2017年2月16日木曜日

(震災レポート37)


(震災レポート37)  震災レポート・5年後編(3)―[世界状況論 ③]

・この章の目的は、宗教に関する世界史的知識を身につけて、現代の宗教対立を読み解くこと。…イスラム国やEUなど、国家や民族を超えたネットワークの動きが先鋭化している現状を、宗教の歴史をふまえて、しっかり押さえておきたい。…序章でも言ったが、資本主義、ナショナリズム、宗教という三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。→ 一章、二章の議論も重ね合わせながら、戦争を阻止するために、現在とどう向き合うかを考えてみたい。(佐藤優)
                                         

『世界史の極意』 佐藤優(NHK出版新書)                                 2015.1.10(2015.2.25 5刷)
                                           ――[後編]


【3章】宗教紛争を読み解く極意
――「イスラム国」「EU」を歴史的にとらえる



(1)イスラム国とバチカン市国――日本人に見えない世界戦略

○シリアから始まる「イスラム国」問題

・2014年6月以降、イスラム・スンニ派武装集団ISIS(「イラク・シリア・イスラム国」→ その後、「イスラム国(IS)」に改称)が、国際情勢を大きく揺るがした。…イスラム国の拡大は、シリア情勢と深く関係している。→ シリア情勢を読み解くキーワードは、「アラウィ派」が重要。
・シリアのアサド政権は、アラウィ派によって成り立っている(日本の新聞には、アラウィ派はシーア派の一派と書かれているが、両者はまったく違うことに注意)。→ アラウィ派は、キリスト教や土着の山岳宗教など、様々な要素が混じっている特殊な土着宗教。…ex. 一神教にはありえない輪廻転生を認めているし、クリスマスのお祝いもする(※う~ん、日本人みたい…?)(→ スンニ派、シーア派の違いは後述…)。
・シリアでも国民の7割はスンニ派で、アラウィ派は1割程度しかいない。→ なぜそのアラウィ派が、シリアを支配しているのか。これは、フランスの委任統治時代の影響(※またしても、欧米列強の干渉の結果か…)。
・第一次世界大戦後、フランスはシリアの支配にあたってアラウィ派を重用し、現地の行政・警察・秘密警察にアラウィ派を登用した。→ 植民地の支配では、少数派を優遇するのは常套手段(多数派の民族や宗教集団を優遇すれば、独立運動につながってしまうから)。→ だから、少数派を優遇することで、宗主国への依存を強化していくわけだ。…ジェノサイド(集団殺戮)が起きたルワンダでも、宗主国のベルギーは少数派のツチ族を(多数派のフツ族より)優遇した(※その結果のジェノサイド…フランスもベルギーも、このようなご都合主義の植民地経営によって、回りまわってテロという形で、今そのツケを払っている…?)。
・こうした特殊事情を抱えるシリアに「アラブの春」が押し寄せたとき、どうなったか。→ 「アラブの春」が起きたどの国でも、反体制勢力としてスンニ派の「ムスリム同胞団」が顔を出していた。…ところが、シリアにはムスリム同胞団がいなかった。現アサド大統領の父(前大統領)が皆殺しにしたから。→ そのため、反体制運動がまったくまとまらなかった。それでシリアは内戦状態になってしまった。
・さらに混乱を加速させたのが、レバノンからアサド支援で入ってきたシーア派の過激派組織ヒズボラ(神の党)。→ これでアサド側が盛り返す。←→ すると、今度はシーア派に対抗するために、アルカイダ系の人々が入って大混乱になった。→ そこにさらに便乗したのがイスラム国なのだ。(※う~ん、神学の学徒で、かつ元外務省主任分析官の面目躍如か…)

○イスラム国はなぜイラクを目指したのか

・イスラム国は、反体制派を装って資金や武器を獲得して、シリア北部を制圧し、勢力をイラクへと拡大していく。…なぜイラクなのか。
・シリアでは、(2014年6月の大統領選挙でアサドが勝ったため)アサド政権は簡単には潰れそうにないし、シリアで活動を続けるとアサド政権からの報復も怖い。…それにイラクには(シリアとは桁が違う)油田がある。…さらに重要なこととして、イラクではスンニ派のアイデンティティが変容したのだ。
・フセイン政権時代のイラクは、イランとの対立があったため、独裁下とはいえイラク人という国民意識が一応あった(スンニ派かシーア派かは、それほど大きな問題ではなかった)。→ ところが新生イラクでは、多数派のシーア派が権力を握り、スンニ派はないがしろにされた。…そこにつけこんだのがイスラム国だ。→ イスラム国に、イラクのスンニ派たちもなびいていった。…このようにして、イラクで急速に勢力を拡大していった(※油田と宗派か…)。
・このシリア問題とイラク問題で、中東情勢はどのように変わるのか。…そのポイントは、米国とイランの接近。…イスラム国の侵攻を受けた時点でイラクを統治していたマリキ政権は、イスラムの12イマーム(シーア派…後述)に属している。…マリキ政権はいわばアメリカの傀儡政権だが、宗教的に見ればイランの国教であるシーア派と同じなのだ。→ そのためイランから見れば、現在のイラクはサポートの対象。そしてアメリカもイスラム国を排除したい。→ そこで、イランのロウハニ大統領は「必要があれば米国と協力する」というコメントを発した。(※敵の敵は味方か…)
・イランはこれまで反米政権として知られてきたが、穏健派のロウハニ大統領が誕生してからは、アメリカに歩み寄る姿勢を見せてきた。→ 今回のイラク問題では、米国とイランの両方がイラクをサポートするという珍しい状態が起きている。
・イスラム国は、国家の支配を目標としていない。→ 世界イスラム革命を掲げ、世界をすべてイスラム化することを目標にしている。…(前章で述べたように)ウクライナ情勢をめぐって、それぞれの背後にいるロシアとアメリカの対立はますます深刻になっている。→ 両者の対立が深まれば深まるほど喜ぶのが、イスラム国なのだ。…だからこそ私たちは、「親ロシアか親米か」という二者択一からは距離を置いて、国際情勢を冷静に見なければならないのだ。

○イスラム原理主義の特徴

・イスラム国やアルカイダに代表されるイスラム原理主義の特徴は、単一のカリフ(皇帝)が支配する世界帝国の樹立をめざす点にある。…そして、そのための行動は必ず成功する。→ イスラム原理主義のために行動して、イスラム革命が成功すれば、これは当然成功。一方、戦死したとしても、アッラーのために戦って殉死したことになるから、殉教者はあの世で幸せになれる。…このように、イスラム原理主義のプログラムでは、革命に関与すれば必ず幸せが待っていることになる。→ だから、ドクトリン(教義,主義)さえ信じることができれば必勝だ。(※かくして自爆テロが、世界で絶えないことになる…)
・イスラム国は、インターネットを使ってこのことを広報し、民族や部族、国家を超えて、ネットワーク化しようとしている。(※イスラムは世界宗教…)
・このような体制では、イスラム主義に帰依した人々によって構成される権力の中心が、周縁を徹底的に収奪する帝国主義が出現する(※ex. 占領した異教徒を奴隷化…)。…おそらくその原イメージは、オスマントルコ帝国だろう。→ こうしたイスラム帝国主義が暴走すれば、ネットワークの利を生かして、欧米も日本も攻撃や収奪の対象になる可能性があるのだ。
(※先日ラジオ番組で宮台センセイが、サミットやオリンピックの会場は〝世界的な象徴〟となるから、テロの対象になる可能性は高まる、とコメントしていた…)

○ローマ教皇生前退位の背景

・この危機を深く認識しているのがバチカン(ローマ教皇庁)だ。…2013年2月、バチカンではローマ教皇の生前退位という異例の出来事があった。→(このことは日本では関心が薄く、マスメディアもあまり取り上げなかったが)この出来事には大きな意味がある。
・ローマ教皇の生前退位は、1415年以来の598年ぶりの出来事。…(前章でも記したとおり)このときは三人の教皇が鼎立していて、教会は腐敗していた。→ それを批判したヤン・フスを、教会が異端として火刑に処した。→ その後、フスの思想がルターに影響を与え、宗教改革が起きる(「宗教改革」はプロテスタントの用語で、カトリック側は「信仰分裂」と言う)。→ フスの火刑後、教会は鼎立する教皇をすべて退位させ、新しい教皇を選出して、教会統一を回復した。
・従って、2013年の教皇の生前退位は、当時と匹敵するような危機をカトリック教会が認識していることを示唆しているのだ。…カトリック教会内部にも、聖職者による教会運営のあり方や、避妊容認・同性愛容認を求める信者の声にどう対処するか、という問題もあるが、危機意識の根拠は別のところにある。…それがイスラム過激派への対応だ。

○バチカンの世界戦略

・バチカンの世界戦略の第一段階(1978年~)は、ヨハネ・パウロ2世(ポーランド人…中東欧社会主義国からの初の教皇)のときで、共産主義を崩壊させることだった。→ この戦略は、1991年のソ連崩壊で実現する。…第二段階は、イスラムに対しての戦略。→ キリスト教が巻き返すには、若くて健康な教皇が必要と考え、異例の生前退位となったのだろう。
・では、どうやってバチカンはイスラム原理主義を封じ込めるのか。…その手段は「対話」だ。→ 異文化対話を通じてイスラム穏健派を味方につける。そして、そのイスラム教徒が「テロ行為をする過激派がいると、私たちのイスラム教徒が世界から敵視されてしまう。そうならないためにも、過激派には退場願おう」と考えるように誘導していく。…このようなシナリオを描いている。
・ちなみに、バチカンにとって、イスラム過激派に次いで厄介なのが中国だ。…中国政府は、国内カトリック教会の高位聖職者の人事権がバチカンにあることを認めていない。→ そのため、バチカンと中国の間では、いまだ外交関係が存在しないのだ。
・新教皇フランシスコ(アルゼンチン出身)も、この保守路線と世界戦略を継承するだろう。→ 新教皇の下で、バチカンは中国に対しても「対話」を通じたソフトな巻き返し戦略を図るはずだ。←→ 中国は、今後、バチカンが攻勢をかけてくることを懸念している。

○プレモダンの思考へ

・キリスト教とイスラムの現在を象徴する二つの事象を取り上げた。…両者に共通しているのは、プレモダン(前近代的)な思考だ。…イスラム原理主義は、プレモダンの理想(※世界イスラム革命)を追求することによって、近代がもたらした社会の問題を解決しようとした。それは、資本主義がもたらした帝国主義の問題と言ってもいい。→ ここで注意したいのは、プレモダンを崇めているとはいえ、イスラム原理主義がモダンの問題に対応するために生じた、きわめて近代的な現象であるという点だ。…一方、カトリック教会も、近現代的な思考の制約を超えて、人間と社会の危機を洞察しようとする。(※う~ん、当方、宗教的な素養がないせいか、キリスト教にもイスラムにも、ほとんど〝未来性〟を感じることができないが…)
・プレモダンの思考の特徴は、「見える世界」を通じて「見えない世界」を見ること。…(私たちも含めた)近代人が「見える世界」を重視するのは、この時代のあり方そのものが近代的な思考に制約されているから。→ その象徴が資本主義経済だ。
・人間の労働力も商品化され、人間と人間の関係性から生み出される商品も、すべてカネに換算され、そのカネを増殖することが自己目的化するのが資本主義経済(※利潤の追求による自己増殖)。→ そうした資本主義経済に浸りきってしまうと、「目に見えない世界」への想像力や思考力が枯渇してしまう。つまり、超越的なものを思考することができなくなるのだ。〔※「奇跡のリンゴ」の木村さんも、「目に見えない世界」の大切さを語っていた(「震災レポート28」)。…もっとも、木村さんが重視するのは、「超越的なもの」ではなく、「土の中の微生物の世界」だが…〕
・こうした超越性の欠落を埋めるものがナショナリズムであり、私たちと超越性を安直に結びつけるもの、すなわち超越性へのショートカットが宗教的原理主義なのだ。→ 安直な超越性は、容易に人を殺す。…その愚を避けるために、私たちは歴史をさかのぼり、プレモダンの思考ときちんと向き合う必要がある。(※現下の重要課題の一つだろう…)

(2)キリスト教史のポイント

○イエスの登場

・キリスト教の誕生は、世界史の中ではローマの歴史(おおよそ1000年間)と重なっている。…ローマ共和制が始まる紀元前509年頃から西ローマ帝国が滅亡する476年までが古代ローマ史。→ そこから中世に入る。…キリスト教が成立していくのは、ローマ史の折り返し地点であり、帝政の時代と軌を一にしている。
・(世界史の教科書の「イエスの登場」の説明)…まず、ヘブライ人は、唯一神ヤハウェへの信仰をかたく守り、その中から選民思想や救世主の出現を待望するユダヤ教が確立する。…具体的には、前1000年頃にヘブライ人の王国が建設される。→ ダヴィデ王、ソロモン王のもとで栄えた後に、イスラエル王国とユダ王国に分裂し、前者はアッシリアに滅ぼされ、後者も新バビロニアに征服されて、住民はバビロンに連れ去られる(「バビロン捕囚」…バビロンは現在のイラク中央部)。→ そのヘブライ人たちは、(西アジアを統一した)アケメネス朝ペルシアによって解放され、パレスチナへ戻ってくる。そして、ヤハウェの神殿を再建する。…これがだいたい、ローマの共和制が始まるのと同じ頃で、このころにユダヤ教が確立したとされている。
・しかし、やがてユダヤ教は厳格に律法を守る派(パリサイ派)が権力を握る。→ 彼らはローマの支配のもとで、重税を課してユダヤの民衆を苦しめた(※いつの世も権力は腐敗する…)。→ そのため、民衆の間に救世主待望の気運が高まり、そこに登場したのがイエス。
・「イエス・キリスト」というのは、名前・名字ではなく、イエスというのは、当時のパレスチナにいたごく普通の男の名前(ex. 太郎、一郎のような)。キリストは、「油を注がれた者」…ユダヤでは、王様が戴冠するときに油を注ぐ習慣がある。→ 王様=救世主というのがユダヤ教の伝説的な考え方。…つまり「イエス・キリスト」とは、「イエスという1世紀に存在した男が、キリストという救い主であると信じている」という信仰告白なのだ。

○キリスト教神学の特徴

・19世紀に、キリスト教の中で「史的イエスの研究」があった。…啓蒙主義の隆盛期で、徹底的な実証研究の結果、1世紀にイエスという男がいたことは証明できない、という結論になった。同様に、いなかったことのアリバイ証明もできない。→ 「史的イエスの研究」は袋小路に入り、そのあと二つの流れが生じる。

①イエスが存在しないことを前提に、人間がいかにして神という概念を創ってきたかを考える方向。→ このアプローチが宗教学であり、基本的に無神論の立場をとる。
②イエスがキリストであると信じていた人たちが存在したことまでは実証できると考え、救いの内容について研究する方向に向かう。→ これが近代プロテスタント神学の主流派。

・通常の学問では、論争があったときは論理的に強いほうが勝つ。←→ 対して神学では、論理的に弱く理屈が間違っているほうが、政治介入によって勝つことが多いのだ。→ 従って、論争がまったく違う方向に向かい、結論が出ないで終わり、100年、200年と経つと、また同じ議論が蒸し返される。…そうやって問題が解決しないまま、進歩のない特殊な様式の研究がなされるわけだ。(※まさに、不毛な神学論争…)
・ちなみに、ヨーロッパの大学では、神学部がないと総合大学(ユニバーシティ)を名乗ることはできない。…神学は虚の部分を扱う虚学だが、虚の部分すなわち「見えない世界」を扱わないと学問は成立しない。…このような知恵をヨーロッパ人は持っているのだ。(※う~ん、神学にまったくの門外漢としては、「このような知恵」がイマイチわからない…)

○サウロの回心

・キリスト教の教祖・イエスは、自身をユダヤ教徒だと認識していた。→ しかし、(厳格な律法主義を掲げ、律法を守る人間だけが神に救済されるという)ユダヤ教の教えに異を唱える。…イエスは、罪人も神に救済されると言った(※う~ん、イエスは、悪人正機説の親鸞思想とも通底する…?)。←→ ユダヤ教からすれば、イエスは明らかに異端。→ そのため、彼は謀反の罪でユダヤ教の幹部たちに捕えられ、ローマの総督によって十字架刑に処される。→ 処刑後、イエスが復活したという信仰が広がり、キリスト教が成立していくことになる。
・初期キリスト教の伝播にあたって、決定的な役割を果たしたのがパウロ(改名する前はサウロと名乗っていた)。サウロはローマの市民権を持ち、宗教的にはユダヤ教のパリサイ派に属し、もともとはキリスト教徒を迫害する立場にいた。そのため、イエスの教えも神への冒涜だと感じていた。
・ところが、このサウロに回心が起きた。…キリスト教徒を捕縛し、エルサレムへ連行するためにダマスコ(現在のシリア・ダマスカス)へ向かう途中のことだ(詳細はP186)。…このように、サウロは光の中で〝復活のイエス〟に出会った(しかし、イエスの直弟子とは言えない。生きているイエスには会ったことがないから)。→ そんなサイロが、イエスの教えのあり方を根本的に変えたのだ。
・サウロは、(ユダヤ人共同体内部でイエスの教えを広めることに限界を感じ)共同体の外部にキリスト教を広めることを決心する。→ パウロと名を改め、小アジア(現在のトルコ・アナトリア一帯)、ギリシャ、ローマへと伝道の旅を続け、各地に教会を設けた。
・キリスト教を信じる人々を迫害していたパウロが、キリスト教徒に転向し、伝道者となった意義は、キリスト教を世界宗教へと変貌させた点にある。…パウロが伝道旅行を行った地域こそ、当時「世界」と認識されていたからだ。(※う~ん、イラク、パレスチナ、シリア、トルコ…現在の〝ホットスポット〟になっている地方ばかり出てくる…P187に「パウロ伝道の旅」の地図)
・イエスの死後2,3ヵ月では、信者数は多く見積もっても数百人程度だった。→『使徒言行録』には、その後、パウロの説教で3000人が洗礼を受けたと書かれている。→ ローマ帝政下、キリスト教は拡大を続け、313年に公認(ミラノ勅令)された頃には、信者は300万人前後まで増えた。
・このような爆発的な教勢の拡大は、パウロがキリスト教を世界宗教へと転換させたことが契機となったのだ。→ 現在、キリスト教の信者は、全世界で約20億人いると推定されている。…キリスト教という宗教をつくったのはパウロなのだ。…イエスはキリスト教の教祖で、開祖はパウロということになる。

○実念論という考え方

・392年、キリスト教はローマ帝国の国教となった。→ 中世に入ると、ヨーロッパ社会の支配的な価値観となっていく。
・中世初期のキリスト教に特徴的な思考法に「実念論」がある。…ex. 現実には様々な三角形があるが、すべてを含む一般的な三角形は実在するか? → 実在すると考える。つまり、目には見えないけれど、確実に存在するものがある、と考えるのが実念論。←→ それに対して、存在するのは個々の具体的な事実だけであり、三角形とか果物といった一般名詞は単なる名前にすぎない、と考える思想を「唯名論」という。→ 近代的な科学は、経験を重視するから、基本的には唯名論の延長にある。…実念論は神学の考え方に親和的。(詳細はP189)
・現在でも実念論の影響は残っている。…とりわけイギリスは、実念論が主流で、成文法という発想が出てこない(ex. 成文憲法がない)。…文字としての憲法はないが、確実に憲法は「存在する」という感覚をイギリス人は持っている。→ その感覚がそれぞれの時代状況に応じて、具体的な文書の形をとって表現される。…それが1215年のマグナカルタ(王権の制限や貴族の特権を確実にした文書)であり、1689年の権利章典(国会と議会の権利を明確にした文書)だと解釈できる。…あるいは、大きな問題が生じるごとに、判例として表現されるわけだ。→ イギリス人にとっての憲法は(国家の暴走に縛りをかけるといった約束事ではなく)理念として備わったもの、生得的な感覚に近いものだ。〔※この憲法観は、近代的な憲法理念(立憲主義)とは異なる、プレモダン(前近代的)なもの…?〕
・前章では、イギリスの特徴として、近代的な民族を超える原理で人々が統合されてきたことを挙げたが、もう一つ、実念論が国家の中核にあることも特徴となる。…イギリスは、国家も社会もプレモダンなのだ。(※イギリスの特徴は、意外にも国家も社会も前近代的なこと…?)

○宗教改革の本質は復古維新運動

・近世になると宗教改革が起こる。…宗教改革によって生まれたプロテスタンティズムというと、近代的な宗派だという勘違いがよくある(カトリックが「旧教」、プロテスタントが「新教」と日本語で書かれることも、誤解を拡大している)。
・宗教改革はルネサンスのあとに起きた。…ルネサンスはギリシャ・ローマの古典に還れという運動で、これを通じてはじめて中世という考え方が生まれた(※古典に対して中世)。…還るべき古典の時代と現在の間にはさまれているのは、ろくな時代ではない。…それを中世と言ったわけだ(だから中世という言葉には、最初からろくでもない時代というニュアンスがある…)。
・ルネサンスは復古運動だが、その中心には理性の信奉があり、その意味においてルネサンスには啓蒙主義につながる側面がある。→ そして、ルネサンスによって合理主義的要素がカトリックに入ってきたわけだ。←→ ところが、16世紀の宗教改革には、啓蒙主義とつながる要素はない。→ むしろ反知性主義的な運動と考えたほうがいい。(※これは意外な指摘…)
・スコラ哲学と呼ばれる中世の神学は、非常に緻密な体系から成り立っている(しかし、緻密すぎて、救われる感じがしない)。教会も腐敗してしまっている(世俗の権力と癒着して、暴力装置になって金儲けをしている)。→ 宗教改革をして、イエスが唱えた素朴な原始教会に戻ろう、というのが16世紀の宗教運動。…その意味で、宗教改革は復古維新運動なのだ。
〔※う~ん、16世紀の宗教改革は、反知性主義的な(素朴な原始教会に戻ろうという)復古維新運動か…〕

○宗教改革とウクライナ危機はつながっている

・この復古主義的なプロテスタント運動は、ドイツからオランダ、そしてさらに東へと広がっていく。→ ポーランドやチェコスロヴァキアにも波及するが、とくにチェコ地域はカルヴァン派の影響が強くなる。
・この流れに危機感を強めたカトリック側(ローマ教皇庁)は、立て直しをはかる。…中心的な役割を果たしたのが、イグナチウス・デ・ロヨラやフランシスコ・ザビエル。→ 彼らは1534年にイエズス会という教派をつくっている。…ロヨラは軍人だから、軍隊に準じた手法で訓練をするようになり、実質的には軍隊。
・イエズス会は、この軍人力を背景に、プロテスタントの打倒を目指して「プロテスタント征伐十字軍」を仕掛けた。→ 彼らの軍はあまりに強力なので、ボヘミア、スロヴァキアを席巻し、プロテスタントをすべて駆逐した後に、ロシア正教のウクライナまで入ってしまった。→ あわや正教対カトリックの大戦争が起こるか、という危機的状況になった(正教とカトリックは1054年に相互破門しており、お互いに悪魔の手先だと罵り合っていたから)。
・イエズス会もある程度の圧力をかけたが、ロシア正教側は、自らの伝統や儀式を改めようとはしない(ex. イコン(聖画像)を掲げて拝む、お香を焚きながら儀式を行う。「ノンキャリア組」の僧侶は結婚可など)。→ ローマ教皇庁は妥協案として特別の宗派を創設する(見た目は正教だが、魂はカトリックという教会…詳細はP194~195)。→ こうして誕生したのが「東方典礼カトリック教会」「東方帰一教会」あるいは「ユニエイト教会」。
・このユニエイト教会は、西ウクライナのガリツィア地方では現在も主流。←→ 一方、ウクライナ東部は、ロシア正教。…ウクライナ危機の対立の背景には、こうした宗教の違いもある。…つまり、フスの宗教改革、ルターの宗教改革は、遠く現代のウクライナ危機にまでつながっているのだ。
・現在、ユニエイト教会にロシアは強く反発している。→ いまだロシアとバチカンの関係が緊張しているのは、このユニエイト教会によって、カトリックがロシアの内部に浸食してくる可能性を、ロシア正教会が強く警戒しているから。(※この点では、中国と似ている…?)

○プロテスタント神学の変容

・宗教改革が引き起こしたカトリックとプロテスタントの抗争は、(前章で見たように)三十年戦争を経て、1648年のウェストファリア条約で一応の決着をみた。
・その17世紀は、「科学革命」の時代(天動説から地動説への転換、ガリレイやニュートンらによる力学の基礎の確立など)→ 科学革命を通じて、中世の教会的世界観は破壊されることになった。→ さらに、この合理主義の精神は、やがて18世紀に啓蒙思想となって、教会や絶対主義国家を支える権威や思想・制度・習慣に対する強烈な批判を展開していく。
・この啓蒙思想が席巻した18世紀以前と以後では、プロテスタント神学も大きな変容を遂げることになる。…18世紀以前のプロテスタンティズムでは、神は天上にいると信じられてきた。←→ しかしそれでは、ケプラー以降の天体観や宇宙観と矛盾してしまう。→ だから、矛盾しないところに神の場所を置かなければならなくなる。
・シュライエルマッハー(近代プロテスタント神学の父)は、宗教の本質は直観と感情だと言った。つまり、神様は心の中にいると考えた。→ しかし、それは危ういものを含んでいる。神が心の中にいるとなると、自分の主観的な心理作用と神を区別できなくなってしまうから。…神は絶対的存在だ。自らの心の中に絶対的存在を認めることで、人間の自己絶対化の危険性が生じたわけだ。→ この延長上に、神なんて自分の心の作用にすぎない、という無神論も出てきてしまう。

〔※う~ん、当方、生まれつきの無神論(?)のため、このへんが、この著者といちばん距離を感じてしまうところだが…。→ 当方なら、「人間の自己絶対化の危険性」を相対化するものは、「神」ではなく、「自然」ということになる。…例えば、木村さんの「奇跡のリンゴ」の世界とか、福岡伸一さんの「動的平衡」などの生物学の世界とか…。〕

→〔(佐藤優氏の関連著作)…『同志社大学神学部』光文社2012年、『サバイバル宗教論』文春新書2014年、『佐藤優さん、神は本当に存在するのですか?―宗教と科学のガチンコ対談―』文芸春秋2016年(動物行動学の竹内久美子との対談本)…いずれも余裕なく未読。〕

○「不可能の可能性」としての神学

・神の場所を心の中にあると考えると、行き詰ってしまう。→ もう一度上を見なければならなくなる。
・カール・バルト(現代神学の父)は、神が物理的な意味での天上にはいない、ということを理解しながら、「上にいる神」と言った。→ 人間は神ではないから、神について知ることは一切できない。語ることもできない(※不可知論?)。←→ しかし説教をする牧師は、神について語らなくてはならない。…だから、神学というのは「不可能の可能性」に挑むことだと主張した。(※う~ん、神学の門外漢にはあまり説得力なし…?)
・カール・バルトは、第一次世界大戦に衝撃を受け、1919年に『ローマ書講解』を上梓した。→ この本から神の場所が再転回したと言ってもいい。なぜか…1914年に、神なしに人間社会を解釈する啓蒙主義が崩壊したから。(※う~ん、「崩壊」はちょっと言い過ぎでは…?)
・(序章で述べたように)イギリスの歴史家ホブズボームは、フランス革命が始まる1789年から第一次世界大戦が勃発する1914年までの時代を、「長い19世紀」と呼んでいる。…それは、要するに啓蒙の時代。→ (ロマン主義的な反動がヨーロッパの一部にあったとしても)基本的には科学技術と人間の理性に頼ることによって、理想的な社会をつくることができる、と考えられていた。…つまり、神がいなくても、理性を正しく使って合理的に考えれば、世界は進歩すると考えたわけだ。
・さらにまた、長い19世紀はナショナリズムの時代でもある。…ナショナリズムの台頭を背景に、心の中の絶対者の位置にはネイション(民族)が忍び込んでくる。→ ここに、国家や民族という大義の前に、人が身を投げ出す構えが出来上がってしまった。…言うまでもなく、その延長上に第一次世界大戦がある。(※う~ん、世界大戦は〝神の不在〟のせい…?)
・二つの世界大戦による大量殺人と大量破壊は、理性と無神論からなる啓蒙の時代を木っ端みじんに吹き飛ばした。→ 無神論の時代、すなわち啓蒙の時代は、1914年で終わり、それと同時に「不可能の可能性としての神」について語られるようになったのが、第一次世界大戦が終わった1918年からなのだ。(※これも、理性と無神論を「木っ端みじんに吹き飛ばした」というのは、言い過ぎではないか。…キリスト教者のバイアスがかかっている?)

