(震災レポート30) 震災レポート・拡張編(10)
―[脱成長論 ②]
中島暁夫
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
(集英社新書)2014.3.19――[後編]
(2014.4.16 3刷)
【3章】日本の未来をつくる脱成長モデル(続き)
○ゼロ金利は資本主義卒業の証
・(この章の冒頭で)「日本は新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界の中で最も優位な立場にある」と言ったが、その理由は、長らくゼロ金利が続いている日本は、おそらく最も早く資本主義の卒業資格を手にしている、と考えるから。→ 私は、デフレも超低金利も経済低迷の元凶だと考えていない。…両者のどちらも資本主義が成熟を迎えた証拠だから、「退治」すべきものではなく、新たな経済システムを構築するための与件として考えなければならないもの。〔※う~ん、これも逆転の発想(未来性からの視点)…〕
・私から見れば、デフレよりも雇用改善のない景気回復のほうが大問題。→ 雇用の荒廃は、民主的な資本の分配ができなくなったことを意味するから、民主主義の崩壊を加速させる(そうなれば、新しいシステムの構築どころの話ではない)。→ 雇用なき経済成長は、結果として日本そのものの地盤沈下を引き起こし、日本を政治的・経済的な焦土と化してしまう危険性すらある。(※昨今の〝人間性の崩壊〟を感じさせるような様々な事件の発症などは、その予兆なのではないか…。「シリアで戦争をしたい」という若者たちまで現れている…)
・もう資本主義というシステムは老朽化して、賞味期限が切れかかっている。…しかも、21世紀のグローバリゼーションによって、これまで先進国が享受してきた豊かさを、新興国も追い求めるようになった。→ そうなれば、地球上の資本が国家を見捨て、高い利潤を求めて新興国と「電子・金融空間」を駆け巡る。→ その結果、国民経済は崩壊して、先進国のみならず新興国においてもグローバル・エリートと称される一部の特権階級だけが富を独占することになる。……非正規雇用者が雇用者全体の3割を超え、年収200万円未満で働く人が給与所得者の23.9%(1090万人)を占め(2012年)、2人以上世帯で金融資産非保有が31.0%(2013年)に達している日本の二極化も、今後グローバルな規模で進行していくのだ。
・このような危機を免れるためには、日米独仏英をはじめとした先進国は、「より速く、より遠くへ、より合理的に」を行動原理とした近代資本主義とは異なるシステムを構築しなければならない。(※ここで言う「合理的」とは、〝資本にとっての合理性〟ということだろう…)
○前進するための「脱成長」
・成長を求めない脱近代システム……(そのための明確な解答を私は持ち合わせないが)それは一人でできるものではなく、中世から近代への転換時に、ホッブズ、デカルト、ニュートンらがいたように、現代の知性を総動員する必要がある。…ただ、少なくとも新しい制度設計ができ上がるまで、私たちは「破滅」を回避しなければならない。→ そのためには当面、資本主義の「強欲」と「過剰」にブレーキをかけることに専念する必要がある。
・(これは一見、現状維持のようだが)現在の先進国の状況を考えると、現状維持ですら至難の業なのだ。→ なぜなら、成長を求めてもバブルが崩壊すれば、莫大な債務を抱え込み、経済はバブル以前に比べて後退してしまう。…日本もアメリカも膨大な国家債務を抱えているが、それは成長を過剰に追い求めた結果なのだ。…一国の財政状況には、そのときどきの経済・社会構造が既存のシステムに適合しているかどうかが集約的に表れている。→ 巨額の債務を恒常的に抱え込んでいる(※1000兆円!)ということは、すでに日本の経済・社会構造が資本主義システムには不適合であることの証…。
・確かに日本は、1000兆円の国家債務に対して、民間にはそれに匹敵する個人資産がある。…その意味では、借金の担保はあるが(※このことを「日本は大丈夫」という根拠にする経済専門家はけっこういる…)、国家の債務を民間資産で相殺するようなことになれば、国家に対する信用は崩壊してしまう。(※確かに…)
・資本主義を乗り越えるために日本がすべきことは、景気優先の成長主義(※世の論調はほとんどこれ…)から脱して、新しいシステムを構築すること。…新しいシステムの具体像が見えないとき、財政でなすべきことは、均衡させておくこと。→ 実際に新しいシステムの方向性が見えてきたときに、巨額の赤字を抱えていたのでは、次の一歩が踏み出せないから。…それは単に増税・歳出カットで財政均衡を図ればいいということではなく、社会補償も含めてゼロ成長でも維持可能な財政制度を設計しなければいけない、ということ。
・そしてもう一つは、エネルギー問題の解消。→ 新興国の成長によって、世界的にはエネルギー多消費型の経済になり、資源価格が企業の収益をこれまで以上に圧迫するようになる。(前回で触れたように)現在のデフレは交易条件の悪化によってもたらされているものであり、これを放置したままではゼロ成長どころか、極端なマイナス成長にもなりかねない。→ 従って、名目GDPを定常状態で維持するためには、国内で安いエネルギーを自給することが必要。
・「脱成長」や「ゼロ成長」というと、多くの人は後ろ向きの姿勢と捉えてしまうが、そうではない。→ いまや成長主義こそが「倒錯」しているのであって、それを食い止める前向きな指針が「脱成長」なのだ。
【4章】西欧の終焉
○欧州危機が告げる本当の危機とは?
・ギリシャの財政崩壊に端を発する欧州危機は、他の国にも波及して、なかなか解決の糸口が見えない(国債金利の高騰、金融機関の破綻、高い若年失業率など)。→ ユーロ加盟国(とくにその中核であるドイツ)が、ギリシャを見捨てなかった理由は、ユーロは経済同盟というよりも政治同盟であり、最終的にはドイツ第四帝国の性格を強めていくから。→ このことを見逃しては、欧州危機の本質は理解できない。
・重要なのは、この欧州危機が単なる経済危機ではなく、西洋文明の根幹に関わる問題である、と認識すること。→ 今、欧州を襲っている危機は、リーマンショックをはるかに超える「歴史の危機」であり、近代資本主義の危機がますます深化していることを告げているだけでなく、西欧文明そのものの「終焉の始まり」である可能性すらある。
○英米「資本」帝国と独仏「領土」帝国
・そもそもEU(欧州連合)とは何か。…このことは、「海の国」である米英と対比すると明確になる。→ (前回述べたように)1974年から始まる利子率・利潤率の低下に対して、アメリカは、ITと結びついた「電子・金融空間」を創出することによって、新たな利潤の獲得を図った。…すなわち、金融のグローバリゼーションを通じて、各国に金融の自由化を求め、世界の金融資本市場で創出されたマネーを吸い上げ、金融帝国=「資本」として君臨しようとした。
・この段階に突入してからは、資本と国家の関係が非常に大きな変化を遂げた。→ IT技術の進化によって、資本は国境を自由に移動できるようになったから、資本としては国家の制約から極力自由になりたい。→ アメリカは、国民国家から「資本」が主役となった帝国システムへと変貌していった(※資本と国民との分離・乖離…)。
・「海の国」である英米が覇権を握った海の時代の特徴は、(政治的に領土を直接支配することなく)資本を「蒐集(コレクション)」していった点。←→ 一方、「陸の国」である独仏は、(英米のような「資本」帝国への道は選ばず)ヨーロッパ統合という理念にもとづいた「領土」の帝国化へと向かう(もちろん独仏も銀行は金融空間のプレイヤーになるが、アメリカのようには政治と経済は一体化していない)。←→ 英米の場合、市場を支配することが政治そのものと言える。→ だからウォール街とホワイトハウスは表裏一体の関係にある。
・この海と陸の概念を使って、EUの基本的性格を説明すれば、「陸の国」である独仏の「領土」帝国ということ。→ 独仏が手を携えて、単一ユーロを導入し、共同市場を拡大させていく。→ そのプロセスの中で(国民国家は徐々に鳴りを潜め)、ヨーロッパはユーロ帝国という性格が色濃くなっていく。…従って、(ドイツ銀行がいくら「電子・金融空間」で稼いでも)ベルリン政府の最大の関心事はヨーロッパの「領土」帝国化にある。(※う~ん、これが誇り高きイギリスがユーロを使用しない理由なのか…?)
○新中世主義の躓き
・こうした独仏の「領土」帝国という観点から見たとき、欧州危機はどのように読み解けるか……シュミットは『陸と海と』の中で、世界史とは「陸と海のたたかい」である、と述べている。→ 近代ヨーロッパの歴史の最も重要なターニング・ポイントは、16世紀~17世紀の「海の国」イギリス(英国教会)と「陸の国」スペイン(ローマ・カトリック)との戦争だった。…当時のスペインは、陸地の領土にもとづいた帝国で、ローマ・カトリックの権威と帝国の軍事力(権力)によって中世の社会秩序の中心にあった。←→ スペインに対抗した新興国のイギリスは、海洋貿易(市場)を通じて(領土から自由な)海の空間を制覇することで、新たな覇権国家になった。…つまり近代とは、「海の国」が「陸の国」に勝利することで幕が開いた時代。
・しかし現在の状況は、「海の国」であるアメリカの覇権体制が崩壊し、EU、中国、ロシアといった「陸の国」が台頭しつつある(中国、ロシアは、まだ国内の近代化や経済発展の余地が残されている新興国)。→ しかし問題なのは、世界経済の主軸のEU、その中心である独仏。…ドイツもフランスも、すでに近代化のピークを越え、脱近代に足を一歩踏み入れている先進国。→ このような国が、再び「海の国」に抗って台頭していこうとしたときに、取りうる選択肢が「ユーロ帝国」だった。…そして、この帝国構築への道のりは、近代の主権国家システムを超えていく方向性を持っていたかのように見えた。(※国家を開く=国家を超えたインターナショナリズム…?)
・その方向性とは、ヘドリー・ブル(国際政治学者)が主権国家システムを超える形態の一つとして指摘した「新中世主義」というもの。…ブルは『国際社会論』の中で、主権国家システムを超える形態として、次の五つを挙げている。
①システムであるが社会ではない。…〔複数の主権国家は存在するが、国際社会が構成されていないような状態。つまり、主権国家間がホッブズの言う自然状態、闘争状態の関係になっている。〕(※戦国時代のような状態の国際版…?)
②国家の集合であるがシステムではない。…〔主権国家が相互に関係をもたない状態。保護主義に近い。〕(※アメリカのモンロー主義のようなもの?)
③世界政府……〔世界が単一の独裁政府となること。〕(※中国のような国家が世界を支配するようなイメージ…?)
④新中世主義……〔キリスト教的価値観に支配された中世の神聖ローマ帝国のように、共通の価値観にもとづいて成立する普遍的な政治組織のもとで、複数の国家や地域の権威が重層的に折り重なっているような秩序のこと。(現在のEUに近い)〕→ ユーロ帝国というのは、「新中世主義」という主権国家システムを超える萌芽を宿している。
⑤非歴史的選択肢……〔これまでの過去からは全く考えられないような形態のこと。〕
・これらの形態のうち、①と③には、現実性はない。…②は、国によっては実現可能性はある。ex. EUは域内でエネルギーと食糧を互いに融通することができ、保護主義でもやっていける。←→ しかし、小国や日本のような国の場合は、没交渉の世界を生き抜くことはできない(※江戸時代なら成り立っていたが、現在では不可能ということ?)。
・だからこそ、④の「新中世主義」の可能性が、世界に先駆けてユーロ帝国で試されてきた。→ しかし、それが今、独仏が「蒐集」したはずのギリシャなど南欧諸国の思わぬ反乱にあっている。…それが今回の欧州危機の深刻さの表れなのだ。
(※う~ん、この項は、テーマが大き過ぎて分かりづらいのだが、これからの〝未来〟を考える上では、非常に興味深いものがあると思われる…詳細はP141~145)
○欧州危機がリーマン・ショックよりも深刻である理由
・主権国家システムが支持されるのは、それが国民にも富を分配する機能をもつからだった。…近代初期の絶対王政では資本と国家は一体化しているものの、まだ国民は登場していなかった。→ その後、市民革命を経て、資本主義と民主主義が一体化する。…主権在民の時代となり、国民が中産階級化していく。…このように資本主義と民主主義が一体化したからこそ、主権国家システムは維持されてきた。
・しかし、グローバル化した世界経済では、国民国家は資本に振り回され、国民が資本の使用人のような役割をさせられることになってしまっている。…巨大な資本の動きに対して、国民国家ではもはや対応できない。→ そこで、「国民」という枠組みを取り払って国家を大きくすることによってグローバリゼーションに対応しようとしたのがEU方式だと言うことができる。(※なるほど、この項は分かりやすい…)
・ブルの新中世主義を経済的な側面から見るなら、成果を総取りするグローバル資本主義に対する対抗策として考えることができる。…しかしながら、EUでさえ結局は資本の論理に巻き込まれてしまう。→ (社会学者ベックの鋭い指摘)…「富者と銀行には国家社会主義(※保護主義)で臨むが、中間層と貧者には新自由主義(※自己責任)で臨む」「25歳以下のヨーロッパ人のほぼ4人に1人に職がない。また多くの人々が期間の限定された低賃金労働契約に基づいて働いている。アイルランドやイタリアでは25歳以下の約3分の1が失業していると公表され、ギリシャやスペインでは若年の失業率は、2012年6月には53%に達している」→ つまり、近代資本主義の限界を乗り越える試みであったEUでさえ、資本の論理を乗り越えることはできていないのだ。
・このように、ユーロが舵を切ったかに思われた「新中世主義」が行き詰っているという事態は、文明史的にリーマンショックよりもはるかに深刻な意味を帯びている。…リーマンショックだけなら、近代の限界(つまり16世紀のイギリスから始まった「海の時代」が、アメリカへと引き継がれ、それが崩壊の兆しを見せている)ということ。→ しかし、EUの新中世主義が行き詰っているということは、海の国の衰退(近代の限界)に加えて、古代ローマ帝国から連綿と続いてきた「蒐集」が止まることを意味。…それはヨーロッパの死を意味することにほかならない(詳細はP148)。(※この「蒐集」という概念も分かりにくい。典拠は『蒐集』ジョン・エルスナー 研究社1998 らしいが、5千円もする大著で未読…)
・海の時代とともに始まった近代資本主義は、マネーを「蒐集」するためのもっとも効率のいい仕組みだった。…英米が覇権を握った海の時代の特徴は、(領土を直接支配することなく)資本を「蒐集」していった点。←→ 資本主義が成立する以前の古代、中世の時代では、利益を「蒐集」するためには、領土を拡大しないといけなかった。…しかし、それにはコストがかかる。→ そこで英米は、海洋空間を支配し、そしてその空間がベトナム戦争で広がらなくなると、「電子・金融空間」を支配することでマネーを「蒐集」することに向かったのだが、リーマンショックは、そうした「近代の帝国」の没落を示唆する出来事だった。←→ 一方、EUが向かっている帝国とは、「近代の帝国」という範疇では理解できない。…なぜなら、ユーロ帝国は、資本にも軍事にも依存せず、「理念」によって領土を「蒐集」する帝国だから。(※う~ん、その「理念」とは…?)
○それでもドイツは「蒐集」をやめない
・ドイツは、そう簡単にギリシャを見捨てることはしないだろう。なぜなら、ギリシャがユーロ帝国から離脱すれば、独仏帝国の理念とも言える領土の「蒐集」という運動が停止してしまうから。→ それはEUの自己否定になるから、「西洋の没落」から「西洋の終焉」へと向かうことになる。
・政治的な駆け引きはあるにせよ、危機に陥ったユーロ圏の国々は救済されている。…結局、ドイツがそれらの諸国を救済せざるを得ないのは、ヨーロッパの理念である「蒐集」をやめることができないから。…従って、「ユーロは財政的に統一ができていないから、破綻するのは当然だ」という批判は、表層的なように思える。
・独仏が目指す領土空間の「蒐集」とは、ヨーロッパの政治統合。…マーストリヒト条約(後述)の果たした役割は、「経済連合」の性格が強かったECを、政治統合であるEUへと変えたこと。…1990年に東西ドイツが統合したとき、東独マルクと西独マルクは(実質レートでは10倍くらい違っていたが)一対一のレートで通貨統合した(西ドイツは大損)。…これも(経済的な損得勘定よりも)政治的な理念を優先させたことの証左。
○古代から続く「欧州統一」というイデオロギー
・ユーロ共同債で一本化するという財政統合を実現するためには、ギリシャ、スペイン、イタリアに緊縮経済を迫って、金利を安定させる必要がある。→ 結局、領土の「蒐集」を目指すドイツは、ある程度経済的なリスクを負っても、財政統合に向かうはず。…その段階で、近代的な主権国家の影はますます薄くなり、カール大帝以来のヨーロッパの政治的統一が現実味を帯びてくる。
・「ヨーロッパ」はいつ誕生したか…(歴史家たちの説)「ローマ帝国が崩壊したときヨーロッパが出現した」、「ローマ帝国に異民族が侵入してきたときからヨーロッパが歴史的存在となった」→「異民族がローマ風の贅沢で身を包むには、代償としてローマ人に奴隷を供給しなくてはならなかった」→ そのためには、「内部の不平等を増大させるか(※格差社会?)、異邦人(※移民?)を隷属させること」しかなかった(現代とも似ている…?)。……つまり、ヨーロッパの誕生それ自体が、奴隷を「蒐集」しなければ成立しえなかった。しかも、より贅沢な生活をするには、常に「異邦人」をたくさん「蒐集」しなければいけなかった。(※う~ん、日本の〝外国人技能実習制度〟も同じようなもの…?)
・スペイン国王で神聖ローマ皇帝でもあったハプスブルク家のカール五世は、オスマン帝国に対抗すべく、ヨーロッパの統一を図ろうとした。→ 近代のヨーロッパを振り返ってみても、ナポレオンの第一帝政、ナチス・ドイツもまたヨーロッパの統一を目指すものだった。
・ヴィクトル・ユゴーのヨーロッパ合衆国構想(1849年)…「(ヨーロッパ)大陸のすべての国がそれぞれの特質と栄光ある個性とを失うことなしにより次元の高い一体性を確立し、ヨーロッパが兄弟愛の絆で結ばれる日が必ず到来します」(※文学者らしい文章か…)→ ユゴーの合衆国構想は、100年を経たのち、少しずつ現実化していく。…第二次世界大戦後の1952年に、ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体(ECSC)→ 1967年には(EUの前身である)ヨーロッパ共同体(EC)が発足。→ 1992年、マーストリヒト条約が調印され、統一通貨導入を決め、欧州連合(EU)を創設。→ 2002年、念願の単一通貨「ユーロ」誕生 → 21世紀に入ってから、東欧や旧ソ連領などの国がEUに加わり、(当初6ヵ国だった)加盟国は現在28ヵ国にまで拡大。…こうして、独仏政治同盟は着々と「領土」の「蒐集」を続けてきた。(※う~ん、今の「ウクライナ紛争」も、この流れか…? 「ヨーロッパの拡大」に対するロシアの抵抗…)
○資本主義の起源から「過剰」は内蔵されていた
・しかし、(先述したように)独仏の「領土帝国」も、英米の「資本帝国」同様、限界に近づいている(※ウクライナ紛争の〝泥沼化〟は、その象徴…?)。→ 現代の世界で起きている「帝国」化とは、「蒐集」の終着地点。…2001年の9・11同時多発テロ、2008年の9・15のリーマン・ショック、2011年の3・11の大震災がもたらした原発事故、さらに現在の欧州危機は、いずれも過剰な「蒐集」がもたらした問題群。
・9・11…アメリカ金融帝国が第三世界から富を「蒐集」することに対する反抗(※今の「イスラム国」の反乱もこの流れか…)。9・15…過剰にマネーを「蒐集」しようとした「電子・金融空間」が、自らのレバレッジの重みに耐え切れず自滅した結果、起きたこと。3・11…資源の高騰に対して、安価なエネルギーを「蒐集」しようとして起きた出来事(※原発は安価ではなかった…)。そして、欧州危機…独仏同盟による領土の「蒐集」が招き寄せた危機…。
・古代から続く「蒐集」の歴史の中で、最も効率的にそれをおこなってきた資本主義が、今や機能不全を起こしており、これ以上の過剰な「蒐集」をおこなおうとすれば、それは再び深い傷跡を地球上に残すことになるだろう。…資本主義がこのような「過剰」に行き着くのは、その起源に原因があると考える。
・資本主義の始まりには、次の三つの説がある。
①12~13世紀説…利子の成立を資本主義が始まる根拠とする。
②15~16世紀説…(シュミットが言う)「海賊資本主義」を国家がおこなったこと。
③18世紀説…産業革命が資本主義を始動させるメルクマール。
→ この中で、①の12~13世紀のイタリア・フィレンツェに資本主義の萌芽を認めることに説得力を感じている。この時期に、資本主義の勃興期を象徴する二つの出来事があったから。
(1)「利子」が事実上、容認されるようになったこと。…本来キリスト教では金利を受け取ることは禁止されていた(中世後期から「高利貸し」が禁止されていた)。→ しかし、12世紀を通じて貨幣経済が社会生活全般に浸透するようになると、イタリア・フィレンツェに資本家が登場し、金融が発達し始める(メディチ家のような銀行は為替レートを利用してこっそりと利子を取っていた)。…利子とは時間に値段をつけること。→ 従って、利子を取るという行為は、神の所有物である「時間」を、人間が奪い取ることに他ならない。→ そして1215年に、おかしな理屈で利子が事実上、容認された。(詳細はP157~158)
(2) 12世紀にイタリアのボローニャ大学が、神聖ローマ帝国から大学として認められたこと。…中世では「知」も神の所有物だったが、ボローニャ大学の公認は、広く知識を普及することを意味。→ いわば「知」を神から人間に移転させる端緒が、ボローニャ大学
の公認だった。(※今は逆に、大学は資本の下僕に成り下がろうとしている…? ex.〝就活〟のための大学…)
○人類史上「蒐集」にもっとも適したシステム
・このように見るならば、12~13世紀から(「長い16世紀」の起点である)15世紀までが資本主義の懐妊期間と位置づけられるのではないか。→ そして「時間」と「知」の所有の交代劇は、「長い16世紀」に「海賊資本主義」と「出版資本主義」という形で結実する。
・「時間」の所有すなわち利潤の追求については、16~17世紀に、海賊国家ともいえるイギリスが「海」という新しい空間を独占することによって、途上国の資源をタダ同然で手に入れることのできる「実物投資空間」を拡大させていった。…一方、「知」の所有については、宗教改革でラテン語から俗語への交代劇を実現(ラテン語は聖職者と一部の特権階級が独占していた)。→ 俗語が主役になることで、「出版資本主義」が成立していった(後述)。
・この「時間」と「知」に対する飽くなき所有欲は、ヨーロッパの本質的な理念である「蒐集」によって駆動されている。→「蒐集」は西欧の歴史において最も重要な概念。…「社会秩序それ自体が本質的に蒐集的」であり、支配層にとって社会秩序維持(※支配構造の安定化)に勝るものはないから、最優先されるべきは「蒐集」ということになる。(※う~ん、やはりこの「蒐集」という概念が難しい…。アジアには希薄ということか…?)
・「ノアの方舟のノアがコレクター第1号」…キリスト教誕生以来、キリスト教は霊魂を → 資本主義以前の帝国システムにおいては、軍事力を通じて領土(すなわち農産物)を → そして資本主義は市場を通じて物質的なもの(最終的には利潤)を「蒐集」する。…ノアから歴史が始まったキリスト教社会にとって、資本主義は必然的にたどり着く先だった。→ そして、資本主義とは人類史上「蒐集」に最も適したシステムだったからこそ、中世半ばになってローマ教会は「利子」や「知識の開放」など、(本来禁じていたことを)認めるようになった。(※う~ん、当方、キリスト教の素養がないので理解が難しい…。『蒐集』も未読だし…)
○「中心/周辺」構造の末路
・こうした「蒐集」の概念は、「中心/周辺」という枠組みとも関わっている。この枠組みは、中世の帝国システムでも近代の国民国家システムでも基本的に変わらない。その時々で「蒐集」に最も適したシステムを選択してきたのが西欧。→ とりわけ「蒐集」に抜群の効力を発揮する資本主義を西欧は発見し、さらに効率よく「蒐集」をおこなう「海の国」が覇権国家であり続けた。
・また資本主義といっても、その時代に応じて、中身は異なる。…(資本主義が勃興する時代には)重商主義 →(自国の工業力が他国を圧倒するようになると)自由貿易を主張 →(他国が経済的に追随して自国を脅かすようになると)植民地主義に代わり →(IT技術と金融自由化が行き渡ると)グローバリゼーションを推進した。
・しかし、国民国家システムでは権力の源泉が民主主義にあり、帝国システムでは軍事力を独占する皇帝にあるという違いはあるが、「中心/周辺」もしくは「中心/地方」という分割のもとで、富を中央に集中させる「蒐集」のシステムであるという点では共通している。⇒ そして、この「蒐集」のシステムから卒業しない限り、金融危機や原発事故のような形で、巨大な危機が再び訪れることになるだろう。
〔※事故の原因や責任などの真の検証や、万一の過酷事故に対する(納得できる)対応策、また本当に原発は必要なのかなどの、本質論を置き去りにしたまま、原発再稼働が強行されようとしている事態……結局、「資本の論理」を優先する限り、何も変わらない、ということか…〕
・「蒐集」をやめるということは、そう簡単ではない。→ しかしながら、先進国がこぞってこれから長い超低金利時代を迎えることが予想されるのだから、これまで以上に「蒐集」が困難になることも真実。……そのとき、先進国はどちらの方向に舵を切るのか。
・ブルが掲げた五つの選択肢の中で、5番目の「非歴史的選択肢」(ブル自身もその内容を説明していない)…それが何であるかに強く心を惹かれている。→ EUが向かってきた新中世主義も足を引っ張られている今、この5番目の選択肢にしか、近代を超える可能性はないのかもしれない。
【5章】資本主義はいかにして終わるのか
○資本主義の終焉
・資本主義は実際にいかにして「終焉」に向かっていくのか。「終焉」の後にはどのようなシステムが待ち受けているのか(本章のテーマ)。
・資本主義の性格は、時代によって、重商主義 → 自由貿易主義 → 帝国主義 → 植民地主義…と変化してきた。→ IT技術が飛躍的に進歩し、金融の自由化が行き渡った21世紀には、グローバリゼーションこそが資本主義の動脈といえる。⇒ しかし、どの時代にあっても、資本主義の本質は「中心/周辺」という分割にもとづいて、富やマネーを「周辺」から「蒐集」し、「中心」に集中させることには変わりない。
・21世紀のグローバリゼーションによって、経済的な意味での国境の壁は限りなく低くなり、今まで先進国が独占してきた富が、途上国にも分配され、(一見すると)格差は縮小してきたようにも見える(実際、先進国と新興国の平均所得の格差は縮小している)。
・けれども、グローバリゼーションをそのように捉えている限り、現在起きている現象の本質に迫ることはできない。→ 資本主義と結びついたグローバリゼーションは、必ずや別の「周辺」を生み出すから。…つまり、グローバル資本主義とは、国家の内側にある社会の均質性(※ex.1億総中流)を消滅させ、国家の内側に「中心/周辺」を生み出していくシステムといえる。(※参考…堤未果の著作群…)
○近代の定員15%ルール
・そもそも資本主義自体、その誕生以来、少数の人間が利益を独占するシステムだった。…(P167に高所得国の人口シェアのグラフ)→ ヨーロッパのためのグローバリゼーションの時代である1870年~2001年は、地球の全人口のうちの約15%が豊かな生活を享受することができた(この15%は、ヨーロッパ的資本主義を採用した国々で、当然アメリカや日本も含まれている)。…日本が「一億総中流」を実現できたのもこの時代。
・しかし逆に言うと、このグラフは、世界総人口のうち豊かになれる上限定員は15%前後であることを物語っている(※ここ130年の統計的事実…)。→ つまり20世紀までの130年間は、先進国の15%の人々が、残りの85%(※後進国)から資源を安く輸入して、その利益を享受してきた。…このように歴史を振り返れば、資本主義は決して世界のすべての人を豊かにできる仕組みではないことは明らか。
・現在進行中の21世紀のグローバリゼーションに、この15%という定員の上限説を適用するとどうなるか。…20世紀までの資本主義は、資源がタダ同然で手に入るという前提のもとで、先進国が富を総取りしていた。←→ 一方、全地球が均質化(※グローバリゼーション)する現代では、新興国や途上国の57億人全員が資本主義の恩恵を受けるチャンスがあるという「建前」(※実際は自己努力/自己責任)で進んでいるが、それでは「安く仕入れて高く売る」という近代資本主義の成立条件は崩壊する。→ 全員がグローバリゼーションで豊かになる、というのは「建前」で、実際には安く仕入れる先(※フロンティア)はほとんど残されていない。
・それでも資本主義は資本が自己増殖するプロセスだから、利潤を求めて新たな「周辺」を生み出そうとする。しかし、現代の先進国にはもう海外に「周辺」はない。→ そこで資本は、国内に無理やり「周辺」をつくり出し、利潤を確保しようとしている。…その象徴的な例が、アメリカのサブプライム・ローンであり、日本の労働規制の緩和。→ サブプライム・ローンでは「国内の低所得者」(周辺)を無理やり創出して、彼らに住宅ローンを貸しつけ、それを証券化することでウォール街(中心)が利益を独占していた(※自動車ローンでも同様のことが行なわれていた…詳細は「震災レポート22」)。→ 日本では、労働規制を緩和して非正規雇用者を増やし、浮いた(社会保険や福利厚生の)コストを利益にする。……アメリカや日本に限らず、今や世界のあらゆる国で格差が拡大しているのは、グローバル資本主義が必然的にもたらす状況だといえる。〔※こうした事実を隠蔽するために、資本側は(政治家・官僚・専門家・マスメディアも取り込み)様々なイデオロギー(プロパガンダ)を総動員する…〕
○ブレーキ役が資本主義を延命させた
・むき出しの資本主義のもとでは、少数の者が利益を独占してしまう。…現在の新自由主義者が唱えている規制緩和とは、要するに一部の強者が利潤を独占することが目的だからそのような政策(※TPPも?)を推進していけば、国境を越える巨額の資本や超グローバル企業だけが勝者(※15%)となり、ドメスティックな企業(※円安の被害…)や中流階級(※リストラ・賃金減…)はこぞって敗者に転落していくに違いない。(※日本の近未来…?)
・あらかじめ富める人の定員は15%しかないのが資本主義だが、曲がりなりにも今日まで存続してきたのは、その過程で資本主義の暴走にブレーキをかけた経済学者・思想家がいたから。…アダム・スミス、カール・マルクス、ケインズらが近代の偉大なブレーキ役だった(詳細はP169)。→ そういう意味では、資本主義というものは、誰かブレーキ役がいないとうまく機能せず、その強欲さゆえに資本主義は自己破壊を起こしてしまうものなのだ。
・マルクスのブレーキは、19世紀半ばからソビエト連邦解体までは効き目があった。…その上、1929年に世界が大恐慌に直面すると、ケインズ主義が暴走する資本主義のブレーキとなり、1972年ぐらいまではもちこたえることができた。→ しかし、オイル・ショックが起き、スタグフレーション(※不況下のインフレ)になって、ケインズ政策の有効性が疑われるようになると、一転してブレーキ役たるケインズが停滞の犯人のようにされてしまった。→ 代わって、あらゆるブレーキを外そうと主張したのが、ミルトン・フリードマンやハイエクが旗振り役となった新自由主義。…21世紀のグローバル資本主義は、その延長上にあるから、いわばブレーキなき資本主義と化している。
○「長期停滞論」では見えない資本主義の危機
・そして、リーマンショックを経て、ようやく新自由主義が唱導するようなブレーキなき資本主義に警鐘を鳴らす声が聞こえるようになってきた。←→ しかし、(リーマンショックというこれほどまでに大きな資本主義の危機を経ても)「金融緩和をおこない、インフレに向かう期待をもたせれば、経済は好転する」というリフレ理論が、経済政策の主導者たちの間では優勢だった。…「株価が上がった」という事実だけを取り上げて、アメリカの量的緩和、日本の異次元緩和は成功していると唱える人々だ。(※黒田・日銀〝異次元緩和〟の第二弾…!)
