちゃんと採用していた。…その当時はもう、原子炉が三基ぐらいすでにあった。…(原子力)安全委員会なんか当時はないから…イギリスとかアメリカから(東電が)仕込んできたことを、原子力委員に『向こうではこうだよ』と教えてやってる感じだった。…当時はしょうがないよ、技術レベルが違うんだから。…だけど、最近は原子力安全・保安院なんかが、そういう電力会社の言うことを信用して、とりこになってたというところが問題なんだ…」
・(つまり原子力委員会や国よりも電力会社のほうが、技術や知識で上回っていた、ということか)…「電力(会社)のほうが勉強しているよ。ともかく、官僚は何年かいたら(異動で)替わっちゃう。電力会社は、原子力は一生なんだから。…私なんか40年やってきたんだから…」(※ここでも役所の「たらい回し人事」が問題…詳細はP170~171)
・伊原、豊田両氏の証言をまとめると、「当時は原発に関する知識や技術は、政府や原子力委員会の学者より電力会社のほうが先に行っていた」ので、福島第一原発の立地が政府のルールより先でも「当時はそんなものだった」ということだ。(※学者もレベルが低かった…)
・立地のルールを国が決めるより先に、電力事業者が先に立地を決めてしまった原子力発電所が、日本にはいくつかある。…東海発電所(茨城県)日本初の商業用原発。1966年運転開始。…敦賀発電所(福井県)70年運転開始。…美浜原発(福井県)70年運転開始。…そして福島第一原発。71年運転開始。
・「立地指針」の文面について…原子炉や原発と居住地区との距離については具体的な数字があるわけではなく、「ある程度の距離」としか述べていない。→ その代わりに「全身線量の積算値」が示されている。(詳細はP172~173)
○班目委員長も認めた仮想事故想定のでたらめ
・(事故当時、原子力安全委員会委員長だった班目東大教授の、国会事故調査委員会での証言より)…「立地指針に書いてあること…仮想事故だとか言いながらも、実は非常に甘々の評価をして、余り出ないような強引な計算をやっている…」→ (実際には「仮想事故」の1万倍もの放射線量が放出されてしまったという事実に対する、責任を問われて)…「とんでもない計算違いというか、むしろ逆に、敷地周辺には被害を及ぼさないという結果になるように考えられたのが仮想事故だった…」(※う~ん、東大教授の驚くべき証言…詳細はP173~176)
・つまり「立地指針」の数値基準は、「周辺住民への被害にならない軽い数字を先に決めて、そういう事故までしか想定しなくてよいことにした」というのが、(その立地指針の監督役である原子力安全委員会の長の)班目氏の証言なのだ。逆立ちした話である。
・要は、福島第一原発事故で、実際に放出されたような放射線量を前提に、住民にとって安全なくらい居住地区を原発から離そうとすると、日本には「住むところがなくなってしまう」というのだ。逆に言えば、現実に放出された放射性物質の量から住民が安全なくらい原発を離すと、日本は狭すぎて、原発を作る場所はない、ということだ。→ もっと身も蓋もなく言ってしまえば、この立地基準に沿って作られた日本の原発はすべて、福島第一原発と同じ規模の事故を起こせば、周辺住民の被曝は免れない、ということになる。→ そしてそんな場所に福島第一原発を作ることを、国は規制しなかった。東電が自由に決めてしまった。
○海抜35mの丘陵地をなぜわざわざ低くしたのか
・福島第一原発を作った頃の津波対策について、まず単純な事実から……福島第一原発の立地場所は、建設以前は海抜35mの切り立った崖だった。→ それをわざわざ切り崩して、海抜10mにまで低くして原発を作った。一番低い場所は海抜4mだった。
・3・11のときに襲った津波の高さは15.4mだった。…元どおり、高さ35mのままなら、非常用ディーゼル発電機や配電盤が水没することもなかった。福島第一原発事故は起きなかったことになる。→ なぜそんなことをしたのか、調べてみた。…こんな単純な話を、事故調査委員会も報道も、誰も取り上げないからだ。
・(『東京電力30年史』より)…35mの崖を掘り下げて、建設用地にした。…目的① 船で運んできた重量物の荷揚げができる港湾を作る。…目的② 冷却水を海から吸い上げる。
・港湾を作って荷揚げする必要があった「重量物」とは圧力容器(440トン)である。…福島第一原発のようなBWR軽水炉では、原子炉で熱された水蒸気をタービンに送り込んで発電機を回す。→ 「復水器」で蒸気を冷却してまた水に戻し、原子炉の冷却材に送り込む。…そうやって水がぐるぐるループを回っている。
・この蒸気を冷却する方式には「水冷式」と「空冷式」の2種類あり、海水を使う福島第一原発は水冷式(「空冷式」は、水蒸気を「冷却塔」に循環させて空気に触れさせ、冷却する)。…湿度の高い日本では、空冷式は効率が悪く、巨大な冷却塔が必要になり採算が悪い。→「水冷式」を採用。
・水冷式の原発でも、欧米では河川から冷却水を吸い上げている例が多い(チェルノブイリ原発やスリーマイル島原発も)。→ 流量の大きい河川を持つ国は、内陸部にも原発を作ることができるが、日本の河川には原発が必要とする冷却水を取水できるほどの流量がない。海に頼るしかない。→ 日本の原発がすべて、(「空冷式」や「河川型」でなく)津波の恐れのある海岸にばかり原発が作られた理由である。
・海水の取水には「海底トンネル」と「港湾」の二つの選択肢があったが、巨大な鉄の原子炉(圧力容器)を横浜の工場から運搬するのに、当時の道路事情では無理だった。海上から船で運ぶしかない。また、それぞれ試算したところ「港湾方式」が一番安上がりだった。
・豊田・元東電副社長にも直接尋ねてみた。
(どうして35mの土地をわざわざ掘り下げる必要があったのか?)…「当時は、圧力容器を35m引き上げることのできるようなクレーンがなかった」「当時は(津波対策として)あれで大丈夫だと土木屋さんが言ったんだ。それを信用したんだ」(※責任転嫁?)……公平を期するために付け加えれば、海抜35mの地盤を10mまで掘り下げた理由は他にもある。地震対策だ。…柔らかい地層を10mにまで掘り下げたところに、硬い岩盤があった。
・通常の高層ビルやマンションなら、軟らかい地盤でも、コンクリートの杭を地下の硬い地層まで打ち込んで支える。←→ だが、福島第一原発では地震対策として、原子炉やタービンは、岩盤が露出するレベルまで土地を掘り下げ、建屋の底部と岩盤を一体化させる工法が採用された。…このほうが、地震が来ても原子炉やタービンを襲う揺れが少なく、かつ地盤沈下が防げると考えられた。(※要するに原発立地には不適な土地…詳細はP181~182)
○津波の予測はわずか3mだった
・福島第一原発の建設当時の津波予測…(東電の元原子力開発本部副本部長の小林健三郎氏の論文によると)…「津波の高さは3mちょっとを想定しておけばいい」と言っている(詳細はP183~184)。…あまりに粗雑な想定だった。→ 国が何ら基準を決めないうちに、東電が「独自の基準」で決めてしまったのが、福島第一原発の場所と高さだ。…その結果は、ご覧のとおりの「大甘」である。(※これも重大な〝過失〟の一つ…)
・以後、東電や福島第一原発がいかに地震による津波を軽視してきたかは、多数の論文や報道記事、書籍で指摘されている。
(一例として、フリーの科学記者・添田孝史の『原発と大津波 警告を葬った人々』岩波新書より)…1986年、仙台市内で津波が運んだ堆積層の地層が発見され、宮城県以南でも津波地震が過去にあったことがわかってきた。…(1993年の北海道南西沖地震、1995年の阪神淡路大震災などの経験を踏まえて)1997年に旧建設省など7省庁が津波の想定方法を180度転換。→ 以後は、「起きた証拠ははっきり残っていないが、科学的に発生してもおかしくない最大規模の地震津波」を想定しなくてはならなくなった。原発の安全審査にも応用された。…2000年、電事連の報告書で、福島第一原発が国内の原発でもっとも津波に対する安全余裕がないことが判明(※電事連という身内からこんな報告書が出ていたのか…)。→ 東電は津波想定を約5mに引き上げた(※それでもまだたったの5m!)。…2002年、内閣府の中央防災会議の地震本部が、宮城、福島、茨城沖での日本海溝沿いを震源とする津波地震を予測(「長期評価」)。→ 東電は津波想定を5.7mに引き上げた(※たったの0.7mアップ!)。…2004年、中央防災会議事務局(国土庁)が、「長期評価」の予測した「日本海溝沿いの津波地震」を防災の検討対象にしないと決める(「過去に起きた記録がない、あるいは記録が不十分な地震は、正確な被害想定を作ることが難しい」という理由)。→ 委員の学者の猛反対を押し切り、「宮城から茨城沖まで津波地震が起きることを想定しない」ことに決定。…原発の津波地震対策にとっては大幅な後退(※う~ん、責任者や経緯の解明は?…状況的には政治家・官僚・業界主導か…?)。…2006年、原子力安全・保安院が、原発の耐震指針を28年ぶりに改定。→ 過去にさかのぼって原発の耐振性をチェックする「安全性再検討」(バックチェック)を電力会社に指示。→ 福島第一原発も、設置許可以来40年で初めて津波への安全性が公開の場で検討されるはずだった。←→ しかし電力業界は抵抗。→ 3・11の時点まで5年間、保安院はバックチェックの最終報告書が提出されていないのに、それを放置した(※もし、このバックチェックが震災前にしっかりと実施されていたなら…? これも重大な過失の一つだろう…)。…2008年、地震本部の「長期評価」を元に、東電が福島第一原発に最大15.7mの津波が来ることをシミュレーション(※う~ん、3年前に予測している! これは東電内の良心的な部分か…?)。
→ 後に3・11時に同原発所長になる吉田昌郎氏は原子力設備管理部長、首相官邸に詰めた武黒一郎フェローは原子力・立地本部長、武藤栄副社長は同本部副本部長として報告を受けたが、とり入れないことを決定。(※う~ん、この人たちは、3年後に、身をもってそのツケを払うことになるわけだが、その責任はまだ取っていない…。吉田氏は、事故処理の心労のせいか亡くなってしまったが…)
【4章】住民軽視はそのまま変わらない
○虚構に依拠した防災対策の最大の被害者は地元住民
・福島第一原発事故を経験したこの国では、「事故を契機に住民の避難対策は改められたのか」…また再び同規模の原発事故が起きたとき、今度は、住民は被曝することなく避難できるのか。…地震の巣のような日本なのに、巨大地震が来れば津波の襲来が避けられない海岸線に、54もの原子炉が並ぶ。
・同事故発生直後の住民避難は、壊滅的な失敗だった。…避難のための集合や輸送手段はおろか、法律上、避難指示の責任者である国は、避難先の準備や周知すらできなかった。…「原発はどの程度危険な状態なのか」という情報が、東電や国から知らされることはなかった(東電がメルトダウンを認めたのは事故から2ヵ月後だった)。→ 徐々に広がった避難区域の外側では、住民は水素爆発する原発の映像をテレビで見て危機感や恐怖を覚え、ばらばらに自家用に乗り、行き先も決められないまま故郷を脱出せざるを得なかった。→ 約23万人(環境省調べ)が被曝し、2015年11月現在でも約10万1500人(福島県調べ)が県内・外へ避難して家に戻れないままである。
・こうした惨状はすべて、国・電力会社の原発の安全基準や防災が、虚構の上に組み立てられていたからである。…「格納容器が突破され、外に放射性物質が漏れるような事故は起きない」「原発の敷地外に放射性物質が漏れ出すような事故は起きない」「よって住民の原発防災は基本的に必要ない」→ こうした虚構に依拠した防災政策の最大の被害者は、原発周辺に住む地元住民だ。…実例を挙げるとそれだけで紙数が尽きてしまうので、「あまりにひどい例」に絞らざるを得ない。
・一つは、5000人の村人と避難者1000人あまりが、何の警告もないまま3月15日の放射性プルーム(放射能雲)の渦中に放置された飯舘村をはじめ、北西方向に流れたプルームの真下にいた人々である。…そしてもう一つが、福島第一原発の南にある富岡町だ(全町が半径20キロ内)。→ 発生翌日の3月12日に全町避難を強いられ、「数時間で戻れる」と信じて財布と携帯電話だけ持って車に乗り、そのまま5年間家に帰れなくなった人も多い。
・忘れてはならないのは、同町沿岸部は3月11日に高さ21.1mの津波に襲われ、壊滅状態になったことだ。→ JR富岡駅の駅舎は流され、駅前商店街も破壊された。そのまま後片付けもできないまま、町民は翌日に避難を強いられた。→ だから、同駅周辺は2015年初頭でも、津波が破壊したままの風景がそのままになっていた。…2012年1月11日、郡山市に移転していた富岡町役場に、遠藤勝也町長を訪ね、話を聞いた(遠藤町長は、2014年7月20日、74歳で上顎歯肉がんで亡くなった)。…〔※吉田所長と同様、震災死だろう…〕
○国を信じて遅れた富岡町民の避難
・3月12日の午後、遠藤町長が最後に役場を脱出したとき、1回目の水素爆発の直前、間一髪だった。→ パトカーに先導され、午後4時半、川内村役場(原発から南西22キロ、県の指示した避難先)に到着した。…人口3000人弱の村に、富岡町はじめ外からの避難者6000人が着の身着のままで殺到した。
・この日の午後6時25分、避難する区域は半径10キロから20キロに拡大された。…川内村はギリギリ外である。ほっとした。→ しかし、14日午前11時、2回目の水素爆発が起きた。テレビ映像が流れると、村にいた町民の半分が逃げ出した。町長も焦った。ここも危ないんじゃないか。どうすればいいんだ…。
・携帯電話は通じない。国や県からはまったく連絡がない。周囲の状況がまったくわからない。→ ただ1台だけ生きていた衛星電話で、東京の原子力安全・保安院に電話をした。→ 日付が変わった15日未明の午前2時に、平岡英治・同次長から電話がかかってきた。…その言葉を、遠藤町長ははっきり覚えている。
・「国の想定では、原発事故は(半径)20キロを超えることはないんです。どうぞ国を信じて下さい」…「本当にそれでいいんですね」と遠藤町長は何度も念を押した。電話の相手は「20キロ圏内の屋内退避が最大ですから」と繰り返した。→ 町長はいったん「再避難せず」を決めた。
・15日の夜が明けると、一緒に川内村役場にいた福島県警の警察官40人に県警本部から撤収命令が出た。→ 町長は動揺した。…国の言ったことは何だったのか。一体どうすればいいのか。警察が撤収したと聞けば町民はパニックを起こす。→ 立ち去ろうとする署長に懇願して、12人が残ることになった。(※う~ん、この逸話は、かつての戦時中の満洲で、関東軍が日本人開拓民たちを置き去りにして撤収してしまった…という話を彷彿させる…!)
・遠藤町長は決心した。…もう、国も県もあてにならない。避難先を自分で探すしかない。→ 姉妹都市提携している埼玉県杉戸町は快諾してくれたが、行こうという町民がいない。→ 結局、個人的なツテで、展示場「ビッグパレットふくしま」(郡山市)に決まった。…この15日とは、前述の原発北西方向、南相馬市から飯舘村、さらに福島市から千葉県北部まで流れる高濃度の放射性プルームの放出が起きた日である。
・「線量が急上昇しているらしい」「また放出があったようだ」…そんな話が住民の間を駆け巡っていた。→ 15日夜、真っ暗になってから、パトカーの先導で川内村を脱出した。ビッグパレットに到着したのは午前0時近かった。
○今でも悪夢にしか思えない
・結局、国からは誰も来なかった。県や東電から線量の高さや方向についての情報もなかった。避難の方向を決める「SPEEDI」のデータなど見たこともないという。…富岡町と東京電力を直につなぐような窓口が、そもそもない。連絡役がいない。…町は10キロ圏内でEPZ(後述)の範囲内なのだが、直接原発が建っている「立地自治体」(大熊町と双葉町)ではないからだ。(※う~ん、日本の「原子力防災」は、今回の事故対応の結果を見ると、「立地自治体」以外はなきに等しかった…?)