○啓蒙から目をそらしたアメリカ

・近代人は、二つの世界大戦を反省し、バルトのように啓蒙の闇と向き合わなければいけなかったはずだ(※この程度の言い方なら、異論なし…)。←→ ところが第二次世界大戦で、アメリカが巨大な物量によって勝利を収めてしまった。
・アメリカはヨーロッパと違って、第二次世界大戦を経てもまだ啓蒙の精神が盛んで、非合理な情念(プレモダン的な「見えない世界」)が人間を動かすという感覚を、よく理解していない。→ そのため、啓蒙思想や合理的思考がもたらす負の帰結に対する洞察が働かず、問題は先送りされたままとなってしまった。→ その影響は、21世紀の現在にまで続いている。
〔※その一方で、アメリカには、進化論も信じないような〝草の根のキリスト教〟(※原始キリスト教?)がいまだに残っている、というような側面も、漏れ聞こえてくるが…〕
・アメリカ型の啓蒙精神によって、第一次世界大戦後のヨーロッパ知識人が格闘した啓蒙思想の闇の問題から目をそらされてしまったわけだ。→ そのツケが現在、格差問題や貧困、領土問題、民族紛争などの形で浮上してきている。
・前章で、ナショナリズムは近代人の宗教であると言った。…そこでは「不可能の可能性としての神」を直視することなく、目に見えない超越的なもの(※神?)の欠落を短絡的に埋める代償物としてナショナリズムが要請されてしまっているのだ。
〔※当方、アメリカについてもほとんど門外漢だが、現在進行中の米大統領選挙でも、大方の専門家の予想をくつがえす形(共和党・トランプの意外な健闘)で、(アメリカ型の?)ナショナリズムという近代人の宗教が急浮上してきているかに見える。…そして、日本でも同様に、そのアメリカのミニチュア版(?)が、不気味に浮上してきている…? ←→ その一方で、民主党・サンダースの意外な健闘(ある意味当然?)に見られるような、「格差問題や貧困」に対する批判的な勢力も台頭してきている。…そして、このような「長い21世紀」前半の動きは、ますます混沌とした形で、全世界に広がっているように見える…〕

(3)イスラム史から読み解く中東情勢

○イスラムの誕生

・次に、世界史の中のイスラムについて見ていく。…イスラムの開祖・ムハンマドは、570年頃アラビア半島西部のメッカで生まれた、とされている。
・当時、東ローマのビザンツ帝国とササン朝ペルシアが戦争を繰り返していたため、メソポタミア付近の東西交通路は往来が困難だった。→ その影響で紅海に近いメッカは、商品経由地として繁栄する(P202に、6世紀のアラビア半島の地図)。
・ムハンマドも、この地の商人の一族。…40歳のころ、神アッラーから最初の啓示を受け、イスラムの布教を始める(詳細はP202)。→ 唯一神アッラーへの信仰、偶像崇拝の禁止、神の前の万人の平等を唱え、大商人による富の独占を批判する。…当時のメッカは格差社会だった。(※イスラム教が、今も格差社会の貧困層に強い理由…?)
・メッカの支配層である大商人たちは、商売の邪魔になるムハンマドたちを迫害し、ムハンマドと信徒たちは北のメディナへと移住する。…これを「ヒジュラ(聖遷)」といい、移住した622年がイスラム歴元年とされた。
・ムハンマドたちはメッカと衝突を繰り返した末、630年にメッカを無血で占領し、多神教の神殿をイスラムの聖殿に改めた。→ それ以降、ムハンマドは周囲のアラブ諸民族も次々と支配下に治めていき、632年にはアラビア半島をほぼ制圧する。→ こうしてイスラム世界が世界史の中に展開していくことになる。(※「イスラム国」は、これを再現しようとしている…?)

○イスラムの特徴

・イスラムは一神教であるユダヤ教、キリスト教の影響を強く受けている。…アッラーとは、唯一神そのものを指す言葉であり、英語で言えば「ゴッド」と同じ。…偶像崇拝を禁じ(※遺跡も破壊…)、神の前の平等を説く点は、キリスト教と共通しているが、イスラムではさらに主張を徹底させていて、教徒内部の身分、階級、民族の差を認めない。→ だから、専門の神官階級は存在しない。(※う~ん、庶民層、貧困層に支持され、拡大しやすい宗教か…)
・イスラムの中で、ムハンマドは最初で最後の預言者であり、他に預言者はいない。…ムハンマドが神の啓示を受け、アラビア語で信者に語った言葉を集めたものが聖典コーラン。…原名の「クルアーン」は「読誦(どくじゅ)すべきもの」という意味だから、イスラムの信者はみんなコーランを声に出して読む。→ コーランを唱えることによって、神と直に接することができると考えられている。
・聖書と異なる点として、コーランは教義のほかに、日常生活のすべてを規定する法典としての性格を持っている。…ex. イスラムの「五行」といわれる規範…①信仰告白(アッラーのほかに神はいないと唱える)、②礼拝(1日5回メッカに向かって祈る)、③喜捨(収入の一部を困窮者に施す)、④断食(ラマダーン月の日の出から日没までは、飲食を禁じる)、⑤巡礼(一生に一度、メッカに巡礼する)。…ほかにも、お酒を飲まない、豚肉を食べない、利子を取らないなど、コーランには、日常生活の約束事が細かく規定されている。
・これらのいずれにも通底しているのは、アッラーへの絶対的服従。…「イスラム」とは「絶対帰依」という意味。→ イスラムではあらゆる行為が、アッラーへの絶対的服従として決められている。
(※う~ん、正直なところ門外漢には、非常に不自由で面倒くさそうな宗教…という印象。…知識人層には、あまり支持されない宗教か…?)

○スンニ派とシーア派はどこが違うのか

・イスラムを理解する上で、どうしても知っておかなければならないのが、スンニ派とシーア派の違い。…二つの宗派は、イスラム世界が拡大する中で生まれていった。
・ムハンマドの没後、イスラム教は最高指導者として「カリフ」を選挙で選出する。…「カリフ」とは「神の使徒の代理人」という意味。→ その四代目のカリフとなったアリーは、ムハンマドの従弟で、しかもムハンマドの娘の夫になった人物。→ その血統的に最も近いことを根拠に、アリーとその子孫が真の後継者だと主張する党派が現れる。…これがシーア派。「シーア」とは、「分派」「党派」という意味。
・このシーア派に対して、スンニ派は、代々のカリフを正統と認めるイスラム教の多数派。…ムハンマドの伝えた慣行「スンナ」に従う者を意味。(詳細はP206)
・シーア派では、最高指導者を「イマーム」と言い、アリーの子孫が二代目、三代目のイマームとなる。…このシーア派内部もいくつかの党派があるが、主流派がイランで権力を握っている12イマーム派と呼ばれる派。…この派は、11人目のイマームが9世紀末に亡くなったとき、12人目のイマームが登場したが、すぐにお隠れになってしまった。→ この隠れイマームが救世主として現れて、この世を救うという教義を持っている。
・この12イマーム派の教義は、現在の国際情勢とも密接な関係がある。それはイランの核兵器問題。…イランが核兵器を持ったとしても、イスラエルはそれを上回る圧倒的に多くの核兵器を所持している。→ 合理的に考えれば、イランは核を使わないと考えたくなる。←→ ところが、イスラエルが核で攻撃しても、お隠れになったイマームが現れて、イランを守ってくれるに違いない。…イランの支配者層がそう信じているとすると、イランが暴走する可能性もあるわけだ。
〔※う~ん、かつて〝神風特攻隊〟という非合理で理不尽な作戦(生き残った元隊員の証言…東京新聞より)を実行してしまった(そして今もそれを総括できていない?)日本は、このアナロジーをどう考えるべきか…? 人間にとって〝救世主〟という考え方の根強さ…?〕

○ワッハーブ派とカルヴァン派

・一方、イスラム過激派は、ほとんどスンニ派のハンバリー学派に属している。…スンニ派は主に四つの法学派に分かれているが、ハンバリー学派以外は政治的には大きな問題はない。→ イスラム原理主義やテロ運動のほとんどはハンバリー学派から出ているものだ。
・このハンバリー学派の一つに、18世紀中頃に宗教改革者ワッハーブによって創始されたワッハーブ派がある。…ワッハーブはサウジの王様と協力してワッハーブ王国をつくり、これが後のサウジアラビア王国の素地となった。→ そのため、現在でも、サウジアラビアの国教はワッハーブ派だ。…中東情勢、イスラム過激派の動きを見る場合、ワッハーブ派とサウジアラビアの結びつきについて理解しておくことが重要だ。
・ワッハーブ派は、コーランとハディース(ムハンマド伝承集)しか認めない(聖人崇拝も墓参りもしない)。→ ムハンマド時代の原始イスラム教への回帰を唱え、極端な禁欲主義を掲げる。…アルカイダというのは、このワッハーブ派の武装グループで、イスラム国もまた同様。…その他、北アフリカのイスラム・マグレブ諸国のアルカイダ、チェチェンのテログループ、アフガニスタンのタリバンなど、イスラムの過激派はすべてワッハーブ派の系統だ。
・キリスト教とのアナロジーで考えると、このワッハーブ派に近いのはプロテスタントのカルヴァン派(※確か佐藤優氏の宗派もこのカルヴァン派…?)。…ワッハーブ派とプロテスタンティズムは、復古維新運動である点で共通している。さらに、カルヴァンとは形が違うが、ワッハーブ派も世俗世界では禁欲的態度をとる。
・ただし、両者には決定的な違いがある。…キリスト教には、イエス・キリストという媒介項があること。→ キリスト教において、イエス・キリストという媒介項を必要とする理由は、人間には原罪があるから。←→ それに対して、イスラムには原罪という観念はない。…この楽観的人間論が最大の問題。→ だから神が命じれば、聖戦の名のもとにあらゆるものを破壊しても構わない、と考える。(※イスラム過激派の過激たる所以…?)
・キリスト教の場合、人間には原罪があるから、地上は悪の世界。つまり、天上界の自然状態と地上界の自然状態は、逆になっている。…キリスト教の世界観では、地上は罪のある者で占められているから、人間の世界で差別や抑圧、病気、苦しみ、貧困があることは自然な状態ということになる(※曽野綾子などの発言の根拠…?)。←→ それに対してイスラムの場合、ジンという妖怪が悪さをしている、ということになる。…自身の内なる悪についての反省がないので、一度信じることができれば、どんな暴力でも肯定されてしまうのだ。
(※う~ん、簡潔にまとめられているが、キリスト教側のバイアスはかかってないのか…?)

○イランが持つ二つの顔

・16世紀、イスラムの歴史に重大な転機が訪れる。…1501年、イランにサファヴィー朝が成立し、シーア派12イマーム派を国教に定める。
・それ以前は、モロッコから新疆(しんきょう)までがイスラムベルトとしてひとつながりになっていた。→ ところが、イランがシーア派になることによって、このベルトが切れてしまった。…サファヴィー朝の西はオスマン帝国、東はムガル帝国だが、どちらもスンニ派。…つまり、サファヴィー朝はスンニ派の大国にサンドイッチで挟まれてしまった。→ こうして、16世紀にイスラム世界は大きく二分されることになった。(P211に、16世紀のイスラム世界の地図)
・サファヴィー朝がシーア派を国教にしたのは、ペルシャ・アイデンティティ確立のため。…イラン人には、はるか昔のペルシャ帝国の輝かしい記憶が刷り込まれていた。→ サファヴィー朝において、民族主義的なアイデンティティとシーア派が結びついた格好になる。
・戦後のイランでは、親米のパーレビ―国王が強権的に近代化政策をとって世俗化を進めた(「白色革命」)。→ これによって経済は成長したが、格差拡大や支配層の腐敗など、国民の不満も高まる(※人間社会は、今も同じことを繰り返している…)。→ そこで起きたのが、シーア派指導者ホメイニによるイラン革命。…全国的な反体制運動が拡大し、国王は亡命。→ 1979年に、イスラム教を国家原理とするイラン・イスラム共和国が成立。
・なぜイラン革命は成功したのか。これはアメリカやイスラエルの完全な油断だ。…一度世俗化して、高度の消費文明を享受している国が原理主義化することはあり得ない、と高を括っていたわけだ。(※人はパンのみにて生くるにあらず? それとも、格差拡大や支配層の腐敗が原因…?)
・1979年のイラン革命のときも、サファヴィー朝成立時と同様に、12イマーム派の教義が現代用に組み立て直され、さらにペルシャ帝国主義が加味された。…現代のイランという国を見るときは、12イマーム派のイスラム原理主義と、ペルシャ帝国主義という二側面から見ないといけない。
・とくに日本では、二重にバイアスのかかったイラン情報が蔓延している。…①(ペルシャではなく)アラブ専門家の見たイラン情勢、②親PLO・反イスラエル的な偏見。…例えば日本の政治家の圧倒的多数は、イランはペルシャ人の国ということさえ知らない。アラブ諸国の一つだと思っている。(※マスメディアの社員記者も同様…?)
・イランが近年、ホルムズ海峡の封鎖をほのめかしたり、バーレーンにイラン革命を輸出しようとするのは、ペルシャ帝国主義の文脈で読み解くほうが正確だ。…あるいは、イランが、スンニ派原理主義であるパレスチナのハマスと良好な関係なのは、(宗教が動機ではなく)ペルシャ帝国主義的な発想にもとづいている。
・シーア派とスンニ派が対立するのは、イスラム教の中で分節化が行われる場合。←→ 対イスラエル、対キリスト教ということになると、シーア派とスンニ派は団結するのだ。→ だからイランは、同じ12イマーム派であるレバノンのテロ組織ヒズボラを支援すると同時に、ハマス(スンニ派)も全面支援する。…反イスラエルという戦略の上では、シーアとスンニの差異は些細な違いでしかないのだ。(※なるほど…)

○パレスチナが平和だった時代

・パレスチナは、ユダヤ教、キリスト教、イスラムすべてにとっての聖地。…(先述したように)地中海東岸のパレスチナは、紀元前1000年頃にヘブライ人が王国を建設した地域の名称(昔はカナーンとも呼ばれていた)。→ バビロン捕囚から解放された後に、彼らはパレスチナの中の都市エルサレムに神殿を再建する。→ その後、ローマの支配下に置かれたユダヤ人は、独立運動を起こすが、逆に徹底的に弾圧・迫害され、ユダヤ人はパレスチナの地から離散する。
・キリスト教では、イエスが十字架にかけられたゴルゴタの丘が、エルサレムにあった(現在のエルサレムにある聖墳墓教会は、ゴルゴタの丘があったとされる場所)。
・では、イスラムにとって、なぜエルサレムが聖地なのか…イスラムの伝承では、ムハンマドがある夜、天使ガブリエルに導かれて、エルサレムにある巨岩から天馬にまたがって昇天し、アッラーに謁見したと言われている。…つまり「ムハンマドの昇天」と言われる伝承に由来する。(詳細はP214~215)
・三つの聖地が併存するエルサレムは、ほとんどの時期は、三つの宗教は平和的に併存していた。→ ここで宗教的な紛争が起きるのは、1948年のイスラエル建国以降のことだった。

○パレスチナ問題の発端

・パレスチナは第一次世界大戦時、オスマントルコの領土だった。→ オスマントルコは、ドイツ、オーストリアの陣営に入って、バルカン戦争で奪われた領土奪回を目指した。
・イギリスは、中東でトルコと戦うが、このとき、戦争を有利に進めるために、三枚舌外交を展開する。

① 戦後のアラブ人の独立と引き換えに、アラブ人にオスマントルコに対して反乱を起こさせる。つまり、トルコの支配に憤るアラブ人のナショナリズムを利用した。
② フランス、ロシアとの間で、トルコ領を分割する秘密協定を結ぶ。
③ パレスチナへの帰還を切望するユダヤ人に、「民族的郷土(ナショナル・ホーム)」の建設を約束する(バルフォア宣言)。
…(※この三枚舌外交は、先日Nスペの特集でも取り上げていたが、ひどいもんだねぇ…)

・相互に矛盾している。→ ではオスマントルコが戦争に負けた結果、どうなったか。…パレスチナは、③のバルフォア宣言にもとづきながら、イギリスの委任統治領になり、ユダヤ人の入植を認めるということになった。→ パレスチナの地にユダヤ人がどんどん押し寄せ、とくに1930年代にヒットラーのユダヤ人撲滅運動が起こると、難を逃れるためにユダヤ人がパレスチナに次々と入ってきた。(※今の難民の流れと逆方向か…)
・これをアラブ人が黙認するわけがない。→ ユダヤ人の入植に反対するアラブ人は、イギリスの委任統治に対して、激しい抵抗運動を展開するようになる。
・第二次世界大戦が終わると、戦争で疲弊したイギリスに、パレスチナを統治する力は残っていない。→ 1947年に国連でパレスチナ分割案が決議される。…それは、パレスチナをユダヤ人国家とアラブ人国家の二つに分け、エルサレムは国際管理地区にするというもの。→ しかし、若干、ユダヤ人に有利な内容だったため、アラブ人は拒否するが、ユダヤ人は受け入れる。…こうして1948年、イスラエルが建国された。

○ハマスの目的

・建国と同時に、イスラエルとアラブ諸国の間で第一次中東戦争が始まり、イスラエルが勝利。→ そこでさらに領土を拡大し、国家はイスラエルだけとなった。→ 四回におよぶ戦争や様々な交渉を経て、地中海に面したガザ地区と内陸部のヨルダン川西岸地区に、パレスチナ自治区ができた。(P218に地図)
・現下の問題は、ガザ地区を実効支配しているスンニ派原理主義過激派のハマス。…ハマスの思想も、(イスラム国やタリバンと同様 )世界はアッラーの神によって支配されるただ一つの帝国でなければいけない。そのためにはイスラム革命が必要であり、まず最初に、イスラエルをパレスチナから抹消しなければならない、と考える。→ そうなると、イスラエル政府とハマスの間に、交渉の可能性は開かれない。…ハマスにとって、パレスチナ民族の自立は目標ではなく、革命のための単なる道具にすぎない。
・なぜ、ガザ地区に住むパレスチナの人々は、ハマスに惹きつけられるのか。…(住民の大多数は、必ずしもハマスを支持しているわけではないが)ハマスのようなイスラム原理主義の中には、福祉を重視する人たちがたくさんいる。彼らは、アッラーの前で人は平等だと考えるため、生活はものすごく質素で、持っているものは同胞に分け与える。→ だから、一定の人々の心をつかむことができるのだ。
(※う~ん、このあたりが、イスラム問題の肝の一つか…)
・目下のハマスの戦略は、ヨルダン国王を打倒することに向けられている。→ ヨルダンにはパレスチナ難民が大勢いるので、彼らを動員して、ヨルダンで紛争を起こそうとしている。…現在のヨルダン王室はイスラエルと良好な関係を維持している。→ もしもヨルダンの王制が転覆すれば、サウジアラビア、アラブ首長国連邦など湾岸の王制も動揺する。→ その機会に乗じて、ハマスはイスラム国と提携して、中東に世界イスラム革命を輸出する拠点国家を建設しようとするわけだ。
(※う~ん、この状態では、当面は中東情勢の見通しは暗い…?)

(4)戦争を阻止できるか

○EUとイスラム国を比較する

・EUとイスラム国…この両者は、近代の基本的枠組みである国家や民族の枠を越えようとしている点では共通している。
・EUの本質をなすものとして、ラテン語の「コルプス・クリスティアヌム」という概念がある。…ユダヤ・キリスト教の一神教の伝統と、ギリシャ古典哲学、ローマ法という三つの要素から構成された文化総合体のこと(日本語に訳せば「キリスト教共同体」)。…これは、神学者エルンスト・トレルチ(1865~1923)の考え方。
・この体系は、中世に確立し、近代になって世俗化しているが、いまなおヨーロッパ的な価値観の根底をなしている。…EUもまた、この三つの価値観によって結びつけられている有機体だ。→ このことは、EUの広がりを見るとよくわかる。…EUがロシアやウクライナに延びないのは、コルプス・クリスティアヌム(キリスト教共同体)がカトリック・プロテスタント文化圏のものであり、正教文化圏を含みにくいから。→ 同様に、トルコがEU入りを希望しても、入れないのは、コルプス・クリスティアヌムの価値観を共有していないからだろう。
(※わが日本も、このEU的な価値観を共有していない…)
・では、EUはなぜ生まれたのか。…その最大の目的は、ナショナリズムの抑制…二度の世界大戦を経て、あまりにも大きすぎる犠牲者を出してしまった。→ ドイツ人もフランス人も戦争だけはしたくないと強く思って、それがEUという形に結晶しているわけだ。…従って、宗教的な価値観を中心とした結びつきには、民族やナショナリズムを越えていくベクトルがあることが確認できる。
(※う~ん、民族やナショナリズムを越えていくベクトルとなると、ヨーロッパではキリスト教的な価値観しかないのか…?)
・一方、イスラム国もまた、国家や民族の枠をグローバルなイスラム主義によって克服しようという運動。…イスラム国の組織形態は、ネットワーク型という特徴を持っている。(アルカイダのように、ウサマ・ビンラディンの命令で下部が動くという組織形態ではなく)小さなテロのユニットが無数にあり、それぞれに必ずメンター(宗教指導者)がつく。→ そのユニットがインターネットでつながって、世界中で結びついている。…しかし、EUと決定的に違うのは、イスラム国が国家と民族の枠を越えて、人を殺す思想になってしまっていることだ。
・イスラムには、ムスリムが支配する「イスラムの館」と、異教徒が支配している「戦争の館」という概念がある。→ イスラム原理主義の最終目標は、世界中の「戦争の館」を、ジハード(聖戦)によって「イスラムの館」に転換していくことなのだ。…この場合、国家や民族は越えたとしても、ナショナリズムと同じように、人を殺す思想になってしまう。
・では、こうしたグローバルに拡大する宗教原理主義の暴走にストップをかけることはできるのか。…そのヒントは、ネイションにある。

○イスラム原理主義の暴走を食い止める方策

・(2章でエトニ論を紹介したように)ネイションの基にはエトニがある。…つまり、ネイションが生まれるときには、共通の価値、記憶、言語、血統、領域といった事柄がエトニとして事後的に発見される。→ このエトニの議論に、イスラム原理主義を無力化する鍵がある。
・イスラム原理主義の特徴として次の5点がある(ゲルナーの『民族とナショナリズム』より)。

①イスラム原理主義は(儒教のように哲学的思弁を駆使せず)簡単で、宗教と道徳が一致しているため、近代化の嵐の中でも生き残ることができた。
②イスラム原理主義が、儒教より強いのは、強力な超越的観念を持つから。
③イスラム原理主義においては、超越的な神とこの世の人間が直結する。…信仰の仲介者がいないので、政治的、道徳的言説の内容が曖昧で、幅が広くなる。→ それゆえにイスラム原理主義は広域で影響を発揮することができる。
④超越的な唯一神を極端に強調すれば、知的整合性を無視することができる。
⑤近代的な学問手続きや論理整合性を無視して、「大きな物語」をつくることができる。
(※う~ん、これらの特徴を一言でいえば、反知性主義的ということではないか…)

・こうしたイスラム原理主義の特徴を熟知して、その暴走を事前に食い止めようとしたのが、(前章で紹介した)レーニンとスターリン。→ ムスリム・コミュニストの力が強まり、イスラム原理主義がソ連を席巻する可能性が生まれたとき、スターリンは脅威を除去するために、次のような方策をとった。

①イスラム原理主義が尊重する信仰対象、習慣などを尊重し、摩擦を起こさないようにする。→ スターリンは、イスラム法を尊重せよと訴えた。
②イスラム系諸民族の中にあるエトニを刺激して、(イスラムへの帰属意識よりも)民族意識を強化する。→ その結果、イスラム原理主義が浸透する土壌がなくなる。

・(前章で解説したように)現実には上からの強制的な民族アイデンティティを付与したため、ソ連崩壊後には、ナショナリズムの暴走が始まった。→ しかし、スターリンの戦略から学べることもある。…それは、エトニを刺激し、ネイションを対置することで、イスラム原理主義の浸透を防ぐということ。
(※民族・ナショナリズムによって、宗教原理主義を制する…?)