・(新自由主義も金融緩和も危機脱出の突破口を見出せなくなった現在)→ 需要不足が「長期停滞」の原因との診断で、「ケインズに帰れ」というもう一つの処方箋が提出される。…つまり、積極財政によって国内で需要を創出すれば、経済はもち直すという処方箋。…しかし、ケインズ的な「大きな政府」が成立するのは、資本が国境を越えず、一国の中でマネーの動きを制御できる時代のこと。←→ 国境を越えて資本が自己増殖していくグローバル資本主義のもとでは、ある国家の内側での需要創出を狙うケインズ政策も、焼け石に水程度の効果しかないだろう。(※アベノミクスの第2の矢が、この公共投資を増やす積極財政 → 債務の増大…)
・そして、最も重大なケインズ政策の欠陥は、「ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ」という21世紀のこの時代に、経済成長を目的としている点。→ 成長を目的とする時点で、ケインズ流の「大きな政府」は、あらかじめ失敗を運命づけられている。
・私たちはそろそろ、資本主義が生き延びるという前提で説かれる「長期停滞論」にも決別しなければならない時期に差し掛かっている。…資本の自己増殖と利潤の極大化を求めるために「周辺」を必要とする資本主義は、(暴走するか否か、停滞が長期か短期かにかかわらず)いずれ終焉を迎える。…(すでに説明したように)現代はもう「周辺」が残されていないから。
・おそらく「アフリカのグローバリゼーション」という言葉が囁かれるようになった時点で、資本主義が地球上を覆い尽くす日が遠くないことが明らかになってきた(※中国が、今さかんにアフリカに進出…。そして日本もそれに追随…?)。→ 資本主義が地球上を覆い尽くすということは、地球上のどの場所においても、もはや投資に対してリターンが見込めなくなることを意味。…すなわち地球上が現在の日本のように、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレになる、ということ。→ このような状態では、そもそも資本の自己増殖や利潤の極大化といった概念が無効になるから、近代資本主義が成立する余地はない。…そして、成長を求めれば求めるほど、資本主義の本来もつ矛盾が露呈し、システム転換に伴うダメージや犠牲も大きくなる。(※ハード・ランディングの危険性…)
○「無限」を前提に成り立つ近代
・資本主義のもつ固有の矛盾とは、資本主義の定義自体にある。…資本主義は、資本の自己増殖のプロセスであると定義するのだから、「目標地点」(ゴール)を決めていないということ。→ 16世紀のヨーロッパ人は、(それまでの中世の人とは世界観がまったく異なっていて)眼の前に突如「無限の空間」が現れた(ex. コペルニクスやブルーノなど…詳細はP174~175)。…「無限」だからこそ「過剰」を「過剰」だとは思わないのが、近代の特徴。
・近代社会を経済的側面からみれば資本主義社会であり、政治的側面からみれば民主主義社会。…実は、民主主義も「過剰」をつくり出すシステム。(佐藤文隆『科学と人間』によれば)…民主主義は「大量」の物質を必要とする。…現在の「一部」を将来は「万人」に拡大するという夢の上に科学技術と民主主義は共存している(※世界中のすべての人々が、豊かで健康で文化的な生活を…)。←→ こうした希望が幻想だと分からせたのが、20世紀末から世界を席巻するグローバル資本主義。→ 先進国で貧困問題が深刻化し、また、9・15(リーマンショック)や3・11(福島原発事故)で金融工学や原子力工学が、果たして人々を豊かにするかどうか、疑念が生じた。
○未来からの収奪
・「地理的・物的空間」が消滅してもなお「過剰」を追い求めれば、新しい「空間」をつくることが必要になる。→ それが「電子・金融空間」だった。…前者の空間は、北(先進国)と南(後進国)の間に見えない壁があった。→ グローバル資本主義は、いったんその壁を取り払って、新たに壁を作り直すためのイデオロギーなのだ。
・新しい空間が「電子・金融空間」となれば、この空間に参入できる人はある程度の所得を持っていなければならない。→「努力をした者が報われる」と宣言して、報われなかった者は努力が足りなかったのだ(※自己責任)と納得させることで、先進国内に見えない壁をつくり、下層の人たちから上層部の人たちへ富の移転を図った。→ 収奪の対象は、アメリカであればサブプライム層と呼ばれた人たちだし、EUであれば、ギリシャなどの南欧諸国の人たち、日本の場合は非正規社員…。(※昨今マスメディアでは、「自助努力」とか「自己責任」とかいう言葉が過剰に使われているが、こうした構造の隠蔽のためか…)
・さらにいえば、「電子・金融空間」で収奪するというこの状況下で、我々が成長を追い求めるために行っている経済政策・経済活動は、「未来からの収奪」となっている可能性が大きい。…ケインズ主義者が唱える財政出動も、公共事業にかつてのような乗数効果が見込めない現在にあっては、財政赤字を増加させると同時に、将来の需要を過剰に先取りしている点で、未来からの収奪に他ならない。(※最近よく聞く〝前倒し〟という言葉…)
・金融の世界でも同じ。…1990年代末に世界的な流れとなった時価会計とは、時価の数字がそのまま決算に反映されるシステムなので、「将来、これぐらいの利益を稼ぎ出すだろう」という投資家の期待を織り込んで資産価格が形成されていく。→ そのとき、マーケットというのは、その将来価値を過大に織り込むことで、利益を極大化しようとするから、結果的には、将来の人々が享受すべき利益を先取りしていることになる。(※う~ん、金融は難しい…)
・しかも「電子・金融空間」で時価に対してマーケットが過剰に反応すればするほど、バブルのリスクは高まる。→ 時価会計は、将来の人々の利益を先取りするのみならず、バブルが起きれば、弾けた時に巨額の債務が残る。→ 巨額の税負担という損失も先送りする結果になってしまう(※すでに1000兆円の債務!…詳細はP177~178)。
・経済成長が依存している地球環境でも同じことが言える。…人類は数億年前に堆積した化石燃料を18世紀後半の産業革命以降、わずか2世紀で消費し尽くそうとしている。…「もし我々が、これまでと同様の発想で右肩上がりの豊かさを求めて人間圏を営むとすれば、人間圏の存続時間は100年ほどだろうと考えられる」(松井孝典『地球システムの崩壊』より)→「蒐集」に駆動されて、拡大・成長を追い求めれば、同時代のみならず未来世代からも収奪せざるを得ない。…もはや拡大・成長の余地はないのに、無理やり拡大(※バブル)させれば、風船が弾けるように、収縮が起きる(※バブル崩壊)のは当然。
・ 9・15のリーマンショックは、金融工学によってまやかしの「周辺」をつくり出し、信用力の低い人々の未来を奪った(※自己破産…)。…リスクの高い新技術によって低価格の資源を生み出そうとした原子力発電も(※〝安全神話〟とは経費節約のため?)、3・11で、福島の人々の未来を奪っただけでなく、数万年後の未来にまで放射能という災厄を残してしまった。→ 資本主義は、未来世代が受け取るべき利益もエネルギーもことごとく食い潰し、巨大な債務とともに、エネルギー危機や環境危機という人類の存続を脅かす負債も残そうとしている。
○バブル多発時代と資本主義の退化
・このように、地球上から「周辺」が消失し、未来からも収奪しているという事態の意味を、我々はもっと深く受け止めるべき。→(経済の「長期停滞」といった次元ではなく)ヨーロッパの理念、近代の理念であった「蒐集」の終焉が近づいている。…従って、資本主義の終焉とは、近代の終わりであると同時に、西欧史の終わりと言っても過言ではない。→ 英米の資本帝国であれ、独仏の領土帝国であれ、全世界の70億人が資本主義のプレーヤーになった時点が、帝国の死を意味するのだ。
・そうすると、私たちが取り組むべき最大の問題は、資本主義をどのように終わらせるかということになる。→ すなわち、現状のごとくむき出しの資本主義を放置した末のハード・ランディングに身を委ねるのか、あるいはそこに一定のブレーキをかけてソフト・ランディングを目指すのか。(※取るべき選択肢としては、後者しかないだろう…)
・むき出しの資本主義の先に待ち受けているもの…おそらくそれは、リーマンショックを凌駕する巨大なバブルの生成と崩壊。→ すでに資本主義は、(永続型資本主義から)バブル清算型資本主義へと変質している。
・本来、資本主義が効率よく実行されているかどうかは資本の利潤率(国債利回り+リスク・プレミアム)で測るものだが、ゼロ金利となった現在、どの実物資産も、リターンは見込めない。→ 代わって株価が資本主義の効率性を測る尺度として登場し、その主戦場は「電子・金融空間」となった。→ その結果、サマーズ(元財務長官)の指摘の通り「3年に1度バブルが起きる」ようになった。→ しかし、バブルは必ず弾けるので、その時点で投資はいったん清算される。…17世紀初頭に誕生した永続資本(株式会社)を原則とする資本主義は、20世紀末に終焉を迎え、一度限りのバブル清算型の資本主義へと大きく退化した。
・永続型資本主義の始まりはオランダ東インド会社であり、それ以前の地中海世界における資本主義は一事業ごとに利益を清算する合資会社による資本主義だった。…当時、資本主義経済はまだ萌芽の段階で、社会全般に浸透していなかったので、一度限りの事業清算型の資本主義で十分こと足りていた。
・13~15世紀の地中海世界の事業清算型資本主義は、失敗すればその責任は資本家のものだった。←→ ところが、21世紀のバブル清算型資本主義になると、利益は少数の資本家に還元される一方で、公的資金の注入などの救済による費用は、税負担という形で広く国民に及ぶ。→ 資本家のモラルという点では、21世紀のバブル清算型資本主義は、事業清算型資本主義と比べて明らかに後退している(※政治家とともに資本家も劣化…)。…人類は「進歩する」という近代の理念も疑ってみる必要がある。
○ハード・ランディング・シナリオ――中国バブル崩壊が世界を揺るがす
・日本の土地バブル、アジア危機、アメリカのネット・バブル、住宅バブル、そしてユーロのバブル…。→ それに続く巨大なバブルは、おそらく中国の過剰バブルになるだろう。…リーマンショック後、政府の主導で大型景気対策として4兆元もの設備投資をおこなったことによって、中国の生産過剰が明らかになりつつある。
・その代表例が粗鋼生産能力(22%ほど生産能力が過剰)→「世界の工場」と言われる中国だが、輸出先の欧米の消費は縮小している(この先、以前のような消費を見込むことは不可能)。(またアジアの中でも中国は、領土問題などを抱え)対アジアの輸出も今後は翳りを見せるだろう。…かといって、中間層による消費がか細い中国では、内需主導に転換することもできない。→ いずれこの過剰な設備投資は回収不能となり、やがてバブルが崩壊する。(※う~ん、かなりはっきりと言い切っている…)
・中国でバブルが崩壊した場合、海外資本・国内資本いずれも海外に逃避していく(※すでに富裕層の海外逃避は始まっている…?)。→ そこで中国は(外貨準備として保有している)アメリカ国債を売る。→ 中国の外貨準備高は世界一だから、その中国がアメリカ国債を手放すならば、ドルの終焉をも招く可能性すらある(※オバマが中国に気をつかうわけ…?)。
○デフレ化する世界
・この中国バブルの崩壊後、新興国も現在の先進国同様、低成長、低金利の経済に変化していく。→ つまり、世界全体のデフレが深刻化、永続化していくということ。(詳細はP183)
・新興国で起きるバブルは、(欧米で起きた資産バブルでなく)日本型の過剰設備バブル。…日本のバブルは国内の過剰貯蓄で生じたのだが、国際資本の完全移動性が実現した21世紀においては、先進国が量的緩和で生み出す過剰マネーが、新興国に(日米欧がなし得なかった)スピードでの近代化を可能にさせている。
・過剰設備バブルは、(資本市場で決まる株価がその崩壊時において急落するのと異なり)崩壊には時間がかかる。→ この崩壊の段階に至って、資本主義はいよいよ歴史の舞台から姿を消していくことになるだろう。…全世界規模で、ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが実現して、いやがおうにも定常状態に入らざるを得なくなる。
・もちろん中国バブル崩壊が人々の生活に与える影響は甚大だ。→ その規模はリーマンショックを超えるだろうから、日本においても相当な数の企業が倒産し、賃金も劇的に下がるだろう。→ バブルが弾け、経済が冷え込めば、国家債務は膨れ上がるから、財政破綻に追い込まれる国も出てくる。→ 日本はその筆頭候補だ。(※う~ん、日本は財政破綻の筆頭候補か…)
・これまでの歴史では、国家債務が危機に瀕すると、国家は戦争とインフレで帳消しにしようとした。つまり力づくで「周辺」をつくろうとした(※まさか、アベちゃん、これを狙っているのか…?)。←→ しかし現代の戦争は、(核兵器の使用まで想定されるから)国家間の大規模戦争というカードを切ることはおそらくない。→ けれども、国内では、行き場を失った労働者の抵抗が高まり、内乱の様相を呈するかもしれない。…資本家対労働者の暴力的な闘争、そして資本主義の終焉というマルクスの予言にも似た状況が生まれるのではないか。
・資本主義の暴走に歯止めをかけなければ、このような長期の世界恐慌の状態を経て、世界経済は定常状態(ゼロ成長)へと推移していくことになる。…悲観的な予測になってしまうかもしれないが、いまだに各国が成長教にとらわれている様子を見ると、この最悪のシナリオを選択してしまう可能性を否定しきれない。(※確かに、あの複数の原発が〝暴走〟してしまうのを体験してしまった今、この〝最悪のシナリオ〟が起こらないとは、とても断言できない…)
○ソフト・ランディングへの道を求めて
・このような資本主義のハード・ランディングではなく、資本主義の暴走にブレーキをかけながらソフト・ランディングをする道はあるのだろうか。…現在の国家と資本の関係を考えると、資本主義にとって(資本が国境を容易に越えるときに)国家は足手まといのような存在になっている。→ 今や資本が主人で、国家が使用人のような関係。
・グローバル資本主義の暴走にブレーキをかけるとしたら、それは世界国家のようなものを想定せざるを得ない。…金融機関をはじめとした企業があまりにも巨大であるのに対して、現在の国民国家はあまりにも無力。→ EUは、国家の規模を大きくしてグローバル資本主義に対抗しようとしたが、欧州危機で振り回されているということは、まだサイズが小さいのかもしれない。
・世界国家、世界政府というものが想定しにくい以上、少なくともG20が連帯して、巨大企業に対抗する必要がある。…具体的には法人税の引き下げ競争に歯止めをかけたり(※安倍政権は逆に〝法人税の引き下げ競争〟に加担…)、国際的な金融取引に課税するトービン税のような仕組みを導入したりする。→ そこで徴収した税金は、食糧危機や環境危機が起きている地域に還元することで、国境を越えた分配機能をもたせるようにする。
・G20で世界GDPの86.8%を占めるから、G20で合意できれば、巨大企業に対抗することも可能。…マルクスの『共産党宣言』とは真逆に、現在は万国の資本家だけが団結して、国家も労働者も団結できずにいる状態(※確かに…)。→ 労働者が連帯するのは現実的に難しい以上、国家が団結しなければ、資本主義にブレーキをかけることはできない。(※ここではまったく国連には言及されていないが、今の国連はそれほど機能不全に陥っているのか…?)
○「定常状態」とはどのような社会か
・未だ資本主義の次なるシステムが見えていない以上、このように資本の暴走を食い止めながら、資本主義のソフト・ランディングを模索することが、現状では最優先されなければならない。→ いわば、資本主義にできる限りブレーキをかけて延命させることで、ポスト近代に備える準備を整える時間を確保することができる。
・(資本主義の先にあるシステムを明確に描くことは、今はできないが)その大きな手がかりとして、現代の我々が直面している「定常状態」についてここで考えていく。…「定常状態」とはゼロ成長社会と同義であり、それは人類の歴史の上では珍しい状態ではない。〔P189の図より〕…1人当たりのGDPがゼロ成長を脱したのは16世紀以降(中世→近代)のことで、この後の人類史(21世紀以降~)でゼロ成長が永続化する可能性もある。
・経済的には、ゼロ成長というのは純投資がないということ。つまり、減価償却の範囲内だけの投資しか起きない。…家計でいうなら、自動車を(増やさずに)乗り潰した時点で買い替えるということ。→ 従って、買い替えだけが基本的には経済の循環をつくっていくことになる(少子高齢化で人口減少していけば、車の台数も減っていく)。→ そこで人口が9000万人程度で横ばいになれば、定常状態になる。…つまり、買い替えサイクルだけで生産と消費が循環していき、多少の増減はあってもおおむね一定の台数で推移していくということ。
・ただ15世紀までの中世は、10年、20年単位でみれば定常であっても、短期間では非常にアップダウンの激しい経済だった。←→ 21世紀の「定常」は中世とは異なって、毎年の変動率が小さいという点でずっと望ましい。(ただし、金融政策や財政政策で余計なことをしないという前提の上でのことだが…詳細はP188~190)
○日本が定常状態を維持するための条件
・この定常状態の維持を実現できるアドバンテージ(有利な立場)を持っているのが、世界で最も早くゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレに突入した日本。…現在の日本は、定常状態の必要条件を満たしている状態として考えることができるが、ゼロ金利だけでは十分ではない。→ 国が巨額の債務を抱えていては、ゼロ成長下では税負担だけが高まる(債務の返済)ことになるから、基礎的財政収支(プライマリー・バランス)を均衡させておく必要がある。
・日本は現在、ストックとして1000兆円の借金があり、フローでは毎年40兆円の財政赤字をつくっている。…GDPに対する債務残高が2倍を超えるほどの赤字国家なのに、なぜ破綻しないのか…。→ そのカラクリは、〔フローの資金繰り〕…現在の金融機関は、マネー・ストックとしてある800兆円の預金が年3%、約24兆円ずつ増えている。さらに企業が1999年以降、恒常的に資金余剰の状態が定着しており、1年間の資金余剰は23.3兆円(2013年)にも達している。…つまり、家計部門と企業部門を合わせた資金余剰は約48兆円(対GDPで10.1%)と高水準を維持している。→ これで、銀行や生保などの金融機関を通して、毎年40兆円発行される国債(※国の借金)が消化できているというわけ。…一方、ストックの1000兆円の借金については、民間の実物資産や個人の金融資産がそれを大きく上回っているため、市場からの信頼を失わずに済んでいる。(※なるほど…)
・しかし、こうした辻褄合わせがいつまでも続くわけがない。→ 現在同様に毎年40兆~50兆円の財政赤字を重ねていれば、(銀行のマネー・ストックが純減したときなど)いずれ国内の資金だけでは、国債の消化ができなくなる。→ 日銀の試算では、2017年には預金の増加が終わると予測されていて、そうなると外国人に国債の購入を頼らざるを得なくなる。→ しかし、外国人は他国の国債金利と比較するから、金利の動きも不安定化する。…現実的には金利は上昇するだろう。→ 金利が上昇すれば利払いが膨らむから、日本の財政はあっという間にクラッシュしてしまう。…それでは、資本主義からのソフト・ランディングも道半ばで挫折してしまう。⇒ そうならないために、財政を均衡させなければならない。(※説得力あり…)
○国債=「日本株式会社」会員権
・すると、現在の1000兆円の借金はどうすればいいか。→ 借金1000兆円は債券ではなく、「日本株式会社」の会員権への出資だと考えたほうがいい。…国民は銀行や生命保険会社にお金を預け、そのお金が結局、国債購入に使われる。→ だから国民の預金は、間接的に国債を購入していることと同じ意味を持っている。…その国債がゼロ金利ということは、配当がないということ。それでも、日本の中で豊かな生活サービスを享受できる。→ その出資金が1000兆円なんだと発想転換したほうがいい。(※う~ん、この考え方だと日本で生活していくなら〝外貨預金〟などするべきではないということか? 富裕層はしっかりやってるらしいが…)
・そう考えた上で、借り換えを続けて1000兆円で固定したままにしておくことが重要。→ 現在は、歳出90兆円に対して、40~50兆円の税収しかないから、放っておけば、借金は1100兆円、1200兆円とどんどん膨らんでいく。→ そうなったら、日本だけでは国債を消化できず、外国人に買ってもらわなければならない。…でも外国人には日本国債は(会員権ではなく)金融商品にすぎないから、ゼロ金利では承知してもらえず(※そりゃそうだ…)、金利は上がることになる。→ それでは財政破綻は免れることはできない。
・今は増え続けている預金も、2017年あたりを境に減少に転じると予想されている。→ おそらく今後は、団塊世代が貯蓄を取り崩したり(※すでに取り崩している…)、相続世代が貯蓄にお金を回さない(※確かに余裕なさそう…)ことで、減少圧力は少しずつ強まっていく。→ そう考えると、残された時間はあと3,4年しかない。…その間に、基礎的財政収支を均衡させることが日本の喫緊の課題なのだ。(※う~ん、あと3,4年というのは、相当厳しい…)
・財政均衡を実現する上で、増税はやむを得ない。→ 消費税も最終的には20%近くの税率にせざるを得ないだろう(※う~ん、やはり他の先進国並の税率が必要なのか…)。→ しかし、問題は法人税や金融資産課税を増税して、持てる者により負担をしてもらうべきなのに、逆累進性の強い消費税ばかり議論されているところ。←→ 法人税に至っては、財界は下げろの一点張り。→ 法人税を下げたところで、利益は資本家が独占してしまい、賃金には反映されないのだから、国家の財政を健全にして、分配の機能を強めていくことのほうが、多くの人々に益をもたらすはず。〔※消費税については、やはり最終的には他の先進国並の税率が必要になるが、その前に資本側や富裕層を優遇している税制を見直すべき…ということか。…法人税についても、日本の場合は、免税特例が多数あり(政治家や官僚の利権の温床?)、実際の税率は公式の数字(現在は約35%)よりかなり低くなっているらしい…東京新聞2014.11.11より〕
○エネルギー問題という難問
・定常状態を実現するためのもう一つの難問は、エネルギー問題。…新興国が成長するほど、世界はエネルギー多消費型の経済に傾いていくから、資源価格はつり上がっていく。→ 名目GDPは定常にならず、減っていってしまう。
・定常状態を実現するためには、①人口減少を9000万人あたりで横ばいにすること、②安いエネルギーを国内でつくって、原油価格の影響を受けないこと…が重要になる(太陽光だと1kwhあたり20円以下でつくることができれば、名目GDPの減少は止まるはず…詳細P195)。
・「財政の健全化は景気の足を引っ張る」などというような、この1年、2年の次元の問題ではなく(※日本はこの次元の話ばかり…)次の新しいシステムに移行するときに、財政の健全化はまずクリアーしておくべき条件であり、それができなければ新しい時代を迎える資格はない。
○ゼロ成長維持すら困難な時代
・多くの人は、ゼロ成長というと非常に後ろ向きで、何もしないことのように考えがちだが、それは大きな誤解。…1000兆円の借金も高騰する資源価格も、それを放置したままではマイナス成長になってしまう。→ マイナス成長社会は、最終的には貧困社会にしかならない。←→ ゼロ成長の維持には、成長の誘惑を断って借金を均衡させ、さらに人口問題、エネルギー問題、格差問題など、様々な問題に対処していくには、(旧態依然の金融緩和や積極財政に比べて)高度な構想力が必要とされる。
・新自由主義者やリフレ論者たちは、せっかくゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレという定常状態を迎える資格が整っているというのに、今なお近代資本主義にしがみついており、それが結果として多大な犠牲とともに資本主義の死亡を早めてしまう(※ハード・ランディング)ことに気づかない。→ 何度も繰り返すように、成長主義から脱却しない限り、日本の沈没は避けることができない。
○アドバンテージを無効にする日本の現状
・定常状態への大きなアドバンテージ(有利な立場)があるにもかかわらず、成長主義にとらわれた政策を続けてしまったために、日本国内もグローバル資本主義の猛威にさらされ続けている。〔P197の図より〕…金融資産ゼロ(2人以上の世帯)…1987年3.3% → 2013年31.0%(1963年の調査以来の最高値)。…つまり、バブルが崩壊し、新自由主義的な政策が取られていく過程で、無産階級が3.3% → 31% へと跳ね上がったわけ。
・日本の利子率は世界で最も低く、史上に例を見ないほど長期にわたって超低金利の時代が続いている。…利子率が最も低いということは、資本が最も過剰にあることと同義。→ もはや投資をしても、それに見合うだけのリターンを得ることができないという意味では、資本主義の成熟した姿が現在の日本だと考えることもできる。←→ しかし、その日本で、およそ3割強の世帯が金融資産をまったく持たずにいるという状況が現出している。
・(アベノミクスの浮かれ声とは裏腹に)今なお生活保護世帯や低所得者層も増加傾向のまま。…非正規雇用者数は1906万人(2013年)、年収200万円以下の給与所得者数は1090万人(2012年)、生活保護受給者数も200万人を超えている。⇒ こうした格差拡大の処方箋としては、まず生活保護受給者は働く場所がないわけだから、労働時間の規制を(緩和ではなく)強化して、ワークシェアリングの方向に舵を切らなければならない。
〔※この「ワークシェアリング」については、以前からオランダ方式などのモデルケースも紹介されており、非常に関心を持っていたのだが、なぜか日本ではまともに検討されたことがないよう。やはりこの国は〝資本の論理〟が強すぎるのか…?〕
・日本の年間総実労働時間は、一般(フルタイム)労働者で2030時間(2012年)…これはOECD加盟国の中でも上位に入る長時間労働(サービス残業を含めれば実際はもっと働いている)。⇒ ここにメスを入れて、過剰労働、超過勤務をなくすように規制を強化すれば、単純にその減少分だけでも相当数の雇用が確保されるはず。(※アベノミクスでは真逆に,〝資本の論理〟からの「規制緩和」ばかり。→ この〝長時間労働〟が、日本の〝諸悪の根源〟ではないのか…)
・年収200万円世帯の多くは非正規労働者だろう。彼らは正社員と違って、ボーナスも福利厚生も社会保険もない場合がほとんど。正社員と比較して、二重にも三重にも不安定な境遇に置かれている。→ 非正規という雇用形態には否定的にならざるを得ない。なぜなら、21世紀の資本と労働の力関係は、圧倒的に前者が優位にあって、こうした状況をそのままにして働く人の多様なニーズに応えるというのは幻想と言わざるを得ないから。…結局、労働規制の緩和は資本家の利益のための規制緩和にすぎない。→ 従って、労働規制を強化して、原則的に正社員としての雇用を義務づけるべきだと考える(※そして、その中での多様なワークシェアリングの仕組みの導入を…)。…〔※う~ん、この項は、深く納得…〕
○「長い21世紀」の次に来るシステム
・こうしたグローバル資本主義の負の影響は、先進国のみならず、新興国においては先進国以上のスピードで格差が拡大していくはず。→ そこで危機に瀕するのは、単に経済的な生活水準だけではなく、グローバル資本主義は、社会の基盤である民主主義をも破壊しようとしている。…グローバル資本主義を、単なる経済的事象と捉えていては、事の本質を見誤ることになる。
・市民革命以後、資本主義と民主主義が両輪となって、主権国家システムを発展させてきた。…民主主義の経済的な意味とは、適切な労働分配率を維持するということ。→ しかし、(2章でも触れたように)1999年以降、企業の利益と所得とは分離していく(※資本側の完勝)。←→ 政府はそれを食い止めるどころか、新自由主義的な政策を推し進めることで、中産階級の没落を加速させていった。→ その結果、超資本主義の勝利は(間接的、そして無意識のうちに)民主主義の衰退を招くことになってしまった…(ライシュ『暴走する資本主義』より)。
・同様に、国家が資本の使用人になってしまっている状況は(※TPP交渉の秘密主義もその現れ…?)、国民国家の存在意義にも疑問符を突きつけている。→ 詰まるところ、18世紀から築き上げてきた市民社会、民主主義、国民主権という理念までもが、グローバル資本主義に蹂躙されているのだ。…そして当の資本主義そのものも、無理な延命策によってむしろ崩壊スピードを速めてしまっているありさまだ。
・かつて政治・経済・社会体制がこぞって危機に瀕したのが「長い16世紀」だった。→ ジェノヴァの「利子率革命」は、中世の荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へとシステムを一変させた。そして、「長い16世紀」の資本主義勃興の過程は、中世の「帝国」システム解体と近代国民国家の創設のプロセスでもあった。→ このプロセスを通じて、中世社会の飽和状態を打ち破る新たなシステムとして、近代の資本主義と国民国家が登場した。
・この「長い16世紀」と、1970年代から今に続く「長い21世紀」…どちらの時代も、超低金利のもとで投資機会が失われていく時代だが…「長い16世紀」はそれを契機として政治・経済・社会体制が大転換を遂げた。→ だとするなら、「長い21世紀」においても、近代資本主義・主権国家システムはいずれ別のシステムへと転換せざるを得ない。
・しかし、それがどのようなものかを人類はいまだ見出せていない。→ そうである以上、資本主義とも主権国家ともしばらくの間はつきあっていかなければならない。…資本主義の凶暴性に比べれば、市民社会や国民主権、民主主義といった理念は、軽々と手放すにはもったいないものだ(実際、今すぐに革命や戦争を起こして市民社会を倒すべきだと主張する人はほとんどいないはず)。…もちろん民主主義の空洞化は進んでいる(※安倍政権もそれに加担…)。しかし、その機能不全を引き起こしているものが資本主義だとすれば、現在取りうる選択肢は、グローバル資本主義にブレーキをかけることしかない。
・ゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレ…この三点が定常状態への必要条件と言ったが、しかし、成長教信者はこの三点を一刻も早く脱却すべきものと捉える。→ そこで金融緩和や積極財政が実施されるが、日本の過去が実証しているように、お金をジャブジャブと流し込んでも、三点の趨勢は変わらない。…ゼロ金利は、財政を均衡させ、資本主義を飼い慣らすサインであるのに、それと逆行してインフレ目標や成長戦略に猛進するのは(※アベノミクス)、薬物中毒のごとく自らの体を蝕んでいくだけ。
○情報の独占への異議申し立て
・「長い16世紀」と「長い21世紀」にはもう一つのおおきな類似点がある。…政治や経済、社会システムが不調なときには、誰が情報を握るのかという争いが起きる〔※安倍政権は今のところこの情報戦に成功しているように見える(→ 不可解な高い支持率)…読売・産経や電通の功績?〕。…(4章で少し触れたが)中世の地中海世界における特権階級はラテン語を読み書きできる人々であり、主に教会に従事する人たちだった。←→ それに対して,(ローマから見て)「周辺」の地であるドイツ,オランダ,フランスの人々は、財産権も行政権も司法権もない状況だった。→ そこでプロテスタント側が、俺たちに財産権や司法権、裁判権をよこせと、いわば独立運動を起こした。
・「長い16世紀」の資本主義最大の産業は出版業界…それは当初、ラテン語陣営に属していたが、ラテン語の聖書はすでに飽和状態だった(特権階級はみんなラテン語の聖書は持っていた)。→ そこで出版業界がプロテスタント陣営について、ルターの教えを大量に印刷してヨーロッパ中に売ったために、ドイツ語や英語はラテン語に勝ったわけ(※出版業界というのはどの時代でも日和見か…?)。…従って、「長い16世紀」の宗教改革は、ドイツ語,フランス語,英語で話す人たちが、ラテン語を使う特権階級の人たちから情報を奪い取る情報戦争として位置づけることができる。→ その結果、情報は中世社会に比べてはるかに広範囲に、早く伝わって、市場を通じた支配の礎となった。(※「長い21世紀」の情報戦争も、すでに始まっている…)
・ここで重要なのは、「情報革命」と「利子率革命」が同時進行するのは必然であるということ。…つまり、ある空間の政治・経済・社会体制が安定しているときは、情報を独占している人間に対して反旗を翻すことはないのだが → それが不安定化して、富の偏在があらわになると、同時に情報は誰のものかが問い直される(※確かに、日本でも今、マスメディアに対する批判など、「情報は誰のものか」が問い直され始めている気配…)。→ 「長い16世紀」では地中海の中心に富が集中していたので、「周辺」であるドイツから反抗の狼煙が上がった。
・一方現代でも、歴史の危機を告げ知らせるかのように、情報の主導権をめぐる争いが起きている。(1章でも触れたが)それを象徴するのがスノーデン事件。…英米の資本帝国で、1%対99%という富の偏在が明らかになった今、政治・経済・社会体制に対して人々の大きな不安が渦巻いている。…アメリカなどの情報収集活動について内部告発したスノーデンはいわば、その不安の象徴的人物といえる。(※日本の大手メディアがスノーデン氏には批判的だったという印象があるが、それはメディアの多数がいまだ権力側に属している、ということか…?)