・「うんと、今でも怒っています」…遠藤町長は言った。→ その怒りの矛先は、「8-10キロ」というEPZ(Emergency Planning Zone)を決めた原子力安全委員会に向けられる。…「今だって、原子力安全委員会のメンバーがまったく変わっていない。班目委員長なんて、会ったこともない。お詫びも聞こえない。まったく罪悪感も責任感もない。これだけの事故を起こした最高責任者じゃないのか。安全をチェックして安全を高めるのが仕事じゃないのか」「原発の安全は国が担保していた。それを信じる以外の選択肢は我々にはなかった。その意味では私たちも『安全神話』を信じていたのかもしれない。それは完全に裏切られてしまった」「私たちの体験を、日本全体の原子力防災の共通認識にしてほしい。巨大地震はいつどこで起きるかわからない。『福島は対岸の火事じゃない。運転再開は安易にしちゃだめだ』…全国市町村長会でもそう話している」
・1時間ほど堰を切ったように話し続けた遠藤町長は、最後にふと言葉を切ると、こう言った。「本当に、今でも、悪夢のようだとしか思えないのです」
○避難範囲が拡大されても、被曝は防げず
・こうした避難の失敗を教訓に、2012年10月、国は「原子力災害対策指針」(住民を避難させるマニュアル)の内容を変更した。…原発事故の時、周辺住民に避難命令を出す権限は「国」にある。…原発事故はその被害範囲が自治体の境界を超えるほど広いことを想定して「国」に決定権が委ねられている。その根拠になっている法律が「原子力災害対策特別措置法」(原災法)だ。→ この法律に基づくさらに細かい指示書が「原子力災害対策指針」。
・周辺住民にとって一番影響の大きい事故後の修正は、「事故のときに屋内退避や避難の備えをする範囲」が拡大されたことだ。…事故前のその範囲は半径「8-10キロ」(EPZ)で、福島第一原発の周辺では実際に避難訓練が行われていたのは、半径3キロ以内。それも3キロ以内にある最寄りの公的施設に自宅から行くだけで、3キロ圏の外に避難するのではなかった。(※う~ん、これでは本番でまともな避難ができるわけがない…)
・事故後は、それを「30キロ」に拡大して「UPZ」(Urgent Protective Planning Zone)という名前に変えた。…この「30キロ」という数字は、国際原子力機関(IAEA)の基準に合わせたもの。屋内退避の後、実測値に基づいて避難することになっている(1週間の積算被曝量100ミリシーベルト)。→ 対象となる自治体数は、旧指針の15道府県45市町村から21道府県135市町村に増えた。(※福島原発事故の前は、避難指針が国際標準ではなかった、ということか…)
→ さらに、半径5キロ以内は「原発で異常が起きたら、放射性物質が出ていなくても即退避」ということになった。
・福島第一原発事故が起きてみると、旧「8-10キロ」という避難範囲は小さすぎてまったく役に立たなかった。→ 事故後約1ヵ月で「警戒区域=立ち入り禁止」の範囲は半径20キロにまで拡大された。…今もこの「半径20キロの円」は基本的に「立入禁止ゾーン」の骨格を作っている。
・より正確に言えば、この「半径20キロ」という規制区域も、現実にはまったく対応できなかった。→ 南東からの風に吹かれた放射性物質の雲(プルーム)は、原発から北西約30-50キロの飯舘村を全村避難が必要なほど汚染したからである。←→ ところが、プルームが同村に流れた2011年3月15日の時点では、政府は20キロ以遠にある同村に放射能汚染が及ぶことを警告しなかった。→ そのために村にいた住民約5000人と、避難してきた人たち1200~1300人は何の警告も与えられず、そのまま被曝した。(※詳細は「震災レポート⑮」…『原発に「ふるさと」を奪われて』―福島県飯舘村・酪農家の叫び― 長谷川健一 宝島社2012)
・ここでもうすでに新しい「指針」の欠陥が見えてくる。
(1)原発から半径30キロという区切りは小さすぎる。…もし仮に福島第一原発事故がもう一度起きたとすると、「新指針」の下でも、飯舘村は大半が避難対象に入らない。
(2)避難範囲を円で区切るのは無意味。…放射性物質は風に吹かれて雲のように方向を持って流れる。→ 「どの方向に逃げるのか」を、その日の風向きによって決めないと意味がない。
○非現実的すぎる放射能拡散予測
・こうした「新しい指針」とともに、国(原子力規制委員会)は2012年に、全国16原発で「福島第一原発事故級の事故が起き、放射性物質が原発外に流れ出た」という前提に基づいた放射能拡散予測シミュレーションを公表した。…それまで50年以上、国は「原発事故で敷地外に放射性物質が流れ出ることはない」という前提に固執していたので、それを思えば一大方向転換である。(※あれだけの大事故を起こしたのだから、当然のことだが…)
・しかし、その政府のシミュレーションで「新避難対象区域=30キロ圏」が小さすぎることが、すでに露見している。…ex. 福井県の大飯原発など4原発で、30キロを超える地点が、積算被曝線量が避難基準値の1週間100ミリSvに達する試算が出ている(京都府南丹市、新潟県魚沼市など)。…また、隣接する高浜原発が事故を起こした場合の拡散予測では、大飯原発が避難基準値に達する地域に入る。→ つまり、大飯原発にいる要員も避難の必要が出てくる(→高浜原発と大飯原発が共倒れ…)。→〔※〝原発銀座〟の危険性…今回の事故でも、福島第二原発も(女川原発も?)この危険性をギリギリで免れた…〕
・さらに、国のこのシミュレーションは「非現実的すぎる」と批判を受けた。…①地形をまったく考慮していないこと。②「放射能放出から一週間、風向きが同じ」…という現実にはあり得ない仮定で作られたこと。(詳細はP197~198)
○新指針でも機能不全を起こしかねないオフサイトセンター
・この「新指針」には大きな欠陥がまだ残っている。→ 「オフサイトセンター」(緊急事態応急対策拠点施設)の移設が進んでいないのだ。
・オフサイトセンターとは、原子力施設において、事故が発生した敷地(オンサイト)から離れた外部(オフサイト)で現地の応急対策をとるための拠点施設。→ 国・都道府県・市町村や、事業者(電力会社など)の防災対策関係者が1ヵ所に集合して、連絡を密にしながら対策をとることになっていた。
・ところが、福島第一原発事故では、まったく機能しなかった。…福島県大熊町の「福島県オフサイトセンター」は原発からわずか5キロの位置にあった。→ オフサイトセンターの場所そのものが、放射線量が上がって避難対象区域になってしまった。…換気施設に放射性物質を取り除くフィルターもなかった。…さらに、周辺の市町村は住民避難に手一杯なうえ、地震や津波で道路網は寸断され、渋滞やガソリン供給が不安定になるなどで、関係者が集まることはできなかった。また電源も、電話などの通信手段も途絶してしまった。(※ここでも、〝安全神話〟による油断、準備不足、認識不足、というしかない…)
・オフサイトセンターは「原子力災害対策特別措置法」が定めている原子力災害のときの司令センターだ。→ オフサイトセンターが機能しないということは、住民避難の「司令部」が失われたことを意味する。→ この失われた「司令部」の機能を引き受けて、東京の首相官邸や原子力安全委員会は大混乱に陥った。→ 結局、福島市にある福島県庁に撤退したが、この「司令部の機能不全」のせいで、すべての住民避難計画が狂った。(※オフサイトセンターの重要性…そして、この国の「総合力」の脆弱性…)
・オフサイトセンターが原発から5キロという至近に設けられていたことは、はっきりとした国のミスだ(詳細はP199)。→ 事故後、国は原災法の施行規則をこう書き換えた(2012年7月)。…「立地地点を(20キロ未満から)5-30キロに変更」「空気浄化フィルター等の放射能遮断機能の確保」「30キロ圏外であり別方向に位置する複数の代替オフサイトセンターを確保」…(※いつも後手後手の〝泥縄〟か…)
・3・11後、オフサイトセンターはどうなったか(P201に一覧表)。→ 12の代替オフサイトセンターが、まだ国が決めた「新指針」の30キロの内側にある。…今回の事故で、50キロ離れた飯舘村までが汚染で避難を余儀なくされたことを考えると、14の代替オフサイトセンターが50キロ圏内に入ってしまう。→ 「第二の福島第一原発事故」が起きたときには、これらのオフサイトセンターは機能しなくなる可能性が高い、極めて脆弱な構造だと言える。
○「被害地元」嘉田前滋賀県知事の危機感
・もう一つ大きな問題がある。…国の新しい指針に従って「5キロと30キロ圏内」を想定した避難訓練について、多くの自治体で行われているのは「半径5(30)キロの円をコンパスで書いて、その内部の住民を動かす」訓練にすぎない。…依然「被害は30キロ内で完結する」という「都合のいいシナリオ」が前提になっている。
・こうした国の3・11後の住民避難政策に疑問を抱いた数少ない自治体首長の一人が、滋賀県知事だった嘉田由紀子氏。…滋賀県には原発がないが、隣の福井県の敦賀湾沿いには、15基の原子炉が集中していて「原発銀座」と呼ばれている。→ 敦賀原発は滋賀県側から13キロしか離れていない。
・福島第一級の原発事故が福井県で起きた、と想定して当てはめると、琵琶湖北部に放射性物質が降り注ぐことになる。…嘉田前知事は「福井県で原発事故があれば、京都・大阪という関西の主要都市の水道が汚染される」という危機感を持った。→ 滋賀県は国を待たずに、独自の原発シミュレーションを実施し、独自の防災計画を作るに至った(2011年秋…詳細はP202~203)。
・滋賀県が独自に放射性物質拡散シミュレーションを作るきっかけになったのは、文科省が同県の求めにもかかわらず「SPEEDIによるシミュレーション結果を渡さない」と表明したこと(※なぜ?…縄張り意識? 隠蔽体質?)。…県の計算式の原型になっているのは「琵琶湖環境科学研究センター」が持っていた光化学スモッグの大気汚染モデル。→ どうしてこの調査をすることを決心したのか、嘉田前知事に直接取材した。
○避難そのものがあまりにも非現実的
・「私は知事として『被害地元』という概念を作り、一生懸命『命と暮らし』を守ろうとしてきたが、『実効性のある避難計画は今のままでは無理だ』という結論に…その一つが交通問題。自動車では20~30時間のすごい渋滞になる。…(琵琶湖ルートの)船の逃げ道も、最大1000人乗れる船が二つしかない。それが一往復するのに2時間かかるのに、高浜原発から30キロ圏内には6万人いる…」「滋賀県は、(単なるコンパスで円を描いての30キロというのはおかしいだろうという判断で)風と地形とを併せた形での『43キロ圏内』という県独自の避難計画を作った。…データに基づいてUPZを作ったのは全国でも滋賀県だけ」「私は科学者なので、単なるコンパスで引いた円では納得できなかった。…リスク管理というのは最悪の事態を想定することです」…(※う~ん、日本にもこんな県があったのか…詳細はP204~205)
・「もう本当に非現実的…(あらゆる条件の市民を)『20時間以内に移動することは不可能』と言わざるを得ない。…他にも、ヨウ素剤の配布は国の新指針では『5キロ圏内では日常的に配布』『30キロ圏内では汚染した直後に配布』となっているが、そんなことは無理(烏賀陽注:ヨウ素剤は被曝後24時間以内に服用しないと効果が薄い)。…とにかくあまりにも非現実的だ(詳細はP206)」「何より、根本的な法律の矛盾として、水害などの『地域防災計画』では避難指示を出すのは市町村長なのに、『原子力災害対策法』では総理大臣。…全国知事会はそれを調整してくれるように原子力規制委員会にずっと言っているのだが、縦割りのために動かない(田中俊一委員長は全然やる気なし)。…「災害対策基本法」は総務省の管轄で、原子力災害は(かつては経産省下の原子力安全・保安院の担当だったが)今は原子力規制委員会だから、所管は環境省。→ 総務省と環境省が横の調整をしていない。現場はどうしてよいのか分からないんです。」…(※ここでも「縦割り行政」の弊害…詳細はP207~208)
○都道府県庁には放射性物質を扱う部署がない
・「3・11の前は、『絶対に原発事故は起きない。施設外に放射性物質は拡散しない』という前提だった。だから放射性物質を扱う部局は県自治体にはないのだ。都道府県庁で環境政策をする人たちは、『私たちには関係ない』と思っていた。…地域防災計画の原子力災害対策編というものを県は作ってはいたが、形式的なものです。」
・「国でも同じで、環境省の仕事ではなかった。それを事故が起きてから環境省が押し付けられた。…環境省が発足した1972年当時、例えばアメリカやドイツ等の諸外国では、原子力災害対策は環境政策の一貫ということになっていた。『原発事故が起きれば放射性物質で環境が破壊される』から。…だが日本ではSPEEDIのデータを原子力ムラ(経産省と当時の原子力安全・保安院)が抱え込み、放射能は『絶対に施設外には出ない』という大前提にしてしまった。だから環境省が公共用の安全水域や、放射性物質が大気中に漏れた場合の基準を作りようがない。『あり得ないこと』になっていたから。」
・(烏賀陽)…「つまり『放射性物質が放出されるような原発事故はあり得ない』というフィクションの上に行政が成り立っているので、環境省もそれはやらなくてよいことにされてしまった。」
(嘉田)…「だから、国の環境基準には放射性物質の項目がない。当然、自治体にもない。→ 『滋賀県独自で放射性物質の拡散シミュレーションをやろう』と私が言ったとき、滋賀県の環境政策の担当者は『僕らには放射性物質は扱えません、無理です』と言った。…防災対策の担当者も『原発事故のシミュレーションに関する科学的知識がありません』と言う。」…(※う~ん、日本はこの程度の「総合力」で、原発を50何基も稼働させていたのか…)→ 「私が元いた琵琶湖研究所の所長と相談・説得して、自治体として全国で初めてこの原発事故を想定した放射性物質の拡散シミュレーションをやったのです。というのは、文科省はSPEEDIのデータを、立地地元にしか渡さないから。」
○「汚染されないと避難させられない」住民見殺しの論理
・「『立地地元』には、安全協定で原発稼働の同意権がある。しかもいろいろな経済的なベネフィット、原発の交付金がくる。←→ ところが福井県・高浜原発から13キロしか離れていない滋賀県には同意権もなければ、交付金もこない。」
・「(国は)今の時点でも『避難計画にSPEEDIのデータを使わない』というのが指針。→ 『モニタリングデータだけで避難計画を作る』というので、これも私たちはおかしいと言っている。…というのは、モニタリングデータなら、すでに放射性物質が舞い落ちて、汚染されたことが分かってからしか避難できない。これでは県民が被曝するままに見捨てることになる」…(「汚染・被曝してから逃げよう」という逆立ちした理屈…)
・「SPEEDIの場合には、ある程度シミュレーションで予測できるが、『それでは避難させられない。実態として汚染されないとダメだ』と国は言う」→ 「結局国は、滋賀県に対してSPEEDIのデータを出すまでに2年くらいかかった。…県のシミュレーションは、2011年の3~4月にすぐに準備して8~9月にはほぼ出ていた。国がSPEEDIのデータを渡したのはそのずっとあとです」…(※福島原発事故が起こった後でも、この国の〝意固地さ〟はなぜ…?)
○「リスクは知らせない」の根本にある父権主義
・「シミュレーションができたあと、今度はその公表に県内の市町村が抵抗した。『人心を混乱に落とし入れるな』という首長が多い。『リスクを知ったうえで備える』ことに、彦根と近江八幡の市長は最後まで納得しなかった。…『リスクは知らせるな、知らせる以上は避難も含めてすべての対策を取れ』と言う…『人々には知らしむべからず、寄らしむべし』です。…この発想は地方へ行
けば行くほど強い。」
・(烏賀陽)…「『避難計画すべてが完璧に整わないと、リスクを知らせるべきではない』というなら、いつまでたっても避難計画はできませんよね。」
(嘉田)…「だから作らないんです。こういう発想はもう、政治家の中にものすごく根深い。『住民を守ってあげる』と言うとよいことのように聞こえるが、結局見殺しにするということです。行政が全部守ってあげる。…これまで自民党がやって来た『パターナリズム』(父権主義)です。特に地方の政治家には多いですね」…「だから(川内原発を再稼働させた)鹿児島では避難計画を作らない…知事が非現実的な避難計画は作らないと言う。特に要援護者の避難計画は現実的ではない。だから避難計画は作らない。これでは、県民を見殺しにすることになる」…「行政が全部抱えてあげる。お前らの命はわしが預かった、とでも言わんばかりです。『知らしむべからず、寄らしむべし』という政治信条…もう日本中それが強い。自民党がそもそもそういう発想ですから。リスク開示をしない…」(詳細はP211~213)
〔※この「父権主義」の項、思わず長く引用してしまったが、これも「大衆は所詮愚かだ」という上から目線の大衆蔑視の一形態か…そして〝秘密主義〟〝隠蔽体質〟の根っこにあるもの…〕
○琵琶湖が汚染されれば被害は近畿全体に拡がる
・(烏賀陽)…「滋賀県の原発事故シミュレーションを見てびっくりしたのは、琵琶湖が汚染されてしまうと淀川水系が汚染されてしまい、それを上水道の水源にしている京都府、大阪府にも汚染被害が広がる、ということだった。」
(嘉田)…「そうです。1450万人、近畿全体に汚染地元が広がる」「大気汚染の後は水質汚染もやりました。そして放射性ヨウ素の拡散状態を見て、その後は生態系の影響です。生物濃縮とか…福島でもそうだったが、放射性物質は底に沈む。ナマズとか水底にいる生物から影響を受ける。」
(烏賀陽)…「大阪府民の飲み水も汚染されると聞いて、大阪府民の態度は変わったか?」
(嘉田)…「当時は橋下徹・大阪府知事も『そのデータをくれ』と言ってきたので、ちゃんと出した。だけど橋下さんは、2012年に石原・東京都知事と組んで維新の党を結成してからはガラッと変わった。もう原発のことは言わなくなった。…もう忘れている、彼は(笑)。…橋下さんが大阪府知事時代に(ある会合で)『テレビ取材が入らないなら僕は帰る』と言って帰り始めた。テレビがないところではご自分は発言しない。」
・「私は四つの提言をしている…
①『立地地元』『被害地元』『消費地元』の三つの地元があること。『消費地元』というのは、電力を消費する関西。…関西は被害地元とほぼ同じ。
②関西のみなさん自身が水で影響を受ける当事者なのだから、『琵琶湖を介して、自分たちの水が汚染される』ことに対して関心を持ってほしい。
③再稼働の必要がない。…2012年の大飯原発の3、4号機の時にずいぶん脅かされた…ブラックアウトしたら病院で命が危なくなるとか、経済が成り立たないとか、真夏のピーク時の話。→ 私は(関西広域連合のエネルギー対策・節電対策の責任者で)、ともかく真夏のピークをカットしましょうと、2000万人に呼びかけた(詳細はP215)。…『クールシェア』や太陽光発電などで、関西全域で約500万キロワットもカットした。もう、ブラックアウトなんて誰も言わないでしょう?…(※あの東京圏での「計画停電」も脅しだった…?)
④琵琶湖には足がない、避難できません。琵琶湖に放射性物質が降ったら、もう打つ手がありません。」(※う~ん、打つ手がないのか…)
・(烏賀陽)…「国はまだ『立地自治体しか再稼働に同意の必要はない』と言っているのか?」
(嘉田)…「同じです。(大飯原発の再稼働の時に)『安全協定で滋賀県の同意を得る義務はない』と言っている。」
(烏賀陽)…「『被害自治体』という概念を国は採用するでしょうか」
(嘉田)…「多分しません。彼らはともかく裏で意思決定したい。福井県知事だけの了解で進めたいと思っている。それこそ、何兆円という利害が絡んでいる。…経済利害と政治パワーの強さだと思う。」…(※う~ん、「父権主義」と「経済利害」が絡んで、「ともかく裏で意思決定したい」…これが〝日本政治の真実〟か…?)
○原子力防災体制の欠陥
・嘉田前知事の話から、福島第一原発事故後なお残る国の原子力防災体制の欠陥を抽出してみる。(12項目)
〔事故後も変わらない円形の避難地域設定の問題点〕
(1)原発を中心にコンパスで5キロあるいは30キロの円を描いて避難区域を決めるやり方は、実効性のある避難には役立たない。
(2)風向き、降水(雨、雪)など気象条件と地形を勘案して汚染を予測し、避難が必要な方向と範囲を決めなくてはならない。
・住民避難の観点からいうと、福島第一原発事故での最大の教訓は「放射能を帯びたチリの塊が雲状(プルーム)になり、風に吹かれてランダムに飛んでいく」ということだ。…政府が決めた「直径Xキロの円」などとまったく無関係に飛び広がった。そして地上に落ちたところが放射能汚染地帯になった。
・風に乗ったチリの拡散は一種の「自然現象」なのだから、人間が決めた人為的なラインなどお構いなしで動く。←→ ところが政府はそのことに気づかず、あるいは気づいても改めず、避難範囲を半径「3キロ→5キロ→10キロ→20キロ」と数値を増やしただけだった。
・そもそも「円形の避難範囲設定」が間違っていたのだ。→ その結果、避難すべき人が避難できず、避難しなくてもいい人まで避難するという無駄と混乱を生んだ。→ そして、原発事故後の「新指針」でも、政府の基本は「円形の避難地域を設定する」で、同じ過ちをそのまま繰り返している。
・もともと「住民避難範囲を円で設定する」という発想は、1979年のアメリカ・スリーマイル島原発事故で始まった。…当時はメルトダウンと放射性物質拡散のような大きな原発事故そのものが想定されておらず、メルトダウンが進行していた非常に緊張度の高い中、約300キロ離れたワシントンのNRC(原子力規制委員会)の担当者が、「とりあえずの対策」として提案したのが「原発から半径5キロの線を引いて、内部の妊婦や未就学児童を避難させる」という案だった。→ それがそのまま事故後も政策として定着し「前例」として各国にも広がった、というにすぎない。…つまり何らかの実効性を確認した上で「円」で限定するという政策が生まれたわけではない。
・原発事故前も後も、日本政府の発想は、それをそのまま形だけコピーしているにすぎない。…福島第一原発事故で円形が無意味だと分かっているのに、事故後も「なぜ円形なのか」「意味がないのではないか」という疑問を誰も問わないのである。(※う~ん、ここでもアメリカのコピー、「対米従属」か…。しかも、世界史的な「原発過酷事故」を起こしてしまった後でも、改められない、教訓を生かせない、失敗に学べない…。→ このことは、70余年前に国民が「甚大な犠牲」を強いられた、あの「戦争の失敗・教訓」を生かせてないことの、繰り返しか…?)