○第一次世界大戦時と現在とのアナロジー

・ここまで、歴史をアナロジカルに捉えることを強調してきた。…そこで本書の仕上げとして、第一次世界大戦との類比で現在を捉えてみよう。
・2014年は、第一次世界大戦勃発から100年目にあたる。…その大戦では、新しい兵器(毒ガス、戦車、機関銃、潜水艦など)が次々と開発され、実戦に投入された。→ 戦場と銃後の区別がなくなり、非戦闘員までが動員される総力戦になったのも、この戦争が初めてだった。…犠牲者数も(諸説あるが)900万人から1500万人と推定され、それ以前の戦争の犠牲者数とは桁違いだった。→ その結果、戦勝国であるイギリスでさえ疲弊し、旧・帝国主義政策、つまり植民地支配による富の収奪システムが揺らぎ始めたのだ。
・第一次世界大戦の特徴として、さらに指摘しておきたいのは、戦争観の変化。…ヨーロッパでは中世から近代にかけて、戦争をするには正しい理由が必要とされていた(正戦論)。←→ しかし、帝国主義的な戦争である世界大戦には、どの国も納得するような正しい理由などあり得ない。→ そこで、平等(無差別)的な戦争観が持ち込まれた。…(正義・悪という二元論を超えて)宣戦布告や交戦規則、捕虜の取り扱いなどの規則遵守を重視する戦争観だ。
・しかし、この戦争観も後の第二次世界大戦で変化していった。…(日本が宣戦布告の前に真珠湾を攻撃したように)戦争によって得られる利益のほうが大きければ、国際ルールなど反古にしてもよい、そんな発想だ。→ それと同じ発想で行動しているのが、現在のロシア。…クリミアをロシアに編入することは、国際社会からの非難や制裁を補って余りあるほどの多大な利益をもたらす、と考えている。
・もう二つほど、補助線を引いておく。

①(先にも述べたが)アメリカは、第二次世界大戦を経てもまだ啓蒙の精神が盛んで、合理主義を信奉している。→ これは第一次世界大戦前の、科学技術と合理主義を絶対視する思想にまでさかのぼることができるだろう。…アメリカのこのスタンスは、基本的に現在も変わらない。(※現下のアメリカの「トランプ現象」は、どう考えたらいいのだろう…?)
②ソ連型社会主義の崩壊後(冷戦の終結後)、資本主義国がカネに対する統制を失いつつある(※マネー資本主義の跋扈…)。…社会主義という目に見える脅威が存在したときは、資本主義国は自国での革命を阻止するため、富裕層に集中する富を累進課税や法人税で吸い上げ、中下層に再分配していた。←→ しかし、共産主義国が崩壊し、再分配の必要がなくなった。→ その結果、富が上位の何パーセントかに集中する著しい格差が資本主義国を覆っている。
(※敵なしの資本側がやりたい放題…。→ ピケティは、富の再配分を提言…)

・以上の情報を総合してみる。…まず、第一次世界大戦によって、帝国主義国が握っていた植民地と富が揺らいだ。→ そして、社会主義国の崩壊によって、資本主義国のマネーへのコントロールが揺らいでいる。…どちらも、権力基盤が不安定になっていることを物語っている。→ そして、ロシアのクリミア編入や、いまだ続くアメリカの合理主義信奉(※?)を見ると、冷戦時代の二大大国が現在、第一次世界大戦前後の状況と酷似する場にいる、ということが理解できる。(※中国は、どういう位置づけになるのか…?)
・まとめると、現下の情勢と第一次世界大戦前後の状況をアナロジカルに捉えることができるのだ。…(当時の世相について書かれた文献によると)第一次世界大戦の前夜、これから何かが起こる、しかし何が起きるかは分からない、という不安の空気が蔓延していたようだ。→ 現在も、まさにそうではないだろうか。先行き不透明で複雑な状況に時代は陥っている。(※確かに…)

○新・帝国主義は何を反復しているのか

・時代はどこへ向かっていくのか…そのことを考察する前に、本書のまとめをしておく。

〔1章〕
・資本主義は必然的にグローバル化を伴って、帝国主義に発展する。…第一次世界大戦後の共産主義の出現は、資本主義のブレーキ役となったが、1991年のソ連崩壊(冷戦の終結)によって再び資本主義は加速し、新・帝国主義の時代が訪れている。→ 19世紀後半からの帝国主義と現代の新・帝国主義を、アナロジカルに捉えることが、第1章の大きなポイントだった。
〔2章〕
・帝国主義の時代には、資本主義がグローバル化していくため、国内では貧困や格差拡大という現象が現れる。→ 富や権力の偏在がもたらす社会不安や精神の空洞化は、社会的な紐帯を解体し、砂粒のような個人の孤立化をもたらす。→ そこで国家は、(上からの)ナショナリズムによって人々の統合を図ることになる。(※まさに現在、日本で起きつつある現象か…)
・それと同時に、帝国内の少数民族は、程度の差こそあれ民族自立へと動き出す。…こうした動向でも、旧・帝国主義と新・帝国主義はよく似ている。→ 上からの公定ナショナリズムや排外主義的なナショナリズムで人々が動員される一方、ハプスブルク帝国の中でチェコ民族が覚醒したように、現代ではスコットランドや沖縄がエトニの発見にもとづいて、自身の民族性を認識するようになってきた。(※中国でも、少数民族や台湾が同様の動き…?)
・帝国主義の時代には、現在の国民よりもっと下位のネイション、つまりもっと小さい民族に主権を持たせることで危機を乗り越えようという動きが出てくる。…以上が第2章の核となるアナロジーだった。
〔3章〕
・沖縄やスコットランドとは対照的に、国民国家の危機をグローバルな理念で乗り越えようとする動きも出てくる。それが宗教的な理念。…時代こそ違うが、キリスト教でもイスラムでも、社会の危機に対して、復古主義・原理主義的な運動が起こり、地域や領土を越えて拡散していく点では共通している。…現代のEUも見方によっては、西ローマ帝国さらにはローマ帝国への回帰と言うこともできるだろう。(※EUは〝未来性〟ではなく〝復古〟か…?)

○プレモダンの精神をもって、モダンをリサイクルする

・このように、巨視的に歴史を見る力やアナロジカルな見方によって、現代がどのような時代なのかを把握することが可能になる。→ しかし、本当に難しい問題はその先にある。…はたして、時代はどこに向かっていくのかという問題だ。(※確かに、そこが知りたい…)
・19世紀末に生まれた帝国主義は、二つの世界大戦による大量殺人と大量破壊にまで行き着いてしまった。→ ヨーロッパが殺し合いをしなくなったのは、あまりにも大きすぎる犠牲をこのとき払ったからだ。…いわば、帝国主義は臨界点を迎えてしまったわけだ。
・一方、現代の新・帝国主義は、第三次世界大戦には至っていない。しかし、ウクライナ、パレスチナ、イラク、シリアなどでは、核を使わない戦争が続いている。→ こうした戦争や紛争を解決するには、たった一つしかない。…それは(ヨーロッパがそうであったように)もうこれ以上殺し合いをしたくないと双方が思うことだ。(※う~ん、極めて簡潔な提言だが…)
・その境界線を定量化することはできない。…数百万人かもしれないし、数千人かもしれない。しかし、その一線は必ず存在する。→ だとすれば、その一線をできるだけ下げるようにするのが、戦争を阻止するという本書の目的にかなうことになる。…そのためには、どうすればいいのか。→ 二つの可能性があると考える。

①もう一度、啓蒙に回帰すること。…人権、生命の尊厳、愛、信頼、といった手垢のついた概念に対して、不可能だと知りながらも、語っていく。…それは、バルトの言う「不可能の可能性」を求めていくことだ。(※なるほど、そうきたか…ここで神学とのアナロジーが完成するわけか…。そして、一定の説得力はある…)
・近代が限界に近いことは確かだ。その兆候はいたるところに現れている(※「資本主義の終焉」という水野和夫氏とも通底…)。…しかし、近代を超える思想として提出されたものが、ことごとく失敗しているのも事実だ。→ 啓蒙主義の帰結を反省して、あらゆる理念や概念を相対化した結果、人々は何も信じることができなくなって、動物的に行動するだけになってしまう。…いまや政治も経済も、動物行動学者の想定するような世界になっている。
(※確かに、マネー資本主義なども、ある意味で反倫理的で動物的だし、政治も動物レベル…?)
・だが、近代は限界に近づいているものの、国民国家や資本主義のシステムは、そう簡単には崩れない。…国民国家の成立が均質の労働力を生み、資本主義を育ててきた。→ その綻びが見え始めたとはいえ、いま世界で起きていることは、しょせんコップの中の嵐であり、現行システムの調整だと思う。(※う~ん、「長い21世紀」の、先はまだ長い…?)
・だとすれば、近代の枠組みの中で戦争を止めるには、近代の力を使うしかない。→ それが啓蒙主義。…モダンのリサイクルと言ってもいいかもしれない。(※当面の弥縫策…?)

② もう一つは、プレモダンの精神、言い換えれば「見えない世界」へのセンスを磨くこと。…(本章で何度も述べたように)「見える世界」の重視という近代の精神は、旧・帝国主義の時代に戦争という破局をもたらした。→ 新・帝国主義の時代には、目に見えなくとも確実に存在するものが再浮上してくると思う。
・イギリスは、実念論が国家の中核にある。…「目には見えなくとも存在するもの」が、この国では近代的な民族を超える原理となって人々を統合してきた。→ (イギリスのみならず)現下の情勢を見ても、もはや合理的なこと(※目に見える数値・実証主義?)だけでは、国家や社会の動きは説明できないだろう。…実念論の時代の再来だ。→ だからこそ私たちは、「見えない世界」へのセンスを磨き、国際社会の水面下で起こっていることを見極めなければならないのだ。……以上をまとめると、プレモダンの精神をもって、モダンをリサイクルする、ということになる。

〔※この著者は、「見えない世界」を、神学的な「超越的なもの」とのアナロジーで考えようとしていると思われるが、当方としては、(先述したように)「見えない世界」を、「神」ではなく「自然」に、例えば、「自然農法」の木村秋則さん(「震災レポート28」参照)や、生物学者・福岡伸一さんの「センス・オブ・ワンダーの世界」、さらには「縄文の世界」(「アフリカ的世界」?)などにも通底していくような方向で展開できたら、と思っている…〕

・歴史への向き合い方も、私たちはイギリスに学ばなければいけない。…イギリスの歴史教科書は、過去の過ちをふまえて、歴史には国家や民族によって複数の見方があることを、徹底的に教え込もうとしていた。
・私たちもまた、歴史は物語であるという原点に立ち返る必要がある。→ そのことを自覚した上で、よき物語を紡いで、伝えること。…そして、歴史が複数あることを知るために、そして「見えない世界」へのセンスを磨くために、アナロジカルに考えないといけない。
⇒ 近代の宗教である資本主義やナショナリズムに殺されないために、私たちはアナロジーを熟知して、歴史を物語る理性を鍛え上げていかなければならないのだ。

〔※宗教の門外漢が、世界史の中の宗教について、よき専門家の案内で学ばせてもらったが、最後に勝手な感想を述べさせてもらうと……いま、世界中を席巻しているかに見える一神教の世界(ユダヤ教・キリスト教・イスラム教)を、(否定するのではなく)相対化していく、という視点・方向性が、(一神教が根付きにくいと言われる?)この日本という国の、世界史的・地政学的(?)な役割の一つなのではないか、などと妄想してしまうのだが…〕
                               (5/30…3章 了)            


 今回までで、資本主義、民族問題(ナショナリズム)、宗教という三つの要素によって、現下の「世界状況」を読み解くための、当面の最低限の知識を少しは学べたかな、という感触は得られたようです。→ 当初は、引き続いて「日本状況論」へ向かう予定だったのですが、この間たまってしまった未読本に目を通すため、次回は少し遅れそうです。…それではまた…(今夏の暑さがもう始まるなか、オバマ米大統領の「広島スピーチ」を読みながら…)。
                                   (2016.5.30)          

2016年5月23日月曜日

(震災レポート36)

(震災レポート36)
 震災レポート・5年後編(2)―[世界状況論 ②]


・本章のテーマは、世界史上の民族問題とナショナリズムを考慮しながら、これからの国家のゆくえを展望すること。→ 民族問題に効率的にアプローチするためには、中東欧とロシア帝国に注目すること。なぜなら、民族という概念が根づいたのは、まずは中東欧だったから。そして、民族問題の複雑さを理解するにはロシア帝国を取り上げるのが適切と考えるから。…現代日本のナショナリズムを考えるためにも、世界史の教養は必須なのだ。(佐藤優)



『世界史の極意』
  佐藤優(NHK出版新書)
    2015.1.10(2015.2.25 5刷)
 ――[中編]



【2章】民族問題を読み解く極意
  ――「ナショナリズム」を歴史的にとらえる


(1)民族問題はいかにして生じたのか


○中世末期の西欧と中東欧の違い

・中世のヨーロッパでは、教会と社会が一体化していた。→ だから中世の人間には、近代人のような民族意識はない。…中世のヨーロッパ人にとっては、人間であることはキリスト教徒であることとイコールだった。(※う~ん、ヨーロッパの歴史におけるキリスト教の重たさ、というのは、ちょっと日本人には実感的に理解不能か…)
・西欧では、比較的早い段階で、国家というまとまりが成立していった。…英仏の場合、1339~1453年の百年戦争後に中央集権化が進んで、領土的なまとまりを形成していく(詳細はP95~96)。イベリア半島も、国のまとまりはけっこう早い。→ キリスト教徒がイスラムを追い出すレコンキスタ(国土回復運動)とともに、1143年にポルトガル王国ができ、1479年にはスペイン王国が成立する。
・つまり、イギリス、フランス、スペイン、ポルトガルといった西欧では、比較的早い段階で主権国家の条件が整備されていった。←→ それに比べて、中東欧を含む15世紀末の神聖ローマ帝国(ドイツ)は、混沌としている。…その範囲は、オランダ、ベルギー、フランス東部、スイス、オーストリア、チェコなどのかなりの地域まで含むが、実態は「名ばかり国家」だった。→ 皇帝はいても権力はなく、帝国の中に数百もの領邦が分立しているような状態。(※日本の戦国時代のようなイメージか…)


○16世紀に始まるハプスブルク帝国の興隆

・絶対主義の時代が始まる16世紀は、ハプスブルク家が世界史の中心を担う時代。…ハプスブルク家は、もともとはスイス北東部の弱小貴族だった。→ ところが1273年に、瓢箪から駒のような形で、ハプスブルク家の総領ルドルフが、神聖ローマ帝国の皇帝に選ばれる(ローマ教皇から冠を授与されて皇帝になる…詳細はP97~98)。…ハプスブルク家の得意技は、結婚政策(※政略結婚はどこも同じか…)。→ その全盛期は、(イギリスとフランスを除いた)西ヨーロッパの大半を手に入れるほどの隆盛を極めた。(詳細はP98~99)


○三十年戦争の二つの側面

・このハプスブルク家がヨーロッパの主導権を握っていた時代に起こったのが、ルターの宗教改革。…16世紀、当時のローマ・カトリック教会の教皇が贖宥状(罪の償いを軽減する証明書)を販売した(※地獄の沙汰も金次第!)のに対して、ドイツのマルティン・ルターは、贖宥状を買うだけで神の罰が解消されるはずがないと批判し、聖書を拠りどころにした信仰の重要性を説く。→ このルターに始まったカトリック教会への批判運動は、ヨーロッパ全体をカトリックとプロテスタントに塗り分け、内戦・戦争に発展していった。
・そのピークとなる戦争が、神聖ローマ帝国を舞台として1618年に始まった三十年戦争(詳細はP100)。…つまり三十年戦争は、カトリック対プロテスタントという宗教戦争と、ハプスブルク家対フランス・ブルボン家の対立という二つの側面を持った国際戦争として拡大していった。→ この三十年戦争の後、1648年に、終戦処理のための講和会議で締結された条約が、ウェストファリア条約。


○ウェストファリア条約の意義

・このウェストファリア条約によって、宗教戦争は終結し、神聖ローマ帝国内の各領邦国家も含めて、それぞれの国が内政権と外交権を有する主権国家として認められた。→ つまり、ウェストファリア条約こそが、「主権国家によって構成されるヨーロッパ」という世界秩序をつくりあげ、戦争をもたらしたカトリックとプロテスタントの長年にわたる対立に終止符を打ったことで、まさに中世と近代を画する結節点となった(ヨーロッパの主権国家体制の確立)。
・序章で、「戦争の時代」は今なお続いていると述べた。→(さらにマクロな視点に立つなら)私たちは今なお、ウェストファリア条約で形成された近代システム(主権国家体制による世界秩序)の延長を生きていると言えるのだ。
・(ウェストファリア条約~フランス革命の時代の、ヨーロッパの国際政治史)…激しい領土変更を伴う戦争が相次いだ。…ドイツは、(領邦国家の一つであった)プロイセンが力をつけ、領土を拡大。…オーストリア・ハプスブルク家は、ウィーンに迫るオスマントルコとの戦いに勝利し、1699年にハンガリーを奪う。…ポーランドは、18世紀後半に、隣接していたロシア、プロイセン、オーストリアの三国に分割されてしまった。→ 現在のウクライナ西部にあたるガリツィア地方は、オーストリア・ハプスブルク領となる(後述)。


○ナショナリズムを輸出したナポレオン戦争

・ここまで、中世末期から近代初期までのヨーロッパの国際情勢をたどってみたが、この時期には民族問題やナショナリズムは存在しない。君主のもとで中央集権化は進んでも、領域内の住民の国家に対する帰属意識は希薄だ。→ つまり、ウェストファリア条約によって主権国家システムは成立したが、いまだに「国民」や「民族」と訳される近代的なネイションは生まれていない。(※この段階では、「国家」という意識を持っているのは支配階級だけ…)
・近代的なネイションは、1789年のフランス革命によって誕生した。…男性普通選挙を含む憲法の制定、徴兵制の実施など、領域内の住民が国家の政治に参加する権利を持つと同時に、住民自らが兵士となって国家を守る。→ フランス革命では、国家の主権が(国王ではなく)国民にあるという原則が打ち立てられた。…このように、国民(nation)と国家(state)が一体となった国家を「国民国家」(nation state)という。
・フランスで生まれた国民国家や自由の理念は、ナポレオン戦争によって、ヨーロッパ中に輸出されていく。…ナポレオンのヨーロッパ遠征の破壊力のすさまじさ。→ ナポレオン全盛期には、(ロシアを除く)ヨーロッパ大陸のほとんどを支配下に置く。…西南ドイツ諸国も支配下に置いたことで、1806年に神聖ローマ帝国も完全に消滅した。
・(世界史の教科書)…「封建的圧政からの解放を掲げるナポレオンの征服によって、被征服地では改革が促されたが、他方で外国支配に反対して民族意識が成長した。→ まず、スペインで反乱が起こり、またプロイセンでは、シュタイン・ハルデンベルクらが農民解放などの改革をおこなった。」
・ヨーロッパ諸国は、フランス国民軍の強さを目の当たりにした。…ドイツはいまだ多数の領邦国家が分立している状態。→ その中で、哲学者のフィヒテは「ドイツ国民に告ぐ」という演説を行い、ドイツ民族の一体化を訴えている。…ドイツに顕著なように、ナポレオンによって征服された国々では、民族意識や国民意識の覚醒を訴えるナショナリズムが発揚していく。


○19世紀から始まる中東欧の民族問題

・(中東欧の状況)…ナポレオン失脚後のウィーン体制では、(ロシア皇帝がポーランド王を兼ねることになったため)ポーランドは実質的にロシアの支配下に置かれた。…ハプスブルク朝のオーストリア帝国は、(現在のハンガリーを含む)当時最大の多民族国家(ドイツ人、マジャール人、チェコ人、ポーランド人、ルーマニア人、スロヴァキア人、ウクライナ人、セルビア人、マケドニア人など)。→ これらの民族が、19世紀のナショナリズムの中で、自治・独立を求める動きを強めていった。
・1848年、フランスの二月革命の影響はウィーンにも及び、帝国内のスラブ人やマジャール人(ハンガリー人)、イタリア人の民族運動が高まる。→ スラブ人は独立を求めて、プラハでスラブ民族会議を開いた。…ハンガリーは、1867年に自治を認められ、オーストリア=ハンガリー二重帝国が成立。
・オスマントルコが支配していたバルカン半島でも、19世紀後半に大きな変化があり、「ヨーロッパの火薬庫」の様相を呈していく。…露土戦争(1877~78年)において、トルコは、南下政策をとるロシアに敗れ、ルーマニア、セルビア、モンテネグロがトルコから独立。→ この敗戦で、トルコはバルカン半島の領土の大部分を失う。(※う~ん、ロシアとトルコの戦争の歴史は古い…。P107に第一次世界大戦前のヨーロッパの地図)
・1908年には、トルコで起きた革命の混乱に乗じて、オーストリアがボスニア・ヘルツェゴビナを併合し、ブルガリアがトルコから独立。←→ しかし、ボスニア・ヘルツェゴビナにはスラブ民族であるセルビア人住民が多く、セルビアはこの併合に反発。(※う~ん、複雑…!)
・その後に起きるバルカン戦争が第一次世界大戦の火種となっていくが、その構図は、ロシアをリーダーとする汎スラブ主義と、ドイツ・オーストリアを中心とする汎ゲルマン主義との民族的な対立。―→ フランス革命以降に広がったナショナリズムが、中東欧において複雑な民族問題を構成し、第一次世界大戦の背景となっていった。…この流れを押さえておいてほしい。(※う~ん、この程度の世界史の流れを押さえておかないと、世界の中の日本の位置づけや、現代日本のナショナリズムについて、さらには今後の国家の行方を、展望することはできない、ということか…)



(2)ナショナリズム論の三銃士
  ――アンダーソン、ゲルナー、スミス


○三人の知的巨人

・中世末期から三十年戦争を経て第一次世界大戦にいたる流れから、現代を生きる私たちは何を汲み取るべきか。…そのための強力な武器が、ベネディクト・アンダーソン(代表作『想像の共同体』)、アーネスト・ゲルナー、アントニー・D・スミス、という三人のナショナリズム論。(詳細はP108~109)


○「想像の共同体」と道具主義

・ナショナリズムの問題を考えるときの、「原初主義」と「道具主義」という考え方がある。…原初主義とは、日本民族は2600年続いているとか、中国民族は5000年続いているといったような、民族には根拠となる源が具体的にある、という実体主義的な考え方。→ この場合の具体的な根拠として挙げられるのは、言語、血筋、地域、経済生活、宗教、文化的共通性といったもの。〔※日本の場合は、言語、血筋、宗教に加えて、最近では文化的な共通性(和食とか和製○○とか)を強調する傾向…?〕
・きわめて素朴な議論だが、ここには大きな問題がある。ex. ウクライナ人とロシア人……988年に導入されたロシア正教がロシア人のアイデンティティ形成にとって不可欠だったと言われているが、その年にキリスト教を受け入れたのは、現在のウクライナの首都キエフの大公だったウラジミール一世。→ そうすると、キエフなきロシアというのは考えられるのか。あるいは、ウクライナというのも、その意味ではロシア人ではないか、ということになる。→ 原初主義的発想では、すぐに袋小路に入ってしまう。
・それに対して道具主義は、民族はエリートたちによって創られる、という考え方。…つまり、国家のエリートの統治目的のために、道具としてナショナリズムを利用するのが、道具主義。(※近現代の日本のナショナリズムは、この〝道具主義〟の色合いが強い…?)
・この道具主義の代表的な論者が、アンダーソン。…国民というのはイメージとして心に描かれた想像の政治的共同体。→ つまり、日本の国民というのは、「自分たちは日本人なんだ」とイメージしている人たちの政治的共同体だ、ということ。…イメージだから、実体的な根拠はない。→ 国民意識というのは、自分たちは同じ民族だというイメージをみんなが共有することで成り立つものである、というのがアンダーソンの考え方。(※う~ん、「共同幻想論」と通底する考え方か…?)(※オリンピックなども、国民意識のための〝道具〟として使える…?→ 安倍政権がオリンピック招致に熱心だった理由…?)