・ルターは、「周辺」からローマ・カトリック教会の情報操作を批判した(詳細はP205)。同様に、スノーデンも国家の情報管理の秘密を暴いた。…このスノーデン事件は、特権者のカラクリの存在を明らかにした点で、まさにルターに通じている。
・しかしルターが、聖書をドイツ語に翻訳し、1%の特権階級が独占していた情報を、99%の一般の人々に開放することで、国民国家という次なるシステムへの端緒を切り開いたのに対し、スノーデンひとりによる内部告発からはまだ新たなシステムの誕生の予兆は感じられない。…それはおそらく、「長い21世紀」がまだ混迷が続き、新たなシステムの萌芽が見えるまでに時間がかかることを意味している。
○脱成長という成長
・(4章で述べたように)12~13世紀に、過剰な金利(リスク性資本)が誕生したところに資本主義の原型があった。資本の自己増殖ということを考えると、利子率こそが資本主義の中核にあるものだから。…当の合資会社は、一つの事業が終了すると、そこで利益を出資者に配分して、会社は解散する。いわば一回限りの資本主義といえる。→ それが「長い16世紀」になると、「空間革命」が起きて、利潤を得る場が一気に世界へと広がっていった。…そこで資本家も事業を広範囲かつ持続的に行なって利潤を増やしていくようになり(ex.東インド会社)、永続型の資本主義へと転換していった。←→ そしてまた、再び資本主義が「バブル清算型」という永続性なき資本主義へ先祖返りしている(※退化…)。…これは偶然ではなく、すでに「周辺」が存在しない世界では、永続的な資本主義は不可能なのだ。
・誕生時から過剰利潤を求めた資本主義は、欠陥のある仕組みだったとそろそろ認めるほうがいいのではないか。…これまでダンテやシェイクスピア、あるいはアダム・スミス、マルクス、ケインズといった偉大な思想家たちがその欠陥を是正しようと命がけでたたかってきたから、資本主義は8世紀にわたって支持され、先進国に限れば豊かな社会を築いてきた。←→ しかし、もはや地球上に「周辺」はなく、無理やり「周辺」を求めれば、中産階級を没落させ、民主主義の土壌を腐敗させることにしかならない資本主義は、静かに終末期に入ってもらう(※ソフト・ランディング)べきだろう。
・ゼロインフレとは、今必要でないものは、値上がりがないのだから購入する必要がないということ。つまり、消費するかどうかの決定は消費者にある。…豊かさを「必要な物が必要なときに、必要な場所で手に入る」(ミヒャエル・エンデ)と定義すれば、ゼロ金利・ゼロインフレの社会である日本は、いち早く定常状態を実現することで、この豊かさを手に入れることができる。
・そのためには、「より速く、より遠くへ、より合理的に」(※オリンピックの標語みたいだ…)という近代資本主義を駆動させてきた理念もまた逆回転させ、「よりゆっくり、より近くへ、より曖昧に」(※「里山資本主義」に通じる…)と転じなければならない。
・その先にどのようなシステムをつくるべきかは、私自身にもわからない。…定常状態のイメージを語ったものの、それを支える政治体制や思想、文化の明確な姿は、21世紀のホッブズやデカルトを待たなければならないだろう。⇒ しかし、「歴史の危機」である現在を、どのように生きるかによって、危機がもたらす犠牲は大きく異なってくる。…私たちは今まさに「脱成長という成長」を本気で考えなければならない時期を迎えているのだ。
【おわりに】豊かさを取り戻すために
・日本の10年国債利回りが2%を下回った1997年(北海道拓殖銀行や山一證券が破綻し、日本の金融システムが大きく揺らぎ始めた年)…ちょうどその頃、私は証券会社のエコノミストとしてマクロ経済の調査に明け暮れていた。…当初は、景気の低迷によって一時的に利回りが落ち込んだのではないかと考えていたが、その後も一向に2%を超えない。→ 景気が回復しても、国債の利回りだけは2%を超えない。
・一体なぜ、超低金利がこれほど長く続くのか。→ その謎を考え続けていた時、歴史の中に日本と同じように超低金利の時代があることに気づいた。それが「長い16世紀」のイタリア・ジェノヴァで起きた「利子率革命」。…それは、中世封建制の終焉と近代の幕開けを告げる兆候だった。→ だとすれば、日本で続く超低金利は、近代資本主義の終焉のサインなのではないか。…そんな仮説を携えて、「長い16世紀」と現代とを比較してみると、単なる偶然では片付けられない相似性が次々と見つかった。
・以来、利子率の推移に着目して、世界経済史を見つめ続けてきたが、その結果、資本主義の起源もまた、ローマ教会が上限33%の利子率を容認した1215年あたりに求められることに思い至った。…ここで重要なのは、不確実なものに貸付をするときも利息をつけてよい、と認められたこと。つまり、リスク性資本の誕生。…これが資本主義誕生の大きな契機となった。→ そして資本は自己増殖を続け、「長い16世紀」を経て、資本主義は発展してきた。
・マックス・ウェーバーは、資本主義の倫理をプロテスタントの「禁欲」主義に求めたが、「禁欲」した結果として蓄積された資本を、再投資によって新たな資本を生み出すために使うのが資本主義(※資本の自己増殖)。…つまり、「禁欲」と「強欲」はコインの裏表なのだ。
・しかし、(本編で既述したように)こうした資本の自己増殖が臨界点に達し(利潤率ゼロがそのサイン)、資本主義は終焉期に入っている。→ この「歴史の危機」を直視して、資本主義からのソフト・ランディングを求めるのか、それとも「強欲」資本主義をさらに純化させて成長にしがみつくのか。
・後者の先にあるのは、破局的なバブル崩壊というハード・ランディングであるにもかかわらず、先進諸国は今なお成長の病に取り憑かれてしまっている。→ その代償は、遠くない将来、経済危機のみならず、国民国家の危機、民主主義の危機、地球持続可能性の危機という形で顕在化してくるだろう(※その兆しはすでに現れている…)。…それまでに日本は、新しいシステム、定常化社会への準備を始めなければならない。
・私がイメージする定常化社会、ゼロ成長社会は、貧困化社会とは異なる。→ 拡大再生産のために「禁欲」し、余剰をストックし続けることに固執しない社会。…資本の蓄積と増殖のための「強欲」な資本主義を手放すことによって、人々の豊かさを取り戻すプロセスでもある。……日本がどのような資本主義の終焉を迎え、「歴史の危機」を乗り越えるのかは、私たちの選択にかかっている。
(11/20 了)
〔「震災レポート・拡張編」もちょうど10回目で(「震災レポート」は通算で30回)、内容的にも、一区切りがついた気がしている。…そんな時に、藪から棒に「解散・総選挙」というニュースが飛び込んできた。…この国の政治・経済・社会状況は、一区切りつくどころか、ますます混迷の度を深めているように見える。…そんな「長い21世紀」という試練の時を、この水野氏の「資本主義の終焉と歴史の危機」という羅針盤を参考にして、今後も(ちょっと一休みしてから)この「震災レポート」を続けていきたいと思います。〕
◎ 参考に、「震災レポート・拡張編」(1)~(10)(「震災レポート」21~30)のラインアップを挙げておきます。 ⇒ (「震災レポート」①~⑳ のラインアップは、⑳の巻末にあります。)
【 「震災レポート・拡張編」 (1)~(10)(「震災レポート」21~30) ラインアップ 】
(1)[経済論①]…『デフレの正体』藻谷浩介(角川oneテーマ21)2010.6.10
(2)[経済論②]…『里山資本主義』藻谷浩介+NHK広島取材班――[前編]
(角川oneテーマ21)2013.7.10
(3)[経済論③]…『里山資本主義』――[後編]
(4)[農業論①]…『キレイゴトぬきの農業論』久松達央(新潮新書)2013.9.20
(5)[農業論②]…『日本農業への正しい絶望法』神門善久――[前編]
(新潮新書)2012.9.20
(6)[農業論③]…『日本農業への正しい絶望法』――[後編]
(7)[農業論④]…『野菜が壊れる』新留勝行(集英社新書)2008.11.19
(8)[農業論⑤]…『土の学校』木村秋則 石川拓治 幻冬舎2013.5.30
(9)[脱成長論①]…『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫――[前編]
(集英社新書)2014.3.19
(10)[脱成長論②]…『資本主義の終焉と歴史の危機』――[後編]
(2014年11月20日)
2014年12月10日水曜日
2014年12月5日金曜日
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
(震災レポート29) 震災レポート・拡張編(9)
―[脱成長論 ①]
中島暁夫
これも今回の大震災(原発事故)をきっかけに書かれた論考ではないか…少なくとも当方はそのように読んだ。現在、世界に吹き荒れているグローバル資本主義の嵐…。その象徴としての、9・11同時多発テロ、9・15のリーマン・ショック、そして3・11の福島原発事故…。それらにこの著者は、資本主義というシステムの終末の姿を見ようとしている。…このシステムは、もう終わらせないといけない…そのような著者の、怒りとも、祈りともいえるような思いが、静かに熱く伝わってきた。
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
(集英社新書)2014.3.19――[前編]
(2014.4.16 3刷)
〔1953年生まれ、日大教授。早大大学院経済学研究科修士課程修了、証券会社系シンクタンクでエコノミスト(30年)を経て、内閣府官房審議官などを歴任。著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』『世界経済の大潮流』など。〕
【はじめに】資本主義が死ぬとき
・資本主義の死期が近づいているのではないか。その理由は、もはや地球上のどこにもフロンティアが残されていないから。
・資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまりフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム。
・「アフリカのグローバリゼーション」が叫ばれる現在、地理的な市場拡大は最終局面に入っていると言っていい。もう地理的なフロンティアは残っていない。(※人類誕生の地・アフリカが、最後のフロンティア…。そして今、そこからのエボラ出血熱に人類は脅かされている…)
・また金融・資本市場を見ても、各国の証券取引所は株式の高速取引化を進め、一億分の一秒で取引ができるようなシステム投資をして競争している。→ このことは、「電子・金融空間」の中でも、時間を切り刻み、一億分の一秒単位で投資しなければ利潤をあげることができないことを示している。→ 日本を筆頭にアメリカやユーロ圏でも政策金利はおおむねゼロ、10年国債利回りも超低金利となり、いよいよその資本の自己増殖が不可能になってきている。
・つまり、「地理的・物的空間」(実物投資空間)からも「電子・金融空間」からも、利潤をあげることができなくなってきている。→ 資本主義を資本が自己増殖するプロセスと捉えれば、資本主義が終わりに近づきつつあることがわかる。
・さらにもっと重要な点は、中間層が資本主義を支持する理由がなくなってきていること。…自分を貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を維持しようというインセンティブ(経済的誘引)がもはや生じない。→ こうした現実を直視するなら、資本主義が遠くない将来に終わりを迎えることは、必然的な出来事だとさえ言えるはず。
・資本主義の終わりの始まり……この「歴史の危機」から目をそらし、対症療法にすぎない政策(※アベノミクスも?)を打ち続ける国は、この先、大きな痛手を負うはずだ。
【1章】資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ
○経済成長という信仰
・(政界でもビジネス界でも)ほとんどの人々は、「資本主義が終わる」あるいは「近代が終わる」などとは夢にも思っていないよう。→ アメリカをはじめどの先進国も経済成長をいまだに追い求め、企業は利潤を追求し続けている。(※従って、著者は〝異端〟のエコノミスト…)
・私が資本主義の終焉を指摘することで警鐘を鳴らしたいのは、こうした「成長教」にしがみつき続けることが、かえって大勢の人々を不幸にしてしまい、その結果、近代国家の基盤を危うくさせてしまうから。→ もはや利潤をあげる空間がないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中する。→ そして現代の弱者は、圧倒的多数の中間層が没落する形となって現れる。(※これは堤未果の著作とも通底…)
・確かに新興国と呼ばれる国々は、このあと20年や30年は成長を続ける可能性がある。労働力を安く買い叩くことで利益をあげ続けるグローバルなブラック企業(※ユニクロも?)もあるだろう。…けれども、それは局所的な現象にすぎない。→ 資本主義が経てきた歴史的なプロセスを検証すれば、成長が止まる時期が近くまで迫っていることが明白にわかる。
・中世封建システムから近代資本主義システムへの転換期(1450~1640年)を、歴史家ブローデルは「長い16世紀」と呼んだが、私たちは今、同じような歴史の峠に立っている。…現在が、(中世から近代への転換点に匹敵する)500年に一度の大転換の時期であること。→ それを端的に教えてくれるものが、利子率の異様な動き。
○利子率の低下は資本主義の死の兆候
・昨今の先進各国の国債利回り…際立った利子率の低下が目立つ。→ 先鞭をつけたのは日本…10年国債の利回りが、1997年2.0% → 2014年0.62% → さらに米英独の10年国債も、金融危機後に2%を下回り、その後、短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現(P14に図)。
・1997年までの歴史の中で最も国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリア・ジェノヴァ。金利2%を下回る時代が11年間続いた(P15に図)。→ 日本の10年国債利回りは、400年ぶりにそのジェノヴァの記録を更新し、2.0%以下という超低金利が20年近く続いている。→ 経済史上、極めて異常な状態に突入している。
・利子率低下の重大さ……金利は、資本利潤率とほぼ同じと言えるから。→ 資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させること(※G-W-G´)が資本主義の基本的な性質なのだから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候。
・ジェノヴァをはじめとする16世紀末~17世紀初頭のイタリアでもそうだった。…「銀と金は投資の手段を見出すのが困難である。『資本がこれほど安く提供されたのは、ローマ帝国の衰退以来ヨーロッパの歴史において初めてであるが、これは実は並々ならぬ革命である』」(ブローデル著『地中海』より)。…つまり、投資がすでに隅々まで行き渡ってしまい、「革命」と言えるほどに利子率が低下した(詳細はP15~17)。→ これが「利子率革命」。(※本書ではこの利子率が、資本主義の行く末を示す重要なキーワード)
○繰り返される「利子率革命」
・利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロ。そうした超低金利が10年を超えて続くと、既存の経済・社会システムはもはや維持できない。…これこそが「利子率革命」が「革命」たるゆえん。→ そして、16世紀末~17世紀初頭(「長い16世紀」後半)のジェノヴァが、まさにそうした「利子率革命」によって社会の大変動の洗礼を浴びた。
・そして現在、先進各国で超低金利の状態が続いていることを、私は「21世紀の利子率革命」と呼んでいる。…繰り返すが、この「利子率革命」は、利潤を得られる投資機会がもはやなくなったことを意味。なぜなら利子率とは、長期的に見れば実物投資の利潤率を表わすから。
・このような資本利潤率の著しく低い状態の長期化は、企業が経済活動をしていく上で設備資産を拡大していくことができなくなったということ。→ 利潤率の低下は、裏を返せば、設備投資をしても、十分な利潤を生み出さない設備、つまり「過剰」な設備になってしまうことを意味。…この点について、「長い16世紀」におけるジェノヴァの「山のてっぺんまでブドウ畑」(当時の最先端産業はワイン製造業)に、21世紀の日本で匹敵するのが「山のてっぺんから地の果てまで行き渡ったウォシュレット」(日経新聞2013.2.24)。→ 日本では世界がうらやむような投資が隅々まで行き渡ったと言える。(※う~ん、基本的にはもう新規に欲しい物はない、ということか…。〝断捨離〟の流行も…)
○1970年代前半に大転換が始まった――資本主義の終わりの始まり
・この異常なまでの利潤率の低下が始まったのは、1974年。…この年、イギリスと日本の10年国債利回りがピークとなり、1981年にはアメリカ10年国債利回りがピークをつけた。→ それ以降、先進国の利子率は趨勢的に下落していく(P20に図)。
・1970年代には、オイル・ショック(1973年、79年)、そしてベトナム戦争終結(75年)があった。→ これらの出来事は、「もっと先へ」と「エネルギーコストの不変性」という近代資本主義の大前提の二つが成立しなくなったことを意味。←→ 「もっと先へ」を目指すのは空間を拡大するため。空間を拡大し続けることが、近代資本主義には必須の条件。…アメリカがベトナム戦争に勝てなかったことは、「地理的・物的空間」を拡大することが不可能になったことを象徴的に表している(※その後のアメリカの、中東での悪戦苦闘…)。…そして(イランのホメイニ革命などの)資源ナショナリズムの勃興とオイル・ショックによって、「エネルギーコストの不変性」も崩れていった。→ つまり、先進国がエネルギーや食糧などの資源を安く買い叩くことが、70年代からは不可能になった。
・「地理的・物的空間」の拡大もできず、資源も高騰していくのだから、1970年代半ば以降の資本利潤率の低下は、当然の結果。…そして、この時期からの利潤率の低下を表現したものが「利子率革命」にほかならない。→ ブローデルの「長い16世紀」にならって、現代の大転換期を私は「長い21世紀」(1970年~)と呼んでいる。…「長い21世紀」の始点を1970年代に置くのは、この利潤率の低下が、これまで世界を規定してきた資本主義というシステムの死につながるものだから。
○「交易条件」の悪化がもたらした利潤率の低下
・次は、先進国における利潤率の低下を「交易条件」という概念によって分析してみる。
〔交易条件とは、輸出物価指数を輸入物価指数で割った比率で、輸出品一単位で何単位の輸入品が買えるかを表わす指数(※ざっくり言えば、交易の利益度か)。…詳細はP22~23〕
・〔P23に「交易条件の推移」の図〕…1973年の第一次オイル・ショックまでは交易条件は改善傾向にあったが、①二度のオイル・ショックで交易条件は大幅に悪化。→ その後(1980~90年代)、日本は省エネ技術と合理化で再び交易条件を改善したが、1999年以降、②資源価格が高騰したことで再度、悪化に転じてしまった。…前回①の悪化は、供給サイドの問題(産油国が原油の供給をストップ)だったので、長期化は避けられたが(それでも悪化は10年強続いた)、今回②は、数十億人の新興国の近代化が資源価格高騰の背景にあるので、それだけ交易条件の悪化が長期化することになる(詳細はP24~25)。→ こうした原油価格の高騰により、1970年代半ば以降、先進国では投入コストが上昇し、粗利益が圧迫された。つまり、先進国の「利潤率=利子率」の趨勢的な下落が始まった。
〔資本主義の延命策〕
○アメリカの資本主義延命策――「電子・金融空間」の創造
・交易条件が悪化するということは、モノづくり(※輸出産業?)が割に合わなくなったことを意味。…(それでも「地理的・物的空間」が拡大してさえいれば、製品1個あたりの粗利益が減少しても販売個数を増やすことで、利益の総額を増やすことができるのだが)…ベトナム戦争終結によって、アメリカが軍事力を背景として市場を拡大させることは難しくなった。→ 既存の「地理的・物的空間」(=実物経済)で先進国は高い利潤を得ることができなくなった。…まさに中世のイタリアの領主や貴族と同じ事態に直面した。
・本来ならば、「地理的・物的空間」での利潤低下に直面した1970年代半ばの段階で、先進各国は資本主義に代わる新たなシステムを模索すべきだった(※「長い16世紀」にヨーロッパの中世社会が、近代社会システムに移行していったように)。←→ しかしアメリカは、別の「空間」を生み出すことで資本主義の延命を図った。すなわち「電子・金融空間」に利潤のチャンスを見つけ、「金融帝国」化していくという道だった。(※資本主義の延命策としての「マネー資本主義」…)
・「電子・金融空間」とは、IT(情報技術)と金融自由化が結合してつくられる空間のこと。→ ITと金融業が結びつくことで、資本は瞬時にして国境を越え、キャピタル・ゲイン(資本利得)を稼ぎ出すことができるようになった。→ その結果、1980年代半ばから金融業への利益集中が進み、アメリカの利潤と所得を生み出す中心的な場となっていった。
・アメリカの「電子・金融空間」の元年は1971年…この年、ニクソン・ショックでドルは金と切り離され、ペーパー・マネーになった(※まだ学生だった。もう43年前の話か…)。→ いかりを外されたドルは自由に目盛りが伸び縮みし、バブルが起きやすくなった。…また、同じ年にインテルが(今のPCやスマートフォンに不可欠な)CPUを開発した。→ 極端に言えば、地球上の人がすべて「電子・金融空間」に参加することが可能となった。
・そして1985年以降、アメリカは金融帝国化……全産業利益中、金融業の占めるシェアは、1984年9.6% → 2002年30.9%…(P27に図あり)。…この金融業のシェア拡大は、金融のグローバリゼーションと軌を一にしている。→ 債権の証券化などの様々な金融手法を開発することで、世界の余剰マネーを「電子・金融空間」に呼び込み、その過程でITバブルや住宅バブルが起こった。…アメリカは世界中のマネーをウォール街に集中させることで、途方もない金融資産をつくり出した(※このことは「震災レポート22」の「里山資本主義」の中でも触れた)。→ こうして、原油価格高騰に合わせるように、アメリカ主導の金融自由化が推し進められていった。…高騰したエネルギーを必要としない「空間」をつくることが、利潤を極大化させる唯一の方法だったから。(※まさに〝資本主義の延命策〟…)
○新自由主義と金融帝国化との結合
・しかし、アメリカの金融帝国化は、決して中間層を豊かにすることはなく、むしろ格差拡大を推し進めてきた。この金融市場の拡大を後押ししたのが、新自由主義だったから。
・新自由主義とは、政府よりも市場の方が正しい資本配分ができる、という市場原理主義の考え方。…アメリカでは1980年代のレーガンの経済政策「レーガノミクス」に始まって、クリントン、ブッシュへと引き継がれてきた。→ 資本配分を市場に任せれば、労働分配率を下げ、資本側のリターンを増やすから、富む者がより富み、貧しい者がより貧しくなっていくのは当然。…これはつまり、中間層のための成長を放棄することにほかならない。
・1991年にソ連が崩壊し、東側の諸国が資本主義の世界市場に取り込まれ、新たなマーケットが一気に広がった。→ 1995年にはアメリカが「強いドル」に政策転換し、経常収支の赤字額を上回る資金を世界中から集めて、それを世界へと再配分していくようになった。…この「マネー集中一括管理システム」により、アメリカは「アメリカ投資銀行株式会社」となり、金融帝国となった。→ その後、1999年に金融サービス近代化法によって、(1933年の銀行法以来、原則禁止されていた)銀行業務と証券業務の兼業を認め、マネー創出のメカニズムを根本的に変えてしまった(金融帝国のシステムも完備された)。
・従来、マネーは銀行の信用創造によってつくられていた。それには家計の所得が増加してある程度貯蓄率が高くなければならない(※実体経済)。←→ しかし、1970年代半ば以降、利潤率は低下し、所得の増加率が鈍化(→貯蓄も鈍化)してしまったので、銀行を通じて創造されるマネーは従来のようには増えなくなった。→ そこでアメリカ政府は、商業銀行の投資銀行化を政策的に後押しした。…金融・資本市場を自由化し、資産価格(株や債券、不動産など)の値上がりによって利潤を極大化するほうが、資本家にとってみればはるかに効率的だから。(※かつてホリエモンが参入した世界…?)
・マネーが銀行の信用創造機能によってつくられるときの主役は労働者(※実体経済社会のいわば基本的存在)であり、商業銀行。…家計が消費を我慢して所得の中から貯金することによって、銀行による多くの貸し出しが可能になるから(※昭和のよき時代…?)。←→ ところが、金融・資本市場でマネーをつくろうとすれば、主役は商業銀行ではなく、レバレッジ(テコの作用)を大きくかけられる投資銀行となる。→ こうして、貯蓄行為をおこなう家計(※一般労働・生活者)は「地理的・物的空間」から主役の座を降り、その座を「電子・金融空間」において、巨額の資金をボタンひとつで、国境を自由に越えて動かすことができる資本家に譲り渡した(※「マネー資本主義」の誕生…)。→ 「電子・金融空間」で集めたマネーを運用して、アメリカ金融帝国はITバブル、住宅バブルを起こしていった。
○資本主義の構造変化
・〔P33に「資本主義の構造変化」の模式図〕…先進国は、安く買い叩ける地域、高く売れる地域を求めて、常に外側へ外側へと拡大する。…「長い16世紀」からオイル・ショックの前後までは、交易条件(粗利益)と市場規模を改善・拡大していけば、名目GDP(粗利益×市場規模)の増加が保証されていた。←→ ところが1970年代半ばに、交易条件、市場規模、両方とも外に拡大していくことが難しくなった。
・資源価格が高騰し、さらに先進国では少子化が進行して、販売数量の増加率が鈍化。…日本も含めてG7は、1970年代半ばに合計特殊出生率2.1を一斉に下回っていく。→ つまり、国内の市場も増えない上に、海外の市場もアメリカのベトナム戦争終結で拡張が止まった。
・このように、1974年以降、「地理的・物的空間」が広がらなくなり、モノづくりやサービスの実物経済で利潤を高めることができなくなってきた。→ そこで、二次元の平面空間ではなく、三次元に「電子・金融空間」をつくり、レバレッジを高めることで金融による利潤の極大化を目指していくことが起きた。
・金融はグローバリゼーションにも一番なじむ。→ 1995年以降、日本やアジアで余っているお金は、アメリカの「電子・金融空間」に簡単に投資できるようになっていった。…具体的には、インターネット・ブームがまず生じ、その崩壊の負の影響を打ち消すために欧米で住宅ブームが起きた。…そのときブームを巻き起こすのに証券化商品が大きな役割を果たした。
・その結果、1995年からリーマンショック前の2008年の13年間で、世界の「電子・金融空間」には100兆ドル(!)ものマネーが創出された。→ これに回転率を掛ければ、実物経済をはるかに凌駕する額のお金が地球上を所狭しと駆け巡った。…1999年までは商業銀行は自己資本の12倍までしか投資してはいけないという制約があったが、金融サービス近代化法が成立したことで、アメリカの商業銀行は子会社を通じて証券業務に参入できるようになり、事実上、無限大に投資できることになっていた。
・しかし、こうしてでき上がったアメリカ金融帝国も、2008年に起きたリーマンショックで崩壊した。…自己資本の40倍、60倍で投資をしていたら、金融機関がレバレッジの重さで自壊(欠陥金融商品による無理な膨張が破裂)してしまったというのがリーマンショックの顛末。→ そしてリーマンショックが誘引となって、EUの巨大金融機関はアメリカの大手投資銀行以上に大きな痛手を被り、全地球をカバーしていた「電子・金融空間」も縮小に転じた。
○日本の来た道を繰り返すアメリカ
・リーマンショックを経た現在のアメリカは、積極財政と超低金利政策で成長を取り戻そうとしたバブル崩壊後の日本と同じ経済構造に直面している。→ 実際に、2008年にFRBは事実上のゼロ金利政策に踏み切り、さらに長期国債買い入れの検討を表明して、非伝統的金融政策に舵を切った。
・こうしたアメリカの超低金利は、1997年の日本とよく似ている。→ アメリカの長期金利が2%を下回っていったプロセスも、1990年代の日本とほぼ同じだった。…過剰債務の返済に必要なキャッシュ・フロー(現金収支)を生み出すために、企業のリストラが加速し、賃金が下落する。→ それが経済のデフレ化をもたらしていった。
・アメリカが日本以上に深刻なのは、リーマンショック後、国際資本の移動が縮小し、他国の貯蓄をそれ以前ほどに自由に使えなくなっている点にある。
・実物経済の利潤低下がもたらす低成長の尻ぬぐいを、「電子・金融空間」の創出によって乗り越えようとしても、結局バブルの生成と崩壊を繰り返すだけ。…まさにクリントン政権時のサマーズ財務長官が指摘した「3年に1度バブルは生成し、崩壊する」ようになったのだ。→ バブルの生成過程で富が上位1%の人に集中し、バブル崩壊の過程で国家が公的資金を注入し、巨大金融機関が救済される一方で、負担はバブル崩壊でリストラなどの形で中間層に向けられ、彼らが貧困層に転落することになる。(※格差拡大 → 民主主義社会の不安定化…)
○「長い16世紀」の「空間革命」――「海」を通じた支配の始まり
・現代の経済覇権国であるアメリカによる資本主義の延命策…新しい空間(電子・金融空間)を創造して、高い投資機会を見出そうとするグローバリゼーションは、現代の「空間革命」と呼ぶべきもの。
・実は利潤率の低下した「長い16世紀」にも同じことが起きている。…「陸の国」スペインから「海の国」イギリスへと覇権が移ったことを「空間革命」と呼ぶ(カール・シュミット)。→ 海を制したイギリスは、海洋支配をもとに全世界を網にかけていく。…1600年に東インド会社を設立して、半ば略奪的な行為を重ねながら、資本を蓄積していった。→ いわばイギリスは海という「空間」を創造し、それまでの領土にもとづいた陸のシステムとはまったく異なる新しい貿易のルールを築いた。
・空間革命が起きた16~17世紀の資本家たちは、中世末期の中心地であるスペインやイタリアに投資しても、超低金利のために富を蓄積できない状況に陥ったため、投資先をオランダ、イギリスに変えて繁栄していった(ブローデルの言う「金融資本家の時代」)。…こうした変化は、現在の先進国の資本家たちが「地理的・物的空間」では利潤をあげられずに、「電子・金融空間」や新興国市場に投資先を求めるのと非常によく似ている。
・「長い16世紀」というのは、それだけではなく、中世のイデオロギーや価値観、システムが一新された時代でもあった。→ 神が主役の時代から人間が主役の時代になり、政治・経済システムも中世荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へと一変した。…つまり、新たな空間を創造すると同時に、そこでのルールや価値観もすべて変わった。…だからこそ「革命」と呼べるのだろう。
○「長い21世紀」の「空間革命」の罪
・ひるがえって「長い21世紀」の「空間革命」はどうか。…「地理的・物的空間(実物投資空間)」に見切りをつけた先進国の投資家たちは、「電子・金融空間」という新たな空間をつくり、利潤極大化という資本の自己増殖を継続している(※対症療法的な延命策)。…しかし、「電子・金融空間」で犠牲になっているのが雇用者(※対症療法の副作用)。
・振り返ってみれば、「地理的・物的空間」で利潤をあげることができた1974年までは、資本の自己増殖(利益成長)と雇用者報酬の成長とが軌を一にしていた。資本と雇用者は共存関係にあった(※労資協調…?)。←→ しかしグローバリゼーションが加速したことで、雇用者と資本家は切り離され、資本家だけに利益が集中していく。…21世紀の「空間革命」たるグローバリゼーションの帰結とは、中間層を没落させる成長にほかならない。(※労働組合の実質的崩壊と非正規社員の激増…)
・グローバリゼーションをヒト・モノ・カネの国境を自由に越えるプロセスであると捉えている限り、それはグローバリゼーション推進論者や礼賛論者の思うつぼだ。→ そう定義すれば、「周辺」に置かれている国や地域、あるいはその国の企業が、グローバリゼーションに乗り遅れてはいけない、乗り遅れることは死を意味するなどといった脅迫観念に駆られ、グローバリゼーション政策に邁進することになる。…〝金融ビッグバン〟しかり、〝労働の規制緩和〟しかり、最近では〝TPP〟しかり…。
・グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」からなる帝国システム(政治的側面)と資本主義システム(経済的側面)にあって、「中心」と「周辺」を結びつけるイデオロギーにほかならない。…もっと直截的に言えば、グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業だ。…BRICS(ブラジル,ロシア,インド,中国,南アフリカ)が台頭する以前の20世紀末までは、「中心」=北の先進国(さらにその中心がワシントンとウォール街)、「周辺」=南の途上国という位置づけだった。→ しかし、21世紀に入ると、北の先進国の「地理的・物的空間」では満足できる利潤が獲得できなくなって、実物投資先を南の途上国に変え、成長軌道に乗せた。
・資本主義は「周辺」の存在が不可欠だから、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな「周辺」をつくる必要がある。→ それが、アメリカでいえばサブプライム層であり(※刑務所の囚人も?)、日本でいえば非正規社員であり、EUでいえばギリシャやキプロス(※移民も?)。
……21世紀の新興国の台頭とアメリカのサブプライム・ローン問題、欧州のギリシャ危機、日本の非正規社員化問題は、コインの裏と表なのだ。(※う~ん、説得力あり…)
○「資本のための資本主義」が民主主義を破壊する
・こうした国境の内側で格差を広げることもいとわない「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになる。…民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないから。
・民主主義を機能させるには情報の公開性を原則としなければならない(※日本はこの「情報の公開性」がまだまだお粗末…)。→ (中世までは知は神が独占していたが)近代では個々人が主役となったことで、ある特定の人や国家も、情報を独占することは許されない。→ そういった意味でスノーデン事件は、おそらく21世紀の大問題に発展すると思う。
・情報は誰のものか、という議論は、中世から近代への移行期だった「長い16世紀」において、ラテン語を独占していたローマ・カトリックと、俗語(ドイツ語や英語)でしか情報を伝えられないプロテスタントとのたたかいだった。→ 結果はプロテスタントの勝利。…情報を独占する側が常に敗者となるのが歴史の教訓。…この観点からみても、スノーデン事件が問いかけているのは民主国家の危機なのだ。(※資本主義の終末期に入って、国家や資本の側による〝情報の独占〟への傾斜が露出してきている…ex. 特定秘密保護法、TPP交渉の秘密主義…)
○賞味期限切れになった量的緩和政策
・民主国家の危機という意味では、リーマンショック以降のアメリカの量的緩和政策も、その文脈で捉えることができる。…マネーの膨張は、中間層を置き去りにし、富裕層のみを豊かにするバブルを醸成するものだから。
・そもそもマネタリスト的な金融政策の有効性は、1995年で切れている。…金融緩和の有効性を主張する彼らの言い分は、貨幣数量説(貨幣の数量が物価水準を決定する)に基づくもの。→ しかし、低金利のもとでは、この説の前提が崩れており(詳細はP44)、さらに取引量の中には(実物経済での取引高だけではなく)金融市場での株や土地の売買取引が多く含まれている。→ 実際、実物経済の需要が縮小しているアメリカでは、株価の上昇があっただけ。(※日本も今、アメリカの後追いをしているが…)
・現在、金融経済の規模は実物経済よりもはるかに膨らんでいて、「電子・金融空間」には余剰マネーが140兆ドルあり、レバレッジを高めれば、この数倍、数十倍のマネーが「電子・金融空間」を徘徊する。←→ これに対して、実物経済の規模は74兆ドル(2013年)。……(例えば、金融技術でレバレッジをかければ瞬時にして実物投資10年間分の利益が得られる。)…そんな状況では、量的緩和政策によってベース・マネーを増やせば増やすほど、物価ではなく資産価格の上昇、すなわちバブルをもたらすだけ。(※バブルの創出と崩壊の繰り返し…)
・しかも、グローバリゼーションの時代では、このバブルが自国内に起きるかどうかさえ分からない。量的緩和をしたところで、ドルも円も国内には留まらないから。→ 現に新興国に流れ込んだマネーは、新興国の不安定性を高めることにつながり、量的緩和の規模の縮小だけでも(※新興国からのマネーの引き上げをもたらし)市場は大きく揺れている(※アルゼンチンやブラジルの経済危機…)。→ 量的緩和政策の景気浮揚効果は、グローバリゼーションが進む以前の閉鎖経済を前提とした国民国家経済圏の中でしか発揮されない。
○オバマの輸出倍増計画は挫折する
・超低金利の時代に入ったアメリカは、世界の「成長教」の教祖でいる限り、もはやバブルを繰り返す金融帝国としてしか生き残ることはできない。(※う~ん、大胆な予測…)
・すでに20世紀前半に、かのシュミットが20世紀を「技術の時代」と特徴づけ、その技術進歩教は魔術と同じだと指摘している。…確かに20世紀に先進国は技術革新によって成長を遂げ、豊かになったのだが、2008年の9・15(リーマンショック)や2011年の3・11(福島原発事故)で、金融工学や原子力工学も結局は人間にとって制御できない技術だったことがわかった。→ 技術革新で成長するというのは、21世紀の時代では幻想にすぎない。〔※う~ん、技術は進歩を続けるが、それが必ずしも成長とか豊かさ・幸福度に結びつくとは限らない。→ これからは、科学者(技術者)や経済学者(エコノミスト)、政治家・官僚・財界だけに任せるのではなく、(宗教も含めた)人文的な叡智なども結集していく必要がある、ということか…〕
・アメリカの黒字を支えているのは金融収支やライセンス料。→ 強いドル政策のもとで、世界中から資本を集めて新興国に投資をしてリターンを得るしかない。…アメリカが製造業で復活するのは、どだい無理。→ グローバリゼーションによって新興国が台頭してきている以上、新興国で消費されるものは新興国で生産せざるを得ない。…そうでないと新興国の雇用が増えず、経済のパイも拡大しないとなれば、新興国の政治体制が危うくなるから。
・従って、先進国が輸出主導で成長するという状況は、現代では考えられない。自国通貨安政策(※アベノミクスも?)によって輸出を増加できるのは、先進国のパワーで途上国をある程度押さえつけるような仕組み、つまり資源を安く買い叩くことができる交易条件があった1970年代までの話。→ その意味ではオバマの輸出倍増計画も旧システムの強化策にすぎない。…没落していく中間層に対して配慮している点には共感するが、先進国が直面している構造デフレの根本的な解決にはなり得ない。(※アベノミクスも同様…?)
○近代の延命策としてのシェール革命
〔枚数の関係で要点だけ記すと〕…シェール革命も成長イデオロギーのもとであれば、いずれ限界を迎える。→ 金融帝国化したアメリカは、シェール革命すらも金融商品化していくから、「電子・金融空間」の中に組み込まれていき → その結果は、バブルの生成と崩壊 → 過剰債務と賃金低下。…中東を代表とする現在の石油産油国の中で、民主主義的な社会を運営している国は皆無。→ 多額のマネーが流れているはずなのに、その恩恵を受けているのは王侯貴族などごく一部の人間だけ。…それを考えれば、シェール革命が(市場原理主義を金科玉条とする)新自由主義と結びつくのであれば、今より過酷な格差社会をアメリカにもたらす可能性すらある。(詳細はP48~50)
○バブル多発と「反近代」の21世紀
・これまでバブルが崩壊するたびに、世界経済は大混乱に陥ってきた。しかし、バブルが崩壊して起こることは、皮肉なことに、さらなる「成長信仰」の強化。
・巨大バブルの後始末は、金融システム危機を伴うので、公的資金が投入され、そのツケは広く一般国民に及ぶ。→ つまり、バブルの崩壊は需要を急激に収縮させ、その結果、企業は解雇や賃下げなど大リストラを断行せざるを得ない。…まさに、「富者と銀行には国家社会主義で臨むが、中間層と貧者には新自由主義で臨む」(ウルリッヒ・ベック『ユーロ消滅?』)ことになっていて、ダブル・スタンダードがまかり通っている。
・バブル崩壊は結局、バブル期に伸びた成長分を打ち消す信用収縮をもたらす。→ その信用収縮を回復させるために、再び「成長」を目指して金融緩和や財政出動といった政策を総動員する(※これもアベノミクス…)。→ そのマネーがまた投機マネーとなってバブルを引き起こす。…つまり、先進国の国内市場や海外市場はもはや飽和状態に達しているため、資産や金融でバブルを起こすことでしか成長できなくなったということ。→ こうして、バブルの生成と崩壊が繰り返されていく。
・「犬の尻尾(金融経済)が頭(実物経済)を振り回す」時代(バーナンキ)、「バブルは3年に1度生成し、弾ける」(サマーズ)→ そして今また、欧米でも日本でも同じようなバブルの生成と破裂が繰り返されようとしている。
・私にはこうした動向は、脱成長の時代に逆行する悪あがきのようにしか思えない。…「近代自らが反近代をつくる」といったことが今、目の前で起き始めている(※まさに近代の末期症状か…)。→ 2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)、2008年の9・15(リーマンショック)そして2011年の3・11(福島原発事故)は、まさに近代を強化しようとして、反近代(デフレ、経済の収縮)を引き起こした象徴だと言える。
【2章】新興国の近代化がもたらすパラドックス
〔※この章は、枚数の関係でなるべく要点だけにとどめる。詳細は本書を参照ください。〕
○先進国の利潤率低下が新興国に何をもたらしたのか
・〔1章でみてきたように〕1974年以降、実物経済において先進国が高い利潤を得ることができるフロンティアはほとんど消滅してしまった。→ 「地理的・物的空間」の拡大は困難になり、(資源を輸入して工業製品を輸出する)先進国の交易条件が悪化し、「地理的・物的空間」(実物経済)に投資してもそれに見合うだけのリターンを得ることができなくなった。…つまり、ある一定期間(ex. 工場なら10年、店舗なら30年)資本を投下し、利潤を得ていくという資本主義のシステム自体が限界に突き当たった。
・そのことを端的に示すのが、資本の利潤率とほぼ一致する長期利子率(10年ものなどの長期国債の利回り)の低下。→ そして現在、日本とドイツは、16世紀初頭のイタリア・ジェノヴァ以来の超低金利時代、すなわち21世紀の「利子率革命」を経験している。
・利潤率の低下に耐えきれなくなった先進国、とくにアメリカが目論んだのが、新たな利益を得られる「空間」を創造することだった。→ (本来は1970年代に「終焉の始まり」を迎えたはずの資本主義を)アメリカは「電子・金融空間」を創設することによって、その後、30数年にわたって「延命」させてきた。
・同時に、先進国の資本主義が創出した「電子・金融空間」は、もう一つの市場を生み出すことになる。…それがBRICSに代表される「新興国市場」。→ つまり、「電子・金融空間」を無限に拡張することで新しいマネーを創出し、その上で新興国の近代化を促すことによって、新たな投資機会を生み出そうと目論んだ。
○先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備
・新たな投資機会をねらうアメリカの思惑通り、BRICS諸国は2000年代に入って急成長を遂げたが、しかし現在、その経済成長率に陰りが見えてきている。…中国、ブラジル、インドなどの経済成長率の鈍化と、成長率を超えるインフレ率の進行…。
・新興国の成長の足踏みの原因は、新興国の成長モデルが輸出主導だから。…先進国の株式市場は回復したかのように見えても、実物経済はリーマンショック後の後遺症からいまだ立ち直っておらず、消費は冷え込んだまま(正確に言えば、先進国の消費ブームは二度と戻ってこない)。→ 新興国の輸出も増えない。(詳細はP58~59)
・そもそもグローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業であって、〝ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導く〟などといった表層的な言説に惑わされてはいけない。20世紀までの「中心」は「北」(先進国)であり、「周辺」は「南」(途上国)だったが → 21世紀に入って、「中心」はウォール街となり、「周辺」は自国民(具体的にはサブプライム層)になる組み替えがおこなわれた。→ 中間層が没落した先進国で、消費ブームが戻ってくるはずがない。
・経済危機(リーマンショック、欧州危機)の後も、先進国の過剰マネーは新興国の過剰設備を積み上げてきたが、新興国の過剰設備には、過剰な購買力を有した先進国の消費者の存在が不可欠。←→ しかし、先進国の国民が「周辺」となり、消費ブームが二度と起こらない以上、新興国の輸出主導モデルに持続性はない。(※新興国に明日はない…?)