〔SPEEDIを避難に生かせなかったのは人為的ミス〕
(3)そうした気象条件や地形を合算して避難の必要な地区を予測するシステムとして、原発事故前に「SPEEDI」があった。←→ しかし原子力規制委員会は、「福島第一原発事故ではSPEEDIは役に立たなかった」と結論づけて、避難計画の策定から排除してしまった。(実際には、SPEEDIがシステムとして機能しなかったというよりは、政府内部や東京電力内部でSPEEDIの存在が忘れられていた、避難計画にどう生かすかを理解できる人がいなかった、という側面が強い…)
(4)従って、新指針の避難方針は「モニタリング」で汚染を計測して範囲を決め、避難を開始することになっている。→ これは「放射性物質が飛散し、降下した量」を測定してから避難を決める、という手順である。…つまり「その地域が汚染してから避難のやり方を決める」という倒錯した手順であり、そこにいる住民は避難前に被曝する可能性が高い。
・SPEEDIは、こうした「円形避難」の欠点を補うシステムとして存在した。「放射性物質の雲(プルーム)がどちらの方向に、どれくらいの距離まで流れるのか」を刻々シミュレーションしていくシステムだった。→ 「放射性雲の流れる方向に行ってはいけない」「その方向に住んでいる人を避難させよ」を警告するためにあった。
・しかし、福島第一原発事故のときに「役に立たなかった」という俗説が一人歩きして、事故後、原子力規制委員会は避難計画への運用をやめてしまった。←→ しかし、これはSPEEDIがシステムとして機能しなかったというよりは(PBSというバックアップのシステムが存在した事実は、5章で後述)、その存在を知り、避難計画にどう使うのかを知る人が、政府(首相官邸、経産省、原子力安全・保安院、原子力安全委員会など)や東京電力内部にいなかった、存在を知っていても現実への応用を思いつかなかったという「ヒューマンエラー」である色彩が強い。→ そしてそうした人々は、処罰されたり責任を問われたりしていない。(※つまりここでも、「失敗」を検証・反省し、未来に生かす、ということがなされていない…)
〔避難そのものがあまりにも非現実的〕
(5)避難区域にいる6万人の地域に、脱出路が国道一本しかない。脱出にはバス500台が必要。→ 20~30時間の渋滞が発生する。…「20時間以内」の実効性のある避難は物理的に不可能。
(6)同じ6万人の地域に医師は15人しかいない。薬剤師も同様。→ ヨウ素剤の実効性のある配布は不可能。
〔あくまで当事者は立地地元だけ〕
(7)原発からの距離が十数キロであっても、原発がない都道府県を、国は「地元」とは認めない。
(8)よって、国主催の原発事故の避難訓練に、国は「立地地元ではない隣の都道府県」を含めない。
(9)よって、再稼働の合意を必要とする安全協定の対象に「立地地元ではない隣の都道府県」は含まなくてよい。隣県が反対しても再稼働してよい(福井県の大飯原発再稼働ではそのとおりになった)。
(10)放射性物質の拡散を予測したSPEEDIなどのデータを、国は「立地地元ではない隣の都道府県」に渡さない。→ 隣県は、自分でシミュレーションをして避難計画を決める必要がある。
・政府の事故対策には、「人工的な境界線に固執して、自然現象を無理やり当てはめようとする発想」が頻出する。…(7)~(10)は「都道府県境」という人工的な境界線で当事者の自治体(都道府県)を決める無意味な発想である。
・滋賀県の事故シミュレーションが明らかにしたのは、琵琶湖の北部に放射性物質が降り注ぎ、琵琶湖水系を水源とする京都府、大阪府の上水道も汚染されるということ。→ つまり被害を受ける都道府県は、滋賀県、京都府、大阪府と「県境」に関係なく広がるということだ。
・ところが、国は福島第一原発事故後も「原発が建っている都道府県だけが当事者」という姿勢を崩していない。…これが「立地地元」「立地自治体」の発想である。だから、国主催の防災・避難訓練に隣県を含めない。←→ 事故が起きれば自分たちの県にも放射性物質が来ると分かっている隣接する都道府県は、自分たちで独自の訓練をするほかない。
〔中央官庁の縦割りの弊害が生む避難指示問題〕
・これは次の(11)と合わせて考えると、極めて危険な状態だということが分かる。
(11)水害、土砂崩れ、噴火といった「一般災害」では「災害対策基本法」で自治体が避難指示を出せる。←→ ところが原子力災害だけは「原子力災害対策特別措置法」に基づいて総理大臣が避難指示を出す。…「災害対策基本法」は総務省が管轄し、「原子力災害対策特別措置法」は環境省が所管する(福島第一原発事故前は経産省下の原子力安全・保安院が所管)。→ 二つの官庁が縦割りのまま横の調整をしない。…「誰が避難指示を出すのか」「誰の避難指示に従うのか」という最も基本的な法律が、「股裂き状態」のまま放置されている。→ いざ事故の場合、地元自治体が判断に迷う。
・福井県の原発で事故が起きた場合、13キロしか離れていない滋賀県の住民はどうすればよいのか? 知事や市長は避難指示を出すのか?…嘉田前知事の問いかけは、こういう切実な問題を含んでいる。→ (1章で検証したように)福島第一原発事故では、政府内部で貴重な時間が浪費され、国の避難指示までに時間が空転したことが明らかになっている。…隣県としては死活的な問題だろう。
・無論、国の避難指示を待たずに自治体が避難を命じることも可能である(福島第一原発事故では、数分の差で国より先に福島県が避難指示を出している)。←→ しかしその場合、中央官庁(医師の派遣には厚労省が、バスの手配には国交省がからむ)や国の機関(自衛隊など)は避難に協力してくれるのか? 警察は? …こうした問題はまったく解決されないままになっている。しかもその原因は、総務省と環境省がすり合わせをしない、という旧態依然とした「中央官庁の縦割り行政」なのだ。(※う~ん、結局、この問題に戻ってしまう…)
(12)福井県の原発で福島第一原発事故級の大事故があった場合、隣県・滋賀県の琵琶湖に放射性下降物が降る。→ 琵琶湖は下流の京都府、大阪府の上水道の水源であり、放射能汚染被害が都市部に拡大し、被害規模が増える。
(3/25…4章 了)
次回の〔後編〕は…最終の【5章】原発事故の進展は予測できなかったのか…の予定です。→ 4月中の完成を目指します。
(2017.3.25)
2017年3月24日金曜日
(震災レポート38 )
(震災レポート38) 震災レポート・5年後編(4)―[福島原発論 ①]
・昨年の後半に高齢の親族の看取りということがあり、いろいろ忙殺されてだいぶ間が空いてしまった。昨年からサブタイトルを「5年後編」としたが、震災後もうすぐ6年になろうとしている。ここで遅まきながら、もう一度福島原発事故の原点に戻って、「なぜこの事故は起こったのか」そして「この事故は戦後の日本社会にとってどういう意味を持っているのか」ということについて、改めて検証してみたい。世界的な〝激動の年〟あるいは〝混迷の年〟になるだろうと予測されている2017年を、そこから始めてみたい。
『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』
烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11
―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題 ―――[前編]
〔烏賀陽(うがや)弘道は(「震災レポート」⑤の『報道災害【原発編】』や⑳の『原発難民』でも取り上げたが)1963年京都市生まれ。フリージャーナリスト。86年京都大卒業後、朝日新聞入社。03年にフリーランスに。…著書に『原発難民』『ヒロシマからフクシマへ』など多数。〕
【まえがき】
〔この本の意図〕
・福島第一原発事故の発生直後から、もう50回前後はフクシマの現地に取材に足を運んだ。また避難民の話を聞くために、福島県外の避難先も訪ね歩いた。
・さらに「一体なぜ、政府や電力会社はこんな失敗をしたのか」という問いの答えを探して、政治家や官僚、学者たちの話を聞いて回り、また彼らの書いた著作を読み、会いに行った。原発関係者にもたくさん会った。事故調査委員会にも取材した。「原発の生まれ故郷」であるアメリカの核施設も取材して歩いた(『ヒロシマからフクシマへ』ビジネス社2013.7.1 参照)。
・そんな作業を5年続けてみると、おぼろげながら一つの像が見えてきた。…この本は、「ポスト・フクシマ」としか言いようのない、長くて暗い現在進行形の時代の、(5年間の取材の成果を一区切りとした)途中経過報告である。
〔取材テーマ〕
(1)フクシマの避難者や被災地はこれからどうなっていくのか。…その事実を後世の歴史のために記録していくこと。
(2)「一体なぜ福島第一原発事故は起きたのか」「なぜ住民避難に失敗したのか」という真相を詰めていくこと。
(3)「事故後、原発事故が起きたときの対策は、住民の安全を守るに足るよう改善されているのか」をウォッチしていくこと。
(※これらはまさにジャーナリストの本質的な役割…)
→ そうやって原発事故をさかのぼって取材していくうちに、福島第一原発事故の遠因は、日本の原発黎明期である1950年代からあったのではないか、という仮説が私の中で芽生えた。……政府が立地基準を定める前に、東電が勝手に自前の津波や地盤の基準で同原発の場所を決めてしまった話(3章)。その後、保険業界などが保険引き受けを拒否するほどの巨大事故を予想していたにもかかわらず、政府はそれをまったく無視、さらに情報を隠蔽してしまった話(同)…。
・こうした過去の事故原因が積み重なった醜悪な集積体が、福島第一原発事故なのではないか。…この本は、その仮説を述べ、根拠を示そうとしている。
・この「原子炉3基がメルトダウン」という世界で類例のない惨事に至った原因について、マスコミ報道や事故調査委員会は「事故後の政府や東電の対応がいかに失敗したか」を解明することに腐心しているが、私には「原因は50年以上さかのぼって存在した」という感触が強くなった。…「50年以上にわたって各人が各所でミスを積み重ねた結果」があの大惨事なのだ。
・しかし、こうした検証を積み重ねるうちに、「日本社会には、原発という巨大なエネルギー源を引き受け、運転していくに足る総合力があるのか」という疑問が膨らみ始めた。
・福島第一原発事故は、日本社会全体が持っている「総合力」or「国力」を計測する絶好のケーススタディだと思われる。…これは、第二次世界大戦(太平洋戦争)の悲惨な敗北が、当時の日本の組織文化や社会文化の欠陥をあぶり出す研究材料になった現象に似ている。(※太平洋戦争の敗北と原発事故とのアナロジー)
・「敗戦体験」では、軍事優先主義や帝国主義、民主主義の否定といった社会・経済・政治上の要因が国の破滅を招いた、という教訓を引き出した(※う~ん、戦後70年を経て、今その「教訓」が危うくなってきている…)。→ 福島第一原発事故という巨大な失敗も、そうやって未来への教訓として「何を改めるべきなのか」を学ぶ材料にしなくてはならない。(※う~ん、これも事故後早や5年にして、あやしくなってきた…)
〔現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥〕
・原発事故の取材を通して、あちこちで現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥が姿を現してきた。それらは大ざっぱに三つに分けられる。
(a)組織文化の欠陥
・例:国と都道府県がバラバラに動いていて、制度や法律の実効性を削いでいる。…国の中でも環境省、総務省、経産省などがコーディネートなしにバラバラに動いている。統合性に欠ける、いわゆる「タテ割り行政」(※各々の省益の確保や天下りの斡旋に精出している…)。…また電力会社や政府の情報を公開しない秘密主義もこれに該当する(→ 1,4章)。(※この「情報公開」に関する意識の低さは、日本社会のあらゆる分野に共通する課題だろう。…今のところ「小池都政」は、少なくともこの「情報公開」に関する姿勢については評価できるか…)
(b)法律・行政制度
・例:放射性物質は風に吹かれたチリのようにランダムに飛び散ることが分かっている現在でも、国の住民避難政策は「原発を中心にした真円」の「線」で区切る、という実効性の低い形をとっている。また原発から数キロの至近距離に住民がいても、県境をまたぐと「立地自治体ではない」として稼働の同意対象から外される。(→4章)
(c)ヒューマン・ファクター
・例:原発のメルトダウン動向をほぼ正確に予測していたシミュレーションが計算され、首相官邸にまで届いていたにもかかわらず、誰もその意味や価値を理解できなかった。…一刻を争う事態の中、テレビ放送用に無駄なやらせ閣議を開いた。…緊急事態宣言の決裁を先送りして無駄な会議に中座し時間を浪費した、などのヒューマン・エラー。(→1、4章)
……こうした「組織文化」「法律・行政制度」「ヒューマン・ファクター」の欠陥は、原発事故後5年を経ても、改善された形跡を見出せない。…例:福島第一原発から数キロの距離にあったために、機能不全に陥った司令センター「オフサイトセンター」が、やはり政府の避難指定区域である30キロ圏内に設置・移設されている例が、全国多数ある。→ 未来のいつか、3・11と同じ地震や津波が日本の原発を襲えば、また同じような規模の汚染や被曝が繰り返されるのではないか。
・また、この原発事故に対する「検証能力」にも大きく落胆した(詳細はP9)。そして、そうした事故調査委員会の報告を検証すべき立場にあった新聞やテレビなどの報道機関も、そうした事故調査委員会の欠陥を指摘した形跡がない。
・検証能力を欠いた社会とは、レフリーやジャッジがいないスポーツゲームと同じだ。→ そこには反則や違法がはびこる。…人間のやることから失敗を完全に排除することはできない。しかしいったん失敗が起きたら、徹底的に原因と責任を検証しなければならない。←→ そうしなければまた同じ失敗が繰り返される。→ そんな社会は疲弊し、劣化する。
〔「現在までに、何重のミスが重なっているのか」という層〕
(ア)2011年3月11日に至るまでに、事故の遠因をつくった東京電力や電力業界、規制官庁、政界、学界。
(イ)事故後、被害(主に被曝と汚染)をもっと軽く抑えることができたのに、その方策を取らなかった、あるいは拡大させた電力業界、規制官庁、政界、学界。
(ウ)そうした事故原因を調査・究明するはずの調査委員会。
(エ)同じ事故や被害が繰り返されることがないよう法律や制度を改善するはずの電力業界、規制官庁、政界、学界。
(オ)そうした改善や事故原因の究明がなされているのかを検証する報道。
―→「誰一人その責務を果たせていない」という「総崩れ状態」なのだ。
・原発事故で国土が放射能に汚染され、10万人もの住民が家や故郷を失うというのは、戦争に次ぐ「国難」級のクライシスである。…そこまで来てもなお、電力業界、規制官庁、政界、学界、報道という日本の「ベスト・アンド・ブライテスト」たちが全員エラーを犯し続けている。誰も完全に職責を果たせていない。→ この現実を、私たちは否認することなく、直視する必要がある。その意味をもっと真剣に考えなくてはならない。
・「原発という、事故を起こせば危険だが、得るところも大きい巨大エネルギー源を、どう社会が引き受けていくか」という「社会の総合力」において、事故調査委員会や報道なども立派な当事者なのだ。…「巨大なエネルギー源であるがゆえに、万が一にもミスがないようチェックし、監視し、検証する」社会が担う機能の当事者なのである。
・こうした電力業界、規制官庁、政界、学界から報道までを含めた「社会全体の総合力」が「原発を引き受けるレベルに達しているのか」というテストが、福島第一原発事故だった。→ 日本社会はそのテストに落第したのだ。そして事故後の行動においても、やはり及第点には達していない。→ そして実はこの「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」という現実こそ、日本人がもっとも目を背けたい、否認したい現実なのではないか。
〔福島第一原発事故は終わっていない〕
・2011年3月11日午後7時18分に政府が発した「原子力緊急事態宣言」は、現在も解除されていない。…福島第一原発は「収束」「鎮静化」どころか、火事でいえばまだ火が消えていない状態なのだ。それを政府も認めている。…私たちはまだ、あの「2011年3月11日の暗くて重い夜」の中にいる。
・その間に、被爆した人の数は約23万人、避難を続ける人の数はまだ10万人いる。…大都市近郊の中型都市が一つまるごと消えてしまった計算だ。…(2016年2月現在)税金から支払われる賠償金は5兆8000億円超、除染費用は約5兆円の見通し。(※最近の報道では賠償金はさらに増えて7.9兆円…)
・「福島第一原発事故は終わっていない」どころか、2011年3月11日からずっと続いているのだ。これほど長期間続く事故というものが、人々の理解を超えている、というだけである。
・そして福島第一原発事故には、5年経っても未解決・未解明のまま放置されている事案が多すぎる。…ex.「なぜ冷却装置が使われなかったのか」(→2章)「事故後も実効的な住民避難策の改善が見られない」(→4章)等々…。
〔そして誰もいなくなった〕
・ふと周りを見渡すと、発生直後から5年間、福島第一原発事故を取材し続けている同業者は、社員記者・フリー記者問わずほとんど誰もいなくなってしまった。新聞やテレビはもちろん、週刊誌や月刊誌を見ても、福島第一原発事故は「その他たくさんのニュースの一つ」として埋没している。…私自身「原発ものは広告や営業が嫌がる」と次々に連載を打ち切られ、読者の寄付と自腹を原資に取材に行くという苦境を強いられている。
・(マスコミだけではなく)人々の日常会話でも「原発事故」は「口にするのがためらわれる話題」に変貌しつつある。…日本社会は本格的な「忘却」あるいは「黙殺」の過程に入ったようだ。
・原発から流出した放射性物質が近隣住民を被曝させるという深刻な事態は、人類の歴史で3回しか起きていない(前の2件は米・スリーマイル島事故、旧ソ連・チェルノブイリ事故)。…この急速な国を挙げての忘却は、「驚いた」を通り越して不気味さすら感じる。
〔日本社会の総合力の欠如〕
・やはり「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」のではないか。→ 日本人はそれを認めたくない。かくも自分たちの社会が劣化してしまったことから、目を背け、否認したい。…そんな無意識が作動しているのではないか。
・しかし、私たちは心に刻まなければならない。日本の原発は、冷却水の取水を河川や湖水ではなく、海水に頼っているので、すべて海岸線上にある(→3章)。言うまでもなく日本列島は世界有数の地震多発地帯であり、しかも、震源地によっては海岸に津波が押し寄せることを避けられない。…我々が福島第一原発事故で目撃した通りである。
・私は原発否定論者ではない。莫大なエネルギーを生む原発は、安全に運転されている限りは有益なエネルギー源のはずである(※う~ん、核廃棄物の最終処分場は…?)。→ 取材で訪れたアメリカには「半径50キロは無人の砂漠」というような人口希薄地帯に原発が設置されていた。…そのくらいの広い国土があれば、日本ほど神経質になる必要がないというのが肌でわかった。(※そして最終処分場には無人の砂漠orアラスカがある…?)