○標準語はいかにつくられるのか

・では、どうすれば同じ民族というイメージが共有されるのか。→ アンダーソンが強調するのは、標準語の使用。……標準語というのは、自然に存在するものではない。…日常の話し言葉は、地域によって様々…現在の日本にも、地域ごとに方言がある。→ では、標準語はどのようにつくられていくのか。アンダーソンは「出版資本主義」の力だとする。
・書籍の出版は、初期の資本主義的企業であり、初期の出版市場は、もっぱらラテン語の読書人たちを対象としていた(ラテン語を読める人間は少数のエリートなので、市場としては旨味がない)。→ 16世紀前半、ルターの宗教改革の時代に、ルターがドイツ語で著作を書き、聖書のドイツ語訳を出版した。これが飛ぶように売れた(ルターは名の通った最初のベストセラー作家となった)。⇒ そして重要なことは、ルターのドイツ語訳の聖書が普及したことで、標準的なドイツ語を読み書きする空間が生み出されるようになった、ということ。
・話し言葉はあまりに多様なので、話し言葉ごとに本をつくっていたら、出版業はたいして儲からない。→ そのために、「出版用の言語」がつくられていくことになる。…それが国語や標準語というシステムになっていく(というのがアンダーソンの分析)。
・アンダーソンの考え方では、民族とは想像された政治的共同体、すなわち想像上の存在(※「幻想された共同体」?)。→ だから、小説や新聞が大きな役割を果たす。…ある小説を読む読者共同体ができる。→ そこに「われわれ」という共通認識が生じる。…「われわれ」を感じることができるような文学形態(ex. 小説)は、ナショナリズムと表裏一体の関係にある。
〔※う~ん、「出版用の言語」=国語、標準語 → その国語や標準語というシステムが、「われわれ」という共通認識を持てるような空間を生み出し、それに小説や新聞(現代ではネットも?)が大きな役割を果たし、それらは、ナショナリズムと表裏一体の関係にある、ということか…?…一定の説得力はあるが、ちょっと単純化しすぎる嫌いも…〕


○公定ナショナリズムとは何か

・アンダーソンの議論でもう一つ重要な概念に「公定ナショナリズム」というものがあり、ここに道具主義が絡んでくる。これは簡単に言うと「上からのナショナリズム」で、アンダーソンはその例として帝政ロシアを挙げている。
・ナポレオンの侵略後、国民国家やナショナリズムの理念がヨーロッパ諸国に広まっていったことはすでに触れたが ←→ こうしたフランス発の理念に対抗するため、ロシアは「正教、専制、国民性」というスローガンを掲げた。…この第三の原則「国民性」が、この時期に新しく加えられた。
・さらに19世紀末になると、アレクサンドル三世の治世のもと、ロシア語が、バルト海地方すべての学校の授業の言語として義務づけられる。…このように、支配者層や指導者層が、上から「国民」を創出しようとするのが公定ナショナリズムだが、それは王権の正統性を支える新たな道具になると同時に、「新たな危険を伴った」とアンダーソンは指摘している。
(※この構図は、明治以降の近代日本にも、そのまま当てはまるのでは…?)
・(「新たな危険」とは)…「国民性」をつくるということは、君主もまた国民の一人に数えられることになる。→ 従って君主は、国民の代表として、国民のために統治をしなければいけない。←→ 仮に、それに失敗すると、国民からは同胞に対する裏切り行為と糾弾されてしまう…そういう危険性があるわけだ。


○ゲルナーのハイライト

・次に紹介するゲルナーも、道具主義の代表的な論客。〔主著『民族とナショナリズム』〕…(ナショナリズムの思想があって、ナショナリズムの運動が生じるのではなく)ナショナリズムの運動があって、ナショナリズムの思想が生じる。→ その結果、「民族」「国民」と訳されるネイションが生まれてくる。…つまり、(民族が最初にあってナショナリズムが生まれるという原初主義的な通念は誤りで)ナショナリズムという運動から民族が生まれる(発見される)、というのがゲルナーの考え方。
・また、民族という感覚は(アンダーソンと同様に)近代とともに生まれたものとする。…ex. 日本の江戸時代でも薩摩と会津の人間は、同じ民族だという感覚は持っていなかった。
・『民族とナショナリズム』の中でとくに注目してほしいのは、ナショナリズムに対する誤った四つの見方の指摘。

①ナショナリズムは自然で自明であり、自己発生的である、という見方。
②ナショナリズムは観念の産物であり、やむを得ず生まれたため、ナショナリズムはなくても済ますことができる、という考え方。←→ ゲルナーは、ナショナリズムは近代特有の現象と認めながら、同時にそれを消去することはできない、と言っている。
③(マルクス主義者への皮肉)…マルクス主義者は、労働者階級に「目覚めよ」とメッセージを送ったのに、そのメッセージが民族に届いてしまったことについて、「宛先違い」だったと弁解する。…この見方は誤っている。→ なぜ民族に人々が動かされてしまうのかを考えなければいけない、ということ。(※う~ん、日本の戦後思想も、いまだにこの部分について、ほとんど決着がつけられていないのではないか…?)(※現在のフランスでも、庶民階層の多くが、国民戦線という右翼政党を支援しているらしい。…トッド『シャルリとは誰か?』より)
④ナショナリズムは、先祖の血や土地から「暗い力」が再び現れたものだという見方。…これは明白にナチズムを指している。←→ これもまた、ゲルナーは否定する。


○ナショナリズムが産業社会に生まれる理由

・なぜゲルナーはナショナリズムを近代特有の現象だと考えたのか。…それは、産業社会でないと、人々の文化的な同質性が生まれないから。
・産業社会になると、人々は身分から解放され、移動の自由を獲得するので、社会は流動化する(1章のイギリスの「囲い込み」参照)。→ 社会が流動化すると、見知らぬ者同士でコミュニケーションをする必要が出てくる。→ 普遍的な読み書き能力や計算能力といったスキルを身につけることが必須になる。→ 一定の教育を広範囲に実行するためには、国家が必要。…国家は社会の産業化とともに、教育制度を整え、領域内の言語も標準化する。→ こうした条件があって、広範囲の人々が文化的な同質性を感じることができるというわけだ。(※日本では、明治の文明開花期か…)
・こうして、産業化によって流動化した人々の中に生まれていく同質性が、ナショナリズムの苗床になる、というのがゲルナーのナショナリズム論。…1章で、資本主義社会の本質は「労働力の商品化」であるというマルクスの考えを紹介したが、ナショナリズムの形成にも労働力の商品化が大きくものを言ったのだ。
(※労働力の商品化 → 社会の産業化 → 読み書き・計算の能力の必要性 → 国家による教育制度の整備と言語の標準化 → 広範囲の人々に文化的な同質性 → ナショナリズムの形成…ということか。)


○「エトニ」という新たな視点

・アンダーソンもゲルナーも、民族やナショナリズムが近代的な現象であるという点では共通している。→(そして先述のとおり)知識人の間では、原初主義は素朴な議論として斥けられ、道具主義のほうが常識的な議論として受け取られている。←→ しかし、知識人の外側は違う。…知識人ならざる多くの近代人(※一般大衆?)には、民族がはるか昔から存在しているように感じられている。…いったい、それはなぜか。
・アントニー・D・スミスの画期的なナショナリズム論。…(アンダーソンの、民族とは「想像された政治的共同体」という考えに対して)スミスは、近代的なネイションを形成する「何か」がある、と考える。…それを表す概念が、現代フランス語の「エトニ」(古典ギリシア語の「エノトス」)…すなわち「共通の祖先・歴史・文化を持ち、ある特定の領域との結びつきを持ち、内部での連帯感を持つ、名前を持った人間集団」。…(※我々で言えば「日本人」「大和民族」か…)
・スミスによれば、近代的なネイションは、必ずエトニを持っている(エトニが存在しないところに、人為的に民族を創造することはできない)、ということ。←→ しかし、エトニを持つ集団が必ずネイション(国民、民族)を形成するわけではない。→ そのごく一部がネイションの形態を取るのであり、ネイションが自前の国家を持つことができる場合はさらに限られる。(※つまり「エトニ」は、「ネイション」や「自前の国家」になるための必要条件か…)
・このエトニという観念が、歴史と結びつくことによって、政治的な力が生まれる。→ この力によって、エトニは「民族」に転換する。(※う~ん、民族主義派が「歴史教育」を重視するわけか…)
・ここでいう「歴史」は、実証性が担保されている必要はない。つまり、史料にもとづいた客観的な歴史記述である必要はない。人々の感情に訴える、詩的で、道徳的で、共同体の統合に役立つ物語としての歴史(1章で述べた「ゲシヒテ」)。…これが民族形成に不可欠なのだ。→ 民族がはるか昔から存在しているように感じられる理由もここにある。
(※まさに、戦前の「歴史教育」であり、現在の安倍政権が目指すものも、これの〝平成版〟か…)


○三人のナショナリズム論の違い

・アンダーソンの論……(本人の意図とは離れて)「想像の共同体」は人為的につくられるというふうに読まれる傾向が強くある。…とりわけ日本ではそうだった。→ 近代的なネイションは操作可能だということになる。そう誤解される理由は、彼のナショナリズム論には、経済基盤(※マルクス主義的に言うと「下部構造」か)に対する観点が希薄なこと。つまり、イメージやシンボルがあれば、ネイションはつくることができる。→ こうした点ばかりが着目され、「国民国家などフィクションだ」という形で、国家を相対化することに焦点をしぼってアンダーソンの論は使われてしまったようだ(※主に左翼的な視点か…?)。
・ゲルナーの論……経済基盤への着目という点では、すっきりしている。→ 労働力の商品化ひいては産業化が、ナショナリズム誕生の必要条件と言っている。←→ しかし、産業化によって生まれたナショナリズムが、なぜ過去から連綿と続く民族的根拠があるようにイメージされるのか、そして、なぜ人々はナショナリズムに命を賭けるような行動を取るのか、という問いに答えることができない。(※この問いは、宗教問題とともに、現下の世界の最大の難問の一つか…)
・この点を説明しようとしたのがスミスだ。…つまり、ネイションにはエトニ(※共通の祖先・歴史・文化などを持つ、名前を持った集団)という「歴史的な」根拠があるということ。


○フスの物語

・三人の中で、スミスのナショナリズム論は、原初主義にもっとも近い議論。→ だからこそ、知識人の間では、アンダーソンやゲルナーの議論のほうが好まれる(※多くの左翼知識人も?)。←→ しかし私自身は、スミスの言う「エトニ」の概念は決定的に重要だと考える。(※このあたりが、この著者のユニークさであり優秀さか…)
・ネイションという言葉は、ラテン語の「ナチオ(natio)」。…中世の大学の中で出身地を同じくするサークルのことを意味する。…日本語なら、「郷土会」や「同郷団」。
・チェコの宗教改革者フス(ルターの宗教改革以前に活動)が学んだカレル大学には、ボヘミア、ザクセン、バイエルン、ポーランドという四つのナチオがあった。→ フスが参加したのは、ボヘミアのナチオ。…このナチオには、チェコ人、スロヴァキア人、南スラブ人、マジャール(ハンガリー)人がいて、ここだけがチェコ語を用いていた。
・このナチオが、15世紀のフス派の反乱によって政治的意味を持つようになった。…当時の教会の腐敗(三人の教皇による、贖宥状の販売や傭兵を使った戦争)を批判し、チェコ語の聖書をつくったのがフス。→ しかしフスは、異端の烙印を押され、1415年に火刑に処された。→ ボヘミアのフス派はこれに反抗し、1419年にフス戦争を起こす。→ カトリック軍に対して善戦するが、最終的には内部分裂を起こし、フス派内急進派は、穏健派とカトリックの連合軍に敗れた。
・このフス戦争を通じて、民族のアイデンティティとチェコ語という言語、フス派の宗教改革が結びついて、エトニすなわちネイションという考え方の基本が、カレル大学のボヘミアのナチオから出てきた。→ 近代になって、チェコ民族が成立したのは、チェコというエトニが中世に形成されていたから。…フスはそれを結晶化する役割を果たした。
・フス自身は、(自らを近代的なチェコ民族と思っていたわけではなく)…チェコという出身地やチェコ語という言語と結びついた自己意識があっただけだ。→ この自己意識が、フス戦争を通じて、チェコ人というエトニの輪郭を強力につくりあげた。→ このチェコ・エトニが、近代になってチェコ人が国家を形成する民族意識の母体になったのだ。
・チェコ民族の成立からわかることは、あらかじめエトニという要因があることで、民族ができあがるとは言えないということ。…エトニは、民族意識が生まれた後、「歴史的な」根拠として事後的に発見される(※「後づけ」「後知恵」?)。→ 発見するのは、文化エリート。…フスの物語をチェコ民族のエトニとして発見したのは、パラツキ―という文化エリートだった(後述)。
・その意味では、民族問題をつくっているのは常に文化エリートとも言える。…ex. 日本の場合でも、日本的なエトニというのは、本居宣長によって「漢意(からごころ)に非ざるもの」という形で、『源氏物語』や平安時代の中にあると読み込まれた。←→ しかし平安時代の人々に、本居宣長が言ったような「漢意に非ざるもの」という意識は、おそらくなかっただろう。(※日本のネイションの萌芽は、江戸時代にあった、ということか…?)
⇒ つまり、(エトニがあるからネイションができるのではなく)ネイションができるからエトニが(※事後的に)発見されるのだ。

〔※う~ん、このことは、これから数年、(〝憲法改正〟に向けて)日本の文化エリートが、どのような日本・エトニを新たに発見してくるのか、そして、日本人がどのエトニに同調していくのか、あるいはしないのか…非常に重要になってくると思われる。…とにかく日本人には、戦前・戦中に、大和・エトニに根こそぎもっていかれた、という〝前科〟があるのだから…。〝風化〟という問題は、震災や津波という自然災害だけではなく、戦争(原発も)という人災にも当てはまる問題だ。そして「70年」という年月は、それを風化させるのに十分すぎる時間だと思われる…〕



(3)ハプスブルク帝国と中央アジアの民族問題


○マジャール人の覚醒

・18世紀のオーストリア・ハプスブルク帝国内は、神聖ローマ帝国と同様、大小の領邦が分立し、非常に多くの民族を含んでいた。←→ 外では、プロイセンが強国として力をつけ、ハプスブルク帝国を脅かす存在になっていた。→ そこでハプスブルク帝国は、中央集権的な国家をつくるために、農奴解放、宗教寛容政策や教会改革など、「上からの近代化」をめざす。…その中で、帝国内の民族問題につながる影響を与えたのが、ドイツ語の公用語化政策だった。
・しかし、このドイツ語化政策は両刃の剣だった。→ 王朝が普遍的な帝国的言語としてドイツ語を押しつけようとすればするほど、ドイツ語を話す臣民に肩入れしているようにみなされ、それだけ他の臣民の反感を募らせた。←→ しかし、そうしなかった場合には(実際、王朝は他の言語、とりわけハンガリー人の言語に譲歩した)、それは結果的に帝国統一の推進にとって後退であったばかりか、今度はドイツ語を話す臣民が貶められたと感じることになった。(※う~ん、国家の統治にとっての、言語の扱いの難しさ…)
・このドイツ語化政策に、帝国内でもっとも反発したのがハンガリーのマジャール人だった。…ドイツ語が帝国の公用語になれば、(ドイツ語を話せない)マジャール人貴族たちは職にあぶれ、既得権益を失ってしまう。→ そこでマジャール人の支配階級は「上からのナショナリズム」を志向し、マジャール語の防衛に乗り出した。…つまり、一方では、ハンガリー地域内に公定ナショナリズムが生まれていく。
・他方で、ハンガリーでは民衆的ナショナリズムも育っていく。→ 識字率の上昇、マジャール語出版物の普及、自由主義的知識人の成長などによって、民衆的ナショナリズムが刺激され、(アンダーソンの言う)出版資本主義による「想像の共同体」の素地ができていった。
・両者のナショナリズムが最高潮に達するのが、1848年のウィーン三月革命。→ ハンガリーの議会は、封建的な貴族州議会を廃止し、責任内閣制を掲げたほか、農奴解放やマジャール語の公用化を宣言する。←→ しかし、翌49年、革命はロシア軍の援助を受けたオーストリア軍により鎮圧され、民族的自由は再び奪われる。(※う~ん、中東欧は複雑…)


○公定ナショナリズムと帝国主義

・ハンガリーのナショナリズムに見られる、公定ナショナリズムと民衆的ナショナリズムの相克は、その後も続いた。…1866年、オーストリアはプロイセンとの戦争(普墺戦争)に敗れ、ハンガリーの自治が認められた。→「オーストリア=ハンガリー二重帝国」の成立(オーストリア皇帝がハンガリー国王を兼任するが、外交・軍事・財政以外は、ハンガリー独自の憲法、議会、政府を持つ)。…(※これも複雑!…詳細はP130~131)
・これは、帝国内のマジャール人以外の民族から見れば、一種のハンガリー優遇策。そのためハンガリー国内でも、他の民族からの自治を求める声が強まっていった。←→ それに対して、ハンガリー王国は「公定ナショナリズム」を突きつける。→ 国内でマジャール語化政策を打ち出し、他民族にマジャール語を強制していく。
・オーストリア=ハンガリー二重帝国は、第一次世界大戦に敗れる。→ その結果、オーストリアとハンガリーは分離し、1918年にハンガリーは独立。のみならず二重帝国は解体され、チェコスロヴァキア、ユーゴスラビアが独立、ハンガリー王国東部の地域はルーマニアが獲得。……アンダーソンは、公定ナショナリズムの本質を、民衆的ナショナリズムに対する権力集団の応戦だと言う。(※日本の民衆は、権力側の公定ナショナリズムにやられっぱなし…?)
・ハンガリーでは民衆的ナショナリズムが育つなか、自らの権益を守りたいマジャール人貴族たちの公定ナショナリズムによって、王国内の他民族にマジャール化を迫った。
⇒ 新・帝国主義の時代である現在も、帝国主義は公定ナショナリズムと親和性を持ちやすい。…その典型は、中国。
・現在の中国に見られるナショナリズムの高揚は、中国指導部にとって両義性を持っている。→ 中国指導部が公定ナショナリズムを巧みに操作し、共産主義イデオロギー(※実態は、支配者層の既得権益の擁護?)にもとづく権力の中枢を、民族の代表に転換することに成功するならば、ナショナリズムの高揚は体制を強化することになる。←→ それに対して、現在形成されつつある中華民族というナショナル・アイデンティティによって、「お前たちは我々の代表ではない」と共産党指導部が拒否されれば、高揚するナショナリズムは体制にとって危険なものになる。…近代的な民族が育ちつつある中華帝国をアナロジカルに分析する上で、公定ナショナリズムという概念は、非常に有用なのだ。

〔※日本を含めた中国の周辺国にとって、中国が脅威となるのは、(戦前の日本がそうであったように)中国の民衆的ナショナリズムが、中国指導部の公定ナショナリズムに巧みに操作・同調させられることによって、排外主義的なナショナリズムの高揚につながってしまうときだろう。そして最悪なのは、それに対抗する形で、日本の排外的なナショナリズムにも火がついてしまう、という事態だろう(そうなれば、過去の歴史が示すように、いちばん被害を被るのは、いつも民衆の側という結果になる)。→ これを防ぐためには、支配者層による上からの公定ナショナリズムと、生活的な基盤に根ざした民衆的ナショナリズムとを、意識的に峻別する視点・論理そして物語を獲得していく。→ そうすることで、他国の民衆の側とも協調・連帯して、共にそれぞれの支配者層と対峙していく、ということだろう…〕


○オーストリア・スラブ主義とパラツキー書簡

・次にチェコ民族を見てみる。…現在のチェコ共和国の中西部をボヘミアという(宗教改革者フスの出身地)。…ハプスブルク帝国の中では、最も工業化の進んだ地域で、新聞・雑誌を含めチェコ語の出版物も数多く刊行され、文化エリートが育ちやすかった。→ その中にあって、チェコ人は支配者階級であるドイツ人との対立を深め、民族意識を覚醒させていく。
・チェコのナショナリズムを見る上で重要なのは、オーストリア・スラブ主義の思想。1848年のウィーン三月革命によって、ボヘミア地域にも一定の自治が認められた。→(ハンガリーの場合は、ここからマジャール人の公定ナショナリズムが生まれていったが)、ボヘミアは違った。→ ボヘミアは、オーストリア帝国内にいるスラブ民族の連帯を主張するようになる。…これをオーストリア・スラブ主義という。
・オーストリア・スラブ主義を典型的に表すものに、「パラツキー書簡」がある(パラツキーは、チェコの歴史家・民族運動の指導者)。…1848年の革命によって、ドイツ連邦の各地でドイツ統一の運動が強まる。→ このときフランクフルト国民議会が開かれ、二つの立場に分かれる。…①オーストリアを中心にドイツを統一しようという大ドイツ主義。②オーストリアからは分かれて、プロイセン中心で統一しようとする小ドイツ主義。
・ボヘミアのパラツキーのもとにも、大ドイツ主義の代表の一人として参加要請があった。→ この参加要請を拒否した書簡が「パラツキー書簡」(チェコの民族運動を語る上では決定的に重要な資料)。(その要旨)…私はスラブ民族につながるチェコ人…チェコ民族は小さな民族だが、太古以来固有の民族性を持ったひとり立ちの民族だった。その支配者たちは古い時代からドイツの君主たちの連邦に加入してきたが、しかしチェコ民族は自分がドイツ民族に属するとは決して考えなかったし、またどんな時代にも他の民族からドイツ民族の一部と考えられたことはなかった。…つまりパラツキー書簡には、まず自分がチェコ民族であることが堂々と宣言されている…(詳細はP135)。


○「われわれはフスの民族だ」

・パラツキーはチェコ民族の父。→「われわれはフスの民族だ」というイメージを流布することによって、民族のアイデンティティを確立していく。→ そして宗教的にも、(ドイツのプロテスタンティズムではなく)チェコ土着であるフス派のプロテスタンティズムであるという物語をつくっていく。…つまり、パラツキーによって、フスの物語がエトニとして発見されていくわけだ。
・ただし、彼の主張は、(単純なチェコ民族独立主義ではなく)オーストリアからドイツを切り離し、チェコ人、スロヴァキア人、ポーランド人、スロベニア人などのスラブ系諸民族の連邦的な帝国にオーストリアを再編すべきというもの。…これがオーストリア・スラブ主義。→ 従って、同じスラブ民族であっても、「世界帝国」をめざすロシアとの連帯は拒絶する。また、ドイツはドイツでまとまればいいじゃないか、と考えている。←→ ただし、オーストリア帝国にはいっさい手を出してほしくない、と。(※う~ん、中東欧諸国の微妙な立ち位置…)
・こうしてパラツキーは、フランクフルト国民議会への出席要請をはねつけ、他方では、プラハでスラブ民族会議を開き、帝国内のスラブ民族の統合を掲げる。→ 以降、チェコの民族運動は、オーストリア・スラブ主義を基調に動いていく(とりわけ、スロヴァキア人との連邦を構想し、1918年に兄妹民族によるチェコスロヴァキア共和国を建設)。


○ムスリム・コミュニスト

・ここから中央アジアの歴史を見ていく…ナショナリズムが「人を殺す思想」として培養されていく姿がよくわかるから。
・帝政ロシア時代までの中央アジアは、国家が存在しない土地であり、「トルキスタン(トルコ系の人たちが住む土地)」と呼ばれていた。…当然、近代的な民族意識はない。
・遊牧民は、血縁にもとづく部族意識。…農耕民は、定住するオアシスを中心とする地縁意識。…そしてどちらもスンニ派ムスリム(イスラム教徒)という宗教意識を持っている。…言語は、トルコ系言語とペルシャ系言語であり、双方を話すバイリンガルも多い地域だった。
・1920~30年代、スターリンはトルキスタンに恣意的な分割線を引いていく。…おそらくそれは、ロシア革命がヨーロッパに波及しなかったことと関係している。
・マルクス主義の考え方によれば、資本主義が最も発達したところから革命が起きて、社会主義になっていくはず。←→ ところが、現実に革命が最初に起きたのは、後発資本主義国のロシアだった。→ 革命の指導部は、ロシア革命がやがて西欧に拡大していく、と考えたが、その予想は外れてしまった。
・ここで、スターリンとレーニンは見事な方向転換をする。→「万国のプロレタリアート、団結せよ」というスローガンに加えて、「万国の被抑圧民族、団結せよ」を並べるのだ。…本来、この二つは矛盾する。プロレタリアートの観点からすれば、民族には意味がない。…被抑圧民族の観点からすると、階級区別は意味を持たない。→ それを同居させてしまうところが、スターリンとレーニンの手腕。
・さらにレーニンは、潜在的な被抑圧民族として、中央アジアやコーカサスの少数民族に目をつける。→ そうして、ムスリム・コミュニストという概念をつくってしまう。…このムスリム・コミュニストに、中央アジアでプロレタリアート革命を実行してもらおうというのが、レーニンの魂胆だった。
(※こういう政治的策略は、後で高いツケが回ってくるのが歴史の常…)


○トルキスタンの分割

・レーニンのねらいは成功した、いや、成功しすぎた。→ トルキスタンのムスリムに力がつきすぎてしまい、次々とムスリム系の自治共和国が生まれていった。…このままでは、マルクス・レーニン主義まで危うくなってしまう。中央アジアに単一のイスラム国家が生まれてしまう。→ イスラム原理主義革命の拡大に危機感を募らせたのがスターリンだった。
・そこでスターリンは、1920~30年代に「上から」複数の民族をつくっていく。→ トルキスタンを、タジキスタン、ウズベキスタン、キルギス、トルクメニスタン、カザフスタンという五つの民族共和国に分割した(P140に地図)。(※う~ん、こういう成り立ちだったのか…)
・しかし、これらは上から人為的につくられた民族であるため、様々な矛盾が生じた(詳細はP141)。…このように中央アジアでは、1920~30年代に(ほとんど民族意識がないところで)「上から」民族がつくられた。…公定ナショナリズムの典型。
・その結果、どうなったか。→ ソ連崩壊後、中央アジア諸国では部族を中心とするエリート集団が権力を握り、他方で、経済的困窮からイスラム原理主義が拡大していく。(※経済的困窮は、イスラム原理主義が拡大していく最大の要素か…)
・ソ連時代にはそれなりに存在していた市民層も、伝統的な部族社会に吸収されるか、イスラムに対する帰属意識を強める方向に分解が進んだ。→ 1990年代のタジキスタン内戦のように国家が分裂し、民族ごとに国家がいくつも登場して、激しい殺し合いをするかたちで、民族意識が高まってしまう。…これは、ナショナリズムが「人を殺す思想」になってしまうことを端的に示している。
(※このタジキスタン内戦というのは、ほとんど記憶にないが、日本では報道されていたのだろうか…?)