・現在の課題は、先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備をどう解消するか、なのだ。…この問題の困難さは、この二つの過剰の是正が信用収縮と失業を生み出すことにある。⇒ 時間をかけるしかないのだ(※ソフト・ランディングのために…)。…そしてこの間、先進国ではゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが続くことになる。(※う~ん、このことを正しく認識できないと、さらに〝悪あがき〟の泥沼にはまっていく…? → この問題は後の章でも扱う。)
○新興国の成長が招く資本主義の臨界点
・新興国の成長は、地球全体を見たときに、そう単純に喜ぶことはできない。むしろ、危惧すべきこと。→ 新興国の成長が続くということは、無限の膨張を「善」としてきた資本主義システムが、「限界」に向かってさらにスピードをあげていくことだから。
・2008年以降、アメリカ、EU、そして日本が行なった金融緩和の影響もあり、行き場を失った余剰マネーが莫大に存在する。→ その余剰マネーが、今まで以上に大量に新興国に流れ込むようになった。(※ハード・ランディングの危険性…)
・先進国の量的緩和は、「電子・金融空間」を無限に拡張するための手段。→ その量的緩和をいつ止めるのかが議論され、緩和の「縮小」だけでも市場が大きく揺れているが(※今まさにその渦中…)、本当は量的緩和に「完全な出口」はない。…なぜなら、量的緩和は「電子・金融空間」を自壊寸前まで膨張させるものであり、緩和を縮小すればバブルが崩壊する。→ そうすれば、量的緩和を以前にもまして強化せざるを得ないから。〔※まさに「犬の尻尾(金融経済)が頭(実物経済)を振り回す」、そして「バブルは三年に一度生成し、弾ける」…P52〕
・では、膨大な資金が流れ込んだ新興国の成長は、いつか止まるのか(これは資本主義の最終地点を見極めることでもある)。→ そのことを考える上で参照すべきなのが、ブローデルの言う、「長い16世紀」(1450~1640年)に起きた「価格革命」。…これとほぼ同じ現象が、同じメカニズムで、この「長い21世紀」(1970年~)にも起きているから。…私たちは21世紀の「価格革命」の最中にいるのだ。
○「長い16世紀」のグローバリゼーションと「価格革命」
・「価格革命」とは、供給に制約のある資源や食糧の価格が、従来の枠組みでは説明できないような非連続的な高騰をすることで、通常のインフレとは異質なもの。…通常のインフレは、ある一定の空間内で需給逼迫によって引き起こされる現象。←→ 一方「価格革命」は、異なる価値体系をもっていた空間と空間が統合・均質化(グローバル化)する過程で起きる現象。
・そして「革命」的な価格水準の変化が起きる商品とは、空間が統合される前に「周辺」だった地域が供給していたモノ。…「長い16世紀」の「価格革命」では、「周辺」の東欧諸国が、「中心」のローマに供給する穀物の価格が急騰した。←→ 後述する「長い21世紀」の「価格革命」では、原油などの資源価格が高騰。
〔16世紀のヨーロッパにおいて、中世の封建システムが近代の資本主義システムへと変化していくメカニズムは、枚数の関係で省略。→ 詳細は、P63~71〕
・(「価格革命」に着目する意味)…この価格の大変動は単なるインフレではなく、政治・経済システムを根底から揺さぶるものだから。→ そして、「価格革命」の収束は、新たなシステムが誕生するときにしか起きない。…「価格革命」は、すなわち「歴史の危機」を意味している。⇒ 「長い16世紀」の「価格革命」は、それまでの時代のシステムであった荘園制・封建制から資本主義・主権国家システムへの移行が起こるという、非常に大きな「歴史の危機」を引き起こした。
○「長い21世紀」の「価格革命」とBRICSの統合
・「長い16世紀」がそうであったように、「長い21世紀」でもグローバリゼーションが進行しているが、その規模でいえば、BRICSの約30億人を世界市場に統合するという、はるかに大きな規模で進行している。→ その大規模なグローバリゼーションの影響で、非連続的な資源価格の高騰が起きている。
・1995年の国際資本の完全自由化 → 世界中のマネーがアメリカ・ウォール街のコントロール下に入ったことで、「電子・金融空間」が国境を越えて世界で一つに統合された。
・この1995年から2008年(リーマンショック)までの13年の間に、債権の証券化などレバレッジの高い商品が開発され、世界の金融空間で新興国の近代化に必要な量をはるかに超えるマネーが創り出された。→ 加えてリーマンショック後の先進各国による量的緩和が投機マネーの量をさらに増加させた。
・その結果、資源価格、とりわけ原油価格が高騰するようになった。→ 21世紀に入ると、供給ショックが起きたわけではないのに、20世紀の価格変動とまったく違う姿を示していて、2002年までのレンジに戻る気配はない。(P73に「原油価格高騰の推移」の図)
・つまり、今回の「価格革命」も、新興国の人々にとって耐えがたい物価上昇をもたらしている。…「価格革命」が起きるのは、異なる経済圏が統合されるとき、「周辺」の経済圏が「中心」を飲み込んでしまうとき(新たに統合される新興国の人口のほうが先進国よりも多い)。→ 中国、インド、ブラジルといった人口の多い国で、先進国に近い生活水準を欲して、それに近づけようとすれば(※これは当然の欲求…)、食糧価格や資源価格の高騰が起き、1960~70年代半ばの日本が一億総中流に向かったのと違って、高度成長する新興国と停滞する先進国の両方の国内で、人々の階層の二極化(※自国民の「周辺」化 → 格差社会)を引き起こすことになる。(※今まさに、世界で進行している危機…)
○現代の「価格革命」が引き起こした実質賃金の低下
・さらに、「長い16世紀」に起きた労働者の実質賃金の低下(詳細はP63~64)と同じ現象も、現在の先進国で起きている。…20世紀で最も実質賃金が低かったのは1918年(第一次世界大戦が終了)であり、ここから20世紀の「労働者の黄金時代」がスタートした(1918~1991年、イギリスの実質賃金は4.9倍に上昇…年率2.2%の上昇)。とくに第二次大戦の終結した1945~1973年は、世界的な経済成長のもとで福祉国家が実現した「黄金の時代」だった。…中世の「労働者の黄金時代」(詳細はP67~69)は、500年後の20世紀に再現された。(※う~ん、あの「昭和のよき時代」は、世界史的にも裏づけられるのか…)
・しかし、1970年代半ばに現代の「価格革命」が始まった。→ 資源価格が高騰したせいで、企業はそれまでのように利潤をあげることができなくなり、その利潤の減少分を賃金カットで補おうとした。→ 1999年以降、名目GDPと雇用者報酬の関係に「革命」的な変化。
・1865年~1998年の130年間、イギリスでは名目GDPの増加率と同じだけ雇用者報酬も増えていた(1960年代以降の日本も同様)。→ ところが、1999年以降、この関係は崩壊。…つまり、企業の利益と雇用者報酬とが分離し、2006年に至っては企業の利益は上がっているのに、雇用者報酬が減少。→ 日本の実質賃金の推移を見ても、1997年をピークに、好不況にかかわらず実質賃金は激しく低下している。(詳細は、図も含めてP75~77)
・こうした傾向は、データが存在する130年間の歴史において初めてのこと。…つまり1990年以前には、労働と資本の分配比率について初期に決めた割合(ex.7対3)を、一世紀以上にわたってその比率を変えなかった。→ ところが、20世紀末にグローバリゼーションの時代になって、資本側がこの比率を変えようとした。
・つまり、資本側はグローバリゼーションを推進することによって、国境に捉われることなく生産拠点を選ぶことができるようになり→ 資本と労働の分配構造を破壊。…資本側の完勝といっていい。→ 景気回復も資本家のためのものとなり、民主主義であったはずの各国の政治も資本家のために法人税を下げたり、雇用の流動化といって解雇しやすい環境を整えたりしている。(※アベノミクスもまた…)
○「長い21世紀」の「価格革命」はいつ終わるのか?
・「長い16世紀」でも「長い21世紀」でも、資源価格の急騰と実質賃金の減少が並行して起きている。→ では、「長い16世紀」において「価格革命」はいつ収束したのか(このことは、21世紀の「価格革命」の終わりを考えることでもある)。
・21世紀の中国が恒常的なインフレ状態にあるように、「長い16世紀」の新興国であったイギリスでも消費者物価が1477年から上昇し続けた。→ そしてイギリスの一人当りGDPが、当時の先進国イタリアに追いついた時点で、「価格革命」は収束した。…17世紀半ばのこと。
・それになぞらえて考えるならば、中国の一人当りGDPが日米に追いついた時点で、21世紀の「価格革命」も収束するだろうと予測できる。→ 日中の関係で試算すると、およそ20年後になる(詳細はP79)。…つまり、2030年代前半に中国の一人当り実質GDPが日米に追いつくまで、資源価格の上昇と新興国のインフレ、つまり「価格革命」は収束しない。→ 今から20年後、あるいはもう少し先に、新しい政治・経済システムが立ち上がってくるかもしれない、というおおよその予測は成り立つ。(※う~ん、当方も、この予測を見届けてみたいものだが、時間的にとても無理か…)
○資本に国家が従属する資本主義
・21世紀の「価格革命」とは、それまでの国家と資本の利害が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義へと変貌していることを示すもの(※TPPも…?)。…つまり「価格革命」とは、「電子・金融空間」創出の必然的帰結の出来事として捉えるべきこと。「電子・金融空間」でつくられた「過剰」なマネーが、新興国の「地理的・物的空間」で過剰設備を生み出し、モノに対してデフレ圧力をかける一方で、供給力に限りがある資源価格を将来の需給逼迫を織り込んで先物市場で押し上げる。
・16世紀以来、500年かけて、人類は国家・国民と資本の利害が一致するように資本主義を進化させてきたが、21世紀のグローバリゼーションはその進化を逆転させようとしている。…資本主義の発展によって多くの国民が中産階級化(※一億総中流化)するという点で、資本主義と民主主義はセカンドベストと言われながらも支持されてきた(※戦後民主主義への支持…)。…資本が国境を越えられなかった1995年までは、国境の中に住む国民と資本の利害は一致していたから、資本主義と民主主義は衝突することがなかった。
・近代主権国家とは,資本と国民の利害が一致して中間層を生み出すシステムなのだが、一億総中流が実現したとたんに、資本はそれを破壊しようとする。これは反近代的行為にほかならない。まさに「近代が反近代をつくる」(アドルノ)→ 資本主義は、中産階級を没落させ、粗暴な「資本主義のための資本主義」に変質していった。……これは見方によっては、資本主義の「退化」。近代は自らのピークにおいて、資本という「超国家」的存在の絶対君主(※グローバル資本主義)を登場させてしまったから。
○新興国の近代化がもたらす近代の限界
・新興国の近代化は、これまでの先進国の近代化とは大きく異なる点がある。…それは、13.6億人の中国人全員、12.1億人のインド人全員が、豊かになるわけではない、ということ。
・16世紀に近代が幕を開けて以来、約500年をかけて、先進国12.4億人(全人口の18%)は豊かになった。…この近代資本主義の特徴は、およそ全人口の2割弱にあたる先進国が、独占的に地球上の資源を安く手に入れられることを前提としている(ex. 欧米の石油メジャーが原油価格を支配することで、石油を1バレル3ドル以内で好きな量だけ購入できるという仕組みが1970年代半ばまで続いていた)。←→ 従って、その仕組みに参加できなかった現在の新興国は、ほとんど成長率が横ばいのままだった。
・ところが、今起きている21世紀のグローバリゼーションは、BRICSの29.6億人、さらに残る27.2億人に対して、かつての先進国と同様に豊かになれるだろうとの期待をもたらしている。…しかも、先進国12.4億人が500年かけて達成した生活水準を、56.8億人がわずか20~30年で達成して豊かな生活を手に入れようとする。→ 先進国並に自動車や電化製品を所有すれば、それだけガソリンや電力や鉄の消費量も増加する。…世界の電力消費量は現在の2倍、粗鋼の消費量は約3倍強、エネルギー消費量も約3倍になると推計される(詳細は、図も含めてP84~88)。
・これから数十年かけて、原油の消費が3倍に増えれば、それを織り込んで今以上に原油価格が高騰するだろう(実際に1990年代~現在、原油価格は約5倍になっている)。…さらに言えば、ここには資源の有限性という観点は織り込まれていない。→ 70億人のエネルギー消費をまかなえるだけの化石燃料は地球上にはないのだから、全世界の近代化というのは不可能なシナリオ。(※核燃料のウランも、石油よりかなり前に枯渇してしまう、と言われている…)
○グローバル化と格差の拡大
・今までは、2割の先進国が(8割の途上国を貧しくさせたままで)発展してきたために、先進国に属する国では、国民全員が一定の豊かさを享受することができた。→ しかし、グローバリゼーションの進んだ現代では、資本はやすやすと国境を越えていき、豊かな国と貧しい国(※「中心」と「周辺」)という貧富の二極化が、国家の中に現れることになる。
・つまり、近代において南=貧困、北=富裕というように(※いわゆる「南北問題」)、西側先進国は格差を自国内には進入させないようにしていたのだが、グローバリゼーションの時代になると、北側にも格差が入り込むようになった。…いわばグローバリゼーションとは、南北で仕切られていた格差を、北側と南側の各々に再配置するプロセスといえる。
・すでに先進国では1970年代半ばを境として、中間層の没落が始まっている。…ex. アメリカでは、所得上位1%の富裕層が全所得に占める割合が、1976年の8.9% → 2007年の23.5% にまで高まった(P91に図あり)。…実に1928年以来の高い水準(この1928年の翌年にウォール街で株価大暴落があり、世界大恐慌を引き起こしたことは実に象徴的)。…同じように2007年の翌年には「100年に一度」と言われるリーマンショックが起きた。→ バブル崩壊のたびに企業がリストラを進めるため、先進国では中間層が最大の被害者となる。
・そして、これから近代化を推し進めていく新興国の場合、経済成長と国内での二極化(格差拡大)が同時に進行していくことになるだろう。…そこが、これまでの先進国の近代化とは大きく異なる点(先進国は、曲がりなりにも成長がピークを迎えるまでは所得格差は縮小していった)。→ これからの新興国は、格差拡大を伴いながら、近代化が進んでいくことになる。(※これが昨今の中国やブラジルでの「反政府騒動」の背景か…)
・近代システムは、(先進国に限られた話とはいえ)中間層をつくり上げる仕組みとしては最適なものだった。…中間層が、民主主義と資本主義を支持することで近代システムは成り立っていた。←→ ところが、現代のグローバル資本主義では、必然的に格差が国境を越えてしまう(格差を国内に持ち込んでしまう)ので、民主主義とは齟齬をきたす。→ 従って、日本で1970年代に「一億総中流」が実現したようには中国で13億総中流が実現しないとなれば、中国に民主主義が成立しないことになり、中国内で階級闘争が激化することになるだろう(※自称「社会主義国」で階級闘争が激化するというパラドックス…)。→ このことは、中国共産党一党独裁体制を大きく揺さぶることになると予想される。(※香港での反政府デモなどはその前兆…?)
○中国バブルは必ず崩壊する
・1995年以降、アメリカは「電子・金融空間」を築き上げ、わずか十数年で140兆ドルを超えるマネーを創出したが、リーマンショックと欧州危機によって、そうした余剰マネーの行き場を新興国に集中。→ しかし、これを新興国で吸収できるはずがない。(詳細はP92~93)
・それでも余剰マネーは、少しでも利潤の多く得られるところを目指して世界中を駆け巡るから、どうしても新興国に過剰な投資が集まる。→ 景気の減速によって過剰設備が危険視されている。→ そこで起きるのがバブルとその崩壊。…このことはすでに先進国、ことに日本とドイツが実証している。
・日本とドイツの抱える過剰な生産設備は、アメリカの過剰な消費によってかろうじて持ちこたえたが、リーマンショックによってその構図も崩壊した。→ それと同じことがBRICSでも起きる。…中国に国内外の余剰マネーが一斉に集まってくる。→ そこで過剰生産となれば、中国の外側に中国の過剰設備を受け入れることのできる国はないので、日本以上のバブル崩壊が起きるのは必然と思われる。(※恐ろしい予測…)
・ただ、日本でのバブル崩壊は、中成長の段階で起きた(オイル・ショックによって、10%成長 → 4%成長 になり、そこでバブル崩壊が起きてゼロ成長になった)。…しかも、国際資本の移動性が完全になる1995年より前の出来事。←→ 一方、中国では、まだ高い成長率の段階で、もうすでにバブルが起きている(これは短期的な不動産バブルの問題だけではない)。
・中国が世界の工場と呼ばれた時代なら、固定資本投入が過剰でも、世界市場が受け皿になってくれたから、まだ余裕があった。→ しかし、輸出主導の経済が終わり(世界的な消費の縮小)、中国が内需主導の経済に転換できないのなら、過剰設備の使い道はなくなる。→ 投資に見合う市場が見つからない「生産能力過剰時代」を迎えることになる。…つまりマネーのグローバリゼーションを背景に、世界中から投資が集まったそのバブルが、まさに弾けようとしている。→ そのとき、中国もデフレに陥り、ゼロ金利、ゼロ成長になっているだろう。
・資本主義とは、内在的に「過剰・飽満・過多」を有するシステムなのだ。…日本はバブル崩壊後、いわゆる「失われた20年」に突入したが、成長率が高い中国のバブル崩壊が、世界経済に与える影響は日本の比ではないだろう。…しかし、リーマンショックや欧州危機にも有効な対処ができていないことを踏まえると、もはやグローバル資本主義に対して、国民国家は対応不全に陥っている状況…。 →(以下、この章は枚数の関係で省略)
・〔この章の結び〕…結局、近代を延命させようとする21世紀のグローバリゼーションは、エネルギーが無限に消費できることを前提としているから、16世紀以来の近代の理念となんら変わりがない。→ 従って、近代の延長上で成長を続けている限りは、新興国もいずれ現在の先進国と同じ課題に直面していく。…すでに現在、少子化やバブル危機、国内格差、環境問題などが新興国で危ぶまれていることからもそれは明らか。
・だとすれば、もはや近代資本主義の土俵の上で、覇権交替があるとは考えられない。⇒ 次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握ることになる(「長い16世紀」にオランダやイギリスが中世封建システムに替る近代システムを打ち出したように)。…そして、その可能性を最も秘めている国が、近代のピークを極めて最先端を走る日本なのだ。←→ しかし、日本は第三の矢である「成長戦略」を最も重視するアベノミクスに固執している限り、残念ながらそのチャンスを逃すことになりかねない。(※う~ん、今のテイタラクでは…)
【3章】日本の未来をつくる脱成長モデル
○先の見えない転換期
・資本主義を延命させる「空間」は、もうほとんど残されていない。…中国が一時的に経済成長のトップに躍り出ても、そう遠くない将来、現在の先進国と同じように「利潤率の低下」という課題に直面することになる。→ その時点で、21世紀の「空間革命」は終焉を迎え、近代資本主義は臨界点に達するだろう。(※20年後、あるいはもう少し先…?)
・資本主義の後に、どのような社会・経済システムが生まれるかはまだ分からない。…中世から近代への移行期が「長い16世紀」(1450~1640年)であったように、それまで数世紀にわたって続いたシステムが、一夜にして変わることなどできない。…「新しい時代が始まり、生への不安は、勇気と希望に席をゆずる。この意識がもたらされるのは、やっと18世紀に入ってのことである」(ヨハン・ホイジンガ『中世の秋』)…我々の生きる「長い21世紀」(1970年~)も、「長い16世紀」と同じ状況(※近代から○○への移行期…)にあると考えられる。……しかし、こうした難しい転換期において、日本は、新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界の中で最も優位な立場にあると私は考えている。(※この「新しいシステムを生み出すポテンシャル」を探求していくことが、この「震災レポート」の今後の課題…?)
○資本主義の矛盾をもっとも体現する日本
・その理由は、先進国の中で最も早く資本主義の限界に突き当たっているのが日本だから。→ それは1997年から現在に至るまで、超低金利時代がこの国で続いていることが立証している。
・資本主義は、1970年代半ばを境に「実物投資空間」の中で利潤をあげることができなくなったのだが、そのことを裏付けるデータは、近代の先頭を走る日本において最も見つけることができる。…ex. 日本の交易条件が大きく改善したのは、1955年~72年まで。…ex. 日本の一人当り粗鋼消費量がピークをつけたのは1973年度〔鉄の消費量は近代化のバロメータ → それが(バブル期も含めて)横ばいで推移しているのは、この40年にわたって、日本の内なる空間で需要が飽和点に達している証拠。→ いわば近代社会を特徴づけていた大量生産・大量消費社会が、1970年代半ばにピークを迎えたことになる。〕…ex. 1973年度に、日本の中小企業・非製造業(国内に営業基盤)の資本利潤率が9.3%でピークを付けたのも同じことを示している。…ex. さらに1974年は、日本の合計特殊出生率が(総人口を維持できる限界値である)2.1を下回った年でもある(これ以後、出生率は低下を続けている)。⇒ このようにあらゆる指標が「地理的・物的空間」の膨張が止まったことを示唆している。
○バブルは資本主義の限界を覆い隠すためのもの
・なぜ先進国の中で日本がいち早くバブルを経験したのか(日本の先行性を読み解く鍵)
〔80年代の日米の経済の違い〕
(1章でみたように)「地理的・物的空間」の限界に突き当たったアメリカは、金融帝国化に舵を切っていくわけだが、当初は国際資本の自由な移動が不完全であり、また交易条件悪化の負荷を最も強く受けていたため、1970年代~80年代は停滞を余儀なくされた(詳細はP108)←→ 一方、日本は、省エネ技術によって二度のオイル・ショックを乗りきり、1980年代に入ると、自動車と半導体の生産によって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇るようになる。→ いわば、日本はわずかに残された「実物投資空間」を制して、世界一の経済大国にのし上がった。…しかし、近代延命レースのトップを走ったがゆえに、資本主義の臨界点に達するのも早かった。その証が1980年代のバブル。
・金融バブルの発生には、次の二つの条件を満たすことが必要。
①貯蓄が豊かであることに加えて、時代が大きく変わるようなユーフォリア(陶酔)があること。
②「地理的・物的空間」拡大が限界を迎えてしまうこと。
……①については、1980年代の日本の貯蓄率は年平均で約13%と高く、また「首都改造計画」やリゾート開発ブームで、「土地は値上がり続ける」というユーフォリアも醸成されていた。②の条件の「地理的・物的空間」の膨張が止まったのも、日本が最初だった。→ 日本は中間層が7割を占める社会(一億総中流)をつくることに成功し、消費行動が似ていたため、乗用車やテレビなど財の普及率が速いスピードでおおむね100%に近づき、飽和点に達した。…また、少子化が先進国の中で最も早く進行したことで、成長が問題解決の決め手にならない領域に真っ先に突入した。
・こうして金融バブル生成の二つの条件を満たした結果、実物経済とはかけ離れた資産価格の高騰、すなわち土地バブルが日本で起きた。←→ 欧米でも長期金利が1980年代初頭にピークに達して、近代資本主義経済における「地理的・物的空間」の拡大による利潤増大はできなくなっていたが、金融バブルを引き起こす条件はまだ整っていなかった。(ex. アメリカは個人貯蓄率が低く、財政や経常収支の赤字に悩まされていた)。
・1990年代後半、国際資本の完全自由化を実現させて、ようやく過少貯蓄の国・アメリカは、(過剰貯蓄の国・日本をはじめとして)世界の貯蓄を利用できるようになった。→ こうしてバブルの条件が整うと、ITバブル、住宅バブルと、アメリカ金融帝国でも立て続けにバブルが引き起こされていくようになった。
○「自由化」の正体
・金融の自由化や貿易の自由化は、グローバリゼーション礼賛者がよく言う「ウィン・ウィン」の関係にあるわけではない。元来、自由貿易からして貿易がお互いに利益をもたらすというのは、ごく限られた条件でしか成立しない(ex. イギリスとインドとの綿花貿易…詳細はP111)
・(ウォーラーステイン『近代世界システムⅣ』より)…「自由貿易は、実際、もう一つの保護主義でしかなかった。つまり、それは、その時点で経済効率に勝っていた国のための保護主義だった」「自由主義は、最弱者と自由に競争でき、抗争の主役ではなく犠牲者であるにすぎないか弱い大衆を搾取できる完璧な力を、最強の者に与えたかったのである」…(※TPPも結局これか…?)→ 金融自由化も、同じ考え方で実施された。…現代の「新自由主義者」たちは、19世紀の自由主義者の後継者なのだから、最弱の貧者は自己責任で住宅を奪われ(ex. サブプライムローン)、最強の富者は公的資金で財産は保護された。
・このように歴史の危機において繰り返し起きる金融バブルを、景気循環の中での一過性のものだと捉えている限り、資本主義の本質を見抜くことはできない。…なぜならバブルとは、資本主義の限界と矛盾とを覆い隠すために、引き起こされるものだから。(※う~ん、この説は初耳で驚きなのだが、経済学界の中ではどうゆう議論になっているのか…?)
・資本主義の限界とは、資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなってしまうこと(もはや実物経済では稼げない)。→ そのため、土地や証券といった「電子・金融空間」にマネーを注ぎ込み、バブルを引き起こすことで、資本主義が正常運転しているかのような偽装を図る。(※今のアメリカの株高も…?)
・しかしこの偽装は、すぐにバブル崩壊という形で露呈する。→ そして、バブル崩壊の後に待っているのが、賃金の減少や失業。→ それに対処するという名目で国債の増発とゼロ金利政策が行われ、超低金利時代と国家債務膨張の時代へと突入していく。……利潤極大化を最終のゴールとする資本主義は、自らがよって立つ原理(資本の自己増殖)のために、バブル経済化もいとわないことによって、超低金利というさらなる利潤率の低下を招いてしまう。(※う~ん、これが「バブルの正体」か…)
○資本の絶対的優位を目指すグローバリズム
・1991年のバブル崩壊後の日本は、長期停滞と同時にグローバリゼーションの波にも巻き込まれていく。→ 1995年に国際資本の完全移動性が実現すると、資本は国境を越えて、利潤率の極大化を目指すようになった。→ ただでさえバブル崩壊不況に陥っていた日本は、この金融グローバリゼーションに巻き込まれることで、より一層、資本主義の矛盾を露呈させていく。
・つまり、バブル生成とその崩壊も、グローバリゼーションも、もとをただせば1970年代半ば以降のフロンティアの消滅に起因していることだから、日本は先進国グループに先立って、資本主義の最終局面を迎えることになった。→ その顕著な現象は、「利子率革命」によって引き起こされる「景気と所得の分離」。…〔日本では1990年代後半から実質賃金の低下が始まるが、それがバブル崩壊だけによるものならば、景気回復とともに賃金水準も回復していくはず(※今、アベノミクス論者はそう主張…)〕。←→ しかし、現実には2002年~2008年、戦後最長の景気回復があったにもかかわらず、賃金は減少(P77に図)。…そして日本だけでなく、英米でも同様に、景気と所得との分離が確認されている。
・つまり、資本主義の最終局面では、経済成長と賃金との分離は必然的な現象。換言すれば、このままグローバル資本主義を維持しようとすれば、「雇用なき経済成長」(※雇用されても〝非正規〟の低賃金…)という悪夢を見続けなければならない。→ そのことを雄弁に物語るのが、1990年代以降の日本の労働政策…1999年には労働者派遣法が改正され、製造業などを除き派遣対象業務の制限を撤廃(2004年に製造業への派遣も自由化)。
・資本の絶対的優位を目指すグローバリズムにとっては、人件費の変動費化(※〝雇い止め〟の自由)を実現するには、労働市場の規制緩和は不可欠だった。→ (グローバリゼーションに対応して生産拠点を海外に容易に移せるようになった大企業と、企業のようには容易に働く場所を変えられない雇用者の力関係を考えるとわかるように)労働市場の規制緩和は、総人件費抑制の有力な手段として独り歩きするようになった。(※う~ん、「規制緩和」の正体…)
・〔労働市場の規制緩和は本来、労働の多様化の要請に応えて導入されたもの。つまり、柔軟な労働機会を提供する、労働者に便宜をはかるものだったはず〕←→ しかし企業は…利潤低下 → バブル経済に依存 → そのバブルが崩壊 → 企業リストラのために、派遣社員の大量の雇い止めを実施。…どんな立派な法律も、為政者が時代認識をしっかりと持っていないと、その立法趣旨とかけ離れて利用されてしまう。(※昨今の政治家や企業人の、末期的な劣化現象…)
○金融緩和をしてもデフレは脱却できない
・(日本は近代の延命レースでトップを走ったがゆえに、その矛盾を体現)→ 「雇用なき経済成長」でしか資本主義を維持できなくなった現在、経済成長を目的とする経済政策は、危機の濃度をさらに高めることにしか寄与しないだろう。…その格好の事例が今まさに現在進行形で展開しているアベノミクス…。→ 円安(による資源髙)によって物価は確かにプラスに転じたが、肝心の賃金はそれに見合って上昇していない。そして、金融緩和(第一の矢)によるデフレ脱却はできない(詳細はP117~118)。
・貨幣が増加しても、それは金融・資本市場で吸収され、資産バブルの生成を加速させるだけ。→ そしてバブルが崩壊すれば、巨大な信用収縮が起こり、そのしわ寄せが雇用に集中する(賃下げ、リストラ…)のはすでに見た通り。(※アベノミクスの不吉な結末…)
○積極財政政策が賃金を削る理由
・アベノミクスの積極的な財政出動(第二の矢)も無意味であることは、90年代以降の日本が実証している。…1992年以来、歴代政権が切れ目のない総需要対策で200兆円以上もの外生需要(公共投資?)を追加しても、日本経済を内需中心の持続的成長軌道に乗せることはできなかった。…理由は明らかで、すでに経済が需要の飽和点に達していたから。
・2002年~08年の戦後最長の景気拡大期において、実質GDPが年平均2.1%と成長できたのは、アメリカのバブルや新興国の近代化に牽引された外需主導の拡大にすぎない。…当時は一見、日本の「失われた10年」が終わったかのように思われたが、実際には景気は輸出主導で回復しただけで、個人部門(個人消費支出+民間住宅投資)は年率0.6%しか伸びず、戦後の景気回復の中で最も増加率が低かった。
・その後、リーマンショック(2008年)で外需がしぼむと、日本は深刻な不況に陥った。…〔それまでは、米国「世界の〝投資〟銀行」がつくった幻の購買力(※返済不能のローン等)に、日本の大企業・製造業が自動車など高級品を中心に輸出を大幅に増やしたのだ。〕
・さらに、財政出動は「雇用なき経済成長」の元凶にもなってしまう。→ 公共投資を増やす積極財政政策は、過剰設備を維持するために固定資本減耗(設備の維持・補修費)を一層膨らまし → 賃金を圧迫することになるから。…〔2002年~2008年の景気回復期に、製造業の名目GDPは2.7兆円増加…このプラス成長の中身は、①固定資本減耗(設備の維持・補修費)が1.5兆円増(増加の原因は「過剰設備」…かつての過剰な設備投資のせいで、その維持コストが高くついている)。②雇用者報酬は1.5兆円減(!)。③企業利益は2.7兆円増。〕→ つまり、企業利益を2.7兆円増加させた一方で、雇用者報酬(賃金)は1.5兆円も減少したのだ。(詳細は、図も含めてP120~121)…(※こういう報道を日本のマスメディアはしているのか…?)
・なぜこのような分配が行なわれたのか。…その理由は、「戦後最長の景気回復期」に、企業利益を確保し配当を増やさないでいれば、企業経営者は翌年の株主総会でクビになってしまうから。つまり、企業経営者は配当を増やすために雇用者報酬を削減したのだ。→ かつての日本経済の姿と異なり、21世紀の日本では、景気回復は株主のためのものとなり、雇用者のためのものではなくなったのだ。(※昨今の安倍政権と財界との蜜月ぶり…!)
・そして、雇用者報酬の減少のそもそもの原因は、過剰設備の維持のためだったということになる(詳細はP122~123)。→ 現在の日本では、財政出動によって設備投資を拡大させると、その撤退に大きな代償(除去損が発生)を払わざるを得ない。(※震災対策のためという「国土強靭化計画」など、まともなチェックはされているのか…? リニア新幹線はどうなのか…?)