・しかし、日本にはそんな人口希薄地帯はなく、海岸地帯はどこも世界有数の人口過密地である。そこに原子炉が並んでいる。→ 地政学的な判断だけでも、日本が原発を運転し続けるのはきわめてハイリスクと考えざるを得ない。→ そして既述のように、日本社会の総合力は、このリスクを乗り切るには落第点しか取れない。……原発否定論者ではない私が危惧するのは、そういったリスクである。
・この本の内容は(原発の専門家の査読を経ているが)あくまで私の仮説であり、至らない部分が多々あることは承知の上で、社会的議論と、集合知を呼ぶ意味であえて刊行する。→ そうして「2回目のフクシマ」を起こさないことが、私がこのささやかな本に込めた願いである。そして、それこそが、家や故郷を理不尽に奪われた被災者の無念を未来に活かす、唯一の道だと信じている。
(2016年2月 烏賀陽弘道)
(注記:「福島」を「フクシマ」とカタカナ表記するのは一義的には「福島県」「福島市」の混同を避けるためだが、広義には原発事故や汚染が「福島県」という行政区分を超えて汚染が広がった事実を含めて「福島第一原発事故の被害や影響が及んだ空間」を示す概念として「フクシマ」という呼称を用いる。)
【1章】政府内部3・11のロスタイム
○「国は私たちを国民だと思っているんだろうか」
・この章では、東日本大震災当日に政府内部で起きた時間の浪費(ロスタイム)を検証する。…それは、そのロスタイムが、住民避難を遅らせ、被曝を招いたから。→ 福島第一原発事故から学ばなければならない最大の教訓は、この「東京での政府の分単位の遅れが、原発周辺の住民にとっては致命的になる」ことである。→ それらを分析し記録に残すことで、同じ悲劇を繰り返さないための教訓にできる。
・福島第一原発が立地する大熊町(人口約1万1500人)と双葉町(6900人)。…大熊町は、1号機の水素爆発より36分早くすべての町民が脱出できた。一方の双葉町は、脱出が完了したのは爆発から約30分後だった。→ このため、まだ残っていた町民が降ってきた放射性下降物を浴びた。…つまり、約1時間の差が明暗を分けた。…「あと30分避難完了が早ければ、住民の被曝は少なくて済んだ」と考えざるを得ない(詳細はP21)。→ 原発災害では、30分のロスタイムも許されない。私が「地震発生から1号機爆発までの25時間の間の政府のロスタイム」にこだわる理由はここにある。
・(脱出した最後のグループにいた双葉町・井戸川町長の話)…「『ドン』と低い音がしたんです。…その瞬間、何が起きたかわかりました」「もう終わりだ、と思いました」「死を覚悟したんです。今でもそうです。…あそこには若い病院の職員もいた。看護師さんもドクターもいた。まだ300人くらいがいたんです」「国は、私たちを国民だと思っているんだろうか。…まるで明治維新の未完成の部分が今日まだ残っている、みたいな話じゃないですか」(詳細はP21~24)。…双葉町民があと30分早く脱出できていたなら、双葉厚生病院の悲劇は起きなかったことを、もう一度記しておく。
○テレビ用やらせ閣議で30分のロス
・(海江田経産大臣の回顧録&インタビューより)…福島第一原発事故の当日、一度済ませた閣僚の「緊急災害対策本部会議」を、「閣僚の一人」の提案により、テレビカメラ向けにやり直し、「移動も含めて約30分の時間」を無駄にした。…つまり、テレビ報道のカメラに収録されるために、メモという台本を読み上げ、すでに終わった会議をフリだけやって見せた。
・どの「閣僚」がやらせ会議を提案したのか、という著者の質問に対して、海江田氏は「言えない」として言明を避けたが、著者はその「閣僚」を菅直人総理と推論している。→ 菅元総理にも取材を申し込んだが、応答はなかった、という。(詳細はP24~30)
○保安院内で海江田氏に「15条通報」が伝わるまで50分
・原発事故の情報伝達にまつわる行政と法律の仕組み。…甚大な原発事故の発災 → 「原子力災害対策特別措置法」が作動 → この時点から、周辺の住民の避難は東京の「国」政府の責任になる。…住民の強制避難やある区域の封鎖、移動の制限など居住や移動の自由、私有財産の部分的な制限が必要になる。また地方自治の原則を一部停止して、都道府県に指示を出すこともある。→ そうした権限=権力の行使のために、総理大臣を長にして、政府組織を臨時に改編する。この司令部を「原子力災害特別対策本部」という。…こうした国権の発動のための根拠法が「原子力災害対策特別措置法」。(詳細はP30~31)
・原発がすべての冷却用電源を失ったとき(全電源喪失)、電気事業者は政府に通報しなければならない、という法的義務がある…「15条通報」。→ 逆に言うと、15条通報が政府に届き「原子力災害特別対策本部」が結成されないと、避難を命じる法律的な主体が出現しないので、住民の避難は始められない。
・ところが、福島第一原発から原子力安全・保安院に15条通報が届いてから、海江田経産大臣に(経産省の中を)連絡が届くまで、50分もかかっている。(詳細はP31~40)
〔※遅れた要因は、各担当部署の〝未経験・未想定〟の事態によるミスやロスと、一刻を争う緊急事態のさ中に「起草・校正・校閲」という生真面目な文書主義によるものとされ、やはりここにも、日本の原発の「安全神話」による、「過酷事故」に対する備えの甘さが見てとれる…〕
○菅総理、非常事態宣言を了承しないまま党首会談へ
・(「海江田ノート」によれば)…海江田通産大臣が、菅総理に非常事態宣言発令を上申すると、菅総理は「チェルノブイリ級の原発事故」と認めることに躊躇し、また寺坂保安院長が事務官僚(経済学部出身)で技術的な質問に答えられないのに怒り、さらに法的な根拠を尋ねて、その場にいた政府スタッフたちが『緊急事態関係法令集』を調べ出し…そうこうするうちに、菅総理は、(原子力緊急事態宣言の発令を了承しないまま)予定されていた与野党の党首会談に行ってしまった。(※う~ん、これがこの国の「危機管理の総合力」か…)
・繰り返すが、総理が了承しないと、原子力緊急事態宣言は発令されない。原子力災害特別対策本部も発足しない。つまり住民避難を始めることができない。→ 結局、福島第一原発から原子力安全・保安院に15条通報のファックスが到着してから原子力緊急事態宣言が発令されるまでに2時間18分。→ 翌12日、双葉厚生病院に取り残されていた井戸川町長はじめ、約300人の患者や職員がわずか30分差で脱出が間に合わず、放射性降下物を浴びてしまったことを思い出してほしい。…この「政府内」の2時間18分のロスは痛恨である。(詳細はP41~43)
○事故に生かされなかった訓練の教訓
・菅総理による1時間21分のロスは、非常に不思議に見えた。というのは、菅総理は2010年10月に今回の福島第一原発事故と同様の想定をした「原子力防災総合訓練」に参加し、「15条通報 → 原子力緊急事態宣言発令」の手順を一度練習し、その時は経産大臣の上申書を受けてから緊急事態宣言まで、わずか57秒しかかかっていない。…つまり、この訓練の教訓はまったく本番で生かされていない。
・このことについて、菅元総理の著書『東電福島原発事故』(「震災レポート⑳」参照)を検証してみると、その記述には「住民避難」の観点が抜けている。……地震が発生した後の政府当局者の小さなロスタイムの積み重ねが、最後は雪だるま式に膨れ上がって住民避難の遅れになった。←→ しかし、こうしたロスタイムについて、当事者たちの責任感は薄い。そして、彼らの証言を取材していく中で気づいたのは、その多くが「3月12日の水素爆発の時点で、30分差で逃げ遅れた人たちが双葉町に約300人いた」という事実を、彼らは知らなかったことだ。
・福島第一原発事故は巨大な事故である。当事者たちも、それぞれの担当や持ち場、その周辺での事実を知っているにすぎない。…事故の全体像を把握している人がほとんどいないのだ。→ よって「自分の持ち場で起きた何分かのロスタイムが積もり積もって、住民が逃げ遅れた」という全体像に気づくこともほとんどない。…政府・国会・民間など各事故調をはじめ、報道にもそうした原発周辺にいた住民の観点からの分析や追及は見つからない。
○崩壊熱の危険を伝えなかった保安院次長
・2ヵ月前に経産大臣に就任したばかりだった海江田氏は、原発事故に関する「予備知識」がなかったと考えるのが自然だろう。→ 事実、海江田大臣は、平岡原子力安全・保安院次長が原子力緊急事態宣言の上申書を持って来るまでは、「原発が深刻な事態になっている」と認識していなかったという。→ 従って、経産省の対策会議では、むしろ原発のことよりも、これから起こる大規模停電と、コンビナートの火災をどうするかという話が、主に優先的な課題だった、と著者のインタビューに答えている。
・平岡次長はなぜ、原発が最悪の事態になる前に、もっと早く原発の危険な状態について海江田大臣に知らせなかったのだろうか。…その後異動を繰り返して環境省審議官になっていた平岡氏に取材を申し込んだが、「もう原子力安全・保安院次長ではないので」という理由で断られた(詳細はP47~49)。〔※う~ん、日本の官僚組織の「たらい回し人事」の無責任さか…最近話題の都庁も、そのミニチュア版…?〕
○ベント決定から実施まで5時間もかかった理由
・その後、翌日12日午後3時36分に1号機が水素爆発するまでには、まだ様々なロスタイムが発生している。…その一つが、3月12日午前6時半、海江田経産大臣が東電に1,2号機のベントの措置命令を出すまでの過程。(「ベント」…原子炉や格納容器の破裂を防ぐために、圧力が高まった格納容器内部の空気を大気に放出して圧力を下げる作業)
・ベントをすれば、放射能を帯びた気体が大気に放たれる。→ 前もって周辺の住民を避難させなければ被曝してしまう。…日本の原発でベントが行われるのは初めてだった。
・しかし、ここでも官邸側と東電(連絡役として武黒一郎フェロー)との間で、ミスコミュニケーションが何度も繰り返されている。
(福山官房副長官の回顧録『原発危機 官邸からの証言』より)…官邸にいる武黒フェローは、福島第一原発現地と直接連絡を取っていたのではなく、東電本店(東京・日比谷)に問い合わせていただけだった。…原発 → 本店 → 武黒フェロー と伝言ゲームの介在者が増えていた。→ 情報源不明=信憑性不明の情報がそのまま流通、その結果ミスコミュニケーションが多発して、時間が空転した。(詳細はP50~52)
○SPEEDI以外のシステムが事故の進展を予測していた
・こうした時間の空転について取材を進めて気づいた。…政府内の関係者は一様に「そのとき原子炉の中がどうなっていたのかは分からなかった」「メルトダウンが進行しているとは分からなかった」「分かったのは、ずっと後だった」(だから仕方なかった)という弁明を話したり書いたりしている。←→ しかしこれは事実ではない。福島第一原発の推移について、かなり正確に予測したデータが計算され、ちゃんと首相官邸に届いていたからだ。
・(福山官房副長官の回顧録より)…(2011年3月)11日午後10時44分、保安院が「福島第一2号機の今後の進展について」と題するペーパーを官邸の危機管理センターに報告した。それはプラント解析システムによって今後、2号機がどうなっていくのかを予測していた。…22:50 炉心露出 23:50 燃料被覆管破損 24:50 燃料溶融(※メルトダウン!) 27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達…
・現場に近づけないような原発の過酷事故に備えて、ERSSという原子炉のモニタリングシステムがあり、それをSPEEDIという事故シミュレーションのシステムに出力して、避難を決めることになっていた。…「それがうまく作動しなかった」(班目原子力安全委員長の国会事故調での証言)。→ これを受けて、事故後発足した原子力規制委員会も「避難の指針にSPEEDIを使わない」と表明している。
・しかし「事故に備えたシステムが事故でダウンする」という話は、よく考えればおかしい。何かフェイルセーフ(安全装置)があるはずではないのか。→ 取材してみると、ちゃんとあった。…こうした原子炉から直接データを取るシステムがダウンした場合に備えて、「プラント挙動解析システム」(PBS)という原発事故のシミュレーションソフトが用意されていた。…これはほとんど報道されていない。(PBS=Plant Behavior System)
・アメリカで1960~70年代に行われた原子炉の破壊実験のデータからプログラムを組んだアルゴリズムに、日本の全原発・全原子炉ごとの固有データを組み合わせてある。→ DVD-ROMに収められ、通常のノートパソコンがあれば計算できる。(→詳細は5章で)
・福島第一原発事故でもPBSは正常に作動し、前述のような事故予測を官邸に届けていた。…つまり、報告が届いて6分後には炉心の水が蒸発して燃料棒が露出 → 空焚きが始まり、1時間後にはジルコニウム被膜が溶ける → 水素が発生する → 爆発の可能性が生じる。2時間後にはメルトダウンが始まる。…はっきりそう書かれている。つまり「今から約2時間後に炉心はメルトダウンする」と告げているのだ。
・しかし、海江田大臣も福山官房副長官も、PBS予測の重要性を理解していた形跡がなく、聞き流してしまう。首相官邸の政治家も原子力安全・保安院の官僚、東電幹部も、このシミュレーションの重要性を誰も理解していなかった可能性が高い。少なくとも「これは大変なことじゃないのか」と注意を喚起した形跡がない。→ このPBSシミュレーションは首相官邸から報道発表され、当時の新聞にも数行だけ記事が出ている。しかしその真の意味を見抜いた報道記事も見当たらない。(※う~ん、日本社会のほとんどが、原発事故に対して認識不足、準備不足であり、総合力がない…)
・(政府内部にいた人々を複数取材する過程で気づいたこと)…当時の彼らにはまだ「原発事故はどれくらいのスピードで進行するのか」という「時間感覚」がない。…「原発事故など初めての経験だからやむを得ない」という弁明を何度も聞いた。←→ しかし、だからこそ、そうした「原発事故の時間感覚」を知るためにPBSが開発され、備えてあったのだ(→ 5章で詳述)。…その意味を理解し、対策に反映させた形跡がまったくない。→ 結局、2号機は4日後の3月15日早朝、大きな音と振動がして圧力容器の圧力がゼロになった(つまり穴やクラックが生じた可能性が高い)。→ 高濃度の放射性物質が漏れ出し、北西に流れて飯舘村や南相馬市を汚染した放射性雲はこの時に流れ出た。
○保安院の平岡次長は重要な情報を伝えなかった
・これらの原発事故の対応について、(総理や官房長官、経産大臣など政治家職が気がつかなくても)平岡次長や班目委員長らにとってはまさにこの分野が、長年取り組んでいる「専門」のはずである。←→ だが、適切な助言をせず、逆に前述のとおり原発事故の進行を楽観的、過少に評価したり、本当の危機的な部分の情報を省いた情報を政治家職に知らせている。(詳細はP55~57)
・とくに平岡次長は原発の安全や防災を担当する官庁のナンバー2でありながら、自分が属する組織の長への情報伝達にも、首相官邸への情報伝達にも失敗している。なぜこれほどの失態が重なったのか……平岡次長が取材を拒否しているので、真相は分からないままである。(※平岡氏は、今は環境省からまた経産省に戻っているそう…)
【2章】使われなかった緊急冷却装置
〔※この章は、技術的に複雑で専門的なことまでよく取材されて書かれているが、枚数の関係で簡略にまとめざるを得ない。→ 詳細は原本を参照されたい。〕
○主力の緊急炉心冷却装置ECCS(Emergency Core Cooling System)
・原子炉3基がメルトダウンする深刻な事態になった福島第一原発事故の原因について、四つの事故調査委員会(政府、国会、東電、民間)が素通りしたままの大きな盲点が残っている。しかもそれは、原発関係者の間では「もっとも致命的な人為的ミスなのではないか」と指摘されている問題。→ それは「地震が発生してから津波が到達するまでの約50分間起動しておくべきだった原子炉の冷却装置を起動しなかった」という可能性である。
・福島第一原発は地震の揺れを検知して自動停止した。→ しかし、フル出力で運転していたので、余熱が大きい。それに加えて、核分裂が止まった後も燃料棒の生成物は高熱の「崩壊熱」を出し続ける。→ 水を入れて冷却を続けないと、(原子炉の運転は止まっていても)崩壊熱で燃料棒が溶け落ちて「メルトダウン」に至る。…電源が途絶えると、冷却装置が働かず、燃料棒が加熱して溶ける。…現実はその通りになった。
・こうした崩壊熱を冷やし、高温の原子炉を冷ます主力装置として「緊急炉心冷却装置」(ECCS)がある。…直流電源で起動し、(あとは電源がなくても)原子炉の蒸気で動き続ける。→ しかし、この緊急炉心冷却装置(ECCS)は、福島第一原発事故では使われないまま終わった。(詳細はP61~62)
○福島事故の9ヵ月前に起きていた深刻な事故
・メルトダウンに至るような「最悪の事故」が進行しているのに、なぜ津波が来る前に、せっかくの主力の冷却装置・ECCSを起動しておかなかったのか。…ここが説明されなければ、本当の事故原因の解明にはならないのに、今も素通りになっている。
・「なぜ主役の冷却装置は使われなかったのか」という疑問の手がかりを探していて、3・11福島事故のわずか9ヵ月前に、同じ福島第一原発2号機が深刻な事故(一時的に全電源を喪失)を起こしていたことを見つけた。…この2号機は、2011年3月15日に高濃度の放射性物質漏れを起こし、全村避難になった飯舘村をはじめ、広範囲の汚染を引き起こした「主犯」である。←→ だが重大な事故にもかかわらず、当時はこの事故そのものが、ほんの短い記事でしか報道されなかった。(詳細はP64~70)
・アメリカの原発では、ハリケーンが頭上を通過する際には、あらかじめ非常用ディーゼル発電機を起動して、非常用電源に電力を供給しておく。常用電源は送電線につないでおく。…外部電源が途絶えた時も、非常用電源への電源供給をあらかじめ確保しておくためだ。(※う~ん、アメリカの原発では非常時への備えは、日本の原発より周到ということか…)
・しかし福島第一原発2号機での「前年事故」では、この非常用ディーゼル発電機へのつなぎ替えに失敗し、全電源喪失状態になった。→ そして、冷却水が蒸発して水位が低下するという非常事態になっても、「主戦力」であるECCSは使わず、性能が劣る補助用の冷却装置(RCIC 原子炉隔離時冷却系)しか使っていない。…3・11ではこれと同じ手順が踏まれている。
○津波が来る前からECCSを起動できたはず
・3・11事故の場合…地震で送電線が倒れ、外部電源は途絶えたが、まだ津波の襲来は受けず、非常用ディーゼル発電機は生きていた。→ しかし、なぜか運転員は(主戦力の緊急炉心冷却装置・ECCSを起動せず)、補助的な冷却装置だけ起動している。(詳細はP72~73)
・なぜ「主戦力の冷却装置ではなく、補助の冷却装置から使い始める」という手順が、前年事故でも3・11事故でも、全く同じなのか。→ いろいろ調べてみると、この手順が(運転員が間違えたのではなく)「あらかじめ定められた手続き」だった、という記述が出てきた…(3・11事故について政府事故調の「中間報告書」P80)…(詳細はP73~74)
・つまり、震度6の東日本大震災の揺れが襲来するという「非常事態」においてなお、福島第一原発の運転員は、地震も何もなかった「平時」の前年事故とまったく同じ原子炉冷却の手順を踏んだ。…これがミスの始まりだったのではないか。
○専門家も首をかしげる手順のおかしさ
・「なぜ最初から、より冷却性能の高いECCSを使わなかったのか」…これに対し東電は、「地震から50分後には津波が来てすべての電源を破壊してしまったので、どのみちECCSも使えなかった」という説明をし、3事故調の報告もそれをそのまま繰り返している。←→ しかし、これはおかしい。…ECCSは、起動こそ電源が必要だが、いったん動くと、原子炉の圧力を使って動き続けるからだ。→ 津波で電源を失う前に起動しておけば、その後も原子炉の蒸気で動いたはずだ。(※つまり非常時のバックアップとして、そのように備えてあった…)
・このことは、アメリカの原子力監督庁であるNRC(原子力規制委員会)の定義にも、はっきりと書かれている(P76に烏賀陽の訳文あり)。…また、いったん起動すれば、ECCSが原子炉の蒸気で動くことは、3・11事故で3号機が証明している。…3号機の直流電源盤は浸水を免れたので、津波後もECCSが直流電源で起動できる状態にあった。→ そのECCSが幸運にも偶然自動起動し、約14時間動き続けた。→ しかし、この幸運に恵まれた3号機も、13日午前2時42分、ECCSの破損を恐れた運転員が手動で停止してしまった。→ 結局、冷却装置が何もない状態になり、13日午前11時1分に3号機は水素爆発に至る。