(4)ウクライナ危機からスコットランド独立問題まで


○ウクライナ危機のプロセス

・以上をふまえて、現下の国際情勢について考えてみる。…2014年は、新・帝国主義の時代がいよいよ本格化してきたことを印象づける一年だった。…それを象徴しているのがウクライナ危機。→ この地では、ナショナリズムが文字どおり「人を殺す思想」となっている。
・(今回のウクライナ危機にいたる推移)…2010年2月に大統領に就任したヤヌコビッチは、親ロシア派だが、EUとの経済連携強化を進めていた。→ ところが、2013年11月に、その協定交渉を突然中止し、ロシアとの関係を強化する方針を表明。←→ これに反発する大規模なデモや反政府集会が連日続き、多数の死者も出たことで、事態は緊迫化。→ ヤヌコビッチ大統領が野党側に譲歩するも(大統領選の前倒し実施など)、反政府派のデモは収束せずに激化し、首都キエフを掌握。→ その後、ヤヌコビッチ大統領は行方不明となり、大統領代行による暫定政権が発足。→ このウクライナでの「革命」に続き、2014年3月には、ウクライナのクリミア自治共和国で住民投票が行われ、(ロシアへの)編入を要求。→ そしてロシアは、クリミア編入を決定。→ その後、4月以降は、ウクライナ東部を親ロシア派勢力が掌握し、分離独立を主張。←→ それに対し、新政権は治安部隊を投入したが、事態は混迷を深めたまま内戦状態に。→ ドネツク州、ルガンスク州を実効支配する親ロシア派と、ウクライナ中央政府の間で9月に停戦協定が結ばれたが、武力衝突が完全に収まったわけではない。


○ウクライナ情勢の本質は何か

・しかし、こうした現象面の事実だけを追っていても、ウクライナ問題の本質は何ひとつわからない。→ ウクライナ情勢を解く鍵は、ウクライナ人が持つ「複合アイデンティティ」にある。…ウクライナは、西部と東部・南部で歴史や民族意識が大きく異なるのだ。
・ウクライナ西部は、第二次世界大戦までは、ロシアによって一度も支配されたことがない土地で、強烈なウクライナ民族意識を持っている。宗教もユニエイト教会(ローマ教皇の指揮監督下)の信者が多数派。←→ これに対して、ウクライナ東部・南部はまったく違った歴史を持っている。…17世紀にはロシア帝国領に組み込まれ、ロシアと密接な関係を持った地域。ロシア語を日常的に話す住民が多数派。宗教もロシア正教。→ 従って、人々はそれほど強いウクライナ民族の自覚を持っているわけではない。(詳細はP144~147)
・今回のウクライナ政変で機関車の役割を果たしたのは、西部の民族主義者たち。…西ウクライナの民族主義には長い歴史がある。→ ソ連が崩壊していくプロセスの中で、西ウクライナを中心にウクライナ語の使用などを訴えた激しい民族解放運動が起きる。…その中心になったグループが、「西ウクライナ・ルフ」。
・彼らの基本的な考え方は、「ウクライナが独立した際には核兵器を保全しながら、大国としてロシアに対抗していく」という強硬なものだった。→ 今回のウクライナの反体制派の中心は、この西ウクライナグループだ。…彼らは、祖国をロシアから完全に切り離し、純粋なウクライナを構築したいという強い願望を持っている。……現在ウクライナで進行している「革命」の背景には、こうした歴史的・文化的な根深い対立構造があるのだ。→ 従って、西部と東部・南部では、ロシアに対する距離感もまったく異なる。…西部の民族主義者たちは、ロシアからの影響を排除し、EUとの連携強化を目論んでいる。←→ それに対して、東部・南部はロシアに強い親近感を示し、ウクライナからの分離独立にも肯定的な住民が多数いるのだ。
(※う~ん、複雑…! そして、このウクライナ問題は、今も解決の筋道が見えてこない…)


○アイルランド問題とのアナロジー

・ウクライナでの異なるナショナリズムの衝突をどのように考えればいいのか。→ アナロジー(類比)のモデルとして、(前章でも扱った教科書)『イギリスの歴史「帝国の衝撃」』を参照する。
・まず、イギリスとアイルランドの歴史的経緯……もともとアイルランドは大多数がカトリックだったが、スペインがイングランドを攻撃する拠点としてアイルランドを利用したため、イングランドはアイルランドを取り締まるようになり、後にはプロテスタントが入植するようになった。→ さらに17世紀には、イングランドの内戦で勝利したクロムウェルがアイルランドに侵攻、4万人のアイルランド人を農場から追い出し、それらの土地を自分の兵士に分け与えたという。→ 19世紀には、アイルランドはイギリスの正式な植民地となる。…19世紀半ばに襲った飢饉では、約100万人の餓死者がアイルランドに出たが、イギリス政府は冷淡な態度しか示さなかった。……こうした経緯の中で、アイルランドは断続的に抵抗を繰り返し、1922年、北部アイルランドはイギリスの一部として残留し、他のアイルランドはアイルランド自由国(49年にアイルランド共和国)として独立する。(※これも複雑…!)
・そして歴史教科書は、「アイルランド:なぜ人びとはアイルランドと大英帝国について異なる歴史を語るのか?」というタイトルの章で、二つの戦いについて説明されている。

①第一次世界大戦で、イギリス国王と大英帝国のために20万人以上のアイルランド人が兵士として従軍し、そのうちの3万人以上が戦死した。
②大戦中の1916年、アイルランドの首都ダブリンでアイルランドの一団が武装蜂起して(イースター蜂起)、独立アイルランド共和国樹立を宣言したのち、イギリス軍によって鎮圧された。

・つまり、一つの島に二つの異なる態度があった。

①フランスでイギリス国王と帝国のために戦い、死をも辞さないアイルランド人(イギリスの一員と感じている)。
②ダブリンで国王と帝国に対して、死ぬ気で戦いを挑んだアイルランド人(イギリスの支配から脱するべきと思っている)。

⇒ その上で読者に、歴史について自分の意見を述べよ、という課題を提示している。
(※う~ん、日本ではこんな教科書にお目にかかったことはない…詳細はP148~152)


○同質性が高いほどナショナリズムは暴発しやすい

・ウクライナ危機とアイルランド人の問題は、どのような点でアナロジーを構成できるか。……ナショナリズムの衝突を考える上で重要なことは、アイルランドとウクライナも、同質性が高い地域で殺し合いが起きた、ということ。…アイルランド人の中には、イギリス社会で中産階級に上昇する人もいた。→ 多くのアイルランド人は、複合的なアイデンティティの持ち主だと考えられる(同質性が高いなら、暴力的な衝突は起きにくい、と考えたくなるが、まったく逆なのだ)。⇒ ナショナリズムは、同質性が高いほど、その差異をめぐって、暴発しやすいのだ。
(※う~ん、政治党派も、宗教でも、その傾向ありか…?)
・ウクライナ人もロシア人も、同じ東スラブ人だから、同質性は比較的高いと言える。

①ロシアとの協調を求める東部・南部のウクライナ人。
②ロシアの影響を排除し、親欧米を掲げる西部のウクライナ人。

・ウクライナが独立したのは、ソ連が崩壊した1991年(およそ四半世紀前)→ そのため、40代以上のウクライナ人は、ソ連人として過ごした年数も長く、複合アイデンティティを持っている。←→ しかし彼らは今、自分たちがロシア人なのか、ウクライナ人なのか、アイデンティティの選択を迫られている。→ そして、そのアイデンティティの選択次第で、隣人と殺し合いをする状況が生まれてしまうのだ。……このように、アイルランドの歴史を参照すると、ウクライナ危機の構図は、同質性の高いナショナリズムの衝突という形で整理することができる。(※う~ん、ウクライナ危機の複雑さが少し分かってきたか…)


○スコットランド独立問題

・まったく同じ構図を、2014年9月に行われたスコットランド独立の是非を問う住民投票に見て取ることができる。……1707年の「連合法」によって、スコットランドはイングランドに併合された。…それまで、スコットランドは独立した王国だった。→ 民族の記憶は、300年程度では消えない。(P154にイギリスの地図)
・スコットランドの人々が恐れたのは、このまま人材も資源も流出し、ロンドンに吸い取られていく未来だ(人口530万人の自分たちで回していったほうが豊かになれる、という計算もあったかもしれない)。→ イングランドとの格差が広がり、独自の言語も廃れ、軍事負担も過剰に課せられている。…こんな問題提起が噴出し、民族意識に火がついた。
・幸いなことに、スコットランドでは殺し合いではなく、住民投票という形で、アイデンティティの選択が行われた。しかし、武力衝突の可能性がなかったわけではない。…仮に、スコットランドが独立を可決していたらどうか。→ イギリスは北海油田を失うことになり、イングランドがこれを認めることは断じてなかったはず。→ イングランド・スコットランド戦争、あるいはスコットランド内部のイングランド統合派とスコットランド独立派が衝突することになる。
・実際は、独立反対の票が上回り、スコットランドはイギリスに残留することになったが、これで一件落着と考えることはできない。……ギリシア語では「クロノス」と「カイロス」という二つの異なった時間概念が存在する。

①クロノス……日々、流れていく時間のこと。年表や時系列で表される時間。
②カイロス……ある出来事が起きる前と後では意味が異なってしまうような、クロノスを切断する時間。(※戦争とか今回の震災とかを内に取り込んだ時間概念、ということか…)

・スコットランドの住民投票では、イングランド人とスコットランド人では、カイロスが異なることが可視化された。…住民投票にあたり、イギリス政府だけでなく、国政レベルの与野党はすべて独立に反対して、スコットランドに「独立した場合、経済的に困窮することになる」と圧力をかけた。←→ このことに対して、多くのスコットランド人は、自分たちが差別されているという認識を抱いた。…つまり、スコットランド人にとっては、今回の住民投票が、過去の苦渋の記憶が蘇るようなカイロスになった。←→ しかし、イギリス人にその意識はなかったのだ。(※う~ん、この構図は、沖縄と本土との関係にアナロジーできるか…)
・おそらく、スコットランド独立派が、イギリスからの分離独立を諦める可能性はない。…数年後に再び、独立の是非を問う住民投票を提起する可能性は十分にある(詳細はP157)。


○「ぼんやりとした帝国」としてのイギリス

・イギリスは、ここまで述べてきた近代の国民国家の原理とは、少し異なるところがある。→(アンダーソンの言)…「グレートブリテン及び北アイルランド連合王国」という国名の中に、民族を示唆する言葉はどこにもない。…イングランド人、スコットランド人、ウェールズ人、アイルランド人は民族名。しかし、グレートブリテン人、北アイルランド人という民族は存在しない。→ これが示唆するのは、この国では、王あるいは女王の名のもとに、民族を超える原理で人々が統合されてきたということ。…アイルランド問題やスコットランド問題も、このようなイギリス的統合のあり方が機能不全に陥りつつあることを示唆しているのかもしれない。(※そして今後、イギリスでは「EUからの離脱」を問う住民投票も控えているらしい…)
・ゲルナーもまた、イギリスの特殊性をこう表現している…「イギリスはぼんやりとしたまま帝国になった」。…イギリスの歴史教科書『帝国の衝撃』でも、インド支配をテーマとした章で、次のように問いかけている。…イギリス人の歴史家の多くは、イギリス人が最終的にインドを支配するようになったのは、偶然の結果であったと主張している。→ あなたはどう考えますか。イギリス人は単に「いつの間にか支配者になった者たち」だったのだろうか。それとも彼らは、自分たちの行為をきちんと理解していたのだろうか。
・イギリス政府がスコットランドの心情を理解せず、ぼんやりとしたまま「いつの間にか支配者になった」と考え続けるのであれば、スコットランドのナショナリズムは、今後もずっとくすぶり続けていくことになるだろう。


○スコットランドに自らを重ねる沖縄メディア

・このスコットランド独立運動に対して、日本のメディアの多くは、地域間の格差といったような「地域主義」の視点で報道していた。…これは、日本人記者の多くが、ロンドンの中央政府やイングランド人の世界観に立って、スコットランドを見てしまっている証拠だ。つまり、スコットランド独立運動が民族問題であることを軽視してしまっている。⇒ メディア報道のみならず、日本人は大民族なので、少数派の発想や感情を理解するのに不得手なところがある。
・それに対して、沖縄の報道は違った。…『琉球新報』の社説は、スコットランドの独立を問う住民投票を「世界史的に重要な意義がある」としている。…「冷戦終結以降、EUのように国を超える枠組みができる一方、地域の分離独立の動きも加速している。国家の機能の限界があらわになったと言える。もっと小さい単位の自己決定権確立がもはや無視できない国際的潮流になっているのだ。沖縄もこの経験に深く学び、自己決定権確立につなげたい。」
・沖縄人にとっては、スコットランドの住民投票は他人事とは思えない。…本土の人間と沖縄人とでは、同じ出来事が違う意味をもって受け取られている。→ つまり、イングランド人とスコットランド人と同様に、この両者でもカルロスが異なるのだ。
・スコットランドの住民投票からおよそ2ヵ月後、沖縄県知事選(2014.11.14)が行われ、翁長氏(前那覇市長)が当選した。…沖縄メディアは、県知事選を意識してスコットランドの住民投票を報じていたのだ。→ この選挙は、沖縄の自己決定権を主張する翁長候補と、すでに沖縄人は日本人に完全に同化したと考えている仲井眞前知事との間での、沖縄の自己決定権をめぐる住民投票の要素をあわせ持っていたから。
・その結果、翁長氏がおよそ10万票の差をつけて当選した。…これ以上の基地負担を拒否するという沖縄人の強い意志がこの背景にはある。


○ナショナリズムへの処方箋

・私は、ここ数年の間で、「エトニ」が沖縄の中で強化されていると見ている。→ もはや、沖縄(琉球)民族というネイション形成の初期段階に入っていると見たほうがいいかもしれない。←→ しかし、この現実が多くの日本人には見えていない。
・沖縄のエトニは、沖縄の地に自分たちのルーツがあるという自己意識を持つ人々と、沖縄の外部ではあるが、沖縄の共同体に自覚的に参加していく意思のある人々から形成されている。→ しかも基地問題、オスプレイの配備問題を通じて、沖縄人は、本土の沖縄に対する差別や無関心をますます強く自覚するようになってきている。
・「あなたがいったい何者であるのかを決定づける最大の要素の一つは、受け継がれてきた文化遺産、すなわちあなたの歴史にあります。しかし、異なる人びとが異なる観点から同じ出来事を見たときに、果たして歴史は同じものであり続けるでしょうか?」(『イギリスの歴史「帝国の衝撃」』)→ 一つの事実に複数の見方があるということを理解するようになると、思考の幅が広がる。→ そして、自分と異なるものの見方、考え方をする人がいても、そのことに対して感情的に反発することが少なくなるはずだ。…平たく言えば、「他人の気持ちになって考える」こと(※ナショナリズムの相対化?)が、ナショナリズムの時代には決定的に重要になってくる。(※内乱や戦争を起こさないために…)
・(この章で見たように)世界史の中でナショナリズムが高揚する時代は、帝国主義の時代と重なっている。…資本主義が発達して、グローバル化が進んだ末に、帝国主義の時代が訪れることは前章で説明した。→ 同時に、帝国主義の時代には、国内で大きな格差が生まれ、多くの人びとの精神が空洞化する。⇒ この空洞を埋め合わせる最強の思想がナショナリズムなのだ。
・新・帝国主義が進行する現在、ナショナリズムが再び息を吹き返している。…合理性だけでは割り切れないナショナリズムは、近現代人の宗教と言うことができるだろう。→ 宗教である以上、誰もが無意識であれナショナリズムを自らのうちに抱えている。…その暴走を阻止するために、私たちは歴史には複数の見方があることを学ばなければいけないのだ。

〔※う~ん、ナショナリズムは、近現代人の宗教か…。→ そしてそれは、私たちの〝精神の空洞〟を埋め合わせるようにしのび込む…。先日も、日本の若者が「イスラム国」に接触(?)しようとして、トルコで保護された、という事件があったが、この事例も、現代日本の若者の〝精神の空洞〟に、「イスラム国」がしのび込んできた、ということか…? → そして今後は、もっと多数の若者の〝精神の空洞〟に、日本の支配者層による「上から」の公定ナショナリズムが、様々な方策を駆使して、充てんされていく危険性…?〕

 (5/9…2章 了)            

〔今回のテーマは、民族主義(ナショナリズム)でした。次回(3章)は、最後の宗教を取り上げます。…それによって、現下の世界情勢を理解していくための、最低限の基礎的な知識を得ておこう、というのが当面のねらいです。〕

 (2016.5.9)
          

(震災レポート35)

(震災レポート35)

震災レポート・5年後編(1)
 ―[世界状況論 ①]


 昨年の9月に体調不良のため、[政治状況論①]の中野剛志『世界を戦争に導くグローバリズム』を、1章だけで中断してしまった。…その間(中断原稿の末尾に、政治学者・中島岳志の「リベラル保守」についてのインタビュー記事を追記したりしたが)、溜ってしまった未読本に目を通しているうちに、「震災5年」という一つの節目が過ぎて行った。そして、その時期に(急に増えた)メディアの「震災5年」報道などに触れていくうちに、本当に大事なのはこれからなのではないか(言い換えれば、この日本社会では、本質的なことは未だ何も始まっていないのではないか…?)という思いが強くなっていった。
 そこで、今回からタイトルを「拡張編」から「5年後編」とし、サブタイトルは、中断してしまった前回の内容を引き継ぐ形で、「世界状況論」とした。そして、取り上げるテキストは三案ほどあったのだが、二転三転迷った末、あの(外務省のラスプーチンと呼ばれた)佐藤優の著作でリスタートすることにした(その決め手となったことは後述)。



『世界史の極意』 
  佐藤優(NHK出版新書)
    2015.1.10(2015.2.25 5刷)
      ――[前編]


〔佐藤優(まさる)は1960年東京都生まれ。作家・元外務省主任分析官。…社会党員だった伯父の影響も受け、高校生の頃にマルクス主義に関心を持ち、社青同の同盟員となる。同時に、母親がプロテスタントのキリスト教徒だった関係で、子どもの頃から教会に通っていた。そして、大学は無神論について勉強したいと思い(熱心なキリスト教徒だった年上の彼女に振られたこともあって東京を離れ)、同志社大学神学部に進学。19歳のときキリスト教の洗礼を受ける。同大学院神学研究科修了後、外務省入省。2002年、国策捜査によって背任と偽計業務妨害容疑で逮捕され、512日間東京拘置所の独房に拘留される。09年6月執行猶予有罪確定。…『国家の罠』『獄中記』『自壊する帝国』など著書多数。〕

〔『日本の大問題「10年後」を考える』(集英社新書)という6人の講義録の本があるが、その中で佐藤優は、「最近の本で国際情勢を理解するには、中野剛志さんの『世界を戦争に導くグローバリズム』がイチ押しです。…例えば、ウクライナ問題に関して中野さんの書いたものは、私が今まで読んだものの中で最もすぐれています。西ウクライナに拠点を持つ民族主義者たち、ネオナチの危険性というものを非常に正確に捉えています。こういう本はとても役に立ちます」と述べている。→ この言葉が決め手の一つとなって、前回の「政治状況論①」の中断を、この佐藤優の著作によって引き継ぐことにした次第です。…また、もう一つの決め手としては、この著者が本書のねらいの一つを、「戦争を阻止すること」と述べていることです。〕


【序章】歴史は悲劇を繰り返すのか?
  ――世界史をアナロジカルに読み解く


○歴史をアナロジカルにとらえるレッスン

・ヒト・モノ・カネが国境を越えてめまぐるしく移動する現在、ビジネスパーソンには国際的な感覚が求められている。そのためには、(外国語を身につけるだけでは十分でなく)現下の国際情勢が、どのような歴史の積み重ねを経て成立しているのかを正確に認識し、状況を見通す必要がある。…それには、過去に起きたことのアナロジー(類比)によって、現在の出来事を考えるセンスが必要。
・「アナロジー(類比)」とは、似ている事物を結びつけて考えること。→ アナロジー的思考が身についていれば、未知の出来事に遭遇したときでも、「この状況は、過去に経験したあの状況とそっくりだ」と、対象を冷静に分析できる。


○「短い20世紀」に何が起きたのか

・本書でアナロジー的思考を訓練することのもう一つのねらいは、「戦争を阻止すること」(※「戦争を阻止する」というのは、まさに真の外交官マインドか)。…第一次世界大戦から100年を経た現在、ウクライナ問題やイスラム国の拡大など、「戦争の危機」を感じさせるような出来事が世界で起きている。
・1789年のフランス革命から1914年までの「長い19世紀」…理性を正しく用いれば、人間は無限に進歩していくことが素直に信じられた時代だった(啓蒙と進歩の時代)。…科学や産業が発達し、物質的にも豊かになっていったヨーロッパでは、自分たちこそ最も文化的に進歩した地域だと自負し、近代化をとげていない異文化の国々を「未開」や「野蛮」ととらえ、ヨーロッパが指導して、発達させなければならないという「ヨーロッパ中心主義」が、植民地支配を正当化していったのも、この時代だった(※今、そのツケが回ってきている…?)。→ しかし人類を待ち受けていたものは、無限の進歩ではなく、二つの世界大戦だった。…その意味で、第一次世界大戦は進歩の時代の終わりを告げるものだった。
・第一次と第二次の世界大戦(「20世紀の31年戦争」)の期間は、欧米の自由主義と民主主義が深刻な危機を迎えた時代だった。→ 第一次世界大戦中にロシア革命が起こり、1922年にソヴィエト連邦が結成される。→ 戦間期にはドイツでナチズム政権が生まれ、イタリア、日本もファシズム国家として自由主義陣営と対立する。→(1920年には、おそらく35ヵ国以上の立憲主義的な、選挙によってつくられた政府があったが)1944年には世界64ヵ国中のおそらく12ヵ国にすぎなかった。
・戦後は、東西冷戦の時代となるが、1991年のソ連崩壊によって、「短い20世紀」の終わりを見た(イギリスの歴史家ホブズボームの論)。


○「戦争の時代」は続いている

・しかし、1914年に始まった「戦争の時代」は今なお続いている。…「世界大戦」は終わっていない。→ ソ連崩壊の10年後、2001年に起きたアメリカ同時多発テロ事件、2003年のイラク戦争を皮切りに、現在のシリア内戦やウクライナ危機、イスラム国の脅威まで、人類が戦争や紛争をしなかった時期などまったくない。
・EU諸国も金融危機以来、社会は不安定化する一方…2014年の欧州議会選挙(EU28ヵ国)では、フランスの国民戦線、イギリスの英国独立党、デンマーク人民党など、反移民、反EUを掲げる極右勢力の議席が急拡大した。…英国ではスコットランド独立問題が生じ、ベルギーでも南北の対立が激化して、北部(フランドル地方)に独立の動きがある。
・日本を見ても、領土問題に関する近隣諸国との緊張は高まる一方…とりわけ尖閣諸島をめぐっては、誤解や挑発が引き金となって日中武力衝突に発展する危険性がある。…ごく一般的なビジネスパーソンでも、今の日本と世界に対して、きな臭さを感じているはずであり、その直感は正しいのだ。(※そして、さらに朝鮮半島にも〝きな臭さ〟が…)


○核兵器を使わずに戦争する「知恵」

・なぜ、第一次世界大戦から100年を経て、「戦争の時代」が再燃しようとしているのか。→ ウクライナ紛争やイスラエル軍によるガザ攻撃によって、核は抑止力として機能しないことがはっきりした。→ 人類は、核兵器を使わない範囲で戦争をする「知恵」をつけてきているのだ。…つまり、先進国であっても、2000人程度の死者が出る範囲の戦争なら、抵抗がないような状況がつくられつつある。(詳細はP16)
・安倍政権中枢や外務官僚は、自衛隊員の海外派兵を可能にする解釈改憲を本気で考えていた。→ 結果的に、公明党が連立与党に加わり、閣議決定の内容に制約を加えたために、集団的自衛権の実質的な行使には高い障壁ができたが、そもそも立憲主義の何たるかをわきまえていない安倍政権は、常に暴走するリスクを孕んでいる。(※う~ん、元外務省主任分析官も指摘する、安倍政権の危険性…)


○歴史の反復に気づくために

・このような状況にあって、知識人の焦眉の課題は「戦争を阻止すること」だ。→ そして、戦争を阻止するためには、アナロジカルに歴史を見る必要がある。…いま自分が置かれている状況を、別の時代、別の場所に生じた別の状況との類比にもとづいて理解するというアナロジー的思考は、論理では読み解けない非常に複雑な出来事を前に、どう行動するかを考えることに役立つから。
・「歴史は繰り返す」とよく言われるが、歴史が反復しているかどうかを洞察するためには、アナロジカルに歴史を見ることが不可欠だ。…(1章で詳しく見るように)現代は、19世紀末から20世紀初頭の帝国主義を繰り返そうとしている(ぼんやりとニュースを見たり読んだりしているだけでは、こうした歴史の反復に気づくことはできない)。→ 帝国主義の特徴や論理を知っていること、その知識を現代の状況と類比的に結びつけることではじめて、現代が帝国主義を繰り返していると洞察できるのだ。


○ヘイトスピーチの背景

・(現代がどのような時代であるかを完璧に説明することなどできない)→ そこで、過去の歴史的な状況との類比を考えることによって、現代を理解するという作業が必要になる。…この作業は、現在を理解するための「大きな物語」(社会全体で共有できるような価値や思想の体系)をつくることだとも言える。…「長い19世紀」の時代であれば、「人類は無限に進歩する」とか「民主主義や科学技術の発展が人々を幸せにする」というお話が「大きな物語」だ。
・ところが、民主主義からナチズムが生まれ、科学技術が原爆をつくるようになると(※「フクシマ以後」は「原発」も…?)、人々は「大きな物語」を素直に信じることができなくなる。→ とくに、私の世代以降(※50代前半以下?)の日本の知識人は、「大きな物語」の批判ばかりを繰り返し(※いわゆる「相対主義」論者?)、「大きな物語」をつくる作業を怠ってきてしまった。(※低成長の「成熟社会」というのは、大きくはないかもしれないが、「長い21世紀」の一つの物語にはなり得ると思うのだが…)
・その結果、何が起きたか……排外主義的な書籍やヘイトスピーチの氾濫だ。…人間は本質的に物語を好む。→ だから、知識人が「大きな物語」をつくって提示しなければ、その間隙をグロテスクな物語が埋めてしまうのだ。…具体的には、知識人が「大きな物語」をつくらないと、人々の物語を読み取る能力は著しく低下する。→ だから、「在日外国人の特権によって、日本国民の生命と財産がおびやかされている」というような稚拙でグロテスクな物語であっても、多くの人々が簡単に信じ込んでしまうようになる。(※う~ん、一定の説得力はあるように思えるが、因果関係がちょっと短絡的な印象も…?)