○構造改革や積極財政では近代の危機は乗り越えられない
・以上見たように、量的緩和政策(第1の矢)は実物経済に反映されず、資産価格を上昇させてバブルをもたらすだけ。…一方、公共投資を増やす積極財政政策(第2の矢)は、過剰設備を維持するために固定資本減耗を一層膨らます。→ そしてこの二つの経済政策は、どちらとも雇用の賃金を犠牲にすることになる。…量的緩和のあとバブルが崩壊すれば、企業リストラと称して急激な賃金引き下げや大量失業を招くし、積極財政のあと景気回復すると、(既述のように)固定資本減耗と企業利益を合わせた増加額が、付加価値の増加を上回ってしまい、賃金が抑制されることになるから。
・日本の得意分野である「モノづくり」で実物経済をもう一度立て直せば、という反論 ←→ しかし、それも時代の逆行にすぎない。…グローバリゼーションによって、新興国が成長を追い求めている現在の状況では、先進国が製造業を復活させることはほとんど不可能(※高級ブランド品とかだけ?)→ それを無理やりにでも改革しようとするのが構造改革(第3の矢)と呼ばれるもの。…既存のシステムがうまく機能しなくなると、時の為政者が構造改革を断行したがるのは、いつの時代にも見られること。→ しかし、大構造改革もまた失敗するのが歴史の常…。(※「観光立国」とか言って、苦しまぎれに〝カジノ〟とか言い出している…)
・既存のシステムは、これ以上「膨張」できないために機能不全に陥っている。←→ それにもかかわらず、既存のシステムを強化したところで、新しい「空間」は見つからない。→ 改革者の意に反して、既存のシステムの寿命を縮め、時代の歯車をいっそう早回しすることになる。…我々はもう少し歴史から学ぶべき。→(16世紀のスペイン帝国の事例…P125~126)
・スペインは中世の領土拡大モデルをそのまま強化したあげく、財政破綻に陥った。→ 同様に、現在の先進国は、成長信仰をそのまま強化したあげく、財政危機に陥っている。…成長を信奉する限り、それは近代システムの枠内にとどまっており、近代システムが機能不全に陥っているときに(※資本主義の終焉)、それを強化する成長戦略はどのような構造改革であっても、近代の危機(※歴史の危機)を乗り越えることはできない。
・このような袋小路に陥ってしまうのは、いまだに「成長がすべての怪我を癒す」という近代資本主義の価値観に引きずられているから。→ しかし、成長に期待をかければかけるほど(資本が前進しようとすればするほど)、雇用を犠牲にする(※本末転倒の末期症状…)。
○ケインズの警鐘
・成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう現在、私たちは、近代そのものを見直して、脱成長システム、ポスト近代システムを見据えなければいけない。(高橋伸彰『ケインズはこう言った』)…「金利を下げられない国も、金利が下がっても不平・不満がなくならない国も、どちらも文明が破綻する」…欧州危機以来、ギリシャなどの南欧諸国は、国債金利を下げられない。…国の信用が失われ、大幅に上乗せ(リスク・プレミアム)した金利でないと資金調達ができずに苦しんでいる。←→ 一方で、日米英独仏ら経済大国の国債金利は低下しているが、国内の不平・不満がなくなるどころか、ますます高まっている。
・利子率の低下とは、資本主義の卒業証書のようなもの。→ 従って、金利を下げられない国は、まだ資本主義を卒業できていない状態にあり、金利が下がっても不平・不満がなくならない国は、卒業すべきなのに「卒業したくない」と駄々をこねている状態(※う~ん、ユニークな解釈…)。…近代引きこもり症候群の人たちが、政界や実業界で実権を握って、近代システムの弊害が見えるがゆえに実際に引きこもっている若い人に、なにを内向きな考え方をしているのだと、非難しているのが今の日本。…まさに「倒錯日本」なのだ。(※う~ん、まさに〝逆転の視点〟…)
・低金利(ゼロ金利に近づく)ということは、次のように解釈できるはず。…もともと利子は、神に帰属していた「時間」を人間(※資本家?)が所有することを意味していた。→ その結果、たどり着くゼロ金利というのは、先進国12億人が神になることを意味。…これは、時間に縛られる必要から解放されたということ、「タイム・イズ・マネー」の時代が終焉を迎えるということ。(※雇用者から見れば、強いられた賃労働=時間労働からの解放…? 生命体としては、自然の生態系に見合った時間の回復…? …う~ん、難しすぎる問題なので、今は保留…)
・同様に「知」についても、中世までは神の独占物 → 近代になって、国家と大手マスメディアが「知」(情報)を独占していたが、インターネットやスマートフォンの普及により、先進国の人間は、世界中で何が起きているのかを瞬時に知ることができるようになった。…これもまた、12億人が神になったということ。→ そういう意味では、資本主義とは、神の所有物を人間のものにしていくプロセスであり、それが今、ようやく完成しつつある、というふうに解釈できる。…〔3章、次回に続く〕
(10/22 つづく)
〔まだ3章の途中ですが、枚数が多くなりすぎたので、[前編]はここまでとします。…ここまででも、現在、世界で日々進行している様々な(バラバラな)事象が、一つの視点によって見事に関連づけられ、解き明かされていくという、とてもスリリングな知的興奮を感じさせられました。…次回の『資本主義の終焉と歴史の危機』―[後編]では、私たちがこれから進むべき道(方向性)を探っていく予定です。〕
(2014年10月22日)
―[脱成長論 ①]
中島暁夫
これも今回の大震災(原発事故)をきっかけに書かれた論考ではないか…少なくとも当方はそのように読んだ。現在、世界に吹き荒れているグローバル資本主義の嵐…。その象徴としての、9・11同時多発テロ、9・15のリーマン・ショック、そして3・11の福島原発事故…。それらにこの著者は、資本主義というシステムの終末の姿を見ようとしている。…このシステムは、もう終わらせないといけない…そのような著者の、怒りとも、祈りともいえるような思いが、静かに熱く伝わってきた。
『資本主義の終焉と歴史の危機』 水野和夫
(集英社新書)2014.3.19――[前編]
(2014.4.16 3刷)
〔1953年生まれ、日大教授。早大大学院経済学研究科修士課程修了、証券会社系シンクタンクでエコノミスト(30年)を経て、内閣府官房審議官などを歴任。著書に『人々はなぜグローバル経済の本質を見誤るのか』『世界経済の大潮流』など。〕
【はじめに】資本主義が死ぬとき
・資本主義の死期が近づいているのではないか。その理由は、もはや地球上のどこにもフロンティアが残されていないから。
・資本主義は「中心」と「周辺」から構成され、「周辺」つまりフロンティアを広げることによって「中心」が利潤率を高め、資本の自己増殖を推進していくシステム。
・「アフリカのグローバリゼーション」が叫ばれる現在、地理的な市場拡大は最終局面に入っていると言っていい。もう地理的なフロンティアは残っていない。(※人類誕生の地・アフリカが、最後のフロンティア…。そして今、そこからのエボラ出血熱に人類は脅かされている…)
・また金融・資本市場を見ても、各国の証券取引所は株式の高速取引化を進め、一億分の一秒で取引ができるようなシステム投資をして競争している。→ このことは、「電子・金融空間」の中でも、時間を切り刻み、一億分の一秒単位で投資しなければ利潤をあげることができないことを示している。→ 日本を筆頭にアメリカやユーロ圏でも政策金利はおおむねゼロ、10年国債利回りも超低金利となり、いよいよその資本の自己増殖が不可能になってきている。
・つまり、「地理的・物的空間」(実物投資空間)からも「電子・金融空間」からも、利潤をあげることができなくなってきている。→ 資本主義を資本が自己増殖するプロセスと捉えれば、資本主義が終わりに近づきつつあることがわかる。
・さらにもっと重要な点は、中間層が資本主義を支持する理由がなくなってきていること。…自分を貧困層に落としてしまうかもしれない資本主義を維持しようというインセンティブ(経済的誘引)がもはや生じない。→ こうした現実を直視するなら、資本主義が遠くない将来に終わりを迎えることは、必然的な出来事だとさえ言えるはず。
・資本主義の終わりの始まり……この「歴史の危機」から目をそらし、対症療法にすぎない政策(※アベノミクスも?)を打ち続ける国は、この先、大きな痛手を負うはずだ。
【1章】資本主義の延命策でかえって苦しむアメリカ
○経済成長という信仰
・(政界でもビジネス界でも)ほとんどの人々は、「資本主義が終わる」あるいは「近代が終わる」などとは夢にも思っていないよう。→ アメリカをはじめどの先進国も経済成長をいまだに追い求め、企業は利潤を追求し続けている。(※従って、著者は〝異端〟のエコノミスト…)
・私が資本主義の終焉を指摘することで警鐘を鳴らしたいのは、こうした「成長教」にしがみつき続けることが、かえって大勢の人々を不幸にしてしまい、その結果、近代国家の基盤を危うくさせてしまうから。→ もはや利潤をあげる空間がないところで無理やり利潤を追求すれば、そのしわ寄せは格差や貧困という形をとって弱者に集中する。→ そして現代の弱者は、圧倒的多数の中間層が没落する形となって現れる。(※これは堤未果の著作とも通底…)
・確かに新興国と呼ばれる国々は、このあと20年や30年は成長を続ける可能性がある。労働力を安く買い叩くことで利益をあげ続けるグローバルなブラック企業(※ユニクロも?)もあるだろう。…けれども、それは局所的な現象にすぎない。→ 資本主義が経てきた歴史的なプロセスを検証すれば、成長が止まる時期が近くまで迫っていることが明白にわかる。
・中世封建システムから近代資本主義システムへの転換期(1450~1640年)を、歴史家ブローデルは「長い16世紀」と呼んだが、私たちは今、同じような歴史の峠に立っている。…現在が、(中世から近代への転換点に匹敵する)500年に一度の大転換の時期であること。→ それを端的に教えてくれるものが、利子率の異様な動き。
○利子率の低下は資本主義の死の兆候
・昨今の先進各国の国債利回り…際立った利子率の低下が目立つ。→ 先鞭をつけたのは日本…10年国債の利回りが、1997年2.0% → 2014年0.62% → さらに米英独の10年国債も、金融危機後に2%を下回り、その後、短期金利の世界では事実上ゼロ金利が実現(P14に図)。
・1997年までの歴史の中で最も国債利回りが低かったのは、17世紀初頭のイタリア・ジェノヴァ。金利2%を下回る時代が11年間続いた(P15に図)。→ 日本の10年国債利回りは、400年ぶりにそのジェノヴァの記録を更新し、2.0%以下という超低金利が20年近く続いている。→ 経済史上、極めて異常な状態に突入している。
・利子率低下の重大さ……金利は、資本利潤率とほぼ同じと言えるから。→ 資本を投下し、利潤を得て資本を自己増殖させること(※G-W-G´)が資本主義の基本的な性質なのだから、利潤率が極端に低いということは、すでに資本主義が資本主義として機能していないという兆候。
・ジェノヴァをはじめとする16世紀末~17世紀初頭のイタリアでもそうだった。…「銀と金は投資の手段を見出すのが困難である。『資本がこれほど安く提供されたのは、ローマ帝国の衰退以来ヨーロッパの歴史において初めてであるが、これは実は並々ならぬ革命である』」(ブローデル著『地中海』より)。…つまり、投資がすでに隅々まで行き渡ってしまい、「革命」と言えるほどに利子率が低下した(詳細はP15~17)。→ これが「利子率革命」。(※本書ではこの利子率が、資本主義の行く末を示す重要なキーワード)
○繰り返される「利子率革命」
・利子率=利潤率が2%を下回れば、資本側が得るものはほぼゼロ。そうした超低金利が10年を超えて続くと、既存の経済・社会システムはもはや維持できない。…これこそが「利子率革命」が「革命」たるゆえん。→ そして、16世紀末~17世紀初頭(「長い16世紀」後半)のジェノヴァが、まさにそうした「利子率革命」によって社会の大変動の洗礼を浴びた。
・そして現在、先進各国で超低金利の状態が続いていることを、私は「21世紀の利子率革命」と呼んでいる。…繰り返すが、この「利子率革命」は、利潤を得られる投資機会がもはやなくなったことを意味。なぜなら利子率とは、長期的に見れば実物投資の利潤率を表わすから。
・このような資本利潤率の著しく低い状態の長期化は、企業が経済活動をしていく上で設備資産を拡大していくことができなくなったということ。→ 利潤率の低下は、裏を返せば、設備投資をしても、十分な利潤を生み出さない設備、つまり「過剰」な設備になってしまうことを意味。…この点について、「長い16世紀」におけるジェノヴァの「山のてっぺんまでブドウ畑」(当時の最先端産業はワイン製造業)に、21世紀の日本で匹敵するのが「山のてっぺんから地の果てまで行き渡ったウォシュレット」(日経新聞2013.2.24)。→ 日本では世界がうらやむような投資が隅々まで行き渡ったと言える。(※う~ん、基本的にはもう新規に欲しい物はない、ということか…。〝断捨離〟の流行も…)
○1970年代前半に大転換が始まった――資本主義の終わりの始まり
・この異常なまでの利潤率の低下が始まったのは、1974年。…この年、イギリスと日本の10年国債利回りがピークとなり、1981年にはアメリカ10年国債利回りがピークをつけた。→ それ以降、先進国の利子率は趨勢的に下落していく(P20に図)。
・1970年代には、オイル・ショック(1973年、79年)、そしてベトナム戦争終結(75年)があった。→ これらの出来事は、「もっと先へ」と「エネルギーコストの不変性」という近代資本主義の大前提の二つが成立しなくなったことを意味。←→ 「もっと先へ」を目指すのは空間を拡大するため。空間を拡大し続けることが、近代資本主義には必須の条件。…アメリカがベトナム戦争に勝てなかったことは、「地理的・物的空間」を拡大することが不可能になったことを象徴的に表している(※その後のアメリカの、中東での悪戦苦闘…)。…そして(イランのホメイニ革命などの)資源ナショナリズムの勃興とオイル・ショックによって、「エネルギーコストの不変性」も崩れていった。→ つまり、先進国がエネルギーや食糧などの資源を安く買い叩くことが、70年代からは不可能になった。
・「地理的・物的空間」の拡大もできず、資源も高騰していくのだから、1970年代半ば以降の資本利潤率の低下は、当然の結果。…そして、この時期からの利潤率の低下を表現したものが「利子率革命」にほかならない。→ ブローデルの「長い16世紀」にならって、現代の大転換期を私は「長い21世紀」(1970年~)と呼んでいる。…「長い21世紀」の始点を1970年代に置くのは、この利潤率の低下が、これまで世界を規定してきた資本主義というシステムの死につながるものだから。
○「交易条件」の悪化がもたらした利潤率の低下
・次は、先進国における利潤率の低下を「交易条件」という概念によって分析してみる。
〔交易条件とは、輸出物価指数を輸入物価指数で割った比率で、輸出品一単位で何単位の輸入品が買えるかを表わす指数(※ざっくり言えば、交易の利益度か)。…詳細はP22~23〕
・〔P23に「交易条件の推移」の図〕…1973年の第一次オイル・ショックまでは交易条件は改善傾向にあったが、①二度のオイル・ショックで交易条件は大幅に悪化。→ その後(1980~90年代)、日本は省エネ技術と合理化で再び交易条件を改善したが、1999年以降、②資源価格が高騰したことで再度、悪化に転じてしまった。…前回①の悪化は、供給サイドの問題(産油国が原油の供給をストップ)だったので、長期化は避けられたが(それでも悪化は10年強続いた)、今回②は、数十億人の新興国の近代化が資源価格高騰の背景にあるので、それだけ交易条件の悪化が長期化することになる(詳細はP24~25)。→ こうした原油価格の高騰により、1970年代半ば以降、先進国では投入コストが上昇し、粗利益が圧迫された。つまり、先進国の「利潤率=利子率」の趨勢的な下落が始まった。
〔資本主義の延命策〕
○アメリカの資本主義延命策――「電子・金融空間」の創造
・交易条件が悪化するということは、モノづくり(※輸出産業?)が割に合わなくなったことを意味。…(それでも「地理的・物的空間」が拡大してさえいれば、製品1個あたりの粗利益が減少しても販売個数を増やすことで、利益の総額を増やすことができるのだが)…ベトナム戦争終結によって、アメリカが軍事力を背景として市場を拡大させることは難しくなった。→ 既存の「地理的・物的空間」(=実物経済)で先進国は高い利潤を得ることができなくなった。…まさに中世のイタリアの領主や貴族と同じ事態に直面した。
・本来ならば、「地理的・物的空間」での利潤低下に直面した1970年代半ばの段階で、先進各国は資本主義に代わる新たなシステムを模索すべきだった(※「長い16世紀」にヨーロッパの中世社会が、近代社会システムに移行していったように)。←→ しかしアメリカは、別の「空間」を生み出すことで資本主義の延命を図った。すなわち「電子・金融空間」に利潤のチャンスを見つけ、「金融帝国」化していくという道だった。(※資本主義の延命策としての「マネー資本主義」…)
・「電子・金融空間」とは、IT(情報技術)と金融自由化が結合してつくられる空間のこと。→ ITと金融業が結びつくことで、資本は瞬時にして国境を越え、キャピタル・ゲイン(資本利得)を稼ぎ出すことができるようになった。→ その結果、1980年代半ばから金融業への利益集中が進み、アメリカの利潤と所得を生み出す中心的な場となっていった。
・アメリカの「電子・金融空間」の元年は1971年…この年、ニクソン・ショックでドルは金と切り離され、ペーパー・マネーになった(※まだ学生だった。もう43年前の話か…)。→ いかりを外されたドルは自由に目盛りが伸び縮みし、バブルが起きやすくなった。…また、同じ年にインテルが(今のPCやスマートフォンに不可欠な)CPUを開発した。→ 極端に言えば、地球上の人がすべて「電子・金融空間」に参加することが可能となった。
・そして1985年以降、アメリカは金融帝国化……全産業利益中、金融業の占めるシェアは、1984年9.6% → 2002年30.9%…(P27に図あり)。…この金融業のシェア拡大は、金融のグローバリゼーションと軌を一にしている。→ 債権の証券化などの様々な金融手法を開発することで、世界の余剰マネーを「電子・金融空間」に呼び込み、その過程でITバブルや住宅バブルが起こった。…アメリカは世界中のマネーをウォール街に集中させることで、途方もない金融資産をつくり出した(※このことは「震災レポート22」の「里山資本主義」の中でも触れた)。→ こうして、原油価格高騰に合わせるように、アメリカ主導の金融自由化が推し進められていった。…高騰したエネルギーを必要としない「空間」をつくることが、利潤を極大化させる唯一の方法だったから。(※まさに〝資本主義の延命策〟…)
○新自由主義と金融帝国化との結合
・しかし、アメリカの金融帝国化は、決して中間層を豊かにすることはなく、むしろ格差拡大を推し進めてきた。この金融市場の拡大を後押ししたのが、新自由主義だったから。
・新自由主義とは、政府よりも市場の方が正しい資本配分ができる、という市場原理主義の考え方。…アメリカでは1980年代のレーガンの経済政策「レーガノミクス」に始まって、クリントン、ブッシュへと引き継がれてきた。→ 資本配分を市場に任せれば、労働分配率を下げ、資本側のリターンを増やすから、富む者がより富み、貧しい者がより貧しくなっていくのは当然。…これはつまり、中間層のための成長を放棄することにほかならない。
・1991年にソ連が崩壊し、東側の諸国が資本主義の世界市場に取り込まれ、新たなマーケットが一気に広がった。→ 1995年にはアメリカが「強いドル」に政策転換し、経常収支の赤字額を上回る資金を世界中から集めて、それを世界へと再配分していくようになった。…この「マネー集中一括管理システム」により、アメリカは「アメリカ投資銀行株式会社」となり、金融帝国となった。→ その後、1999年に金融サービス近代化法によって、(1933年の銀行法以来、原則禁止されていた)銀行業務と証券業務の兼業を認め、マネー創出のメカニズムを根本的に変えてしまった(金融帝国のシステムも完備された)。
・従来、マネーは銀行の信用創造によってつくられていた。それには家計の所得が増加してある程度貯蓄率が高くなければならない(※実体経済)。←→ しかし、1970年代半ば以降、利潤率は低下し、所得の増加率が鈍化(→貯蓄も鈍化)してしまったので、銀行を通じて創造されるマネーは従来のようには増えなくなった。→ そこでアメリカ政府は、商業銀行の投資銀行化を政策的に後押しした。…金融・資本市場を自由化し、資産価格(株や債券、不動産など)の値上がりによって利潤を極大化するほうが、資本家にとってみればはるかに効率的だから。(※かつてホリエモンが参入した世界…?)
・マネーが銀行の信用創造機能によってつくられるときの主役は労働者(※実体経済社会のいわば基本的存在)であり、商業銀行。…家計が消費を我慢して所得の中から貯金することによって、銀行による多くの貸し出しが可能になるから(※昭和のよき時代…?)。←→ ところが、金融・資本市場でマネーをつくろうとすれば、主役は商業銀行ではなく、レバレッジ(テコの作用)を大きくかけられる投資銀行となる。→ こうして、貯蓄行為をおこなう家計(※一般労働・生活者)は「地理的・物的空間」から主役の座を降り、その座を「電子・金融空間」において、巨額の資金をボタンひとつで、国境を自由に越えて動かすことができる資本家に譲り渡した(※「マネー資本主義」の誕生…)。→ 「電子・金融空間」で集めたマネーを運用して、アメリカ金融帝国はITバブル、住宅バブルを起こしていった。
○資本主義の構造変化
・〔P33に「資本主義の構造変化」の模式図〕…先進国は、安く買い叩ける地域、高く売れる地域を求めて、常に外側へ外側へと拡大する。…「長い16世紀」からオイル・ショックの前後までは、交易条件(粗利益)と市場規模を改善・拡大していけば、名目GDP(粗利益×市場規模)の増加が保証されていた。←→ ところが1970年代半ばに、交易条件、市場規模、両方とも外に拡大していくことが難しくなった。
・資源価格が高騰し、さらに先進国では少子化が進行して、販売数量の増加率が鈍化。…日本も含めてG7は、1970年代半ばに合計特殊出生率2.1を一斉に下回っていく。→ つまり、国内の市場も増えない上に、海外の市場もアメリカのベトナム戦争終結で拡張が止まった。
・このように、1974年以降、「地理的・物的空間」が広がらなくなり、モノづくりやサービスの実物経済で利潤を高めることができなくなってきた。→ そこで、二次元の平面空間ではなく、三次元に「電子・金融空間」をつくり、レバレッジを高めることで金融による利潤の極大化を目指していくことが起きた。
・金融はグローバリゼーションにも一番なじむ。→ 1995年以降、日本やアジアで余っているお金は、アメリカの「電子・金融空間」に簡単に投資できるようになっていった。…具体的には、インターネット・ブームがまず生じ、その崩壊の負の影響を打ち消すために欧米で住宅ブームが起きた。…そのときブームを巻き起こすのに証券化商品が大きな役割を果たした。
・その結果、1995年からリーマンショック前の2008年の13年間で、世界の「電子・金融空間」には100兆ドル(!)ものマネーが創出された。→ これに回転率を掛ければ、実物経済をはるかに凌駕する額のお金が地球上を所狭しと駆け巡った。…1999年までは商業銀行は自己資本の12倍までしか投資してはいけないという制約があったが、金融サービス近代化法が成立したことで、アメリカの商業銀行は子会社を通じて証券業務に参入できるようになり、事実上、無限大に投資できることになっていた。
・しかし、こうしてでき上がったアメリカ金融帝国も、2008年に起きたリーマンショックで崩壊した。…自己資本の40倍、60倍で投資をしていたら、金融機関がレバレッジの重さで自壊(欠陥金融商品による無理な膨張が破裂)してしまったというのがリーマンショックの顛末。→ そしてリーマンショックが誘引となって、EUの巨大金融機関はアメリカの大手投資銀行以上に大きな痛手を被り、全地球をカバーしていた「電子・金融空間」も縮小に転じた。
○日本の来た道を繰り返すアメリカ
・リーマンショックを経た現在のアメリカは、積極財政と超低金利政策で成長を取り戻そうとしたバブル崩壊後の日本と同じ経済構造に直面している。→ 実際に、2008年にFRBは事実上のゼロ金利政策に踏み切り、さらに長期国債買い入れの検討を表明して、非伝統的金融政策に舵を切った。
・こうしたアメリカの超低金利は、1997年の日本とよく似ている。→ アメリカの長期金利が2%を下回っていったプロセスも、1990年代の日本とほぼ同じだった。…過剰債務の返済に必要なキャッシュ・フロー(現金収支)を生み出すために、企業のリストラが加速し、賃金が下落する。→ それが経済のデフレ化をもたらしていった。
・アメリカが日本以上に深刻なのは、リーマンショック後、国際資本の移動が縮小し、他国の貯蓄をそれ以前ほどに自由に使えなくなっている点にある。
・実物経済の利潤低下がもたらす低成長の尻ぬぐいを、「電子・金融空間」の創出によって乗り越えようとしても、結局バブルの生成と崩壊を繰り返すだけ。…まさにクリントン政権時のサマーズ財務長官が指摘した「3年に1度バブルは生成し、崩壊する」ようになったのだ。→ バブルの生成過程で富が上位1%の人に集中し、バブル崩壊の過程で国家が公的資金を注入し、巨大金融機関が救済される一方で、負担はバブル崩壊でリストラなどの形で中間層に向けられ、彼らが貧困層に転落することになる。(※格差拡大 → 民主主義社会の不安定化…)
○「長い16世紀」の「空間革命」――「海」を通じた支配の始まり
・現代の経済覇権国であるアメリカによる資本主義の延命策…新しい空間(電子・金融空間)を創造して、高い投資機会を見出そうとするグローバリゼーションは、現代の「空間革命」と呼ぶべきもの。
・実は利潤率の低下した「長い16世紀」にも同じことが起きている。…「陸の国」スペインから「海の国」イギリスへと覇権が移ったことを「空間革命」と呼ぶ(カール・シュミット)。→ 海を制したイギリスは、海洋支配をもとに全世界を網にかけていく。…1600年に東インド会社を設立して、半ば略奪的な行為を重ねながら、資本を蓄積していった。→ いわばイギリスは海という「空間」を創造し、それまでの領土にもとづいた陸のシステムとはまったく異なる新しい貿易のルールを築いた。
・空間革命が起きた16~17世紀の資本家たちは、中世末期の中心地であるスペインやイタリアに投資しても、超低金利のために富を蓄積できない状況に陥ったため、投資先をオランダ、イギリスに変えて繁栄していった(ブローデルの言う「金融資本家の時代」)。…こうした変化は、現在の先進国の資本家たちが「地理的・物的空間」では利潤をあげられずに、「電子・金融空間」や新興国市場に投資先を求めるのと非常によく似ている。
・「長い16世紀」というのは、それだけではなく、中世のイデオロギーや価値観、システムが一新された時代でもあった。→ 神が主役の時代から人間が主役の時代になり、政治・経済システムも中世荘園制・封建制社会から近代資本主義・主権国家へと一変した。…つまり、新たな空間を創造すると同時に、そこでのルールや価値観もすべて変わった。…だからこそ「革命」と呼べるのだろう。
○「長い21世紀」の「空間革命」の罪
・ひるがえって「長い21世紀」の「空間革命」はどうか。…「地理的・物的空間(実物投資空間)」に見切りをつけた先進国の投資家たちは、「電子・金融空間」という新たな空間をつくり、利潤極大化という資本の自己増殖を継続している(※対症療法的な延命策)。…しかし、「電子・金融空間」で犠牲になっているのが雇用者(※対症療法の副作用)。
・振り返ってみれば、「地理的・物的空間」で利潤をあげることができた1974年までは、資本の自己増殖(利益成長)と雇用者報酬の成長とが軌を一にしていた。資本と雇用者は共存関係にあった(※労資協調…?)。←→ しかしグローバリゼーションが加速したことで、雇用者と資本家は切り離され、資本家だけに利益が集中していく。…21世紀の「空間革命」たるグローバリゼーションの帰結とは、中間層を没落させる成長にほかならない。(※労働組合の実質的崩壊と非正規社員の激増…)
・グローバリゼーションをヒト・モノ・カネの国境を自由に越えるプロセスであると捉えている限り、それはグローバリゼーション推進論者や礼賛論者の思うつぼだ。→ そう定義すれば、「周辺」に置かれている国や地域、あるいはその国の企業が、グローバリゼーションに乗り遅れてはいけない、乗り遅れることは死を意味するなどといった脅迫観念に駆られ、グローバリゼーション政策に邁進することになる。…〝金融ビッグバン〟しかり、〝労働の規制緩和〟しかり、最近では〝TPP〟しかり…。
・グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」からなる帝国システム(政治的側面)と資本主義システム(経済的側面)にあって、「中心」と「周辺」を結びつけるイデオロギーにほかならない。…もっと直截的に言えば、グローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業だ。…BRICS(ブラジル,ロシア,インド,中国,南アフリカ)が台頭する以前の20世紀末までは、「中心」=北の先進国(さらにその中心がワシントンとウォール街)、「周辺」=南の途上国という位置づけだった。→ しかし、21世紀に入ると、北の先進国の「地理的・物的空間」では満足できる利潤が獲得できなくなって、実物投資先を南の途上国に変え、成長軌道に乗せた。
・資本主義は「周辺」の存在が不可欠だから、途上国が成長し、新興国に転じれば、新たな「周辺」をつくる必要がある。→ それが、アメリカでいえばサブプライム層であり(※刑務所の囚人も?)、日本でいえば非正規社員であり、EUでいえばギリシャやキプロス(※移民も?)。
……21世紀の新興国の台頭とアメリカのサブプライム・ローン問題、欧州のギリシャ危機、日本の非正規社員化問題は、コインの裏と表なのだ。(※う~ん、説得力あり…)
○「資本のための資本主義」が民主主義を破壊する
・こうした国境の内側で格差を広げることもいとわない「資本のための資本主義」は、民主主義も同時に破壊することになる。…民主主義は価値観を同じくする中間層の存在があってはじめて機能するのであり、多くの人の所得が減少する中間層の没落は、民主主義の基盤を破壊することにほかならないから。
・民主主義を機能させるには情報の公開性を原則としなければならない(※日本はこの「情報の公開性」がまだまだお粗末…)。→ (中世までは知は神が独占していたが)近代では個々人が主役となったことで、ある特定の人や国家も、情報を独占することは許されない。→ そういった意味でスノーデン事件は、おそらく21世紀の大問題に発展すると思う。
・情報は誰のものか、という議論は、中世から近代への移行期だった「長い16世紀」において、ラテン語を独占していたローマ・カトリックと、俗語(ドイツ語や英語)でしか情報を伝えられないプロテスタントとのたたかいだった。→ 結果はプロテスタントの勝利。…情報を独占する側が常に敗者となるのが歴史の教訓。…この観点からみても、スノーデン事件が問いかけているのは民主国家の危機なのだ。(※資本主義の終末期に入って、国家や資本の側による〝情報の独占〟への傾斜が露出してきている…ex. 特定秘密保護法、TPP交渉の秘密主義…)
○賞味期限切れになった量的緩和政策
・民主国家の危機という意味では、リーマンショック以降のアメリカの量的緩和政策も、その文脈で捉えることができる。…マネーの膨張は、中間層を置き去りにし、富裕層のみを豊かにするバブルを醸成するものだから。
・そもそもマネタリスト的な金融政策の有効性は、1995年で切れている。…金融緩和の有効性を主張する彼らの言い分は、貨幣数量説(貨幣の数量が物価水準を決定する)に基づくもの。→ しかし、低金利のもとでは、この説の前提が崩れており(詳細はP44)、さらに取引量の中には(実物経済での取引高だけではなく)金融市場での株や土地の売買取引が多く含まれている。→ 実際、実物経済の需要が縮小しているアメリカでは、株価の上昇があっただけ。(※日本も今、アメリカの後追いをしているが…)
・現在、金融経済の規模は実物経済よりもはるかに膨らんでいて、「電子・金融空間」には余剰マネーが140兆ドルあり、レバレッジを高めれば、この数倍、数十倍のマネーが「電子・金融空間」を徘徊する。←→ これに対して、実物経済の規模は74兆ドル(2013年)。……(例えば、金融技術でレバレッジをかければ瞬時にして実物投資10年間分の利益が得られる。)…そんな状況では、量的緩和政策によってベース・マネーを増やせば増やすほど、物価ではなく資産価格の上昇、すなわちバブルをもたらすだけ。(※バブルの創出と崩壊の繰り返し…)
・しかも、グローバリゼーションの時代では、このバブルが自国内に起きるかどうかさえ分からない。量的緩和をしたところで、ドルも円も国内には留まらないから。→ 現に新興国に流れ込んだマネーは、新興国の不安定性を高めることにつながり、量的緩和の規模の縮小だけでも(※新興国からのマネーの引き上げをもたらし)市場は大きく揺れている(※アルゼンチンやブラジルの経済危機…)。→ 量的緩和政策の景気浮揚効果は、グローバリゼーションが進む以前の閉鎖経済を前提とした国民国家経済圏の中でしか発揮されない。
○オバマの輸出倍増計画は挫折する
・超低金利の時代に入ったアメリカは、世界の「成長教」の教祖でいる限り、もはやバブルを繰り返す金融帝国としてしか生き残ることはできない。(※う~ん、大胆な予測…)
・すでに20世紀前半に、かのシュミットが20世紀を「技術の時代」と特徴づけ、その技術進歩教は魔術と同じだと指摘している。…確かに20世紀に先進国は技術革新によって成長を遂げ、豊かになったのだが、2008年の9・15(リーマンショック)や2011年の3・11(福島原発事故)で、金融工学や原子力工学も結局は人間にとって制御できない技術だったことがわかった。→ 技術革新で成長するというのは、21世紀の時代では幻想にすぎない。〔※う~ん、技術は進歩を続けるが、それが必ずしも成長とか豊かさ・幸福度に結びつくとは限らない。→ これからは、科学者(技術者)や経済学者(エコノミスト)、政治家・官僚・財界だけに任せるのではなく、(宗教も含めた)人文的な叡智なども結集していく必要がある、ということか…〕
・アメリカの黒字を支えているのは金融収支やライセンス料。→ 強いドル政策のもとで、世界中から資本を集めて新興国に投資をしてリターンを得るしかない。…アメリカが製造業で復活するのは、どだい無理。→ グローバリゼーションによって新興国が台頭してきている以上、新興国で消費されるものは新興国で生産せざるを得ない。…そうでないと新興国の雇用が増えず、経済のパイも拡大しないとなれば、新興国の政治体制が危うくなるから。
・従って、先進国が輸出主導で成長するという状況は、現代では考えられない。自国通貨安政策(※アベノミクスも?)によって輸出を増加できるのは、先進国のパワーで途上国をある程度押さえつけるような仕組み、つまり資源を安く買い叩くことができる交易条件があった1970年代までの話。→ その意味ではオバマの輸出倍増計画も旧システムの強化策にすぎない。…没落していく中間層に対して配慮している点には共感するが、先進国が直面している構造デフレの根本的な解決にはなり得ない。(※アベノミクスも同様…?)
○近代の延命策としてのシェール革命
〔枚数の関係で要点だけ記すと〕…シェール革命も成長イデオロギーのもとであれば、いずれ限界を迎える。→ 金融帝国化したアメリカは、シェール革命すらも金融商品化していくから、「電子・金融空間」の中に組み込まれていき → その結果は、バブルの生成と崩壊 → 過剰債務と賃金低下。…中東を代表とする現在の石油産油国の中で、民主主義的な社会を運営している国は皆無。→ 多額のマネーが流れているはずなのに、その恩恵を受けているのは王侯貴族などごく一部の人間だけ。…それを考えれば、シェール革命が(市場原理主義を金科玉条とする)新自由主義と結びつくのであれば、今より過酷な格差社会をアメリカにもたらす可能性すらある。(詳細はP48~50)
○バブル多発と「反近代」の21世紀
・これまでバブルが崩壊するたびに、世界経済は大混乱に陥ってきた。しかし、バブルが崩壊して起こることは、皮肉なことに、さらなる「成長信仰」の強化。
・巨大バブルの後始末は、金融システム危機を伴うので、公的資金が投入され、そのツケは広く一般国民に及ぶ。→ つまり、バブルの崩壊は需要を急激に収縮させ、その結果、企業は解雇や賃下げなど大リストラを断行せざるを得ない。…まさに、「富者と銀行には国家社会主義で臨むが、中間層と貧者には新自由主義で臨む」(ウルリッヒ・ベック『ユーロ消滅?』)ことになっていて、ダブル・スタンダードがまかり通っている。
・バブル崩壊は結局、バブル期に伸びた成長分を打ち消す信用収縮をもたらす。→ その信用収縮を回復させるために、再び「成長」を目指して金融緩和や財政出動といった政策を総動員する(※これもアベノミクス…)。→ そのマネーがまた投機マネーとなってバブルを引き起こす。…つまり、先進国の国内市場や海外市場はもはや飽和状態に達しているため、資産や金融でバブルを起こすことでしか成長できなくなったということ。→ こうして、バブルの生成と崩壊が繰り返されていく。
・「犬の尻尾(金融経済)が頭(実物経済)を振り回す」時代(バーナンキ)、「バブルは3年に1度生成し、弾ける」(サマーズ)→ そして今また、欧米でも日本でも同じようなバブルの生成と破裂が繰り返されようとしている。
・私にはこうした動向は、脱成長の時代に逆行する悪あがきのようにしか思えない。…「近代自らが反近代をつくる」といったことが今、目の前で起き始めている(※まさに近代の末期症状か…)。→ 2001年の9・11(アメリカ同時多発テロ)、2008年の9・15(リーマンショック)そして2011年の3・11(福島原発事故)は、まさに近代を強化しようとして、反近代(デフレ、経済の収縮)を引き起こした象徴だと言える。
【2章】新興国の近代化がもたらすパラドックス
〔※この章は、枚数の関係でなるべく要点だけにとどめる。詳細は本書を参照ください。〕
○先進国の利潤率低下が新興国に何をもたらしたのか
・〔1章でみてきたように〕1974年以降、実物経済において先進国が高い利潤を得ることができるフロンティアはほとんど消滅してしまった。→ 「地理的・物的空間」の拡大は困難になり、(資源を輸入して工業製品を輸出する)先進国の交易条件が悪化し、「地理的・物的空間」(実物経済)に投資してもそれに見合うだけのリターンを得ることができなくなった。…つまり、ある一定期間(ex. 工場なら10年、店舗なら30年)資本を投下し、利潤を得ていくという資本主義のシステム自体が限界に突き当たった。
・そのことを端的に示すのが、資本の利潤率とほぼ一致する長期利子率(10年ものなどの長期国債の利回り)の低下。→ そして現在、日本とドイツは、16世紀初頭のイタリア・ジェノヴァ以来の超低金利時代、すなわち21世紀の「利子率革命」を経験している。
・利潤率の低下に耐えきれなくなった先進国、とくにアメリカが目論んだのが、新たな利益を得られる「空間」を創造することだった。→ (本来は1970年代に「終焉の始まり」を迎えたはずの資本主義を)アメリカは「電子・金融空間」を創設することによって、その後、30数年にわたって「延命」させてきた。
・同時に、先進国の資本主義が創出した「電子・金融空間」は、もう一つの市場を生み出すことになる。…それがBRICSに代表される「新興国市場」。→ つまり、「電子・金融空間」を無限に拡張することで新しいマネーを創出し、その上で新興国の近代化を促すことによって、新たな投資機会を生み出そうと目論んだ。
○先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備
・新たな投資機会をねらうアメリカの思惑通り、BRICS諸国は2000年代に入って急成長を遂げたが、しかし現在、その経済成長率に陰りが見えてきている。…中国、ブラジル、インドなどの経済成長率の鈍化と、成長率を超えるインフレ率の進行…。
・新興国の成長の足踏みの原因は、新興国の成長モデルが輸出主導だから。…先進国の株式市場は回復したかのように見えても、実物経済はリーマンショック後の後遺症からいまだ立ち直っておらず、消費は冷え込んだまま(正確に言えば、先進国の消費ブームは二度と戻ってこない)。→ 新興国の輸出も増えない。(詳細はP58~59)
・そもそもグローバリゼーションとは、「中心」と「周辺」の組み替え作業であって、〝ヒト・モノ・カネが国境を自由に越え世界全体を繁栄に導く〟などといった表層的な言説に惑わされてはいけない。20世紀までの「中心」は「北」(先進国)であり、「周辺」は「南」(途上国)だったが → 21世紀に入って、「中心」はウォール街となり、「周辺」は自国民(具体的にはサブプライム層)になる組み替えがおこなわれた。→ 中間層が没落した先進国で、消費ブームが戻ってくるはずがない。
・経済危機(リーマンショック、欧州危機)の後も、先進国の過剰マネーは新興国の過剰設備を積み上げてきたが、新興国の過剰設備には、過剰な購買力を有した先進国の消費者の存在が不可欠。←→ しかし、先進国の国民が「周辺」となり、消費ブームが二度と起こらない以上、新興国の輸出主導モデルに持続性はない。(※新興国に明日はない…?)