・「もし主戦力であるECCSを津波が来る前に起動していたら、その後の展開はどうなっていたのか」…元四国電力社員の松野元さん(原発事故の防災専門家で伊方原発の勤務経験もあり。…5章にも登場)に意見を聞いた。
(松野)…「もし津波が来る前にECCSを起動しておいて、能力の高いECCSから使っていたら、メルトダウンにまでは至っていなかったと思う。ただの外部電源喪失事故で終わっていた可能性が高い」「ECCSは起動には直流電源が必要だが、いったん起動したら原子炉の蒸気で動く」「(もし福島第一原発事故の現場にいたら)ECCSを使って圧力が下がったら、(補助的で低圧でも動く)RCICに引き継ぐ。最後はディーゼル駆動ポンプの消火ポンプで注水していく。将棋でいえば能力の高い順に飛車、角、金銀、桂馬と使っていくのが鉄則だと思う。」(詳細はP75~78)
○スクラムには「通常停止」と「緊急停止」の2種類ある
・〔なぜ前年事故でも3・11事故でも、東電や福島第一原発の現場が、ECCSを後回しにして、性能が劣るRCICなどの補助的な冷却装置から使っているのか…その理由や背景についての松野氏の見解〕……日本の原発では、通常運転のフル出力のまま「スクラム」(制御棒を原子炉に入れて停止させること)させることは滅多にない。ほとんどの原子力研究者が知っている「スクラム」は、毎年の定期点検の前に原子炉を停止するための通常のスクラム。→ 段階的に出力を下げ(通常運転の出力の15%程度まで)、崩壊熱を低下させながらゆっくりかけるスクラム(自動車のブレーキに例えると、時速100キロの高速運転からいきなり急ブレーキを踏むのではなく、15キロまで速度を徐々に落としてから最後のブレーキを踏んで止める)。…この定期点検のときの「ゆっくり停止型のスクラム」が「通常停止」。←→ 反対に、時速100キロでいきなり踏む「急ブレーキ型のスクラム」が「緊急停止」…つまり、「スクラム」には2種類ある。
・定期点検のときの「ゆっくり停止型」なら、RCICなどのような(補助的な)冷却能力が低い装置でも崩壊熱に対応できる(冷却水の水位もほとんど変動しないから、ECCSは動かす必要がない)。
・3・11では、突然地震が来て、原子炉は「急ブレーキ型スクラム」(緊急停止)をかけた。←→ ところが、その後の冷却装置の使い方は(運転員は)「ゆっくり停止型」をやっている。…これがそもそも間違いなのではないか。→ 急ブレーキをかけたのだから、「ゆっくり停止型」の時より停止直後の崩壊熱は数倍あったはずだ。…それではRCICなどの(補助的な)冷却装置では崩壊熱の冷却が追いつかない。→ 10倍の冷却能力を持つECCSを、その時点で投入すればよかった。…だが、その前に津波が来てしまった。
・2010年6月17日の2号機の「前年事故」では、約30分で2mも冷却水が失われた。ものすごいスピードだ。→ 急ブレーキ型で原子炉が停止したときは、原子炉の熱量が大きいのだから、ゆっくり停止型よりはるかに速いスピードで冷却水が失われる。停止後すぐに水位が下がり始める。…そういうスピード感という教訓を前年事故から学ばなかったのではないだろうか。(※う~ん、「失敗・教訓」から学ぼうとしない組織文化…。東芝もコケタし…)
・(事故調査委員会の検証の甘さ)…事故調はどこも「スクラム」に種類があることを分かっていないのではないかと思える。…東電や政府関係者も「通常停止」と「緊急停止」の違いを曖昧にしたままにしている。そこを見破れないように見える。(※う~ん、これが日本社会の「総合力」の実力か…)
○かつては行われていたECCSの操作訓練
・昔からずっとこうだったわけではない。福島第一原発でも、過去にはECCSがメルトダウン事故を防ぐ炉心冷却の「要」だった。
・(朝日新聞いわき支局編『原発の現場』1980年より)…1979年3月、アメリカのスリーマイル島原発でメルトダウン事故が起きた後、日本政府は原発の「特別保安監査」を実施した。…当時、スリーマイル島原発事故の原因は「人為ミス」と報道されていた。その一つが、作動していたECCSを運転員が間違ってオフにしてしまったことだ。←→ それについて、福島第一原発の運転員たちは、取材にこう反応している…「同じ運転仲間なんだが、原子炉を知らない人が操作したんじゃないか」…あらゆる事故を想定し、訓練、点検を続けている当直員たちにとって、それは「決してあり得ない」事故なのだった。
・この本には、運転員の研修施設で、事故を想定したシミュレーションでECCS操作の訓練が入念に行われることが詳しく書かれている。…あくまでECCS系を主力に冷却の手順が決められ、訓練も繰り返されている。…つまり、1979年の時点では、同じ福島第一原発でECCSを使いながら、訓練を繰り返していた。←→ なぜ、2010年までのいつの時点で、それが変更されたのか。(※この約30年の間に何があったのか…)
○吉田所長の言葉に反応しなかった事故調
・(政府事故調の中間報告での福島第一原発・吉田所長の発言より)
①吉田所長も主戦力ECCSではなく、補助的な冷却装置で原子炉を冷却することを考えていた。…つまりECCSを使わないことは運転員の判断やミスではなく、原発所長が承認し、共有する「組織全体の意思」だった。
②「長時間全交流電源を喪失する事態はない」という前提があった。(※「安全神話」…?)
・政府事故調の基本的な間違い…(「吉田調書」より)
①「なぜECCSを最初から投入せず、補助的な冷却装置から使ったのか」という疑問を投げかけない。
②2ヵ所だけ、吉田所長が「ECCS」「非常用炉心冷却系」という言葉を口にする場面があるが、ここでも政府事故調はまったくその言葉を素通りする。…冷却装置の知識で、明らかに質問者は吉田所長に負けている。(詳細はP85~87)
・東電が原子炉の冷却にECCSを後回しにする手順を決めていたにしても、どうしてそれが国の検査で咎められなかったのだろうか。→ (原発の運転員として勤務経験のある人の話)…「実際に原子炉の水位が下がったときに、ECCSが起動するかどうか」までは、国は検査で確認しない。…性善説が前提であれば、これで官庁検査は成立する(笑い)。しかし世の中には、フォルクスワーゲンの排気ガス検査のように、企業ぐるみで、検査をごまかすことがあるということも事実だ」。(※日本の官庁検査は「性善説」が前提? 要するに甘い…)
○虚構のシナリオで立てられた対策
・(こうした手順の背景を歴史的にたどると)…日本の原発の「安全設計指針」は、スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)の教訓から学ぶことなく、1990年の全面改訂でも「長時間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」などとした。(詳細はP91~93)
・つまり、原発が電源と冷却装置を失っても、短時間(30分以下)で復旧すると考えればよく、その範囲で対策をとればよろしい…と、国がそんな「虚構」にお墨付きを与えている。→ この「30分」という想定には、現実や理論に基づいた根拠がなかった。「とりあえず、そうしておく」という、ただの「慣行」だった。(※う~ん、こうした根拠のない「慣行」は、日本の制度・組織文化の得意ワザ…? そして、一度始めたら止められない…)
・こうした「外部電源喪失は最長30分を想定すればよい」という「30分ルール」が、「原子力ムラの明文化されていない慣習」から、規制当局のお墨付きとして明文化されたのは1993年である。
・(政府事故調の最終報告書によると)…規制当局である原子力安全委員会が、規制対象である電力会社に「電源喪失は30分でいいということにするから、その理由を考えて」と丸投げした。…これは規制当局が電力会社の「虜」つまり「言いなり」になっていたエピソードとして、その後あちこちで引用されている。(※う~ん、この〝丸投げ〟パターンも、日本社会の他の分野にもよくある〝負の文化・体質〟であり、社会の「総合力」を弱めている元凶か…)
・だが、ここには極めて深刻な問題がもう一つ隠されている。…1993年の原子力安全委員会の「30分ルール明文化」は、電力会社にすれば「規制当局が30分で電源が回復するという想定でいいというのだから、その範囲で事故対策を考えればいいのだ」と考える。…(後述するように)電力会社には原子炉の寿命を延ばすために、ECCSのような強力な冷却装置をできるだけ使いたくないという事情がある(※原子炉の稼働期間を延ばすほど、それだけ利益が上がる)。→ ならば、30分で電源が回復するシナリオの中で、ECCSを使わず、原子炉を傷めない冷却をすればよいことになる。→ その結果「ECCSは起動せず、まず能力の低い補助的な冷却装置から使う」という事故対応になった。……そう推論すると、すべてが自然かつ合理的に説明できる。…〔※う~む、原子炉の寿命を延ばそう(経営的動機)として、逆にメルトダウンという世界史的な過酷原発事故を起こしてしまった…?! → 詳細は5章でも〕
・しかしこの視点からも、事故調査委員会や報道はまったく検証を加えない。…政府事故調が打ち出した「規制当局が規制対象の企業に規制内容を作文させるとは何事か」という方向に引きずられ、「30分ルールが事故対策にどんな影響を与えたのか」「それは福島第一原発事故にどうつながったのか」という視点からの検証を欠いている。
○外部電源回復までの30分を超えていた前年事故
・(著者の質問メールに対する東電の回答より)…福島第一原発2号機の「前年事故」での外部電源喪失の時間は33分…30分を超えていた。→ つまり「日本は外部電源の供給が安定しているから、外部電源は30分で必ず回復する」というシナリオ(※安全神話)の前提条件の一角が崩れていた。→ 本来は、電力会社や規制当局はこの時点で「30分で電源が回復するというシナリオは見直したほうがいい」という対策を打つべきだった。
・3・11では、① 地震で送電線が倒壊し、外部電源が(30分どころか)何日も途絶えた。
② その間に津波が来て非常用ディーゼル発電機も水没して「全交流電源喪失事故」となり、
③ さらに直流を失って「全電源喪失」にまで至ってしまった。
……つまり福島第一原発事故は、①「外部電源喪失事故」 → ②「全交流電源喪失事故」 → ③「全電源喪失事故」と、最初は軽かった事故が、連続的に成長していった姿をしている。
・①の時点では、まだ「外部電源喪失事故」が起きたに過ぎなかった。…これは同原発の運転員にとっては「前年事故」で経験したばかりの「経験済み」の事故だったはずである。→ その事実に照らしてみると、「30分で電源回復シナリオ」は「事故が成長する可能性を考えなくていい」と、事故対策に盲点を残した可能性が大きい。…すなわち「ECCSを動かさないで、ひたすら外部電源の回復を待てばよい」という「お墨付き」を与えてしまったのではないか。
〔要点の箇条書き〕
(1)事故時、崩壊熱冷却用の電源が止まっても、30分後には外部電源が回復する。それ以上長時間の電源喪失を想定しなくていい。…そんな虚構の想定を国が1993年に認めていた。
(2)30分間はRCICなどの補助的な冷却装置で冷却しておけばよい。主戦力のECCSを登場させる必要はない。…そんな認識が電力会社に広まった。
(3)「強力なECCSがあっても、どうせ短時間で外部電源が回復するのだから、使わなくてもいい」「冷却にはまず補助用のRCICなどから使う」という事故対応手順を電力会社は定めた。
(4)2010年6月17日の福島第一原発2号機の電源喪失事故(前年事故)は、そのとおりの対応になった。
(5)3・11で地震が発生し津波が到達する間も、その手順書のとおりに福島第一原発の現場は対応した。
(6)ECCSは起動されないまま津波が来た。
……(2)~(5)は著者の推論にすぎないが、こう考えると、起点(1)と終点(6)が自然につながる。
○電力会社がECCSを使いたくないわけ
・電力会社がECCSの使用を避けたいのは、原子炉の寿命を延ばすためだと先に述べた。ECCSを使うと、原子炉の寿命が縮まるのだ(詳細はP98)。…もとより、圧力容器は放射線に長年さらされ続けている。強度がどうなっているのかは未知数である。
・電力会社側には「原子炉の寿命を延ばしたい」という経営上の要請がある。…2000年過ぎから、原発の「運転期間」を延長しようという動きが世界の潮流になっていた。→ 日本でも、40年だった運転期間を60年に延ばそうという「運転期間延長」の申請を原子力規制委員会は受け付けている。
・なぜ延長したがるか…原発の新規の建設が難しくなってきたからだ(※東芝の経営危機の原因の一つと言われている…)。…耐用年数が過ぎた原子炉を廃炉しなくてはならない(※廃炉は費用も手間ひまもかかる厄介なもの…)。→ 原発を減らさず、新規の建設もせずに済ませるには、今ある原発の使用を延長するほかない。
・ECCSを使って熱い炉心に冷水を浴びせる行為は、明らかに原子炉の寿命の延長とは逆行する(詳細はP98)。→ 電力会社には「できるだけECCSは使いたくない」という経営面からの動機がある。←→ しかし、これは安全面からの要請には逆行している。(※う~ん、このジレンマは、原発の隘路であり、根本的な矛盾か…)
・もう一つ、ECCSを使いたくない背景がある。…日本で唯一ECCSが作動した「本物の破断事故」である、1991年2月9日の「美浜原発2号機破断事故」(詳細はP101)のトラウマ。→ 微量ながら大気中に放射性物質が放出された。→ 新聞は一面トップで大騒ぎになり、新聞やテレビには「ECCSが作動するのは大事故」という認識が定着した。→ 電力会社には「ECCSを作動させて大騒ぎになるのはできるだけ避けたい」という動機が生まれた。(※う~ん、事故をなるべく「過小評価」(小さく見せよう)とする動機づけの背景の一つか…)
○「前科」のある2号機の原子炉
・日本でECCSが作動した事故は、過去に5件ある(詳細はP100~101)。…注目すべきは、そのうちの2件(1981年と1992年)が福島第一原発2号機だ、ということ。→ そして2010年の「前年事故」でも、あと45㎝水位が下がっていたら、ECCSが作動して6番目(福島第一原発2号機としては3回目)のECCS事故になっていたはずだ。…これほどECCS事故を繰り返している原子炉は、日本には他に例がない。
・2回もECCSによる「急激な冷却」を経験している2号機は、東京電力にとっては「運転期間の40年から60年への延長」には最も障害になる「前科のある原子炉」だったはずだ。少なくとも2号機では「ECCSを動かすのをためらう」理由は十分にある。
・なお、これらの事故は「5例のうち4例は誤信号、誤作動だった」と記述されている。つまり、自然災害がない、誤信号や誤作動でも、水位低下=「原子炉の空焚きへのよーいドン」は起こりうることが分かる。→ 本来は「なぜ福島第一原発2号機で、かくも頻繁に、原子炉の水位低下を招くような重大な電源の異常が起きるのか」という原因を、遅くとも2010年に起きた事故までに探るべきだった。←→ それはなされないまま、3・11を迎えてしまった。
○なぜ事故対応は変わったのか
・ここまでの検証で、少なくとも1979年から1992年までの間は、「ECCSを起動する」と「事故時運転操作対応手順書」(マニュアル)に決められていたことが分かる。東電も92年の事故対応が手順書に沿っていることを認めている。←→ それが、2010年の前年事故では、ECCSを使わず、補助的なRCICを起動してしのごうとしている。…3・11でも「社内の規定通り」の同じ手順が繰り返された(ECCSを使わなかった)。
・つまり1992年から2010年の18年の間に、事故対応が公式に変わったことが分かる。…それは既述のとおり、「外部電源喪失は最長30分を想定すればよい」という「30分ルール」が、「原子力ムラの明文化されていない慣習」から、1993年に規制当局のお墨付きとして明文化されたために、電力会社は当然、そのシナリオの範囲内で事故対応マニュアルを変更した、と考えるのが自然だろう。
・著者の取材に対して、東電は「これは規定の事故対応手順書のとおりである」と繰り返し強調する。「規制当局が『それでいい』と言ったことに従った」「ゆえに違法性はなく、わが社の責任ではない」と暗に言っている。…それを真に受けたのか、見て見ぬ振りをしたのか、政府事故調の報告はその詳細を不問に付し、「あらかじめ決められた手順に従って、RCICなどを起動した」としつこく記述している。
・しかし、ここで事故調査委員会が問うべきだったのは、「そもそも東電が決めていた事故対応手順は正しかったのか」「間違っていたのなら、その原因、背景は何か」だった。→ しかしこの角度を見落とし、一番肝心の「事故原因の究明」が不発のまま終わっている。
・3・11では、地震から約50分後に津波が来襲し、ディーゼル発電機と配電盤を破壊してしまったため、「30分で電源回復」シナリオは崩壊した。→ 電源を失ってしまうと、もうECCSは起動できない。1時間に1000トンの水を注水できる本来は主役のはずの冷却装置はもう使えない。すべては手遅れになった。→ こうしてせっかくのECCSは使われないまま、原子炉は最悪のコースをたどった。…こう考えていくと、すべてに自然な説明がつく。
・(東電との5回にわたる質疑より)…東電は「なぜECCSを津波が来るまでに起動しなかったのか」「いつ、事故対応マニュアルを変更したのか」の2点に、正面から答えることを避けている。…つまり、情報は出さないが、否定もしない。善意に解釈すれば「本当のことは言わない。が、ウソも言わないようにしている」とも言える。…また「地震後、津波が来る前にECCSを起動しておけば、どうなっていたでしょうか」という核心の質問には「仮定の話には答えない」と回答を拒否している。(※う~む、あれだけの事故を起こしておきながら、この不誠実…! → 詳細はP115~134)
・津波が来る前、まだ直流電源が生きている間にECCSを起動しておけば、その後は原子炉の蒸気で動き続ける。→ 津波が来て電源を全部なくしても、原子炉への注水を続けられた可能性が高い。←→ しかし東電の立場にすれば、政府・国会事故調にも隠した「津波前にECCSを起動しておかなかったことはミス」とは、今になって認めるわけにはいかないだろう。(※一度隠蔽をすると、ウソを重ねざるを得なくなる…)
・(もし著者のこれまでの推論が正しいと仮定するなら)…本来なら、事故調査委員会は、「全電源喪失は30分で回復する」というシナリオの明文化を許した原子力安全委員会のメンバーに、「なぜ全電源喪失が30分で終わるなどという空論を許したのか」と問わなくてはならない。→ またそれを容認した、あるいは見逃した監督官庁(原子力安全・保安院や経産省など)の官僚や政治家職にも同じ質問をしなければならない。…しかし、そうした動きは調査委員会にはない。これは責任者を明確化するという点で、極めて不十分なのではないか。(※「責任者が不明確」というのは、いま都庁でもそのミニチュア版が進行中…)
○ECCSとRCICを両方起動するのが海外のスタンダード
・ここで視点を変えて、全電源喪失事故のときの対応について、海外ではどういう基準を定めているのかを見てみる。
〔米国NRC(原子力規制委員会)の1981年の報告書より〕…アラバマ州ブラウンズ・フェリー原発で1975年に起きた事故(ケーブル火災により炉心冷却が不安定化)を教訓にして作られた安全基準。
① 全電源喪失は4-6時間を想定する。
② 原子炉が緊急停止したら、ECCSとRCICは同時に起動する。
③ 水位が平常に戻ったらECCSを止めてよい。
・要するに「緊急時にはECCSとRCICを両方起動せよ」と言っている。…「火事になったら消防車を呼べ。そして消火器も使え。両方使え」である。ごく常識的な話である。…つまりアメリカでは「原子炉が停止したら、ECCSとRCICは同時に起動しておけ」だが、日本はそうした国際標準の安全対策をしていなかった、ということになる。〔※う~ん、(現政権がよく言うように)どこが「日本の原発の安全基準は世界最高水準」なのか…?〕
・蛇足だが、ほかにも、アメリカの安全基準では備えられていたが、日本では行われていなかった「これさえあれば」という設備はたくさんある。…ex. 全電源喪失時にも、計器を読み取れるよう、8時間持続する移動式の直流バッテリーの設置。あるいは非常用ディーゼル発電機は厳重な水密扉の部屋に設置することなど…。(※う~ん、ほとんど津波の心配がないアメリカの原発に、こうした安全基準があるのに…しかも1981年の時点で…!)