○私の方向転換

・2014年の日本と世界を見ると、(私自身も認識が甘かったし、私が考えている以上に)人類は愚かだった。…これまで私の歴史を読み解く方法は、いったん歴史を類型化(各国の文化をタイプ分け)し、それぞれの特性を探る(具体性と実証性にこだわる)、という読み方だった。…つまり「世界史は複数ある」…アメリカの視座から組み立てた世界史もあれば、日本の視座からの世界史もある。→ しかし、知識人が「大きな物語」をつくることを怠ってきたせいで(※輸入思想ばかり…?)、日本の視座から組み立てた世界史の影は薄くなってしまった。(※というより、日本の視座から組み立てた世界史といえば、過去には「皇国史観」だけ…?)
・そこで、自覚的に日本の「大きな物語」を再構築する必要を感じた。→ それを踏まえて、帝国主義的な傾向を強めていく国際社会の中で、日本国家と日本国民が生き延びる知恵を見いだしていくことを意図していた。←→ しかし現在の私は、それよりも、グロテスクな「大きな物語」の氾濫をせき止める物語を構築するほうが急務の課題だと認識している。(※う~ん、それだけ状況は悪化、切迫している、ということか…)


○日本が国際社会から孤立している理由

・2012年の第二次安倍政権発足以来、麻生太郎副総理が憲法改正のためにナチスの手口を学ぶことを肯定するような発言をしたことで、国際社会から非難の声が多数浴びせられた。…靖国参拝や慰安婦問題をめぐる政府の対応に対しても、「日本の右傾化」を危ぶむ海外の政治家やメディアが跡を絶たない。→ その結果、国際社会からの日本の孤立が進んでしまっている。
・安倍政権が日本の孤立を招くような対応を繰り返すのは、アナロジカルな思考や理解が欠如しているから。…ex. 慰安婦問題について欧米の人々は、「自分の娘や妹が慰安所で性的奉仕に従事させられたとしたら…」という思いでこの問題を見ている。←→ だから、(こうした類比的な思考を一切考慮せず)かつてはどんな国にも公娼制度があったと主張しても、国際社会からの理解を得ることはできない。…言ってみれば、安倍政権は、コンビニの前でヤンキー座りをして、みんなでタバコをふかしている連中と同じだ。仲間同士では理解しあえても(※劣化したお友だち内閣…)、外側の世界が自分たちをどう見ているかは分からない。…アナロジカルに物事を考える訓練をしていないと、外部の世界を失ってしまうのだ。
・資本主義(1章)、ナショナリズム(2章)、宗教(3章)……私の見立てでは、この三点の掛け算で「新・帝国主義の時代」は動いている。…その実相をアナロジカルに把握することが、本書の最終目標だ。→ そのことによって、現下の世界のあり方を正確に捉えて、「戦争の時代」を生き抜く知恵を歴史に探ることが、本書のねらいだ。


【1章】多極化する世界を読み解く極意
  ――「新・帝国主義」を歴史的にとらえる


(1)帝国主義はいかにして生まれるのか



○旧・帝国主義の時代

・「帝国主義の時代」…1870年代~第一次世界大戦…この時期、欧米列強が軍備を拡大させ、世界各地を自らの植民地や勢力圏として支配していった。
・主要国の資本主義が発展し、相互の競合が激しくなる。→ 将来の発展のための資源供給地や輸出市場(※今と同じか…)として、植民地の重要性が見直された。→ 不況と低成長(※これも同じ…?)が続いた1870年代以降には、本国と植民地との結びつきを緊密にし、まだ植民地となっていない地域を占有しようとする動きが高まった。
・この背後には、欧米諸国に、ヨーロッパ近代文明の優越意識と非ヨーロッパ地域の文化への軽視が広まり、非ヨーロッパ地域の制圧や支配を容易にする交通・情報手段や、軍事力が圧倒的に優勢であるという状況があった。→ 1880年代以降、諸列強はアジア・アフリカに殺到し、植民地や勢力圏を打ち立てた。…この動きが帝国主義。(※う~ん、植民地を発展途上国と読み替えれば、現在の状況とほとんど変わらないのでは…)
・イギリスは、1870年代にエジプトのスエズ運河の株式を買収し、インド帝国を成立させた。…フランスも、1880年代に植民地拡大政策をとり、アフリカやインドシナ半島を次々と植民地にしていく。…では、なぜ1870年代から帝国主義の時代に突入したのか…。


○重商主義の心理

・16世紀以降、資本主義は、重商主義 → 自由主義 → 帝国主義(独占資本主義)→ 国家独占資本主義 → 新自由主義…という形で変遷してきた。
・重商主義とは、16世紀に形成される絶対王政が実行した経済政策であり、国家が商工業を育成し、貿易を振興することをいう。…初期の重商主義は、他国の鉱山を開発して金銀を直接奪う重金主義。→ 次に、貿易黒字による貨幣獲得を重視する貿易差額主義。→ そして国内輸出産業の保護育成をする産業保護主義の段階へと移っていった。
・重金主義の代表はスペイン。…16世紀前半に、コルテスはアステカ帝国を征服し、ピサロはインカ帝国を滅ぼした。→ スペインは、征服したアメリカ中南部(※今のスペイン語圏?)で鉱山を経営し、金銀を直接獲得する。…現地のインディオに奴隷労働をさせて、発掘した金銀を自国に持ち込んだ(※ほとんど略奪か、ひでえもんだ…)。→ しかしスペイン王室は戦費と浪費で破産。…金銀も無尽蔵ではないので、結果的に重金主義は廃れていく。
・17世紀になると、重商主義の中心は外国貿易になる。つまり国家が輸出入を規制して、利益を吸い上げる。…これが貿易差額主義。ex. 東インド会社…国家が特許状を与えて、貿易を独占的に行う会社。→ イギリスが1600年、オランダが1602年、フランスが1604年と相次いで設立された。
・貿易が活発になると、輸出産業を保護する必要が出てくるため、国内産業を保護する産業保護主義が中心となる。…外国製品の輸入を禁止・制限したり、輸入品に高い関税をかけたりする(※今でいえば、円安誘導の為替操作か…)。
・こうした重商主義のポイントは、国家が経済に強く介入して国富を蓄積していくことにある。→ 重商主義の心理は、いわば漁民の心理…海に出れば、儲けることができる。…そこに国家がスポンサーになるのが重商主義。
・このような重商主義のメンタリティーを理解するのに最適な文献は『ガリバー旅行記』…ガリバーがなぜ大人国、小人国など、未知の国へ出かけたのか。→ 珍しいものを持ち帰って、それを売りさばいて利益を得たいから。(※う~ん、こんな読み方はしなかった…)


○イギリス覇権の時代

・この重商主義を最初に捨てたのは、いち早く産業革命が起きたイギリスだった。→ 産業革命によって、産業資本家が強くなってくると、国家の規制が邪魔になってくる。→ そこで彼らは自由主義的な改革を要求し、19世紀半ばには自由貿易を確立していく。
・この時期のイギリスは、圧倒的な海軍の力と経済力を持つ覇権国家だった。…富も生産力もチャンピオンだから、よけいな規制などない自由競争が一番有利(※今のアメリカは、TPPが有利…?)→ 同時にイギリスは、帝国主義の時代に先駆けて、市場を拡大するために、アジア、ラテンアメリカ、アフリカに対して、一方的に自由貿易の強要や植民地化を進めていく。
・しかし1870年代に入り、イギリスの圧倒的な力も翳りを見せるようになった。…繊維工業が成功していたイギリスは、技術革新による重化学工業への転換に遅れをとってしまった。
・重化学工業ではドイツのほうが成長がめざましかったが、さらに19世紀末になると、アメリカが世界一の工業国になる。→ この時期から、覇権国家であるイギリスの存在感は低下し、そしてイギリス主導の自由主義の時代は終わり、帝国主義の時代が訪れる。


○資本主義はなぜ帝国主義に変容したのか

・マルクスの『資本論』とレーニンの『帝国主義』との違い…『資本論』で考察されるのは、国家が市場に干渉しない純粋な資本主義の世界。←→ 『帝国主義』では、市場に介入する国家の機能が重視されている。…『帝国主義』のポイントは、独占資本が国家と結びついているところに帝国主義の特徴がある、ということ。

・レーニンによる帝国主義の五つの段階

① 資本の集積と集中によって、寡占(独占)が出現すること。……19世紀末に、技術革新によって重化学工業(製鋼・電気・化学・石炭・石油)が発展していくと、巨大な生産設備が必要になり、生産と資本の集積と集中、独占が進む。→ 大企業が中小企業を合併・吸収して、巨大企業による独占化が進んでいく。→ このような巨大企業は、国家に影響を与えるようになり、国家も外国との関係において、自国の資本を保護するようになる。
② 産業資本と金融資本の結びつきで、金融資本の優位がもたらされること。……同じことが銀行でも起こる。→ 中小の銀行が大銀行に組み込まれ、大銀行(銀行資本)は大企業(産業資本)との結びつきを強める。→ さらに大銀行が巨大企業の株主になることで、企業を傘下におさめてしまう。…レーニンは、株式の発行が金融分野における寡占を強めることを指摘しているが、証券市場が大衆化している現在の日本でも、機関投資家が圧倒的な影響力を持っていることは説明するまでもない(※金融資本主義か…)。
③ 商品輸出と区別された、資本輸出が重要になること。……資本輸出とは、外国の政府や企業に対して、借款、公債、社債などの形で資本を貸し付けたり(間接投資)、外国に工場や道路を建設したりすること(直接投資)。…間接投資の目的は、利子の獲得だが、多くの場合、貸し付けた資金で、自国の商品を購入することを条件にする。…また、帝国主義国の資本が外国に投資されるのは、現地の安い労働力、安い原料を用いて、利潤を獲得するため。→ 現在の日本政府も企業も、アジア諸国に資本輸出を積極的に行なっている。(※原発や新幹線などの輸出で、中国などと競っている…)
④ 多国籍企業が形成され、国境の制約から生じる資本間の軋轢を回避すること。……巨大企業が海外進出するようになると、国境を越えた多国籍企業が生まれる。…資源や労働力は国際的に不均等に存在しているので、より効率よく生産するために、多国籍企業が生まれる。→ 多国籍企業の形成によって、資本は国境の制約から自由になるが ←→ これは国家機能の強化とは逆行する働き(後述)。
⑤ 主要国による勢力圏の分割が完了していること。……国家が強力な軍事力を背景にして、世界を植民地や保護領、自治領などに分割していく、ということ。


○社会主義が資本主義の自己改革を促した

・レーニンの議論を読むと、資本主義がいかに変容していくか、その姿がよくわかる。…個人所有の会社 → 株式会社に発展 → 金融資本が中心になって帝国主義化…そこでは(商品ではなく)資本輸出が主流になる → さらに市場を求めて外国に進出 → 対外進出は帝国主義国どうしの対立を引き起こし、第一次世界大戦に帰結 → この大戦中(1917年)にロシア革命によって、ソ連型の社会主義体制ができたことで、資本主義も再び変容する。…具体的には、冷戦期の資本主義。
・帝国主義化した資本主義体制の国々は、戦後、社会主義革命を阻止するために、福祉政策や失業対策など、資本の純粋な利潤追求にブレーキをかけるような政策をあえてとるようになった。…利潤は多少減少しても、資本主義を守るためにはやむを得ない、というわけだ。
・つまり、国家という暴力が資本という暴力を抑え込み、結果として労働者の利益になるようなことをするのだが、(それは善意からではなく)資本主義システムを維持するほうが、国家にとって得になるからこそそうするのだ(※資本主義の本質は、あくまで資本の自己増殖にあり、国家の本質とは、その権力と既得権益の維持にある、ということか…)。…このような国家が資本に強く介入する資本主義を、マルクス経済学では「国家独占資本主義」という。
・実際、冷戦下の1950年代~1970年代にかけて、資本主義陣営は前例のない経済的繁栄を迎える。…この「黄金の時代」は、同時に福祉国家の時代でもあった。→ 国家の大規模な公共事業や手厚い社会福祉のもと、失業率は低下し、多くの労働者が豊かな生活を享受できるようになった。…日本の高度経済成長時代もこの時期に当たる(※この時代に戻れ、という論者もまだ少なからずいるようだが、これは「人口ボーナス」による、すべてが右肩上がりの例外的な時代だ、とする冷めた論者もいる…)。
・つまり、社会主義は、資本主義に対抗するものというイメージがあるが、結果から見ると社会主義は、資本主義の自己改革を促す役割をも担っていたのだ。
・しかし、ソ連崩壊によって東西冷戦が終結した1991年以降、状況は一変した。→ ここから、アメリカの覇権が完全に確立し、ヒト・モノ・カネが国境を越えて自由に移動するグローバル化が加速していく。→ 具体的には、福祉国家による行き詰まり(※財政危機?)から、「新自由主義」が主導権を握っていく。…新自由主義とは、(政府による社会保障や再配分は極力排し)企業や個人の自由競争を推進することで、最大限の成長と効率のいい富の分配が達成される(※今は幻となったトリクルダウンのこと…?)、と唱える経済学的な立場。
・1980年前後、イギリスのサッチャー政権、アメリカのレーガン政権、日本の中曽根政権といった、新自由主義的な政権が次々と誕生し、80年代を通じてこの新自由主義はグローバリゼーションと結びつきながら、巨大な格差を生み出し続けることになった。


○新・帝国主義の時代はいつから始まったのか

・しかし2000年代に入って、BRICsをはじめとした新興国の経済が急成長するにつれて、アメリカの存在感は低下する。…2001年の同時多発テロ事件、2008年のリーマン・ショックは、軍事と経済双方でアメリカの弱体化を世界中に知らしめることになった。→ この2008年あたりを境に潮目が変わり、「新・帝国主義の時代」に突入した。
・リーマン・ショックの直前、2008年8月にロシア・グルジア戦争が起きた(詳細はP47~48)。→ このロシア・グルジア戦争後、国際秩序が根本的に変化したと考える。すなわち、武力によって国境を変更しない、という国際ルールが、ここで綻びを見せたのだ。


○オバマ政権の「見えない帝国主義」外交

・2008年を境目として、世界が「新・帝国主義の時代」に突入したことの傍証は、いくつでも挙げられる。…中国による尖閣諸島、南沙諸島、西沙諸島の領有権の主張や防空識別圏の設定しかり。…ウクライナ危機やロシアによるクリミア併合しかり。…EU諸国もまた、旧宗主国であった東南アジアに次々と投資をし、影響力を強めている。
・オバマ政権も、目に見えない帝国主義の道を突き進んでいる。その象徴的な地域が南スーダンとミャンマー。…2011年に、石油資源が豊富な南スーダンを(中国と競って)独立させた(アメリカの傀儡国家)。…ミャンマーは、2012年にオバマ大統領が訪れてから、急に関係がよくなった。→ ミャンマーを親米国にすることで、中国を西側からインド洋に出られないようにし、イランからパイプラインを引くことも不可能にした。(※詳細はP49)


○覇権国家の弱体化が帝国主義を準備する

・以上の「旧・帝国主義の時代」から「新・帝国主義の時代」への流れの中のポイントは、自由主義の背後には常に覇権国家の存在(※世界の安全を保障?)があり、覇権国家が弱体化すると、帝国主義の時代(※群雄割拠)が訪れる、ということ。
・イギリスが覇権国家だった時代は、自由貿易の時代だった。→ しかしイギリスが弱くなると、ドイツやアメリカが台頭し、群雄割拠の帝国主義の時代が訪れる。→ その後、二回の世界大戦とソ連崩壊を経て、アメリカが圧倒的な覇権国家として君臨するようになる。→ しかし、同時多発テロ事件やリーマン・ショックを経て、アメリカの弱体化が明らかになると、ロシアや中国が軍事力を背景に、露骨に国益を主張するようになる。→ その結果、かつての帝国主義を反復する「新・帝国主義の時代」(※群雄割拠→部分戦争の危機)が訪れているのだ。


○新旧の帝国主義の相違点

・(かつての帝国主義とは異なり)21世紀の新・帝国主義は、植民地を求めない。…(それは人類が文明的になったからではなく)単に植民地を維持するコストが高まったから。…また、新・帝国主義は全面戦争も避ける傾向を持つ。全面戦争によって共倒れになること恐れるから(※さすがに二回の凄惨な世界大戦で、そのぐらいは学習したか…)。→ 植民地を持たず、全面戦争を避けようとするのが、新・帝国主義の特徴だ。
・しかし、新・帝国主義になっても、外部からの搾取と収奪により生き残りを図るという帝国主義の本質や行動様式は変わらない(詳細はP51~52)。→ つまり、帝国主義が(譲歩や国際協調を装っていても)再び牙を向く方向へ路線を変更する危険性が常にある、ということ。→ 相手国が弱体化し、国際世論の潮目が変わって、自国の権益を拡張する機会を常にうかがっているわけだ。(※う~ん、リアル・ポリティクス、パワー・ポリティクスの世界…まさに外務省主任分析官の領域か…)


○グローバル化の果てに国家機能は強化される

・(もう一つの重要なアナロジー)…帝国主義の時代に国家機能は強化される。…その大きな要因として、グローバル化が挙げられる。→ 19世紀後半もグローバル化の時代だった。…19世紀は「移民の世紀」とも呼ばれ、数千万人というかつてない規模の移民が生まれ(※今の移民とは方向が逆か…?)、国境を越えた資本の移動も活発になる。→ ところがグローバル化が進むにつれて、欧米列強は権益拡大のため独占資本と結びついて、力による市場拡大と植民地化を目指すようになった。→ 冷戦崩壊後も同じだ。
・冷戦崩壊以降、(経済のグローバル化が進む中で、国家の介入が一時は薄まったが)むしろグローバル化が極端に進んだ現在は、ベクトルは国家の機能強化に向かっている。…国家の生存本能からすると、グローバル化は自らの存立基盤を危うくする。→ なぜなら、グローバル資本主義が強くなりすぎると、国家の徴税機能が弱体化するから(ex. 多国籍企業の、法人税率の低い租税回避地(タックスヘイブン)を利用した税逃れ)。→ 各国とも国家機能の強化に傾いていく。(※なんと、各国の首脳たちも税逃れ! といま世界を騒がしている…)
・国家は、自己保存の機能を本質的に持っている。自己保存のためには、暴力を行使することも厭わない。…グローバル経済が浸透した結果、先進国の国内では格差が拡大し、賃金も下がっていく(※国内で搾取・収奪)。→ それによって国内で社会不安が増大するとき、国家は国家機能を強化(※国家防衛)する。…その意味で、グローバル化の果てに訪れる帝国主義の時代に、国家機能が強化されるのは必然といえる。(※アメリカや中国、そして日本でも、今の政治のトレンドが〝強い国家〟に傾いているのは、帝国主義の時代の兆候というわけか…)


○日本が武器輸出三原則を緩和した理由

・では、日本はどうか。…日本もまた、新・帝国主義の時代のプレイヤーであることに変わりはない。(その具体的な例)…武器輸出三原則の緩和によるオーストラリアへの潜水艦の売り込み(詳細はP55~56)。→ これが新・帝国主義の外交であり、このようにして新・帝国主義は、経済の軍事化と結びつくことになる。(※今の安倍政権の動きの構図が、とてもよくわかる…)


(2)資本主義の本質を歴史に探る


○すべては「労働力の商品化」から

・(「新・帝国主義の時代」をさらに深く理解するために、資本主義の本質というものを考えてみる)…資本主義の起源や本質について、首尾一貫して説明できているのは(著者の見立てでは)今のところマルクス経済学(及びその宇野弘蔵の解釈)だけ。
・マルクスは、資本主義社会の本質を「労働力の商品化」と考えた。→ 「労働力の商品化」には、二重の自由が必要。

①身分的な制約や土地への拘束から離れて自由に移動できること(契約を拒否できる自由を持っていること)。
②自分の土地と生産手段を持っていないこと(生産手段からの自由)。

→ こういう人はどうやって生活するのか。自分の労働力を商品化する、…つまり労働力を売って生活する(※賃労働)。
・では、そのときに労働力の価値である賃金は,どう決まるのか…それには三つの要素がある。

①(1ヵ月の賃金なら)労働者が次の1ヵ月働けるだけの体力を維持するに足るお金(食料費・住居費・被服費+ちょっとしたレジャー代など)。(※労働力の再生産)
②労働者階級を再生産するお金(家族を持ち、子どもを育てて労働者として働けるようにするためのお金)。
③資本主義社会の科学技術の進歩に合わせて、自分を教育していくためのお金。

…賃金は、以上の三つの要素によって決まる。…この考え方は、マルクスの最大の貢献だった。→ いまだに打ち破られていない重要な基礎理論。(※う~ん、これによれば、今の日本の「非正規雇用」の賃金の多くは、せいぜい①だけで、②や③の条件を満たしていないことになる…)


○なぜイギリスで「労働力の商品化」が起きたのか

・それでは、近代資本主義はいかに成立したのか。→ 労働力の商品化は、歴史的偶然によってイギリスで起きた。きっかけは、15~16世紀に起きた「囲い込み(エンクロージャー)」。
・この時期、ヨーロッパは大変な寒冷期。→ ヨーロッパ全域で毛織物の需要が急激に高まる。→ 大量の羊毛が必要になり、イギリスでは領主や地主が農民を追い出して、羊を飼い始めた(このとき、農地の周りを生け垣や塀で囲って牧場に変えたので「囲い込み」という)。→ 追い出された農民たちは、都市に流れていった。…彼らは、身分的制約がなく、土地や生産手段も持っていない(先ほどの「二重の自由」にあたる)。→ つまり、もう自分の労働力を売るしかない。そこで彼らは、毛織物工場に雇われていった。…これがイギリスで起きた「労働力の商品化」。
・例えば、1000円で労働者を雇って、1500円の儲けが出る。この差額の500円は資本家に入る。2000円の儲けが出れば、1000円が資本家の懐に入る。→ いくら儲けても、賃金は先述の三つの基準で決まり、それ以上のお金が労働者に分配されることはない。→ 賃金は、労働者階級の再生産に必要な額が支払われるだけであって、労働者の賃金は資本家からの分配ではないのだ。…これがマルクスの『資本論』のポイントだ。(※う~ん、繰り返すが、今の日本の「非正規雇用」の多くは、このマルクスの賃金の定義以下…)


○なぜスペインで資本主義が生まれなかったのか

・このように、労働力の商品化が成立すれば、資本家と労働者の間でそれ(労働力)を売買する資本主義システムが動き出す。→ そうして利潤は増えていき(資本の蓄積)、労働者が再生産されることで、資本主義が回っていくことになる。
・結局のところ、ある偶然的な事情でイギリスの毛織物産業だけで成立した事象が、他の産業も全部席巻してしまった。…それが近代資本主義の正体だと考えるのが適切。(※う~ん、イギリスの毛織物産業でというのは偶然だとしても、いずれどこかの国のなにかの産業で、この近代資本主義システムは動き出したであろうことは、必然だった、ということか…?)→ 従って、労働力の商品化が行われる限りにおいて、西欧諸国でも仏教国でもイスラム諸国でも、資本主義は成り立つ。…資本主義に普遍的な傾向があるのは、そのためだ。(※近代資本主義の正体とは「労働力の商品化」であり、そのことは普遍的な傾向をもつ、ということか…)
・では、旧ソ連や北朝鮮はどうなのか。…これらの国では労働力は商品化されていない。→ 北朝鮮には移動の自由がない(国からここで働けと言われたときに、それ以外のところで働く自由がない)。…旧ソ連でも同様だった。だから、労働力の商品化は行われていない。国家による強制労働があるだけだ。(※う~ん、社会主義国というより、前近代的な専制国家…)
・では、大航海時代にスペインとポルトガルは、新大陸から大量の金銀を奪ってきたのに、なぜそこから資本主義は生まれなかったのか。→ (いろいろな原因の中で最も重要な要素は)スペインやポルトガルの金持ちは、浪費した上に、最後は金銀を修道院や教会に寄進してしまったという点。…永遠の命を保証して欲しいとか、天国に入る権利が欲しいと言うと、カトリック教会はどんどんお金を受け取る。→ そのお金で、新しい豪華な教会を建てたり、飲み食いをしたりして消費してしまい、産業資本という形の富の蓄積がされなかった。(※旅番組などで見る、ヨーロッパの教会の豪華さ…タイの仏教寺院も豪華だったが…)
・スペインの後、海上の覇権を握ったオランダは、富を蓄積した。→ それでも地理的な要因で、資本主義の最先進国にはなれなかった。…もし当時のオランダが、羊の生存に適した羊毛産業のできる風土だったら、オランダで先に労働力の商品化が起きていたかもしれない。
・イギリスは、牧草を育てるのに適した土地があったことに加え、(スペインやポルトガルがカトリックの国であったのと異なり)カルヴァン派のプロテスタンティズムが入っていたため、独特のエートス(倫理)があり、禁欲的に富を蓄積してそれを再び投資に向けることができた。→ つまり、工場を建てて機械を導入し、商品化された労働力を買って、儲けを出す仕組みを生み出すことができた。


○インドのキャラコが産業革命を生んだ

・イギリスでは、重商主義が富の蓄積を可能にし、囲い込みが労働力の商品化を成立させた(しかし、これだけでは産業革命は起こらない)。…産業革命とは、技術革新によって機械での大量生産が可能になったことをいう。→ それは18世紀後半のイギリスの綿工業で始まった。
・16、17世紀のイギリスでは、毛織物が最も重要な産業だった。→ 潮目が変わったのは、1600年に東インド会社が設立され、インドとの貿易が始まってから。…インドからキャラコ(インド綿布)が輸入され、17世紀後半以降、イギリスで爆発的な人気になった(毛織物に比べて、軽くて吸湿性も高く、洗濯もしやすい)。
・国内の毛織物業者にとっては、キャラコは脅威となり、それが政治問題となって、議会はキャラコの輸入禁止の法律を制定したが、それが裏目に出て、よけいにキャラコは売れてしまった。
・キャラコに対抗するには、イギリスでも綿布をつくるしかない。しかもキャラコとの競争に勝つためには、大量に生産して安く売らなければいけない。→ このキャラコという外からの輸入品に勝つために始まったのが産業革命であり、紡績機や織機が次々に発明された。(※そして資本主義社会では、今も類似した経済事象が繰り返されている…)


○恐慌は資本の過剰から起きる

・いち早く産業革命によって圧倒的な工業力を持ったイギリスは、「世界の工場」と呼ばれ、19世紀半ばまで繁栄をほしいままにする。→ しかし、1873年に欧米がかつてない大不況に見舞われ、イギリスも倒産や失業が拡大。→ この大不況は、小さな恐慌を繰り返しながら、96年まで続く。
・不況だからモノが売れない。…この時期は、重化学工業が勃興する第二次産業革命の時代と重なるから、(レーニンが分析したように)生産と資本の集中が進み、独占資本主義になっていく。→ 巨大企業は国家と結びついて、海外市場や植民地を拡大しようとする(※今も国のトップ自ら、海外で自国産業の売り込みをやっている…)。つまり、1873年の大不況が引き金となって、欧米列強の帝国主義は急速に形成されていった。
・恐慌については、過剰生産説とか過少消費説とか様々な説があるが、一番説得力があるのは宇野弘蔵が唱えた資本の過剰説。
・資本主義経済の中では、モノがどんどん売れるようになると、どんどん生産する必要。…その場合、材料はすぐに買ってくることができるが、労働力商品(※生身の労働者)はすぐには買えない。→ 労働力の価値が高まるので、労働賃金が上がる。→ しかし、ある程度まで賃金が上がると、生産をしても儲からなくなってしまい、恐慌が起こる。…これをマルクス経済学の用語で「資本の過剰」という。…つまり、お金はあるけれども、労働力商品が高くつきすぎて、商品をつくっても儲からない(近代経済学で言うコスト・プッシュ)。→ 資本家は、労働者を雇わなくなったり、雇ったとしても倒産したりすることになる。
・その後、会社の中で頭のいい人がイノベーションを起こす。…いかにして労働力を使わないで、同じ商品をつくれるかと考え、機械化や生産工程の改良などで生産効率を上げようとする。→ このイノベーションを起こした会社は、その技術革新が普及するまでの短い期間は一人勝ちすることができる。→ その後、他社にも同様のイノベーションが広がっていくと、産業全体で生産性が上がるので、再び好況になる。…このように恐慌とイノベーションを繰り返して、資本主義があたかも永続するかのごとく続いていく。…これが資本主義社会の内在的論理(宇野理論)。
・恐慌は社会的な負担が大きいから、いかにして恐慌を避けるかが近代の資本主義の課題になっていく。→ 最も分かりやすい恐慌回避策は戦争。…アメリカで第二次世界大戦後、本格的な恐慌が起きていないのはなぜか。→ それはアメリカの公共事業に戦争が組み入れられているから。…朝鮮戦争、ベトナム戦争はアメリカの公共事業であり、それに協力した日本も、少なくともバブル崩壊以前は、恐慌に近い不況を経験していない(※もし朝鮮戦争がなかったら、あれほど世界に称賛されるような、短期間での戦後復興はなかっただろう…)(※そして今、これをアナロジカルに見ると、安倍政権は、安保法制のために解釈改憲を強行し、武器の輸出に道をつけ、着々と戦争という公共事業への道をつけようとしている…? これがアベノミクスの正体か…?)