・現在の課題は、先進国の過剰マネーと新興国の過剰設備をどう解消するか、なのだ。…この問題の困難さは、この二つの過剰の是正が信用収縮と失業を生み出すことにある。⇒ 時間をかけるしかないのだ(※ソフト・ランディングのために…)。…そしてこの間、先進国ではゼロ金利、ゼロ成長、ゼロインフレが続くことになる。(※う~ん、このことを正しく認識できないと、さらに〝悪あがき〟の泥沼にはまっていく…? → この問題は後の章でも扱う。)
○新興国の成長が招く資本主義の臨界点
・新興国の成長は、地球全体を見たときに、そう単純に喜ぶことはできない。むしろ、危惧すべきこと。→ 新興国の成長が続くということは、無限の膨張を「善」としてきた資本主義システムが、「限界」に向かってさらにスピードをあげていくことだから。
・2008年以降、アメリカ、EU、そして日本が行なった金融緩和の影響もあり、行き場を失った余剰マネーが莫大に存在する。→ その余剰マネーが、今まで以上に大量に新興国に流れ込むようになった。(※ハード・ランディングの危険性…)
・先進国の量的緩和は、「電子・金融空間」を無限に拡張するための手段。→ その量的緩和をいつ止めるのかが議論され、緩和の「縮小」だけでも市場が大きく揺れているが(※今まさにその渦中…)、本当は量的緩和に「完全な出口」はない。…なぜなら、量的緩和は「電子・金融空間」を自壊寸前まで膨張させるものであり、緩和を縮小すればバブルが崩壊する。→ そうすれば、量的緩和を以前にもまして強化せざるを得ないから。〔※まさに「犬の尻尾(金融経済)が頭(実物経済)を振り回す」、そして「バブルは三年に一度生成し、弾ける」…P52〕
・では、膨大な資金が流れ込んだ新興国の成長は、いつか止まるのか(これは資本主義の最終地点を見極めることでもある)。→ そのことを考える上で参照すべきなのが、ブローデルの言う、「長い16世紀」(1450~1640年)に起きた「価格革命」。…これとほぼ同じ現象が、同じメカニズムで、この「長い21世紀」(1970年~)にも起きているから。…私たちは21世紀の「価格革命」の最中にいるのだ。
○「長い16世紀」のグローバリゼーションと「価格革命」
・「価格革命」とは、供給に制約のある資源や食糧の価格が、従来の枠組みでは説明できないような非連続的な高騰をすることで、通常のインフレとは異質なもの。…通常のインフレは、ある一定の空間内で需給逼迫によって引き起こされる現象。←→ 一方「価格革命」は、異なる価値体系をもっていた空間と空間が統合・均質化(グローバル化)する過程で起きる現象。
・そして「革命」的な価格水準の変化が起きる商品とは、空間が統合される前に「周辺」だった地域が供給していたモノ。…「長い16世紀」の「価格革命」では、「周辺」の東欧諸国が、「中心」のローマに供給する穀物の価格が急騰した。←→ 後述する「長い21世紀」の「価格革命」では、原油などの資源価格が高騰。
〔16世紀のヨーロッパにおいて、中世の封建システムが近代の資本主義システムへと変化していくメカニズムは、枚数の関係で省略。→ 詳細は、P63~71〕
・(「価格革命」に着目する意味)…この価格の大変動は単なるインフレではなく、政治・経済システムを根底から揺さぶるものだから。→ そして、「価格革命」の収束は、新たなシステムが誕生するときにしか起きない。…「価格革命」は、すなわち「歴史の危機」を意味している。⇒ 「長い16世紀」の「価格革命」は、それまでの時代のシステムであった荘園制・封建制から資本主義・主権国家システムへの移行が起こるという、非常に大きな「歴史の危機」を引き起こした。
○「長い21世紀」の「価格革命」とBRICSの統合
・「長い16世紀」がそうであったように、「長い21世紀」でもグローバリゼーションが進行しているが、その規模でいえば、BRICSの約30億人を世界市場に統合するという、はるかに大きな規模で進行している。→ その大規模なグローバリゼーションの影響で、非連続的な資源価格の高騰が起きている。
・1995年の国際資本の完全自由化 → 世界中のマネーがアメリカ・ウォール街のコントロール下に入ったことで、「電子・金融空間」が国境を越えて世界で一つに統合された。
・この1995年から2008年(リーマンショック)までの13年の間に、債権の証券化などレバレッジの高い商品が開発され、世界の金融空間で新興国の近代化に必要な量をはるかに超えるマネーが創り出された。→ 加えてリーマンショック後の先進各国による量的緩和が投機マネーの量をさらに増加させた。
・その結果、資源価格、とりわけ原油価格が高騰するようになった。→ 21世紀に入ると、供給ショックが起きたわけではないのに、20世紀の価格変動とまったく違う姿を示していて、2002年までのレンジに戻る気配はない。(P73に「原油価格高騰の推移」の図)
・つまり、今回の「価格革命」も、新興国の人々にとって耐えがたい物価上昇をもたらしている。…「価格革命」が起きるのは、異なる経済圏が統合されるとき、「周辺」の経済圏が「中心」を飲み込んでしまうとき(新たに統合される新興国の人口のほうが先進国よりも多い)。→ 中国、インド、ブラジルといった人口の多い国で、先進国に近い生活水準を欲して、それに近づけようとすれば(※これは当然の欲求…)、食糧価格や資源価格の高騰が起き、1960~70年代半ばの日本が一億総中流に向かったのと違って、高度成長する新興国と停滞する先進国の両方の国内で、人々の階層の二極化(※自国民の「周辺」化 → 格差社会)を引き起こすことになる。(※今まさに、世界で進行している危機…)
○現代の「価格革命」が引き起こした実質賃金の低下
・さらに、「長い16世紀」に起きた労働者の実質賃金の低下(詳細はP63~64)と同じ現象も、現在の先進国で起きている。…20世紀で最も実質賃金が低かったのは1918年(第一次世界大戦が終了)であり、ここから20世紀の「労働者の黄金時代」がスタートした(1918~1991年、イギリスの実質賃金は4.9倍に上昇…年率2.2%の上昇)。とくに第二次大戦の終結した1945~1973年は、世界的な経済成長のもとで福祉国家が実現した「黄金の時代」だった。…中世の「労働者の黄金時代」(詳細はP67~69)は、500年後の20世紀に再現された。(※う~ん、あの「昭和のよき時代」は、世界史的にも裏づけられるのか…)
・しかし、1970年代半ばに現代の「価格革命」が始まった。→ 資源価格が高騰したせいで、企業はそれまでのように利潤をあげることができなくなり、その利潤の減少分を賃金カットで補おうとした。→ 1999年以降、名目GDPと雇用者報酬の関係に「革命」的な変化。
・1865年~1998年の130年間、イギリスでは名目GDPの増加率と同じだけ雇用者報酬も増えていた(1960年代以降の日本も同様)。→ ところが、1999年以降、この関係は崩壊。…つまり、企業の利益と雇用者報酬とが分離し、2006年に至っては企業の利益は上がっているのに、雇用者報酬が減少。→ 日本の実質賃金の推移を見ても、1997年をピークに、好不況にかかわらず実質賃金は激しく低下している。(詳細は、図も含めてP75~77)
・こうした傾向は、データが存在する130年間の歴史において初めてのこと。…つまり1990年以前には、労働と資本の分配比率について初期に決めた割合(ex.7対3)を、一世紀以上にわたってその比率を変えなかった。→ ところが、20世紀末にグローバリゼーションの時代になって、資本側がこの比率を変えようとした。
・つまり、資本側はグローバリゼーションを推進することによって、国境に捉われることなく生産拠点を選ぶことができるようになり→ 資本と労働の分配構造を破壊。…資本側の完勝といっていい。→ 景気回復も資本家のためのものとなり、民主主義であったはずの各国の政治も資本家のために法人税を下げたり、雇用の流動化といって解雇しやすい環境を整えたりしている。(※アベノミクスもまた…)
○「長い21世紀」の「価格革命」はいつ終わるのか?
・「長い16世紀」でも「長い21世紀」でも、資源価格の急騰と実質賃金の減少が並行して起きている。→ では、「長い16世紀」において「価格革命」はいつ収束したのか(このことは、21世紀の「価格革命」の終わりを考えることでもある)。
・21世紀の中国が恒常的なインフレ状態にあるように、「長い16世紀」の新興国であったイギリスでも消費者物価が1477年から上昇し続けた。→ そしてイギリスの一人当りGDPが、当時の先進国イタリアに追いついた時点で、「価格革命」は収束した。…17世紀半ばのこと。
・それになぞらえて考えるならば、中国の一人当りGDPが日米に追いついた時点で、21世紀の「価格革命」も収束するだろうと予測できる。→ 日中の関係で試算すると、およそ20年後になる(詳細はP79)。…つまり、2030年代前半に中国の一人当り実質GDPが日米に追いつくまで、資源価格の上昇と新興国のインフレ、つまり「価格革命」は収束しない。→ 今から20年後、あるいはもう少し先に、新しい政治・経済システムが立ち上がってくるかもしれない、というおおよその予測は成り立つ。(※う~ん、当方も、この予測を見届けてみたいものだが、時間的にとても無理か…)
○資本に国家が従属する資本主義
・21世紀の「価格革命」とは、それまでの国家と資本の利害が一致していた資本主義が維持できなくなり、資本が国家を超越し、資本に国家が従属する資本主義へと変貌していることを示すもの(※TPPも…?)。…つまり「価格革命」とは、「電子・金融空間」創出の必然的帰結の出来事として捉えるべきこと。「電子・金融空間」でつくられた「過剰」なマネーが、新興国の「地理的・物的空間」で過剰設備を生み出し、モノに対してデフレ圧力をかける一方で、供給力に限りがある資源価格を将来の需給逼迫を織り込んで先物市場で押し上げる。
・16世紀以来、500年かけて、人類は国家・国民と資本の利害が一致するように資本主義を進化させてきたが、21世紀のグローバリゼーションはその進化を逆転させようとしている。…資本主義の発展によって多くの国民が中産階級化(※一億総中流化)するという点で、資本主義と民主主義はセカンドベストと言われながらも支持されてきた(※戦後民主主義への支持…)。…資本が国境を越えられなかった1995年までは、国境の中に住む国民と資本の利害は一致していたから、資本主義と民主主義は衝突することがなかった。
・近代主権国家とは,資本と国民の利害が一致して中間層を生み出すシステムなのだが、一億総中流が実現したとたんに、資本はそれを破壊しようとする。これは反近代的行為にほかならない。まさに「近代が反近代をつくる」(アドルノ)→ 資本主義は、中産階級を没落させ、粗暴な「資本主義のための資本主義」に変質していった。……これは見方によっては、資本主義の「退化」。近代は自らのピークにおいて、資本という「超国家」的存在の絶対君主(※グローバル資本主義)を登場させてしまったから。
○新興国の近代化がもたらす近代の限界
・新興国の近代化は、これまでの先進国の近代化とは大きく異なる点がある。…それは、13.6億人の中国人全員、12.1億人のインド人全員が、豊かになるわけではない、ということ。
・16世紀に近代が幕を開けて以来、約500年をかけて、先進国12.4億人(全人口の18%)は豊かになった。…この近代資本主義の特徴は、およそ全人口の2割弱にあたる先進国が、独占的に地球上の資源を安く手に入れられることを前提としている(ex. 欧米の石油メジャーが原油価格を支配することで、石油を1バレル3ドル以内で好きな量だけ購入できるという仕組みが1970年代半ばまで続いていた)。←→ 従って、その仕組みに参加できなかった現在の新興国は、ほとんど成長率が横ばいのままだった。
・ところが、今起きている21世紀のグローバリゼーションは、BRICSの29.6億人、さらに残る27.2億人に対して、かつての先進国と同様に豊かになれるだろうとの期待をもたらしている。…しかも、先進国12.4億人が500年かけて達成した生活水準を、56.8億人がわずか20~30年で達成して豊かな生活を手に入れようとする。→ 先進国並に自動車や電化製品を所有すれば、それだけガソリンや電力や鉄の消費量も増加する。…世界の電力消費量は現在の2倍、粗鋼の消費量は約3倍強、エネルギー消費量も約3倍になると推計される(詳細は、図も含めてP84~88)。
・これから数十年かけて、原油の消費が3倍に増えれば、それを織り込んで今以上に原油価格が高騰するだろう(実際に1990年代~現在、原油価格は約5倍になっている)。…さらに言えば、ここには資源の有限性という観点は織り込まれていない。→ 70億人のエネルギー消費をまかなえるだけの化石燃料は地球上にはないのだから、全世界の近代化というのは不可能なシナリオ。(※核燃料のウランも、石油よりかなり前に枯渇してしまう、と言われている…)
○グローバル化と格差の拡大
・今までは、2割の先進国が(8割の途上国を貧しくさせたままで)発展してきたために、先進国に属する国では、国民全員が一定の豊かさを享受することができた。→ しかし、グローバリゼーションの進んだ現代では、資本はやすやすと国境を越えていき、豊かな国と貧しい国(※「中心」と「周辺」)という貧富の二極化が、国家の中に現れることになる。
・つまり、近代において南=貧困、北=富裕というように(※いわゆる「南北問題」)、西側先進国は格差を自国内には進入させないようにしていたのだが、グローバリゼーションの時代になると、北側にも格差が入り込むようになった。…いわばグローバリゼーションとは、南北で仕切られていた格差を、北側と南側の各々に再配置するプロセスといえる。
・すでに先進国では1970年代半ばを境として、中間層の没落が始まっている。…ex. アメリカでは、所得上位1%の富裕層が全所得に占める割合が、1976年の8.9% → 2007年の23.5% にまで高まった(P91に図あり)。…実に1928年以来の高い水準(この1928年の翌年にウォール街で株価大暴落があり、世界大恐慌を引き起こしたことは実に象徴的)。…同じように2007年の翌年には「100年に一度」と言われるリーマンショックが起きた。→ バブル崩壊のたびに企業がリストラを進めるため、先進国では中間層が最大の被害者となる。
・そして、これから近代化を推し進めていく新興国の場合、経済成長と国内での二極化(格差拡大)が同時に進行していくことになるだろう。…そこが、これまでの先進国の近代化とは大きく異なる点(先進国は、曲がりなりにも成長がピークを迎えるまでは所得格差は縮小していった)。→ これからの新興国は、格差拡大を伴いながら、近代化が進んでいくことになる。(※これが昨今の中国やブラジルでの「反政府騒動」の背景か…)
・近代システムは、(先進国に限られた話とはいえ)中間層をつくり上げる仕組みとしては最適なものだった。…中間層が、民主主義と資本主義を支持することで近代システムは成り立っていた。←→ ところが、現代のグローバル資本主義では、必然的に格差が国境を越えてしまう(格差を国内に持ち込んでしまう)ので、民主主義とは齟齬をきたす。→ 従って、日本で1970年代に「一億総中流」が実現したようには中国で13億総中流が実現しないとなれば、中国に民主主義が成立しないことになり、中国内で階級闘争が激化することになるだろう(※自称「社会主義国」で階級闘争が激化するというパラドックス…)。→ このことは、中国共産党一党独裁体制を大きく揺さぶることになると予想される。(※香港での反政府デモなどはその前兆…?)
○中国バブルは必ず崩壊する
・1995年以降、アメリカは「電子・金融空間」を築き上げ、わずか十数年で140兆ドルを超えるマネーを創出したが、リーマンショックと欧州危機によって、そうした余剰マネーの行き場を新興国に集中。→ しかし、これを新興国で吸収できるはずがない。(詳細はP92~93)
・それでも余剰マネーは、少しでも利潤の多く得られるところを目指して世界中を駆け巡るから、どうしても新興国に過剰な投資が集まる。→ 景気の減速によって過剰設備が危険視されている。→ そこで起きるのがバブルとその崩壊。…このことはすでに先進国、ことに日本とドイツが実証している。
・日本とドイツの抱える過剰な生産設備は、アメリカの過剰な消費によってかろうじて持ちこたえたが、リーマンショックによってその構図も崩壊した。→ それと同じことがBRICSでも起きる。…中国に国内外の余剰マネーが一斉に集まってくる。→ そこで過剰生産となれば、中国の外側に中国の過剰設備を受け入れることのできる国はないので、日本以上のバブル崩壊が起きるのは必然と思われる。(※恐ろしい予測…)
・ただ、日本でのバブル崩壊は、中成長の段階で起きた(オイル・ショックによって、10%成長 → 4%成長 になり、そこでバブル崩壊が起きてゼロ成長になった)。…しかも、国際資本の移動性が完全になる1995年より前の出来事。←→ 一方、中国では、まだ高い成長率の段階で、もうすでにバブルが起きている(これは短期的な不動産バブルの問題だけではない)。
・中国が世界の工場と呼ばれた時代なら、固定資本投入が過剰でも、世界市場が受け皿になってくれたから、まだ余裕があった。→ しかし、輸出主導の経済が終わり(世界的な消費の縮小)、中国が内需主導の経済に転換できないのなら、過剰設備の使い道はなくなる。→ 投資に見合う市場が見つからない「生産能力過剰時代」を迎えることになる。…つまりマネーのグローバリゼーションを背景に、世界中から投資が集まったそのバブルが、まさに弾けようとしている。→ そのとき、中国もデフレに陥り、ゼロ金利、ゼロ成長になっているだろう。
・資本主義とは、内在的に「過剰・飽満・過多」を有するシステムなのだ。…日本はバブル崩壊後、いわゆる「失われた20年」に突入したが、成長率が高い中国のバブル崩壊が、世界経済に与える影響は日本の比ではないだろう。…しかし、リーマンショックや欧州危機にも有効な対処ができていないことを踏まえると、もはやグローバル資本主義に対して、国民国家は対応不全に陥っている状況…。 →(以下、この章は枚数の関係で省略)
・〔この章の結び〕…結局、近代を延命させようとする21世紀のグローバリゼーションは、エネルギーが無限に消費できることを前提としているから、16世紀以来の近代の理念となんら変わりがない。→ 従って、近代の延長上で成長を続けている限りは、新興国もいずれ現在の先進国と同じ課題に直面していく。…すでに現在、少子化やバブル危機、国内格差、環境問題などが新興国で危ぶまれていることからもそれは明らか。
・だとすれば、もはや近代資本主義の土俵の上で、覇権交替があるとは考えられない。⇒ 次の覇権は、資本主義とは異なるシステムを構築した国が握ることになる(「長い16世紀」にオランダやイギリスが中世封建システムに替る近代システムを打ち出したように)。…そして、その可能性を最も秘めている国が、近代のピークを極めて最先端を走る日本なのだ。←→ しかし、日本は第三の矢である「成長戦略」を最も重視するアベノミクスに固執している限り、残念ながらそのチャンスを逃すことになりかねない。(※う~ん、今のテイタラクでは…)
【3章】日本の未来をつくる脱成長モデル
○先の見えない転換期
・資本主義を延命させる「空間」は、もうほとんど残されていない。…中国が一時的に経済成長のトップに躍り出ても、そう遠くない将来、現在の先進国と同じように「利潤率の低下」という課題に直面することになる。→ その時点で、21世紀の「空間革命」は終焉を迎え、近代資本主義は臨界点に達するだろう。(※20年後、あるいはもう少し先…?)
・資本主義の後に、どのような社会・経済システムが生まれるかはまだ分からない。…中世から近代への移行期が「長い16世紀」(1450~1640年)であったように、それまで数世紀にわたって続いたシステムが、一夜にして変わることなどできない。…「新しい時代が始まり、生への不安は、勇気と希望に席をゆずる。この意識がもたらされるのは、やっと18世紀に入ってのことである」(ヨハン・ホイジンガ『中世の秋』)…我々の生きる「長い21世紀」(1970年~)も、「長い16世紀」と同じ状況(※近代から○○への移行期…)にあると考えられる。……しかし、こうした難しい転換期において、日本は、新しいシステムを生み出すポテンシャルという点で、世界の中で最も優位な立場にあると私は考えている。(※この「新しいシステムを生み出すポテンシャル」を探求していくことが、この「震災レポート」の今後の課題…?)
○資本主義の矛盾をもっとも体現する日本
・その理由は、先進国の中で最も早く資本主義の限界に突き当たっているのが日本だから。→ それは1997年から現在に至るまで、超低金利時代がこの国で続いていることが立証している。
・資本主義は、1970年代半ばを境に「実物投資空間」の中で利潤をあげることができなくなったのだが、そのことを裏付けるデータは、近代の先頭を走る日本において最も見つけることができる。…ex. 日本の交易条件が大きく改善したのは、1955年~72年まで。…ex. 日本の一人当り粗鋼消費量がピークをつけたのは1973年度〔鉄の消費量は近代化のバロメータ → それが(バブル期も含めて)横ばいで推移しているのは、この40年にわたって、日本の内なる空間で需要が飽和点に達している証拠。→ いわば近代社会を特徴づけていた大量生産・大量消費社会が、1970年代半ばにピークを迎えたことになる。〕…ex. 1973年度に、日本の中小企業・非製造業(国内に営業基盤)の資本利潤率が9.3%でピークを付けたのも同じことを示している。…ex. さらに1974年は、日本の合計特殊出生率が(総人口を維持できる限界値である)2.1を下回った年でもある(これ以後、出生率は低下を続けている)。⇒ このようにあらゆる指標が「地理的・物的空間」の膨張が止まったことを示唆している。
○バブルは資本主義の限界を覆い隠すためのもの
・なぜ先進国の中で日本がいち早くバブルを経験したのか(日本の先行性を読み解く鍵)
〔80年代の日米の経済の違い〕
(1章でみたように)「地理的・物的空間」の限界に突き当たったアメリカは、金融帝国化に舵を切っていくわけだが、当初は国際資本の自由な移動が不完全であり、また交易条件悪化の負荷を最も強く受けていたため、1970年代~80年代は停滞を余儀なくされた(詳細はP108)←→ 一方、日本は、省エネ技術によって二度のオイル・ショックを乗りきり、1980年代に入ると、自動車と半導体の生産によって「ジャパン・アズ・ナンバーワン」を誇るようになる。→ いわば、日本はわずかに残された「実物投資空間」を制して、世界一の経済大国にのし上がった。…しかし、近代延命レースのトップを走ったがゆえに、資本主義の臨界点に達するのも早かった。その証が1980年代のバブル。
・金融バブルの発生には、次の二つの条件を満たすことが必要。
①貯蓄が豊かであることに加えて、時代が大きく変わるようなユーフォリア(陶酔)があること。
②「地理的・物的空間」拡大が限界を迎えてしまうこと。
……①については、1980年代の日本の貯蓄率は年平均で約13%と高く、また「首都改造計画」やリゾート開発ブームで、「土地は値上がり続ける」というユーフォリアも醸成されていた。②の条件の「地理的・物的空間」の膨張が止まったのも、日本が最初だった。→ 日本は中間層が7割を占める社会(一億総中流)をつくることに成功し、消費行動が似ていたため、乗用車やテレビなど財の普及率が速いスピードでおおむね100%に近づき、飽和点に達した。…また、少子化が先進国の中で最も早く進行したことで、成長が問題解決の決め手にならない領域に真っ先に突入した。
・こうして金融バブル生成の二つの条件を満たした結果、実物経済とはかけ離れた資産価格の高騰、すなわち土地バブルが日本で起きた。←→ 欧米でも長期金利が1980年代初頭にピークに達して、近代資本主義経済における「地理的・物的空間」の拡大による利潤増大はできなくなっていたが、金融バブルを引き起こす条件はまだ整っていなかった。(ex. アメリカは個人貯蓄率が低く、財政や経常収支の赤字に悩まされていた)。
・1990年代後半、国際資本の完全自由化を実現させて、ようやく過少貯蓄の国・アメリカは、(過剰貯蓄の国・日本をはじめとして)世界の貯蓄を利用できるようになった。→ こうしてバブルの条件が整うと、ITバブル、住宅バブルと、アメリカ金融帝国でも立て続けにバブルが引き起こされていくようになった。
○「自由化」の正体
・金融の自由化や貿易の自由化は、グローバリゼーション礼賛者がよく言う「ウィン・ウィン」の関係にあるわけではない。元来、自由貿易からして貿易がお互いに利益をもたらすというのは、ごく限られた条件でしか成立しない(ex. イギリスとインドとの綿花貿易…詳細はP111)
・(ウォーラーステイン『近代世界システムⅣ』より)…「自由貿易は、実際、もう一つの保護主義でしかなかった。つまり、それは、その時点で経済効率に勝っていた国のための保護主義だった」「自由主義は、最弱者と自由に競争でき、抗争の主役ではなく犠牲者であるにすぎないか弱い大衆を搾取できる完璧な力を、最強の者に与えたかったのである」…(※TPPも結局これか…?)→ 金融自由化も、同じ考え方で実施された。…現代の「新自由主義者」たちは、19世紀の自由主義者の後継者なのだから、最弱の貧者は自己責任で住宅を奪われ(ex. サブプライムローン)、最強の富者は公的資金で財産は保護された。
・このように歴史の危機において繰り返し起きる金融バブルを、景気循環の中での一過性のものだと捉えている限り、資本主義の本質を見抜くことはできない。…なぜならバブルとは、資本主義の限界と矛盾とを覆い隠すために、引き起こされるものだから。(※う~ん、この説は初耳で驚きなのだが、経済学界の中ではどうゆう議論になっているのか…?)
・資本主義の限界とは、資本の実物投資の利潤率が低下し、資本の拡大再生産ができなくなってしまうこと(もはや実物経済では稼げない)。→ そのため、土地や証券といった「電子・金融空間」にマネーを注ぎ込み、バブルを引き起こすことで、資本主義が正常運転しているかのような偽装を図る。(※今のアメリカの株高も…?)
・しかしこの偽装は、すぐにバブル崩壊という形で露呈する。→ そして、バブル崩壊の後に待っているのが、賃金の減少や失業。→ それに対処するという名目で国債の増発とゼロ金利政策が行われ、超低金利時代と国家債務膨張の時代へと突入していく。……利潤極大化を最終のゴールとする資本主義は、自らがよって立つ原理(資本の自己増殖)のために、バブル経済化もいとわないことによって、超低金利というさらなる利潤率の低下を招いてしまう。(※う~ん、これが「バブルの正体」か…)
○資本の絶対的優位を目指すグローバリズム
・1991年のバブル崩壊後の日本は、長期停滞と同時にグローバリゼーションの波にも巻き込まれていく。→ 1995年に国際資本の完全移動性が実現すると、資本は国境を越えて、利潤率の極大化を目指すようになった。→ ただでさえバブル崩壊不況に陥っていた日本は、この金融グローバリゼーションに巻き込まれることで、より一層、資本主義の矛盾を露呈させていく。
・つまり、バブル生成とその崩壊も、グローバリゼーションも、もとをただせば1970年代半ば以降のフロンティアの消滅に起因していることだから、日本は先進国グループに先立って、資本主義の最終局面を迎えることになった。→ その顕著な現象は、「利子率革命」によって引き起こされる「景気と所得の分離」。…〔日本では1990年代後半から実質賃金の低下が始まるが、それがバブル崩壊だけによるものならば、景気回復とともに賃金水準も回復していくはず(※今、アベノミクス論者はそう主張…)〕。←→ しかし、現実には2002年~2008年、戦後最長の景気回復があったにもかかわらず、賃金は減少(P77に図)。…そして日本だけでなく、英米でも同様に、景気と所得との分離が確認されている。
・つまり、資本主義の最終局面では、経済成長と賃金との分離は必然的な現象。換言すれば、このままグローバル資本主義を維持しようとすれば、「雇用なき経済成長」(※雇用されても〝非正規〟の低賃金…)という悪夢を見続けなければならない。→ そのことを雄弁に物語るのが、1990年代以降の日本の労働政策…1999年には労働者派遣法が改正され、製造業などを除き派遣対象業務の制限を撤廃(2004年に製造業への派遣も自由化)。
・資本の絶対的優位を目指すグローバリズムにとっては、人件費の変動費化(※〝雇い止め〟の自由)を実現するには、労働市場の規制緩和は不可欠だった。→ (グローバリゼーションに対応して生産拠点を海外に容易に移せるようになった大企業と、企業のようには容易に働く場所を変えられない雇用者の力関係を考えるとわかるように)労働市場の規制緩和は、総人件費抑制の有力な手段として独り歩きするようになった。(※う~ん、「規制緩和」の正体…)
・〔労働市場の規制緩和は本来、労働の多様化の要請に応えて導入されたもの。つまり、柔軟な労働機会を提供する、労働者に便宜をはかるものだったはず〕←→ しかし企業は…利潤低下 → バブル経済に依存 → そのバブルが崩壊 → 企業リストラのために、派遣社員の大量の雇い止めを実施。…どんな立派な法律も、為政者が時代認識をしっかりと持っていないと、その立法趣旨とかけ離れて利用されてしまう。(※昨今の政治家や企業人の、末期的な劣化現象…)
○金融緩和をしてもデフレは脱却できない
・(日本は近代の延命レースでトップを走ったがゆえに、その矛盾を体現)→ 「雇用なき経済成長」でしか資本主義を維持できなくなった現在、経済成長を目的とする経済政策は、危機の濃度をさらに高めることにしか寄与しないだろう。…その格好の事例が今まさに現在進行形で展開しているアベノミクス…。→ 円安(による資源髙)によって物価は確かにプラスに転じたが、肝心の賃金はそれに見合って上昇していない。そして、金融緩和(第一の矢)によるデフレ脱却はできない(詳細はP117~118)。
・貨幣が増加しても、それは金融・資本市場で吸収され、資産バブルの生成を加速させるだけ。→ そしてバブルが崩壊すれば、巨大な信用収縮が起こり、そのしわ寄せが雇用に集中する(賃下げ、リストラ…)のはすでに見た通り。(※アベノミクスの不吉な結末…)
○積極財政政策が賃金を削る理由
・アベノミクスの積極的な財政出動(第二の矢)も無意味であることは、90年代以降の日本が実証している。…1992年以来、歴代政権が切れ目のない総需要対策で200兆円以上もの外生需要(公共投資?)を追加しても、日本経済を内需中心の持続的成長軌道に乗せることはできなかった。…理由は明らかで、すでに経済が需要の飽和点に達していたから。
・2002年~08年の戦後最長の景気拡大期において、実質GDPが年平均2.1%と成長できたのは、アメリカのバブルや新興国の近代化に牽引された外需主導の拡大にすぎない。…当時は一見、日本の「失われた10年」が終わったかのように思われたが、実際には景気は輸出主導で回復しただけで、個人部門(個人消費支出+民間住宅投資)は年率0.6%しか伸びず、戦後の景気回復の中で最も増加率が低かった。
・その後、リーマンショック(2008年)で外需がしぼむと、日本は深刻な不況に陥った。…〔それまでは、米国「世界の〝投資〟銀行」がつくった幻の購買力(※返済不能のローン等)に、日本の大企業・製造業が自動車など高級品を中心に輸出を大幅に増やしたのだ。〕
・さらに、財政出動は「雇用なき経済成長」の元凶にもなってしまう。→ 公共投資を増やす積極財政政策は、過剰設備を維持するために固定資本減耗(設備の維持・補修費)を一層膨らまし → 賃金を圧迫することになるから。…〔2002年~2008年の景気回復期に、製造業の名目GDPは2.7兆円増加…このプラス成長の中身は、①固定資本減耗(設備の維持・補修費)が1.5兆円増(増加の原因は「過剰設備」…かつての過剰な設備投資のせいで、その維持コストが高くついている)。②雇用者報酬は1.5兆円減(!)。③企業利益は2.7兆円増。〕→ つまり、企業利益を2.7兆円増加させた一方で、雇用者報酬(賃金)は1.5兆円も減少したのだ。(詳細は、図も含めてP120~121)…(※こういう報道を日本のマスメディアはしているのか…?)
・なぜこのような分配が行なわれたのか。…その理由は、「戦後最長の景気回復期」に、企業利益を確保し配当を増やさないでいれば、企業経営者は翌年の株主総会でクビになってしまうから。つまり、企業経営者は配当を増やすために雇用者報酬を削減したのだ。→ かつての日本経済の姿と異なり、21世紀の日本では、景気回復は株主のためのものとなり、雇用者のためのものではなくなったのだ。(※昨今の安倍政権と財界との蜜月ぶり…!)
・そして、雇用者報酬の減少のそもそもの原因は、過剰設備の維持のためだったということになる(詳細はP122~123)。→ 現在の日本では、財政出動によって設備投資を拡大させると、その撤退に大きな代償(除去損が発生)を払わざるを得ない。(※震災対策のためという「国土強靭化計画」など、まともなチェックはされているのか…? リニア新幹線はどうなのか…?)