○唯一の冷却装置を誰も使ったことがなかった。
・もう一つ重要な事実を指摘しておく。…福島第一原発の1号機は最も古い型だったため、ECCS以外の冷却装置がIC(非常用復水器)しかなかった。そしてそのICは作動していなかった。→ ところが、誰もそのことに気づかなかった。なぜなら「誰もICを実際に運転した経験がなかった」から。…つまり「誰も使ったことのない道具で、原子炉の冷却という『大火事の消火』をしなくてはならない」という実態だったことが分かる。
・こんな危険な状態が放置されていた。3・11前でも1号機の脆弱性は専門家には明らかだったはずだが、「30分で電源回復」の虚構を誰もが真実であるかのように錯覚してしまった。
・こうした事実を踏まえると、1号機は三つの原子炉の中で最も早く事態が悪化し、メルトダウンと水素爆発に至ったことは不思議でも何でもなく、むしろ当たり前のように思える。→ 1号機は何ら原子炉の冷却ができないまま、メルトダウンまで一直線だった。野球でいえば「ノーヒットノーランの完封負け」だったのである。(※こうした失敗の検証と教訓化もなく、日本の原発は再稼働されつつある…)
・原子力発電所内部の電源(ディーゼル発電機や蓄電池など)と外部からの電源(送電線)が同時に失われるという、3・11で現実に起きた事態はまったく想定されていなかった。→ かくして、1977年から2011年に至るまで、34年間の長きにわたって「長時間の全電源喪失は考慮しなくてよい」「考慮したとしても30分間対応できればよい」という、まったく何の根拠もない「安全基準の穴」が放置され続けていた。→ そして3・11という最悪の結果を迎えた。
(2/24…2章 了)
〔次回の〔中編〕は…【3章】原発黎明期の秘密と無法、【4章】住民軽視はそのまま変わらない…の予定です。→ 3月中の完成を目指します。〕
(2017.2.24)
・昨年の後半に高齢の親族の看取りということがあり、いろいろ忙殺されてだいぶ間が空いてしまった。昨年からサブタイトルを「5年後編」としたが、震災後もうすぐ6年になろうとしている。ここで遅まきながら、もう一度福島原発事故の原点に戻って、「なぜこの事故は起こったのか」そして「この事故は戦後の日本社会にとってどういう意味を持っているのか」ということについて、改めて検証してみたい。世界的な〝激動の年〟あるいは〝混迷の年〟になるだろうと予測されている2017年を、そこから始めてみたい。
『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』
烏賀陽弘道 明石書店2016.3.11
―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題 ―――[前編]
〔烏賀陽(うがや)弘道は(「震災レポート」⑤の『報道災害【原発編】』や⑳の『原発難民』でも取り上げたが)1963年京都市生まれ。フリージャーナリスト。86年京都大卒業後、朝日新聞入社。03年にフリーランスに。…著書に『原発難民』『ヒロシマからフクシマへ』など多数。〕
【まえがき】
〔この本の意図〕
・福島第一原発事故の発生直後から、もう50回前後はフクシマの現地に取材に足を運んだ。また避難民の話を聞くために、福島県外の避難先も訪ね歩いた。
・さらに「一体なぜ、政府や電力会社はこんな失敗をしたのか」という問いの答えを探して、政治家や官僚、学者たちの話を聞いて回り、また彼らの書いた著作を読み、会いに行った。原発関係者にもたくさん会った。事故調査委員会にも取材した。「原発の生まれ故郷」であるアメリカの核施設も取材して歩いた(『ヒロシマからフクシマへ』ビジネス社2013.7.1 参照)。
・そんな作業を5年続けてみると、おぼろげながら一つの像が見えてきた。…この本は、「ポスト・フクシマ」としか言いようのない、長くて暗い現在進行形の時代の、(5年間の取材の成果を一区切りとした)途中経過報告である。
〔取材テーマ〕
(1)フクシマの避難者や被災地はこれからどうなっていくのか。…その事実を後世の歴史のために記録していくこと。
(2)「一体なぜ福島第一原発事故は起きたのか」「なぜ住民避難に失敗したのか」という真相を詰めていくこと。
(3)「事故後、原発事故が起きたときの対策は、住民の安全を守るに足るよう改善されているのか」をウォッチしていくこと。
(※これらはまさにジャーナリストの本質的な役割…)
→ そうやって原発事故をさかのぼって取材していくうちに、福島第一原発事故の遠因は、日本の原発黎明期である1950年代からあったのではないか、という仮説が私の中で芽生えた。……政府が立地基準を定める前に、東電が勝手に自前の津波や地盤の基準で同原発の場所を決めてしまった話(3章)。その後、保険業界などが保険引き受けを拒否するほどの巨大事故を予想していたにもかかわらず、政府はそれをまったく無視、さらに情報を隠蔽してしまった話(同)…。
・こうした過去の事故原因が積み重なった醜悪な集積体が、福島第一原発事故なのではないか。…この本は、その仮説を述べ、根拠を示そうとしている。
・この「原子炉3基がメルトダウン」という世界で類例のない惨事に至った原因について、マスコミ報道や事故調査委員会は「事故後の政府や東電の対応がいかに失敗したか」を解明することに腐心しているが、私には「原因は50年以上さかのぼって存在した」という感触が強くなった。…「50年以上にわたって各人が各所でミスを積み重ねた結果」があの大惨事なのだ。
・しかし、こうした検証を積み重ねるうちに、「日本社会には、原発という巨大なエネルギー源を引き受け、運転していくに足る総合力があるのか」という疑問が膨らみ始めた。
・福島第一原発事故は、日本社会全体が持っている「総合力」or「国力」を計測する絶好のケーススタディだと思われる。…これは、第二次世界大戦(太平洋戦争)の悲惨な敗北が、当時の日本の組織文化や社会文化の欠陥をあぶり出す研究材料になった現象に似ている。(※太平洋戦争の敗北と原発事故とのアナロジー)
・「敗戦体験」では、軍事優先主義や帝国主義、民主主義の否定といった社会・経済・政治上の要因が国の破滅を招いた、という教訓を引き出した(※う~ん、戦後70年を経て、今その「教訓」が危うくなってきている…)。→ 福島第一原発事故という巨大な失敗も、そうやって未来への教訓として「何を改めるべきなのか」を学ぶ材料にしなくてはならない。(※う~ん、これも事故後早や5年にして、あやしくなってきた…)
〔現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥〕
・原発事故の取材を通して、あちこちで現代日本の組織文化や法律・制度の欠陥が姿を現してきた。それらは大ざっぱに三つに分けられる。
(a)組織文化の欠陥
・例:国と都道府県がバラバラに動いていて、制度や法律の実効性を削いでいる。…国の中でも環境省、総務省、経産省などがコーディネートなしにバラバラに動いている。統合性に欠ける、いわゆる「タテ割り行政」(※各々の省益の確保や天下りの斡旋に精出している…)。…また電力会社や政府の情報を公開しない秘密主義もこれに該当する(→ 1,4章)。(※この「情報公開」に関する意識の低さは、日本社会のあらゆる分野に共通する課題だろう。…今のところ「小池都政」は、少なくともこの「情報公開」に関する姿勢については評価できるか…)
(b)法律・行政制度
・例:放射性物質は風に吹かれたチリのようにランダムに飛び散ることが分かっている現在でも、国の住民避難政策は「原発を中心にした真円」の「線」で区切る、という実効性の低い形をとっている。また原発から数キロの至近距離に住民がいても、県境をまたぐと「立地自治体ではない」として稼働の同意対象から外される。(→4章)
(c)ヒューマン・ファクター
・例:原発のメルトダウン動向をほぼ正確に予測していたシミュレーションが計算され、首相官邸にまで届いていたにもかかわらず、誰もその意味や価値を理解できなかった。…一刻を争う事態の中、テレビ放送用に無駄なやらせ閣議を開いた。…緊急事態宣言の決裁を先送りして無駄な会議に中座し時間を浪費した、などのヒューマン・エラー。(→1、4章)
……こうした「組織文化」「法律・行政制度」「ヒューマン・ファクター」の欠陥は、原発事故後5年を経ても、改善された形跡を見出せない。…例:福島第一原発から数キロの距離にあったために、機能不全に陥った司令センター「オフサイトセンター」が、やはり政府の避難指定区域である30キロ圏内に設置・移設されている例が、全国多数ある。→ 未来のいつか、3・11と同じ地震や津波が日本の原発を襲えば、また同じような規模の汚染や被曝が繰り返されるのではないか。
・また、この原発事故に対する「検証能力」にも大きく落胆した(詳細はP9)。そして、そうした事故調査委員会の報告を検証すべき立場にあった新聞やテレビなどの報道機関も、そうした事故調査委員会の欠陥を指摘した形跡がない。
・検証能力を欠いた社会とは、レフリーやジャッジがいないスポーツゲームと同じだ。→ そこには反則や違法がはびこる。…人間のやることから失敗を完全に排除することはできない。しかしいったん失敗が起きたら、徹底的に原因と責任を検証しなければならない。←→ そうしなければまた同じ失敗が繰り返される。→ そんな社会は疲弊し、劣化する。
〔「現在までに、何重のミスが重なっているのか」という層〕
(ア)2011年3月11日に至るまでに、事故の遠因をつくった東京電力や電力業界、規制官庁、政界、学界。
(イ)事故後、被害(主に被曝と汚染)をもっと軽く抑えることができたのに、その方策を取らなかった、あるいは拡大させた電力業界、規制官庁、政界、学界。
(ウ)そうした事故原因を調査・究明するはずの調査委員会。
(エ)同じ事故や被害が繰り返されることがないよう法律や制度を改善するはずの電力業界、規制官庁、政界、学界。
(オ)そうした改善や事故原因の究明がなされているのかを検証する報道。
―→「誰一人その責務を果たせていない」という「総崩れ状態」なのだ。
・原発事故で国土が放射能に汚染され、10万人もの住民が家や故郷を失うというのは、戦争に次ぐ「国難」級のクライシスである。…そこまで来てもなお、電力業界、規制官庁、政界、学界、報道という日本の「ベスト・アンド・ブライテスト」たちが全員エラーを犯し続けている。誰も完全に職責を果たせていない。→ この現実を、私たちは否認することなく、直視する必要がある。その意味をもっと真剣に考えなくてはならない。
・「原発という、事故を起こせば危険だが、得るところも大きい巨大エネルギー源を、どう社会が引き受けていくか」という「社会の総合力」において、事故調査委員会や報道なども立派な当事者なのだ。…「巨大なエネルギー源であるがゆえに、万が一にもミスがないようチェックし、監視し、検証する」社会が担う機能の当事者なのである。
・こうした電力業界、規制官庁、政界、学界から報道までを含めた「社会全体の総合力」が「原発を引き受けるレベルに達しているのか」というテストが、福島第一原発事故だった。→ 日本社会はそのテストに落第したのだ。そして事故後の行動においても、やはり及第点には達していない。→ そして実はこの「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」という現実こそ、日本人がもっとも目を背けたい、否認したい現実なのではないか。
〔福島第一原発事故は終わっていない〕
・2011年3月11日午後7時18分に政府が発した「原子力緊急事態宣言」は、現在も解除されていない。…福島第一原発は「収束」「鎮静化」どころか、火事でいえばまだ火が消えていない状態なのだ。それを政府も認めている。…私たちはまだ、あの「2011年3月11日の暗くて重い夜」の中にいる。
・その間に、被爆した人の数は約23万人、避難を続ける人の数はまだ10万人いる。…大都市近郊の中型都市が一つまるごと消えてしまった計算だ。…(2016年2月現在)税金から支払われる賠償金は5兆8000億円超、除染費用は約5兆円の見通し。(※最近の報道では賠償金はさらに増えて7.9兆円…)
・「福島第一原発事故は終わっていない」どころか、2011年3月11日からずっと続いているのだ。これほど長期間続く事故というものが、人々の理解を超えている、というだけである。
・そして福島第一原発事故には、5年経っても未解決・未解明のまま放置されている事案が多すぎる。…ex.「なぜ冷却装置が使われなかったのか」(→2章)「事故後も実効的な住民避難策の改善が見られない」(→4章)等々…。
〔そして誰もいなくなった〕
・ふと周りを見渡すと、発生直後から5年間、福島第一原発事故を取材し続けている同業者は、社員記者・フリー記者問わずほとんど誰もいなくなってしまった。新聞やテレビはもちろん、週刊誌や月刊誌を見ても、福島第一原発事故は「その他たくさんのニュースの一つ」として埋没している。…私自身「原発ものは広告や営業が嫌がる」と次々に連載を打ち切られ、読者の寄付と自腹を原資に取材に行くという苦境を強いられている。
・(マスコミだけではなく)人々の日常会話でも「原発事故」は「口にするのがためらわれる話題」に変貌しつつある。…日本社会は本格的な「忘却」あるいは「黙殺」の過程に入ったようだ。
・原発から流出した放射性物質が近隣住民を被曝させるという深刻な事態は、人類の歴史で3回しか起きていない(前の2件は米・スリーマイル島事故、旧ソ連・チェルノブイリ事故)。…この急速な国を挙げての忘却は、「驚いた」を通り越して不気味さすら感じる。
〔日本社会の総合力の欠如〕
・やはり「日本社会には原発を引き受け切れる総合力がない」のではないか。→ 日本人はそれを認めたくない。かくも自分たちの社会が劣化してしまったことから、目を背け、否認したい。…そんな無意識が作動しているのではないか。
・しかし、私たちは心に刻まなければならない。日本の原発は、冷却水の取水を河川や湖水ではなく、海水に頼っているので、すべて海岸線上にある(→3章)。言うまでもなく日本列島は世界有数の地震多発地帯であり、しかも、震源地によっては海岸に津波が押し寄せることを避けられない。…我々が福島第一原発事故で目撃した通りである。
・私は原発否定論者ではない。莫大なエネルギーを生む原発は、安全に運転されている限りは有益なエネルギー源のはずである(※う~ん、核廃棄物の最終処分場は…?)。→ 取材で訪れたアメリカには「半径50キロは無人の砂漠」というような人口希薄地帯に原発が設置されていた。…そのくらいの広い国土があれば、日本ほど神経質になる必要がないというのが肌でわかった。(※そして最終処分場には無人の砂漠orアラスカがある…?)