○保護主義の台頭

・不況に見舞われたイギリスは、1870年から積極的に植民地拡大を目指すようになった。→ 1875年にスエズ運河の株式を買収し、エジプト植民地化の足がかりをつくった。→ 1877年にはインド帝国を成立させ、直接の支配下に組み込む。→ 19世紀末には南アフリカ戦争を仕掛け、南部アフリカ一帯を植民地化。
・ドイツとアメリカは、この不況に対して、関税率アップなど保護貿易を強化することで、自国産業の発展を推進する。→ その結果、工業生産ではイギリスを凌駕するようになった。さらに両国は、1890年代から海外進出を図っていく点でも共通している。
・帝国主義の時代に、保護主義が台頭することも、現代の新・帝国主義をとらえる上で有用なアナロジーとして使える。…現在、欧米の先進資本主義国は、(口先では「自由貿易体制の擁護」を唱えつつ)狡猾に保護主義への転換を図っている。…ロシアのプーチン首相はユーラシア共同体の創設を提唱しているが、これは大東亜共栄圏型の経済ブロック。
・TPP(環太平洋戦略的経済連携協定)も本質はブロック経済。→ (アメリカが本気で自由貿易を追求するなら、世界的規模でWTO(世界貿易機関)システムを強化すればいいはず)…アジア太平洋という限定された領域に、TPPという特別のゲームのルールを適用させるという発想自体が、広域を単位とする保護主義だと考えたほうがいい。(※TPPの正体は、アメリカ主導の保護主義的なブロック経済…その〝異常な秘密主義〟のうさん臭さが、その証左…?)


○「戦争の時代」とドイツ問題

・1914年を起点とする「戦争の時代」というのは、結局ドイツの問題に帰着する。…西欧の中でドイツは後発の資本主義国だった。→ しかし、帝国主義の時代に入って、重化学工業の産業化に成功し、イギリスを超える工業国となった。→ さらに、1888年にヴィルヘルム二世が皇帝になると、海軍の大増強をはかり、イギリスとの「建艦競争」を展開する(強引な帝国主義政策)。
・それ以前のビスマルク外交のポイントは、フランスの孤立化だった(ex. オーストリア、ロシアとの三帝同盟。オーストリア、イタリアとの三国同盟…P75に地図あり)。…しかし、ビスマルクは海外侵略や戦争には消極的で、もっぱら外交によってヨーロッパの安定を図ろうとした。→ このビスマルク外交からヴィルヘルム二世の「世界政策」への転換が、その後のドイツの運命を大きく変えたと言っていい。
・イギリスとの軍拡競争の末に、第一次世界大戦に突入したドイツは、結局敗戦し、1320億マルクという多額の賠償金を課された。→ 第一次世界大戦後の戦間期にナチスが登場し、第二次世界大戦に突入するが、ここでも再び敗戦。→ そして東西ドイツ統一を経て、今はEUの実質的なリーダーとなっている。
・結局、20世紀の大きな課題は、ドイツという大国をどのように世界に糾合するのか、ということだった。→ しかし、EUができてもドイツの糾合には失敗している。…なぜならユーロ危機以降、経済的にはドイツだけが一人勝ちし、それ以外のヨーロッパ諸国とは利益相反になっているから。…その意味でも、「戦争の時代」である20世紀は、まだ終わっていないのだ。(※エマニュエル・トッドの『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』文春新書2015年、という本もあり…)


○新・帝国主義の時代に戦争は回避できるか

・19世紀末の旧・帝国主義は、戦争を回避することができなかった。→ では、現代の新・帝国主義においても世界戦争は不可避と考えたほうがいいのか。…レーニンは不可避と考える。←→ しかし、イギリスの経済学者ホブソンの『帝国主義論』(レーニンの『帝国主義』の種本)では、一定の条件で戦争は回避できると書かれている。→ そのシナリオは、帝国主義間の勢力均衡をめざすというもの。……ex. アングロ・サクソン連合、汎ゲルマン連合、汎スラブ連合、汎ラテン連合などの広域化した帝国主義国家連合を形成して、世界規模で勢力均衡をとる、というアイディア。…「キリスト教世界がこのようにそれぞれ非文明的属領を従者としてもつ少数の大連合帝国に区画されることは、多くの人にとっては現在の傾向の最も正当な進展であり、かつ、国際帝国主義の確実な基礎の上に、永久平和の最善の希望を提供するものと思われる」。…(※う~ん、当時では、アジア、アフリカ、アラブ、中南米などは、キリスト教世界に従うべき「非文明的属領」か…ものすごい〝上から目線〟…)
・この発想を、現下の新・帝国主義に適用することはできるだろうか。…具体的には、現在の世界が、ヨーロッパ連合、スラブ連合、アメリカ大陸連合、中東連合、アジア連合のような形で分割され、勢力均衡状態がつくられるか、ということ。→ そういった動きが顕在化していることは確か。…事実、EUとは「広域帝国主義連合」だが、経済的な優劣から見た場合、その本質はドイツ帝国主義。→ プーチンは、ユーラシア同盟を本気で構想している。(※中国・習近平の「一帯一路」はアジア同盟…?)
・ただし、その一方で、アメリカの覇権的地位が低下しているとはいえ、その軍事力は圧倒的。…(アメリカが全世界の警察となり、国際秩序の安定を導くというのは幻想だとしても)、アメリカが世界最強の軍事力を持つ国家であることを過少評価してはいけない(アメリカがアメリカ大陸だけの警察官になるようなことはあり得ない)。←→ しかし、そのアメリカですら、アフガニスタン、イラク、中央アジアの小さな国でさえ制圧することはできない。…この二つの現実を踏まえたところに、現在の新・帝国主義が置かれている状況がある。(※う~ん、いかにも元外務省主任分析官らしい分析か…)


○帝国主義時代の二つのベクトル

・帝国主義の時代には、必ず二つの異なったベクトルが働く。一つはグローバル化であり、もう一つは(先述したとおり)国家機能の強化。…グローバル化のベクトルは、経済的には(実物経済より)金融を優先する金融資本主義となって現れる。…19世紀末の帝国主義の時代もそうだった(レーニンの指摘)。
・グローバル経済では、企業も金融も巨大化していくから、組織も人も、少数の勝者だけしか豊かになれない(※1%対99%)。→ アベノミクスによる円安株高の恩恵を受けられるのは、巨大な輸出企業と金融資産を持っている富裕者層に限られるのと同じことだ。→ そうなると、労働者階級の再生産もできなくなる。つまり、貧乏人は結婚も出産もできない(※当方も孫ができそうにない…)。→ 貧困の連鎖が続き、中産階級が育たないので、国力も低下する。
・いま最も懸念しているのは、現在の日本が、明治維新以降、初めて教育の右肩下がりの時代に突入してしまったこと。…ex. OECD(経済協力開発機構)加盟25ヵ国で、日本の教育関連費は最下位(2013年度)だった。…その理由は明白で、教育システムに新自由主義が組み込まれてしまったから(※う~ん、最下位とは…)
・(失われた20年でデフレから脱却できないなか)学費だけは上がり続けた。→ そのため、今の親世代は自分が受けた教育を、子供に与えることが難しくなっている。…質の面でも、効率性を求め過ぎるあまり、巨視的に物事をとらえる教養(※人文系)はほとんど身につかずに、高等教育を終えることになる。(※文科省は、人文系をなくしたいらしい…)
・この状態が続けば、高等教育の初期段階で頭脳流出が生ずる可能性も低くない(ヨーロッパの高等教育機関は外国人を含めて奨学金が充実)。→ 少子化の中で頭脳流出が起きれば、国力は必ず弱る。…国内で待ったなしの問題は、教育と移民だというのが私の考えだ。(※う~ん、教育と移民が待ったなしの問題か…。移民には「国内移住」の問題も含まれるのか…?)


(3)イギリスの歴史教科書に帝国主義を学ぶ


○金融資本主義に対する三つの処方箋

・19世紀末から戦間期にかけて、金融資本主義が引き起こした貧困や社会不安に対して、大きく三つの処方箋が提出された。
① 外部から収奪する帝国主義……イギリスが植民地主義の拡大に踏み切ったのは、不況に見舞われ、国内に貧困問題や社会不安を抱え込んでいたから。→ 「貧民による内乱を欲しないならば、われわれは帝国主義者とならなければならない」(セシル=ローズ)…イギリス帝国主義は、外部を収奪することによって、国内問題を払拭できると考えていたわけだ。
② 共産主義という処方箋……社会主義革命を起こし、資本主義システムを打倒すること(ハード・ランディング)で、社会問題を一挙に解決する。→ この処方箋が失敗に終わったことは、歴史が証明済み。(※う~ん、本来の「社会主義」は、まだ試されてはいない、という少数意見もあるが…。確かに「一挙に解決」というのはないだろうが…)
③ ファシズム……ファシズムとナチズムがまったく異なるものであることに注意。…ナチズムは、アーリア人種の優越性というデタラメな人種神話でつくられた運動。←→ それに対して、1920年代にイタリアのムッソリーニが展開したファシズムは、共産主義を否定すると同時に、自由主義的資本主義がもたらした失業、貧困、格差などの社会問題を、国家が社会に介入することによって解決することを提唱した。→ 国家が積極的に雇用を確保し、所得の再分配をする。…ムッソリーニが「イタリア人のために頑張る者がイタリア人」と言ったように、ファシズムは、人々を動員することで、みんなで分けるパイを増やしていく運動なのだ。
(※う~ん、「ファシズム」という言葉は、もはや負のイメージが付いてしまっているので、別の言い方のほうがいいような気がするが…)
・これら三つの処方箋のうち、(②共産主義革命には現実性がないから)日本の選択は、①帝国主義と、③ファシズムを、織り交ぜて、アイロニカルに述べるなら、「品格ある帝国主義」を志向…ということになるだろう。(※今の日本の政治は、「品格のない」ものばかり…)


○ゲシヒテとヒストリー

・「品格ある帝国主義」を学ぶ上で、絶好のテキストはイギリスの歴史教科書。…歴史教科書を読み比べることには、歴史の立体的な理解に役立つことと、その国の内在的論理を把握できるという重要な意義がある。
・教科書には、その国が生徒にどの程度の知識水準を求めているのか、あるいは、国家がどのようなスタンスで教育に取り組んでいるのかが明確に表れている(ex. ロシアの歴史教科書には、ロシアの立場を正当化する価値観が強く出ている…詳細はP70~74)
・歴史にはドイツ語で「ゲシヒテ(Geschichte)」と「ヒストリー」という二つの概念がある。…「ヒストリー」は、年代順に出来事を客観的に記述する編年体のこと(日本の歴史教科書はこれ…)←→ 「ゲシヒテ」は、歴史上の出来事の連鎖には必ず意味がある、というスタンスで記述がなされる。…ex. 歴史とは、啓蒙によって高みへと発展していくプロセスである(※進歩史観?)という視点で記述される。…ロシアの歴史教科書は、ソ連崩壊後の国家統合の危機を克服するために、確固としたロシアの物語を打ち出すゲシヒテ。


○失敗の研究

・では、イギリスの歴史教科書はどうか。…『帝国の衝撃』というタイトルの教科書(11~14歳までの中等教育向け)で、扱われているのは、アメリカへの植民から植民地経営を断念する「帝国の終焉」までの時代であり、イギリスによる帝国経営に焦点を絞った構成になっている。
・内容も非常にユニーク。…ex. インド提督(マウントバッテン鄕)に、「インドから撤退することをすすめる手紙を書くこと」が課題として求められている。→(生徒に網羅的な知識を身につけることを要求せずに)徹底的に考えることと書くことを求めているのだ。…こうした視点からの問いが随所に見られる。
・さらにユニークな例を挙げると、終章では「なぜ支配された人々の視点から書かれた章がないのか」といった、想定される批判の声がいくつか紹介されている。→ つまり、教科書の編者自身が教科書のあり方を相対化しようとしている。(※う~む、これは日本の教科書は、負けている…)
・これらの例からも分かるように、この教科書は徹頭徹尾、イギリス帝国主義の「失敗の研究」という点に重心が置かれている。⇒ 旧・帝国主義による植民地は、世界中に災厄をもたらし、憎しみを残した。…なぜ、イギリスは誤ってしまったのか。…一見、「自虐史観」のようだが、そうではない。(※う~ん、この「失敗の研究」こそ、われわれ日本人に最も欠けているものではないのか…先の大戦しかり、原発事故しかり…)
・イギリスも、現在の国際社会が帝国主義のゲームの渦中にあり、否応なくそこに巻き込まれていることを認識している。…しかし、かつてのように植民地主義による帝国主義モデルは失敗することも、強烈に自覚している。→ だからその失敗の歴史を通じて、新・帝国主義の時代のイギリスのあり方を構想することを、教えようとしているわけだ。(※すぐに〝自虐史観〟というコトバを持ち出して、内省することを封じようとする者たちの、レベルの低さ…)


○イギリスの歴史認識に学べ

・イギリスの歴史教科書もゲシヒテだが、ロシアのそれとは正反対の方向を向いている。→ 歴史認識としては、イギリスのほうが強い。なぜなら、自らの弱さを自覚した上で、新・帝国主義の時代への対応を模索しているから。(※う~ん、このことは、今回の震災後の課題にとって、そして、戦後日本の問題や弱点にとっての、重要なヒントになるのではないか…)
・日本の教科書は、価値観をほとんど出さず、必要な要素を漏らさないような記述になっている(ゲシヒテではなくヒストリー)。→ そしてこのことが、現在の日本人の歴史認識において、両刃の剣となっている。……戦後の平和教育(※非武装中立か…)は、東西冷戦下の枠組みで行われてきた。→ そのため、冷戦終結とともに、その有効性は失われてしまった(※確かに説得力が薄れてきたせいか、国民のコンセンサスはかなり揺らいできているよう…)。
・そもそも、この段階(冷戦終結)で、単なるヒストリーを超えた、歴史教育の新たな方向性を模索するべきだった。←→ しかし、知識人はその作業を怠ってしまった。→ その結果、(序章でも述べたとおり)いまや貧困かつ粗雑な歴史観が跋扈し、それがヘイトスピーチや極端な自国至上史観として現れている。
・だからこそ、私たちは歴史をアナロジカルに捉えなければならない。…日本の歴史教科書を読めば、最低限必要な基礎知識は身につくだろう。←→ しかし、その知識をほかの知識と結びつけて理解し、現状を正確に把握することは、訓練なしにはできない(※確かに、試験が終わったらみんな忘れてしまう…)。→ イギリスの歴史教科書は、獲得した知識をアナロジカルに活用するための格好の書だ。(※このことは原発問題にも類比できるのではないか。→ すなわち、「安全神話」から「失敗の研究」へ…)


○品格ある帝国主義とは何か

・日本もイギリスと同様に、新・帝国主義のゲームに巻き込まれている。…中国、韓国との摩擦が激しさを増し(※北朝鮮という前世紀の遺物のような国もある…)、経済的凋落は今なお止まらない。…そして、日本もまた帝国主義国だ。…なぜなら、19世紀の終わりまで、独立した政治体制を持っていた琉球王国を、沖縄県として編入した歴史を持つから(琉球処分)。
・歴史的に、本土と沖縄は天皇信仰を共有していない。沖縄のメディアと本土のメディアの報道内容もまったく異なる。→ 多くの日本人はこの違いに鈍感なため、沖縄も本土の延長上に考え、均質な日本人の一部だと考えてしまう。…つまり、宗主国としての自覚をまったく欠いているのだ。→ 自覚がないために、米軍基地をめぐって、本土の人間が沖縄に強いていることにもまったく気づくことができない。…それでは品格のある帝国主義とは言えない。(※確かに、安倍政権には「品格」というものがまったく感じられない…)
・品格のある帝国主義とは、先述のとおり一種のアイロニーだ。…日本は帝国主義国なのだから、均等な国民国家と思ってはいけない。→ 沖縄という外部領域があるわけだ。…帝国主義国は外部領域を構造的に差別してしまうのだから、せめて帝国主義国らしいアファーマティブ・アクション(※積極的差別是正措置、被差別集団に対する優遇政策)をきちんと行うべき。←→ いくらなんでも、国土面積の0.6%に74%の米軍基地があり、その上に追加して新基地を造るのはやりすぎだろう。→ 外部に与える痛みを極小にして、日本国家の利益を図る。…そういう意識を持つことが、品格のある帝国主義への第一歩だ。(※この著者の母方のルーツは、沖縄にあるらしい…)
・その上で、経済的には再配分を行い、健康で文化的な生活、今後の技術発展に対応できる職業教育、家族を持ち子供を育て、次世代の労働者を育成すること(※生活の基本)。…そして、それができる所得を国民に保証すること(※政治の基本)。
・帝国主義国であることを自覚するとは、自らの手がもう汚れていることを自覚することだ。…だから「品格のある帝国主義」という言い方自体が、アイロニーにほかならない。⇒ アナロジー(類比)やアイロニー(皮肉・反語)は、「見えないもの」を見る力だ。…「戦争の時代」を準備してしまった帝国主義と同じ過ちを繰り返さないために、歴史からアナロジーやアイロニーを引き出す力が求められている。

〔1章の末尾に、「資本主義」「帝国主義」を考えるための本として、水野和夫氏の『資本主義の終焉と歴史の危機』(「レポート」29,30を参照)が挙げられている。そして、以下の推薦文が添えられている。…「利子率の歴史的な変化を指標にして、資本主義の死期が近づいていることを平易な言葉で見事に解き明かしている。グローバル資本主義がもたらす中産階級の没落を、民主主義の危機として読み解く視点も鋭い。」〕

 (4/14…1章 了)            

〔今回のテーマは、資本主義でした。次回(2章)は、民族問題(ナショナリズム)を取り上げる予定です。…前回のように中断しないよう、努力します。〕

〔追記……昨日、行きつけの書店で以下の本を見つけ、(誕生日にもらった図書券で)即購入してしまった。

①『戦後政治を終わらせる』―永続敗戦の、その先へ―  (NHK出版新書)2016.4.10 
②『福島第一原発 メルトダウンまでの50年』―事故調査委員会も報道も素通りした未解明問題―
  明石書店 2016.3.11 

…①の著者は、ベストセラーの『永続敗戦論―戦後日本の核心』(石橋湛山賞、角川財団学芸賞)を書いた白井聡で、本書の目的は「完全な行き詰まりに陥った戦後日本政治を乗り越えるための指針を導き出すこと」とのこと。
…②の著者は、烏賀陽(うがや)弘道で、レポート⑤の『報道災害【原発編】』とレポート⑳の『原発難民』の著者。…本書の内容は、福島第一原発の「失敗の研究」ということになります。
→ 今後の「5年後編」の展開にとって、欠かせない二冊になりそうです。…(また未読本が増えてしまったが)…〕



 (2016.4.14)

(震災レポート34)

(震災レポート34)
震災レポート・拡張編(14)―[政治状況論 ①]

 今回は、政治経済学が専門の若手評論家・中野剛志の経済学(ex.『日本防衛論』)を取り上げる予定だったが、現在の切迫した政治状況に突き動かされるような形で、日本を取り巻く世界の政治状況を分析した著作の方を取り上げることになってしまった。…今夏の記録的な暑さの中で、(苦手な経済論よりさらに苦手な)政治論と格闘し、何度もギブアップしそうになりながら、(ここで挫折したら、この「震災レポート」が中途で頓挫してしまう、という思いで)なんとか再起動し、ようやくワープロ打ちを始めるところまで辿り着いた。…これまでは、共感できた著作だけを取り上げてきたが、今回は初めて、批判的ながら評価せざるを得ない著作を扱うことになる。従って、これは、そのささやかな悪戦苦闘の記録ということになる。
                                        

『世界を戦争に導くグローバリズム』 
   中野剛志(集英社新書)2014.9.22
                          ――[前編]


〔著者は1971年生まれ。評論家。専門は政治経済学、政治経済思想。東大教養学部卒業後、通産省に入省。エディンバラ大学より博士号取得。元京都大准教授。…著書に『TPP亡国論』(20万部を超えるベストセラー)、『官僚の反逆』『日本防衛論』『資本主義の預言者たち』、共著に『グローバル恐慌の真相』『日本破滅論』『グローバリズムが世界を滅ぼす』など多数。〕


【はじめに】日本が戦争に巻き込まれる日

・ここ最近の国際秩序の変調……東シナ海および南シナ海においては、中国による挑発的な行動が止まらない。シリアやエジプト、イラクなど中東の混乱は、収拾がつかない。そして、ロシアによるクリミアの奪取に対しては、なすすべがない。…しかも、こうした秩序の不安定化は、世界各地において、ほぼ同時多発的に起きている。→ いったい、この世界に何が起きているのか。そして、それは日本にどのような事態をもたらすのか。…それを明らかにするのが本書の目的である。
・今日の世界で展開されているパワー・ポリティクスのダイナミズムを描くと、恐るべき現実が見えてくる。…それは、冷戦終結後のグローバル化が失敗に終わり、国際秩序が崩れて戦争が多発する世界になりつつあること、そして日本もまた戦争に巻き込まれようとしているということである。
・昨今の集団的自衛権を巡る論争で、その行使に反対する論者は、アメリカが行う戦争に日本が巻き込まれると主張する。←→ (本書の主張はそうではなく)アメリカの戦争に日本が巻き込まれるようなことは、むしろ起きにくくなった。…なぜなら、アメリカは、もはや「世界の警察官」として積極的に武力行使を行えるような覇権国家の地位を失いつつあるからだ。…それこそが、本書の中核となる主張である。〔※引くアメリカ、出る日本…?〕
・では、なぜ日本が戦争に巻き込まれることになるのか、→ アメリカが覇権国家ではなくなると、「世界の警察官」として東アジアの安全保障を確保できなくなるので、日本は戦争に巻き込まれる。…その際、戦争を仕掛けてくると想定されるのは、言うまでもなく中国だ。〔※う~ん、アメリカの「後方支援」ではなく、日本と中国が直接ぶつかる、ということか…?〕
・集団的自衛権の行使は、日米同盟を深化させるものと位置づけられている〔※確かに安倍政権の狙いはそうだろう。宮台真司言うところの「アメリカのケツ舐め外交」か…〕。←→ だが、肝心のアメリカが、日本を守ることができなくなっているのだとしたら、日米同盟の深化には何の意味もないことになってしまう。
・そのため、集団的自衛権の行使や日米同盟の深化を唱える保守系の論者の多くは、アメリカが「世界の警察官」たり得なくなったことを認めることができない。…政権が代われば〔※共和党?〕、強いアメリカが復活するはずだ、というように。→ 日本は、日米同盟に依存した安全保障政策という、戦後の基本路線を継続し、集団的自衛権の行使容認によって、その基本路線をより強化していく。→ そして、強化された日米同盟は、これまでどおり、日本の安全を保障するものとなろう、というわけだ。
・だが、本書の分析結果は、そうではない。→ この戦後の安全保障政策の基本路線を継続・強化したとしても、中国による武力攻撃を抑止できないという可能性は、これまでになく高まっているのだ。…そして、そうなるに至った根本原因は、グローバリズムという思想の過ちにある。〔※う~ん、この著者の基本は〝中国脅威論〟か…?〕


【1章】「危機の二十年」再び――グローバリズムと戦争

○覇権国アメリカの凋落と世界秩序の崩壊

・(2012年12月に公表された)アメリカの「国家情報会議」の重要な報告書(「グローバル・トレンド2030」)の一節…「1815年、1919年、1945年、1989年のような、先行きが不透明で、世界が変わってしまう可能性に直面していた歴史的転換点を、現在の状況は想起させる」…1815年とは、ナポレオン戦争が終結し、イギリスが世界の覇権国家としての第一歩を踏み出した年。…1919年とは、第一次世界大戦が終結し、イギリスが覇権国家としての地位を失った年。…1945年は、第二次世界大戦が終結し、これ以降、東西冷戦時代となり、ソ連とアメリカが東西の覇権国家として君臨した。…1989年は、ベルリンの壁が崩壊し、冷戦が終結した年。〔※戦争が終わると、世界の覇権が動く、というパターンか…?〕
・国家情報会議は、現在の世界が、こうした世界史の一時代を画する(覇権国家の興亡を決定づけた)年に匹敵する一大転換期にあると述べている。…つまり、現在、冷戦終結後に形成された世界秩序(アメリカ一極体制)が崩壊しようとしている。→ そして、2030年までに、アメリカは覇権国家としての地位を失うだろう。…アメリカ政府自身が正式にそれを認めたのだ。〔※その大転換の契機は、やはりイラク戦争…?〕


○アメリカ一極主義とグローバリズムのポスト冷戦体制

・(冷戦以後の世界の流れ)…アメリカは唯一の超大国として、理想とする(政治的な自由主義、民主主義、法の支配、経済的な自由主義といった価値観に基づく)新たな世界秩序の建設に乗り出した。…ex. コソボやソマリアの紛争に対して、人道的介入を行った(従来の国際秩序の基礎にあった主権国家という枠組みを踏み越えて、他国に介入するという野心的な試み)。→ 人道という普遍的な価値が、国家主権という規範の上位に立つ秩序の建設を、アメリカは目指したのだ。〔※う~ん、この著者は、アメリカには批判的な立場のようだが、国家主権VS普遍的な価値という二項対立は、世界史の現時点でのアポリア(難問)の一つか…〕
・さらに2001年、9・11テロに対して、「テロとの戦い」を掲げ、さらには中東諸国の民主化を企てる、という途方もないプロジェクトに乗り出した〔※う~ん、このイラク戦争の場合も、軍産複合体の利益という不純な動機が見え隠れするが…〕。…経済面においても、アメリカはWTO(世界貿易機関)の設立を主導し、経済自由主義に基づく国際経済秩序(※グローバリズム)の建設を目指した(各国固有の制度や国内事情に配慮していた従来のGATT(国際関税協定)の枠組みを踏み越え、経済自由主義的な一律の制度によって各国の経済的な国家主権を大幅に制限しようとする急進的なもの)。→ IMF(国際通貨基金)や世界銀行も、同様の動き(開発途上国に対して、融資の条件として、貿易や投資の自由化、民営化、規制緩和などを推進)。
・こうしたアメリカの経済面における一極主義は、いわゆるグローバル化をもたらした。…グローバル化とは、(歴史や市場の法則に従った潮流などではなく)アメリカという覇権国家による一極主義的な世界戦略の産物なのだ。〔※これは、この著者の主張の肝の一つか…〕
・アメリカは、冷戦終結後の中国に対しても一極主義的な戦略で臨んだ。…中国がグローバル経済に参加して経済的繁栄を享受するのを支援し、その代わりにアメリカが圧倒的な優位に立つアジア太平洋の秩序を認めさせるという戦略。→ その結果、中国は世界市場における生産拠点として有望な投資先となり、グローバル化は加速した。〔※そして中国の今の姿…〕