○構造改革や積極財政では近代の危機は乗り越えられない
・以上見たように、量的緩和政策(第1の矢)は実物経済に反映されず、資産価格を上昇させてバブルをもたらすだけ。…一方、公共投資を増やす積極財政政策(第2の矢)は、過剰設備を維持するために固定資本減耗を一層膨らます。→ そしてこの二つの経済政策は、どちらとも雇用の賃金を犠牲にすることになる。…量的緩和のあとバブルが崩壊すれば、企業リストラと称して急激な賃金引き下げや大量失業を招くし、積極財政のあと景気回復すると、(既述のように)固定資本減耗と企業利益を合わせた増加額が、付加価値の増加を上回ってしまい、賃金が抑制されることになるから。
・日本の得意分野である「モノづくり」で実物経済をもう一度立て直せば、という反論 ←→ しかし、それも時代の逆行にすぎない。…グローバリゼーションによって、新興国が成長を追い求めている現在の状況では、先進国が製造業を復活させることはほとんど不可能(※高級ブランド品とかだけ?)→ それを無理やりにでも改革しようとするのが構造改革(第3の矢)と呼ばれるもの。…既存のシステムがうまく機能しなくなると、時の為政者が構造改革を断行したがるのは、いつの時代にも見られること。→ しかし、大構造改革もまた失敗するのが歴史の常…。(※「観光立国」とか言って、苦しまぎれに〝カジノ〟とか言い出している…)
・既存のシステムは、これ以上「膨張」できないために機能不全に陥っている。←→ それにもかかわらず、既存のシステムを強化したところで、新しい「空間」は見つからない。→ 改革者の意に反して、既存のシステムの寿命を縮め、時代の歯車をいっそう早回しすることになる。…我々はもう少し歴史から学ぶべき。→(16世紀のスペイン帝国の事例…P125~126)
・スペインは中世の領土拡大モデルをそのまま強化したあげく、財政破綻に陥った。→ 同様に、現在の先進国は、成長信仰をそのまま強化したあげく、財政危機に陥っている。…成長を信奉する限り、それは近代システムの枠内にとどまっており、近代システムが機能不全に陥っているときに(※資本主義の終焉)、それを強化する成長戦略はどのような構造改革であっても、近代の危機(※歴史の危機)を乗り越えることはできない。
・このような袋小路に陥ってしまうのは、いまだに「成長がすべての怪我を癒す」という近代資本主義の価値観に引きずられているから。→ しかし、成長に期待をかければかけるほど(資本が前進しようとすればするほど)、雇用を犠牲にする(※本末転倒の末期症状…)。
○ケインズの警鐘
・成長を求めるほど危機を呼び寄せてしまう現在、私たちは、近代そのものを見直して、脱成長システム、ポスト近代システムを見据えなければいけない。(高橋伸彰『ケインズはこう言った』)…「金利を下げられない国も、金利が下がっても不平・不満がなくならない国も、どちらも文明が破綻する」…欧州危機以来、ギリシャなどの南欧諸国は、国債金利を下げられない。…国の信用が失われ、大幅に上乗せ(リスク・プレミアム)した金利でないと資金調達ができずに苦しんでいる。←→ 一方で、日米英独仏ら経済大国の国債金利は低下しているが、国内の不平・不満がなくなるどころか、ますます高まっている。
・利子率の低下とは、資本主義の卒業証書のようなもの。→ 従って、金利を下げられない国は、まだ資本主義を卒業できていない状態にあり、金利が下がっても不平・不満がなくならない国は、卒業すべきなのに「卒業したくない」と駄々をこねている状態(※う~ん、ユニークな解釈…)。…近代引きこもり症候群の人たちが、政界や実業界で実権を握って、近代システムの弊害が見えるがゆえに実際に引きこもっている若い人に、なにを内向きな考え方をしているのだと、非難しているのが今の日本。…まさに「倒錯日本」なのだ。(※う~ん、まさに〝逆転の視点〟…)
・低金利(ゼロ金利に近づく)ということは、次のように解釈できるはず。…もともと利子は、神に帰属していた「時間」を人間(※資本家?)が所有することを意味していた。→ その結果、たどり着くゼロ金利というのは、先進国12億人が神になることを意味。…これは、時間に縛られる必要から解放されたということ、「タイム・イズ・マネー」の時代が終焉を迎えるということ。(※雇用者から見れば、強いられた賃労働=時間労働からの解放…? 生命体としては、自然の生態系に見合った時間の回復…? …う~ん、難しすぎる問題なので、今は保留…)
・同様に「知」についても、中世までは神の独占物 → 近代になって、国家と大手マスメディアが「知」(情報)を独占していたが、インターネットやスマートフォンの普及により、先進国の人間は、世界中で何が起きているのかを瞬時に知ることができるようになった。…これもまた、12億人が神になったということ。→ そういう意味では、資本主義とは、神の所有物を人間のものにしていくプロセスであり、それが今、ようやく完成しつつある、というふうに解釈できる。…〔3章、次回に続く〕
(10/22 つづく)
〔まだ3章の途中ですが、枚数が多くなりすぎたので、[前編]はここまでとします。…ここまででも、現在、世界で日々進行している様々な(バラバラな)事象が、一つの視点によって見事に関連づけられ、解き明かされていくという、とてもスリリングな知的興奮を感じさせられました。…次回の『資本主義の終焉と歴史の危機』―[後編]では、私たちがこれから進むべき道(方向性)を探っていく予定です。〕
(2014年10月22日)
2014年10月1日水曜日
『土の学校』 木村秋則 石川拓治
(震災レポート28) 震災レポート・拡張編(8)―[農業論 ⑤]
中島暁夫
ちょっと寄り道のつもりだった「農業論」が、5回目になってしまった。最後はやはり、農業というものの面白さと奥の深さに気づかせてくれた、「奇跡のリンゴ」の木村秋則さんを取り上げたい。今回も、かなりの数にのぼるその著作の中から、何を選ぶか、かなり悩んだのだが、結局、比較的最近出された次の本を取り上げることにしました。(さらに興味のある方は、巻末に参考資料を記したので、そちらも参照されたい。)
『土の学校』 木村秋則 石川拓治
幻冬舎 2013.5.30
〔木村秋則:1949年青森県弘前市生まれ。(株)木村興農社代表。…妻が農薬に弱かったことをきっかけに、無農薬のリンゴ栽培を始める。10年近くにわたる無収穫・無収入の日々を経て、絶対不可能といわれた、農薬も肥料も使わないリンゴ栽培に成功。2006年、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演し、大反響を呼ぶ。半生を描いた『奇跡のリンゴ』(石川拓治著)はベストセラーとなり、映画にもなった。現在は独自の農法「自然栽培」を広めるため、国内外で指導にあたる。〕
〔本書は、木村秋則が話した内容を、ノンフィクションライターの石川拓治がまとめたもの。〕
【はじめに】
・「なはなじょして、諦めね?」(お前はどうして諦めないんだ?)…よく、そう聞かれたものです。…だけど、山ほどあった理由の中で、なんだか怒られそうな気がして、人にはあまり言ってこなかった答えがあります。畑が面白かったのです。
・いや、もちろん畑はひどい有様でした。農薬抜きでリンゴを育ててみようだなんて、バカなことを考えたばっかりに、害虫だの病気だのが蔓延して、私のリンゴ畑は枯れ木の山みたいになっていました。何年もそういうことが続いていました。今でもあの時代のことを思い出すと、気持ちが塞ぎます。けれど、それでも、畑には面白いことがたくさんあったのです。肝心のリンゴはひとつも実っていないのに。
・私は青森県弘前市に住むリンゴ農家です。木村秋則と言います。岩木山の麓の農園で、20代の頃からかれこれ40年リンゴを育ててきました。最初は私も、誰にも負けないくらいたくさんの農薬と肥料を使って、大きなピカピカのリンゴを育てていたのです。ところが無謀にもリンゴの無農薬栽培に挑んだばっかりに、病気と害虫が蔓延し、リンゴの木は秋になる前に葉をほとんど失いました。
・農薬を使わなくなってからの最初の約10年間は、私の畑のリンゴの木は花を咲かせることさえできなくなりました。…リンゴ畑は荒れ果て、家計は火の車、周囲には大変な苦労をかけ続けでした。…その当時、リンゴの無農薬栽培は絶対不可能と言われていました。甘くて大きな現代のリンゴは、農薬や化学肥料を使うことを前提に品種改良されているようなものだからです。
・無農薬リンゴの作り方なんて本は、図書館や書店をどれだけ探してもありませんでした。何もかもが、私には未知の経験でした。毎日のように、畑では不思議なことが起きました。…生まれたばかりの赤ん坊のように、自分を取り囲むすべてのものを、私は夢中で見て、聞いて、匂って、触り続けました。ない知恵を絞って、考え続けました。来る日も来る日も、リンゴの木を、畑の草を、虫を、空を、土を、見つめ続けました。…そうやって農薬を使わずにリンゴを育てる方法を、答えを探し続けるしかありませんでした。
・その間に、自然はたくさんのことを教えてくれました。たとえば、山の草と畑の草はどう違うか。どの草が美味しくて、どの草が不味いか。…季節によって草の味が変わることを知ったのも、リンゴの葉を食べる害虫は平和な優しい顔をしているのに、その害虫を食べてくれる益虫が怪獣みたいに恐い顔をしているのを知ったのも、あの頃のことです。…学校で学んだことの何十倍も、何百倍も大切なことを、私はあの畑で学んだのです。
・月明かりの下、山の土を掘り返したあの夜(※絶望のあまり岩木山中で自殺を試みた夜)が、今思えば大人になった私の2回目の入学式でした。…その土こそが、私の学校でした。その土が、不可能を可能にする方法を教えてくれたのです。土の中では、今このときにも、私たち人間には想像もつかないたくさんの不思議なことが起きているのです。…その秘密を、これからみなさんにお話しするとしましょう。
1.土は何から作られているか?
・自分がいつも踏みしめている土が、どうやってできるか…、それを考えるようになったのは、山の土がふかふかで柔らかいことを知った、あの不思議な夜からでした。…この山の土こそが答えなのだと知って、それから私は毎日のように、土を観察するために、山にかよいました。
・私は周りの木々を見上げました。毎年毎年、この木々が落とした枯れ葉が、森の底に降り積もっていたのです。…森の土は、落ち葉が姿を変えたものでした。いや、落ち葉だけではなく、キノコやカビや、いろんな草もそこに生えていたし、昆虫だのミミズだのも、目に見えないほど小さな微生物も、私が掘っていった枯れ葉の中にも混ざっていたことでしょう。鳥や狸や熊だって、そこで死ねばいつかはこの葉と同じようにバラバラになって、分解されて土へと化していくのです。(※人間もそうだった…)
・枯れ葉の底の土は、ほんとうにふかふかと柔らかくて、ツンと鼻を刺激する、独特のなんとも言えない清々しい匂いがしました。その匂いの元が何かはわからなかったけれど、スーパーの袋にその土を詰めて持ち帰りました。畑の土と匂いを比べてみようと思ったのです。
・比べてみるまでもありませんでした。私の畑の土は、そんな匂いはまったくしなかった。…図書館で調べたら、匂いの元はどうやら放線菌というバクテリアの一種で、森の土作りには欠かせない生き物だということがわかりました。土とは、そこに棲む生きとし生けるものすべての命の営みによって作られているものなのです。(放線菌:カビ様の微生物で、糸状の菌糸が放射状に伸びる細菌)
2.ひと握りの土の中には何匹の微生物がいるか?
・この答えは、正確を期するなら、「わからない」が正しい。①土とひとくちに言っても、場所によって生き物の数がぜんぜん違う、②今までそんなものをきちんと数えた人はいない。…最近読んだ本には、ひとつかみのよく肥えた土には、なんと1000億という単位の細菌が生息していると書いてありました。また別の細菌学者が書いた本によれば、この地球上のすべての細菌の重さを合わせると、全人類の体重の合計の2000倍を超えるのだそう…しかも、その細菌の大半は土の中にいるらしい。
・昔、ある企業の研究所で、当時はまだ珍しかった電子顕微鏡で、土の中に棲んでいる微生物を覗いたことがある(無肥料・無農薬の私の畑は、研究者たちにとっては宝の山らしく、いろんな分野の学者の先生や企業の研究員がよく訪ねてくる。普通の畑にはいるはずのない昆虫、菌類、バクテリアだのが、私の畑では見つかるから)。…そこには、信じられないような世界が広がっていたのです。海底のアンコウのように、他の微生物をおびき寄せて食べる微生物までいました。ジャングルや海の底と同じように、そこにも食うモノと食われるモノの繰り広げる世界があったのです。…その小さな生き物たちにとって、ひと握りの土はまさしく自分たちの生きる世界であり、宇宙であるわけです。
3.土は汚い?
・最近の都会では、一日に一回も土を見ずに暮らすことが普通になったと聞きます。もしも子供が泥だらけになって外から帰ってきたら、たいていのお母さんはこう言うと思います。「まあ、汚い。早く手を洗ってらっしゃい」と。…それにしてもずいぶん変わったなあと思います。…昔は毎日のように泥だらけになって遊んでいました。子供が泥だらけで家に帰るのは当たり前だし、それで怒られたことなんてなかった。農作業をしている親たちだって、似たようなもんでした。…土は、言ってみれば生活の一部でした。土を汚いなんて思ったことは一度もありませんでした。
・その土を、汚いと思うようになった頃から、日本の農業は少しずつ変わっていったような気がします。それと同時に、人間は自然から急速に遠ざかり始めたのだと思います。…土を汚いものだと決めつけて、意識から完全に閉め出すような生活をするのは、何かが間違っています。
・人間という動物は地上に出現してから何十万年という歳月を、その両足で土を踏みながら生きてきたのです。そのことだけは、忘れないでほしいのです。みなさんが毎日食べている、お米や野菜も、その土があって初めて育つことができるのですから。…ところで都会に暮らしているみなさんは、自分の足で土を踏んだのはいつのことか思い出せますか? (※う~ん、思い出せない…)
4.良い土と、悪い土をどうやって見分けるか?
・私は百姓でありながら、それまで(死のうと思って岩木山に登った夜まで)まともに土の匂いをかいだことなんてありませんでした。…そこで私は、山の木々には誰も一滴の農薬もかけていないのに、こんなに青々と茂っていることを、不思議だなと思ったのです。
・不思議だなと思いながら、同時にその答えのヒントも見つけていました。それは、私の足の下の、ふかふかの土です。…もしかしたらこの山の土が答えなんじゃないかと思って、夢中で素手で掘りました。そのときツーンとするいい匂いがしたのです。そこで生まれて初めて、あ、土にも匂いがあるんだと思いました。→ そして、この匂いのする土を作ればいいんだという答えに辿り着いたのです。そのときは、理由も何もわかりませんでした。ただ直感的に、そう思ったのです。
5.肥やしは完成すると臭くなくなる
・私が子供の頃、実家には馬がいました。馬を飼うと、大量の汚れた敷き藁が出ます。その敷き藁で堆肥を作りました。親父たちは堆肥ではなく、肥やしと言っていましたけれど。土を肥沃にしてくれるから、肥やしです。…庭の隅に堆肥場を作って敷き藁を積み、残飯や台所から出る野菜の屑なんかもみんなそこに捨てていました。そうやっていろんなものを混ぜ込んで、肥やしにするわけです。
・もっとも藁や野菜屑を、ただ積み上げておけばいいというわけではなく、切り返しをしていました。堆肥の山を掘り返して、堆肥の山の底の方まで空気を送り込む作業です。これを怠ると、良い堆肥ができません。…横でその作業を眺めていると、堆肥からもうもうと湯気が出ていました。堆肥に触ってみると、びっくりするほど熱くなっていました。熱など加えてもいないのに、どうして堆肥はこんなに熱くなるのだろう。
・大人になって知ったことですが、堆肥が熱くなるのは、微生物が藁や野菜屑などの有機物を分解するときに発生する熱のせいです。温度は60度以上にもなりますから、これはかなり熱い。…この微生物の熱を利用して、まだ寒い春先の時期に野菜の苗を作る技術が、すでに江戸時代には完成されていたそうです。落ち葉や藁、米ぬかなどを配合し、畑に掘った穴の中で、その熱を利用して苗を育てていたと聞きました。
・有機物を分解するとき、この微生物たちは大量の酸素を使います(空気を好むということで好気性菌と呼ばれる)。そのため堆肥を積み上げたままにしておくと酸素が欠乏し、今度は酸素を必要としない嫌気性菌が増えてしまいます。そうなると堆肥が悪臭を発するようになって堆肥作りは失敗です。そうならないように、切り返しをして酸素を堆肥の中に送り込むわけです(親父たちはそうした理屈は、まったく知らなかったでしょうが)。
・完全に分解が進んだ堆肥は、あまり臭わなくなります。普通なら臭いものは放っておけばどんどん腐敗し、より臭くなっていくわけです。ところが堆肥は最初はすごく臭いのに、時間が経つと臭いが薄くなっていく。子供の私には、それも不思議でなりませんでした。
6.雑草が邪魔者になったのはなぜか?
・あの時代までの馬は、田や畑を耕したり、荷物を運んだりするのに必要な、今で言えばある種の農業機械でした(もちろん人間と同じ生き物であり、多くの農家にとっては家族のような存在でもありましたが)。…馬の餌は、田んぼの畔に生えている草でした。従って、馬に餌やりすること(私たち子供の仕事だった)は、同時に畔の草刈りをすることでもありました。
・馬を使っていた時代は、田植えのひとつとってみても、たくさんの人手が必要でした。→ それが今では、かなり広大な田んぼでも、下手したら一人で田植えが終わってしまう。…それもこれも、農耕機械のおかげです。もっと言えば、それで農村地帯では私のような次男坊、三男坊の労働力が余って、その労働力が都会へ流れて、現代の日本の社会を支えるようになったわけです。そういう意味では、農耕機械の発達が日本を繁栄させたと言ってもいいでしょう(※木村さん自身も高校卒業後、集団就職で川崎の日立系の子会社で1年半ほど働く)。
・農耕機械が普及し始めると、全国の農家から馬がどんどん姿を消していきました。私の家から馬がいなくなって、耕耘機が入ってきたのは、小学校の高学年くらいだったと思います(耕耘機が面白くて、兄と一緒によく悪戯もしていた)。馬がいなくなったことよりも、耕耘機が来たことの方が、子供の私には強く印象に残ったのでした(※木村さんの機械いじり好きは、半端じゃないよう…)。…そしてこの頃から、田んぼの畦道に除草剤をまくようになったと記憶しています。草を刈って馬の餌にする必要がなくなったからです。→ 草がただの邪魔者になったのです。
7.リンゴの木の守り神とは?
・土の中だけでなく、植物の中にも菌類などの微生物がたくさん棲んでいると教えてくれたのは、弘前大学農学生命科学部の杉山修一教授です。…無農薬・無肥料で、どうして木村の畑のリンゴは育つのか…最初はそれが不思議で、私の畑を見に来たそう。→ そのときからのもう20年近いつきあいで、今や私のリンゴ畑は、畑であると同時に杉山先生の野外研究室になっています。
・私は、肥料も農薬も使わないこの栽培法を「自然栽培」と名づけ、今では求めに応じて全国のあちこちの農家の方に指導しています。私の栽培法では、食酢(ごく弱い殺菌作用あり)を水で200倍とか300倍に薄めたものをリンゴの木に散布します(薄めないとリンゴの葉が酢の酸に負けてしまう)。→ (普通の農園のリンゴの木にかけても、ほとんど効果はないだろうが)雑草を生やし、土を育て、自然の生態系を復活させた私の畑のリンゴの木は、普通の畑のリンゴの木とは比べものにならないくらい長く丈夫な根を張っています。少しくらいの病気なら自分で治してしまうある種の自然治癒力を備えています。だから、ごく薄い食酢でもタイミングよく散布すれば、病気を防げるのです。
・けれど、それがなかなか信じてもらえませんでした(食酢を散布するくらいで、リンゴが育つはずがない…)。その頃は杉山先生のように、実際に私の畑を調べてみようという科学者は少数派だった。→ 杉山先生は、私の畑の微生物に注目しました。そして私の畑に通っては、あっちこっちからいろんなものを採取して研究を始めたのです。…おかげで私の畑の土壌やリンゴの木には、他の普通の畑よりも遥かにたくさんの微生物が棲んでいるらしいことが分かってきました。その研究は今も継続中です。〔※杉山教授の専門家としての見解は、『リンゴの絆』(巻末参考資料④)P105~114 及び『木村秋則と自然栽培の世界』(同⑤)P56~63 参照〕
8.土の温度を測るわけ
・山の土と私の畑の土がどう違うのか…ツンと鼻を刺激する匂いと、もう一つの違いは温度でした。→ 山の土は掘っても掘っても温かいのに、畑の土は掘っていくと温度が急激に下がってしまう……10センチ掘っただけで6~8度も温度が下がった畑もありました。どうして温度がこんなに違うのか。不思議だなあと思いました。
・山の土が温かいのは、おそらく微生物の働きです。そこに微生物がたくさんいて活発に活動(落ち葉や枯草などの有機物を分解)しているから温かい。←→ 畑の土の温度が低いのは、その反対に微生物の活動が鈍っているせいじゃないか。→ その後、図書館に籠もって本を調べたり、杉山先生のような人に話を聞いたりして、まさにその通りだと確信するようになりました。
・人間のお腹の中に膨大な量の腸内細菌がいたり、植物の中に内生菌(病気を起こさずに植物の体内に棲んでいる微生物)が生息していたりするように、土の中にもたくさんの微生物が存在し働いているのです。…そういう意味では、土も生きているのだと私は思います。土の温度を測るのは、土の命を確かめるためなのです。
9.山のタンポポはなぜ大きい?
・私のリンゴ畑では、ほとんど草刈りをしません。雑草は生やしたままにする。それが私の栽培法の特徴です。どうして、そんなことをするのか。
・土を調べるために毎日のように畑と山を往復していたら、山のタンポポの方が、私の畑のタンポポよりもずっと大きいことに気がつきました。→ ふと思いついて、その根っ子を引き抜いて比べてみると、山のタンポポの根っ子は太く、長く、そしてひげ根もたくさん張っていました(私の畑のタンポポの根っ子はかわいそうなくらい貧弱でした)。
・その頃はまだ私は自分の畑に、鶏糞から作った堆肥をたっぷりと与えていました(弱ったリンゴの木になんとか養分を送りたかったから)。…肥料をたっぷり与えた私の畑のタンポポは貧弱で、肥料なんて誰も与えていない山のタンポポはこんなにも立派に育っている…。→ 肥料はあげない方がいいんじゃないかなと、そのとき思いました。肥料を施すことよりも、私の畑の土で、微生物が活発に働けるようにしてやらねばいけません。しかし、いったいどうやって。
・雑草です。…山奥のその場所も、草が生え放題に生えていました。←→ 私は畑を、高校球児の頭のように、いつだって綺麗に刈り込んでいました。草は畑の作物の競争者だとばかり思っていたけれど、そうではなく、一緒に生きる仲間だと考えるべきだったのです。→ こうして私は、新しい栽培方針を決めました。肥料はやらない。草も刈らない。
・それは考えてみれば、無農薬栽培を試すきっかけになった、福岡正信さんの本にも書いてあったことです(自然農法の提唱者である福岡さんについては、後の頁でもう一度触れる)。…あの最初のときに、福岡さんの本から私がしっかり受け取ることができたのは、今思えば農薬を施さなくても作物は育つのだというメッセージだけだった。…農業の常識が私の心と体に染み込んでいて、そんなに簡単に覆せるものではなかったのです。
・断崖絶壁に追い詰められて、死ぬ覚悟までして、やっと答えが見え始めたときに、山のタンポポと畑のタンポポの違いに気づいて、そこでようやく私は目が覚めたのです。→ 明日から、私の畑にも草を生やそう。肥料を与えるのはもうやめよう。そう心に決めました。…「この畑のタンポポが、山のタンポポと変わらないくらい大きく育つようになったら、きっとリンゴの花も咲くよ」、そう妻に言ったことを憶えています。
10.山の土は肥えていない?
・山の土で作物を育てればいいんじゃないか…。ところが実際に試してみると(稲やリンゴなど)、思ったほど上手くいきませんでした。→ この実験でわかったのは、山の土なら何でもいいわけではないということ。…リンゴの苗木が枯れたのは、その山奥の土が、私の植えたリンゴの苗木を受け入れなかったということなのでしょう。
・山の土の中には、膨大な量の微生物が生きています。けれど、それは肥料をたくさん施したいわゆる〝栄養たっぷり〟の土とは違う。→ 農業の教科書に出てくる肥料の三要素、窒素・リン酸・カリウムの量を実際に調べてみると、山の土には必ずしもすべての養分が、必要なだけ含まれているわけではなかった。今の私の畑も、窒素量は普通の畑よりも多いくらいだけれど、リン酸は不足している(教科書的な肥料分の意味で言うなら、山の土も、今の私の畑の土も、それほど肥えていないことになる)。←→ にもかかわらず、山の土はたくさんの木々を育て、私の畑のリンゴの木も、毎年驚くくらいたくさんの実りを与えてくれる。これはいったいどうしたことでしょう。
11.植物の成長に肥料は必要か?
・私は小学生の頃、理科の授業で、植物が成長するためには光と肥料が必要だと習ったが、この表現は少しおかしい気がする。→ 人が栽培する作物ならともかく、自然の植物は(肥料もなしに)何億年も昔から生き続けているのだから。
・また、植物が成長するのに必要とされる物質は他にも何種類もあるが、中でも窒素・リン酸・カリウムは植物が使う量も多く、肥料の三要素ということになっている。この三要素のどれ一つでも不足すれば、植物の成長に支障をきたすとされている。……私も長年そう信じていました。だから、農薬の散布をやめてからも、堆肥を畑に施していました。←→ 自然の草木が、肥料なんてひと握りも施されなくても、あんなに元気そうに生い茂っているにもかかわらず、です。…そのことを、ただの一度も不思議とは思わなかったことが、今では不思議でなりません。
〔※前回の新留氏によれば、「窒素・リン酸・カリ」という農業界の呪文は、石油由来の窒素肥料の弊害(虚弱体質のような作物)を減らすために、どうしてもカリウムが必要だったから(見た目だけがっしりした体格になる)。つまり化学肥料時代の〝常識〟でしかない。→ ちなみに植物を育てる栄養のうち、水・二酸化炭素・酸素が93%で、窒素は3%、リンは1%、カリウムは0.3% 。〕
12.土は人間の命をはぐくむ母体
・土は人間の食を生産する母体です。…その土の豊かさは肥料分ではなく、そこで活動している微生物と、植物の関係で決まるのではないか。→ そう考えれば、私の畑のリンゴの木は元気に育っているのに、山に植えたリンゴが枯れた理由も(山の土で作った苗床で、苗が上手く育たなかった理由も)わかります。
・植物にとって土中の微生物は、私たち人間にとっての腸内細菌のようなものではないか。…腸内細菌は何百種類もあるが、どういう細菌がどれくらいいるかは、同じ人間でも大きく違う。→ ex. 海藻の繊維質を消化できる腸内細菌を、日本人の多くは持っているが、欧米人はほとんど持っていないと聞いた。…肥満になりやすい体質の人は、ある種の腸内細菌が少ないことも、最近の研究でわかったそう。→ 同じ人間でもそうなのだから、たとえば人間の腸内細菌と、コアラの腸内細菌をそっくり入れ替えたら、おそらくコアラは死んでしまう(ユーカリの葉には毒があって、普通の動物は食べない。コアラはユーカリの葉を、腸内細菌の力で発酵させ、毒を分解し、消化している)。⇒ 山にリンゴの苗木を植えたのは、おそらくそれに類する行為だったのではないか。(※植物と土中細菌とのミスマッチ…)
・土の中の微生物と、上手く共生することができて初めて、植物はそこで生きていくことを許される。そしていったんその土地に受入れられれば、土中のバクテリアは植物が生きていくのに欠かせない栄養を与えてくれさえする。…つまり、土中細菌には、その土に欠けている養分を補って、植物の成長を助ける働きがあるのではないか。そして植物の側はお返しに、光合成で作った炭水化物を土中細菌に与える(※これは前回勉強した)。
・豆類の根につく菌根菌(※根粒菌?)は、空気中の窒素を植物が利用しやすい形に換えてため込む。土中からリン酸を集めて、植物に送る菌根菌(アーバスキュラー)もいる。この菌は、さらに植物を乾燥に強くしたり、耐病性を高める働きもするそう。→ そういう土壌細菌の存在を忘れて、単純に土壌を分析し、この土地は窒素分が多いとか、リン酸分が少ないとか言っても、あまり意味がないのではないか。(※重要なのは、植物と土壌細菌との共生関係…)
・土は生きているのです。それは、無数の微生物の生命活動が織りなすひとつの生態系なのです。そういう土の持つ力は、そこに含まれている養分を分析するだけでは、とても理解しきれるものではありません。〔※現代農業は、これらの微生物を殺菌(土壌消毒)してしまう…〕
13.畑の草は7回変わった
・草刈りを一切やめた私のリンゴ畑は、瞬く間にジャングルのようになり、一時は草が私の肩の高さまで伸びてしまいました。→ 季節にもよりますが、現在の私の畑は、昔のように雑草がはびこっているわけではありません。今では年に2~3回は草を刈っているということもありますが、何よりも畑に生える草の様子が、リンゴの花が初めて咲いた頃とは、完全に別物になってしまったから。…特に草刈りをやめた最初の頃は、毎年劇的に大きく変わっていきました。去年生えていた草と、今年は生えている草が、まったく違うというようなことが何年も続いたのです。少なくとも7回、草たちの姿が大きく変わりました。
・今でも少しずつ畑に生える草の様子は変化し続けていますが、あの頃のようなドラマティックな変化はありません。さすがに他の普通の畑に比べれば、草の種類と量は多いけれど、もはやジャングルではありません。→ 草たちがこれだけ変わったからには、土中細菌の様相も大きく変わったに違いありません。
14.なぜ大豆を植えるのか
・草刈りをやめてから最初の5年間はリンゴ畑に大豆を播きました。雑草のかわりにしようと思ったのと、大豆の根っ子につく根粒菌が土に養分を供給してくれる効果を狙ったのです。
・どこからかたくさんやってくる鳩に食べられながらも、毎年大豆を播き続けました。弱っていたリンゴの木が、少しずつ元気になっていったからです。→ リンゴが元気になるのと反対に、大豆の根につく根粒菌の粒が減っていきました。5年目に大豆の根を引き抜いてみると、根粒がほとんどついていなかった。
・このときの経験から、私の自然栽培では畑に大豆を植えるようにしています(P60に図あり)。植物の必要とする窒素分を補給するためです。…窒素そのものは空気中に含まれているが、普通の植物はそのままの形では利用することができない。→ 大豆の根に共生する根粒菌は、その大気中の窒素を植物の利用しやすい化合物(※アンモニア)に変えることができる。…この働きを利用して、土壌に植物の使える窒素分を供給する。(※このメカニズムは前回にも記述…)
・ただし大豆を植えるのは、慣行農法から自然栽培に移行したばかりの最初の何年間かだけです。…私の場合は、5年目に播いた大豆の根っ子に根粒菌の粒がほとんどついていなかったので、窒素がもう土中に行き渡ったサインだと解釈して、それ以降は大豆を播くのをやめました。
・前にも書いたように、土中細菌には足りないものを補う働きがあるんじゃないか。…土の環境が整うと、大豆の根粒菌に頼らなくても、元々そこにいる放線菌などの働きで、必要な窒素が供給されるようになるのではないか。→ 自然の生態系は、そうやって保たれているのではないか。…土にそういう働きがあるから、自然の野山の草木は、誰もひと握りの肥料も施していないのに、元気よく育っているんじゃないのか。→ 人間が生まれる遥か以前から、そうやって植物は微生物と共生しながら、この地球上で繁栄してきたんじゃないでしょうか。
・そういう意味では、自然栽培に移行するときに大豆を播くのは、人間が肥料や農薬によって破壊してしまった土の中の環境を正常に戻すための、緊急手段みたいなもの。→ いったん土の中の微生物たちが正常に働き始めたら、もう大豆を播く必要はないのです。
・あれから20年近く経ちましたが、その後は一度も大豆を播いていません。→ 今私が自然栽培を指導するときは、3年経ったらもう大豆を播くのはやめようと言っています。畑で3年大豆を育てれば、その土には作物たちが健康に育つのに充分なだけの窒素が供給されることがわかってきたから。…これが自然の素晴らしいところです。土中の窒素分が少なければ窒素を補うし、充分になればやめる。自然は無駄なことをしないのです。
・畑には何も施していないのに、私の畑の土に含まれる窒素量は、肥料を施している普通の畑と変わりません。…毎年、リンゴを収穫しているわけだから、従来の農学からすれば、その分の窒素を外から補わない限り、窒素量は減ってしまうはずです。←→ けれど、減っていない。その証拠に、毎年ちゃんとリンゴはなっているし、土の成分を調べてみても、窒素は足りている。→ なぜ足りているのか。それが土の中のバクテリアの働きなのです。
・窒素分が足りなければ、窒素固定をする細菌が優勢になるとか、リン酸が不足すれば、土中からリン酸を集めてくるアーバスキュラー菌根菌が活発になるとか、そういうことが起きる仕組みが、土には備わっているんじゃないのかなと、私は思うのです。
15.目に見えないものを見る方法
・温度計をいつも持ち歩き、いろんな場所で土を掘り、温度を測るようになってわかったことは、土とひとくちに言っても、場所によって性質がかなり違うということでした。…土に含まれる水分量、日当たり、硬い土、柔らかい土…それから、そういう目に見える性質だけでなく、人間の目には見えない性質の違いがあるということに気づいたのです。
・それは、その土の中に生きているバクテリアをはじめとする微生物の違いです。→ そんな目に見えない生き物の違いを見る方法……土を掘って温度を測るのも、その方法の一つだが、もっと簡単かつ明瞭に、土の中の微生物の姿を見せてくれるものは、草です。
・どこにどんな草が生えているか、よく観察すると、同じような条件の場所には、同じような草が生えている。…ex. 水の流れるU字溝のそばには、葉の細いイネに近い仲間の雑草がたくさん生えている。湿気を好む草たちです。…いつも乾いている運動場には、また別の種類の雑草が生えている。
・それぞれの草には、それぞれの好き嫌い(得意不得意)が当然ある。そしてもちろん土中の微生物にも得意不得意がある。…湿気の多い場所を好むバクテリアもいれば、乾燥した土地に勢力を伸ばすバクテリアもいる。→ そしてそれらの微生物と植物は、あるときは協力し合い、あるときはお互いに排除し合ったりしながら生きている。これを共生関係と言います。
・つまり、そこに生えている草の違いは、そこに生息している土中細菌の違いでもあるのです。→ 草はその存在によって、目には見えない土中細菌の姿を私たちに教えてくれているのかもしれません。
16.土の違いを見極める
・基本的に土の違いを考えないのが、現代の科学であり農業。…この土はどんな性質があって、どんな微生物が多いとか考えずに、種を播くわけです。→ それでもやってこられたのは、化学肥料と農薬があったから。
・水はけの悪い場所には、湿気を好む雑草が生える。そこに棲んでいる土中細菌は、乾いた場所の土中細菌とはまた違っているはずです。→ そんな場所に、乾燥を好む野菜を植えたら、生育が悪いのは当たり前だし、病気にもかかりやすくなる。…それで農薬や肥料を使わざるを得なくなる。
・土の個性をよく見極めて、その土地に合った作物を植えれば、少なくとも農薬や肥料の使用量を今よりも減らせることは間違いない。→ 農薬や肥料の使用量を減らせば、環境への負荷も低くできるし、何よりも支出を減らせる。
・土の性格は、その場所によってみんな違う。→ 違いを見極めることが、賢い農業の出発点だと思う。…もっともそんなことは、昔の百姓なら当たり前のことだった。どこにどんな作物を植えるかで、収穫が大きく違ってしまうから。←→ 農薬や化学肥料が広まってからは、そんなことを考える必要がなくなった。…百姓と土との長年にわたるつきあいに、ひびを入れたのが農薬や化学肥料ではないかと思うのです。(※農業の工業化…、マニュアル農業…)
17.虫の気持ちを読む方法
・そうは言っても、私は農薬や肥料を否定するつもりはありません。農家に生まれた人間として、自分の親たちが農薬や化学肥料にどれほど助けられたかを身に染みて知っているから。…私が小学生だった頃、日本の人口の約30%は農家だった。→ それが現在は2% にまで減ってしまった。人の命をつなぐ食の生産を、全人口のたった2%が支えている。98%は食べるだけです(※国内に限定した見方だが…)。しかも、農業人口の6割以上が、今や65歳以上です。→ 農業に携わる人間がこんなにも減り、おまけに高齢化している。それなのに、私たちはいつでも国産の米を食べ、国産の野菜や肉を買うことができる。…それもこれも農薬や化学肥料、農業機械の進歩があったからでしょう。〔※う~ん、これはあくまでリアルな過程のレベルの話ではないか。→ 問題は、このリアルとこれからの〝未来性〟という課題との兼ね合い、せめぎ合い(折り合い)、と思われる。…このことは、原発問題にも重なる課題だろう…〕
・昔は田植えともなれば(手伝いの人も交えて)ちょっとしたお祭りみたいに賑やかだったが、今では広大な面積を老夫婦2人で田植えしてしまう。田の草取りは今の若い人にはとても考えられないような重労働だったが、除草剤がその苦労もまるで魔術のように消し去ってくれたのです。…何よりもこの私自身が、かつては表彰されるくらいたくさんの農薬や化学肥料を使っていた。…あのとき、誰かに農薬と肥料の使用をやめなさいと命じられたら、きっと私は怒ったでしょう。
・農業に限らず仕事というものは、自分の信念と責任においてなすべきもので、他人に後ろから背中を押されながら、いい仕事をすることなんて絶対にできません(※う~ん、今やほとんどの仕事は、他律的な〝不本意な労働〟になっている…?)。ましてや私の提唱する自然栽培は、中途半端な気持ちで取り組めるものではありません。→ 農薬や肥料を使わない分だけ、人間がやらなければならないことはむしろ増える(ex. 虫が大発生したら自分の手で取るしかない)。…そのかわり、何年もそういうことを続けたおかげで、私は虫の気持ちがかなり読めるようになった(ex.こういう天候なら、いつ頃、どこに卵を産むだろうとか、かなりの精度でわかる)。→ おかげで年月が経つにつれ、虫取り作業にかかる時間が減りました。ただ、そこまでになるには、ここには書ききれないほどの苦労を重ねました。…自分が始めたことだからこそできた、心からやりたいという気持ちが必要な、覚悟のいる農業なのです。(※う~ん、自然栽培は、かなりハードルが高い…)
・私の場合は、リンゴの無農薬栽培に成功するまで約10年間(その間ほとんど無収入)かかったが、今だって、それまで農薬や肥料を使っていたリンゴ畑で、無農薬のリンゴを実らせるのは最低でも7年の歳月がかかります(※今でも7年もかかるのか…)。そんなことを、どうして他人に勧めることができるでしょう。
・もちろん、自分からやりたいと志願してくる方には、いくらでもその方法をお教えします。できる限りの応援もします(※このオープンなところも、木村さんの人柄であり、すごいところか…)。…ただしリンゴの場合は、本気で取り組む気があるかを、確認することにしています。7年もの間、無収入に耐えられるか(それだけの経済的な裏づけがあるか)…その人はいいかもしれないけれど、私のように家族を路頭に迷わせかねない可能性もあるから。
18.なぜ野菜より果樹の無農薬栽培は難しいのですか?