・しかし、日本にはそんな人口希薄地帯はなく、海岸地帯はどこも世界有数の人口過密地である。そこに原子炉が並んでいる。→ 地政学的な判断だけでも、日本が原発を運転し続けるのはきわめてハイリスクと考えざるを得ない。→ そして既述のように、日本社会の総合力は、このリスクを乗り切るには落第点しか取れない。……原発否定論者ではない私が危惧するのは、そういったリスクである。
・この本の内容は(原発の専門家の査読を経ているが)あくまで私の仮説であり、至らない部分が多々あることは承知の上で、社会的議論と、集合知を呼ぶ意味であえて刊行する。→ そうして「2回目のフクシマ」を起こさないことが、私がこのささやかな本に込めた願いである。そして、それこそが、家や故郷を理不尽に奪われた被災者の無念を未来に活かす、唯一の道だと信じている。
(2016年2月 烏賀陽弘道)
(注記:「福島」を「フクシマ」とカタカナ表記するのは一義的には「福島県」「福島市」の混同を避けるためだが、広義には原発事故や汚染が「福島県」という行政区分を超えて汚染が広がった事実を含めて「福島第一原発事故の被害や影響が及んだ空間」を示す概念として「フクシマ」という呼称を用いる。)
【1章】政府内部3・11のロスタイム
○「国は私たちを国民だと思っているんだろうか」
・この章では、東日本大震災当日に政府内部で起きた時間の浪費(ロスタイム)を検証する。…それは、そのロスタイムが、住民避難を遅らせ、被曝を招いたから。→ 福島第一原発事故から学ばなければならない最大の教訓は、この「東京での政府の分単位の遅れが、原発周辺の住民にとっては致命的になる」ことである。→ それらを分析し記録に残すことで、同じ悲劇を繰り返さないための教訓にできる。
・福島第一原発が立地する大熊町(人口約1万1500人)と双葉町(6900人)。…大熊町は、1号機の水素爆発より36分早くすべての町民が脱出できた。一方の双葉町は、脱出が完了したのは爆発から約30分後だった。→ このため、まだ残っていた町民が降ってきた放射性下降物を浴びた。…つまり、約1時間の差が明暗を分けた。…「あと30分避難完了が早ければ、住民の被曝は少なくて済んだ」と考えざるを得ない(詳細はP21)。→ 原発災害では、30分のロスタイムも許されない。私が「地震発生から1号機爆発までの25時間の間の政府のロスタイム」にこだわる理由はここにある。
・(脱出した最後のグループにいた双葉町・井戸川町長の話)…「『ドン』と低い音がしたんです。…その瞬間、何が起きたかわかりました」「もう終わりだ、と思いました」「死を覚悟したんです。今でもそうです。…あそこには若い病院の職員もいた。看護師さんもドクターもいた。まだ300人くらいがいたんです」「国は、私たちを国民だと思っているんだろうか。…まるで明治維新の未完成の部分が今日まだ残っている、みたいな話じゃないですか」(詳細はP21~24)。…双葉町民があと30分早く脱出できていたなら、双葉厚生病院の悲劇は起きなかったことを、もう一度記しておく。
○テレビ用やらせ閣議で30分のロス
・(海江田経産大臣の回顧録&インタビューより)…福島第一原発事故の当日、一度済ませた閣僚の「緊急災害対策本部会議」を、「閣僚の一人」の提案により、テレビカメラ向けにやり直し、「移動も含めて約30分の時間」を無駄にした。…つまり、テレビ報道のカメラに収録されるために、メモという台本を読み上げ、すでに終わった会議をフリだけやって見せた。
・どの「閣僚」がやらせ会議を提案したのか、という著者の質問に対して、海江田氏は「言えない」として言明を避けたが、著者はその「閣僚」を菅直人総理と推論している。→ 菅元総理にも取材を申し込んだが、応答はなかった、という。(詳細はP24~30)
○保安院内で海江田氏に「15条通報」が伝わるまで50分
・原発事故の情報伝達にまつわる行政と法律の仕組み。…甚大な原発事故の発災 → 「原子力災害対策特別措置法」が作動 → この時点から、周辺の住民の避難は東京の「国」政府の責任になる。…住民の強制避難やある区域の封鎖、移動の制限など居住や移動の自由、私有財産の部分的な制限が必要になる。また地方自治の原則を一部停止して、都道府県に指示を出すこともある。→ そうした権限=権力の行使のために、総理大臣を長にして、政府組織を臨時に改編する。この司令部を「原子力災害特別対策本部」という。…こうした国権の発動のための根拠法が「原子力災害対策特別措置法」。(詳細はP30~31)
・原発がすべての冷却用電源を失ったとき(全電源喪失)、電気事業者は政府に通報しなければならない、という法的義務がある…「15条通報」。→ 逆に言うと、15条通報が政府に届き「原子力災害特別対策本部」が結成されないと、避難を命じる法律的な主体が出現しないので、住民の避難は始められない。
・ところが、福島第一原発から原子力安全・保安院に15条通報が届いてから、海江田経産大臣に(経産省の中を)連絡が届くまで、50分もかかっている。(詳細はP31~40)
〔※遅れた要因は、各担当部署の〝未経験・未想定〟の事態によるミスやロスと、一刻を争う緊急事態のさ中に「起草・校正・校閲」という生真面目な文書主義によるものとされ、やはりここにも、日本の原発の「安全神話」による、「過酷事故」に対する備えの甘さが見てとれる…〕
○菅総理、非常事態宣言を了承しないまま党首会談へ
・(「海江田ノート」によれば)…海江田通産大臣が、菅総理に非常事態宣言発令を上申すると、菅総理は「チェルノブイリ級の原発事故」と認めることに躊躇し、また寺坂保安院長が事務官僚(経済学部出身)で技術的な質問に答えられないのに怒り、さらに法的な根拠を尋ねて、その場にいた政府スタッフたちが『緊急事態関係法令集』を調べ出し…そうこうするうちに、菅総理は、(原子力緊急事態宣言の発令を了承しないまま)予定されていた与野党の党首会談に行ってしまった。(※う~ん、これがこの国の「危機管理の総合力」か…)
・繰り返すが、総理が了承しないと、原子力緊急事態宣言は発令されない。原子力災害特別対策本部も発足しない。つまり住民避難を始めることができない。→ 結局、福島第一原発から原子力安全・保安院に15条通報のファックスが到着してから原子力緊急事態宣言が発令されるまでに2時間18分。→ 翌12日、双葉厚生病院に取り残されていた井戸川町長はじめ、約300人の患者や職員がわずか30分差で脱出が間に合わず、放射性降下物を浴びてしまったことを思い出してほしい。…この「政府内」の2時間18分のロスは痛恨である。(詳細はP41~43)
○事故に生かされなかった訓練の教訓
・菅総理による1時間21分のロスは、非常に不思議に見えた。というのは、菅総理は2010年10月に今回の福島第一原発事故と同様の想定をした「原子力防災総合訓練」に参加し、「15条通報 → 原子力緊急事態宣言発令」の手順を一度練習し、その時は経産大臣の上申書を受けてから緊急事態宣言まで、わずか57秒しかかかっていない。…つまり、この訓練の教訓はまったく本番で生かされていない。
・このことについて、菅元総理の著書『東電福島原発事故』(「震災レポート⑳」参照)を検証してみると、その記述には「住民避難」の観点が抜けている。……地震が発生した後の政府当局者の小さなロスタイムの積み重ねが、最後は雪だるま式に膨れ上がって住民避難の遅れになった。←→ しかし、こうしたロスタイムについて、当事者たちの責任感は薄い。そして、彼らの証言を取材していく中で気づいたのは、その多くが「3月12日の水素爆発の時点で、30分差で逃げ遅れた人たちが双葉町に約300人いた」という事実を、彼らは知らなかったことだ。
・福島第一原発事故は巨大な事故である。当事者たちも、それぞれの担当や持ち場、その周辺での事実を知っているにすぎない。…事故の全体像を把握している人がほとんどいないのだ。→ よって「自分の持ち場で起きた何分かのロスタイムが積もり積もって、住民が逃げ遅れた」という全体像に気づくこともほとんどない。…政府・国会・民間など各事故調をはじめ、報道にもそうした原発周辺にいた住民の観点からの分析や追及は見つからない。
○崩壊熱の危険を伝えなかった保安院次長
・2ヵ月前に経産大臣に就任したばかりだった海江田氏は、原発事故に関する「予備知識」がなかったと考えるのが自然だろう。→ 事実、海江田大臣は、平岡原子力安全・保安院次長が原子力緊急事態宣言の上申書を持って来るまでは、「原発が深刻な事態になっている」と認識していなかったという。→ 従って、経産省の対策会議では、むしろ原発のことよりも、これから起こる大規模停電と、コンビナートの火災をどうするかという話が、主に優先的な課題だった、と著者のインタビューに答えている。
・平岡次長はなぜ、原発が最悪の事態になる前に、もっと早く原発の危険な状態について海江田大臣に知らせなかったのだろうか。…その後異動を繰り返して環境省審議官になっていた平岡氏に取材を申し込んだが、「もう原子力安全・保安院次長ではないので」という理由で断られた(詳細はP47~49)。〔※う~ん、日本の官僚組織の「たらい回し人事」の無責任さか…最近話題の都庁も、そのミニチュア版…?〕
○ベント決定から実施まで5時間もかかった理由
・その後、翌日12日午後3時36分に1号機が水素爆発するまでには、まだ様々なロスタイムが発生している。…その一つが、3月12日午前6時半、海江田経産大臣が東電に1,2号機のベントの措置命令を出すまでの過程。(「ベント」…原子炉や格納容器の破裂を防ぐために、圧力が高まった格納容器内部の空気を大気に放出して圧力を下げる作業)
・ベントをすれば、放射能を帯びた気体が大気に放たれる。→ 前もって周辺の住民を避難させなければ被曝してしまう。…日本の原発でベントが行われるのは初めてだった。
・しかし、ここでも官邸側と東電(連絡役として武黒一郎フェロー)との間で、ミスコミュニケーションが何度も繰り返されている。
(福山官房副長官の回顧録『原発危機 官邸からの証言』より)…官邸にいる武黒フェローは、福島第一原発現地と直接連絡を取っていたのではなく、東電本店(東京・日比谷)に問い合わせていただけだった。…原発 → 本店 → 武黒フェロー と伝言ゲームの介在者が増えていた。→ 情報源不明=信憑性不明の情報がそのまま流通、その結果ミスコミュニケーションが多発して、時間が空転した。(詳細はP50~52)
○SPEEDI以外のシステムが事故の進展を予測していた
・こうした時間の空転について取材を進めて気づいた。…政府内の関係者は一様に「そのとき原子炉の中がどうなっていたのかは分からなかった」「メルトダウンが進行しているとは分からなかった」「分かったのは、ずっと後だった」(だから仕方なかった)という弁明を話したり書いたりしている。←→ しかしこれは事実ではない。福島第一原発の推移について、かなり正確に予測したデータが計算され、ちゃんと首相官邸に届いていたからだ。
・(福山官房副長官の回顧録より)…(2011年3月)11日午後10時44分、保安院が「福島第一2号機の今後の進展について」と題するペーパーを官邸の危機管理センターに報告した。それはプラント解析システムによって今後、2号機がどうなっていくのかを予測していた。…22:50 炉心露出 23:50 燃料被覆管破損 24:50 燃料溶融(※メルトダウン!) 27:20 原子炉格納容器設計最高圧到達…
・現場に近づけないような原発の過酷事故に備えて、ERSSという原子炉のモニタリングシステムがあり、それをSPEEDIという事故シミュレーションのシステムに出力して、避難を決めることになっていた。…「それがうまく作動しなかった」(班目原子力安全委員長の国会事故調での証言)。→ これを受けて、事故後発足した原子力規制委員会も「避難の指針にSPEEDIを使わない」と表明している。
・しかし「事故に備えたシステムが事故でダウンする」という話は、よく考えればおかしい。何かフェイルセーフ(安全装置)があるはずではないのか。→ 取材してみると、ちゃんとあった。…こうした原子炉から直接データを取るシステムがダウンした場合に備えて、「プラント挙動解析システム」(PBS)という原発事故のシミュレーションソフトが用意されていた。…これはほとんど報道されていない。(PBS=Plant Behavior System)
・アメリカで1960~70年代に行われた原子炉の破壊実験のデータからプログラムを組んだアルゴリズムに、日本の全原発・全原子炉ごとの固有データを組み合わせてある。→ DVD-ROMに収められ、通常のノートパソコンがあれば計算できる。(→詳細は5章で)
・福島第一原発事故でもPBSは正常に作動し、前述のような事故予測を官邸に届けていた。…つまり、報告が届いて6分後には炉心の水が蒸発して燃料棒が露出 → 空焚きが始まり、1時間後にはジルコニウム被膜が溶ける → 水素が発生する → 爆発の可能性が生じる。2時間後にはメルトダウンが始まる。…はっきりそう書かれている。つまり「今から約2時間後に炉心はメルトダウンする」と告げているのだ。
・しかし、海江田大臣も福山官房副長官も、PBS予測の重要性を理解していた形跡がなく、聞き流してしまう。首相官邸の政治家も原子力安全・保安院の官僚、東電幹部も、このシミュレーションの重要性を誰も理解していなかった可能性が高い。少なくとも「これは大変なことじゃないのか」と注意を喚起した形跡がない。→ このPBSシミュレーションは首相官邸から報道発表され、当時の新聞にも数行だけ記事が出ている。しかしその真の意味を見抜いた報道記事も見当たらない。(※う~ん、日本社会のほとんどが、原発事故に対して認識不足、準備不足であり、総合力がない…)
・(政府内部にいた人々を複数取材する過程で気づいたこと)…当時の彼らにはまだ「原発事故はどれくらいのスピードで進行するのか」という「時間感覚」がない。…「原発事故など初めての経験だからやむを得ない」という弁明を何度も聞いた。←→ しかし、だからこそ、そうした「原発事故の時間感覚」を知るためにPBSが開発され、備えてあったのだ(→ 5章で詳述)。…その意味を理解し、対策に反映させた形跡がまったくない。→ 結局、2号機は4日後の3月15日早朝、大きな音と振動がして圧力容器の圧力がゼロになった(つまり穴やクラックが生じた可能性が高い)。→ 高濃度の放射性物質が漏れ出し、北西に流れて飯舘村や南相馬市を汚染した放射性雲はこの時に流れ出た。
○保安院の平岡次長は重要な情報を伝えなかった
・これらの原発事故の対応について、(総理や官房長官、経産大臣など政治家職が気がつかなくても)平岡次長や班目委員長らにとってはまさにこの分野が、長年取り組んでいる「専門」のはずである。←→ だが、適切な助言をせず、逆に前述のとおり原発事故の進行を楽観的、過少に評価したり、本当の危機的な部分の情報を省いた情報を政治家職に知らせている。(詳細はP55~57)
・とくに平岡次長は原発の安全や防災を担当する官庁のナンバー2でありながら、自分が属する組織の長への情報伝達にも、首相官邸への情報伝達にも失敗している。なぜこれほどの失態が重なったのか……平岡次長が取材を拒否しているので、真相は分からないままである。(※平岡氏は、今は環境省からまた経産省に戻っているそう…)
【2章】使われなかった緊急冷却装置
〔※この章は、技術的に複雑で専門的なことまでよく取材されて書かれているが、枚数の関係で簡略にまとめざるを得ない。→ 詳細は原本を参照されたい。〕
○主力の緊急炉心冷却装置ECCS(Emergency Core Cooling System)
・原子炉3基がメルトダウンする深刻な事態になった福島第一原発事故の原因について、四つの事故調査委員会(政府、国会、東電、民間)が素通りしたままの大きな盲点が残っている。しかもそれは、原発関係者の間では「もっとも致命的な人為的ミスなのではないか」と指摘されている問題。→ それは「地震が発生してから津波が到達するまでの約50分間起動しておくべきだった原子炉の冷却装置を起動しなかった」という可能性である。
・福島第一原発は地震の揺れを検知して自動停止した。→ しかし、フル出力で運転していたので、余熱が大きい。それに加えて、核分裂が止まった後も燃料棒の生成物は高熱の「崩壊熱」を出し続ける。→ 水を入れて冷却を続けないと、(原子炉の運転は止まっていても)崩壊熱で燃料棒が溶け落ちて「メルトダウン」に至る。…電源が途絶えると、冷却装置が働かず、燃料棒が加熱して溶ける。…現実はその通りになった。
・こうした崩壊熱を冷やし、高温の原子炉を冷ます主力装置として「緊急炉心冷却装置」(ECCS)がある。…直流電源で起動し、(あとは電源がなくても)原子炉の蒸気で動き続ける。→ しかし、この緊急炉心冷却装置(ECCS)は、福島第一原発事故では使われないまま終わった。(詳細はP61~62)
○福島事故の9ヵ月前に起きていた深刻な事故
・メルトダウンに至るような「最悪の事故」が進行しているのに、なぜ津波が来る前に、せっかくの主力の冷却装置・ECCSを起動しておかなかったのか。…ここが説明されなければ、本当の事故原因の解明にはならないのに、今も素通りになっている。
・「なぜ主役の冷却装置は使われなかったのか」という疑問の手がかりを探していて、3・11福島事故のわずか9ヵ月前に、同じ福島第一原発2号機が深刻な事故(一時的に全電源を喪失)を起こしていたことを見つけた。…この2号機は、2011年3月15日に高濃度の放射性物質漏れを起こし、全村避難になった飯舘村をはじめ、広範囲の汚染を引き起こした「主犯」である。←→ だが重大な事故にもかかわらず、当時はこの事故そのものが、ほんの短い記事でしか報道されなかった。(詳細はP64~70)
・アメリカの原発では、ハリケーンが頭上を通過する際には、あらかじめ非常用ディーゼル発電機を起動して、非常用電源に電力を供給しておく。常用電源は送電線につないでおく。…外部電源が途絶えた時も、非常用電源への電源供給をあらかじめ確保しておくためだ。(※う~ん、アメリカの原発では非常時への備えは、日本の原発より周到ということか…)
・しかし福島第一原発2号機での「前年事故」では、この非常用ディーゼル発電機へのつなぎ替えに失敗し、全電源喪失状態になった。→ そして、冷却水が蒸発して水位が低下するという非常事態になっても、「主戦力」であるECCSは使わず、性能が劣る補助用の冷却装置(RCIC 原子炉隔離時冷却系)しか使っていない。…3・11ではこれと同じ手順が踏まれている。
○津波が来る前からECCSを起動できたはず
・3・11事故の場合…地震で送電線が倒れ、外部電源は途絶えたが、まだ津波の襲来は受けず、非常用ディーゼル発電機は生きていた。→ しかし、なぜか運転員は(主戦力の緊急炉心冷却装置・ECCSを起動せず)、補助的な冷却装置だけ起動している。(詳細はP72~73)
・なぜ「主戦力の冷却装置ではなく、補助の冷却装置から使い始める」という手順が、前年事故でも3・11事故でも、全く同じなのか。→ いろいろ調べてみると、この手順が(運転員が間違えたのではなく)「あらかじめ定められた手続き」だった、という記述が出てきた…(3・11事故について政府事故調の「中間報告書」P80)…(詳細はP73~74)
・つまり、震度6の東日本大震災の揺れが襲来するという「非常事態」においてなお、福島第一原発の運転員は、地震も何もなかった「平時」の前年事故とまったく同じ原子炉冷却の手順を踏んだ。…これがミスの始まりだったのではないか。
○専門家も首をかしげる手順のおかしさ
・「なぜ最初から、より冷却性能の高いECCSを使わなかったのか」…これに対し東電は、「地震から50分後には津波が来てすべての電源を破壊してしまったので、どのみちECCSも使えなかった」という説明をし、3事故調の報告もそれをそのまま繰り返している。←→ しかし、これはおかしい。…ECCSは、起動こそ電源が必要だが、いったん動くと、原子炉の圧力を使って動き続けるからだ。→ 津波で電源を失う前に起動しておけば、その後も原子炉の蒸気で動いたはずだ。(※つまり非常時のバックアップとして、そのように備えてあった…)
・このことは、アメリカの原子力監督庁であるNRC(原子力規制委員会)の定義にも、はっきりと書かれている(P76に烏賀陽の訳文あり)。…また、いったん起動すれば、ECCSが原子炉の蒸気で動くことは、3・11事故で3号機が証明している。…3号機の直流電源盤は浸水を免れたので、津波後もECCSが直流電源で起動できる状態にあった。→ そのECCSが幸運にも偶然自動起動し、約14時間動き続けた。→ しかし、この幸運に恵まれた3号機も、13日午前2時42分、ECCSの破損を恐れた運転員が手動で停止してしまった。→ 結局、冷却装置が何もない状態になり、13日午前11時1分に3号機は水素爆発に至る。
・「もし主戦力であるECCSを津波が来る前に起動していたら、その後の展開はどうなっていたのか」…元四国電力社員の松野元さん(原発事故の防災専門家で伊方原発の勤務経験もあり。…5章にも登場)に意見を聞いた。
(松野)…「もし津波が来る前にECCSを起動しておいて、能力の高いECCSから使っていたら、メルトダウンにまでは至っていなかったと思う。ただの外部電源喪失事故で終わっていた可能性が高い」「ECCSは起動には直流電源が必要だが、いったん起動したら原子炉の蒸気で動く」「(もし福島第一原発事故の現場にいたら)ECCSを使って圧力が下がったら、(補助的で低圧でも動く)RCICに引き継ぐ。最後はディーゼル駆動ポンプの消火ポンプで注水していく。将棋でいえば能力の高い順に飛車、角、金銀、桂馬と使っていくのが鉄則だと思う。」(詳細はP75~78)
○スクラムには「通常停止」と「緊急停止」の2種類ある
・〔なぜ前年事故でも3・11事故でも、東電や福島第一原発の現場が、ECCSを後回しにして、性能が劣るRCICなどの補助的な冷却装置から使っているのか…その理由や背景についての松野氏の見解〕……日本の原発では、通常運転のフル出力のまま「スクラム」(制御棒を原子炉に入れて停止させること)させることは滅多にない。ほとんどの原子力研究者が知っている「スクラム」は、毎年の定期点検の前に原子炉を停止するための通常のスクラム。→ 段階的に出力を下げ(通常運転の出力の15%程度まで)、崩壊熱を低下させながらゆっくりかけるスクラム(自動車のブレーキに例えると、時速100キロの高速運転からいきなり急ブレーキを踏むのではなく、15キロまで速度を徐々に落としてから最後のブレーキを踏んで止める)。…この定期点検のときの「ゆっくり停止型のスクラム」が「通常停止」。←→ 反対に、時速100キロでいきなり踏む「急ブレーキ型のスクラム」が「緊急停止」…つまり、「スクラム」には2種類ある。
・定期点検のときの「ゆっくり停止型」なら、RCICなどのような(補助的な)冷却能力が低い装置でも崩壊熱に対応できる(冷却水の水位もほとんど変動しないから、ECCSは動かす必要がない)。
・3・11では、突然地震が来て、原子炉は「急ブレーキ型スクラム」(緊急停止)をかけた。←→ ところが、その後の冷却装置の使い方は(運転員は)「ゆっくり停止型」をやっている。…これがそもそも間違いなのではないか。→ 急ブレーキをかけたのだから、「ゆっくり停止型」の時より停止直後の崩壊熱は数倍あったはずだ。…それではRCICなどの(補助的な)冷却装置では崩壊熱の冷却が追いつかない。→ 10倍の冷却能力を持つECCSを、その時点で投入すればよかった。…だが、その前に津波が来てしまった。
・2010年6月17日の2号機の「前年事故」では、約30分で2mも冷却水が失われた。ものすごいスピードだ。→ 急ブレーキ型で原子炉が停止したときは、原子炉の熱量が大きいのだから、ゆっくり停止型よりはるかに速いスピードで冷却水が失われる。停止後すぐに水位が下がり始める。…そういうスピード感という教訓を前年事故から学ばなかったのではないだろうか。(※う~ん、「失敗・教訓」から学ぼうとしない組織文化…。東芝もコケタし…)
・(事故調査委員会の検証の甘さ)…事故調はどこも「スクラム」に種類があることを分かっていないのではないかと思える。…東電や政府関係者も「通常停止」と「緊急停止」の違いを曖昧にしたままにしている。そこを見破れないように見える。(※う~ん、これが日本社会の「総合力」の実力か…)
○かつては行われていたECCSの操作訓練
・昔からずっとこうだったわけではない。福島第一原発でも、過去にはECCSがメルトダウン事故を防ぐ炉心冷却の「要」だった。
・(朝日新聞いわき支局編『原発の現場』1980年より)…1979年3月、アメリカのスリーマイル島原発でメルトダウン事故が起きた後、日本政府は原発の「特別保安監査」を実施した。…当時、スリーマイル島原発事故の原因は「人為ミス」と報道されていた。その一つが、作動していたECCSを運転員が間違ってオフにしてしまったことだ。←→ それについて、福島第一原発の運転員たちは、取材にこう反応している…「同じ運転仲間なんだが、原子炉を知らない人が操作したんじゃないか」…あらゆる事故を想定し、訓練、点検を続けている当直員たちにとって、それは「決してあり得ない」事故なのだった。
・この本には、運転員の研修施設で、事故を想定したシミュレーションでECCS操作の訓練が入念に行われることが詳しく書かれている。…あくまでECCS系を主力に冷却の手順が決められ、訓練も繰り返されている。…つまり、1979年の時点では、同じ福島第一原発でECCSを使いながら、訓練を繰り返していた。←→ なぜ、2010年までのいつの時点で、それが変更されたのか。(※この約30年の間に何があったのか…)
○吉田所長の言葉に反応しなかった事故調
・(政府事故調の中間報告での福島第一原発・吉田所長の発言より)
①吉田所長も主戦力ECCSではなく、補助的な冷却装置で原子炉を冷却することを考えていた。…つまりECCSを使わないことは運転員の判断やミスではなく、原発所長が承認し、共有する「組織全体の意思」だった。
②「長時間全交流電源を喪失する事態はない」という前提があった。(※「安全神話」…?)