○グローバル化の加速とイラク戦争で頓挫したアメリカ一極主義

・しかし、冷戦終結からおよそ20年して、アメリカのこの世界戦略は、完全に行き詰まってしまった。→ まず、2003年に「中東の民主化」を大義として開始されたイラク戦争が手ひどい失敗に終わり、アメリカの国力と威信を大きく傷つけた〔※このイラク戦争の失敗は、いま欧州全体を悩ましている、中東からの大量の難民流入問題にまで尾を引いている…〕。
・その一方で、2000年代半ばより、中国が軍事的にも経済的にも大国として目覚ましく台頭し、東アジアにおけるアメリカの優位を脅かすようになった(そもそも中国のグローバル化を支援し、成長させたのはアメリカだった)。…アメリカは、中国をグローバル経済に統合し、経済的繁栄の恩恵を与えれば、中国がアメリカ主導の国際秩序を受け入れるものと考えていた。←→ しかし実際には、中国は東アジアにおけるアメリカの覇権に挑戦するようになり、そして、国際秩序の不安定要因と化した。〔※今まさに、経済的にも政治的にも不安定要因…〕
・このように2000年代に起きた大きな変化は、いずれも冷戦終結後のアメリカの一極主義的な世界戦略の失敗を意味するものだった。→ こうして政治的な一極主義が頓挫する一方で、経済的な一極主義であるグローバル化もまた、挫折を迎えることとなった。…資産バブルとその崩壊(サブプライム危機)、そして世界金融危機。→ その結果、アメリカは、巨額の政府債務と民間債務、経常収支赤字、不安定な金融市場、低い成長率、高い失業率、そして異常な経済格差が残されたのだ。〔※ここまでの現状分析に、とくに異論なし…〕


○グローバル覇権なき多極化の時代へ

・(「グローバル・トレンド2030」の2030年に向けた世界予測)…まず、アジアはGDP(国内総生産)、人口規模、軍事費、技術開発投資に基づくパワーにおいて、北アメリカとヨーロッパを凌駕する(中国、インド、ブラジル、コロンビア、インドネシア、ナイジェリア、南アフリカ、トルコがグローバル経済にとって重要となる)。←→ 他方で、ヨーロッパ、日本、ロシアは、相対的な衰退を続ける〔※う~ん、アメリカは、日本は衰退と見ているのか…〕。→ 1945年以降に米国主導で築いた「パックス・アメリカーナ」の世界秩序は、急速に消滅していくだろう。…2030年のアメリカは、諸大国のうちの「同輩中の首席」の地位にとどまっているだろう。
・ここで着目すべきは、「グローバル・トレンド2030」が、2020年代に中国がアメリカを抜いて、世界最大の経済大国となると予測していること。…(ただし、中国が実際にそうなるかではなく)アメリカがそういう可能性を念頭において、今後の外交戦略を決めていくであろうことが重要なのだ。

〔※エマニュエル・トッドは、中国は幻想の大国で、経済的にも軍事的にも「帝国」ではない、と言っているが……その根拠は、中国の経済的発展が自発的なものではなく、欧米や日本に依存したものであること。それも、中国の膨大な人口を安価な労働力として西洋のグローバル企業が利用してきたこと(西洋のグローバル企業と中国の支配層との一種の利益共同体)。また、軍事的に見ても、軍事技術で非常に遅れをとっていること(※意外と近代化している、という説もあるが…)。さらに、猛スピードで少子高齢化が進んでいるが、年金をはじめとする社会保障制度が未整備なので、それが近い将来に、社会不安を増大させるであろうこと。また経済的には、国家主導の(旧ソ連式の)経済運営で、GDPの内容も(不動産など)設備投資が過剰で、個人消費が弱く、外需依存型(輸出頼みの不安定な経済構造)。そして、恐るべき速さで進んだ経済成長がもたらした、富裕層と貧困層との非常に大きな格差が、深刻な社会問題になるであろうこと。さらに、教育水準の問題で、高等教育への進学率がとても低く、高等教育には進まない層がマジョリティーを占めていて、この状態は、どこの国でもナショナリズムが激しく燃え上がる危険性を秘めていること。→ そして日本にとって大事なことは、中国との関係において、こうしたナショナリズム的な対決の構図に入らないこと。逆に日本は、中国に対して何らかの助け舟を出す用意をしておく必要があると思う。中国の指導者は口にこそ出さないが、苦境に立たされているのは明らかだから。こういった時にこそ、中国を支援するべきなのだ(困惑し始めた中国の姿を見て、日本は喜んでいるようではいけない)。…中国は不安定で問題の多い国だが、巨大な国だ。中国経済がダウンすれば、世界中が大きなダメージを受けてしまう。それは何としても避けなければならない(※情けは人の為ならずか…)。…このように、大変有益と思われる助言をしてくれるトッド氏だが、他方では、アメリカとの集団的安全保障の法制化を支持し、日本自身の防衛力の強化が不可欠だ(日本は、巨大な中国に対して、科学技術上、経済上、そして軍事技術上の優位性を保ち続けていかなければならない)……といった、安倍政権が泣いて喜びそうなことにも言及しているのは、複雑な気持ちにならざるを得ない。……詳細は「文芸春秋」2015年10月号〕

〔本書に戻る〕

・海洋秩序については、次のような未来予想図を描いている。…グローバルな経済のパワーはアジアに移り、古代の地中海や20世紀の大西洋のように、インド・太平洋が21世紀の国際海上交通の中心となる。←→ 世界の主要なシーレーンに対するアメリカの海軍覇権は、(中国の外洋海軍の強化に伴って)消滅していく〔※確かに、いま中国は着々と手を打っているように見える…〕。→ つまり、2030年までに、世界はグローバル覇権国家の存在しない多極化した構造となるのだ。〔※う~ん、Gゼロの世界か…〕


○アメリカが描く中国台頭後のシナリオ

・東アジアの秩序について、「グローバル・トレンド2030」が想定する四つのシナリオ。

①アジア地域へのアメリカの関与が継続し、現在の秩序が今後も維持されるという、現状維持のシナリオ。〔※アメリカの衰退により、「現状維持」は、もはやあり得ない…?〕
②アメリカのアジア地域への関与が減少し、アジア諸国がお互いに競合し、勢力均衡が生まれるという、多極化のシナリオ。〔※アジアで「勢力均衡」もあり得ない…?〕
③中国が政治的に自由化し、多元的で平和愛好的な東アジア共同体が成立するという、いささか楽観的なシナリオ。〔※これが理想なのだろうが、この著者によれば、最もあり得ない…?〕
④中国が勢力を拡張し、東アジアにおいて、中国を頂点とした他の地域に対して排他的な「華夷秩序」が成立する、というシナリオ。〔※最悪だが、大規模な戦争リスクは減少…?〕

・世界全体の将来について、最悪のシナリオは、アメリカやヨーロッパがより内向きとなり、「世界の警察官」が不在のまま国家間紛争のリスクが増大すること〔※不安定な多極化…?〕。←→ 逆に最善のシナリオは、アメリカと中国が協力し、様々な問題に対処すること。
・つまり「グローバル・トレンド2030」は、米中が協力関係を構築するというシナリオを「最善」としている。→ アメリカ政府の正式の情報機関が、アメリカの覇権の終焉と米中協力の可能性を認めるようになっていることの意味は、極めて重い。〔※日本は衰退するわき役…?〕
・1989年から約20年続いた、アメリカ一極主義に基づく国際秩序は崩壊し、世界は多極化していく。→ アメリカは、世界を制するグローバル覇権国家としての地位を失い、中国が東アジアの覇権国家として台頭する。…このような時代認識をもっているのだとしたら、アメリカは、いかなる理念・戦略をとっていくのだろうか。


○アメリカ外交の二大潮流――現実主義と理想主義

・アメリカの外交方針には、伝統的に自由や民主主義のような価値観を重視する理想主義(アイディアリズム)と、勢力均衡を重視する現実主義(リアリズム)という二つのパラダイムがある。ex. 1991年の湾岸戦争…中東の「勢力均衡」を重視して、途中で戦闘を止めたブッシュ・シニアの外交方針は、現実主義だったが ←→ 2003年のブッシュ・ジュニアのイラク戦争…テロとの戦いや中東の民主化といった十字軍的な大義を掲げて、理想主義の観点から正当化され、実行された。→ しかし、フセイン政権の打倒には成功したものの、イラクの秩序は再建できず、中東全体の秩序が不安定化することになった。…理想主義の外交は、手ひどい失敗に終わったのだ。〔※う~ん、大量破壊兵器の存在を捏造していたブッシュ・ジュニアを理想主義と言われてもなあ…?〕
・理想主義で失敗したブッシュ・ジュニア政権を引き継いだオバマ大統領は、勢力均衡を重視する現実主義へと舵を切った。〔※この理想主義と現実主義とのせめぎ合いという枠組みは、この著者の政治学のポイントの一つか…〕


○パワーを巡る闘争を直視する現実主義者

・冷戦期において支配的だったのは、現実主義だった。…現実主義は、国際関係の本質を利己的な国家の間で繰り広げられるパワーを巡る闘争(※パワー・ポリティクス)だとみなす。→ それゆえ、紛争や戦争の撲滅については概して悲観的だ〔※性悪説か…〕。
・ただし、現実主義には、時代とともにいくつかのヴァリエーションがある。…「古典的」現実主義の論者は、国家には他国に対する生来の支配欲があり、それが戦争を引き起こすのだとみなした〔※確かに「古典的」らしい素朴な見解…〕。→ そこから、各国家がお互いに勢力を均衡させる多極的な世界が望ましい、となる。
・これに対して、「新」現実主義の論者は、(国家の生来の本質には触れず)国際システムが、中央政府の存在を欠いた無政府状態(アナーキー)であることに着目し、各国家はその無政府状態の中で生き残りを図って行動するものととらえる。〔※システム論的な考え方か…?〕
・新現実主義のうち、「防衛的」現実主義と呼ばれる理論は、防衛の方が攻撃よりも容易な場合、国家はお互いにより協力的になると考えた。→ 従って、国際システムが無政府状態であっても、国家間の協調は可能であるはずと言う。〔※この「防衛的」現実主義は、「専守防衛に徹する」という日本の平和憲法とも親和的か…?〕
・また、大国は勢力均衡を保つために同盟関係を形成したり、核抑止力のような防衛的軍事力を保有したりすることで、自国の安全を確保しようとする〔※う~ん、現実主義では、核兵器も防衛的軍事力なのか…〕。→ それゆえ、新現実主義の論者は、冷戦の二極対立下においては、アメリカはかえって非常に安全であると考えていた。〔※う~ん、日本でも、そのうち、この「防衛的」現実主義によって、核武装を堂々と提唱する論が出てくる…? この著者も…?〕
・「防衛的」現実主義に対して、「攻撃的」現実主義と呼ばれる理論では、(国際システムを無政府状態とみなす点では、他の現実主義と同じだが)世界が無政府状態であるがゆえに、どの国家も自国の安全保障のために、相対的なパワーを最大化しようとして、競合するのだと論じる。〔※安倍政権のホンネはこれか…? しかし、それでは軍拡競争しかないのでは…?〕


○国際協調を楽観視する理想主義者

・こうした現実主義に対抗するのが、理想主義〔「自由主義」(リベラリズム)と呼ぶ論者もいる〕。理想主義にも複数のヴァリエーションがある。
① 戦争は当事国双方に経済的な損害をもたらすから、経済的な相互依存を深化させれば、国家間の武力衝突は抑制できるという理論。〔※日本でも、これを言う論者は多いだろう…〕
② 民主政治が広まれば、世界は平和になるという理念
〔※戦争では一般の国民の犠牲が最も過酷になるのだから「戦争は絶対悪」、という理念あるいは歴史的教訓は、この著者の現実主義には存在しないのか…? ←→ そうではなく、逆にその理想主義の理念こそが戦争を起こす、という主張…?〕。
・さらに近年では、IEA(国際エネルギー機関)やIMFといった国際機関や国際制度が、各国家に互恵的な利益をもたらすことで、国家の利己的な行動を矯正するという「制度派」の理論が台頭している。〔※国連はどうなっているのか…?〕
・いずれの理論であれ、理想主義者は、国際協調は(防衛的現実主義者が想定するよりも)容易に実現可能であると考えている。…また、理想主義者は、多国籍企業など国家以外の主体の役割も重視する傾向にある。〔※現時点では、多国籍企業の多くは、マネー資本主義と同一視されて、あまりイメージは良くない…?〕
・冷戦期の米ソ対立の中では、現実主義の方がより説得力をもっていた。→ しかし、冷戦の終結は、西側世界の自由主義の勝利を強く印象づけた。そして、理想主義が大きく勢力を伸ばすこととなった。→ アメリカは、一極主義的な覇権国家としての確信を得て、新たな国際秩序の構築に乗り出した。…その際、アメリカが目指した新たな国際秩序とは、政治的な自由主義、民主主義、法の支配、経済的な自由主義といった、理想主義の価値観に基づくものであった。〔※これは一般的な理念としては、原則的には妥当だったのではないか。もちろん様々な条件つきではあるだろうが…〕
・ところで、(ネオコンと呼ばれる政治思想が反映されていた)ブッシュ・ジュニア政権は、理想主義に分類されたが、この見解には違和感があるかもしれない〔※ネオコン=軍産複合体というイメージ…〕。…だが、ネオコンの思想は、自由や民主主義といったアメリカ的な価値観を基礎とした世界秩序の構築という大目的〔※表向き?〕をもっているので、現実主義とは決定的に異なるのだ〔※現実主義者には何も価値観はないのか…?〕。→ 実際、現実主義者は、ネオコンが主導したイラク攻撃に反対したが〔※中東の勢力均衡が崩れるから?〕、リベラル派(理想主義者)の論客たちは支持を表明していた。…よって、ブッシュ・ジュニア政権およびネオコンは、理想主義の一種とみなすべきなのだ。→ そして冷戦終結から20年を経て、この理想主義のプロジェクトは失敗に終わった。…アメリカは、現実主義へと大きく舵を切ろうとしている。〔※う~ん、それでも、あのブッシュ・ジュニアを理想主義とするのは違和感を覚えざるを得ない。その理念の裏に隠された軍産複合体(の利権)というリアリズムの影…? それにしても、この著者の現実主義/理想主義という枠組みは、イマイチ納得感がない…〕


○「危機の20年」――戦間期にも支配的だった理想主義

・1989年から続いた理想主義に基づく国際秩序は、2009年をもって、20年の寿命を終えた。もっとも、理想主義の挫折は、歴史上、これが最初ではない。…第一次世界大戦と第二次世界大戦の間のいわゆる「戦間期」(1919年~1939年)においては、国際政治経済を支配した思想は、理想主義だった。→ そして、この戦間期の20年における理想主義の破綻が、二度目の世界大戦という国際秩序の崩壊をもたらした。〔※第二次世界大戦は理想主義の責任…?〕
・これを明らかにしたのが、E・H・カーの『危機の二十年』。…この「古典」の一つとされるテキストの中で、カーは、戦間期という「危機の20年」を、理想主義(カーは「ユートピア主義」と呼ぶ)と現実主義という二つの思想を用いて、見事に分析してみせた(詳細はP35~44)。→ この理想主義と現実主義という概念の枠組みは、戦後、アメリカを中心とした国際政治経済学の二大潮流となり、現在もなお、その効力を失っていない。〔※当方の目論みとしては、この著者の短絡的にも見える理想主義/現実主義という二項対立に、批判的な検討を加えていきたいのだが、能力的・学識的にちょっと厳しいか…?〕


○戦間期のアメリカでなぜ理想主義が興隆したのか

・近代以前の中世世界は、キリスト教によって統合・支配されていた。…しかし、中世世界は宗教戦争によって崩壊し、宗教的権威は凋落した。→ 近代世界では、(衰退した宗教に代わって)理性によって、道徳の「自然法」を発見し、それによって世界を統治しようという合理主義の啓蒙思想が発展するようになり、18世紀に隆盛を遂げた。→ 19世紀の産業革命によってイギリスが大国として台頭し、思想の潮流がフランスからイギリスへと移ると、18世紀の啓蒙思想は、ベンサム主義(功利主義)へと変容した。
・ベンサム主義は、「善」の問題を計測可能な「幸福」に還元し、「最大多数の最大幸福」をもって、倫理の絶対的な基準と定義した。…「最大多数の最大幸福」は、人間が科学的理性によって発見した道徳の法則とみなされた。→ ベンサム主義は啓蒙思想の合理主義を引き継ぐものであり、そして「最大多数の最大幸福」の格率は、言わば、19世紀における自然法だったのだ。(※民主党が「最少不幸社会」とかいうセンス悪いスローガンを使ってなかったか…?)
・さらに、この格率は、人民の意見の集積である世論こそが、合理的な判断基準であるという風潮を生み出した。…ベンサム主義は、自由民主主義の信念を形成し、流布するのにも多大な貢献をなしたのだ。→ もっとも、このようなベンサム主義の素朴な理性信仰や世論信仰に対しては、次第に懐疑の目が向けられるようになっていった。…理想主義は、19世紀の終わりまでには、少なくともイギリスとヨーロッパ大陸諸国において、その支配的な影響力を失ったはずであった。〔※う~ん、あまり納得感がない…〕
・しかし、20世紀の1920~30年代に、このベンサム主義を国際政治に移植し、理想主義を確立させるのに、中心的な役割を果たしたのはアメリカだった、とカーは言う。…アメリカは、第一次世界大戦後に(イギリスに代わって)超大国となり、素朴な理性信仰や世論信仰に基づく理想主義に燃えて、新たな国際秩序を構築しようとした。…その典型がウッドロー・ウィルソン大統領である。…ex. 国際連盟の構想…人民の総意である世論が正しいように、諸国家の合意に従って国際政治を統治すれば、国際平和は実現するはずというわけだ。
〔※う~ん、この著者は、理想主義を信仰と断じて、「理想主義」という言葉に、ことさら負のイメージを塗り付けようとしている…? 「世論が正しい」などというナイーブなことは、19世紀でも20世紀でも、(方便として主張したとしても)誰も信じていなかったのではないか? 民主主義における「合理的な判断基準」ということは、(正しいかどうか、と言うより)議論を尽くした後の〝とりあえずの合意〟(多数決の場合もある)として取り扱う、ということではないのか…? 当方、E・H・カーの著作は、大昔にマルクスだかドストエフスキーだかの評伝を読んだきりで、『危機の二十年』は未読なので、これ以上は展開できないのだが。まあ、素人の限界か…〕


○経済自由主義の教義が理想主義に転化した

・理想主義には(ベンサム主義と並んで)もう一つの源泉がある。…アダム・スミスを始祖とする「自由放任の政治経済学」、いわゆる経済自由主義だ。→ 諸個人がそれぞれ自己利益を追求して行動しても、市場原理が作用して利益の調和が達成される。〔※う~ん、アダム・スミスの思想はそんな単純ではない、とも言われているが……ex.『吉本隆明の経済学』筑摩選書〕
・理想主義は、この教義を国際政治に応用する。…国際的な自由市場の下では、諸国家がそれぞれ自国の経済的利益を追求して行動しても、諸国家の利益は調和すると言うのだ。→ ここから自由貿易の教義が導き出される。…各国が貿易を自由化すれば、世界全体の利益が調和し、国家間の争いはなくなるだろうというわけだ。〔※ここも、理想主義や自由主義をちょっと単純化しすぎる嫌いが…〕
〔※以下、著者の〝理想主義批判〟が続くが、枚数の関係で、この章の後半はポイントだけにとどめたい。…詳細はP38~52〕
・理想主義者は、自由貿易が各国の「利益の調和」をもたらすと主張する。←→ しかし、19世紀のイギリスが自由貿易を唱道したのは、それが覇権国家イギリスにとって有利だからにすぎない。ドイツのような発展途上国は、自由貿易によって不利を強いられたのだ。(※これは一定の説得力あり。今のTPPの議論を彷彿とさせる。…ちなみに、この著者は『TPP亡国論』集英社新書2011年 も書いている。)
・ウィルソン的な国際主義も同様だ。…歴史上、国際平和や国際的な連帯のスローガンは、支配的な諸大国が、彼らが優位に立つ現状を維持し、弱小国を抑えつけるために唱えるものだ。…現実を隠す理想主義の美辞麗句こそ、現実主義者が最も唾棄すべきものだった。
(E・H・カーの言)…「重要なのは、絶対普遍だとみなされる諸原則が、原則と呼べるような代物ではなく、とある時期の国益のとある解釈によってできた国家政策を無意識のうちに反映したものにすぎない、ということである。(中略)しかし、こうした抽象的な原則を具体的な政治状況に適応しようとするや否や、それらが既得権益の見えすいた偽装にすぎないことが明らかになるのである」……〔※う~ん、これらは一見すると、「理想主義」に対する現実主義からの辛口の批判のように見えるが…ここで言われている「理想主義」は、理想主義の衣をまとった利己的な「現実主義」ではないのか…?〕
・しかしカーは、現実主義の限界もわきまえており、次のような留保をつけている。…純粋な現実主義者は、唯物論に傾きすぎであり、理想、感情、道徳、神話、ヴィジョン、意味といったものが国際政治において果たす役割を見逃しがちである。→ 人間は理想を掲げ、理想に向かって行動するという「現実」がある。言い換えれば、「現実」の中に「理想」も織り込まれているのだ。…理想と現実。道徳と権力。この二つの要素の間の運動として成立するのが、政治というものに他ならない。…この深い洞察に、カーの国際政治理論の神髄がある。〔※以上の部分は、とくに異論なし。当方の「現実」も織り込んだ「理想主義」とも折り合う…?〕


○安倍政権の価値観外交は理想主義

・2012年末に成立した第二次安倍政権は、「世界全体を俯瞰して、自由、民主主義、基本的人権、法の支配といった、基本的価値に立脚し、戦略的な外交を展開していく」と宣言した。…このような基本的価値観を共有する国々と連携するという外交戦略は、「価値観外交」と呼ばれていて、価値観を重視するものだから、明らかに理想主義に分類できる。〔※う~ん、これはちょっと表層的、形式的な認識ではないのか。安倍政権が「自由、民主主義、基本的人権、法の支配」といった基本的価値に立脚した、理想主義に分類できる政権…と言われても、なんか悪い冗談のようにしか思えないが。…「報道の自由」に介入し、とても民主主義とは言えない議会運営に終始し、労働者(自衛隊員も?)の基本的人権を軽視し、立憲主義を無視して憲法違反の安保法制をゴリ押ししようとしている…〕
・他方で、安倍政権が掲げる理想主義的なスローガンについても、実は単なる外交上のレトリックにすぎないのであり〔※なんだ、この著者もそう思っているのか…〕、実際の外交戦略は、もっと現実主義的な洞察〔※マキャベリズム?〕に基づいて進められる可能性もある。というのも、一般的に、外交上のレトリックとしては、自由や人権など、価値の普遍性を主張する理想主義的な言辞の方が適しているから。〔※ただ問題なのは、ここでこの著者は、安倍政権の「理想主義的な価値観」に関して、当方などとは逆に、その現実主義的な〝二枚舌〟を、肯定・評価しているように見えてしまう危うさだ…詳細はP52〕       (9/15…1章 了)

〔ここで体調不良のため中断……2015.9.15〕

〔参考記事の追記〕

(中断していた間に、この「政治状況論」と関連する興味深い新聞記事があったので紹介しておきたい。)

○「経験知への敬意重要」
   中島岳志(北海道大准教授)
         〔聞き手・小田昌孝〕 

「もともと、保守思想はフランス革命のアンチテーゼとして生まれました。
 フランス革命は人間には万能の理性があり、合理的に設計すれば理想的な社会ができるという左翼思想に基づきました。ところが保守は人間は間違いやすく、不完全な生き物という考えに立ちます。従ってその人間が理想的な社会をつくれるはずがないと考えるわけです。一気に何かを変えるというのは理性に対する思い上がり、過信があり、それは必ず暴力につながる。反対の人への弾圧、独裁政治などの反動を生み出す、と。
 保守は長年にわたって積み上げてきた経験知、慣習を大切にしながら、漸進的に物事を変えていきます。政治手法でも、法律によってすべてが決まるとは判断しない。その法にまつわる慣習を大切にするんです。法律に『やってはいけない』と書いてなくても、長年の慣習としてやってはならないことを身に付けるのが保守政治家でした。例えば、内閣が内閣法制局長官に自分たちの息のかかった人間を任命すれば、立憲主義が危うくなる。だから、そんなことはしないとかね。
 民主主義は手間がかかるんですよ。一回の選挙で大衆的な指示を受けた政治家が暴走しないよう歯止めを歴史的、政治的につくってきたんです。間接民主制で、二院制になっている。そうした手間をかけないと、世の中がおかしくなる。それが保守の知恵というものです。
 その観点からいうと、安倍晋三首相は保守ではありません。経験知や慣習に敬意を払うことがほとんどなくて、野党が何を言おうと自分の思った通りにやる。非常に過激な革新者に見えます。原発問題にしても、保守の思想を突き詰めれば反原発のはずなんです。不完全な人間が完璧なものをつくれるはずがない、というのが保守の思想ですから。それがなぜか今の自民党は原発を推進しています。
 共産党が『国民連合政府』を提唱していますが、やればいい。小選挙区である以上、野党は協力するしかない。個人の価値観としては寛容、自由を認める『リベラル』、経済的には所得を再配分する『セーフティーネット』を重視した政治勢力を緩やかに結集してほしい。私に言わせれば、かつての左翼も今は『リベラル保守』になった。民主党も手をつなぐことができるはずです。」(東京新聞 2015.11.7 より)

〔※う~ん、安倍晋三は保守ではない、かつての左翼も今は「リベラル保守」になった…。なにか「保守」というイメージが180度ひっくり返ったような気がしてくるが…。そして、この「リベラル保守」という概念は、「より速く、より遠く、より合理的に」を行動原理とする近代システム・資本主義が機能不全に陥っている現在、意外にも、「長い21世紀」の「低成長経済」あるいは「成熟社会」の行動原理として提唱されている「よりゆっくり、より近くに、より寛容に」という理念(『資本主義の終焉、その先の世界』詩想社新書2015.12.25より)と親和性を持って通底していく、今後につながる可能性・未来性のある政治的概念なのではないか…?〕

(2016.1.30 追記)