・無農薬にすれば、多かれ少なかれ病気や虫の被害が出るが、果樹の場合は今年受けたダメージが、翌年に持ち越される可能性が極めて高いから。…そのダメージが毎年蓄積して樹勢を弱らせ、枯死してしまうようなことも当然起こり得る。→ 果樹で無農薬栽培を試みる場合は、そういうことをすべてシミュレーションして、大丈夫だと確信してから始めるべき。
・そして大切なのは、全部を一度に無農薬にするのではなく、一部から始めて、上手くいったら少しずつ全体に広げていく、ということ。(それで私が地獄のような苦しみを味わったからこそ、慎重にやっていただきたい…)
・でも今は、(そうした試行錯誤のおかげで)どうすればいいかがわかっています。無理をして、何年も無収入の生活に苦しむ必要はない。リンゴだけでなく他の果物でも同じことです。
・今まで日本各地の果樹農家の方に相談を受けて、様々な果物の自然栽培のお手伝いをしてきました。…桃、ブドウ、梨、シュガープルーン、ネクタリン、でこぽん、温州ミカン、甘夏、晩白柚(ばんぺいゆ)、柿、アップルマンゴーにイエローマンゴー、オリーブ…、とにかく私が試した中に、無農薬栽培ができなかった果物はありません(※すごい!)。ただしバナナだけはお断りしました。あまりにも私の知っている果樹とは勝手が違うので、自信がなかったから。
・あくまでもその経験の範囲内ですが、数ある果物の中でも、この日本で作るのがいちばん難しいのは、やはりリンゴだというのが私の結論です。なにしろ今のところ、無農薬に切り替えてから、とりあえずリンゴが収穫できるようになるまでに7年はかかるのだから。(※ということは、他の果物はそんなにかからない…)
19.自然にまかせきりではない農業
・私がリンゴの無農薬栽培に取り組むことになったのは、福岡正信さんの著書を読んだことがきっかけです。福岡さんは、作物を育てるために「何をしなければならないか」ではなく、「何をしなくてもいいか」と考え抜いて、独自の農法を提唱されました。人為(人の行為)をできるだけ排除した、いわゆる自然農法の提唱者の一人です。
・福岡さんの提唱された不耕起、無農薬、無肥料、無除草という考え方が、私の栽培法の出発点になっているだけでなく、リンゴの栽培が上手くいかず、自信を失いかけたとき、福岡さんの本を繰り返し読んで、どれほど勇気をいただいたか…(福岡さんの存在がもしなかったら、あの絶望と戦い続けた10年間を乗りきれたかどうか自信がありません)。
・けれど、私の自然栽培(私が考えた言葉)と福岡さんの自然農法は、(共に自然という言葉を使っているが)ある意味では決定的に違うものです。…私の栽培法は、「何をしなくてもいいか」という考え方には基づいていません。自分なりの栽培法を見つけていく間に、私と福岡さんでは、目的が違うことに気づいたのです。
・(これは私見ですが)福岡さんは、私からすれば哲学者に近い。…科学とは何か、人間とは何か、というような哲学的な問題がまず先にあって、それを考えるために農業という問題に取り組んでいるのではないか。…つまり真理を追究するための、ある意味での道具としての農業です。
・けれど、私はあくまで百姓です。作物を育てて生計を立て、家族を養うことができて初めて百姓だと言える。…身も蓋もないことを言えば、それで家族を食べさせていかなければ、無農薬・無肥料でどんなに素晴らしいリンゴができても意味がない。→ それに家族を養えるだけの収入が得られなければ、この栽培法が世の中に広まるとはとても思えない。…だから自然栽培では、「何もしない」なんてことはありません。
20.病気が広がらない不思議
・健康な植物には、自分の力で病気を治してしまう、ある種の免疫力(※自己治癒力)があるらしいことがわかってきています。…ex. リンゴの木の斑点落葉病(葉に茶色の斑点のような病巣ができ、放置すると、普通はその斑点がどんどん広がって、落葉してしまう。一枚の葉から、周囲の葉に広がっていく恐ろしい病気)…農薬の使用をやめた私の畑のリンゴの木たちは、かつてこの病気にさんざん苦しめられた。→ ところが今の私の畑では、一枚のリンゴの葉にこの病気が出ても、不思議なことにそれ以上は広まらない。葉のその部分だけが乾燥し、病巣ごと落ちてしまうから。まるでリンゴの木が、病気におかされた部分だけを切り取って落としているように見えました。(P81に図有り)
・その後、杉山先生が行った確認の実験(300ヵ所で人工的な病巣を作った)によれば、私の畑のリンゴの葉はほぼすべて、病気におかされた患部だけが枯れて落ちた。←→ けれど、普通のリンゴの葉では、ただ病気が広がっていくだけで、そういう現象は起きなかったのです。
21.おとなしい病原菌
・私が農薬の使用をやめた直後、リンゴ畑で猛威をふるったもう一つの病気に、黒星病があります(黒っぽいススのようなカビが、リンゴの葉や実の表面につく厄介な病気…P83に図)。→ ところが現在の私の畑では、流行のさなかでも斑点落葉病と同じように、この病気におかされた葉はちらほらあっても、それ以上には広がっていかない。
・その理由も、科学的にはまだ充分には解明されていないが、想像はつきます。→ 病気が広がらないのは、おそらく他の細菌や菌類などの微生物に邪魔されて、大繁殖ができない。…農薬を使わなくなって30年、私のリンゴの木にはたくさんの微生物が生息しています。その微生物たちの作り出している生態系が、斑点落葉病や黒星病の原因となる菌類の増殖を阻害している。
・日和見感染(人間の体の中にいて、いつもは何の悪さもしない細菌が、免疫力が下がったときなどに急に増殖して病気を引き起こす現象)…私の畑の斑点落葉病や黒星病には、それと反対のことが起きたのでしょう。→ つまり、リンゴの内生菌が活発に働くようになったおかげで、今まで悪さばかりしていた病原菌が、おとなしい常在菌のようになってしまった。…それが自然なリンゴの木の姿なのだと私は思っています。(※う~ん、説得力あり…)
22.生態系農家
・福岡正信さんは、自然にまかせて人間はできるだけ何もしないことを理想としました。←→ 私の栽培法では、むしろ人間はできる限りのことをして積極的に自然に関わります。→ 私の目指すのは、農薬や肥料のかわりに、自然の生態系を利用する農業、あるいは畑に自然の生態系の働きを組み込む、と言った方がより正確かもしれません。…微生物たちの働きを上手に利用すれば、農薬の助けを借りなくても病気の蔓延を防ぐことができる。
・ただし、ここで大事なのは、微生物たちの働きを、我々が上手に利用するということ。→ 私たち人間が何もせずに自然にまかせておいたら、じきに畑は畑でなくなってしまう(リンゴはおそらく枯れる)。…なぜなら、あの岩木山山麓に、人間の都合で、私たちはリンゴの木を植えたのです。自然がリンゴの木を選択したわけではなく、人間の都合を岩木山の麓の自然に、言うなれば押しつけた。…何かを押しつけられたら、誰だって嫌がります。病気や害虫は自然の気持ちの表れなのだと思います(※う~ん、この擬人化的表現はちょっと違和感が…。事実的には、植えた植物とそこの土中微生物とのミスマッチ、ということ…?)。
・今まではそれ(病気や害虫)を農薬と化学肥料で押さえ込んできました。→ 農薬や化学肥料にまかせきりにしたその役割を、人間の手に取り戻すこと。それも自然を押さえ込むのではなく、調和させることによって。…生態系の持っているバランス能力(※動的平衡?)を、人間が野菜や果物作りに生かすのです。
・人間が、自然の生態系とリンゴの木の間に入って、リンゴの木がそこの生態系の中で調和して生きていけるように仲立ちとなる。→ 人間と自然が共存していくシステムを作る。…それが私たち百姓の役割であり、これからの畑とはそういうものであるべきだと私は思っています。(※確かに「工業化」よりも、生態系を活かす方が〝未来性〟があるような気がする…)
〔※ちなみに、中沢新一氏の「脱原発」の根拠の一つも、原子力発電が、地球の生態圏の外部(太陽圏)に属する物質現象(核分裂反応)からエネルギーを取り出そうとする技術であり、なおかつ、この「太陽圏」の物質現象が地球の生態圏に及ぼしたものの影響(放射能汚染や放射性廃棄物の処理など)を、長い時間をかけてでも癒していく能力(科学技術)を、私たちの生態圏(人類)はもっていない(自然消滅を待つしかない…ex.「除染」も移染でしかない)、ということ。→ 詳細は、「震災レポート」⑨⑩参照。〕
23.自然は怠け者?
・私の農法では農薬だけでなく、化学肥料も有機肥料も使いません。それは、自然が基本的には怠け者だから。格好よく言えば、自然は無駄なことはしない。
・大豆の根に共生して窒素同化(窒素固定)をする根粒菌の粒は、大豆を初めて植えてから5年も経つと、ほとんどなくなってしまう。つまり、土の中に充分な窒素が供給されると、根粒菌は活動しなくなる。
・それと同じことで、①肥料を施すと、たとえば窒素とかリン酸とかを植物に供給する働きをする土中細菌が、どうやら働くのをやめてしまうらしい。…「あなたがもし宝くじに当たったら、明日会社へ行きますか?」…土壌細菌も同じようなものだと私は思います。…土中に窒素が充分に存在していれば、窒素同化(※空気中の窒素を取り入れて窒素化合物を作る)をする菌根菌は働かなくなる。眠っているのか、あるいはその場に必要とされない微生物は、さっさと淘汰される(追い出される)のかもしれない。…もちろんこれらは、私自身の観察に基づいて私が立てた仮説みたいなものですが…。
・〝怠け者〟なのは土壌細菌も、リンゴの根も同じです。→ ②(私が肥料を使わないもう一つの理由は)肥料を施すと根っ子があまり伸びなくなる。…リンゴの木にしてみれば、必要な養分が肥料によって得られるなら、苦労してわざわざ根を長く伸ばす必要はないでしょう。
・作物の出来を良くするには、まず根を育てなければならない。そのためにも、私は肥料を施しません。→ そのせいか私の畑のリンゴの木は、測ってみたら20m以上も根を伸ばしていました。普通の畑のリンゴの根の何倍もの長さです。…このリンゴの木は少ない養分を求めて、人知れず頑張ってこんなに根を伸ばしたのだなと思ったら、ちょっと涙が出ました。
〔※この項のまとめ:①肥料を施すと(過保護になって)、(植物と共生している)土中細菌が働くのをやめてしまう(怠ける)らしい。②根っ子も(怠けて)あまり伸びなくなる…〕
24.虫の顔はどんな顔?
・人間には、物事を善か悪かのどちらかに分けたがる傾向があるよう。…正義の味方か悪の手先か、益虫か害虫か、善玉菌か悪玉菌か…。→ その方が世の中を理解しやすいし、行動方針も簡単に立てやすい…善に味方し、悪を叩けばいい(単純化)。正義が悪を倒せば、世界は安泰でめでたしめでたし(勧善懲悪)。…テレビの時代劇も、本物の国と国との戦争も、だいたいそういう理屈でやっている。→ リンゴ畑の中もそうでした。私も長い間単純に、そう考えていました。(※現在の政治状況もまた…?)
・だから農薬はいつも法律で規制されている限界ぎりぎり、できるだけたくさん使っていた。…害虫だの病原菌だのは、リンゴの木に悪さをする憎っくき敵、徹底的に殲滅する以外にないと思い込んでいた。→ それさえ真面目にきちんとやっていれば、リンゴ畑はいつも綺麗で、毎年秋にはたくさんの美しいリンゴの実がなりました。→ 私はお礼に、木の根元にたっぷり肥料を施してやったもんです。…まあそういうわけで、リンゴは農薬と化学肥料で作るものだとばかり思っていました。
・その考えが、もしかしたらちょっと間違っているのではないかな、と考えるようになったのは、農薬を使わなくなってからのことです。→ 害虫が大発生して、1匹1匹手で取らなければならなくなった。1本の木から、買い物袋3袋分の虫が取れたこともあった。…そんなとき、ふと、この虫(ハマキ虫)はどんな顔をしてるんだろうと思って、虫眼鏡で覗いてみた。→ そしたらこれが予想に反して、なんとも可愛い顔をしていたのです。
・それから興味を持って、虫を捕まえては虫眼鏡で顔を覗いて見るようになった。→ これが面白いことに、人間が害虫としている虫は、だいたい可愛い顔をしていて、反対にその害虫を食べてくれる益虫は、なんだか怪物のような恐い顔をしていた。
・考えてみれば、害虫というのはリンゴの葉や実を食べる草食動物で、(クモやハチ、クサカゲロウの幼虫など)害虫を食べてくれる益虫は、肉食獣です。…猛獣に比べたら草食獣が平和な顔をしているのは、当たり前のことなのです。
25.草は美味しい?
・リンゴが実らず貧乏のどん底生活が何年も続いたおかげで、草の味については結構詳しくなりました。…リンゴ畑にはありとあらゆる種類の草が生えていたし、農薬も散布していないので、食べられそうな草は、片っ端から食べてみました。
・いちばん美味しいと感じたのは、やっぱりハコベ(胡麻和えとか、和え物にして食べることが多かった)。ただしハコベが美味しいのは花が咲く前。花が咲いてしまうと、葉が硬くなって美味しくなくなる。…それから、牛がいつも美味しそうに食べている牧草(オーチャードグラス)。あれは不味かった。繊維が硬くて食べられない。牛はよくこんなものを食べて消化できるもんだなと思いました。→ だけど考えてみれば、それが牛の能力なわけです。…柔らかくて美味しい葉っぱなら、他の動物が食べてしまう。誰も見向きもしないような硬い葉っぱだから、あんなに豊富にあるわけ。→ その硬い草を消化するために、牛には4つも胃があって、ひがな一日草を噛み続けている。生き物というのはすごいものだと思います。
・まあ、そういうわけで、いろんな草を食べてみてわかったことは、たいがいの草は不味いということ。→ 美味しかったら食べられてしまう。繊維を硬くしたり、苦くなったり、他の動物に食べられないように進化するのは、植物としては当然の戦略なのでしょう。だから、野生の草木で人間が食べて美味しいなんていうのは、むしろ例外的存在。…中には毒を作って、身を守っている植物もいるので、くれぐれもよく知らない草木を、興味本位で食べたりしないでください。
26.敵を作らない農業
・リンゴの葉や実を食べる害虫でも、リンゴの木にためになることを最低ひとつはやってくれている。…それは、(リンゴの害虫を食べてくれる)益虫の食料になるということ。→ その害虫を滅ぼしたら、益虫も滅びる。
・害虫(ここでは食べられる側)というのは、益虫(食べる側)よりも数が多く繁殖力も強い。そうでなければ、天敵に簡単に食べ尽くされてしまうから。→ 害虫をすべて滅ぼして益虫もいなくなった畑に、どこからかその害虫がちょっとでも舞い戻ったらどうなるか。→ 天敵の益虫がいないので、害虫はどんどん繁殖して、あっという間に畑中のリンゴの木にとりついてしまう。…それがつまり、かつて私の畑で起きたことです。…何が間違っていたのか。
・私が間違ったのは、ある虫がリンゴの葉を食べているのを見て、その虫を敵だと決めつけてしまったこと。それは真実のごく一部でしかない。…生態系とは、生きとし生けるものすべてが、網の目のようにつながって生きている、命の全体の働きです。→ その生態系の一部である生き物を、人間の都合で、善と悪に分けてしまうことが、そもそもの間違いの始まりなのだと私は思います。
・害虫とか益虫という言葉に惑わされてはいけない。→ 自然の中には、善も悪も存在しない。生き物はみんな、それぞれの命を必死で生きているだけなのです。どんな生き物も、生態系の中で与えられた自分の役割を果たしているだけなのです。
・敵なんてどこにもいないと気づくことが、私の栽培法の出発点です。…虫が大発生するのは、大発生する理由がある。→ その原因をつきとめて、そうならないように手当てをするのが百姓の仕事です。…虫や病気は原因ではなく、あくまでも結果なのです。虫や病気が蔓延したからリンゴの木が弱ったのではなく、リンゴの木が弱ったから虫や病気が大発生したのです。…虫や病気は、それを教えてくれていたのです。
・そのことに気がついて、私はひとつのマスコットを描きました(リンゴの葉を食べる憎っくき敵であり、つぶらな瞳の可愛いハマキ虫)。→ ようやくリンゴを収穫できるようになってから、お客さんにリンゴを送る段ボールに、そのハマキ虫のイラストを印刷しました(P93にイラスト画あり)。虫や病気と戦うのをやめたとき、自分のなすべきことが見つかったのだということを忘れないために。(※「患者よ、がんと闘うな」…)
27.1本の木には何個くらいリンゴが実りますか?
・リンゴの樹齢や大きさ、それから摘果の程度によっても違いますが、たとえば最も古株の樹齢50年のリンゴの木は、昨年1170個の実をつけてくれました。私の畑で(数えた中での)最高記録は1本の木に1400個以上なりました。(実を言えば、私は今まで一度もリンゴがいくつなるかなんて数えたことはなかった。数えてくれたのは、杉山教授の研究室の学生さん達です。)
28.いちばん好きな季節はいつ?
・冬です。(雪国では冬は)できることはほとんどないので、図書館に出かけて調べものをしたり、ずっと読めなかった本を読んだり、自分の好きなことができます。
・あの頃、冬になれば真っ白な雪が、病気や虫におかされた私のリンゴの木を覆い隠してくれました。周囲の農家からの目も、なんとなく和らぐような気がしたものです。→ 春になれば、雪が溶けて、無残な姿になってしまったリンゴの木が姿を現します。そして、病気や虫が、また襲いかかってくるわけです。…つまり、20年経った今も、トラウマになっている。それだけ余計に、冬が好きになるわけです。(※壮絶なる人生…)
29.栄養が余るから虫が来る
・大豆の根粒菌を利用する方法なら、(既述のように)土の中に必要なだけ窒素が行き渡ると、根粒菌は活動しなくなるので、窒素過多になることはない(サーモスタットつきのエアコンが、自動的に部屋の温度を維持するのと同じ)。
・人間が窒素肥料を施すのは、いわばサーモスタットの壊れたエアコンです。→ 土の中にどれくらい窒素分があるのかわからないままに、毎年窒素肥料を施せば間違いなく窒素過多になる。→ 作物にアブラムシが来るのは、おそらくそのせい。…アブラムシは余分な栄養を食べに来ている。→ そのアブラムシを殺すために農薬を使わなければならなくなるわけ。
・その証拠に、肥料を施さない(窒素過多にならない)自然栽培では、アブラムシの被害を受けることがほとんどない。→ もし肥料を施しているプランターや畑にアブラムシが発生したら、肥料をしばらく控えてみることをお勧めします。(※これもまだ仮説なのだろうが…)
30.大草原とバクテリア
・同じ畑で、同じ作物を毎年育てていると、作物の生育が悪くなり、収穫量ががた落ちします(連作障害)。…現代のように除草剤を使って雑草を根絶やしにすると、土壌細菌も単一構造になってしまう。→ 同じような菌ばかりが増えてしまって、それが連作障害を引き起こしている。→ そして連作障害が起きると、薬を使って土壌消毒をする。これは、土を土と見ていないことの表れだと思う。
・消毒とは、正確に言えば殺菌であり、良い菌も悪い菌も、そこの土壌にいるバクテリアを皆殺しにしている。→ 従って、一時的には連作障害はおさまる。…けれど、3年ぐらいするとまた発生する。土壌細菌がいなくなった空白地帯に、悪さをする細菌が大発生するから(※害虫と同じ構造…)。→ それでまた、土壌殺菌をする。消毒がやめられなくなる。…これを繰り返して、とうとうどんな作物も栽培できなくなった畑(※死んだ土)が、日本のあちこちにある。(※う~ん、〝敵視政策〟のなれの果て…?)
・だけど、私のように肥料を与えていない畑では、今まで何年同じ作物を植えても、連作障害は起きたことがない(※これは前回の新留氏の論とも重なる…)。…それは、私の畑にはいろんな雑草が生えているので、土の中の微生物が単一化していない。→ 雑草は、この連作障害を防ぐためにも必要なのです。
・連作障害は、病気ではない。…土の中の微生物層が単一化しているために起きる現象に過ぎない。⇒ 多種多様な生き物がいて、初めて生態系は守られる。…それは象やライオンのいるアフリカの大草原だけでなく、微生物たちの棲む土の中のミクロの世界でも同じことなのです。(※人間の世界もまた…。ただし、人間とその風土とのミスマッチはある…?)
31.なぜ冬はノコが切れるのか?
・雪の上での剪定(余分な枝を切り、リンゴの木の姿を整える)から、リンゴ農家の一年は始まる。…それは、この時期がいちばんノコギリが切れるから。他の季節だと、樹液に含まれるタンニンが、ノコギリにこびりついて切れ味が鈍る。ところが冬のこの時期は、リンゴの成長が止まっていて、樹液の移動がほとんどない。→ おそらくそのせいで、リンゴの木を切るのがとても楽なのです。
32.葉脈と枝の関係
・剪定の上手い下手で、リンゴの収穫量が大きく変わることもあれば、病気や虫への抵抗力も違ってくる。…リンゴ農家にとって剪定技術は、きわめて大切なもの。
・ところが無農薬栽培を始めてみると、それまで通り(他の農家と同じような)剪定をしたら、黒星病が激発。…他の人の剪定は、肥料や農薬を使うことを前提にした剪定だったから。→ それで何か答えを探していて、葉っぱの葉脈が参考になることに気づいた。
・葉脈というのは、根っ子からの水分や養分を葉の隅々にまで送り、葉緑素で作った炭水化物を運ぶためのもの。…人間の血管、地球全体でいえば川みたいなもの。→ そう思って、木の全体の形を見たら、枝というのも同じ働きをしている。…そう思って見たら、葉脈の形と枝振りはよく似ている。…どっちも水分や養分を運ぶことが目的だから、似ているのは当たり前のことかもしれない。(※こんなこと初めて聞いた…)
・葉っぱの葉脈の形は、植物によって違う。同じように枝振りも、植物によって違う。→ もしやと思って、それからことあるごとに、樹木の枝振りとその葉脈の形を見比べたら、だいたい同じ形なわけ。…葉が広がっている植物は、枝振りも広がっている。すらりと背が高い木は、やはり葉もすらりと細長く葉脈もすっと伸びている。
・葉脈の形がそれぞれの樹木の自然な姿に違いありません。→ それからリンゴの木を剪定するときは、リンゴの葉の葉脈を見ながら、葉脈の物まねをするようなつもりで剪定。→ そしたら、驚いたことにめっきりリンゴの病気が減ったのです。…リンゴ以外の樹木でも同じことだった。→ その果樹の葉を参考にしながら剪定すると、自然栽培に切り替えても病気が出にくくなるのです。(※う~ん、木村秋則、恐るべし…ただこの仮説は、どの程度妥当なのか…?)
33.「奇跡のリンゴ」は庭で育つか?
・もちろん育ちます。…気候に関しては、日本国内であればリンゴは基本的にどこでも育ちます。沖縄でもリンゴを植えている人がいます。(以下、具体的な栽培方法は、P113~116)
・上手くいけば苗を植えて3年目くらいに花が咲き、2~3個は実がなるだろう。→ それ以降の収穫は、その3年の間にリンゴの木や、土を観察し、勉強して、あなた自身がどれくらい農薬や肥料のかわりを果たせるようになったかで決まります。
34.枝を切ると木は元気になる?
・リンゴの苗を植えたときに、最初の剪定をしてください(詳細はP117)。…リンゴの苗がかわいそうと思う方もいるかもしれないが、剪定は正しく行えば木を元気にしてくれます。
・リンゴの苗木は、一度土から抜かれているわけです。そのときに目に見えない根が切れて苗木は弱っている。→ だからその切れた根っ子に合わせて、地上部である苗木のてっぺんを剪定してやる。…根がダメージを受けたら、地上部も少し減らして、リンゴの木の負担を減らしてやるわけ。→ 来年以降の剪定は、リンゴの葉っぱの葉脈を見ながら、枝の伸びが葉脈と同じになるようにイメージしてやってください。(※う~ん、説得力あり…)
35.虫は手で取ろう
・庭のリンゴの木なら、もし虫が来ても、手で取ってやればいい。問題は病気です。…病気の原因となる菌類は、リンゴの葉っぱの表面とか枝とかにすでに存在しているわけです。→ そういう菌類は、いつもはおとなしくしていても、自分が成長できる条件が整えば一気に増殖する。→ そして病気が広がってしまったら、手で取ることはできない。
・だからこればっかりは、病気にならないように予防するしかない。→ 酢を使うわけです。(酢の使い方の詳細は、P119~121)
36.酢の散布法
(枚数の関係で、この項省略。→ 酢の散布法に興味のある方は、P122~124)
37.自然を逆さまに見る
・人間という動物は、五感の中でも特に視覚が発達しているので、どうしても目に見えるものを中心に世界を認識しようとする。→ そのせいで見落としてしまうこともたくさんある。
・その代表が、土の中のこと。…植物にとって何よりも大切なのは根っ子なのに、そのことをすぐに忘れてしまう。それが、いろんな間違いの元になっているのではないか。→ 土の中に隠れて目に見えないからこそ、想像力を働かせて、今この植物の根っ子はどうなっているかを考えることが大切。
・リンゴの木を育てるときも、リンゴの木がもし弱ったら、真っ先に根がどうなっているのかを考えてください。→ 根っ子さえしっかりしていて健康なら、リンゴは必ず元気を回復します。もし何かの原因で根っ子が弱っていたら、根っ子の負担を減らすために、地上部の枝を減らしてやることを考えてください。(※う~ん、含蓄のある話だ…)
・リンゴに限ったことではないが、私ができるだけ水やりを少なくするように言うのは、土の中にできるだけ酸素がたくさん存在する状態を保ちたいから。…土中細菌の中には、好気性菌と嫌気性菌がいる。自然全体から見れば、もちろん好気性菌にも嫌気性菌にもそれぞれの役割があり、どちらも必要なものだが、作物を栽培したり私たちが暮らしていく上では、できる限りこの嫌気性菌を環境から遠ざけておきたい。…嫌気性菌は酸素を嫌う細菌だが、それゆえ水はけの悪い場所などで増殖する傾向がある。そして嫌気性菌の中には、いわゆる腐敗の原因になったり、危険な毒物を生産するものが多い。…ex. ボツリヌス菌や炭疽菌(※食中毒や伝染病を起こす)
・だから土の中には植物が必要とする以上の水分がないように、水はけをいつも考えて育ててあげてほしい。→ 土の中の根っ子が、放線菌などの好気性菌と上手に共生できるように。
・私は畑を粗く耕すように指導しているが、粗く耕すと土の中に空気をたくさん取り入れることになるから。→ 空気が多ければ好気性菌が増える。隙間がたくさんあるから、作物も根を伸ばしやすい。…根っ子のことを考えれば、粗く耕すのが当たり前だとすぐわかります。
・(たまには自然を逆さまに見て)作物を育てるときは、まず根っ子のことを考える。それから、葉や枝のことを考える、というくらいでちょうどいい。
38.何種類のリンゴを作ってますか?
・収穫期で言うと私の畑では、いちばん早いのが(9月の半ば頃から)津軽という品種、その後は紅月、その次が紅玉、ハックナイン、王林、陸奥、そしてフジ。…フジは日本で今いちばん作られている品種で、雪が降り始める11月中旬くらいまでに収穫します。その他にも、ジョナゴールドとか、少しだけ作っている品種もある(ほとんど出荷せず)。→ というわけで、全部で7~8品種というところです。
39.農家になるにはどうしたらいい?
・これはあくまでも私の意見ですが、これからの(※未来性としての)農家には、いかにコストのかからない農業をするかという努力と、付加価値の高い農作物を作る努力が必要だと思う。→ そのためにも、農薬も肥料も使わない自然栽培を試みることを是非お勧めします。
・ただし、最初から収入を見込むことはできないので、他の仕事で収入を得ながら、少しずつ技量を磨き、耕作面積を増やしながら、プロの農家を目指すのが現実的だと思う。→ 最初は水田から始めるのがいいと思う(リンゴは、手間が水田の5倍はかかると言われ、自然栽培ならさらにその倍はかかる。農業経験のない方が、いきなり取り組むのは難しい)。…稲作は数千年の歴史のある農業だし、農薬や肥料を使わない自然栽培との相性もとても良い。→ 全国には耕作放棄された水田が増えているので、水田を借りるのはそれほど難しいことではないと思う。…家庭菜園を卒業したら、次は水田を探してみてはいかがでしょう。
40.個性的なリンゴ
・同じ品種のリンゴの木は、DNAが同じある意味でのクローンです。→ けれど不思議なことに、その同じ遺伝子のはずのリンゴの木が、私の畑の中だけでもみんなそれぞれに、ぜんぜん違う個性を持っている。…上へ上へと枝を伸ばそうとする木もあれば、横に広がろうとする木もある。毎年のようにたくさんの実をつける木もあれば、あまりつけない木もある。病気に強いのもあれば、弱いのもいる。とびきり美味しい実をつける木もあれば、そうでもないのもある。…もちろん共通するところもたくさんあるけれど、リンゴの木の1本1本はそれぞれに名前をつけてやりたくなるほど個性的なのです。
・1本1本がみんな違う。その違いにしっかりと目を向け、同じ生き物同士、一対一で向かい合うのがリンゴの木との唯一の正しいつきあい方であることを、私は長い百姓生活の末に学びました。→ もちろんそれはリンゴだけでなく、この世界に生きとし生けるものすべてがそうなのです。草だって、同じ種類の草なのに、生えている場所によって、まったく別物のような姿をしている草もある。
・人はこの世界を理解するために、あらゆるものに名をつけ、分類し、理解したつもりになっている。インターネットの世界には、そういう知識が気が遠くなるほどたくさん詰まっている。→ けれどこれから先、どんなに技術が進歩しても、さらに膨大な知識を詰め込んだとしても、私が今向かい合っているリンゴの木の性格については、そこには何も書かれていないのです。〔※う~ん、ともすれば一方の方向に大きく偏りがちな、現今の世相や風潮に対する、(ささやかな)警鐘・異議申し立て?…でもまあインターネットは、道具の使い方の問題か…〕
・本当の意味で自然とつき合うには、一対一で生身の心と体で、自然と向き合うしかないのです。…知識はそのつきあいのためのガイドブックの役割は果たすが、いくらガイドブックを読んでも、それは自然とつきあっていることとはまったく違うのです。…そういう意味では、ここまで私がお話ししてきたことも、ただの知識であり、ガイドブックでしかありません。土を知るには、土まみれになるしかないのです。(※すぐれた〝ガイドブック〟ではある…)
41.リンゴ箱と学校
・もちろん、人間だって、一人一人みんな違う。←→ それなのに、それこそリンゴ箱のように一つの教室に同じ年齢の子供を集めて、みんな同じという前提で教育をしている。それがそもそも間違いだと思う〔※う~ん、日本近代の学校教育のあり方に対する、根底的な(根っ子からの)批判…〕。1本のリンゴの木になるリンゴの実だって、一つとして同じものなんかない。まして、違う親から生まれた一人一人の子供は、みんな違っているのが当たり前なのです。←→ けれどリンゴ箱にリンゴを詰めるときと同じように、どうしても色や形を揃えようとする。→ 他のリンゴよりも小さかったり、色が悪かったり、傷がついているリンゴは、リンゴ箱からはじき出してしまう。落ちこぼれというやつです。
・リンゴならそういうものの方が、案外美味しかったりする(たいていのリンゴ農家は、見かけの良くないリンゴは、家族で食べたり友達にあげたりしている)。…ことに私の栽培法では、農薬や肥料を使う方法に比べて、どうしてもそういう不揃いなリンゴが多い(約3割)。→ その3割のリンゴはいろいろな加工品(ジュース、お酢など)にしている(ちなみにこの3割のリンゴをいかに上手に加工するかに、自然栽培のリンゴ畑の経営はかかっている…)。
・人間も同じだと思うのです。子供たちを一つのリンゴ箱に詰めるのは、あくまでも大人の側の都合です。そうした方が、効率がいいからそうしているに過ぎない(※現今の〝受験〟や〝就活〟も?)。⇒ 子供は一人一人みんな違う。その違いを尊重し、違うことを前提とした教育を、これからはもっと考えていかなきゃいけないと私は思います。(※教育の未来性…)
・それは子供たちだけのためではありません。私の経験では、それが上手くいくとリンゴ畑全体が上手くいくようになるのです。…世界をあっと言わせるような天才や偉人が、子供時代には落ちこぼれと呼ばれていたという例が、どれほどたくさんあることでしょう。
〔※関連参考資料:『反教育論』泉谷閑示(講談社現代新書)2013.2.20 ……音楽家でもある(パリの音楽院に留学経験もある)異色の精神科医の、直球の教育論…〕
42.リンゴはどこまで伸びるか?
・これは私も試したことはないので、本で読んだだけの知識ですが、高さ30mくらいの巨木になるそう。→ 本来ならそんなに大きくなる木を、人間の手が届きやすいように3mとか4mの高さに刈り込んで、毎年たくさんのリンゴの実を実らせてもらっている。…リンゴの木にはいくら感謝しても感謝し足りません。
43.芽の前に出るもの
・大豆を植えたら、いちばん最初に出るのは、芽ではなく根です。→ 大豆に限らず、ほとんどの種がそうです。まず根が出てから、芽が出る。……人間は地面の上から見ているから、どうしても土から顔を出す芽にばかり注目してしまう。だけどよく考えてみれば、根の方が先なのが当たり前です。→ 成長するにはまず、根っ子から水や養分を吸い上げなければいけないから。
・これは種のときの話だけではなく、自然栽培に切り替えると、稲でも大根でも、伸びが悪くなったように見える。…その差は歴然で、田植えをしてからしばらくは、慣行農法の稲の成長の方が明らかに良好。←→ けれどそう思うのも、地上の部分だけを見ているから。
・自然栽培の稲の成長が遅れて見えるのは、地下の根を先に伸ばしているから。つまり根から先に成長する(※基礎をしっかり作っている)。→ 根を引っこ抜いて見れば一目瞭然。貧弱に見える自然栽培の稲の方が、根っ子は遥かに発達している(細かいひげ根をびっしりと生やした、太くて長い根がびっしりと生えている)。…この地下の目に見えない部分が大切なのです。
・根を充分に発達させた後は、いよいよ地上の葉や茎が成長します。→ 成長が悪いように見えた自然栽培の稲は、ある時期を過ぎるとどんどん成長して、あっという間に普通の稲を抜き去ってしまう。⇒ 根っ子をまず先に伸ばすことを考える。…それはリンゴにも人間にも当てはまることだと思います。(※う~む、いろいろな領域にも通底するような、まさに根の深い話だ…)
44.自然の時間を生きる
・リンゴがまだなっていなかった頃は、たくさん時間がありました。…ひがな一日ずっと、1匹の虫を観察していたり、森の奥で草や木にお日様の光がどう当たるかを見て、一日を過ごしたり…。→ 朝日が昇る頃から、日が沈むまでずっと見ていてわかったのは、どの草も一日に1回はどこかで太陽の光を受けているということ。
・これは背の高い木が、背の低い植物のために、ちょっと譲ってやってるのではないかなと思うのです(※う~ん、木村さんの人柄がよく出ている解釈ではある)。というのも、木が成長していくと、下枝が枯れて落ちるのです。…太陽の光が当たらなくて効率が悪いから下枝を落とすのだ、と言う人もいるけれど(※こっちの方が合理的解釈?)、私はそうではないと思う。→ 自分の下に生えている雑草に少しでも光が届くように、木は自ら枝を落としているんじゃないのかなあと思うのです。なぜなら、雑草が生えていた方が木は助かるから(※共生)。
・雑草が生えていた方が、土中細菌が増えるということもある。…それに草が自然のクーラーの役割を果たしている(夏の暑い日に、雑草の生えている場所が、何も生えていない場所より10度近くも温度が低いことがある)。→ 木の根っ子にしても、ひんやりしていた方が気持ちいいに決まっています。だから自ら枝を落として、雑草や丈の低い木に光が届くようにしている。…自然の生態系はそういうふうにして保たれているのではないかなと思うのです。
・まあ、それが当たっているかどうかはわかりません。だけど、虫や草たちのことを観察しながら、そういうことをぼんやり考えている時間は、私にとってとても大切な時間です。…たまには時計のことを忘れ、自然の時間を生きてみることも必要だと思うのです。人間だって自然の産物なわけですから。
(8/27 了)
【(手元にある)木村さんの参考資料(発行順)】
①『奇跡のリンゴ』石川拓治 幻冬舎 2008.7.25(2008.11.15 7刷) → 文庫化 2011.4月
②『リンゴが教えてくれたこと』木村秋則 日本経済新聞出版 2009.5.8(2009.5.22 2刷)
③『すべては宇宙の采配』木村秋則 東邦出版 2009.8.8
④『リンゴの絆』木村秋則 主婦と生活社 2010.3.8
⑤『木村秋則と自然栽培の世界』木村秋則(責任編集)日本経済新聞出版 2010.6.24
⑥『百姓が地球を救う』木村秋則 東邦出版 2012.3.2
⑦『奇跡を起こす 見えないものを見る力』木村秋則(扶桑社文庫)2013.6.15(単行本 2011.9)
⑧『地球に生まれたあなたが 今すぐしなくてはならないこと』木村秋則 KKロングセラーズ 2014.4.1
次回は、「経済論」の拡張編として、いま話題の『資本主義の終焉と歴史の危機』水野和夫(集英社新書)を取り上げる予定です。
…記録的な(経験したことのない)異常気象による災害が続いています。地球環境だけでなく、「資本主義」も、もはや〝想定外〟の(未知の)領域に入ってしまったのかもしれません。…そして、来るべき「新しいかたち」は、依然として見えてこない…。
次回は、秋の気配も深まる頃に…(お身体どうかご自愛ください)。
(2014年8月27日)
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