・政府事故調の基本的な間違い…(「吉田調書」より)
①「なぜECCSを最初から投入せず、補助的な冷却装置から使ったのか」という疑問を投げかけない。
②2ヵ所だけ、吉田所長が「ECCS」「非常用炉心冷却系」という言葉を口にする場面があるが、ここでも政府事故調はまったくその言葉を素通りする。…冷却装置の知識で、明らかに質問者は吉田所長に負けている。(詳細はP85~87)
・東電が原子炉の冷却にECCSを後回しにする手順を決めていたにしても、どうしてそれが国の検査で咎められなかったのだろうか。→ (原発の運転員として勤務経験のある人の話)…「実際に原子炉の水位が下がったときに、ECCSが起動するかどうか」までは、国は検査で確認しない。…性善説が前提であれば、これで官庁検査は成立する(笑い)。しかし世の中には、フォルクスワーゲンの排気ガス検査のように、企業ぐるみで、検査をごまかすことがあるということも事実だ」。(※日本の官庁検査は「性善説」が前提? 要するに甘い…)
○虚構のシナリオで立てられた対策
・(こうした手順の背景を歴史的にたどると)…日本の原発の「安全設計指針」は、スリーマイル島原発事故(1979年)やチェルノブイリ原発事故(1986年)の教訓から学ぶことなく、1990年の全面改訂でも「長時間にわたる全交流動力電源喪失は、送電線の復旧又は非常用交流電源設備の修復が期待できるので考慮する必要はない」などとした。(詳細はP91~93)
・つまり、原発が電源と冷却装置を失っても、短時間(30分以下)で復旧すると考えればよく、その範囲で対策をとればよろしい…と、国がそんな「虚構」にお墨付きを与えている。→ この「30分」という想定には、現実や理論に基づいた根拠がなかった。「とりあえず、そうしておく」という、ただの「慣行」だった。(※う~ん、こうした根拠のない「慣行」は、日本の制度・組織文化の得意ワザ…? そして、一度始めたら止められない…)
・こうした「外部電源喪失は最長30分を想定すればよい」という「30分ルール」が、「原子力ムラの明文化されていない慣習」から、規制当局のお墨付きとして明文化されたのは1993年である。
・(政府事故調の最終報告書によると)…規制当局である原子力安全委員会が、規制対象である電力会社に「電源喪失は30分でいいということにするから、その理由を考えて」と丸投げした。…これは規制当局が電力会社の「虜」つまり「言いなり」になっていたエピソードとして、その後あちこちで引用されている。(※う~ん、この〝丸投げ〟パターンも、日本社会の他の分野にもよくある〝負の文化・体質〟であり、社会の「総合力」を弱めている元凶か…)
・だが、ここには極めて深刻な問題がもう一つ隠されている。…1993年の原子力安全委員会の「30分ルール明文化」は、電力会社にすれば「規制当局が30分で電源が回復するという想定でいいというのだから、その範囲で事故対策を考えればいいのだ」と考える。…(後述するように)電力会社には原子炉の寿命を延ばすために、ECCSのような強力な冷却装置をできるだけ使いたくないという事情がある(※原子炉の稼働期間を延ばすほど、それだけ利益が上がる)。→ ならば、30分で電源が回復するシナリオの中で、ECCSを使わず、原子炉を傷めない冷却をすればよいことになる。→ その結果「ECCSは起動せず、まず能力の低い補助的な冷却装置から使う」という事故対応になった。……そう推論すると、すべてが自然かつ合理的に説明できる。…〔※う~む、原子炉の寿命を延ばそう(経営的動機)として、逆にメルトダウンという世界史的な過酷原発事故を起こしてしまった…?! → 詳細は5章でも〕
・しかしこの視点からも、事故調査委員会や報道はまったく検証を加えない。…政府事故調が打ち出した「規制当局が規制対象の企業に規制内容を作文させるとは何事か」という方向に引きずられ、「30分ルールが事故対策にどんな影響を与えたのか」「それは福島第一原発事故にどうつながったのか」という視点からの検証を欠いている。
○外部電源回復までの30分を超えていた前年事故
・(著者の質問メールに対する東電の回答より)…福島第一原発2号機の「前年事故」での外部電源喪失の時間は33分…30分を超えていた。→ つまり「日本は外部電源の供給が安定しているから、外部電源は30分で必ず回復する」というシナリオ(※安全神話)の前提条件の一角が崩れていた。→ 本来は、電力会社や規制当局はこの時点で「30分で電源が回復するというシナリオは見直したほうがいい」という対策を打つべきだった。
・3・11では、① 地震で送電線が倒壊し、外部電源が(30分どころか)何日も途絶えた。
② その間に津波が来て非常用ディーゼル発電機も水没して「全交流電源喪失事故」となり、
③ さらに直流を失って「全電源喪失」にまで至ってしまった。
……つまり福島第一原発事故は、①「外部電源喪失事故」 → ②「全交流電源喪失事故」 → ③「全電源喪失事故」と、最初は軽かった事故が、連続的に成長していった姿をしている。
・①の時点では、まだ「外部電源喪失事故」が起きたに過ぎなかった。…これは同原発の運転員にとっては「前年事故」で経験したばかりの「経験済み」の事故だったはずである。→ その事実に照らしてみると、「30分で電源回復シナリオ」は「事故が成長する可能性を考えなくていい」と、事故対策に盲点を残した可能性が大きい。…すなわち「ECCSを動かさないで、ひたすら外部電源の回復を待てばよい」という「お墨付き」を与えてしまったのではないか。
〔要点の箇条書き〕
(1)事故時、崩壊熱冷却用の電源が止まっても、30分後には外部電源が回復する。それ以上長時間の電源喪失を想定しなくていい。…そんな虚構の想定を国が1993年に認めていた。
(2)30分間はRCICなどの補助的な冷却装置で冷却しておけばよい。主戦力のECCSを登場させる必要はない。…そんな認識が電力会社に広まった。
(3)「強力なECCSがあっても、どうせ短時間で外部電源が回復するのだから、使わなくてもいい」「冷却にはまず補助用のRCICなどから使う」という事故対応手順を電力会社は定めた。
(4)2010年6月17日の福島第一原発2号機の電源喪失事故(前年事故)は、そのとおりの対応になった。
(5)3・11で地震が発生し津波が到達する間も、その手順書のとおりに福島第一原発の現場は対応した。
(6)ECCSは起動されないまま津波が来た。
……(2)~(5)は著者の推論にすぎないが、こう考えると、起点(1)と終点(6)が自然につながる。
○電力会社がECCSを使いたくないわけ
・電力会社がECCSの使用を避けたいのは、原子炉の寿命を延ばすためだと先に述べた。ECCSを使うと、原子炉の寿命が縮まるのだ(詳細はP98)。…もとより、圧力容器は放射線に長年さらされ続けている。強度がどうなっているのかは未知数である。
・電力会社側には「原子炉の寿命を延ばしたい」という経営上の要請がある。…2000年過ぎから、原発の「運転期間」を延長しようという動きが世界の潮流になっていた。→ 日本でも、40年だった運転期間を60年に延ばそうという「運転期間延長」の申請を原子力規制委員会は受け付けている。
・なぜ延長したがるか…原発の新規の建設が難しくなってきたからだ(※東芝の経営危機の原因の一つと言われている…)。…耐用年数が過ぎた原子炉を廃炉しなくてはならない(※廃炉は費用も手間ひまもかかる厄介なもの…)。→ 原発を減らさず、新規の建設もせずに済ませるには、今ある原発の使用を延長するほかない。
・ECCSを使って熱い炉心に冷水を浴びせる行為は、明らかに原子炉の寿命の延長とは逆行する(詳細はP98)。→ 電力会社には「できるだけECCSは使いたくない」という経営面からの動機がある。←→ しかし、これは安全面からの要請には逆行している。(※う~ん、このジレンマは、原発の隘路であり、根本的な矛盾か…)
・もう一つ、ECCSを使いたくない背景がある。…日本で唯一ECCSが作動した「本物の破断事故」である、1991年2月9日の「美浜原発2号機破断事故」(詳細はP101)のトラウマ。→ 微量ながら大気中に放射性物質が放出された。→ 新聞は一面トップで大騒ぎになり、新聞やテレビには「ECCSが作動するのは大事故」という認識が定着した。→ 電力会社には「ECCSを作動させて大騒ぎになるのはできるだけ避けたい」という動機が生まれた。(※う~ん、事故をなるべく「過小評価」(小さく見せよう)とする動機づけの背景の一つか…)
○「前科」のある2号機の原子炉
・日本でECCSが作動した事故は、過去に5件ある(詳細はP100~101)。…注目すべきは、そのうちの2件(1981年と1992年)が福島第一原発2号機だ、ということ。→ そして2010年の「前年事故」でも、あと45㎝水位が下がっていたら、ECCSが作動して6番目(福島第一原発2号機としては3回目)のECCS事故になっていたはずだ。…これほどECCS事故を繰り返している原子炉は、日本には他に例がない。
・2回もECCSによる「急激な冷却」を経験している2号機は、東京電力にとっては「運転期間の40年から60年への延長」には最も障害になる「前科のある原子炉」だったはずだ。少なくとも2号機では「ECCSを動かすのをためらう」理由は十分にある。
・なお、これらの事故は「5例のうち4例は誤信号、誤作動だった」と記述されている。つまり、自然災害がない、誤信号や誤作動でも、水位低下=「原子炉の空焚きへのよーいドン」は起こりうることが分かる。→ 本来は「なぜ福島第一原発2号機で、かくも頻繁に、原子炉の水位低下を招くような重大な電源の異常が起きるのか」という原因を、遅くとも2010年に起きた事故までに探るべきだった。←→ それはなされないまま、3・11を迎えてしまった。
○なぜ事故対応は変わったのか
・ここまでの検証で、少なくとも1979年から1992年までの間は、「ECCSを起動する」と「事故時運転操作対応手順書」(マニュアル)に決められていたことが分かる。東電も92年の事故対応が手順書に沿っていることを認めている。←→ それが、2010年の前年事故では、ECCSを使わず、補助的なRCICを起動してしのごうとしている。…3・11でも「社内の規定通り」の同じ手順が繰り返された(ECCSを使わなかった)。
・つまり1992年から2010年の18年の間に、事故対応が公式に変わったことが分かる。…それは既述のとおり、「外部電源喪失は最長30分を想定すればよい」という「30分ルール」が、「原子力ムラの明文化されていない慣習」から、1993年に規制当局のお墨付きとして明文化されたために、電力会社は当然、そのシナリオの範囲内で事故対応マニュアルを変更した、と考えるのが自然だろう。
・著者の取材に対して、東電は「これは規定の事故対応手順書のとおりである」と繰り返し強調する。「規制当局が『それでいい』と言ったことに従った」「ゆえに違法性はなく、わが社の責任ではない」と暗に言っている。…それを真に受けたのか、見て見ぬ振りをしたのか、政府事故調の報告はその詳細を不問に付し、「あらかじめ決められた手順に従って、RCICなどを起動した」としつこく記述している。
・しかし、ここで事故調査委員会が問うべきだったのは、「そもそも東電が決めていた事故対応手順は正しかったのか」「間違っていたのなら、その原因、背景は何か」だった。→ しかしこの角度を見落とし、一番肝心の「事故原因の究明」が不発のまま終わっている。
・3・11では、地震から約50分後に津波が来襲し、ディーゼル発電機と配電盤を破壊してしまったため、「30分で電源回復」シナリオは崩壊した。→ 電源を失ってしまうと、もうECCSは起動できない。1時間に1000トンの水を注水できる本来は主役のはずの冷却装置はもう使えない。すべては手遅れになった。→ こうしてせっかくのECCSは使われないまま、原子炉は最悪のコースをたどった。…こう考えていくと、すべてに自然な説明がつく。
・(東電との5回にわたる質疑より)…東電は「なぜECCSを津波が来るまでに起動しなかったのか」「いつ、事故対応マニュアルを変更したのか」の2点に、正面から答えることを避けている。…つまり、情報は出さないが、否定もしない。善意に解釈すれば「本当のことは言わない。が、ウソも言わないようにしている」とも言える。…また「地震後、津波が来る前にECCSを起動しておけば、どうなっていたでしょうか」という核心の質問には「仮定の話には答えない」と回答を拒否している。(※う~む、あれだけの事故を起こしておきながら、この不誠実…! → 詳細はP115~134)
・津波が来る前、まだ直流電源が生きている間にECCSを起動しておけば、その後は原子炉の蒸気で動き続ける。→ 津波が来て電源を全部なくしても、原子炉への注水を続けられた可能性が高い。←→ しかし東電の立場にすれば、政府・国会事故調にも隠した「津波前にECCSを起動しておかなかったことはミス」とは、今になって認めるわけにはいかないだろう。(※一度隠蔽をすると、ウソを重ねざるを得なくなる…)
・(もし著者のこれまでの推論が正しいと仮定するなら)…本来なら、事故調査委員会は、「全電源喪失は30分で回復する」というシナリオの明文化を許した原子力安全委員会のメンバーに、「なぜ全電源喪失が30分で終わるなどという空論を許したのか」と問わなくてはならない。→ またそれを容認した、あるいは見逃した監督官庁(原子力安全・保安院や経産省など)の官僚や政治家職にも同じ質問をしなければならない。…しかし、そうした動きは調査委員会にはない。これは責任者を明確化するという点で、極めて不十分なのではないか。(※「責任者が不明確」というのは、いま都庁でもそのミニチュア版が進行中…)
○ECCSとRCICを両方起動するのが海外のスタンダード
・ここで視点を変えて、全電源喪失事故のときの対応について、海外ではどういう基準を定めているのかを見てみる。
〔米国NRC(原子力規制委員会)の1981年の報告書より〕…アラバマ州ブラウンズ・フェリー原発で1975年に起きた事故(ケーブル火災により炉心冷却が不安定化)を教訓にして作られた安全基準。
① 全電源喪失は4-6時間を想定する。
② 原子炉が緊急停止したら、ECCSとRCICは同時に起動する。
③ 水位が平常に戻ったらECCSを止めてよい。
・要するに「緊急時にはECCSとRCICを両方起動せよ」と言っている。…「火事になったら消防車を呼べ。そして消火器も使え。両方使え」である。ごく常識的な話である。…つまりアメリカでは「原子炉が停止したら、ECCSとRCICは同時に起動しておけ」だが、日本はそうした国際標準の安全対策をしていなかった、ということになる。〔※う~ん、(現政権がよく言うように)どこが「日本の原発の安全基準は世界最高水準」なのか…?〕
・蛇足だが、ほかにも、アメリカの安全基準では備えられていたが、日本では行われていなかった「これさえあれば」という設備はたくさんある。…ex. 全電源喪失時にも、計器を読み取れるよう、8時間持続する移動式の直流バッテリーの設置。あるいは非常用ディーゼル発電機は厳重な水密扉の部屋に設置することなど…。(※う~ん、ほとんど津波の心配がないアメリカの原発に、こうした安全基準があるのに…しかも1981年の時点で…!)
○唯一の冷却装置を誰も使ったことがなかった。
・もう一つ重要な事実を指摘しておく。…福島第一原発の1号機は最も古い型だったため、ECCS以外の冷却装置がIC(非常用復水器)しかなかった。そしてそのICは作動していなかった。→ ところが、誰もそのことに気づかなかった。なぜなら「誰もICを実際に運転した経験がなかった」から。…つまり「誰も使ったことのない道具で、原子炉の冷却という『大火事の消火』をしなくてはならない」という実態だったことが分かる。
・こんな危険な状態が放置されていた。3・11前でも1号機の脆弱性は専門家には明らかだったはずだが、「30分で電源回復」の虚構を誰もが真実であるかのように錯覚してしまった。
・こうした事実を踏まえると、1号機は三つの原子炉の中で最も早く事態が悪化し、メルトダウンと水素爆発に至ったことは不思議でも何でもなく、むしろ当たり前のように思える。→ 1号機は何ら原子炉の冷却ができないまま、メルトダウンまで一直線だった。野球でいえば「ノーヒットノーランの完封負け」だったのである。(※こうした失敗の検証と教訓化もなく、日本の原発は再稼働されつつある…)
・原子力発電所内部の電源(ディーゼル発電機や蓄電池など)と外部からの電源(送電線)が同時に失われるという、3・11で現実に起きた事態はまったく想定されていなかった。→ かくして、1977年から2011年に至るまで、34年間の長きにわたって「長時間の全電源喪失は考慮しなくてよい」「考慮したとしても30分間対応できればよい」という、まったく何の根拠もない「安全基準の穴」が放置され続けていた。→ そして3・11という最悪の結果を迎えた。
(2/24…2章 了)
〔次回の〔中編〕は…【3章】原発黎明期の秘密と無法、【4章】住民軽視はそのまま変わらない…の予定です。→ 3月中の完成を目指します。〕
(2017.2.24)
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